2月

ひだ流葉&ほおの木平スキー・スノボ
2010年2月28日


岐阜の2つのスキー場、広い緩斜面中心のベースエリアと、景色も雪質もすばらしい山頂部周辺エリアという、雰囲気がまったく異なる二つのゲレンデ構成、特に上部のシリウスゲレンデは美しい樹氷に囲まれ、オフピステで極上パウダーラインが楽しめる別世界な魅力を持つひだ流葉スキー場、それほど大きくないスケールながら、変化に恵まれた斜面と絶妙なコースレイアウトにより、おもしろさはビッグゲレンデ並み、大きなコブが発達する難斜面から、中斜面のロングコース、超ワイドなオープンバーンまでバリエーションが揃っているほおのき平スキー場に足を運びました。

前日23:00大阪駅集合出発、車で阪神名神東海北陸道経由して飛騨清見インター下車
5:00ひだ流葉スキー場到達、仮眠してから
8:30滑走開始
11:30滑走終了、ゲレンデ内のレストランで食事を済ませてから
12:30ほおのき平スキー場に向かう。
13:30ほおのき平スキー場到達、滑走
16:00終了、ゲレンデ内の温泉に浸かり
18:00出発、途中、東海自動車道サービスエリアで食事を済ませて帰路に向かう。
22:50大阪駅到達、解散。

今回の雪山イベント、関西からはあまり訪れない岐阜北部の2つのスキー場を訪れ、オフピステで極上パウダーラインが楽しめる上部エリアと中下部の中斜面でロングコースが楽しめる2つのゲレンデ構成からなるひだ流葉スキー場。

変化に恵まれた斜面と絶妙なコースレイアウトにより多くのバリエーションが揃っているほおのき平スキー場。

2つの中規模の岐阜のゲレンデ、1日で全面制覇して堪能しました。

今シーズンの雪山イベント、残すはあと一回、今庄スキー場のみとなりました。
積雪が心配ですが、初めての訪れですので期待しています。



京都市嵐山&嵯峨野史跡巡り
2010年2月27日


京都の洛西に位置する嵐山に小倉山、保津川などの自然にあふれ、歴史的有名な社寺も多い嵐山・嵯峨野に足を運びました。

12:30車で近畿名神自動車道経由して京都南インター下車
13:40嵐山到達、散策観光する。

大堰川に架かる全長155mの橋。亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る」として、渡月橋と命名したという風情ある橋で、嵐山の景観にとけ込んでいる。鵜飼などの川遊びも渡月橋を中心に行われる。当初、橋は現在より100mほど上流にあったと考えられるが、1606年(慶長11)に角倉了以が大堰川上流の保津川開削工事を行った際、今の場所に移された渡月橋をわたる。

1339年(延元4)に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立した、京都五山第1位の寺で、世界文化遺産。創建時は150余の塔頭を数えたが、8回の大火に遭い現在の諸堂は明治時代に再建されたもの。曹源池を中心に嵐山や亀山を借景とする池泉回遊式の庭園(史跡・特別名勝)は、開山の夢窓疎石の作。3段の石滝組などを配し、南北朝時代の禅院を代表する庭園の天龍寺を訪れる。

伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が、潔斎のためにこもった所。クヌギの丸太を組んだ黒木の鳥居や小柴垣の簡素な佇まいの小さな社で、『源氏物語』の「賢木」の巻、謡曲『野宮』などに描かれた当時の様子を彷彿とさせる。今では縁結び、進学の神社として知られるようになった野宮神社を訪れる。

丹下左膳役で有名な昭和初期の俳優、大河内伝次郎の別荘。小倉山の山裾の起伏を利用して、桜や楓、松などを植え込んだ広大な庭は趣が深い。展望台からの眺望もよく、園内の静雲亭でミニ懐石などの食事も楽しめる大河内山荘を訪れる。

小倉山の中腹にある名刹で、秋の紅葉の美しさでも知られている。静寂な寺の佇まいが天台四土の一つ常寂光土を思わせるところから、寺名となった。茅葺きの仁王門には運慶作と伝えられる仁王像が立っている。檜皮葺きの多宝塔(重要文化財)は、江戸時代の建築ながら華麗な桃山様式を伝えている常寂光寺を訪れる。

ひなびた茅葺き屋根の庵は、松尾芭蕉の高弟である向井去来の別宅。ある秋、去来が商人に庭の柿の木になっている実を売る約束をしたが、その夜のうちに嵐ですべて落ちてしまった。その後、去来は自らを落柿舎去来と称するようになったという落柿舎を訪れる。

釈迦如来立像(重要文化財)と阿弥陀如来立像(重要文化財)の2像を本尊とすることから、二尊院と呼ばれる。平安時代初期に嵯峨天皇が慈覚大師を開祖に建立、いったん荒廃したものの法然が庵を結び、弟子の湛空が再興した。常寂光寺と同じく、ここも藤原定家の山荘「時雨亭」があったとされる二尊院を訪れる。

奥嵯峨の竹林の中にひっそりと佇む『平家物語』ゆかりの寺。仏御前の出現で平清盛の愛を失った白拍子の祇王が、母、妹と尼になってここに移り住んだ。後に仏御前も尼になり、ともに晩年をすごしたという。本堂には、大日如来、清盛と4人の像を安置。影が虹色に映る吉野窓も見ものの祗王寺を訪れる。

化野と呼ばれるこの一帯は、かつて亡骸を葬る風葬の地だった。寺の起こりは、弘法大師がこの地に葬られた死者の菩提を弔うために寺を建てたことによる。のちに法然上人が念仏道場に改め、念仏寺と称した。境内には、釈迦の説法に耳を傾ける人々の姿になぞらえて、無縁仏となった約8000体もの石仏や石塔が並ぶ化野念仏寺を訪れる。

大覚寺から北へ少し足を延ばした所にある小さな庵。江戸時代初期に結ばれた草庵が荒廃していたのを、幕末に近衛家の老女村岡局が再興した。境内は四季折々の花が楽しめ、静けさのなかで人々の心が癒される寺として知られる。仏前に置かれたノート『想い出草』には、訪れる人々の恋や仕事などの悩み・迷いがびっしりと綴られ、境内にはこのノートにちなんで想い出観音像も祀られている直指庵を訪れる。

真言宗大覚寺派本山。876年(貞観18)に嵯峨天皇の離宮を寺院に改めたもので、代々天皇や法親王が住持し格式を保ってきた。鎌倉時代には後嵯峨、亀山、後宇多上皇がここで院政をしき、嵯峨御所とも呼ばれた。回廊で結ばれた宸殿や御影堂などの御所風の建物に、武家風の明智門、明智陣屋が彩りを添える。宸殿(重要文化財)と正寝殿(重要文化財)をはじめ、襖絵116面(重要文化財)など多くの文化財を所有。なかでも、御所の紫宸殿を移築した宸殿の牡丹の間、紅梅の間の襖絵は狩野山楽が描いたもので、ひときわ豪華な大覚寺を訪れる。

大覚寺が嵯峨天皇の離宮だった時代に、その林泉として造られたもの。周囲約1kmの池の堤には、桜や楓、松が植えられ、池の中には天神島と菊ケ島が浮かぶ。北には、百人一首の藤原公任の歌で知られる名古曾の滝跡とする滝組跡も残る。古来、観月の名所としても知られる大沢池[大覚寺]を訪れる。

『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる源融の山荘跡に阿弥陀堂を建てたのが始まり。嵯峨釈迦堂とも呼ばれる古刹。清凉寺式といわれる本尊の釈迦如来像(国宝)は、東大寺の僧、ちょう然が宋から招来したと伝える。目には黒水晶、耳に水晶をはめ込み、縄状の髪で、胎内には絹製の五臓六腑や経巻が納められた特異な様式の清凉寺を訪れる。

17:00終了。

今回は過去に何回も訪れたことのある京都嵐山嵯峨野の社寺巡り、視覚的に鮮明に記憶が残るが歴史的意義知識が定かでないため、詳細ガイドブックを持参し読みながら巡り、多少なりとも嵐山嵯峨野の歴史的建造物の歴史学習できました。

京都の史跡巡り、かなり制覇してきました、後は京都市の中心部を残すのみとなりました。
徐々に制覇していきたいと思います。









京都市京都駅周辺史跡巡り
2010年2月24日


登録された世界文化遺産の社寺が17もある歴史的建造物の宝庫、京都の京都駅周辺の社寺を巡ってきました。

12:30車で近畿名神自動車道経由して京都南インター下車
13:20京都駅南に到達

高さ55mの五重塔(国宝)で知られる東寺の正式名は教王護国寺。平安遷都の際に創建された官寺を、823年(弘仁14)に空海が嵯峨天皇より賜り、真言宗の根本道場とした。土一揆で伽藍のほとんどを焼失したが、室町末期〜江戸初期にかけて再建された。南大門(重要文化財)、金堂(国宝)、講堂(重要文化財)、食堂が一直線に並ぶ伽藍配置は創建当時の特徴を残す。講堂には空海の密教思想を表現し、曼荼羅を立体化した21体の仏像が並ぶ教王護国寺(東寺)を訪れる。

蒸気機関車(SL)を保存展示する博物館。梅小路公園に隣接しており、入口には旧二条駅舎(京都市指定有形文化財)を移築。「C62」や「D51」など、大正から昭和にかけて活躍した蒸気機関車が扇形車庫に収められている梅小路蒸気機関車館を訪ずれる。

浄土真宗本願寺派の本山。親鸞聖人の廟を東山大谷に建てたのが始まりで、1591年(天正19)豊臣秀吉の寄進で現在地に移転。1617年(元和3)の火災で諸堂を焼失し、伏見城や聚楽第から移築されたという、秀吉ゆかりの建造物が華麗な桃山文化を偲ばせる。御影堂(重要文化財)には、親鸞の荼毘の灰を漆にまぜて塗ったと伝わる坐像を安置。天井や障壁画の絢爛な装飾で知られる書院(国宝)には203畳の対面所、虎渓の庭(史跡・特別名勝)、1581年(天正9)建立の日本最古の能舞台(国宝)がある西本願寺を訪れる。

1598年(慶長3)に62年の生涯を閉じた豊臣秀吉を祀る。のちに徳川家康によって取り壊されたが、1880年(明治13)に再建された。桃山建築を代表する唐門(国宝)や、名工辻与二郎作の鉄灯籠は有名。宝物館には狩野内膳筆の豊国祭礼図屏風(重要文化財)などが展示されている豊国神社を訪れる。

豊臣氏滅亡のきっかけとなった「国家安康の鐘」(重要文化財)で知られる。1586年(天正14)、秀吉が奈良・東大寺を模して建立したが1596年(慶長元)の地震で大破。豊臣秀吉の没後、徳川家康が淀君と秀頼にすすめ再興させたが、大鐘の銘に「国家安康・君臣豊楽」とあったのを口実の一つとし、大坂冬の陣、夏の陣を起こし、豊臣氏を滅亡へと追い込んだ。現在は鐘のみが現存する方広寺を訪れる。

大正から昭和にかけて活躍、文化勲章を断るなど無冠の陶工として知られる河井寛次郎の住居をそのまま記念館としたもの。寛次郎自身の設計で、1階は囲炉裏や吹き抜けのある板の間、2階には書斎や居間がある。中庭の奥には素焼き窯や登り窯、陶房などがそのまま残されており、作品も数多く展示されている河井寛次郎記念館を見学。

七条通を挟んで三十三間堂と向かい合う。1895年(明治28)に建てられたバロック様式の特別展示館(重要文化財)は、現在は特別展覧会の時に利用されている。平常展示館では、京都や奈良の寺社などからの寄託品を含め約1万2000件を収蔵。絵画、書跡・染織などは定期的に入れ替えて展示される。庭園にはロダンの彫刻『考える人』、馬町十三重石塔もある京都国立博物館を見学。

紀州根来寺と関わりの深い、真言宗智山派の総本山。豊臣秀吉が、3歳で没した長子鶴松の菩提を弔うため建立した祥雲禅寺を前身とする。度重なる火災の後、1600年(慶長5)に再興され智積院となり、数々の障壁画や庭園が華麗な桃山文化を今に伝える。名高い長谷川等伯・久蔵一門の描いた楓図・桜図(国宝)は、収蔵庫で見られる。庭園(名勝)は利休好みの庭として知られる、中国廬山をかたどった池泉回遊式庭園の智積院[蓮華王院]を訪れる。

本堂内陣の柱間が33あることから三十三間堂と呼ばれる。1164年(長寛2)、後白河法皇が平清盛に命じて創建したが、大火に遭い焼失。現存の本堂(国宝)は1266年(文永3)に再建されたもの。堂内には二十八部衆立像(国宝)、風神雷神像(国宝)などに守られて、顔立ちの異なる1001体もの千手観音像(重要文化財)がズラリと並ぶ。中心の本尊・千手観音坐像(国宝)は、運慶の長男湛慶[たんけい]作のある蓮華王院(三十三間堂)を訪れる。

JR京都駅の北正面にそびえ立つ展望塔。地上100mの展望室からは碁盤の目のように整然とした京の町並みや、京都盆地を囲む山々を望むことができる京都タワーを訪れる。

17:00終了。

世界遺産の社寺の宝庫、京都の京都駅の周辺の社寺を巡りました。

このエリアにも東寺、西本願寺等の世界遺産の社寺を含めて有名な歴史的建造物が盛りたくさん位置していました。

さすが平安・室町時代の都、京都、歴史の深さを感じた、今回の史跡巡りでした。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十八弾:岡山県岡山タウン&牛窓観光
2010年2月20ー21日


江戸時代、池田氏32万石の城下町として栄え、今も岡山城や後楽園がシンボルになっていて郊外には自然が溢れ、テーマパークや観光農場、温泉などが点在する岡山、気候温暖で瀬戸内の多島美が楽しめ、日本のエーゲ海と呼ばれているリゾート地、江戸時代には潮待ち港として栄え歴史を偲ばせている古い町並みも残る牛窓に足を運びました。

20日18:00から大学の新年会に出席するためそれまで時間が空き、宇治の歴史的建造物を散策巡りして時間を費やしました。

12:30車で宇治方面に向かう。
13:30宇治到達。

どちらかといえば小ぢんまりした神社だが、平安後期の本殿(国宝)は日本最古の神社建築。檜皮葺きの覆屋の中に、一間社流造の内殿3社が鎮まっている。中央に応神天皇、向かって右にその皇子の菟道稚郎子、左にその兄の仁徳天皇の3神を祭る。菟道稚郎子は兄に皇位を譲るため自殺したと伝わる皇子。鎌倉時代の拝殿(国宝)も優美な建築。古都京都の文化財の一つとして、1994年(平成6)世界遺産に登録の宇治上神社を訪れる。

朝日山の麓にあり、琴坂と呼ばれる緩やかな坂道を進むと中国風の山門に行き着く。春は桜やヤマブキ、秋は紅葉が美しいこの道は、両側を流れる細いせせらぎが琴の音のように響くといわれその名が付いた。曹洞宗開祖の道元が伏見深草に建てたが兵火で焼失。1648年(慶安元)に淀城主の永井尚政により現在地に再興された。禅の修行道場であり、伏見城の遺構という本堂や禅堂、開山堂などが静かに佇む興聖寺を訪れる。

江戸時代、幕府や朝廷の御用茶師を務めていた宇治茶の老舗、上林春松家が開いている茶に関する資料館。将軍家のお茶壺道中に使われた茶壺などさまざまな茶道具、豊臣秀吉や千利休が上林家に宛てた書状などを展示。天下第一の名声を誇った宇治茶の歴史を垣間見ることができる宇治・上林記念館を見学。

神宝に平安時代の鐙(重要文化財)や男女2体像(馬頭天王と弁財天)があり、男神が馬頭を戴いていることから「馬の神様」として競馬ファンの信仰も篤い。672年(弘文元)の壬申の乱前夜、大海人皇子がこの社の社頭に柳の枝を挿して戦勝祈願。天皇となった後、「柳大明神」の名を与えたという勝運を授る神でもある。本殿(重要文化財)は三間社流造。室町時代の建築で、向拝の蟇股には馬と柳が彫刻されているのもおもしろい許波多神社を訪れる。

滋賀県方面に向かう。

滋賀県境までわずかという、宇治田原の山間にある曹洞宗の寺。ひなびた雰囲気がいい山寺で、宝物殿には均整のとれた本尊の十一面観音立像(重要文化財)をはじめ、四天王立像(重要文化財)、日光・月光菩薩立像(重要文化財)、文殊菩薩騎獅像(重要文化財)など藤原時代の優れた仏像を安置。境内の防災壁には、高さ8m・長さ40mに及ぶ大涅槃図の壁画が描かれている禅定寺(上堂)を訪れる。

近代日本画や滋賀県ゆかりの芸術家の作品、国内外の現代美術を展示する郊外型の美術館。横山大観や速水御舟、大津市出身の女流画家・小倉遊亀など1000点以上の作品を収蔵の滋賀県立近代美術館を見学。

17:00名神自動車道で大学の新年会会場、吹田方面に向かう。
吹田インター下車、
18:00教授の自宅で新年会に出席。
21:00終了、車で名神中国山陽自動車道経由して岡山インター下車
23:00岡山駅付近のホテル到達、宿泊。
21日6:30車で出発、瀬戸内方面に向かう。

岡山市最南端部、玉野市との境界に位置する標高403mの山で、頂上にはテレビ塔アンテナが林立していますが、眺望が特に素晴らしいため、瀬戸内海国立公園第2種特別地域に指定されています。スカイラインが整備され、山頂まで車やバイクで来て瀬戸内海のパノラマや夜景を楽しむことができる金甲山をおとずれ360°の眺望を楽しむ。

牛窓方面に向かう。
7:45宝伝港到達、
8:00フェリーで犬島に向かう。
8:10犬島港到達

犬島は、岡山県南東部の宝伝から南に約2.5km、定期船で約8分ほどの瀬戸内海国立公園内に位置し、岡山県岡山市に属しています。面積は約0.54平方km、周囲3.6km。6つの島からなる犬島諸島のうち唯一の有人島です。諸島のうちのひとつ、犬ノ島にはうずくまった犬の形に似た巨石「犬石様」があり、犬島の名の由来となっています。良質な花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、古くは江戸城、大阪城、岡山城の石垣、明治以降では大阪港礎石の切り出し場となるなど、全国各地で犬島の石が珍重されています。犬島精錬所が開設、営業されていた最盛期10年の間には住民は3000人を越えましたが、精錬所閉鎖と採石業の衰退により現在の人口は55人となっています。現在島内には海水浴場、「自然の家」などにより島独自の自然に四季を通して親しむことができます犬島を散策する。

フェリーで戻り車で走行、牛窓到達。

歴史の中で、大名行列や朝鮮通信使の一行が立ち寄り、ひと時の休息を求めたということは、町はその賑わいの中に経済や文化を発展させていった、ということ。格子窓のある家、白壁の土蔵、大きな井戸や焼板の塀、造り酒屋の豪商家など、そんな今も残る生きた歴史に、往時の繁栄の面影がしのばれます。おそらく、かつてはここには商家が並び、その向こうでは行きかう旅人の声々があふれていたと思われるしおまち唐琴通りを散策する。

1347年(正平2)に創建された法華宗の古刹。港が一望できる高台にあり、江戸時代には客殿が朝鮮通信使の宿舎にあてられた。客殿内の謁見の間にある、長さ4.5mの欅の一枚板でできた床板は必見。本堂・中門・番神堂は国の重要文化財、三重塔と祖師堂は県の重要文化財に指定されている。国内唯一といわれる海辺の三重塔は、海側からの眺めもよい本蓮寺を訪れる。

カーフェリーで前島に向かい、

人口183人外周約8kmの島で、牛鬼伝説の舞台でもある。かつて石切丁場跡があり、安土桃山時代 大阪城の築城の際に石垣に使用するための石を切り出す、石切り場の一つだった。現在、大阪城築城残石群などが残っている。ここに設けられた展望台は夕日の名所とされ、「日本の夕陽百選」にもなっている。島にあるアマモの森が島の宝100選に選ばれている。主な産業は、観光、漁業である前島を一周する。

カーフェリーで牛窓に戻り

瀬戸内の島々を見渡す丘陵に2000本のオリーブが茂る。6月初旬にはオリーブの白十字の花の香りが漂い、緑の実をつける10〜11月頃には収穫祭が行われ、収穫体験ができる。また園内にはギリシア神殿風の建物や展望台オリーブパレスなどがあり、異国ムードも満点の牛窓オリーブ園を散策する。

大正浪漫の旗手、竹久夢二が16歳まで過ごした家。茅葺の平屋は、往時のまま保存されている。入口には夢二の良き理解者であった有島生馬[いくま]の筆による「竹久夢二ここに生る」の碑が立ち、内部では作品や資料が展示されている。少年山荘は、1924年(大正13)に夢二自らの設計で東京に建てたアトリエで、生誕95年を記念して1979年(昭和54)にこの地に復元された。館内では写真やパネルで夢二と交流のあった人々を紹介している夢二生家・少年山荘[夢二郷土美術館(本館)]を見学。

岡山方面に戻る。

岡山後楽園の外苑に立つ博物館。県内各地に残されている数多くの歴史資料や文化遺産を収集。館内を4つの展示室に分け、岡山の美術工芸品や、石器時代から近世にいたる資料を展示している。収蔵品は、国宝赤韋威鎧をはじめ、弥生・古墳時代の土器や近世の屏風、文書、民俗資料、備前焼、刀剣など幅広い岡山県立博物館を見学。

日本三名園の一つ。約13万3000平方mの回遊式庭園。藩主・池田綱政が津田永忠に命じて造らせたもので、14年の歳月を費やし、1700年(元禄13)に一応の完成をみた。備前富士と呼ばれる芥子山や操山、岡山城も借景に取り入れており、春は梅や桜、ツツジ、夏は花ショウブやハスが美しい岡山後楽園を散策する。

1573年(天正元)、宇喜多直家が築城。息子の秀家が完成させ、後に池田氏の居城となった。外壁は黒塗りの下見板で、烏城[うじょう]の別名を持つ。不等辺5角形の天守閣は再建されたものだが、西丸西手櫓と月見櫓は創建当時のままで重要文化財に指定されている。1〜4階が郷土資料博物館、5・6階が展望台の岡山城(烏城)を訪れる。

かつての岡山城の旧二の丸屋敷対面所跡に立ち、実業家故林原一郎のコレクションを展示。常設展はなく企画・特別展を年6〜7回開催。特に国宝の刀剣や、池田家伝来の調度品、重要文化財の能装束などがみものだ。中国・朝鮮の古美術品も充実の林原美術館を見学。

オリエントの歴史と文化を一堂に紹介する美術館。中近東から出土した土器や陶器、ガラス、モザイク、装身具などを展示している。なかでも紀元前9世紀のアッシリア・レリーフは必見の岡山市立オリエント美術館を見学。

雪舟の水墨画や文人画家・浦上玉堂、アメリカを代表する画家の一人となった国吉康雄、抽象画の坂田一男などの代表作約100点が展示されている岡山県立美術館を見学。

後楽園の北側に、竹久夢二生誕100年を記念して建てられた美術館。『立田姫』『秋のいこい』といった代表作をはじめ、表紙や挿絵を担当した『婦人グラフ』などの雑誌、夢二の装幀本などあわせて約100点を常設展示している夢二郷土美術館(本館)を見学。

3万平方mの敷地に400品種1万5000株が植えられた、日本最大級のバラ園。1番の見ごろは、100万本が咲く春の5月中旬〜6月中旬と秋の10月中旬〜11月中旬ごろ。ウメ・桜・ボタン・ハナショウブなど、バラ以外の季節の花々も観賞できるRSKバラ園を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

山陽中国阪神自動車道経由して
20:30大阪到達。

今回の旅行、岡山藩2代目藩主、池田綱政公の命で造られた偕楽園、兼六園と並ぶ日本三大名園の一つ岡山後楽園、岡山カルチャーゾーンと称される世界的にも有名な美術館が点在し、ジャンルも様ようで、名園を散策後アート三昧を楽しめる岡山後楽園の周辺。

2008年4月にオープンし、大きな話題となっている岡山市沖約2kmの犬島の精錬所跡地を利用したミュージアム、近代化産業遺産と現代アート、エコロジカルな建築が一体化した、かつてないアートスポットの犬島アートプロジェクト精錬所。

港町として賑わった江戸時代から昭和30年代の面影を残す古い町家が連なる通りには、江戸時代に朝鮮通信使の接待所として使われた本蓮寺などがあるしおまち唐琴通りの散策、牛窓。

アートあり、名園あり、歴史的建造物あり、盛りたくさんの岡山観光堪能しました。

















伊丹尼崎史跡巡り
2010年2月17日


前回の伊丹尼崎の史跡巡りでまだ訪れなかった名所を今回巡りました。

12:30車で阪神高速経由して池田インター下車
13:30伊丹到達

世界中から250種類1万本以上のバラを集めたバラ公園です。公園の西側を流れる天神川の堤防を利用し、高低差10mの立体的な地形を生かして、階段状に花壇が作られています。レンガ造りのバラの植え込みやモニュメントの柱、スパニッシュ風の瓦屋根のある白壁の建物が南欧的な雰囲気を演出します荒牧バラ公園を訪れる。

大阪国際空港の滑走路のすぐ西側に隣接している、長さ1.2km、幅80mの非常に細長い公園です。高さ約7mの芝生の丘が帯状に連なっている、緑の豊かな公園で、その丘の上から飛行機が離着陸する様子をごく間近で見られます。広大な広場が「学習ゾーン」、「遊具ゾーン」、「花と水とシンボルゾーン」とに分けられています伊丹スカイパークを訪れる。

大阪国際空港の滑走路に隣接しており、伊丹スカイパークの直ぐ北側にあります。プラネタリウム館、児童センター(遊戯室、図書室、工作室)、文化センター(展望室、会議室)の3館からなる子供たちのための複合施設です。プラネタリウム館では、迫力のある映像で満天の星空を紹介し、解説員が星や星座について分かり易く説明します。また、ロケットの打ち上げの様子や、太陽系の構成などを展示によって楽しく学習ができますこども文化科学館を見学。

阪急伊丹線「稲野駅」から西へ徒歩3分の所に5世紀後半頃に造られた帆立貝式古墳(前方後円墳の一種)があり、古墳の上部は平らに削られていて南神社が建っています。円筒埴輪などが出土しており、1966年に兵庫県の指定史跡となっています。全長52mで、当初は、馬蹄(ばてい)型をした二重の周濠(しゅうごう)がありましたが、今は一重のみ残っています。市教委による古墳の保全工事と周辺部の史跡公園化工事が1999年に完了しました。
この古墳の十分な発掘調査は行われておらず、被葬者は不明なままです。かつては,御願塚古墳の周辺4ヶ所に塚が存在していたため、これらの塚を合わせて"五が塚"と呼んでいたのが、「御願塚(ごがづか)」となったという説もあります御願塚古墳を訪れる。

尼崎方面に向かう。

エーデルワイスは創業以来、製菓道具や洋菓子文化を語る貴重な資料などを収集してまいりました。さらに、ベルギーの美術館より欧州の文化資料を譲り受け、その数は現在約5,000点ほどになりました。エーデルワイスでは本社工場4階にミュージアムを設け、これらの美術品を展示・公開することにより、地域との交流や文化活動に努めてまいりますエーデルワイスミュージアムを見学。

市バス西ナニワ南下車、東へ2、3分歩くと旧村のなかにお寺と隣り合わせて建つお社が見える。市役所から南へ下っても、国道2号線から北へ登っても行ける。当社は、「史跡 伝 難波の海」の宮として、応神天皇の旧き御世よりの海の名所といわれる。3月の第一日曜日には、「梅まつり」が行われ、お茶席なども開かれて賑う。境内にはそれにちなんだ石碑も建っている。また、末社の摂津難波稲荷大社は通称「がんのいなり、がんかけいなり」として親しまれている。市営弥生ヶ丘墓地内には、熊野神社神道霊苑みず子の塔がある難波 熊野神社を訪れる。

市バス東大島または今北下車、阪神バスならば東大島下車、徒歩5分ほど。大庄北中学の西方に、市の公園(もとは境内地であった)と隣接した広々とした境内の中に建つ。平安時代、荘園制が盛となり大島荘もその一つとして数えられ、その総鎮守神であった。創祀は不詳であるが、平安のころには祭祀されていたことが窺い知れる。西向の社殿が珍しく、武庫川の氾濫を防ぐ「西向の鎮守さま」といって崇敬されてきたという説がある。現在の社殿は昭和44年に明治維新百年記念事業として再建されたものである。末社に稲荷社がある大島神社を訪れる。

約60種、2900本のバラが身頃になると甘い香りを漂わせるバラ園があり、また、昭和2年から昭和50年まで、西野田から神戸を走っていた路面電車の71形71号も保存されている水明公園を訪れる。

境内には樹高約17m、幹周り5,6mという市内で一番大きな楠があり、尼崎市の保護樹木にも指定されている。この楠は神社のご神体になっており、触れると御利益があるといわれている楠霊神社を訪れる。

寺町方面に向かう。

尼崎信用金庫が創業80周年の記念事業の一環として、地域の発展と地域文化向上のお役に立ちたいと願い、平成13年6月1日に開設いたしました。当博物館は、江戸時代、大阪城の西の守りとして栄えた尼崎藩の象徴であった「尼崎城」をイメージした瀟洒な白壁の建物で、業務用会議室のほか、施設の一部を地域の芸術、文化の発信基地としてご利用いただける、コミュニティスペースにいたしております。また, 2階の常設展示スペースには、「城下町尼崎展」コーナーと「あましんコインミュージアム」を設けております尼信博物館を見学

世界62ヵ国、約13,000点に及ぶ貯金箱コレクションの中から約2,500点を常設展示、質量とも日本一、世界でも最大級の貯金箱博物館です。貯金箱とくらしをテーマに、貯金箱の歴史、貯金箱がうつす世界の風俗など、楽しくご覧いただけます世界の貯金箱博物館を見学。

江戸期、大坂が商業の拠点であり幕府の重要地であったことはご存知の通りですが、その西に位置する尼崎は、大坂を守る西の要地でありました。このため、大坂の陣の後、徳川幕府は譜代大名の戸田氏鉄 (うじかね)を配し、1618年に4層の天守を持つ尼崎城を建てさせました。戸田氏は5万石でしたが城は高さ18mの10万石級のものと言われています。尼崎はその城下町です。寺町は尼崎城下町の西北の一郭で、城の建設地や他の城内地にあった寺院を一箇所に集めたところです。氏鉄が寺社勢力を統括しようと考えたのでしょう。現在も11ヵ寺が残っており、工業都市とは思えない静かな落ち着きを占めした一画になっています寺町を散策する。

曹洞宗の寺院で戸田氏の菩提寺。座禅で有名な全昌寺を訪れる。

法華宗の古刹。室町時代1420年の創建。桃山期の華麗な開山堂、三光堂がある。
11月1日の虫干会では寺宝を公開する。境内には枯れたことがないといわれる霊水井戸がある本興寺を訪れる。

臨済宗。1582年、本能寺で織田信長が明智光秀に倒され、秀吉が毛利軍と和議を結んで京に向かう途中、秀吉ひとり軍勢を離れて明智方の武将に追われ、この寺に逃げ込んだ。そこで秀吉は髪をそり僧に化けて台所で味噌をすっていた僧にまぎれて逃げた、という伝説がある広徳寺を訪れる。

律宗。閻魔大王ほか冥府の大王だずらり。節分の豆まき、奉納狂言、昆布の着物を着た厄除けの「姫だるま」。大覚寺門前には、琴浦焼という古い歴史のある窯元がある大覚寺を訪れる。

浄土宗。本堂の屋根の上に鳳凰がいる。1991年に桃山時代の様式で改築された本堂は「西方浄土極楽鳳停殿」という甘露寺を訪れる。

浄土宗。あの佐々成政(さっさなりまさ)の墓がある法園寺を訪れる。

日蓮宗。本堂が国の重要文化財。客殿、庫裏、鐘楼は県の重要文化財。本殿は1623年の改築の長遠寺を訪れる。

浄土宗。鎌倉時代の石造物で笠塔婆という供養塔があるが、笠の部分が失われている。また、極楽往生を願って神崎川に入水した5人の遊女の髪が祀られている如来院を訪れる。

浄土宗。平重盛の菩提所で、朝廷から山門を朱に塗ることを許可された専念寺を訪れる。

時宗。八角堂があり首だけのお地蔵さんが祀られており「首なし地蔵」と呼ばれている。節分に「姫だるま」が授けられる善通寺を訪れる。

東隣の常楽寺を訪れる。

17:00終了。

前回伊丹市の観光名所で訪れることの出来なかった残りの名所巡りと、尼崎の元和3年尼崎の藩主となった戸田氏鉄が尼崎城を築くにあたり、宗教政策や、城の防備などのために寺院を集めたという寺町を訪れ、近場の歴史的建造物に触れて、意外と知らない近場の伊丹尼崎の歴史学習できました。











穂積ハイランド&ユートピアサイオトスキー・スノボ
2010年2月14日


今回の雪山イベント、関西からはあまり訪れない、島根広島のスキー場、1212mの阿佐山から開かれたゲレンデ、広いフィールドを駆け巡り、自然を堪能でき、コース上からは三瓶山など西中国山地の展望もすばらしい穂積ハイランド、独自の人工造雪機でいつでも滑ることができ、ゲレンデはふたつのピークに広がっているユートピアサイオトを訪れました。

前日23:00大阪駅集合出発、阪神中国浜田自動車道経由して穂積インター下車
4:00穂積ハイランド到達、仮眠
7:30滑走
10:00食事
10:30滑走
11:30終了、ユートピアサイオトスキー場に移動
12:30ユートピアサイオトスキー場到達、滑走
13:30終了
14:30養老温泉に浸かる
15:00帰路、
途中中国自動車道大佐サービスエリアで食事を済ませて
20:00大阪駅到達、解散

今回の雪山イベント、昨年に続いて関西からはあまり訪れない中国地方の島根広島のスキー場に足を運びました。

ゴンドラ、数本の高速リフトで、広いフィールドのロングコースを滑走できる穂積ハイランド、最長4キロmのロングコース堪能できました。信州のビッゲレンデに匹敵するコースエリアお勧めです。

昼からはファミリーゲレンデ、初中級向きのワイドなゲレンデのユートピアサイオトをのんびり滑走し無事に雪山イベント終了いたしました。





奈良県奈良公園周辺観光
2010年2月13日


今回は近場の4−8世紀に日本の中心であり、歴史遺産と緑豊かな自然景観が残る奈良県に足を運び、鹿や大仏さんで有名な大和観光の中心地である奈良公園周辺を訪れました。

12:30車で奈良方面に向かう。
13:15奈良公園到達。散策する。

奈良ゆかりの芸術家の作品を中心にした館蔵品展と春・秋の大規模な企画展を開催する奈良県立美術館を見学。

総面積1万3500平方m、前園と後園の2つの池泉回遊式庭園を組み合わせた、奈良を代表する名庭。明治期に奈良の豪商が造った後園は、東大寺南大門や若草山、御蓋山を借景とし、ひときわ見事。園内には古代中国の青銅器などを展示する寧楽美術館もある依水園を訪れる。

吉城川を挟んで隣接する依水園の前園と同じく、興福寺塔頭摩尼珠院の跡地に造られた庭園。春日山、若草山を借景に採り入れ、杉苔と紅葉が美しい。茶室もある吉城園を訪れる。

天然記念物に指定され、都市近郊で生態を観察することのできる野生動物の群落。768年藤原氏によって春日大社が創建されたとき、鹿島から勧進した神が白鹿に乗って降臨。その子孫である故事に基づき、神鹿として保護されてきた。明治時代の廃仏毀釈で神格をとかれ、乱獲や駆除により絶滅の危機に陥る。戦後にも密漁などにより二度目の受難期を迎えたが、1957年(昭和32年)に国の天然記念物に指定され、文化財として保護されるようになった。現在約1200頭の鹿が生息。奈良公園はシカたちの生息地。

仏教を中心とする国づくりを進めた、聖武天皇の発願で創建。大仏造立は国を挙げた一大プロジェクトで、752年(天平勝宝4)、大仏開眼法要が盛大に営まれた。1180年(治承4)、平重衡の南都焼き討ちで大半の堂塔を焼失したが、重源の勧進で復興。しかし1567年(永禄10)に松永久秀の兵火にかかり、再焼失。江戸中期になって現在の寺観が整った。広大な境内に、南大門・大仏殿・鐘楼・法華堂・二月堂・転害門(以上すべて国宝)などが散在する東大寺を訪れる。

東大寺大仏殿の西方に立つ。754年(天平勝宝6)に来日した鑑真和上は大仏殿前に特設された戒壇で、聖武上皇らに戒(僧が守るべき規律)を授け、翌年現在地に戒壇院が建立された。3度の火災にかかり、現在の戒壇堂は1733年(享保18)の再建。堂内の四隅に安置された天平時代の塑造四天王像(国宝)は傑作の誉れ高い。動きを抑えた姿、憂愁を帯びた表情のなかに強い気迫を秘め、ひっそりとした堂内に凛とした空気が漂う戒壇堂[東大寺]を訪れる。

大寺大仏殿東方の丘上にある。治承の兵火は免れたが、鎌倉時代に再建された豪放な建築。高さ3.9m、重さ26トンの大鐘で、奈良太郎の呼び名で親しまれている鐘楼を訪れる。

国宝の本尊盧舎那仏(大仏)を安置する、東大寺の金堂。廻廊と中門に囲まれた壮大な建築で、間口57m・奥行き50m・高さ48m。江戸時代の再建で創建時より間口が3分の2に縮小されているが、それでも木造古建築としては世界最大だ。銅造の盧舎那仏は高さ15m。華厳経の教主とされ、世界の真理そのものを体現する仏さまという。頭部は江戸時代のもので、補鋳を重ねてはいるが、両足や蓮弁の一部に天平創建時の部分を残す。大仏殿前の金銅八角燈籠(国宝)は高さ4.6m。楽器を奏でる音声菩薩が浮き彫りされている大仏殿[東大寺]を訪れる。

東大寺建立の際に、守護神として宇佐八幡を勧請して創建された。本殿は1691年(元禄4)の再建。校倉造の宝庫(重要文化財)は東大寺から移築された天平建築。社宝に唐鞍(国宝)、舞楽面(重要文化財)などがある手向山八幡宮を訪れる。

伝説では東大寺の前身とされる金鐘寺の遺構といわれる。天平時代建築の東大寺最古の建物だが、正面の礼堂は鎌倉時代に修造されたもの。本尊の脱活乾漆造不空羂索[ふくうけんじゃく]観音立像(国宝)は高さ3.6m。沢山の宝石で荘厳された見事な宝冠を戴き、3目8臂の威厳に満ちた表情が印象的だ。その左右に塑造日光・月光菩薩立像(国宝)が、穏やかな表情で合掌して立つ。須弥壇左右に立つ脱活乾漆造梵天・帝釈天立像(国宝)は、高さ4mの堂内最大の巨像。内陣の四隅で本尊を護る脱活乾漆造四天王立像(国宝)もそれぞれ高さが約3mある。塑造金剛神立像(国宝)は12月16日のみ開扉される秘仏。憤怒の表情が迫力あふれる法華堂(三月堂)[東大寺]を訪れる。

東大寺法華堂のすぐ北に位置し、毎年3月に修二会(お水取り)が営まれることで知られる。修二会が旧暦2月に行われたことから、二月堂の名が付いた。1667年(寛文7)に火災で全焼。現在の堂はその2年後、焼失前の形そのままに再建された。懸造で、大仏殿の屋根を眼下に奈良市内が一望できる。本尊は絶対秘仏の十一面観音の二月堂[東大寺]を訪れる。

聖武天皇の遺愛の品をはじめ、東大寺に伝わった宝物を納める宝庫。現在は宮内庁が管理する。校倉造、高床式の正倉は国宝。光明皇后が寄進した聖武帝の遺品のほか、大仏開眼会で使われた法具などの宝物は戦後、構内に建築された新倉庫に移されている。見学は外観のみ可能で、収蔵品は毎秋、奈良国立博物館で開かれる正倉院展に出陳される正倉院を訪れる。

平城京の東七坊大路、現在の国道369号に面し、一条大路(佐保路)に向かって立つ。三間一戸の雄大な八脚門で、天平建築の貴重な遺構。鎌倉時代に大修理されているが、当初の姿をよく残しているといわれる。源平の戦いに敗れた平景清がこの門に隠れ、大仏供養に参詣する源頼朝を狙ったとの伝説も残す転害門[東大寺]を訪れる。

奈良時代、吉城川沿いの春日野に造られた氷池や氷室(氷の貯蔵庫)に、氷の神を祭ったのが始まりといわれ、のちに現在地に移された。製氷業者の信仰が篤く、毎年5月1日には献氷祭を開催。神前にタイやコイを封じ込めた高さ1mの氷柱が奉納される。現社殿は江戸時代の造営といわれ、境内の枝垂桜も美しい氷室神社を訪れる。

大寺の正門。重層入母屋造の豪壮な門で、高さ25m。鎌倉復興期に再建された、大仏様の代表的な遺構。阿・吽形の2体の木造金剛力士(仁王)像(国宝)は、運慶・快慶など、慶派仏師一門がわずか69日で制作したと伝わる南大門[東大寺]を訪れる。

春日大社の表参道入口に立つ典型的な春日鳥居。創建は836年(承和3)と伝え、江戸時代に再建された。右手奥の「影向ノ松」は春日大明神が万歳楽を舞った所といわれ、おん祭の芸能も奉納される一の鳥居を訪れる。

仏教美術では国内随一の質と量を誇り、各時代の代表的仏像を多数展示する。1895年(明治28)建築の本館(重要文化財)はレンガ造りの風格ある洋館。東西の新館は校倉造を模している奈良国立博物館を見学。

京都山科の藤原鎌足の私邸に建立された山階寺が始まり。飛鳥を経て平城遷都に伴い現在地に移り興福寺と号した。藤原氏の氏寺として隆盛し、平安時代には大和国を支配。僧兵を擁し、比叡山延暦寺とともに南都北嶺と呼ばれ、畏れられた。平家の南都焼討ちで大半の堂塔を焼失したが、鎌倉時代に復興。その後も堂塔は焼失と再建を繰り返したが、寺勢は徐々に衰え、明治の廃仏毀釈では崩壊寸前に追い込まれた。それでも東金堂(国宝)、五重塔(国宝)、北円堂(国宝)、三重塔(国宝)、南円堂(重要文化財)などが残り、優れた仏像を多数所蔵する興福寺を訪れる。

興福寺に伝わった寺宝の数々を収蔵。白鳳時代の仏頭(国宝)は、平安末に東金堂本尊として飛鳥山田寺から移してきたものといわれる。天平時代のものでは、凛々しい少年のような阿修羅像をはじめとする乾漆造八部衆立像(国宝)や十大弟子立像(国宝)が有名。鎌倉復興期の木彫仏は写実的で力強く、ユーモラスな天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝)などがある国宝館を訪れる。残念ながら休館でした。

興福寺にはかつて3つの金堂があり、これは東に位置するから東金堂。726年(神亀3)に聖武天皇の発願で建立されたが、現在の堂は1415年(応永22)に天平様式で再建されたもの。堂内には本尊薬師如来像(重要文化財)と脇侍の日光・月光両菩薩像(重要文化財)、十二神将像(国宝)、四天王像(国宝)、文殊菩薩像(国宝)などを安置する東金堂[興福寺]を訪れる。

興福寺にある、高さ約51mの塔。古塔としては京都・東寺の五重塔に次ぐ高さで、奈良のシンボルとして親しまれている。730年(天平2)、光明皇后によって創建されたが、たびたび焼失。現在の塔は6度目の再建だ。室町時代の建築ながら、東金堂と同様、天平様式を忠実に再現している五重塔[興福寺]を訪れる。

周囲に柳が植えられた風情のある池。もとは興福寺の放生池として造られたといわれ、甲羅干しする亀も名物。奈良時代、帝の寵愛が衰えたことを嘆いた釆女が身を投げたとの伝説も残る猿沢池を訪れる。

興福寺北円堂と対になる八角円堂。813年(弘仁4)、藤原冬嗣が父内麻呂のために建立した。現在の堂は江戸時代の再建。西国三十三カ所観音霊場第9番札所でもあるため、堂前には線香の煙りが絶えず、庶民的な雰囲気が漂う。本尊は高さ3.4mの不空羂索観音坐像(国宝)で、運慶の父康慶一門の作だ。堂内は、毎年10月17日に特別開扉される南円堂[興福寺]を訪れる。

721年(養老5)、藤原不比等の1周忌に際し建立された。堂々とした八角円堂だが、現在の建物は鎌倉時代の再建。堂内には運慶一門が制作した鎌倉時代の本尊弥勒如来像(国宝)の、無著・世親菩薩像(国宝)などを安置、毎年春と秋に特別公開される北円堂[興福寺]を訪れる。

興福寺南円堂から猿沢池への石段を下りる途中の右手に、ひっそりと佇んでいる。目立たない場所にあるためか、訪れる人も少ないが、繊細な美しさがある塔だ。1143年(康治2)、崇徳天皇の中宮皇嘉門院が創建、現在の塔は鎌倉初期に藤原様式で再建されたもので、高さ約19m。毎年7月7日に特別開扉される三重塔を訪れる。

平城遷都以前からある古社。現在は大神神社の摂社で、本殿は一間社春日造の社が3棟並んで立っている。中殿には神武天皇の皇后媛蹈鞴五十鈴姫命、その右には母の玉櫛姫命、その左には父の狭井大神を祭っている。両親が子を守るようにして鎮座していることから、通称・子守明神といわれ、縁結び・安産・育児の神様として女性の信仰を集めている率川神社を訪れる。

593年(推古元)創建といわれ、藤原氏に崇敬された。檜皮葺きの本殿は三間社流造。社宝に徳川家康奉納といわれる鎧があるが、奈良国立博物館に寄託中。境内の林神社は、室町時代に中国から渡来し饅頭の製法を伝えた林浄因を祭神とする漢国神社を訪れる。

17:00終了。

今回の史跡巡り、近場の歴史遺産の宝庫、奈良県の奈良公園周辺の歴史的建造物巡りしてきました。

何回も訪れたことのある東大寺を中心とした奈良公園周辺、今回は詳細ガイドブックを読みながら見学、あらためて大和路の歴史の深さを感じました。

奈良公園周囲の名所は数多く、すべてを巡ることができず、東大寺、興福寺周辺でしたが次回は春日大社、奈良町を攻めてみたいと思います。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十七弾:徳島県鳴門&徳島タウン&小松島観光
2010年2月10ー11日


今回は四国の徳島に足を運び、東はうず潮と大塚国際美術館、西は歴史遺産の鳴門エリア、山・川・海が集まった町、徳島タウン周辺エリアを訪れました。

10日12:30車で阪神第二神明神戸淡路鳴門自動車道経由して鳴門海峡をまたぎ、鳴門〜淡路島を結ぶ全長1629mの吊橋。1998年に完成した明石海峡大橋と連絡し、神戸〜徳島を結ぶ高速道路になっている大鳴門橋を通過、鳴門北インター下車。

14:00うず潮と大鳴門橋のビューポイント。周辺には観潮船乗り場や大鳴門橋架橋記念館エディ、渦の道、公園を一望するエスカヒル鳴門、大塚国際美術館などの観光スポットが集まる鳴門公園を訪れる。

鳴門公園内にある世界初の陶板名画美術館。延床面積約3万平方mと日本最大級の常設展示スペースを誇り、古代〜現代の西洋名画1000点余を原寸大で鑑賞できる。なかでも教会や礼拝堂を現地の空間まるごと再現した「環境展示」は必見。他にも西洋美術史の流れがわかる「系統展示」や、古今の作家の作品をテーマ別に展示した「テーマ展示」がある大塚国際美術館を見学。

鳴門公園にある施設。270インチのハイビジョン映像のうず潮劇場や、映像に合わせて動く体感型展示室うず丸など、うず潮について楽しみながら学べる。平成20年春に水族館「エディミニミニ魚っちんぐ」がオープン。タッチングプールでは自然の魚たちと触れあえる大鳴門橋架橋記念館エディを見学。

うず潮と大鳴門橋の体験見学施設。橋桁内に450mの遊歩道を設け、途中数カ所の床の一部が真下の鳴門海峡を望む厚いガラス張りになっている。圧巻は一番先にある展望室。2カ所に設けた4枚のガラス張りを通して45m直下の、迫力あるうず潮を眼下に眺められる徳島県立渦の道を散策する。

鳴門市街を見下ろす、標高60mの山に整備された公園。中腹に鳴門ガレの森美術館があり、山頂には世界的に著名な考古学者・人類学者の鳥居龍蔵博士が収集した、貴重な資料を展示する鳥居記念博物館が天守閣を模して建てられている妙見山公園を散策する。

妙見山公園内にある三層の天守閣様式の建物の博物館。徳島出身で東アジアの考古学・人類学に多大な業績を残した、鳥居龍蔵博士が収集した貴重な資料を展示している。モンゴル、シベリア、千島などの民俗資料は必見の徳島県立鳥居記念博物館を見学。

アール・ヌーヴォーナンシー派の指導者として活躍した、フランスのガラス工芸家エミール・ガレの作品を中心にガラス作品100点余りを収蔵。カラー文スフレ花器といった、色や曲線の美しい花瓶やランプ30点余りが展示されている。写真誌の表紙などでも有名な三尾公三の絵画なども展示の鳴門ガレの森美術館を訪れる。残念ながら休館でした。

18:00徳島タウンにあるホテル到達、市街地を散策し食事を済ませてから床に就く。

11日7:00車で出発

眉山の山麓に立つ臨済宗妙心寺派の禅寺。江戸初期に造られた池泉回遊式の庭で知られている。山麓の斜面を巧みに利用した庭には、茶室や三重宝塔などが配されており、洗練された風情がある。キリスト教が禁止されていた江戸時代に灯籠にマリア像を刻み、地蔵尊と偽った切支丹灯籠も見逃せない瑞巌寺を訪れる。

小松島方面に向かう。

650年(白鳳元)の創建と伝わる古刹。多くの宝物を所有し、聖観音坐像(重要文化財)は立てば1丈6尺(約5m)にもなるほどで、寺名の由来になっている。境内には、本堂(重要文化財)、観音堂(重要文化財)や、三門(重要文化財)、経蔵(重要文化財)などがある丈六寺を訪れる。

21万平方mの敷地面積を誇り、80種類約400点の動物を飼育。園内は動物の成育環境を再現した温帯・サバンナ・寒帯の各区と、ヒツジやモルモットなどの小動物とふれあえるこども動物園など5つのエリアで構成され、のびのび暮らす動物の姿を観察できる。ゾウのエサやりなどイベントも充実。遊園地や植物園も併設し、一日中親子で遊ぶことができるとくしま動物園を訪れる。

徳島タウンに戻る。

文化施設が立ち並ぶ文化公園。総合管理センター徳島県立21世紀館を中心に、博物館・美術館・図書館などが揃う徳島県文化の森総合公園を訪れる。

徳島県文化の森総合公園内にあり、徳島の自然と歴史を紹介。ティラノサウルスの全身骨格のほか、南米の古生物の骨格標本も充実している徳島県立博物館を見学。

徳島県文化の森総合公園内にあり、ピカソやクレーの絵画、イサム・ノグチの彫刻、池田満寿夫やウォーホルの版画などを収蔵・展示する徳島県立近代美術館を見学。

島で江戸末期から代々続く藍染工房。6代目主人は長年途絶えていた絹の藍染めに成功し、労働省の表彰を受けた。1日4回、3〜4日繰り返し染めて、はじめて鮮やかな色が出る藍染め作業の一端を見学できる古庄藍染處を訪れる。

一年中阿波おどりが楽しめる。2階の阿波おどりホールでは専属連「阿波の風」のステージがあり、踊りに参加することもできる。また、3階に阿波おどりの歴史を紹介した阿波おどりミュージアム、1階には名産品の販売コーナー、5階には眉山ロープウェイ山麓駅がある阿波おどり会館を訪れる。

眉山は眉の形に似たなだらかで優美な山。山頂は公園として整備され、晩年を徳島で過ごしたポルトガル人作家・モラエスの記念資料館や展望広場などがある。徳島市街や吉野川、晴れた日には大鳴門橋や淡路島まで見渡せる眉山公園を散策する。

眉山山頂にあり、妻の故郷・徳島を愛したポルトガルの文人、モラエス(1854〜1929)の作品や遺品を展示するモラエス館を見学。

徳島駅北東に広がる公園で、明治維新まで阿波の領主・蜂須賀家の居城だった。往時の建物はないが、石垣と桃山様式の旧徳島城表御殿庭園がかつての面影を伝える。2006年1月、徳島城跡が国の史跡に指定された徳島中央公園を散策する。

徳島中央公園内の徳島城御殿跡にあり、徳島藩と藩主・蜂須賀家に関する美術工芸品や歴史資料を中心に収蔵・展示している博物館。現存する最古の和船、徳島藩御召鯨船[(重要文化財)をはじめとする徳島藩水軍についての貴重な資料、徳島城御殿の精巧な復元模型や城下町の暮らしぶりなども常設展示し、毎年2〜3月に行う「ひな人形の世界」をはじめ、年4〜5回企画展を開催。入館者は、隣接する名勝・旧徳島城表御殿庭園も入園できる徳島市立徳島城博物館を見学。

徳島中央公園の徳島市立徳島城博物館に隣接。江戸初期に造営され、枯山水の庭と池泉回遊式庭園からなる。別名千秋閣庭園と呼ばれる旧徳島城表御殿庭園を見学。

阿波木偶人形の人形師、人形健[にんぎょうけん]の作品約100体を展示。木偶人形の作り方や、表情が一変する仕掛け、人形を操る仕組みなどをユーモラスに解説してくれる。人形浄瑠璃のひとコマを再現したコーナーも見逃せない阿波木偶人形会館を見学。

鳴門方面に戻る。

第一次大戦で敗れたドイツ兵の板東俘虜収容所跡を中心に整備した公園。周辺には鳴門市ドイツ館をはじめ、鳴門市賀川豊彦記念館、ドイツ兵が残したドイツ橋、メガネ橋などがあるドイツ村公園を散策する。

ドイツ村公園の近くにあり、ドイツ兵と地元の人々との交流を記念して建てられた。館内ではミニチュア模型で当時の日常生活を再現。ベートーヴェンの「第九」が日本で初演されたことにちなみ、その様子を実物大の人形で再現した第九シアター(は、ぜひ見ておきたい鳴門市ドイツ館を見学。

ドイツ村公園内にある。大正デモクラシーの先頭に立ち、非暴力の精神で労働運動、反戦運動などを指導した賀川豊彦(1888〜1960)の記念館。世界の平和を願い、理想社会の建設を目指して活動した生涯を、パネル展示などで紹介。賀川の蔵書や関係書籍も閲覧できる鳴門市賀川豊彦記念館を見学。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の旅行、四国の徳島県に足を運び、鳴門市街地から小鳴門橋などを利用して北東に向かうと鳴門観光の中心地、鳴門公園。大鳴門橋、うず潮で有名な鳴門海峡、うず潮を間近に見る施設が点在、美しい海岸線にはリゾートホテルや大塚美術館などが見所の鳴門公園エリア。

神戸淡鳴門自動車道や高松自動車道が接続する交通の要所で、徳島の第二の都市鳴門タウンエリア。

蜂須賀公の城下町として栄えた町、県都ながら、原生林の残る城山や眉山などの自然が豊かに残り、日本三大河川のひとつ吉野川、町中を流れる新町川など、水辺の景観に恵まれ、水郷百選にも選ばれている徳島タウンエリア。

阿波人形浄瑠璃や藍染めなど伝統文化・工芸の見学や体験ができる施設が多く、博物館、美術館などの文化施設が集中している徳島市郊外エリア。

小松島港を中心に古くから栄えてきた港町、阿波三峰のひとつ、日峰山、大神子海岸など、自然が豊かに残り、源義経が小松島から上陸したという伝説があり、ゆかりの史跡が多く残る小松島エリア。

一泊二日で徳島の中心エリアの自然と文化に触れ堪能しました。















和歌山県有田&湯浅観光
2010年2月6日


今回は近場の和歌山県に足を運び、紀州の隠れ湯栖原温泉とみかん畑で有名な有田、醤油発祥の地として発展した伝統が息ずく湯浅を訪れました。

12:30車で阪神近畿阪和自動車道経由して海南インター下車
13:30有田に到達

紀州徳川家歴代藩主の眠る寺。国宝の大門、本堂、多宝塔のほか、鎮守堂(重要文化財)、紀州徳川家廟所(史跡)と歴史的価値が高い。境内には桜をはじめ、ボタンやアジサイが咲く、花の寺としても有名な長保寺を訪れる。

有田市東部にある浄土宗西山派の末寺。琴の名手で天皇から三位の位と中将の名を賜った中将姫ゆかりの寺だ。その昔、姫の名声をねたんだ継母が伊藤春時に殺害を命じる。が、姫の徳に打たれた春時は、逆に剃髪し、名を得生と改め姫を守った。このことが名の起こりといわれる。姫がハスの糸で織った浄土曼荼羅図などの寺宝もある得生寺を訪れる。

湯浅方面に向かう。

湯浅に残る唯一の醤油醸造元、角長。併設の民具館職人蔵は江戸末期の仕込蔵を利用。醸造道具、製造法などの資料類を展示保存している。なかでも、明治時代にパリ万博に出品された陶器の醤油瓶が、出展当時のまま中身の入った状態で展示されているのは必見。同敷地内に醤油資料館もある角長民具館職人蔵を見学。

御坊方面に向かう。

1258年(正嘉2)に源実朝を弔うために建立された寺で、法燈国師(覚心)が開基した。覚心は、醤油の誕生のきっかけとなった径山寺味噌の製法を宋から持ち帰り、この地に伝えた人物。また、虚無僧4名を宋から伴って帰国し、全国に普化尺八を広めたことでも知られる興国寺を訪れる。

白い石灰の岩礁が氷山のように見える、白崎海岸。その先端にある公園で、キャンプ場やダイビング施設も整う。また、貝博士、神田耕一郎の集めた珍しい貝を展示するシェルズギャラリーもある白崎海洋公園を散策する。

17:00終了。

今回の名所巡り、和歌山県に足を運び、ミカン畑で有名な有田、醤油発祥の地として発展した伝統が息ずく湯浅を訪れ社寺を主とした史跡巡り、無事終了しました。

昼からの日帰り名所巡り、和歌山は大阪よりから攻めていってますが、そろそろ地理的に限界です。これから南のほうの訪れは泊りでの観光になるでしょうね。





大阪府堺&泉南観光
2010年2月3日


今回は近場の地元の方も比較的訪れていない堺、泉南の名所巡りしてきました。

12:30車で阪神自動車道経由して堺インター下車

13:00堺到達
堺に生まれた、歌人・与謝野晶子の出版物や資料を常設展示。併設のアルフォンス・ミュシャ館では、与謝野鉄幹が創立した文芸雑誌『明星』と関わりのあるミュシャの作品約100点を常設展示している与謝野晶子文芸館を見学。

「名松百選」に選ばれた松林、日本の山野の原風景にバラの演出をしたバラ庭園が見事の浜寺公園を散策する。

正面の拝殿と本殿、摂社春日神社、住吉神社が境内に立つ泉穴師神社には、平安期以降の神像彫刻83体が残る泉穴師神社を訪れる。

収蔵品は、国宝3点と重要文化財12点を含む約1200点。多彩な分野にわたり、なかでも日本の中世禅宗社会の文化遺産を多数収蔵。開館以来、中世禅林文化の宝庫として親しまれてきた正木美術館を訪れる。残念ながら休館でした。

明治以来、市内で綿織物業を営んできた久保惣株式会社の寄贈により、1982年(昭和57)に開館。東洋古美術を中心に、国宝2点・重要文化財28点を含む、約6000点を収蔵。中国工芸品、モネ・ルノワールなどの西洋近代絵画、ロダンなどの彫刻も展示する和泉市久保惣記念美術館を訪れる。残念ながら休館でした。

槙尾山山頂にたたずむ施福寺は西国三十三所第4番札所。寺域には4つの堂と桜門が立つ施福寺を訪れる。

広さが甲子園球場の約8倍ある自然派公園。「新鮮・安全・美しい農産物のあふれる収穫祭の村」をテーマに、大人も子供も楽しめる体験施設が揃う堺・緑のミュージアムハーベストの丘を訪れる。

16世紀後半、堺の発展とともに栄えた臨済宗大徳寺派の寺。禅や茶道を通じて中世の堺の文化人たちのサロン的役割を果たし、千利休もこの寺で禅を学んだ。境内の古田織部好みという枯山水庭園は、名勝に指定されている南宗寺を訪れる。

わび茶を大成させた千利休は堺の豪商・魚屋に生まれた。早くから茶の湯に親しみ、武野紹鴎に師事。豊臣秀吉に茶頭として仕え茶道を広めたが、晩年に秀吉の怒りにふれ自刃。屋敷跡は柵に囲まれて入れないが、井戸が残り石碑が立つ千利休屋敷跡を訪れる。

17:00終了。

今回は近場の大阪府の堺、泉南に足を運び、地元の方もあまり訪れない名所巡りしてきました。

残念ながら美術館、博物館は休館中が多かったですが、近場の新たな発見、歴史学習出来ました。

尚施福寺は本堂に至るには約1kmもの急峻な階段を登らなければならない。西国三十三箇所のなかでも厳しい参道として知られ、かなりたどり着くには体力を要しました。