飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十五弾:高知県四万十観光
2010年12月25ー26日


南は太平洋、北は四国山地と豊かな自然に囲まれた高知県に足を運び、豊かな自然が残る県西部エリア、日本屈指の清流四万十川エリアを訪れました。

25日14:00伊丹空港出発
14:50高知空港到達、レンタカーで観光、土佐に向かう。

横浪半島に抱かれた半島北側の浦ノ内湾は、約12km(3里)に渡って深い入江が続く風光明媚な海岸。波がおだやかで、横方向に波紋を描くところから横浪三里とも呼ばれ、半島を縦走するドライブウェイが走る。周辺には、くろしお展望公園や五色ノ浜など観光スポットが点在する横浪黒潮ラインを走行する。

伊野に向かう。

土佐和紙の歴史資料や道具の展示、紙漉きの見学・体験ができる紙専門の博物館。千年もの伝統をもつ土佐和紙は、国の伝統工芸品にも指定。ここでは、その歴史がパネルや模型でわかりやすく解説されている。土佐和紙の保護と職人の育成にも貢献。作業場では紙漉き風景が見られるいの町紙の博物館を訪れる。

17:00高知に向かう。
17:30高知駅付近のホテル到達後、繁華街散策し食事を済ませて就寝。

26日6:00レンタカーで出発、四万十に向かう。

延長196km。四国一の長さを誇り、日本最後の清流として知られる。四国山地の不入山に源を発し、四万十市内を貫流して太平洋に注ぎ込んでいる。上流にダムがないため水質が非常によく、四国随一の鮎漁場としても有名。流域には欄干がなく、増水時には水に沈む沈下橋が支流を含め47本架かり、独特の景観を作り出している。遊覧船も運航。移りゆく両岸の風景を見ながらの川下りは旅情あふれる四万十川を訪れる。

山内一豊の弟・康豊の居城であった中村城跡に建つ城の形をした資料館。桜の名所「為松公園」の一画に、愛知県の犬山城をモデルに建築されており、天守閣風の館からは、四万十川、東山を臨め、市街地を一望することができる。館内には、七星剣(日本に4本しか見つかっていない貴重な古剣)、土佐一條家、中村山内家、幕末の志士・坂本龍馬らと親交があった樋口真吉、明治を代表する中村出身の社会主義者・幸徳秋水の資料などが展示されている四万十市立郷土資料館[為松公園]を訪れる。

土佐藩山内家の家老・野中兼山が開発した用水路(四ケ村溝)から、水田に水を汲み上げるために設置されたもの。現在は観光用に14基の水車があり、周辺は公園として整備されている安並水車の里を訪れる。

四万十川西岸にある、約5.5haの自然公園。「社団法人トンボと自然を考える会」が世界自然保護基金(WWFJ)などの支援を受けながら設けたもので、園内では76種のトンボが確認されている。トンボと淡水・汽水魚の資料を集めた、あきついお(四万十川学遊館)もある四万十・トンボ自然公園を訪れる。

トンボ自然公園入口にある自然史博物館。世界のトンボ標本が約1000種もあるとんぼ館と、四万十川の魚をはじめ世界の淡水魚、汽水魚約300種を飼育展示するさかな館からなる。世界最大の淡水魚ピラルクーをはじめとする古代魚や、眼ナシ魚など珍しい魚もいる四万十川学遊館[四万十・トンボ自然公園]を訪れる。

入野海岸を美術館に見立てた独創的な美術館。建物はなく、砂浜で一年を通じてユニークな作品を展示する。毎年5月のTシャツアート展では、公募で集まったさまざまなデザインのTシャツ1000枚以上を海辺に吊って展示。11月には潮風のキルト展が開催される砂浜美術館を訪れる。

帰路に向かう。

15:20高知空港到達。
17:10高知空港出発。
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、今年カヌーで2回、3回目の訪れである高知県に足を運び、四国屈指の大河、流域の豊かな自然を満喫し、沈下橋が架かる風景はこの川ならではの風情を醸し出している四万十川エリアをドライブ観光してきました。

カヌーでは何回も訪れた四万十川、観光は今回が初めて、四万十川上流から下流までの流域をくまなくドライブ観光して堪能しました。
そして四万十川のすべての沈下橋を制覇しました。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十四弾:愛媛県東予&今治観光
2010年12月22ー23日


四国の北西部に位置し、北側に瀬戸内海、南側に西日本最高の石槌山が聳える愛媛県に足を運び、四国のほぼ中央に位置し、瀬戸内屈指の工業地帯、別子銅山の名残りを留める新居浜市、紙の町四国中央、などの東予、四国で初めて開港した港町として知られ、かつては今治藩の城下町として栄えた今治を訪れました。

22日13:29新大阪新幹線のぞみで出発
14:21岡山駅到達
14:35岡山駅しおかぜで出発
16:10新居浜駅到達、駅付近のホテル到達後、市街地を散策し、食事を済ませて就寝。

23日7:00レンタカーで出発、別子銅山方面に向かう。

別子銅山の資料が充実した記念館。鉱山坑内を彷彿させる半地下構造で、展示物は文献や採掘道具など約300点。屋外には、別子1号機関車などの車両が6車両展示されている別子銅山記念館の前で記念撮影。

別子銅山跡地にあるレクリエーション施設。端出場エリアの目玉は、鉱山鉄道と徒歩約20分の観光坑道と砂金採り。温泉施設マイントピア別子温泉も併設。端出場から車で25分の東平エリアには、鉱山の歴史や生活風景を紹介する東平歴史資料館と貯鉱庫跡などの鉱山遺跡があるマイントピア別子を訪れる。

標高892mの翠波峰の山頂付近に広がる高原。春は菜の花、夏から秋にかけてはコスモスが咲き乱れる。コスモス展望台からは金砂湖や瀬戸内海、四国山地も望める翠波高原を訪れる。

四国中央に向かう。

天平年間(729〜749年)に行基が聖武天皇の勅願によって開創した四国霊場第65番札所。815年(弘仁6)に弘法大師が三角形の護摩壇を設け21日間の護摩秘法を修めたというのが名前の由来。本尊の檜一木造十一面観世音菩薩は、60年に一度御開帳の秘仏の三角寺を訪れる。

市内各地で生産される紙製品の展示即売、紙の原料と行程、不織布・機能紙コーナーなどがあり、紙に関連したカルチャー教室や企画展も随時開催している紙のまち資料館を訪れる。

西條に向かう。

自然館・科学技術館・産業館の3つの常設展示室、ギネスブックに掲載された直径30mの巨大プラネタリウムなどからなる参加体験型の博物館。4階の自然館にある巨大な恐竜の可動模型は、1時間毎に大きく動く愛媛県総合科学博物館を訪れる。

今治に向かう。

日本一のタオル生産地、今治ならではのタオルの美術館。カラフルなタオルアートを展示するギャラリーのほか、四国みやげが手に入るショップ、レストランやカフェ、ヨーロピアンガーデンなども併設している。製造工程の見学可のタオル美術館ICHIHIROを訪れる。

玉川町出身の故徳生忠常氏が寄贈した、田園の中の小さな美術館。黒田清輝や菅井汲らの洋画や、ピカソ、シャガール、アンディ・ウォーホルの作品など、近現代美術史上重要な作品が350点収蔵されている。美術館収蔵の国宝は春・秋定期公開。朝倉響子やダリなどの彫刻作品もある玉川近代美術館を見学。

1602年(慶長7)藤堂高虎が着工し、2年後に完成。海水を引き入れた三重の堀をもつ海岸平城は、全国でも珍しい。当時のまま残るのは城塁や内堀だけだが、明治維新前までの規模は現在の10倍と記録に残る。5層6階建ての天守閣は、1980年(昭和55)に市制60周年を記念し再建。2〜5階は展示室で、武具・甲冑・刀剣など約250点を常設展示。御金櫓、山里櫓は美術品の展示館になっている。2007年(平成19)には鉄御門を再建。築城当時の雄姿を再現している今治城を訪れる。

16:30新居浜に戻る。
17:00新居浜到達。
17:36新居浜駅しおかぜで出発
19:05岡山駅到達
19:23岡山駅新幹線のぞみで出発
20:05新大阪到達。

今回の旅行、2回目の愛媛県に足を運び、四国のほぼ中央に位置し、瀬戸内屈指の工業地帯、別子銅山の名残りを留める新居浜市、紙の町四国中央、などの東予、四国で初めて開港した港町として知られ、かつては今治藩の城下町として栄えた今治を訪れ、ドライブ観光してきました。

さすが四国の中央部に来ますと、数少ない家並みの点在、障害物が少なく、広々としていました。車も少なく、観光名所も観光客が少なく、ひっそりしていました。おかげで渋滞なく、時間のロスが少なく、巡ることができました。

石槌山の石槌スカイラインが12月から3月まで閉鎖のため訪れることが出来なかったのは残念です。

次回に持越しです。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十三弾:福岡県久留米&柳川&秋月観光
2010年12月18ー19日


3回目である九州の中心地福岡県に足を運び、中世の豪族・草野氏の城下町として栄え、江戸時代には豊後街道の宿場町として賑わい、当時の白壁の家が並ぶ町久留米、立花藩十二万石の城下町、藩主立花家の和洋折衷の屋敷御花や、なまこ壁の土蔵など古い建物が残り、北原白秋をはじめとした文人を輩出した柳川、黒田藩の支藩だった城下町、筑前の小京都とも呼ばれる秋月を訪れました。

18日13:09新大阪新幹線のぞみで出発
15:44博多駅到達、レンタカーで福岡近郊のリゾート地として知られる・海の中道・志賀島方面に向かう。

350種類約2万点の海の生物が観察できる水族館。高さ7m、幅24mのパノラマ大水槽は日本最大級の規模のマリンワールド海の中道の前で記念撮影。

約249万平方mの広大な敷地を誇る国営公園。早春から晩秋まで、いつ訪れても花のある風景が楽しめる。海を眺めながらバーベキューが楽しめるデイキャンプ場、ポニーやカピバラとふれあえる動物の森、公園のシンボル大観覧車をはじめ、氷点下30℃のアイスワールドなど21のアトラクションが揃う遊園地ワンダーワールドなどが点在。夏は西日本最大級のサンシャインプールも人気の国営海の中道海浜公園を訪れる。

「漢倭奴国王」と刻まれた2.3cm角の金印が、江戸中期の天明4年(1784)に偶然掘り起こされた場所。園内には金印のモニュメントが設置され、現物は福岡市博物館で展示中の金印公園を訪れる。

17:30久留米に向かう。
19:00西鉄久留米駅付近のホテル到達後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

19日7:00レンタカーで出発、390年(仁徳天皇78)鎮座、社殿創建は400年(履中天皇1)と伝わる古社。延喜式内名神大社・筑後国一の宮など、古代から高い格式を誇る。久留米藩主・有馬家寄進の現在の社殿と石造大鳥居、伝来の覚一本平家物語は国の重要文化財、高良山神籠石は国の史跡に指定。久留米市街を一望する眺望、夜景は筑後随一の美しさとも言われている高良大社を訪れる。

柳川に向かう。

柳川藩主4代目立花鑑虎の別邸。建物や庭園の大部分は1909年(明治42)に新築されたもの。洋館と和館、立花家に伝わる武家文化コレクションを展示した御花資料館・殿の倉で構成される。特に見応えあるのが、松濤園(名勝)。和館の大広間前の庭園で、宮城県の松島を模して造られたもの。毎年冬には数百羽の野鴨が池に飛来する御花を訪れる。

『落葉松』や童謡『この道』などの詩作で知られる、柳川出身の北原白秋。館内では、柳川の歴史や暮らしを伝える資料の展示、著書や遺品などの資料と3面マルチ画面で白秋の業績を紹介する北原白秋生家・記念館を訪れる。

北原白秋の生家は、当時柳川地方で1、2を争う酒造業を営んでいた。幕末〜明治初期に建てられた屋敷は、母屋との間に堀割りが流れ、その向こうに酒蔵や精米所、池などがあったという。しかし、1901年(明治34)沖端の大火により大半を焼失。現在公開されているのは、かろうじて焼け残った母屋と穀倉を1969年(昭和44)に復元したもの。1990年に母屋にあった隠居部屋も復元されている。なまこ壁に覆われた生家の土間はひんやりと薄暗く、いかにも造り酒屋らしい雰囲気。白秋の著書や遺品などの展示のほか、子供時代の落書が残されていたり、仏間には白秋のデスマスクが安置されていて興味深い北原白秋生家[北原白秋生家・記念館]を訪れる。

1978年(昭和53)からこの散歩道の整備に取り組み、現在は約2.7kmの遊歩道が完成。周辺に点在する文学碑や歌碑を巡ってみるのも柳川ならではの旅の楽しみ。日本の道百選にも選ばれた内堀の散歩道は、白秋の弟子だった宮柊二の歌碑から始まる。日吉神社の近くには名物のウナギを祀ったうなぎ供養碑、地元出身の俳人・木村緑平の句碑、同じくホトドキス派の俳人だった河野静雲の句碑などが並ぶ。長谷健の文学碑は、豆腐をかたどっていてユニークの水辺の散歩道を歩く。

八女に向かう。

江戸時代に建てられた酒屋を整備したその佇まいは八女福島が育んできた固有の文化的景観に調和し、屋内には月ごとに変わるギャラリー、八女と関わりのある現代作家の資料室「ふるさと文庫」、酒井田柿右衛門資料室、集会所として利用できる母屋、人々の交流の場となる「町並み談話室」などがあります。文化の交流拠点、情報の発信施設として、また、人々の集いの場として今後多くの文化イベントが繰り広げられる八女市横町町家交流館を見学。

お茶に関する情報発信基地として、あらゆる面からお茶を紹介する施設茶の文化館を見学。

八女市上陽町の北川内地区を流れる星野川にかけられた「洗玉眼鏡橋」は、有名な名石工・橋本勘五郎の最後の作品となった石橋。アーチの直径は22.5メートルと県内最大で、町内には氏の流れをくむ石工の手がけたものを含め13もの石橋が現存し、そのうち、洗玉橋(一連橋)、寄口橋(二連橋)、大瀬橋(三連橋)、宮ヶ原橋(四連橋)が上陽町の石橋四天王とされ、通称ひ・ふ・み・よ橋を訪れる。

吉井に向かう。

旧豊後街道の道筋だった国道210号沿いには、白壁土蔵の美しい町並みが今なお残っている。鏡田屋敷と居蔵の館は見学が可能。上町交差点そばにある町並み交流館商家では、見学のほか地元食材にこだわった食事も楽しめる吉井の町並みを散策する。

秋月に向かう。

1624(寛永元)年に黒田長政の三男長興が秋月五万石を与えられて築城した。現在は秋月中学校の敷地となり、大手門として使われた黒門や石垣、長屋門が当時の栄華を物語る。県指定史跡の秋月城址を散策する。

秋月城跡にある、黒一色に塗られたかつての大手門。古処山城の搦手門だったのを、黒田長興が入府する1624(寛永元)年に移された。県指定文化財の黒門[秋月城址]を訪れる。

秋月城跡にある黒門の石段を登りつめたところにある神社。創建は1880年(明治13)で、黒田長興が祭られている垂裕神社[秋月城址]を訪れる。

秋月城跡にあり、正しくは内馬場裏御門。かつて側室が住む屋敷の通用門として使われた。県指定文化財の長屋門[秋月城址]を訪れる。

武士たちが馬術の腕を競ったところで、その昔は杉の大樹が繁っていたことからこうよばれるようになった。現在は桜並木になっていて、秋月黒田家の遺品や武器などを展示する秋月郷土館から秋月城へと続き、秋月の代表的な散策コースになっている杉の馬場を通過する。

秋月藩士戸波家の屋敷跡を利用した施設。歴代藩主の資料や民俗資料を陳列する歴史資料館と、ルノワールやシャガール、岸田劉生など国内外の巨匠たちの作品を収蔵する郷土美術館からなる。美術館内には藩主愛用の、甲冑や刀剣なども展示している秋月郷土館を見学。

久留米に戻る。

ブリヂストンの創業者・石橋正二郎のコレクションを中心に、日本近代洋画など約130点を展示している。特に久留米出身の画家・青木繁の『海の幸』や『わだつみのいろこの宮』(ともに重要文化財)、坂本繁二郎の『放牧三馬』、古賀春江の『素朴な月夜』は必見。別館では、雪舟など日本や中国の書画、陶磁器などを展示する石橋美術館を見学。

15:30博多駅に向かう。
16:10博多駅到達。
17:00博多駅新幹線ひかりで出発
19:44新大阪駅到達。

今回の旅行は3回目の九州の中心地福岡県に足を運び、中世の豪族・草野氏の城下町として栄え、江戸時代には豊後街道の宿場町として賑わい、当時の白壁の家が並ぶ町久留米

立花藩十二万石の城下町、藩主立花家の和洋折衷の屋敷御花や、なまこ壁の土蔵など古い建物が残り、北原白秋をはじめとした文人を輩出した柳川

古くから日本茶の栽培が盛んな地域、特に八女郡黒木町から星野村まで栽培される玉露は全国的に評価の高い八女

白亜の御殿が並ぶ歴史薫る宿場町、白壁の町並みの吉井

黒田藩の支藩だった城下町、筑前の小京都とも呼ばれる秋月を訪れ一泊二日のドライブ観光無事終了しました。

福岡県の郊外にはのんびりと散策を楽しめ、歴史ある桜と紅葉で癒される秋月、今回は気温が低いため歩いて巡りましたが舟に揺られて満喫できる城下町の柳川、なかなか癒される2つの郊外での城下町、又訪れたいですね。次回は宿泊してのんびり過ごしてみたいです。











京都洛東観光
2010年12月15日


世界遺産の宝庫、文化遺産が数多く点在する京都に足を運び、世界遺産であり定番の観光地、清水寺周辺の文化遺産を訪れました。

12:30車で第二京阪自動車道経由して
13:30清水寺付近到達

802年(延暦21)創建で、『平家物語』によると小督の局が宮中を追われ出家した寺。山中には小督の局を愛した高倉天皇の陵がある。西郷隆盛と清水寺住職月照上人が謀議をした茶室郭公亭がある。清水寺から清閑寺へ向かう杉並木の山道は古くから知られた紅葉の名所。途中にある清水寺塔頭泰産寺の子安塔(重要文化財)は、安産祈願で有名。江戸時代初期の再建で、もとは坂上田村麻呂の娘が皇子の誕生を祝って建てたものという。この場所からは清水寺を一望できる清閑寺を訪れる。

豊臣秀吉の墓所で、高さ約9mの五輪石塔が立つ。旧豊国神社跡から約500段の石段を登った所、阿弥陀ケ峯の山上にある豊国廟を訪れる。

三十三間堂の東側にあり、淀殿が1594年(文禄3)に父浅井長政の菩提寺として建立。その後火災に遭い、淀殿の妹で徳川秀忠の夫人である崇源院が1621年(元和7)に伏見城の旧材を使って再建。本堂の天井は「血天井」と呼ばれ、伏見城が落城した時、徳川家康の部下だった鳥居元忠らが自刃した際の血痕が付いた床板を使用したものという。俵屋宗達の描いた杉戸絵(重要文化財)・襖絵(重要文化財)や狩野山楽筆の襖絵も見逃せない養源院[蓮華王院]を訪れる。

牛若丸と弁慶が出会ったという伝説で有名な橋。もとは平安京の五条坊門通(現在の松原通)に架かっていたのを、豊臣秀吉が天正年間(1573〜92)、方広寺大仏殿造営の際に南へ2町下がった現在地に移した。車の波に囲まれながら、牛若丸と弁慶の像が西詰の緑地に立っている五条大橋を通過する。

1645年(正保2)創業で、京小間物などを扱った大店・柏原孫左衛門の旧宅を使った博物館。伝来の家具や婚礼衣装、茶道具、書画、刀剣など、江戸時代の豪商の暮らしぶりがうかがえる品々を展示。特に婚礼衣装は絢爛豪華の洛東遺芳館を訪れる。

川端五条からゆるやかに上る五条坂は清水焼の窯元や陶器卸店が並び、8月に開かれる陶器市は全国的にも有名。大谷本廟の入口がある東山五条から本格的な坂道が始まり、清水焼の窯元の作品が並ぶ京都陶磁器会館が右手に見える五条坂を通過する。

五条坂から分岐して清水寺へ向かう坂。陶芸ギャラリーや藍染工房などの趣味の店も徐々に増え、アート散策を楽しめる穴場。かつては清水焼の窯元が立ち並んだ場所であるため茶わん坂と名付けられ、坂の入口に石碑が立つ。古くは奈良時代の僧、行基がこの地で土器を作り、江戸初期に野々村仁清が華やかな色絵陶器を完成させた。坂の南には近藤悠三記念館が立つ清水新道(ちゃわん坂)を通過する。

大胆な染付け技法で人間国宝に認定された氏の作品の数々を展示。直径126cm、重さ約100kgの梅染付け大皿は世界最大級の作品の近藤悠三記念館[清水新道]を訪れる。

かつて平安京の南大通であった松原通が東大路通を越えた場所から始まる約1kmほどの清水寺への参詣道。人通りもあまりない静かな坂だが、五条坂・三年坂と合流するあたりからみやげ物店が軒を連ね、さらに上がると漬け物や八ツ橋などの京みやげの店がずらりと揃い、呼び込みも盛ん。門前には清水人形の店もある。坂の頂上に清水寺の仁王門や三重塔がそびえ立つ清水坂を通過する。

八坂塔と呼ばれる五重塔(重要文化財)で知られる。飛鳥時代、聖徳太子の創建と伝え、この地の高句麗系渡来人、八坂氏に関係した寺とみられる。当初は四天王寺式の伽藍配置をとる大寺だったが、現在は民家に囲まれた境内に塔と薬師堂、太子堂が残るのみ。応仁の乱にも焼け残った五重塔は1440年(永享12)足利義教の再建によるもので、高さ46m。初層内部を拝観でき、大日、釈迦、阿しゅく、宝生、阿弥陀の五如来坐像が祭られる須弥壇や、中央に心柱を通した塔の構造を見ることもできる法観寺(八坂の搭)を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の近場の名所巡り、文化遺産が数多く点在する世界遺産の町、京都に足を運び、世界遺産の清水寺周辺に点在する洛東エリアの文化遺産をひたすら歩いて訪れました。

メジャーな観光名所は過去に何回か訪れたことがありますので、今回は比較的マイナーな歴史的建造物をおとずれましたが、さすが京都、マイナーな遺産も立派、京都の歴史の深さ、凄さを再確認できた京都名所観光巡りでした。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十二弾:静岡県浜松&遠州&三河観光
2010年12月11ー12日


3回目となる静岡県に足を運び、静岡県西部に位置する浜松駅を中心に広がるオシャレタウン、個性派ショップや浜松っ子御用達の飲食店がひしめく浜松タウン、全国的にうなぎの名産地として知られ、温暖な気候と豊かな自然が織り成す景勝地として人気のスポット浜名湖エリア、東の大井川、西の天竜川に挟まれた自然豊かなエリア、東海道沿いに賑わった磐田や袋井、かつて城下町として栄えた掛川などには史跡が残り、見所が多い遠州エリア、浜松に隣接する愛知県東部、手筒まつりで知られる豊橋や豊川、三河湾沿いに個性豊かな都市が集中している三河エリアを訪れました。

11日12:30車で第二京阪名神新名神東名阪東名自動車道経由して音羽蒲郡インター下車
14:40三河到達。

商売繁盛・福徳開運の神様として、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑や大岡越前も信仰したという中部地区では有名なお稲荷さん。境内の寺賓館には、地蔵菩薩像(重要文化財)などを展示。書院西には妙厳寺庭園がある豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)を訪れる。

約3万平方m、季節ごとに約250種類の植物が群生する低層湿原で、モウセンゴケなどの食虫植物やミカワバイケイソウ、シラタマホシクサなどこの地でしか見られない貴重な植物も多い。湿原内は木道が整備され散策できる葦毛湿原を訪れる。

「のんほいパーク」と呼ばれて親しまれている総合公園。動物園ではライオンなど約160種類の動物が飼育され、植物園では2700平方mの大温室内で熱帯植物を観察することができる。11種類の乗り物が楽しめる遊園地も人気の豊橋総合動植物公園を訪れる。

東海道五十三次33番目の宿場町だった二川宿。ここでは江戸時代の旅が体験できる。「東海道」「二川」「本陣」をテーマに、江戸時代の街道や宿場、大名行列などについて分かりやすく紹介。大名の宿・本陣と庶民の宿・旅籠屋が復原され、浮世絵摺りや双六ゲームの体験コーナーもある豊橋市二川宿本陣資料館を見学。

浜松に向かう。

18:00浜松駅付近のホテル到達後繁華街を散策する。

アクトシティ浜松の象徴である地上45階建ての多目的ビルで、低層部にはレストランなどの商業施設、中層部にオフィス、上層部にはホテルが入っている。最上階には遠州灘や日本アルプスなど、360度の風景を見渡せる展望回廊があるアクトタワー[アクトシティ浜松]を訪れる。

アクトシティ浜松内にある、世界中の楽器約1200点を展示する博物館。楽器が作られた時代背景や、音の出る仕組みをわかりやすく紹介。付属のヘッドホンで楽器の音が聴けるほか、体験ルームでは自由に楽器にふれられる浜松市楽器博物館[アクトシティ浜松]を訪れる。

食事を済ませてから宿に戻り就寝。

12日6:30車で出発

1570年(元亀元)、徳川家康が遠州攻略の拠点に築城。徳川の治世はここから始まったともいえ、その後代々の譜代大名が居城としたことから別名「出世城」とも呼ばれる。城跡は浜松城公園として整備。築城当時の姿を残す石垣の上には、1958年(昭和33)再建の天守閣がそびえる。天守閣内部では鎧や刀剣などを展示。最上階の展望回廊は浜松市内が一望できるビュースポットだ。桜の名所でもある浜松城を訪れる。

航空自衛隊浜松基地の敷地内にある施設。体験とコミュニケーションをテーマに、展示や映像などを通じて航空自衛隊を紹介している。館内には本物の戦闘機やパイロットの携行品といった展示のほか、パネルなどで自衛隊についてわかりやすく解説。さらに、航空機のコックピットからの眺めを約10分の映像で体験する全天周シアター15、コックピットに乗り疑似操縦ができるフライトシミュレーターなどがある航空自衛隊浜松広報館(エアーパーク)の前で記念撮影。

佐鳴湖を中心に広がる緑豊かな公園。46.85万平方mの広大な園内には、散策コースや芝生広場、遊戯広場などがあり、さらにサイクリングやボート、釣りなどスポーツも楽しめる。春には桜が美しいことで有名。冬には渡り鳥が訪れ、バードウォッチングもできる佐鳴湖公園を散策。

佐鳴湖の東岸にある国指定史跡。約3000〜4000年前の縄文時代の遺跡で、住居跡や墓、貝塚が見つかっており、現在は史跡公園として整備されている。園内には5棟の復元家屋が立つほか、江戸時代の民家も移築されている。また、発掘当時のまま保存された第一貝塚では、貝殻の堆積状態が観察できる蜆塚遺跡を訪れる。

館山・浜名湖に向かう。

桜・バラ・ツツジ・ハナショウブなど、約3000種10万本の植物が栽培されている公園。約30万平方mの広大な敷地には、噴水とその周りの花壇を中心に、大温室、ローズガーデンや桜並木、梅園、ハナショウブ園などがあり、四季折々の花と緑を楽しめるはままつフラワーパークを訪れる。

舘山寺温泉の一角にあり、園内は自然の地形を活かし、ゾウやトラ、ライオンなど約130種450頭の動物がのびのびと生活している。中でもサルの仲間が多く、27種の猿が見られるサルのアパートや、サル山が人気の浜松市動物園を訪れる。

徳川家康が小出播磨守へ送った『小出播磨守宛書状』や、葵の紋が入った茶器など、徳川家のコレクションが中心。館内には色鮮やかな蒔絵、書画、工芸品があり、なかには尾形光琳の『十二ケ月図屏風』、歌川広重の『名所江戸百景』など貴重な作品も多い浜名湖舘山寺美術博物館を訪れる。

庄内半島の西、高さ50mほどの小さな山、舘山の中腹にある曹洞宗の禅寺。舘山寺温泉の名前の由来でもある。もとは810年(弘仁元)、弘法大師が開いた真言宗の中嶺山舘山寺という古刹で、鎌倉時代に兵火で一度は焼失したものの、源頼朝が自らの祈願寺として再建。明治の廃仏棄釈で廃されたが、明治中期になって曹洞宗の寺として再び興された。周囲には浜名湖を見ながら一周できる遊歩道もある舘山寺を訪れる。

舘山寺温泉街の対岸にある標高113mの山。山頂の展望台からは、眼下の浜名湖をはじめ、遠くに遠州灘、快晴の日には富士山まで見渡せ、360度の大パノラマを楽しめる。浜名湖パルパルから山頂展望台までを、かんざんじロープウェイが所要4分で結んでおり、簡単に頂上まで行くことができる。山頂一帯は公園として整備されている大草山を望む。

遠浅で波の静かな弁天島南岸は、海水浴ができる海浜公園として整備されている。園内には舞阪町観光シンボルタワーがあり、7月下旬〜8月下旬には子ども用プールがオープン。ヤシの木が立ち並び南国ムードあふれる遊歩道では、海辺の散策が楽しめる弁天島海浜公園を訪れる。

1600年(慶長5)、徳川家康により、東海道の通行人を調べるために創設された関所。「入鉄砲に出女」といわれ、鉄砲と女性は特に厳重な取り調べを受けた。当時の建物が現存する全国で唯一の関所跡で、国の特別史跡に指定されている新居関跡を訪れる。

新居関所跡の隣にあり、旅道具や通行証、関所で使用した武具や責め道具など、関所の資料が展示されている新居関所史料館[新居関跡]を見学。

1383年(永徳3)の創建とされる法華宗の古刹。大書院にある谷文晁の15面におよぶ壁画や襖絵が有名で、別名「文晁寺」とも呼ばれる。大書院の庭は小堀遠州が手掛けた池泉鑑賞式の庭園で、境内は春の桜やツツジ、秋の紅葉など、四季折々の表情をみせる。また境内には本堂や約10の堂宇が立ち並ぶ本興寺(文晁寺)を訪れる。

726年(神亀3)、聖武天皇の勅願寺として建立された古刹。「優れた教え」という意の梵語が寺名の由来。木造の千手観音像(重要文化財)や、不動明王像(重要文化財)などの寺宝が安置されている。鎌倉時代初期に造られた庭園は、東日本では珍しい平安様式の名園。桜や杉などの古木が四季折々の美しさを見せる摩訶耶寺を訪れる。

1371年(建徳2)、後醍醐天皇の皇子無文元選禅師によって開かれた。杉の老木が茂る鬱蒼とした境内に、本堂・半僧坊真殿・開山堂・三重の塔など、60あまりの堂宇が立ち並ぶ方広寺を訪れる。

方広寺境内にある鎮守堂。中国各地で修行した開山禅師を帰国途上、海難の危機から救ったという半僧坊を祀った半僧坊真殿がある奥山半僧坊[方広寺]を訪れる。

竜の爪痕を残す大岩があると伝わる、竜ケ石山にある洞窟。東海地方で最大級の鍾乳洞で、約1kmのうち一般公開されているのは約400m。何万年もの歳月をかけて形成され、マリア観音や鳳凰の間、石柱の宝などの鍾乳石が並ぶ。なかでも、落差30mの黄金の大滝は圧巻の竜ケ岩洞を訪れる。

733年(天平5)、行基が開山した古刹で、井伊家代々の菩提寺。本堂のうぐいす張りの廊下、竜の彫刻は左甚五郎作と伝わる。織田信長の遺品や井伊家ゆかりの品々などがある。国指定名勝小堀遠州作龍潭寺庭園、県指定文化財龍潭寺本堂等が見どころの龍潭寺を訪れる。

遠州森方面に向かう。

704年(慶雲元)、文武天皇の勅願で行基が創建したという。15代まで法相宗、16代から天台宗になり36坊を有した。萩の寺として有名で、秋には見物客で賑わう。徳川家康のご朱印目録や、今川義元の寄進状などが拝観できる。山内一豊ゆかりの寺、蓮華寺を訪れる。

蓮華寺の入口にある。1885年(明治18)に建てられた周智郡役所の建物を移築し利用した資料館。館内では昔の看板や農耕具、生活用品、古文書などを展示する森町立歴史民俗資料館[蓮華寺]を見学。

桃山時代から続く庄屋、加茂家の門前に広がる花菖蒲園。5月上旬〜6月下旬にかけて、約1500種100万株もの花菖蒲が白壁・土蔵・長屋門などを背景に咲き乱れる。温室ではベゴニアなども鑑賞可の加茂花菖蒲園を訪れる。

掛川に向かう。

1994年、全国初の木造天守閣として復元された3層4階建ての城。戦国時代に今川氏の家臣・朝比奈泰熈によって築城され、天守閣は山内一豊の時代に築かれた。城内では鎧兜や装身具などを展示。最上階の天守台からは周囲が一望できる掛川城(雲霧城)を訪れる。

掛川城公園内にある市立美術館。江戸時代の煙草道具や刀装具など近代工芸品2340点余り、伊東深水や横山大観などの日本画約45点を中心に収蔵。年8回、企画展を開催している掛川市二の丸美術館[掛川城]を訪れる。

東京・銀座の資生堂ギャラリーでの芸術文化支援活動を通じて収集された絵画・彫刻・工芸品などが一般に展示公開されている資生堂アートハウスを見学。

資生堂アートハウスに隣接し、創業1872年(明治5)以来の企業文化の歩みを紹介。ポスターや商品のパッケージ、テレビCMなど創業当時から現代までの懐かしい商品に再会できる資生堂企業資料館[資生堂アートハウス]を見学。

袋井に向かう。

孝謙天皇の勅願寺で、701年(大宝元)に行基が創建。境内には、孝謙天皇の眼病を治したといわれる薬師様が祀られ、目の霊山として信仰されている。油山寺山門(重要文化財)や朱塗の三重塔(重要文化財)、本堂内の薬師如来厨子(重要文化財)など多くの寺宝がある医王山油山寺を訪れる。

可睡斎に隣接するユリ園。5月下旬〜6月下旬には、約150種200万本のユリが咲く。園内には芝生広場や東屋、お茶席、ユリ苗の直売所もある可睡ゆりの園を訪れる。

磐田に向かう。

面積7.43ha、周囲1.7kmの日本一のとんぼの生息地。68種類の生息が確認されている。野鳥や水生植物の宝庫でもあり、静岡県自然環境保全地域に指定されている桶ケ谷沼を訪れる。

1875年(明治8)に建てられた、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎。1922年(大正11)までは小学校として、その後は裁縫女学校、病院などとして使われ、現在は教育資料館になっている。館内には、明治から大正にかけて使われた教科書や石盤、オルガンなどを展示。等身大の人形を置き、授業風景も再現されている磐田市旧見付学校を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回旅行、3回目の静岡県西部に足を運び、浜松駅を中心に広がるオシャレタウン、個性派ショップや浜松っ子御用達の飲食店がひしめく浜松タウン

全国的にうなぎの名産地として知られ、温暖な気候と豊かな自然が織り成す景勝地として人気のスポット浜名湖エリア

東の大井川、西の天竜川に挟まれた自然豊かなエリア、東海道沿いに賑わった磐田や袋井、かつて城下町として栄えた掛川などには史跡が残り、見所が多い遠州エリア

浜松に隣接する愛知県東部、手筒まつりで知られる豊橋や豊川、三河湾沿いに個性豊かな都市が集中している三河エリアを訪れ点在する多くの史跡を巡り、満喫しました。

今回訪れた浜松タウン、驚いたことに、町は洗練され、浜松駅を中心にひろがるオシャレタウン、なかなか散策、楽しめました。
又浜松郊外に点在する多くの寺院を巡り、珍しく茅葺き寺院が数多く目立っていました。
今まで知らなかった、今回数多く発見した浜松周辺の観光旅行でした。
















奈良県飛鳥観光
2010年12月8日


歴史遺産と、緑豊かな自然景観、この2つが継続して残っている奈良県に足を運び、7世紀の日本の中心、のどかな田園風景の中に、謎の石造物や古墳、古寺社などが点在する飛鳥を訪れました。

12:30車で阪神近畿名阪自動車道経由して柏原インター下車
13:15葛城到達

標高960m。山頂付近は高原状になっており、360度の大パノラマが楽しめる。東には大和三山が浮かぶ奈良盆地、南には吉野・大峯の雄大な山並みを望み、西には大阪湾や淡路島、明石海峡大橋も見渡せる。一帯には一目100万本といわれるツツジの大群落が広がり、5月半ばに山上は燃え立つように紅く染まる。秋は一面のススキの原、冬は霧氷と、四季折々に美しい表情を見せる葛城山を訪れる。

興福寺の座主として名僧の誉れ高かった一和僧都が、951年(天歴5)に開いたとされる。南北朝時代には楠木正成の祈願寺となり、南朝方の合言葉に「極楽寺」が用いられたという。1614年(慶長19)、筒井順慶によって焼かれたが、寺宝の天得如来像図と鐘楼門は焼け残り、再興のきっかけとなった極楽寺を訪れる。

2基の古墳が並んでいることから、「今木の双墓」と呼ばれ、蘇我蝦夷・入鹿親子の墓に当てる伝承がある。南側の横穴式石室には2基の刳抜式の家型石棺を安置。1基の石棺の縄掛突起には6弁の蓮華文が刻まれており、古墳時代にあって仏教文化の影響を示す資料となっている水泥古墳を訪れる。

全長238m。奈良盆地南西部で最大の前方後円墳で、「室の大墓」と呼ばれる。葛城氏の祖、葛城襲津彦の墓ともいわれ、三段築成の巨大な墳丘に葛城氏の勢力がうかがえる。2つの竪穴式石室が確認されており、後円部の石室からは巨大な長持形石棺が出土した宮山古墳(室の大墓)を訪れる。

古代豪族鴨氏の氏神社として、崇神天皇のころに祀られたとされる。高鴨神社の上鴨社に対して、下鴨社とも呼ばれている。毎年7月16日と体育の日の前々日に行われる献灯行列は、県南部の提灯奉納行事の中で最も規模が大きく、三段の「ススキ提灯」を奉納する。付近の鴨都波遺跡は、弥生時代の大規模な集落跡がある鴨都波神社を訪れる。

修験道の開祖役行者の生誕地で、寺も役行者の開創と伝えられる。行者堂には、役行者が自ら彫ったとされる32歳像や母親像が安置されている。本堂は1396年(応永3)の再建で、不動明王を中心とする五大力尊を本尊とする。毎年1月14日には名高い「茅原の大とんど」が行われ、高さ5mもある雌雄2本の松明に火をつけて、その年の豊凶を占う吉祥草寺を訪れる。

薬の町高取の歴史を伝える。薬の調合に使われた天秤や製薬機、行商人が担いだ柳行李や衣装などを展示。置き薬のおまけの紙風船も郷愁を誘うくすりの資料室を訪れる。残念ながら休館でした。

高松古墳の南いったいは古代、檜前と呼ばれ、朝鮮半島などから渡ってきた渡来人が多数住んでいた地。大和棟の民家が美しい景観をつくる現在の檜前集落の南のはずれに、渡来系氏族東漢氏の氏寺だった、この寺跡がある。於美阿志神社境内に金堂や講堂の基壇や礎石が残り、塔跡には平安時代の十三重石塔(重要文化財)が立つ檜隈寺跡を訪れる。

高取山の中腹にある、西国三十三カ所観音霊場第6番札所。703年(大宝3)の創建といわれ、平安時代に大いに栄えた。本尊は、眼病平癒の霊験あらたかという十一面千手観音坐像で、人形浄瑠璃『壷阪霊験記』でも知られる仏さまだ。境内には重要文化財の三重塔や礼堂などに交じって、昭和以降に造立された、高さ20mもの大観音石像や涅槃石像、釈迦の生涯を描いた石造レリーフなどが並ぶ南法華寺(壷阪寺)を訪れる。

壷阪寺の東300m、山腹の岩肌にびっしりと刻まれた石仏群。「親に会いたくば、五百羅漢の堂にこもれ」といわれ、探せば親の顔に似た羅漢が見つかるという五百羅漢を訪れる。

標高583mの高取山頂にあった山城。南北朝時代に築かれ、豊臣秀長の家臣本多氏、譜代大名の植村氏により大改修された。城内は1万平方m、周囲3km。郭内は6万平方m、周囲30kmに及び、山城としては日本一の規模といわれる。白亜の城郭建築がそびえた様子は芙蓉城と称えられたが、廃藩置県で取り壊された。延々と残る苔むした石垣が、かつての栄華を物語る高取城跡を訪れる。

元高取藩の家老屋敷で、現在は藩主・植村氏の子孫の住宅。道に面する長屋門は、間口39mという長大さ。白漆喰を盛り上げた、格子模様のなまこ壁が重厚感を漂わせる植村家長屋門を訪れる。

石舞台古墳から飛鳥川を上流に向かうと両集落が続いている。飛鳥でもひときわのどかな里で、稲渕地区の丘陵東斜面には見事な棚田が広がる。日本の棚田百選にも選ばれた稲渕・栢森集落を訪れる。

760年(天平勝宝4)建立と伝わる古刹。名高い平安時代の子嶋曼荼羅図(国宝)は、中興の真興が一条天皇の病気平癒祈願の功で賜ったと伝わる。金銀泥絵で諸尊を描いた大作で、京都・神護寺の高雄曼荼羅と並ぶ両界曼荼羅図の代表作。奈良国立博物館に寄託されているが、精巧な複製を拝観できる。高取城二ノ門を移築した山門は、高取城唯一の遺構である子嶋寺を訪れる。

強大な権力を背景に律令政治を推し進めた天武天皇と、天皇として初めて火葬された皇后の持統天皇を合葬する。鎌倉時代に盗掘された時の記録が残っており、被葬者が確実な、数少ない古墳の一つの天武・持統天皇陵を訪れる。

斉明天皇の川原宮を寺に改めたものといわれ、1塔2金堂、講堂などが立つ大寺だった。現在は中金堂跡に川原寺という小寺が残るだけだが、伽藍の基壇や礎石が復元されている。川原寺には瑪瑙(大理石)の礎石も残り、貞観時代の木造持国天・多聞天立像(重要文化財)が安置される川原寺を訪れる。

全長約140mで、明日香村内最大の前方後円墳。墳丘の緑と、濠が美しい。570年に死去した欽明天皇と、妃で蘇我馬子の妹の堅塩媛を合葬した檜隈坂合陵とされている。しかし、出土遺物が築造年代とあわず、北方の丸山古墳を欽明陵とみる説が有力の欽明天皇陵を訪れる。

近鉄飛鳥駅のすぐ北西にあり、石室内部に自由に出入りできる。石室は、表面をきれいに加工した切石を2段に積み上げ、大きな天井石を乗せたもので、南河内にある聖徳太子の墓と似ているといわれる。天皇陵独特の八角形墳の可能性も指摘されており、飛鳥時代の女帝・斉明(皇極)天皇を被葬者とする説もある岩屋山古墳を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の近場の史跡巡り、784年の長岡遷都まで、日本の中心として栄えた場所、多くの史跡が点在し、日本の国宝の五分の一を占める歴史ある奈良県に足を運び、6世紀の終わり頃から8世紀の初頭にかけて、都が置かれ、今はその栄華の面影はないが、歴史の足がかりとなる史跡が村中に点在する飛鳥を訪れ、盛りだくさんの史跡に接し堪能しました。

京都と違い車での移動、訪れが容易で、時間のロスが少なく、要領よく回れ、短時間で数多くの史跡を巡ることが出来ました。









京都市洛中観光
2010年12月5日


世界遺産の京都に足を運び、文化遺産が数多く点在する京都市の中心エリア洛中を訪れました。

8:00生駒の山荘を車で出発、第二京阪自動車道経由して
8:40東寺到達、車をおいて散策する。

東寺の塔頭の中でも最も格式の高い寺院。桃山時代書院造の客殿(国宝)は1605年(慶長10)の再建で、上段の間には宮本武蔵筆と伝えられる水墨画『鷲の図』がある観智院[教王護国寺]を訪れましたが残念ながら休館でした。

平安京を貫く朱雀大路の正門として、794年(延暦13)の平安遷都の際に建造された丹塗りの楼門があった場所。980年(天元3)の暴風雨で倒壊し、その後平安京の衰退とともに荒廃した。その様子は『今昔物語集』や、芥川龍之介の小説『羅生門』にも描かれている。現在は児童公園の中に石碑が立つのみの羅城門跡を訪れる。

蒸気機関車(SL)を保存展示する博物館。梅小路公園に隣接しており、入口には旧二条駅舎(京都市指定有形文化財)を移築。「C62」や「D51」など、大正から昭和にかけて活躍した蒸気機関車が扇形車庫に収められている梅小路蒸気機関車館を見学。

戸時代に公家や豪商のサロンとして華やかな饗宴が催された、島原の揚屋の建物を保存公開する。1641年(寛永18)に建てられ、内部に数寄屋造を採り入れた木造2階建の町家で、台所と座敷がある1階では与謝蕪村筆『紅白梅図屏風』(重要文化財)など所蔵品を展示する角屋もてなしの文化美術館の前で記念撮影。

西本願寺南にある真宗興正派の本山。鎌倉時代の創建で室町時代には西本願寺に属したが1876年(明治9)に独立した。御影堂、阿弥陀堂などがあり、明治時代の再建である興正寺を訪れる。

先斗町の西、高瀬川に沿った七条から二条までの通り。高瀬川の水運とともに発展してきた通りで、木材などの商売が盛んだったため木屋町の名が付いた。料亭や各国料理レストランなど、ありとあらゆる種類の店が軒を連ね、勤皇志士の坂本龍馬や桂小五郎らの潜居跡、事跡の碑が繁華街のあちこちに立つ木屋町通を訪れる。

夜に賑わう木屋町通と並行して流れている川で、森鴎外の『高瀬舟』で有名。慶長年間(1596〜1615)、豪商・角倉了以が大坂との物資輸送のために開いた全長10kmの運河で、二条から伏見を経て宇治川に合流する。高瀬舟を使った物資流通は江戸時代に繁栄を極めたが、1920年(大正9)には交通機関の発達により舟運が途絶えた。往時の面影を知るには木屋町二条にある一之船入跡(史跡)へ。掘割には、復元された全長11.3m、幅2.3mの十五石積の高瀬舟が係留されている高瀬川を訪れる。

高野川、賀茂川が合し、京都市街を南北に貫く川。近世になると芝居など興行の中心となり、出雲の阿国も出て、寛文年間(1661〜73)には歌舞伎の劇場が立った。夏になると見世物見物のため流れに床几を並べ、ヨシズを張って涼を取ったのが現在の納涼床の起こりの鴨川を訪れる。

新京極にあり、染殿皇后が本尊の地蔵菩薩に祈ったところ、のちの清和天皇が誕生したという寺伝から、安産守護の信仰を集める。染色関係者の参拝も多い染殿地蔵院を訪れる。

京都随一の繁華街・河原町通の1筋西、四条通から三条通の南北550mのアーケード街。みやげ物店や映画館、飲食店などが軒を連ね、人通りが絶えない。1872年(明治5)、東京遷都で活気をなくしていた京都を盛り上げようと、歓楽街を造ったのが始まり。それ以前は秀吉の区画整理による門前町だった。その名残である寺が近くにある新京極を訪れる。

新京極にあり、藤原道長が和泉式部のために建てた小御堂が始まり。境内北側の墓地に高さ4mの和泉式部供養塔がある誠心院を訪れる。

新京極にある飛鳥時代の創建という古刹。もとは奈良にあったが平安遷都で京都へ移り、その後秀吉の区画整理で現在地へ移転した。謡曲『誓願寺』の中で、和泉式部が「歌舞の菩薩」となって現れることから芸道上達祈願のお寺として信仰を集める。また、五十五世住職・安楽庵策伝上人は『醒睡笑[せいすいしょう]』八巻を著したことにより「落語の祖」と称される。門前に「迷子のみちしるべ」と呼ばれる石柱が立つ誓願寺を訪れる。

四条通から三条通の1筋南まで、鴨川に沿って続く細い通り。祇園と並ぶ花街として知られ、お茶屋や料理屋が通りの両側に立ち並ぶ。最近は気軽に利用できる飲食店も増え、若者の姿も多い先斗町をおとずれる。

三条通を上った所にあり、奈良・矢田寺の元別院。本尊の地蔵菩薩は諸願成就にご利益があるとされる。8月16日の五山の送り火に合わせ、精霊を冥土へ送る「送り鐘」を撞く寺として有名な矢田寺(矢田地蔵尊)を訪れる。

織田信長が明智光秀に討たれた寺として知られているが、当時は四条西洞院にあった。1587年(天文15)、現在地に移転。境内には信長の供養塔も立つ本能寺を訪れる。

1903年(明治36)に建てられたギリシャ正教会の教会堂。ロシア・ビザンチン様式の会堂は最大幅15m、奥行27m、総高22mの堂々たる建物。お茶の水にあるニコライ堂に比する格式を誇り、明治の教会建築を代表する。会堂前方にはトンガリ帽子の鐘楼が立ち、堂内には、帝政ロシア時代にモスクワで描かれ日本に運ばれた『最後の晩餐』などのイコン(聖像)がある京都ハリストス正教会を訪れる。

新京極の1筋西を五条通から鞍馬口通まで南北に延びる通り。新京極の発展に伴って商店街が形成されてきたが、本来は各宗派の寺院が通りの東側に立ち並んでいた。桃山時代、豊臣秀吉が進めた京の都市改造の一環として、洛中の寺院、なかでも民衆の心をとらえていた浄土宗、日蓮宗、時宗の寺が強制移転させられたからである。近年再移転が進んで数は少なくなったものの、現在も主に三条通から丸太町通にかけて多くの寺が残る。仏具や筆墨、和菓子などの老舗も多く、歴史に思いを馳せながら歩いてみたい寺町通を訪れる。

早良親王など、非業の死を遂げた御霊八所の神を祭る。本殿は1790年(寛政2)に宮中の内侍所仮殿を移し、寺町通に面した表門は仮皇居の建礼門を移したものと伝えられている下御霊神社を訪れる。

京都の歴史資料を収集保存する資料館。重要文化財の福井家京枡座関係資料をはじめ、7万5千点以上の古文書と生活、生産用品などの民俗資料を所蔵する京都市歴史資料館を見学。

仙洞とは上皇の御座所のこと。後水尾、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格6上皇が居住したが、1854年(嘉永7)に類焼。建物は再建されることなく、現在は小堀遠州が築いた庭園だけを残す。南池、北池を抱え、巨石、滝組、橋を配した庭園美をみせている仙洞御所を訪れる。残念ながら予約しないと入れません。

江戸後期の儒学者・頼山陽が晩年に住んだ書斎。鴨川に面して窓から東山を望めたので、「山紫水明処」と名付けたという。藁葺き、平屋の簡素な佇まいの頼山陽書斎山紫水明処を訪れる。

代々奈良吉野の林業を生業としていた家に生まれ、茶道美術に造詣の深い北村謹次郎氏が、茶を楽しむために収集した茶道美術品を所蔵、公開している個人美術館。陶磁器、彫刻、絵画、墨蹟、金工、石工、漆工、染色など幅広いコレクションで、『墨画淡彩鳶鴉図』などの国の重要文化財も多数。「四君子苑」と呼ばれる数寄屋造の茶苑も、日を定めて公開している北村美術館を訪れる。

1875年(明治8)、日本人として初めて欧米の高等教育機関から学位を取得した新島襄によって、「同志社英学校」として創立。当初、教師は創立者の新島と宣教師J・D・ディヴィスの2人、生徒は8人だった。現在はキリスト教主義による教育を行う総合大学として、京田辺市にもキャンパスをもつ。構内の赤レンガ造りの彰栄館、有終館、アメリカンゴシック建築の礼拝堂、クラーク記念館、ハリス理化学館の5棟が国の重要文化財。アーモスト館と啓明館は登録文化財に指定されている同志社大学を訪れる。

バスで東寺に向かう。
16:30東寺到達。
17:00帰路に向かう。

今回の名所巡り、近場の世界遺産で有名な京都に足を運び、歴代天皇が住まれた御所、徳川家の二条城、京都市役所や京都駅を含む、京都のど真中エリアの洛中を訪れ、街路も平安京の面影をとどめ、碁盤のように整然としていてその中に多く点在する歴史的建造物に接し、スケールの大きい京都の文化遺産を学びました。













滋賀県湖南観光
2010年12月1日


湖と山々の自然豊かな地で日本一の近畿の水瓶びわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、江戸時代には東海道五十三次の52番目の宿場町として栄えた草津、日本六古窯のひとつに数えられる信楽焼きで有名な信楽、甲賀忍者の発祥地として知られる甲賀を訪れました。

12:30車で第二京阪自動車道経由して草津インター下車
13:20草津到達

江戸城を築城した太田道灌を先祖にもつ、太田酒造伝来の資料を展示。酒造りの道具や工程をビデオで紹介するほか、自慢の地酒の試飲や販売も行っている道灌蔵を訪れる。

旧草津川トンネルの南側脇にある石造りの道標。旧東海道と旧中山道との分岐・合流点にあたり、街道を往来する諸国の飛脚仲間らの寄進によって1816年(文化13)に設置された追分道標を訪れる。

江戸時代、東海道を往来した旅人のために和中散という薬を販売していた、「ぜさい」の店鋪と屋敷を公開。大名や公家の休憩所も兼ねていたという建物で、格調高い玄関や欄間、小堀遠州作と伝わる池泉式庭園(名勝)などが残る大角家住宅旧和中散本舗を訪れる。

開館以来の各分野にわたる収集資料数は3万点以上。ホール正面の狛坂磨崖仏(複製品)は訪れる人を圧倒する。通史展示は、考古・美術工芸・歴史・民俗など各分野から時代を追って紹介。「いつ行っても同じではない、すこしづつ生まれ変わってゆく展示」を目指し開催。敷地内の移築民家旧中島家住宅は、週末にカマドに火が入り、竹を使って吹き起こす体験が可能。カマドの暖かさやにおいが感じられ、竹馬や昔の遊びも体験できる栗東歴史民俗博物館を見学。

約150万平方メートルの広大な敷地には、競馬場で活躍する競走馬の厩舎や、6つのトラックコースをはじめとして坂路コースや競走馬診療所など、さまざまな施設があるJRA栗東 トレーニング・センターを訪れる。

733年(天平5)、良弁が創建。弘仁年間(810〜824)、願安によって伽藍が整備され、金勝山仏教圏の中心として繁栄した。現在は堂塔がわずかに残るのみだが、虚空蔵堂内の木造虚空蔵菩薩半跏像は十三詣りの仏として信仰を集める金勝寺を訪れる。

和銅年間(708〜715)、良弁によって阿星山の麓に創建された天台宗の古刹。檜皮葺き入母屋造の本堂(国宝)、本瓦葺きの三重塔(国宝)、石灯籠(重要文化財)など南北朝〜室町時代の建築物が境内にたたずむ。紫香楽宮遷都の際、西寺として東寺の長寿寺とともに鬼門を守った常楽寺を訪れる。

天平年間(729〜749)、聖武天皇の勅願によって良弁僧正が創建。西寺の常楽寺に対して長寿寺は東寺と呼ばれる。檜皮葺き寄棟造の本堂(国宝)は鎌倉初期の、弁天堂(重要文化財)は室町期の建築物。その昔は常楽寺と同様に三重塔があったが、信長によって安土城に移され、今も山中のそう見寺跡に残る塔と伝えられる長寿寺を訪れる。

和銅年間に創建され、最澄によって再興された緑深い岩根山中腹に立つ名刹。境内には1366年(貞治5)に再建された檜皮葺き入母屋造の本堂(国宝)があり、堂内には平安期のものをはじめ約30体の仏像が安置されている。そのうち15体は国の重要文化財に指定されている。桓武[かんむ]天皇の病気を治癒したことにより、寺名の由来ともなった清水が今も湧き出す善水寺を訪れる。

自然豊かな敷地で忍者のイロハがわかる。実際に黒装束に身を包み、石垣を登ったり塀際を歩いたりする忍者体験、手裏剣投げ、忍者の道具や衣装を展示する博物館、からくりのある忍者屋敷もある甲賀の里忍術村を訪れる。

江戸時代に築かれた日本最大規模の登り窯で、昔と変わらぬ方法で信楽焼を作り続ける窯元。年に6回ほど薪で登り窯に火を入れる宗陶苑を訪れる。

今回の近場の名所巡り、湖と山々の自然豊かな地で日本一の近畿の水瓶びわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、江戸時代には東海道五十三次の52番目の宿場町として栄えた草津、日本六古窯のひとつに数えられる信楽焼きで有名な信楽、甲賀忍者の発祥地として知られる甲賀を訪れ半日楽しめました。

紅葉の時期は終わりに近ずいてきましたが、まだまだ満足できる滋賀県湖南の紅葉寺院巡りでした。