飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五弾:長野県諏訪・蓼科・清里観光
2010年7月31日−8月1日


日本の中心に位置し海に面しない日本有数の山岳地帯の長野県に足を運び、7年に一度の諏訪大社御柱祭に沸く諏訪、高原リゾートとして名高い蓼科と清里を訪れました。

31日14:00新大阪のぞみで出発
14:51名古屋到達
15:00ワイドビューしなので名古屋出発
16:53塩尻到達
16:58塩尻中央線で出発
17:18上諏訪到達、レンタカーで諏訪エリア観光

約400年前、豊臣秀吉の武将、日根野織部正高吉によって築城。当時諏訪湖の水が城際まで迫り湖上に浮いて見えたことから、別名・諏訪の浮城と呼ばれた諏訪氏の居城。現在の天守閣は、1970年(昭和45)に復興されたもの。1・2階は資料室、3階は展望室になっている諏訪高島城を訪れる。

諏訪市・下諏訪町・岡谷市にまたがる県内最大の湖。周囲15.9km、面積13.3平方km。東岸一帯は公園として整備され、足湯やジョギングロードなどを利用可。約30分ごとに出航する遊覧船、足こぎボートも楽しめる。冬になると湖が全面結氷して亀裂が入る、「御神渡」とよばれる現象は、近年暖冬で見られることも少なくなった諏訪湖を訪れる。

諏訪市街から霧ケ峰高原へ向かう県道40号沿いに広がる展望スペース。園内には展望台があり、諏訪湖や諏訪の町並みが一望できる。サンセットポイントとしても有名な立石公園を訪れる。

3階の展望ラウンジから豪快に噴き上げる間欠泉を間近で見ることができる。吹き上げる時刻は10時、11時30分、13時30分、15時、16時30分。隣接して無料の足湯があるので、気軽に温泉を楽しめる諏訪湖間欠泉センターを訪れる。

17:00下諏訪駅付近のホテル到達後、市街地を散策して食事を済ませて床に就く。

8月1日4:30レンタカーで出発

日本電算サンキョーのコレクションを収蔵する博物館。ヨーロッパやアメリカのアンティークオルゴールを中心に約120点を展示。なかには150年以上前のものもあって変遷が分かる。2階では145年前スイス製のアンティークオルゴールの生演奏を聴くことができ、製作体験も可。人形作家・若月まり子氏の妖精人形展「夏の夜の夢」常設。オリジナルグッズ販売コーナー、オルゴールの音色を聴きながら休憩できる喫茶室る諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館の前で写真撮影。

日本で唯一の時計組立体験や世界で初めて完全復元した「幻の天文時計・水運儀象台」などの展示物を通じ、時や時計の歴史、技術を知ることができる博物館。時計組立体験はウォッチとクロックがあり、ビギナーコースから機械式時計専門コースまで幅広い組立体験ができる。ミュージアムショップでは、オリジナル時計やオーダーメイド製品を購入できる。また、旅の疲れを癒してくれる足湯もあり、気軽に利用できる諏訪湖時の科学館 儀象堂の前で写真撮影。

諏訪大社下社春宮の旧参道脇にある不思議な石仏。胴石に1660年(万治3)の銘がある。春宮の鳥居を造る際、この石にノミを入れたところ血が流れ出し、驚いた石工が霊の宿る石として阿弥陀如来を祭ったという。高さ2mの自然石の上に小さな頭がのった石仏で、画家の岡本太郎が「こんなにおもしろいものは見たことがない」と話したことから観光客が訪れるようになった万治の石仏を訪れる。

アンリ・ルソーやグランマ・モーゼスなど、世界的に貴重な素朴派の絵画を常設展示している。晴れた日には富士山が眺望できる絶好の地にあり、諏訪湖の自然と共に作品を鑑賞することができる。併設のティーセントホールでは音楽会や講演会などもでき、ジャンルを問わない芸術文化の発信基地になっているハーモ美術館の前で写真撮影。

美ヶ原方面に向かう。

美ケ原高原の南端にあり標高は2006m、多くの高山植物や蝶が見られるところ。山の南側はツガの原生林になっている。南アルプスや八ケ岳の眺めがよい。7月上旬に見ごろを迎えるレンゲツツジの時期はすばらしい茶臼山を訪れる。

美ケ原の北東に位置する標高1989mの展望のよい山。頂上付近に広がる草原では高山の草花が見られ、東は浅間の山並み、西には王ケ頭までの美ケ原高原のハイキングコースが一望できる牛伏山を訪れる。

美ケ原高原の一角、標高1990mの牛伏山東斜面一帯に広がる野外彫刻美術館。リーバーマンやセザールをはじめとする外国作家、建畠覚造や池田満寿夫などの国内作家による彫刻作品約350点を常設展示。13万3000平方mの緑豊かな敷地内には散策路が整備され、自然に調和した作品を鑑賞できる。春から秋にかけ、ヤナギラン・ノアザミ・マツムシソウなど200種類もの高山植物が場内を鮮やかに彩る美ケ原高原美術館を訪れる。

霧が峰・車山方面に向かう。

霧ケ峰の北西に広がるハート型の湿原。厚さ8mに及ぶ泥炭層は、ミズゴケなどの植物が腐葉土にならずに堆積・泥炭化したもの。約1万年をかけて形成された。湿原内には八島ケ池、鎌ケ池など水をたたえる池があり、周辺にはレンゲツツジ・ニッコウキスゲなど、約400種類の湿原植物や亜高山植物が自生する八島湿原を散策する。

車山を主峰に蝶々深山、鷺ケ峰までの東西約10km、南北約15kmにわたって広がる高原。約800種類もの植物が自生し、6月にはレンゲツツジ、7月にはニッコウキスゲが一面に咲く霧ケ峰高原を訪れる。

霧ケ峰の主峰、標高1925mの車山を中心に、なだらかに広がる緑豊かな高原。山頂からは八ケ岳連峰や南・北・中央アルプス、富士山など360度の大パノラマが広がっている。散策路も整備されており、霧ケ峰や八島湿原まで気軽にハイキングが楽しめる。緑の季節には、ニッコウキスゲをはじめとした約600種類の高山植物が次々と咲き誇り高原を彩る車山高原を訪れる。

白樺湖方面に向かう。

囲3.8km、最大水深9mの人造湖。湖畔は四季折々に美しい景観が広がり、春から夏にかけては格好のハイキングコースとなる白樺湖を訪れる。

標高1520mの高原にある山野草花園。ユリとキスゲの丘、黄金アカシア、ナナカマドの紅葉を中心に、リフトから四季の草花の見事な眺望が楽しめる白樺リゾート黄金アカシアの森を訪れる。

かつて赤沼平とよばれ、河童が住んでいたという伝説が残る湿原を堰き止めてできた人造湖。周囲約2kmと小さく、1周30分ほどで歩ける女神湖を訪れる。

ゴンドラリフトで行ける標高1830mの自然園。原生林におおわれた園内では多種多彩な高山植物が見られ、約50種類の野鳥が生息。1周約40分の遊歩道が整備されている御泉水自然園を訪れる。

蓼科方面に向かう。

周囲をカラマツや白樺の林に囲まれ、湖面に蓼科山を映す蓼科湖を訪れる。

フランスの女性画家、マリー・ローランサンの作品を収蔵・展示している美術館。代表作の『三人の若い女』をはじめ、デッサン帳から油彩の大作まで500点を超える作品を収蔵し、常時約100点を展示している。淡い色調と簡潔なフォルムで独自の画風を築き上げた彼女の世界が広がるマリー・ローランサン美術館を見学。

野辺山・清里方面に向かう。

日本が世界に誇る観測施設。電波望遠鏡と呼ばれる直径45mの巨大パラボラアンテナをはじめ、直径10mのアンテナ6基、直径80cmアンテナが84基が立ち並ぶ。人間の目には見えない天体からの電波を調べることで、星の誕生・銀河の構造・ブラックホールなど宇宙の謎を次々と解明。構内の見学コースには、解説パネル・展示室・受信体験ができる模型のほか、復元された天文台最古の電波望遠鏡もある国立天文台野辺山宇宙・太陽電波観測所を見学。

野辺山高原の代表的な記念撮影スポット。山間を縫うように走るJR小海線は、JRの路線のなかでも標高の一番高い1375mの地点を通過する。このポイントは、清里駅と野辺山駅の中間地点の旧国道と交差する踏切にあたり、そばには最高地点を示す木製の標柱が立ち、線路をはさんで反対側にも日本鉄道最高地点の石碑があるJR鉄道最高地点の碑を訪れる。

高1542mの小高い丘。駐車場のある美し森観光案内所から美し森山山頂までは、徒歩で10分ほど。山頂の展望台からは、清里高原や南アルプスなどが一望できる美し森を訪れる。

川俣渓谷に架かるアーチ型の橋。川俣東沢渓谷自然観察園遊歩道から見上げると、周囲の緑に鮮やかな朱色が映える。八ケ岳高原ライン沿いに立つレストハウスからのこの橋の眺めも見事の東沢大橋[川俣川渓谷]を訪れる。

1938年(昭和13)、ポール・ラッシュ博士が創設した、清里のシンボル的な建物。宿泊施設やレストラン、ソフトクリームやジャージー牛乳の乳製品を販売する売店がある。周辺は南アルプスから富士山まで展望できる牧草地で、牛が草を食むのどかな雰囲気。清里を開拓した博士の業績を紹介するポール・ラッシュ記念センター、隣接して八ケ岳の自然情報や動植物を展示する山梨県立八ケ岳自然ふれあいセンターも立つ清泉寮を訪れる。

ポール・ラッシュ博士の基本理念である「祈りと奉仕」の精神に従い、1948年(昭和23)にキープ協会のチャペルとして、また地域の福音伝道の拠点として建設された聖公会の教会。内部は全国でも数少ない畳敷きで、正面の聖所は、近くの川俣川渓谷から運び上げた石を積み上げて建てられたもの。日曜以外にも朝と夕方に聖鐘が鳴り礼拝が行われる清里聖アンデレ教会を訪れる。

19世紀末フランスのアール・ヌーヴォー様式のガラス工芸品を収蔵・展示している。必見はジョルジュ・デプレ作の『ラ・ヴァーグ(波)』。色ガラスの粉を混ぜ合わせ、型に詰めて焼き上げる、パート・ド・ヴェールという技法で、女性の淡い肌色と曲線を美しく表現している。ほかに、ドーム兄弟の『ななかまど』など、常時約200点を展示する清里北澤美術館を見学。

作品にあわせて設計された10の展示スペースで、ヨーゼフ・ボイスをはじめ、デュシャン、ジョン・ケージ、ライナーなど世界的な作家の作品を紹介。1960年代アメリカで起こった前衛芸術家運動、フルクサスの常設展示室は国内ではここのみ。展示内容に関連する音楽を流す、音の常設展示活動も特徴の一つ。見たり、聴いたり、現代美術をさまざまな視点で楽しめる清里現代美術館を見学。

草原に立つ絵本専門の美術館。展示室では国内外の絵本作家の原画を、約3カ月ごとに替えるえほんミュージアム清里を見学。

萌木の村内にあるオルゴール館。館内には自動演奏オルガンの「リモネール1900」をはじめ、貴重なオルゴール約250台を収蔵。そのうち常時70台を展示している萌木の村オルゴール館ホール・オブ・ホールズ[萌木の村]を訪れる。

八ケ岳南麓湧水群の一つで、「日本名水百選」にも選定されている。戦国時代、下流にある3つの村では水争いが絶えなかったという。そこで湧水口に三角の石柱を置き、平等に水を配分したことからこの名が付けられた。現在でも1日に8500トンもの清水が湧出し、農業用水として使われている。水温は年間を通じて約10度。夏はひんやりとして心地よい三分一湧水を訪れる。

0歳〜100歳のこどものこころへ。木の造形作家・松村太三郎と絵本作家・松村雅子が創り上げたネバーランドに通じる村。絵本の図書館と絵本原画や絵本の世界から生まれた木のインテリアアートを楽しめる美術館がある。マリオネットを使った人形劇や絵本ライブも上演するえほん村を見学。

ほのぼのとした作風で多くのファンを持つ童話作家、東君平の絵本や原画を展示。館内には氏が執筆活動をしていた部屋が再現され、毎日新聞で連載された『おはようどうわ』など、著作を自由に閲覧することができるくんぺい童話館を見学。

イギリスの19世紀の絵本画家、ケイト・グリーナウェイの作品をはじめ、欧米の絵本や絵本原画を約100点収蔵の小淵沢絵本美術館を見学。

「平和」をテーマに開館。M.コシチェルニアクの『聖家族』(アウシュヴィッツ収容所で描いたエッチング)や、ケーテ・コルヴィッツ『ピエタ』(ブロンズ彫刻)などを常設で展示。ウィルコンやスタシスなどの絵本原画も収蔵している小淵の森フィリア美術館を見学。

中央自動車道経由して諏訪方面に戻る。

7年に一度の諏訪大社御柱祭(次回は2010年)、冬の諏訪湖に生じる神秘的な氷の山脈・御神渡りや伝説など、諏訪の魅力を知ることができる。長野県宝・諏訪市指定文化財多数を含む、旧石器時代から昭和までの貴重な資料の展示のほか、映像や音響で分かりやすく紹介する諏訪市博物館を見学。

全国に1万以上の御分社をもつ諏訪神社の総本社。諏訪湖の南に上社本宮・前宮、北に下社秋宮・春宮があり、この4宮を諏訪大社と称する。このうち中央自動車道諏訪ICの近くにあり、貴重な建造物が最も多くの残るのがここ。祭神は建御名方神で、農耕や勝負、家内安全、弥栄の神として崇められている諏訪大社上社本宮を訪れる。

上社本宮から東南に約1.5km、八ケ岳や諏訪平を一望する茅野市宮川の高台にある。本宮の祭神・建御名方神が諏訪に入り、最初に居を定めた場所で、本宮の前身といわれている。こちらの祭神は、建御名方神の妃・八坂刀売神。毎年4月15日には、本宮から前宮へ御神輿の渡御が行われる上社第一の祭儀、御頭祭がし執行される諏訪大社上社前宮を訪れる。

本宮と前宮の間に立つ史料館。諏訪大社の神長官として、祭祀を司っていた守矢家に代々受け継がれている史料を展示している。なかでも諏訪大社に古代から伝わる御頭祭の神饌の復元展示は必見。そのほか、さなぎの鈴とよばれる鉄鐸などもある茅野市神長官守矢史料館を見学。

日本最大級のガラスミュージアムショップと、アール・ヌーヴォー、アール・デコ、ガラス工芸コレクションの北澤美術館・新館が併設されている。館内には体験工房もあり、オリジナルのガラス作品を製作できるSUWA ガラスの里 北澤美術館新館を見学。

17:30上諏訪駅到達
18:49上諏訪駅出発
19:10塩尻駅到達
19:18塩尻駅ワイドビューしなので出発
21:20名古屋駅到達
21:35新幹線のぞみで名古屋駅出発
22:26新大阪到達

今回の旅行、大阪は猛暑、涼みに日本の中心に位置し海に面しない日本有数の山岳地帯の長野県に足を運び、7年に一度の大祭・諏訪大社御柱祭で盛り上がり、湖畔に大型宿が立ち並ぶ湯量の豊富な上諏訪と中山道の宿場町の風情が残る下諏訪のある諏訪エリア

蓼科高原から美ヶ原高原まで延びるビーナスライン、その周辺ではニッコウキスゲの花畑などダイナミックな自然を眺めながらドライブを楽しめる蓼科・霧が峰・車山・白樺湖・女神湖・美ヶ原エリア

清里寮周辺を中心に、高原らしい牧歌的な風景が広がり、高原リゾートとして名高い清里エリア

1泊2日で大自然の真っ只中の有名な高原リゾートのドライブ観光楽しめました。

夏場の避暑、信州はもってこいですね。
大自然の風景を見渡しながらのドライブ観光、心身共にリラクゼーション・体力造り・健康維持すばらしいです。

広い信州、他にも大自然が盛りだくさんです。北海道とは又違った地形、比較的近場で訪れやすい長野県、これからも頻繁に足を運びたいと思います。


















奈良県十津川観光
2010年7月28日


奈良県の最南部にある、日本一大きな村で、電車が通っておらず、交通手段は車または、バスでの移動となり、村の北部にある吊り橋で有名な谷瀬のつり橋がある十津川村を訪れました。

12:30車で阪神近畿南阪奈自動車道経由して
14:15十津川村到達

十津川に架かる上野地地区と対岸の谷瀬地区とを結ぶ大吊橋。1954年(昭和29)に完成し、全長297.7m、川面からの高さは54mある。水量のわりに極端に広い河原は明治の大水害の名残り。ここにかつて集落や耕地があった。被災した2600の村民は、新天地を北海道に求めて移住し、新十津川町をつくった。橋はGWとお盆には渡橋が一方通行になる。毎年8月4日には、橋上で和太鼓を叩く揺れ太鼓が催される谷瀬の吊り橋を訪れる。

十津川郷士の歴史的な活躍を物語る刀や鉄砲、旗、軸、天誅組の檄文などの古文書を展示。かつての山村の暮らしぶりも再現されている。北海道への移住のきっかけとなった、1889年(明治22)の大水害の記録のほか、玉置神社に奉納されていた梵鐘(重要文化財)も見学可。向かいの道の駅十津川郷地下1階には、民具や木材をテーマにしたむかし館がある十津川村歴史民俗資料館を見学。

玉置山山麓の約200万平方mが紀伊半島森林植物公園になっていて、紀伊半島に自生する樹木や草本類を集めた樹木見本園、遊歩道などが整備されている。21世紀の森には120種類約1万本のシャクナゲを集めた世界の森があり、4〜5月にいっせいに花が咲く様はまさに圧巻。このほか、自然に親しみながら森の様子が学べる森林館や、スポーツが楽しめる広いグランドもある21世紀の森・紀伊半島森林植物公園を散策する。

標高1076mの玉置山山頂近く鎮座し、熊野三山の奥の宮と称される古社。世界遺産に指定された大峰奥駈動の道上にあり修験道の行場としても栄えた。境内は樹齢3000年といわれる神代杉を始め、天然記念物に指定されている杉の巨樹群に包まれ、春にはシャクナゲが一円に開花する。社務所内では狩野派の筆による極彩色の杉戸・襖絵が拝観出来る。社務所は重要文化財に指定されている玉置神社を訪れる。

二津野ダムによってできた人工湖で、湖畔には旅館や商店が集まる十津川温泉がある。山々に囲まれた湖は水鳥の生息地で、11〜3月には全国有数のオシドリの越冬地になる二津野湖を訪れる。

17:00終了。

今回は奈良県の最南部、和歌山県と境にある日本一大きな村で、電車が通っておらず、交通手段は車または、バスでの移動となる十津川に足を運び、

日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋、上野地と谷瀬を結ぶこの巨大なつり橋は長さ297メートル高さ54メートル。そびえ立つ深い山々に囲まれ、眼下には清澄な十津川(熊野川)が流れまさに絶景、最高のロケーションの谷瀬の吊橋、

世界のシャクナゲ1万本、村の花石楠花を世界中から集めた「世界の森」深い森のみどりの中にピンク、白、藤色、赤紫など色とりどりの花々が咲き誇ります21世紀の森・紀伊半島森林植物公園、

人里遠く離れた紀伊半島中央の、熊野のやまなみの雲海は、 はるか太平洋を遠望する霊峰玉置山。神々が降り立つ玉置山の標高1076mの境内には 神代杉をはじめ樹齢3000年といわれる老樹大樹が社となりその懐に抱かれるように荘厳な玉置神社の神殿、

を訪れ秘境と呼べる十津川の大自然と文化に接し満喫しました。




京都保津川カヌー&ラフティング
2010年7月25日


京都の桂川の亀岡市外付近から京都市右京区嵐山あたりまでの区間を指し、春は桜、秋は紅葉の観光名所で通年の川下りの遊船があり、また、川に沿って観光用トロッコ電車も運行する保津川に足を運び、嵐山から上流のおよそ、10kmの区間をカヌー&ラフトで川下りしてきました。

8:00大阪駅集合出発、車で阪神高速経由して
9:30亀岡馬堀駅付近の保津川スタート点到達、準備して
11:00ラフテングとカヌー組みに分かれてスタート

子鮎の滝、大高瀬、獅子ヶ口の瀬、二股の瀬、朝日の瀬、ビキニの瀬、大瀬などの2級以上の7つの瀬の最初の瀬をところどころ沈する艇有り、岩にへばり付いてなかなか脱出できない艇あり、結構険しい川くだりでした。

しかし皆さん徐々に慣れてきてその後の瀬を問題なくクリアでき、すばらしいく美しい保津川渓谷の風景を景観しながら、快適な川下りを経験し有意義な日を過ごすことができました。

15:30嵐山到達、トロッコ電車で観光気分を味わいながら亀岡駅到達、車を嵐山に回送し、あとかたずけして近くの温泉に向かう。

18:00温泉に浸かる。
19:00食事
20:00帰路に向かう。
21:30大阪駅到達解散。

今回の川下りイベント、近場の有名な京都保津川に足を運び、天候晴れ、水量申し分なく、絶好の川下り日和、16人の大所帯でカヌーとラフトに分かれて急流保津川をチャレンジしました。
2級以上の7つの瀬をところどころ沈していましたが快適な川くだりで満喫できました。

保津川は近場で、又面白い瀬がたくさんあって、これから毎年チャレンジして行きたい楽しい川でした。


滋賀県湖北観光
2010年7月24日


びわ湖を中央に抱く滋賀県の湖北に足を運び、里人に守られてきた観音の里、戦国大名浅井氏の郷土、高月・木之本、天女伝説の余呉湖、桜並木の奥びわ湖パークウエイの奥琵琶湖周辺を訪れました。

12:30車で第二京阪名神北陸自動車道経由して長浜インター下車
13:45高月方面到達

能装束や能面など多彩な能楽資料を展示。この地は江戸時代、養蚕業が盛んだったことから、光沢のある良質の絹糸で将軍家の能装束や衣服が織られたという浅井能楽資料館を見学。

琵琶湖の北端・滋賀県伊香郡は、国宝や重要文化財など仏教文化財が数多く残されている。なかでも観音像が多く、高月町・木之本町は「観音の里」と呼ばれている。向源寺に隣接するこの資料館では、指定文化財11件を含む展示をはじめ、観音像の変遷や信仰の歴史、湖北地方のあゆみ、民俗・宗教的文化的特質などを様々な資料で解説している高月観音の里歴史民俗資料館を見学。

滋賀県内で唯一、国宝に指定されている十一面観音立像(平安初期作)(国宝)を祭る。頭に配置された菩薩の配列や、鼓胴形の大きな耳飾りが特徴的だ。736年(天平8)に僧泰澄が、都に流行していた疫病除けの奇岩を込めて刻んだと伝えられる。織田信長の小谷攻めのときに堂宇は焼失したが、観音像は村人らが運び出して難を逃れたという向源寺を訪れる。

肩幅が広くお腹の肉付きも豊かで、表情もふっくらとしているため、見ている人を穏やかな感情にさせる十一面観音立像(重要文化財)を安置する西野薬師堂を訪れる。

固く結んだふくよかな唇に、わずかに朱が残っている愛らしい姿の十一面観音立像(重要文化財)を本尊として安置している。作家・井上靖が、小説『星と祭』の中で当時の観音像の姿を村の若い娘にたとえたことで有名な石道寺を訪れる。

己高閣は、1963年(昭和38)に県が建てた文化財収蔵庫。かつて山岳信仰の霊場として栄えたが無住・廃寺となった、己高山諸寺の寺宝を安置。素朴な容姿の鶏足寺十一面観音立像(重要文化財)をはじめ、七仏薬師など約90躯の貴重な仏像と資料が収められている。世代閣には、戸岩寺本尊薬師如来立像や十二神将像など5体の重要文化財を収蔵。紅葉の名所として人気がある己高閣・世代閣を訪れる。

古くから眼の仏として信仰を集める寺。寺には眼を患った人の身代わりに片目を閉じたカエルが棲むといわれ、境内のいたるところに「身代わり蛙」というカエルのお守りが奉納されている。境内の大地蔵は本尊の地蔵菩薩(秘仏)を写したものの木之本地蔵院を訪れる。

奥琵琶方面に向かう。

大箕山山中にある真言宗の寺。余呉湖に残る伝説の天女が産んだ子といわれる菅原道真が、京に上る11才まで勉学に励んだと伝えられている。山門の前には道真が植えたという樹齢1000余年、高さ約15mのケヤキの大木がそびえている。境内にある銅鐘(重要文化財)は鎌倉時代のものの菅山寺の近くに寄る。

賤ケ岳の北に位置する周囲約6.4kmの湖。羽衣伝説が残る地として知られ、水面が穏やかで周辺の山々を映すことから「鏡湖」とも呼ばれている。湖を囲むように遊歩道があり、サイクリングやバードウォッチングが楽しめる。コイやフナ釣りのほか、冬はワカサギ釣りもできる余呉湖を訪れる。

1582年(天正10)、本能寺の変で死去した織田信長の跡目を巡って、羽柴秀吉が柴田勝家と争った戦場跡。そのとき奮戦した福島正則や加藤清正ら7人の武将は、「賤ケ岳の七本槍」と呼ばれている。七本槍の武士像が立つ賤ケ岳山頂からは、余呉湖、竹生島など奥琵琶湖周辺が一望できる賤ケ岳古戦場を訪れる。

琵琶湖の最北に突き出した葛籠尾半島の山並みを縫うように走る、全長18.8kmのドライブウェイ。四季折々の美しいパノラマが楽しめるが、沿道の約4000本の桜が咲き誇る春は特に美しい奥琵琶湖パークウェイを走行する。

16:30終了。

今回の近場の名所巡り、びわ湖の湖北に足を運び、戦国大名浅井氏の郷土、平安時代作の像をはじめ、戦国時代より里人によって守り伝えられてきた観音像が、現在も数多く安置されている高月・木之本、天女の羽衣伝説や龍神・菊石姫伝説など、数々の神秘的な伝説が残っている余呉湖、桜並木の奥びわ湖パークウエイの奥びわ湖周辺を訪れ自然と歴史文化に触れ有意義な日々を送ることが出来ました。





兵庫県神戸市有馬観光
2010年7月21日


日本のほぼ中央に位置し東経135度の日本標準時子午線が通ることでも知られ、瀬戸内海と日本海に面し、県の中央部には高原が広がり、気候、文化とも多彩な兵庫県に足を運び、日本三古泉のひとつであり、太閤秀吉とゆかりの深いことでも知られる有馬温泉エリアを訪れました。

12:30車で阪神中国自動車道経由して
13:30有馬温泉到達、散策する。

奈良時代に僧行基が開創、落葉山の麓に立つ。現在は曹洞宗の禅寺で、本堂には阿弥陀如来像と、聖徳太子立像(重要文化財)が安置される。黒光りする高さ約70cmの太子像は、鎌倉時代の作風で、運慶4代目の法印湛幸の銘がある。豊臣秀吉が茶会を開き、阿弥陀堂釜も残る。4月上旬には境内に糸桜と呼ばれるしだれ桜が美しく咲く善福寺を訪れる。

炭酸せんべいの原料にもなっている天然の炭酸水が湧き出る泉源。清涼飲料水として地元の人に親しまれている。広場の中で飲むこともできる炭酸泉源広場を訪れる。

秀吉の正室北政所の別邸跡と伝えられる。「沙羅樹園」と呼ばれる庭には樹齢300年といわれる沙羅双樹の大木があり、6月中旬には椿に似た白い花をつける念仏寺を訪れる。

1995年の大震災で壊れた極楽寺の庫裏下から秀吉ゆかりの「湯山御殿」跡とみられる遺構が現れた。蒸し風呂や岩風呂の遺構、出土品などを見ることができる太閤の湯殿館を見学。

724年(神亀元年)創建の有馬で最も古い寺。運慶作といわれる波夷羅大将(重要文化財)などの寺宝を所蔵する温泉寺を訪れる。

天満宮の境内にある、金泉の泉源。勢いよく湯煙を上げている。泉質は含鉄強食塩泉で、神経痛、リウマチ、胃腸病に効能がある。地中では無色透明だが空気にふれて酸化すると赤さび色に変わる天神泉源を訪れる。

黄檗宗瑞宝寺があった跡地。現在は伏見城の遺構という山門だけが残る。秀吉が「いくら見ていても飽きない」と賞賛したという「日暮らしの庭」は燃えるような紅葉の季節が特にすばらしい瑞宝寺公園を散策する。

岩の空洞にあたる音が鼓の音のように聞こえたことから鼓ケ滝の名が付いた。洪水で岩の形が変わり鼓の音は聞こえなくなったが、六甲山の樹木を背景に流れ落ちる姿は壮観の鼓ケ滝公園を散策する。

宝塚・西宮・芦屋など阪神間の諸都市と神戸市の北部を東西約30kmにわたって屏風のようにそびえ立つ標高931mの連峰で、明治初年に外国人が別荘を構えた頃から、保養地としての開発が進み、山上一帯は1956年に瀬戸内海国立公園に編入された。山頂付近は、神戸市街地と比較して10度近く涼しく、山上には、六甲ガーデンテラス、高山植物園、カンツリーハウス、森林植物園、六甲山牧場、フィールドアスレチック、人工スキー場など、楽しみめる施設が数多くある六甲山を六甲有馬ロープウェイで訪れる。

老朽化のため閉鎖された、六甲山山頂の「回る十国展望台」の後継施設として、欧州の山あいにある田舎町をイメージした庭園施設がオープンし、「六甲山の自然と神戸の異国情緒を味わえる、くつろぎの空間」というコンセプトの施設です。約1万2千uの敷地には、眼下に神戸の夜景が広がる石造りの展望塔(高さ約11m)、カジュアルなランチやアフタヌーンティーが楽しめる山小屋風カフェレストラン、フェアトレード製品やアクセサリー、菓子類など幅広い品ぞろえの雑貨店などが並びます。また御影石と木製デッキを組み合わせてできた展望スペースもあり、ゆったりとくつろげる六甲ガーデンテラスを散策する。

神戸・六甲山の新しいランドマークとして建設された大木をイメージした高さ約10メートルの支柱に、葉脈状の網目のドームがかぶさった独特の形状の自然体感展望台「六甲枝垂れ」を訪れる。

六甲有馬ロープウェイで有馬に戻る。

17:00終了。

今回の近場の名所巡り、梅雨明けてから一変して猛暑、比較的涼しい標高の高い有馬に足を運び太閤秀吉ゆかりの日本三古泉を散策しました。しかし思ったほど涼しくなく、有馬六甲ロープウエイで六甲山に渡りました。

標高800m以上の山、さすがここまできたら涼しく、涼むことが出来ました。神戸の町並みを眺望できる六甲ガーデンテラスは回る十国展望台からリニューアルし、又今年神戸・六甲山の新しいランドマークとして建設された自然体感展望台「六甲枝垂れ」が完成し、ドームで「枝垂れ」を表現する一方、内部には氷を蓄え、空調を使わずに吹き抜ける風で涼しさを体感できるなど、自然に調和したさまざまな工夫が施されているが驚きでした。

エコ建築物です。これからはやるかもしれませんね。エコカー、エコ家電に続いてエコ建築物、面白そうです。楽しみです。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四弾:北海道道東観光
2010年7月17ー19日


北海道の東に位置する原生林や湿地帯が豊かな姿を今に留め、火山活動も活発なブロックである道東に足を運び、オホーツク沿岸に広がる漁業主体のエリア、海岸沿いの砂丘にはいくつもの原生花園が連なる網走・サロマ湖・紋別、オホーツク海に突き出るように横たわる半島、険しい地形に守られ、ヒグマの生息密度は世界有数、今なお原生の自然を残す野生動物の楽園である世界自然遺産に登録された知床半島、火山によって生まれた屈斜路・阿寒の大カルデラを中心とするエリア、原生林に包まれた阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖の雄大な眺めと道内屈指の温泉郷が待っている阿寒国立公園を訪れました。

17日15:20伊丹空港出発
17:15旭川空港到達、レンタカーで旭川市街地に向かう。
18:00旭川駅付近のホテル到達後、繁華街を散策して食事を済ませて床に就く。
18日5:00レンタカーで出発、紋別方面に向かう。

本有数のシバザクラの名所。5月中旬〜6月上旬にかけて、10万平方mもの広大な丘の斜面一面にピンクのシバザクラが一斉に咲き誇る景観はみごとな滝上公園を訪れる。

沖合い1kmに位置する展望塔。夏はエメラルドグリーンのオホーツク海、冬は流氷に覆われた白い海を見ることができる。流氷の妖精といわれるクリオネを常時展示している氷海展望塔オホーツクタワーを訪れる。

さまざまな角度から流氷を紹介する施設。なかでも、360度のドームいっぱいに映像が映し出されるアストロビジョンは必見だ。マイナス20度に保たれた厳寒体験室では真夏でもオホーツクの冬を体感でき、本物の流氷や氷漬けの魚が水族館のように展示されている。ほかに流氷観測室や流氷プレイランドもある北海道立オホーツク流氷科学センター「ギザ」を訪れる。

サロマ湖方面に向かう。

約20kmもの長大な砂州によってオホーツク海と隔てられた、周囲約91kmの汽水湖。北海道では最大、日本でも琵琶湖、霞ケ浦に次いで3番目に大きい湖で、独特の美しい湖面の青色は「サロマンブルー」と呼ばれている。観光の拠点となる栄浦の湖岸から見る夕日もすばらしいサロマ湖を訪れる。

周囲約91kmのサロマ湖は北見市常呂町、佐呂間町、湧別町の3つの町にまたがる大きな湖。約20kmにも及ぶ細長い砂州によってオホーツク海と区切られている。湖の南側に位置する幌岩山の山頂付近にある展望台は、広大な湖のほぼ全景を望むことができる希少なビュースポットのサロマ湖展望台を訪れる。

龍宮街道にある海浜植物の群落で、日本最大級の原生花園。ハマナス、エゾスカシユリ、センダイハギなど300種以上の色とりどりの花々が一面に咲く6〜8月がみごろ。園内は自然保護のため、車の乗り入れは禁止だが、約4kmの遊歩道が設けられ、レンタサイクルや観光馬車で自然散策が楽しめるサロマ湖ワッカ原生花園[龍宮街道]を散策する。

南湖畔の最深部に北海道屈指のサンゴソウの群落地がある。これはアカザ科の一年草で、10cmほどの背丈の茎だけの植物だ。9月になると紅葉したサンゴソウが湖岸の湿地帯全体を真っ赤に染める能取湖を訪れる。

網走方面に向かう。

網走市街の南西に位置する、周囲43kmの海跡湖。東湖畔の中央部から突き出す呼人半島には、バードウオッチングや散策に最適な全長7kmの遊歩道が整備されている。この半島の付け根周辺にはミズバショウの群生地があり、4月下旬から5月上旬にかけて湖畔に咲く白い花々を見ることができる。夕陽が湖面を真っ赤に染め上げる夕景もみごとの網走湖を訪れる。

網走川のほとり、かつての番外地に今も残る現役の刑務所。前身は網走囚徒外役所で、1890年(明治23)、北海道の道路開削のため、全国各地の監獄から移送した重罪犯受刑者を収容する目的で設置された。1922年(大正11)築の重厚なレンガ造りの門は、刑務所内の土を焼いて作られたレンガでできている。この赤レンガの門は、記念撮影スポットして多くの観光客が訪れている。もちろん、現役の刑務所なので所内に入ることはできないが、正門前まで近づくことができる網走刑務所を訪れる。

網走刑務所の旧建築物群を移築・復原した野外博物館。館内には放射状に繋がる5棟の舎房をはじめ、浴場や教誨堂など、さまざまな建築物群が並ぶ。教誨堂、五翼放射状平屋舎房、二見ケ岡農場は登録有形文化財に指定されている。各施設には人形が配され、当時の生活をリアルに分かりやすく再現している博物館網走監獄を見学。

流氷をテーマにした展示館。マイナス18度に保たれた流氷体験室には、本物の流氷が置かれ、年間を通して厳寒のオホーツクの冬を体感できる。「流氷の天使」とも呼ばれるクリオネ、フウセンウオ、イクオネなども飼育展示しているオホーツク流氷館を見学。

アイヌをはじめ、ロシアやアメリカ、カナダ、北欧諸国、中国など北方に暮らす諸民族の文化がわかる国内唯一の北方民族専門博物館。常設展示室には900点を超える貴重な資料が、衣食住などのテーマ別に展示されている。アザラシの腸で作られた衣服や白樺樹皮製の船など、北方民族の知恵や技術がわかる実物資料に加え、コンピューターによる展示機器も設置。網走のモヨロ貝塚に代表されるオホーツク文化のコーナーも充実している北海道立北方民族博物館を見学。

国道244号沿いのオホーツク海と濤沸湖に挟まれた細長い砂丘に広がる原生花園。5月下旬〜9月の開花期は約70種類の野生の花々が咲き誇り、色鮮やかな花畑を散策できる。エゾスカシユリやエゾキスゲ、ハマナスなど、代表的な花が咲きそろう6月中旬から7月中旬が見ごろの小清水原生花園を訪れる。

砂州を挟んでオホーツク海と隔てられている潟湖。砂州の上をJR釧網本線と国道244号が走り、浜小清水と北浜の間は、両側を海と湖に囲まれている濤沸湖を訪れる。

知床ウトロ方面に向かう。

オホーツク海に面した海岸の砂丘に広がる原生花園。ハマナスやハマエンドウなど野生の花々が咲き乱れる夏場の風景はみごと。とくに6月下旬から7月に見られるエゾスカシユリの群落は圧巻の以久科原生花園を訪れる。

双美の滝とも呼ばれ、途中から二股に分かれて豪快に流れ落ちる様は涼味満点。国道沿いの駐車場から見学できるオシンコシンの滝を訪れる。

深い原生林に抱かれた溶岩台地にある5つの小さな湖の総称が知床五湖。遊歩道でめぐるそれぞれの湖に固有の名称がなく、時計回りに第一湖から第五湖までの番号で呼ばれる。貴重な野生生物が多く生息し、駐車場の近くには展望台もあり、ここからの眺めも絶景の知床五湖を散策する。

知床横断道路を走行し羅臼方面に向かう。

半島のウトロと羅臼を結ぶ知床横断道路は、全長27kmの曲がりくねった峠道。知床峠はその道路の再頂部、真正面に羅臼岳、眼下に深緑の大樹海、彼方には根室海峡と、そこに浮かぶ国後島を望む大パノラマが楽しめる知床峠を訪れる。

標高1661m、知床連峰の最高峰。夏も雪渓が多く残り、雪解けの早い場所から多彩な高山植物が咲き乱れるお花畑は7月下旬が見ごろだ。登山口は斜里側と羅臼側にあり、山頂から望む大パノラマは遠く国後島まで見晴せて圧巻の羅臼岳を眺望する。

羅臼市街を見下ろす海抜167mの高台にある眺望スポット。展望塔からは、港や羅臼岳をはじめとする知床の山々、そして北方領土の国後島まで一望できる。展望塔の1階では、北方領土に関するさまざまな資料を展示。また映像室では、知床と国後島の空撮やCGを中心に、北方領土問題についても映像で紹介している羅臼国後展望塔を訪れる。

18:30終了、網走に戻る。
20:00網走駅付近のホテル到達後、市街地を散策して食事を済ませて床に就く。

19日4:15レンタカーで出発、摩周湖方面に向かう。

屈斜路湖の北部にそびえる、標高1000mの小高い山の途中にある展望公園。屈斜路湖とその周辺を見渡す絶好のポイントの藻琴山展望駐車公園を訪れる。

裏摩周展望台から北へ3kmほど進んだ場所にある、周囲わずか220mの小さな池。摩周湖の伏流水が湧き出しているといわれ、ここから一日に湧出する水の量はなんと1万2000トン。多量の水が湧き、冬でも凍ることはない。澄んだ水は天候などによって、エメラルドグリーンや淡い青に変色する。「神からの贈り物」と敬称され、「神の子池」という名が付いたといわれる神の子池を訪れる。

摩周湖の北東、弟子屈町と清里町の境に位置する穴場的展望台。第一・第三展望台より標高が低く湖の北側にあるため、霧が出やすい夏場でも、他の展望台に比べて湖面の見える確率が高いといわれる裏摩周展望台を訪れ摩周湖を眺望する。やや雲が掛っていました。

野付半島方面に向かう。

標高271mの小高い丘の上にある展望台。眼下に広がる緑の根釧原野は、はるか彼方で地平線にとけこみ地球の丸みに沿って緩やかな弧を描く。根室海峡、知床連山、そして北方領土の島影も霞む雄大な風景を望めるほか、北海道遺産に認定された格子状防風林も見ることができる開陽台を訪れる。

サケの生態を楽しみながら学べる施設。世界のサケ科魚類約30種類を、稚魚から成魚まで観察できる。標津川の側面をガラス越しに観察する人口魚道は必見の標津サーモン科学館に寄る。

野付とはアイヌ語で「あご」の意味。エビが背を曲げたような形で根室半島に突き出している。地学的には分岐砂嘴といい、川が排出した土砂を海流が運んで造りあげた陸地。日本最大で付け根から突端までは約28kmもある。半島一帯は原生花園になっており、春と秋には野付湾に北海シマエビ漁の打瀬舟が浮かぶ。平成17年11月にはラムサール条約に認定された野付半島を訪れる。

野付半島ネイチャーセンターの建物裏手からトドワラルートと呼ばれる自然探勝路があり、この先にトドマツが海水の浸食と潮風によって朽ちたトドワラがある。かつては立ち枯れた木が一面に見られたが、現在は大半が風化のため倒木している。野付半島のほぼ中央には、ミズナラが立ち枯れたナラワラもあるトドワラ・ナラワラを訪れる。

摩周湖・阿寒湖方面に向かう。

周囲約20km、最大水深212m。湖には流入する川も流出する川もなく、有機物が出入りしづらい。夏場でも14℃前後と年間を通して水温が低いため、植物も含めてあらゆる生物が生息しにくい環境にある。これらの要因から湖水に不純物の発生する条件が少なく、高い透明度を保っている。中央にはカムイッシュ島が浮かび湖面にアクセントを加えている。アイヌの人々がカムイトー(神の湖)と名付け、まさに神の住む領域としてあがめてきたが、神秘的なたたずまいはその名にふさわしい摩周湖を訪れる。

通称表摩周と呼ばれる、摩周湖南側の外輪山を走る道道沿いにある展望台。もっともポピュラーなのが第一展望台だ。物産センターを兼ねた大型レストハウスや大型駐車場が整備され、いつも多くの人で賑わう摩周湖第一展望台から眺望する。

摩周第一展望台から北に約4km。第一展望台に比べて標高が高く、訪れる人も少ないので、静かに湖の眺めを楽しむことができる摩周湖第三展望台から眺望する。

川湯温泉の南側にある、標高512mの小高い活火山。茶色の地肌がむき出しの山麓から山頂にかけて無数の噴気孔があり、硫黄分を含んだ白煙が上がっている。裾野はエゾイソツツジの大群落があり、6月中旬から7月上旬には純白の花が一斉に咲き誇る硫黄山を訪れる。

周囲57kmの屈斜路湖は、阿寒国立公園で最大、道内でもサロマ湖に次ぎ2番目に大きい。アイヌ語で湖が川になり流れ出すところを意味するクッチャロが語源。南岸に和琴半島が突き出し、湖上に中島が浮かぶ屈斜路湖を訪れる。

かつてはパンケトー、ペンケトーとともに古阿寒湖というひとつの湖だったが、約6000年前に起こった雄阿寒岳の噴火により現在の3湖に分かれたといわれている。湖上には大小4つの島が点在。南岸には阿寒湖温泉が湧き、道内屈指の人気観光地。マリモ(特別天然記念物)が生息し、ヒメマスの原産湖として有名な阿寒湖を訪れる。

道東自動車道経由して富良野から旭川空港に向かう。

17:00旭川空港到達。
17:50旭川空港出発
19:20伊丹空港到達。

今回の旅行、北海道の東に位置する原生林や湿地帯が豊かな姿を今に留め、火山活動も活発なブロックである道北に足を運び、流氷観光の町として知られる紋別、

オホーツク海と全長20kmの砂しによって区切られて出来た北海道最大の湖・サロマ湖、日本有数のホタテやカキの養殖地として知られ、又ワッカ原生花園は300種以上の草花が生息する海岸草原が位置するサロマ湖エリア、

オホーツク海を望む港町、有名な網走刑務所のが存在する網走、

北半球で流氷が到達する南限の地、流氷に始まり、海と川と陸が有機的につながっていて、多くの野生動物が暮らす聖地を原生のまま残している世界自然遺産に登録された知床半島、

北海道東部に広がる起伏の少ない台地が果てしなく続く根釧台地、荒涼とした風景が広がるトドワラがある野付半島がある中標津、

火山によって生まれた屈斜路・阿寒の大カルデラを中心とするエリア、原生林に包まれた阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖の雄大な眺めと道内屈指の温泉郷が待っている阿寒国立公園

2泊3日のドライブ観光堪能しました。

関西は梅雨明け宣言でしたが、さすが北海道、まだ梅雨は明けておらず、はっきりしない天気でした。18日19日とも朝晩は雨、時々猛烈な雨が降りましたが運よく昼間は晴れて大自然の風景を視界良く、クリアに美しく望むことが出来ました。特に知床半島の五湖、阿寒国立公園の摩周湖・屈斜路湖・阿寒湖は美しさは圧巻でした。

特に摩周湖は3回目ですが今回の訪れは今までにないすばらしく美しい神秘的な摩周湖を望むことが出来、感無量でした。

何回訪れても飽きの来ない北海道の風景、広大ですが、遠方には険しい山並が聳え、道路は広くて、真っ直ぐ、車も少なく、渋滞知らず、ストレスのないドライブを楽しむことが出来ます。

2泊3日で走行距離1320km、飽きの来ない疲れを感じさせない北海道ドライブ、本州とは全く違った地形、これからも時間が取れれば何回も訪れたい北海道ドライブ観光でした。

















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三弾:福井県若狭観光
2010年7月10ー11日


南越前町と敦賀市を隔てる稜線を境に、北部の越前と南部の若狭に分けられる福井県の若狭に足を運び、港町の雰囲気が漂う若狭路の玄関口敦賀、海山と5つの湖に彩られた若狭湾きっての景勝地、三方五湖、京の都と繋がりも深かった鯖街道の拠点、小浜、海と山の豊かな自然に包まれた高浜・おおいを訪れました。

10日22:00大阪市内で大学の同窓会を終えてから車で阪神近畿第二京阪北陸自動車道経由して敦賀方面に向かう。

11日00:15敦賀駅付近のホテル到達、宿泊
6:00車で出発、早朝の敦賀市内を観光する。

702年(大宝2)創建の古社。伊奢沙別命をはじめ7柱の神を祭り、「けひさん」の名で親しまれる。高さ10.9mの大鳥居(重要文化財)は、木造の鳥居では奈良の春日大社、広島の厳島神社と並ぶ日本三大鳥居の一つの氣比神宮を訪れる。

明治から昭和初期にかけて港を中心に国際的な都市として発展した敦賀。その当時の面影を今もとどめる建造物だ。1905年(明治38)に紐育[ニューヨーク]スタンダード石油会社によって建てられた。オランダ製レンガ造りの建物は外国人の設計で、柱6本の内側に壁を設けているため内部は無柱の空間となっていることやフィート単位で造られているのが特徴の赤レンガ倉庫を訪れる。

敦賀まつりの山車3基を展示。迫力ある山車巡行の様子を映し出すスクリーンシアター。敦賀の山車の特徴である、武者人形に飾り付ける実物の鎧、兜、能面なども見学できるみなとつるが山車会館に寄る。

日本三大松原の一つ。敦賀湾に沿って曲線を描く砂浜に、約1万7000本の松林が広がる。夏は海水浴客で賑わう気比の松原を訪れる。

200インチ大画面スーパーシアターでの映像や資料展示で、昆布を紹介するテーマパーク昆布館に寄る。

豪農の柴田権右衛門が、絵師の狩野探幽に地割り設計を依頼したと伝えられる築山回遊式林泉庭園。江戸時代の前期に造られ、参勤交代の時には小浜藩主の休憩場所にもなっていたという。野坂山を借景とした庭が、落ち着いた空間を造りだしている柴田氏庭園を訪れる。

敦賀市街の北西に若狭湾と敦賀湾を分けるように延びる半島。注連縄で結ばれた夫婦岩の姿が伊勢二見と似ていることから、敦賀二見と呼ばれる弁天岩も名所のひとつ。また、西浦海岸は水が美しい海水浴場があり、若狭国定公園に指定されている。半島の先端近くに浮かぶ水島は、海水の透明度が高く、白砂で遠浅の美しいビーチが広がる。夏には色ケ浜と浦底から渡し船が出ている敦賀半島に向かう。

日本の原子力発電所の仕組みや周辺の自然を学べる。近くには猪ケ池野鳥園がある敦賀原子力館に寄る。

美浜町と若狭町にまたがる5つの湖の総称。2005年(平成17)に国際ラムサール条約に登録された。三方湖は淡水、日向湖は海水、水月湖、菅湖、久々子湖は海水と淡水が混じる。それぞれに水質と水深が異なるため水の色が微妙に違い、五色の湖とも呼ばれる。多種多様な魚介類が生息することから釣客も多く訪れる。若狭湾東岸の三方断層下の沈降部に水が溜まってできたといわれ、周囲の山々や海、5つの湖が入り組んで造り出すその美しい四季折々の景観は、『万葉集』にも歌われている。三方五湖方面に向かう。

若狭国定公園内を走る全長約11kmのドライブウェイ。変化に富んだ三方五湖や日本海を見渡せるレインボーライン[三方五湖]を走行する。

常神半島の付け根にある標高395mの山。三方富士の別名を持つ。山頂の公園にバラ園などがあり、展望台からは日本海や三方五湖が見渡せる梅丈岳を訪れる。

縄文時代の遺跡が数多く残る若狭町にある公園。広大な敷地の中に、縄文時代を体感できる若狭三方縄文博物館「DOKIDOKI館」を中心に、野外ステージで各種イベントが行われる縄文コロセウムや野鳥観察小屋、野外アスレチック施設などがある。縄文広場には縄文時代の竪穴住居や縄文の森、畑、環状列石を再現し、縄文文化にふれることができる縄文ロマンパークを訪れる。

縄文ロマンパークにある歴史博物館。「縄文のタイムカプセル」と呼ばれる鳥浜貝塚をはじめ、周辺の縄文遺跡から出土した土器や剥ぎ取り(本物の遺跡地層の壁)、丸木舟などを展示。縄文時代の技術・くらし・文化を紹介している。丸木舟乗船や土器・土笛・勾玉づくり、火おこしの体験可。天然の冷蔵庫ともいえる遺跡からの発掘品は、数千年前のものとは思えないほど保存状態がよい若狭三方縄文博物館 DOKIDOKI館[縄文ロマンパーク]を見学。

小浜方面に向かう。

急斜面の緑豊かな山並と清流にはさまれた一筋の町並の熊川は,浅野長政の治領下に発展した若狭街道上の宿場町。古い港町小浜と琵琶湖畔の近江今津をつなぐこの地は,京と若狭・北陸の文化交流の接点としても重要な役割を果たしてきた。連なる甍と,塗り篭めの壁,白壁の土蔵,虫篭窓の古い家並。歴史の深い町・熊川には,数々の史跡や,寺社,「御用日記」のような古文書や伝説が多く残る熊川宿を散策する。

鯖街道をはじめとした若狭地方の歴史や祭り、行事、仏教文化などについて展示する資料館。館内は、「若狭のあゆみ」「若狭のみほとけ」「若狭の四季とくらし」の3つのテーマをわかりやすく紹介している。なかでも目を引くのは、約5500年前に造られ、現存するものの中では日本最古といわれる丸木舟のある福井県立若狭歴史民俗資料館を見学。

聖武天皇の勅願によって諸国に建立された国分寺の一つで、1610年建立の釈迦堂のみ現存し、本堂などは遺構が国指定の史跡となっている。木造薬師如来坐像(重要文化財)が安置される国分寺を訪れる。

創建は806年(大同元)といわれるが、国宝に指定された現在の本堂(薬師堂)は、1258年(正嘉2)に再建されたもの。深々とせり出した軒などに、鎌倉時代の密教建築の特徴が表れている。同じく国宝である高さ22mの三重塔は、本堂横の杉木立の中に立つ。平安後期に作られた本尊薬師如来坐像、降三世明王立像、深沙大将立像、不動明王立像の4体は国の重要文化財に指定されており、その迫力に圧倒される明通寺を訪れる。

1602年(慶長7)極楽寺が兵火で焼け、寺名を現在の名に改称。重要文化財の木造阿弥陀如来坐像をを安置している。国の名勝に指定されている庭園は、春は寺の花・ツツジ、秋は「日本の紅葉百選」の一つに選ばれたモミジが美しい萬徳寺を訪れる。

水送りの寺として有名だ。本堂(重要文化財)、仁王門(重要文化財)が立つ。木造男神・女神坐像(重要文化財、非公開)もある神宮寺を訪れる。

本堂は、鎌倉初期に造られた若狭最古の建築物で、寄棟造り檜皮葺。本堂(重要文化財)、木造二十四面千手観音菩薩立像(重要文化財)がある。北陸観音第3番札所、若狭観音第19番札所の妙楽寺を訪れる。

江戸初期に作庭されたという池泉観賞式庭園では、梅雨時にモリアオガエルの産卵が見られる。木造大日如来坐像(重要文化財)、木造不動明王立像(重要文化財)が安置されている円照寺を訪れる。

716年(霊亀2)行基が元正天皇の勅願によって諸堂を建立したのが始まりと伝わる。本尊の十一面観音菩薩立像(重要文化財)は元正天皇の御等身として行基が彫ったとされており、彩色が残り女性的な表情をもつ美しい仏像。天皇の等身大に造られているという。現存する本堂は、1447年(文安4)に奥州十三湊(青森)を本拠地とする安倍(安藤)康季により再建されたもので、重要文化財に指定されている羽賀寺を訪れる。

花崗岩が波に打ち砕かれ、方状節理にそって海蝕してできた奇岩・洞窟・断崖と、断崖から流れ落ちる滝が約6kmにも及び、その豪壮雄大な姿は、日本海側有数の景勝地となっています蘇洞門を小浜港から遊覧船で海から眺望する。

高浜方面に向かう。

高浜町の海岸の中央に小さく突き出た、半島全域を整備した公園。室町時代に建てられた高浜城があったところで、本丸跡などが残る。「八穴の奇勝」と呼ばれる8つの自然洞穴が園内に点在。なかでも小舟が通れるほどの大きさの明鏡洞が有名で、公園入口からその姿を望め、洞穴や奇岩の眺望が楽しめる遊歩道がある城山公園を訪れる。

内浦半島先端、今戸鼻から押回鼻の間を約2kmにわたって延びる断崖絶壁。海食によってできたもので、最も高い場所は約260mに及ぶ音海大断崖付近を訪れる。

18:00終了、舞鶴中国自動車道経由して帰路に向かう。

今回の旅行、北陸地方の福井県の南部、若狭に足を運び港町の雰囲気が漂う若狭路の玄関口敦賀、海山と5つの湖に彩られた若狭湾きっての景勝地、三方五湖、京の都と繋がりも深かった鯖街道の拠点、小浜、海と山の豊かな自然に包まれた高浜・おおいを訪れました。

若狭は日本海沿いの夏の海水浴が有名ですが、自然だけでなく、鯖街道の宿場町熊川宿、8尊の仏像が有名な小浜の古刹、歴史的文化遺産も豊富な福井県若狭観光でした。












奈良県奈良市観光
2010年7月10日


歴史遺産と緑豊かな自然景観、4−8世紀に日本の中心であった大和路の奈良県に足を運び、大和路観光の中心で見所が集中している奈良市を訪れました。昨年訪れ、すべて周りきれず、前回訪れることが出来なかった名所を中心に今回巡りました。

12:30車で阪奈自動道経由して
13:00学園前到達。

女性初の文化勲章を受けた美人画の上村松園、花鳥画を描く息子の松篁、孫の淳之と上村家3代の日本画を収蔵する美術館。主な作品は松園の『花がたみ』『楊貴妃』、松篁の『真鶴』、淳之の『梟[ふくろう]』『月に』など。年6回ほど展示替えを行い、企画展や特別展、他館との交換展、花鳥画の公募展などを開催している松伯美術館を見学。

蛙股池を挟んで大和文華館の対岸に立つ。林業家、中野皖司氏が収集した美術品を公開する美術館。日本画の村上華岳、入江波光、洋画の須田国太郎を中心に、日本を代表する近代画家の作品約270点を収蔵、テーマを決めて展示している中野美術館を見学。

遠州七窯と呼ばれる茶器の窯の一つ、赤膚焼の窯元が五条山にある。赤膚焼とは、赤膚の名のとおり鉄分の多い陶土を使った陶器。焼き方により赤味、黄味、黒味と変化する。絵付けに奈良絵という単純素朴な絵柄をよく用いるのも特色だ。赤や緑の鮮やかな色彩で簡略な鳥居や鹿などを描いてある。五条山には、大塩昭山窯、古瀬尭三窯(登り窯は有形登録文化財に指定)、大塩正人窯、大塩玉泉陶苑と4軒ほどが窯を開き、それぞれ展示販売のスペースをもっている。都合が合えば製作現場を見ることができ、陶芸体験も可の五条山の窯元を訪れる。

赤膚焼・一刀彫・茶筌・漆塗り・表具・筆造りといった、奈良の伝統工芸を守る若手職人が集まる長屋。実際の仕事場になっているため、職人の技を見学可。完成品の展示・販売も行っている。併設の墨の資料館では奈良墨の歴史を紹介。赤膚焼の絵付け体験もできるがんこ一徹長屋を訪れる。

佐紀盾列古墳群、日葉酢媛命陵の西にあり、奈良時代の女帝孝謙(称徳)天皇の陵墓とされる。東西方向の不整形な前方後円墳で、西に拝所がある。孝謙(称徳)天皇は聖武天皇と光明皇后の娘で、西大寺を建立したことで知られている孝謙(称徳)天皇陵[佐紀盾列古墳群]を訪れる。

佐紀盾列古墳群の中にあり、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命の陵墓とされる。全長203mの前方後円墳で、巨大な蓋[きぬがさ]形埴輪などが出土した。『日本書紀』によると、垂仁天皇は皇后の死去にあたり、殉死の風習をやめさせるため、初めて埴輪を用いたという日葉酢媛命陵[佐紀盾列古墳群]を訪れる。

神功皇后は仲哀天皇の皇后とされ、三韓出兵の伝承が残る。全長275mの前方後円墳は佐紀盾列古墳群で最大の神功皇后陵[佐紀盾列古墳群]を訪れる。

黒髪山にある。文武天皇から聖武天皇へ皇位をつなぐために相次いで皇位に付いた母娘の女帝の陵墓。どちらも南に拝所がある元明天皇陵・元正天皇陵を訪れる。

光仁天皇の父志貴皇子を祭り、10月8日に営まれる伝統芸能「翁舞」で知られている。資料館では、室町初期の1413年(応永20)の銘が入った木彫の面のほか各種のお面を展示。貴重品の面は奈良国立博物館で展示されているため資料館では写真の展示の奈良豆比古神社を訪れる。

東大寺の末寺で、鎌倉時代の創建。本尊の五劫思惟阿弥陀如来坐像(重要文化財)は、頭の螺髪が長く伸びた珍しい姿で、鉢を被ったようにも見える。五劫とは途方もなく長い時間のことで、その間衆生の救済をひたすら考え続け、髪が伸びたのだという五劫院を訪れる。

仏教に帰依し、天平文化を開花させた聖武天皇の御陵。転害門から一条通りを西へたどり、石橋の法蓮橋を渡ると、参道前へ出る。玉砂利を敷き詰めた参道の先に拝所がある。右手奥には光明皇后陵がある聖武天皇陵を訪れる。

東大寺建立の際に、守護神として宇佐八幡を勧請して創建された。本殿は1691年(元禄4)の再建。校倉造の宝庫(重要文化財)は東大寺から移築された天平建築。社宝に唐鞍(国宝)、舞楽面(重要文化財)などがある手向山八幡宮を訪れる。

なだらかな丸い丘を3つ重ねたような形から、三笠山とも呼ばれる。全山芝生に覆われて気持ちよく、奈良盆地の眺望もいい。山頂に鶯塚古墳(史跡)がある若草山(三笠山)を訪れる。

第9代開化天皇の陵とされる前方後円墳。全長約100m、後円部径48m、前方部幅48m。三条通りから北に参道が延びており、付近は繁華街の近くとは思えないような静けさに包まれている開化天皇陵を訪れる。

鑑真和上の弟子、思託律師が宝亀年間に開いたと伝わり、1585年(天正13)に筒井順慶の母が順慶の菩提を弔うため再興。以後、筒井家の菩提寺となった。寄棟造の本堂(重要文化財)は再興時の建立。鎌倉時代の地蔵菩薩像(重要文化財)は裸形像に実際の着物を着せた裸形着装像として有名な伝香寺を訪れる。

瓦屋根に相輪をのせた、和洋折衷建築の旧駅舎。鉄筋コンクリート造り2階建てで、1934年(昭和9)に2代目駅舎として完成。古都の玄関口らしい佇まいで、旧駅舎をバックに記念撮影する観光客も多い奈良駅を訪れる。

新薬師寺南門の西に立つ小社。奈良時代に北九州で反乱を起こした藤原広嗣の霊を祭る。現本殿は、江戸時代に春日大社第三殿を移したものの鏡神社を訪れる。

17:30終了、大学の同窓会に出席するため大阪市内に向かう。







三重県桑名・長島観光
2010年7月7日


東海と近畿の接点の地、波穏やかな伊勢湾と黒潮洗う熊野灘に囲まれた1000kmに及ぶ海岸線を持つ三重県に足を運び、伊勢湾北部に位置するエリアで三重県の経済の中心地、温泉、アミューズメント設備がある桑名・長島を訪れました。

12:30車で第二京阪名神新名神経由して
14:00長島エリア到達

長島藩主・松平定政公の祈願所として建立された寺で、本尊は不動明王を祭る。芭蕉にゆかりのある寺としても知られ、1689年、(元禄2)芭蕉が旅の途中に立ち寄り、その折にあいさつとして詠んだ「うき我を さびしからせよ 秋の寺」という句が刻まれた碑が残る大智院を訪れる。

輪中とは、江戸時代に水害から村を守るために、村落を堤防で囲んで水防協同体を形成したもの。輪中に関する資料や、長島町の歴史や文化、産業を紹介している。伊勢湾台風の立体映像や、輪中の民家の復元コーナーも興味深い輪中の郷を見学。

桑名方面に向かう。

天照大神の第3皇子である、天津彦根命を祭る古社。毎年5月4・5日には多度まつりが開催され、その年の豊作・凶作を占う上げ馬神事が行われる多度大社を訪れる。

山林王と呼ばれた桑名の実業家、二代目諸戸清六の新居として、大正2年に建てられた邸宅を公開。鹿鳴館を設計したイギリス人、ジョサイア・コンドル設計の洋館と、それに連なる和館は国の重要文化財で、その前に広がる池泉回遊式庭園も国の名勝指定となっている六華苑(旧諸戸清六邸)を訪れる。

揖斐川河口、東海道の渡場跡。かつては熱田までの七里(約28km)の間を舟で結んでいた。現在も一の鳥居が残る七里の渡跡を訪れる。

1601年(慶長6)、本多忠勝が城主になり、城下町割とともに城郭の拡張整備を行った。城郭は現存しないが、城跡は九華公園として整備され、桜やツツジ、菖蒲などが美しく、市民の憩いの場として親しまれている桑名城跡・九華公園を散策する。

17:00終了。

今回の近場の名所巡りは往復4時間かけてドライブがてらに三重県の伊勢湾北部に位置する、桑名・長島エリアに点在する歴史的建造物を小雨の中、のんびり訪れました。

新名神が開通してから愛知方面は近く感じるようになりましたね。
今回の桑名・長島エリアは愛知県と三重県との境に位置します。
車で1時間半でたどり着けます。速いですね。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二弾:宮城県塩釜・多賀・松島・南三陸観光
2010年7月3ー4日


東北地方の中心地、宮城県に足を運び、奈良時代東北全域の拠点の古代都市多賀、日本一の寿司タウン塩釜、松島湾の絶景、伊達家ゆかりの建造物が点在する松島、リアス式海岸が絶景の南三陸を訪れました。

3日14:20伊丹空港出発
15:35仙台空港到達、レンタカーで多賀・塩釜方面に向かう。

合展示室では旧石器時代から近現代まで、東北地方全体の歴史を時代別に展示。埴輪武装男子半身像、白長覆輪太刀、田柄貝塚出土骨角器など多くの国指定重要文化財が収蔵されている。そのほかに、テーマ展示室や映像展示室がある。敷地内には、江戸時代中期の民家・今野家住宅(県指定有形文化財)も石巻市から移築、復元されている東北歴史博物館を訪れる。

多賀城跡の一角にある。2万平方mの敷地に、250種約200万本のアヤメやハナショウブなどの花が咲き乱れている。毎年6月24日から7月上旬まで「多賀城跡あやめまつり」が開催される多賀城跡あやめ園[多賀城政庁跡]を訪れる。

多賀城政庁跡の多賀城南門跡のすぐ近くに立つ。高さ約2m、最大幅94cmの石碑で、当時の主要な国界から多賀城までの距離、大野東人が多賀城を創建したことなどが刻まれている。群馬県多胡碑、栃木県那須国造碑とともに、日本三古碑の一つ多賀城碑[多賀城政庁跡]を訪れる。
724年(神亀元)、陸奥の国府、鎮守府として置かれた多賀城の中核部分。面積は約102haにもおよび、平城宮跡・大宰府と並んで日本の三大史跡の一つに数えられている。築地塀で囲まれた中央部に政庁が置かれ、正殿・東西脇殿などがあり、重要な儀式や事務が行われていた。現在は史跡の平面整備が進み、政庁の基石や正殿などの基壇が残るのみ。国特別史跡の多賀城政庁跡を訪れる。

多賀城政庁跡の北にある、周囲約4kmの沼。江戸時代には堤防をつくり用水池とされた。春には桜、秋には紅葉、冬には白鳥、鴨などの渡り鳥が訪れ、四季を通じて多くの人で賑わう加瀬沼を訪れる。

文化創造を目的として建てられた施設で、国際村ホール、水に浮かぶ野外劇場などがある。七ケ浜の漁業の歴史がわかるギャラリー海物語や、姉妹都市であるアメリカのプリマス市の歴史や風土を紹介するプリマスハウスも併設している七ケ浜国際村を訪れる。

東北鎮護・奥州一宮として、古くから信仰を集めてきた鹽竈神社。創建は不詳だが、平安初期にはすでに東北最大の神社として厚い崇敬を受けていた。現在の社殿は伊達家五代藩主・吉村公の時代、9年の歳月をかけて建設され1704年(宝永元)に竣工されたもので、国の重要文化財に指定。5月上旬が見頃の鹽竈ザクラ(天然記念物)、葉書の語源とされるタラヨウなど境内には珍しい植物が多い鹽竈神社を訪れる。

19:00本塩釜駅付近のホテル到達後市街地を散策して床に就く。

4日5:00レンタカーで出発、松島方面に向かう。

松島海岸の南に突き出ている岬の丘。頂上の展望台からは、塩釜湾と松島湾の双方が望めることから、双観山と名付けられた。遠く牡鹿半島や金華山の向こう側から昇る朝日は素晴らしく、荘厳で華麗な美しさの双観山を訪れる。

松島四大観の一つ「幽観」。双観山の裏手にある標高55.8mの小高い山で、松島湾の入り江が扇のように浮かんで見えることから「扇谷」と呼ばれる。松島の全景が眺められるポイントでもあり、紅葉時期にはカエデが訪れる人の風情をかきたてる扇谷[松島四大観]を訪れる。

世界各地から集められた魚類や海に生息する哺乳類などを見られるマリンピア松島水族館に寄る。

島海岸の南に浮かぶ小島。島へは渡月橋と呼ばれる朱塗りの橋を渡っていく。108の岩窟があったといわれる雄島は、かつて僧侶の修業場でもあった。現在でも島のあちこちに、仏名・仏像などを刻んだ洞窟が残っている。歌枕の一つで、島内には松尾芭蕉や曾良の歌碑もある雄島を訪れる。

伊達政宗が豊臣秀吉から拝領した伏見桃山城の茶室を、2代藩主忠宗が江戸より移築したもの。外観は簡素だが、室内の極彩色の障壁画は重要文化財に指定されている観瀾亭・松島博物館に寄る。

807年(大同2)、坂上田村麻呂が東征の折りに建立し、後に慈覚大師が五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれる。現在の建物は、伊達政宗が桃山式建築手法の粋をつくして再建したもの。33年に一度五大堂の中に安置された五大明王像が一般公開される五大堂を訪れる。

瑞巌寺五大堂の北東に浮かぶ島で、陸地とは全長252mの朱塗りの橋で結ばれている。自然植物園の指定を受けた島には、250種余りの植物が自生している福浦島を訪れる。

戦国乱世の奥羽を制した伊達政宗の波乱に満ちた生涯を誕生から初陣、仙台城築城など史実に基づき、250体ものロウ人形で25シーンを再現。みちのく偉人館では、棟方志功や太宰治、宮沢賢治、野口英世など、幕末から平成に至るまでの東北を代表する偉人50名のロウ人形が展示されいるみちのく伊達政宗歴史館に寄る。

828年(天長5)、慈覚大師によって開創された伊達家の菩提寺。本堂(国宝)内の孔雀の間は極彩色の彫刻で彩られている。現在の建物は1609年(慶長14)、政宗が5年の歳月をかけて完成させた。御成門と中門は重要文化財の瑞巌寺を訪れる。

瑞巌寺の西隣りにある。二代藩主忠宗の次男・光宗の霊廟。庭の奥には三慧殿という御霊屋(重要文化財)が立ち、内部に安置された家形厨子には、馬上に束帯姿の光宗像が納められている円通院を訪れる。

松島四大観の一つ「麗観」。松島湾を北から見下ろす標高116.8mの山で、杉・松・樅の大木に覆われた静寂な趣の中、東南西の三方の島々を望める。山頂には富山観音が祀られており、眺望の美しさは四大観の中でも1、2を争う富山[松島四大観]を訪れる。

島を一望できる松島四大観の一つで、松島湾最大の島・宮戸島の中央に位置する標高105.8mの山。松島の形状を箱庭のように見られることから、「壮観」と呼ばれる。山頂からは日本三大渓・嵯峨渓と松島湾が望める大高森[松島四大観]を訪れる。

松島湾に浮かぶ260余島の島々を一望できる、東西南北4つのビューポイント。文政年間(1820年頃)、仙台藩の儒学者・舟山万年が紹介した。「麗観」「偉観」「壮観」「幽観」を総称して、「松島四大観」と呼んでいる。

九州の耶馬渓と陸中の猊鼻渓とともに、日本三大渓の一つに数えられている景勝地。太平洋の荒波と風雨に浸食された断崖絶壁が50m近く続く。遊覧船に乗れば、奇島や岩の割れ目から生えた松が屏風絵のような屏風岩など間近で見られる嵯峨渓を訪れる。

石巻方面に向かう。

「仮面ライダー」などで有名なマンガ家石ノ森章太郎作品を中心にした日本最大級のマンガミュージアム。石巻駅〜萬画館の石巻マンガロードにはキャラクター像が立つ石ノ森萬画館を見学。

現存する木造教会堂では国内最古級。1880年(明治13)に建てられた和洋折衷様式。手摺や土台には、塗り潰してから木目を書き入れる、「木目塗」という明治初期の洋風建築の意匠が施されている旧石巻ハリストス正教会教会堂を訪れる。

男鹿半島方面に向かう。

支倉常長ら慶長使節一行が訪れた、イタリアの庭園をモチーフとした公園。慶長使節の歴史的業績を、映像やパネルなどで紹介する宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)がある。復元された木造帆船サン・ファン・バウティスタの内部の見学や、シミュレーションシアターでは航海の様子を体感できるサン・ファン・バウティスタパーク&サン・ファン館を見学。

かつて捕鯨基地として賑わった鮎川港にある。1階では、3つの展示室でクジラの生態や捕鯨の歴史を説明、2階のホエールシアターでは迫力の映像で捕鯨の様子を紹介する。屋外には捕鯨船も展示されているおしかホエールランドを訪れる。

江戸時代には仙台藩の唐船番所が置かれていた場所で、金華山と牡鹿半島が眺望できる。園内には無料施設の展望台や遊歩道、アスレチックがあり、バードウォッチングもできる御番所公園を訪れる。

女川町浦宿から牡鹿半島突端の山鳥渡までの全長30kmの観光道路。両側に太平洋と石巻湾が広がり、駐車できる展望台がある牡鹿コバルトラインを通過して南三陸方面に向かう。

南三陸町と石巻市北上町の境にある岬。海中に突き出した岬は、村境の争いを仲裁した神が割ったものとも伝わる。奇岩の間から太平洋の怒涛が流れ込む様子は迫力の神割崎を訪れる。

16:00仙台空港に向かう。
17:50仙台空港到達
19:05仙台空港出発
20:25伊丹空港到達。

今回の観光旅行、東北の中心となる宮城県に足を運び、奈良時代の創建以来、陸奥国府が置かれ、東北全域の拠点古代都市として栄えた多賀城、塩竃神社の門前町として栄え日本有数の漁港があり寿司店の町でもある塩竃、天橋立、宮島と並んで日本三景に数えられ、仙台藩主・伊達家ゆかりのスポットが点在する松島、旧北上川の河口に位置し、石森章太郎のマンガキャラクターモニュメントが点在している石巻、リアス式海岸が美景の南三陸海岸を訪れ、一泊二日のドライブ観光満喫できました。