1月ー3月

飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十六弾:北九州小倉&門司・山口下関観光
2009年3月28−29日


九州の玄関口として重要拠点とされてきた城下町小倉、国際貿易港として繁栄し、レトロな風情が漂う門司港、本州最西端に位置し、源平の合戦、幕末の馬関戦争、日清講和条約の締結など、数々の歴史の舞台となってきた町、下関に足を運びました。

28日13:04新大阪駅新幹線のぞみで出発
15:31小倉駅到達、小倉タウン散策

陸軍第十二師団軍医部長として小倉に赴任した森鴎外が、1899年(明治32)から約1年半を過ごした家、森鴎外旧居を見学。
1602年(慶長7)細川忠興により築城されたが、戦乱により焼失、現在の天守閣は1959年(昭和34)に復元された小倉城を散策する。
小倉城に隣接し、小笠原流礼法の祖・小笠原氏の下屋敷跡に大名屋敷を再現した北九州市立小倉城庭園を見学。
『点と線』、『砂の器』などの代表作をもつ北九州市出身の作家松本清張の業績をたどる記念館、北九州市立松本清張記念館を見学。
文豪・森鴎外をはじめ、杉田久女、林扶美子、火野葦平など、北九州ゆかりの文学者を自筆の原稿や映像などで紹介している北九州市立文学館を見学。

小倉駅付近のホテルに到達後、繁華街を散策して食事を済ませてから宿に就く。

29日6:30レンタカーで出発、天候曇り、肌寒い、南の郊外、平尾台方面に向かう。
九州最大のカルスト台地、標高400m〜600m、小倉南区から行橋市にかけて、南北6km・東西2kmに及び、緑の中に白い石灰岩が点在する様子が牧草を食む羊の群れのように見えることから、羊群原ともよばれている平尾台を散策する。

九州自動車道経由して門司方面に向かう。

大陸貿易の玄関口として、1889年(明治22)に門司港が開港されると、港の周辺には海運会社や商社などの西洋建築物が次々と建てられ、それらを修復、復元して集めたのが、門司港駅とその周辺エリア、ノスタルジックな洋館のほか、ショップやレストラン、美術館なども続々登場して、今では福岡県有数の観光スポットとして人気を集めている門司港レトロ地区到達後散策。

門司港レトロ地区の起点となる1914年(大正3)に建てられたネオ・ルネッサンス様式の左右対称の木造2階建ての駅舎、駅として全国で初めて国の重要文化財に指定されたJR門司港駅を見学。
1921年(大正10)に三井物産の社交場として建てられたハーフティンバー様式の建物。館内はアールデコ調のデザインが施されている旧門司三井倶楽部を見学。
八角形の塔屋が目を引く大正時代の建物、大陸航路の待合室的存在だった旧大阪商船を見学。

1912年(明治45)に建築されたレンガ造りの重厚な建物、旧門司税関を見学。
1902年(明治35)帝政ロシアが中国・大連に建てたドイツ風の建築物を忠実に再現した北九州市立国際友好記念図書館を見学。
建築家・黒川紀章が設計した、31階建て高層マンションの最上階にある展望台、関門海峡、門司港レトロ地区の町並みを一望できる門司港レトロ展望室を見学。

旧九州鉄道本社を再整備しオープンした記念館、館内には九州を舞台としたパノラマ鉄道模型、電車の運転を疑似体験できる運転シミュレーターなどがあり、屋外には、本物そっくりの運転システムで遊べるミニ鉄道公園、九州各地で活躍した歴代の車両展示の車両展示場がある九州鉄道記念館を見学。

門司港から船で10分、彦島の400m沖に浮かぶ無人島、正式には船島といい、1612年(慶長17)に剣豪宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した舞台として名高い巌流島を散策する。

風光明媚な関門海峡の下を貫く全長780mの海底トンネル、関門トンネルを通過して下関方面長府に向かう。

1320年(元応2)に創建された古刹、仏殿(国宝)は鎌倉期のもので、わが国最古の唐様禅宗式建築、毛利元就に追われた大内義長はここで自刃し、幕末には京都を追われた三条実美等五卿が潜居していた寺で、高杉晋作が倒幕を目指して決起した地としても知られる功山寺を散策。
功山寺境内にある博物館、覚苑寺の鋳銭所跡から発掘された和同開珎や幕末に鋳造された青銅砲、長府藩主の毛利一族や陸軍大将・乃木希典の遺品など、歴史資料約1万点を収蔵・展示している下関市立長府博物館を見学。

1903年(明治36)に長府毛利家14代元敏が建て、明治天皇の宿泊所としても使われた屋敷、長府毛利邸を見学。

長府毛利藩の家老格であった、西運長の屋敷跡にある廻遊式日本庭園、長府庭園を散策する。

下関出身の狩野芳崖の作品を中心に高島北海、香月泰男、岸田劉生、藤田嗣治など下関ゆかりの画家の作品と、古代オリエントの美術工芸品を展示している下関市立美術館を見学。

下関港方面に向かう。
標高約268mの山で、かつてのろし場があったことからこの名が付き、頂上の展望台からは関門海峡や下関市街、玄界灘や周防灘まで眺められる火の山公園を散策する。

かつて源平の壇之浦の戦いが行われた古戦場で、園内には源義経・平知盛像と、幕末に長州藩が外国船を砲撃した長州砲のレプリカが置かれていて、関門海峡で最も狭い幅約700mの早鞆の瀬戸沿いにあり、関門橋や最速約10ノットという潮流、行き交う船などを間近に眺められるみもすそ川公園を散策。

1185年(寿永4)、壇之浦の戦いに敗れて入水した平清盛の孫・安徳天皇を祀る赤間神宮を訪れる。
1895年(明治28)4月17日、日清戦争の講和会議が開かれた旅館春帆楼の敷地内に立つ日清講和記念館を見学。
関門海峡を望む小高い丘の上に立つ洋館で、日本にオペラの基礎を創りあげた世界的オペラ歌手・藤原義江(1898〜1976)の記念館、藤原義江記念館を見学。

世界のフグ100種が泳ぐ水槽をはじめ、関門海峡をイメージした水槽など下関ならではの演出で海洋生物を展示する下関市立しものせき水族館海響館を見学。

明治〜大正時代、下関は日本の西の玄関口として大いに賑わい、当時の面影を今に伝えるのが、唐戸交差点周辺に残る旧下関英国領事館、旧秋田商会ビル、下関南部町郵便局3つの洋館、唐戸洋館めぐりを見学。

展示見本市会場や国際会議場などを有する海峡メッセ下関のシンボルタワー、高さ143mにある展望室は全面ガラス張りの球体にデザインされ、市街や関門海峡、巌流島、九州側の門司港レトロなど360度の展望が広がる海峡ゆめタワーで眺望する。

中国自動車道、風光明媚な関門海峡に架かる、全長1068mの吊り橋、中国自動車道と九州自動車道を結ぶ高速自動車道で、1973年(昭和48)に開通した関門橋、九州自動車道、北九州高速を経由して小倉到達。食事を済ませてから

17:44新幹線のぞみで出発
19:55新大阪到達。

今回の旅行、本州を眼前に九州の玄関口として重要拠点とされ、江戸時代には豊前小倉藩を細川氏と小笠原氏が治め多いに栄え、近代社会の発展の最先端を走り続けてきた城下町小倉。
明治・大正時代に海外交易の要衡として栄えた門司港、レンガ造りや木造の洋館など当時の面影を残す建物を集め、レトロな町並みとして保存する門司港レトロ地区。
下関市東部に位置し、長府毛利家や高杉普作をはじめとする維新の志士と縁の深い歴史ある閑静な城下町、長府。
本州の最西端に位置し、源平合戦の壇ノ浦の戦いや武蔵と小次郎の巌流島の決闘、幕末の馬関戦争、日清講和条約の締結など、数々の歴史の舞台となってきた町、下関。
古くから交通の要衡として栄え、今もなお、1日700隻もの船が行き交う関門海峡を挟む歴史あるエリア門司・下関、小倉、長府を含めて奥深い町並み、又ゆっくり時間を掛けて訪れてみたいエリアの歴史学習観光旅行でした。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十五弾:佐賀県佐賀&吉野ヶ里観光
2009年3月21−22日


今回は関西の方があまり訪れない佐賀県に足を運び、鍋島36万石の城下町佐賀城跡や旧古賀銀行をはじめ由緒ある5つの建造物からなる佐賀市歴史民俗館、日本最大規模の弥生時代の集落遺跡の吉野ヶ里遺跡を訪れました。

21日15:30伊丹空港出発
16:50佐賀空港到達、レンタカーで観光巡り
諸富・川副町の農家に多い漏斗造りの住宅。四方の屋根の中央部をジョウゴ状にし、雨水を中央に集め、瓦樋で屋外に排水している国の重要文化財の山口家住宅を見学。

川副町派早津江に生まれた日本赤十字社の生みの親である佐野常民の業績に関わる資料、遺品などを展示すると共に、次世代教育・ボランティア活動・生涯学習・地域交流活動を通して、常民の偉業や人道、博愛の精神を学んでいく人材育成の拠点施設を目指します佐野常民記念館を見学。

1640(寛永17)年に小城藩主、鍋島元茂が島原の乱の必勝祈願成就のため建立した銅造明神鳥居が立ち佐賀県内に現存する唯一の銅製鳥居で、県の重要文化財である大堂神社を訪れる。

佐賀駅付近のホテルに向かい到達後、佐賀タウンを散策して食事を済ませてから宿に就く。

22日6:30レンタカーで出発、天候曇り時々雨、風弱く気温は暖かい。
山里の自然があふれれる佐賀市北部の三瀬地区に向かう。

山間の静かな温泉地熊の川温泉と古湯温泉の中間に位置する、嘉瀬川河畔の自然公園、音を立てて流れる清流と巨岩や大小の奇岩が見もの、また園内には、遊歩道や橋が整備されているので、トレッキング気分で渓谷の美しさと迫力を楽しめる雄淵・雌淵公園を散策する。

九州の嵐山と称される、県下屈指の景勝地、春は桜、夏は新緑、秋は色鮮やかな紅葉など、四季折々の表情が美しく毎年4月〜5月上旬には、300にもおよぶ鯉のぼりの吹き流しが登場する川上峡を散策する。

縄文時代晩期〜弥生時代前期(紀元前3〜5世紀)の墓と5〜6世紀の古墳群からなるこの遺跡は、支石墓、甕棺墓、石棺墓なども多数出土している複合遺跡、丸山遺跡を散策する。

大和町は、奈良・平安時代の肥前国の都として栄えたところで、現在の県庁議事堂にあたる建物で、大型の礎石建物が発見され、国史跡に指定されている肥前国庁跡を散策する。

西の小城市に向かい、滝から流れ落ちる名水百選で別名珠簾の滝とも呼ばれている落差75m・幅13mの名滝である清水の滝を訪れる。

佐賀タウンに向かい佐賀城跡と、それを取り囲む11haの広大な大濠や遊歩道からなる緑豊かな公佐賀城公園を散策する。
鍋島三十六万石の拠点だった佐賀城、周囲に幅80mもの濠を巡らし、5層の天守閣を誇る名城とされたが、明治初頭の佐賀の役でほとんどを焼失。今も残る鯱の門と続櫓は国指定の重要文化財、また本丸跡には、木造復元建物としては日本最大規模となる2500平方mを誇る、幕末期の佐賀城本丸御殿の一部を忠実に再現した県立佐賀城本丸歴史館が立つ佐賀城跡を訪れる。
佐賀の自然、考古・歴史、美術工芸、民俗などの幅広い資料を収集、常設展では、大陸や朝鮮半島との交流を示す歴史資料や、吉野ケ里など県内各地の遺跡からの出土品、幕末期の大砲のひな形などを展示する佐賀県立博物館。
佐賀県立博物館に隣接し、近代・現代作家を中心に収集・展示している佐賀県立美術館を見学。

政治家で早稲田大学創設者・大隈重信の旧宅(史跡)。コの字型の鍵屋造、平屋藁葺きに一部瓦葺きの2階建て。武家屋敷の遺構としても貴重。彼の遺品などを展示した大隈記念館を併設する大隈重信旧宅・記念館を見学。

旧長崎街道沿いに、江戸・明治・大正期の歴史的建造物が点在。洋風建築の旧古賀銀行や旧古賀家、旧三省銀行、福田家、江戸時代の商家を移築した旧牛島家などからなる佐賀市歴史民俗館を散策する。

旧佐賀藩主 鍋島家に伝来した美術工芸品・歴史資料を主に収蔵・展示する博物館、徴古館、名君とうたわれた十代藩主・鍋島直正を祭る神社、佐嘉神社、1722年(安永元)に創建、藩祖・鍋島直茂とその祖先を祭る松原神社を訪れる。

鍋島直正の別邸地跡を利用した公園。園内には別邸を復元した隔林亭が存する神野公園を散策する。

曹洞宗の禅寺。藩祖鍋島直茂の父・清房が1552年(天文21)に創建。旧鍋島家の菩提寺で、墓所には西側に鍋島家、東側に龍造寺家の墓碑、石灯籠が整然と並び、樹齢約400年の霊徳寿梅も有名な高伝寺。教育者であり、次郎物語の作者でもあり、明治17年(1884)に生まれてから15才まで過ごした生家、館内には次郎物語の原稿をはじめ、写真や書簡など湖人ゆかりの品々が展示されている下村湖人生家。約1900年前の景行天皇創祀の古社、江戸後期に造られた太鼓橋や日清戦争の戦利品であるオランダ東インド会社の大砲が見られる櫛田宮を訪れる。

吉野ヶ里公園方面に向かい、弥生時代最大規模の環壕集落跡を復元整備した公園、神埼市・吉野ケ里町にまたがり、多数の竪穴住居跡や高床倉庫跡、甕棺墓などが出土、集落の様子が、魏志倭人伝に記述された邪馬台国に似ているので話題になり、見学できるのは、北内郭・倉と市、北墳丘墓、出土品の展示室など、高さ10m以上の物見櫓、直径40〜50cmの柱を使った巨大な主祭殿など、その規模に驚かされる吉野ケ里歴史公園を散策する。

水車の里にある3基の水車は、仁比山地区の水車を復元したもので道路をはさんで南側に立つ遊学館では、地元の水車をはじめ九州近郊の水車の資料を展示している水車の里遊学館。近代医学の父・伊東玄朴の旧宅、幕末に長崎でシーボルトに師事し、蘭方医として初めて将軍の奥医師となった玄朴は、日本で最初に種痘を導入した功績の持ち主、県指定の史跡である葦葺き屋根の邸宅は玄朴が20歳のときに建てられた伊東玄朴旧宅を訪れる。

1205(元久2)年創建のおよそ800年の歴史を誇る神社、風神3柱を祀り、また神社がある場所が風の通り道になっていることから、風との関わりが深い綾部八幡神社。鍋島藩主鍋島直弘を祭神とする神社で、1823(文政6)年の創建、その後、筑後川氾濫防止に功績を残した成富茂安を合祀した白石神社。応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祭る八幡宮、初代鍋島藩主・鍋島勝茂が奉納した石造りの肥前鳥居がある千栗八幡宮を訪れる。

現代のくすりに関する情報と、田代売薬を中心とした日本のくすりの歴史資料や多数の珍重な生薬などの展示する中冨記念くすり博物館。1979(昭和54)年に発掘された弥生時代中期の遺跡。現地は案内の看板のみが立つ。ここから出土した銅鐸鋳型片は国の重要文化財に指定されている安永田遺跡を訪れる。
17:00鳥栖駅到達
17:29特急で博多に向かう。
17:50博多駅到達。夕食。
18:55新幹線のぞみで出発
21:17新大阪駅到達


今回の旅行、佐賀県の主な観光地、鍋島36万石の城下町佐賀、かつての繁栄をしのばせる佐賀城跡や旧古賀銀行をはじめ由緒ある5つの建造物からなる佐賀市歴史民俗館、日本最大規模の弥生時代の環濠集落遺跡の吉野ヶ里遺跡の有名どころを中心として周囲には由緒あるお寺、神社、公園、歴史的建造が小規模ながら数多く点在し、北部の山里には自然があふれ、佐賀は全国的にはあまり知られていませんが意外と見るべきものが豊富にあり、すべてを周るのは時間がかかる佐賀観光旅行でした。

次回は唐津、呼子、有田、伊万里を攻めたいと思います。








京都丹波篠山&福知山&美山観光
2009年3月20日


今回は京都の丹波エリアを訪れ、篠山城を中心に栄えた城下町篠山、織田信長の弟、信包が開いた城下町柏原、明智光秀が築城した福知山城を中心とする城下町福知山、足利尊氏ゆかりの寺や私市円山古墳など歴史的みどころがある綾部、茅葺き民家が立ち並ぶ美山に足を運びました。

6:30天候曇り時々小雨、肌寒い、車で出発、近畿中国舞鶴自動車道経由して
7:30丹波篠山市到達、散策する。

1923年に建てられ約70年間にわたって旧篠山町役場として使用されてきた篠山観光の拠点、大正ロマン館を訪れる。

1609年に徳川家康の命により大阪城攻略の拠点として築城された篠山城跡散策、同時期に建てられ1944年に焼失し平成12年に再建され京都の二条城の二の丸御殿に匹敵する大きさの建物、大書院を訪れる。

江戸末期から明治初期の町並みが残された伝統的建造物群保存地区、江戸時代に篠山の商業の中心として栄えた河原町妻入商家群を散策する。

1891年築の木造建築の裁判所としては国内最古である篠山地方裁判所の建物を利用した美術館、篠山市立歴史美術館、1830年ー1844年に建てられた武家屋敷を改修して一般公開している篠山市立武家屋敷、安間家資料館、丹波焼の創成期の平安時代から江戸時代まで、約700年間に作られた丹波焼きの代表的な作品を展示する丹波古陶館、1797年創業の老舗酒蔵、ほろ酔い城下蔵鳳鳴酒蔵、酒造りの名手、杜氏の里として知られる丹波、熟練の技と経験をもつ丹波杜氏の酒造りの様子を紹介する丹波杜氏酒造記念館を訪れる。

柏原方面に向かい、織田信長直系の織田信休が造営した藩邸で国指定の史跡、柏原藩陣屋敷、柏原歴史民俗資料館に併設する1633年に柏原で生まれた女流俳人を紹介する田ステ女記念館を見学する。

旧柏原町役場近くを流れる幅6mの奥村川をまたいで橋のようになったケヤキの根、樹齢1000年以上という大ケヤキで高さ約21m、幹の直径約6mもある県指定天然記念物ケヤキの木の根、1024年京都の石清水八幡宮の別宮として創建され、柏原八幡とも呼ばれる八幡神社を訪れる。

中央分水界とは雨水が日本海と瀬戸内海のどちらに流れるかを分ける境界線のことで標高95mの日本で最も低い中央分水界に位置する水分れ公園を散策する。

徳川3代将軍家光の乳母で春日局となるお福が3歳までの幼少期に過ごしたことでも知られる興禅寺、明智光秀の丹波の攻めの時すべての堂宇が失われたが1645年に再建された石像寺を訪れる。

福知山方面に向かい、福地山は、JR山陰本線や北近畿タンゴ鉄道などの鉄道路線が交差する交通の要衝として発展、SLの巨大な動輪をはじめ、1971年(昭和46)に廃線となった北丹鉄道(福知山〜大江)の資料などを展示し、特に、2号館に展示されている蒸気機関車は必見。鉄道ファンならずとも楽しめる福知山鉄道館ポッポランドを見学。

明智光秀が織田信長の命を受けて、1579年(天正7)に築城し、現在の天守閣は1985年(昭和61)に再建されたもので、内部は明智光秀や福知山城、城下町に関する資料を展示する郷土資料館になっている福知山城を散策する。

綾部方面に向かい、直径70mの大型円墳を整備した歴史公園、1500年前の王の墓といわれる私市円山古墳公園を散策する。

1896年に綾部で創業した総合アパレルメーカー、グンゼの資料館、グンゼ博物苑を見学する。

口径95cmの反射望遠鏡を備え、気象条件に応じて随時観測を実施する綾部天文館、パオを見学する。

美山方面に向かい、夏でも冷たいミネラル分を多く含んでいる名水として知られている美山神田の水を訪れる。

1993年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された50戸の家屋のうち約半数以上が北山型の入母屋造の茅葺き民家が位置するかやぶきの里を散策し、江戸末期の建築で、約30棟の萱葺き民家が残る北地区のほぼ中央にある資料館、美山民俗資料館を見学する。

16:00帰路に向かう。
18:00大阪到達。

今回の車での近場日帰り観光は丹波エリアにある1609年に築城された篠山城を中心に栄え、妻入商家群が軒を連ね、風情あふれる町並みが今も残っている篠山、織田家ゆかりの城下町で古刹や文化財が残り歴史ある見所が多い柏原、古くから交通の要衡として栄え、明智光秀が築城した福知山城や大江山の鬼退治伝説で知られる福知山、足利尊氏ゆかりの寺や私市円山古墳など歴史的みどころがある綾部、今尚、約250棟もの茅葺き民家が残り茅葺きの町として知られ、重要伝統建造物群保存地区に設定されている美山の里を訪れ、緑豊かな自然が広がり、城下町や昔懐かしい民家など訪れてみたい魅力あふれるスポットがある丹波エリア、充実した歴史学習でした。










妙高杉ノ原&池の平温泉スキー・スノボ
2009年3月15日
参加者5人


今回はひだ流れ葉&ほおのき平のスキー場を予定していましたが今年は暖冬、積雪不十分で前日からクローズ、急遽、雪の多い信州のスキー場に変更、妙高山の南東斜面に位置し標高差1124m、最長滑走距離8,5kmの日本でもトップクラスのスケールの妙高杉ノ原と隣接する通年型リゾートとして注目を浴びている池の平温泉のスキー場に足を運びました。

前日23:00大阪駅集合出発、車で阪神名神中央長野上越自動車道経由して
4:30杉ノ原スキー場到達、仮眠してから準備
7:30滑走、日本でも指折りの2つのロングコースの三田原ゾーン、杉の原ゾーンを全面制覇
11:30昼食
12:30隣の池の平温泉スキー場に移動
13:00滑走、落ち着いた雰囲気が漂う林間ロングコースが主体のアルペンブリックゲレンデと開放感あふれ、本格的なボードパークを設置したカヤバゲレンデの二つのエリアを制覇。
15:00終了。
15:30温泉。
16:30帰路。途中夕食を済ませて
22:30大阪駅到達、解散。

今シーズン最後の雪山イベント、雪不足により、雪の多い遠方の信州のゲレンデに足を運び、積雪量十分、天候快晴、気温も高く、前日の降雪により新雪を思いっきり滑り、滑走面積が広くロングコースの多い2つのスキー場を制覇して堪能しました。

尚杉ノ原ゲレンデで携帯電話を無くし滑走後気がつきスキーセンターに連絡しましたが届いてないとのこと、仕方なく温泉に浸かって帰路の準備をしていたらスキーセンターから連絡があり携帯電話が見つかったとのこと、まだゲレンデの近くに居ましたのですぐさま現地に戻りました。
しかし携帯電話はゲレンデ内の一番遠い三田原ゾーンの高速第二リフト乗り場に有るとのこと、当然車で近ずけない、歩いても無理、仕方なくジーパン姿でブーツをはいて、板を付け、滑走とリフト乗りを繰り返し第二リフトに到達、無事携帯電話を戻すことが出来ました。

今シーズン最後の雪山イベントの最終の滑走は、初めてのジーンズ姿の滑走で終了いたしました。
お疲れ様でした。




奈良時代遷都史跡巡り
2009年3月14日


7世紀半ばから8世紀にかける150年間に13回の遷都が行われ、今回は奈良時代の遷都、平城京跡、山背恭仁京跡、紫香楽京跡、難波京跡に足を運びました。

13:00車で近代的な13階建ての建物に、時代別に分類された展示フロアでは、古代から現代までの大阪の歴史をジオラマ、映像などを交えて詳しく紹介している大阪歴史博物館を見学。

近くには、古代日本において難波の地に設営された都城であり、飛鳥時代に宮が設置された(前期難波宮)が、京の存在は確認できていないが奈良時代に設置された宮(後期難波宮)と合わせて京として実質を伴ったとする見解が有力である難波京跡を散策する。

阪神、第二阪奈経由して、前回訪れた平城京跡はパスして京都府木津方面に向かい、740年(天平12)の藤原広嗣の乱平定後、聖武天皇は人心一新を図るために遷都したが未完成のまま、4年後には難波京に移った恭仁宮跡を散策する。

紫香楽方面に向かい742〜745年(天平14〜17)に聖武天皇によって離宮が置かれ、東大寺に先がけ大仏建立を発願した甲賀寺があった跡とされ、現在は松林に囲まれた丘陵に300余個の礎石が残り、往時の様子を伝えている紫香楽宮跡を散策する。

17:00終了。

7世紀半ばから8世紀にかける150年の間に、実に13回の遷都が行われ、単純平均すると、10年少々で遷都を繰り返したことになる。これは、大王のくにから律令国家へと大きく変わる過程で国家の規模が大きくなる転換期であるともいえるもので今回は特に奈良時代の遷都跡を散策しました。

飛鳥時代の692年に奈良の藤原京に遷都してから奈良時代710年平城京に遷都、740年山背恭仁京に遷都、742年紫香楽京造営、744年難波京に遷都、745年紫香楽京を都として定め、同年に再び平城京に遷都されました。

奈良時代の天皇は、元明・元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳(孝謙の重祚)・光仁の7代だが、そのうち4代が女帝で、7代の中でいちばん馴染みがあるのは、大仏を建立した聖武天皇であり、聖武天皇は3つの都を造り、これが何度もの土木工事で国を傾けてしまい、名君にはほど遠かったらしく、藤原広嗣が九州で反乱を起こすと、平城京を逃れて、山城に恭仁恭を造営(740年)、それが完成しないうちに近江の紫香楽宮を作り始め(742年)、さらに難波に遷都(744年)、また平城京に戻った(745年)とのこと。
奈良時代の短期間の間に訳あり、5回も都を移した歴史物語、勉強になりました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十四弾:山口岩国&柳井観光
2009年3月7−8日


今回は山口県の日本三名橋の一つでもある木造五連の橋、錦帯橋とその麓に広がり今でも当時の町並みが残る城下町の岩国と江戸時代の豪商の屋敷が残るレトロな通りの白壁の町並みの柳井に足を運びました。

7日13:00新大阪新幹線のぞみで出発
14:31広島駅到達
14:40JR山陽本線経由して
15;30岩国駅到達、レンタカーで錦帯橋方面に向かう。

日本三名橋の一つでもある木造5連の橋、吉川家三代目藩主・広嘉の時代に完成された錦帯橋をわたる。
吉川氏の居館跡などが整備されてできた広大な公園、大噴水を中心にして多彩な植物や芝生が植えられている吉香公園を散策する。
江戸中期に建てられた入母屋造の中級武家屋敷で国の重要文化財である旧目加田家住宅、国の天然記念物、岩国でしか見られないシロヘビの白蛇横山観覧所を訪れる。

1608年、吉川広家が標高200mの横山山頂に築き、岩国市街を見渡せる山城、岩国城を訪れる。

18:00岩国駅付近のホテル到達。
岩国市街地繁華街散策、食事を済ませてから床に就く。

8日6:00天候曇り、レンタカーで山陽自動車道経由して徳山方面に向かう。
徳山駅周辺の市街地には、西緑地公園、中央緑地公園、東緑地公園の3つの緑地公園があり、総称して周南緑地公園とよばれている。その中の一つ、西緑地公園の一角にあり、ここには万葉集に詠まれている植物を集め、歌とともに紹介されている万葉の森を散策する。

桜の名所としても知られ、開運厄除や交通安全の神として信仰を集める古社、花岡八幡宮を訪れる。

瀬戸内海方面に向かい島巡り。
粭島、笠戸大橋を通過して笠戸島を巡る。
柳井方面に向かう。
途中、海の守り菩薩として広く信仰を集めている寺、雪舟作の枯山水の庭園も有名な普賢寺を訪れる。

室津半島、長島を巡り、室津半島の中央に位置する標高438mの大星山は、約1200万年前に瀬戸内火山帯の活動によって誕生し、山頂にある展望台からは、瀬戸内のエーゲ海とも称される南瀬戸内海を一望できる大星山展望台 を訪れる。

柳井到達。
柳井川沿いに中世からの町割をほぼ残し、街路に面して妻入り形式で本瓦葺き、入母屋造の屋根をもつ二階建ての町屋が立ち並び、いずれも昔ながらの商家で、敷地割は間口が狭く奥行きが深いのが特徴。家の庇も同じ高さで軒線が揃う白壁の町並みを散策する。

18世紀後半の建築で、入母屋造、本瓦葺きの土蔵造2階建ての油商の家国森家住宅、古市・金屋地区にあり、室屋の屋号を持ち、最盛期には50隻もの帆船を抱えた豪商・小田家の屋敷を利用した民俗資料館、商家博物館、むろやの園を見学する。

武蔵野、少年の悲哀などの作品で知られる国木田独歩が22歳のころに住んだ家を移築した記念館、独歩旧宅を見学し、国木田独歩は柳井在住時代、自宅から北東の光台寺へ向かう道を好んで散策したという独歩曽遊の道を歩く。

柳井で生まれて200年以上の歴史をもつ甘露醤油、その伝統が息づく醤油蔵の一部を資料館として公開する甘露醤油資料館、大正時代に醤油蔵として建設された蔵で歴史的文化遺産としてそのまま保存されているやない西蔵を見学。

1400年前の伝説が残る柳井の地名の発祥の地、柳と井戸を訪れる。

周防大島方面に向かう。
大島大橋を通過し、北側、大多満根神社境内を整備した公園、大島大橋と大畠瀬戸を一望するビュースポット瀬戸公園を散策する。

周防大島を左回りから巡る。
町衆文化伝承の館を中心に、歴史民俗資料館、生活の館、陶芸の館、久賀の諸職用具収蔵庫などの施設が集合する歴史文化ゾーン、古代の人々の暮らしをうかがい知ることができる八幡生涯学習のむらを見学。

周防大島の先端に向かい、かつて世界最強の戦艦とされたが、昭和18年に東和町沖で謎の爆発を起こして海に沈んだ旧日本海軍の戦艦陸奥、後年引き上げられた陸奥艦内の備品や艦首の一部を展示した記念館で、戦艦とともに命を絶たれた1121人の将兵の冥福を祈って、乗組員の遺品などを展示、戦争の悲惨さを訴えている陸奥記念館、約200種の海の生物を展示する水族館、タッチングプールでは、見るだけでなく実際にプールに入って海の生き物にふれることができるなぎさ水族館を見学。

島内における代表的なリゾートスポット、約1.5km続く白い砂浜をもち、波も穏やかな海水浴場は全国屈指の水質を誇る片添ケ浜海浜公園を散策する。

周防大島は1885年(明治18)に開始されたハワイへの官約移民で、1894年(明治27)までに3900人もの人を送り出し、夢を抱いて出発した彼らだったが、生活は決して楽なものではなかった。その移民の歴史を写真や生活道具など豊富な資料で紹介している日本ハワイ移民資料館を訪れる。

岩国に向かう。
17:30岩国駅到達、
17:55岩国駅出発、JR山陽本線経由して
18:45広島駅到達。
19:33広島駅新幹線のぞみで出発
20:58新大阪駅到達。

今回の旅行、山口県の日本三名橋の一つでもある木造五連の橋、四季折々に味わい深い表情を見せる錦帯橋と岩国城を中心とする、その麓に広がりに今でも当時の町並みが残る城下町の岩国と瀬戸内の温暖な気候に恵まれ、室町時代から水陸交通の要衡として栄え、白壁と格子窓の商家が約200m連なり、江戸時代の豪商の屋敷が残るレトロな通りの白壁の町並みの柳井、種々の橋で渡れる瀬戸内の島巡りドライブ、多くの歴史的建造物と自然いっぱいな島々を訪れ、堪能しました。

今回で3回目の訪れの山口県、次回は下関方面を攻めてみたいと思います。







八高原八北高原スキー・スノボ
2009年3月1日
参加者5人



今回は福井の今庄スキー場を予定していましたが雪不足のため急遽変更、人気、スケールとも関西を代表とするビックゲレンデ、鉢伏山山頂を挟んで北側に八北高原、南側に八高原の2つのスキー場が連絡する雪山ゲレンデに足を運びました。

7:00大阪駅集合出発、阪神、中国、舞鶴自動車道経由して
9:30八高原到達、準備して
10:00から滑走、比較的緩やかなコースが多い八高原から滑走してから連絡リフトで八北高原に向かい変化に富んだコースを滑走する。
12:00昼食
13:00各自自由に自由滑走
15:00終了
16:00温泉、夕食
18:00帰路
20:00大阪駅到達解散。

関西の代表するビックゲレンデ、八高原八北高原は6回目の訪れ、比較的緩やかな横長のゲレンデ八高原、縦長で変化に富んだゲレンデ八北高原、リフト待ち時間も少なく全面制覇して堪能しました。

次回は今年最後の雪山イベント、岐阜の流葉とほおのき平を予定しています。


奈良京都当尾&柳生街道史跡巡り
2009年2月28日


今回は奈良県との県境の京都にある当尾の里、里山の石仏を訪ねての散策コースと奈良公園の南から柳生十兵衛を筆頭とする柳生新陰流ゆかりの里を目指す道、柳生街道を散策しました。

車で当尾の里に向かい、13:00本堂に9体の阿弥陀如来仏が並んでいる別名九体寺ともいわれる浄瑠璃時を訪れ、ここから当尾の里山を散策する。

苔むした岩には、1262年との年号が刻まれており、阿弥陀如来と十一面観音、地蔵菩薩が竹薮の中で750年もの間、佇んでいる藪の中三尊。
自然石に四角い穴を開けた燈籠で火伏せの神として信仰される愛宕神社への献燈籠、あたご燈籠。
平らな石の上に開いた穴はまるでカラスの水飲み場、烏の壺、すぐそばに阿弥陀如来像と地蔵菩薩像が刻まれているからすの壺二尊。
ほぼ等身大、高さ約1,2mの不動明王が岸壁に刻まれている不動明王磨崖仏。
平和で微笑む阿弥陀三尊像でシンボル的存在の笑い仏。
729年聖武天皇の勅願で行基が阿弥陀如来堂を建てたことから始まり山裾の斜面に建つ三重塔もみられる岩船寺。
三界の萬霊を供養するために造られた三体の地蔵菩薩。
三体地蔵、笠置への古道に面した大岩に、弥勒像が線刻され、笠置寺の本尊である高さ約15mの
弥勒磨崖仏を模写したミクロの辻弥勒磨崖仏を訪れる。

柳生街道方面に車で向かう。
柳生家の菩提寺、資料館では柳生新陰流の兵法書などを展示、本堂裏には一族の墓所がある芳徳禅寺を訪れる。

幕末の家老、小山田主鈴の屋敷を資料館として開放し、古文書や武具などを展示する旧柳生藩家老屋敷を訪れる。

756年創建の古刹、運慶作の大日如来坐像や平安末期作の浄土庭園が見所の円成寺を訪れる。

能登川の清流沿いに石畳の坂道が続き、道沿いには石仏が佇む滝坂道を散策し奈良時代の後期作と言われる石窟に描かれた6体の仏像、地獄石窟仏を訪れる。
近くには剣豪荒木又衛門が首と胴体部分を試し切りしたといわれる首切り地蔵がある。

17:00終了。

今回の史跡巡り、奈良と京都の県境に位置し名刹、岩船寺と浄瑠璃寺があり二つの寺を結ぶ道には石仏が点在する当尾の里、里山、奈良公園の南から、柳生十兵衛を筆頭とする柳生新陰流ゆかりの里を目指す道、かつては剣豪たちが行き交った石畳の古道、柳生街道を訪れ散策し自然に抱かれる石仏や古等の史跡巡り満足できました。

尚史跡巡り後、大阪梅田で18:30から関西の海外旅行好きオフ会が有り、初参加しました。

総勢約65人、大勢の旅行好き達が集まり、興味のあるエリア、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、北米、南米、オセアニアエリアに分かれて情報交換しました。
さすが出会い系の飲み会と違い、皆さん旅行好きで旅行の話で盛り上がり、二次会も半数以上の方が参加、すばらしいオフ会でした。
参加された方は平均20カ国前後の海外を回られ、多い方では50カ国以上回られた方がおられ驚きでした。
これからもこのオフ会に参加して海外の情報交換をして知識を増やして行きたいと思います。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十三弾:宮崎日南&都城観光
2009年2月21−22日


今回は南九州の南国宮崎を象徴する温暖なムードのドライブコースが続き、道路沿いにはフェニックスが連なり青島から都井岬まで約100km続く日南海岸、鹿児島市と宮崎市の中間地点にあり、南九州の中核都市として発展、霧の都とも言われる都城に足を運びました。

21日13:00宮崎行きのフェリーが夕刻出発のため大阪市の中ノ島エリアの観光名所を散策する。
JR東西線大阪天満宮駅下車、南方面の中ノ島に向かう。

1891年に大阪市で初めて誕生した都市公園、堂島川と土佐堀川にはさまれた中州を中心に、のんびりできる開放的な公園、中ノ島公園を散策する。
明治時代築の証券会社のビルをリノベーションしたティーサロン、北浜レトロ、和素材を使用したスイーツが好評なレトロな歴史建築、五感北浜本館を訪れる。

中ノ島を西に向かう。
世界的にも有名な東洋陶磁の宝庫、安宅コレクションを住友グループ21社より寄贈され、1982年大阪市が設立した美術館、大阪市立東洋陶磁美術館を見学。

印象的な赤レンガの外観と青銅のドーム、華やかな外観は、西洋文化が流行した大正時代の建築、中ノ島のシンボル的存在の大阪市中央公会堂、100年前開館した、ギリシャ神殿のような雰囲気の図書館、大阪府立中ノ島図書館、大阪市役所の向かいに立つ、東京駅なども手かげた、辰野金吾氏らが設計し、ベルギーの国立銀行をモデルにしたといわれている異国の風を吸い込む宮殿のような佇まい、日本銀行大阪支店、施工当時は大阪で最大規模、企業の力が注がれた銀行建築、三井住友銀行大阪本店ビルを訪れる。

天生年間に堂島常安が蔵屋敷が連なる北浜の路上で米の取引を行い、その後、1697年に堂島に移転、当時、全国の米相場の中心地として、大きく繁栄した跡地、堂島米市場跡を訪れる。

現在美術品を数多く収蔵する完全地下型美術館、国立国際美術館、宇宙やエネルギーをテーマにした科学館、さまざまな科学現象を専門スタッフが実験、解説し、遊びながら科学を学ぶことが出来る大阪市立科学館を訪れる。

南に向かい、オフィス街のオアシスとして親しまれている公園、靱公園を散策する。
知ればもっと楽しくなる、科学の不思議をテーマに、最新の科学技術を展示する大阪科学技術館を見学。

日本料理店、吉兆の創業者、湯木貞一氏のコレクションを収蔵する湯木美術館、明治23年、発明特許品の普及販売を目的として事業をスタートさせた伊藤喜商店が、100年の歴史のなかで、オフィスと事務の近代化に貢献する様々な商品を育ててきた史料館、イトーキ史料館、薬業界の守護神として、また健康祈願の神として神農さんとして親しまれている少彦名神社、道修町は、くすりの町として知られ、現在でも製薬会社が集まる歴史的な町です。そんな道修町の歴史的な資料や少彦名神社の歴史を見ることができる資料館、くすりの道修町資料館を訪れる。

福沢諭吉や大村益次郎など多くの先覚者を輩出した、幕末の蘭学者、緒方洪庵が開いた学塾跡、敵塾、大阪を舞台に活躍した企業家107名の事績をゆかり品々とともに紹介するミュージアム、大阪企業家ミュージアム、を見学する。

1694年、江戸を発った松尾芭蕉は京や伊賀上野を経て、大坂に入ったが、体調を崩し、容態が悪化し南御堂の門前にあったといわれる花屋仁左衛門宅に病床を移し、51歳の生涯を閉じた。今は御堂筋の緑地帯にその終焉地として碑が残されて、近くの南御堂境内には病床で詠んだ枯野の句碑がある芭蕉終焉地、五柱の御祭神を総称して坐摩神といい、昔から住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として信仰される神社、坐摩神社を訪れる。

17:30地下鉄中央線、ニュートラム経由してフェリーターミナル下車
19:10大阪南港からフェリーで出発
22日8:30宮崎港到達、シャトルバスで宮崎駅に向かう。
9:00レンタカーで観光地巡り、天候曇りのち雨。青島、日南海岸方面に向かう。

WBCの練習場所で有名な宮崎県総合運動公園のサンマリンスタジアムを通過して、川や海を生かしてユニークな地形、広大な敷地でゆっくり楽しめる青島リゾートこどものくにによってから周囲1,5km、国の天然記念物である亜熱帯植物群落覆う島で、巾着島までの約8kmの海岸線には1500−3000万年前に海中で侵食された水成岩が隆起し波に洗われ出来た鬼の洗濯板が広がる青島を散策する。

標高60mの高さから太平洋を望む日南海岸屈指のビューポイント、堀切峠を訪れる。

世界で唯一、イースター島から許可された完全復刻のモアイ像が大迫力のサンメッセ日南、断崖の洞窟に社殿がある伝説に彩られた神秘の神社、鵜戸神宮を訪れる。

複雑に入り組んだリアス式海岸が印象的で美しい油津周辺を訪れ、情緒あふれる町並みが残り、飫肥杉を運ぶ町を潤した運河、堀川運河、大正時代の面影をそのままに港町の歴史を知る貴重な建物、油津赤レンガ館を見学。

飫肥方面に向かい九州の小京都と呼ばれる飫肥藩伊藤家五万一千石の城下町、飫肥城跡、大手門、松尾の丸、豫章館を散策する。

南端の都井岬方面に向かう。
日南海岸を代表するほどの景観の美しさを誇る猪崎鼻の中にある公園、猪崎鼻公園内の展望台からの七つ八重と呼ばれる奇岩や島々の眺望はすばらしい。
眺望の良さが特徴的な日南海岸の中でも透き通った海が魅力の栄松ビーチを散策する。

御崎馬と呼ばれる野生馬が現在、約120頭生息して天然記念物に指定されている都井岬を訪れ、都井岬の自然や、御崎馬のことを紹介する都井岬ビジターセンターうまの館を見学。

串間市方面に向かい、有形文化財として登録され高度な建築技術が見られ、串間市に関する歴史資料も展示する旧吉松家住宅を見学。

北の都城方面に向かう。
都城島津家第2代の北郷久義の城郭跡地にある資料館で、都城島津家の古文書などを展示する都城歴史資料館を見学。
5つの鑑賞池や、万葉集に詠まれた草花148種類を集めた万葉植物園がある早水公園を散策する。
17:00宮崎自動車道経由して
18:00宮崎空港到達。
19:15宮崎空港出発
20:45伊丹空港到達。

今回の旅行、21日(土)午前中は仕事、昼から宮崎行きのフェリーが夕刻のため時間が有り、大阪の中ノ島エリア、淀川の支流の大川、天満のあたりで堂島川と土佐堀川に分岐しその中州にある中ノ島、大阪市役所をはじめ、大阪のビジネス、行政の中枢がこの中ノ島を中心に東西南北へと広がり、この周辺は、江戸時代に栄えた商いの精神を生んだ街、学問の街、そして繊維産業の街と知られ、そのなかで育まれてきた大阪の歴史、文化、芸術を感じることが出来る多くの施設を散策して巡りました。

21日の夕刻からフェリーで遠方九州の宮崎に足を運び、22日朝から車でドライブ観光、南国宮崎を象徴する道路沿いはフェニックスが連なり、温暖なムードのドライブコースが続く日南海岸を南下し天然記念物の御崎馬と出会える都井岬まで訪れ、途中静かな山間にある九州の小京都に浸る飫肥の城下町散策し、帰路は志布志から鹿児島と宮崎市の中間地点にあり、南九州の中核都市として発展した霧の都とも言われる都城を訪れ宮崎南部をほぼ制覇しました。

自然遺産有り、歴史遺産有り、道路も整備され、観光もしやすい南国宮崎、今、旬な宮崎観光堪能しました。

次回は宮崎タウンから北方面の日向、延岡、高千穂方面を考えています。








奈良山の辺史跡巡り
2009年2月14日


奈良盆地と東の山裾との境目あたりで飛鳥と平城を結ぶ古代の人々によって開かれた歴史に残る日本最古の道、山の辺の道に足を運びました。

13:15車で天理に到達。

古代朝廷の武器庫のあった所に立つ古社、神武東征の時に霊威を発揮した神剣布都御魂大神が祭神の石上神宮から南に向かって散策する。

鳥羽上皇の勅願で1114年に建立された大寺院、関西の日光といわれるほどの美しさだったと伝えられるが、明治の廃仏毀釈によって破壊され御所跡と本堂池が残る内山永久寺跡を訪れる。

大和の集落は中世、自衛のために集落の周りに濠を築き、竹之内、萱生あたりには濠の一部が今も残り、白壁の土蔵などがみられる竹之内環濠集落を訪れる。

継体天皇の皇后、手白香皇女の陵で周囲は奈良盆地でも有数の古墳密集地で萱生千塚と呼ばれ、中でも最大規模を誇る衾田陵を訪れる。

824年淳和天皇の勅願によって弘法大師が大和神社の神宮寺として建立する長岳寺を訪れる。

日本書紀に山辺道勾岡上陵と記される全長240mという巨大な前方後円墳の崇神天皇陵を訪れる。

日本武尊の父の墓、全長300mを越す前方後円墳、景行天皇陵を訪れる。

小さな鳥居があり、境内には小さな祠と土俵があるだけの神社で相撲発祥の地、相撲神社を訪れる。

松林の中にある美しい神社だが、三鳥居があるだけで本殿も拝殿も無い、社の前から向こうには大和三山から二上山が見渡せる檜原神社を訪れる。

三輪神社の三光の滝から流れ出る狭井川のほとりにある大神神社の摂社、狭井神社を訪れる。

三輪神社のご神体とする延喜式内社の最も古い神社の一つ、山自体が神様で神殿はなく、正面には拝殿がある大神神社を訪れる。

山の辺の道や、上街道から分岐した伊勢街道が合流する古くからの交通の要衝、金屋に2体の石仏が小堂に納められている金屋の石仏を訪れる。

17:00終了。

今回は近場の歴史に残る日本最古の道、山の辺の道に点在する古墳、神社等の数多くの歴史的建造物を散策しながら訪れました。

近場の歴史的建造物の宝庫、奈良県、何回かに分けて徐々に制覇していきたいと思います。

次回は奈良の北部に位置する当尾エリアと柳生街道を考えています。






芸北国際&大佐スキー・スノボ
2009年2月11日
参加者5人


今回は関西からはほとんど訪れない広島のスキー場、標高1126mの掛頭山から広がる芸北エリア最大のゲレンデを持つ芸北国際スキー場、1069mの大佐山山頂近くまで開かれた林間コースがある芸北高原大佐スキー場に足を運びました。

前日24:00大阪駅集合出発、阪神中国自動車道経由して戸河内インター下車
5:00芸北国際スキー場到達、仮眠、朝食を済ませてから
8:00滑走、
12:00昼食
12:30近くの芸北高原大佐スキー場に移動、滑走
14:00終了
14:30温泉、食事
16:00帰路
20:00大阪駅到達、解散

今回の雪山イベント、関西の方はあまり知られていない広島日本海よりの豪雪地帯、2つのスキー場を訪れました。

芸北国際スキー場のゲレンデは国際、カケズ、おーひらの3つのエリアにわかれ、国際エリアは2本のトリプルコースが架かるセンターコースが中心、掛頭山山頂付近から広がるおーひらエリアは全長2000m、標高差400mのロングコースがあり、14本の多くのコースが存在し、ロングコース有、急斜面、緩斜面、バラエティ富んで楽しめ満足の出来るスキー場でありました。

芸北高原大佐スキー場は3つのリフトが縦に並び1069mの大佐山山頂からのロングコースを楽しめるスキー場でした。

尚驚いたことに、広島のスキー場エリアは標高が1000mぐらいの山々ですが、このエリアは山だけでなく平地にも多くの雪が積もり、東北地方の豪雪地帯に訪れたような光景でした。

自然の力は、地形のよってさまざまな変化をもたらすのだと改めて感心させらた広島の雪山イベントでした。


飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十二弾:沖縄阿嘉島&慶留間観光
2009年2月7−8日


12回目の沖縄旅行、昨年秋に慶良間諸島の渡嘉敷島、座間味島訪れ、今回は慶良間諸島の残りの島、阿嘉島、慶留間島、外地島に足を運びました。

7日15:15関西国際空港出発
17:30那覇空港到達、ゆいレール経由で県庁前下車、国際通りを散策してからシーフードと石垣牛の食事を済ませてから泊港近くのホテルで宿を取る。

8日9:00天候曇り、泊港から高速艇で阿嘉島に向かう。
10:10阿嘉島港到達、レンタバイクで島巡り観光。

北東に向かい、阿嘉島の東部に広がるビーチで島の中で最も賑わい、目の前に安室島、安慶名敷島、座間味島が浮かぶ北浜ビーチを散策する。

港方面に戻ってから南西に向かう。
阿嘉島の南部に位置し、南方に阿嘉島大橋、慶留間島、外地島、東には安室島の向こうに渡嘉敷島も見える天城展望台を訪れる。

阿嘉島の南西部に位置する浜で夕日のポイントでもあるひずしビーチを散策する。

北に向かい中岳展望台、後原展望台で阿嘉島周辺の島々が点在するエメラルドグリーンの海を眺望する。

阿嘉島の西にあるロングビーチ、後原ビーチを散策する。

集落、港方面に戻り阿嘉島と慶留間島を結び、総延長530mの阿嘉島大橋を通過して慶留間島に向かう。

船頭主家と呼ばれる旧家で、琉球王府時代の末期に建設されたものといわれ、離島の民家としては建築年代が古く、国の重要文化財に指定されている高良家を見学。

慶留間島の南部にある慶留間橋を通過して外地島に入りケラマ空港近くの沖縄本土も望める外地展望台を訪れる。

15:30フェリーで阿嘉島港出発
17:00泊港到達、国際通りに向かう。

国際通りで食事を済ませてから県庁前駅でゆいレールに乗り那覇空港に向かう。

19:40那覇空港出発
21:25関西国際空港到達

今回の旅行、慶良間諸島の座間味島の南、渡嘉敷島の西に位置し、島内はほとんど森林原野で覆われ、国指定天然記念物のケラマジカが生息し、自然豊かな島はダイビングポイントとしても人気で展望台やビーチなど、どこからも慶良間の島々を見渡すことが出来る阿嘉島。

阿嘉島と橋で結ばれ、人口90名の小さな島、琉球王朝時代には中国との海上貿易の中継地として栄え、島出身者が船頭の大役を担い、国指定重要文化財の高良家は往時の繁栄ぶりをいまに伝え、赤レンガの家並みが数多く残る静かな雰囲気の島、慶留間島。

慶良間空港が位置する無人の島、外地島をレンタバイクで観光巡りしました。

前回の慶良間諸島の渡嘉敷島、座間味島を含め、2回目の慶良間諸島の訪れ、数多くある慶良間諸島の島々をほぼ制覇しました。

世界的にダイバーには有名なダイビングスポットの多い慶良間諸島、観光面では地味ではあるが、のんびり落ち着くことが出来る島、各島の周囲に島々が点在する綺麗な海を見渡せる随所に位置する展望台、透き通ったサンゴ礁の海、綺麗なビーチ、結構楽しめる観光旅行でした。





東鉢&スカイバレイスキー・スノボ
2009年2月1日
参加者5人


今回は関西から車で3時間以内でいける日帰り圏内という抜群のロケーションにある兵庫県の鉢伏山に隣接する2つのスキー場、ハイパーボウル東鉢とスカイバレイスキー場に足を運びました。

7:00大阪駅集合出発、天候曇り、車で阪神中国舞鶴自動車道経由して
10:00東鉢スキー場到達、準備して
10:30滑走
12:30昼食
13:30滑走
16:00終了
17:00温泉、食事
19:00帰路
21:00大阪駅到達解散

隣接する2つのスキー場を共通券で滑走でき、ゲレンデは変化に富んだロングコースがたくさんあり、なかなか楽しめて満足のできるスキー場で堪能出来ました。

コースの滑走面は2−3日前の雨でところどころアイスバーンが見受けられましたが滑走する中心部の面は前日の降雪のおかげで新雪が多く快適に滑ることができました。



飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十一弾:鹿児島タウン&指宿観光
2009年1月24−25日


今回は多くの歴史的人物の足跡をたどり、ショッピングやグルメなどの幅広いジャンルのお店が揃う鹿児島タウン、砂むし風呂、大河ドラマで有名な篤姫のゆかりの場、指宿、特攻隊の歴史を学べる知覧、かつお節で有名な枕崎に足を運びました。

24日14:30伊丹空港出発
15:40鹿児島空港到達、レンタカーで九州自動車を経由して鹿児島タウンに向かう。

1602年に島津家久が築き、甲突川、稲荷川を外堀に利用した城跡で現在は石垣しか残っていない鶴丸城跡を散策する。

完成にまで10年の歳月を費やし、高さは台座まで入れると8m、作者は東京渋谷の忠犬ハチ公像を作った鹿児島県出身の彫刻家・安藤照の西郷隆盛像を見学。

第28代薩摩藩主・島津斉彬公を祭った神社、大きな鳥居は見事、神社に隣接する探勝園は島津家の庭園がある照国神社を訪れる。

西南戦争時、政府軍の総攻撃を受けた薩軍がたてこもった場所、西郷が別府晋介に介錯されるまでの5日間を過ごしたといわれる洞穴や薩軍本陣跡の碑などがあり、山頂の展望所は錦港湾に浮かぶ桜島を眺められる城山展望台を訪れる。

市街地のホテルに到達、市街地を散策して食事を済ませて宿に就く。

25日7:00レンタカーで出発、天候小雨のち晴れ。

幕末偉人出生率高の鹿児島タウンの加冶屋町に向かう。
西郷や後に海軍大臣や内務大臣を務めた弟、西郷従道などが生まれ育った場所、又この辺りは下級士族の居住区として発展した地で近くには大山厳、東郷平八郎などの誕生地が点在している西郷隆盛・従道誕生地を訪れる。

JR鹿児島中央駅前にある1865年にヨーロッパに向けて出発した留学生たちを記念した銅像、若き薩摩の群像を訪れる。

鹿児島中央駅東口面から延びる全長約700mのナポリ通りを通過して指宿スカイラインに向かう。
今日は冬型の気圧配置、標高の高い位置に存するためか指宿スカイランを走行すると驚いたことに、周りは雪景色一色でした。速度を落として知覧インター下車、知覧方面に向かう。

麓川に沿って走る県道23号から一本入ると、江戸時代にタイムスリップしたかのような歴史的な町並みが広がり、およそ750mにわたってのびる武家屋敷通り、知覧武家屋敷庭園群を散策する。
武家屋敷の直ぐ手前には自然の磯石の上に架けられた片眼鏡の橋、矢びつの橋、中世の山城であった亀甲城跡を訪れる。

太平洋戦争末期に特攻の基地が置かれた知覧町を訪れる。
特攻隊員たちから母親のように慕われていた鳥濱トメさんの食堂を資料館として復活、彼女と特攻隊員とのふれあいの遺品や写真などが並ぶホタル館富屋食堂を見学。

沖縄戦の際、知覧や南さつま市の万世、都城などから出撃し散っていった1036人の陸軍特攻隊員の遺影や遺品、当時の戦闘機などを展示する知念特攻平和館を見学。

太平洋戦争で戦場が沖縄に移り、連合軍の爆撃機が姿を見せるようになったため急遽山砲が配置された場所、山砲座跡、管制官の役目を果たした場所、戦闘指揮所跡を訪れる。

加世田方面に向かう。
幻の特攻基地とも言われていた、旧陸軍最後の特攻機地、万世飛行場跡に平和への願いをこめて建てられた資料館、万世特攻平和祈念館を見学。

西に向かい薩摩半島最西端の笠沙の自然を満喫できる施設、笠沙と海の魅力一杯海を学び、海を遊ぶ冒険館、笠沙恵比寿を見学。

西岸線を南下し、かつて日本三津のの一つに数えられ、九州西南端の対外要港として栄えた坊津の貴重な文化遺産展示収蔵され、国の重要文化財に指定されている絹本著色八相涅槃図を保管している南さつま市坊津歴史資料センター輝津館を見学。

薩摩半島の南岸を東に向かって走行、かつお節で有名な枕崎を通過して指宿方面に向かう。

薩摩富士とも呼ばれるどの角度から見ても美しい秀峰、標高924m、360度の円錐形の山で、池田湖や知覧など南薩の各地からその美しい稜線を眺められる開聞岳を訪れる。

開聞岳の北麓に鎮座する薩摩一ノ宮、本殿は1600年島津義弘が建立した枚聞神社を訪れる。

開聞岳の噴火によって池田火山が陥没して形成され、周囲15km、最高水深233mのカルデラ湖、体長1,8m、胴回り50cmもの大ウナギが生息し、謎の怪物、イッシーが棲むという噂もある池田湖周囲を散策する。

薩摩半島の最南端にある景勝地、東シナ海の絶境が目の前に広がる長崎鼻を訪れる。

東海岸沿いを北上し、はるか古代の歴史や文化を見て触って楽しむスポット時遊館COCCOはしむれを見学。

JR薩摩今和泉駅の周辺は篤姫が幼少期を過ごしたといわれる今和泉家別邸や、実父が眠る今和泉家墓地など、篤姫ゆかりのあるスポットを散策する。

縄文時代から江戸時代までの鹿児島の歴史を、掃除山遺跡を再現した大型模型や出土品他でわかりやすく紹介する鹿児島市立ふるさと考古歴史館を見学。

谷山インターから九州自動車道経由して鹿児島空港に向かう。
18:00鹿児島空港到達。
19:55鹿児島空港出発。
21:00神戸空港到達。

今回の旅行、ショッピングやグルメなど、幅広いジャンルのお店が揃い、多くの歴史的人物の足跡をたどれる鹿児島タウン。
太平洋戦争末期、沖縄戦の劣勢を挽回するため展開された特攻作戦、平均21,5歳、最年少は17歳という青年たちが、爆弾搭載の飛行機もろとも肉弾となり、体当たりで突撃するという人類史上類の見ない作戦で帰らぬ人となった若き特攻隊の想いを語り継ぐ町、知覧。
かつお節で有名な枕崎。
砂むし風呂や薩摩富士と呼ばれるどの角度から見ても美しい秀峰、開聞岳、九州最大のカルデラ湖、池田湖、大河ドラマで有名な篤姫のふるさとともいえる今和泉などが存する指宿。
薩摩半島の南半分をほぼ制覇しました。

鹿児島は今回で3回目、歴史的建造物、自然遺産も豊富に存在する地域、霧島エリア、鹿児島タウン桜島エリア、今回の指宿エリアなど見るべきものがたくさんあり十分に満足のできる鹿児島観光で、観光客も多く、賑わっているのが感じさせられました。
これからも又訪れてみたい観光スポットの多い鹿児島観光旅行でした。








戸狩スキー・スノボ
2009年1月18日
参加者5人


今回は長野県飯山市にある老舗のビッグゲレンデスキー場、戸狩スキー場に足を運びました。

前日22:00大阪駅出発、名神中央長野自動車道経由して
18日4;00戸狩スキー場到達、仮眠
8:30滑走、オリオンゲレンデ、カシオピアゲレンデ、ペガサスゲレンデの順に滑走
11:30昼食
12:30滑走、ペガサスゲレンデ、カシオピアゲレンデ、オリオンゲレンデ、午前とは逆の順に滑りスタート地に戻る。
14:30終了、近くの望みの湯温泉に浸かり
15:30出発、帰路の向かう。
21:30大阪駅到達、解散

今シーズン初めてのスキーイベント、まだ訪れたことのない、長野の老舗ビッグゲレンデスキー場、戸狩スキー場に初めて訪れました。

標高1200mのスキー場で眼下に千曲川を見渡せ、近くにはビッグゲレンデ野沢スキー場、斑尾スキー場をも位置しています。

オリオンゲレンデ、カシオピアゲレンデ、ペガサスゲレンデの3つのゲレンデに大きく分かれ、順々に滑走、天候も快晴、前日までの降雪が残り、新雪を思いっきり滑ることが出来ました。

又運よく1日券+昼食券+温泉=5500円を3800円のパック券を得て安価に楽しむことが出来ました。

今シーズンの雪山イベント、これからです。今まで訪れたことのないスキー場を選んで行って行きたいたいと思います。


飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十弾:沖縄北大東島&南大東島観光
2009年1月10−12日


沖縄本島から遥か380kmかなたの、隆起サンゴ礁で出来た沖縄最東端の島、玉置半右衛門により1903年から開発が進み、サトウキビ栽培と燐鉱採掘で賑わいを見せた、北大東島と南大東島に足を運びました。

10日15:15関西国際空港出発
17:30那覇空港到達、国際通りを散策して食事を済ませて宿を取る。
11日7:30出発、天候曇り、那覇市内を散策しながら那覇空港に向かう。
9:00那覇空港到達。
10:15那覇空港出発、南大東島に向かう。
11:20南大東島空港到達、レンタカーで島巡り観光。

東に向かい波打ち際にある岩場を掘って造られた海水プール、海軍棒プールを訪れる。

北に向かい地層に亀裂が入り、岩場が割れているスポット、まるで岩の隙間に落ち込むような迫力のある風景が、岩間の奥深くまで続き、ダイトウビロウの木も生息するバリバリ岩を訪れる。

西北に向かい島内には約27箇所ある洞穴の中でも最大のもので、長さが約400mもあり、日本で唯一第三紀隆起サンゴ礁の中にある鍾乳洞で多種多様な鍾乳石が見られる星野洞鍾乳洞を訪れる。

島の中心部に向かい本来汽水域にできるオヒルギの群落(マングローブの構成種)が、島がまだ環礁だった頃の名残り、内陸封鎖型のマングロープとして生息、世界的にも珍しく、国の天然記念物にも指定されている大池のオヒルギ群落を散策する。

学術上も興味深い自然が多々残る南大東島は島がまるごとミュージアム、そんな島の情報を集めて発信し、さまざまな活動を行っている施設、ビジターセンター島まるごと館を見学。

島の開拓者玉置半右衛門によって作られた神社、信仰心の強い八丈島からの開拓者達によって崇められ、境内にはダイトウビロウなど多種の樹木が生い茂っており、開拓時代に思いを馳せてみる大東神社を訪れる。

約20年前まで、南大東のサトウキビ産業を支え、沖縄戦後唯一の軌道で、現在、ふるさと文化センターの前に展示されているシュガートレインを見物する。

南西に向かい、東の海軍棒プールと同様に波打ち際にある岩場を掘って造られた海水プール、潮の干満によって水位がかわる、塩屋海水プルーを訪れる。

島の中心の集落に位置するホテルで宿を取る。

12日天候晴れ、8:40南の亀池港からフェリーで出発。北大東島に向かう。
9:30北大東島の南に位置する江崎港到達、レンタカーで島巡り観光。

東に向かい、実際の最東端である真黒岬が到達困難な場所にあるため、代わって最東端を示す記念碑が飛行場の東にある沖縄最東端の碑を訪れる。

北西に向かい、戦前に燐鉱石採掘の拠点として使用されていた貯蔵庫や軌道、燐鉱石発掘を行っていた精糖会社の出張所などの跡地、燐鉱石貯蔵庫跡を訪れる。
すぐそばにある燐鉱石貯蔵庫から島外へ運ぶための燐鉱石が積み下ろしされていた港跡を訪れる。
明治18年に、日本の領土であるという証のために立てられた木製の標識、現在の標識は昭和12年に再建されたもので、周囲は公園として整備されている国標を訪れる。

島の中心に向かい、開拓の父玉置半右衛門によって建立され、開拓当初から天照大神を祭り、島民によって崇められてきた宮、大東宮を訪れる。

南西に向かい断崖絶壁が頑なに島を取り囲み、到達が困難だった無人島に初めて開拓団が上陸したと伝えられている場所、開拓当初はサトウキビの出荷港でもあり、上陸100周年を記念して造られたモニュメントがある上陸公園を散策する。

南に向かい、東西約1200m、幕のように連なる崖はその姿から別名屏風岩とも呼ばれ、付近一帯は貴重な植物の宝庫であり、ヒメタニワタリやハマオモトなどの植物群落は、国の天然記念物にも指定されている長幕を眺めながら通過する。

17:10北大東島空港出発。
18:30那覇空港到達。
19:50那覇空港出発。
21;25関西国際空港到達。

今回の旅行、水深が4000mの海底から立ち上がった火山島の頂にサンゴ礁が堆積し、数度にわたって隆起をした隆起サンゴ礁の島々で、高さ10m−20m級の断崖絶壁に取り囲まれており、1900年に八丈島出身の玉置半右衛門が開拓に着手してから、サトウキビ栽培と燐鉱石発掘拠点の島として発展、八丈島と沖縄の文化が入り混じった、独特の風土が根ずく島、北大東島と南大東島を訪れました。

両島はサトウキビ畑に覆われ、北大東島は燐鉱石発掘拠点としても賑わい、海岸線は隆起サンゴ礁で出来た島のため砂浜は無く、岩礁に取り囲まれ、住民も少ないため、自然そのままで、汚れを知らない海の透明度はおそらく今まで訪れた中でぴか一といっても過言ではないでしょうか。

フェリーで南大東島から北大東島に渡りましたが、島自体が火山の頂からできたもので周囲の海は水深も深く、波除の防波堤も作ることができない、そのため船は岸壁への係留は難しく、島の近くに待機して、人、荷物はオリの箱に入り、クレーンで積み上げで船から島、島から船へと移動、今まで見たことの無い光景で驚きの一言でした。

本土から沖縄を経て時間の掛かる遠方の島、目だった観光名所は少ないですが、珍しい隆起サンゴ礁の島、人的に改変しにくい島、自然一杯の島、訪れて過去に無いタイプの満足感を抱き、遠方の島巡り観光、無事終了致しました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第四十九弾:エジプト観光
2008年12月28日−2009年1月4日


今回はアフリカ大陸の北東部分を南北に流れるナイル川流域に発達した文明、メソポタミア、インダス、黄河と共に世界四大文明の一つで、BC3000年頃からローマ帝国の属州となるBC30年まで続いた、神の化身とされるファラオを頂点に神権政治を展開し、ナイル川を利用した生産性の高い農業で栄え、ギリシアの歴史家ヘロドトスが紹介したナイルのたまものという言葉が有名なエジプトに足を運びました。

12月28日14:10エジプト航空で関西空港出発
21:00(時差7時間)カイロ空港到達
23:45カイロ空港出発
29日00:45ルクソール到達、送迎バスでホテル到着、宿泊

8:30観光バスで出発

9:00中王国から新王国時代にかけて、数多くの葬祭殿や岩窟墓が造られたエリア、ルクソール西岸を観光。

西岸の遺跡の入り口にあり、アメンヘテブ3世の葬祭殿前にある石像、メムノンの巨像を訪れる。

ピラミッドの形をしたエルクルン山のふもとに位置し、全部で63のファラオの墓が発見された王家の谷を訪れ、ツタンカーメンの墓、トトメス3世の墓、ラムセス4世の墓、ラムセス9世の墓を見学する。

ファラオが亡くなった時、葬儀がとり行われたとされる葬祭殿、王の再生、復活を願った重厚な造りとなっているのが特徴なハトシェプスト女王葬祭殿を訪れる。

古代、生者の都と呼ばれていたようにホテルやレストラン、商店などが立ち並び、賑わいを見せ中心部には華麗な神殿が位置するルクソール東岸を観光。

アメン大神殿を中心として、南のムード神殿と北のメンチュ神殿を加えた広大神殿、中王国時代には地方神のアメン神を祭る神殿でテーベが首都になるとアメン神は太陽神ラーと合体して国家最高神に、新王国時代にはハトシェプスト女王、トトメス3世、セティ1世、ラムセス2世などが主な神殿を建立し、その後も建造が続き、プトレマイオス王朝やローマ帝国時代の遺跡も残るエジプト最大級の神殿、カルナック神殿を訪れる。

カルナック神殿の副殿で、参道、塔門、中庭、大列柱廊、列柱室、至聖所などが配置されているルクソール神殿を訪れる。

ルクソールのホテルに宿泊。

30日7:00観光バスで出発。

古代エジプトの首都ルクソールから南に向かいグレコ・ローマン時代の名建築が建ち並ぶエリア、エドフ、コム・オンボを訪れる。

ハヤブサの神ホルズを祭る神殿で、中庭のホルス像はエジプト一美しいと言われ、建物も神殿建築の基本に忠実に造られているエドフのホルス神殿を訪れる。

ナイル川畔の小高い丘にあり、神殿は中心線から左右に分かれ、上エジプトの神であるハヤブサの神ハロエリスと本来のコム・オンボの神であるソベク神の2神を祭る珍しい2重構造となっているコム・オンボのコム・オンボ神殿を訪れる。

ナイル川に浮かぶファルーカの白い帆がシンボルで、もともと金や香油、象牙などの交易の中心地だったアスワンに向かう。

3面は切り取られているが底面が岩盤とつながった未完成のオベリクス、長さ41,75m、推定重量1168tと巨大なもので、途中でひびが入ったため放棄されている、完成していれば史上最大のオベリクス、切りかけのオベリクスを訪れる。

青いナイル川の川面を、真っ白な帆をかけたファルーカでセーリングしてナイル川中洲の島に位置するホテルに到着、宿泊。

31日3:45アスワンを観光バスで出発、スーダンとの国境近くにかつて、エジプトにとって南方の脅威だったヌビアと呼ばれる地方にあり、世界遺産に登録されているラムセス2世の巨大な岩窟神殿があるアブシンベルに向かう。

歴代王朝の数あるファラオの中でも、ファラオの中のファラオと称えられたラムセイ2世がこよなくヌビアを愛し、ここに自らの神殿と第一王妃フェルタリの神殿を建設。高さ21mにおよぶ4体のラムセス2世像がある大神殿、2体王妃ネフェルタリ像と4体のラムセス2世像が立つ小神殿、いずれも砂漠の中の砂岩の岩山を彫ったものでそのスケールの大きさに驚かされアブ・シンベル神殿を訪れる。

アスワンに戻り水の安定供給と発電のため、1964年、旧ソ連連邦の協力で建設された、長さ3830m、高さ111m、エジプトの消費電力の20%をまかない、エジプトの近代化に貢献するアスワンハイダムを訪れる。

17:00アスワン発、カイロ行きの寝台列車ナイルエクスプレスに乗車、宿泊する。

1月1日5:00カイロ到達、ホテルで休憩してから観光バスでピラミッドが数多く建設された、古王国時代の首都メンフィスやそのネクロポリスとして広がったサッカラ、ダハシュールを訪れる。

古代下エジプトの首都メンフィスのネクロポリス、すなわち死者を葬るための死者の町だったサッカラにジョセフ王が建設した世界初の階段状ピラミッドで世界最古のピラミッドを中心に、祭殿や神殿などが配置されているジョセフ王のピラミッド・コンプレックスを訪れる。

古代エジプトの最初の首都メンフィスに新王国時代に絶大な権力を誇ったラムセス2世プラタ神殿の入り口に建立した巨像、ラムセス2世の巨像を訪れる。

サッカラから南へ約4km下った砂漠地帯のダハシュールに、個性的なピラミッド群があり、中でも途中から傾斜角度が変わる屈折ピラミッド、やや赤みを帯びた傾斜角度のゆっくりした赤のピラミッド、黒みがかった黒のピラミッドを訪れる。

ギザ方面に向かう。

三大ピラミッドがありナイル川岸の石灰岩の層が広がる台地の上にあり、この硬い岩盤に支えられ、ピラミッドは数千年の時を経て今なお人々に驚異と感動の念を与え続けているギザを訪れる。

古代の世界七不思議で唯一つ形が残されている奇跡的な存在でなおかつ、世界最大の石造建築、クス王が建造し、平均2,5tの石灰石を230万個、210段に積み上げており、そのあまりの大きさに圧倒され、地震にも倒壊せず、4500年以上もの間、エジプトの歴史を見守り続けてきたクス王のピラミッドを訪れ、内部見学する。

クス王の息子、カフラー王の建造で、大きさはクス王のピラミッドに次いで2番目だが、高台にあるため一番大きく見え、天辺近くには石灰岩による外装が残っており、帽子をかぶっているようなカフラー王のピラミッドを訪れる。

第3ピラミッドとも呼ばれ、他の2つのピラミッドに比べて底辺の長さは半分ほどで小さく、建設はカフラー王の息子、メンカウラー王であるメンカウラー王のピラミッドを訪れる。

ライオンの体に人間の頭を持ち、古代エジプトの神殿にはよく見かけられ、数ある中でギザのものは長さ57m、高さ20mもあり世界最大のギザのスフィンクスを訪れる。

カイロのホテルで宿泊。

2日7:00観光バスでカイロ出発、アレキサンドリアに向かう。

ナイル川河口の地中海デルタ地帯に位置し、エジプトの第二の都市、穏やかな気候とヨーロッパスタイルの町並みから地中海の真珠とも称えられているアレキサンドリアに到達。

小高い丘一帯に広がる遺跡群でプトレマイオス王朝時代に信仰されたセラピス神に捧げられた神殿跡で丘の上に1本だけ立つコリント式の柱、ローマ皇帝ディオクレティヌスへの感謝の気持ちをこめて298年アレキサンドリアの住民たちが建てたポンペイの柱を訪れる。

地下にファラオの時代、1階にグレコ・ローマン時代、2階にコプトからイスラーム時代の貴重な品々を収蔵、規模は小さいながら、各時代の特徴を伝える収蔵品の数々が分かりやすく展示されているナショナル・ミュージアムを見学。

岬の先端に立ち、15世紀後半にマルムーク朝のスルタン、カイトベイが建設した要塞でアレキサンドリアのシンボルでもあるカイトベイ要塞を訪れる。

バスでカイロに戻る。カイロのホテルで宿泊。

3日8:30観光バスで出発、カイロ市内を観光。

かの有名なツタンカーメンの黄金マスクをはじめ12万点を超える展示物で、エジプト古代美術のエッセンスを満喫できる、超一流の彫刻や出土品が手に取るように見学できるカイロ考古学博物館を見学。

7世紀以来、エジプトにおけるイスラームの中心地として栄え、モスクを中心地としたイスラーム建築巡りが観光の中心となり、敬虔なイスラーム教徒たちの日常が垣間見られる地域、イスラーム地区を訪れ、1824年、ムハンマッド・アリによって建設がスタートした、オスマン様式の巨大なモスクで繊細な細工が施された天井ドームが見事なムハンマド・アリ・モスクを訪れる。

数百年の歴史を誇るカイロ屈指の巨大市場、地元客と観光客が入り乱れる一大ショッピングゾーンでエジプトのみやげはなんでもそろい、いつも活気に満ちているハン・ハリーリ市場を散策する。

カイロ空港に向かう。
17:15カイロ空港出発。
4日13:45(時差7時間)関西国際空港到達。

今回の旅行、エジプトのナイル川流域の古代遺跡巡り、旅の拠点となるカイロでのギザのピラミッドとエジプト考古学博物館、イスラーム建築や町いたるところにモスクが建ち並び、独特の雰囲気を醸し出す。

北部ではアレクサンダー大王により建設された古代エジプト最後の王朝の首都、古代ギリシアやローマの影響を色濃く残し、現在はエジプトの第二の都市アレクサンドリア。

南部では古代都市名、テーベとして、ファラオの時代に最も輝きを放ったエジプト屈指の古都ルクソール、ナイル川をはさみ東西両岸に、歴史ファラオがその権力を誇示した巨大な建築物カルナック神殿と王家の谷、そしてナイル川に浮かぶ小さな島々に古代遺跡が残るアスワンのナイル川のリゾート、ラムセイ2世が建造した2つの巨大な岩窟神殿が圧倒的な存在感で鎮座し、、ダム建設で水没の危機により移築されたという世界でも類を見ない古代遺跡、アブシンベルの巨大はアブシンベル宮殿。

8日間のエジプト観光旅行、ほぼ制覇して堪能しました。

尚治安の問題もあり、今回の旅行はすべて観光バスを使っての見学、1500万人も住んでいる独特の個性ある大都市カイロ、その他の町並みを散策できずエジプトの主要なタウンを把握することが出来なかったのは残念ですがナイル川に沿って点在しているスケールの大きな遺跡群、真近で見て圧倒され、エジプト古代遺跡歴史の偉大さに感心させられました。

又カイロ考古学博物館で有名なツタンカーメン財宝を目のあたり出来、その価値はなんと、アメリカの国家予算1年分に相当するとのこと、驚き一杯の奥深い歴史観光旅行でした。