4月ー6月

飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十四弾:群馬県高崎タウン&草津観光
2009年6月27−28日


今回は昨年の尾瀬以来、夏シーズンは2回目の群馬県。上毛三山の赤城山、棒名山、妙義山や、日本百名山のひとつの谷川岳など、美しい山々に抱かれ、平野部に県都前橋や高崎といった商業都市が位置し、山間部には草津や伊香保に代表される温泉が湯煙を上げ、県境には、尾瀬国立公園の豊かな高層湿原をはじめ、トロッコ列車が走る渡良瀬の自然が残り、群馬県の上毛三山の一つ、妙義山や世界遺産登録に向けて人気の富岡製糸場はじめ絹文化の歴史が香る地や観音山やだるま弁当で有名な高崎に足を運びました。

27日13:04東海道新大阪新幹線のぞみで出発
15:47東京駅到達
16:00東京駅上越新幹線MAXときで出発
16:50高崎駅到達、レンタカーで高崎タウン観光

平成10年に完成、高崎一の高さを誇る。一般公開されている21階の展望ロビーからは、市街はもちろん観音山、上毛三山などが一望でき、夜景も楽しめる高崎新市庁舎を訪れる。

江戸時代初期に井伊直政が築城。現在は乾櫓・東門の遺構が復元されているほか、外堀は桜の名所として親しまれている高崎城址を散策する。

市庁舎の南側に隣接しm明治9年、旧高崎城南西の頼政神社に隣接した大染寺の跡地に造られ、明治33年に市制施行された時に高崎公園と呼ばれるようになり、昭和30年、近隣公園として都市計画決定された高崎では2番目に古い公園の高崎公園を散策する。

1936年(昭和11)に建立された高崎のシンボル。高崎市街の西方、観音山丘陵にあり、高さは約42m。肩の部分まで登ることができる。周辺は3000本の桜が植えられた桜の名所となっている高崎白衣大観音を訪れる。

1697年(元禄10)、中国の渡来僧・心越禅師が開山。方位の方災を除くという北斗星を神格化した、北辰鎮宅霊符尊と達磨大師を祀っている。縁起だるまとして有名な高崎のだるまは、9代目住職が生活に苦しむ農民の副業としてだるま作りを教えたのが始まりの少林山達磨寺を訪れる。

19:00高崎繁華街を散策し食事を済ませてから床に就く。

28日6:00天候晴れ、レンタカーで18号線、上信越自動車道経由して西の鹿沢方面に向かう。

湯の丸高原と鹿沢温泉の間に桟敷山から染み出た水が滝になっています。苔むした岩を、沢の水が幾本もの白い絹糸を束ねたように流れ落ちているたまだれ(玉簾)の滝を訪れる。

北に向かい万座ハイウエー、浅間白根火山ルート経由して活火山の噴気活動が間近に見られるスポット。地面から滲みこんだ雨水や地下水が、噴火口跡である空吹から水蒸気となって、硫化水素ガスと共に吹き出している空吹を訪れる。

志賀草津高原ルートから気軽に訪れることができる活火山。那須火山帯に属し、度重なる噴火によって白い山肌をさらけ出している。最初の噴火は不明だが、1882年(明治15)には山の木々を立枯れにさせるほどの大噴火があった。草津・万座温泉の源でもある草津白根山を訪れる。

白根山頂にある世界有数の強酸性火口湖。直径約300m、水深30m。乳緑色の水をたたえ、底から湧き出す硫黄泉のため冬期でも凍結しない。湖面が覗ける釜のふちの展望台へは、遊歩道が整備されている湯釜を訪れる。

草津白根山にある火口湖の一つ。周囲800m。志賀草津道路側から坂を上って全体が見渡せる場所に出ると、築山のような先の尖った蓬莱岩があり、西側の一帯は湿原になっている。木道沿いに、モウセンゴケなどの湿生植物を観察しながら巡ることができる弓池を訪れる。

近付くと強烈な硫黄臭が鼻をつく、旧火山の活動現場。志賀草津高原ルートの道路脇に眺められる。近くの道路には駐停車禁止と表示されるほど有毒ガスが充満する危険地帯だが、測定器が設置され、立ち入り禁止区域にはロープが張られているので安心して見学できる殺生河原を訪れる。

殺生河原では無数の噴気孔から臭いの強い硫化水素の蒸気が噴き出し、周りには硫黄の自然結晶が見える。硫黄に含まれる有毒ガスで小鳥や小動物が死んでしまうことから名付けられた。ロープウェイは殺生河原と逢の峰までを約8分で結ぶ空中散歩。冬はスキーに利用される白根火山ロープウェイに乗り殺生河原を眺望する。

2000m級の山々に囲まれた標高1514mに位置するダム湖。周囲には約300種の高山植物が自生している。なかでも、夏のノゾリキスゲの群落は見事。湖畔を巡る遊歩道をはじめ、周辺でのハイキングや、湖での釣りを楽しめるほか、北岸側にはロッジとキャンプ場も整備されている野反湖を訪れる。

南下して再び浅間白根火山ルートを走行してホテルグリーンプラザ軽井沢にある教会で、数ある軽井沢の教会の中でも抜群のロケーションを誇る。澄みきった青空に真っ白い教会が見事にマッチした軽井沢白樺高原教会を訪れる。

浅間山北麓に東西2km、南北5.5kmにわたって黒々と広がる不気味な景観の奇勝。鬼押出しの溶岩群の中を歩いて見学できる。間近に見る巨大な溶岩は迫力満点。中央の高台には大噴火の犠牲者を供養する浅間山観音堂が立ち、ここから鬼押出しや浅間山はもちろん、浅間高原から白根山に至る大パノラマが楽しめる鬼押出し園を散策する。

溶岩台地の好展望地にある鬼押出し浅間園のメイン施設。浅間山や世界の火山活動のしくみや歴史が、映像や立体模型で楽しみながら理解できる。一番のみどころは、マグマのうず巻く地底世界を疑似体験できるロストワールド。コンピューター制御によって、溶岩流や地鳴りがリアルに再現されている浅間火山博物館を見学。

軽井沢方面に向かい、軽井沢の名所として知られる滝。高さは3mほどだが、幅が70mもあり、岸壁のそこかしこから流れ落ちる地下水が白い絹糸のカーテンのような美しい景観を造り出している。この滝の水源は浅間山の伏流水なので、滝の上に川はなく、目を凝らして見れば、黒い岩肌から水が湧き出すのがわかる白糸の滝を散策する。

褐色の外壁に白いアーチ型の窓枠が印象的な2階建ての洋館。明治38年(1905)に実業家・山本直良が純西洋風木造ホテルとして建築し、翌年に営業を開始。当時、軽井沢の鹿鳴館として軽井沢の一大社交場となった。利用していた著名人には、近衛文麿・有島武郎・大隈重信などそうそうたるメンバーが名を連ね、政財界の注目の場であったことがうかがわれる。館内は一般公開され、幾何学模様のガラス窓や天井の意匠、有島生馬デザインによる三笠のマークをあしらった洋ダンス、猫足型のバスタブなど華やかな時代を偲ぶことができる。国重要文化財、旧三笠ホテルを訪れる。

1892年に完成したレンガ造り4連アーチ式の鉄道橋は、国重要文化財に指定されています。今は、JR横川駅から旧信濃本線の線路跡を通って往復できる約10kmのアプトの道が整備されているめがね橋の愛称で知られる碓氷第三橋梁を訪れる。

日本三大関所のひとつです。中山道最大の難所といわれた碓氷峠には、箱根とならび称された関所があった。江戸時代に「入鉄砲と出女」を取り締まるために設けられ、碓氷峠のふもとの地形をうまく利用し、徳川幕府維持のために大きな役目を果たした。元和9年に江戸幕府が設置し、明治2年に廃関された。現在は横川駅の近くに復元され当時の面影を感じ取ることが出来る碓氷関所跡を訪れる。

妙義山の主峰、白雲山[はくうんさん]の山麓に建つ、創建約1500年の歴史を持つ神社。明治初めまで神仏習合で、妙義山信仰の霊地として徳川家にも深く信仰された。宝暦6年(1756)に建てられた黒漆塗銅葺入母屋造の本殿と銅葺平入の唐門、総門は国の重要文化財に指定されている妙義神社を訪れる。

白雲、金洞、金鶏の三峰からなり、標高1104m。切り立った奇岩・怪石がつくり出す独特の山容は日本有数の奇勝として知られ、1923年(大正12)には国の名勝指定を受けた妙義山を訪れる。

東の富岡方面に向かう。1872年(明治5)、富国強兵・殖産興業のスローガンの下、輸出品の主力だった生糸の生産量・品質を向上させるため、明治政府が設立した器械製糸工場。明治政府がつくった官営工場の中で、1万5000坪の敷地やレンガ造りの工場施設がほぼ完全な状態で残っているのは富岡製糸場のみ。建物外観の他、生糸を作る器械が置かれていた繰糸場など、建物内の一部が見学できる富岡製糸場を散策見学する。

17:30高崎駅到達。
17:58高崎駅上越新幹線あさまで出発
18:50東京駅到達
19:00東海道新幹線のぞみで出発
21:48新大阪到達

今回の旅行、スキーシーズンに何回か訪れたましたが、夏のシーズンは昨年の尾瀬以来2回目の訪れの群馬県。
観音山に立つ白衣大観音の内部から高崎市街地が一望できる好展望地、高崎市庁舎21階展望ロビーからの眺めは秀悦、少林寺達磨寺のだるま市や名物駅弁のだるま弁当の知名度は全国区の高崎エリア。
草津のシンボルは湯畑、その周辺には、標高1800mに湧く万座温泉など、効能豊かな温泉が湧き、噴煙を上げる浅間山麓に広がる湯釜や鬼押し出し園など迫力の観光名所が多い草津エリア。
日本近代化産業の発祥地として知られる富岡製糸場を中心に絹産業遺産群が世界遺産登録暫定リストに登録した富岡エリアを訪れました。

多くの広大な自然名所と数多くの文化遺産が存する群馬県、2回目の訪れですがすべてを把握、制覇するには時間がかかり何回も訪れないと理解できない奥の深い群馬の観光名所、これからも何回か訪れて徐々に制覇していきたいと思います。















江の川カヌー
2009年6月21日


今回は遠方の広島県および島根県を流れる一級水系本流中国地方最大ので、別名は中国太郎、広島県域では可愛川とも呼ばれる広島県山県郡北広島町高野の阿佐山に源を発し、安芸高田市八千代湖を経て、三次市で馬洗川、西城川、及び神野瀬川と合流し、島根県江津市日本海に注ぐ江の川に足を運びました。

7:00大阪駅出発、天候曇り時々雨、気温は25度、車で阪神中国自動車道経由して三次インター下車
11:00江の川両国橋到達、準備して食事を済ませてから
13:00スタート、2級クラスの比較的長い瀬を6箇所通過、両国橋から宇都井橋までの6kmを2時間で下り終えました。
16:00あとかたずけ、
17:00温泉
18:00帰路、途中中国自動車道のサービスエリアで食事を済ませて
22:00大阪駅到達、解散。

今回の川下りイベント、遠方の中国地方の最大の川、江の川に足を運び、数箇所の瀬の長い適度な瀬を楽しみながら越え6kmのコース堪能しました。

次回は来月、三重県宮川を予定しています。比較的緩やかな川です。
初心者も安心して下れる川です。

尚次回までに数艇の異なったタイプのカヌーを購入予定です。
皆さんいろんな種類のカヌーに乗り換えて楽しめます。
楽しみ方も幅広くなります。
期待していてください。



大型ゴムボートで滋賀県近江八幡水郷巡り
2009年6月20日


16世紀に豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町として開かれ、その後商業都市へと発展した近江八幡に足を運び、安土・桃山時代より水上交通の大動脈として重宝され、近江商人の発展と町の繁栄に貢献した滋賀県近江八幡水郷をゴムボートで訪れました。

13:00大阪駅集合出発、車で阪神名神高速道路経由して竜王インター下車
15:00近江八幡到達、準備して
16:00スタート、北西に向かい西湖到達、長命寺川を経由してから南下
18:00スタート地点に戻る、あとかたずけして
19:00近くの温泉に浸かる。
20:00帰路、途中サービスエリアで食事を済ませて
22:00大阪駅到達、解散

今回の大型のゴムボートで滋賀県の近江八幡の水郷巡り、昨年の夏以来2回目の訪れで八幡堀の水路を通過して蔵屋敷、洋風建築、多彩な歴史的名所を水路から訪れる計画でしたが時間が遅く、水路が閉鎖していたため、急遽北西の西湖に向かい、反時計回りで長命寺川を経由して南下、スタート地点に戻りました。

今回の水路は迷路であたかもジャングル探検している様な光景でした。
なかなか複雑な迷路の近江八幡水路、地図と照らし合わしながら走行、何とか2回目の訪れで地理を把握することが出来ました。

次回はもう少し早く訪れて、多彩な歴史的名所を水路から眺められる八丁堀を走行したいと思います。

大型のエンジン付きのゴムボート、なかなかゆったりしてリラックスしながら乗船していろんな由緒ある、美しい風景を味わうことが出来ます。
今回も皆さん、お酒を飲みながらつまみを食べながら談話に盛り上がり楽しく過ごすことができました。
ハードでアクティブな方は物足りないかもしれませんが、このような遊び方も又違った意味で楽しめるかもしれませんね。


飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十三弾:福島県郡山タウン&白河&いわき観光
2009年6月13−14日


今回は全国で3番目に大きい面積を誇り、2つの大きな山脈、阿武隈高地、奥羽山脈を境目として3つのエリアに分けられる福島県のほぼ中央に位置する県内随一のターミナルエリア、郡山タウン、かつては道の奥と呼ばれた東北の玄関口、白河、東北有数のテーマパークが揃っているいわきに足を運びました。

13日14:40伊丹空港出発
16:00仙台空港到達、レンタカーで磐梯高原に向かう。

高湯温泉と土湯峠を結ぶ、全長約29qの観光有料道路。最高標高1,622mの吾妻連峰を縫うように走る、眼下には福島市から伊達郡へと続く信達平野が広がり、吾妻八景に代表される景勝地が続き、日本の道百選にも選ばれ、春の雪の回廊から秋の紅葉まで、季節毎に雄大で変化に富んだ様々な景色を展開してくれる
磐梯吾妻スカイラインを走行。

標高1600m。福島市と磐梯高原を結ぶ磐梯吾妻スカイラインの中間に位置。土湯温泉や高湯温泉から溶岩が堆積した山肌をみてのぼってくると、一息平坦になる場所。東に吾妻小富士、北に噴煙をあげる一切経山が見られ、吾妻小富士探勝の起点となる浄土平を訪れる。

磐梯吾妻スカイライン最大の見どころ。火山の噴火でできた山で、ビジタセンター隣のレストハウス前から急斜面の階段を15分ほどのぼると、標高1707mの火口壁。中央の噴火口が摺り鉢状に口を開けているのが見られる。火口に沿って1周すると360度のパノラマが広がり、福島市街や安達太良、蔵王なども見渡せる吾妻小富士を訪れる。

磐梯吾妻スカイラインと磐梯高原を結ぶショートカットルート。金堀〜剣ケ峰間13.1kmで磐梯山を望み、秋元湖・小野川湖を眺め、中津川橋から中津川渓谷を見下ろして檜原湖までの磐梯吾妻レークラインを走行。

猪苗代湖方面に向かう。

周囲55.32km、最大深度93.5m、日本で4番目に大きく、透明度も世界有数の湖だ。標高514mと、湖一帯が比較的高地にあり、気温の変化で霧が発生し、会津若松市の近くまで包んでしまうことも少なくない猪苗代湖を訪れる。

20:00郡山駅付近のホテル到着後郡山タウン散策して居酒屋で食事を済ませて床に就く。

14日7:00レンタカーで出発、天候曇り、郡山南西の羽鳥湖、甲子高原方面に向かう。

会津地方に注ぐ鶴沼川をせき止めて造られた人造湖。屈曲に富む湖岸からは那須連峰が望める。高山植物や野鳥、昆虫の宝庫として知られ、ミズバショウの群生地やモリアオガエルが棲息する湿地帯が点在する羽鳥湖を訪れる。

英国の小さな村をそのまま再現したホテル兼疑似体験型研修センター。ここは本場英国の洗練された情緒・文化・教養を心から愉しめるBritish Hillsを散策。

コテージタイプのホテル。那須連峰の北、羽鳥湖高原に広がる通年型アウトドアレジャーリゾート羽鳥湖高原レジーナの森を散策。

阿武隈川の源流域近くに広がる、原生林と草原に囲まれた高原。シャクナゲやカタクリなど高山植物が多いことでも知られる。川沿いに西の郷遊歩道と新甲子遊歩道があり、滝や奇岩など変化に富んだ散策が楽しめる甲子高原を散策。

新甲子温泉の奥にある樹齢320年、樹高35mの桂の大木。根元から何本も分かれて立つ姿は霊験あらたかな木として信仰を集め、かたわらには祠が祭られている剣桂を訪れる。

阿武隈川の源流に近い雪割渓谷に架かる、アーチ型の赤い鉄橋。長さ81m、谷底からの高さは約50mある。冬の時期に橋から眺める一面の雪景色を、渓谷の流れが割ったように見えるので名がついた雪割橋を訪れる。

東の白河方面に向かう。

1340年(興国元)築城。江戸時代に大改修が施され、1632年(寛永9)白河初代藩主・丹羽長重が完成させた。その後、戊辰戦争で大部分を焼失。石垣と水濠が残るのみだったが、史実に基づき三重櫓と前御門を忠実に復元。復元に使用された杉材は戊辰戦争の激戦地・稲荷山のもので、床や柱に当時の弾痕も見られる白河小峰城を散策。

1915年(大正4)に建築された、ビザンチン様式のギリシャ正教会。堂内にあるイイスス・ハリストス(=イエス・キリスト)やマリアの聖像画50点は貴重なもので、茨城県出身の山下りんのイコン画像7点も含まれる白河ハリストス正教会を訪れる。

1801年(享和元)、藩主・松平定信が築造した日本最古といわれる公園。湖畔に松・楓・桜などを植え、身分の区別なく領民に開放したという南湖公園を散策する。

7世紀なかばに置かれた念珠、勿来と並ぶ奥州三古関のひとつ。隣接して白河関の森公園がある白河の関跡を訪れる。

元和元年(1622年)、常陸国古渡より 棚倉に移封された丹羽長重は、幕府より築城の命を受け寛永元年(1624年)近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、翌2年その跡地に棚倉城の築城に着手し寛永4年(1627年)完成した。慶応4年(1868年)戊辰戦争で落城するまでの240余年に8家16代の城主交代があった。お濠に住む大亀が水面に浮かぶと決まって殿様が転封されたということから、別名亀ヶ城ともいわれた
棚倉城跡を散策する。

いわき方面に向かう。

紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師といった、馴染み深い歌人が和歌に呼んだ歌枕で、多くの文学作品にその名が残されている。太平洋を見下ろす丘陵には、歌碑をはじめ文学碑が10数基ある。周辺一帯は県立自然公園に指定されている勿来の関跡を散策する。

太平洋側を北上し、体験プログラムが豊富な、見て触れて楽しめる水族館。建物全体がガラスで覆われ、館内に自然光が降り注ぐ。メイン水槽の潮目の大水槽では、世界で初めて採用された三角トンネルを境に、福島県沖の豊かな潮目の海を表現。動物だけではなく植物の展示もあり、多様な生き物を見ることができる環境水族館アクアマリンふくしまを見学。

磐越自動車道を経由して北西に向かい、
およそ8,000万年という歳月をかけて創られた大自然の造形美。全長約600mの洞内は、天井から大きく下がる鍾乳石や床下からタケノコのように堆積してできる石筍など千変万化の神秘の世界が続いています。したたり落ちる地下水が自らの溶食作用によって創りあげる様々な造形美にはそれぞれに名前が付けられ、訪れる人を魅了します。三層に分かれる洞内で最大のホール滝根御殿では、クリスタルカーテンやボックスワーク、シールド、洞穴サンゴなど、ここでしか見ることのできない貴重な鍾乳石を間近に鑑賞することができ、また、竜宮殿や月の世界、樹氷、クリスマスツリー、石化の樹林など、見る人を感動させてやまない大自然の神秘が続いているあぶくま洞を散策する。

福島空港に向かう。
18:00福島空港到達
19:00福島空港出発
20:10伊丹空港到達

今回の旅行、全国で3番目に大きい面積を誇り、2つの大きな山脈、阿武隈高地、奥羽山脈を境目として3つのエリア、いわき・相馬のある太平洋側の浜通り、福島・郡山がある中心部の中通り、会津・喜多方など歴史ある町の多い会津に分けられる福島県のほぼ中央に位置する県内随一のターミナルエリア、郡山タウン。
那須連峰の東山麓に広がる阿武隈川の源流地帯、原生林におおわれた山々と険しい渓谷が、四季折々の自然景観美を作り出す羽鳥湖高原、甲子高原。
5世紀頃に白河の関が設置され、かつては道の奥と呼ばれた東北の玄関口、江戸時代には松平定信が藩政を治めた歴史ある城下町白河。
東北有数のテーマパークが揃い、新鮮な魚介類を味わえるエリア、いわき。
福島の多くの自然名所と歴史的建造物を巡り堪能しました。

尚今回出発は14:10伊丹空港発、福島空港行きの便に搭乗予定でしたが、航空機の機器トラブル発生のため欠航、急遽14:20伊丹空港発、仙台空港行きの便に変更し、30分遅れで仙台に向かいました。
ana航空会社の航空機トラブル責任のため仙台空港から福島までの交通費を負担していただき、又幸い13日の行程は福島空港の北、磐梯方面のドライブ予定でしたので仙台空港からのアプロ−チも距離的、時間的にも差がなく仙台空港でレンタカーを手配して福島空港で乗り捨てのプランを立て、乗り捨て料金はana航空会社が負担した福島までの交通費でお釣りが出るほどの金額でラッキーでした。
観光も1時間ほど郡山に着くのが遅れましたが予定通り磐梯高原、猪苗代湖を観光ドライブでき満足に過ごすことができました。

旅はいろいろとアクシデントがありますが今回は結果的には問題を生じなかった運のよい観光旅行でした。

次回、これからはどんなアクシデント、ハプニングが起こるのでしょうね。又報告します。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十二弾:千葉県千葉タウン&九十九里浜&房総半島観光
2009年6月6ー7日


ディズニーランドは何回か訪れたことがありますが今回は他のエリア、東京湾と太平洋に面した広大な半島と、北は利根川と江戸川が県境となっている千葉県の全国屈指の水揚げ量を誇る漁港のある銚子、緩やかに海岸線が約66km続く九十九里浜、千葉県南部の太平洋側に面した外房、千葉県南部の太平洋に突き抜けた半島、南房に足を運びました。

6日14:00伊丹空港出発
15:10羽田空港到達、レンタカーで高速湾岸線で千葉方面に向かう。

電化製品メーカーのシャープが運営する展示施設。液晶や太陽電池、環境への取組みなど、最先端技術の今と未来を見ることができるシャープハイテクノロジーホーに寄る。

未来型国際都市として、着々と整備が進められている幕張新都心、この新都心の中にあって、貴重な緑の創出とともに、国際交流の場としての役割を果たせるよう、グローバルな視点から誕生した幕張海浜公園を散策する。

千葉県千葉市中央区に建つ展望施設で、高さ125.1m。千葉県民500万人を突破したことを記念して1984年6月に着工し、1986年(昭和61年)6月15日にオープンした千葉ポートタワーに登り千葉ベイエリアを眺望する。

約1000年前平良文が当地に土着し、三代目の恒将が千葉姓を名乗り、千葉を支配したのが千葉市の起こりと伝えられ、恒将から三代目の常重が1126年猪鼻山に居館を構築して城下町をつくって鎌倉、室町時代にかけ十三代330年間房総の文化の中心として栄え、関東では、鎌倉につぐ繁栄を誇っていました。しかし戦国時代に入り内紛等のため千葉市は衰微し下総の一寒村となってしまいました。昭和四十二年四月千葉市はこの城跡に天守閣をつくり古い歴史と伝統に輝く千葉市をしのび、市民にしたしまれている千葉城跡を訪れる。

自然科学、先端技術、地球環境、宇宙などの科学を、わかりやすい展示で楽しく学ぶことができ、人が主役、参加体験型をコンセプトにする科学館で、幼児から大人まで幅広い年齢層の方々が、さまざまな科学体験ができるよう、ワークショップの場を設け、スタッフやボランティアが楽しくていねいに対応する千葉市科学館を見学。

千葉中央駅付近のホテル到達後、繁華街で食事を済ませてから床に就く。

7日6:00レンタカーで出発、天候快晴、視界良く絶好の観光日和。千葉東金道路を経由して銚子方面に向かう。

犬吠埼灯台の近くにある水族館。熱帯系、温帯系、銚子近海の魚類約230種2500匹を飼育している犬吠埼マリンパークに寄る。

銚子市内で最も高い、標高73.6mの愛宕山山頂にあり屋上展望台からは、北は鹿島灘から筑波山、東と南は太平洋、西は屏風ケ浦から九十九里浜まで見渡せ、360度の大パノラマが一望のもと、330度までが太平洋の水平線なので、文字どおり、地球の丸さを実感できる地球の丸く見える丘展望館を訪れる。

1874年(明治7)、イギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により造られた高さ約32mのレンガ造りの西洋式灯台。99段のらせん階段を登ったあとに開ける眺望は雄大そのもの。隣接して近代灯台の歩みが分かる犬吠埼灯台資料展示館もある。灯台下の磯伝いに遊歩道が整備され、荒波が岩に砕ける豪快な海辺の散策が楽しめる犬吠埼灯台を訪れる。

銚子漁港を見下ろす高台にある全面ガラス張り、高さ57.7mのタワー。最上階からは眼下に漁船の行き交う銚子漁港や銚子の町並み、太平洋の広大な水平線が望める。1階の展示ホールでは観光情報も入手できる銚子ポートタワーを訪れる。

房総半島太平洋側を南下し九十九里浜方面に向かう。

旭市上永井公園内にある展望館。3階建ての館内には、周辺の自然が分かる資料や写真などを展示したパノラマ展望室のある、24時間利用できる半屋外展望スペースの光と風のデッキがある飯岡刑部岬展望館光と風を訪れる。

蓮沼の海岸線約4kmに沿って帯状に延びる敷地内には、変化に富んだ13のプールが楽しめる蓮沼ウォーターガーデン、森林公園、全天候型のテニスコート27面、雄大な九十九里の海を一望できる展望台、ホテル蓮沼ガーデンハウスマリーノなどがある。マウンテンコースターや日本一長いミニトレイン、公園一周のサイクリングコースなどアトラクションも充実する蓮沼海浜公園を散策する。

九十九里浜沿い17.2kmを南北に走る、通称波乗り道路。県道飯岡一宮線(九十九里ビーチライン)からつながる新一宮大橋近くを起点に、北は片貝ICまで続く。南端の一宮休憩所には、遊具施設が並ぶ広場や遊歩道、食堂、売店、展望室などもあるので、雄大な海を眺めながらのんびりひと休みできる九十九里有料道路を走行する。

豊海海岸に立つ白いビーチタワー。巻貝をモチーフに造られた海岸のシンボルで、高さ22mのタワーのらせん階段を上ると、太平洋と九十九里浜の雄大な景色が目の前に広がる九十九里ビーチタワーを訪れる。

青空に真っすぐに立つ高さ17mの塔。正式名称は日・西・墨三国交通発祥記念之碑。慶長14年(1609)、フィリピン諸島総督一行を乗せた船が岩和田沖で座礁、村人が救助に当たり、乗組員の命を救った。これを機に、スペインやメキシコとの交流が始まり、昭和3年に友好の塔として建てられた。塔が立つ高台の公園からは、御宿の町並みと海岸線を一望できるメキシコ記念塔を訪れる。

大正から昭和にかけて活躍し、御宿海岸をモチーフにした童謡『月の沙漠』を作詞した加藤まさをゆかりの品を展示している。外観は幻想的な歌に合わせてアラビア宮殿をイメージしたもの。館内には叙情画、詩、小説などの作品や、加藤氏愛用のピアノ、バイオリン、机、帽子などの遺品を展示する月の沙漠記念館を訪れる。

勝浦湾の東に突き出た、八幡岬一帯を占める公園。高台で太平洋の眺めが雄大。東・南・西の三方が海の迫る断崖になっているため、古くから天然の要害として利用された。突端にあった勝浦城落城の際には、城主・正木頼忠の娘で後に徳川家康の側室になったお万の方が、炎上する城を背に布を垂らして断崖から海に逃れたという話も伝わっている。園内には子供広場や展望広場があり、お万の方の像も立つ八幡岬公園を散策する。

千葉県立中央博物館の分館。勝浦海中公園に隣接し、房総半島の海の自然を紹介している。展示室は「房総の海」「さまざまな海の姿」「博物館をとりまく自然」「海と遊ぼう」の4コーナーに分かれ、房総の海に棲息する魚の標本や海底のジオラマを展示。海の生き物や自然を紹介したマリタイムシネマを上映のほか、野外での自然観察を主体とするイベントも数多く開催する千葉県立中央博物館分館 海の博物館を見学。

高さ24.4m、水深8mの海中に造られた展望塔。陽光に輝く太平洋の大海原や入り組んだ海岸線を一望に見渡せる海上展望室かららせん階段を下りて行くと、海中展望室。24個の窓から覗き見る海中は、神秘の世界そのもの。これまでに90種以上の魚介類が観察されており、メジナ、イシダイなどの大きな魚からスズメダイやベラなどの小さな魚まで見ることができる。また、運が良ければ大きなサメに出会うこともある勝浦海中展望塔を見学。

千葉県鴨川市の東条海岸と国道128号に挟まれて所在する大規模な総合海洋レジャーセンター博物館相当施設である。様々な生物の繁殖においても世界的な功績を残し、学術的にも存在価値の極めて高い水族館である鴨川シーワールドを見学。

鴨川漁港の南、弁天島、雀島、鵜島など大小7つの島が浮かぶ海上一帯をさす。2度にわたる津波で陸の一部が崩壊してできた島々に松が茂り、日本三景の松島にたとえられるようになった鴨川松島を訪れる。

太海海岸の目前に浮かぶ、面積約3万平方mの島。1180年(治承4)、源頼朝が戦に破れて安房に逃れた際、ここで仁右衛門に助けられたという伝説から、代々世襲の平野仁右衛門氏一戸だけが住み続けている。頼朝が一夜身を潜めたという隠れ穴、日蓮が朝日を拝したと伝わる神楽岩などの史跡が多く、夏から秋には金銀針茄子という赤色の実をつける珍しい植物も見られる仁右衛門島を訪れる。

房総半島の最南端に立つ日本で2番目に古い西洋式灯台。1866年(明治2)、フランス人技師ヴェル
ニーによって建造され、関東大震災後、1925年(大正14)に復旧された。高さ29m、光は約32km先まで届く。らせん階段を上った展望台からは、伊豆諸島までも見渡せる野島埼灯台を訪れる。

島埼灯台併設の灯台に関する資料室。展示室中央には、全長2.54m、直径1.45mの、福岡の玄界灘で使用された烏帽子島灯台のフレネル式レンズが展示されている。これは野島埼灯台の初代レンズと同サイズのものという。ミニライブラリーやミニシアターでは、日本各地の灯台の歴史を知ることができる野島埼灯台資料展示室きらりん館を見学。

城山公園山麓の本館は、原始〜江戸時代の安房の歴史と文化、里見氏の武具や書状、民俗資料などを展示。山頂にある八犬伝博物館は3層4階の天守閣を模した造りで、中世の安房国を舞台にした曲亭馬琴の大長編伝奇小説『南総里見八犬伝』をテーマに、歌川国貞の錦絵や辻村ジュサブロー作の伏姫人形などが見られる。分館の望楼からは市街や館山湾を一望出来る城山公園を散策する。

17:00館山自動車道経由して千葉蘇我インター下車、蘇我駅で総武線に乗り
19:00東京駅到達
19:20新幹線のぞみで出発
21:55新大阪到達

今回の旅行、千葉県の千葉タウンと房総半島の太平洋側の観光地を訪れる。
利根川の河口にあり、全国屈指の水揚げ量を誇り、又古くからの醤油工場があることも知られている銚子エリア。
穏やかに湾岸線が約66km続く九十九里浜の雄大な海岸風景、九十九里有料道路、九十九里ビーチラインが走る九十九里浜エリア。
千葉県南部の太平洋側に面し、大きな漁港も多く、新鮮な魚料理を楽しむことができ、又サーフィンやマリンスポーツなどのアクティビティを満喫できる外房エリア。
千葉県南部の太平洋に突き抜けた半島、温暖な気候で早春から楽しめる花スポットや新鮮な海の幸も魅力な南房エリア。
ほぼ房総半島の太平洋側の観光地を制覇しました。
次回は房総半島の東京湾側と半島中心部の内陸を攻めてみたいと思います。

今回感じたことは天候も良く、風がそこそこあり太平洋側の海岸線はビッグウエーブ、約66kmの長い海岸線の九十九里浜のみならず南房の海岸線のいたるところにサーファーが数多く出没、サーファーがこんなにたくさんいるのかと疑うほど見かけました。
海岸線にサーフアーの車の縦列駐車の台数、海辺の戯れているサーフアーの数、驚くほどの数でした。

尚外房の鴨川エリアの仁右衛門島付近で道が細い交差点、左折時、左のサイドリアフェンダーがガードレールに当たり、浅いキズがつきました。レンタカーですので修理代を請求される、あわてて近くのカーショップでコンパウンド購入、幸いキズが浅く、綺麗にキズを落とすことが出来ました。

又天候もよく、高速代の割引が影響しているのか、多くの方がレージャーに出かけ、帰りの高速自動車道は大渋滞、館山自動車道からアクアラインを経由して羽田空港から飛行機で帰る予定でしたが、渋滞でアクアラインを通過するのに2時間以上掛るとのこと、帰りの飛行機便に間に合わない、急遽館山自動車道、湾岸高速自動車道経由して遠回りで羽田に向かいましたが千葉タウン付近からの湾岸線も大渋滞、仕方なく千葉付近の蘇我インター下車してレンタカーを乗り捨てて返却し、電車の総武線に乗って羽田に向かいました。しかし帰りの飛行機便に間に合わず、結局東京駅で新幹線に変更してのぞみで大阪に向かいました。

今回の飛行機便は変更の利かない先得割引チケットでなくマイルを使っての特典航空券のため変更が可能なチケットであり次回に持ち越しで難を逃れました。
旅はいろいろとハプニング、トラブルがあるものです。これもいい思い出として受け止めることが旅を楽しむには必要、コツですね。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十一弾:埼玉県大宮&秩父&川越観光
2009年5月30ー31日


今回は47都道府県最後の訪れになった埼玉県、県内有数の繁華街、大宮、さいたま新都心。埼玉を代表する自然観光名所、秩父、長瀞。小江戸と呼ばれ、江戸時代に城下町として栄え、明治の面影を今に留める蔵の町の川越に足を運びました。

30日13:07新大阪新幹線のぞみで出発
15:43東京駅到達、山の手線で上野、高崎線で
16:00さいたま新都心駅到達

さいたまスーパーアリーナ内にあり、20世紀を代表する偉大なミュージシャン、ジョン・レノンの音楽活動を中心に彼の生涯にスポットを当てたミュージアム。少年時代からビートルズ時代、オノ・ヨーコ夫人との平和活動など、ジョンの残した足跡をたどる展示構成となっている。写真や映像をはじめ、愛用のギターや直筆の原稿、ステージ衣装なども展示されていて、ファンならずとも興味深い品々が並ぶジョン・レノン・ミュージアムを見学。

高崎線で大宮に向かう。

JR東日本誕生20周年を記念してつくられた博物館。館内は重要文化財に指定されている1号機関車など、国内の鉄道史を語る上で欠かせない貴重な資料が並ぶヒストリーゾーンと、台車を組み立ててみようなど、さまざまなシュミレーション体験ができるラーニングゾーンなどのエリアで構成されている。日本最大の模型鉄道ジオラマも見逃せない鉄道博物館を見学。

レンタカーで大宮駅北東に向かう。

盆栽のメッカとして、国内外に有名な観光名所。関東大震災で被災した、東京の植木職人や盆栽師が集団で移住。1925年(大正14)に誕生した。現在は6軒の盆栽園があり、盆栽四季のみち(かえで通り)を中心に閑静で美しい町並みを保っている大宮盆栽村を訪れる。

1884年(明治17)に造られた、埼玉県初の県営公園。約35万平方mの広大な園内には、小動物園や児童遊園地のほか、サッカー場、野球場、体育館などスポーツ施設もある。県内屈指の桜の名所でもあり、日本さくら名所100選に選定された大宮公園を散策する。

歴史・民俗・美術を扱う、人文系総合博物館。国宝の太刀・短刀や太平記絵巻をはじめとする、国指定・県指定文化財を収蔵。期間限定で展示・公開している埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄る。

首都圏に点在する約280の氷川神社の本社で、2400年の歴史をもつ全国でも屈指の古社。武蔵一宮として関東一円から信仰を集め、初詣には毎年180万人以上の参拝客で賑わう氷川神社を訪れる。

さいたま新都心駅付近のホテルに到着後、市街地を散策して居酒屋で食事を済ませて床に就く。

31日6:00レンタカーで出発、天候曇りのち雨、北の行田方面に向かう。

国の史跡、埼玉古墳群を中心にした公園。日本最大の円墳といわれる丸墓山古墳、関東有数の前方後円墳・二子山古墳、稲荷山古墳などを含め、園内には9基の古墳が点在。敷地内の県立さきたま史跡の博物館では、国宝の金錯銘鉄剣などが見られるさきたま風土記の丘を散策する。

行田蓮と世界の花蓮10万株が咲く、14万平方mの公園。行田蓮は地中から出土した1400〜3000年前の種が自然発芽したもので、市の天然記念物に指定されている古代蓮の里を散策する。

西の熊谷方面に向かう。

熊谷の発展に力を尽くした竹井澹如翁の別邸として、慶応年間から明治初年にかけて造られた回遊式庭園。1950年(昭和25)より熊谷市の所有となり、1954年(昭和29)には市の名勝に指定された星溪園を訪れる。

源頼朝に日本一の剛の者といわしめた武士、熊谷次郎直実開山の古刹。後に徳川家康が七堂伽藍を整え、関東最初の念仏道場とした。高さ24m、間口約25.4m、奥行29mの総ケヤキ造りの伽藍は、1907年(明治40)に再建されたもの。境内には熊谷次郎直実の墓がある熊谷寺を訪れる。

西に向かい近くを流れる荒川をテーマにした博物館。4万平方mの広大な敷地で、直径23mの巨大な水車が目を引く。荒川の源流から河口までを解説した展示などを学ぶ施設がある埼玉県立川の博物館を見学。

国指定史跡鉢形城跡の歴史を中心に地域の文化や歴史を学習・体感することができる施設です。常設展示室では、鉢形城の歴史や構造を映像などを交えわかりやすく紹介する鉢形城歴史館を見学する。

長瀞方面に向かう。
地学、生物学を主に埼玉県の3億年にわたる自然を紹介。歯の化石から復元した巨大ザメの模型や絶滅した謎の生物、パレオパラドキシアのレプリカのほか、野生動物のはく製、県内から収集した化石・岩石、植物などの資料を展示する埼玉県立自然の博物館を見学。

標高497mの小山。宝登山神社の上から、奥宮の立つ山頂下までロープウェイが架かり、山頂駅からは荒川や奥秩父の山々が見える。山頂までは徒歩5分、動物園も回ると1時間。山頂駅近くには梅・桜・ツツジ・シャクナゲなどの花園がある宝登山を散策する。

下山して県立長瀞玉淀自然公園の中心地。荒川の清流や数々の奇岩怪石、梅・桜・ツツジなどの花々と、一年を通して見どころの多い渓谷。変化に富んだ流れに身を任す川下りも魅力だ。親鼻橋から高砂橋に至る全長6kmを巨岩を縫うようにして荒川が流れ、岩畳(名勝・天然記念物)の対岸を見上げれば高さ数十mの秩父赤壁と呼ばれる岩壁がそそり立つ長瀞をライン下りする。

秩父方面に向かう。
標高587mの蓑山一帯に整備された自然公園。4月中旬〜5月上旬はソメイヨシノ、山桜など8000本以上の桜が咲き、一帯はピンクに染まる美の山公園を散策。

708年(和銅元)に、和銅とよばれる精錬する必要がないほど純度の高い銅鉱石が発見され、これにより銅銭が作られ、この時作られた貨幣を和銅開珎と言う。秩父のこの地域に銅採掘跡が点在している。かつて日本最古の通貨、和同開珎は、1999年(平成11)に奈良県明日香村の遺跡から7世紀後半の通貨とみられる富本銭が発見されるまでは、日本最古の通貨とされていた和銅遺跡を散策する。

2000余年の歴史をもつ、秩父地方の総社。現在の社殿は徳川家康の寄進によるもの。本殿・幣殿・拝殿をつないだ、荘厳な権現造。左甚五郎作の彫刻「つなぎの龍」「子育ての虎」が有名で、背面にある北辰の梟は学問に霊験あらたかとされている秩父神社を訪れる。

西武秩父駅東側の高台にある緑地公園。秩父の市街地や武甲山が見渡せ、春には約800本の桜が咲いて花見客で賑わう。約1万6500平方mの広さに咲く、9種類40万株以上の芝桜(4月中旬〜5月上旬に開花)も圧巻。芝桜の丘西側には、羊が飼育されているふれあい牧場がある羊山公園を散策する。

東に戻り川越方面に向かう。
川越城本丸の北側、二の丸跡に建てられた蔵造り風外観の博物館。原始古代から現代まで、川越の歴史や文化を紹介。特に城下町を形成した近世に重点が置かれている。明治時代の町並みを再現した模型をはじめ、蔵造りの建築工程や川越まつりの影像も必見だ。川越の文化財を映像化した、ビデオルームもある川越市立博物館を見学。

江戸時代は川越城下の総鎮守として信仰され、10月中旬に行われる川越まつりはこの神社の例大祭。現在の社殿は1842年(天保13)の建築で、江戸彫りといわれる精巧な彫刻が施されている。また、2組の夫婦神と大巳貴命を祀っていることから、古くから縁結びの神として信仰を集めている川越氷川神社を訪れる。

一番街の蔵造りの町並みが形成されたのは、江戸時代ではなく明治時代のこと。1893年(明治26)の川越大火で、町の3分の1以上が焼失。建て直す際に耐火建築である蔵造りが採用されたため。盗難や火災から守る蔵造りは堅牢で、今も30数棟が残る一番街の蔵の町並みを散策する。

一番街に並ぶ蔵造り建築の中で最も古く、1792年(寛政4)に建てられた。川越で唯一、国の重要文化財に指定。切妻造、瓦屋根の2階建て、間口6間、奥行4間半の簡素な外観だが、壁の厚さは30cmあり、堂々としている。2階の土格子も印象的だ。1階は店舗で民芸品販売、2階は川越の蔵造民家など7画を展示している大沢家住宅を見学。

一番街に黒い蔵造りの重厚な外観をみせる、市営の資料館。たばこの卸商を営んでいた小山家の蔵を利用したもので、川越の民俗資料などを展示している。店蔵の奥にも、2階建ての煙草蔵、文庫蔵などが立ち並ぶ川越市蔵造り資料館を見学。

一番街通りから鐘つき通りに入ったところに立つ、木造の鐘楼。川越城主・酒井忠勝が、1624〜1644年(寛永年間)に建てたと伝えられている。1653年(承応2)、松平信綱の命で改築。高さ16・2m、檜造りの現在の櫓は、1893年(明治26)の大火後に再建されたものだ。電動式で、毎日6時・12時・15時・18時の4回、時を告げている時の鐘を訪れる。

天文十八年(1549)、川越城主、大道寺駿河守政繁の母君、蓮馨大姉は、民衆の心の安らぎの場して創建した蓮馨寺を訪れる。

慈覚大師が830年(天長7)に創建した天台宗の名刹。川越大師として親しまれる。徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府の厚い庇護を受け、江戸城から家光誕生の間や春日局化粧の間などが庫裏(重要文化財)、書院(重要文化財)、客殿(重要文化財)として移築された喜多院を訪れる。

成田山新勝寺の別院で真言密教の寺院です。喜多院の北側に位置し、地元ではお不動様として親しまれています。目の病を不動明王に祈願して全治した千葉の石川照温が嘉永3年(1850)に創建した成田山川越別院を訪れる。

閑静な佇まいをみせる天台宗の寺。830年(天長7)、慈覚大師円仁により創建。元は星野山無量寿寺の北院(喜多院)、中院、南院のひとつ。島崎藤村の義母加藤みきの墓があり、境内に不染亭という藤村ゆかりの茶室が立つ中院を訪れる。

明治初期、大蓮寺門前で駄菓子を製造したのが始まり。狭い路地に20数軒の店が並ぶ菓子屋横丁を散策する。

17:30大宮に向かう。
18:00大宮到達、宇都宮線、山の手線で
19:00東京駅到達
19:20新幹線のぞみで出発
21:45新大阪駅到達。

今回の旅行、47都道府県最後に訪れた埼玉県の観光名所に足を運び、県内でも有数の繁華街大宮と大型複合施設、さいたまスーパーアリーナの位置するさいたま新都心。
荒川の上流に自然あふれる観光地、長瀞と秩父。
江戸時代に城下町として発展した小江戸の名称で親しまれ、明治の面影を今に留める蔵の町、大正モダンな建築物、そして昔懐かしい駄菓子横丁などの川越、自然と文化に豊富な埼玉観光堪能しました。

今回で47都道府県のメジャーな観光地はほぼ制覇しました。
まだまだマイナーな観光名所はたくさんあります。
細部にわたって徐々に制覇していきたいと思います。












さのう高原パラグライダー&出石観光
2009年5月24日


今回は兵庫県朝来市に位置する標高約380mの高原、テニスコート、キャンプ場、パラグライダー場を包むように茶畑や農園が広がり夏には渓流釣りやホタルの乱舞も楽しめるさのう高原でパラグライダーをトライし昼からは江戸時代に城下町として栄え、出石城跡や辰鼓楼など歴史あふれる情景が今も残り、名物の皿そばも有名な出石に足を運びました。

8:00大阪駅出発、車で阪神、中国、舞鶴自動車道経由して
9:50さのう高原到達。
10:00パラグライダ組みと観光組みに分かれて活動、天候曇り、風は弱い。

観光組みは大同2年(807年)に開坑され、天文11年(1542年)に本格的な採掘が始まり、織田、豊臣、徳川それぞれの幕府直轄鉱山として栄え、銀や銅などの鉱物を数多く産出してきましたが、昭和48年に閉山。現在は当時の模様を再現した観光施設として一般公開しています。 鉱石を掘っていた坑道を散策すると岩肌には鉱脈が見られ、電気仕掛けの人形が作業風景を再現しているなど、今となっては珍しい産業のことを楽しみながら学習できる生野銀山を散策する。

天守台は標高標高353.7mの山頂に築かれ、規模は南北400m、東西100mに及ぶ。完存する石垣遺構としては全国屈指。自然石を巧みに配置した近江穴太衆による石垣は、400年を経た今なお当時の威容を誇る。日本城郭協会「日本100名城」にも選ばれている。秋から冬にかけての晴れた早朝には、雲海に包まれた城跡を望み、その姿は天空に浮かぶ城を思わせ、幻想的な風景がひろがる竹田城跡を散策する。

一方パラグライダー組みは風が弱く、風待ちを繰り返しながら各々3回ずつトライ、回を重ねるたびに上達し浮遊から5mぐらいの飛行を楽しむことが出来ました。
12:00終了。昼食を下山して道の駅朝来で名物のしか肉料理をいただきました。

生憎昼からは雨が降り、パラグライダー中止、全員で出石方面に向かい観光を楽しみました。
14:00出石到達、出石マップを見ながら散策。

1604年(慶長9)、有子山の麓に小出吉英が築いた平山城の城跡。江戸時代には出石藩の本城として約260年間利用された。現在は本丸跡に隅櫓が復元されている。その横に延びる157段の石段には37基の鳥居が並ぶ。ここは城山稲荷と呼ばれ、信仰の対象としても親しまれてきた。春には桜の名所として多くの人が訪れる出石城跡を散策する。

出石城旧三の丸大手門の一角にある、1871年(明治4)建築の櫓。太鼓で時を告げていた。現在は時計台として利用されている辰鼓楼を訪れる。

母屋、離れ、土蔵で構成される明治初頭築の豪商の旧邸を出石町が譲り受け、1977年に当館の施設として公開した。館内には仙石騒動や藩政の記録をはじめとする出石藩関係の史料、古地図、武具、茶臼山古墳からの出土品等を展示し、江戸時代を中心に古代から近代までの出石の歴史を紹介している豊岡市立出石史料館を見学。

赤い土壁が長い年月を経て、まるで人の表情のような豊かな味わいを見せてくれる出石の造り酒屋、出石酒造を見学。

明治25年、国の方針で兵庫県下に20軒の郡役所が建てられました。現在は3軒しか残っておらず、そのうちの一つで、木造の擬洋風建築の貴重な建物は町の文化財に指定されている明治館を見学。

江戸後期の上級武士の住居跡。一見すると平屋建てに見えるが、不意の襲撃に備えた隠し2階などが設計されている。洋画家・伊藤清永の伊藤美術館を併設する家老屋敷を見学。

昔の出石川は現在の3倍以上の川幅があり、水も非常に豊かに穏やかに流れ、日本海より30石級の大船が出入りしていた船着場に灯籠が有り、北側は関所もあり、特に塩蔵が軒を並べていました。鎌倉時代、悲恋物語の主人公「おりゅう」の名にちなんで、灯籠と横の柳の木で「おりゅう」と恋人が寄り添う様子が作られ、夜になると灯籠に灯りがともる、おりゅう灯籠を訪れる。

出石藩の藩士は800名いたといわれ、その半数は足軽・中間でした。侍屋敷は城をかなめに城下町をぐるりと取り囲むように配置されました。1866年(慶応2)2月小御料庄町を火元として火災が発生、みるみるうちに燃え広がり、当時の殿様(仙石久利)が陣頭指揮をとりましたが68軒が焼失しました。その直後に建築され、木造かや葺きの建物、出石町に残っている数少ない江戸時代の建築で、現在1軒のみで資料館として公開する武家長家資料館を見学。

観光後3箇所の出石そば店をハシゴして、名物出石皿そばを十分に味わうことが出来ました。

出石町内に日本三大美人湯といわれる和歌山県龍神温泉に近い成分を有し、肌が美しくなる・色白になる・美容健康に良い・火傷や切り傷に効くなどの効能があるため「美人湯」、「けがの湯」と呼ばれ、さらに珍しく硫酸塩を含み動脈硬化症に効果があるため「中風の湯」とも呼ばれる療養泉として優れている出石温泉館 乙女の湯に浸かる。

19:00帰路に向かう。
21:00大阪駅到達、解散。

今回のアウトドアイベント、パラグライダー組みと観光組みに分かれて活動。

午前中は天候曇りで風では弱い、パラグライダー組みは何とか風待ちで各々3回トライして飛行を楽しむことが出来ました。

観光組みはトレッキング感覚で生野銀山の抗道内コースを1000mを歩いて体験し又竹田城跡は車で城跡付近まで到達し、あとは歩いて城跡のある山頂にたどり着きました。標高353.7mの山頂に築かれ、規模は南北400m、東西100mに及び、完存する石垣遺構としては全国屈指の城跡跡を十分散策でき、又山頂からの但馬の町並みの眺望はすばらしかった。

昼からは残念ながら雨になり、全員で出石観光に向かい、出石城跡を中心とした城下町の出石観光と名物な皿そばのハシゴ、出石の乙女温泉に浸かり有意義な日々を送ることが出来ました。

パラグライダーイベント、今回も天候が芳しくなく1日体験できなくて午前中の半日体験になりましたが、以前もそうですが、パラグライダーイベント、雨、風が無くても強すぎても中止になります。
これからもパラグライダーイベント、常に他のイベント活動、トレッキング、観光等を併設して行っていきたいと思います。









滋賀県湖東三山&多賀観光
2009年5月23日


今回は比較的近場の滋賀県湖東の鈴鹿山脈西麓の深い山々に抱かれた天台宗の古刹、湖東三山と永源寺、多賀大社で有名な多賀エリアに足を運びました。

12:30車で名神自動車道に経由して八日市インター下車
14:00 1361年(康安元)創建の禅寺。本堂は全国でも珍しいヨシ葺き屋根の建物。紅葉の名所として知られる永源寺を訪れる。

聖徳太子が百済人のために創建したと伝わる、近江の最古級寺院。近江西国三十三所の第16番札所でもある。1000余の僧坊を構える壮大な寺院だったが、織田信長の焼き打ちに遭い焼失。江戸時代初期に本堂と仁王門、山門などが再建された。境内には往時をしのぶ伽藍や塔の跡などが数多く残り、「天下遠望の名庭」といわれる庭の紅葉は特に見事な百済寺を訪れる。

741年(天平13)に行基が開いた寺。本堂(国宝)をはじめ二天門(重要文化財)や三重塔(重要文化財)などの文化財が並ぶ金剛輪寺を訪れる。

834年(承和元)、仁明天皇の勅願によって開創された天台宗の古刹。本尊の薬師如来(重要文化財)、十二神将を安置する本堂(国宝)と総檜造りの三重塔(国宝)が境内に並ぶ。室町時代初期建立の二天門(重要文化財)や、池泉観賞式庭園の蓬莱庭(名勝)、秋・冬・春と咲き続ける樹齢250年の不断桜(天然記念物)などみどころも多い西明寺を訪れる。

多賀方面に向かう。
長寿と縁結び、厄除けの神様として古くから信仰を集める社。伊勢神宮の祭神、天照大神の親にあたる伊邪那岐命と伊邪那美命を祭る。境内には延命のご利益があるとされる寿命石や、安土桃山時代に作庭された池泉観賞式の奥書院庭園(名勝)がある多賀大社を訪れる。

青龍山の巨石信仰が起源とされる神社、寿福、延命にご利益があると伝わり、眺めのよい丘に立ち、社務所庭園は国の名勝である湖宮神社を訪れる。

滋賀県多賀町とその周辺の自然や人々の文化をテーマにし、180万年前のアケボノゾウや約3万年前のナウマンゾウの化石,2億8000万年前の海の生き物の化石や現在の動植物,石灰岩の洞くつの生き物,本物と同じ作り方で再現された仏像など,多賀町の豊かな自然から生まれた実物標本を中心とした展示が特徴な多賀町立博物館を見学する。

17:00八日市方面に向かう。
17:30八日市駅、市街地に到達、町を散策してから駅の近くの居酒屋で食事を取る。
18:30帰路に向かう。

今回の史跡巡り、近場の滋賀県湖東の紅葉の名所で国宝や重要文化財に指定されている建造物や名勝庭園など、みどころの多い4つの名刹、竜応山の西明寺、松峰山の金剛輪寺、釈迦山の百済寺、総称して湖東三山、臨済宗永源寺派の大本山・永源寺と、お多賀さんの呼び名で親しまれている多賀神社が位置する多賀エリアを訪れ、鈴鹿山脈の西麓に点在する関西屈指の紅葉スポットとして人気を集めている天台宗の古刹の新緑の春の姿も又違った観点でのしっとりした美しさを味わうことが出来ました。

次回は近江八幡、五個荘を攻めてみたいと思います。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十弾:熊本県熊本タウン&阿蘇観光
2009年5月16ー17日


今回は県のほぼ中央に位置する都市、江戸時代に肥後54万石の城下町として栄え、日本三名城の熊本城がシンボル、九州を代表する商業都市でもある熊本タウン、阿蘇・くじゅう国立公園に属する自然豊かなエリア、大規模な噴火で形成されたカルデラ内に、雄大な風景が展開する阿蘇エリアが存する熊本県に足を運びました。

16日13:50伊丹空港出発
15:00熊本空港到達、レンタカーで熊本タウンに向かう。
16:00熊本公園内にあり熊本城三の丸内に立ち、有明海のムツゴロウの標本や、泉村・五家荘のジオラマ、ステゴドン臼歯化石・模型などの展示で熊本の自然と歴史を解説、プラネタリウムも併設している熊本市立熊本博物館を見学。

熊本公園を散策して熊本城に向かう。
日本三名城のひとつといわれ、国の特別史跡に指定されている。加藤清正が1601年(慶長6)から7年の歳月をかけて築城。城郭は広さ約98万平方m、周囲5.3kmにも及ぶ。1877年(明治10)の西南戦争の際、大部分を焼失したが、石垣や宇土櫓(重要文化財)をはじめとする各櫓が往時を伝える。今の3層6階の天守閣は1960年(昭和35)に再建され、加藤清正や細川氏らの歴代藩主や西南戦争に関する史料や遺品を展示している熊本城を訪れる。

細川家三代(肥後藩初代)忠利の弟、刑部少輔興孝が興した、細川刑部邸の別邸。全国有数の上級武家屋敷としての格式をもっている。市内の子飼にあったものを熊本城三の丸に移築復元する旧細川刑部邸を見学。

水前寺公園として親しまれる池泉回遊式庭園。総面積約7万平方mの広さに東海道五十三次を模した風景が広がる。中央の水前寺富士は庭園のシンボル。京都御所から移築された重要文化財「古今伝授の間」では、抹茶やお菓子を味わえる水前寺成趣園を散策する。

明治時代、英語教師として熊本に赴任し、『知られざる日本の面影』『東の国から』を執筆した地としても有名な小泉八雲の最初の住居を見学。

教師として4年3カ月を熊本で過ごした漱石。6回の転居のうち5回目の家が現在資料館になっている夏目漱石内坪井旧居を見学。

935年(承平5)創建。平将門・藤原純友の乱において、九州鎮護のために京都の石清水八幡宮を歓請して建立したと伝えられる。境内には朱塗りの楼門や社殿があり、応神天皇・相殿に神功皇后・住吉三神を祀る藤崎八旛宮を訪れる。

19:00JR熊本駅付近のホテルに到達後、JR熊本駅付近を散策して居酒屋で熊本名物の馬肉と辛子れんこんを頂きました。

21:00ホテルに戻り床に就く。

17日6:00レンタカーで出発、天候曇り、風強い、阿蘇方面に向かう。

阿蘇五岳の一つ・杵島岳の麓にある鉢を伏せたような美しい形の寄生火山。標高954mの草で覆われた小山は、阿蘇の神・建磐龍命が積み上げた米の山だという伝説が残る。頂上の窪みは火口跡だが、建磐龍命が貧しい人々に米を分け与えた跡だともいわれている米塚を訪れる。

阿蘇五岳の一つ、烏帽子岳の北麓に広がる火口跡にある78万5000平方mの大草原。ここにある池は雨水が溜まってできたものだとか。煙を上げる中岳を背景に放牧された牛や馬が草を喰んでいる風景に出会うこともある草千里ケ浜を訪れる。

下山して、立野の火口瀬にあり阿蘇外輪山が北向谷原生林で切れ阿蘇谷からの黒川が60メートルの落差でおち、日本滝100選に含まれる数鹿流ヶ滝を訪れる。

阿蘇山麓を東に向かい、日本一長い駅名、南阿蘇水の生まれる里白水高原駅に寄ってから 阿蘇山と南外輪山に囲まれた南阿蘇村は、至るところから大小さまざまな水が湧き出し、水の生まれる里と呼ばれている。南阿蘇鉄道のSL観光トロッコ列車が走るエリアで、沿線には阿蘇連山の広大な景色が広がり、九州を代表する観光スポットの一つとなっている水の神様をまつる白川吉見神社の森の中の境内にあり、白川総水源として崇められている白川水源を散策する。

トンネルを掘っている最中に地下水が出てきてしまい、工事を中止することになりましたが、現在ではそのトンネルを水源地や公園として活用して、中には歩道が整備されていて、奥には流れ出る水玉が落ちたり登ったりと不思議な動きをするウォーターパールがある高森湧き水トンネル公園を訪れる。

再度阿蘇山山頂に向かい。隋書倭國伝にもその名が見える、世界有数の活火山。硫黄の匂いが立ちこめ、南北約1km、東西約400m、周囲約4kmの火口が噴煙を上げる様を間近に見ることができ、活火山だけに、周囲には退避壕が点在する阿蘇中岳噴火口を散策する。

世界の火山や阿蘇の自然を紹介している博物館。中岳火口に設置した2台のテレビカメラを手元のボタンで操作しながら、火口の様子を見ることができる。幅30m、高さ4mの5面マルチスクリーンで阿蘇の大自然も楽しめる阿蘇火山博物館を見学。

下山し北に向かう。
流出した溶岩によってできた峡谷。5月上旬から中旬にかけて約5万株のミヤマキリシマがいっせいに花開く。地名もその花の香に仙人さえ酔ったという伝説にちなんでいる仙酔峡を訪れる。

日本全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社。創建紀元前281年と伝えられ、現宮司は91代目という。楼門や神殿など多くの伽藍が国の重要文化財に指定。境内の松は縁結びの松とよばれ、良縁に恵まれるといわれている阿蘇神社を訪れる。

阿蘇山から国道212号を北上したところにある外輪山の最高峰。標高936mの展望台から眺める阿蘇五岳が連なる姿を一望できる大観峰を訪れましたが、この頃から雨風が強くなり視界も悪くなり遠方を眺望することは出来ませんでした。

日本の名水100選に選定される湧水で、九重連山を源として毎分30トンという豊富な水量に恵まれ、また上質な水は多くの観光客と水汲み客で賑わうメジャースポットである池山水源 を散策する。
近くのお食事処山の里で阿蘇の名物あか牛ステーキを頂く。

黒川温泉の西に位置し、熊本緑の百景第1位に選ばれた標高1000mの位置に広がる草原。四季折々に行われる野焼き、放牧などのんびりとした風景を楽しむことができる瀬の本高原を訪れましたが視界が悪く、360度のパノラマ眺望は残念ながら見ることが出来ませんでした。

黒川温泉や田の原温泉を流れてきた田の原川と小田温泉を流れてきた小田川が合流する地点にあり、田の原川の滝が男滝(高さ15m)で小田川の滝が女滝(高さ12m)です。ここで2つの川は合流し田の原川1本となり、下流で筑後川となり、そして有明海に注ぎます。この2つの滝、夫婦滝を訪れました。

逆三角形のユニークな外観、小国町の情報発信スポット特産物を取り揃えた販売所や休憩所、ギャラリー等を設置。イベント・温泉・観光・のレジャー情報のほか小国町のさまざまな情報を提供しています。「道の駅」とは、休憩のためのパーキングであるとともに、その地域の文化や歴史、名所や特物などの魅力を紹介する情報発信の場、道の駅小国ゆうステーションを訪れる。
西の菊池方面に向かい、阿蘇外輪山から湧き出る地下水が4kmにわたって造り出した渓谷。名勝竜ケ淵、四十三万滝や遊歩道、森林広場、50種類以上の野鳥の観察ができる野鳥の森などがある。渓流沿いには九州自然歩道があり、渓流歩きを楽しめる菊池渓谷を散策する。

山鹿市から南阿蘇へと通じる国道325号沿いにあり、3つのメロンの屋根が目印で、館内には地元の農産物がずらり。中でも「光センサー」による糖度検査をパスしたメロンが自慢です。他にもメロンのうまみを凝縮したメロンゼリー、メロンパン、メロンヨーグルト等の加工品も豊富で、色々な加工品が店内に所狭しと陳列されています道の駅 七城メロンドームを訪れる。

泗水町のシンボル、中国の儒教家・孔子の生誕の地である中国泗水県にちなんで命名されたもの。園内は中国宮廷建築を取り入れた、回廊・万亭・展示館や資料館などの建築物が並ぶ中国文化と孔子思想のテーマパーク孔子公園を訪れる。

17:00熊本空港に向かう。
17:30熊本空港到達。
18:25熊本空港出発。
19:30伊丹空港到達。

今回の旅行、商業、文化、観光の中枢を担う都市、市内には肥後藩主の居城だった熊本城が構える一方、シティホテルや大型デパートが連なり、馬肉料理、辛子れんこん、いきなり団子などの郷土色の濃い食文化も特徴的な熊本タウン、熊本県東部に位置し、東西約18km、南北約25kmにおよぶ世界最大級の阿蘇カルデラを中心としたエリア、一帯には阿蘇五岳を筆頭に雄大な自然景勝地が展開する阿蘇エリア観光満喫しました。

しかし当日天気予報は芳しくなく雨で強風とのことでしたが、阿蘇の主要な観光名所は早朝に訪れ雨もまだ降らず十分な阿蘇の広大な景観を望み味わうことが出来ました。
雨の多い阿蘇、水の豊富なエリアでも有り、多くの水源、滝が存し、雨が降ってからの昼からの観光は雨天のときの方が迫力のある渓谷、湧き水水源、滝を見ことが出来ました。
随時天候に合った名所を選んで訪れたのは賢明だったのかも知れませんね。

又食文化も有名な熊本、名産の馬肉料理、辛子れんこん、いきなり団子、赤牛ステーキをしっかり頂き、堪能した日々を送ることが出来ました。



















由良川カヌー
2009年5月10日


京都府北部を流れる一級水系本流、京都府北部、丹波高地の三国岳(標高959m)に源を発し、南丹市から西流、途中綾部市などを流れ、福知山市で徐々に北東へと流れを転じ、舞鶴市宮津市の境界をなして若狭湾中の栗田湾に注ぐ由良川に足を運びました。

8:00大阪駅出発、車で阪神中国舞鶴自動車道経由して福知山インター下車
10:00福知山駅付近の音無瀬橋到達、準備して
12:00音無瀬橋下からスタート、2級までの瀬が8箇所有るが比較的川は穏やか、川の流れはそこそこ、途中河川敷で持参したお弁当で昼食休憩
16:00大雲橋でゴール。

今回のカヌーイベント、京都北部の由良川に足を運び、福知山駅付近の音無瀬橋から大雲橋までの15kmを4時間で下り終えました。

天候は快晴、気温も高く、水位も有り、流れも適度、絶好の川くだりでした。

これから水温も暖かくなります。
遠方の瀬のグレードが高い川をチャレンジしていきたいと思います。

滋賀彦根観光
2009年5月9日


今回は滋賀県の湖東にある江戸時代は旧彦根藩主井伊家35万石の城下町、近世は湖東地域の経済や文化の中心的存として発展した彦根に足を運びました。

12:30車で出発、近畿名神自動車道経由して彦根インター下車
14:00 1811年(文化8)、彦根藩第11代藩主・井伊直中が建立した寺、羅漢堂に並ぶ五百羅漢は京都の名工駒井朝運作で、会いたい人の面影が必ず見つかるといわれる天寧寺(五百羅漢)を訪れる。

遠州井伊谷から移された井伊家歴代藩主の菩提寺。白砂の上に48の石を配置した枯山水の「ふだらくの庭」をはじめとした名庭で名高く、樹齢の400年の沙羅の古木もある龍潭寺を訪れる。

俳句をテーマにした資料館、大正時代の建物を改築した館内では、俳句に関する展示のほか、彦根の歴史や観光も紹介する俳遊館を見学する。

彦根藩の政庁であった表御殿を、発掘調査をもとに復元した博物館。能舞台や茶室、藩主の居間のほか、庭園の樹木までも遺構や古絵図から再現した。井伊家伝来の大名道具約6万5000点を順次展示している彦根城博物館を見学。

彦根藩・井伊家三十五万石の居城。1622年(元和8)、井伊直継・直孝によって、約20年の歳月をかけ完成。琵琶湖から直接引き込んだ堀をめぐらし、小高い山に立つ。3重3層の天守(国宝)を中心に、長浜城から移築された天秤櫓(重要文化財)、城内の合図のための太鼓が置かれていた太鼓門櫓(重要文化財)、近江八景を模した庭園の玄宮園など見どころが数多く残るり、天守の内部は見学可で最上層からは琵琶湖が一望の下に見渡せる彦根城を訪れる。

彦根城の北東にある池泉回遊式庭園。1677年(延宝5)、彦根藩4代藩主の井伊直興が造営した。池を中心に中の島や入江に架かる6つの橋など、変化に富んだ趣が楽しめる玄宮園を散策する。

江戸時代の城下の町並みを再現し、建物を白壁・いぶし瓦・格子戸などモノトーンの世界に統一し、江戸期の風情ただよう新名所となっている夢京橋キャッスルロードを散策する。

17:00観光終了、彦根駅前の居酒屋で食事を済ませてから帰路に向かう。

今回は近場の滋賀湖東にある世界遺産に推奨されている彦根城のある城下町、彦根の歴史的建造物を訪れました。
天候、快晴、絶好の観光日和とゴールデンウイークの最週末、又井伊直弼が日米修好通商条約を結んで150年の節目に当たるため新たな観光事業が企画されて、江戸時代の城下町を再現した夢京橋キャッスルロード、大正モダンをコンセプトにした四番町スクエアなどエリアが充実しかなり賑わっていました。

近場の名所巡り、京都、奈良だけでなく、これから滋賀、三重、和歌山をも攻めてみたいと思います。



飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十九弾:スペイン観光
2009年4月29日ー5月6日

今回はイベリア半島のほぼ80%を占め、北はピレネー山脈を隔ててフランスと接し、南は地中海を挟んでアフリカと向かい合い、古くから多くの民族が侵入し盛衰を繰り返してきたが、なかでも800年にわたってイベリア半島の大部分を支配したイスラム教徒が大きな影響を残し、さまざまな民族と文化が錯綜し、又地方によって風土や気候が異なり多彩な個性で訪れる人を魅了するスペインに足をはこびました。

スペイン小史

BC10世紀頃からAD8世紀頃までにさまざまな民族が侵入し、その結果、人種的交わりと もたらされた各々の文化遺産は、スペインに絶大な影響を残す。
フェニキア人(BC10世紀頃)が南スペインに入り、現在のカディスを建設します。
ギリシャ人(BC6世紀)はアンブリアスを建設。
カルタゴ人(BC3〜2世紀)はカルタヘナに植民地を築く。
ローマ帝国(BC3世紀〜AD1世紀)の過ぎ去りし栄光はメリダやイタリカで確認できる。
西ゴート王国(5〜7世紀)は首都を卜レドに置きました。
アラブ人(8〜15世紀)はイスラム文化の結晶をグラナダ、コルドバほか、スペインのいたる所に残しています。


スペイン統一は1492年イサベルとフェルナンド・カトリック両王によって成されました。
同年コロンブスは新大陸を発見し、これを契機にスペインはめざましい繁栄の時代に入ります。
ハプスブルグ王家のカルロス5世とフェリペ2世の時代が絶頂期で、世界の海を制する大帝国にまでなりました。しかし1588年の無敵艦隊の敗北後、国力は急速に衰退していきました。
18世紀にはブルボン王家の統政下に入りますが、1808年のナポレオン軍の侵入の際は民衆あげての抵抗を示しました。
19世紀には新大陸の植民地の全てを失ってしまいます。
スペイン内戦(1936〜1939)後、40年近くもの間フランコ政権の独裁が続きます。彼の死後フアン・カルロス1世が元首となり、立憲君主制のもと、スペインの民主化は着実に根を下ろし、現在に至っています。


4月29日11:05関西国際空港KLMオランダ航空で出発
15:40(時差7時間)アムステルダム空港着
17:20アムステルダム空港出発
19:30バルセロナ着、宿泊

30日8:30バスで出発、スペイン第二の都市(人口170万人)、紀元前6世紀頃ギリシャ系フォセオ人により築かれたとされ、のちのカルタゴ、ローマの植民地時代を経て、地中海貿易の拠点として大いに発展したバルセロナ観光。

聖母マリアの夫ヨセフに帰依する「サン・ホセ帰依者協会」の本堂として、1882年に着工。その翌年に初代建築家ビリャールが辞任すると、弱冠31歳のガウディがあとを引き継ぎ、1926年に亡くなるまで43年間の人生をすべてこの聖堂に費やし、着工から120年以上経つ現在も建設が続けられており、最終的には合計18本の塔がそびえる予定のサグラダ・ファミリア聖堂を見学。

市街を見下ろす山の手にあるこの場所は、宅地として造成されたが売れずに失敗し、公園として生まれ変わり、ガウディがデザインした破砕タイルのベンチ、トカゲの噴水、門衛館など奇妙な作品が多いが、周りの自然と調和して独特な雰囲気を醸し出して、敷地内にはガウディ邸があり、現在はガウディ博物館として公開されているグエル公園を散策する。

石を積み上げたような独特の形状から、別名「ラ・ペドレラ(石切り場)」と呼ばれ、この集合住宅は山をテーマに造られ、屋上の煙突は山の尾根から突き出た連峰を表している。建物の最上階は、エスパイ・ガウディというガウディ建築に関する博物館になっており、写真や模型などが展示されているほか、屋上テラスも見学できるカサミラを訪れる。

スペイン南部のマラガに生まれたピカソは、青年時代をバルセロナで過ごした。その頃描かれた油彩やデッサンを所蔵しており、ピカソのルーツを探ることができる貴重な美術館。また晩年の作品や版画なども展示され、常に変わり続ける天才画家の軌跡をたどることができるピカソ美術館を見学。

資産家パウ・ジルの遺言に添い、「芸術には人を癒す力がある」と考えたドメネクによって建てられた総合病院。14.5ヘクタールという広大な敷地に、48棟の建物が並ぶ。病棟にはムデハル様式を採用し、至る所にモザイクタイルやステンドグラスを施すなど、病院全体が装飾的要素で満たされているサン・パウ病院を訪れる。

昼食は本場スペイン風炊き込みご飯、パエリアを食べてからローマ時代のイベリア半島は3地方に分割され、セビーヤを中心としたベティカ地方、メリダを中心としたルシタニア地方、それにタラゴナを中心にしたタラコネンセ地方。そのタラコネンセ地方の首都は重要な要衝で、イベリア半島最大の地方首都へと発展し、他の地方都市のモデルともなりましたタラコ(現 タラゴナ)に向かう。

紀元前2世紀のローマ時代に建設され、高さ26m、全長217m、セゴビアの水道橋に次ぐ規模で知られる二層アーチ式の水道橋、別名「悪魔の橋」とも呼ばれ、現在水路は徒歩で歩くことができるラス・ファレラス水道橋を訪れる。


地中海沿岸を南下しバレンシアに向かい宿泊。

5月1日8:00バスでマドリッドから一番近いビーチリゾートとして親しまれ第三の都市で工業も農業も盛んで有名なバレンシアオレンジ、アルブフェラ湖周辺には、まるで日本のような水田風景が広がり、スペインの代表として知られるパエリャ料理も生まれたバレンシアを観光。

13世紀から15世紀にかけて建設されたゴシック建築で、バロックとロマネスクの様式も混じっているカテドラルを見学。 カテドラルの角にある塔、ミゲレテの塔を望む。

「絹の交易所」の意でイスラム王宮跡に商品取引所として建てられ建てられ世界遺産に登録されているラ・ロンハを見学。

アンダルシア方面に向かう。
途中、広大な赤土の大地に広がるブドウ畑、青い空をバックに並ぶ白い風車、こんなスペインらしい風景に出会いにドン・キホーテの舞台となったラ・マンチャ地方を訪れ散策する。

19:30グラダナ到達、宿泊

5月2日イ8:00バスでイベリア半島におけるイスラム支配終焉の地、有名なアルハンブラ宮殿をはじめ、アラブ文化の名残を色濃く留めているグラダナを観光する。

1238年にグラナダ王国を建国したナスル朝初代王アル・アフマールによって建設が始められ、歴代の王たちの手を経て15世紀に完成。イベリア半島におけるイスラム教徒最後の砦として栄華を誇った。しかし1492年カトリック両王によって陥落、800年にわたるレコンキスタ(国土回復運動)は完了したアルハンブラ宮殿を散策する。

アンダルシアの中でも地中海を望むイベリア半島の南、山の中腹に位置しオレンジ色の屋根と白い家が印象的な青い空が似合うかわいい村、ミハスを散策する。

ロンダ山地を流れるグアダレビアン川の浸食によってできた深い峡谷、この峡谷に架けられた石の橋「ヌエボ橋」は、町のシンボル。町は谷を挟んで旧市街と新市街に分かれ、川の浸食による険しい峡谷のある新旧の街並みが楽しめる町、ロンダを散策する。

アンダルシア地方最大の街、セビーリャに向かい、宿泊。

5月3日9:00バスで出発。ビゼーの「カルメン」、ロッシーニの「セビーリャの理髪師」の舞台となった町、スペイン美術史に輝く、ベラスケス、ムリーリョなど、バロックの巨匠を生んだ町であるセビーリャ観光。

かつてサン・テルモ宮殿の一部だったマリア・ルイサ公園内にある。1929年のイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られたもので、半円形の広場を囲む建物には市庁舎や軍部が置かれている。アーチの下に並ぶベンチを飾るのは、スペイン各地方の58の歴史を描いた絵タイル。市民の憩いの場となっており、池ではボートに乗ることもできるスペイン広場を散策する。

イスラム時代の城を、レコンキスタ後にキリスト教の王たちが改築。なかでもペドロ王の宮殿は、グラナダのアルハンブラ宮殿を模倣して14世紀に建造されたもので、漆喰細工を駆使した乙女のパティオ、ヒマラヤ杉の円形天井を戴く大使の間はムデハル様式の傑作なアルカサルを見学。

スペイン最大のカテドラルで、世界でも3番目の規模を誇る。15世紀にモスクの跡地に建てられたもので、内部の礼拝堂や合唱壇、コロンブスの墓など見どころが多い。隣接して建っているヒラルダの塔はセビーリャのシンボル。高さ70mの展望台からは町が一望できるカテドラルを訪れる。

中世の時代、ヨーロッパのイスラム世界の中心地として栄え、当時の栄華を物語るメスキータは町のシンボルのコルドバを観光。

後ウマイヤ朝を開いたアブデ・ラーマン1世によって、8世紀に建設されたモスク。その後3度にわたって拡張され、レコンキスタ後の16世紀にはキリスト教の大聖堂に改装された。ほの暗い堂内は、赤と白の馬蹄形アーチが連なり、独特な雰囲気を醸し出しているメスキータを訪れる。

メスキータの北、細い通りが迷路のように入り組んだ地区。コルドバの町を象徴する花の小道もこの一角にあり、路地の両側には白壁の家が建ち並び、花の小鉢が飾られている。かつてコルドバ・カリフ帝国時代に多くのユダヤ人が住んでいたが、レコンキスタ終了後のユダヤ人追放令によって姿を消した。この地区の西側にはシナゴガ(ユダヤ教会)が残り、その向かいには闘牛博物館が建つユダヤ人街を散策する。

1992年のセビリア万博に合わせてマドリードとセビリア間に建設された高速鉄道。最高速度は時速300キロ。同年に定期運行を開始、平均時速250キロで、在来線で7時間以上かかっていた両都市間を約2時間半で走るスペイン新幹線AVE でコルドバからマドリッドに向かう。

マドリッド到着後食事を済ませてから
22:30ホテル到達、宿泊

5月4日9:00バスでスペインの首都人口約300万人、標高650m、イベリア半島のほぼ中央に位置し、政治、経済、文化の中心であるとともに、新旧コントラストのある観光都市で、石畳の一つ一つから人々の歴史と生活のぬくもりが伝わってくる旧市街がある一方で、高層ビルが立ち並ぶ「カスティーヤーナ大通りのマンハッタン」と呼ばれる近代的な新市街があります。9世紀、スペインの歴史に大きな影響を及ぼしたアラブ人は現在のマドリッド王宮の場所に砦を築き、これがマヘリット(アラビア語で「砦」)マドリッド の始まりとされています。キリスト教徒軍による国土回復戦争最中の1083年、カスティーヤ王アルフォンソ6世はその砦を占領し、アラブ本拠地のトレドへの攻略に備え、その後1561年、カルロス5世を継いだフェリペ2世は、宮廷をトレドから移し、以来スペインの首都として今日に至っていますマドリッドを観光。

マンサナーレス川を見下ろす白亜の城、バロックやロココ様式の調度品で飾られ、美しさと規模にかけては世界有数の王宮として知られるマドリッド王宮を訪れる。

17世紀に活躍したスペインの文豪、セルバンテスを記念して1930年に造られた。マドリッドの目抜き通り、グラン・ビアの終点に位置し、周囲にはスペイン・ビルやマドリッド・タワーなど20世紀中頃に造られたビルが建っている。広場の中央にはセルバンテスのモニュメント、その前には小説の主人公ドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの像があるスペイン広場を訪れる。

フェリペ3世の命によって17世紀に造られた、マドリッドを代表する広場のひとつ。約100m四方、周りを4階建ての建物に囲まれ、9つのアーチで外に通じている。過去3回火災に遭い、今の形になったのは1953年のこと。かつては、歴史の舞台として王家の儀式、闘牛や数々の祭り、宗教裁判の焚刑などが行われていたが、現在では飲んで陽気に歌う庶民のにぎやかな光景があるマヨール広場を訪れる。
 
20世紀のモダンアートを集めた美術館。ピカソの代表作である『ゲルニカ』が展示されていることで知られる。また、ダリ、ミロ、フアン・グリス、タピエスといった巨匠たちの作品のほか、シュールレアリスム、ポップアートなど、あらゆるジャンルの現代美術を観ることができるソフィア王妃芸術センター を見学。

三方をタホ川に囲まれた、小高い丘の上に建つ町。西ゴート、イスラム、ユダヤ、キリストなどさまざまな文化が交錯し、各時代の建築物が残る。なかでもこの町のカテドラルは、スペインカトリックの総本山的な存在で、ゴシック様式と宗教芸術の最高傑作だ。狭い坂道が迷路のように入り組み、画家エル・グレコが愛した情緒あふれる中世の町並みが息づいているトレドを観光する。

マドリッドに戻り食事をしながらフラメンコディナーショウを味わう。
ホテル到達、宿泊

5月5日8:00出発
10:30KLMアムステルダム航空でマドリッド出発、アムステルダム乗継で
13:05アムステルダム到達、アムステルダム乗継で
15:40アムステルダム出発
5月6日9:35関西国際空港到達。

初めてのスペイン旅行、主要な観光地を網羅したハイライトツアーコース。

サグラダ・ファミリア聖堂をはじめとするガウディの建築が町を彩るバルセロナ、又この地はダリ、ミロ、ピカソなどを多くの芸術家たちを生み出し、1年を通して温暖な地中海性気候で地中海に面したリゾート地、バレンンシア。

青い空、光り輝く太陽、白壁の家、そして闘牛とフラメンコの故郷、私たちが思い描くスペインのイメージを最もよく表し、イスラム文化の影響が色濃く残り、グラダナのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータ、セビーリャのヒラルダの塔など、イスラム時代のモニュメントが多いアンダルシア。

スペインの中央にはメセタと呼ばれる標高約800mの台地が広がり、その中心に位置するのが1561年に首都に定められたマドリッド、メタセの南半分は世界有数のブドウの産地として知られるカスティーリャ・ラ・マンチャ、古都トレドやドン・キホ−テの舞台となった風車の町が点在する。

8日間でスペインの主要な観光地を制覇しました。
出発前日、新型インフルエンザで懸念された海外旅行、当日は感染は問題なく、天候も全日ほぼ快晴の絶好の観光日和となり快適な旅行を味わうことが出来ました。

世界遺産はイタリアに次いで2番目に多いスペイン、歴史的建造物を目のあたりにして、新鮮でこの国においても数多くの新たな発見を抱きました。
特にスペインは古くからイスラム、ローマ、多くの民族が侵入して多彩な文化を築き上げたのは驚くばかりです。

まだまだ極一部分しか理解できていないスペイン文明、何回もおとずれないとわからない奥深い歴史、スペインの歴史書を数多く読み勉強したくなる歴史文明観光旅行でした。

















紀ノ川カヌー
2009年4月26日


今回は奈良県および和歌山県を流れる一級水系本流、奈良県内では吉野川と呼ばれ、和歌山県内では紀ノ川呼ばれる川の和歌山水域の紀ノ川をカヌーで下りました。

8:00大阪駅集合出発、天候曇り、風強く、気温低い、阪神高速経由して高野口九度山橋下の紀ノ川河川敷に到達。準備して
11:30スタート。
途中、1−2級の瀬が6箇所有り、危険な場所も無く快適に下ることが出来ました。
高野参詣大橋、三谷橋、かつらぎ橋、大門口大橋、大門口橋通過して道の駅紀ノ川万葉の里でゴール。
10km、3時間で下り終えました。あとかたずけして
16:30終了
17:00近くの温泉に浸かり、食事を済ませて
19:00出発
20:10大阪駅到達、解散

今シーズン最初の川下り、まだ水温も低いし比較的緩やかな沈しにくい川、近場の紀ノ川を選びましたが、当日、曇りで気温が低く14度、日中になっても気温が上がらず、まして向かい風が強く、寒さを堪え、向かい風に逆らいながらしっかりパドルを漕ぎ、緩やかな川でしたが結構ハードな川くだりでした。





大阪羽曳野&藤井寺史跡・古墳巡り
2009年4月25日


今回は近場の大阪羽曳野・藤井寺の古市古墳群とその近辺の史跡に足を運びました。
13:00羽曳野古市に到達、天候小雨。

559年の創建と伝わり、応神天皇を祭り、日本最古の八幡宮といわれる、朝廷・幕府からの庇護も厚く、武神として崇められ、現在の社殿は豊臣秀頼による再建の誉田八幡宮を訪れる。

全長420m。長さは仁徳天皇陵についで2位の前方後円墳で、その体積は仁徳天皇陵を凌いで国内最大を誇る応神天皇恵我藻伏崗陵を訪れる。

藤井寺方面に向かい947年(天暦元)の創建で、学問の神・菅原道真公を祭っている道明寺天満宮を訪れる。

本尊の十一面先手観音像は菅原道真の作と伝えられ、国宝に指定されている道明寺を訪れる。

古室山古墳、応神天皇恵我藻伏崗陵より古く、4世紀後半造営という説の仲ツ山古墳を訪れる。

西に向かい、津堂城山古墳、雄略天皇陵を訪れ、源頼朝の近くにあって功を重ねた武将・佐々木高綱の子孫で、江戸中期には18カ村の大庄屋を務めている。1615年(元和元)の大坂夏の陣の直後に創建された住宅(重要文化財)は、桃山時代の書院造りの建築様式を一部に留める代表的な豪農の建物である。5280平方m(約1600坪)の敷地には、主屋、長屋門、土蔵などがある吉村家住宅を訪れる。

市立綾南の森総合センター古墳の資料展示を見学する。

東に向かい仲哀天皇陵、藤井寺の地名の起源になった古刹、西国三十三カ所第5番札所、百済の辰孫王の子孫である、葛井連の氏寺として創建。我が国最多の1043本の手をもつ、本尊の千手千眼観音菩薩坐像は国宝に指定されている葛井寺を訪れる。

市立生涯学習センターの古代資料館や歴史展示室を見学する。

聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられる飛鳥時代の寺。俗に「中の太子」と呼ばれ、河内三太子のひとつに数えられる。建物は法隆寺式伽藍配置だが兵火に襲われ、現在の本堂は江戸初期に再建された野中寺を訪れる。

17:00終了。

今回の史跡巡り、竹内、東高野街道をしばらく行くと、誉田山古墳(応神陵)や古室山古墳など大小の古墳群が点々と存在し、藤井寺市に入り道明寺天満宮、大水川に沿って先を進み、津堂城山古墳や吉村家住宅(重文)、岡ミサンザイ古墳(仲哀陵)を巡る。

モダンな外観の市立生涯学習センター、西国三十三ヶ所霊場の葛井寺、聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられる野中寺を訪れ、世紀中頃から7世紀末にかけて,奈良・大阪や岡山・群馬など日本各地(北海道・東北一部・南西諸島を除く)で多くの古墳が築造され、現在,ほとんどの古墳には木や草が茂り,山のように見える。しかし,築造当時は石室に土が盛られ,その周りに石が葺かれ,埴輪が並べて置かれた人工の山であり、さが100mを超える巨大古墳が多く存在する、それらのほとんどは前方後円墳で,今回の羽曳野・藤井寺の古墳群、堺の中百舌鳥古墳群、昔の権力者の偉大さを感じさせられる史跡巡りでした。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十八弾:茨城県水戸&袋田&北茨城&大洗観光
2009年4月18−19日


今回は茨城県の県庁所在地でもあり、梅で有名な偕楽園や弘道館など、水戸徳川家ゆかりの史跡や名所が残る水戸、関東最古の焼き物の街、笠間、日本三大名瀑の一つ、袋田の滝のある袋田エリア、六角堂で有名な五浦海岸や磯原海岸のシンボル、二ツ島など県内屈指の景勝地、北茨城、迫力のある海の世界を実感できるアクアワールドのある大洗に足を運びました。

18日13:00新大阪駅新幹線のぞみで出発
15:36東京駅到達、山手線で上野に向かう
16:00常磐線上野駅から特急スーパーひたちで出発
17:02水戸駅到達、水戸駅北口に水戸黄門の名で知られる水戸2代藩主徳川光圀公の銅像を訪れてからレンタカーで水戸タウン観光巡り。

桜並木の遊歩道に囲まれた周囲約3kmの湖、湖面には白鳥や水鳥が優雅に泳ぐ姿が見られる千波湖を中心とする一帯の千波公園を散策する。
金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つ。1842年(天保13)、徳川斉昭によって造園され、民と偕に楽しむ場にしたいという願いから偕楽園と名付けられ、12.7万平方mの広々とした園内には、100種3000本の梅が植えられている偕楽園を散策する。

第9代藩主・徳川斉昭により創建された水戸藩の藩校、儒学や武道をはじめ医学、音楽、天文学など幅広い教育を行い、藩士子弟に文武両道の修練を積ませていた当時の藩校としては最大規模で、第15代将軍・徳川慶喜もここで学んだ弘道館と近くの水戸城跡を散策する。

水戸駅の近くのホテルに到達後市街地を散策して食事を済ませてから宿に就く。

19日6:00レンタカーで出発、天候快晴、絶好の観光日和、北の袋田方面に向かう。

久慈川の支流、大生瀬川に位置する落差17m、幅12mの滝でせり出した岩場から流れ落ちているので、滝の裏側からも鑑賞できる月待の滝を訪れる。
華厳の滝、那智の滝と並ぶ日本三大名瀑の一つで久慈川の支流・滝川にかかる落差120m、幅73mの滝で、四段に流れ落ちることから別名四度の滝という袋田の滝を訪れる。

東に向かい太平洋側の高萩方面に向かう。
花貫川沿いに、名馬里賀ケ淵・不動滝・汐見滝吊り橋などの奇勝が続く花貫渓谷を散策する。

江戸時代中期ごろに建てられた豪農の住宅で主門、長屋門、前蔵、衣装蔵、庭園からなり、この主屋や庭園は、江戸時代の屋敷絵図にもほぼ現状の姿で描かれており、江戸時代中期の豪農住宅を知るうえで貴重な文化遺産となっている穂積家住宅を訪れる。

北方の北茨城方面に向かう。
1階は童謡『赤い靴』『七つの子』『兎のダンス』などで知られる、詩人野口雨情の書や手紙などを展示する記念館、2階では北茨城市の歴史・民俗資料を展示し、石炭産業から現代産業に至るまでの変遷を紹介している北茨城市歴史民俗資料館・野口雨情記念館を見学。
明治時代に立てられた、2階建ての屋敷、磯原の海を望む抜群の立地で、県の文化財に指定されている野口雨情生家・野口雨情生家資料館を見学。

太平洋の荒波に侵食されできた大小5つの入江が連なり、高さ50mの断崖絶壁が続き、岡倉天心が愛した地としても知られ、日本の渚百景にも選ばれている六角堂や茨城県天心記念五浦美術館がある五浦海岸を散策。

岡倉天心が活動の拠点とした、五浦海岸に立つ施設、明治時代、東京美術学校(現東京芸術大学)の校長として横山大観や下村観山を育て、日本美術院を設立、その天心に関する資料や弟子たちの作品をはじめ、近代日本画などを展示している茨城県天心記念五浦美術館を見学。

南西の笠間方面に向かう。
陶芸美術館、窯業指導所などからなる笠間芸術の森公園内の施設、笠間焼の人間国宝松井康成の作品展示室をはじめ、幅広く作家の作品を集めたショップ、カフェなどの施設があり、陶芸体験21もできる笠間工芸の丘を散策する。

笠間芸術の公園内にある、陶芸専門の美術館、日本の近現代陶芸界で優れた業績を残した文化勲章受章者、人間国宝の作品を常設展示する茨城県陶芸美術館を見学。

銀座・日動画廊の創始者、長谷川仁・林子夫妻のコレクションを基に展示、安井曾太郎、梅原龍三郎ら国内の代表的画家、モネ・ゴッホ・ピカソほか海外の印象派など収蔵作品は約2000点、東郷青児ら、画家が制作時に使用していたパレットのコレクションが興味深い笠間日動美術館を見学。

五穀豊穣、商売繁盛の神として広く信仰を集める神社、創建は651年と伝えられ、京都の伏見稲荷や九州の祐徳稲荷と並び称される笠間稲荷神社を訪れる。

東の大洗方面に向かう。
60の水槽に580種類6万8000匹が泳ぎ、中でもマンボウ専用の巨大水槽と約50種類のサメの展示は日本一を誇るアクアワールド大洗を見学。

幕末から明治にかけての激動の時代を生き抜いた人々をビデオやジオラマ、展示品などで紹介、明治天皇をはじめ、坂本龍馬、勝海舟らの遺品も見られる幕末と明治の博物館を見学。

856年(斉衡3)創建、大己貴命・小彦名命を祀り、古くから医薬の大神、幸福を授け良縁を与える神として信仰されている大洗磯前神社を訪れる。

高さ60メートルの展望室からは、眼下に太平洋をはじめ、遠くには富士山や筑波山という絶景が望める大洗マリンタワーを訪れる。

水戸方面に向かう。
17:00水戸駅到達、食事を済ませてから
18:27常磐線特急スーパーヒタチで出発
19:30上野駅到達、京浜東北線で東京に向かう。
19:57新幹線のぞみで東京駅出発
22:30新大阪駅到達


今回の旅行、関西の方はあまり訪れない茨城県、飛行場も無く、関西からは新幹線、常磐線を乗りついてほぼ4時間かかる関西からは遠方の茨城県、県庁所在地でもあり、梅で有名な偕楽園や弘道館など、水戸徳川家ゆかりの史跡や名所が残る水戸、関東最古の焼き物の街、笠間、水戸から北部のエリアである日本三大名瀑の一つ、袋田の滝のある袋田エリア、六角堂で有名な五浦海岸や磯原海岸のシンボル、二ツ島など県内屈指の景勝地、北茨城、迫力のある海の世界を実感できるアクアワールドのある大洗をドライブ観光で茨城中部から北部エリアをほぼ制覇しました。

東京の近辺にもかかわらず水戸の市街地は町としてはあまり大きくなく、人もまばら、繁華街での人並みも少なく、郊外も道路は整備されているが車は少なくのんびりドライブを楽しむことが出来ました。東京近郊の田舎風を味わうのはいいエリアかもしれませんね。

次回は南部の筑波、潮来、鹿嶋、、結城エリアを攻めてみたいと思います。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十七弾:静岡&清水&焼津&大井川観光
2009年4月11−12日


今回は徳川家康ゆかりの駿府公園やB級グルメの代表格静岡おでんで有名な静岡タウン、日本平など海を望めるスポットが目白押しの清水、遠州灘の雄大な自然を満喫でき日本の夕日百選に選ばれた御前崎、SL列車で旅を満喫できる大井川エリアに足を運びました。

11日13:40新大阪、新幹線ひかりで出発
15:30静岡駅到達、静岡タウン散策

静岡新聞社の創設者、大石光之助氏が集めたコレクションを展示する博物館、近代日本画を代表する橋本雅邦、横山大観、川合玉堂、伊東深水などの作品のほか、徳川家康や勝海舟の書などを収蔵する駿府博物館を見学。

家康の居城として造られた、駿府城跡を整備した市民公園、堀に囲まれた広い園内には、家康の銅像や家康の手植えといわれるミカンの木などがあり、城の面影を伝える東御門、木造2層3階建ての巽櫓も復元、4つの回遊式庭園が美しい紅葉山庭園が存する駿府公園を散策する。

神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の3神社の総称、家康が14歳の時に元服した神社として知られる静岡浅間神社を散策する。

静岡一の繁華街として、明治から大正にかけて七ぶらとよばれ親しまれてきた七ぶらシネマ通りを散策する。

静岡駅の南側に位置するホテルに到達後、静岡駅南側のタウンを散策して食事を済ませてから宿に就く。

12日6:00レンタカーで出発、天候晴れ、北方面の秘境梅ヶ島、大井川方面に向かう。

元禄年間に梅ケ島、コンヤ温泉の西にそびえる大谷嶺の山崩れの際、安倍川が堰き止められてできた滝、崩落時、赤く染まった水が流れたことから名付けられた赤水の滝を訪れる。

井川方面に向かう。
1957年(昭和32)、井川ダムの完成によってできた人造湖、東西2km、南北10km、堰堤をはさみ、湖の反対側は切り立った山肌が谷底まで続く井川湖を訪れる。

南に下り御前崎方面に向かう。
中部電力浜岡原子力発電所の敷地内にあり、高さ22mの実物大原子炉模型をはじめ、直径18mのドーム状スクリーンでの大迫力オムニマックスシアターが楽しめる浜岡原子力館を見学。

御前崎から天竜川河口まで30km続く遠州大砂丘のなかでも、最も雄大なのが浜岡砂丘を散策する。
御前崎沖合を行き交う船の安全を守るために設置された灯台、1635年(寛永12)に常夜灯台が置かれたのが始まりで、その後、イギリス人技師ブラントンの指導によって1874年(明治7)に現在の西洋式灯台となって生まれ変わり、高さ17mの展望デッキに上ると、太平洋の大海原が正面に広がり、水平線まで見渡すパノラマは見事な御前埼灯台から眺望する。

東名自動車道経由して静岡、清水方面に向かう。
1943年(昭和18)に発掘された、弥生時代後期(2〜3世紀)の住居跡、高床式倉庫や水路、水田、木製農具なども多数発見され、当時の生活解明に大きく寄与し、一帯は登呂遺跡公園として整備、復元された竪穴式住居や穀物を貯蔵する高床式倉庫、水田跡などが見られる登呂遺跡を散策。

迫力あるシロワニ(サメ)をはじめ350種1万匹を展示する水族館、体長18.5mのピィグミーシロナガスの完全骨格標本があるマリンサイエンスホール、ロボット魚が泳ぐ機械水族館の3つの展示部門で構成。巨大マンタが頭上に大接近の3Dハイビジョンシアター、世界のクマノミを集めたクマノミ水族館、クラゲギャラリーなど、又、全長26mのディプロドクスやトリケラトプスなどの巨大恐竜、マンモスの全身骨格標本計15体が揃う東海大学海洋科学博物館・自然史博物館を見学する。

駿河湾から突き出た半島一体を指し、約7kmの海岸線に松が並び、謡曲「羽衣」にも謡われ、天女が羽衣をかけたという樹齢およそ650年の羽衣の松は見事な三保の松原を散策する。

日本平山頂と、静岡市街を結ぶ道路、一帯は県立自然公園に指定されており自然と眺望が楽しめるドライブコース、日本平パークウェイを通過して標高約307mの山頂から、駿河湾から伊豆半島、富士山、南アルプスと続く大パノラマを眺望。国指定の名勝で、かつて日本観光地100選平原の部1位にも選ばれた日本平山頂を訪れる。

緑に囲まれた高台の美術館。東西の風景画をテーマに、モネやゴーギャン、横山大観などの名品を収蔵・展示。ロダン彫刻32点を常設展示する、国内唯一の美術館としても知られている静岡県立美術館を見学。

16:30静岡駅到達、食事を済ませてから
17:12新幹線ひかりで出発
20:53新大阪到達。

今回の旅行、静岡は富士山周辺エリア、伊豆方面は何回かは訪れたことはありますが、静岡タウン、焼津、清水、御前崎は初めての訪れで、徳川家康ゆかりの駿府公園やB級グルメの代表格静岡おでんで有名な静岡タウン、豊かな自然に触れ合える秘境と呼ばれる梅ヶ島、大井川エリア、遠州灘の雄大な自然を満喫できる御前崎、日本平など海を望めるスポットが目白押しの清水、一泊二日で横長の静岡中央部を巡り無事観光旅行終了いたしました。

次回の静岡旅行、浜松方面を訪れたいと思います。

尚今回天気もよく、比較的視界も保たれており、どこからも富士山を望むことが出来ました。目線をかなり高くしての富士山眺望、あらためて富士山のすばらしさ、壮大スケールの大きさに感心させられた観光旅行でした。









奈良桜井&初瀬&室生観光
2009年4月4日


今回は近場の奈良県、古代大和政権の中心地として栄えた桜井、門前町として発展した初瀬の長谷寺や室生寺に足を運びました。

車で近畿自動車道、阪和自動車道を経由して
13:30室生到達、天候雨、肌寒い。

奈良時代末、興福寺の僧賢憬が東宮(のちの桓武帝)の病気平癒の祈祷の行場としたのが始まり、高野山金剛峰寺が女人禁制だったのに対し、室生寺は女人の参詣を許可、女人高野と呼ばれ、16mの五重塔(国宝)は屋外に立つ古塔としては最小の室生寺を散策する。

室生寺から東に室生川を1kmほどさかのぼった所にある式内社、龍神を祭り、雨乞いの神として知られる。平安時代には朝廷から雨乞いの使者が遣わされたという。社殿は近世以降のもので、1kmほど山中に分け入った所に龍神が住むという穴が口を開ける室生龍穴神社を訪れる。

宇陀川沿いに立つ小寺、役行者が開き、弘法大師が824年(天長元)に堂を建立したと伝わる。対岸の岩壁に線刻された弥勒大磨崖仏は高さ11.5mで国内最大の磨崖仏、鎌倉時代に笠置寺の磨崖仏を模して刻まれたといわれる大野寺を訪れる。

初瀬方面に向かう。
西国霊場第8番札所。686年(朱鳥元)、天武天皇のため、道明上人が銅板法華説相図を西の岡に安置、727年(神亀4)に徳道上人が聖武天皇の命を受け、東の岡に十一面観音像を安置したことに始まり、仁王門をくぐると、399段の石段の登廊が本堂に続き、室町時代作の本尊十一面観音立像(重要文化財)は高さ10mの巨像のある長谷寺を散策する。

桜井方面に向かう。
藤原鎌足の遺骨を摂津国阿威山からこの地に改葬し、長男定慧が木造十三重塔(重要文化財)を建てたのに始まり、弟の不比等が神殿を建て父の像を安置したと伝わる。室町再建の塔は高さ17mで、木造十三重の古塔としては現存唯一の遺構、宝物館を兼ねた拝殿(重要文化財)には僧兵の太刀や薙刀などが展示され、重要文化財も多い談山神社を訪れる。

多武峰山麓の高台にあり、境内からは三輪山や箸墓古墳をはじめ大和盆地を一望でき、712年(和銅5)、藤原鎌足の長男定慧の創建と伝えられ、和辻哲郎が『古寺巡礼』で気高いその姿を絶賛した十一面観音立像(国宝)は、天平彫刻の傑作としてあまりにも有名な聖林寺を訪れる。

645(大化元)年創建の日本三文殊第一霊場として名高い寺、本尊の文殊菩薩は鎌倉時代の大仏師・快慶作の重要文化財で日本最大(7m)、境内文殊池中央に浮かぶ金閣浮御堂は、魔除け・災難除けの願掛け道場となっている安倍文殊院を散策する。

17:00終了。
今回の歴史的建造物巡り、天候は雨でしたが季節柄多くの人が訪れ賑わっていた、奈良県の門前町として栄えた室生の室生寺他、初瀬の長谷寺、古代大和政権の中心地として栄えた桜井の談山寺その他を巡り、このエリアにおいても奈良県の歴史遺産の偉大さを感心させられる歴史学習めぐりでした。

尚桜のシーズンです。今回訪れた奈良県はまだ3分咲きでこれから楽しみです。