和歌山県紀北紀ノ川沿い観光観光
2010年9月29日


海や山に湧く温泉や静かに信仰の歴史を語る世界遺産、深呼吸したくなる紺碧の海の風景の和歌山に足を運び、歴史散歩に適した見所が多い紀北エリアの紀ノ川沿いの名所を訪れました。

12:30車で阪神近畿南阪奈自動車道経由して
13:45橋本到達。

9世紀半ばの貞観年間の創建と伝えられ、平安末期の経塚銅鏡などの発掘が続いている。社宝の人物画象鏡(国宝)は、わが国最古の金石文(48文字の銘文)の入った鏡として有名。現在、東京国立博物館に保管され、ここではレプリカが見られる。また5月下旬〜6下旬には花菖蒲が咲き、多くの人が訪れる隅田八幡神社を訪れる。

地元では「大寺さん」の名で親しまれる真言律宗の古刹。8世紀前半、聖武天皇の勅命で行基が開山。本尊に漆箔大日如来坐像を祭る。本堂(重要文化財)は南北朝時代の再建。寄棟造本瓦葺で、朱の柱と緑の連子窓が調和している利生護国寺を訪れる。

浄瑠璃で知られる石童丸物語ゆかりの寺。石童丸が高野山に父を捜しに行っている間に母千里姫が没し、ここが菩提寺となった。堂内には守り刀や人魚のミイラと伝わる寺宝がある学文路苅萱堂を訪れる。

平安時代に16歳で養父母を失い、親の菩提を弔うために黒髪を売って奥の院の燈籠堂に献燈した孝女お照の供養碑のお照の墓を訪れる。

遁世の歌人・西行の庵跡。西行の出家後、尼になった妻と娘を供養する碑が立つ西行堂と妻娘の墓を訪れる。

平重盛の家臣・滝口入道を慕い、悲恋の内に没した女官横笛を弔う塚、横笛の恋塚を訪れる。

桃山町から高野街道をたどる山間にある。室町時代に建立された本殿(重要文化財)や大日堂(重要文化財)のほかに、沃懸地螺鈿金銅装神輿(国宝)という優美な御輿がある鞆淵八幡神社を訪れる。

中世以来の名家で、江戸時代には紀州藩主頼宣から地士に処遇され、1630年(寛永7)以来名手の大庄屋だった妹背家の住居(重要文化財・史跡)。華岡青洲[はなおかせいしゅう]の妻加恵の実家としても知られる。旧大和街道に面し、参勤交代や鷹狩りなどのときに藩主が宿泊した本陣で、人々からは名手本陣とよばれていた。建物は江戸時代に建てられたもので、御座の間にある入母屋造の母屋や米倉など保存状態がよい旧名手本陣妹背家住宅を訪れる。

「あら川の桃」で知られる桃の生産地・紀の川市桃山町に広がる桃の花の一大パノラマ。3月下旬〜4月上旬に、桃山町内の約250万平方mの桃畑がいっせいに開花する。一帯はまるでピンクの絨毯を敷き詰めたかのようになる桃源郷を訪れる。

仏教によって国を鎮めるために、聖武天皇の勅命により一国に一カ所建立したのが国分寺。756年(天平勝宝8)、紀州にも国分僧寺と尼寺が建立され、現在の打田地区側に国分僧寺、岩出地区側に西国分廃寺があった。その後879年(元慶3)に焼失した。近年、発掘が進み、打田地区に塔跡の礎石などが保存されるようになり、歴史公園として開放されている紀伊国分寺跡歴史公園を散策する。

奈良時代に建立された紀伊国分寺跡に隣接。紀伊国分寺跡から出土した土器や瓦、国分寺100分の1の復元模型などを中心に展示し、歴史的背景なども交え、パネルや映像を使いながらわかりやすく紹介している紀の川市歴史民俗資料館[紀伊国分寺跡歴史公園]を訪れる。

根来寺をはじめ、岩出の歴史・文化・風土、人々の暮らしの変遷を紹介する資料館。生活をテーマに映像やジオラマ、コンピュータを使って解説する常設展や、年1回の秋季企画展がある岩出市民俗資料館を訪れる。

17:00終了。

今回の名所巡り、近場の和歌山に足を運び、紀北の紀ノ川沿いに点在する歴史的建造物を巡り、歴史学習して楽しめました。






奈良県十津川カヌー&観光
2010年9月26日


熊野川の上流の名で、近畿の最高峰八経ガ岳(1951m)など大峰山系を源流にし、また護摩檀山の東斜面をも流域にする河川である十津川をカヌーで下り、ゴール地点の十津川に架かる上野地地区と対岸の谷瀬地区とを結ぶ大吊橋、谷瀬の吊橋観光してきました。

8:00大阪駅集合出発、車で阪神近畿南阪奈自動車道経由して
10:30十津川スタート地点
ふれあい交流館・夢乃湯付近の河原到達、準備して食事を済ませてから

13:00スタート、10km先の谷瀬の吊橋まで川くだりする。
所々に1級クラスの瀬があるが、水量少なく、ライニングダウンを強いられる。
又大小多くの岩が点在して、川くだりというよりもリバーロックトレキングのような活動となりました。

結局10km下れず、スタート地点から4kmで終了、これから谷瀬の吊橋まで陸のトレッキングで行動。

16:30ゴール地点、谷瀬の吊橋到達、回送した車に乗り川くだりの終了地点に戻り、後かたずけしてから再び谷瀬の吊橋に向かう。

17:30観光兼ねて吊橋を渡る。

十津川に架かる上野地地区と対岸の谷瀬地区とを結ぶ大吊橋。1954年(昭和29)に完成し、全長297.7m、川面からの高さは54mある。水量のわりに極端に広い河原は明治の大水害の名残り。ここにかつて集落や耕地があった。被災した2600の村民は、新天地を北海道に求めて移住し、新十津川町をつくった。橋はGWとお盆には渡橋が一方通行になる。毎年8月4日には、橋上で和太鼓を叩く揺れ太鼓が催される。

18:15スタート地点のふれあい交流館・夢乃湯に向かう。温泉に浸かり、食事を済ませて
20:00帰路
22:15大阪駅到達解散。

今回のカヌーイベント、近くの秘境十津川を訪れ、過去最高の26人の大所帯で天候晴れ、絶好の川下り日和で活動しました。しかし今年は猛暑、雨も少ないため水量が少なく、谷瀬の吊橋までの10kmのコースを下れず4kmで終えました。所々に小さな瀬有り、点在するロックありでライニングダウンを強いられ川くだりというよりもリバーロックトレッキング気分で下り終えました。

川下り終了後有名な谷瀬の吊橋を皆さんで渡り、今回川くだりはスリルを味わえなかった分、吊橋で味わえました。

これからも川くだりだけでなく観光も兼ねてカヌーイベント行いたいと思います。
カヌーイベント、アウトドアスポーツと観光の両方楽しめます。






奈良県月ヶ瀬&柳生&奈良町観光
2010年9月25日


歴史遺産と緑豊かな自然景観、この2つが継続して残っている奈良県に足を運び、奈良公園の南から、柳生十兵衛を筆頭とする柳生新影流ゆかりの里、柳生、昔ながらの町並みが残り、古い民家の間には、町家を利用したショップやカフェ、古刹が点在する奈良町を訪れました。

12:30車で出発
13:30月ヶ瀬方面に到達。

関西でも屈指の梅林として知られている。月ケ瀬の真ん中を流れる名張川が刻んだ雄大なV字渓谷の両側に、約1万本といわれる梅が植樹され、季節には紅白の梅の花であたり一面を埋め尽くす。江戸末期〜明治時代には文人墨客も相次いで訪れ、芭蕉も感嘆して句を残している月ケ瀬梅渓を訪れる。

江戸中期に建てられた農家。入母屋造で軒が低く、覆い被さるような茅葺き屋根が印象的だ。内部は東半分が土間で、西半分の居室部は前方に座敷、後方に台所と納戸を配した三間取り。古い形式を留めた小型住宅の例として貴重な菊家家住宅を訪れる。

柳生方面に向かう。

1万平方mの園内に、約465品種80万本のショウブが咲き競う。珍しいアジサイもある柳生花しょうぶ園を訪れる。

巨石を御神体とする天之岩立神社近くにある幅7m、高さ4mの岩。真ん中ですっぱりと2つに割れており、柳生石舟斎が天狗を一刀両断に斬ったつもりでいたら、この石だったとの伝説が残る一刀石を訪れる。

奈良町方面に向かう。

興福寺の門跡寺院だった大乗院の庭園跡、庭園南側に立つ大乗院庭園文化館から望める旧大乗院庭園文化館を訪れる。

門前に『史蹟元興寺塔阯』の碑が立ち、民家に囲まれた小さな空間に仮堂と塔跡がある。塔跡には基壇と巨大な礎石が残り、興福寺の五重塔をしのぐ高い塔が立っていたことが想像できる。塔跡から出土した翡翠の勾玉や古銭などの元興寺塔跡土壇出土品(重要文化財)と、代表的な貞観時代の仏像の薬師如来立像(国宝)は、奈良国立博物館に寄託中の元興寺塔跡を訪れる。

奈良町で使用されていた江戸時代の看板や、古くから伝わる生活用品を展示。何が売られているのか一目でわかる、大根やそろばん型の絵看板がおもしろい。また、店内には日本最大という直径1.7mの大皿が並べられている。庚申信仰の身代わり猿も販売の奈良町資料館を訪れる。

暦や時計など「時」に関する資料を展示。庶民が最初に利用した暦の一つといわれる南都暦や江戸時代の携帯用日時計をはじめ、イスラムの天体観測器、中国の香時計など貴重品が並ぶ時の資料館を訪れる。

歌声による人づくり、街づくりを目指す「わらべうたの館」。わらべうた教室や、劇団「良弁杉」を運営し、奈良の民話の大紙芝居、東大寺良弁僧正の生い立ちを描いたミュージカル、スタッフ手作りのコンサートなどを開催。市民の作品を展示するギャラリーや、お手玉・羽根つきで遊ぶコーナーもある奈良市音声館を訪れる。

當麻曼荼羅で知られる中将姫ゆかりの寺で、藤原豊成・中将姫父子の墓がある。観音堂の子安観音像は乳児を抱き上げた珍しい姿をしており、我が国最古の子安観音といわれる徳融寺を訪れる。

當麻曼荼羅で知られる中将姫ゆかりの尼寺。中将姫の父、藤原豊成の邸跡に立ち、中将姫が生まれた所と伝わる。境内には産湯の井戸がある誕生寺を訪れる。

當麻曼荼羅で知られる中将姫の屋敷跡に立つ、ゆかりの尼寺。毎月13日に開扉される中将姫の木像、4月13日の中将姫会式で公開される父子対面の図、中将姫手織りの刺繍仏などゆかりの品を所蔵。父、藤原右大臣豊成卿の古墳も境内にある高林寺を訪れる。

17:00終了。

今回の名所巡り、近場の歴史遺産の宝庫、奈良県に足を運び、柳生十兵衛を筆頭とする柳生新影流ゆかりの里、柳生、ながらの町並みが残り、古い民家の間には、町家を利用したショップやカフェ、古刹が点在する奈良町を訪れ時間を過ごしました。

歴史遺産がいっぱいで近場ですのでこれからも何回も訪れて、奈良の歴史を深く学びたいと思います。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十二弾:山形県酒田&飛島観光
2010年9月22ー23日


山有り、川有り、海有りの広く豊かな自然がいっぱいの東北地方山形県に足を運び、江戸時代、西の堺、東の酒田といわれ、西回りの航路で発展し、贅や工夫で凝らされた江戸や明治時代の建物が残る酒田、周囲10,2km、面積約2,7kuの小さな島で酒田港より北西に約39km、山形県と秋田県の県境より西に約28kmの日本海に位置し、国指定の天然記念物カラストバトなど珍しい野鳥の宝庫である飛島を訪れました。

22日16:50伊丹空港遅出の出発のため梅田近辺を散策し時間を費やしました。

阪急百貨店の東側、富国生命ビルとOSビルとの間から東へ広がるアーケード街。扇町通より1本北を並行して走り、途中、新御堂筋が縦断。レストラン・バー・スナック・カラオケ・ゲームセンターなど、夜遊びにはこと欠かないスポットが立ち並ぶ。お初天神商店街・阪急東中通商店街も交差する、一大歓楽街の阪急東通り商店街を通過。

感性をフルに使って遊べる、子供のための博物館。パソコンや手作り体験ができるフロア、不思議な空間「こどもの街」や展示物、ワークショップなどがあり、一日中楽しめるキッズプラザ大阪を訪れる。

日本一長い商店街。堂島川にかかる天神橋たもとの1丁目から北端の7丁目まで、総延長が約2.6km、600軒ほどの店が所狭しと立ち並ぶ大商店街だ。この商店街の端から端歩いた人には、それを記念するものとして「満歩状」を発行している天神橋筋商店街を1丁目から6丁目まで歩く。

近世〜現代の大阪の暮らしを紹介するミュージアム。大阪市立住まい情報センターの8〜10階にあり、実物大のスケールで復元された江戸時代の大坂の町並みの中を実際に歩くことができ、近代の大阪の住まいもジオラマで上映している大阪くらしの今昔館を訪れましたが休館でした。

地下鉄で天神橋6丁目から東梅田に向かう。
東梅田到達、丸ビル前で空港バスに乗車。
16:00伊丹空港到達
16:50伊丹空港出発
18:05山形空港到達、レンタカーで山形自動車道経由して酒田方面に向かう。
2015酒田駅付近のホテル到達、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
23日5:30酒田市街地を散策する。

1947年(昭和22)に本間家が清遠閣とよばれていた書院造2階建の別荘を美術館として開放、本間家に伝わる東北諸藩からの拝領品や美術品を展示する。別荘として築造した庭園・鶴舞[かくぶ]園と本館、企画展を開催する新館がある本間美術館の前で記念撮影。

日本最古級の白亜の木造六角灯台と方角石や常夜灯などがあるほか、木立のなかに29基の文学碑が点在する歴史公園。酒田港の眺めや、最上川と夕日がすばらしい日和山公園を散策する。

酒田を代表する廻船問屋。石置杉皮葺屋根などの酒田の典型的な町家造りの様式で、建物のなかには、人形や料理などで当時の暮らしぶりが再現されている旧鐙屋の前で記念撮影。

1768年(明和5)、本間家三代三丘が幕府巡見使宿舎として建造し、庄内藩主・酒井家に献上した長屋門構えの武家屋敷。旗本二千石の格式をもつ。その後拝領し本邸として使用、武家造りと商家造りが一体となった珍しい建物だ。戦後は公民館としても利用された。別館「お店」では帳場を再現し、商人としての本間家を紹介している本間家旧本邸と別館「お店」を訪れる。

ホテルに戻り、レンタカーで酒田周辺を巡る。

1997年に開館。広大な敷地にゆったりと立つ近代的な建物が印象的だ。洋画の森田茂、酒田市出身の高橋剛と斉藤長三を中心とした作品を展示。一般展示のほか、特別展も開催する酒田市美術館の前で記念撮影。

酒田市出身の写真家・土門拳の記念館。『古寺巡礼』『筑豊のこどもたち』など、市に寄贈された約7万点の作品を収蔵。保存を図りながら、順次公開している。谷口吉生設計の建物は、建築から25年以上経った今でも斬新。庭園は勅使河原宏、銘板は亀倉雄策による。中庭にあるイサム・ノグチの彫刻も見どころの一つの土門拳記念館の前で記念撮影。

銘酒「初孫」を醸造する、東北銘醸の工場に隣接して立つ酒造資料館。醸造工程や日本酒の特徴を紹介する展示室のほか、きき酒コーナーやフィルム映写による解説もある蔵探訪館の前で記念撮影。

9:00酒田港到達
9:30定期便で飛島に向かう。
10:50飛島勝浦港到達、反時計回りで島を一周する。

勝浦港近くにある観光情報施設。飛島の特産品・イカをイメージした三角形の建物内には、島の自然や歴史に関する資料展示室や物産販売コーナー、喫茶室、休憩コーナーなどがある。1階は定期船の乗船券発売所。4階は展望台になっていて、晴れていれば鳥海山などが遠望できるとびしまマリンプラザを訪れる。

桟橋の先端に海中展望塔があり、窓から海中が見える。桟橋や展望塔の屋上で釣りもできる飛島海づり公園を訪れる。

ウミネコの繁殖地、スカシユリ、トビシマカンゾウが附近一帯に咲きみだれる。謎の古代文字が刻まれた岩が残っている館岩を訪れる。


古代の絵文字が刻まれていると言われている石。近くには大きな石塁もあり、海賊の砦だったとも言われています刻線刻画石を訪れる。

沖合にある烏帽子群島の六角の玄武岩が波でもまれて出来た、こぶし大の玉石がうず高く積まれています。ここは霊の拠り所となっている賽の河原を訪れる。

自然のままの美しい海岸。西の彼方の御積島、烏帽子群島を背後に沈む夕日は絶景である。「日本の渚・百選」に選ばれている荒崎海岸を訪れる。

昭和39年に平安時代のものとおもわれる人骨が土器と共に発見され、昭和44年に発掘調査が行われました。現在、鶴岡市にある致道博物館に保存されていますテキ穴を訪れる。

紙塑人形製作者として人間国宝第1号に選ばれ歌人としても有名な鹿児島寿蔵が大正13年に飛島を訪れた時に詠んだ「鳥海山の山すそかすむ海のうへ かぎりも知らに秀波たちみゆと刻んだ歌碑が昭和60年に建立された鹿児島寿蔵歌碑を訪れる。

13:40飛島港定期船で出発
15:00酒田港到達、レンタカーで山形空港に向かう。
17:00山形空港到達
18:35山形空港出発
19:55伊丹空港到達

今回の旅行、夏と冬とで4回目の訪れである自然いっぱいの東北地方山形県に足を運び、江戸時代には西回り航路の拠点として栄えた港町、江戸や京都の文化が流入し、今も方言に雅さが残り、交易で巨額の財を成した豪商の屋敷や庄内米を蓄えや山居倉庫など見所が多い酒田

酒田より北北西約39.3kmの沖に位置し、面積2.32ku、周囲10.2km、海抜50mの小さな島で、暖流と寒流がまじりあい、春夏秋冬を通して緑が濃く、年間の平均温度が12℃と山形県では最も高温の地であります。島内には勝浦、中村、法木の3つの集落があり、昭和25年4月に酒田市と合併、昭和38年7月国定公園に指定されました。産業は、漁業を中心として、恵まれた環境を生かした観光のほか採種等の育種栽培も行われています飛鳥

を訪れ1泊の日の旅、楽しめました。

自然そのもの素朴な島、飛鳥はほぼ島を反時計回りで一周しましたがコースの道は草がぼうぼうであまり整備されておらず道がわかりにくいところもありました。又コースの一部が海岸で石有り、サンゴありで歩くのに結構苦労、おまけに天候が雨、雨に濡れ、服装がドロドロ、かなりきつい島一周の散策でした。しかし離島特有ののどかさ、いっぱいの自然に接し、記憶に残るたびとなりました。メジャーな観光名所が少ない離島ですが違った意味で楽しめる離島観光旅行でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十一弾:北海道札幌&小樽積丹&室蘭登別支笏洞爺湖観光
2010年9月18ー20日


日本国の最北端に位置する地方公共団体で、札幌市を道庁所在地とする北海道庁の管轄下にあり、今日における日本全国1都1道2府43県中唯一の「道」である。ただし、北方領土はロシアが実効支配をしており、道庁が実質的に管轄出来ていない国土が存在する北海道に足を運び、明治時代に開拓使が置かれて以来、北の都として発展し歴史的な建築物や市街地に広がる緑溢れる見所がいっぱいの札幌、明治初頭以来、海岸の埋め立て工事を繰り返しながら港が形作られ、往時の面影を残すロマンチックな運河とその周辺のレトロなスポットが点在する小樽、2つのカルデラ湖の周囲に多くの観光名所が点在する支笏洞爺湖エリアを訪れました。

18日札幌行き飛行機の便が関西国際空港17:45発の遅めの出発のため大阪城周辺を散策し時間を費やしました。

OBPパナソニックタワーとMID[えむあいでぃー]タワーの2つのビルで構成される、OBPの中でもひと際目立つ双子ビル。MIDタワー38階には美しい夜景を眺められるレストランがあるツイン21を訪れる。

大阪城の周辺は緑が茂る大阪城公園として整備され、春には花見で賑わう。大手門・千貫櫓・焔硝蔵など、13基が国の重要文化財に指定。園内には、大阪城ホールもある大阪城公園を散策する。

西日本最大級のキャパシティを誇る最大収容人員1万6000人の多目的ホール。最新の音響、照明設備を備え、年間180を超えるステージでは国内外のトップアーティストのコンサート、スポーツ、見本市などさまざまなイベントを開催。また、ほかにもコンベンションホール、城見ホール、サブホール等が併設されており、そこでも多彩な催しが行われている大阪城ホール[大阪城公園]を訪れる。

1583年(天正11)、石山本願寺の跡に豊臣秀吉が天下統一の拠点として築城を始めたのが大坂城。大坂夏の陣で落城し、徳川政権下で再築されたが落雷で天守閣を焼失、1931年(昭和6)築の現在の天守閣は3代目だ。内部は歴史資料や、ジオラマ、ビデオなどでさまざまな角度から大阪城を楽しめる。巨石を組み込んだ壮大な石垣、大手門やいくつもの櫓など、城内のみどころは多い大阪城天守閣[大阪城公園]を訪れる。

戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えるために、府と市が共同出資して設立した平和資料館。ガラス張りの床の下に空襲を受けて廃墟となったミナミの街並みの模型や映像、写真などを展示。満州事変から第二次世界大戦までの戦争の歴史を紹介する。平和に関する図書の閲覧や映像ブースで、ビデオ・DVDが視聴できる大阪国際平和センター(ピースおおさか)[大阪城公園]を訪れる。

15:03大阪城公園駅から乗車、関西国際空港に向かう。
16:20関西国際空港到達。
17:45関西国際空港出発。
19:30新千歳空港到達、レンタカーで札幌に向かう。
18:30札幌駅付近のホテル到着後繁華街散策して食事を済ませて就寝。
19日5:00札幌市街地を散策する。

南中島公園方面に向かう。

札幌中心部のオアシスとして親しまれている自然豊かな公園。園内にはボートを楽しめる菖蒲池や、子供たちが水遊びを楽しめる鴨々川がある。豊平館など、歴史的建築物も保存されている中島公園を散策する。

中島公園にたたずむ、1880年(明治13)建築の風格ある建物。かつては貴賓用ホテルとして使用されていた洋館で、国の重要文化財に指定されている。内部は一般公開され、見学が可能。室内楽のコンサート会場や結婚式場としても人気を博している豊平館[中島公園]の前で記念撮影。

小説『失楽園』など、数々のベストセラーを生み出してきた北海道出身の作家・渡辺淳一。その文学・生い立ち・日常を紹介する文学館。建物は世界的建築家・安藤忠雄の設計で、雪原に片脚で立つ白鳥をイメージしたもの。館内には、渡辺淳一の全著作や安藤忠雄の作品集、趣味の本が揃った図書室、喫茶コーナー、オリジナルグッズの販売コーナーもある。地下の講義室では、渡辺淳一の講演会やコンサート・演劇など多彩なイベントが行われるエリエール スクエア札幌 渡辺淳一文学館の前で記念撮影。

新札幌にある、札幌市青少年科学館が管理する天文台。日中には、ドーム内にある20cm屈折望遠鏡で太陽の観測ができる札幌市天文台[中島公園]前で写真撮影。

中島公園にあり、有島武郎や小林多喜二など北海道にゆかりのある作家の直筆原稿や資料を展示・保存する北海道立文学館[中島公園]の前で記念撮影。

札幌駅方面に戻る。

札幌の母なる川・豊平川と、水路として作られた創成川を結ぶ川。川沿いにはヤナギの木が立ち並び、大歓楽街ススキノにひと味違った趣を添えている。札幌駅前通りと交差するススキノの南端には、コイも放流されている鴨々川沿いを歩く。

大通の南、南4〜8条の南北と西2〜8丁目の東西にかけて広がる東京以北最大の歓楽街。このエリアに総数4000軒とも5000軒ともいわれる店が集中し、週末ともなると明け方まで客足が絶えない。郷土料理店をはじめ、居酒屋・クラブ・バー・カラオケ店・ショーパブ・ラーメン店など、さまざまなニーズに応える幅広いジャンルの店がひしめきあっている歓楽街は全国的にも珍しく、比較的治安が良いことでも知られている。周辺には地下街やデパートなどが立ち並び、昼間でも多くの買い物客で賑わいを見せている。市電の始発停留所もあるすすきのを訪れる。

南2条と3条の間の通りで、東西約1kmにわたって続く商店街。1873年(明治6)頃、開拓使の官舎が西5丁目に建てられたのをきっかけに誕生した。現在も約200店舗が営業し、市場や金物屋など、生活感あふれる店が並ぶ。またほぼ全域にアーケードがあり、雨や雪でもゆっくり買い物ができる狸小路商店街を訪れる。

西1丁目から12丁目まで東西約1.5kmに伸びる大通公園には、花壇や噴水のほか、世界的な彫刻家・故イサム・ノグチのブラック・スライド・マントラなど、さまざまな彫像や記念碑が設置されている。公園全体には92種類約4700本の木々が植栽されており、ライラック、ハルニレ、ケヤキ、ハマナス、ツツジなどが鑑賞できる大通公園を散策する。

大通公園の東端に立つ高さ147.2mのタワー。1957年(昭和32)に電波の受信・発信のポイントとして建設されたが、現在は360度のパノラマが楽しめる展望台としても利用されている。地上約90mの高さにある展望台からは、西に手稲山や大倉山シャンツェ、東には豊平川や石狩平野を一望。札幌でも有数の展望スポットとして人気だ。館内には、人気のキャラクター「テレビ父さん」グッズも販売するみやげ売場やレストランもあるさっぽろテレビ塔[大通公園]を訪れる。

北海道大学の前身である旧札幌農学校の演武場として、1878年(明治11)に建築された。1881年(明治14)、塔の4面にボストン・ハワード社製の振り子式時計が設置された。1世紀以上も時を刻み続けた時計は、毎正時に澄んだ鐘の音色を響かせて札幌市民に時を告げる。1階には、写真パネルを使って時計台の歴史を紹介する展示コーナーを設置。2階では、明治時代そのままに演武場が再現されていている。国の重要文化財の札幌市時計台を訪れる。

1888年(明治21)に建てられたネオバロック洋式の歴史的建築物で、国の重要文化財に指定されている。赤レンガ造りの外観も美しいが、重厚な装飾が施された内装も必見だ。館内には北海道立文書館があり、1870年代の札幌の町並みを再現したジオラマや資料などを展示。開拓当時から残されてきたポプラの大木が茂る前庭は、花壇が配されるなどオフィス街のオアシスとして市民に親しまれている北海道庁旧本庁舎を訪れる。

1886年(明治19)、国内で2番目の近代的植物園として開園。園内のおよそ4000種類にも及ぶ植物群がみものだ。ハルニレやハンノキ、高山植物などが豊かで、新緑の季節は特に美しい。園内には1882年(明治15)に、北海道開拓使札幌博物館として建てられた博物館もあり、すでに絶滅したエゾオオカミのはく製なども見学できる北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園の前で記念撮影。

日本初の農学に関する高等教育機関としてスタートし、農業の分野だけでなく北海道開拓にも大きな役割を果たした。キャンパスは国立大学の中で最も広く、学生たちが構内の移動に自転車を利用するほど。敷地内には、歴史的な建築物も数多く残されており、特に古河記念講堂に近い農学部は一見の価値あり。ハルニレやポプラの大木など、豊かな自然に囲まれているのも特徴で、構内を散策するだけでも独特の雰囲気を充分味わうことができる北海道大学を散策する。

北海道大学の前身・札幌農学校の初代教頭は「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の名言を残したクラーク博士。古河記念講堂のそばに、北海道大学の精神のシンボルとしてクラーク博士の胸像が設置されている。人気の記念撮影のスポットで、待ち合わせ場所にもなっているクラーク博士の胸像[北海道大学]を訪れる。

北大の教育研究の成果を、広く社会へ還元することを目的に開設された施設。400万点にも及ぶ貴重な学術標本の展示公開や各種公開セミナーの開催など、子どもから大人まで楽しめる博物館になっている。併設のミュージアムショップでは、館内に展示されているデスモスティルスの骨格標本をデザインしたタオルなど多彩なグッズを販売。旧理学部を利用したモダンゴシック様式の趣ある建物も見どころの一つの北海道大学総合博物館[北海道大学]の前で記念撮影。

北海道大学総合博物館の裏にあるポプラ並木は、絵葉書などでおなじみ。2004年の台風で半数近くが倒壊し、現在は幼木が植えられ再生中だ。北13条のイチョウ並木は、10月中旬から11月上旬にかけてが黄葉の見ごろのポプラ並木とイチョウ並木[北海道大学]を散策する。

ホテルに戻り朝食を済ませてからレンタカーで札幌周辺を巡る。

世界的な彫刻家、故イサム・ノグチ氏が基本設計した施設で、公園全体が氏の集大成ともいえる作品だ。面積189万平方mと東京ドーム40個分の広さを誇り、太陽の光に輝くガラスピラミッドや丘の稜線を走る白い道など、そのひとつひとつが大地を彫りだした彫刻作品のよう。氏の資料が閲覧できるギャラリーや屋上展望回廊のほか、道産の新鮮な食材を使ったフレンチが味わえるレストランもあるモエレ沼公園を訪れる。

約60万平方mの敷地に、ミズナラやカツラなどの原始林が茂る円山原始林(特別天然記念物)や、野球場、テニスコートなどスポーツ施設が整備され、休日は大勢の市民で賑わう。札幌有数の桜の名所としても知られる円山公園を散策する。

開拓の神を祭るため、明治政府によって建立された。境内には樹齢数百年を越えるハルニレの大木が見られ、バードウォッチングのメッカでもある。春には桜の花が咲き花見客で賑わう。また6月14〜16日にかけて行われる「札幌まつり」は、北海道に夏を告げる風物詩としても有名の北海道神宮を訪れる。

札幌中心部の西約3kmに位置する、円山公園内にある動物園。動物だけでなく熱帯鳥類館やハ虫類館があり、約170種の生物を飼育・展示している札幌市円山動物園前で記念撮影。

1972年(昭和47)に開催された、冬期オリンピック札幌大会の舞台となった場所。ジャンプ台の最上部までを結ぶリフト(2人乗り)があり、展望ラウンジからは札幌の町並みが望める。また敷地内には、スキージャンプを始めとする各種シミュレーターや、貴重な資料を展示している「ウィンタースポーツミュージアム」もある大倉山ジャンプ競技場を訪れる。

大倉山ジャンプ競技場敷地内にあるミュージアム。札幌オリンピックの記録のほか、手稲山にあった日本初の西洋式山小屋「パラダイスヒュッテ」の懐かしい写真などを展示。臨場感が楽しめるシミュレーターも人気で、ボブスレー滑走・クロスカントリー・フィギュアスケートのスピン体験など、ウィンタースポーツを疑似体験できる札幌ウィンタースポーツミュージアム[大倉山ジャンプ競技場]を訪れる。

札幌市街を一望できるビュースポット。展望台へはロープウェイか藻岩山観光自動車道を利用する藻岩山展望台を訪れる。

ゆるやかに広がる丘陵地で羊が草を食む牧歌的な風景が魅力。展望台には、クラーク博士の像が立ち、記念撮影スポットととして人気だ。展望台からは、札幌ドーム・札幌市街はもちろん石狩平野までを見渡せる。ジンギスカンが味わえるレストランのほか、さっぽろ雪まつり資料館やウェディングパレスもあるさっぽろ羊ケ丘展望台を訪れる。

札幌市内南東部に位置する全天候型屋内ドーム。コンサドーレ札幌、北海道日本ハムファイターズのホームスタジアムで、サッカーや野球の試合のほか、スポーツ・コンサートなど各種イベントも行われる札幌ドームを訪れる。

札幌・定山渓方面経由して小樽に向かう。

俳優、歌手として絶大な人気を誇った不世出の大スター・石原裕次郎の素顔を紹介する。実際に撮影で使用された衣装をはじめ、愛車のベンツ、ロールスロイス、キャデラックなど、貴重な展示物が並ぶ。映画のワンシーンを再現したコーナーもある石原裕次郎記念館を訪れる。

280隻のヨットやモーターボートが係留された、道内最大級のマリーナ、小樽港マリーナを訪れる。

小樽を代表する景観で、全長1140m、幅20〜40m。御影石が敷き詰められた道を歩きながら運河沿いを散策でき、小樽の歴史をテーマにしたレリーフやモニュメントが運河沿いに立つ。今でこそ観光名所の一つとなっているが、もともとは1923年(大正12)に、ハシケとよばれる小型船が、港に停泊している本船から貨物を運び往来するために造られたもので、小樽の商業の発展に貢献してきた運河ともいえる。夜になると63基のガス燈が灯され、趣のある雰囲気を演出する小樽運河を散策する。

小樽の歴史や自然に関しての資料、約2000点を展示。1893年(明治26)築の石造り倉庫を利用した、博物館自体が貴重なものだ。明治・大正期の街並みを実物大で再現したコーナーは特に見ものの小樽市総合博物館 運河館を見学。

小樽運河の浅草橋から国道5号に向かう道沿いに立つ。文学館では小樽にゆかりの深い作家の小林多喜二や伊藤整、歌人・石川啄木などの貴重な直筆原稿や遺品などの資料を紹介。美術館には日本を代表する風景画家・中村善策や、版画家・一原有徳などの作品を収蔵している市立小樽文学館・美術館を訪れる。

約120年前に建てられた酪農会館を利用した建物に、食事処やカフェ、宿泊施設が集まるスポット。スケソウダラの白子を使ったかまぼこ、たちかまを使った料理が名物の食事処惣吉、古民具で大正を再現したカフェ雨情、2階には御宿櫻井がある。広場奥にある組み木細工の店、成木屋も一見の価値ある小樽出世前広場を訪れる。

18世紀のネオ・クラシック様式の宮殿をモデルにした館内で、数々のヴェネツィアングラスを鑑賞することができる美術館。1階はミュージアムショップ。2・3・5階には10の展示室があり、家具やシャンデリア、装飾品が彩り鮮やかに並んでいる北一ヴェネツィア美術館を訪れる。

1906年(明治39)建築されたルネッサンス様式の石造りの建物で国の重要文化財に指定されている。一流建築家がこぞって優れた建造物をつくりあげた時代の象徴の一つ。竣工間もなく、日露国境画定会議の舞台にもなったことで有名だ。内部は建設当時の姿に復元されており、貴賓室、会議室の壁紙「金唐革紙」や豪華なシャンデリアなど、随所に華やかな明治時代の面影が残る旧日本郵船株式会社小樽支店を訪れる。

本物の蒸気機関車を展示する、スケールの大きな博物館。ドーム型のスクリーンによるプラネタリウム、科学展示室など幅広い展示内容だ。なかでも鉄道関係の資料は充実。SLの運行もある小樽市総合博物館 本館を見学。

北の海や川、湖の生き物を中心に、250種5000点を展示。北海道初展示の「ノコギリザメ」を公開。人気のネズミイルカとゴマフアザラシが一緒に泳ぐ「ほのぼのプール」に魚たちも加わった。イルカやオタリア、ペンギン・アザラシ・トドのショーも連日開催している。遊園地が併設されており、家族揃って楽しめるおたる水族館を訪れる。

余市方面に向かう。

日本人で初めて、スコットランドからウィスキーの製造技術を身につけた竹鶴政孝氏が1934年(昭和9)に建設。以来、伝統的な製法でモルト原酒を作り続けている。赤い屋根と軟石造りの工場や美しい芝生や樹木が茂る風景は、ウィスキーの故郷・スコットランドを思わせる。ウィスキー博物館も必見のニッカウヰスキー北海道工場 余市蒸溜所を訪れる。

積丹半島に向かう。

高さ100〜200mに切り立った海岸段丘で、荒々しい海岸線と紺碧の海、積丹岳や余別岳を見渡せる。駐車場から小さなトンネルを抜けると、透き通るようなマリンブルーの海水に巨大な岩々が浮かぶ島武意海岸が現れる。周辺は日本の渚百選に選定の積丹岬を訪れる。

積丹半島西北端に突出する高さ80mの岬。先端へは「チャレンカの小道」とよばれる散策路が通じていて、沖に立つ巨大な神威岩には、源義経を慕って後を追ってきたアイヌの娘チャレンカが海へ身を投じ、その姿がやがて岩と化したという伝説が残っている。かつては海路の難所で、舟に女性を乗せると海が荒れるという言い伝えがあり、1855年(安政2)まで女人禁制の岬だった神威岬を訪れる。

ニセコを経由して室蘭に向かう。

20:30東室蘭駅付近のホテル到達、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

20日5:00レンタカーで出発。

「室蘭八景」の一つにも選ばれている景勝地。「トッカリショ」とはアイヌ語で「アザラシの岩」を意味し、海面80mの断崖と奇岩が580mにわたって連なるトッカリショを訪れる。

「北海道の自然百選」や「新日本観光地100選」などで得票1位に選ばれた景勝地。絵鞆[えとも]半島の最南端から太平洋に突き出た岬で、海面から約120mの断崖上にある展望台からの眺めはまさに絶景だ。地球の丸さを実感できる大パノラマが広がり、晴れた日には遠く駒ケ岳や青森県の下北半島まで望める。運がよければ春から秋にかけて回遊するイルカやクジラが見えることもある。また岬にある灯台は、沿岸を航行する船舶の目標として重要な役割を果たしている。周辺に森林浴コースや散策路もある地球岬を訪れる。

室蘭港に架かる、白くて大規模な吊り橋。その名の通り、ハクチョウが翼を広げたような柔らかなフォルムが印象的だ。ライトアップは、長さ1380mのメインケーブルに渡る作業用の手すりに取り付けた無電極放電灯と、海面からまっすぐ延びる2本の主塔のメタルハライドランプによるもの。これらのライトが夕闇にスワンホワイトの光を放ち、美しいフォルムを浮かび上がらせる。特にフェリーが橋の下を通る風景が美しい白鳥大橋を通過する。

登別方面に向かう。

直径450m、面積約11haの大きな爆裂火口の跡。赤茶けた岩肌、黄灰色の岩丘の裂け目からは火山ガスが噴出。硫黄の臭いがあたり一帯を包み、まさに地獄の谷の様相の地獄谷を訪れる。

洞爺湖方面に向かう。

周囲43km、中央に4つの中島を浮かべるカルデラ湖で、湖の南側には昭和新山や有珠山、洞爺湖温泉などがあり、道内屈指の観光地として賑わう。湖の中央に浮かぶ中島には野生のエゾシカが生息する洞爺湖を訪れる。

1943年(昭和18)12月に始まった群発地震をきっかけに、1944年(昭和19)6月、地割れとともに一帯の麦畑や松林が隆起し、忽然と生まれた。学術的にも貴重な山(特別天然記念物)で、最高地表温度が約300度の活火山だ。標高398mの半円形の火山の溶岩塔部分は茶褐色で、岩肌から今も水蒸気を上げる。有珠山ロープウェイからも望める昭和新山を訪れる。

標高737mの活火山。過去300年間でも10度の噴火活動を観測し、最近では2000年3月31日の大爆発が記憶に新しい。同年8月には観光安全宣言が表明され、噴煙を上げる有珠山の自然のエネルギーを体感できる。山頂へは有珠山ロープウェイを利用、中島が浮かぶ洞爺湖の全景を見渡せる有珠山を訪れる。

洞爺湖全体を見渡すことができるビュースポット。対岸に、有珠山・昭和新山と洞爺湖温泉街も見えるサイロ展望台を訪れる。

洞爺湖方面に向かう。

樽前山の噴火によって流れ出た火山岩の割れ目が冷えて固まり、数万年の年月を経て少しずつ侵食されてできた渓谷。狭い通路の両サイドにそそり立つ岩壁には約30種類の苔がびっしりと生え、緑のビロードに覆われたような美しい景観の苔の洞門を訪れる。

緑豊かな原生林に囲まれた、周囲約40.3kmの大カルデラ湖。約4万年前の激しい噴火活動によってでき、最大水深は約363mと日本で2番目。透明度が高く、水質では日本一に輝いた実績をもつ。周囲は恵庭岳、風不死岳、樽前山などに取り囲まれ、支笏湖観光遊覧船に乗船すれば湖上から景観を満喫できる。支笏湖とその南西に位置する洞爺湖一帯は支笏洞爺国立公園に指定。湖畔には落ち着いた風情の支笏湖温泉街がある支笏湖を訪れる。

新千歳空港に向かう。

17:00新千歳空港到達。
18:00新千歳空港出発。
19:45伊丹空港到達。

今回の旅行、今年2回目の日本国の最北端に位置する北海道に足を運び、明治時代に開拓使が置かれて以来、北の都として発展し歴史的な建築物や市街地に広がる緑溢れる見所がいっぱいの札幌をスタートし、

反時計回りで物資輸送の重要な拠点として発展し、かつて多くの船が行き交い、、経済の中心地となった街は当時の姿を留めつつ、運河沿いにショップや飲食店が並ぶ観光スポットとなっている小樽、

日本海の先に突き出た半島は、荒々しくも美しい海岸線が続き、岬から眺めるシャコタンブルーと呼ばれる紺碧の海は絶景の積丹半島、

2つのカルデラ湖と点在する火山がそびえ、温泉と大自然に接することができる支笏洞爺湖の2泊3日ドライブ観光、堪能しました。

北海道は夏と雪山シーズンを含めて18回訪れ、ほぼ観光地は制覇しました。

北海道は道も広いし真っ直ぐ、車も少なく、ストレスなく気持ちよくドライブを楽しむことが出来ます。多くの観光名所、どこも良く整備され、観光客がいっぱいで賑わっています。

なかなか観光名所の多い、飽きの来ない、何回も訪れたい、北海道ドライブ観光旅行でした。





























三重県伊賀上野観光
2010年9月15日


伊勢湾と熊野灘に囲まれた1000kmに及ぶ海岸線を持ち、東海と近畿の接点の地、三重県に足を運び、芭蕉と忍者の町で郊外には伊賀焼の里がある伊賀上野を訪れました。

12:30車で阪奈163自動車道経由して
13:40伊賀到達。

752年(天平勝宝4)、聖武天皇の勅願により奈良東大寺の別院として創建された。織田信長による天正伊賀の乱で大半が焼失。現在は本堂と楼門、本尊十一面観音が残り、いずれも重要文化財に指定されている観菩堤寺(正月堂)を訪れる。

1821年(文政4)、津の藩校、有造館の支校として第10代藩主藤堂高兌が建築。講堂、御成門、表門、有恒寮、小玄関、台所棟などが残されている。なかでも72畳の広さを誇る講堂は圧巻の旧崇廣堂を訪れる。

中世、茶の湯の流行とともに、わび、さびを醸す伊賀、信楽の陶芸品は茶道具として高い評価を獲得。館内2階には郷土の愛陶家・奥知氏収集の古陶34点を展示。1階では伊賀焼を展示販売している伊賀信楽古陶館を訪れる。

芭蕉翁の遺髪を納めた塚。芭蕉翁生家近くの愛染院の境内にある。松尾家の菩提寺の芭蕉翁故郷塚を訪れる。

学問と文芸の神様を祀る神社。別名を上野天神宮ともいう。1611年(慶長16)、伊賀上野城とともに藤堂高虎が再建。29歳の芭蕉が江戸に発つにあたって、処女句集『貝おほひ』を奉納しており、鳥居横には芭蕉の句碑もある上野天神宮(菅原神社)を訪れる。

7つの寺が並ぶ、寺町の南端に位置する。本堂の木造阿弥陀如来坐像は重要文化財。百躯観音を安置する六角堂や鐘楼など、みどころは多い。伊賀越仇討ちで荒木又右衛門の従者だった、河合武右衛門の墓所でもある念佛寺を訪れる。

伊賀の伝統工芸、伊賀組紐を展示即売している。組紐の歴史や工程が学べるよう、ビデオシアターも設置。希望者には専門家の指導で組紐作りの体験もできる伊賀くみひもセンター組匠の里を訪れる。

834年(承和元)の創建。観音堂の十一面観音立像は平安時代の作で、国の重要文化財に指定されている。境内から本堂裏の山上にかけて伊賀四国八十八カ所の巡礼路があり、多くの石仏が並ぶ宝厳寺を訪れる。

1853年(嘉永6)創業の若戎酒造が開設した酒の資料館。昔の酒造道具の展示のほか、ビデオで酒造りを解説する若戎吟醸館を訪れる。

名張市の北東部、近鉄美旗駅の周辺に点在する。これは4〜6世紀、この地を支配していた豪族の墓で、伊賀地方で最大規模の古墳群といわれている。現存している古墳は前方後円墳5基、横穴式石室をもつ円墳1基、方墳1基の計7基。さまざまな形の古墳が見られるとあって、古墳に興味をもつ人の穴場となっている美旗古墳群を訪れる。

17:00終了。

今回は昨年以来2回目で、近場の伊勢湾と熊野灘に囲まれた1000kmに及ぶ海岸線を持ち、東海と近畿の接点の地、三重県に足を運び、松尾芭蕉、藤堂高虎ゆかりの地の伊賀上野を訪れ歴史学習できました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十弾:秋田県・秋田市周辺・角館観光
2010年9月11ー12日


東北地方の奥羽山脈西側にあり、北は青森県、南は山形県、西は日本海に面し、歴史上の人物で、絶世の美人で平安の歌人としても知られる小野小町が有名で、それぞれの地域の名物を歌った音頭がある秋田県に足を運び、秋田藩主佐竹氏の城下町として栄えた秋田市、芦名義勝によって造られた城下町、南北に武家と商家の住まいが分かれていて今も当時のままの武家屋敷が残されている角館を訪れました。

11日伊丹空港秋田行きが16:05の遅出の出発のため梅田近辺を散策して時間を過ごしました。
地下鉄西梅田駅の西側一帯に広がる、「人との交流」をコンセプトとした複合都市。ザ・リッツ・カールトン大阪とハービスPLAZAが入る地上40階の高層ビル・ハービスOSAKAを中核に構成された、近代的な街並みが特徴。周辺にはユニークな外観が目を引くコンピュータ総合学園HAL・大阪モード学園や、ホテルモントレ大阪・ハートンホテル西梅田をはじめ、インテリジェントビルが林立。華やかなムードを醸し出しているオオサカガーデンシティを訪れる。

JR梅田貨物駅の西側に広がる、地上173m・40階建ての梅田スカイビルとウェスティンホテル大阪のある一帯の総称。空中庭園展望台、滝見小路、中自然の森、新・里山などがあり、都会の中のオアシス的存在の新梅田シティを訪れる。

大阪・キタのまん中にそびえ立つ、2棟連結の近未来的超高層ビル「梅田スカイビル」。浪速の凱旋門とも呼ばれている。その最上階部分に、天空に向けて開放された日本有数の360度開放型屋上展望台。「日本の夕陽百選」に選ばれた美しい夕日、100万ドルの夜景などすばらしい眺望が楽しめる空中庭園展望台[新梅田シティ]を訪れる。

新梅田シティのウェスティンホテルと梅田スカイビルの間に、約50種類2100本の木々が植えられた開放的な空間が広がっている。毎年6月頃には蛍鑑賞でき、その生育環境の維持にも努め続けている。ビル北側一帯には、雑木林や田畑を配置した日本の原風景である「里山」があり、都会の中心で自然との共生と人との交流を図りながら、心が和む癒しスポットになっている中自然の森[新梅田シティ]を訪れる。

新梅田シティの梅田スカイビル地下にある、昭和初期の大阪の下町をイメージした食堂街。狭い石畳の路地、ボンプ汲上げ式の井戸や稲荷神社、郵便局などが配されたレトロな街並に、「くいだおれの街・大阪」にふさわしい約20軒の飲食店が並ぶ滝見小路[新梅田シティ]を訪れる。

古書のまちは阪急電鉄の高架下、狭い通路の左右に美術書、歴史書、洋書など13軒の古書店が集まるゾーン。かっぱ横丁は、さらにその奥に広がる飲食店街。ラーメン、居酒屋、イタリアン、串カツ、お好み焼など気楽に入れる店がバラエティ豊かに並ぶ阪急古書のまち・かっぱ横丁を訪れる。

アプローズタワーにある客席898席の中規模劇場。ストレートプレイを中心に、人気劇団や宝塚歌劇、ミュージカルの公演も上演する梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ[アプローズタワー]を訪れる。

アプローズタワー内にある、約1900席の収容人数を誇る大劇場。最新鋭の舞台装置を備え、大型ミュージカルからクラシックコンサートまで多彩なラインアップを取り揃えている梅田芸術劇場メインホール[アプローズタワー]を訪れる。

梅田ロフト地下1階にある映画館。車イスでもシアター内に入れるバリアフリー対応のテアトル梅田[梅田ロフト]を訪れる。

JR大阪駅東側の高架下にある飲食店街。狭い空間の1、2階に約100店舗が集まり、居酒屋を中心におでん、お好み焼、中国料理、洋食など気さくな雰囲気の店が軒を連ねている。立飲みスタイルの店も多く、夕方になると会社帰りのサラリーマンで賑わいをみせる新梅田食道街を訪れる。

14:35空港バスで伊丹空港に向かう。
15:05伊丹空港到達
16:05伊丹空港出発
17:25秋田空港到達、レンタカーで秋田市内に向かう。
18:20秋田駅付近のホテル到達、繁華街を散策し食事を済ませてから就寝。
12日5:00レンタカーで出発、秋田市周辺を巡る。

全国の三吉神社・太平山講の総本宮。673年(白鳳2年)5月、役の行者小角の創建と伝えられる。古来より勝利成功、事業繁栄の守護神として崇敬を集め、「みよしさん」「さんきちさん」の愛称で親しまれている。毎年1月17日には、「ぼんでん」と呼ばれる依代を中心に荒々しく先陣争いを繰り広げる特殊神事、梵天祭が行われ、県外からの参拝客も多い太平山三吉神社を訪れる。

奈良時代に最北の守りとして創建した地方官庁の遺跡。秋田城解明の重要な手がかりとなる木簡をはじめ出土品も多く、一帯が国の史跡に指定されている。1998年(平成10)に東門、2008年(平成20)に古代水洗トイレが復元の秋田城跡を散策する。

セリオンと呼ばれる総ガラス張りのタワーで、秋田港のシンボルになっている。ビル内にはショッピングゾーンやレストラン、イベントホールなどを備え、地上100mの展望台からは360度の展望が楽しめる。周辺には屋内緑地公園やマーケット、ホテル、鮮魚直売センターもある秋田市ポートタワー(セリオン)を訪れる。

北秋田方面に向かう。

1893年(明治26)、市内・米内沢に生まれた作曲家、成田為三の功績をたたえて建てられた記念館。県内で教師生活を送り、東京音楽学校在学中に山田耕作[やまだこうさく]に師事し、『浜辺の歌』や『かなりや』などの名曲を生み出した。館内には自筆楽譜や著作書籍などが展示され、リスニングルームでは彼の作品をはじめ、日本の代表的な童謡や歌曲を鑑賞できる。2階の出会いのステージではピアノの自動演奏で彼の曲が流れ、ステージ上の椅子に座った為三そっくりの人形が音楽について語る浜辺の歌音楽館を訪れる。

山深い森吉山南麓で狩猟を中心に生活していた、阿仁マタギの文化や生活を紹介する資料館。館内には彼らの生活用具や珍しい狩猟用具、動物のはく製などが展示されているマタギ資料館を見学。

1637年(寛永14)に発見された阿仁鉱山が、閉山されるまでの歴史と繁栄を紹介している。阿仁鉱山の内部の模型や絵図、古文書などを展示。また、押し絵屏風や源平落人が根子番楽に使ったといわれる能楽面、工芸品なども展示する北秋田市阿仁郷土文化保存伝承館を見学。

1882年(明治15)、鉱山技師として招かれたドイツ人の宿舎として建てられた洋館。ルネッサンス風の煉瓦造りの建物内にはピアノやビリヤードなどの調度品が置かれ、当時の生活が偲ばれる。「阿仁郷土文化保存伝承館」とは地下道でつながっている旧阿仁鉱山外国人官舎異人館を見学。

角館方面に向かう。

角館町出身の近代日本画の巨匠、平福穂庵・百穂父子を記念した美術館。旧制角館中学校跡地に立ち、建物は伝承館と同じく大江宏氏が設計。隣接する武家屋敷群と調和する洋風建築となっている。館では、郷土ゆかりの多くの画人を顕彰するとともに、現役作家の発表の場として広く活用されている平福記念美術館を訪れる。

火除け広場から北の内町は往時の武士の町であり、600mの武家屋敷通りには昔のままの薬医門、黒板塀などと枝垂れ桜が見事に調和する武家屋敷がつづく。6軒が残り、一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。町内で400本を越え、うち152本が国の天然記念物の枝垂れ桜は、佐竹北家二代の奥方が輿入の際、京都から持参した苗木を繁殖したといわれている内町武家屋敷通りを散策する。

内町武家屋敷通り北端にある、佐竹北家用人を務めた家柄の石黒家の屋敷。現存する武家屋敷では最も古く、唯一座敷内に上ることができる。座敷・苔を水に見立てた庭園などに格式が見られる。薬医門には、1809年(文化6)の棟札がかかっている。現在も住みながら、維持・保存している武家屋敷石黒家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

内町武家屋敷通りにある、佐竹北家・芦名家に仕えた青柳家の屋敷。広大な敷地には築200年の母屋をはじめ、武器蔵や文庫蔵などが残り、江戸時代の史料などを展示するミニミュージアム、秋田郷土館、武家道具館なども立つ。春には、日本に1本しかないという八重紅枝垂桜が咲く角館歴史村青柳家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

秋田県ゆかりの建築家・大江宏が、角館の古い建築様式を取り入れ設計。樹齢300年を越える枝垂桜とも調和している。展示室では武家道具などが展示され、樺細工の製作実演も見られる。200年以上の伝統を持つ樺細工は、武士の手内職として始まったもの。伝統的工芸品の指定を受けている角館樺細工伝承館を訪れる。

ルネ・ラリックのガラス作品が鑑賞できる個人美術館。約400点のコレクションから、常時約80点を展示している。手拭や和紙、ガラスなどの作品を販売するギャラリーショップ、自家焙煎のエスプレッソやクッキーが味わえるカフェもある大村美術館を訪れる。

内町武家屋敷通りにある、芦名氏譜代の家臣・岩橋家の屋敷。木羽葺き、切妻型の屋敷は中級武士の典型的な形を残している。庭園では、樹齢260年余りのカシワの木が見られる岩橋家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

館町の内町武家屋敷通りにある。米蔵を改装した資料館には、佐竹北家に伝わる武具、衣服、調度品、古文書などを展示。打掛けや化粧箱には京風の装飾が見られる角館武家屋敷資料館[内町武家屋敷通り]を訪れる。

内町武家屋敷通りにある、芦名氏譜代の家柄・河原田家の屋敷。苔を敷いた内庭など、庭園は藩政時代そのままの姿を残す。母屋は明治中期の建築だが、この地方の書院造りの典型的な様式となっている河原田家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

内町武家屋敷通りにある、秋田蘭画で有名な小田野直武一族の屋敷。門から玄関まで約20mも続くドウダンツツジ、前庭一面に植えられた笹などが見事の小田野家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

内町武家屋敷通りにある、幕末の頃に建てられた下級武士の屋敷。門柱を2本建てて柴垣で囲んだ簡素な造りで、杉皮葺きに置き石の屋根は町家にも多い形式の松本家[内町武家屋敷通り]を訪れる。

商家が並ぶ外町の一角、田町の武家屋敷通りに佐竹本家の直臣・今宮家家臣団の武家屋敷があった。西宮家が残り、公開されている田町武家屋敷通りを散策する。

田町武家屋敷通りにある、今宮家家臣団の中の家柄・西宮家の屋敷。地主として最も繁栄した、明治後期から大正時代にかけて建てられた文庫蔵、北蔵5棟の蔵と母屋では古文書や貴重品を展示するあきた角館西宮家[田町武家屋敷通り]を訪れる。

大曲方面に向かう。

平安時代の初め、大和政権がこの地方の統一を進めるために造ったといわれる役所跡(史跡)。87万平方mの広大な敷地内からは多数の遺物が出土。1994年(平成6)には、遺跡の正面玄関ともいえる外柵南門が復元された払田柵跡を訪れる。

美郷町の六郷地区に点在する60カ所あまりの湧水の総称。年間通して水温12〜15度の水が湧き、清水の里として知られる。湧水のなかにはユニークな名前のスポットも多く、かつて鷹狩りに訪れた佐竹の殿様が、料理水に使ったことから名付けられた「御台所清水」や、近くに久米という家があり、自家の水屋のように使っていたことからその名が付いた「久米清水」などがある六郷湧水群を散策。

高畑古四王際地区にある神社で、1570年(元亀元)に、7代目冨樫左衛門太郎勝家が飛騨の名工甚兵衛に造らせたものといわれる。本殿(重要文化財)は一間社入母屋造で、和・唐・天竺様を融合した建築様式が特徴だ。建物には細部まで優美で繊細な彫刻が施されている古四王神社を訪れる。

秋田の農業が楽しく学べるスポット。本館展示室ではジオラマなどを使い、農業の歴史やバイオテクノロジーをはじめとする先端技術についてわかりやすく紹介。隣接する熱帯温室ではさまざまな熱帯植物を観察できる。広大な芝生広場やバラ園、果樹園のほか、敷地内には曲屋も移築されている。そのほか、季節ごとの各種企画展、園芸教室や親子で参加できる教室も開催している秋田県立農業科学館を訪れる。

大仙市神岡地域は、少年野球発祥の地。1903年(明治36)、学校教育に野球を取り入れた。2階にある嶽の球史館で、少年野球から学生、社会人野球、プロ野球に至るまで様々な野球資料を常設展示しているかみおか嶽雄館を訪れる。

秋田空港に向かう。
17:00秋田空港到達
18:05秋田空港出発
19:30伊丹空港到達。

今回の旅行、3回目のおとずれである東北地方の奥羽山脈西に位置し歴史上人物で小野小町、秋田おばこ節、ドンバン節などの秋田音頭で有名な秋田県に足を運び、秋田藩主佐竹氏の城下町として栄えた秋田市周辺、芦名義勝によって造られた城下町、南北に武家と商家の住まいが分かれていて今も当時のままの武家屋敷が残されている角館を訪れ、避暑を兼ねて観光巡りしてきました。

当日大阪はまだ猛暑、避暑を兼ねて東北地方秋田県に足を運びましたが、天気予報で東北地方は前線が停滞し大雨強風とのこと、覚悟して訪れましたが11日は雨、12日は運よく午前中は晴れ、昼から曇り時々小雨で天候には問題ない観光巡りで避暑しながら楽しむことが出来ました。















京都市洛西観光
2010年9月8日


近場の世界遺産の宝庫、京都に足を運び、衣笠山の山裾をゆくきぬかけの道沿いに、世界遺産の金閣寺、龍安寺、仁和寺を訪れました。

12:30車で第二阪奈自動車道経由して
13:30洛西方面到達。

花園法皇の離宮に関山慧玄を迎え、禅刹として改めた。臨済宗妙心寺派の本山で、1337年(建武4)創建。山門(重要文化財)や仏殿(重要文化財)、法堂(重要文化財)など七堂伽藍をはじめ、46もの塔頭が立ち並ぶ。みどころは法堂の天井画「八方にらみの龍」で、狩野探幽の作。日本最古の銘をもつ黄鐘調[おうじきちょう]の梵鐘(国宝)も必見の妙心寺を訪れる。

室町時代の創建。妙心寺にあり、如拙[じょせつ]の描いた国宝の『瓢鮎図』を所蔵していることで有名だ。方丈の西庭(史跡・名勝)は狩野元信作と伝え、絵画的な構成の枯山水の名庭。昭和作庭の池泉廻遊式「余香苑」では、滝のせせらぎ・水琴窟・筧の水と3つの水の姿が楽しめる退蔵院[妙心寺]を訪れる。

妙心寺境内の東側に位置。1531年(享禄4)、細川氏綱が父の菩提を弔うために建立。本堂前庭には、樹齢300年という沙羅双樹の枯木と十数本の沙羅の木があり、その花が美しい寺として知られる東林院(沙羅双樹の寺)[妙心寺]を訪れる。

土用丑の日の「きゅうり封じ」で知られる寺。境内には五智如来石仏(薬師・宝生・大日・阿弥陀・釈迦)をはじめ、背後に観音坐像以下11体の石仏群が並び、圧巻な蓮華寺を訪れる。

888年(仁和4)、宇多天皇創建による門跡寺院で御室御所とも呼ばれた。現在は真言宗御室派の総本山。9万平方mもの広大な境内には、優美な金堂(国宝)をはじめ、二王門(重要文化財)や五重塔(重要文化財)などが点在。御所の名残りを留める仁和寺御殿、江戸時代の池泉式庭園もあって見どころ豊富だ。背丈の低い御室桜(名勝)は、京都随一の遅咲きとして有名の仁和寺を訪れる。

1450年(宝徳2)、徳大寺家の別荘を細川勝元が禅寺に改めたのが始まり。二度の火災で焼失し、現在の建物は1606年(慶長11)に建てられた西源院の建物を移築したもの。方丈前庭の枯山水庭園(史跡・特別名勝)は白砂に15の石組を配し、虎の子渡しの庭ともいわれ、石庭といえば龍安寺を指すほど有名だ。境内には秀吉が絶賛した侘助椿の古木や、水戸光圀寄進の「吾唯足知」と刻んだ蹲などもある。6〜8月は鏡容池の水蓮が見事の龍安寺を訪れる。

日本画家・堂本印象の絵画を中心に、彫刻、陶芸などの作品2100点を収蔵。日本画の枠を越えた多彩な作品は一見の価値あり。建物も印象によるデザインの京都府立堂本印象美術館を見学。

足利3代将軍義満が建てた別荘だが、義満の死後に禅寺へと改められた。正式名は義満の法号にちなみ鹿苑寺という。金閣寺の通称は、三層宝形造の舎利殿による。1955年(昭和30)復元の楼閣は初層が寝殿造、2層は武家造、3層は禅宗仏堂造。周囲には池泉回遊式庭園(特別史跡・特別名勝)が広がり、鏡湖池に金閣が映る光景は美しい鹿苑寺(金閣寺)を訪れる。

平安遷都に伴い奈良から移転。今木皇大神[いまきのすめおおかみ]をはじめ、四柱の神を総合し平野皇大神として祀る。「皇大神」とは、神の中でも最高位を表す語。国内8万以上ある神社の中でも伊勢神宮など数社しかなく、その格式の高さが知られる。本殿(重要文化財)は、比翼春日造という特殊な形式。古くから桜の名所で、他にも四季を通じて様々な花が咲く平野神社を訪れる。

17:00終了。

今回の名所巡り、近場の世界遺産の宝庫、京都に足を運び、衣笠山の山裾をゆくきぬかけの道沿いの世界遺産の金閣寺、龍安寺、仁和寺を訪れました。

何回も訪れたことのある、金閣寺、きぬかけの路周辺、あらためて歴史的建造物のスケールの大きさを感じ、又歴史学習できました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九弾:栃木県栃木・佐野・足利観光
2010年9月4ー5日


那須山や日光連山などに囲まれ、自然豊かで、古くから発展した歴史情緒残す街並みや季節を感じながら散策できる自然スポットなど魅力いっぱいの栃木県に足を運び、巴波川沿いに蔵の町並みが続く、江戸時代の宿場町、栃木、足利氏発祥の地として知られ歴史情緒あふれた町の散策を楽しめる足利を訪れました。

4日13:17新大阪新幹線のぞみで出発
15:56東京駅到達
16:20東京駅新幹線やまびこで出発
17:02小山駅到達、レンタカーで観光。

享保2(1717)年に建立された日蓮宗の寺院。当時の風情を今なお残す本堂には、天井に百人一首の絵が碁盤の目状に描かれている。境内に見事な枝垂桜が咲くことでも知られる妙建寺を訪れる。

原始古代から現代に至る当地域の歴史・文化を実物資料を中心に展示する小山市立博物館を訪れる。

渡良瀬遊水地の北西に位置する公園。園内には陸上競技場、野球場、サッカー場、テニスコート、子供広場などが点在。春には桜祭り、バルーン大会(熱気球)も開催の渡良瀬運動公園を訪れる。

18:30小山駅付近のホテル到着後JA宇都宮線で小山駅から4つ目の雀宮駅到達し友人と出会い、車で宇都宮方面に向かい食事を共にする。

24:00車で小山のホテルに送ってもらい就寝。

5日6:00レンタカーで出発、壬生方面に向かう。

ブリキのおもちゃから最新のゲームまで集めた博物館。5万点の収蔵品の中から、約3000点をテーマごとに常設展示。ドレスやアクセサリーを選び自分だけのリカちゃんが作れるコーナーや、ジェットコースターなどの疑似体験ができるミーブ、N・HOゲージが走る「鉄道模型の部屋」など、家族みんなで楽しめる。3階のパノラマ展望室にはこどもに人気の「ボールプール」があり、晴れた日には日光連山も一望できる壬生町おもちゃ博物館による。

栃木方面に向かう。

地元で500年以上の歴史を誇る旧家、岡田家の土蔵を公開した資料館。3棟の土蔵には武具や着物など価値ある美術品などが展示されている。また、徒歩2分の所に、銘木を使って建てた2階建ての翁島別邸もある岡田記念館を訪れる。

江戸時代から続く呉服問屋、安達家の収集美術品などが展示されている。土蔵倉庫を利用した展示室には歌川広重の東海道五十三次版画、全55枚をはじめ、狩野常信の屏風絵など書画、彫刻、仏像などがあるあだち好古館を訪れる。

『路傍の石』『女の一生』などの名作で知られる、栃木市出身の作家、山本有三の生い立ちや業績を紹介する資料館。館内には、愛用した机、椅子などの遺品をはじめ、直筆原稿や、各種の資料、作品を展示。さらにビデオ資料や、山本有三研究者の編纂した史料なども展示されている山本有三ふるさと記念館を訪れる。

1900年(明治33)に共立銀行を創立した横山家を資料館として開放した施設。横山家はもともと地元、下野の特産品、麻を扱っていた麻問屋だったため、建物も向かって左側が銀行、右側が麻問屋と、特別な造りになっている。内部には当時の帳場や銀行事務所などが再現されており、興味深い横山郷土館を訪れる。

人間国宝による陶芸作品のほか、田中一村の日本画など栃木市ゆかりの作家の美術工芸品を収蔵。展覧会では国内外の優れた美術作品を紹介している。建物は約200年前に建てられた善野家土蔵(通称・おたすけ蔵)を利用したもので、館内は漆喰の壁や天井を走る巨大な梁が織り成す空間。展覧会ごとに変化に富んだ表情を見せる。蔵に関する史料展示コーナーもあるとちぎ蔵の街美術館を訪れる。

「とちぎ秋まつり」を華やかに彩る、人形山車を展示している。館内に収蔵する6台のうち、常時3台を展示。実際の秋まつりを映し出すスクリーンを背景に山車が動くようになっていて、祭りの様子が分かる。資料展示室には歴史資料、祭の小道具なども展示するとちぎ山車会館を訪れる。

栃木県内でも有数の豪商井筒屋重兵衛が公設質屋業を営んでいた土蔵を改装した資料館。館内には市内から出土した土器や石器をはじめ、栃木の産業、瓦や下駄造りの道具、民俗資料などを展示している。外観が平屋風だが、内部は2階建てという商家の土蔵造も見ものの栃木市郷土参考館を訪れる。

弘化年間(1844〜48)から木材回漕問屋を営む塚田家の往時の資料を展示。巴波川沿いに映える8つの白壁土蔵と黒塀が美しい。巴波川の悲話を人形ロボットが演じる人形劇が見ものの塚田歴史伝説館を訪れる。

平安初期、慈覚大師の創建とされ、1200年以上の歴史を持つ。梅雨の頃には麓から1000段もの石段が続くあじさい坂を、可憐なアジサイが彩る太平山神社[太平山]を訪れる。

栃木駅の西約4Kmにある桜やアジサイの名所。標高345mの山頂には太平山神社が立ち、謙信平からは関東平野や秩父連山が見渡せる。その眺めは田園に点在する丘や林が小島に見えることから、陸の松島にたとえられている太平山を訪れる。

平安時代末、真言宗の寺として創建。後に荒廃し、室町時代に曹洞宗の寺として再興された。寺には七不思議の伝説が語り継がれ、寺建立の際、禅師が地に刺した杖から藤が成長したという「根なし藤」の伝説は、上田秋成作『雨月物語』の「青頭巾」にも記載。伝説の題材となった、藤の古木や井戸などが今も残る大中寺を訪れる。

佐野市、岩舟町、藤岡町にまたがる標高229mの三毳山。北斜面の万葉自然公園かたくりの里から尾根づたいに南に1時間30分のハイキングでみかも山公園へ。カタクリや桜をはじめ、四季の花が楽しめるみかも山公園を訪れる。

約1200年前、日光山を開いた勝道上人によって創建されたといわれ、板東17番札所として今も多くの信仰を集めている。本尊は弘法大師作と言われる、千手観音像。釘を一本も使っていない本堂も一見の価値あり。奥の院の岩窟(鍾乳洞)も見どころの出流山満願寺を訪れる。

佐野市・岩舟町・藤岡町にまたがる、標高229mの三毳山。その北斜面に広がる自然公園。約1500平方mのカタクリ群生地では、3月中旬〜4月上旬になると約200万株ものカタクリが紫色の可憐な花を咲かせる万葉自然公園かたくりの里を訪れる。

佐野方面に向かう。

川崎大師、西新井大師と並ぶ関東三大師の一つで平将門の討伐を命ぜられた藤原秀郷の戦勝祈願により937年(承平7)創建された。正式名称は春日岡山惣宗寺といい、比叡山18代座主慈恵大師を祭っている。正月などには、厄除を願う大勢の参拝客で賑わう惣宗寺(佐野厄よけ大師)を訪れる。

鎌倉時代に佐野氏が唐沢山に築いた城を慶長年間(1596〜1615)に移した跡地を公園にしたもの。桜やツツジの時期は特に賑わう。園内には佐野の歴史や文化を紹介する万葉の里城山記念館がある城山公園を訪れる。

足利方面に向かう。

鎌倉時代初期の1196年(建久7)、足利義兼により建立された足利氏の氏寺。大日如来を本尊とし、山門、鐘楼(重要文化財)、本堂(重要文化財)、経堂(重要文化財)などの七堂伽藍を備えた東国の密教の代表的な寺。境内は足利氏宅跡(国史跡)でもあり、周囲を水堀と土塁で囲んでいる鑁阿寺を訪れる。

日本最古の総合大学。隆盛期の天文年間(1532〜54)には全国から学徒3000人を集め、儒学・医学・兵学などの授業が行われたという。その様子はフランシスコ・ザビエルによって海外に紹介された。1872年(明治5)に廃校になったが、1990年(平成2)江戸中期の姿が復原された史跡 足利学校を訪れる。

足利市内在住の鈴木栄太郎氏により寄付された田崎草雲の遺作・遺品を一般に公開する美術館。田崎草雲は足利が生んだ幕末の文人画家で、金井烏洲に絵を学ぶほか、明治維新には足利の治安維持にあたり、足利の文化財を守るために尽力した草雲美術館を訪れる。

江戸時代に日本で最初に作られた磁器・伊万里と、鍋島藩窯で藩主の献上品として特別に制作された鍋島を所蔵する、世界屈指の陶磁美術館。小高い丘を利用した約3万坪の自然庭園に4つの展示館を中心に建物が点在する栗田美術館を訪れる。

2本で約1200畳の大藤棚や八重の大藤棚、170cmもの花房をもつ藤など、季節になると約8万8000平方mの敷地に300本以上の藤が花をつける。普段あまり見かけないきばな藤や、長さ80mのトンネルをつくる白藤も観られるあしかがフラワーパークを訪れる。

小山方面に向かう。

17:15小山駅到達。
18:01小山駅新幹線マックスで出発
18:46東京駅到達
19:00東京駅新幹線のぞみで出発
21:36新大阪駅到達。

今回の旅行、北関東の那須山や日光連山などに囲まれ、自然豊かで、古くから発展した歴史情緒残す街並みや季節を感じながら散策できる自然スポットなど魅力いっぱいの栃木県に足を運び、

室町地代末期に栃木城が築かれ城下町として発展、江戸時代には日光例幣使街道の宿場町、巴波川の舟運による商人町として栄え、白壁の蔵屋敷や民家が残り、柳の並木道が続く巴波川沿いは、小京都の面影を今に伝え、散策すればどこかノスタルジーを感じさせられる栃木、

渡良瀬川が群馬の県境を流れ、唐沢山や万葉集にも詠まれた山毳山、歴史深い史跡、旧跡がまちを彩る佐野、

室町幕府を開いた足利氏寺・鑁阿寺界隈は歴史情緒が漂い、平安時代初期に創設された日本最古の総合大学といわれる足利学校が位置する足利を訪れ、多くの歴史的建造物にふれ歴史学習できました。












京都市洛西・三尾・洛中観光
2010年9月1日


今回は近場の京都洛西洛中に足を運び、高雄、槇尾、栂尾を総称する清滝川が流れる山間に3つの山寺が佇んでいる三尾、京都の伝統と文化を体験でき、学問の神様で知られる北野天満宮を中心に、伝統を今に伝え続ける上七軒や西陣の町並みがある北野天満宮周辺を訪れました。

12:30車で第二京阪自動車道経由して
13:30三尾到達。

神護寺から清滝川沿いに約15分歩き、朱塗りの指月橋を渡った所に立つ。天長年間(824〜833)に空海の弟子智泉が、神護寺の別院として創建。現在の堂宇は徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の寄進で再建されたといわれている。本堂に安置された本尊木造釈迦如来立像(重要文化財)は、生前の釈迦の姿を伝えるとされる「清凉寺式」で、像高約52cm。高山寺を再興した明恵上人が自刻したという。脇に祭られている千手観音立像(重要文化財)は藤原時代の作の西明寺を訪れる。

開基は和気清麻呂。のちに唐から帰朝した空海も住持を務めた。その後荒廃したが、平安末期に文覚上人が後白河法皇、源頼朝の寄進を受け復興させた。仏教美術の宝庫として知られ、金堂の本尊薬師如来立像(国宝)は、唇と眼だけに彩色を施した、厳しい表情の檜の一木造で、貞観時代の密教彫刻の傑作。多宝塔の本尊五大虚空蔵菩薩坐像(国宝)は、胡粉で全身彩色され女性的な優しさを漂わせる。地蔵院前庭からは眼下の錦雲渓に向け、かわらけ投げを楽しめる神護寺を訪れる。

清滝川渓谷は紅葉の名所として知られ、清滝を起点に高雄までは錦雲渓、下流の落合までは金鈴峡と呼ばれている。整備された川沿いの道は東海自然歩道に指定され、ハイキングコースとして親しまれている錦雲渓を散策する。

嵯峨野方面に向かう。

平安末期の儒者、清原頼業を祭る。同社にある祈念神石を持ち帰って願い事を祈願し、成就したら祈念神石に御札の石を添えて奉納する習慣がある。商売繁盛、売掛金の回収、受験合格に御利益がある。境内の芸能神社には、芸の上達を祈る現代の芸能人の玉垣が数多く並んでいる車折神社を訪れる。

秦氏の氏寺。秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を奉じて、一宇を創建したのが起こりと伝わる。微笑をたたえた宝冠弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)の美しさと気品は、息をのむほど。赤松の一本造で、朝鮮半島からの献上仏という説もある。宝髻弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)は、泣いたような表情から泣き弥勒と呼ばれる。ほかにも国宝・重要文化財の仏像を多数所蔵。赤堂と愛称される講堂(重要文化財)は、藤原末期の建築の広隆寺を訪れる。

北野天満宮方面に向かう。

北野天満宮の東が京都最古の花街上七軒。上七軒歌舞練場の日本庭園では夏にビアガーデンが開かれ、西陣の旦那衆の遊興地として発展してきた花街の風情を手軽に味わえる上七軒を訪れる。

1227年(安貞元)、藤原秀衡の孫である義空上人によって開創され、本尊釈迦如来坐像を安置したことに始まる。正式には大報恩寺というが、創建当初から千本釈迦堂の名で親しまれてきた。本堂(国宝)は、応仁の乱で諸堂が焼失したなかでも残った洛中最古の木造建造物。建造時に夫である棟梁のミスを助けたあと、秘密を守るため自刃した「おかめ伝説」が残り、境内にはおかめ塚やおかめ像がある。霊宝館には快慶作の十大弟子立像(重要文化財)、定慶作の六観音像(重要文化財)、千手観音像(重要文化財)などを安置する大報恩寺(千本釈迦堂)を訪れる。

古い町家を利用した織物の展示館。西陣織に限らず、全国から集めた珍しい手織物や復原能装束を展示。隣接する工房では、熟練の職人が機を織る姿を見学できる織成舘を訪れる。

平安時代には朝廷行事から貴族の私事に至るまで、物事の吉凶が陰陽道によって占われていた。晴明神社はその時代に大活躍した陰陽師、安倍晴明を祭る神社だ。提灯や絵馬などに描かれている星形の紋所は、晴明桔梗紋ともいわれる五芒星。現代でも、何かを始めようというときの吉凶や姓名判断を占いに訪れる人が絶えない晴明神社を訪れる。

華麗な着物ショーや伝統の技光る職人の実演、歴史的史料の展示など西陣織の魅力に触れることができる西陣織会館を訪れる。

18:00終了。

今回の名所巡り、近場の京都洛西洛中に足を運び、清滝川が流れる山間に静かに佇む山寺が位置する高雄、槇尾、栂尾を総称する三尾、伝統を今に伝え続ける上七軒や西陣の町並みがあり学問の神様で知られる北野天満宮を中心のエリア北野天満宮周辺を訪れ昼からの半日有意義な時間を過ごすことができました。