1月

信州エコーバレー&車山高原スキー・スノボ
2010年1月31日


今回は信州では大阪からは比較的近い、中央道東部に位置する1450−1850mと、ゲレンデ全体の標高が高く、雪室のよさでは定評があり、谷間にコースが開かれた独特のレイアウトは風の影響が受けにくいのが特徴のエコーバレー、山頂から広がる360度のパノラマと、抜群の晴天率が魅力でベース付近の標高が1500mを超え雪質も申し分ない車山高原に足を運びました。

前日24:00大阪駅集合出発、車で阪神名神中央自動車道経由して諏訪インター下車
5:00エコーバレースキー場到達、仮眠
8:00滑走開始
10:00朝食昼食兼ねて食事を済ませてから
10:30滑走
11:30終了、車山高原に移動
12:00車山高原到達、滑走
13:30終了
14:00近くの音無の湯温泉に浸かり
15:00帰路、途中駒ヶ根サービスエリアで食事を済ませて
20:00大阪駅到達、解散

今回のスキーイベント、信州の中央道東部に多く点在するスキー場エリアの中の比較的ゲレンデ面積が広いエコーバレー、車山高原を訪れ、スキー・スノボ活動してきました。

信州中央道東部エリアのスキー場ははじめての訪れですが関西から比較的近く、半日で十分満足できる広さのスキー場が目白押しです。これから1日で2箇所はしごして攻めていきたいと思います。

今まで100箇所以上のスキー場訪れました。ビッグゲレンデは関西域のスキー場はほぼ制覇しました。これからは関西域の中規模のゲレンデのはしご制覇と東のスキー場、上越、東北方面を徐々にせめて行きます。

なかなか初めての訪れのゲレンデ、わくわくしますね。頑張ります。



和歌山県和歌浦&海南観光
2010年1月27日


今回は近場の和歌山県に足を運び、和歌山市郊外の和歌浦湾周囲、海南の史跡を訪れました。

12:30車で阪神近畿阪和自動車道経由して海南インター下車
13:30海南到達

古代から中世にかけて、熊野三山へ参拝する上皇・天皇が宿泊。法楽にも使った王子の中でも格式の高い五躰王子の一つ、藤白若一王子。現在は藤白神社と名を変えているが、子授け・安産・健康・長寿の神様として今も信仰を集めている。近くには全国の鈴木姓のルーツともなった、鈴木氏の鈴木屋敷がある。熊野古道筋に唯一残る、熊野本地仏千躰が藤白王子権現本堂に祀られている藤白神社を訪れる。

明治から昭和の実業家・新田長次郎の別荘として造園された、約6万平方mにも及ぶ広大な日本庭園。海水を引き入れているため、潮の干満に合わせて水位が変化する池を中心に、茅葺きの茶室や松や庭石を配している。隣接地内には、地元の海洋生物を展示する和歌山県立自然博物館もある琴ノ浦温山荘園を訪れる。

黒江は古い漆器づくりの町。「黒江塗」と呼ばれるこの地域の漆器は、会津塗・山中塗・輪島塗と並び、日本四大漆器の産地として全国的にも有名。川端通り周辺には、昔の漆器職人たちの住居兼職場や問屋が今も残る。建物が通りに対して雁行した形で建つ独特の景観は、「黒江の町並み」と呼ばれている通りを散策する。

紀州漆器発祥の地として漆工芸の伝統技術や工芸品を紹介しており、400年以上漆器の町として栄えてきた黒江のシンボル的存在。黒江塗の起源は根来寺根来塗ともいわれ、海南漆器、紀州漆器として発展してきた。館内には漆塗の生活用具や家具を使用したテーブルコーディネイトを提案するほか、歴史的な資料を展示している紀州漆器伝統産業会館を見学。

黒江の町並みの一角、白壁の造り酒屋・名手酒造の向い側に立つ酒造り資料館。足踏み動力の精米機、釜場、仕込桶、酒槽など、昔の酒造りの工程をそのまま展示。通い樽、酒瓶のラベルや年代物のポスター、帳場なども興味深い。館内を見終わったら向かいの黒牛茶屋で菊御代や近くに湧く名水「黒牛」で作った黒牛などの地酒・奈良漬の試飲食ができる温故傳承館を見学。

和歌浦方面に向かう。

正面の朱色の楼門(重要文化財)をくぐると、231段の長く急な石段が目に飛び込んでくる。石段の中程まで登ると、清浄水、楊柳水、吉祥水の3井戸が心地よい水音を立てる。正式には金剛宝寺護国院というが、紀州の3つの井戸のある寺なので紀三井寺の名が広まった。階段を上り詰めると、山腹の平坦な境内には六角堂、鐘楼(重要文化財)、大師堂が一列に並び、一番奥に唐破風の大屋根を戴く本堂がどっしりと構えている。建物は江戸時代に再建されたものだが、寺そのものの創建は奈良時代の770年(宝亀元)と古く、唐の渡来僧、為光が開いたと伝られている金剛宝寺護国院(紀三井寺)を訪れる。

玉津島神社向かい側の橋。紀州藩主徳川治宝が1851年(嘉永4)に造らせた当時としては珍しい石組みのアーチ橋。徳川家が紀州東照宮に参拝する際におなり橋として渡っていた不老橋を訪れる。

1621年(元和7)、紀州藩主・徳川頼宣が父家康を祭るために創建した権現造の神社。日光東照宮と同様、絢爛豪華な社殿内には、左甚五郎作の緋鯉真鯉の彫刻や狩野探幽の襖絵がある。朱塗の楼門をはじめ、拝殿・本殿など7棟が国の重要文化財に指定の紀州東照宮を訪れる。

紀州徳川家歴代藩主のなかでも文化に造詣が深かった第10代藩主治宝が、1818年(文政元)から8年の歳月をかけて造営した大名庭園(名勝)。老松に囲まれた池泉回遊式庭園には、大浦湾水門から海水を取り込む汐入り池があり、水門は治宝が船で訪れる際の通用口でもあった養翠園を散策する。

奥和歌浦ともよばれる雑賀崎。紀州特有の青石の断崖が続く。なかでも大きく海に突き出た台地は番所[ばんどこ]の鼻といい、紀州藩の海の防備見張番所だったところ。現在は芝に覆われた番所庭園となっている雑賀崎(奥和歌浦)を散策する。

17:00終了。

今回の近場の史跡巡り、和歌山県に足を運び、和歌山市の郊外にある、和歌浦周囲と海南の観光名所を訪れました。

和歌浦湾の景勝地、のこぎり形の家並みや入り組んだ路地がノスタルジックな紀州漆器で有名な黒江の町並み、数多くの由緒ある寺社、博物館等をめぐり有意義な半日を過ごすことができました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十六弾:広島県福山&鞆の浦&尾道観光
2010年1月23ー24日


今回は広島県の東部に位置する江戸時代に福山城の城下町として栄え、広島市に次いで県第二の規模を持つ産業都市、美術館、博物館などの文化施設が多く、備後地方の政治・経済・文化の中心地になっている福山、福山の南東部、沼隈半島の先端に位置し、古来より景勝地と知られ、潮待ちの港として栄えた町には江戸時代から明治時代の建物が多く残り、港町情緒たっぷりの鞆の浦、石畳の坂道と多くの古寺が点在する風情ある港町、文学と映画の舞台でもある尾道に足を運びました。

23日13:22新大阪駅新幹線ひかりで出発
14:30福山駅到達、散策観光

1619年(元和5)徳川家康の従兄弟・水野勝成が福山十万石の領主となって築城。天守閣は1966年(昭和41)の再建で、博物館として公開している。京都の伏見城から移築されたという伏見櫓(重要文化財)と筋鉄御門(重要文化財)は往時の遺構がある福山城を散策する。

鎌倉時代から室町時代に栄え、長年芦田川の川床に埋もれていた草戸千軒町。その遺跡の発掘調査で出土した陶磁器や木製品を中心に、瀬戸内の歴史と文化にスポットを当て展示している広島県立歴史博物館を見学。

デ・キリコ、クッキ、セガンティーニなど、イタリアの現代画家の作品を展示。日本の近現代画家や瀬戸内海ゆかりの画家の作品も紹介しているふくやま美術館を見学。

『山椒魚』、『黒い雨』で知られる福山市出身の作家・井伏鱒二を中心に、英文学者で随筆家の福原麟太郎、劇作家の小山祐士、詩人の木下夕爾らの資料を展示。『黒い雨』の直筆原稿や鱒二の愛用品をはじめ、書斎も往時そのままに再現されているふくやま文学館を見学。

乗る、触れる、撮るがテーマの体験型博物館。バタンコと呼ばれ親しまれた三輪車、自転車にエンジンを取り付けた原動機付自転車のほか、往年の自動車を動態保存・展示している。4・5・7・8月には、昭和30年代のボンネットバス試乗会も開催される。江戸時代の和時計や古い電化製品の展示もある福山自動車時計博物館を見学。

17:30福山駅の近くのホテル到達。

18:00市街地を散策して食事を済ませて床に就く。

24日7:00レンタカーで出発、鞆の浦方面に向かう。

途中横島、田島の島々を一周してから
8:00鞆の浦観光情報センター到達、車をおいて町を散策する。

平安時代の延喜式にも記載された古社。海を治める大綿津見命、学問の神の須佐之男命が祀られている。能舞台は組立式の珍しいもので、国の重要文化財に指定の沼名前神社を訪れる。

平安時代の826年(天長3)、弘法大師の開基とされる真言宗の古刹。境内からは鞆の浦の町並みと瀬戸内海の美しい島々が一望できる。本尊の薬師如来像は室町時代中期の作がある医王寺を訪れる。

1863年(文久3)、公武合体派に京都を追われた尊王攘夷派の三条実美ら7人の公家は長州への途中、鞆の浦に立ち寄った。彼らが滞在したのが旧保命酒屋の中村家。2階建ての本宅と7棟の蔵からなり、いずれも国の重要文化財に指定されている太田家住宅・鞆七卿落遺跡を訪れる。

1867年(慶応3)坂本龍馬と海援隊を乗せたいろは丸は、鞆の浦沖で紀州藩の軍艦と衝突沈没、龍馬らは鞆の回船問屋升屋に数日滞在した。江戸時代の蔵が展示館で、いろは丸の模型、大理石のドアノブなどの引揚げ物を展示。2階では龍馬の隠れ家を再現しているいろは丸展示館を見学。

かつて潮待ち、風待ちの港として栄えた鞆の浦の歴史・文化に関する資料を展示。鯛網漁のジオラマや漁具、瀬戸内海の美しさをイメージして『春の海』を作曲した宮城道雄の愛用の琴や遺品も見ることができる鞆の浦歴史民俗資料館を見学。

古刹福善寺の客殿で、創建は元禄年間(1688〜1704)。小高い丘の上に建ち、大広間から見る海上の眺めがすばらしい。朝鮮通信使をもてなす迎賓館として利用され、通信使の一人はここからの景色を「日東第一形勝」(対馬から江戸の間で一番美しい景色)と賞賛した対潮楼を訪れる。

鞆の浦沖の島で、仙人も美しさに酔いしれたというのが名前の由来。4つのトレッキングコースがあり、森林浴が楽しい大弥山稜線コースがある仙酔島をフェリーで渡る。

臨済宗の古刹。1270年代(文永年間)、金宝寺として創建。南北朝時代に足利尊氏が再建し、改称した。唐様の釈迦堂、阿弥陀三尊像、法燈国師坐像はいずれも重要文化財。地蔵堂に安置されている地蔵菩薩像は、国の重要美術品に指定されている備後安国寺を訪れる。

尾道方面に向かう。

616年(推古天皇24)、聖徳太子の創建とされる名刹。国宝の本堂や多宝塔、足利家の家紋が入った重要文化財の山門のほか、名勝庭園や茶室露滴庵がある。宝物館では足利尊氏の古文書や聖徳太子像などを展示する浄土寺を訪れる。

鎌倉時代には浄土寺の曼陀羅堂と呼ばれた真言宗の寺。本尊は鎌倉時代に造られた千手観音菩薩像(県重要文化財)。境内には人形浄瑠璃の小屋主植村文楽軒と義太夫語りの竹本弥太夫の墓があり、技芸上達を祈願して多くの参拝者が訪れる。境内奥には3基の文楽の供養塔が立つ海龍寺を訪れる。

天平年間(729〜749)、行基開基と伝わる真言宗の名刹。金堂、三重塔はともに重要文化財に指定されている。仁王門には足の病に霊験あらたかな2mもの大わらじのほか、奉納された多くのわらじが下がる西國寺を訪れる。

尾道市街の背後にある、標高144.2mの千光寺山南山腹に広がる公園。隣接して千光寺がある。春は桜やツツジ、夏はフジが美しく、尾道水道や向島が一望できる千光寺公園を散策する。

瀬戸内の多島美と情緒あふれる尾道の家並みを一望する、千光寺公園内にある美術館。年間を通して、国内外の美術や尾道ゆかりの美術を紹介している。建物は建築家・安藤忠雄氏設計によるガラスを多用したモダンなデザイン。館内の喫茶コーナーやロビーからも市街を眺めることができる尾道市立美術館を見学。

806年(大同元)開基の名刹。本尊の千手観音(秘仏)は聖徳太子作と伝えられている。山の中腹の崖上に張り出した舞台造の本堂からは尾道の市街が一望でき、除夜の鐘で有名な竜宮造の鐘楼とともに尾道の代表的な景観として親しまれている千光寺を訪れる。

尾道ゆかりの文学者の著作物、肉筆原稿、遺品、資料などを収集展示しており、文学記念室・志賀直哉旧居・文学公園・中村憲吉旧居から構成されているおのみち文学の館を訪れる。

おのみち文学の館の一つで、1933年(昭和8)暮れに病気療養のため尾道を訪れたアララギ派歌人中村憲吉の旧居。外観のみの見学で、資料は文学記念室に展示されている中村憲吉旧居[おのみち文学の館]を見学。

おのみち文学の館の一つで、林芙美子が晩年まで筆を執った東京都新宿区の自宅の書斎、アトリエを再現。ほかに大衆時代小説の高垣眸など尾道ゆかりの作家の遺品も展示する文学記念室を見学。

おのみち文学の館の一つで、直哉が約1年間を過ごした三軒棟割長屋で東端の部屋が直哉の住まい。6畳と3畳の2間に台所と便所の質素な造りで『暗夜行路』の草稿が書かれた。また、敷地内には文学公園も整備されている志賀直哉旧居[おのみち文学の館]を見学。

1367年(貞治6)足利尊氏の子2代将軍義詮が建てた曹洞宗の寺。和様と唐様の折衷様式の高さ20mの三重塔は重要文化財で、海雲塔の名を持つ。本堂脇に立つ五百羅漢が並ぶ羅漢堂も見逃せない天寧寺を訪れる。

承和年間(834〜848)開基の浄土宗の寺。寺宝の絹本着色普賢延命菩薩画像は国宝。願いを込めて掌に粘土をギュッと握って作るにぎり仏作りにも挑戦できる持光寺を訪れる。

明治時代に建てられた白壁の蔵を利用した映画資料館。古い映写機や各種ポスター、台本など尾道が舞台になった映画の資料を展示している。小津安二郎監督の映画作りの過程を示したコーナーや、ミニシアターも充実するおのみち映画資料館を見学。

17:00終了、福山に戻る。
17:30福山駅到達。
18:32新幹線のぞみで出発
19:35新大阪駅到達。

今回の旅行、城下町として栄え広島市に次いで県第二の規模を持つ産業都市福山、古くから港町として賑わい、懐かしさを感じる町並みが残る鞆の浦、文学と映画の舞台で古寺が点在する風光明媚な尾道、十分な歴史散策が出来ました。

2日間で傾斜のきつい歴史街道をかなりの距離を歩きました。
山の麓に点在する多くの古寺が位置する鞆の浦、尾道、結構な運動になった歴史散策観光旅行でした。












奈良県五条&吉野観光
2010年1月20日


今回は近場の奈良県、奈良吉野川沿いに点在する史跡を巡りました。

12:30車で阪神近畿南阪奈自動車道経由して
13:30吉野方面に到達

1963年(昭和38)、津風呂川をせき止めて造られた周囲32kmのダム湖、津風呂湖を訪れる。

四郷川、高見川、日裏川の合流点に鎮座する水の神。676年(天武4)、降雨、止雨を祈願する社として創建された。本殿は三間社流造、檜皮葺き。鎌倉時代作の石灯籠(重要文化財)もみどころの丹生川上神社中社を訪れる。

上市から吉野川を5kmほどさかのぼった所にある景勝地。両岸は巨岩奇石で覆われ、川幅も急激に狭まり奔流となって流れる。万葉人も多くの歌を残している。付近の宮滝遺跡からは飛鳥〜奈良時代の遺構が見つかっており、斉明天皇や持統天皇がたびたび行幸した吉野離宮跡ではといわれる。南岸は万葉歌で知られる象山。近くに吉野歴史資料館もある宮滝を訪れる。

五条方面に向かう。

五條の歴史と文化が、3D映像などのハイテク設備で楽しく学ベる施設。建築家・安藤忠雄氏の設計した本館は、上から見ると木の切り株に似ているため、ごじょうばうむの愛称で呼ばれる。栄山寺八角堂内陣装飾画の復元や、五條の遺跡の出土品なども展示する五條市立五條文化博物館を訪れる。残念ながら冬季は休館でした。

719年(養老3)に藤原不比等の長子武智麻呂が創建したと伝わる。室町再建の本堂には薬師如来坐像(重要文化財)を祭り、その右側に立つ八角円堂(国宝)は、天平時代の円堂としては、法隆寺夢殿と並ぶ貴重な遺構。武智麻呂の菩提を弔うために子の仲麻呂が建立したという。平安初期の梵鐘(国宝)には小野道風筆といわれる銘文が残る榮山寺を訪れる。

門前に「史跡天誅組本陣址」の石標が立つ。大和に挙兵した天誅組は1863年(文久3)8月に五條代官所を襲撃、この寺を本陣とし五條仮政府を設けたことから、明治維新発祥の地ともいわれる。本堂前には、代官鈴木源内ら5人の首を洗ったという石手水鉢が置かれている櫻井寺を訪れる。

大和と紀州を結ぶ交通の要衝として栄えてきた五條。旧街道は役割を国道に譲ったが、新町筋は旧紀州街道の雰囲気をよく残している。約1kmの細い道筋には江戸・明治期に建った白壁の町家が並び、1607年(慶長12)に建てられ、日本最古の民家といわれる栗山家住宅(重要文化財)もある新町筋を散策する。

平重盛によって平安末期に創建されたと伝わる古刹。本堂に藤原時代作の本尊薬師三尊像を安置する。ボタンの名所としても知られる金剛寺を訪れる。

西吉野村北曽木の丘陵を覆う梅林は、月ケ瀬村と並ぶ奈良の梅どころ。2月下旬から3月下旬にかけて、約2万本の純白や薄紅色の花で埋め尽くされ、ほのかな香りを山里に漂わす。南北朝時代に都を追われた公家も歌に詠んでおり、当時からすでに梅の名所として知られていたことをうかがわせる。梅林入口付近には、南朝の行在所だったといわれる賀名生皇居跡(堀家住宅)(重要文化財)がある賀名生梅林を訪れる。

17:00終了。

今回は和歌山県の境、奈良県の南部に位置する奈良吉野川に点在する吉野から五条の範囲に位置する史跡、自然を巡りました。

吉野は前回、南北朝時代の古都、吉野山の史跡巡りしましたが今回は吉野の自然と大和と紀州を結ぶ交通の要衡として栄えた五条の史跡を巡り、歴史学習できました。









信州黒姫高原&飯綱高原スキー・スノボ
2010年1月17日


今シーズン最初の雪山イベント、信州に足を運び、野尻湖を一望できるゲレンデで信濃富士とも称される黒姫山の東山麓に位置し、北欧を思わせるロケーションと上質の100%天然雪が評判な黒姫高原スノーパーク、長野オリンピックで里谷多英が金メダルを獲ったモーグル会場のある飯綱高原を訪れました。

前日23:00大阪駅車で出発、阪神名神中央長野上信越自動車道経由して信濃町インター下車
5:00黒姫高原スノーパーク到達、仮眠して
8:30滑走
11:30終了、飯綱高原スキー場移動
12:00飯綱高原スキー場到達、食事を済ませてから
12:30滑走
14:30終了
近くの温泉に浸かり
16:00帰路、途中恵那サービスエリアで食事を済ませて
22:00大阪駅到達、解散。

今回の雪山イベント、前日までの寒波で雪の量、雪質問題なく、当日は晴れ、絶好の滑走日和、信州では比較的マイナーな2つのゲレンデを滑走しましたが、さすが信州、狭いゲレンデだと思っていましたが岐阜のゲレンデと同等の広さ、雪質も良く、変化に富んだコース、又比較的空いていて十分な滑走が出来、堪能して楽しめました。

関西からは岐阜のスキー場に行かれる方は多いですが、もう少し足を延ばして、雪質が良く、混雑しない、ゲレンデの広さも岐阜と変わらない信州のマイナーなスキー場をお勧めします。ゲレンデは混まないし行きかえりの交通も渋滞が少ないし、ストレスかからないです。




神戸異人館&旧居留地&南京町観光
2010年1月16日


今回は近場の異国情緒あふれる港町、北野異人館や旧居留地、南京町などの異国の香り漂う場所が点在する神戸に足を運びました。

13:20三ノ宮駅到達、散策する。

北野方面に向かう。

異人館の中でも建築の古さは屈指。堀、壁、窓枠に至るまで、明治35年建築当時のまま残されている。かつて英国の狩猟家ベン・アリソンが住んでいて、彼が世界各地で射止めた動物の剥製が展示されている。 その中には撲滅寸前の貴重な動物や珍獣が多い。 さながら 「小さな博物館」といった趣で、剥製といえ見ごたえ十分のベンの家を見学する。

2件が左右対称に建つ風変わりな建物。元は外人向けのアパートだったが、現在は展示品をフランスの美術や調度品で統一している。なかでも、アール・ヌーヴォの花形作家エミール・ガレやドーム兄弟らのガラス工芸は、選りすぐった佳品ぞろい。 壁にはエコール・ド・パリの藤田嗣治、シャガールらの小品が、 さりげなく掛かっている。 一方、バックの人気ブランド、ルイ・ヴィトンの草創期のトランクが珍しい。部屋の一隅に置かれた骨董品だ。フランスのエスプリに満ちた館内である洋館長屋仏蘭西館を見学。

イギリス人が建て、イギリス人が住み続けた洋館。西部劇でもおなじみの典型的なコロニアル様式だ。建物の内外はイギリス紳士のライフ・スタイルが濃厚に残っている。
バロックやビクトリア時代の家具・装飾品・バーカウンターなどは、アンティークで値の高いものばかり。庭の一隅には、レトロ調のロンドン・タクシーが停まっていて、それを背景に衣装を借りて記念撮影も楽しめる。そんなムードを生かして、夜はバーに変身。世界の名酒を、バカラのグラスで味わうのだが、それでいてリーズナブルと好評。パーティーにも、よく利用されている英国館を見学。


最初に公開された異人館で、国指定登録文化財。外国人向けの高級借家として建てられた。 建物の外壁と多い天然石のスレートが魚のうろこに似ているところから“うろこの家”の愛称が生まれ、親しまれている。館内のインテリアも昔のまま。アンティークな家具や置物の逸品のほか、欧州の王室が愛用していた豪華な陶磁器などが燦然と輝いている。隣接のうろこ美術館は絵画の宝庫。おもにヨーロッパとロシアの近・現代絵画を収集。マチス、ユトリロ、キスリング、ビュッフェ、トロワイヨン、ワイエスら高名な画家の佳作が展示されている。同館3階は、ロシア絵画の展示場だが、そこから港中心の神戸市街が一望できるので、展望台としての人気も高いうろこの家、うろこ美術館を見学。

塔状の家屋が3つ連なる風変わりな建築(チューダー様式)で入口上部のステンドグラスの美しさは格別。館内は近代彫刻の父ロダン、ブールデルの名作が並び、一室には東アフリカ、マコンデ族の異色の木彫や原始美術がたくさんある。壁には、バロック時代の巨匠レンブラント、ドイツ・ルネッサンスの代表的な画家デューラー、18世紀イギリスの風刺画家ホーガースらの版画を展示。2階には、ガンダーラやタイなど日本の仏像のルーツとなる仏陀や菩薩像が厳かに鎮座。彫刻と版画と仏像を3本の柱にした名観で、芸術の香り高い館の山手八番館を見学。

開港当初、外国人居留地に建ち、外国人たちの社交場として賑わっていた。その名残は、暖炉や豪華な家具調度品にとどめている。それらは、ブルボン王朝やビクトリア王朝のこる、貴族が使っていたものが多い。神戸の文明開花の流れを写真で見せる「神戸開花ストーリー」は、明治、大正、昭和の3代にわたる神戸の街の風景や風俗が活写されていて、興味深い。屋外には欧風庭園が広がり、一角にはしょうしゃなミニチャペルが建つ。また横穴式井戸も珍しく、見落とせない北野外国人倶楽部を見学。

中国の政治家・王兆銘 (1883〜1944年) が1940年、南京に親日政府を樹立したとき、中国領事館として神戸に建てた。家具調度品、置物、美術品など中国製で統一され、当時をしのばせる。なかでも美術品は、西周時代の古文化財から、現代の水墨画まで及び、芸術的にも、唯一オリエンタルムードに包まれている旧中国領事館を見学。

当美術館は、震災で傷ついた異人館ホワイトハウス(旧米国領事館官舎)を修復し、1996年11月から新たに美術館としてスタートしました。現時は、兵庫県出身のイラストレーターで絵本作家、永田 萌さんの作品を、原画中心に常設展示しています。永田 萌さんは、京都に製作拠点を置き、広く国内外で活躍する人気作家ですが、その特徴はカラーインクという珍しい画材を使いこなし、その特製である透明感のある美しい色彩と日本的な「ぼかし」の技法で独自の画布を作り出していることです。館内5部屋のうち3部屋に常時50点の原画を展示、1部屋は高級複製画、1部屋はオリジナルグッズの 販売コーナー。原画は毎月全作品が入れ替わります。また、別棟でカフェとショップを併設しています神戸北野美術館を訪れる。

建物は大正4年(1915年)に建築されましたが、木造二階建下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドなど、明治時代のいわゆる異人館の様式をそのまま受け継いでます。昭和53年の一般公開の際にこの館の愛称を公募した結果、「ラインの館」となりました。先の震災では、煙突の落下や内部の壁のひび割れなどの被害を受けたため、修復工事を行ないました。現在は、1階に休憩室・展示室・お土産物コーナーを配置し、2階には北野異人館街の歴史や震災関係の展示などを行うラインの館を見学。

白亜の壁に緑の柱や桟が映える建物は、元パナマのカルロス領事の執務室であり、生活空間でもあった。食堂、寝室、書斎、サンルームが連なっている。各所に領事のライフスタイルがにおう。 一方、展示場には、マヤと中央アンデスで発掘された土器や土偶のコレクションがいっぱい。学術的にも貴重な文化財だ。 別館ギャラリーで、地元の画家たちによる異人館スケッチの原画展と、阪神震災写真展を公開。館入口の彫像「シーホース」は、この頭にさわると願いことが叶うといわれ、人気が高い旧パナマ領事館を見学。

明治36年(1903年)アメリカ総領事ハンターシャープ氏の邸宅として建築されました。木造2階建て、下見板張りの異人館で、2つの異なった形のベイ・ウインドー(張り出し窓)を始め、アラベスク風模様が施された階段、重厚なマントルピースなど、贅沢な意匠が随所に見られます。その後、昭和19年(1944年)に小林秀雄氏(元神戸電鉄社長)の住宅となりました。昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定され、長らく“白い異人館”と呼ばれていましたが、62年(1987年)からの修理で建築当時の淡いグリーンの外壁に復元されて、この名が名付けられました。2階のベランダからは、神戸港まで見渡せる素晴らしい眺望が広がります萌黄の館を見学。

建築の設計に当たったのはドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデ(G.de Lalande)で、明治30年代後半から大正初期にかけて日本で活躍した有能な建築家でした。 この館は、昭和58年12月より 昭和60年3月にかけて本格的な保存修理を行い、復元できるところは可能な限り元の姿に戻しています。この館はかつて神戸に住んでいたドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏(G・Thomas)が自邸として建てた建物です。 北野・山本地区に現存する異人館のなかで、れんがの外壁の建物としては唯一のもので、色鮮やかなれんがの色調、石積みの玄関ポーチ、2階部分のハーフ・ティンバー(木骨構造)など、他の異人館と異なった重厚な雰囲気をもっています。また先頭のうえに立つ風見鶏はよく知られ、今では北野町の象徴として欠かせない存在になっています。風見鶏はその名の通り風向きを知る役目をもっていますが雄鳥は警戒心が強いことから魔除けの意味や、またキリスト教の教勢を発展させる効果があるといわれてきました。
旧トーマス住宅は、1階に玄関ホール、応接間、居間、食堂書斎があり、2階は夫妻の寝室子供部屋、客用寝室、朝食の間などがあります。 室内の意匠は部屋によって変えておりますが全体にドイツの伝統様式を採りいれながら、19世紀末から20世紀初頭にかけての新しい芸術運動(アール・ヌーヴォ)の動きを感じさせるものがあります。1階各入口扉に付いている把頭飾り、応接間のシャンデリア、書斎腰板の風刺画などにその傾向が伺えます。また食堂は中世城館風の天井小梁、飾り戸棚、暖炉飾りなど見ごたえのある意匠をみせています風見鶏の館を見学。

旧居留地方面に向かう。

神戸港開港と同時に生まれた居留地は、各国の貿易商たちの居住区として、当時のヨーロッパの区画割をもとに街作りがすすめられた。建物には区画番号が付けられ、現在も15番館、38番館といったビル名に、その名残が見られる。南正面に配されたイオニア式の円柱がレトロな旧居留地38番館、アメリカンルネッサンス様式の商船三井ビルは美しさを誇る。1880年(明治13)、米国領事館として建てられた旧居留地15番館(重要文化財)、旧居留地127番館は、それぞれレストランとして活躍。海岸ビルなど、外観を眺めるだけでも楽しい旧居留地を散策する。

第二次世界大戦後いち早く配給物資のセメント材料を確保し、1949年に新築ビルとして建設されました高砂ビルを訪れる。

1982年秋に開館。以前からあった市立南蛮美術館と考古館を統合し、あたらしい人文系の博物館として発足しました。1935年建築の旧横浜正金銀行(現・東京三菱UFJ銀行)神戸支店ビルを改装増築し、正面にドーリア様式の円柱が建ち並ぶギリシャ神殿風の重厚な外観となっています。「国際文化交流−東西文化の接触と変容」を基本テーマに、常設展示室では、東アジアとの交流を中心にした原始・古代・中世と欧米との交流に重点をおいた近世・近代の諸相を探ります。館蔵品を中心とした企画展や、特別展では大規模な海外との交流展を開催するなど、テーマに沿った展覧会を行っています。また、国宝「桜ヶ丘銅鐸・銅戈群」をはじめ市内から出土した考古資料、南蛮・紅毛美術と古地図のコレクション、神戸に関する歴史資料や芸術家の作品なども収蔵しています神戸市立博物館を訪れる。

旧居留地内に残る唯一の居留地時代からの商館で、1881(明治14)年頃の建設といわれています。アメリカ領事館として使用されていたこともあり、国の重要文化財にも指定されています。阪神・淡路大震災で相当なダメージを受けましたが見事に復活した旧居留地十五番館(旧ノザワ本社)を訪れる。

ジェイ・ヒル・モーガンの設計で、チャータード銀行(Chartered Bank)神戸支店として1938年に竣工した。今日の神戸旧居留地海岸通を代表する近代建築の一つになっているチャータードビルを訪れる。

1929(昭和4)年竣工の、鉄筋コンクリート造3階建ての銀行建築です。かつてはナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク神戸支店として建てられたものです。南側の正面にイオニア式の円柱を4本並べ、その両端が目地を目立たせた石積みで引き締めたアメリカン・ルネッサンス様式の建物。現在はLIVE LAB WESTとしてショップ、カフェなどが入ってます旧居留地38番館を訪れる。

国道2号線(海岸通り)沿いにあるビルは、大正7年(1918)、三井物産神戸支店として建設されました。阪神淡路大震災により全壊認定を受け新たに建て替え、4階から15階建てのオフィスビルとなって再建されました海岸ビルを訪れる。

南京町に向かう。

横浜中華街長崎新地中華街とともに日本三大チャイナタウンの一つに数えられ、東西約200m、南北110mの範囲に100あまりの店舗が軒を連ねる。店頭の路上で点心スイーツ、食材、記念品などを売る店も多く、休日は地元の買い物客や観光客で賑わう。 「南京町」という用語はかつて中国人街を指す一般名称であった。しかし、そのほとんどは戦後に改称したため、現在では事実上神戸のこの地区のみを指す固有名詞となっている。 南京町の中央通りは、十字路になっていて中央の広場には「あずまや」、東は「長安門」、西は「西安門」、南は「南楼門」という名前の門があり、北は元町商店街につながる南京町を散策してここで食事を済ませる。

18:30終了。

今回の近場の名所巡り、異国情緒あふれる港町、北野異人館や旧居留地、南京町などの異国の香り漂う場所が点在する神戸に足を運び、三宮から山手側、北野界隈に、明治から大正にかけて居留地から移り住んだ外国人の洋館が点在し、異国の雰囲気が色濃い周辺の散策を楽しめる北野異人館エリア。

明治から戦後にかけて建てられたレトロなビルが多く残り、落ち着いた佇まいの、古き良き神戸の居留地エリア。

約130年の歴史を誇るチャイナタウン、テイクアウトグルメを片手に、点心の屋台や中国雑貨のお店が所狭しと並ぶとおりを散策して異国パワーに触れる南京町エリア。

を訪れ、散策観光して再確認できました。

なかなか盛りたくさんなお洒落な神戸の町、全国から観光客がたくさん集まる、あらためて納得できました。






















滋賀県日野&水口&土山観光
2010年1月13日


今回は近場の滋賀県の南東部、近江商人で有名な日野、東海道の宿場町水口、土山に足を運びました。

12:30車で近畿名神自動車道経由して八日市インター下車
13:45日野到達。

日野椀の行商で財を成した日野商人・山中兵右衛門の邸宅を利用した資料館。館内には行商品や道中具、代々伝わる家訓10カ条などを展示する近江日野商人館を見学。

滋賀県・日野町の丘陵を生かしたドイツ風の農業公園です。 門・遊・花・街・村・牧の6つのエリアには、自然と遊ぶ・自然を学ぶ、 さまざまな施設がいっぱいの滋賀農業公園ブルーメの丘を訪れる。

水口方面に向かう。

天平年間、勅命を受けた行基が4つの貯め池の中央に本堂を建てたのが始まり。美しく刈り込みまれたサツキが印象的な蓬莱庭園は禅味豊かな観賞式枯山水庭園で、小堀遠州が築いたといわれる。サツキと白砂で大海をゆく宝船を表現しており、紅白の花で彩られる5月下旬〜6月中旬が見ごろ。また前庭にある樹齢350余年の開山臥龍の松も見逃せない大池寺を訪れる。

水口城は徳川3代将軍家光の京都上洛にあわせ、1634年(寛永11)に東海道水口宿の西に築城。その美しい水堀から碧水城と呼ばれた。現在は出丸部分に角櫓が修景され、水口城資料館として公開している水口城跡を訪れる。

水口町の歩みをうかがい知ることのできる資料館。ぜひ見ておきたいのが水口曳山祭の曳山で、実際に巡行する「二層露天式人形飾屋台」の構造をもった豪華なものが展示されています。歴史コーナーでは古墳時代の出土品や水口藩の関係資料、古文書などを展示。また、民俗コーナーでは農家の伝統的ななりわいを紹介し、当時の生活様式を伝える民具や、水口町の代表的な工芸品である籐細工、八田焼などを展示しています水口歴史民俗資料館を見学。

土山方面に向かう。

古くより交通の要衝であり東海道49番目の宿場町でもあった土山は、人と物資の交流により経済や文化の発展を遂げてきました。伝馬館は、街道や宿場、宿駅伝馬制を再考し、今後の発展に寄与していくために平成13年にオープンしました。建物は江戸後期に造られた土山の民家を改装。建物自体が貴重な展示品となっており土山まつりのメイン会場として、また地域のイベントやボランティア活動の会場として活用されている東海道を見学。

17:00終了。

今回は近場の観光巡り、滋賀県南東部に足を運び、近江商人で有名な近江日野、東海道の宿場町で水口藩の城下町の水口と東海道宿場町の土山を訪れ、江戸時代の歴史的建造物に触れることが出来ました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十五弾:沖縄本土&伊是名島&伊平屋島観光
2010年1月9日ー11日


今回は大小160の島々からなり、わが国唯一の亜熱帯性気候で年平均気温約23℃の日本の南国リゾート沖縄に足を運び、本土の史跡、サンゴの石垣とフクギ並木に囲まれた赤瓦の家々が続き、美しい自然と沖縄の原風景が残る、自然と歴史の島、琉球王朝第二尚氏の始祖・尚円生誕の地でもある伊是名島、沖縄最北端の島で太陽に照り輝く美しい島、てるしのの島と呼ばれている箱庭のように連なる美しい山々の稜線に広がる田園風景、延々と続く砂浜、そして澄んだエメラルドグリーンの海、民俗学最後の宝庫といわれるように、さまざまな神事や伝統行事が今も守り伝えられている伊平屋島を訪れました。

9日14:30神戸空港出発
16:45那覇空港到達、レンタカーで名護方面に向かう。
18:30名護のホテル到着、市街地を散策して食事を済ませてから床に就く。
10日7:00レンタカーで出発、名護、本部の観光名所を巡る。

標高345mの名護岳に位置する名護市民の憩いの場所。14世紀に今帰仁城主の弟にあたる名護按司が居城としていたところで、現在は城壁なども残っていないが、周辺は公園として整備されている。長い石段を登ってたどり着く展望台からは、名護湾や市街を一望できる名護城跡・名護中央公園を散策する。

1957年(昭和32)創業。沖縄のビールメーカー・オリオンビールの工場。原料の説明から製造工程をスタッフと回りながら見学できるオリオンビール名護工場の前で撮影。

本部方面に向かう。
本部半島の北側、緑濃い山々に囲まれた連郭式の山城跡。約5万平方mの広さは首里城に匹敵する規模を誇り、かつては難攻不落・沖縄屈指の名城とうたわれた。沖縄に南山、中山、北山の3つの勢力が対立していた三山時代(14〜15世紀)、北部一帯を支配していた北山王が三代にわたって居城とし、幾重にも複雑に連なった城壁が当時の面影を今に残す。城跡の入口手前には、今帰仁村歴史文化センターがあり、今帰仁城や村周辺で暮らしてきた人々の歴史や文化を紹介している今帰仁城跡を散策する。

防風林として発達したフクギが、島の北西端、備瀬崎に面した備瀬集落を囲む。南蛮貿易時代にアジアから移植されたフクギは丈夫で成長が早く、厚い葉が特徴。沖縄本島では最大規模を誇る並木だけあって、集落全体のありとあらゆる道にフクギ並木が延々と立ち並び、まるで迷路のようだ。海洋博公園がすぐ近くだということを忘れてしまうような静けさが集落全体を包みこんでいる備瀬のフクギ並木を散策する。

1975年(昭和50)開催の沖縄国際海洋博覧会の跡地につくられた国営公園。沖縄美ら海水族館をはじめとする様々な施設がある海洋博公園を散策する。

海洋博公園内にある広大な植物園。2000株以上のランを中心に、熱帯・亜熱帯の花や果樹を鑑賞できる。中世の城をイメージした建物内には展望台もある熱帯ドリームセンターを訪れる。

海洋博公園内にある植物園。広大な敷地を使い、熱帯・亜熱帯植物による都市緑化技術の情報を提供する熱帯・亜熱帯都市緑化植物園を散策する。

10:00運天港到達
10:30フェリーで伊是名島に向かう。
11:25伊是名島伊是名港到達、レンタカーで島巡り

伊是名島は本部半島の北西約27kmに位置する周囲16kmの円形の島。琉球王朝第二尚氏の始祖、尚円王の出身地で、ゆかりの史跡が多い。沖縄の原風景ともいうべき家並みが残る伊是名集落。周囲を美しいサンゴ礁に囲まれており、周辺には具志川島、屋那覇島、降神島の3つの無人島がある。

伊是名島内に数多くある尚円王ゆかりの史跡のひとつで、この場所は尚円王の生誕地。王国時代から大切に護られてきた土地で、今も沖縄各地から参拝者が絶えない。園内には高さ3.5mの尚円王像が東方を指して堂々と立っている。奥の林には県史跡の尚円王生誕地屋敷・御臍所[みほそじょ]がある。1415年(応永22)に、金丸が誕生した場所で、大きな石の下にへその緒が祭られている。近くには金丸が産湯を使ったという馬蹄形の井泉、潮平御川がある尚円王御庭公園を散策する。

フクギ並木やサンゴの石垣、赤瓦屋根の民家など、沖縄の原風景といったたたずまいを残す閑静な集落。近世には島の番所(役所)が置かれていた。尚円王ゆかりの旧家の屋敷や、デイゴの大木が歴史の古さを語っている伊是名集落を散策する。

ノロとは村の神事を主宰する神女のこと。伊是名集落のノロ殿内には、推定樹齢400年という県下随一のデイゴの大木が立っているノロ殿内とデイゴを訪れる。

伊是名集落にある尚円王の叔父が先祖の銘苅家は、王朝時代に代々島の地頭職を務めた旧家。その住宅が国指定重要文化財に指定されている。門から入ると正面にヒンプンが、右側には屋根付きの門が立ち、女性は門、男性はヒンプンの左側から出入りしていたという。現在の建物は1905年(明治38)の再建で、母屋と那覇からの客の宿泊場所だったアサギ(離れ屋)の2棟がある。良質のマキ材を使って、伝統的な沖縄の建築様式で建てられている。母屋の背面と台所の外壁が漆喰塗りになっていることと、母屋とアサギが別棟でありながら屋根がひと続きなのが特徴の銘苅殿内を訪れる。

ギタラとは尖った岩山のことで、海にあるのが海ギタラ、山間にあるのが陸ギタラと呼ばれお互い向かい合うように競り立っている。両ギタラの中間にはギタラ展望台があり、ここから両ギタラを間近に眺めることができる。また、ここから車で5分の所にはしらさぎ展望台があり、両ギタラはもちろん、チヂン岳や伊是名城跡など伊是名島を代表する美しい景色が一望できる海ギタラ 陸ギタラを訪れる。

伊是名島にある。第二尚氏に先立ち、1429年に琉球初の統一王朝である第一尚氏王朝を築いたのは尚巴志だが、島の東端にある伊是名城跡は、14世紀中ごろ尚巴志の祖父にあたる鮫川大主が築城した城だ。珪岩[けいがん]でできた城は海抜約100m、三方が海や絶壁という天然の要塞で見事なピラミッド型をしている。山全体が城で、北側に石垣が築かれている。この城は鮫川大主が本島へ移ると廃城になった。県指定史跡の伊是名城跡を訪れる。

尚円王の息子、尚真王の時代の1501年(文亀元)、伊是名城跡の北斜面に造られた第二尚氏王統の墓陵。首里の玉御殿が造営された直後のことだった。県指定史跡の伊是名玉御殿を訪れる。

中心部に向かう。

島の歴史や文化、民俗を学べる資料館。館内には尚円王の親族である銘苅殿内の所蔵品を常設展示している。祭事に使われた祭具や、首里の国王から賜ったという掛け軸、漆器など、貴重なものばかり。伊是名島の周辺は遺跡も豊富。島の北に浮かぶ無人島の具志川島で発掘された貝輪着装人骨の展示は見逃せない。貝輪8枚を腕につけたまま発掘されたという珍しい人骨で、約2500〜3500年前のものといわれている伊是名村ふれあい民俗館を見学。

島の約3分の1の面積を占める自然公園。山肌一面に琉球松が群生するさまは、巨大な盆栽のようだ。2kmの遊歩道には3つの東屋が設けられ、二見ガ浦海岸、伊是名山、地神岳などの景勝地を眺めながら散策できる。二見ガ浦海岸は「日本の渚100選」に選ばれたサンゴ礁の海。一角には陸ギタラと海ギタラとよばれる岩山が、山側と海側で向かい合うようにしてそそり立っている伊是名山森林公園を散策し眺望する。

17:00中心部にあるホテル到達、食事を済ませてから床に就く。

9:00チャーター艇で内花港から伊平屋島に向かう。
9:30伊平屋島に隣接する野甫島の野甫港到達、レンタカーで島巡り。

伊平屋島の南西海上500m沖に位置する、周囲4.82kmの島。野甫島と伊平屋島の間に、全長1244mの野甫大橋が架けられたのは1979年(昭和54)。橋の途中からは伊是名島・伊江島・沖縄本島が見渡せ、反対側にはシマサキ海岸景勝地とよばれる絶好の展望が広がる。橋の付け根の両岸には白砂のビーチもある野甫島を一周する。

本部半島から約40km、沖縄本島辺戸岬の真西約42kmの東シナ海に位置する沖縄県で最北の有人島。山がちだが平地には水田もある。南部の米崎ビーチは、全長1244mの野甫大橋で野甫島とつながっている。歴史的には第一尚氏ゆかりの島。クマヤ洞窟には天孫降臨伝説が伝わる伊平屋島を巡る。

島へ向かうフェリーが伊平屋島の玄関、前泊港に入ると、港のターミナルの背後に巨大な岩が見える。虎を伏したような形をしているので虎頭岩といわれ、自然の風水岩として島の人々に親しまれている。岩の斜面に設けられた階段で頂上まで登ることができ、海と山の景色を一望できる。近くには森林浴やハイキングに最適な腰岳森林公園もある虎頭岩を訪れる。

県の天然記念物。高さ78m、枝張り25m。枝の広がりは約770平方mにおよぶ。久米島の五枝の松とともに琉球松の二大銘木と讃えられ、1990年(平成2)には「新日本の銘木100選」にも選定。古くから名松として知られ、琉歌にも歌われているが、実は今の松は2代目にあたる。兄松と呼ばれる先代は、約540年前に植えられたが盗伐されてしまった。今の2代目が植えられたのは約300余年前という。松の周辺は公園として整備されている念頭平松を訪れる。

海に面してそびえ立つ高さ40mの岩山。県の天然記念物。岩の中にはクマヤ(籠穴)と呼ばれる洞窟がある。洞内は奥行き44m、幅14m、高さは6〜15mと、人が1人やっと通れるくらいの入口の狭さからは想像がつかないほど広い空間となっている。この岩には「南の島の天の岩戸伝説」ともいうべき内容の天孫降臨伝説が伝えられている。大昔、神々の間でもめごとが起こり、天照大神がここに隠れたといわれている。洞窟の奥では、古代人が住んだ跡が確認されている。内部は聖地・御嶽でもあるクマヤ洞窟を訪れる。

全山をクバ(ビロウ樹)の原生林に覆われた、高さ94mの山。県の天然記念物。島のほとんどの山に琉球松が群生しているのに、この山だけ古来沖縄で神のよりしろとされているクバに覆われているのは神秘的。島の最北端、田名崎にあるが、伊平屋島は沖縄県最北の有人離島なので、ここが沖縄の最北ポイントの田名のクバ山を訪れる。

伊平屋島の最北端、田名岬、クバ山にあるが、伊平屋島は沖縄県最北の有人離島なので、ここが沖縄の最北ポイント。頂上には伊平屋灯台が立つ。晴れて空気が澄んだ日には、やんばるの山々や鹿児島県最南端の与論島、その先の沖永良部島までを見渡すことができる伊平屋灯台を訪れる。

12:30前泊港到達
13:00フェリーで運天港に向かう。
14:20運天港到達、レンタカーで那覇に向かう。

途中約280年前に建てられた豪農屋敷で、沖縄戦の戦災を免れて琉球王朝時代の民家構造を完全に残している。1720年(享保10)ころには地頭職であったため、士族屋敷の形式としての風格もある。ほかにもトゥングワとよばれる屋根裏部分を物置きに使用するために屋根が低くなっている台所や、フールとよばれる豚小屋などに特徴がある。中世の日本の家屋と中国の建築の影響が随所に見られ、琉球時代の裕福な農家の暮らしを今に伝えている中村家住宅を訪れる。

中城湾を望む標高160mの高台にある世界文化遺産の名城跡。県内に300あまりが残されているグスクの中でも特に美しい遺構が残っており、国の史跡にも指定されている。先中城按司が築いた城を15世紀中頃、琉球が三山分立から統一へ向かった頃に活躍した築城家でもある座喜味城主の護佐丸が国王の命令により移り住み、三の郭と北の郭を増築し、完成させたといわれている。6つの城郭からなる連郭式の城は、琉球石灰岩の切石を基本に自然の岩石、地形的条件を生かした石垣が城壁を囲む。築城年代が違うため、切石積みの技法も野面積みと布積み、亀甲乱れ積みの3つの技法が見られる中城城跡を散策する。

17:30那覇空港到達。
19:00那覇空港出発。
20:40神戸空港到達。

今回の旅行、最近冬場は何回も訪れている南国の島、沖縄に足を運び、本土の由緒ある城跡をめぐり、又まだ訪れていない2つの離島、伊是名島、伊平屋島を訪れ、沖縄の歴史学習で重要な史跡巡り、二泊三日の旅、堪能しました。

今回で沖縄の有人離島で訪れていないのは鳩間島、渡名喜島、水納島、津堅島を残すのみとなりました。もう直ぐ沖縄の離島制覇です。頑張ります。






















飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十四弾:ペルー観光
2009年12月27日ー2010年1月4日


今回はアンデスの山々にこだまするフォルクローレの音楽、鮮やかな民族衣装をまとった先住民インディヘナの人々、神秘的な古代遺跡、アマゾンの秘境等、南米といわれて思い浮かべるイメージのすべてがあり、南米のダイジェストともいえる魅力が詰まった国、国土は日本の約3.4倍、エクアドル、コロンビア、ブラジル、ボリビア、チリと国境
を接しており、ほぼ赤道直下から南緯18度にわたる多様な地勢を持ち、年間を通じてほとんど雨の降らない乾燥した砂漠から、標高6000m級の雄峰が連なるアンデス高地、ジャングルに覆われたアマゾン河流域の密林地帯まで変化に富んだ風土と気候が一つに存在しているペルーに足を運び、かつて南米最大の帝国を築いたインカ帝国をはじめ、紀元前から栄えてきた古代文明の数々、謎の空中都市といわれるマチュピチ、乾燥した大地に刻まれたナスカの地上絵、アンデス山脈のほぼ中央に位置する標高3855mに汽船が航行する湖では世界最高地にあるティティカカ湖を訪れました。
 
12月27日14:10伊丹空港出発
15:25成田空港到達
16:50成田空港アメリカン航空でロサンゼルスに向かう。
9:30ロサンゼルス空港到達
12:00ロサンゼル空港スラン航空でリマに向かう。
23:35リマ・ホルヘチャベス空港到達、送迎バスでホテルに向かい、到達、宿泊。
28日9:30ホルヘチャベス空港出発、クスコに向かう。
10:45クスコ・アステテ空港到達、ホテルに向かう。ホテルで休息後
昼からクスコ市内観光
バスでクスコ郊外に向かう。
 
サン・クリストバル教会からクスコの町を眺望する。
 
クスコの北西にある堅固な要塞跡、1536年5月、スペイン人に反逆を企てたマンコ・インカはこの要塞に2万の兵士とともに陣取ったが夜は戦わないインカ兵はそのスキを突かれて、作戦は失敗に終わり、約20mあった城壁もその上からそびえていた円塔も大部分が破壊されたサクサイワマンを訪れる。
 
サクサイワマンから徒歩で約15分、石を削って造られている、インカ帝国の祭礼場であったといわれ、ピューマが浮き彫りにされた約6mの巨石を中心に、座席の役を果たす壁が半円状に広がるケンコーを訪れる。
 
赤い要塞とも呼ばれている、見晴らしのよい場所に築かれ、ここからクスコへ出入りするものを見張ると同時に、タンボ・マチャイで沐浴するインカ王に近ずく危険人物がいないか、目を光らせていたプカ・プカラを訪れる。
 
聖なる泉と呼ばれ、雨期、乾期を通して常に同じ量の水が湧き出ている、インカ時代の沐浴場と言われているタンボ・マチャイを訪れる。
 
クスコ市内に戻り散策する。
 
インカ帝国時代にはコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿、スペイン人は黄金でいっぱいだった神殿から欲しい物をすべて取り除き、上部を壊し、残った土台の上にチュリゲレス様式の教会、サント・ドミンゴ教会を訪れる。
 
カミソリの刃1枚すら通さないと多くの人に知られるインカの石材建築、この精巧な石壁に囲まれた道に12角の幾何学的複雑な石、王の一族を象徴しているのだと言われている12角の石を確認する。
 
スペイン式の町造りは中心に広場を置くことから始まり、インカ帝国の町造りも広場中心で、インカ帝国時代のワカイパタ、アウカイパタにくぎられていた広場が名前を変えたアルマス広場を訪れる。
 
アルマス広場に面して建つ、インカ時代のビラコチャ神殿の跡に建てられたカテドラスを訪れる。
 
かつてインカの第11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿があった場所に建てられたラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会を訪れる。
 
ロレト通りと並行するアレキパ通り沿いのサンタ・カタリナ修道院内にある宗教画の博物館、サンタ・カタリナ博物館を見学する。
 
ドーム型の屋根を持つ塔が目を引く教会、1534年に建てられたが地震で壊れ、今あるのは17世紀に建て直されたラ・メルセー教会・修道院を訪れる。
 
アルマス広場から西へ5ブロックにありサン・フランシスコ広場に面して建つ教会、修道院でもあるサン・フランシスコ教会・修道院を訪れる。
 
12角の石がはめ込まれたインカの石壁を土台として建てられた旧大司強庁、かつては第6代皇帝インカ・ロカの宮殿だった宗教美術博物館を見学。
 
カテドラルの左を少し上がったところに、17世紀の初めに建てられたコロニアルな建物で、かつての海軍提督ドン・アルドレッテ・マルドナルドの邸宅であったインカ博物館を見学。
 
ペルーのコンチネンタル銀行が運営・所蔵する博物館、インカ文化や、それ以前のプレ・インカ時代の土器や装飾品のコレクションが中心で、スペイン人入植以前の歴史の集大成ができるプレコンビーノ博物館を見学する。
 
ホテルに戻る。
 
 
20:00フォルクローレディナーショウを鑑賞しながら食事を取る。
22:00ホテルに戻り、宿泊。
29日6:53ポロイ駅からビスタドームでアグアスカリエンテスに向かう。
9:52アグアスカリエンテス到達、バスでマチュピチュに向かう。
10:30マチュピチュ到達、遺跡観光
 
マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジの入り口から崖に沿った道を200mほど行くと、最初の住居跡に突き当たる、農地管理人住居跡を通過して入場する。
 
見渡す限りのスケールの大きさに圧倒され、何千人もの人が畑で農作業にいそしむ段々畑を訪れる。
 
段々畑の先に最初に見える市街地に、水路が斜面に沿って導かれており、水路を通った水は下の市街地にまで一気に流れ落ち、ところどころに合わせてなしている16の水汲み場を確認する。
 
水汲み場のそばに大きな石の建物があり、非常に精巧な出来ばえで、建築の下に巨大な斜め半分さえぎられた三角形の石室があり、ほぼ中央に石の突起物が墓石のように出ており、ミイラの安置場所だったとされている陵墓を訪れる。
 
陵墓の上が、美しい曲線の石でできた建物がある太陽の神殿を訪れる。
 
太陽の神殿の隣が2階建ての建物で太陽の神殿を守るものが住んでいた王女の宮殿を訪れる。
 
水汲み場の階段を上がると大石が転がる石切り場がある。ここから前方の峰ワイナピチュに向かうと、地形を見晴らすことができ、一段高い場所に3つの窓の神殿、神官の館、主神殿の3つの石の館に囲まれた神聖な広場を訪れる。
 
神殿の前方をさらに進むと、マチュピチュの最高点に立ち、大石を削って造られている、高さ1.8mの日時計インティワタナを訪れる。
 
インティワタナから中央の市街地を見下ろすと、大広場を挟んで左から貴族、技術者、庶民の居住区が並ぶ。
 
コンドルの顔のような石と、コンドルが羽を広げたような石積みからなる不思議な建造物、コンドルの神殿を訪れる。
 
戻って市街地の出入り口、太陽の門から市外に出ると藁葺きの見張りの小屋を訪れ、ここからのマチュピチュの眺望はすばらしい。
 
その裏には不思議jな形をした石、葬儀の石がある。
 
昼食を済ませてからバスで下山。マチュピチュ村を散策する。
 
マチュピチュ村はマチュピチュ駅の周辺に広がり、かつてはアグアス・カリエンテスと呼ばれ、ビルカノタ川の川沿いに発展し、町の真ん中にはアグアス・カリエンテス川が流れ、クスコやオリャンタイタンボとの列車が発着する鉄道駅はアグアス・カリエンテス川の南にあり、ホテルやレストランが集中する繁華街はk川の北にある。
 
中心には小さなアルマス広場があり、広場に面してカテドラルが位置する。
 
食事を済ませてからhテルで宿泊する。
 
30日7:00バスでマチュピチュに向かう。
マチュピチュ山に向かう。
 
マチュピチュ山の山頂からのマチュピチュの眺望はすばらしいと聞いていましたが残念ながら霧がかかり十分な眺望はできませんでした。
 
下山してインカの橋の方面に向かう。
 
見張り小屋から墓地手前の右側の道を、山の斜面につけられたインカ道を行く。左側はそそり立つ壁、右側はストーンと切れ落ちた断崖、20分ほど歩いてインカ橋を訪れる。
 
戻ってマチュピチュを昨日と同じコースで左回りで一周してバスで下山。
 
マチュピチュ村を散策。
 
15:20アグアスカリエンテス駅ビスタドームで出発
18:50ポロイ駅到達
送迎バスでホテルに向かう。
ホテル到着後食事を済ませてから宿泊。
31日7:00ホテル出発
 
7:45バスでプーノ方面に向かう。
 
途中金色の祭檀が美しいバロック様式の教会が残るアンダワイリーヤスの町を訪れる。
 
ビラコチャ神を祀ったアドベ造りの大神殿跡が見られるインカの遺跡ラクチを訪れる。
 
ラ・ラヤ峠を経た後ティワナク文化に影響を与えたプカラ文化の跡地、遺跡にはティワナク遺跡の太陽の門と同じ、杖を持つ鳥人のモチーフが残るプカラを訪れる。
 
17:00プーノ到達。
プーノ市街地を散策して食事を済ませて宿泊。
 
1日9:30送迎バスでティティカカ湖の桟橋に向かう。
 
モーターボートでウロス島に向かう。
 
プーノはペルー南部、アンデス山脈のほぼ中央に位置する標高3855mの小さな町、汽船の航行する湖では世界最高地にあるティティカカ湖にあるトトラと呼ばれる葦を積み重ねた浮島で、群集するトトラのなかに、大小合わせて40ほどの島が浮いているウロス島を訪れました。
 
パルサと呼ばれるトトラで造られた船で数箇所の島を巡りました。
 
12:00ティティカカ湖桟橋に戻り、プーノタウンで食事を済ませてから送迎バスで
13:00フリアカ空港に向かう。
15:20フリアカ空港出発
18:10リマ・ホルヘ・チャベス空港到達
18:30バスでイカに向かう。
23:00イカのホテル到達、宿泊
 
2日10:45送迎バスでナスカに向かう飛行場に移動。
 
11:30セスナで出発
 
地上絵があるパンパの南、ナスカ川の近くの高台で発見されたナスカ時代の都市遺跡、祭祀の中心地として約2000年前に興隆し、6世紀前後に衰亡したと考えられるカワチを上空から望む。
 
紀元後100−800年、海岸から80kmほどの乾燥地帯にひとつの文化が栄え、謎の地上絵で知られ、人々は広大な大平原に向かって何を思ってか300にも渡る直線を引き、三角形の図形、動物、魚、虫、植物などの絵を描き、それも空中から見なくてはわからないほどの巨大な大きさのナスカ地上絵を上空から望む。
 
13:00飛行場に戻る。
 
バスでリマに向かう。
 
17:30リマ到着、リマはチャラと呼ばれる海岸砂漠地帯に位置し、年間を通してほとんど雨が降らない。かつてリマの中心地だった旧市街地だが、近年は治安の悪さなどからオフィスが集まる中心地に移った新市街を散策する。
紀元後から600年頃に栄えたリマ文化の遺跡、アドベ(日干しレンガ)を積み上げて造られ、宗教的な場所だったと思われるわか・プクヤーナを訪れる。
 
海岸方面に向かい、公園の真ん中に恋人が抱き合ってキスをしている、巨大なモニュメントが置かれている海を臨む公園、恋人達の公園を散策する。
 
海岸沿いを南に向かい、レストラン、ショップなどが集まる華やかなスポット、晴れた日には太平洋を一望でき、ローマ法王のペルー訪問に合わせて、1985年に当時の大統領アラン・ガルシアによって建てられた十字架が見えるラルコ・マルを訪れる。
 
一番繁華街のラルコ通りを散策しショッピング、食事を済ませてからホテルに到達。
 
22:00ホルヘ・チャペス空港に向かう。
22:30ホルヘ・チャペス空港到達
3日1:40リマ・ホルヘ・チャペス空港出発
7:25ロサンゼルス空港到達
11:40ロサンゼルス空港出発
4日16:40成田空港到達
18:30成田空港出発
19:55関西国際空港到達。
 
今回の旅行、国土は日本の約3.4倍、エクアドル、コロンビア、ブラジル、ボリビア、チリと国境を接しており、ほぼ赤道直下から南緯18度にわたる多様な地勢を持ち、年間を通じてほとんど雨の降らない乾燥した砂漠から、標高6000m級の雄峰が連なるアンデス高地、ジャングルに覆われたアマゾン河流域の密林地帯まで変化に富んだ風土と気候が一つに存在しているペルーに足を運び、
 
アンデス山脈にかつて南米の最大の帝国を築いたインカ帝国が位置するクスコ。
 
謎の空中都市といわれているマチュピチュ。
 
乾燥した大地に刻まれたナスカの地上絵。
 
汽船が航行する湖では世界最高地にあるティティカカ湖。
 
南米大陸の太平洋岸の中心となり、人口約790万人を擁するペルーの首都リマ。
 
9日間でペルーの主となる観光地を巡り堪能しました。
 
ペルーはアンデス山脈の覆われ海岸線を除く、訪れた内陸のクスコ、マチュピチェ、プーノ(ティティカカ湖)は3000m級の高地で酸素が薄く、気圧が低いため、息切れ、頭痛等の症状を覚え、休みながらゆっくり目の観光巡りでした。
 
山頂の謎の遺跡群マチュピチェ、砂漠に大きく描かれた謎の遺跡群ナスカの地上絵、富士山より高地にある標高3800mを超える位置にあるプーノのティティカカ湖、バラエティに富んだペルーの観光めぐり、満喫しました。
 
なかなか移動に時間の掛かる南米、ペルー以外にもブラジル、エクアドル、チリ等、観光名所が多く、訪れたい国が目白押しです。
 
時間掛かりますが、何年もかけて、徐々に攻めていきたいと思います。