飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十一弾:群馬県前橋周辺観光観光
2010年11月27ー28日


昨年に続いて3回目の群馬県、前橋周辺に足を運び、赤城山の中腹に位置し、県庁所在地であり、畜産業が盛んな街でもある前橋、榛名山、妙義山と並ぶ上毛三山の一つで日本百名山にも数えられる赤城山、昔から西の西陣、東の桐生と謳われる織物の町の桐生、鎌倉幕府倒幕の立役者・新田義貞ゆかりの地、大田、大小の沼が点在し、利根川と渡良瀬川の流域に辺り、豊富な水源に恵まれた町、館林を訪れました。

27日13:17新大阪新幹線のぞみで出発
15:53東京駅到達
16:12東京駅Maxときで出発
17:03高崎駅到達、駅付近のホテル到達後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
28日6:30レンタカーで出発、前橋に向かう。

前橋公園のすぐ南側にある地上33階建ての建物。32階の展望室からは、上州、日光から信州の山々まで、すばらしいパノラマが見渡せる。31階には展望レストランもあり夜景も見事の群馬県庁新庁舎を訪れる。

前橋出身の萩原朔太郎をはじめ、前橋と関係の深い文学者を紹介。2階の朔太郎展示室には『月に吠える』の草稿などのほか、自らデザインした机、旅行カバンなどの遺品や撮影した立体写真も展示され、多彩な才能にも触れられる。ほかに、北原白秋、室生犀星、草野心平ら前橋とゆかりのある詩人の作品も展示する水と緑と詩のまち 前橋文学館の前で記念撮影。

赤城山に向かう。

標高1828mの主峰、黒檜山をはじめとする外輪山と中央火口丘地蔵岳からなる二重式火山の総称。裾野の広さは富士山に次ぐ面積を誇る赤城山を訪れる。

赤城山の中央河口丘と外輪山の間に水が溜まってできたカルデラ湖。原生林に囲まれ、湖畔に遊歩道があり1周約1時間の散策が楽しめる。赤い啄木鳥橋を渡った小鳥ケ島には、赤城神社が鎮座し、社殿のそばには志賀直哉の碑が立つ。湖ではボート乗りや釣りが楽しめ、冬は氷上のワカサギ釣りができる大沼[赤城山]を訪れる。

関東一円および、新潟・福島・宮城などに約300余の分社をもつ赤城神社の総本社。古代、東国を開拓した神々、農耕を司る山の神霊を尊祟する自然信仰の対象として赤城山を祭ったのが始まり。延喜式神名帳に、上野国三大神社の一つとして挙げられる古社。境内には樹齢1000年を超える3本のたわら杉をはじめ樹木が鬱蒼と茂り、静謐な空気が漂う赤城神社を訪れる。

赤城山にある、周囲0.5kmほどの小さな湿原。大沼の南東に位置する。周りを囲んで木道が整備され、1周30分ほどのハイキングが楽しめる。4月末〜7月にかけて様々な種類の高山植物が咲き、秋は紅葉が美しい覚満淵[赤城山]を散策する。
赤城山を背に、18万4000平方mの敷地に広がる花の公園。フラトピア大花壇を中心として、日本庭園やイングリッシュガーデンなど、さまざまなエリアでカラフルな季節の花が楽しめる。ランや熱帯花木、季節を先取りしたイベント温室など、1棟ごとにテーマを設定した観賞温室5棟も見応えがあるぐんまフラワーパークを訪れる。

渡良瀬方面に向かう。

日光の山中に源を発する渡良瀬川が流れる渓谷。高津戸橋からはねたき橋にかけて川沿いに全長453mの遊歩道があり、渓谷美を楽しめる高津戸峡を訪れる。

事故で首から下の体の自由を失い、筆を口にくわえて絵や文字を描くみどり市出身の画家・星野富弘氏の水彩画を展示している。木や花など地元の植物の絵に添えられた、星野氏の言葉にも感動する富弘美術館を訪れる。

栃木県足尾方面に向かう。

江戸幕府直轄の銅山として始まり、1973年(昭和48)の閉山まで約400年間続いた足尾銅山。明治時代には全国の40%という産出量を誇り、東洋一といわれた銅山の作業の様子を等身大の人形で再現し、その歴史と仕組みを紹介している。全長1234kmの坑道のうち、およそ700mを公開。入口から390mまでは、トロッコ列車に乗って見学する足尾銅山観光を訪れる。

戻って桐生に向かう。

1878年(明治11)に建てられた擬洋風建築で、和風の小屋組と洋風の外観装飾が特徴的。明治時代には群馬県衛生所・医学校として使用されていた。1階の談話室には、明治時代のカメラや大正時代のピアノ、黒漆塗りの家具などアンティークな品々が展示されている。2階中央は貴賓室となっており、黒漆塗りに金蒔絵を施した豪華な家具を見ることができる桐生明治館を訪れる。

桐生出身の故・大川栄二氏のコレクションを中心に、国内外の近代洋画約7000点を収蔵する。特に昭和10年代に活躍し夭折した画家・松本竣介、野田英夫の絵が充実。海外のコーナーではピカソ、ブラック、ベン・シャーンらの作品を展示する大川美術館を見学。

1717年(享保2)に創始した矢野商店がかつて使っていた醸造蔵。酒類・味噌・醤油を醸造していた建物はレンガ・土蔵造で、明治・大正時代の建築。ほとんど手を入れず保存されている12棟の蔵群は市の重要文化財。現在は、コンサートなど文化・芸術活動の場として利用されている桐生市有鄰館を訪れる。

桐生織物の歴史を展示と体験を通して紹介している。明治から昭和にかけての資料約1200点などを展示。なかでも3人がかりで織る日本一大きい明治時代の木製高機は興味深い織物参考館・紫を訪れる。

太田方面に向かう。

学術研究所を兼ねた施設で、50〜60種類のヘビをみることができる。シマヘビやマムシを自然環境に近い状態で放し飼いしている園内野外放飼場、コブラなどの毒ヘビをガラス越しに見られる温室のほか、休日には採毒実演を行う採毒室、ヘビに関する資料を展示した資料室などがあり、ヘビの生態を詳しく知ることができるジャパンスネークセンターを訪れる。

1613年(慶長18)徳川家康公が先祖とする新田義重公の菩提を弔うために建立した寺。山門の精緻な彫りものが見事。初代住職に迎えられた呑龍上人は、貧しい民の子供を弟子という名目で養育したことから「子育て呑龍様」として親しまれ、現在でも多くの親子連れが参拝に訪れる。本堂の後ろに新田義重公と呑竜上人の墓が立つ大光院を訪れる。

館林方面に向かう。

館林市出身の宇宙飛行士、向井千秋さんにちなんだ科学館。他で見ることのできない向井さんゆかりの貴重な資料が充実。5つの展示室では、科学の原理を利用した様々な展示や月の重力を体験できる「ムーンウォーカー」など、身近な自然や科学、宇宙についてわかりやすく紹介している向井千秋記念子ども科学館を訪れる。

『蒲団』や『田舎教師』を執筆し、近代日本の自然主義文学の先駆者となった田山花袋は館林の出身。館内では自筆原稿や、書簡、日記、愛用品などを展示。東京代々木の自宅の書斎も再現されている。文学館の向かいには花袋が7〜14歳まで過ごした旧居が立つ田山花袋記念文学館を訪れる。

高さ5mに及ぶ古木をはじめ、推定樹齢800年を越えるヤマツツジの巨樹が見られるツツジの名所。城沼のほとりにある12.6haの園内に、50余品種1万株ものツツジが植えられている群馬県立つつじが岡公園を散策する。

1426年(応永33)開山された古刹で、巌谷小波の童話『文福茶釜』のモデルとなった伝説のある寺。総門から茅葺きの朱門までの参道には、表情や姿形の異なる25体の狸の像が並び、参拝者のほほえみを誘っている。茅葺きの本堂では、周囲1.2m、重さ11.3kgもある伝説の分福茶釜を見学できる茂林寺を訪れる。

16:00高崎に戻る。
17:30高崎駅到達。
18:04高崎駅ときで出発
19:00東京駅到達
19:10東京駅新幹線のぞみで出発
21:38新大阪駅到達。

今回の旅行、3回目の訪れである、群馬県の前橋周辺に足を運び、赤城山の中腹に位置し、中心部の西側を利根川が流れ、県庁所在地であり、畜産業が盛んな街でもある、豚肉の生産量は県内一の前橋タウン

榛名山、妙義山と並ぶ上毛三山の一つで日本百名山にも数えられ、山頂にはカルデラ湖の大沼があり、山麓には自然を生かしたテーマパークや公園などが点在する赤城山

昔から西の西陣、東の桐生と謳われる織物の町で昔ながらの土蔵や洋館などが保存・活用されていて、古きよき時代の面影を感じさせられる桐生

鎌倉幕府倒幕の立役者・新田義貞ゆかりの地、新田氏を祭るために徳川幕府が建立した大光院のお膝元として発展し、神社や史跡が多く残る太田

利根川と渡良瀬川の流域に辺り、豊富な水源に恵まれた町、昔から上質の小麦が生産され、市内の名所や旧跡の多くが待ちの中心にあり、城沼の周辺には日本を代表とするツツジの名所がある館林を訪れ一泊二日の観光旅行楽しめました。

自然・温泉の多くて有名な群馬県、一方歴史的建造物も多く点在しているエリアでも有り、自然と文化、両方楽しめるエリアでもありました。残りは有名な温泉街がいくつか残っています。来年チャレンジしたいと思います。













京都市山科観光
2010年11月25日


世界遺産の宝庫、近場の京都に足を運び、京都市の東端に位置し、京の東の玄関口としての役割を持ち、西は東山連峰,北は大文字山、如意ヶ獄,東は音羽山、牛尾山と三方を山に囲まれ、南で伏見区の醍醐地域に接しています。 また,多くの川に恵まれ,平野部は農耕作物に適した土壌となっています。明治初期に京都の近代化を目指して建設された琵琶湖疏水は有名な山科を訪れました。

12:30車で第二京阪経由して
13:30山科到達。

赤穂藩家老・大石内蔵助は、吉良家の目を欺くためこの寺の境内に隠棲した。四十七士の木像や浅野長矩の位牌を祭り、討ち入りで使われた手槍なども保存している。内蔵助の念持仏だったという本尊不動明王像は毎年討ち入りをした12月14日から1月28日まで公開している岩屋寺を訪れる。

泉涌寺大門を入って右手奥(南)にある泉涌寺の別院。北朝の歴代天皇の位牌を安置する霊明殿と、本堂(重要文化財)がある。庫裏に置いてある真っ黒な色をした鎌倉時代の大黒天像は、左足を一歩踏み出した姿勢がユーモラスで、「走り大黒」と呼ばれている雲龍院[泉涌寺]を訪れる。

東山連峰の山頂付近を走り抜ける観光道路。清閑寺〜将軍塚〜九条山の全長3.7kmのコースで、途中の将軍塚展望台では京都市街を見渡すことができる東山ドライブウェイを走行する。

5世紀後半、筑紫日向の高千穂の峰の神跡を移して創建されたと伝わる。伊勢神宮と同様に外宮・内宮があり、京のお伊勢さんとして信仰されている。裏山の「天の岩戸」は厄をくぐりぬけ、運が開けるという言い伝えがある。春の桜、ツツジなど四季を通じて楽しめ、特に秋の紅葉は隠れた名所として知られている日向大神宮を訪れる。

琵琶湖の水を京都に引くため明治時代に掘削された琵琶湖疏水。このうち山科を通る疏水沿い2kmは遊歩道として整備されており、桜、紅葉が美しい。道沿いには樹木に覆われた天智天皇陵、安祥寺などもあってのんびり散策を楽しめる山科疏水の道を訪れる。

天智天皇が奈良・飛鳥に日本初の水時計台を造ったことにちなみ、参道入口には石の日時計が立つ。参道を進むと拝所へ至る。天智天皇は大化の改新を断行、近江大津宮で668年(天智7)に即位。3年後に死去し、大化の改新のパートナー・中臣氏の邸宅があった山科に葬られたとされる。松並木の途中に琵琶湖疏水の表示があり、石段を上がると疏水の流れが見える天智天皇陵を訪れる。

天台宗の門跡寺院であり、本尊の毘沙門天は京の七福神の一つに数えられる。創建は703年(大宝3)。かつては上京区出雲路にあったが、応仁の乱で廃絶。公海僧正が1665年(寛文5)にこの地に復興し、後西天皇の皇子が入寺して門跡寺院となった。円山応挙作の鯉の絵や、狩野益信作の宸殿の障壁画など見るべきものが多い。また枝垂桜、紅葉も美しい毘沙門堂を訪れる。

旧東海道に面して立つ六角堂に安置された山科地蔵尊は、東海道の守護仏。平安時代、小野篁が作った身の丈約3mの霊像は、子宝の霊験で知られている。お堂の後ろには、百人一首でもおなじみの蝉丸(人康親王)の供養塔がある山科地蔵徳林庵を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

近場の史跡巡り、紅葉のシーズン、比較的穴場の山科の寺社を巡りましたが、さすが京都、観光客が多く、賑わっていました。特に毘沙門堂の紅葉はすばらしく、感無量でした。皆さんも訪れてみてください。満足できますよ。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十弾:兵庫県播磨観光観光
2010年11月22ー23日


日本の中央に位置する兵庫県に足を運び、神戸から西側から岡山県までの広大なエリア播磨を訪れ、播磨最大の都市、世界遺産に登録されている姫路城がそびえる姫路、播磨の小京都の龍野や赤穂浪士ゆかりの城下町赤穂を巡りました。

22日19:30車で近畿中国山陽自動車道経由して龍野西インター下車
21:20相生到達、相生駅付近のホテルで宿泊。

23日6:15車で出発、赤穂方面に向かう。

江戸時代から廻船業で栄えた港町。国指定記念物の原生林が茂る生島が目の前に見える。旧坂越浦会所から、国道250号方面へ行く道の両脇に古い街並みが残る。造り酒屋・奥藤家の堂々たる建物や坂越まち並み館などがある坂越を訪れる。

1832年(天保3)に完成。赤穂藩の茶屋としても利用され、2階には藩主専用の部屋もある旧坂越浦会所を訪れる。

江戸時代から塩田や塩問屋を営んでいた豪商・田淵家が赤穂市に寄贈した美術品、古文書類を収蔵・展示。歴代当主が造詣の深かった茶道具が充実し、季節に合わせた展示を行う赤穂市立美術工芸館 田淵記念館の前で記念撮影。

岩礁や崖が続く景勝地。御崎の先端にある伊和都比売神社の鳥居からは家島群島も見渡すことができ、近くには赤穂温泉の旅館街がある。播磨灘を一望する遊歩道が整備されており、春は桜が美しいことで知られる赤穂御崎を訪れる。

御崎地区の塩田跡につくられた公園。大観覧車や変り種自転車で遊べる赤穂わくわくランドをはじめ、オートキャンプ場やテニスコートなどを整備。塩の国と名づけられた一角には、塩田や製塩作業所が復元されている赤穂海浜公園を訪れる。

大石内蔵助と藤井又左衛門の屋敷跡に1912年(大正元年)に建立された。義士と萱野三平、浅野家、森家を合祀している。境内の義士宝物殿には、内蔵助が討ち入りに使ったという采配や愛刀の備前長船などが展示されている。また、文化勲章受章者・平櫛田中をはじめ一流彫刻家による四十七士の木像を安置する義士木像奉安殿も見逃せない大石神社を訪れる。

大石神社境内にある内蔵助の屋敷跡。大石家3代が57年間住んだという。長屋門は城内に残る数少ない江戸時代の建築の一つで、主君の刃傷事件を知らせる萱野三平たちがこの門を叩いた。軒先の丸い鐙瓦には大石家の定紋・二ツ巴が見える。庭園を含む屋敷跡は国指定史跡に指定の大石良雄宅跡[大石神社]を訪れる。

1999年4月、大石良雄宅跡長屋門の斜め向かいに解体・復元され一般公開された。源八は藩の重職を務め、大石家と親戚関係だったが、討入りには加わっていない近藤源八宅跡長屋門を訪れる。

復元された本丸門をくぐると、天守台の石垣や大池泉を配した庭園が広がる。建物はないが、発掘調査や古絵図を元にかつての御殿などの間取りが復元表示されている本丸庭園を訪れる。

禅の曹洞宗に属し本山は永平寺。赤穂藩祖浅野長直公によって正保2年に建立された寺であり元禄事変後は、永井家、森家歴代藩主の菩提寺となる。境内には、義士37回忌(1739)に建てられ、遺髪がおさめられていると伝えられる四十七義士の墓・宝物館・義士木像堂などもあり、赤穂義士ゆかりの史跡ともなっている。赤穂城の塩屋惣門を移築した山門は赤穂市指定文化財。新西国第31番、瀬戸内観音第7番の霊場である花岳寺を訪れる。

花岳寺の中にある施設。浅野長矩の位牌と大石家守り本尊・千手観音像を正面に祀り、右側に23人(表門組)と萱野三平の木像を、左側に24人(裏門組)の木像を安置する。いずれも義士33回忌(1735)から作り始められ100回忌に完成、京都の名工の作とされる。すべて赤穂近隣各地からの奉納で、当時を彷彿させるものがある義士木像堂[花岳寺]を訪れる。

花岳寺の中にある施設。浅野家、義士に関する宝物、経巻、書簡、絵画、刀剣、器具など百余点を陳列する。義士連名状・大石良雄筆「達磨の図」・吉良上野介のとどめを刺した「観音妙理剣」・浅野家五代の肖像画。その他、わが国でも大変珍しい生きた教科書とされる甲州流水櫓、天守閣雛形、あるいは大名時計などがある花岳寺宝物館[花岳寺]を訪れる。

主君浅野内匠頭長矩[あさのたくみのかみながのり]の刃傷事件を急報するため、江戸から早かごで四昼夜半を駆け抜いた早水藤左衛門と萱野三平が城に入る前、一息ついたという井戸。赤穂では井戸水に海水が混じるため、江戸初期に千種川上流から水を引いて上水道を整備した。この井戸にも上水道が引かれ、人々の暮らしを支えた。日本三大上水道の一つとされる息継ぎ井戸を訪れる。

室津に向かう。

江戸時代、廻船問屋として栄えた屋号「嶋屋」の建物で、三木半四郎が江戸後期に建てた豪商の遺構。室津を海の駅ととらえて「廻船」「参勤交代」「江戸参府」「朝鮮通信使」の4テーマに分け、資料を展示しているたつの市立室津海駅館を訪れる。

海産物問屋「魚屋」の豪商の遺構。江戸時代、室津が最も栄えていた頃の面影を残す貴重な建物で、玄関は吊り上げ式二重戸。県の重要文化財にも指定されている。革細工、ひな人形、登城かごなどの展示もあるたつの市立室津民俗館を訪れる。

室津開港とともに2000年の昔から祀られてきた賀茂神社は京都上賀茂神社の御厨であった関係から上賀茂神社・下鴨神社とかかわりあいのある神々をあわせて六棟社殿に鎮座し、千年前と現在とまったく同じ境内と社殿が建立されていた。入り江に突き出た半島の山上にあって周囲は海に囲まれ、ここからの眺望はシーボルトの著書「日本」に日本一美しい景色と書かれているほど。御祭神は賀茂別雷神命で開運の神様として信仰されている。又境内に自生している2本の榊の古木が途中で1本になっている(連理)の榊が夫婦の絆、良縁の愛の榊として、御利益があると名物になっている賀茂神社を訪れる。

江戸前期の臨済宗(禅宗)の名僧で、当時生身の釈迦と仰がれた盤珪禅師が郷里の網干に創建。布教活動の拠点とした。建物17棟は姫路市の文化財に指定、県の文化財に指定されている仏像など所蔵している。境内には、同時代の著名な女流俳人で盤珪に帰依した田捨女の墓もある龍門寺を訪れる。

龍野藩主だった京極家は四国丸亀に移封された後も、網干の興浜や浜田など28カ村を飛領として支配し、陣屋を設けた。京極家の紋瓦がある陣屋門は当時のものだが、昔の藩邸などは明治期に取り壊された丸亀藩陣屋跡を訪れる。

1868年(慶応4)、網干出身で勤王の志士として蛤御門の変にも参加した、河野東馬が興した私塾。枢密院出仕の神楽江薫、衆議院副議長を務めた肥塚龍をはじめ、1912年(明治45)の閉鎖まで多くの優秀な弟子を輩出した。播磨林田藩の藩校教授だった河野鉄兜は東馬の兄。もとは草葺の建物で、現在は鉄板葺の平屋造りの誠塾を訪れる。

龍野に向かう。

606年(推古14)に聖徳太子が建立した寺。奈良法隆寺の別院だったが16世紀に焼失し、その後に三重塔(重要文化財)や仁王門、講堂、太子堂などが再建された。宝物館は日光月光菩薩立像(重要文化財)をはじめ多くの文化財を収蔵する斑鳩寺を訪れる。

龍野藩内屈指の大地主で、藩から在郷家臣の待遇を受けた永富家の住宅で、江戸後期の豪農の暮らしを今に伝えている。1822年(文政5)に完成した入母屋造・本瓦葺の主屋は建物だけで500平方m余り。この主屋と長屋門、籾納屋、土蔵5棟、建築時の記録を記した絵図面、普請帳が重要文化財に指定されている永富家住宅を訪れる。

藩主脇坂氏の上屋敷跡。高台にあるので眺めがよく、松平定信がここを訪れた折、眺めのよさを称えて「聚遠の門」と呼んだことから名付けられたと言われている。孝明天皇から拝領したと伝えられる浮堂の茶室を中心に、藩主の御涼所や茶室楽庵、井原西鶴の碑などがある聚遠亭を訪れる。

町を見下ろす鶏籠山の麓に立つ。1672年(寛文12)に脇坂安政が築城した平城を復元した本丸御殿、隅櫓、多聞櫓、埋門が往時を偲ばせる。優美な大屋根を持つ本丸御殿は一般的な城のイメージと違って、入母屋造、瓦葺の平屋建ての造りが特徴で内部の見学もできる。鶏籠山山頂に室町末期の山城跡が残り、かつてそちらを朝霧城、麓の城を霞城と呼んだ龍野城(霞城)を訪れる。

龍野城の敷地内にある資料館。石器時代から近世まで、たつの市の歴史遺産を時代順に展示。弥生時代の壺、白鳳時代の弥勒菩薩像、江戸時代の鎧、武具や城下の絵図などを展示するたつの市立龍野歴史文化資料館を見学。

たつの出身の詩人・三木露風、内海信之、哲学者・三木清、歌人・矢野勘治の4人に関する資料や遺品を一堂に揃えている。霞城館は露風・青潮・清の3つの部屋に分かれ、露風の『赤とんぼ』の肉筆原稿も展示す霞城館を見学。

霞城館に隣接している。龍野出身の歌人・矢野勘治は、一高寮歌『春爛漫の花の色』、『嗚呼玉杯に花うけて』の作詞者。勘治が晩年を過ごした自宅を公開し、1階が展示コーナーになっている矢野勘治記念館を見学。

龍野は関西を中心に広く使われている淡口醤油の産地。ヒガシマル醤油の旧本社を利用したこの資料館では、淡口醤油の歴史やかつての醸造工程を紹介している。見学コースの最初にある釣瓶井戸は江戸時代に造られ、揖保川の地下水を汲み上げたもの。原料蔵、仕込蔵、麹室[こうじむろ]などが再現され、龍野の醤油協同組合各社が保管してきた関連資料も多数展示するうすくち龍野醤油資料館を訪れる。

鶏籠山の西側に広がる山麓一帯が県立公園に指定されている。豊かな緑に包まれた絶好の散策路で、城下町龍野のもう一つの魅力になっている。春は一目3000本という桜の名所だ。聚遠亭から文学の小径を経て童謡の小径へ行く途中には、三木露風の赤とんぼ歌碑がある龍野公園を散策する。

国民宿舎赤とんぼ荘から白鷺山展望台、小動物園を経て、赤とんぼ歌碑を結ぶ道。『夕焼小焼』『月の砂漠』など途中7カ所に童謡歌碑が建てられ、前に立つとそれぞれの懐かしいメロディが流れる。『七つの子』の歌碑はちょうど中間点。同じ白鷺山の南斜面には、三木清にちなんだ哲学の小径がある童謡の小径[龍野公園]を訪れる。

龍野名産の手延素麺を紹介するユニークな資料館。揖保乃糸の歴史や製造工程を楽しく理解できるようシアターや体験装置がある揖保乃糸資料館そうめんの里を訪れる。

姫路方面に向かう。

姫路市出身の元東大寺管長・清水公照の書画、陶芸作品やコレクション、姫路を中心とした伝統工芸品、全国の郷土玩具などを展示。工芸工房には、姫路はりこなど伝統工芸品の製作実演コーナーや体験コーナーがあり、白塗りのお面や人形に絵付けをしたり、白木地のこまに色付けをしたりできる姫路市書写の里・美術工芸館を訪れる。

966年(康保3)、性空上人が開いた天台宗の古刹。西の比叡山とも呼ばれ、法皇や後醍醐天皇が行幸した。室町時代に築かれた大講堂・鐘楼・食堂・常行堂・壽量院など重要文化財も多数。西国三十三所第27番札所で、ロープウェイ山上駅から歩くと道が二手に分かれ、右が西国巡礼の表参道。坂道をしばらく行くと仁王門がある。山内で最も格式の高い塔頭寺院壽量院は、江戸中期の建物で寝殿造。院内で精進料理も味わえる。四天王立像(重要文化財)を安置する本堂の摩尼殿奥には、ハイキングコースも整備されている書寫山圓教寺を訪れる。

白壁土蔵造6棟に、日本と世界150カ国から収集した8万点の玩具や人形などを収蔵。1号館と6号館では季節毎に企画展が開催され、昔懐かしい玩具や人形に、珍しい世界の玩具と、質と量に圧倒される日本玩具博物館を訪れる。

姫路市郊外にあり、初夏と秋に世界のバラ800種が咲き誇る。ピエールドゥロンサール・ロマネスク・パットオースチン等、話題性の多いバラもある姫路ばら園を訪れる。

井原西鶴の『好色五人女』や近松門左衛門の浄瑠璃の題材で有名な、お夏清十郎の比翼塚が姫路市野里の慶雲寺境内にある。無実の罪で刑死した清十郎と狂乱したお夏の悲恋を哀れみ、誰ともなく二つの石を置き、その霊を慰めたのが始まりとされるお夏清十郎比翼塚を訪れる。

1階は体験スペース。仏像の仕組みを模型で学んだり、千両箱の重さを体感できるコーナーがあり、抽選で鎧や十二単の試着もできる。2階は児童文化資料や兵庫の祭り、姫路城などの展示コーナー。日本有数の入江コレクションのほか、姫路城や城下町を精密に再現した模型も見応えがある。白御影石張りの建物は丹下健三氏の設計の兵庫県立歴史博物館を見学。

姫路城を仰ぐ、赤レンガの美術館。シュルレアリズムの巨匠ポール・デルヴォーを中心としたベルギーの画家や、橋本関雪・松岡映丘・酒井抱一ら播磨ゆかりの画家をはじめとする作家の名品を収蔵。芝生を敷きつめた広い庭園には、ブールデル作「モントーバンの戦士」などの彫刻が置かれている姫路市立美術館を見学。

1993年(平成5)、法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録された、日本を代表する名城。白鷺が羽を広げて舞っているように見えることから、白鷺城の別名がある。羽柴秀吉が中国毛利攻めの拠点として築いた3層の城を、関ケ原の合戦後に入城した池田輝政が1601年(慶長6)から8年の歳月を費やし改築。5層7階の大天守と3つの小天守を渡櫓で結んだ独特の連立式天守閣(国宝)は、石垣や白漆喰総塗籠造の外観とともによく保存されている。櫓・門など、城内74棟の建物が重要文化財の姫路城(白鷺城)を訪れるが、残念ながら天守閣は工事中。

姫路城を借景にした池泉回遊式の日本庭園。発掘調査で確認された、西御屋敷跡・武家屋敷跡などの地割りを生かした大小9つの庭園群で構成され、門や塀をくぐるごとに風景が変わる趣向の姫路城西御屋敷跡庭園 好古園を訪れる。

和辻哲郎、椎名麟三ら姫路を中心とした播磨ゆかりの文人の原稿や生活環境を紹介。安藤忠雄の設計で、播磨の風土や歴史を紹介するコーナーや映像展示室など斬新な演出が新鮮。司馬遼太郎記念室を設けた南館も必見の姫路文学館を訪れる。

手柄山に広がる、総面積39万平方mの都市公園。観覧車などがあるひめじ手柄山遊園、大小2つの温室植物園のほか多彩な文化・スポーツ施設がある手柄山中央公園を訪れる。

奈良時代、聖武天皇の発願で国ごとに置かれた官寺の一つで国指定史跡。発掘調査で、南大門・金堂・塔など壮大な伽藍の配置が確認された。現在はふるさと歴史の広場として一部が整備され、伽藍配置や復元された築地塀などを見学できる播磨国分寺跡を訪れる。

17:30終了、帰路に向かう。

今回の旅行、日本の中心地兵庫県播磨に足を運び、藩主浅野家が治める城下町として栄え、昔から製塩が盛んで知られている赤穂、

龍野城の城下町として栄え、今日でも白壁の屋敷などが当時の名残を見せ、播磨の小京都と呼ばれる情緒ある町並みが続いている龍野、

1346年播磨を支配下に置いた赤松一族によって築かれた山城が、羽柴秀吉時代の城を土台にし池田輝政が慶長6年から8年の歳月をかけて作り上げた播州のシンボルとして愛され続けてきた世界遺産の姫路城が位置する姫路を訪れ、多くの歴史的建造物に触れ、播磨の歴史の深さを感じ取ることが出来ました。

紅葉のシーズン、どこの観光地も紅葉で観光客で賑わっていました。特に姫路城西御屋敷跡庭園好古園は庭園のみならず紅葉がすばらしく一目置きました。季節ごとに訪れたい庭園ですね。

一泊二日で兵庫の西播磨の広い範囲の観光、赤穂、龍野、姫路の点在する文化遺産歴史的建造物巡り、お勧めのドライブ観光旅行でした。



















兵庫県淡路島北観光
2010年11月20日


大阪湾、播磨灘、紀伊水道に囲まれた総面積595,84km、国内第7位の規模の島、兵庫県淡路島に足を運び、国立明石海峡公園や花さじきなど、花のスポットが多く点在し、安藤忠雄が設計した建築物や地元作家のアトリエもあるアートのエリア、淡路島北の淡路エリアを訪れました。

12:30車で阪神第二神明淡路鳴門自動車道経由して
13:30淡路サービスエリア到達、淡路インター下車

淡路島の豊かな自然に囲まれた国営公園。園内は四季折々の草花や木々で彩られ、鳥のさえずりが響き渡る癒しの空間。各季節の大花壇やテーマに沿った散策エリア、多くのイベントが行われる芝生広場などがある。特に、春の約300品種60万球のチューリップ・ムスカリの大花壇は見事。子どもに人気の夢っこランド・子どもの森には花・水・風をテーマにした遊具もあり、家族で休みを満喫できる淡路島国営明石海峡公園を訪れる。

6700平方メートルの規模を誇る植物館。二つの直方体をクロスさせた植物館は、「自然と人間の共生」がテーマ。植物の形、色、香りに焦点をあてたユニークなディスプレーで植物のすばらしさを五感に訴える展示を行っている。3000種に及ぶ珍しい植物だけでなく、世界の花文化を伝える華やかなフラワーショーとおしゃれなガーデニングアイデアが魅力の花々に包まれた癒しの空間の兵庫県立淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館を訪れる。

北淡路高原のなだらかな斜面に広がるフラワーパーク。甲子園球場の4倍にあたる15ヘクタールの園内には、菜の花やブルーサルビア、コスモスなど四季折々の花が一面に咲き誇り、花畑の向こうには大阪湾や明石海峡が望める。地元農産物などの販売所も併設されているあわじ花さじきを訪れる。

園内の野島断層保存館では、兵庫県南部地震で現れた野島断層(天然記念物)約140mを保存。震災体験館では震度7が体験できる北淡震災記念公園を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

近場の兵庫県の島、淡路島に足を運び、お花とアートで有名な淡路島北部、淡路エリアを訪れ、点在するお花畑と美術館を訪れ有意義な日を送り楽しめました。







和歌山県加太&和歌浦観光
2010年11月17日


海や山に湧く温泉や静かに信仰の歴史を語る世界遺産、深呼吸したくなる紺碧の海の風景の和歌山県に足を運び、紀州徳川家の城下町和歌山市、郊外の歴史的散歩道の和歌浦、加太を訪れました。

12:30車で阪神湾岸自動車道経由して
13:30加太到達

加太駅から県道を200mほど加太港に向かって進むと道路が直角に大きく折れ曲がる三叉路につく。そのかたわらに「右わかやまみち左あわしまみち」と刻まれた道標が立つ。西に向かう狭い路地こそ、かつて大和の都人が淡路島や四国、九州へとたどったといわれる淡島街道。現在は、道標から淡嶋神社までの部分をあわしま街道とよんでいる。道沿いに、加太春日神社や格子戸や本瓦、白壁の古い家並みがあり、交通の要塞だった頃の面影が残るあわしま街道を訪れる。

瀬戸内海国立公園に浮かぶ沖ノ島、地ノ島、神島、虎島の4つの島々の総称。無人島で明治時代から第2次世界大戦終戦時までの砲台跡がいくつか残る。沖ノ島へは船で渡ることができ、ハイキングやキャンプ、磯遊び、魚釣り、史跡巡りなどが楽しめる友ケ島を加太港から望む。

和歌山市方面に向かう。

正月三が日は地元をはじめ近畿圏から30万人の参拝者が訪れる。紀伊国で最も信仰を集めた一の宮、平安初期に定められた延喜式内社、戦前まで国が助成した旧官幣大社の歴史が示すとおり格式は高い。境内の一番奥まったところ左側に日像鏡を祭る日前神宮、右側に日矛鏡を祭る國懸神宮があり、地元では2社を通称して日前宮とよばれている日前神宮・國懸神宮(日前宮)を訪れる。

和歌浦に向かう。

学問の神様、菅原道真が太宰府に左遷された折、和歌浦に立ち寄ったことから創建された神社。受験シーズンともなると、合格祈願者で賑わう。急な石段を上り詰めると、楼門(重要文化財)と桃山風の華麗な本殿(重要文化財)がある和歌浦天満宮を訪れる。

権現前から水路に沿ってあしべ通りを東に行くと、和歌に詠まれた美しい風景の和歌川河口の干潟が広がる。そのすぐそばには、古くから和歌の神様として多くの歌人の信仰を集めてきた玉津島神社が濃い緑の中にたたずむ。衣通姫尊など3神を祭る境内には、小野小町が着物の袖を引っかけたといわれる小野小町袖掛塀がある。春には衣通の姫桜が咲き、根上り松(鶴松)も見られる玉津島神社を訪れる。

玉津島神社に隣接するもと玉津島神社の祓所。海の幸、安産の神様として親しまれてきた神社で、御神体の塩槌翁尊は輿の窟とよばれる岩穴に鎮座する。傍らに山部赤人の「若の浦に潮満ちくれば…」の歌碑がある塩竈神社[玉津島神社]を訪れる。

玉津島神社向かい側の橋。紀州藩主徳川治宝が1851年(嘉永4)に造らせた当時としては珍しい石組みのアーチ橋。徳川家が紀州東照宮に参拝する際におなり橋として渡っていた不老橋[玉津島神社]を訪れる。

玉津島神社の向かいにある妹背山。そこにかかる県内最古の石橋、三断橋を渡ると、和歌浦から名草山を眺めるため徳川頼宣が建立した水上楼閣がある。現在の建物は1963年(昭和38)に復元されたもの。景勝地としても有名で、名草山にかかる美しい月が眺められる観海閣を訪れる。

片男波公園にある、万葉集の資料館。和歌浦を中心に、県内で詠まれた万葉歌やその背景、風土などをパネルで展示・解説。館内中央にある円形の壁に、きのくにわかやまに関連する歌107首を、奈良の都から新宮市まで「歌地図」で表している。紀伊万葉シアターでは、漫画家・里中満智子さんのイラスト等で万葉の時代をわかりやすく紹介。まさに万葉づくしの施設の万葉館を見学。

国道370号沿いにあり、550年代に創建された古社。本殿、拝殿、摂社武内神社本殿、刀剣など国の重要文化財が多数ある野上八幡宮を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

近場の史跡巡り、2回目の訪れである和歌山県紀北の加太、和歌浦エリアに足を運び、点在する歴史的建造物に触れ、歴史学習できました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十九弾:埼玉県戸田&越谷&東松山観光
2010年11月13ー14日


関東地方の中央西側内陸部、東京都の北に位置する県、県庁所在地はさいたま市、日本で8つある内陸県の一つであり、県の西側(秩父地域)には山が多い一方、それ以外の地域は関東平野の一部をなしており平地が多い埼玉県に足を運び、鋳物の街として繁栄し、韓国料理の根付く町として有名な川口、綾瀬川や元荒川などの多くの河川が流れ、水の郷として知られる越谷、埼玉のほぼ中央に位置し、宿場町、市場町として古くから栄えた土地の東松山を訪れました。

13日13:17新大阪駅新幹線のぞみで出発
15:56東京駅到達、京浜東北線経由して
16:40西川口駅到達、西川口駅付近のホテル到達後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。
14日6:00レンタカーで出発、戸田・さいたまエリアを巡る。

歴史・民俗・美術を扱う、人文系総合博物館。国宝の太刀・短刀や太平記絵巻をはじめとする、国指定・県指定文化財を収蔵。期間限定で展示・公開している。常設展の一部には、展示物を自由にさわれるハンズオン・コーナーを設置。体験学習ゾーン「ゆめ・体験ひろば」では、藍染めなどのものづくり体ができる。子どもも大人も楽しめる多彩なイベント、特別展・企画展も随時開催する埼玉県立歴史と民俗の博物館[大宮公園]の前で記念撮影。

県内三名城の一つといわれた岩槻城の城跡を整備して作られた約18万平方mの広大な公園。自然林に囲まれ起伏が多く、4月上旬には桜が、6月上旬〜8月上旬にはスイレンが咲く花の名所でもある。岩槻城の城門(黒門)や、裏門などが移築保存された一角もあり、史跡が多く残されていることでも知られている岩槻城址公園を散策する。

越谷・春日部・久喜に向かう。

根元の周囲が4m以上で、藤棚が600平方mもある、推定樹齢1200年の巨大なフジ。日本最古の古木で、フジの木としては唯一、国の特別天然記念物に指定されている。4月中旬から花を付け始め、5月上旬には満開となるが、花房は1m前後から、長いものでは2mにもなる牛島の藤(藤花園)を訪れる。

東武動物公園内にある動物園。動物たちを身近に見られるつくりが特長で、アフリカサバンナではキリン、シマウマ、ダチョウ、サイなどを自然に近い状態で見ることができる。ゾウさんのランチタイムなど動物におやつをあげられるコーナーや、オットセイのコミカルなショーも毎日開催。希少なホワイトタイガーなどの動物にも出合える。一年中ホタルを鑑賞できる「ほたリウム」のほかにも、間近でライオンが見れ、ライオンのテリトリーに潜入ができるライオン舎もある動物園[東武動物公園]の前で記念撮影。

東松山に向かう。

明治百年事業の一つとして整備された、国営公園。約304万平方mの広大な敷地には武蔵野の雑木林の風景が広がり、四季の花々が咲くハーブガーデンや運動広場などさまざまな施設が点在する国営武蔵丘陵森林公園を訪れる。

比企丘陵の緑に囲まれた県立の動物園。小型のクイーンズランドコアラやカンガルーなど、オーストラリアの動物やキリンなどを飼育している。動物人形のミュージカルショーが行われるこどもの城や、恐竜コーナーは人気。園内にはピーターラビットで知られるイギリスの絵本作家、ビアトリクス・ポターの資料館もある。動物とふれあえる、なかよしコーナーや乗馬コーナーもある埼玉県こども動物自然公園を訪れる。

平安末期、源頼信が平忠常討伐に際して昼夜の戦勝祈願をしたところ、白狐に乗った神から箭と弓を授かる夢を見て戦いに勝った。そのことから頼信が社殿を寄進したとされる神社。彫刻が施された社殿は県の重要文化財、8枚の絵馬は市の文化財に指定。境内に植えられた約1500株のボタンは、4月下旬〜5月上旬に見事な花を付ける。商売繁盛、開運の神としても知られている箭弓稲荷神社を訪れる。

さいたまクラフトセンターともよばれ、「道の駅おがわまち」の施設。小川和紙をはじめ、岩槻の人形、春日部の羽子板、加須のこいのぼりなど県内の伝統工芸品を広く紹介、展示する。実演室では、週ごとに県内各地の伝統工芸の実演が行われ、実際の技術を間近に見られる埼玉伝統工芸会館を訪れる。

川口方面に戻る。
16:30西川口駅到達
16:35西川口駅出発
17:10東京駅到達
17:20新幹線のぞみで出発
19:56新大阪駅到達

今回2回目の訪れである関東地方の中央西側内陸部、東京都の北に位置する埼玉県に足を運び、メジャーな名所は前回訪れたため、比較的マイナーな名所に立ちより、鋳物の街として繁栄し、韓国料理の根付く町として有名な川口、荒川河川まで、緑の多い川べりは絶好の散策エリアとなっている戸田
、市役所や県庁など主要官公庁が集中し繁華街が広がるさいたまエリア

綾瀬川や元荒川などの多くの河川が流れ、水の郷として知られる越谷、室町時代より城下町として栄え、全国有数の人形の産地として知られる岩槻

江戸時代に五街道のひとつである日光街道の宿場町として栄えた春日部、明治時代日本鉄道の東北線久喜駅として誕生した古い歴史を持つ久喜、埼玉のほぼ中央に位置し、宿場町、市場町として古くから栄えた土地の東松山、山、川が織りなす景観や、伝統産業のある土地柄から、武蔵の小京都と呼ばれる小川町、反時計回りで訪れ無事終了いたしました。









奈良県橿原&葛城観光
2010年11月10日


近場の世界遺産の宝庫、奈良県に足を運び、日本初の本格的な都・藤原京が造営された場所で宮跡や寺跡など多くの史跡が点在する橿原、雄大な金剛・葛城山系の懐に曲がりくねって南北に続く古道に点在する史跡を楽しめる葛城エリアを訪れました。

12:30車で阪神近畿西名阪自動車道経由して柏原インター下車
13:15葛城到達

二上山は約1600万年前に噴火した火山で、その噴火によってできた3種類の火成岩をテーマにした異色の博物館。旧石器文化を開いたというサヌカイト、石棺の素材になった凝灰岩、サンドペーパーの原料である金剛砂の3つの石を中心に、二上山の自然と人々との関わりを、ジオラマやビデオ映像などで紹介している香芝市二上山博物館を見学。

祭神は三十六歌仙の一人、柿本人麻呂。付近が生誕地と伝えられ、石見国で没した人麻呂を770年(宝亀元)に改葬して、かたわらに社殿を建てたのが始まりという。拝殿南側には「柿本大夫人麻呂之墓」と刻まれた石碑がある。境内続きの影現寺は柿本寺とも呼ばれ、人麻呂の木像を安置。はめ込み式の首は、夜中に月の出る方角を向くという柿本神社を訪れる。

正式には葛木坐火雷神社といい、火雷大神と天香山命が祭神。創建は定かでないが、葛城地域屈指の古社で、式内名神大社。火と笛・音楽の神様の葛木坐火雷神社(笛吹神社)を訪れる。

全長135mの前方後円墳。5世紀中ごろの築造で、葛城氏に関係する古墳といわれる。埋葬施設は壊されているが、長持形石棺の蓋石などが見つかっており、竪穴式石室だったとみられる。付近は屋敷山公園として整備されている屋敷山古墳を訪れる。

鎌倉時代の優美な三重塔(重要文化財)が境内にぽつんと立つ。現在はこの塔と本堂を残すのみ。寺伝によると、639年(舒明11)に創建された日本初の官寺・百済大寺[くだらだいじ]の後身というが、確証はない。最近では、桜井市の吉備池廃寺[きびいけはいじ]を百済大寺とする説が有力の百済寺を訪れる。

環濠集落とは中世に外敵からの防衛と用水池を兼ねて、周りを濠で囲んだ集落のこと。南郷氏の拠点であった南北700m、東西550mのこの集落では、環濠の一部を取り込んだ公園が整備されており、当時の面影を伝えている南郷環濠集落を訪れる。

馬見丘陵古墳群の中でも最大級の前方後円墳。全長220m、後円部径130mで、後円部に竪穴式石室が2つある巣山古墳を訪れる。

橿原に向かう。

829年(天長6)、神奈備山から現在地に移転。境内には陰陽石が多数置かれ、子授けの神として信仰される飛鳥坐神社を訪れる。

中大兄皇子(のちの天智天皇)が660年(斉明6)に造った日本初の水時計台跡。発掘調査で、礎石と礎石の間を石で連結させた堅固な建物跡や、導排水管などが発見された。遺構は整備されており、飛鳥資料館で水時計の模型が見られる水落遺跡を訪れる。

全長320m、6世紀後半築造の巨大前方後円墳。全国第6位の規模で、6世紀の後期古墳に限ると最大。後円部は陵墓参考地に指定されているため立ち入り厳禁だが、全長26m以上という全国最大規模の横穴式石室をもつ。内部には石棺が2つ置かれており、欽明天皇と皇后の堅塩媛の合葬陵との説もある丸山古墳を訪れる。

聖徳太子の弟の来目皇子が建立したといわれるが、飛行中に娘のすねを見て墜落した久米仙人の創建との説話も残る。本尊薬師如来は眼病に霊験あらたかといわれる。本堂には、久米仙人の歯と髪を植えた自作像とされる久米仙人坐像がある。多宝塔(重要文化財)は京都仁和寺から移築したもので、桃山様式を残す久米寺を訪れる。

天武9年(680)、天武が持統の病気平癒を祈願して発願。文武2年(698)にほぼ完成。平城遷都とともに現在の西ノ京に移転した。ここは当初の薬師寺があった場所で、本薬師寺跡と呼ばれる。金堂と東西両塔の基壇や礎石が、田んぼに囲まれて残るだけだが、伽藍配置は平城京薬師寺とまったく同じ。金堂跡の巨大な礎石群が、かつての大寺を想像させる本薬師寺跡を訪れる。

1541年(天文10)、今井兵部が開いた浄土真宗の道場がのちに寺に改められた。今井町はこの寺の境内地から寺内町として発達したもので、初代兵部以来、現在まで今井家が住職を務める。近世初頭の再建の本堂は傷みも目立つが、入母屋造の大屋根がかつての栄華を物語る称念寺を訪れる。

「大東の四条屋」の屋号で酒造業を行っていた。前面の格子は木割りが細く、幕末の上層民家の好例。中2階形式が多い今井町にあって、完全な2階建てで、2階の窓も虫籠窓でなく、出格子窓。土間上方の高窓が、ひもで上げ下げできるのも、新しい形式の高木家を訪れる。

奈良盆地に島のように浮かぶ、耳成山・香久山・畝傍山の三山の総称。国の名勝に指定。いずれも標高200mに満たない低山だが、秀麗な姿で親しまれ、山頂にも手軽に登れる。中大兄皇子が詠んだ、三山妻争いの万葉歌でも知られる。耳成山は平地にぽつんと突き出た山で、標高139m。円錐形の優雅な姿は三山でもとりわけ美しい。畝傍山は三山で一番高く、標高199m。尾根が波打った姿は眺める方向によってさまざまな姿を見せ、山頂からの見晴らしもいい。標高152mの香久山は丘に近い山だが、三山の中では最も神聖視された大和三山を眺望する。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の近場の史跡巡り、昨年に続いて2回目の訪れである多くの史跡が点在する葛城と橿原エリアに足を運び、

奈良盆地の南西部を指す地域で古墳時代でも有数の豪族であった葛城氏の勢力圏であったと考えられ、飛鳥時代の前半あたりには葛城県が、その後は葛城国が置かれたようである葛城エリア

694年に日本最初の都城である藤原京が造営され、都が平城京に移転するまで16年存続した。中世には寺内町である今井町が自治都市として発展し、『海の堺・陸の今井』と称された橿原エリアを訪れ多くの点在する史跡に接し、楽しむことが出来ました。。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十八弾:茨城県つくば&土浦&潮来観光
2010年11月6ー7日


関東地方の北東に位置し、東は太平洋に面する。県庁所在地は水戸市で、国策によって作られた筑波研究学園都市がある茨城県に足を運び、科学の街として知られ、緑溢れる中に洗練された店が点在し、筑波山や周辺の温泉でくつろげる多彩な顔を見せるつくば、千葉県と県境にあり古くから船運で栄えた水瓶の街、アヤメが海辺を彩り、情緒溢れる潮来を訪れました。

6日13:07新大阪駅新幹線のぞみで出発、
15:36東京駅到達、山手線で秋葉原に向かう。
16:15秋葉原駅つくばエクスプレスで出発
17:05つくば駅到達、駅付近のホテル到達後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

7日6:00レンタカーで出発、つくばエリアを巡る。

見て、触って楽しく学べる科学館。宇宙や深海、エネルギーなどに関する体験型の展示を行っている。ドーム径25.6mある世界最大級のプラネタリウムでは、美しい星空と、大ドームいっぱいに広がる迫力の全天周映像が楽しめる。定期的に各種イベントを開催し、市内の研究機関の活動なども紹介。屋外にそびえ立つ、高さ約50mのH-IIロケット実物大模型が目印のつくばエキスポセンターの前で記念撮影。

中央公園の一角に立つ、つくば文化会館アルス1階にある美術館。年2回、国内外の優れた美術品を紹介する館主催の展覧会を開催。それ以外の期間は、貸ギャラリーとして利用されている茨城県近代美術館の前で記念撮影。

日本の宇宙開発における中心的な事業所。宇宙飛行士の養成および人工衛星などの研究開発・試験・追跡を行っている。日本で唯一、本物のHIIロケットを展示。展示室には実際に燃焼実験に使われたロケットエンジンやさまざまな人工衛星の試験モデルが数多く並び、「きぼう」日本実験棟開発用モックアップの中に入ることもできたりと、宇宙開発を間近で見て、感じて、学ぶことができる宇宙航空研究開発機構筑波宇宙センターの前で記念撮影。

牛久に向かう。

1903年(明治36)、浅草「神谷バー」の名で知られる神谷傳兵衛により創設された、日本初の本格的ワイン醸造場。時計台をあしらった赤レンガ造りの洋館は、日本のワインの歴史そのもの。かつての醸造場は現在では記念館やレストランになり、シャトーカミヤならではのワインや地ビールで料理を楽しみながら過ごせるシャトーカミヤを訪れる。

ギネスブックに登録された高さ120mの青銅製大仏。その迫力ある姿は遠方からでも目にすることができる。胎内は光の世界など5層に分かれており、地上85mまではエレベーターで昇って見学できる。大仏の足元には四季の草花で彩られる花畑が広がり、小動物公園もある牛久大仏を訪れる。

土浦に向かう。

江戸から明治時代に建造された呉服屋と商家の蔵を改修した観光施設、土浦まちかど蔵を訪れる。
霞ヶ浦に沿って潮来に向かう。

潮来市にある市営あやめ園の中で最も規模が大きく、北利根川に注ぐ前川の河口から続く園内にはアヤメや花菖蒲が植えられている。6月には白・紫・黄など色とりどりの花が咲き誇り、縦横にめぐらされた木道を歩いて観賞できる前川あやめ園を訪れる。

源頼朝が鎌倉入りを前にした1185年(文治元)に、武運長久を祈願して創建した臨済宗の名刹。江戸時代に徳川光圀の肝いりで修復整備を行い、唐様建築で茅葺きの仏殿が再建された。境内には北条高時寄進の銅鐘(重要文化財)や、松尾芭蕉が『鹿島紀行』で詠んだ句を刻んだ碑が立っている長勝寺を訪れる。

鹿島に向かう。

紀元前660年(皇紀元)創祀と伝えられる、常陸国一の宮で、国指定の史跡。水戸藩初代藩主・徳川頼房が奉納した鮮やかな朱色の楼門は、熊本県阿蘇神社、福岡県筥崎宮と並ぶ日本三大楼門の一つ。その先には本殿、拝殿(いずれも重要文化財)などが厳かに鎮座している。また、宝物館では我が国最古最長の直刀(国宝)をはじめ、300点余りの文化財を公開している鹿島神宮を訪れる。
2002年ワールドカップの会場にもなった、鹿島アントラーズのホームスタジアム。併設のカシマサッカーミュージアムでは、鹿島アントラーズが獲得した優勝トロフィーやサインジャージを展示。名勝負を大画面で楽しめる映像シアターもあるカシマサッカースタジアムを訪れる。

つくばに向かう。

17:00つくば到達
17:20つくば駅出発
18:05秋葉原到達、山手線で東京駅に向かう。
18:20東京駅新幹線のぞみで出発
21:00新大阪駅到達

今回の旅行、2回目の訪れである北関東の茨城県に足を運び、さまざまな研究機関が集中する、世界の科学都市、未来都市の魅力を体験できるつくば

ギネス公認の世界一の超高層大仏牛久大仏や日本初の本格的なワイン醸造場のシャトー・カミヤなどが位置する牛久、日本第二の広さの淡水湖霞ヶ浦に隣接する土浦

利根川下流の水郷巡りで有名な潮来、勝負の神様で知られる鹿島神宮、鹿島アントラーズのホームタウンでもある鹿島を訪れ広々とした茨城のドライブ観光楽しめました。

初めてのおとずれのつくば、広々とした平野に、大きな建築物が込み合わず点在し、外国に来た気分になりました。進化し続ける世界の未来都市、研究都市つくば、今後の発展、楽しみですね。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十七弾:愛知県知多半島&西三河&東三河観光
2010年11月2ー3日


豊かな自然の中でリフレッシュ、歴史に彩られた町の散策、文化や工芸の体験など、楽しみ方の無限大の愛知県に足を運び、世界への玄関口、中部国際空港セントレアがあり、窯の町、常滑焼きの産地でもある知多半島、愛知を代表とする味、八丁味噌のふるさとで徳川家康生誕の地でもある岡崎や西尾の抹茶などの産業観光が多い西三河、温泉やマリンスポーツが楽しめる蒲郡や温暖な気候を生かした花や果物のハウス栽培が盛んな渥美半島などの東三河を訪れました。

2日19:30車で第二京阪名神新名神東名阪伊勢湾岸知多半島道路を経由して
22:00半田到達、半田駅付近のホテルにて宿泊。

3日6:00車で出発、半田市街地を巡る。

酒粕を原料にした酢造りを1804年(文化元)に始めた、ミツカングループの工場内にある博物館。ミツカンで実際に使用していた古い酢造りの道具や、半田の粕酢と関わり深い江戸前にぎりずしの屋台などを展示。酢の効用や使い方を映像やパネルで紹介している博物館酢の里を訪れる。

常滑方面に向かう。

窯場やレンガ造りの煙突など、焼き物の町・常滑を感じることができるモデルコースやきもの散歩道を散策する。

世界各国の装飾タイルを集めた世界のタイル博物館、土管を焼いていた窯の内部を公開する窯のある広場・資料館、土・どろんこ館や陶楽工房など5館からなる文化施設。土・どろんこ館では、光るどろだんご作りなど、土を使った体験ができる。窯のある広場・資料館は国の登録有形文化財に指定のINAX ライブミュージアムを訪れる。

INAXライブミュージアムの施設の一つ。1921年(大正10)に建てられた大煙突のある黒い建物で、かつて土管を量産していた倒焔式角窯を見学できる。窯の中は飴色に輝く釉薬の跡が残り、神秘的な雰囲気が漂う。建築装飾材「テラコッタ」をはじめ、明治から昭和初期に作られた染付古便器なども展示されている。国の登録有形文化財の窯のある広場・資料館[INAX ライブミュージアム]を訪れる。

INAXライブミュージアムの中核施設。地域・文化・時代により、さまざまな美しさや用途をもつ装飾タイル1000点を展示した館内は、まるで宝石箱のよう。紀元前にエジプトでタイルが生まれ、世界に広まっていく歴史の流れを代表的な地域や国ごとに空間を再現し紹介する、日本唯一のタイル博物館である世界のタイル博物館[INAX ライブミュージアム]を訪れる。

知多半島を南下する。

水族館・芝生公園・遊園地が一つになった、総合海浜公園。定番のイルカ・アシカショーのほか、ふれあいタイムが人気。イルカやペンギンにタッチしたり、エサをあげたりできる。おもちゃのテーマパーク「南知多おもちゃ王国」では、リカちゃんハウス・トミカプラレランドなど、9つの体験パピリオンと12のアトラクションが楽しめる南知多ビーチランド&南知多おもちゃ王国を訪れる。

知多半島を北上し西三河方面に向かう。

赤味噌の代表ともいえる八丁味噌は大豆・塩・水のみでつくられ、風味を落とさず長期保存が可能なため、重宝されたといわれる。この味噌が名古屋・三河地方の代表的名物料理、味噌煮込み、味噌カツ、味噌おでんなどの味噌料理の原点となっている。ここでは、その八丁味噌に関する資料を展示。現在も仕込みに使っている直径6尺もある仕込み桶が100本並び圧巻。仕込み用の蔵を利用した史料館では、江戸時代から戦前まで受け継がれた仕込みの様子を紹介。試食もできる八丁味噌の郷を訪れる。

岡崎城址周辺に整備された公園。春になると約1700本の桜が咲き誇る桜の名所としても知られる。園内には、岡崎城天守閣をはじめ、家康が浸かったといわれる産湯の井戸や遺言碑など家康ゆかりの史跡が残る岡崎公園を散策する。

岡崎公園内にある、徳川家康出生の城として知られる名城。1531年(亨禄4)に家康の祖父・松平清康が入城して以来岡崎城と称されるようになり、家康の天下統一の拠点となった。明治時代に取り壊された天守閣は1959年(昭和34)に復元され、歴史資料館になっている岡崎城[岡崎公園]を訪れる。

三河湾に浮かぶ、面積約1万9000平方mの小さな島。キノクニスゲ・タブノキなど多種類の暖地性植物が生い茂り、島全体が国の天然記念物に指定されている。頂上にある竹島弁天を祭った八百富神社は、日本七弁天の一つ。島へは竹島橋を渡って行くことができ、橋からすぐの場所には竹島水族館が立つ。志賀直哉の作品に登場することでも知られる竹島を訪れる。

東三河方面に向かう。

石垣と復元された隅櫓が往時を偲ばせる、吉田城跡につくられた公園。緑豊かで、市民の憩いの場となっている。毎年「豊橋まつり」のメイン会場になり、「炎の祭典」なども開催。園内には豊橋市美術博物館のほか、陸上競技場や野球場がある豊橋公園を散策する。

1920年(大正9)に建てられたビザンチン様式の教会。白壁に緑の尖塔屋根のコントラストがエキゾチックで美しい。木造建築の聖堂としては県下最古といわれ、聖堂内のイコン(聖像画)は、帝政ロシア時代のものや、一部には聖像画家、山下りんによるものもあり、県の有形文化財に指定されている豊橋ハリストス正教会を訪れる。

渥美半島に向かう。

愛知県の南端、渥美半島の最先端に立つ白亜の灯台。1929年(昭和4)に建てられて以来、海の安全を見守っている。ここからは三島由紀夫作『潮騒』の舞台になった神島まで見渡せ、灯台から遊歩道もある。目の前に広がる青い海と白い灯台とのコントラストが美しく、晴れた日の夕日が沈む頃はロマンチックなムード。デートスポットにもなっている。2006年には、恋路ケ浜とともに「恋人の聖地」に選定の伊良湖岬灯台を訪れる。

17:00伊良湖港到達。
17:40伊良湖港フェリーで出発
18:35鳥羽到達。伊勢西名阪自動車道経由して帰路に向かう。

今回の旅行、関西から車で第二京阪新名神開通で近くなった大都市愛知県に足を運び、中部国際空港セントレアの開港により、人の往来が盛んになり、海に囲まれた地域のため、新鮮な海の幸を使った料理や、マリンレジャーが人気で江戸時代から酢などの醸造業で栄え、歴史的建造物も多い半田、日本六古窯のひとつで常滑焼の産地である常滑などが位置する知多半島

抹茶の生産量全国有数の地で、江戸時代には松平氏の城下町として発展、現在でも昔名がらの風情が残る町並みや旧跡のほか、伝統や文化も受け継がれている西尾、水運に恵まれ、後に八丁味噌や石製品が全国に広まり、徳川家康誕生の地でもある岡崎などの西三河

天然記念物に指定されている竹島を始め、古くから文人墨客らに愛され、景勝地として親しまれてきた蒲郡、三河湾と遠州灘に挟まれた中心都市、かつては吉田城の城下町として栄え、今も城跡などの史跡が残る豊橋、三河湾の大アサリやメロン、海や畑の恵みがいっぱい、灯台や花畑などの名所が存する渥美半島などの東三河を1泊2日のドライブ観光で楽しめました。

大都会の愛知県、しかし知多半島、渥美半島など、まだまだ田舎でのどかなエリアが数多く残っています。

今回は太平洋側の愛知県エリアをくまなく巡り、地理、歴史を勉強し、堪能できました。