飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十八弾:富山県高岡・氷見・砺波観光
2010年5月29ー30日


雄大にそびえる立山連峰と国内最深の富山湾、それらが育む豊富な食材の数々、自然と味覚の宝庫、富山県に足を運び、城下町で千本格子や土蔵造りの町並みの高岡、キトキトの本場で海の幸を味わえる氷見、チューリップの砺波、自然美豊かな庄川、彫刻で有名な井波を訪れました。

29日13:14大阪駅サンダーバードで出発
16:53高岡駅到達、高岡市街地散策

奈良、鎌倉と並んで有名な、大仏寺(尼寺)所有の大仏。創建は1745年(延享2)だが、幾度かの焼失を経て現在の大仏は1933年(昭和8)に建立された銅造阿弥陀如来座像。総高15.85m、総重量65トン、4.54mの大円輪光背がそびえる堂々とした姿は、高岡銅器職人の傑作といえる。歌人・与謝野晶子が「鎌倉大仏より一段と美男」と誉めたたえたことでも知られる。台座下に設けられた回廊には、1900年(明治33)の火災に焼け残った先代の木造大仏の尊顔を安置している高岡大仏を訪れる。

加賀藩2代藩主前田利長が1609年(慶長14)に築城した高岡城。その城跡21万平方mを1875年(明治8)に整備。全面積の3分の1が水濠という、全国でも珍しい水濠公園の高岡古城公園を散策する。

金屋町は加賀藩2代藩主・前田利長公が、1611年(慶長16)に鋳物師7人を招いて工場を開かせた高岡鋳物発祥の地。金屋町通りには千本格子の家並みと、銅片の敷き込まれた石畳が美しい佇まいを見せている金屋町通りを散策する。

高岡の基礎を築いた3代藩主前田利常が前田利長の菩提寺として1663年(寛文3)に建立した曹洞宗の巨刹。総門、山門(国宝)、仏殿(国宝)、法堂(国宝)が一直線に並び、回りを300mの回廊で結んだ典型的な禅宗伽藍形式。仏殿は鉛で屋根を葺いている瑞龍寺を訪れる。

19:00高岡駅付近のホテル到達、市街地散策後食事を済ませてから床に就く。

30日5:00レンタカーで出発、小矢部方面に向かう。

子撫川沿い、約6kmにわたって続く景勝地。滝や12体のブロンズ像が点在。親水公園での水遊び、渓谷を望む宮島温泉と多彩な楽しみ方ができる。ロックフィル式の子撫川ダムには小さな公園があり、その昔龍が住んでいると恐れられた龍宮淵も今は公園に。小ナイアガラとよばれる一ノ滝がある宮島峡を散策する。

養老2年(718)創建と伝えられる名刹。木曽義仲が倶利伽羅合戦の戦勝を祈願して以来、武将の崇敬を受け、前田利長や佐々成政から社領を寄進された。義仲戦勝祈願書、武田信玄書状などを社宝とし、境内入口には、義仲の騎馬像と源氏軍が鳩の案内で得たという名水がある埴生護国八幡宮を訪れる。

ヨーロッパや日本の有名建築をモデルに造られ、市内に35棟点在。すべて公共施設として使われている。荒川公民館の場合、本体はバッキンガム宮殿、塔屋はノートルダム寺院を模している。また、ベルサイユ宮殿などの外観を取り入れた中学校もあり、見ているだけで楽しいメルヘン建築を訪れる。

総面積115haの広大な森林公園。約20kmにも及ぶ遊歩道をたどれば、四季折々の山野草や小動物にめぐり合える。水生植物園には600品種70万株の花菖蒲が育てられており、毎年6月中旬には花しょうぶ祭りを開催。森林の役割、効用を学べる森林科学館もある県民公園頼成の森を訪れる。

鉢伏山の標高433mの場所に建てられた展望台。眼前に広がる砺波平野には、カイニョと呼ばれる屋敷林に包まれた家々が、平野一帯に点々と散らばり、典型的な散居集落を形作っている散居村展望台を訪れる。

明治42年(1909)に建設された中越銀行を砺波チューリップ公園の敷地内に移築した資料館。砺波市の文化財に指定されており、特に小杉町出身の鏝絵職人、竹内源造氏の鏝絵や、和紙に唐草模様を浮き彫りにした金唐革紙張りの天井には目を奪われる砺波市立砺波郷土資料館を見学。

4月下旬〜5月上旬、となみチューリップフェアを開催。広さ約7haの広い敷地で、約450種100万本以上のチューリップが咲き競う。公園中央のチューリップタワーからは、眼下に色とりどりの花畑を一望可。直径5.5m、日本最大級の五連揚水水車では、水力を利用してからくり人形が砺波子供歌舞伎を演じる。散居村の形態を写真などで紹介する砺波郷土資料館、昔の農家住宅を移築した旧中島家住宅などもある砺波チューリップ公園を散策する。

花に関する情報を総合的に提供している植物園。四季ごとの花々が美しいモデル花壇やバラ花壇、年間を通じて洋ランや亜熱帯性植物が鑑賞できる展示温室があり、花の香りに包まれてのんびりできる。早春から春にかけては、200品種のスイセンが咲き誇る富山県花総合センター(エレガガーデン)を散策する。

高さ36mの大噴水を囲んで、特産の木工品の展示・販売施設などが並ぶ公園。庄川水資料館では、昭和初期まで行われていた流木作業の様子や利水の歴史を紹介。松村外次郎記念庄川美術館では、庄川出身の彫刻家・松村外次郎の作品を見ることができる。庄川挽物の展示・販売、特産のゆず製品も販売する庄川ウッドプラザや足湯もある庄川水記念公園を散策する。

日本の優れた工芸作品、ロベール・ドアノーなど世界の写真家の作品をはじめ、地元出身の日本画家、下保昭や洋画家、清原啓一ほか郷土作家の作品も展示する砺波市美術館を見学。

温室による温度調節で、一年中チューリップの花が観賞できる施設。また、日本にチューリップが伝来して品種改良が行われてきた歴史をパネルで紹介しているチューリップ四季彩館を訪れる。

井波、城端方面胃向かう。

1946年(昭和21)、板画家・棟方志功が疎開のために一家で移り住み、1951年(昭和26)まで創作活動を行った愛染苑。館内には「紫袂の柵」「四天雄飛の図」など、この地で彫った作品を数多く展示している。民芸館・青花堂では、河井寛次郎の陶芸作品も見られる。住居兼アトリエの鯉雨画斎も公開する棟方志功記念館愛染苑を見学。

1471年(文明3)創建の浄土真宗の寺。蓮如の書画、数珠などゆかりの品々を所蔵。また、棟方志功が戦時中この寺に疎開した際、華厳松などの襖絵を残している。浜田庄司、河井寛次郎の焼き物のほか、世界の民芸品も展示する光徳寺を訪れる。

日本画家の石崎光瑶、板画家の棟方志功、彫刻家の松村秀太郎など、福光ゆかりの作家の作品を常設展示している南砺市立福光美術館を見学。

1390年(明徳元・天中7)、本願寺5世綽如上人が浄土真宗の布教の拠点として創建。何度かの焼失を経て、現在の本堂は1886年(明治18)に再建されたもの。間口46m、奥行43mの単層入母屋造。大きさは全国で4番目ともいわれる建物だ。このほか井波彫刻の技術の高さを見ることができる太子堂、山門、式台門、文化財修復中の太鼓堂・台所門・太鼓堂など北陸随一の伽藍を誇る。宝物館では、瑞泉寺の発展や歴史を感じさせる法宝物を展示する瑞泉寺を訪れる。

瑞泉寺の山門。間口20.3m、奥行15.5m、高さ17mの総ケヤキ重層伽藍造。1801年(享和元)、京都の大工・柴田新八郎によって再建された。正面の竜の彫刻は、京都の名工・前川三四郎によるもの。2階天井には、岸派森間材(寒峯)作の『天女と瑞雲』が描かれている。花紺青(顔料)を使い鍮泥地技法により描かれたという国内でも珍しいもの。山門楼上全体は日光東照宮陽明門など数例という、鉄漿染が施されている。富山県重要文化財の山門[瑞泉寺]を訪れる。

瑞泉寺の式台門(勅使門)。南北朝時代の北朝の天皇、後小松天皇(在位1382〜1412)の勅願所だったことから、門扉に菊の紋章がある。扉の両脇には、前川三四郎の弟子で井波彫刻の祖・番匠屋七左衛門の代表作、獅子の子落としが彫られている。2005年(平成17)の蓮如上人500回御遠忌・浪化上人300回忌大法要の記念事業として、約200年前の姿に復元された式台門(勅使門)[瑞泉寺]を訪れる。

瑞泉寺の太子堂。1918年(大正7)再建。後小松天皇から下賜されたと伝わる、聖徳太子像を安置している。特に堂宇の籠彫り彫刻は必見の太子堂[瑞泉寺]を訪れる。

井波彫刻の発祥から現代まで、優れた彫刻作品を200点以上展示・販売。井波彫刻は瑞泉寺の再建時、京都本願寺の御用彫刻師前川三四郎から井波拝領地大工が技法を学んだことに由来。作品は楠やケヤキなどを材料に荒彫りから仕上げ彫りまで、200本以上のノミ、彫刻刀を駆使して仕上げる井波彫刻総合会館を見学。

全長2km、幅200mにわたって広がる十二町潟は、大伴家持が万葉集で布施の海と詠んだところ。潟の一帯は公園になっており、オニバスを植栽した池がある十二町潟水郷公園を散策する。

浄土真宗大谷派の寺。蓮如上人が1471年(文明3)に加賀で開山し、1559年(永禄2)に城端へ移転。境内には龍の彫刻を施した山門や鐘楼などが並ぶ。本尊の阿弥陀如来像は行基の作とされる城端別院善徳寺を訪れる。

城端別院善徳寺の式台門。東本願寺勅使門に模して1850年(嘉永3)に建造。門扉飾りの菊花の大紋章と、緻密な彫刻が特徴の式台門[城端別院善徳寺]を訪れる。

豪華絢爛な曳山を、四面ガラス張りの室内に展示。彫刻・金箔・漆塗りの粋を極めた屋形式二層人形山曳山3基、京都祗園の一力茶屋を模した風流な庵屋台3基、傘鉾などが並ぶ。館内には祭り囃子とともに江戸情緒あふれる端唄が流れ、曳山に提灯が灯った夜の情景を演出。ビデオで、城端曳山祭(重要無形民俗文化財)の様子も見ることができる城端曳山会館を見学。

豪商の4つの蔵を復元して回廊で結んだ博物館で、城端曳山会館に併設している。展示品には、1693年(元禄6)に制作された元禄品々帳とよばれる戸籍簿9冊のほか、城端蒔絵、城端焼などがある土蔵群・蔵回廊[城端曳山会館]を見学。

北の日本海方面、氷見に向かう。

国内外の約300種類の海浜植物が揃う植物園。温室には日本一の規模を誇るマングローブの再現林のほか、ヤシ類やハイビスカスなど、お馴染みの熱帯植物が植えられている。4階にある全面ガラス張りのスカイラウンジからは、青く広がる海が一望できる氷見市海浜植物園(アロマガーデン)を訪れる。

氷見市教育文化センター内にある博物館。氷見地域を中心とする歴史・考古や民俗分野の資料を展示している。大境洞窟ジオラマや明治期の民家や民具のほか、大敷網模型や漁撈具、富山県内で最も古い藁網、井戸側に転用された中世の丸木舟なども見学可。氷見の獅子舞コーナーでは実物と写真で氷見獅子を紹介、農家を移築した民家の中では「氷見弁」で語りかけてくる仕掛けもある氷見市立博物館を見学。

東の射水方面に向かう。

古代・中世から栄えた、射水地域の歴史と伝統文化を紹介する博物館。この地に生まれた江戸時代の測量学者・石黒信由以下4代が使った、測量術・天文暦学などに関する高樹文庫資料(重要文化財)1万2000点余りを所蔵。常時約100点を展示している。地元出身の陶芸家で、人間国宝の石黒宗麿の作品も必見の射水市新湊博物館を見学。

17:00高岡駅到達。
18:09高岡駅サンダーバードで出発
21:22大阪駅到達。

メジャーな観光名所、黒部、宇奈月などが富山県の東に位置し、今回の旅行は比較的マイナーな富山県の西部エリア方面に足を運びました。

加賀藩二代藩主・前田利長によって開かれ、城下町として発展し、鋳物で知られる金屋町と土蔵造りの家々並ぶ山町筋の歴史を感じさせる町並みが残る高岡。

全国有数の漁獲高を誇る氷見。

北陸有数の港町、新湊(射水)。

色とりどりのチューリップ、独特の景観、カイニョと呼ばれる屋敷林と伝統的家屋のアズマダチも特徴的は散居村の砺波。

井波別院、瑞泉寺の門前町として開かれ木彫りの里として有名な井波。

城端別院善徳寺の門前町として開かれ、城端曳山祭りやむぎや祭など伝統ある行事を今に伝え、昔風情の町家が並ぶ西町通りや古い蔵が連なる小路のある城端。

一泊二日でドライブ観光、富山県の西部エリアをほぼ制覇しました。
















兵庫県明石観光
2010年5月26日


日本標準時の基準となる東経135度の子午線が通り、タコ、鯛で全国的に知られる明石を訪れました。

12:30車で阪神第二神明を経由して大蔵谷インター下車
13:50明石到達

明石城跡に造られた県立公園で、敷地面積は55万平方mにも及ぶ。明石城は1619年(元和5)、徳川家康の曾孫にあたる小笠原忠真が築城。明治維新で大半は取り壊されたが、白亜の巽櫓(重要文化財)と坤櫓(重要文化財)が残されている。2000年春には両櫓を結ぶ土塀を100年ぶりに復元、美しい姿が蘇った。一帯は桜や紅葉も美しく、野球場やテニスコートなどもあり、市民の憩いの場として親しまれている明石公園を散策する。

「明石の歴史と文化」をテーマに、太古の昔から現代までの明石の歩みを8つのコーナーで紹介。「明石のあけぼの」コーナーでは、200万年前のアカシゾウの骨格模型を展示。明石原人と考えられている骨の謎にも迫っている明石市立文化博物館を見学。

東経135度の日本標準時子午線上に立つ。高さ54mの塔は日本標準時子午線の標識で、明石のシンボル。展望室からは明石海峡大橋をはじめ、360度の眺望が楽しめる。プラネタリウムでの星空も人気の明石市立天文科学館を訪れる。

万葉歌人・柿本人麻呂を祭り、「人丸さん」の通称で親しまれる防火や安産・縁結びの神。境内には人麻呂の歌碑が立つ。山上にあり、境内前庭からは明石海峡が一望できる柿本神社を訪れる。

舞子方面に向かう。

明石海峡大橋の橋げた内部の展望施設。海面から約47mの高さに、回遊式遊歩道や展望ラウンジなどがある。舞子側から一番せり出した展望広場は陸地から150mも離れた海上にあり、ガラス張りの床から海面をのぞくことができる。スリルを体感したい人には、「海上47mの丸木橋」がおすすめの舞子海上プロムナードを訪れる。

明石海峡大橋を中心に、巨大な橋を作る技術を模型や映像、写真などで紹介する。200インチの大型スクリーンで見る3D映像は迫力満点の橋の科学館を見学。

1915年(大正4)に中国人実業家の呉錦堂が建てた別荘で、中国革命の父と仰がれる孫文(孫中山)と神戸の関わりを中心に、著作や遺品などの資料が展示されている孫文記念館(移情閣)を見学。

垂水方面に向かう。

4世紀後半に築造された、全長194mの兵庫県下最大の前方後円墳。明石地方を治めた豪族のものと推定されている。葺石や円筒埴輪などを使って、当時の姿を復元。古墳上からの瀬戸内海、淡路島、明石海峡大橋などの眺めは抜群の五色塚古墳を訪れる。

〜5世紀ごろの創建。航海安全、漁業の神として信仰が厚い。毎年10月12日には、神輿をのせた20数隻の船が海上をめぐる「海上渡御祭」が行われる海神社を訪れる。

紀伊水道まで見渡せる海釣り公園。釣り場は東西1400mと広く、四季を通じてさまざまな魚が釣れる神戸市立平磯海づり公園を訪れる。

JR・山陽塩屋駅の山側はジェームス山と呼ばれ、英国人貿易商のアーネスト・ウィリアム・ジェームス氏が、外国人住居住宅として昭和初期に建てた、50軒ほどの洒落た洋館が点在する。ヨーロッパの都市で見られるシンボルのライオン像や、赤い洋瓦、ピンクの壁がひときわ目立つスペイン風の洋館・旧グッデンハイム邸、円型展望塔がある旧ジェームス邸などが有名。北野の異人館とは違い、今も住宅として外国人の親睦の場として利用されており、異国情緒漂う街並みを、のんびりと散策してみるのも楽しい塩屋異人館街を訪れる。

プロ野球が観戦できる野球場や、陸上競技のメッカ「ユニバー記念競技場」、国内外のスポーツ競技が行われる「グリーンアリーナ神戸」などが集合する神戸総合運動公園を散策する。

神戸総合運動公園にある陸上競技場。収容人数は4万5000人。1985年(昭和60)開催のユニバーシアード神戸大会のメイン会場だった。現在は陸上競技や各種球技大会に使用されるほか、2006年「のじぎく兵庫国体」では開閉会式、陸上競技、サッカー会場として利用されたユニバー記念競技場を訪れる。

神戸総合運動公園にある球場で、オリックスの本拠地。グラウンドレベルで観戦できるフィールドシートもあり、大迫力の野球が楽しめる。定期的に花火ナイターもあるスカイマークスタジアムを訪れる。

17:00終了。

今回の近場の名所巡り、日本の標準時の基準となる子午線が通っていることでも有名で、1998年に舞子浜に世界最大の吊り橋が開通して以来、この地域は淡路島および四国への玄関口になっている明石。

明石海峡大橋の玄関で、たもとには松林が美しい舞子公園がある舞子。

須磨と共に夏には多くの観光客が訪れ、京阪神から最も近い海水浴場がある垂水。

半日で明石・舞子・垂水に点在する名所を訪れました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十七弾:東京都奥多摩観光
2010年5月22ー23日


1893年に神奈川県から東京都へ移管され、23区とともに都市化が進み、いまや都心で働く人のベットタウン、一方で、高尾山をはじめとする山々や武蔵野の雑木林、多摩川の清流、美しい渓谷などの自然にも豊かに残す、希少な地域である多摩エリアに足を運び、東京都の西部にあり、山野の風景や清流のせせらぎなど、豊かな自然に出会えるエリア、そんな大自然を満喫できる奥多摩を訪れました。

22日13:17新大阪新幹線のぞみで出発、新横浜で横浜線に乗り換え
17:00八王子駅到達、レンタカーで八王子周辺の史跡巡り。

室町時代に築かれた、片倉城の城跡を公園として整備。水車小屋や二の丸広場があり、市民の憩いの場となっている。花も多く、特に3月下旬のカタクリは有名。6月には菖蒲が咲き乱れる。園内には、国会議事堂内に設置されている「板垣退助像」や長崎の「平和祈念像」の作者として知られる、彫刻家・北村西望の作品などが点在する片倉城跡公園を散策する。

幕末から明治にかけて、八王子から横浜へ生糸を運んだ道。大塚山公園付近は、林の中を昔ながらの峠道が通っている。鑓水商人の屋敷跡には絹の道資料館があり、幕末の村の様子が記載されている村明細帳などの資料を展示。屋敷の石垣も、一部復元されている絹の道を訪れる。

19:00八王子駅付近のホテルに到着後、市街地を散策し、食事を済ませて床に就く。

23日5:00レンタカーで出発。

高尾方面に向かう。

戦国時代の末に北条氏の支城として築城。城内に八王子権現を祭ったことから八王子城とよばれ、それが八王子の地名の由来になった。城主は北条氏照。険しい山中に築かれた城だったが、1590年(天正18)に豊臣軍によって1日で落城したという。現在、山麓には御主殿跡と再現された曳橋、山頂には本丸跡や八王子神社があり、曲輪・馬場道跡・井戸などの遺構も点在。「日本100名城」の一つに認定の八王子城跡付近まで訪れる。

天狗が棲むという修験道の道場で、奈良時代、行基によって開山。古くからの森がよく守られ、貴重な自然が残されている。北斜面にイヌブナなどの落葉広葉樹、南斜面にカシ類が中心の常緑広葉樹が見られ、多種の植物・野鳥・昆虫を観察可。標高599mの山頂からは、富士山や丹沢・奥多摩の山々、新宿新都心の高層ビル群も眺望できる高尾山を訪れる。

奥多摩方面に向かう。

創業200年の歴史をもち、清酒千代鶴で知られる中村酒造が併設する酒の資料館。1884年(明治17)建築の酒蔵の中には、伝統の道具が並び、日本酒造りの工程も解説する千代鶴酒造り資料館による。

立派な山門や本堂、庫裏、鐘楼などが立つ真言宗の寺。1191年(建久2)に源頼朝の命により、源平合戦の武将、平山季重が建立したと伝えられ、代々武家の信仰を集めた大悲願寺を訪れる。

あきる野市の自然や文化・民俗資料などを展示する郷土館。奇獣・パレオパラドキシアの完全な上顎骨、約300万年前の古代象の骨の化石レプリカなど、市内で発掘された化石を見ることができる。古文書は、江戸時代のものを中心に約2万点を収蔵のあきる野市五日市郷土館を通過。

全長120mほどの鍾乳洞だが、3段の縦穴になっており、急な階段で見学する。オーロラ天井や、竜宮の亀と名付けられた亀の形の石筍などがみどころの三ツ合鍾乳洞による。

全長300mの巨大な鍾乳洞で都の天然記念物。7色に輝く乳華、発達した鍾乳石などが造る別世界が覗ける大岳鍾乳洞を訪れる。

多摩川最大の支流。網代橋付近から南秋川あたりまで約20kmにおよぶ渓谷。新緑から紅葉と季節ごとに見せる景観が美しい秋川渓谷を散策する。

三頭山に源を発する秋川の支流には多くの滝があるが、その一つ。セド沢にかかる落差60m、4段に流れる滝で日本の滝100選にも数えられる。深い緑に覆われ全容は見えないが、最下段の滝は26mあり、大蛇が棲むと伝えられる淵をもつ払沢の滝を訪れる。

山間地にあって山村の文化や歴史をもつ檜原村の郷土資料館。縄文早期の遺跡で、東京都では最高所の標高950mにある中之平遺跡の出土品や、昔の民具、かぶと造民家の模型などが展示され、山深い土地の暮らしや、生活の工夫などがわかる檜原村郷土資料館を見学。

北秋川支流の神戸川上流、来るものを阻むかのようにそそり立つ高さ約100m・幅約140mの絶壁。東京都の天然記念物に指定される名勝。両岸の一番狭い所は幅約4mの渓流で、峡谷の長さは約60m。鎖につかまりながら通り抜けることができスリル満点。右側の岩はトンネルになっている神戸岩を訪れる。

ブナの原生林が残る、三頭山中腹にある自然公園。森林館と木材工芸センターを基点に総延長23kmの散策路が巡り、途中には落差35mの三頭大滝、野鳥観察小屋、炭焼き小屋などがある。自然そのままの森には多くの野鳥、野生動物が生息し、バードウォッチングが人気の檜原都民の森を散策する。

多摩川上流部にある人造湖で、総貯水量1億8500万立方mの東京都の水がめ。1957年(昭和32)に完成した。東西に延びた湖面の周囲は山々が囲み、雄大な風景が広がる。4月中旬に湖畔の展望台一帯に咲く1万本もの桜は必見。湖面に浮かぶ約250mの通称・ドラム缶橋を渡るのも楽しい。この橋近くの岬には、湖底に沈んだ9社11祭神を合祀した小河内神社がある奥多摩湖を訪れる。

人と自然、都市と水源のつながりについて解説する近代的な展示館。館内は奥多摩の歴史やダムの仕組み、生き物と自然などのテーマゾーンに分かれ、ビデオや模型、3Dシアターなどで紹介している奥多摩水と緑のふれあい館を見学。

日原の原生林や野生動物、全国の巨樹の情報などを資料やビデオ、パソコンで提供する博物館の森林館を見学。

江戸時代から知られる全長800mの鍾乳洞。入り組んだ立体迷路のような空間に立ち並ぶ鍾乳石は神秘的だ。関東一の規模を誇る鍾乳洞で、祭られた祠には歴史も感じられる日原鍾乳洞を訪れる。

鳩ノ巣から白丸まで約500m続く多摩川の渓谷。40m崖下の巨岩・奇岩を清流が縫い、深山の趣がある。鳩ノ巣小橋の吊り橋からの眺望が見事の鳩ノ巣渓谷を訪れる。

御岳渓谷遊歩道の終点に立つ、民家風の美術館。松下紀久雄の水墨画など、奥多摩にちなんだ絵画や工芸品が展示されている。館内には囲炉裏や巨大な天然石のオブジェもあるせせらぎの里美術館を見学。

近代日本画の巨匠、川合玉堂の作品を展示する美術館。玉堂は、1944年(昭和19)に疎開で居を移した後、84歳で没するまでの約10年間、御岳で創作を続けた。巨匠の愛した渓谷を見下ろすように立つ館内には、御岳の自然を描いた作品も多い。内部には画室が再現され、愛用品も展示する玉堂美術館を見学。

文豪の偉業を偲び、自身が愛した梅の里を見下ろすように建てられた記念館。『宮本武蔵』や『新書太閤記』など多くの作品で日本中の人々に愛され続ける吉川英治は、1944年(昭和19)から約10年間をこの地で過ごした。家族と暮らした母屋のほか、大作『新・平家物語』が起稿された書斎が当時のまま残る。友人や家族への書簡、書画なども展示する吉川英治記念館を見学。

昭和時代に消費された、様々な商品のパッケージを展示したユニークな博物館。建物は大正末期に建てられた木造2階建ての家具店。1階部分が展示スペースになっている。館内は菓子、飲み物、雑貨、文具、薬などの箱や外袋をはじめ、歴代のグリコのおまけや雑誌の付録などでいっぱい。懐かしい駄菓子屋の店先を再現したスペースもある昭和レトロ商品博物館を見学。

D51、E10などの蒸気機関車や、新幹線ひかり号などの実物11両が展示保存されている珍しい公園。旧国鉄が開業90年を記念して開設した。記念館にある走る鉄道模型や、実際に子供を乗せて走るミニSLが人気の的の青梅鉄道公園を訪れる。

杉の大木に囲まれて立つ真言宗の古刹。645〜650年(大化年間)の創建といわれ、広い境内には国の重要文化財である茅葺きの仁王門や本堂、阿弥陀堂などが点在する。花の寺としても有名で、特に本堂裏のすり鉢状の斜面を覆う1万7千本のツツジは見事の塩船観音寺を訪れる。

八王子に向かう。

17:30八王子駅到達。
17:40八王子駅横浜線で出発
18:35新横浜新幹線のぞみで出発
21:30新大阪到達。

今回の旅行、大都市東京都に足を運び、東京都の最北西に位置し、東京の奥庭として親しまれ、その広大な面積は東京都全体の十分の一を占め、ほとんどが山岳地帯で町全体が秩父多摩甲斐国立公園に含まれ、森林、渓谷、湖、清流と、まさに大自然の宝庫の奥多摩をドライブ観光して楽しみました。

森林、渓谷、湖、清流、滝、鍾乳洞などの大自然中に、社寺等の歴史的建造物、博物館、資料館、美術館が点在し盛りたくさんのドライブ観光旅行でした。

東京は過去に何回も足を運んでいますが訪れるたびに人が車が家が店が増えているような気がします。
特に今回訪れ宿泊した八王子は大都会に変貌していますね。人の多さ、車の多さ、驚くばかりです。

一方奥多摩は、家並みも、人も、車も少なく、大自然いっぱいでのエリアでした。東京にもこのようなエリアもあるのかと感じさせられた西東京観光でした。











滋賀県比叡山観光
2010年5月19日


近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、滋賀県唯一の世界遺産の延暦寺、門前町として栄えた坂本など比叡山周辺に点在する歴史的建造物を訪れました。

12:30車で第二京阪名神自動車道経由して京都東インター下車

13:30比叡山方面に到達。

大津京を開いた天智天皇を祭神とする。約20万平方mの境内には、朱塗りの楼門のほか、昭和造や近江造と称される拝殿、本殿が立ち並ぶ。また楼門を入った左手には、漏刻(水時計)を設けて初めて時刻制度を確立した天智天皇にちなんで造られた、時計博物館もある近江神宮を訪れる。

比叡山南麓の田ノ谷峠から、延暦寺東塔や比叡山頂を結ぶ約8.1kmの有料道路。仏教の霊地として厳かな雰囲気を見せる比叡山の山ひだを走る。琵琶湖を望む絶好のポイントは、約140台の駐車スペースがある夢見が丘。大津市街をはじめ、琵琶湖の南湖周辺が一望できる。終点の根本中堂からは、仰木方面へ抜ける奥比叡ドライブウェイが走る比叡山ドライブウエイ走行。

天台宗の総本山。東塔・西塔・横川に、約200余りの堂塔が点在する。785年(延暦4年)に伝教大師最澄が小堂を建て、一乗止観院と称したのが始まり。国宝・重文も多数所蔵し、1994年(平成6)、世界文化遺産に登録された延暦寺を訪れる。

最澄が開基した、延暦寺の中心地区。根本中堂(国宝)をはじめ、戒壇院(重要文化財)、大講堂(重要文化財)、國寶殿、延暦寺会館などがある東塔[延暦寺]を訪れる。

延暦寺東塔地域にあり、延暦寺に伝わる仏像や書跡などの寺宝を展示している國寶殿を訪れる。

延暦寺東塔にあり、1963年(昭和38)に坂本の讃仏堂を移築したもので、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮ら比叡山で修行し、各宗の開祖となった僧の等身大の木像を安置する大講堂を訪れる。

東塔の中心であるだけでなく延暦寺の総本堂で、最澄が創建した一乗止観院の後身。現在の建物は織田信長の比叡山焼き討ち後、1642年(寛永19)に徳川家光により再建された。単層入母屋造、正面37m、側面24mの堂々とした建築。本尊薬師如来像の前には「不滅の法灯」が、開山以来1200年にわたり灯され続ける根本中堂を訪れる。

延暦寺東塔地域の根本中堂から、東海自然歩道を30分ほど歩いた所にある。杉木立のなかに転法輪堂(釈迦堂)、常行堂(重要文化財)と法華堂(重要文化財)、瑠璃堂(重要文化財)、浄土院、高さ約10mの相輪塔などが立つ西塔[延暦寺]を訪れる。

延暦寺西塔の見どころの一つ。宝形造の2つの建物は渡り廊下でつながって並び立っており、「弁慶のにない堂」と呼ばれる。力持ちの弁慶が、この渡り廊下を天秤棒にして2つの堂を担いだとの伝説による。このお堂では90日間におよぶ修行が行われる常行堂・法華堂(弁慶のにない堂)を訪れる。

延暦寺西塔の中心となる堂。最澄自作と伝わる本尊釈迦如来を安置することから、一般に釈迦堂の名で呼ばれる。信長の焼き討ち後の1595年(文禄4)、豊臣秀吉により近江の園城寺(三井寺)の金堂が移築されたもの。鎌倉時代の建築で、山内では最古の建物の転法輪堂(釈迦堂)を訪れる。

延暦寺西塔から北東4km、最澄の弟子である慈覚大師円仁によって開かれ、恵心僧都源信をはじめ、親鸞、日蓮、道元ら後世に名を残す僧が修行した地。横川中堂を中心に、三塔のなかで最も宗教的な雰囲気が残っているエリアの横川[延暦寺]を訪れる。

延暦寺横川の中心となる堂で、848年(嘉祥元)に根本観音堂として創建された。信長の焼き討ちと雷火で2度焼失、現在の堂は1971年(昭和46)の再建。懸崖に突き出した舞台造で、鮮やかな朱塗りが美しい横川中堂[延暦寺]を訪れる。

びわ湖の湖岸方面に向かう。

堅田豪族のひとり、居初氏が居住している書院に広がる名園。琵琶湖を借景とした見事な枯山水庭園(名勝)で、江戸前期に活躍した茶人藤村庸軒と地元郷士の北村幽安とが協力して作庭したもの。掛軸などを収蔵した資料室も見学できる天然図画亭を訪れる。

近江八景の一つ、「堅田の落雁」として知られる景勝地。琵琶湖につき出すように建てられた堂宇が、湖に浮いているかのように見えることから名付けられた。正式には海門山満月寺と呼ばれ、京都の大徳寺に属する臨済宗の禅寺。995年(長徳年間)頃、源信僧都が阿弥陀仏を刻んで、琵琶湖の交通の安全を願ったのが始まりと伝わる。現在の浮御堂は、1937年(昭和12)に再建されたもの。本尊で秘仏の聖観音坐像(重要文化財)は、薬師如来像や十一面観音像とともに観音堂に安置されている。この地を好んでこの地を好んで訪れた芭蕉の句碑も立つ浮御堂を訪れる。

坂本方面に向かう。

延暦寺と日吉大社の門前として栄えた坂本は、古い民家や神社の石塀などに巧みに積み上げられた石垣が見られる。これを「穴太衆積み」といい、坂本地域に住んだ、比叡山の土木と修繕作業などを行っていた「穴太衆」という石工集団の技によって生まれた技法だ。加工を施さない自然のままの石の面を使い、自然の美しさと堅固さを今も保っている穴太衆積みの石垣を散策する。

全国約3800の日吉神社の総本宮。比叡山の麓に位置する約13万坪の広大な境内には、東西両本宮を中心に多くの社殿が点在。西本宮の本殿(国宝)、拝殿(重要文化財)、楼門(重要文化財)をはじめ、東本宮の本殿(国宝)、拝殿(重要文化財)、大宮橋・二宮橋・走井橋の日吉三橋(重要文化財)など、文化財の宝庫ともなっている。なかでも、比叡山焼討後1586年(天正14)に再建された西本宮本殿は日吉造という独特の建築様式の日吉大社を訪れる。

比叡山で厳しい修行を積んだ僧侶たちが隠居坊として暮らした延暦寺里坊の一つ。邸内には、八王子山を借景に滝や築山を配した約3300平方mの回遊式庭園が広がる。その中に2棟の茶室とあずまやが佇み、たっぷり植えられた木々、手入れの行き届いた苔が四季折々しっとりした風情をかもしだしている旧竹林院を訪れる。

滋賀院門跡の上にある。信長による焼き打ちのあと、延暦寺の復興に尽力し、家康をはじめとした江戸幕府に仕えた慈眼大師天海を祀る廟所。境内には家康や紫式部の供養塔、江戸以降の天台座主の墓のほか高島市の鵜川四十八体石仏のうちの13体などが並ぶ慈眼堂[滋賀院門跡]を訪れる。

17:00終了。

今回の名所巡り、近場の滋賀県に足を運び、延暦4年伝教大師最澄が開山した天台宗の総本山、法然、親鸞、日蓮など名だたる名僧を輩出した日本仏教の母山で世界遺産の延暦寺、延暦寺と日吉大社の門前町として栄えた坂本地区を訪れ点在する歴史的建造物に触れ学び、有意義な日々を過ごすことができました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十六弾:備前・日生&小豆島観光
2010年5月15ー16日


瀬戸内方面に足を運び、日本六古窯の一つ、素朴な風合いが魅力の備前焼の里である備前、昔ながらの漁師の町、新鮮な海の幸の宝庫、日生、オリーブと醤油の島、映画二十四の瞳のロケ地として有名な瀬戸内海2番目に大きな面積を持つ小豆島を訪れました。

15日12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して備前インター下車
14:30 1670年(寛文10)、岡山藩主・池田光政が創設した学問所。日本最古の庶民のための学校として開設され、ここでは武士も庶民も平等に教育を受けた。国宝の講堂や唐風の石塀、伊部から陶工を呼びよせて焼いたという備前焼の屋根瓦などが印象的の旧閑谷学校を訪れる。

1701年(元禄14)の建立。国宝に指定されている。入母屋造の堂々とした構え、磨き抜かれた内部の床板はまさに儒学の殿堂にふさわしい。藩主が使用していた数寄屋造の小斎、習芸斎、飲室、文庫は重要文化財の閑谷学校の講堂を見学。

閑谷学校内にあり、社殿8棟は重要文化財に指定。閑谷学校の創設者、池田光政を祀っている閑谷神社を訪れる。

旧閑谷学校の入口・校門(鶴鳴門)の正面に立つ。内部に朱塗りの厨子があり、孔子像が安置してある。聖廟11棟は重要文化財に指定されている聖廟を訪れる。

閑谷学校の石塀で、延長765m。かまぼこ型をしており、重要文化財に指定されている石塀を訪れる。

日生方面に向かう。

マヤ文明をはじめ、中南米の貴重な文化遺産約1600点を収蔵。土器・土偶・石彫・織物など11カ国に及ぶ展示品は研究者の評価も高く、ユニークな展示が評判となっているBIZEN中南米美術館を見学。

江戸時代、幕府や大名の船の御用を勤める加子浦だった日生ならではの郷土館。漁具や航海用具を展示した資料館と文芸館がある。文芸館は作家・里村欣三、作曲家・岡千秋など日生出身者の資料や、正宗白鳥など日生を訪れた著名人の作品を展示の加子浦歴史文化館を見学。
備前焼の人間国宝の一人、藤原啓の記念館。おおらかで素朴な作風を示す年代ごとの代表作や、彼が影響を受けた古備前を展示している。併設のギャラリーでは、藤原三代の作品を展示藤原啓記念館を見学。

備前方面に向かう。

1000年の歴史を持つ、備前焼の作品・資料を展示公開している。1階は備前焼入門展で、採土から窯出しまでの制作工程や多彩な窯変についてパネルで説明。2階は古墳時代の須恵器の製法から変化し、奈良・平安時代に熊山山麓で生活雑器の生産がはじまった頃から、江戸時代の彩色備前など貴重な作品も展示する古備前名品展。3階では人間国宝代表作品展、4階は物故作家代表作品展と備前焼を時流にそって見られる岡山県備前陶芸美術館を見学。

18:00備前市内のホテル到達後、備前焼のお店が多数立ち並ぶ伊部駅周辺を散策し食事を済ませてから床に就く。

16日6:00車で出発、日生港に向かう。

6:35日生港フェリーで出発、日生諸島に向かう。

7:00大多府島港到達。

日生諸島最南端の島で、江戸時代に池田藩の番所が置かれた。国の文化建造物に指定された元禄防波堤、御用船に飲水を提供した六角大井戸、1986年(昭和61)に復元された燈籠堂などの史跡が残る。南海岸の遊歩道には勘三郎洞窟などの洞窟や奇岩が続く大多府島を散策する。

8:20フェリーで出発、鴻島に向かう。

8:40鴻島到達、古くは甲島、香島と書かれたここ鴻島は、往時、鴻が多く生息してことから、現在の名前に変わったと言われています。古墳や土器が出土していることから、太古から人が生活していたことが分かっています。そして平安朝の都人が往来したと伝えられている、歴史のある島を散策する。

9:30フェリーで鴻島出発、頭島に向かう。

9:40頭島到達、日生諸島では人口が最も多い。周遊道が整備され、磯釣りやミカン狩り、海水浴に多くの人が訪れ、底引網の体験も行う頭島を散策する。

頭島から橋で渡れる周囲28km、岡山県でも最大の島。島半分は特別鳥獣保護区で野生の鹿やキジが生息している鹿久居島を散策する。

11:25フェリーで鹿久居島出発。
11:35日生港到達。
12:35カーフェリーで日生港出発、小豆島に向かう。
13:45小豆島大部港到達、車で島を巡る。

風雨の浸食作用が造りあげた奇岩怪石が続き、瀬戸内海を眼下に見下ろす小豆島屈指の景勝地。春のツツジ、初夏の新緑も美しいが、特に渓谷を錦繍に染める秋の紅葉は格別。遊歩道も整備されているが、切り立った岩壁の間をすり抜けるロープウェイから見事な景観を楽しめる寒霞渓を訪れる。

小豆島は全国有数の醤油の産地。1907年(明治40)創業のマルキン醤油の工場に隣接した合掌造の館内では、醤油の製造工程をわかりやすく説明している。昔の醤油作りの道具や江戸期の醤油製法を記した巻物など、貴重な資料も展示するマルキン醤油記念館を見学。

1952年(昭和27)に出版され、ベストセラーになった『二十四の瞳』。その舞台が田ノ浦にある苗羽小学校田浦分校だ。木下恵介監督の同名映画のロケ地にもなった。1971年(昭和46)に廃校になったが、校舎は当時のままの姿で保存・公開する岬の分教場を見学。

1987年(昭和62)、田中裕子主演で再映画化された、『二十四の瞳』のオープンセットを利用した観光施設。海に面した約1万平方mの敷地には、昭和初期をイメージした民家や漁師の家などが軒を連ね、ノスタルジックな雰囲気が漂う。奥には岬の分教場も再現され、ボンネットバスが停まっている。壺井栄文学館や松竹映画館をはじめ、1950年代の映画ギャラリーを備えたキネマの庵、駄菓子屋や食事処、喫茶、みやげ物店なども揃っている二十四の瞳映画村を見学。

二十四の瞳映画村内にある。壺井栄の原稿や愛用品を中心に、夫で詩人の壺井繁治とプロレタリア文学の作家である黒島伝治の書簡や遺品類も展示してある壺井栄文学館を見学。

内海湾を見下ろす丘の上に、オリーブ畑やハーブガーデン、ギリシア風車など地中海沿岸のような風景が広がる。オリーブ栽培を紹介したオリーブ記念館、ハーブのリースやポプリ作りが楽しめるハーブクラフト館がある。8種類の温浴施設があるサン・オリーブ温泉など屋内施設も充実の小豆島オリーブ公園を散策する。

放浪の俳人・尾崎放哉の記念館。彼は、晩年を土庄にある西光寺の奥の院、南郷庵で過ごした。その南郷庵を往時のままに復元し、放哉直筆の短冊、書簡類などを展示している小豆島尾崎放哉記念館を見学。

19:00大部港到達。
19:40大部港カーフェリーで出発。
20:40日生港到達、帰路。
22:30大阪到達。

今回の旅行、岡山と香川が挟む瀬戸内に足を運び、伊部駅周辺に多数の店が立ち並ぶ、渋い色合いが魅力的な備前焼の街、備前

昔ながらの漁師の町、旬の海の幸やが豊富な日生

瀬戸内海に浮かぶ大小13の島からなり、温暖な気候に恵まれ、一年を通 じて豊富な魚介類や、季節の果物を愉しむことができます。多島美を一望できる風景は、まさに大自然の素晴らしい贈り物です。野生鹿やアオサギをはじめ多くの動物が生息し、訪れる人々を出迎えてくれます日生諸島

クルーザーでは何回か訪れたことはありますが観光は初めてのオリーブと醤油の島、映画二十四の瞳のロケ地として有名な瀬戸内海2番目に大きな面積を持つ小豆島

1泊2日の瀬戸内島巡りドライブ観光楽しめました。

小豆島は多くの観光名所が点在し観光化し整備され多くの方が訪れていますが、日生諸島は人も少なく観光化されてなく自然そのものの素朴な島々ですね。本土の近い島ですのでもっと観光化されてもいいかもしれませんね。

一番目に訪れた大多府島には史跡巡りの遊歩道が整備されていました。
二番目に訪れた鴻島には多くの別荘の家々が立ち並んでいたのが目立っていましたね。
三番目に訪れた頭島は日生諸島の中では人も多く目立っていました。
四番目に訪れた鹿久居島は人も家も少なく自然そのものでした。

対照的な瀬戸内島々観光巡りでした。











京都市洛中観光
2010年5月12日


今回は京都の歴代天皇が住まれた御所、徳川家の二条城、新撰組のゆかりの地、壬生など、京都のど真中のエリア、豊臣秀吉が京都の中心部を土塁で囲み、その内側の洛中に足を運びました。

12:30車で第二京阪、阪神高速京都線を経由して
13:00洛中エリアに到達。

平安時代、園城寺(三井寺)の僧が、母の供養のために地蔵菩薩像を安置したのが始まりとされる。本堂は1970年(昭和45)の再建。境内には保育園や老人ホームが立つ庶民的な寺だ。坊城通に面した表門を入って右側の壬生塚には、新選組隊士の墓や近藤勇の胸像がある壬生寺を訪れる。

平安京造営の際に禁苑として造営された。当時は南北400m、東西200mに及ぶ広大な庭園で、皇族が舟遊びや狩猟を楽しんだが、鎌倉時代以降に荒廃。さらに家康の二条城築城で大部分を削られたが、明治になって真言宗の道場として再興された。苑内中央の放生池は禁苑にあった大池の一部といわれ、池中の島には、かつてこの場所で行われたという雨乞い伝説を伝える善女龍王を祀る神泉苑を訪れる。

関ケ原の戦いで勝利した徳川家康が、上洛の際の宿泊所として1603年(慶長8)に築城。後に3代将軍家光が大改修し、現在のような規模となった。堀を巡らし石垣に囲まれた広大な城内は、二の丸御殿(国宝)、本丸御殿(重要文化財)、二の丸庭園(特別名勝)などからなり、豪壮な外観に反して内部はきらびやかさに満ちている。二の丸御殿の障壁画(重要文化財)は狩野派の作で、松鷹図などがよく知られる。本丸御殿は京都御苑内にあった旧桂宮家の御殿を移築の元離宮二条城を散策する。

本堂が六角宝形造であり、正式名は紫雲山頂法寺。いけばな発祥の地としても有名。本堂前には縁結びで有名な地摺り柳が植わり、その右手には六角形の丸く窪んだ石(直径約42cm)がある。京都のほぼ中心に位置していることから「へそ石」と呼ばれている紫雲山頂法寺(六角堂)を訪れる。

京都の伝統文化を幅広いジャンルで展示、紹介している。フィルムライブラリーでの映像や、展示室の精巧な模型などを通して、歴史や美術工芸・映画に関する資料を気軽に見ることができる。1906年(明治39)建築の別館は、旧日本銀行京都支店の建物で重要文化財。重厚なレンガ造りの建物内は無料で入場できる。京都文化の情報発信のほか、様々なイベントも開催している。江戸時代末期の京の町家の表構えを復元した「ろうじ店舗」では、食事やショッピングが楽しめる京都府京都文化博物館を見学。

京都御所、仙洞御所、大宮御所を包む広大な国民公園。東西約700m、南北1.3kmに及ぶ敷地は、東京遷都まで宮家や公家の邸宅が立ち並んでいた。現在は樹齢100年を越える樹林の中、玉砂利の道と芝生と桜、梅など多くの花木も植えられ、四季折々の変化を楽しめる。蛤御門や近衛邸跡庭園、閑院宮邸跡、九條家ゆかりの茶室拾翠亭など、歴史をしのぶ建物や庭園も遺る京都御苑を散策する。

京都御苑の中央北部に位置。明治維新までの皇居で、現在の御所は1331年(元弘元)に光厳天皇が東洞院土御門殿を皇居と定めたもの。以来、織田・豊臣・徳川の手で整備されたが火災で類焼。今の建物は1855年(安政2)の再建だ。紫宸殿は御所の正殿で、中央に高御座をおく。典型的な寝殿造。前庭には向かって右手に「左近の桜」、左手に「右近の橘」が植えられている。紫宸殿の奥には清涼殿など優美な建物が立ち並び、王朝時代の宮廷生活を偲ばせている京都御所による。

1885年(明治18)創建。明治維新に功績のあった、三條実万・実美親子が祭神。御苑の東にある清和院門前から、参道が北に延びる。萩の名所としても名高く、長い参道や境内に萩が咲き乱れる9月中〜下旬には萩まつりが催される。境内には上田秋成と湯川秀樹の歌碑、有名な京都三名水の一つ「染井」もある梨木神社を訪れる。

938年(天慶元)に元三大師によって船岡山に創建されたが、1571年(元亀2)に織田信長の焼き討ちを免れて現在地に移った。代々皇室の帰依が厚く、本堂は光格天皇の勅命により仙洞御所の一部を移築されたもの。紫式部の邸宅跡としても知られ、「源氏の庭」には紫色のキキョウが咲く。節分の日に、3匹の鬼が剣や斧、槌をもって踊り、追儺使が紅白の豆を投げて鬼を追い払う、「鬼の法楽」が有名な廬山天台講寺(廬山寺)を訪れる。

17:00終了。

今回の史跡巡り、近場の世界遺産の宝庫、京都に足を運び、新撰組のゆかりの地、壬生に点在する寺院、桓武天皇の時代から東京遷都まで貴族文化の中心だった京都御所、初代将軍家康が築き、激動の幕末を見守り、二の丸御殿は十五代慶喜が大政奉還をした舞台であった二条城など、歴史を感じる史跡が多数あるエリア、洛中を訪れ歴史学習できました。







矢作川カヌー・温泉
2010年5月9日


長野県、岐阜県および愛知県を流れ三河湾に注ぐ河川。一級河川。明治用水などに使われている矢作川んの葵大橋から渡橋までの12kmをカヌーで下りました。

矢作の名は、矢作橋の周辺にあった矢を作る部民のいた集落に由来している。矢に羽根を付けることを矧ぐと言ったことから矢矧となり、後に矢作へ書き換えられた。

8:00大阪駅集合出発、車で阪神名神東名自動車道経由して豊田インター下車、

11:00スタート地点葵大橋到達、準備して昼食を済ませてから

13:00川下り開始、天候快晴、絶好の川下り日和、川の流れも結構あり、スムーズに下る。
途中1級クラスの瀬が5箇所ぐらい有り、快適な川くだりとなる。
8つの橋、鉄橋を通過して12km下る。

16:00ゴール地点、渡橋到達、あとかたずけして、近くの温泉に浸かり、食事を済ませて

20:00帰路

23:00大阪駅到達、解散。

今シーズン最初の川下りイベント、愛知県の矢作川に足を運び、天候快晴、水量多く、絶好の川下り日和、比較的緩やかなコースを12km、快適に下りをえました。

次回は四国の吉野川に遠征します。


神戸タウン観光
2010年5月8日


今回は海と山に囲まれた東西1,5km、南北1kmの神戸タウンに足を運び、異国情緒あふれる異人館が点在する北野、神戸の玄関口である三ノ宮、元町駅前のショッピングセンター、最新トレンドを発信するブランド店が立ち並ぶセレブタウン、旧居留地、青い海、青い空が広がる港町神戸の顔、ベイサイドを訪れました。

12:30車で阪神高速道路経由して生田川ランプ下車
13:30北野到達

多くの異人館を手がけたイギリスの建築家・ハンセル氏が、私邸として1896年(明治29)に建築したもの。公開異人館の中で、実際に人が住んでいることでも知られる。公開されている1階部分のダイニングには、豪華なシャンデリアや優雅なフランス製の家具が配されているシュウエケ邸を訪れる。

大工道具の歴史と変遷、日本の木造建築を支えてきた匠の精神と技術を伝えている竹中大工道具館を見学。

明治期に作庭された池泉回遊式日本庭園(名勝)。戦前には園内に豪壮な本邸その他付属建物があったが第二次大戦により焼失し、旧建物としては欧風スタイルの厩舎(重要文化財)、塀および各門が名残りをとどめている。その後旧ハッサム住宅(重要文化財)、茶室、船屋形(重要文化財)などが建築され、往事にまさる景観が見られるようになった。近隣の人々の憩いの場としても親しまれている。他に春のつつじと秋の菊花展が有名な相楽園を訪れる。

水をテーマにしたユニークな博物館。3Dシアターの映像や水を使った理科の実験見学のほか、水について楽しく遊びながら学習できる展示物が数多くある。建物はドイツルネッサンス風の重厚かつ優美な外観で、建築史上価値ある建物として高く評価。周辺は桜の名所としても有名な神戸市水の科学博物館を訪れる。

小高い丘の上にある公園で夜景の名所。特に、園内の展望台・金星台と8の字形をしたビーナスブリッジからは、神戸市街の夜景が楽しめる諏訪山公園を訪れる。

1574年(天正2)、織田信長が武将・荒木村重に命じて花隈城を築かせたが、後に村重が離反して信長に攻められ、1580年(天正8)に落城。その跡地が公園になっている花隈公園を訪れる。

浄土真宗本願寺派(西本願寺)の神戸別院。鉄筋コンクリート5階建てにアーチ型の屋根、インド風の尖塔など、これまでの日本の仏教建築とは異なるエキゾチックな建築様式から、「モダン寺」と呼ばれ親しまれている西本願寺神戸別院を訪れる。

正面に6本のドリス式半円柱を配した新古典主義様式の建物は、かつての横浜正金銀行。エントランス部分の天井の高さがレトロビルの風格を感じさせる。常設展示では石器時代から近代までの神戸の移り変わりを紹介。日本と海外の交流の歴史も詳しく学べる神戸市立博物館を見学。

生活に欠かせない「あかり」をテーマにした博物館。古代から伝わる松明から、ろうそくや行灯、ガス灯、電気スタンドと、時代の流れとともに進化していった過程を学ぶことができる。なかでも、「文明開化のあかりコーナー」には、美しい外国製のランプがズラリと並べられ、それらは美術品としての価値も高い神戸らんぷミュージアムを見学。

三ノ宮駅からフラワーロードを南へ10分ほど歩いた場所にある、緑あふれる公園。かつてここには外国人専用のグラウンドがあり、さまざまな国のスポーツが行われていた。そのため、ここから日本人に文化が浸透していったともいわれ、日本の近代スポーツ発祥の地だ。園内にはモダンな彫刻や噴水のほか、外国人の社交場だった「神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ」をモチーフにしたレストランなどが立つ。阪神・淡路大震災の犠牲となった人々の鎮魂と慰霊を願う、慰霊と復興のモニュメントや希望の灯りなどもある東遊園地を散策する。

1957年(昭和32)、日本で初めて造られた花時計。市役所のすぐ北側にあり、長年人々に親しまれてきたビルの谷間のオアシス的存在だ。直径6m。話題のイベントや風物詩にちなんだもの、公募作品などデザインはさまざま。四季折々の花約3000株を使い、年8〜10回程度植え替えられる。傍らには、姉妹都市シアトルから送られたトーテムポールが立つ花時計を訪れる。

JR三ノ宮駅西口から大通りに面した高架下南側に続く、約500mの通り。約15の生地屋が軒を連ねる、神戸一の生地屋街だ。終戦後、闇市として栄えた高架下には、国内有数の貿易港という地の利を生かし、舶来の服地などが大量に入荷。これが一大布地街の始まりの三宮センイ商店街を訪れる。

潮の香りに満ちた臨海公園。神戸港のシンボル・神戸ポートタワーや神戸海洋博物館、豪華客船を思わせる神戸メリケンパークオリエンタルホテルなどが点在。「ルミナス神戸2」をはじめとする、クルージングの出航ポイントでもある。ハーバーランドへと続く海沿いの遊歩道も整備されているメリケンパークを散策する。

メリケンパークの東端・メリケン波止場に面し、阪神・淡路大震災の悲惨さを今に伝える公園。震災で壊滅した岸壁や傾いた街灯に手を加えることなく、当時のままの状態で保存している。園内では、パネル展示により、復興の過程を知ることができる神戸港震災メモリアルパークを訪れる。

神戸港を象徴する、高さ108mの赤い鼓形タワー。地上約100mの展望室からは、神戸の街や六甲山の山なみの大パノラマが一望できる。展望階には360度を約20分で一周する回転喫茶室もあり、神戸空港や淡路島も見える神戸ポートタワーを訪れる。

休日ともなると、家族連れやカップルでひときわ賑わうエリア。お洒落なショップやレストラン、映画館のあるモザイク、ファミリオ、プロメナ神戸など個性的な大型ショッピングセンターが立ち並ぶ。神戸港に面したモザイクガーデンの大観覧車は、港の景色はもちろんのこと、夜のイルミネーションがロマンチックなスポットの神戸ハーバーランドを訪れる。

南北朝時代の武将・楠木正成公を祀り、楠公さんの愛称で親しまれている神社。境内の正面神門右手には、水戸光圀直筆の正成公の墓碑がある。宝物殿には、書画や武具など、正成公ゆかりの品々が展示されている湊川神社を訪れる。

「若手芸術家の育成と地域の活性化」がコンセプトの館内は、ギャラリー、ホール、シアター、スタジオなどで構成。若手アーティストによる企画展や、神戸を拠点に活躍する小劇団の公演、また独自のプログラムによる映像作品の上映など、さまざまなイベントが開催される神戸アートビレッジセンターを訪れる。

18:00終了。

今回は近場の神戸に足を運び前回訪れることが出来なかった、北野、三ノ宮、元町駅前、旧居留地、ベイエリアの皆さんご存知のスポットを訪れ再確認できました。