飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十六弾:鳥取県米子&大山&境港観光
2010年10月30ー31日


海や山に囲まれ自然豊かで、話題のスポットからネイチャースポット、魅力的な温泉までみどころ満載の山陰の鳥取県に足を運び、江戸時代城下町として栄えた米子、西日本最大のブナの原生林が残る大山山麓、港町で、水木しげるロードを始め妖怪関連のみどころ豊富な妖怪の町として知られる境港を訪れました。

30日新大阪13:09新幹線のぞみで出発
13:56岡山駅到達
14:05岡山駅やくもで出発
16:11米子駅到達、市街地を散策する。

米子城跡の外堀に合流して中海に注ぐ旧加茂川は、大正時代初期まで小舟が通った運河。河口付近には船着き場のある土蔵や川べりに下る石段・小橋が残り、往時の面影を留めている。回船問屋後藤家住宅(重要文化財)や寺町界隈など見どころも多く、旧加茂川から中海へでる約40分の加茂川・中海遊覧船に乗れば、湊山公園や米子城跡まで眺望できる加茂川沿いを散策する。

旧加茂川の北側に残る、昭和半ばを思わせる古い商店街。茶道具店や駄菓子店などが、500mほどにわたり点在。地元産の原材料にこだわったお菓子やお茶を販売する、「下町館かどや」もあるしょうじき村〜笑い通り[加茂川沿い]を散策する。

旧加茂川の京橋のたもとに立つ、江戸時代の廻船問屋後藤家の住宅。切妻屋根に丸瓦、連子格子や家紋入りの軒瓦など、凝った造りに当時の財力が感じられる。地元の開発にも私財を投じたという後藤家住宅[加茂川沿い]を訪れる。

18:00米子駅付近のホテル到着後、繁華街を散策、食事を済ませて床に就く。

31日6:00レンタカーで出発、大山方面に向かう。

上淀廃寺跡をはじめ古代遺跡が多い淀江町の、古代文化にふれられる史跡公園。復元された竪穴式住居、高床建物のほか、土器作りなどが体験できる伯耆古代の丘公園を訪れる。

米子方面から望むと、富士にたとえられるような美しい円錐形。しかし山容は複雑で、標高1729mの剣ケ峰を最高峰に数々の峰が連なり、北には険しい岩壁が屹立するなど見る方向によってまったく表情を変える大山を訪れる。

老年間(717〜723)に開かれた天台宗の古刹。石段の上に立つ朱塗りの柱に緑色の格子窓をもつ本堂は、往時の大山三院の一つである中門院の大日堂で、1875年(明治8)の神仏分離令で大山寺の根本中堂とされた。明治の廃仏毀釈を免れた文化財は、宝物館霊宝閣に収蔵する大山寺を訪れる。

地学・生物・歴史など、大山をさまざまな分野から学べる博物館。ブナをキーワードに映像やパネル展示、大山の最新情報がわかるコーナーなどがあり、大山の魅力をたっぷりと紹介する大山自然歴史館の前で写真撮影。

南部町、伯耆町の2町にまたがり、大山を望む越敷野にある、日本最大級のフラワーパーク。高さ21m、直径50mのガラス張り温室を中心に、エントランスの西館、トロピカルフラワーが咲く南館、ゆりを展示する東館、映像シアターや喫茶が入った北館の4館があり、すべてを1周1kmの屋根付展望回廊が結んでいる。周囲には、季節ごとの植物を植栽した色とりどりの花壇が広がり、数々の美しい風景に出会えるとっとり花回廊を訪れる。

大山の西山麓に広がる高原。春〜秋シーズン天空リフトを運行。リフトを利用すれば、標高900mまでいっきに上がる事のできる大山唯一の観光リフト。天空展望台からは大パノラマが一望できる大山桝水高原を訪れる。

桝水高原から鏡ケ成方面へ抜ける大山環状道路上で最も高い、標高910mの峠。展望台もあり、ドライブの途中の休憩スポットに最適。眼下には樹海が広がり、ふり仰ぐ大山は、一ノ沢、二ノ沢、三ノ沢が荒々しいアルペンムードあふれる南壁。新緑や紅葉の時期には、鮮やかな木の葉の彩りと岩肌とのコントラストが美しい鍵掛峠を訪れる。

小高い丘の上にたたずむ小祠。縁起のよい名前は、『太平記』に登場する武将金持景藤ゆかり。隠岐から脱出して船上山に立てこもった後醍醐天皇に従い挙兵した景藤が、ここで必勝を祈願したと伝えられている。その武運と「かねもち」の名から、開運、金運の神様として、全国から多くの参拝者がある金持神社を訪れる。

島根県安来松江方面に向かう。

587年(用明天皇2)、尊隆上人開基の天台宗寺院。山陰有数の巨刹で最盛期には僧坊48を数えたが、尼子・毛利の戦火に遭い本堂のみを残し焼失。その後松江藩の庇護を受け、現在の伽藍に復興した。境内には室町様式を残した光明閣庭園、多くの文化財を収める宝物館、1393年(明徳3)建立の根本堂(重要文化財)、1859年(安政6)に建立された山陰唯一の三重塔がそびえる。秋の紅葉時期は特に美しい。出雲の国神仏霊場11番の清水寺を訪れる。

地元出身の実業家・足立全康氏が蒐集した美術品を基に、昭和45年11月に開館。コレクションは近代日本画を中心に、陶芸・童画・彫刻・蒔絵など多岐におよび、総数1300点を数える。なかでも、横山大観の作品は130点を超え、日本一の大観コレクションとして知られている。広大な日本庭園は米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が実施した庭園ランキングで、2003年から7年連続で日本一に選ばれている足立美術館を見学。

弓ケ浜と島根半島に囲まれた周囲84km、海抜0m、最深17mの湖で、宍道湖とは大橋川、日本海とは美保関町と境港市を隔てる境水道(中江瀬戸)で結ばれている。北岸近くにはアスピーテ型の火山島でボタン栽培の盛んな大根島が浮かぶ。湖岸各所から展望できるが、安来市側からは宍道湖と同様、夕景が美しい中海を訪れる。

古来から製鉄で栄え、現在もハガネの町である安来市や出雲地方。その近代製鉄の歴史や文化について展示・解説している。天秤ふいご(重要有形民俗文化財)などのたたら製鉄に関する収蔵品250点のほか、映像ホールでは臨場感あふれるたたら場の様子を紹介する和鋼博物館を見学。

広大な回遊式庭園は山陰地方随一の規模。庭園では四季の花々に加え、日本一ともいわれる大輪のボタンが一年中鑑賞できる。境港からは江島大橋で結ばれており、ドライブコースとしてもおすすめの由志園を訪れる。

境港方面に向かう。

県民の建物100選に指定された、白壁が美しい古い酒蔵を改築した史料館。約700種4000点の魚のはく製を展示した「水のない水族館」がメインの展示で、カニ・ハリセンボンなどのなじみ深い魚から体長4.2mもあるホホジロザメ、約3mの巨大マンボウ、アマゾンの巨大魚ピラルクといった珍しいものまで種類が多い。2階には、この地に古くからある漁具などの生活用具を展示する一角もある海とくらしの史料館を見学。

境港駅前からアーケード沿いに続く、全長約800mの通り。境港出身の水木しげる氏が描く、鬼太郎や目玉おやじなどおなじみのキャラクターのブロンズ像130体以上が並ぶ。目玉おやじ型の街灯や妖怪ハウス風の公衆電話、河童の泉、鬼太郎グッズのショップ、妖怪神社などもあり、まさに妖怪づくしのユーモアあふれる道。本町アーケードには水木しげる記念館もあり、2009年3月には河童の泉の斜め前「水木ロードポケットパーク」に「水木しげる氏顕彰像も建立された水木しげるロードを散策する。

水木しげるロードにある記念館。水木しげるの仕事部屋を再現したり、妖怪の世界を体感することができる。また、手紙を妖怪ポストに投函すると鬼太郎消印を押してもらえる郵便サービスも好評の水木しげる記念館を見学。

境港市観光案内所や隠岐汽船ターミナルの入るみなとさかい交流館2階にある、世界の航海史と境港の魅力を紹介する資料館。模型やパネル展示だけでなく、実際に汽笛を鳴らしてみたり、ハンドル操作で船を着岸させてみたりと、ゲーム感覚で船の世界を知ることができる。特にバーチャル航海体験ができるプレジャー号が人気のマリンプラザ21を訪れる。

夢みなと公園内にあるタワー。地上43mの展望室からは、大山・島根半島・弓ケ浜・中海・米子などを見晴らせる。1階には大正・昭和初期の町並みを再現したみなとまち商店街、3階には中国など対岸諸国6地域の生活を紹介する展示室などがあり、貿易港としての境港の対外交流の様子を知ることができる夢みなとタワー[夢みなと公園]を訪れる。

米子方面に戻る。

アジア各国をテーマにした博物館が広い敷地に点在。ゲートを入ってすぐの染織館、絣館には、郷土の珍しい繊維類、浜絣などが展示され、続くペルシャ錦館には、2000点ものペルシャ錦を収蔵。すぐ隣の蒙古館はモンゴルの歴史民俗に関する展示、右隣の井上靖記念館は、シルクロードにゆかりの深い井上靖の書斎や応接間などを再現しているアジア博物館・井上靖記念館を見学。

「日本の渚100選」に選定された海岸。名前のとおり、弓なりに続く白砂青松の浜で、一角に皆生温泉も。その果てに大山を望む。弓ケ浜の中央にあたる富益町には弓ケ浜展望台があり、美保湾を全望できる弓ケ浜を通過する。

中海の南岸に設けられたバードウォッチング施設。国内で確認された野鳥のうち約半分の種類が観察できる。11〜3月にはコハクチョウ、7〜8月にはカルガモの親子などが見られ、園内に立つネイチャーセンターには望遠鏡で野鳥を観察できる観察室や、野鳥について調べられるパソコン検索コーナーなどが設置されている米子水鳥公園を訪れる。

17:00米子駅到達。
17:25米子駅やぐもで出発
19:36岡山駅到達
19:49岡山駅新幹線のぞみで出発
20:35新大阪到達。

今回の旅行、山陰の海や山に囲まれ自然豊かで、話題のスポットからネイチャースポット、魅力的な温泉までみどころ満載の鳥取県に足を運び、江戸時代、城下町として栄え、米子城の外堀だった旧加茂川沿いの下町には、当時の面影を留める古い建物が残り、ノスタルジックな雰囲気が漂う米子、
西日本最大のブナの原生林が残り、長く伸びる独特の形状から、見る方向や角度によって表情を変える大山、

日本一の水揚げを誇るベニズワイガニをはじめ、夏のマグロ、冬の松葉ガニなどが名物の港町、水木しげるロードを始め妖怪関連のみどころ豊富な妖怪の町として知られる境港を訪れ1泊2日の観光旅行楽しめました。

当日は台風が通過後、生憎天候が悪く、一日中雨、しかし運よく午前中の大山観光は、時々雨もやみ、かろうじて大山を含めて、大自然の眺望を楽しむことが出来ました。

今回訪れた、島根県の大山、境港、島根県の安来、足立美術館、大根島の由志園、人気のある観光名所、雨にもかかわらず大勢の人で賑わっていました。

特に境港の水木しげるロードはテレビの影響もあって多くの家族ずれの人々が訪れ、込み合っていました。

鳥取県は今回でほぼ制覇出来たと思います。

国内制覇も、もう直ぐです。頑張ります。














三重県鈴鹿&亀山観光
2010年10月27日


東海と近畿の接点地、三重県に足を運び、伊勢湾北部に位置するエリアで大型のテーマパークが目白押しの鈴鹿、江戸時代の風情を残す町並みがある亀山を訪れました。

12:30車で第二京阪京滋名神新名神自動車道経由して鈴鹿インター下車
13:45鈴鹿方面到達

御幣川の上流4kmにわたる渓谷。屏風岩や鍾乳洞などみどころが続く小岐須渓谷を訪れる。

仁侠史最大の大出入りといわれる「荒神山の喧嘩」の舞台として有名な真言宗御室派の寺院。十一面観音菩薩を祭る本堂のほか、勝負師の信奉が厚い奥ノ院、春日局が寄進した釣鐘などがある荒神山観音寺を訪れる。

日本武尊を祭っている。社殿の北西にある円形の墳墓は、日本武尊の墓と伝えられる白鳥塚古墳。4月上旬、境内はムラサキツツジに彩られる加佐登神社を訪れる。

聖武天皇の命を受け、行基が741年(天平13)に開いた国分寺、国分尼寺があった場所。国の史跡に指定されている。かつて南大門などが立っていたが、戦国の騒乱でほとんど焼失。現在は講堂の礎石の一部が残るのみである伊勢国分寺跡を訪れる。

歌川広重の東海道五十三次にも描かれた真言宗の名刹。厄除け祈願の寺として知られる。本尊の石薬師は神亀年間(724〜29)に、泰澄が地底から巨石を発見し、のちに弘法大師が薬師如来を彫ったもの。毎年12月20日、煤払いのために開扉される石薬師寺を訪れる。

江戸末期の商家建築として市の史跡に指定される伊勢型紙の問屋・寺尾家。その建物を利用した伊勢型紙資料館が公開されている。型紙はもちろん、それらで染めた着物や、型紙を作る道具類も展示する伊勢型紙資料館を訪れる。

子授けと安産に霊験あらたかな白衣観世音を本尊とする真言宗の古刹。境内にある不断桜は、四季を通して葉がつき、開花期も12〜4月と長い珍しい桜で、国の天然記念物に指定されている子安観音寺を訪れる。

行基が開いた真言宗の寺。明治初期までは伊奈富神社の別当寺だった。本堂前の収蔵庫には、木造の薬師如来立像、持国天立像、多聞天立像、淳和天皇の像(いずれも重要文化財)を安置している神宮寺を訪れる。

記紀では、日本武尊が東征の帰途、亀山で終焉を迎え、魂は白鳥と化して大和へ向かったとされている。市内北東部にあるこの墓は、ミコトの墳墓の地と伝えられ、神社や公園がある能褒野御墓を訪れる。

亀山城の外堀にあたる池の近くには1932年(昭和7)に亀山保勝会が建立した石碑が立つ。これは1701年(元禄14)5月9日に石井源蔵・半蔵兄弟が父の仇、赤堀水之助を討ち取ったことを記念する碑。当時、元禄曽我とよばれ、翌年の赤穂浪士の討ち入りと並び称された石井兄弟敵討ちの碑を訪れる。

728年(神亀5)、聖武天皇の勅願で、行基が創建したとされる古刹。往時には七堂伽藍を有したが、たび重なる兵火で焼失。災禍を逃れた本尊は、当初薬師如来であったものを阿弥陀如来立像に改作したといわれる。高さ162cmの一木造。全身に木屎漆が塗られた立派な仏像は、国の重要文化財に指定されている慈恩寺を訪れる。

昔、街道の一里ずつに木を植え、道程の目印にしたのが一里塚。県下12カ所の一里塚のなかで唯一現存し、樹齢400年のムクの巨木が植えられている。国指定の史跡の野村一里塚を訪れる。

東西約1.8kmにわたる旧街道の東西の入口が追分だ。東追分は東海道と伊勢別街道の分岐点で、今も残る大鳥居は伊勢神宮を遥拝するもの。20年に一度の遷宮の際、宇治橋南詰の鳥居を譲り受けて移設される東の追分を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の近場の名所巡り、三重県の伊勢湾北部に位置する鈴鹿、亀山を訪れ点在する寺社、歴史的建造物、史跡に触れ有意義な日を送ることができました。






高知県四万十川カヌー
2010年10月23−24日


日本の最後の清流と呼ばれ、高知県西部の不入山を源流とし、山間部を大きく蛇行しながら周囲を潤し、約196kmを旅した後、土佐湾に注ぎ、別称、渡川とも呼ばれ、四国一の長さを誇り、上流域から河口までさまざまな表情を見せてくれる四万十川に足を運び、鯉のぼり公園付近から中半家の沈下橋までの10kmをカヌーで下りました。

23日13:00大阪駅集合出発、車で阪神淡路高松高知自動車道経由して須崎インター下車
18:30四万十町土佐大正到達、四国山地の険しい山峡、四万十川に注ぐ清らかな葛籠川沿いに立つ一軒宿。一の又渓谷、その自然を生かして建てられた本館と別館は総檜造りで山荘風。渓流に架かっている二本の回廊が本館と別館をつないで趣がひとしお。本館と別館に岩風呂があり、湯舟につかると、絶えず心地よいせせらの音、緑に包まれた窓越しの素晴らしい展望のある一の又渓谷温泉に浸かる。

19:30窪川方面に戻る。
20:30窪川内の宿に到達。
21:00宴会始める。
21:30第二班が到着、総勢10人で宴会を続ける。
24:00就寝。

24日6:30起床。
7:00朝食
7:30出発、カヌースタート地点、鯉のぼり公園に向かう。
9:00鯉のぼり公園付近到達、準備して
10:00川下りスタート、2級までの多くの瀬を通過して途中河原で昼食して中半家の沈下橋までの10kmをカヌーで下りました。
15:00中半家の沈下橋到達、あとかたずけして
16:00近くの十和温泉に浸かり
16:30出発。帰路に向かう。途中サービスエリアで食事を済ませて
23:00大阪駅到達解散。

今シーズン最後のカヌーイベント、遠方の四国高知県の有名な清流四万十川に足を運び、2級までの多くの瀬を超えて10km下り終えました。

スリルを味わえる2級クラスの瀬、長い1級クラスの瀬が数多く存在し、今シーズン最後のカヌーイベントなかなか楽しめました。

又前日は日本一の温泉と呼ばれる秘湯、一の又渓谷温泉に浸かり、カヌー、秘湯温泉の両方を楽しめることも出来ました。

これからも泊まりの遠方でのカヌーイベント、観光、秘湯温泉を兼ねて行いと思います。





滋賀県湖東観光
2010年10月20日


近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県の湖北に足を運び、彦根藩井伊家の居城であり、風情ある史跡がいっぱいの城下町彦根、近江商人の発祥の地、八幡堀周辺は白壁土蔵が建ち並ぶ古き佳き風情を残す近江八幡、五個荘を訪れました。

12:30車で第二京阪名神自動車道経由して
13:45彦根インター下車

彦根藩・井伊家30万石の居城。1622年(元和8)、井伊直継・直孝によって、約20年の歳月をかけ完成。琵琶湖から直接引き込んだ堀をめぐらし、小高い山に立つ。3重3層の天守(国宝)を中心に、長浜城から移築された天秤櫓(重要文化財)、城内の合図のための太鼓が置かれていた太鼓門櫓(重要文化財)、近江八景を模した庭園の玄宮園など見どころが数多く残る。天守の内部は見学可。最上層からは琵琶湖が一望の下に見渡せる彦根城を訪れる。

彦根城の北東にある池泉回遊式庭園。1677年(延宝5)、彦根藩4代藩主の井伊直興が造営した。池を中心に中の島や入江に架かる6つの橋など、変化に富んだ趣が楽しめる玄宮園[彦根城]を訪れる。

幕末の大老井伊直弼が17歳から32歳までを過ごした屋敷。彦根藩第11代藩主直中の14男として生まれた直弼は、わずか300俵の捨扶持で部屋住の一生を終えるはずだった。直弼が花の咲かない埋もれ木と同じ身の上だけれども自分にはなすべき技があるといって名付けた舎号の埋木舎を訪れる。

京橋のそばにある和ろうそくのテーマ館。1階はショップやキャンドル作りの体験工房。2階には、高橋狗佛の玩具を展示する彦根まちなか博物館とギャラリーカフェがある夢京橋あかり館を訪れる。

赤門と呼ばれる、朱塗りの山門で有名な寺。石田三成の居城・佐和山城の大手門を移築したものと伝わる。本尊阿弥陀如来は淀殿の念持仏で、大坂城より持ち出されたといわれる。書院の地蔵尊と千体仏は石田三成の念持仏とされ、紅白の砂利を火と水にみなした「彼岸白道の庭」の奥には権現位牌堂があり、徳川家康の位牌を安置する。江戸時代は朝鮮通信使の宿館でもあった宗安寺を訪れる。

近江方面に向かう。

別名「馬の寺」とも呼ばれる古刹。聖徳太子が松に馬をつないで山へ登り、戻ってみると馬が池に沈み石になっていたという伝説に由来する。境内には本堂や大佛宝殿などが立ち、大佛宝殿には役行者腰掛像、十一面観音菩薩立像や威徳明王牛上像など(重要文化財)が11躰安置されている石馬寺(馬の寺)を訪れる。

天智天皇の勅願により創建された寺。藤原鎌足の長男、定恵が中国から桑を持ち帰り、日本で最初に養蚕を始めたのが寺名の由来という。500段ほどの石段を登ると、目の前に本堂が現れる。室町初期に建立された檜皮葺きの本堂(重要文化財)には本尊薬師寺如来や毘沙門天、不動明王などが安置されている桑実寺を訪れましたが時間と体力が今回なく500段の階段は登れず、次回持越しとなりました。

巨岩・奇岩が多く露出した赤神山の中腹にある古社で、正式名は阿賀神社。太郎坊とは京都鞍馬の次郎坊天狗の兄天狗のことで、この社を守護しているという。本殿前には神力によって左右に分かれたといわれる高さ10数mの夫婦岩があり、幅80cmほどの隙間を通って参拝すると諸願が成就するが、もし悪心があれば岩に挟まれてしまうという太郎坊宮を訪れる。

300年の歴史をもつ八日市大凧を中心に、世界各国の凧を常時約500点展示。吹き抜けのホールには縦13m、横12m、重さ700kgという100畳大の大凧が飾られているが、八日市大凧としては普通サイズとか。毎年5月の最終日曜には、愛知川八千代橋付近の河川敷で八日市大凧まつりが開催される世界凧博物館八日市大凧会館を訪れましたが休館でした。

古代朝廷の遊猟の地として知られる蒲生野にある船岡山を整備した公園。額田王と大海人皇子が恋歌を交わした舞台とされ、蒲生野万葉歌碑や万葉植物園もある万葉の森船岡山を訪れる。

蒲生野には古代ロマンを伝える寺社が点在。この寺には、インドのアショカ王が世界に撒いた8万4000の石塔のひとつといわれる阿育王塔(重要文化財)のほか、多数の石塔や石仏が立つ石塔寺を訪れる。

家族で楽しめる自然公園。416万平方mの広大な敷地に、屋内外テニスコートやオリエンテーリングコース、フィールドアスレチック、サイクリングロードなど多彩なアウトドア施設が揃う。キャンプ場や宿泊施設も完備の滋賀県希望が丘文化公園を訪れる。

17:30終了。

今回の近場の名所巡り、近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県の湖北に足を運び、江戸時代は旧彦根藩主井伊家35万石の城下町、近世は湖東地域の経済や文化の中心的存在として発展した彦根、

16世紀に豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町として開かれ、その後、商業都市へち発展した近江八幡、

白壁沿いの水路に錦鯉が泳ぐ趣きある近江商人発祥地、五個荘、

織田信長ゆかりの安土を訪れ、点在する多くの歴史的建造物、史跡に触れ有意義な時間を過ごすことができました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十五弾:福井県越前観光
2010年10月16ー17日


南越前町と敦賀市を隔てる稜線を境に、北部を越前、南部を若さに分けられる福井県の越前に足を運び、美術館や博物館が点在し全国唯一の戦国城下町跡の福井タウン、福井を代表する名勝東尋坊や芦原温泉、歴史ある港町三国、日本最古の天守閣がある丸岡や禅の道場永平寺、恐竜化石の産出日本一の勝山、名水の里として知られる大野を訪れました。

16日13:13新大阪駅ひかりで出発
13:49米原到達
13:59米原しらさぎで出発
15:03福井駅到達、福井市街地を散策する。

約270年間、17代にわたり、越前松平家の繁栄の舞台となった福井城。1606年(慶長11)、初代福井藩主で徳川家康の次男・結城[ゆうき](松平)秀康によって築城された。当時は高さ約37m、4層5重もの雄大な天守閣と三重の堀をもっていたといわれる。現在残る遺構は堀の一部と石垣のみ。本丸跡には県庁が立ち、その敷地内には福井の地名の由来にもなったという説もある井戸跡「福の井」もある福井城址を散策する。

養浩館は福井藩主松平家の別邸。この優雅な書院建築の屋敷を取り巻く回遊式林泉庭園は、江戸中期を代表する名園として知られていたが、1945年(昭和20)、福井大空襲で焼失。その後、国の名勝に指定されたのを機に、1823年(文政6)の古図をもとに建物と庭園が復元された。かつては舟遊びができた広大な池を中心に築山や入江などを配した優美な庭園が蘇った。また、麻の葉模様を透彫にした欄間のある主座敷の御座ノ間や、池に映る月を見るための雲窓の出書院がある御月見ノ間なども見ごたえ充分の養浩館庭園を訪れる。

「アートラボふくい」の愛称で親しまれている美術館。曲線を描くガラス張りの外観が印象的だ。常設展では福井市ゆかりの彫刻家・高田博厚[たかたひろあつ]の作品を展示。ロマンロランや高村光太郎など、国内外を問わず彼と交流のあった画家や詩人たちの肖像、デッサン、また、映像やパネルなどでその作風を多角的に知ることができる福井市美術館を見学。

標高116.8mの足羽山全体が公園。足羽山公園遊園地や福井市自然史博物館のほか、足羽神社や十数基にも及ぶ古墳群などが点在し散策に格好。春は3500本もの桜が咲き、「日本さくら名所100選」にも選定されている。6月中旬には、園内の足羽山アジサイロードのアジサイが満開になる足羽山公園を散策する。

第4代福井藩主・松平光通によって、1658年(万治元)に建立された松平家の菩提寺。建物一帯は国の重要文化財に指定。寺宝も多い。本堂裏には、笏谷石[しゃくだにいし]を1360枚敷き詰めた千畳敷とよばれる歴代藩主の墓地があり、高さ4mもの墓石が並ぶさまは圧巻。気軽に参加できる坐禅コースや四季折々の食材を使用した精進料理もある大安禅寺を訪れる。

18:00福井駅付近のホテルに到着後、市街地を散策し食事を済ませてから就寝。

17日6:00レンタカーで出発、東尋坊方面に向かう。

中国を代表する作家魯迅[ろじん]が師と仰いだ医師・藤野厳九郎の旧宅を三国町から移築したもの。家屋は昭和初期のもので木造2階建て。別棟には資料室があり、医療器具や書簡などの遺品を展示する藤野厳九郎記念館を訪れる。

越前松島を眼下に望む水族館。マンボウ・リーフィーシードラゴンなど特徴ある魚を中心に、約400種の魚介類を紹介している。人気のフンボルトペンギンのお散歩や楽しいイルカのショーのほか、アザラシとのふれあいタイム、ウミガメや魚へのエサやり、ふれあい館ではサメやエイ、巨大なタコにさわることができる。また、2009年夏に新設された「海洋館」では、イワシの群泳やハンマーヘッドシャークが見ものの「海洋大水槽」と、水面がガラス張りの「シースルー珊瑚礁水槽」で海面浮遊体験ができる。3D立体シアター「くじらワールド」、展望レストランも併設している越前松島水族館の前で記念撮影。

安島漁港の沖合に浮かぶ周囲約2kmの小さな島。安島から島までは、224mの朱塗りの大橋が架かり、歩いて渡ることができる。橋を渡って大きな鳥居をくぐると78段の石段があり、その上には大湊神社が祭られている。境内からは東尋坊が一望でき、社務所の横からは遊歩道が延びる。島の南にそびえる柱状節理を眺めながら島を一周出来る雄島を訪れる。

国の天然記念物にも指定されている北陸屈指の景勝地。輝石安山岩の柱状節理の巨大な岩柱が約1kmにわたって続き、東尋坊大池や千畳敷、ライオン岩といった深淵や奇岩などが壮大な景観を展開している。断崖絶壁に日本海の荒波が打ち寄せるさまは、ダイナミックで迫力満点。冬には、砕けた波しぶきが白い泡状に凍って宙を舞う波の花が見られることもある東尋坊を散策する。

高さ55m、海面から110mの展望台。東尋坊や雄島、越前岬はもちろん、晴れた日には白山連峰や能登半島まで一望できる東尋坊タワー[東尋坊]を訪れる。

断崖に沿って歩きながら東尋坊を探勝する遊歩道で、サンセットビーチ北の米ケ脇から雄島入口の安島までの約4kmを結ぶ。眼下に見下ろす日本海や東尋坊の奇勝を堪能できる。途中には、高見順や三好達治、高浜虚子など地元ゆかりの文学者の文学碑や句碑が立つ荒磯遊歩道を散策する。

もと小学校を復元した郷土資料館。建物は5層8角形のユニークな洋館で、館内には北前船の5分の1の模型や船箪笥、航海用具など三国湊の海の暮らしを伝える資料、勇壮な武者人形を乗せた三国祭りの山車などを展示するみくに龍翔館を訪れる。

永平寺方面に向かう。

1576年(天正4)、柴田勝家の甥である勝豊が築城。天守閣は2層3階建てで、屋根は笏谷石の瓦葺き。上層に望楼があり、現存する天守閣としては愛知県の犬山城とともに最も古い形を残している。天守閣の東北側にある「一筆啓上…」の石碑は、日本一短い手紙として有名。徳川家康の功臣・本多作左衛門重次が、陣中から妻にあてて書き送ったものだ。周囲は霞ケ城公園として整備され、春には400本の桜が咲き誇る桜の名所。園内には、歴代城主ゆかりの武具や古文書などを展示する歴史民俗資料館もある丸岡城(霞ケ城)を訪れる。

豪雪地帯の厳しい寒さに耐えうる良質の真竹や孟宗竹が育つ越前では、古来より竹細工が作られてきた。今や伝統工芸になった竹人形もその一つ。創作竹人形館「黎明」は、さまざまの竹人形が展示された日本で唯一の竹人形館。展示作品は50点を数え、笹鳴りやひぐらし、しだれ桜といった竹人形の名作が並ぶ越前竹人形の里を訪れる。

広さ33万平方mにも及ぶ寺域は樹齢680年の老杉に囲まれ、壮厳な雰囲気が漂う。境内には山門、仏殿、法堂、僧堂(座禅堂)、庫院(台所)、浴室、東司(便所)の七堂伽藍をはじめ大小70余りの堂宇が配され、これらはすべて回廊で結ばれている永平寺を訪れる。

永平寺の境内にあり、必見は2階にある156畳敷の絵天井の大広間。折上格天井にはめ込まれた花鳥彩色画230枚は圧巻の傘松閣[永平寺]を訪れる。

1749年(寛延2)に再建の永平寺でもっとも古い建造物。両側には仏法の守護神・多門天、持国天、広目天、増長天が祭られている山門[永平寺]を訪れる。

永平寺境内にあり、修行僧が朝昼の食事や夜の睡眠をとる修行道場で、一般の立入りは禁止。約90人の修行僧たちが座禅する席が設けられている僧堂[永平寺]を訪れる。

永平寺境内にあり、国土安穏、万邦和楽を願う道場で、寺の本尊である過去、現在、未来を表す3体の釈迦牟尼仏が祭られている仏殿[永平寺]を訪れる。

永平寺境内の法堂は、1843年(天保14)の再建で、420畳敷と、七堂伽藍の中では最大規模を誇る。毎朝の勤経や各種法要が行われる法堂[永平寺]を訪れる。

勝山方面に向かう。

アジアを中心に、世界から集められた恐竜の全身骨格を30体以上も見ることができ、まるで立体の恐竜図鑑のようだ。実物大の恐竜たちが動く古環境復元ジオラマやCGシアターで、恐竜時代にタイムスリップした気分が味わえる。恐竜をはじめとする古生物、地球史の展示も充実する福井県立恐竜博物館を見学。

1987年(昭和62)の創建。大仏殿に安置された越前大仏は身の丈17mと、奈良東大寺の大仏を上回る大きさだ。中国洛陽市の郊外にある龍門石窟の坐像をモデルに造られたもので、両側には羅漢像、菩薩像が鎮座する大師山清大寺(越前大仏)を訪れる。

全国から集められた鎌倉時代の刀剣や鎧、兜など貴重な文化遺産を展示する博物館。1992年(平成4)に建てられた5層6階からなる天守閣の形をした建物で、石垣から鯱まで57.8mと日本一の高さだ。6階の展示室からは市街地と九頭竜川、越前大仏、遠く白山連峰などが一望できる勝山城博物館を見学。

白山を開いた泰澄大師が、717年(養老元)に創建した古社。48社36堂の坊舎をもち、白山信仰の一大拠点として栄華を極めたが、一向一揆で全山が焼失。現在は拝殿や本殿などの7つの社殿と、国の名勝の旧玄成院庭園が残る。菩提林とよばれる老杉が約2kmにわたって続く参道は石畳を覆う苔が美しく、「日本の道百選」にも選ばれている平泉寺白山神社を訪れる。

大野方面に向かう。

標高約600m、広さ2.7平方kmに及ぶ雄大な高原。大野盆地の北東に広がり、奥越高原ともよばれる。一帯にはホテルをはじめ、約200頭の乳牛を放牧する牧場、乳製品加工体験ができるミルク工房、温泉とレジャー施設を備えたピクニックガーデン、小動物園、スポーツ施設などが点在。トロン温浴施設うらら館のほか、毎年12月には初心者から上級者まで楽しめるスキー場もオープン。四季を通じてアウトドアレジャーが楽しめる六呂師高原を訪れる。

本願清水は、市街地南部にある湧水の一つ。全国でも数カ所しかない珍しい淡水型イトヨ生息地の南限として、国の天然記念物に指定されている。イトヨはトゲウオ科に属する魚で、主に北日本や北半球の北部に分布。体長は約6cm。背中に3本、腹部に2本、尻びれ前に1本、合計6本のトゲがあり、水が冷たくてきれいな所にしかいない。池に隣接して立つイトヨの里では、イトヨのすむ池を水中から観察できる本願清水イトヨの里を訪れる。

小京都大野の名物の一つとなっている七間朝市。越前大野城を築城した金森長近の時代から400余年の歴史を誇り、春分の日から大晦日までの毎日、町の中心を東西に走る七間通りで開かれる。朝の7時頃になると、地元の農家が丹精込めて育てた新鮮な野菜や果物、花などが路上に敷かれたゴザにズラリ。地元の人が買い出しに訪れ、活気に包まれる。観光客と地元の人とのふれ合いの場でもあり、素朴な懐かしさが感じられる七間朝市を訪れる。

城下町大野のシンボル。織田信長の家臣・金森長近が1575年(天正3)から4年の歳月をかけて築いた平山城で、1775年(安永4)の大火で城は焼失したが、野面積みといわれる技法で造られた石垣だけは当時のまま残っている。現在の天守閣は1968年(昭和43)に再建されたもので、内部には、歴代領主の遺品や古文書などを展示。最上階からは、眼下に大野の町並み、遠くには白山連峰が眺められる越前大野城を訪れる。

地酒やそばがおいしい大野は地下水が豊富。市内のあちこちに湧水池がある。なかでも環境庁の名水百選の一つに選ばれて、透明度が高く味わい豊かな名水。その昔、殿様の御用水として使われていたことから殿様清水ともよばれ、夏はひんやり、冬は温かく感じられる。現在でも地元の人たちが野菜を洗ったり洗濯をするなど、生活用水として使う姿が見られる御清水を訪れる。

福井市に戻る。

1573年(天正元)、城下町として栄華を極めていた一乗谷は、織田信長の攻撃にあい滅亡。1967(昭和42)から館跡や武家屋敷など多数の遺跡が本格的に発掘され、現在278万平方mの範囲が特別史跡として保護されている。遺跡内の4つの庭園は国の特別名勝の一乗谷朝倉氏遺跡を訪れる。

一乗谷朝倉氏遺跡内の中心的存在で5代朝倉義景が住んだ館跡。6400平方mにも及ぶ敷地には一面に礎石が広がり、16棟の建物があった。入口の唐門は、1598年(慶長3)に豊臣秀吉が寄進したものとの説もある朝倉義景館跡[一乗谷朝倉氏遺跡]を訪れる。

一乗谷朝倉氏遺跡にあり、発掘された武家屋敷や町屋などが立体復元され当時の城下町の造りや人々の生活ぶりが見られる復原町並[一乗谷朝倉氏遺跡]を訪れる。

17:00帰路に向かう。
17:30福井駅到達
17:42福井駅サンダーバードで出発
19:36大阪駅到達。

今回の旅行、福井県北部の越前地方に足を運び、美術館や博物館が点在し全国唯一の戦国城下町跡の福井タウン、大らかな海景色の東尋坊や歴史ある港町三国、関西の奥座敷と呼ばれるあわら温泉、禅の道場永平寺、恐竜化石の産出日本一の勝山、名水の里として知られ、古い商家や武家屋敷の残る城下町、大野を訪れ、自然と多くの史跡に触れ満喫できました。
















京都洛南観光
2010年10月13日


大小多くの寺社が点在し世界遺産の宝庫、京都に足を運び、豊臣秀吉の城下町で酒処の伏見周辺を訪れました。

12:30車で第二京阪京滋バイパス自動車道経由して久我山淀インター下車

京、大坂の境にあって、徳川幕府の要衝的な性格をもつ城だったが、1723年(享保8)稲葉氏十万二千石の居城となった。明治維新で破却されたが、本丸跡の石垣と内濠の一部が残り、往時を偲ばせている。また、秀吉の愛妾淀君の館が、淀城跡北東500mの納所妙教寺あたりにあったと伝えられている淀城跡を訪れる。

862年(貞観4)、境内に湧き出た水がたぐいまれに香り高く、また病に霊験があったことから「御香宮」と呼ばれたという。樹木に覆われた境内の一角に、「日本名水百選」に選ばれた御香水が湧き、これを求める人の列が絶えない。伏見城の大手門を移した表門(重要文化財)や華麗な本殿(重要文化財)、拝殿には桃山建築の特色が見られ、社務所裏には小堀遠州ゆかりの石庭がある御香宮神社を訪れる。

1051年(永承6)に日野資業が建てた薬師堂が始まり。新鸞聖人、日野富子らが生誕した日野家の菩提寺で、通称の日野薬師でも知られる。阿弥陀堂(国宝)は、宇治の平等院鳳凰堂、三千院の往生極楽院と並び平安貴族が夢見た極楽浄土を形にしたものとして貴重。檜皮葺き宝形造の堂内には、平安時代の定朝様式の阿弥陀如来坐像(国宝)が安置され、飛天の壁画(重要文化財)などで装飾されている。本堂薬師堂(重要文化財)の本尊・薬師如来立像(重要文化財)は乳薬師と呼ばれ、安産、授乳の霊像として信仰される法界寺(日野薬師)を訪れる。

真言宗醍醐派の別格本山。少納言藤原入道信成の女、阿波内侍の建立と伝わる。本堂は1810年(文化7)の再建。一言寺[いちごんじ]観音といわれる本尊千手観音菩薩像は秘仏だが、一心に祈ればたちまち願いが叶うといわれている金剛王院を訪れる。

850年(嘉祥3)に文徳天皇によって創建されたが応仁の乱後荒廃した。しかし、1662年(寛文2)に再興。1本の釘も使っていない総欅造りの本堂に秘仏の歓喜天(聖天)と毘沙門天、弁財天という3体の福神を祭るため、地元の信仰を集めている嘉祥寺を訪れる。

元政上人が1655年(明暦元)に庵を結んだのが始まり。本堂は質素な茅葺き。元政は、もとは彦根藩の侍だったが、病弱のため26歳で出家、清貧の中で暮らし、1667年(寛文7)に母が87歳で他界した2カ月後、急逝した瑞光寺(元政庵)を訪れる。

古くは極楽寺といって『源氏物語』にも登場する大寺だったが、応仁の乱で荒廃した。室町時代の四脚門の総門(重要文化財)、本堂(重要文化財)、多宝塔(重要文化財)と並ぶ建築物は一見の価値ある宝塔寺を訪れる。

平安遷都以前から祀られている古社。勝運のご利益があるといわれる。5月5日の藤森祭に行われる駈馬神事は、勇壮で多くの参拝者が訪れる。近年は馬の社として有名で、騎手をはじめ、競馬関係者や競馬ファンの参拝も多い藤森神社を訪れる。

1137年(保延3)、鳥羽上皇が鳥羽離宮の本殿を寺に改めたもので、盛時には仏殿や寝殿造の諸堂が苑池の畔に立ち並び壮観だった。現在は近年再建された本堂、書院、鐘楼などが立つ。本堂には、鳥羽上皇の念持仏と伝えられる阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されている安楽寿院を訪れる。

方除の大社と仰がれる。独特の優美な姿を見せる本殿をとりまくように神苑楽水苑が広っている。様々な趣をそなえた庭には、源氏物語ゆかりの百余種の草木が四季を彩り、「源氏物語花の庭」と呼ばれる。春と秋に行われる「曲水の宴」は、平安の雅を今に伝える行事として有名である城南宮を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の近場の名所巡り、大小多くの寺社が点在し世界遺産の宝庫、京都に足を運び、豊臣秀吉の城下町、伏見を中心としたエリアの寺社巡りし、歴史的建造物に接し、歴史学習してきました。

何回訪れても京都の歴史的建造物の質、量とも立派なのが驚きです、歴史の長さ、深さを物語っていますね。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十四弾:伊豆諸島三宅島&御蔵島観光
2010年10月9ー11日


野趣あふれる景観に包まれた山々や、豊かな海に囲まれた自然の宝庫、手つかずの自然が残り、かわいいイルカやクジラなどがすむ楽園、伊豆諸島に足を運び、東京から南南西に約180kmのところにあり、ほぼ円形をして、溶岩と火山砕層岩からなる火山島、3000年前から繰る返される噴火の歴史を物語る島の造形美を生み続けている三宅島、東京から約200kmの場所に浮かぶ周囲16kmの小さな島、温暖多雨の海洋性気候で、伊豆諸島には珍しく水が豊富で照葉樹林も生い茂り、又イルカウォッチング&スイムが出来る島として注目を集めている御蔵島を訪れました。

9日13:17新大阪新幹線のぞみで出発
15:34新横浜到達、三宅島行きフェリーが22:20遅出の出航のため横浜線で桜木町駅下車、横浜市街地を散策して時間を過ごす。

「環境・エネルギー」「宇宙」「海洋」など、6つのテーマで科学技術の現在と未来について展示。ヘリコプターの操縦シミュレーションや、パソコンを使って行う船や航空機の設計など体験型のコーナーが人気。有人潜水調査船「しんかい6500」の模型も大迫力の三菱みなとみらい技術館を見学。

1989年(平成元)、横浜博覧会施設として開館。19世紀後半の作品を中心に、ダリ・マグリット・ミロ・ピカソ・セザンヌ、幕末・明治以来の横浜にゆかりの深い作家の作品などを幅広く収集。横浜美術コレクション展と年4回の企画展のほか、市民のアトリエなどでの実技指導やワークショップの実施、美術情報の提供など、広く開かれた芸術活動の拠点となっている横浜美術館を見学。

1911年(明治44)に開通した旧国鉄の廃線跡を整備した遊歩道。日本丸メモリアルパークから新港地区までを3つの橋梁が結んでいる。約500m続くボードウォークからはMM21の高層ビル群が一望できるロケーション。鉄道開業当時に築造された石積みやアメリカ製鉄橋など歴史的建造物も残されている。また、汽車道から新港地区に入ったところにあるのが運河パーク。水辺に面した広場、芝生公園、遊歩道などがある汽車道を通過する。

1885年(明治18)創立の海運会社・日本郵船の歴史博物館。海岸通りに面して16本のコリント式円柱列を見せるこのビルは1936年(昭和11)の竣工で、今では海岸通りになくてはならないモニュメント的存在。明治以降、船が日本の発展に貢献してきた歴史がわかる日本郵船歴史博物館の前で記念撮影。

日米和親条約締結の地に立ち、日本の開国と横浜の開港に関する資料を展示している。1階はペリー来航から開国までを資料やパネル、模型で解説。2階では開港後の横浜の文化や街の発展を貴重な資料で紹介している。地下では内外の資料が閲覧できる。また、日米和親条約締結を見守っていた玉楠の木や現在事務所棟になっている旧英国総領事館の建物、領事館守衛室を利用した喫茶ペリーなどがある横浜開港資料館の前で記念撮影。

神奈川の文化と歴史を紹介する博物館。1904年(明治37)、旧横浜正金銀行本店として建てられたネオバロック様式の古典建築で、国の重要文化財に指定の神奈川県立歴史博物館の前で記念撮影。

19:00京浜東北線で桜木町駅乗車
20:00浜松町駅下車、
20:30竹芝桟橋到達。
22:20竹芝桟橋フェリーで出発、三宅島に向かう。
10日5:00三宅島到達、レンタカーで島巡り。

2000年噴火の泥流で埋まってしまった神社です。埋没した神社のほかに泥流から逃れた鳥居の頭だけを見ることができます。この先から坪田高濃度地区になります椎取神社を訪れる。

眼下に大久保浜。水平線には伊豆諸島。晴れた日には富士山、伊豆半島。空気が澄んでいる日には房総半島まで見えます海と風のあかじゃり公園を訪れる。

現存する木造建築としては伊豆諸島最大。天文3年(1516)建造。住居として使用中のため内部は非公開。樹齢450年のビャクシンの巨樹は天然記念物の島役所跡を訪れる。

永正3年(1516)に建てられた三宅島の創造主事代主命の后佐伎多麻比当スを祀る神社。島役所前にあります御笏神社を訪れる。

溶岩流が波で侵食されてできた奇石。かつてはメガネ状でしたが昭和37年の噴火の地震の際に片方が壊れてしまいました。岩の間から三本岳が見える場所がありますメガネ岩を訪れる。

明治42年に建造された純白のランプ式無人灯台がシンボルです。 夕陽、星空、鳥を見るならここがお勧めです。海岸線を走ることができます伊豆岬灯台を訪れる。

椎の原生林の中に二つ並んで建っています。バードウオッチングにもお勧めです御祭神社・満願寺を訪れる。

太路池入り口は「あかこっこ館」があります。奥の桟橋には休憩所、トイレがあります。周囲2Km、水深30mの伊豆諸島最大級の淡水湖の太路池を訪れる。

15:20ヘリで御蔵島に向かう。
15:30御蔵島到達、送迎者に宿に向かう。
16:00町を散策。

島の産土神を祀る稲根神社は延喜式にも記録が残る古社で、明治初期の廃仏毀釈令によって、全島民が稲根神社の氏子とされて以来、氏神様として厚い信仰を集めてきた。玉、剣、鏡の三種の神器は島南部の稲根ケ森の中にある本殿に祀られているが、島人が日常お参りするのは里にある拝殿で、毎年8月4、5日に行われる例大祭は、この拝殿を中心に神輿の巡行が行われ島中が沸き立つような活気を見せる。また、江戸時代の画家英一蝶の筆による、板絵着色神馬図額なども奉納されている稲根神社を訪れる。

稲根神社脇にある記念碑。1863年(文久3)、香港を出航し、サンフランシスコに向かっていたアメリカの商船バイキング号が御蔵島で難破・座礁。当時の日本は鎖国中だったが、250人ほどの御蔵島の島民は人道的立場から力を合わせ、アメリカ人乗組員と中国人労働者合わせて約500人を救出。1カ月の間面倒を見た後、下田へ送り出した。事件100年を記念して、船の所属港ニューベッドフォード市民と遭難者の子孫が、感謝の意を込めて稲根神社の参道入口に記念碑を建立。立てかけられた大錨は、バイキング号の巻きロクロを利用しているバイキング号記念碑[稲根神社]を訪れる。

18:00宿に戻り食事を済ませ就寝。
11日8:00イルカウォッチングに出発。
8:30船で沖に向かう。
御蔵島のイルカは、約100頭ほどがごく沿岸(岸から100メートル以内ほどのところ)の島の周りを周回し、船でイルカに近ずき、ウォッチングとイルカと一緒に泳ぐ。
10:30終了、宿に戻る。
11:00山を散策する。

その昔、御蔵島に流人として来た白木屋お常が流しソーメンを島民に振る舞った場所、と伝えられる「お常のソーメン流し」。水が岩盤に溝を刻み、幾筋にもながれます。伝説の真偽のほどは分かりませんが、こんな場所で流しソーメンなんて、風流な流人さんもいたものです。コース名はボロ沢ですが、ボロ沢、家が沢と二つの大きな沢を横切るのもここの特徴。どちらの沢も、空には木々が生い茂り、澄み切った水が流れて、夏でも清涼感あふれる場所となっていますボロ沢コースを散策する。

里から役場をこえて道なりに少し進むと左手に入り口の看板が見えます。里のすぐ近くなので思い立ったときにぶらりと出かけられるのが魅力です。少し足を踏み入れると、そこはシイの巨樹生い茂る立派な森のタンテイロコースを散策する。

15:35ヘリで八丈島に向かう。
16:00八丈島空港到達。
17:20八丈島空港出発
18:10羽田空港到達
19:00羽田空港出発
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、豊かな海に囲まれた自然の宝庫、手つかずの自然が残り、かわいいイルカやクジラなどがすむ楽園、伊豆諸島に足を運び、東京から南南西に約180km、伊豆半島の下田から約80km。真っ青な太平洋に囲まれ、周囲約35km、面積約55kmほどで、大島、八丈島に次いで伊豆諸島で3番目の大きさです。幾度となく繰り返された火山噴火によってできた独特な景観や、日本固有の野鳥たちが住む貴重な森、黒潮の恩恵を受けた海、と特色ある自然に育まれています三宅島、

本州から約200km離れた伊豆諸島の島で、日本の島嶼中でも屈指と言われる太古からの自然が残り、その緑の豊かさは、あの屋久島にも比較されるほどです。面積は約20平方km。周囲約17km。人口282人。海上からは、まるでお椀をひっくり返したような形で、中央には標高850.8mの火山島である御山があります御蔵島を訪れ2泊3日の旅、満喫しました。

三宅島の度重なる噴火跡の造形美、御蔵島の世界でも珍しい多くのイルカの生息地でのイルカウォッチング&スイミング、他の島では体験できない離島三宅島&御蔵島観光楽しめました。













兵庫県丹波観光
2010年10月6日


日本のほぼ中央に位置し、瀬戸内海と日本海に面し、県の中央には高原が広がり、気候、文化とも多彩な兵庫県に足を運び、豊かな自然で有名な田園都市であり、一時期は人口増加率日本一になるほど人口が急増していた三田、徳川家康の命によって築かれた篠山を含む丹波を訪れました。

12:30車で近畿名神中国自動車道経由して神戸三田インター下車

13:30自然史系博物館は、西日本最大級「人と自然」がテーマの施設。収蔵資料は100万点以上。その一部を「兵庫の自然誌」など5つに分けて常設展示している。丹波市で発掘されている大型草食恐竜の化石、同時に発見されたほかの恐竜の化石やカエルなどの小動物の化石も随時展示。「ひとはく恐竜ラボ」では、恐竜などの化石クリーニング作業を間近に見ることができる。展示だけではなく、図書コーナーや化石などの標本を触れることができるコーナーもある。そのほか、研究員などによるセミナーやイベントも多数実施している兵庫県立人と自然の博物館を見学。

西国三十三カ所観音霊場の番外札所。第65代花山天皇の隠棲の地で、境内の一段高い玉垣の中に御廟所がある。寺は標高418mの阿弥陀峰山頂にあり、眺望がよい花山院菩提寺を訪れる。

三田市北端の静かな山里に広がる花しょうぶ園。6月上旬〜7月上旬の開花期間中、3万3000平方mの日本庭園に、約650種300万本のハナショウブが咲き誇る。3月下旬〜4月中旬は水芭蕉、4月下旬〜5月中旬はぼたんを楽しむことができる永沢寺花しょうぶ園を訪れる。

篠山方面に向かう。

王地山公園の一角にある勝利守護の神様。いくつもの朱色の鳥居が立ち並ぶ。藩主青山忠裕が老中だったころ、領内のお稲荷さんが力士に化けて将軍上覧の大相撲で優勝し、負けきらいの殿様を大いに喜ばせたことに感謝して奉られたのが起こりという王地山まけきらい稲荷を訪れる。

版本の印刷で文字や絵を彫った板を版木と呼ぶが、ここでは全国的にも残存が珍しい漢学書関係の版木1200余枚を所蔵。江戸の歴史と文化が学べる史料も多数ある。中庭の桂園舎は藩主の別邸だった篠山市立青山歴史村を訪れる。

丹波北部に向かう。

1300年の歴史を持つ古刹・五大山白毫寺(天台宗)。広大な寺域には、人間界と仏の世界を結ぶという「太鼓橋」の架かる心字池があり、数百尾の鯉が群れている。山門脇では仏教を守護するとされる孔雀が参詣者を出迎える。四季の草花が見事で、桜・ふじ・せっこく・睡蓮・ハスなどが季節ごとに境内を彩る白毫寺を訪れる。

丹波布は、栗の皮やコブナ草、ヤマモモなどの草木で染めた経糸と緯糸が織り成す美しい縞模様が特徴の織物。明治末まで地元の農家で盛んに織られていた。道の駅あおがき内にあるこちらの施設では、機織場や染色場が設けられており、作業を見学できる丹波布伝承館を見学。

655年(斉明天皇元)創建の古刹。明智光秀の丹波攻めの時にすべての堂宇が失われたが、1648年(慶安元)に再建された。本堂前には、現代築庭の第一人者・重森三玲氏が裏山にある高さ約12m、幅約20mの神格化された巨岩から発想を得て造った日本庭園「四神相応の庭」がある石像寺を訪れる。

17:00終了。
舞鶴中国名神近畿自動車道経由して帰路。

今回の近場の名所巡り、2回目の訪れである丹波を訪ね、以前訪れなかった名所を今回巡りました


豊かな自然で有名な田園都市である三田に位置する兵庫県立人と自然の博物館、徳川家康の命によって築かれた城下町篠山とその周辺の点在する歴史的建造物に接し、有意義な日々を送ることが出来ました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十三弾:青森県青森タウン&津軽半島観光
2010年10月2ー3日


東北地方の北部に位置する本州最北端の県で、県庁所在地は青森市、南に岩手県、秋田県が隣接し、津軽海峡を渡った北に北海道が位置し、東に太平洋、西に日本海が面する青森県に足を運び、青森県の県庁所在地、東北新幹線新青森駅開業に向けての観光都市として発展がますます期待される青森タウン、津軽出身の小説家太宰治の足跡があり、青森市から松前街道、高野崎という景勝地を経て半島最北の竜飛岬に到達する津軽半島を訪れました。

2日17:47大阪駅夜行寝台車での遅出の出発のため、大阪市内の数箇所の名所をめぐり時間を費やしました。

13:00地下鉄長堀鶴見緑地線で鶴見緑地駅到達。

1990年(平成2)に開催された、花と緑の博覧会跡地を利用。2600種の植物が生育する咲くやこの花館や、世界各国59の国際庭園が点在する。緑地内にはプールや乗馬苑などもある鶴見緑地(花博記念公園)を散策する。

地下鉄長堀鶴見線で鶴見緑地駅乗車、長堀で堺筋線に乗り換え淡路駅下車。

アジアとの交流の場として活動を続ける図書館。アジア諸国をはじめ、アフリカ・ラテンアメリカなどの発展途上国の文化理解に役立つ文献を約30万冊収蔵。民族音楽のコンサートやエスニック料理教室、アジア映画会などのイベントほか、アジア20か国の語学講座を開催しているアジア図書館を訪れる。

阪急電車淡路駅乗車、南方下車

レンガ造りと御影石の西洋建築。1914年(大正3)に建てられた配水ポンプ場を改装し、1995年(平成7)にオープンした。天然記念物のイタセンパラをはじめ、琵琶湖淀川水系の淡水魚を展示するほか、大阪市の水道の仕組みを楽しく学ぶことができる水道記念館を見学。

歩いて天神橋6丁目に向かう。

近世〜現代の大阪の暮らしを紹介するミュージアム。大阪市立住まい情報センターの8〜10階にあり、実物大のスケールで復元された江戸時代の大坂の町並みの中を実際に歩くことができる。近代の大阪の住まいもジオラマで上映している大阪くらしの今昔館を見学。

日本一長い商店街。堂島川にかかる天神橋たもとの1丁目から北端の7丁目まで、総延長が約2.6km、600軒ほどの店が所狭しと立ち並ぶ大商店街を散策して時間を費やす。

17:00環状線天満駅で乗車、大阪駅到達。
17:47大阪駅夜行寝台車日本海で出発、青森に向かう。

3日8:34青森駅到達、レンタカーで津軽半島に向かう。

青函トンネルは構想から完成まで42年間を要した。その間の歴史をふりかえり、トンネルの姿を知るためのメモリアル施設。作業坑として使われた海面下140mに展示ゾーンがある青函トンネル記念館[竜飛海底駅]を訪れる。

太宰の『津軽』には、小泊小学校の運動会で太宰と子守の越野タケが再会する場面がある。この小学校を望む丘に記念館が立ち、太宰とタケの年譜や写真、映像などを展示している。2人の像も立つ小説「津軽」の像記念館[小泊岬]を訪れる。

中世、十三湖の開口部にある十三湊が日本海海運の拠点として栄えた。国立歴史民俗博物館の発掘調査によって、十三湊の遺構や安東水軍の活躍が明らかになった十三湖を訪れる。

芦野湖畔に広がる、約80haの自然公園。太宰治が幼いころよく遊んだところで、太宰の文学碑が立つ。見どころは1300本の松や全長265mの芦野夢の浮橋など。2200本の桜も植えられ、「日本さくら名所100選」にも選ばれている芦野公園を訪れる。

1596年(慶長元)開祖。太宰治が幼いころ子守りに連れられて遊んだ場所で、作品『思ひ出』の中に登場する十王曼陀羅(地獄絵)がある雲祥寺を訪れる。

明治の大地主だった津島家の屋敷で、青森ヒバ中心の2階建て19室という大邸宅。太宰は中学入学までここで過ごした。以前は旅館だったが1998年(平成10)に記念館となり、直筆原稿や愛用品などを展示している太宰治記念館「斜陽館」を訪れる。

仁太坊を始祖とする津軽三味線の歴史や弦楽器、郷土芸能などを紹介している。舞台では1日4回(冬期間は3回)、30分の生演奏があり、津軽三味線の音色を堪能できる。仁太坊最後の弟子である津軽三味線の名手・白川軍八郎の生誕100年を迎え、展示室では白川軍八郎特別展も開催している津軽三味線会館を訪れる。

毎年8月4〜8日に行われる立佞武多は、五所川原の夏の一大イベント。年ごとにテーマが決められ、それに沿ってねぷたが作られる。ここでは、4階まで吹き抜けの展示室で、高さ22mの巨大な立佞武多を展示。製作現場見学のほか、スクリーンで祭りの映像も見ることができる立佞武多の館を訪れる。

カルコとは、「Kamegaoka archaeology collection(亀ケ岡考古館)」の略。亀ケ岡遺跡や石神遺跡から出土した土器などを展示している。遮光器土偶のレプリカ、籃胎[らんたい]漆器は必見。館内には竪穴式住居も復元されているつがる市縄文住居展示資料館カルコ[亀ケ岡遺跡]を訪れる。

遮光器土偶[しゃこうきどぐう]の出土で知られる亀ケ岡縄文遺跡の展示館。目が、北方民族の使うサングラスに似ていることから名づけられた遮光器土偶のレプリカをはじめ、縄文時代の出土品を収蔵、展示するつがる市縄文館を訪れる。

青森タウンに戻る。

県立図書館の中に併設。佐藤紅緑、秋田雨雀、石坂洋次郎、太宰治、寺山修司、三浦哲郎、長部日出雄をはじめ、青森県出身の大勢の文学者の作品や書簡などを展示する青森県近代文学館を訪れる。

青森自然公園の中、大型ねぶた8台と弘前ねぷた1台が常設されている。青森ねぶた下絵館もある。大型ねぶたを実際に運行する「ねぶた運行体験ショー」も毎日開催されており、ショーのねぶたに参加することもできる青森自然公園ねぶたの里を訪れる。

青森市に生まれた世界的板画家・棟方志功の文化勲章受章を記念して昭和50年に開館。棟方が世に出るきっかけとなった代表作『大和し美し』『釈迦十大弟子』などの板画のほか、倭画、油絵、書など年4回展示替えをしながら順次紹介。独自の境地を切り開いた棟方志功の画業を鑑賞することができる棟方志功記念館を訪れる。

森と木と人間との関りを考える博物館。青森ヒバ材を使ったルネッサンス式建築の建物は、森の中にいるような雰囲気を演出している。バードカービングなどのほか、2階には雪とスキー、青森とヒバの展示もある青森市森林博物館を訪れる。

日本初の鉄道連絡船ミュージアム。かつての発着場に、当時の面影を残しながら係留・保存されている。操舵室やエンジンルーム、鉄道車両を運んだ広大な車両甲板など本物の迫力は圧巻。青函連絡船の歴史や船の構造などを、楽しみながら学び体験できるように展示されている。煙突展望台からは青森港が一望できる青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸を見学。

ベイエリアの一角に立つ、木造漁船の博物館。漁船の博物館としては日本最大規模を誇り、重要有形民俗文化財の漁船67隻を中心に和・洋の実物船が展示されている。岸壁には帆船が係留され、高さ30mの展望台からは陸奥湾や青森市街が展望できるみちのく北方漁船博物館を訪れる。

17:30青森空港に向かう。
18:00青森空港到達。
18:50青森空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、東北地方の北部に位置する本州最北端の県で、世界遺産白神山地を有し、景勝地十和田湖をはじめ八甲田山、岩木山、下北半島の仏ヵ浦などの自然環境が数多く残され、中央部には奥羽山脈が縦走し、西側の津軽地方と東側が南部地方(三八地方・上北地方・下北地方)ではそれぞれ異なる歴史や気候、文化、風土をもつ青森県に足を運び、

津軽出身の小説家太宰治の足跡があり、青森市から松前街道、高野崎という景勝地を経て半島最北の竜飛岬に到達する津軽半島、

青森県の県庁所在地、東北新幹線新青森駅開業に向けての観光都市として発展がますます期待される青森タウンを訪れ、又交通手段として行きは、あえて飛行機を使わず夜行寝台車で訪れました。

現地の観光だけでなく、行きかえりの交通の乗り物も変化させて楽しみことが出来ました。