滋賀県米原・伊吹・長浜観光
2010年6月30日


近場のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、滋賀県最高峰伊吹山、中山道と北国街道の宿場町米原、情緒あふれる城下町で黒壁スクエアで有名な長浜を訪れました。

12:30車で第二京阪名神自動車道経由して彦根インター下車
13:45米原到達

太尾山西麓にある曹洞宗の禅刹。もとは不動山米泉寺といい、南北朝の初期、京極道誉による関基と伝えられています。本尊の聖観音像は、南北朝時代に佐々木六角氏頼が、諸堂の再建とともに造立したものです。秘仏とされており、その胎内には、氏頼の持念仏であった高さ約20cmの観音像が納められています。この観音像は「お腹籠の観音」あるいは「旗竿の観音」と呼ばれ、氏頼はこの観音像を必ず旗竿に祀って、出陣したといいます青岸寺を訪れる。

 戦国時代に、観音像一駆を残して寺は焼失しましたが、江戸時代前期、彦根藩主井伊直澄の命を受けて入山した、彦根大雲寺の要津(ようしん)禅師よって再興しました。それを機に、現在の寺名に改めました。その19年後に造られた枯山水の庭園は、国の名勝に指定されています。

JR東海道本線柏原駅のあたりを中心に、かつて柏原宿が広がっていました。東西13町(約1.5km)にもおよぶ中山道の中でも大規模な宿場町で、344軒の家があったと伝えられていますが、現在では、常夜灯や街道沿いの宿場町特有の2階建の軒の低い数軒の家が面影を伝えています中山道・柏原宿を訪れる。

米原市柏原は、江戸時代中山道60番目の宿として、たいそう賑わった宿場町です。長さが1.5kmと近江国最大級の宿場であり、昔ながらのまちなみを残しています。中でも柏原宿の特産である伊吹山の薬草を原料とした伊吹艾を商う「伊吹堂亀屋佐京商店」は、今も昔と変わらぬたたずまいで日本一大きい福助とともに旅人を迎えてくれます。昔の民家を改造した施設で、柏原宿をはじめ周辺の歴史文化を紹介する柏原宿探検コーナーや伝統文化の実演が行われています。ビデオシアターでは、国の特別天然記念物に指定され市民の宝物である源氏ボタルの姿を紹介しています柏原宿歴史館を見学。

伊吹山方面に向かう。

滋賀県の最高峰(標高約1377m)。日本百名山のひとつで、がっしりと構えた山容は男性的である。岐阜県との境界をなし、山頂からは眼下に琵琶湖、比良、比叡の山々や日本アルプス、伊勢湾まで一望の大パノラマが広がる。古くは『古事記』や『日本書記』にその名が記され、日本武尊の伝説にも登場する歴史的な山で、古来より著名な薬草や亜高山植物、野鳥、昆虫の宝庫としても有名である。山頂のお花畑は、国の天然記念物に指定されています伊吹山を眺望する。

長浜方面に向かう。

1574年(天正2)、豊臣秀吉が初めて一国一城の主となった城。大坂の陣の後に廃城となったが、1983年(昭和58)に天守閣を再興。現在は長浜市長浜城歴史博物館として公開されている。館内では琵琶湖の湖底遺跡などから発見された縄文土器や、「賤ケ岳合戦図屏風」などの資料を交えて湖北地方の歴史を紹介。周辺は桜が名所の豊公園として整備されている長浜市長浜城歴史博物館を見学。

鉄道に関する3つの施設がある複合施設。旧長浜駅舎は、1882年(明治15)に建てられた現存する日本最古の駅舎。当時の新橋駅をモデルに造られたモダンな英国式建築で、待合室や駅長室などを再現展示している。鉄道文化館では66mの鉄道模型レール上を鉄道模型車両が走り、北陸線電化記念館にはSLや交流電気機関車の実物を展示している長浜鉄道スクエアを見学。

江戸時代に栄えた北国街道周辺に、今なお残る歴史的建造物を利用して構成される複合観光スペース。江戸〜明治時代に造られた蔵や商家を生かしたショップ、レストラン、カフェ、ガラス工房など約30軒が点在している黒壁スクエアを散策する。

黒壁スクエアにある美術館。ヨーロッパを中心としたガラス作品を展示している黒壁美術館を見学。

17:00終了。

今回の近場の名所巡り、びわ湖を抱く滋賀県に足を運び、江戸時代に栄えた中山道と北国街道の宿場町の姿が今も残る米原、四季折々の草花を楽しめる標高1377mの滋賀県最高峰の伊吹山、古い町並みを利用して、ガラス文化を集めた黒壁スクエアが有名な情緒溢れる城下町長浜を訪れ湖北の歴史を触れることが出来ました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第百一弾:鳥取県鳥取・浦富&倉吉・三朝観光
2010年6月26ー27日


海や山に囲まれ自然豊かな中国地方日本海沿いの鳥取県に足を運び、県庁所在地であり鳥取藩32万石の城下町の鳥取タウン、鳥取県の海岸部最東部にあたる網代から陸上岬までの美しいリアス式海岸の浦富、室町時代に城下町として栄え白壁土蔵群などが点在する倉吉、清流三徳川に沿った賑やかな温泉街に数多くの温泉宿が連なる三朝温泉を訪れました。

26日12:30車で近畿名神中国自動車道経由して作用インター下車
14:30智頭到達

江戸時代、鳥取から畿内へ抜ける智頭往来の宿場として栄え、今も趣ある民家や古社寺が続く古い町並みが残る。40余りの部屋と、7棟の土蔵をもつ石谷家住宅は、国の登録有形文化財にも登録されている大規模な近代和風建築。豪壮な梁組みをもつ土間や、池泉庭園、茶室などは必見の智頭宿を訪れる。

伝統的建造物群保存地区で、日本の山村の原風景を残す。集落には100年前の古民家を復元した喫茶店があり、こだわりのコーヒーを飲むことができる板井原集落を訪れる。

鳥取タウンに向かう。

久松公園の旧内堀の辺りに立つ近代的な建物。鳥取県の自然、歴史、民俗資料から藩政資料、美術品に至るまで幅広く収蔵展示する鳥取県立博物館を見学。

鳥取県立博物館の対面に立つ白い洋館。1907年(明治40)、鳥取藩主の子孫池田仲博侯爵が別邸として建てた洋館で、同年、山陰を旅行した皇太子(のちの大正天皇)の宿舎となった。本格的な洋風木造建築の例として国の重要文化財指定。2階バルコニーからは、美しい池泉回遊式の宝隆院庭園が望める仁風閣を見学。

市街の北方にそびえる久松山(史跡)は、1545年(天文14)に山名誠通により築城されたかつての鳥取城の跡。羽柴秀吉による鳥取攻めなど戦国時代の激動ののち、江戸時代には池田氏が城主となり、因幡伯耆2国の拠点として長く存続した。山頂には天守閣跡、二の丸跡と城門、石垣が残り、中世と近世の2つの遺構が共存する貴重な例となっている。周辺は桜並木の美しい公園として整備されている鳥取城跡・久松公園を散策する。

樗谿神社の参道に立ち、黄色と緑の外観が目印。8ゾーンからなるメイン展示室を一巡すると、鳥取の文化・歴史・自然がわかる。音声やCG映像を駆使した展示はゲーム感覚で、大人も子どもも楽しめる鳥取市歴史博物館やまびこ館を見学。

童謡とおもちゃをテーマにした文化施設。1階の童謡館では『ふるさと』の作曲家・岡野貞一をはじめ、童謡にゆかりのある人物を紹介し、昔の唱歌教室やアニメソングのカラオケなどで、童謡の歴史を体験学習できる。2〜3階のおもちゃ館では、珍しいからくり人形や懐かしいブリキのおもちゃを見たり、木のおもちゃを作って遊んだりして楽しめる。滝の広場では1時間ごとに登場するからくり時計が、大黒様や白うさぎの演奏で時を知らせるわらべ館を見学。

伊賀越仇討の剣豪・荒木又右衛門の菩提寺。境内には、墓と荒木又右衛門遺品館がある。寛永11年(1634)実際に決闘に使われた太刀や鎖かたびら等多数の遺品資料は必見。庫裏には、高木百拙筆の羅漢襖絵があり、墨一色でのびやかに描かれた羅漢達が味わい深く語りかける。四季折々の風情が楽しめる亀鶴庭など、見所が多い玄忠寺を訪れる。

前のアーケードを抜けた左角に立つ、3棟の土蔵造りの建物がユニークな美術館。館内には日本各地から世界に至るまでの美しく実用的な民芸品を展示する鳥取民藝美術館を見学。

18:00鳥取駅付近のホテル到達、市街地を散策し食事を済ませて床に就く。

27日6:00車で出発、浦富方面に向かう。

山陰海岸ジオパークの中の花崗岩が海に迫る、変化に富んだリアス式海岸。なかでも城原周辺は代表的な景勝地で、海中公園にも指定されている。この近辺の海は透明度が高く、波が穏やかなときには25mにも達する。北に並ぶ無人の島々は菜種五島とよばれ、春には菜の花が咲き乱れる。浦富海岸は、遊覧船やカヌーツーリングで探勝したり、絶壁に沿った自然探勝路をたどることもできる浦富海岸を訪れる。

東西16km、南北2.4km、東は駟馳山から西は気多岬に至るまで続く。千代川の流砂と大山の火山灰と風とが作り上げた砂の丘だ。ゆるやかな起伏や47mを越す丘、40mも窪んだ通称や、風速5〜6mの風が形成する「風紋」、流れ落ちる砂が形成する「砂簾」など自然の造形は見飽きることがない。歩いて回るほか、エキゾチックなラクダ遊覧、空中散歩で砂丘を眺める観光リフトがある鳥取砂丘を散策する。

海岸線を西に走行、倉吉方面に向かう。

東郷湖と日本海の間を隔てる小高い丘には、古墳が多数点在。その一帯に芝、桜、ツツジなどを植えて整備したのが馬ノ山公園で、歌碑の点在する遊歩道もある。海と砂丘を一望する頂上には、遺跡からの出土品を展示したハワイ風土記館がある伯耆ロマンの里「ハワイ・馬ノ山公園」を散策する。

馬ノ山公園付近に点在する古墳時代前〜後期の橋津古墳(史跡)の展示を中心に、湯梨浜町(旧羽合町)の歴史を紹介する。5階の展望台からは北に日本海、南に東郷湖を配した360度の展望が楽しめるハワイ風土記館を見学。

弥生時代から中世にかけての巨大複合遺跡。弥生時代から奈良時代の竪穴住居址や掘立柱建物、井戸などの生活の跡が200棟以上、弥生時代から奈良時代、そして中世の墓が300基以上発掘された。中でも直径33mの大円墳である1号墳からは、ほぼ完全な形で女性の埋葬遺骨が発見され、話題を呼んだ。現在は、1号墳のみ見学ができる長瀬高浜移転復元一号墳を訪れる。

山陰八景の一つに数えられる、風光明媚な湖。周囲約12km・面積約4kmの汽水湖で、鶴が大きく翼を広げたような形をしていることから、「鶴の湖」の愛称で親しまれている。湖中からは温泉が湧き出し、西岸にははわい温泉、南岸には東郷温泉がある東郷湖(鶴の湖)を訪れる。

中国の歴代皇帝が造り親しんだ皇家園林方式の庭園。鳥取県と中国河北省の友好のシンボルとして平成7年に建設された。設計、資材の調達、加工まですべて中国で行い、建物は一度中国で仮組したものを解体した上で日本に運び、中国人技術者の下、再度建設した国内最大級の本格的な中国庭園燕趙園を見学。

打吹公園の中に立つ博物館。渡り廊下で結ばれた2館で、倉吉の文化・歴史を総合的に展示解説している。市内の上野遺跡から発掘された子持壺形須恵器(重要文化財)といった貴重な出土品のほか、郷土出身の洋画家・前田寛治や日本画家・菅楯彦の作品も数多く収蔵。歴史民俗資料館では、倉吉絣や昔の鋳物師関連資料を展示している倉吉博物館・倉吉歴史民俗資料館を見学。

延文年間(1356〜61)、伯耆国守護山名時氏の長子師義が打吹城を築いた山。標高204m、三角形の秀麗な山容は倉吉のシンボルになっている。城郭そのものは、1615年(元和元)の一国一城令で廃城。現在は特にスダジイを中心に、照葉樹の原生林におおわれた自然豊かな山。展望台のある山頂まで遊歩道が続いているほか、山麓には桜とツツジがみごとな打吹公園、長谷寺、運動公園などが点在する打吹山を訪れる。

玉川沿いの400mにわたって白壁の土蔵が並ぶ市内観光のメインスポット。江戸末期から明治初期の商家街で、当時は酒屋や油屋、米屋、醤油屋などが軒を連ねたという。白い漆喰塗りの土蔵には黒い焼杉の腰板が施され、屋根には赤い耐寒性の石州瓦を戴き、色のコントラストが美しい。蔵と背中合わせになった町屋側の千本格子の家並みも健在で、醤油や地酒の老舗が今も営む。古い蔵を改装して郷土玩具などを販売する「赤瓦」や、みやげ品を揃えた「倉吉ふるさと物産館」も人気の白壁土蔵群を訪れる。

三朝方面に向かう。

三徳川南岸の温泉本通りを中心に、商店や宿が主催するミニギャラリー。陣所の館、理容関係の品々を展示する理容資料館、宮沢賢治と親交のあった木屋旅館所蔵の資料を展示するカムパネルラの館、カエル人形館など、全部で17館が個性を競う湯の街ギャラリー[三朝温泉]を訪れる。

706年(慶雲3)、役行者によって開かれた古刹。山岳仏教の霊場で、標高900mの三徳山全山が国の名勝・史跡。本堂から投入堂へは往復登山参拝1時間40分の山道。途中に文殊堂(重要文化財)、地蔵堂(重要文化財)、鐘楼等が点在する。三佛寺奥院投入堂は標高520mの断崖に建てられた懸崖造の堂宇で、鳥取県で唯一の国宝建造物。宝物殿で拝観できる本尊の蔵王権現立像(重要文化財)は、1168年(仁安3)康慶作の三徳山三仏寺を訪れる。

756年(天平勝宝8)、行基が建立したと伝えられる寺院で、重要文化財に指定された木造地蔵菩薩半跏像を祭る。檜の寄木造で、高さは3.4mと巨大。像内の支柱には、この像が鎌倉時代の造立であり、1640年(寛永17)、地元の人々によって再興されたことが記されている大滝山地蔵院を訪れる。

蒜山高原方面に向かう。

国指定史跡、四つ塚古墳群の出土品や蒜山に伝わる祭りや食、文化について紹介。重要文化財の大宮踊りはパネルや映像から学べる。館外に復元した竪穴式住居がある蒜山郷土博物館を見学。

昭和60年環境省により「全国名水百泉」のひとつに選ばれた塩釜冷泉は、1年中11℃の清らかに澄んだ冷水が湧出しています塩釜冷水を訪れる。

緑の芝生と人工渓流が調和する憩いのスポット。自然を生かした樹林の間を小川が流れている。4月下旬から10月下旬までは放牧中のジャージー牛とふれあえる自然牧場公園を散策する。

ジェットコースターやバイキング、急流滑りなどのアトラクションが楽しめる。地元特産品を販売するショップなどを併設。日本最大級のオオサンショウウオを飼育しているヒルゼン高原センター・ジョイフルパークを訪れる。

丘に広がる植物園。6月下旬〜7月下旬のラベンダーの開花期には丘一面が紫色に染まり、4月下旬の桜、6〜7月のアジサイ、8月下旬〜9月のコスモスなどハーブ以外の季節の花や山野草も楽しめる。お香などハーブ雑貨を販売するショップ、ハーブ・山菜料理が味わえるレストランあり。リース作りなど体験可。開花期は年によって異なる蒜山ハーブガーデン ハービルを訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の旅行、鳥取を代表するスポット、鳥取砂丘を思い浮かべるが、旧城下町ゆえの名所や史跡を数多く有す鳥取市街地、宿場町として栄えた面影を残す智頭、国立公園に指定されるリアス式の浦富海岸、鳥取東部の名湯因幡温泉など見所は豊富。また、日本海の冬の味覚、松葉カニは、地元賀露港で水揚げされており、食一品。

鳥取県のほぼ中央に位置するのが倉吉市。赤い瓦と白壁が印象的な白壁土蔵群、三徳山は世界遺産登録活動中の名跡。世界屈指のラジウム泉として有名な三朝温泉800年以上の歴史を持つ山陰屈指の名湯。また、湖に沈む夕景が美しい東郷湖畔にある東郷温泉、はわい温泉。二十世紀梨の本場としても有名。

自然の豊富さは有名ですが、意外と知らない、城下町が点在し、歴史的建造物の多い鳥取県、楽しめました。














京都市洛北観光
2010年6月23日


世界遺産の宝庫、多くの点在する歴史的建造物を接することの出来る京都市に足を運び、東に比叡山がそびえる、北大路通以北のエリア。上賀茂神社、下鴨神社、大徳寺、修学院など数え上げればきりがないほどの名刹が点在するほか、府立植物園、宝ヶ池など緑のシャワーを浴びられるスポットにも事欠かない。歴史散策のあとは、京都の最前線といわれる北山通や白川通でショッピングやグルメを楽しめる洛北を訪れました。

12:30車で第二京阪自動車道を経由して
13:40洛北エリア到達。

松尾芭蕉や与謝蕪村に縁が深く、洛西の落柿舎と並ぶ俳諧史跡。平安初期の創建だが、江戸初期に鉄舟和尚が再興した。本堂の背後に佇む茶室・芭蕉庵は、芭蕉が訪れた縁で鉄舟が建て、のちに芭蕉を慕う蕪村が再興した。蕪村の墓も庵のほとりにある。井伊直弼に仕えた村山たかが尼として余生を過ごした寺でもある金福寺を訪れる。

川家康の元家臣で、江戸初期の文人・石川丈山が1641年(寛永18)に建てた山荘。現在は禅宗の寺院だ。小楼・嘯月楼[しょうげつろう]を見上げながら建物の中に入ると、堂の名前の由来となった詩仙の間がある。四方の壁には狩野探幽が描いた中国の詩家36人の肖像画「中国三十六詩仙像」が掲げられている。丈山はまた作庭の名手だったともいわれ、白砂が敷かれた見事な回遊式庭園から彼の風雅が偲ばれる。庭には丈山が考案者であるという鹿脅し添水も配され、サツキ、アジサイ、紅葉と四季折々に美しい詩仙堂を訪れる。

徳川家康が教学の発展を図るために設立した学校を始まりとする。家康から送られた当時の木製活字を数多く保存しており、これらは重要文化財に指定されている。明治以降最近まではわが国唯一の臨済宗尼僧の修学道場であった。境内には澄んだ音を響かせる水琴窟や金福寺に晩年を送った村山たかの墓もある。栖龍池がある庭園は、新緑、紅葉の美しいことで知られている圓光寺を訪れる。

もとは比叡山西塔にあり東尾坊と呼ばれたが、その後各地を巡り、1656年(明暦2)桂離宮を造営した八条宮智仁親王の子である良尚法親王(天台座主)によりこの地に建てられた。数寄屋造の大書院(重要文化財)には主座敷が2間あり、間仕切りの卍くずしの欄間の意匠などに桂離宮の影響がうかがえる。続く小書院(重要文化財)の襖絵は狩野探幽作と伝えられ、黄昏の間には10種類の寄せ木で造られた「曼殊院棚」と呼ばれる違い棚がある。書院前の枯山水庭園(名勝)は、5月のツツジ、11月の紅葉のころが特に美しい。八窓茶室(重要文化財)は小堀遠州好みと伝えられている曼殊院(竹の内門跡)を訪れる。

後水尾上皇を慰めるため、1656年(明暦2)に徳川家光の援助で造営された離宮。比叡山の裾野に広がる広大な敷地に、松並木で結ばれた下御茶屋、中御茶屋、上御茶屋という3つの庭園が配されている。表総門を入った所が下御茶屋で、数寄屋造の寿月観と池泉回遊式庭園がある。続く中御茶屋は、華麗な装飾が施された客殿が見事で、天下の三棚の一つの霞棚も忘れずに見たい。上御茶屋は、浴龍池を中心に茶屋を配した大庭園。山腹に立つ茶室隣雲亭からの眺望はすばらしい修学院離宮を訪れるが予約しないと内部拝観できないため外観のみ見学。

京都で最も古い神社の一つで、正式には賀茂御祖神社という。古代豪族賀茂氏の氏神社で、上賀茂神社と合わせて賀茂社と総称されていた。本殿(国宝)は1863年(文久3)に再建されたもの。建角身命を祭る西殿と玉依媛命を祭る東殿の2棟からなる。そのほかの社殿は53棟が国の重要文化財、境内は史跡に指定されている。5月15日に行われる京都三大祭の葵祭は、下鴨、上賀茂両神社の祭礼で、1月4日の蹴鞠はじめなど京らしい雅な行事でも知られる下鴨神社を訪れる。

臨済宗大徳寺派の大本山。広大な境内に22の塔頭を擁する洛北随一の大寺院で、多数の文化財を所蔵。創建は鎌倉末期で応仁の乱後、一休禅師が再興した。三門(重要文化財)は千利休が寄進したもの。その上層に利休自らの木像を安置したため秀吉の怒りを買い、切腹の一因となったといわれる。大仙院、龍源院、瑞峯院、高桐院の4つの塔頭が常時公開されている大徳寺を訪れる。

疫病除けの神様として知られる。平安遷都後に疫病が流行したため、朝廷は神輿を船岡山に安置して疫神鎮静を図り、1001年(長保3)にはこの地に神殿を造営した。現社殿は明治時代の再建。毎年4月第2日曜には、疫神社の疫神を鎮める「やすらい祭」が営まれる。鬼を従えた行列が「やすらい花や」と囃しながら踊る。行列には花で飾った風流傘も参加、この傘の下に入れば1年間病気をしないといわれる今宮神社を訪れる。

京都三大祭の葵祭で知られる、京都の最古社。平安遷都以前にこの地を支配していた、賀茂氏の氏神を祭ったのが始まり。社殿造営は678年(天武6)と伝わる。遷都後は皇城の守護神となり、伊勢神宮に次ぐ社格が与えられた。67万平方mの広大な神域には木立に包まれて檜皮葺きの社殿が立ち並び、本殿と権殿は国宝、ほか41棟が重要文化財に指定。世界文化遺産にも登録されている。細殿前には円錐系に砂を持った立砂が2つ並び、神々しい雰囲気。朱塗りの楼門をくぐると、中門の内側に幕末造替の本殿、権殿が立つ賀茂別雷神社(上賀茂神社)を訪れる。

17:00終了。

今回の近場の名所巡り、東に比叡山がそびえる、北大路通以北のエリアの洛北を訪れ、多くの点在する社寺をめぐり楽しめました。さすが京都の社寺、どれをとっても立派な歴史的建造物、圧倒されますね。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第百弾:千葉県成田・佐原・佐倉観光
2010年6月19ー20日


東京湾と太平洋に面した広大な半島部と、北は利根川と江戸川が県境となっている千葉県に足を運び、江戸時代以来、利根川の水郷の町として栄えた佐原や城下町の面影の残る佐倉、日本の玄関口ともいえる成田国際空港を持ち、成田山新勝寺の門前町として栄えた成田を訪れました。

19日14:20伊丹空港出発
15:35成田空港到達、レンタカーで成田エリア名所巡り

年間利用客3400万人と、世界トップクラスの旅客数を誇る日本の玄関口。第1・第2の2つの旅客ターミナルがあり、約300軒のショップやレストランを備える。展望デッキからは飛行機の発着を見学可。食事や買い物での利用もできるが、空港への立入りには免許証などの身分証明書が必要。航空科学博物館隣接する成田国際空港を散策する。

940年(天慶3)、宇多天皇の孫にあたる寛朝大僧正により開山された、真言宗智山派の大本山。全国8カ寺の別院や末寺など合わせて65力寺を有する。本尊は弘法大師開眼の不動明王像と伝えられ、江戸期から「成田のお不動様」とよばれ親しまれてきた。22万平方mの広大な境内には、額堂や光明堂、釈迦堂、仁王門、三重塔(すべて重要文化財)が点在。現在の大本堂をはじめ、前本堂の釈迦堂、旧本堂の光明堂を巡れば、寺の発展の歴史をたどることができる成田山新勝寺を散策する。

18:00成田駅付近のホテル到達、市街地を散策し、食事を済ませてから床に就く。

20日6:00レンタカーで出発、佐原方面に向かう。

ハナショウブとハス、あやめを中心とする水郷地帯の植物園。4月下旬〜6月までは園内の舟巡りもできる水郷佐原水生植物園を訪れる。

鹿島神宮・息栖神社と並ぶ、東国三社の一つ。うっそうと杉が生い茂る神域・香取の森に、武神を祭る社殿が佇む。三間社流造の本殿(重要文化財)は、1700年(元禄13)に徳川第5代将軍・綱吉が造営。朱塗りの楼門(重要文化財)も同年の建造。明治・大正期の海軍軍人・東郷平八郎の額が掛かり、右手に黄門桜とよばれる徳川光圀手植えの桜が茂る。宝物館では、神宮に伝わる海獣葡萄鏡(国宝)などの美術工芸品や古文書を展示する香取神宮を訪れる。

佐原の大祭(重要無形民俗文化財)は、約300年の歴史がある関東有数の山車祭り。館内では、毎年7月9〜17日の間の金・土・日曜と10月第2土曜を中日とする金・土・日曜に行われる祭りの様子を、3面パノラマによるビデオで放映。大祭に繰り出す山車24台のうち、交替で2台を展示している。高さ7mの山車は迫力満点。祭礼に関する資料もある水郷佐原山車会館を訪れる。

実測日本地図を初めて完成させた伊能忠敬が、30年余りを過ごした商家。国の史跡に指定されている伊能忠敬旧宅を訪れる。

小野川をはさんで伊能忠敬旧宅の対岸に立つモダンな蔵造風の施設。忠敬が作成した伊能図をはじめ、測量具や遺書、遺品などを展示している伊能忠敬記念館を訪れる。

成田方面に戻る。

房総における伝統技術や生活様式を、総合的に体験できる博物館。ふるさとの技体験エリアは、江戸後期から明治初期にかけての房総の町並みを当時の景観環境を含めて再現。実演を見るだけでなく、そば打ち・わら細工・太巻き寿司作りなど約300種類の体験(詳細要問合せ)ができる。自然と歴史を学ぶ風土記のエリアは、県内有数の古墳の数をもつ竜角寺古墳群を中心に整備。資料館では県内各地の遺跡から出土した土器のほか、近くの印旛沼から発掘されたナウマン象の骨格模型も展示。房総の古民家、旧学習院初等科正堂(重要文化財)もある千葉県立房総のむらを訪れる。

佐倉方面に向かう。

江戸時代からの干拓の歴史で知られる。鯉やフナなど釣りのスポットで、サイクリングコースも整備。佐倉ふるさと広場のオランダ風車を背景に、春はチューリップ、夏は1万発の花火大会、秋はコスモスなど、楽しさがいっぱいの印旛沼を散策する。

佐倉城址公園の北側に位置する博物館。日本の原始・古代から近代までの歴史資料が、5つの展示コーナーに分かれて公開されている。土器などの出土品のほか、宋版史記(国宝)、平城京羅城門の復元模型など膨大な資料を収蔵・展示する国立歴史民俗博物館を見学。

江戸時代に堀田氏の居城であった佐倉城の城跡一帯を整備した公園。城の建物は明治初期にすべて取り壊されたが、土塁や空堀跡などが残り、往時の面影をとどめている。樹木の茂る園内には芝生広場や散策路、姥ケ池が配され、桜や初夏の花菖蒲が美しい佐倉城址公園を散策する。

城跡の東にある宮小路町には、土塁と生垣に囲まれた武家屋敷町の雰囲気を残す地区がある。暗闇坂、ひよどり坂といった当時のままの地名の坂道もあり、修復された3棟の武家屋敷を公開している。旧河原家住宅は千葉県の有形文化財、旧但馬家住宅は佐倉市の有形文化財にそれぞれ指定されている佐倉武家屋敷を見学。

武家屋敷3棟の中では最も大きい武家屋敷で、三百石以上の大屋敷に相当。茅葺き屋根の母屋全体がL字状に折れ曲がっているのは、間口の広くない敷地で隣家との間に充分な空き地をとるための工夫。その建築様式から、佐倉に残る武家屋敷の中では最古と考えられている。室内には当時の調度品などをイメージ展示している旧河原家住宅を見学。

佐倉武家屋敷のひとつ。旧所在と同一地点に復元されており、屋敷地や庭木など周囲の環境と併せて保全され、敷地全体で武家屋敷の形状を残している。室内の見学や休憩ができる旧但馬家住宅を見学。

佐倉武家屋敷のひとつ。面積約80平方mで3棟の中では最も小規模。当時の小知(百石に満たない藩士)の住居といわれている。建物内には武家屋敷地から出土した陶磁器や藩士の生活に関係する資料などが展示されている旧武居家住宅を見学。

佐倉藩最後の藩主だった、堀田正倫の邸宅。主屋5棟と土蔵、門番所は国の重要文化財に指定されている。建物を含めた庭園は県の名勝。1890年(明治23)竣工の建物は、明治期の上級和風建築の特色を残している。自然の地形を生かしたさくら庭園は、松やサルスベリと置き石の調和が見事の旧堀田邸を見学。

南の太平洋側方面に向かう。

東金駅の西方約500mのところにある、周囲約800mの小さな湖。東岸に最福寺、西岸に本漸寺の古刹が静かに佇んでいる八鶴湖を訪れる。

金市との境界付近、約3万2000平方mの湿原にある国指定の天然記念物。作田川によって湿潤さが保たれ、多数の植物が自生している。食虫植物の種類は、モウセンゴケ・コモウセンゴケ・イシモチソウ・ナガバノイシモチソウなどがある成東・東金食虫植物群落を散策する。

成田空港方面に向かう。

国内初の航空に関する博物館で、実物のエンジンなどを見ることができる。DC-8シミュレーターや大型模型の操縦なども体験できる。屋外には実際に飛行していた航空機18機を展示。内部見学が可能なものもあるので、のぞいてみたい。5階は360度パノラマの展望室になっていて、成田空港に発着する飛行機が眺められる航空科学博物館を見学。

17:30成田空港到達
18:30成田空港出発
19:55伊丹空港到達

今回の旅行、東京湾と太平洋に面した広大な半島部と、北は利根川と江戸川が県境となっている千葉県に足を運び、日本の玄関口ともいえる成田国際空港を持ち、インターナショナルな魅力と成田山新勝寺の門前町として歴史のある風情が共存している成田。

重要伝統的建造物群保存地区が残る小野川沿いには日本家屋の伝統的な空間の古い町並みと水郷の魅力の佐原。

佐倉藩12万石の城下町であり、歴史を伝える武家屋敷や邸宅跡、趣深い商家の町並みが散策して楽しめる佐倉。

一泊二日で千葉県の歴史的建造物が集合する佐原と佐倉、又日本の玄関口とも言えるジャンボの成田国際空港を持つインターナショナルな成田を巡り堪能しました。

インターナショナルな町、成田の繁華街は多くの外人を見かけました。ほとんどの方が観光客でなく、空港に関係した業務の方だそうです。パイロット、客員乗務員の方と巡り合う可能性が高い観光旅行でした。











神戸市須磨観光
2010年6月16日


日本のほぼ中央に位置する兵庫県に足を運び、南部の古くからある市街地と北部の大規模なニュータウンから成る閑静な住宅地、 山と海に囲まれ、白砂青松で気候の温暖な地として、古くから知られ、万葉集では素晴らしい景色に恵まれた場所として詠まれ、源氏物語では寂しい浜辺の情景が描かれ、更に平家物語の終幕を飾る源平合戦の舞台であり神戸市内でも特に数多くの史跡があり、歴史上有名なエピソードと関りの深い町神戸市須磨区を訪れました。

12:30車で阪神第二神明自動車道経由して玉津インター下車
13:40法道仙人によって開かれたという古刹。平安時代、安養尼願西(恵信僧都の姉)によって興された。この一帯は源氏物語「明石の巻」の舞台であり、深山の常行堂や明石入道といった当時の王朝趣味を堂塔のプランに採用しているのが見て取れる。現在は本堂こそなくしているものの、阿弥陀堂(常行堂)は院政時代の建築。三重塔・文殊堂とともに、国の重要文化財に指定されている如意寺を訪れる。

鎌倉時代から室町時代にかけて強大な勢力を誇った、天台宗の古刹。藤原鎌足の長男・定恵が開基、孫の宇合によって716年(霊亀2)に創建されたと伝わる。本堂は神戸市内で唯一の国宝建造物。三重塔、重要文化財の仁王門・阿弥陀如来像も美しい。境内には原生林が広がり、四季折々の美しさを見せる太山寺を訪れる。

豊かな自然に囲まれた丘の上に立つ。ワイン城にはワインの製造工程が見学できるワイン工場やワインミュージアムなどがあり、そのほかバーベキュー場や軽食堂、陶芸館まで揃う神戸ワイナリー・農業公園を訪れる。

886年(仁和2)開基の真言宗の古刹。正式には上野山福祥寺という。境内には義経の腰掛松や敦盛の首塚、弁慶の鐘など源平ゆかりの史跡や芭蕉などの文学碑が数多く点在する。宝物館では敦盛愛用の「青葉の笛」などを展示する上野山福祥寺(須磨寺)を訪れる。

須磨海岸から鉢伏山を中心に広がる広大な公園。源平一ノ谷の古戦場として知られ、園内には「戦の浜」の標石や敦盛塚などが点在する。また、神戸随一の桜の名所としても有名な須磨浦公園を散策する。

鉢伏山から旗振山にかけて広がる山上公園。ロープウェイやカーレーター、リフトを乗り継いで行く。山上には回転展望閣・ふんすいランドなどがあり、瀬戸内海を望むパノラマはすばらしい須磨浦山上遊園を訪れる。

1976年(昭和51)、日本初の海釣り公園としてオープン。須磨海岸から約400m突き出した釣台で、自然釣りが楽しめる神戸市立須磨海づり公園を訪れる。

大阪湾が一望できる噴水公園は、春・秋のバラなど一年中花々が咲いている。植物園もあり、子供の森冒険コースでは28種の遊具でアスレチックを楽しむことができる須磨離宮公園を散策する。

約600種1万3000点の水生生物を飼育・展示する水族館。広大な敷地にはサメ・エイなどがゆうゆうと泳ぐ「大水槽」、水中トンネルから世界最大級の淡水魚ピラルクが見られる「アマゾン館」、2009年秋に屋外のふれあい広場にオープンした「アザラシ・ペンギン館」など8つの展示館が点在する神戸市立須磨海浜水族園を見学。

須磨の海岸沿いに松林が約2km広がる風光明媚な公園。園内には水族園、球技場、テニスコートなどがあり、夏の海水浴をはじめ一年を通じて賑っている。西端には旧和田岬灯台があり、海に沈む夕日は絶景な須磨海浜公園を散策する。

18:00終了。

今回の近場の名所巡り、日本のほぼ中央に位置する兵庫県に足を運び、平家物語の終幕を飾る源平合戦の舞台であり神戸市内でも特に数多くの史跡があり、歴史上有名なエピソードと関りの深い町神戸市須磨区を訪れ、点在する寺社、公園、史跡を巡り、有意義な時間を過ごすことができました。






和歌山県御坊&田辺観光
2010年6月13日


信仰の歴史を語る世界遺産、深呼吸したくなる紺碧の海の風景の和歌山県に足を運び、今も昔も交通の要衡に位置する田辺、日本一の梅の里みなべ、温暖な気候に恵まれ、スターチスやスイートピーなどがの花の生産地として知られ、フルーツの里でもあり、温州みかんやメロンが名産品。西へ向かった日の岬は、岬全体が日ノ岬パークという公園で、紀伊水道の素晴らしい眺めを堪能できる景勝地のある御坊を訪れました。

10:00車で出発、阪神近畿阪和自動車道経由して
11:30御坊到達。

701年(大宝元)建立。和歌山県下に現存する最古の寺。若く美しい安珍に心を奪われた清姫は募る思いから大蛇となり、道成寺の釣鐘に隠れた安珍を炎で燃やし、自らは入水したという伝説が残る。62段の石段を上り、朱塗りの仁王門(重要文化財)をくぐると、正面に本堂(重要文化財)、右手に安珍清姫伝説の鐘楼跡がある。宝仏殿には平安前期作の木造千手観音立像(国宝)や脇侍の日光・月光菩薩像(国宝)をはじめ、数々の文化財を安置する道成寺を訪れる。

星や宇宙のことを楽しく学べ、宿泊施設も揃ったユニークな公園施設。中心施設の観星塔は口径100cmの望遠鏡を備え、国内屈指の天文台としてファンには広く知られているかわべ天文公園を散策する。

紀伊半島最西端に位置する標高200mの岬一帯。紀伊水道を見下ろす眺望がすばらしい。岬の突端に立つ白亜の灯台、移民の歴史を伝えるカナダ資料館や小動物公園などがある。遊歩道も完備されている日の岬パークを訪れる。

19世紀末に新天地を求めてカナダへ移民した人々が、帰国後に洋館を建てて住んだ集落が日の岬近くのアメリカ村。その村の人々の歴史を紹介する資料館が日の岬パーク内にある。彼らが持ち帰った当時のトランクや、蓄音機・ミシン・衣類などの生活用具、魚網やカンテラ、鋸などの漁業林業道具、パスポートや出生証明書、手紙などの資料、そして太平洋戦争時の強制収容などの苦難の歴史を写真を交えて展示しているカナダ資料館[日の岬パーク]を見学。

日の岬にあるこの灯台の光は、北は淡路島、南はすさみ沖まで達する。1895年(明治28)に設置されたが、太平洋戦争末期に空襲を受けた。現在の高さ14mの灯台は1951年(昭和26)に再建されたものの紀伊日ノ御崎灯台[日の岬パーク]を訪れる。

岩代から目津崎まで約1.3km続く美しい浜辺で、『枕草子』や『伊勢物語』にも景勝地として登場する。近年では、絶滅の危機に瀕しているアカウミガメの産卵地としても有名な千里の浜を訪れる。

南部で収穫された梅を紹介する資料館。工場に併設されており、梅干しの製造工程が見学できるほか、立体映像3D梅シアターやパネル展示室で梅の歴史や効用などの資料を掲示する紀州梅干館を見学。

田辺、みなべ方面に向かう。

道の駅でもある、紀州備長炭記念公園内に併設する、備長炭の資料館。館内を8つのブースに分け、備長炭の歴史などを詳しく紹介している。館内には、かつて使われていた木炭車が展示され、昔の炭焼職人の生活を再現したコーナーや、科学的な分析から家庭で炭利用法を紹介するコーナーもある紀州備長炭発見館を見学。

右会津川上流の龍神温泉に通じる街道沿いの2kmほどの渓谷。ここは田辺南部海岸県立自然公園内にあり、奇岩と巨石が続く。なかでも最高の景勝は、不動明王を祭る不動滝と、その上にある地上100mの岩肌に彫られた三尊磨崖仏。原画は堂本印象画伯によるものといわれている奇絶峡を訪れる。

17:00終了。

今回の近場の名所巡り、信仰の歴史を語る世界遺産が点在する和歌山県に足を運び、温暖な気候に恵まれ、スターチスやスイートピーなどがの花の生産地として知られ、フルーツの里でもあり、温州みかんやメロンが名産品。西へ向かった日の岬は、岬全体が日ノ岬パークという公園で、紀伊水道の素晴らしい眺めを堪能できる景勝地のある御坊。

昔から交通の要衡として栄え、今も龍神、中辺路、本宮への公共交通の起点の田辺、日本一の梅の産地として知られるみなべ。

半日で和歌山の御坊・田辺エリアの名産地、社寺、自然、博物館などを訪れ楽しめました。





奈良県大和郡山&斑鳩観光
2010年6月12日


歴史遺産と、緑豊かな自然景観、この2つが継続して残っている美しい大和路、奈良県に足を運び、豊臣秀吉の弟・秀長が基礎を築いた城下町、大和郡山、聖徳太子が築いた斑鳩に点在する歴史的建造物を訪れました。

12:30車で第二阪奈自動車道経由して郡山方面に向かう。
13:00郡山エリアに到達。

都市近郊に残る自然を体験できる公園。峠池を中心とした子どもの森には芝生広場のほか、自然体験の基地として遊びの森子ども交流館と料理体験館を設置。多くの人たちが利用している。さらに約282haの遊びの森には矢田山周辺の観光地を結んだ遊歩道があり、展望台からの眺めはすばらしい。多くの野鳥や植物を見られ、自然を満喫できる矢田山 遊びの森を散策する。

自然林に囲まれた26万平方mの園内には、旧臼井家住宅(重要文化財)、旧岩本家住宅(重要文化財)など県内各地から農家や町家が移築されており、内部も見学できる。敷地の一角に立つ奈良県立民俗博物館では、山仕事や農耕などの用具を展示。体験学習も行われ、大和の風俗などを紹介するビデオも見られる大和民俗公園を散策する。

祭神は物部氏の祖神といわれる櫛玉饒速日神。天磐船で降臨の際に3本の矢を放ち、2の矢が落ちた所という。航空の神とされ、旅行の安全祈願に訪れる人も多い。春日造の本殿(重要文化財)は室町時代の建築で、楼門にはプロペラも奉納。物部氏との関係から、付近を邪馬台国とする説もある矢田坐久志玉比古神社を訪れる。

矢田丘陵の中腹にある高野山真言宗の古刹。開基は舎人親王と伝え、本尊に藤原時代作といわれる量感豊かな木造薬師如来坐像、木造吉祥天立像(ともに重要文化財)などを安置する。本堂のほか、鎌倉時代後期の作と伝えられる高さ4m15cmの七重石塔が立つ。寺宝で開山当時より伝わる“雷様のヘソ”がある東明寺を訪れる。

天武天皇の勅願による建立と伝え、僧坊48を数える大寺だったという。本堂は2003年秋に平成大修理完成した。本尊の地蔵菩薩立像(重要文化財)は貞観時代の作で、「矢田のお地蔵さん」と親しまれている。境内には石仏が多く、自家製の味噌を口元に塗ると味がよくなるという、「味噌なめ地蔵」は特に有名。シチダンカ・ツルアジサイなど、60種1万株のアジサイも名高い矢田寺を訪れる。

1663年(寛文3)、石州流茶道の祖でもある大和小泉藩主片桐貞昌が父の菩提を弔うために建立した。茅葺き屋根の書院(重要文化財)は簡素ながら風格があり、白砂とツツジの大刈込みが美しい庭園(史跡・名勝)をもつ。書院には高林庵(重要文化財)と閑茶室(重要文化財)という茶室がある慈光院を訪れる。

718年(養老2)、舎人親王が『日本書紀』の完成と自身の42歳の厄除けを祈願して開いたとされる。日本最古の厄除け寺といわれ、本尊木造千手観音立像が「厄除け観音」として信仰を集める。境内には1337年(建武4、延元2)に再興された本堂(重要文化財)、三重塔、行者堂、七福神堂、阿弥陀堂などが立ち並ぶ松尾寺を訪れる。

斑鳩方面に向かう。

近代陶芸の巨匠・富本憲吉の生家を利用した美術館。色絵磁器を中心に約500点の収蔵品から、時期別に150点ほどを展示する。大和風民家の母屋には囲炉裏を設けて、見学者がくつろげる空間を造り出している富本憲吉記念館を見学。

大和川・寺川・曽我川など9つもの川が合流する場所に立ち、農耕と治水の神として信仰を集める古社。境内には、春日造の朱塗りの社殿が鎮座している廣瀬神社を訪れる。

広陵町と河合町にまたがる、敷地面積約47万平方mという広大な公園。ナガレ山古墳や乙女山古墳なども公園内に含まれる。馬見丘陵公園館では、ジオラマなどを駆使して古墳の構造や古代史を紹介。春はツツジが美しく、ショウブ園や芝生広場などもある馬見丘陵公園を散策する。

十一面観音像を本尊とする古寺。縁起によると、敏達天皇の第7皇女である片岡姫が仏教に帰依し、自らの片岡宮を寺にしたと伝えられる。また用明天皇や聖徳太子らの支援を受け、大伽藍が建造されたともいわれるが、1046年(永承元)に落雷のため多くを焼失。残った堂宇も1572年(元亀3)に松永久秀の兵火で失った。境内には桜の老木があり、隠れた名所の放光寺を訪れる。

大和では珍しく達磨を祭る聖徳太子ゆかりの寺。太子がこの地で瀕死の旅人を見つけ、衣食を与えて介抱したが、翌日死亡してしまった。亡骸を葬ったところ数日で消えてしまい、太子が与えた着物のみが残されたため、これは達磨の化身であったかと堂を建てたという。鎌倉時代の初めには現在の境内の古墳上に寺が建てられ、達磨像を祭った。現在の本堂は2004年春に完成。木造達磨太子坐像(重要文化財)や絹本着色涅槃図(重要文化財)など寺宝も多い達磨寺を訪れる。

18:00終了。

今回の近場の史跡巡り、歴史遺産と自然の宝庫、奈良県に足を運び、豊臣秀吉の弟・秀長が基礎を築いた城下町、大和郡山、聖徳太子が築いた斑鳩を訪れ、点在する社寺、公園、博物館をめぐり楽しめました。






滋賀県湖西観光
2010年6月9日 


近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、湖畔ドライブに最適な道路が続き、大鳥居で知られる白鬚神社、美しい湖水風景が展開し、畑の棚田など、比良山系の麓に自然風景が残るエリアでもある湖西を訪れました。

12:30車で出発、第二京阪自動車道経由して
13:40湖西到達。

琵琶湖の湖上に立つ朱塗りの大鳥居が目印。猿田彦命を祭り、長寿や縁結びの神様として信仰を集め、その歴史は2000年を過ぎていると伝える。国道161号を挟んで鳥居と向かいあう本殿(重要文化財)は、豊臣秀頼と淀君の寄進を受け、1603年(慶長8)に再建されたもの。境内には絵馬殿、若宮社、外宮、内宮が立ち並んでいる白鬚神社を訪れる。

1553年(天文22)、近江半国守護職にあった佐々木六角義賢が、母の菩提を弔うため建立したと伝えられる48体の石仏群。室町時代の作風を示す花崗岩質の阿弥陀如来坐像で、高さは約1.6m。現在は48体のうち33体が残る鵜川四十八体石仏群を訪れる。

築150年の江戸時代の商家や蔵を改装した観光施設。1〜7号館まであり、お食事処も充実のたかしまびれっじを訪れる。

琵琶湖西南部の湖畔には、昔ながらの里山風景が残されている。大津市八屋戸、栗原や大津市仰木など比良山系を背景とする高低差の大きいこの地域では、今も谷に沿って連なる棚田を見ることができる。どこか懐かしい、四季折々の季節感あふれる風景は、写真愛好家にも人気が高い。棚田が黄金に色づくころや、刈り入れの後にこの地域特産の干し柿作りが行われる秋は特に美しい琵琶湖西南部の棚田を訪れる。

宇治川の合戦に参加した佐々木信綱の子、高信ゆかりの神社。高信が出陣のときに神前に祈り、勝利後再び訪れて12本の的と12頭の馬を奉納したことにちなんで、毎年5月4日に七川祭が催される。神輿渡御や傘鉾行列、流鏑馬のほか、奴の姿をした若者が的や酒樽などをかついで練り歩く奴振りなどが行われる大荒比古神社を訪れる。

夏は子育てするカイツブリ、冬には数千羽のカモやオオバンなどの渡り鳥と、高島の豊かな自然を楽しめる施設。館内には「旅のカフェ」があり、コーヒーを飲みながら望遠鏡でじっくり鳥たちの仕草や暮らしをみることができる。ミニシアター、木造船工房併設。ツリーイング技術により樹上で過ごす、「ツリーカフェ」の拠点でもある高島市新旭水鳥観察センターを訪れる。

大崎観音の名で親しまれる寺。702年(大宝2)に泰澄大師が開山。近江四国第9番札所に指定される県内有数の観音札所で、琵琶湖八景の一つに数えられる景勝地として多くの参詣者が訪れる。境内の展望台から眺める琵琶湖の景観は見事な大崎寺を訪れる。

琵琶湖八景の一つとして有名な「暁霧・海津大崎の岩礁」。天狗の鼻に似た天狗岩や八畳敷の広さを誇る八畳岩など、紺碧の湖面から突き出る奇岩群と岩壁に生い茂る緑が織り成す風景は豪快だ。また湖岸沿い約4kmにわたって約600本の桜並木が続き、その見事な様は「日本のさくら名所100選」にも挙げられるほどで、奥琵琶湖に春の訪れを告げる代表的な風物詩となっている海津大崎を訪れる。

18:00終了。

今回の近場の名所巡り、近畿の水瓶、びわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、びわ湖の北東に広がるエリア。福井県若狭と京都を結んだ歴史的名称の鯖街道をはじめ、日本さくら名所100選にも選定されているマキノ町の海津大崎。また、日本100景にも選ばれたメタセコイア並木、畑の棚田など、多くの自然と歴史文化が楽しめるエリアでドライブコースとしても気持ちがよい湖西を訪れ、自然と文化を学び楽しめました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十九弾:新潟県粟島・村上・阿賀野観光
2010年6月5ー6日


上越地方・中越地方・下越地方及び、離島である佐渡地方・粟島(岩船郡)からなり、面積は日本の都道府県では第5位だが、可住地面積で比べると北海道に次いで第2位である。通常の区分では「北陸地方」に分類されることが多いが、富山県・福井県・石川県のいわゆる北陸三県からは、北陸地方ではないとみなされることがある新潟県に足を運び、北限地の茶どころで町屋建築の町並みの村上、村上沖、35kmに浮かぶ周囲約23kmの素朴な豊かな自然の粟島、自然とライン船下りの阿賀野川エリアを訪れました。

5日16:05伊丹空港出発
17:10新潟空港到達、レンタカーで新潟郊外の名所を巡る。

19:00新潟駅前のホテル到達後、市街地を散策して食事を済ませて床に就く。

6日5:00レンタカーで出発、新発田方面に向かう。

新発田藩主溝口氏の下屋敷で、寄棟造りの数寄屋建築。簡素でほとんど装飾を施していない建物に、幕府への政治的配慮がなされた当時の下屋敷の面影を偲ぶことができる。庭園は中央に草書体の「水」の字を型どった大泉池を配した回遊式の清水園を訪れる。

清水園と川を隔てた道筋に立つ、江戸末期の足軽の組屋敷。茅葺平屋建で8軒が同居していた。土間、6畳2間、台所だけの質素なもので、当時の下級武士の暮らしがうかがえる足軽長屋を訪れる。

1598年(慶長3)溝口秀勝が築城。現在は平成16年に復元された三階櫓、辰巳櫓を含め、堀と石垣、表門、旧二の丸隅櫓が残る。表門と隅櫓はナマコ壁で国の重要文化財。周囲にアヤメがたくさん咲いていたことからアヤメ城ともよばれている新発田城址を訪れる。

村上方面に向かう。

もとは鮮魚商で、一歩中に入ると江戸時代に戻ったような商家をギャラリーにした。ところどころ魚屋さんの造りが見られる。国の有形登録文化財にも指定されている町屋のギャラリーやまきちを訪れる。

標高135mの臥牛山に築かれた城で、築城年代は不明、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11年(1568年)の上杉謙信との篭城戦など、幾たびも戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、北越後の中心拠点として整備されました村上城を訪れる。

9:30岩船港から高速艇で出発、手つかずの自然が残る周囲23kmの島。岩船港からの定期船が発着する内浦と西海岸の釜谷に、それぞれ民宿や海水浴場、キャンプ場がある粟島に向かう。

10:25粟島到達、レンタサイクルで島巡り。

14:00粟島高速艇で出発。
14:55岩船港到達、レンタカーで阿賀野川方面に向かう。

毎年、5月3日に行われる「つがわ狐の嫁入り行列」をテーマにした施設。つがわ狐の嫁入り行列を紹介した映像のほか、狐の面づくり体験や狐のメーク体験も楽しめる狐の嫁入り屋敷を訪れる。

17:00阿賀野川沿いを走行し、渓谷美を眺めながら新潟空港に向かう。
18:00新潟空港到達。
18:50新潟空港出発。
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、日本海に面し、東西に細長い新潟県に足を運び、江戸時代には新発田藩の城下町として栄えた。その面影は今も街の随所に見られ、三階櫓と辰巳櫓が復元された「新発田城」、下級武士の住居だった「足軽長屋」などが残り、国の重要文化財に指定されている。県内有数の米どころでもあり、菊水酒造や市島酒造などの蔵元があり、うまい地酒が豊富にそろう新発田エリア。

村上藩5万石の城下町として栄えてきた村上。その面影は、曲がりくねった路地や昔ながらの町名にも色濃く残っている。日本海の情緒あふれる景観や、海原に臨む瀬波温泉、三面川のサケ料理など見どころ、味どころも満載。絢爛豪華な19台のオシャギリ(屋台山車)が練り歩く村上大祭は、夏の風物詩となっている村上エリア。

村上の西35kmの日本海に浮かぶ細長い島で、岩船港から船が通う。真っ赤に焼いた石を入れるわっぱ煮で有名な粟島。

阿賀野川の下流には越後平野が広がり全国に名を馳せる「米どころ・新潟」を支えている。うまい米からできる銘酒、新鮮な海の幸など食の宝庫。阿賀野川エリアは、川沿いに温泉地や観光スポットが点在し、四季折々の違った表情を持つ自然を楽しめる阿賀野川エリア。

派手な観光施設はないが、素朴な漁村に豊かな自然、美しい海が広がる粟島のレンタサイクでの島巡り観光を主として、城下町の村上、新発田、阿賀野川エリアの歴史的建造物をも訪れ、点在する自然と文化を接し、満喫しました。








京都市洛東観光
2010年6月2日


歴史的建造物の宝庫、近場の京都に足を運び、禅文化が大成された時代の中心社寺があり、一方で、美術館や博物館などが集まり銀閣寺・平安神宮・南禅寺のあるエリアである洛東を訪れました。

12:30車で第二京阪自動車道経由して
13:10洛東方面到達、散策する。

1933年(昭和8)、日本で2番目に建てられた公立の大規模美術館。京都を中心とする日本の近・現代美術の各分野から、約2300点の作品を収蔵している。展示は海外展、特別展といった企画展。テーマを決めて収蔵品を紹介する年数回のコレクション展、京都市主催の公募展、美術団体等による催しがある京都市美術館を見学。

明治・大正の元老・山県有朋が、1896年(明治29)に完成させた別荘。広大な園内には木造の母屋と茶室、レンガ造りの洋館がある。特に庭園(名勝)は有朋自身が設計・監督し、造園家の小川治兵衛に作庭させたもの。東山を借景に、疏水の水を引き入れたのびやかな池泉廻遊式庭園の無鄰菴を訪れる。

南禅寺の塔頭。家康に重用された僧崇伝が北山にあった寺を移したものという。豪華な東照宮(重要文化財)や遠州好みの八窓席(重要文化財)、白砂に鶴島、亀島を配した枯山水の庭園(特別名勝)などがある金地院を訪れる。

南禅寺境内を横切る、レンガ造りのアーチ橋。全長93m。1890年(明治23)完成の琵琶湖疎水の一部で、古代ローマの水道橋を手本としている。橋を抜けて石段を登ると、南禅院がある水路閣[南禅寺]を訪れる。

永観堂の名で親しまれ、紅葉の名所としても知られる。平安時代初期、弘法大師の弟子真紹僧都により創建されたが、後に永観律師が念仏修行の場として、民衆を救った功績から永観堂と呼ばれるようになった。本尊の阿弥陀如来立像(重要文化財)は左後方を振り返る姿で、「みかえり阿弥陀」とも呼ばれる禅林寺(永観堂)を訪れる。

五山の送り火で名高い大文字山。その麓を疏水に沿って、若王子橋から銀閣寺橋へと続く約2kmの散策路。哲学者・西田幾多郎や田辺元が、思索にふけりながら歩いたことからこの名が付けられたという。季節には桜が花のトンネルを造り、6月にはホタルが飛び交うなど、豊かな自然を満喫できる。しかも、道沿いには若王子神社、大豊神社、霊鑑寺、安楽寺など由緒ある寺社も点在している哲学の道を散策する。

法然上人が念仏修行の法灯を掲げた名刹。閑静な境内には、本堂・方丈・経蔵・書院・鐘楼が立つ。茅葺きの山門をくぐると、参道両脇に砂盛(白砂壇)がある。砂の上に描かれた文様は水の流れを表し、間を通ることで身を清めることになるという。その奥には美しい池泉式庭園がある。椿の名所としても有名な法然院を訪れる。

室町幕府8代将軍足利義政が、祖父義満の建てた金閣寺にならって建てた別荘。義政の死後、臨済宗相国寺派の禅寺へと改められ、名称も義政の法号にちなみ慈照寺と名付けられた。1482年(文明14)の造営当時は錦鏡池を中心に池泉回遊式庭園が広がり、その周囲に大小12棟の建造物が点在していたという。現在では、通称・銀閣と呼ばれる観音殿(国宝)と東求堂(国宝)だけが当時の遺構。観音殿は1層を心空殿、2層を潮音閣と呼ぶ。東求堂内の同仁斎は、現存する最古の書院造り。東山文化を代表する庭園(特別史跡・特別名勝)も見事な慈照寺(銀閣寺)を訪れる。

紅葉の名所として知られる天台宗の寺。真如堂の名で親しまれている。984年(永観2)、戒算上人が比叡山常行堂にあった阿弥陀如来像(重要文化財)を本尊にして開いた。この像は慈覚大師円仁の作と伝え、別名を「うなずきの弥陀」と呼ばれ、女人救済に御利益があるとされる。現在の堂宇は江戸時代中期の再建で、広大な境内には本堂(重要文化財)、三重塔、大師堂、薬師堂、塔頭寺院が立ち並び、大寺院の風格が漂う真正極楽寺(真如堂)を訪れる。

京都の人から「黒谷さん」と親しまれる浄土宗の大本山。1175年(承安5)、法然上人が比叡山の黒谷を下りて、ここに草庵を結んだのが始まりといわれる。建物は何回かの火災に遭ったが、そのたびに建て直されている。現在は、山門、経蔵、阿弥陀堂、御影堂、方丈、三重塔(重要文化財)などのほか、18の塔頭寺院が立ち並ぶ。なかでも、蓮池院(熊谷堂)は、一の谷の合戦で平敦盛[たいらのあつもり]の首をとった熊谷直実の住房跡として知られる。また、2代将軍・徳川秀忠の菩提を弔うために建てられた三重塔の本尊文殊菩薩と脇侍像は運慶の作といわれている金戒光明寺(黒谷さん)を訪れる。

白河上皇ゆかりの門跡寺院。1090年(寛治4)、白河上皇が熊野三山に参詣した際、先達を務めた増誉僧正に与えた寺で、全国の修験者を統括したのが起こり。その後、白河上皇の皇子が4世として入って以来、門跡寺院となった。宸殿、本堂、書院(重要文化財)など現在の建物は延宝年間(1673〜81)の建築。天明・安政の京都御所の火災の際、光格・孝明天皇が仮皇居としたことから史跡に指定。狩野派絵師による170面以上の障壁画や当時の上段の間、御学問所、茶室も残る聖護院を訪れる。

1895年(明治28)、平安遷都1100年を記念して創建された神社。白砂に朱塗りの社殿が映えて、雅やかな雰囲気が漂う。特に応天門と大極殿は、平安京大内裏朝堂院にあった原型を8分の5に縮小して復元したもの。また本殿の奥の神苑は約3万平方mに及ぶ日本庭園で、季節には桜や花ショウブが美しい花を咲かせる平安神宮を訪れる。

17:00終了。

今回の名所巡り、近場の京都に足を運び、東山文化を代表とする建築物、銀閣寺のある哲学の道エリア、美術館・博物館などアートが点在し、平安遷都1100年を記念として明治28年に創建された平安神宮のエリア、臨済宗南禅寺派の大本山の南禅寺エリアを訪れ、点在する多くの歴史的建造物に接し癒され、一方歴史学習も出来満足できた名所巡りでした。