飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十五弾:ドバイ&トルコ観光
2010年4月28ー5月5日


世界最大のショッピングセンターやテーマパーク、世界一高いビルなど次から次と、私たちの想像も及ばないような新プロジェクトを発表し、たった十数年で急激な進化を遂げ、ダイナミックに躍進する、今と未来を一望するアラビア半島に位置する7つの首長国からなるアラブ首長国連邦のアラビア湾岸の首長国、ドバイ、
東西に長く、ヨーロッパとアジアの文化が複雑に交錯し、4000年以上の歴史を誇り、広大な国土を有する地に古代遺跡をはじめ大自然が生み出す雄大な景観、ビーチリゾートが点在し、観光客を魅了するトルコのアジアとヨーロッパの文化、魅惑な世界遺産、洗練された美食、バザールの活気、周りを取り囲む真っ青な海、魅力が凝縮されたイスタンブール、標高1000mを超えるアナトリア高原の中央部に、キノコや煙突のような形の奇岩が広がり、何百、何千万年という悠久の時の流れの中で少しずつ姿を変え、世界に二つとない景観の世界遺産のカッパドキアを訪れました。
 
28日23:15関西国際空港出発
29日4:45(時差5時間)ドバイ到達、タクシーで観光
 
ニュードバイ・ドバイマリーナ方面に向かう。
 
アラブ首長国連邦のドバイに建設中の世界第2の面積を誇る人工のマリーナ。ジュベルアリ港とドバイ・メディア・シティの中間に位置する。第一期工事は既に完工した。 モデルとなったのはカナダ・バンクーバーの「コンコード・パシフィック・プレイス」である。 第一期は6つの超高層タワーを中心に64の高級ヴィラなどが建設された。これらはルーフトップガーデンで連結されている。またペルシア湾に面したビーチの遊歩道でも結ばれている。 第二期では200棟の超高層レジデンシャルが建設され、アメリカ・カリフォルニアのマリナ・デル・レイを抜いて、世界最大のマリーナになる予定であるドバイマリーナを散策する。

 
リゾートが集中するドバイマリーナからジュメイラ・グループの3リゾートが並び人工島のパーム・ジュメイラを含むシービューエリアを巡る。
 
風にはらむ白い帆を模した優美な姿のドバイのランドマーク、バージ・アル・アラブを訪れる。
 
ジ・オールド・タウン方面に向かう。
 
続々と新ネタが飛び出すニュータウン、世界一の高層タワー、バージ・ドバイと新しいショッピングモールを訪れる。
 
オールド・ドバイ&クリーク周辺方面に向かう。
 
「バール・ドバイ地区」の「ドバイ・オールド・スーク」から歩いて5分ほどの距離にあり、砦のような形をしたこの博物館では、ドバイの歴史を昔から現在までの変遷を知ることができますドバイ博物館を見学する。
 
ドバイ・クリークを中心に、ホテルやショッピングセンター、スーク(市場)歴史地区などが集まり、特に昔ながらの街並みのホールドバイにほど近い所に位置する旧市街で、昔ながらの建築様式を、ほぼそのままに残したこの一角は、現在でも居住区として人が生活しています。高い塀のような壁の向こう側に見えるいくつものウインドタワーがとてもノスタルジック。ドバイ博物館から歩いて5分、首長の執務室、グランドモスクに隣接していますパキスタヤ地区やシェイク・サイード邸から歩いて行ける距離にあり、中にはアラブの人々の昔のままの生活を模した作りになっていて、民芸品などを買うことができるほか、この辺りは夜になると美しくライトアップされたホールドバイ沿いの景色を眺めることができるヘリテージビレッジを散策する。
 
ドバイ国際空港に向かう。
14:30ドバイ空港出発
17:55(時差6時間)トルコイスタンブール空港到達
旧市街地のホテル宿泊
 
30日9:00歩いてイスタンブール旧市街地観光。
 
ローマ皇帝セベルスの命により198年に建造が始まり、203年には最初の馬車レースが開催された古代競馬場、コンスタンチノーブル遷都以降に拡張され、およそ10万人を収容する大競技場となり、中央に立つ3つの記念碑はテオドシウスのオベリスク、蛇の柱、コンスタンチーブルの柱があるヒポドロームを訪れる。
 
アヤソフィア博物館と向かいあうように建っているのが、優雅な6つの尖塔を持つ スルタンアフメット・モスク です。1609年〜1616年に建築家メフメットによって建てられたこのモスクは、内部の壁が美しい青と白のイズニックタイルで飾られていることから、 ブルーモスク という名で広く知られています。夏の夕べには、光と音のショーが繰り広げられますブルーモスクを訪れる。
 
聖ソフィア大聖堂は、現在 アヤソフィア博物館と呼ばれていますが、長い歴史の中でもっとも素晴らしい建築物の一つといえるでしょう。コンスタンチヌス大帝によって建てられ、6世紀にユスチニアヌス帝によって再建されたこの建物の巨大なドームは、地上55メートル、直径31メートルもありますアヤソフィヤを訪れる。
 
ボスポラス海峡、金角湾とマルマラ海の出会うところに、15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の中心であった 宮殿 があります。この宮殿は様々な建物が迷路のようにつながっていて、豪奢を極めた宮殿で、そこでスルタンと家来たちは生活し、統治していましたトプカプ宮殿を訪れる。
 
トプカプ宮殿の第一庭園のちょうど内側にあり、古代遺蹟の宝庫とも言える展示品の中には、あの名高いアレクサンダー大王の石棺やアッソスのアテナ神殿の正面も含まれています考古学博物館を見学。
 
シュメール、バビロニア、アッシリア、ハッティ、ヒッタイト文明の遺物が展示されています古代オリエント博物館を見学。
 
トプカプ宮殿に隣接した緑豊かな公園、かつてはトプカム宮殿のバラ園だったが、現在ではイスタンブール市民の憩いの場所となっているギュルハネ公園を散策する。
 
イスタンブール観光の目玉・トプカプ宮殿の正門である「帝王の門」の真ん前にあり、トプカプ宮殿に入る前に、必ず目に入ってくる豪華な建物。これが、1728年に当時のスルタン・アフメット3世が建てた泉亭です。オスマン帝国の華やかな文化が花開いた時代に造られたもので、優美なロココ様式の外観がとっても目を惹きますアフメット3世の泉亭を訪れる。
 
アヤソフィアの近くには、 イェレバタン・サルヌジュ の名で知られる6世紀ビザンチン時代の貯水池があります。336本の重厚なコリント様式の円柱が、煉瓦づくりの素晴らしい丸天井を支えています地下宮殿を訪れる。
 
ブルーモスクの東の角にある建物で、もともとスルタンの館で、モスクにあるスルタンの部屋と階段でつながっていた。現在は、アナトリア地方のものを中心にアンティーク絨毯を多数展示しているカーペット博物館を見学。
 
ブルーモスクのすぐ南側にある市場、規模は小さいが、オスマントルコ時代には厩舎であった場所を転用した歴史ある市場、カーペットやハンディクラフト製品を扱う店が多いアラスタバザールを訪れる。
 
5〜6世紀のビザンチン皇帝の宮殿であった当時の、非常に見事なモザイク舗道が残されていますモザイク博物館を見学。
 
ビサンチン帝国時代の大宮殿の中では、ある程度当時の姿をとどめている唯一の場所、海からの攻撃からコンスタンチノーブルを守るために造られた城壁の一部として、830年にテオフィロスによって建設された宮殿、ブコレオン宮殿跡を訪れる。
 
アヤソフィアににていることからなずけられた527年建造の教会、後期ビザンチン様式の八角形をしており、他の同時代の教会と同じく、後世にモスクとして改修された。ドームにはモザイク画が施されていることが有名な小アヤソフィアを訪れる。
 
19世紀までのトルコおよびイスラム諸国の美術工芸品を鑑賞でき、質・量ともに充実した絨毯のコレクションをはじめ、金属細工や精密画などのイスラム文化の逸品が揃うトルコ・イスラム美術博物館を見学する。
 
ベヤズット塔を建てたり、ギリシアの独立に結びつくアドリアノーブルの和訳を結んだスルタン・マフムット2世の霊廟では賑やかなディワン通り沿いのイスラム教墓地にあるマフムット2世廟を訪れる。
 
ベヤズット2世の時代に宰相であったハディム・アティック・アリ・パシャの命により、1496年に建設された中規模のモスク、ドーム外面の黒っぽい色調が印象的で、敷地内には18世紀に造られた噴水も残されているアティック・アリ・パシャ・ジャーミーを訪れる。
 
1493年に建てられており、絹商人のための休憩所や、商い中にラクダを休ませる場所などがあります。15世紀にさかのぼる美しく飾られた天井と迷路のような裏通りは、現在も素晴らしい状態で残されています。幸い、露店はそれほど古くなく、かつて売られていた奴隷の代わりに、現在は記念品、トルコの工芸品、伝統的な絨毯が売られていますグランドバザールを散策する。
 
ベヤズット広場の片隅にあり、カリグラフィーに関する小規模の博物館、建物はベヤズット・ジャーミーの神学校であった場所を利用しているカリグラフィー博物館を見学。
 
ベヤズット2世が1501−1506年にかけて建設したもので、イスタンブールにある最古のオスマン様式のモスクのベヤズット・ジャーミーを訪れる。
 
イスタンブール大学の構内にある塔で、当時は火の見やぐらとして使用されていた、1828年にマフムット2世により建設され、当初は木造であったが1926年に石で建替えられたベヤズット塔を訪れる。
 
大学の創設は15世紀にさかのぼるが、現在の建物は19世紀にフランス人建築家オーギュスト・ブルジョアの設計により、オスマントルコの軍事省として建設された、ベヤズット地域を象徴する印象的な建物のイスタンブール大学を訪れる。
 
1759−1763年にかけて、ムスタファ3世の命により建築家メフメット・タヒール・アーが建設したバロック様式のモスクのラーレリ・ジャーミーを訪れる。
 
1544年に亡くなったスレイマン大帝1世の長男メフメット王子を供養するために建てられたモスク、シェフザーデージャーミーを訪れる。
 
ローマ帝国時代の378年、バレンス皇帝の時代に造られた水道橋、ローマ帝国の自慢の水利システムでオスマン帝国時代まで都市に供給し続けたブアレンス水道橋を訪れる。
 
巨大なドームと4つの鋭い尖塔を持ち、金角湾の西岸にそびえ建ち、イスタンブールのモスクの中でも最も美しいモスクと言われています。1550〜1557年にオスマン帝国の黄金時代の有名な建築家シナンによって建てられたこのモスクは、丘の頂上にあって、中庭の四隅にそびえる4つの尖塔がその大きさを際立たせ、どこからでも人目を引きますスレイマニエ・ジャーミーを訪れる。
 
1561年にスレイマン帝の娘婿の宰相リュステム・パシャの命によって建てられたものです。みごとなイズニックタイルが、こぢんまりとして均整のとれた内部を飾っていますリュステム・バシャ・ジャーミーを訪れる。
 
イエニ・モスクの増築として、17世紀に造られました。当初は、外国のハーブや東洋のスパイスを売るだけでしたが、今日ではドライフルーツ、キャビア、ロクムも売られています。手工芸品からチーズまで、様々なものを売る人々で、マーケットを囲む通りは活気に満ちていますエジプシャン・バザールを散策する。
 
金角湾の河口に架かる旧市街と新市街を結ぶ橋、1845年に架けられたのが最初で、その後何度か架け直されたガラタ橋を訪れる。
 
1597〜1663年に建てられ、エミノニュの港を見下ろし、歴史の古いこの都市にやって来るフェリーや観光客を出迎えます。現在では優雅なドームやアーチはたくさんの鳩の住みかとなっています。目を見張るようなイズニックタイルがモスクのバルコニーを飾っていますイェニ・ジャーミーを訪れる。
 
22:00アンカラ特急寝台車でアンカラに向かう
5月1日7:30アンカラ駅到達、車でカッパドキアに向かう。
 
メレンディス川が峡谷を形作するまさにその北の入り口にあたるウフララ峡谷の入り口の村、セリメを訪れる。
 
ハサン山に端を発するメレンディス川が長い年月をかけて造り上げた全長16kmの大渓谷、周囲の荒涼としているのに対し、谷底だけは川の水のおかげで緑潤う別天地となっている。付近は少なくとも新石器時代から人が住んでいて、ビザンチン時代には渓谷内にアーチアルト教会やユランル教会など多くの教会が造られたウフララ峡谷を散策する。
 
第二次世界大戦の頃まではギリシア風にシナソスと呼ばれていた街、実際に1924年まではギリシア系住人が多く暮らしていた石造りの家が並ぶムスタファパシャを散策する。
 
ギョレメの東6kmの場所にある町、中央にテメンニ・ウィッシング・ヒルという岩山がそびえているウルギュップを訪れる。
 
ウルギュップからのびる幹線道路から少し離れた場所にある町で、ゆるやかな斜面に宅地が広がり、ビザンチン時代に砦として利用された高さ70mほどの岩砦が位置するオルタヒサルを訪れる。
 
ウチヒサルからギョレメへとワインディングを下っていくと、南はウチヒサルの岩峰、北にギョレメ村やローズ・バレーを望むことができるギョレメ・パノラマを訪れる。
 
17:00ギョレメ内の洞窟ホテル到達、宿泊
2日9:30車で出発
 
ネブシェヒルから約20km、デリンクユの10km手前にある地下都市、公開されているのは4階までだが、迷路のような内部は十分に奥深く、いたるところにかつての住居や炊事場、貯留庫、洗濯場などの施設が残されているカイマクル地下都市を散策する。
 
ユルギュップ入り口の高台にある展望スポットで、親子岩と呼ばれる3本のキノコ岩で有名なエセンテペを訪れる。
 
ギョレメ村のはずれにある野外博物館、奇岩を掘って造られた礼拝堂や修道院、住居などの施設を公開している。この地方にキリスト教徒が暮らし始めたのは4世紀ごろ、彼らは迫害を受けながらも岩をくりぬいた教会や修道院を造って信仰を守った。その後キリスト教が国教となってからはこれらの教会も発展し、ドーム型の天井や立派なフレスコ画を持つギョレメ野外博物館を見学する。
 
ネブシェヒルからギョレメ谷の入り口にあたり、尖った2つの岩山を中心に、城下町のように家々が屋根を連ねているウチヒサール岩窟住居を訪れる。
 
バラの谷と呼ばれている渓谷で、テーブル状の岩山の山腹から麓にかけて奇岩の谷が裾を広げて、夕サンセット・ビューポイントのローズ・バレーを訪れる。
 
柱状の岩の上に2つ3つと帽子をかぶったような岩が乗ったカッパドキア特有の景色が見られる場所、凝灰石でできた岩はくりぬきやすく、かつては多くの修道士たちがここを隠れ家として使っていたパシャバー地区を訪れる。
 
テーブル状の山を背後に谷一面に妖精煙突がひしめき立ち、土の色がピンク色がかかっているためピンクの谷とも呼ばれているデブレント谷を訪れる。
 
 
3日10:00ホテル車で出発
12:05ネベセヒル空港出発
13:25イスタンブール空港到達、市内観光
トラムに乗ってカバタシュ下車
 
ドルマバフチェ宮殿のすぐ近くにあるモスク、スルタン・アブドゥルメジト1世の母で、マフムット2世の妃であるベズミ・アレムがドルマブフチェ宮殿の設計者であるニコゴス・バリアンに命じられて造らせたドルマバフチェ・ジャーミーを訪れる。
 
スルタン・アブドゥルメジット1世によって19世紀中頃に建てられ、ボスポラス海峡のヨーロッパ側の岸に沿って、海峡側を正面にして建てられた全長600メートルの宮殿です。56本の円柱と、750個のキャンドルがついた4.5トンの巨大なクリスタルシャンデリアのある広大なレセプション・サロンに、訪れた人はきっと目を見張る ドルマバフチェ宮殿を訪れる。
 
新市街の中心にあります。観光客の多くは見逃すようで、それほどにぎわっていません。南西の角には独立記念碑があるタクシム広場を訪れる。
 
タクシム広場から歩行者専用の大通りが始まります。このにぎやかな通りには店、レストラン、マーケット、バーが並んでおり、特に夜は混雑していますイスティクラル通りを散策する。
 
新市街のイスティクラル大通りで、ひときわ目立つアールヌーヴォー建築、10数店舗のレストランや市場、魚屋などが軒を連ねるアーケード。昼間からお酒を楽しむ人々も多い名物的な場所。また、マルマラ海に接するイスタンブールの海の幸を試したければ、クムカプがお勧め。鮮魚市場としても有名で、多くのシーフードレストランが集まるチチェッキ・パサージュを散策する。
 
活きのいい鮮魚が売られている魚市場、魚のほかに、野菜や果物、香辛料などがあるバルック市場を散策する。
 
イスティクラル通り周辺にいくつかある宮殿のひとつで、1912年に完成したカトリック教会の聖アンソニー教会を訪れる。
 
イスティクラル通りから小路を入ると、入り組んだ坂道の両側に雰囲気の良いレストランやカフェ、バーが立ち並ぶ一角があり、フランスの街角のような様相のフランス小路を通過する。
 
無敵を誇ったオスマントルコ軍の自慢の武器は大砲、その大砲工場の跡地でコンスタンチノーブルを占領したメフメット2世が建設した建物で、現在はミナール・シナン大学の文化センターになっているトプハーネを訪れる。
 
暴走しだしたイェニチェリ軍の廃止に成功したことを記念して建てられたモスク、現在の建物は、セリム3世の時代のものを1822−1826年にマフムット2世がアルメニア人建築家キルコル・バリアンに命じて再建したヌスレティエ・ジャーミーを訪れる。
 
トプハーネと大通りを挟んだ反対側の広場にある泉帝、1732年にマフムット1世によって建設されたが、その後、何度か建て直されているトプハーネの泉を訪れる。
 
斬新な塔は、都市のほとんどどこからでも見ることができます。エレベーターまたは数百段の階段を利用して上ると、頂上のバルコニーから市街を一望する素晴らしい景色が楽しめます。塔の最上階にはナイトクラブとレストランが、ふもとには美しいティーガーデンがありますガラタ塔を訪れる。
 
14世紀前半にカトリックのドミニコ会によって教会として建てられたのが始まりで、その後、移住者のためにモスクとして提供されたアラブ・ジャーミーを訪れる。
 
20:00ホテル到達、宿泊
4日8:00市内観光、トラムでシルケジ下車、
 
シルケジ駅を写真に収めてからフェリーでアジア市街地に向かう
 
シルケジ港出発
ウスキュダル港到達
 
旧・新市街からフェリーが頻繁に発着するアジアサイドの玄関口、イスタンブールの下町なエリアで庶民の生活がかいま見られるウスキュダルを散策する。
 
海岸から200mほどのボスボラス海峡上の小島にある塔で、別名、乙女の塔と呼ばれるクズ塔を眺望する。
 
歩いて南下してハイダルバシャ方面に向かう。
 
アナトリア方面の列車が発着するアジアサイドの起点駅、ドイツ人建築家が手かけたという駅舎の威風堂々たるたたずまいが印象的なハイダルパシャ駅を訪れる。
 
ハイダルパルシャ港からエミノニュに向かう。
 
エミノニュ港到達。
 
クルーズ艇でエミノニュ港を出発してボスポラス海峡をクルーズする。
 
海上からヌスレティエ・ジャーミー、ドルマバフチェ宮殿、ミフリマー・ジャーミー、19世紀、スルタン・アブドゥラズィズは、ボスポラス海峡のアジア側に、木蓮をたくさん植えた庭を中央に配した白い大理石造りの夢のように美しい宮殿を建てました。ここはスルタンの夏の別荘に使われ、外国からの賓客が訪れたときにも滞在先として使われました。フランス皇后ユージェニーも、ここに滞在した一人ですベイレルベイ宮殿、第2ボスポラス大橋のたもとに立つオスマン帝国時代の要塞、ヨーロッパ側のルメリ・ヒサルとともに西欧の艦隊を足止めしたことで有名なアナドル・ヒサル、ルメリ・ヒサル、第1ボスポラス大橋のヨーロッパ側の海沿いに建てられた白亜のモスク、アブドゥルメジト1世が、ドルマバフチェ宮殿と同じ設計者のニコゴス・バリアンに命じて建設させたオルタキョイ・ジャーミーを眺望する。
 
エミノニュ港到達、カドゥキョイ方面に向かう。
カドゥキョイ港到達。
 
ギリシア人が最初に居住し始めたという言い伝えのある港町、カドゥキョイを散策する。
 
カドゥキョイ港出発
エミノニュ港到達、
トラムでホテルに向かう。
 
16:25ホテル出発
 
19:25イスタンブール空港出発
5日00:40ドバイ空港到達、乗り換え
3:10ドバイ空港出発
17:20関西国際空港到達
 
今回の旅行、西アジア、中近東に足を運び、世界最大のショッピングセンターやテーマパーク、世界一高いビルなど次から次と、私たちの想像も及ばないような新プロジェクトを発表し、たった十数年で急激な進化を遂げ、ダイナミックに躍進する、今と未来を一望するアラビア半島に位置する7つの首長国からなるアラブ首長国連邦のアラビア湾岸の首長国、ドバイ。
 
ビザンチン、オスマンの2大帝国を通じ、ヨーロッパの中心的存在であって、宗教上もキリスト教、イスラム教の全盛期を見守り続けてきたトルコの黒海とマルマラ海を結ぶボスポラス海峡を隔ててヨーロッパサイドとアジアサイドにまたがる大都市、ヨーロッパサイドは観光地が集中する旧市街とビジネスの中心である新市街に分かれモスクや博物館が多数点在し、グルメやショッピングを楽しめるイスタンブール、東西100kmという広大なエリアには、さまざまな絶景スポットがあり、不思議に満ちたトルコの大自然を堪能できるカッパドキアを訪れました。
 
7泊8日の旅、未来都市有り、大自然有り、世界文化遺産有り、盛りたくさん楽しめました。
 
尚ドバイは最近急速に発展した都市、観光名所は少ないですが、高級ホテルに泊まり、高級料理を召し上がり、ブランド物を購入してセレブを味わい楽しむところですね。
 
一方トルコのカッパドキアは広大な大自然の中に文化遺産が存在し、イスタンブールではモスク、博物館の文化遺産が数多く点在し、グルメ、ショッピングも楽しめて盛りだくさんの国でお勧めです。
又トルコ人は日本人を友好的で、カッパドキアのギョレメ博物館では多くのハイスクールの女学生に囲まれ写真を撮影され、スター気分のような貴重な体験をしました。
皆さんもぜひ訪れてみてください。楽しいことが盛りたくさんのトルコ観光旅行でした。
 
 
 




























大阪市南エリア観光
2010年4月28日


大阪の南エリア、難波、心斎橋、堀江、日本橋、鶴橋方面の皆さんご存知の名所巡りして再確認してきました。
 
28日13:00天王寺集合、歩いて大阪市南エリアの名所見物しました。
 
地元で「愛染さん」と親しまれる勝鬘院は、聖徳太子が四天王寺を創建した際に置いた施薬院の跡。1594年(文禄3)に豊臣秀吉が再建した重要文化財の多宝塔は、大阪市最古の建造物。縁結びの霊木・樹齢数百年の愛染かつらも必見の愛染堂勝鬘院を訪れる。
 
国際交流のための情報、留学生をはじめ来阪・在住外国人向けに幅広く情報を提供する多言語対応のインフォメーションセンターを設置。海外の新聞・雑誌、国際交流・多文化共生に関する資料は自由に閲覧できる。コンサートや国際会議などに使える大ホール、最新の映像機器を備えた小ホールのほか、会議室、ギャラリー、レストラン、ホテルなども併設の大阪国際交流センターを訪れる。
 
神武天皇が、生島大神・足島大神を祭ったとされる大阪最古の神社。親しみを込めて、「いくたまさん」と呼ばれる。1585年(天正13)、豊臣秀吉の大坂城築城で現在地へ遷座。以来、本殿は幣殿とひとつの屋根で葺きおろし、その上に三つの破風を据えた、他に類例のない「生國魂造」という建築様式を継承。桃山時代の威風を現代に伝える。7月は大阪三大夏祭りのトップをきって、「いくたま夏祭」が行われる生國魂神社を訪れる。
 
1984年(昭和59)開場の、伝統芸能・文楽を中心とした公演を行う劇場。5階建てで、近代設備の整った753席の文楽劇場と、159席の小ホールがある。文楽の魅力は義太夫語りの鍛えあげられた声と三味線の奥深い音色、そして優美に表現する人形が織りなす世界だ。ほかに上方歌舞伎の復興を目指した歌舞伎公演や舞踊、邦楽、大衆芸能、民俗芸能などの公演を行っている。併設の展示室では企画展も行う国立文楽劇場を訪れる。
 
地下鉄四つ橋線なんば駅から堺筋線日本橋駅まで東西に約800m延びる大地下街。1970年(昭和45)「虹のまち」として開業し、1994年には名称を「なんばウォーク」としてリニューアル。北と南側の2本平行に並ぶ通りには約250店が軒を列ね、クジラ像が置かれたクジラパークや噴水広場など、憩い空間も各所に設置されているなんばウォークを通過する。

「ナニワの台所」と呼ばれる市場。鮮魚店をはじめ、八百屋・飲食店など約170軒が並ぶ通りの総延長は580m。早朝から、多くの料理人たちが食材の仕入れにやって来る黒門市場を通過する。

履物の卸売り専門店が全長400mの通りに約60店舗並ぶ。サンダル、草履などの履物類のほかに、バッグや傘といった小物類も扱い、一般客も購入できる店もある日本橋御蔵跡履物問屋街を通過する。

電製品はもちろん、パソコン・オーディオ・携帯電話・照明器具などの専門店が200店ほど並ぶ。各店とも激安値を誇り、「勉強します」を合い言葉に、客と店側の値引き交渉などが繰り広げられる。近年ロボット関連の店も増加している日本橋でんでんタウンを通過する。

1889年(明治12)に大阪初の5階建て高層建築として誕生した五階百貨店がその名の由来。その後建物はなくなり、その名称と周りの店だけが残った。現在は中古家電や骨董品・着物などを扱う商店などが集中して並ぶマーケットエリアとしてその名が知られる五階百貨店を訪れる。

日本各地から新旧の伝統的工芸品(民芸)を集めて展示している。1950年(昭和25)に堂島に開館し、その10年後に現在地に移転した。陶磁器から漆器、染織など約8000点を収蔵。年4回展示内容が替わる日本工芸館を見学。

上方の演芸について、音声や映像を含めたさまざまな資料が揃えられている資料館。レッスンルームや小演芸場のほか305席のワッハホールを備え、各種イベントが催されている大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)を見学。

なんばグランド花月の南手に掲げられた、大きく「道」と書かれた真っ赤な看板が目印。この看板から南のなんさん通りまで約160m続くアーケード街。ここにはプロの料理人が使う調理器具、厨房設備、業務用の椅子とテーブル、看板などを扱う専門店が約50店舗並ぶ。もちろん一般客も気軽に利用できる。大阪の食文化には欠かせない、たこ焼やお好み焼用の道具類が大小さまざまに並べられていて、見て歩いているだけでも楽しい。ロウで作った食品サンプルを扱う店で、にぎりずしや野菜といったサンプルキーホルダーをおみやげに買って行く人も多い千日前道具屋筋商店街を通過する。

吉本興業のメイン劇場。若手からベテランまで、所属のタレントによる漫才・落語・吉本新喜劇などを公演するなんばグランド花月を訪れる。

道頓堀川の水辺に整備された遊歩道。戎橋〜相合橋の約250mを散策できる。個性的な店が集まるにぎわいと、活気のあふれる繁華街「ミナミ」を横断。夜はネオンが川面を彩り、美しい夜景をつくりだしているとんぼりリバーウォークを訪れる。

道頓堀川の北側、心斎橋筋の東側に当たる、ネオンも艶やかなミナミの大歓楽街。道頓堀の開削に功績を残した山口屋宗右衛門にちなんで命名された。戦前まで花街として栄え、今ではクラブやバー、割烹などの飲食店が多く並ぶ宗右衛門町を通過する。

ミナミの新しいランドマークとして注目される、八角形の建物が印象的な複合文化施設。1500人収容のスタンディングホール「なんばHatch」、イベント広場「プラザ」、レストラン・カフェなども揃う。道頓堀川の遊覧船の船着き場に隣接。道頓堀川の遊歩道に続く広場、地下鉄各線・近鉄・南海・JRの駅に連絡する地下通路もある湊町リバープレイス(みなとまちりばーぷれいす)を訪れる。

アメリカ村の西側に位置し、古くから家具の街として知られる立花通りは「オレンジストリート」と呼ばれ、若者たちに人気だ。ショップやカフェ、雑貨屋などがところ狭しと立ち並び、今や堀江のメインストリート。第2日曜に定期的に行われるフリーマーケットも楽しみのひとつ。新店舗が続々とオープンし、ますます目が離せないスポットの立花通りを通過する。

現在、大阪の若者の情報発信基地として、必ずその名があがる。御堂筋の西側、ビッグ・ステップを中心とする一帯をいい、路面点だけでなく、雑居ビルの中にも数え切れないほどさまざまなテナントが入っている。アメリカ村のそもそもの始まりは、1970年代初め、倉庫や駐車場が広がるこの地を活性化させようと古着などを売り出してからだ。ショップオーナーのこだわりのセレクトが若者の間で評判となり、一躍有名になった。巨大な壁画やビル上に立つ自由の女神像などに、個性を売り物にするこのエリアの気風が表現されているアメリカ村を訪れる。

アメリカ村の中心部に位置する御津公園は、その形状から別名三角公園と呼ばれ、昼夜を問わず多くの若者たちが集まる。待合せにも便利な場所な御津公園(三角公園)を通過する。

全身を赤でまとった通称「赤い人」で有名な、現代美術家・浜崎健氏のギャラリー。壁や床をはじめ、すべて赤で統一された館内では、オブジェなどの常設展のほか、定期的に特別展も開催。またギャラリーの2階に設置されたミュージアムショップには、浜崎氏のオリジナルTシャツをはじめ、生活の一部として役立つ作品の数々が、展示・販売されている浜崎健立現代美術館を見学。

1997年、地下鉄長堀鶴見緑地線の開通に伴い誕生した、全長730mの大地下街。西は四つ橋筋から東は堺筋までをつなぎ、ブティックや飲食店などが並ぶ。地下駐車場、地下鉄とも直結しているクリスタ長堀を通過する。

大阪人から「まっちゃまち」と親しみを込めて呼ばれる、天神橋南詰めから天王寺公園まで続く約4kmの通り。特に人形、玩具、駄菓子などの問屋が軒を並べる内久宝寺町〜末吉橋周辺の商店街が有名。正月の飾りつけの品々…と、シーズンを先どった商品を見て歩くだけでもおもしろい。本来は卸売問屋街だが、一般客への販売も行っているため、「信頼ある商品をお得な価格で購入できる」と多くの人で賑わいを見せる松屋町筋を通過する。

JR・地下鉄・近鉄鶴橋駅下に広がる鶴橋高麗市場。細く入り組んだ市場内には焼き肉用の肉やホルモン、キムチ、チヂミ、韓国餅、色鮮やかなチョゴリなど本場韓国の食材、衣装、小物雑貨などがひしめくように並んでいる鶴橋高麗市場を訪れる。
 
18:00終了。
 
今回は大阪市南エリアに点在する名所を歩いて巡り、再確認してきました。
社寺あり、歴史的建造物あり、現代ビルあり、有名通りあり、美術館あり、商売の町、大阪の歴史ある数々の問屋街等、盛りたくさん楽しめました。
 
19:00鶴橋で食事を済ませてから予定しているトルコ旅行のため関西国際空港に向かいます。
楽しみです。
 
 










ヨットセーリング・食事会
2010年4月25日


2年半ぶりにヨットセーリング、天候快晴、風10ノット、絶好のセーリング日和、16人の大所帯で活動。

9:00新西宮ヨットハーバークラブハウス集合、準備して
10:30出航、一文字付近をセーリング
11:30海上で昼食
12:30沖に向かってセーリング
14:00スピンでヨットハーバーに向かう。
16:00ヨットハーバー到達、あとかたずけして
17:30クラブハウス3階フリアンリーズでプチフランス料理で食事会
19:30終了、解散。

久々のヨットセーリング、16人の大所帯で、天候も良く、快適なセーリングを楽しむことが出来ました。

次回は6月予定しています。


神戸市灘&三ノ宮観光
2010年4月24日


先月に続いて近場の神戸灘&三ノ宮の名所巡りしてきました。

12:30車で阪神高速経由して土佐堀ランプ下車。
神戸を訪れる前に中ノ島の大阪国立国際美術館でルノアールの特別展示会を見学してから神戸に向かいました。80点のルノワール絵画を鑑賞しました。

14:00阪神高速魚崎ランプ下車。

魚崎郷にあり、秘伝の「もろみ仕込み」をはじめ、歴史ある酒造りの工程が見学できる。実際にもろみが発酵する音が聞けたり、香りをかげたりと、ユニークなコーナーが設けられている浜福鶴吟醸工房を訪れる。

住吉川沿いにたたずむ、文豪・谷崎潤一郎の旧宅。名作『細雪』は、この家で書かれたといわれる。応接室には谷崎作品のほとんどを揃え、自由に閲覧することができるほか、知人らに宛てた直筆の手紙なども展示されている倚松庵を訪れる。「倚松庵」の名は、最愛の妻・松子夫人にちなみ「松に寄りかかる住まい」の意味を込め命名されたもの。

阪急六甲駅のすぐ南、こんもりした緑に包まれた古社。社伝では、平清盛が福原に遷都した1180年(治承4)に京都・石清水八幡宮を勧請したことに始まるという。厄除けで知られ、1月18・19日には厄除大祭が盛大に営まれる六甲八幡神社を訪れる。

8万平方mの敷地で、約140種800点の動物を飼育する動物園。注目は、2000年7月に中国からやってきた2頭のパンダ。愛敬たっぷりのしぐさで親しまれている。インドゾウやコアラも人気の神戸市立王子動物園を訪れる。

神戸市内最大級の異人館。大阪鉄工所(現・日立造船所)を創設した英国人E・H・ハンター氏の旧邸で、1889年(明治22)ごろの建築。もとは北野町にあったが、1963年(昭和38)に王子動物園内に移された旧ハンター住宅を訪れる。

風見鶏の館のすぐ横、石段を登りつめた所にあり、風見鶏の館はもとより、神戸市街を見渡せる絶好の展望名所として有名。北野という地名も、この神社に由来するといわれている。その昔、平清盛公が京都の北野天満宮を勧請して建立したといわれ、学問の神様・菅原道真公を祀る北野天満神社を訪れる。

1931年(昭和6)に建てられた、旧北野小学校の校舎を利用した工房。館内の廊下の両側には、チョコレートショップのゴンチャロフやモロゾフをはじめ、パン・和菓子・靴など、「神戸ブランド」の21の工房が並ぶ北野工房のまちを訪れる。

その昔、清少納言や上田秋成も歌に詠み、『日本書紀』にも登場する由緒ある古社。繁華街に立つ朱色の鳥居が印象的。縁結び・商売繁盛・健康長寿・勝利勝運の神として人々に親しまれ、社の奥にある緑豊かな生田の森は市民たちの憩いの場。神戸の町の守り神として厚い信仰を集めている生田神社を訪れる。

華僑の厚い信仰を集める中国寺院。本尊は『三国志』で知られる蜀の武将関羽で、道教では武の神、財の神として崇められている関帝廟を訪れる。

17:00終了。

今回の近場の名所巡り、東灘から三ノ宮までのベイエリアの名所見物、概ね制覇できました。次回は三ノ宮から西方面のベイエリアを訪れたいと思います。





三重県鈴鹿&四日市観光
2010年4月21日


波穏やかな伊勢湾と黒潮洗う熊野灘に囲まれた1000kmに及ぶ海岸線を持つ三重県に足を運び、伊勢湾北部に位置するエリアで三重県の経済の中心地、四日市、アミューズメン施設が点在する鈴鹿を訪れました。

12:30車で第二京阪新名神自動車道経由して鈴鹿インター下車

鈴鹿山系の入道ケ岳の麓にあり、猿田彦大神を祭る大本宮。杉の古木に囲まれた境内には松下幸之助氏寄進の茶室もある椿大神社を訪れる。

湯の山温泉から標高1212mの御在所岳を結ぶロープウェイ。窓からは湯の山温泉街や四日市市街、伊勢湾を一望。春はツツジ、夏は納涼とアカトンボ、秋の紅葉(10月中旬〜11月下旬)、冬の美しい樹氷・氷ばくと、四季折々に姿を変える御在所岳の美しい自然が楽しめる御在所ロープウエイを訪れたが強風のため運休でした。

国際レーシングコースを中心にした、敷地面積205万平方mの総合レジャーランド。子ども(3歳くらいから)でも運転できる乗り物が充実した遊園地モートピア、プール、温泉施設のクアガーデン、ホテルなどがある。レーシングコースもサーキットカートで実際に走ることができる鈴鹿サーキットは以前何回か訪れたことがあるので今回は前を通り過ぎる。

鈴鹿の伝統工芸、伊勢形紙と鈴鹿墨の製造工程や作品を展示。伊勢形紙(重要無形文化財)は、着物の小紋などの柄を染めるときに用いる形紙。江戸時代に紀州藩の保護を受け、白子を中心に発展。現在、全国シェアの99%を占める。伊勢形紙と同様1000年以上の歴史がある鈴鹿墨は、鈴鹿おろしときれいな水に恵まれて受け継がれてきた。完成までに、半年以上かかるものもあるという。それぞれの完成までの流れをビデオで見学可の鈴鹿市伝統産業会館を見学。

四日市方面に向かう。

萬古焼の宣伝、技術開発、技能者養成などを目的に作られた施設。萬古焼は、江戸時代に沼浪弄山が窯を開き、萬古不易の印を押したのがはじまり。館内には茶器や花器など数千点が陳列され、陶芸教室や陶芸工房も併設しているばんこの里会館を見学。

四日市港開港100周年を記念して、霞ケ浦の埋め立て地に1999年(平成11)にオープンしたビル。地上90mの展望展示室からは、伊勢湾や知多半島までも見渡せる。夜景も美しい四日市港ポートビルを訪れる。

17:30終了。

今回は近場の三重県に足を運び、伊勢湾北部に位置するエリアで、鈴鹿サーキットといった名だたるマミューズメント施設や鈴鹿山脈の秀峰、四季折々の花が楽しめる自然の宝庫、御在所岳が位置する鈴鹿、三重県の経済の中心地、四日市を訪れ、自然、社寺、博物館等に接し楽しむことが出来ました。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十四弾:熊本県人吉観光
2010年4月17ー18日


九州の中央に位置する熊本に足を運び、約700年にわたって繁栄した相良藩の城下町、難攻不落といわれる石垣が残る人吉城跡、藩の御用蔵だった武家蔵や醤油蔵などが現存し、東西に走る日本三大急流の一つのである球磨川が存する人吉を訪れました。

17日14:05伊丹空港出発
15:15熊本空港到達、レンタカーで人吉方面に向かう。

17:00人吉到達。

1199年(正治元)改修後、相良氏700年の居住だった城跡。かつては繊月城と呼ばれた。現在は石垣を残すのみだが、石垣の上に長塀、角櫓、多聞櫓を復元。多聞櫓の中には天保時代の絵図(複製)等が展示されている。高台に立つ城跡からは、球磨川や人吉の町並みを一望。隣接して、地下遺構を保存・展示する人吉城歴史館もある。日本百名城の一つの人吉城跡を散策する。

18:00人吉駅付近の旅館到達後市街地を散策して食事を済ませてから床に就く。

18日5:30レンタカーで観光巡り。

人吉駅前広場にある、人吉城をイメージして作られたからくり時計。9〜18時の間に8回、約3分間、人吉地方の民謡にあわせて、9体の人形が、殿様の城下見学を表現し、8体の人形が勇壮な臼太鼓踊りを披露するからくり時計を見学。

人吉・球磨地方の宗社として信仰されてきた。阿蘇神社の分霊を勧請、806年(大同元)創建と伝わる。寄棟造の茅葺き屋根をのせた、重厚な楼門(重要文化財)は球磨民謡にも歌われている。神殿の彫刻には桃山建築の特徴もうかがわれる青井阿蘇神社を訪れる。

別名ゆうれい寺。迫力ある『ゆうれい掛軸』が常時開帳されていることで有名。寺を創建した実底和尚が、夜な夜な境内の池に現れる幽霊を描いたもので、これを幽霊に見せるとあまりの自分の醜さに驚き、以後現れなくなったと伝えられている。その池は寺の裏にあり、夏はスイレンが美しい。また、西郷隆盛が西南戦争の際に本陣として利用したことでも知られている永国寺を訪れる。

JR人吉駅から西人吉駅までの約3km間には6つの蔵が点在。人吉の伝統や文化を見ることができる。釜田醸造所のみそ・しょうゆ蔵は、昔ながらの製法の無添加味噌・醤油の製造工程が見学可能。繊月酒造の焼酎蔵では酒造見学ができる。築300年の武家屋敷が特徴の武家蔵、お茶の五木園のお茶蔵のほか、伝承蔵ではきじ馬や花手箱の見学・体験ができる。御用蔵では郷土料理の鮎や鯉、イノシシ料理も楽しめる九州相良蔵めぐりする。

日本三大急流の球磨川を川下りする。球磨村渡外園から球泉洞まで1時間30分で下る。

石灰岩が3億年という歳月をかけて浸食されてできた、九州最大の鍾乳洞。全長4.8kmのうち一般ルートは約1km。珍しい石柱や石筍など、自然が造り上げた造形を楽しめる球泉洞を訪れる。

椎原・久連子・葉木・仁田尾・樅木の5つの集落の総称。平家落人伝説を今に伝える山里。左座家、テーマ施設・平家の里は見学できる。梅の木轟公園吊橋からの眺望は抜群の五家荘を訪れる。

15:00熊本空港に向かう。
17:00熊本空港到達。
18:00熊本空港出発。
19:05伊丹空港到達。

今回の旅行3回目の訪れとなる九州の中央に位置する熊本に足を運び、日本三大急流の城下町、約700年にわたり相良藩の城下町として栄え、日本三大急流の球磨川が走る市内には今も城跡や御用蔵が残り、九州の小京都と呼ばれる風情がある人吉を訪れました。

三大急流の球磨川の川下り、九州最大級の鍾乳洞球泉洞の探索、歴史的建造物巡り、楽しめました。





滋賀県瀬田&大津観光
2010年4月14日


近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、県庁所在地の大津周辺の観光名所、源氏物語の紫式部ゆかりの石山寺エリアの観光名所を訪れました。

12:30車で第二京阪自動車道経由して石山インター下車

749年(天平勝宝元)に良弁僧正が開いた名刹。珪灰石(天然記念物)が露出した境内には、本尊の如意輪観音像(秘仏)(重要文化財)を安置する本堂(国宝)、1190年(建久5)に源頼朝が寄進した多宝塔(国宝)、桃山時代に再建された入母屋造の東大門(重要文化財)などの堂宇が並ぶ。本堂には紫式部が『源氏物語』を執筆したという源氏の間がある石山寺を訪れる。

歌川広重の浮世絵版画の中に描かれた近江八景「瀬田の夕照[せきしょう]」で知られる橋。古くから、東方から京都へ入る関所の役割を担う地で、軍事や交通の要衝であったことから戦場となり幾度も焼き落とされた歴史をもつ。現在の橋は1979年(昭和54)に完成したもので、旧橋の擬宝珠[ぎぼし]が欄干に取り付けられ、昔の面影を残している瀬田の唐橋を訪れる。

源義経の軍勢に敗れ、この地で討死にした木曽義仲を弔うために、義仲の側室だった巴御前が建てた草庵が始まりという。松尾芭蕉がたびたび滞在したことでも知られ、芭蕉と義仲の墓が並んで立つ。境内(史跡)には芭蕉の句碑もある義仲寺を訪れる。

長等山の麓にアトリエを構え、35歳の若さで亡くなった日本画家・三橋節子。館内では遺族や所蔵家から寄贈された収蔵品約70点のうち、近江の豊かな自然や歴史をテーマにした30数点を展示している。ガンで利き腕の右手を失った後、筆を左手に持ちかえて描いた『三井の晩鐘』は晩年の力作。定期的に展示替えを行う大津市立三橋節子美術館を見学。

686年(朱鳥元年)創建、1300年以上の歴史をもつ湖国を代表する名刹。正式には長等山園城寺と呼ばれ、当寺を建立したと伝えられる大友与多王は、壬申の乱で近江朝を率いて敗れた大友皇子(弘文天皇)の皇子にあたる。度重なる戦火に見舞われ焼失したが、徳川家康や豊臣秀吉の正室である北政所などにより復興された。本尊弥勒菩薩像を安置する金堂(国宝)をはじめ、家康が移築した入母屋造の仁王門(重要文化財)や三重塔(重要文化財)、天正年間(1573〜92)に建立された釈迦堂(重要文化財)など見所は多い園城寺(三井寺)を訪れる。

日本の東西交通の要衝として、古くから発展してきた大津市の歴史と文化をテーマにした博物館。城下町の膳所、延暦寺や日吉大社の門前町として発展した坂本など、大津市を地域ごとに6つのコーナーに分けて復元模型やイラストなどで紹介している。ほかに大津絵や浮世絵師・歌川広重の近江八景も展示。高台にあり、琵琶湖の眺望も楽しめる大津市歴史博物館を見学。

湖国三大祭のひとつ、大津祭を紹介する展示館。曳山、西王母山の実物大模型は迫力満点。また宵宮に始まり本祭の絢爛豪華な曳山の巡行で最高潮を迎える様子を、マルチスライドなどで鑑賞できる。全13基の曳山に仕掛けられたからくり人形の紹介も映像で楽しめる大津祭曳山展示館を見学。

17:00終了。

今回は近場の滋賀県の湖南に足を運び、667年、近江大津に都が遷されて以来、さまざまな歴史の舞台となってきた地、三井寺など全国に知られる古刹が点在し、江戸時代には東海道53番目の宿場町として繁栄した大津。

源氏物語の紫式部ゆかりの石山寺エリアの瀬田、芭蕉ゆかりの義仲寺のある膳所。

半日で滋賀県湖南の点在する寺社、美術館、博物館を訪れました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十三弾:佐賀県唐津&呼子観光
2010年4月10ー11日


東は福岡県、西は長崎県に接し、玄界灘と有明海の2つの海に面し、内陸は肥沃な平野が広がり、九州屈指の米どころ、酒どころとして知られている佐賀県に足を運び、玄界灘に面し、シンボルの唐津城や唐津湾沿いに100万本の老松がみごとなトンネルをつくる虹の松原がある唐津、呼子大橋や波戸岬から風光明媚な眺めを満喫することができ、名物イカもおいしい呼子を訪れました。

10日15:50伊丹空港出発
17:05長崎空港到達、レンタカーで大村方面に向かう。

波穏やかな大村湾に面し、空港を有する長崎の玄関口。玖島城の城下町として栄え、大村公園内の城跡には立派な石垣が保存されている。桜やハナショウブの名所でもあるほか、市内には武家屋敷や御成門など、名所旧跡が点在する。市街地や大村湾、雲仙まで一望できる琴平スカイパークからは、見事な夕陽も眺められる大村を散策する。

近くのホテル到達、市街地を散策後食事を済ませて床に就く。

11日5:00レンタカーで出発、長崎自動車道経由して唐津方面に向かう。

九州の尾瀬とも呼ばれる標高約600mにある湿地帯。県の自然環境保全地域で、春には氷河期残存湿地植物のミツガシワ、夏には食虫植物のミミカキグサなどが見られる湿原植物の宝庫だ。このほか、手つかずの自然には、約170種もの貴重な生物が生息。6〜8月には、体長約2cmの日本で最も小さいとされるハッチョウトンボや、オレンジ色の尾が美しいモートンイトトンボも見られる樫原湿原を散策する。

虹の松原の後方にそびえる標高284mの山。ここから佐用姫が大伴狭手彦の船出を見送ったと伝えられる。またその時、力の限り領巾を振ったという伝説から「領巾振山」ともよばれている。登山口の鳥居をくぐり山頂までは約5km、頂上に唐津湾や遠く壱岐まで一望できる展望台がある。周辺には芝生公園も整備され、地元で人気のドライブコースになっている鏡山を訪れる。

防風と防潮のため、初代唐津藩主の寺沢志摩守広高が植林した松林。静岡・三保の松原、福井・気比の松原と並び日本三大松原の一つに数えられ、国の特別名勝に指定されている。約5kmにわたって100万本のクロマツが群生し、夏場は海水浴に訪れる人で賑わう虹の松原を散策する。

唐津藩の初代藩主、寺沢志摩守広高が7年の年月を費やして1608年(慶長13)に完成させた。現在の天守閣は1966年(昭和41)に完成したもの。内部は郷土博物館で、古い絵図や武具、刀剣類などを展示する唐津城(舞鶴城)を訪れる。

唐津城三の丸の西側出入口にあたるこの場所が西ノ門路とよばれていたことから名が付いた。館内では唐津市内から出土された江戸時代の唐津焼などの出土文化財の展示や、若手作家中心の唐津焼の展示販売を行う唐津市西ノ門館を訪れる。

「唐津くんち」の主役である、曳山14台が収められている展示場。古いものでは文政2年(1819)に作られた赤獅子がある。数百枚もの和紙を重ねて漆を塗り、金銀を施した曳山は芸術品のよう。祭りを記録したビデオコーナーもある曳山展示場を訪れる。

旧藩主・小笠原家の菩提寺で、正面の山門は名護屋城中の門を移築したもの。江戸時代の浄瑠璃作家・近松門左衛門が幼少の頃にここで学んだといわれ、その分骨の墓石がある近松寺を訪れる。

九州のサーフィン発祥の地として有名。湊地区の海岸沿いに林立する巨石奇岩の中の一つで、高さは30m。2つの岩が寄り添うように立つ姿から夫婦岩の別名をもつ。オレンジ色に染まる夕暮れ時は美しい立神岩を訪れる。

海面から高さ26mの断崖に7つの巨大な洞窟が並んでいる海食空洞。長い歳月をかけて、玄界灘の荒波によって形成された。最も大きなもので間口3m、高さ3m、奥行110mほど。遊歩道を歩いていくと、玄武岩の柱状節理とともに、東松浦半島の雄大な絶景を一望できる七ツ釜を散策する。

呼子方面に向かう。

全長727.8mの呼子大橋で本島とつながる。海をぐるりと見渡せる風の見える丘公園、佐賀県最古の神社・田島神社、悲恋伝説のある佐用姫神社や天童岳など、自然と景色、伝説に恵まれた加部島を訪れる。

呼子と加部島を結ぶ、呼子大橋を渡ってすぐの場所にある公園。加部島の高台にあるため、玄界灘からはるか壱岐まで一望できるビュースポットだ。スペイン風の白い風車がシンボルになっている。レストハウスも併設。夜にはライトアップされる風の見える丘公園を訪れる。

加部島漁港に向かって鎮座する古社。海上安全や商売繁盛の神として親しまれている。創建時代は明らかではないが、平安時代の「延喜式神名帳」にすでにその名が登場。境内には県下最古の頼光鳥居や、恋愛成就の神として人気がある佐用姫神社もある田島神社を訪れる。

呼子町の特産物のほか、捕鯨基地として栄えた町の歴史を紹介する資料館。江戸時代の捕鯨船の模型や巨大な白長須鯨の解体作業中の写真、長さ2m30cmもある本物の一角鯨の角は見ごたえがある呼子観光物産館を見学。

豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し、加藤清正らに命じて1592年(天正20)に築城。総面積約17万平方mという当時大坂城に次ぐ規模ながら、わずか5カ月で主要部分を完成させた。名護屋城では茶会が盛んだったといわれ、周辺には草庵茶室跡や茶の湯に使った太閤井戸などが残る名護屋城跡を散策する。

豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点となった名護屋城の跡に隣接する。特別史跡「名護屋城並びに陣跡」の保存整備と、日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史を調査・研究・展示紹介し、学術・文化の交流拠点となることを目的としている。常設展示では、文禄・慶長の役に関する展示のほか、古代からの交流や江戸時代の朝鮮通信使に関する史料、発掘調査で確認された遺物などを展示。また、日韓交流史、佐賀県・唐津地域の歴史、朝鮮半島の文化などをテーマとした無料の展示会も随時開催している佐賀県立名護屋城博物館を見学。

松浦半島の最西北端に位置する、玄界灘に突き出た岬。広い芝生の上で寝転んだり、海水浴や釣りを楽しむこともできる波戸岬を訪れる。

1970年(昭和45)、日本初の海中公園地区に指定された玄海海中公園内にあり、陸地から86mの桟橋で結ばれたシルバーグレーの海中展望塔。海上デッキからは玄界灘の島々を見渡せ、水深7mにある海中展望室の24個のガラス窓から、海中を泳ぐ魚や熱帯海藻などを観察できる玄海海中展望塔を訪れる。

伊万里方面に向かう。

伊万里市との境にある棚田。限られた土地を有効に利用するため、傾斜した山に作られた水田で、春先は水が張られた景観が美しい。純天然水で有機米を栽培し、町内の販売所「ファームステーション四季ありた」で購入できる。「日本の棚田百選」に指定の岳の棚田を訪れる。

1825年(文政8)に建てられた陶器商人・犬塚家の土蔵造りの旧宅を修理復元した資料館。館内では古伊万里などを鑑賞できる。間取りは江戸時代の商家らしく間口約5.5m、奥行約14.8mと細長い構造で、贅沢な調度品や大きく取った収納棚から当時の繁栄ぶりがうかがえる伊万里市陶器商家資料館を見学。

17:00長崎空港に向かう。
18:30長崎空港到達。
19:10長崎空港出発。
20:20伊丹空港到達。

今回は2回目の訪れである九州の佐賀県に足を運びました。

前回は佐賀市を主としたエリアの観光でしたが今回は佐賀北部の唐津・呼子エリアを巡りました。

古く、唐(から:韓・唐)などの大陸との窓口(津・港)で、多くの生命を育む豊かな海、玄界灘を臨み、深く清らかな自然の山々に守られた地。優雅かつ雄厳な自然の神韻と、万葉の風・桃山文化の薫りを感じる、歴史浪漫に満ちたところの唐津。

春には唐津城の周辺に咲く桜に城下町を感じることができ、夏には数々の海水浴場で海遊びを満喫できる。「見帰りの滝」、「猪堀の滝」、「観音の滝」など自然豊かなスポットも存在。

また「イカ」をはじめとした新鮮な海産物の宝庫でもある。朝7:30から毎日続いている日本三大の朝市「呼子の朝市」も有名。玄海・相知・肥前町には美しい自然がそのまま残っている唐津・呼子観光でした。












京都市洛東観光
2010年4月7日


世界遺産であり定番の観光地、清水寺を中心とした京都市の洛東エリアの寺社巡りしてきました。

12:30車で京阪自動車道経由して
13:30京都の洛東に到達。

西国三十三ヵ所第17番札所。空也上人が951年(天暦5)に開いた西光寺を、上人の没後、弟子の中信が六波羅蜜寺と改名した。悪疫退散を念じて空也が刻んだという本尊の十一面観音立像(国宝)は本堂(重要文化財)に安置、12年毎の辰年に開帳される。宝物館には念仏を唱える姿の空也上人像(重要文化財)や平清盛像(重要文化財)など鎌倉時代の彫刻が収められている六波羅蜜寺を訪れる。

建仁寺の塔頭寺院。境内には平安初期の官僚で学者、歌人としても名高い小野篁が冥界へ通ったという伝説の井戸があり、閻魔大王像を祭る閻魔堂もある六道珍皇寺を訪れる。

江戸時代に蓮華光院が讃岐金比羅宮から勧請した鎮守社で、縁切りと縁結び、両方の御利益がある。新旧の絵馬700点が展示されている「金比羅絵馬館」には、手塚治虫氏が奉納したものもある。先代宮司の鳥居博愛氏の趣味が高じて作られた「ガラスの部屋」には、エミール・ガレ、ルネ・ラリック、アマリック・ワルターらの作品が展示されている安井金比羅宮を訪れる。

栄西が1202年(建仁2)、宋の百丈山にならって創建した臨済宗の寺院。栄西は中国から初めて茶の実を持ち帰った人物で、誕生日の4月20日には四ツ頭茶会が催される。単層入母屋造の方丈(重要文化財)は、1599年(慶長4)、広島の安国寺から移築されたもの。栄西が鴨川から引き上げたという鐘、勅使門(重要文化財)、俵屋宗達作の風神雷神図(国宝)(展示は複製)など、みどころが多い建仁寺を訪れる。

かつて平安京の南大通であった松原通が東大路通を越えた場所から始まる約1kmほどの清水寺への参詣道。人通りもあまりない静かな坂だが、五条坂・三年坂と合流するあたりからみやげ物店が軒を連ね、さらに上がると漬け物や八ツ橋などの京みやげの店がずらりと揃い、呼び込みも盛ん。門前には清水人形の店もある。坂の頂上に清水寺の仁王門や三重塔がそびえ立つ清水坂を通過する。

五条坂から分岐して清水寺へ向かう坂。陶芸ギャラリーや藍染工房などの趣味の店も徐々に増え、アート散策を楽しめる穴場だ。かつては清水焼の窯元が立ち並んだ場所であるため茶わん坂と名付けられ、坂の入口に石碑が立つ。古くは奈良時代の僧、行基がこの地で土器を作り、江戸初期に野々村仁清が華やかな色絵陶器を完成させた。坂の南には近藤悠三記念館が立つ清水新道を通過する。

清水の舞台で知られる。778年(宝亀9)、延鎮上人が音羽の滝の上に庵を結び、千手観音を祭ったのが始まり。798年(延暦17)、坂上田村麻呂が長岡京の旧紫宸殿を移築して堂宇を建造したと伝わる。断崖に立つ舞台造の本堂(国宝)は徳川家光が1633年(寛永10)に再建したもので、優美な寝殿造が踏襲されている。139本の柱が支える舞台からは京都市街を一望。三重塔(重要文化財)も同時期の再建。石段下には3筋の水が流れる音羽の滝があり、飲めば長寿、健康、学問に御利益があるといわれる。西国三十三カ所第16番札所でもある清水寺を訪れる。

清水寺本堂の北にある縁結びの神社。朱塗りの社殿(重要文化財)は1633年(寛永10)徳川家光が再建。境内にははらい戸大神、撫で大国など願かけの神様が揃い、本殿前の恋占いの石は目を閉じてもう一方の石に無事たどり着けば恋が成就するのだという地主神社を訪れる。

京都らしい風情を楽しめる散歩道の代表格。石段と緩やかなカーブを描く石畳の道沿いに、みやげ物店や食事処、料亭などが軒を並べている。清水坂から七味家本舗の脇を北に下る石段が三年坂で、名の由来は大同3年(808)にできたからとも、子安塔に安産祈願に向かう参道に当たるため産寧坂と呼ばれたからともいわれる三年坂(産寧坂)を通過する。

坂本龍馬や西郷隆盛、高杉晋作、木戸孝允など幕末維新に活躍した志士たちの遺品や遺墨を展示する資料館、霊山歴史館を見学。

維新の志士や大東亜戦争の戦没者の霊を祭る神社。坂本龍馬と中岡慎太郎の墓や、二人が並んだ銅像もあり、修学旅行生や維新の志士ファンがお参りに訪れる。参道の坂道は維新の道と呼ばれ、春は桜、秋はモミジが美しい京都霊山護国神社を訪れる。

豊臣秀吉の正室、北政所(ねね)が1606年(慶長11)に秀吉の菩提を弔うために開いた寺。創建当初は徳川家康の援助もあり、広大な寺域をもつ壮麗な寺であったが、度重なる火災に遭っている。桃山様式の創建当時の面影を残すのは、開山堂(重要文化財)と、須弥檀や厨子の高台寺蒔絵で名高い霊屋[おたまや](重要文化財)、伏見城から移した茶室傘亭(重要文化財)と時雨亭(重要文化財)、表門(重要文化財)、観月台(重要文化財)など。東山を借景にした小堀遠州作の庭園(名勝・史跡)も見応えがある高台寺を訪れる。

805年(延暦24)、桓武天皇の勅命で最澄によって開かれた。裏山を借景とした緑の深い庭園は、相阿弥作と伝える。1185年(文治元)に建礼門院が出家したことで知られ、わが子安徳天皇の御衣で作った仏幡や建礼門院像など、『平家物語』の世界が広がる長楽寺を訪れる。

京都・東山三十六峰の一つ、華頂山の麓に広がる浄土宗の総本山。法然上人が1175年(承安5)ここに居を構え、「南無阿弥陀仏」と唱えるとすべての人が救われるという念仏の教えを初めて説き、生涯を閉じた念仏の聖地だ。7万3000坪の広大な境内には、法然上人の御廟や2000人が一度に参拝できる御影堂、日本最大の三門など国宝や重要文化財の多くの伽藍が建ち並ぶ知恩院を訪れる。

知恩院の北側にある天台宗の門跡寺院で、粟田御所とも呼ばれる。応仁の乱を逃れたという門前の楠の大木が目印。平安末期に比叡山の東塔から移した青蓮坊がそもそもの始まり。代々親王が住職を務めてきた格式の高い寺である。1788年(天明8)の皇居炎上の際には後桜町上皇の仮御所となった。雅な建物は明治以降の再建。みどころは2つの庭園。華頂山を借景とした室町時代の相阿弥作池泉廻遊式庭園と、小堀遠州作の霧島の庭。春秋の特別公開時には、庭園の一角の茶室・好文亭で抹茶付きで鑑賞ができる青蓮院を訪れる。

八坂神社の境内に続く円山公園は、中央に池を配した和風庭園。園内には料亭や茶店、野外音楽堂の施設などが点在している。花見の名所で、なかでも祇園枝垂桜の名で知られる大樹は、毎年この花のために京都を訪れる人もあるという。現在の樹は二代目で、桜守としてしられる佐野藤右衛門氏と同じ1928年(昭和3)生まれ。春の宵、ライトアップされた夜桜とぼんぼりの灯で、園内は幻想的な桜色に浮かび上がる円山公園を。散策する。

四条通に面して立つ、日本最古の劇場。建物西側に歌舞伎発祥の地の碑が立つが、これは1603年(慶長8)出雲の阿国が四条河原でかぶき踊りを始めたことによる。1929年(昭和4)に改装。1991年(平成3)、外観はそのままに新装した建物は国の登録文化財に指定。毎年12月ごろに行われる吉例顔見世興行は京の年中行事の一つで、東西の歌舞伎役者が豪華な顔合せを見せる南座を訪れる。

八坂神社の西楼門の階段を降りて四条通を西へ100mのところに老舗のお茶屋・万亭(一力)がある。その西を南北に走る路。華やかな紅殻塗の壁や竹で編まれた犬矢来(駒寄せ)の一力近辺には、簾を垂らしたお茶屋が立ち並び、しっとりと洗練された佇まいを見せる。この一力は、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で大星由良之介(大石内蔵助)が高師直(吉良上野介)の目をくらますためにお茶屋遊びをする「祇園一力の場」としても有名な花見小路を通過する。

17:00終了。

今回の名所巡り、世界遺産で定番の観光地である清水寺を中心とした京都市の洛東エリアの寺社巡り、最近各地の歴史的建造物を訪れていますがさすが京都の歴史的建造物、あらためてスケールの違いを痛感、観光客も飛びぬけて多い京都寺社巡りでした。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十二弾:宮崎県北部観光
2010年4月3ー4日


今回は九州の南国、宮崎県に足を運び、話題の県庁とご当地グルメの宮崎タウン、日豊海岸に面しながら背後に山河を持つ、海と山両方の魅力が揃い、趣きある歴史のまちの延岡・日向、スピリチュアル度満点の神話の舞台の高千穂・日之影・五ヶ瀬を訪れました。

3日14:20伊丹空港出発
15:35宮崎空港到達、レンタカーで市内観光

115種1400点の動物を飼育する動物園。アフリカ園・アジアゾウ展示場・ラクダ園・類人猿舎などがあり、ヤギなどとふれ合えるこども動物村も設置。キリン・ダチョウ・シマウマを混合飼育しているのが珍しい宮崎市フェニックス自然動物園を見学。

黄泉の国から戻ったイザナギノミコトが、汚れを祓うために禊はらいをしたという池。シーガイアにほど近い市民の森公園の一角にあるみそぎ池を訪れる。

10世紀に編纂された延喜式神名帳に記された、日向四座のひとつでもある由緒ある神社。祭神は、イザナギノミコトとイザナミノミコトの江田神社を訪れる。

緑に囲まれた、宮崎県総合文化公園内にある美術館。ピカソやマグリットなど、世界的芸術家の作品を多数展示している。宮崎出身で日本前衛美術の先駆者、瑛九の作品も必見の宮崎県立美術館を見学。

狭野杉で作られた神明流造の社殿には、神武天皇とその父母を祭る。ここには神武東征以前、都が置かれていたとされる宮崎神宮を訪れる。

市街地や日向灘を見渡す、高台にある公園。高さ37mのシンボル平和の塔のほか、展望台やアスレチック広場、人工草スキー場、自然散策路などが点在している平和台公園を散策する。

太陽の光を浴びて輝く、宮崎らしい明るさに満ちた県政の顔
宮崎県庁を訪れる。

18:00県庁近くのホテル到着後、市街地を散策して食事を済ませてから床に就く。

4日5:30レンタカーで出発、延岡方面に向かう。

江戸から明治期にかけて関西地区との交易港として栄え、今も建物や土壁、石畳などに往時の面影を残す。旧回船問屋の日向市歴史民俗資料館、町家を利用した美々津軒、呉服屋だった美々津まちなみセンターは、内部見学可の日向市美々津重要伝統的建造物群保存地区を散策する。

日向灘に突き出た、柱状節理の断崖絶壁が続く日向岬。なかでも一番のみどころは、馬ケ背展望所から望む断崖絶壁で高さが70mもあり、そこからの迫力ある眺めは圧巻だ。岬の突端にある展望所までは歩いて5分。まさに馬の背のような遊歩道を進むと、そこからは日向岬のリアス式海岸と真っ青な海が広がり360度の展望が見渡せ、地球が丸いことを実感できる馬ケ背を訪れる。

馬ケ背から車で3分の場所にある展望台から見えるのは、巨大な岩礁が十字に切り裂かれた海。地元では昔から「十文字」と呼ばれていた。すぐ横にある岩場と合わせれば「叶」という文字にも見え、願い事をすると叶えられるという伝説があり、「願いが叶うクルスの海」と呼ばれることもあるクルスの海を訪れる。

1603年(慶長8)、初代藩主・高橋元種が築いた延岡城跡を整備した公園。日本三大ヤブツバキ群の一つとして知られる園内は、冬になると鮮やかな色合いの花が咲きほころぶ。重厚な北大手門をくぐると見えてくる高さ22mの苔むした石垣は、一つの礎石を外すとすべての石が崩れ落ちるといわれ、「千人殺しの石垣」と呼ばれている。丘陵頂上部の広場からは日向灘を一望できる延岡城址・城山公園を散策する。

延岡城西ノ丸跡地に立つ歴史資料館。旧延岡藩主内藤家が所蔵していた武具や甲冑、書や絵画など、延岡藩の歴史を伝える貴重な美術・工芸資料をはじめ、延岡市内の古墳や延岡城跡から出土した資料、明治〜昭和初期に使用されていた生活用具や農機具なども展示している内藤記念館を見学。

国指定遺跡の南方古墳群に隣接する、8.7haの植物公園。春は菜の花、秋はコスモスなど、四季折々に楽しめ、市民にも憩いのスポット。木製遊具コーナーや自然林の中を歩く遊歩道、芝生広場、大小の花壇、みかん園などがあり、ファミリーで遊ぶことができる延岡植物園を散策。

高千穂方面に向かう。

日之影川沿いの山間にひっそりと佇む、戸数7戸の静かな集落。今も田を守り、住民の生活の場でもある。記録が残っている中で最も古い石垣は、1854〜59年(嘉永〜安政年間)に築かれたといわれている。日本一を誇る高さ11mの石垣もあり、この景観は「日本の棚田百選」「遊歩百選」にも選ばれている、整然と組まれ、苔むした棚田に先人達の智恵と苦労が偲ばれる石垣の村 戸川地区を訪れる。

祭神は天照大神で、東本宮と西本宮からなる。西本宮側を流れる、岩戸川の対岸の中腹にあるのが天岩戸の天岩戸神社を訪れる。

天岩戸神社西宮の東約500mのところにある岩盤をいう。天照大神が岩戸へ隠れた時に、神々が集い相談したところとされる天安河原を訪れる。

阿蘇山の火山活動で噴出した溶岩を、五ケ瀬川が侵食して作った渓谷。高さ80〜100mもの断崖が、7kmに渡って続いている。一番のみどころは、御橋のすぐ上流にある日本の滝百選の一つ・真名井の滝周辺。17mの高さの岩肌を清流が滝に勢いよく落ちる様子は壮観の高千穂峡を散策する。

玉垂の滝の湧水を利用し、五ケ瀬川水系に生息するヤマメやドンコ、チョウザメから、ブラジル、アフリカ諸国の淡水魚約100種を展示する高千穂淡水魚水族館を見学。

今から約1900余年前、垂仁天皇の御代の創建と伝えられる神社で、高千穂八十八社の総社。鎌倉時代後期の作と伝えられる社宝の鉄造狛犬一対(重要文化財)や、拝殿脇の奥まったところにある本殿の彫刻は必見の高千穂神社を訪れる。

戻って西都方面に向かう。

西都市街の西方にある古墳群(特別史跡)。東西2km、南北4kmに及ぶ台地に311基もの古墳が点在している。なかでも有名なのが、ニニギノミコトの御陵とされる男狭穂塚と、その妻のコノハナサクヤヒメの御陵とされる女狭穂塚。男狭穂塚は墳長175mで後円部の高さ18mの列島最大の帆立貝式古墳。女狭穂塚は墳長180mで後円部の高さ15mで、九州では最大規模。どちらも宮内庁の管轄で立ち入り禁止となっている。鬼の窟は国内で唯一完全な形で残っている横穴式石室古墳で、中に入ることができる。古墳群一帯は公園として整備され、菜の花・桜・ミツバツツジなどの花の名所でもある西都原古墳群を散策する。

西都原古墳群内にある博物館。景観を損なわないように建てられており、館内には子持家形埴輪や船形埴輪の複製をはじめ、宮崎県内から出土した考古資料など約300点が展示されている宮崎県立西都原考古博物館を見学。

木花開耶姫を祭る神社。高天ケ原[たかまがはら]から降りてきた瓊瓊杵命が姫を見初めたことから、縁結びの神として、またこの姫が3つ子を無事出産したことから安産の神としても知られる都萬神社を訪れる。

17:00終了、宮崎空港に向かう。

17:40宮崎空港到達、
19:10宮崎空港出発
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、南国九州の宮崎県に足を運び、宮崎のメインストリート、話題の県庁など宮崎の魅力が凝縮されたホットなエリア、宮崎タウンと大小311基もの古墳群や、神話ロード記紀の道など神秘的な古代ロマンあふれる町、西都。

県北最大の都市、海川山の幸に恵まれている延岡と雄大な太平洋を望む日豊海岸国定公園内にあり、景勝地が多い日向。

天岩戸や高天原などの神話に登場する地名が今も残る神々のふるさとと躍動的かつ神秘的な渓谷美をいろんな角度で楽しめる高千穂をレンタカーでくまなく訪れました。

宮崎県の北部エリア、神話的歴史建造物、雄大で美しい自然の景観、十分楽しむことが出来ました。

尚桜のシーズンで当日は訪れたエリアの桜はほとんどが満開で、同時に桜見物も楽しめました。
特に西都原古墳群公園の桜は本数といい、色鮮やかといい、最高の桜名所でした。