飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十六弾:長野県長野タウン&戸隠&野沢&志賀高原観光
2011年10月29−30日


本州の中央に位置しする長野県に足を運び、善光寺の門前町として、北信の観光地のアクセス拠点として賑わう長野タウン、平安の昔から聖地として知られた場所で、今もスピリチュアルスポットとして有名な戸隠、戦国武将にも愛された湯、趣のある共同浴場めぐりも楽しみな野沢、標高1000m以上に位置し、壮観な眺めと多彩な動植物が魅力な志賀高原を訪れました。

29日13:47新大阪新幹線のぞみで出発
14:51名古屋駅到達
15:00名古屋駅ワイドビューしなので出発
17:53長野駅到達、名古屋駅付近のホテル到着後繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。

30日6:00レンタカーで出発、長野タウンを巡る。

5万9000平方mの境内に、大勧進・大本願と39の塔頭からなる大寺院。「牛にひかれて善光寺参り」で全国的に知られ、年間約600万人もの参拝者が訪れる。創建以来約1400年、源頼朝や武田信玄、徳川家康など時の権力者からの信仰が厚く、江戸時代になると庶民の参詣も増えた。善光寺詣でにかかせないお戒壇めぐりは、本堂床下の真っ暗な回廊を手さぐりでめぐり、ご本尊の下にある極楽の錠前にふれてご本尊とご縁を結ぶというものの善光寺を訪れる。

パティオとはスペイン語で中庭のこと。その名のとおり、大門交差点に面した一角に、古い町屋や蔵を改装したレストランやカフェ、ショップなど15棟・15店舗が並ぶぱてぃお大門蔵楽庭を訪れる。

善光寺の仁王門手前の左側にある尼寺で、浄土宗の大本山。642年(皇極元)蘇我馬子の姫が天皇御杖代としてここへ遣わされたのが起こりといわれる。宝物館には、宮家ゆかりの品々が展示され、渡り廊下にある日本画家・岡信孝の格天井絵四季草花図などが必見の大本山善光寺大本願[善光寺]を訪れる。

1752年(宝暦2)建立のものが1864年(元治元)に再建されたが、1891年(明治24)火災で焼失したため、現在の仁王門は1918年(大正7)に再建されたもの。左右に立つ阿吽の仁王像は高さ5mの檜造りで、高村光雲と弟子の米原雲海による傑作。鉤鎖を握り開口するのが阿形、金剛杵を手にして閉口するのが吽形で、迫力ある憤怒の形相が印象的の仁王門[善光寺]を訪れる。

善光寺の仁王門から三門までの、約200mにわたる石畳の通り。みやげ店や仏具店、旅館などが軒を連ね、多くの参拝客で賑わう仲見世通り[善光寺]を通過する。

石畳の参道左手にある天台宗の本坊。大本願と共に善光寺の法灯守護の重責を担い、7年に1回御開帳される前立本尊(重要文化財)が安置されている。広い境内に25ケ院の塔頭が甍を並べている様は圧観だ。また、室町風池泉廻遊式の庭園では、奥庭園にある沈香亭が明治天皇ゆかりの茶亭で趣深い善光寺本坊大勧進[善光寺]を訪れる。

善光寺の楼門。1750年(寛延3)の建築で、5間3戸、二重の入母屋造。高さは20mもある。善光寺の額は、輪王寺宮公澄法親王の筆によるもの。2007年(平成19)末に平成大修理が終了し、建立当時と同じ姿に復原された山門[善光寺]を訪れる。

棟の形が鐘をつく撞木の形(T字型)になっている撞木造、檜皮葺屋根の江戸中期寺院建築の傑作。大伽藍は間口約24m、高さ約30m、奥行約54mで、国宝建造物の中で東大寺大仏殿、三十三間堂、知恩院御影堂に次ぐ規模。正面は向拝3間で軒唐破風付き、内部は外陣が広いという近世寺院建築の特長を示す。7年に1度、本尊と同じ姿の前立本尊が開扉される。毎回、御開帳に際して松代町から奉納される回向柱が本堂前に立てられるが、これと前立本尊の右手が「善の綱」で結ばれるため、回向柱にふれると御本尊にふれたのと同じ御利益があるといわれる本堂[善光寺]を訪れる。

善光寺境内の東隣りに広がる公園。大きな噴水と花時計がシンボルで、市民の憩いの場となっている。桜の名所としても知られ、春には約470本の桜が開花。ほかにも四季折々の花々が楽しめる。敷地内には長野県信濃美術館・東山魁夷館のほか、城山動物園や少年科学センター、城山テニスコート、城山市民プールなどの施設もある城山公園を訪れる。

魁夷にとって信州は、学生時代から写生旅行を重ね、「私の作品を育ててくれた故郷」と呼ぶ地。長野県が寄贈を受けた約950点の作品と関係図書をもとに、長野県信濃美術館に併設して建設された。「風景は心の鏡である」という東山芸術を、スケッチ・習作・下図など制作の過程もあわせて紹介。年数回の展示替えを行う。館内の「Cafe Kaii」では、画伯の愛したモーツァルトを聞きながらコーヒーが楽しめる東山魁夷館[城山公園]を訪れる。

善光寺に隣接する城山公園内に建つ、信州唯一の県立美術館。菱田春草・池田満寿夫・松井康成をはじめとする郷土作家の作品、美しい自然に恵まれた信州の風景画を中心とした収蔵品の公開と、「地域文化の顕彰と振興」「幅広い芸術の紹介」「生活の中の美術」「楽しむ心を育む美術」の4つの柱に基づいた企画展を開催。美術団体などに作品発表の場も提供している長野県信濃美術館[城山公園]の前で記念撮影。

戸隠方面に向かう。

戸隠山の麓にある宝光社・中社・奥社の総称。天照大神の天の岩戸開きの神話伝説にゆかりの神々を祀る。樹齢数百年の杉並木の中に各社殿が立つ戸隠神社を訪れる。

戸隠神社にあり、祭神は中社の祭神の御子、天表春命。技芸、安産、厄除けなどに御利益があるという。200段余りの石段を登ると、荘厳な社殿が姿を現す。建立は1058年(康平元)とされ、拝殿の柱や棟木に施された龍などの彫刻は必見の宝光社[戸隠神社]を訪れる。

戸隠神社の宝光社の北2kmにある。祭神は智恵の神である天八意思兼命。学業成就・商売繁盛・開運などの御利益を願い、いつも多くの参拝客で賑わう。1087年(寛治元)建立といわれる社殿は1956年(昭和31)の再建だが、境内には樹齢約800年の三本杉(天然記念物)がある。中社の門前にそば処やみやげ物店が並び、観光の中心にもなっている中社[戸隠神社]を訪れる。

祭神は、日本神話で名高い天照大神が天の岩窟に隠れた時、天の岩戸を怪力で開けられたといわれる天手力雄命。戸隠神社の本社として、開運・五穀豊穣・心願成就などを願う人々が全国から集ってくる。赤い随神門はもとの仁王門。茅葺き屋根が荘厳な雰囲気を醸し出す。樹齢400年の杉並木が続き、並木の間には江戸時代まであった大講堂や院坊跡の石積みも見られ、修験道が盛んだった往時を伝える。奥社の左手には、戸隠の地主神で、水の神、農業・商業の神として信仰を集める九頭龍社もある戸隠神社 奥社[戸隠神社]を訪れる。

野尻湖方面に向かう。

小丸山公園内にある施設。庶民的な俳句2万句を残した小林一茶(本名弥太郎)は、1763年(宝暦13)信濃国柏原村の生まれ。宗匠として北信濃各地の門人をめぐって俳諧指導にあたり、湯田中温泉などにその足跡を刻む。しかし私生活は不遇で、1827年(文政10)の柏原大火で家を失い、焼け残った土蔵の中で艱難辛苦の生涯を終えた。ここではその生涯と文学、一茶顕彰活動を紹介。『七番日記』『おらが春』や、愛用のすずり・携帯地図など貴重な資料は必見だ。民俗資料棟では昔使われた街道の乗り物、民具を展示した江戸時代の民家などで、一茶のふるさとを体感できる一茶記念館[小丸山公園]を訪れる。

一茶が中風のために65歳で亡くなるまでの半年近くを過ごした土蔵。柏原の大火で焼け出された一茶は、間口3間半、奥行2間2尺の質素な土蔵で生涯を閉じた。国の史跡に指定されている。近くにある明専寺は一茶の菩提寺で、毎年11月19日の一茶忌には法要が行われる小林一茶旧宅を訪れる。

秀麗なその姿から信濃富士と称され、標高2053mの二重式コニーデ型火山。北信五岳のほぼ中央にあたり、旧火口付近には大池や七ツ池など小さい湖沼が点在。山頂からは野尻湖をはじめ、戸隠、妙高、浅間、八ケ岳などの大パノラマが眺望できる。登山道は表・西・小泉の3ルートがあり、西登山道がおすすめ。戦国時代、志賀高原の池に住んでいた大蛇が城主の一人娘・黒姫に恋をし、若侍の姿となって現れたというロマンあふれる伝説も残る黒姫山を眺望する。

斑尾山、黒姫山、戸隠山、飯縄山、妙高山の北信五岳に囲まれた雄大な高原。裾野に野尻湖を見下ろす、まさに自然の宝庫。冬は雄大な斜面が絶好のスノーパークとなり、春にはタケノコ、山菜狩り、晩夏から秋にかけては色とりどりのコスモスの花畑へ、秋は紅葉にキノコ狩りと一年中楽しめる。またマウンテンバイクなどのスポーツも盛んの黒姫高原を訪れる。

メルヘンあふれる童話の森内にある施設。『はてしない物語』で知られるミヒャエル・エンデの展示室には自筆原稿や原画、スケッチなどが並び、裏手にはいわさきちひろが多くの時間を過ごし、多数の作品を産み出した山荘を移築・公開。国内外の童話や民話、児童文学を紹介している。松谷みよ子常設展示室のほか、隣の童話の森ギャラリーでは地元ゆかりの画家の作品展示や童話館の企画展を開催する黒姫童話館・童話の森ギャラリーを訪れる。

総面積3万8000平方m。黒姫高原スノーパークの下を利用した園内は、夏から秋にかけて世界中のさまざまな品種が50品種100万本咲き乱れる。毎年8〜10月にはコスモス祭りを開催。世界のダリア50品種も見ることができる黒姫高原コスモス園を訪れる。

野尻湖で発掘された約4万年前のナウマンゾウやオオツノシカの化石、氷河時代の野尻湖人が使っていた石器や骨器が展示されている。入口近くに高さ約2.8mのナウマンゾウとオオツノシカの実物大の復元像があり、その大きさは迫力満点。本物のナウマンゾウの臼歯の化石にふれられる体験コーナーもある野尻湖ナウマンゾウ博物館を見学。

溶岩流でせき止められてできた湖は、湖周約16kmと県内では諏訪湖に次ぐ大きさ。湖岸線が複雑で芙蓉の葉に似ているため、別名・芙蓉湖とも呼ばれている。大正時代に外国人に見出された避暑地とあって、南西岸には国際村や別荘が広がり国際色豊かな野尻湖を訪れる。

志賀高原に向かう。

大沼池に次いで志賀高原では2番目に大きな池。およそ20万年前の火山活動の際にできた窪地に水がたまって池となった琵琶池を訪れる。

志賀高原の中心に位置しており、湖畔のバスターミナルは熊の湯・草津方面と、発哺・奥志賀方面の分岐点となっている。発哺へのロープウェイもここから出ている蓮池を訪れる。

旧志賀湖の湖底だった美しい湖。笠ケ岳や志賀山を望み、シーズンには、ボート遊びや、フナ、ニジマスなどの釣り、キャンプ、ハイキングを楽しむ人々で賑わう木戸池を訪れる。

志賀高原で最も高い横手山。標高2305mの山頂まで、動く歩道のスカイレーターとリフトを利用して歩かずに登れる。山頂からの展望がすばらしいことで知られており、白根火山や志賀山、北アルプス連峰はもちろん、天気がよければ富士山や佐渡、日光連山まで見渡すことができる横手山展望台を訪れる。

小布施方面に向かう。

21畳敷本堂の天井いっぱいに描かれた極彩色の『八方睨み鳳凰図』は、葛飾北斎晩年の大作。孔雀石、鶏冠石など高価な鉱石をふんだんに使った絵の具で描かれた鳳凰図は、160余年の年月がたったとは思えないほど鮮やか。本堂裏庭には蛙合戦の池があり、桜の咲くころヒキガエルが産卵に集まる。1816年(文化13)、この寺を訪れた小林一茶もこの蛙合戦を見て、「やせ蛙まけるな一茶これにあり」の句を詠んだといわれている。また裏山には福島正則の霊廟も奉られている岩松院を訪れる。

北信濃の豪商であり、葛飾北斎を小布施に招いた人としても知られる文化人・高井鴻山の偉業をたたえる記念館。鴻山の書斎であったゆう然楼を修築した館内には、北斎に触発されて自ら描いた数多くの書画や、時代を風刺した妖怪画、遺品、関連資料などが展示されている。また、北斎が1842年(天保13)に初めて小布施を訪れて以来、たびたび訪れては力作を描き上げたアトリエの碧い軒も敷地内にある高井鴻山記念館を見学。

国の重要有形民俗文化財に指定された「金箱正美コレクション」963点のほか、信州を中心とした地域から収集した和製灯火具を展示するユニークな博物館。焚き木の明りからガスまでの灯火具の変遷を知ることができるほか、和ろうそく作りの仕事場を再現した展示や、油、ろうそく、石油、白熱電球の明るさ比較体験などもおもしろい日本のあかり博物館を見学。

晩年に4度小布施を来訪し、多くの作品を残した浮世絵師・葛飾北斎の肉筆画を中心に展示。掛軸、額装、画帖、絵巻などに描かれたさまざまな肉筆画や版本などの展示は見応えがある。北斎の筆による天井絵『龍』『鳳凰』図がはめこまれた東町祭屋台と、怒涛図『男浪』『女浪』がはめこまれた上町祭屋台の2台の祭屋台は数少ない立体作品の中でも傑出した作品。映像展示室で上映されるマルチスライドを見れば、終生美を探求し、描くことを極めようとした北斎の情熱を感じることができる北斎館を見学。

須崎に向かう。

江戸時代半ばに創業し、須坂藩御用達で北信濃屈指の豪商だった田中本家。伝来の書画、陶器、漆器、衣裳、玩具などが、往時の面影を伝える土蔵に展示され、その質量の豊富さから近世の正倉院と呼ばれる。鑑賞後は池泉廻遊式庭園で散策を楽しむのもいい。休み処では、藩主が食べたと伝わる山鳥の雑煮1200円が味わえる豪商の館・田中本家博物館を訪れる。

長野駅に向かう。
17:20長野駅到達
18:11長野駅ワイドビューしなので出発
21:20名古屋駅到達
21:35名古屋駅新幹線のぞみで出発
22:36新大阪駅到達。

今回の旅行、長野県北東部に足を運び、山有り、川有り、湖有りの自然に恵まれた観光スポットと歴史深い由緒あるスポットをドライブ観光してきました。

生憎の小雨でしたが志賀高原でのドライブは中腹に雲がかかっていただけで全景をクリアに望むことが出来圧巻でした。

歴史的建造物も長野タウンの光善寺、戸隠の点在する神社、温泉は野沢、湯田中の外湯巡り、盛りたくさんで楽しめました。






















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十五弾:山口県見島観光
2011年10月22−23日


本州最西端の山口県に足を運び、山口県萩市の沖、北北西に約45kmの海上に浮かぶ、人口約1,300人の小さな離島。古くから海上交通の要所として、大変重要な島で、今では、グルメブームで見島牛ばかりが有名になった感がありますが、海の幸や天下一品のコシヒカリなどもおすすめ品です。また、本土では見られない特異な文化もこの島ならではのものがある見島を訪れました。

22日13:25新大阪新幹線ひかりで出発
15:27新山口到達
15:38新山口駅バスで出発
17:22東萩駅前到達
17:30東萩駅前付近のホテル到達後市街地を散策し食事を済ませて就寝。

23日7:30歩いて萩城下町を散策して
8:30萩港到達。
9:05萩港高速艇で出発
10:15見島本村港到達、散策する。


青銅製で直径39cm、表面に陰刻の銘文があります。銘文によると南北朝時代(1331〜1391年)に当桙フ地頭と推定される永裕が寄進したとあります。優れた工芸品であり、讃岐坊の釣鐘と並び当時の見島の文化の高さを物語る貴重な資料として、市指定有形文化財に指定されています鰐口(市指定文化財)がある見島神社を訪れる。

ナバ石とも呼ばれ、男性シンボルを表したもので、原始宗教の遺物とみられています。この笠石の笠の上に小石を乗せて拝むと子宝に恵まれると言われています。島内には7つあったとされていますが、形をとどめているものは駐在所横や発電所横などで見ることができます笠石
を訪れる。

明治7〜16年(1874〜1883)まで干ばつ、冷害等に見舞われ、島民は生存すら困難な状態に陥りました。そのため、萩の商人や銀行から現在の金額で50億円もの借金をしてしまい、担保の家や田など全てを手放す寸前となりました。しかし、窮状を知った県知事が派遣した役人の下、13年間、一切の娯楽(行事、酒、鬼ようず作り)を禁止、節約し、島民の共同一致の努力で全ての負債を返しました見島還債碑(見島総合センター)を訪れる

見島はかつて本州の一部で、第4紀(1万〜200万年前)に日本海陥没によって島になりました。そのため、本土と45qも離れていても本土と同じような生き物がみられます。イシガメ、クサガメもそのひとつで、「片くの池(大池)」にはこれらのカメが生息しているので国指定天然記念物に指定されました
カメ生息地(国指定天然記念物)を訪れる。

島にダムと驚かれることでしょう。平成13年に堤頂の長さ300m(西日本一)のダムが完成しました。堤頂から見た景色は、目下に八町八反(広大な田園)、目前に広がる日本海、水平線の先には本土が見え、すばらしい景観ポイントです。また、堤頂の端には緊急用のヘリポートがあり、島を感じることが出来るおもしろい所でもあります見島ダムを訪れる
        
横浦海岸一帯にある積石塚古墳群で、その数は約200基もあります。7世紀後半〜10世紀初めに作られた古墳で、高度な文化をもった指揮官クラスの墓ではないかと考えられています。名前の由来は、台湾語で地公墓という共同墓地の意味か又は、じいさんのことをジーコーという名残があるので両者のどちらかではないかと言われていますジーコンボ古墳群(国指定史跡)を訪れる

和牛の原型と言われる牛で、室町時代に朝鮮半島から渡来した当時の姿をそのままに伝えています。成長はおそく3歳で繁殖年齢に達し、7〜8歳まで成長し続けます。雌は20歳以上になってもなお分娩するものもいます。近年では、霜降りでとてもおいしい肉質をもつ牛として、TVや雑誌などでも紹介され脚光をあびています見島ウシの産地(国指定天然記念物)を訪れる

宇津港方面に向かう。

明治38年(1905)5月、見島沖で日本海海戦が行われ、撃沈されたロシアのバルチック艦隊の乗員55名(内重傷者10名)がボートで宇津海岸に漂着しました。島民は同じ海に生きる者として、治療と救護に尽くしました。 当時は共同負債を抱え苦しい生活をしていましたが、島民でも食べられない白米のおにぎりなどを食べさせたという記録も残っています
露兵漂着記念碑を訪れる

全国で三カ所といわれる正観音が祭られ、昔からご利益が多いといわれています。そのため、島民をはじめ北浦一帯、遠くは四国、九州からも参拝客があります。堂の崎には仏石の積まれた賽の河原もあり、独特の雰囲気があります。周囲は赤褐色の溶岩崖に囲まれ、崖下の海も美しく、天気の良い日には本土を眺めることもできる絶景の観光ポイントとしてもおすすめです 観音崎(宇津観音堂:市指定文化財)を訪れる

13:30宇津港到達。
14:10宇津港高速艇で出発
15:25萩港到達、歩いて東萩駅に向かう。
16:00東萩駅到達
16:25東萩駅前バスで出発
17:40新山口駅到達
18:06新山口駅新幹線のぞみで出発
19:58新大阪到達。

今回の旅行、中国地方の本州西端にある山口県に足を運び、萩沖45kmにある見島を訪れました。

めだった名所は無いが離島特有の素朴で自然いっぱいの風景、癒されました。
この島に訪れる観光客の目的は見島牛と海の幸、黒マグロでも有名であるグルメとバードウオッチングでしょうね。あとは釣り人とダイバーです。

見島には船便が少なく滞在時間は4時間しかとれなかったが十分に島を散策でき、新たな発見も有り楽しめました。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十四弾:佐賀県武雄・嬉野&伊万里・有田観光
2011年10月15−16日


東は福岡県、西は長崎県に接し、玄界灘と有明海の2つの海に面し、内陸部には肥沃な佐賀平野が広がり、九州屈指の米どころ、酒どころとして知られ、九州を代表する有田、伊万里、唐津の3つの焼き物の里が有名な佐賀県に足を運び、佐賀を代表する温泉郷、武雄温泉と嬉野温泉、日本屈指の磁器の生産地、伊万里、有田を訪れました。

15日15:50伊丹空港出発
17:05長崎空港到達、レンタカーで武雄方面に向かう。
18:00武雄駅付近のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

16日6:30レンタカーで出発。

慧洲園は、旧鍋島藩別邸地跡に造られた池泉回遊式日本庭園。3000坪の広大な敷地には、大小の滝や茶畑が配され、周囲の自然と調和した庭園美を誇る。また、陽光美術館には、中国の官窯陶磁器や玉、ヒスイなどが収蔵され、中国清朝時代のヒスイ彫刻・翠玉彫虫活連胡芦瓶は必見の陽光美術館・慧洲園の前で記念撮影。

1852年(嘉永5)、第28代目藩主・鍋島茂義の別荘を設けるため、御船山の麓に3年がかりで造った日本庭園。御船山の岩壁を背景にした約15万坪の園内には、春は5000本の桜やしゃくなげ、初夏にはしょうぶ、アジサイ、秋の紅葉、冬にはサザンカと季節ごとに彩りを添える花々が咲く。特に5万株のツツジが麓を染め上げるさまは見事の御船山楽園を訪れる。

九州最大規模の科学館。最先端のシミュレーション装置で、月面歩行や無重力の疑似体験など宇宙飛行士の訓練を実際に体験できる。リニアモーターカー試乗・バーチャルゲーム・地震体験マシーンなど、体験型展示を中心に科学全般を学ぶことができる。最新式の投影機を備えたプラネタリウムは、本物の星空のような佐賀県立宇宙科学館の前で記念撮影。

多久方面に向かう。

中国の聖人、儒学の祖である孔子を祭った建物。創建は1708年(宝永5)と日本に現存する孔子廟としては古く、国の重要文化財に指定されている。孔子に供物を捧げる釈菜の日には廟内を拝観可(春は4月18日、秋は10月第4日曜)。釈菜の催しは、佐賀県の重要無形民俗文化財に指定されている多久聖廟を訪れる。

江戸時代の多久邑家老女山多久家の屋敷跡を、大正9〜13年にかけて多久出身の石炭王・高取伊好が整備した山水公園。春は桜、夏はツツジ、秋は紅葉、冬は梅と四季折々の花々が観賞できる。園内には入母屋造りの公会堂寒鶯亭(国登録文化財)や郷土資料館、先覚者資料館があり多久市の歴史や文化にふれる西渓公園を訪れる。

伊万里方面に向かう。

武雄の陶磁器発祥の地、黒牟田地区にある公園。園内の登り窯「飛龍窯」は奥行23m、幅9m、高さ3.4mと世界的な容積を誇り、一度に12万個もの湯のみを焼くことができる竹古場キルンの森公園・飛龍窯を訪れる。

園内には樹齢3000年を誇る国の天然記念物、大楠がある。全国5位の巨木で、空洞化した本幹の中に稲荷を祭る。隣の為朝館では、大蛇退治伝説を題材にしたからくり人形が1日3回上演される川古の大楠公園を訪れる。

樹齢3000年を超える大楠で、幹周21m、根廻33m、樹高25m。国の天然記念物でもある。本幹は空洞化しており、西方で開口している。中には稲荷の石碑が祀られている川古の大楠を訪れる。

良質の青磁原石を産出することから1675年(延宝3)に鍋島藩御用窯となり、色鍋島や鍋島青磁などが焼かれてきた。その技法は門外不出の機密とされ、切り立つ山々に囲まれた一帯は今でもひっそりとした秘窯の雰囲気が漂い、トンバイ塀が続く細い道に、約30軒の窯元が点在する大川内山を訪れる。

300年もの歴史をもつ大川内山の窯元群と、伊万里川をはさんだ対岸にある丘陵地を中心に整備された公園。やきもの広場があるやきものゾーン、ろくろや絵付け体験などができる歴史文化ゾーン、窯元の町並みを一望する展望台を設けた展望ゾーンの3つで構成されている。入口は昔の関所を再現、センサーが反応して14個の焼き物の風鈴が音楽を奏でる陶工橋も渡ってみたい鍋島藩窯公園を訪れる。

伊万里・有田焼に関する資料を展示している伊万里・有田焼伝統産業会館を見学。

大川内山にある、1698年(元禄12)ごろ開窯の由緒ある窯元で美術工芸品が得意。TVドラマや観光ポスターにもたびたび登場する白壁にレンガ造りの高い煙突が目印の川副青山窯[大川内山]を訪れる。

1825年(文政8)に建てられた陶器商人・犬塚家の土蔵造りの旧宅を修理復元した資料館。館内では古伊万里などを鑑賞できる。間取りは江戸時代の商家らしく間口約5.5m、奥行約14.8mと細長い構造で、贅沢な調度品や大きく取った収納棚から当時の繁栄ぶりがうかがえる伊万里市陶器商家資料館を訪れる。

有田方面に向かう。

平成8年に開催された、「世界・ほのおの博覧会」のメイン会場を整備した公園。総面積27万平方mの敷地中央には、中世ヨーロッパ調のほのお博記念堂が立つ。岡本太郎デザインのモニュメントもある歴史と文化の森公園を訪れる。

九州陶磁の文化遺産保存と、陶芸文化の発展を目的に建てられた博物館。国の重要文化財2点を含む約1万4000点の陶磁器を収蔵。ヨーロッパに輸出され、当時の王侯貴族たちを魅了した古伊万里(江戸期の有田磁器)101点余りの蒲原コレクション、江戸期の有田焼を集めた柴田夫妻コレクションなどが展示されている佐賀県立九州陶磁文化館を訪れる。

明治時代に焼物の倉庫だった石蔵を改造した美術館。有田焼を中心に肥前の焼物が展示されており、有田磁器創業時の資料や古伊万里、柿右衛門、色鍋島などを鑑賞できる。直径約60cmの大皿に江戸時代の陶工たちを描いた「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」は一見の価値がある有田陶磁美術館を訪れる。

磁器の原料を採掘する泉山磁石場の近く。日本で初めて磁器が焼かれた有田の歴史を解説、町民などから寄贈・寄託された民具や古文書も展示している。有田焼製作の中心だった、皿山地区の人々の暮らしが分かる有田町歴史民俗資料館東館・有田焼参考館を訪れる。

1658年(万治元)に有田焼の守護神として創建、地元の窯元と商人たちの崇敬を集める。この地の陶工たちが競って寄進した大鳥居、狛犬、欄干、手水鉢などはすべて白磁器で造られている。なかでも大鳥居の染め付けの唐草模様は必見。社務所で扱っている絵馬やお守りも磁器製の陶山神社を訪れる。

嬉野方面に向かう。

海神の娘で、竜宮城の乙姫・豊玉姫を祭る神社。境内には、豊玉姫の遣いとされる白なまずを祭ったなまず社もあり、美肌を願う女性が参拝するという豊玉姫神社を訪れる。

慶長19年(1614)、鍋島茂教によって創建された曹洞宗の禅寺。不動堂には、藤原時代後期のものと推定される木彫の不動明王と2体の童子像が安置されている。いずれも国指定の重要文化財の永寿寺を訪れる。

鹿島方面に向かう。

佐賀支藩の鹿島藩2万石の9代藩主・鍋島直彜が文化4年(1807)に築城。明治7年(1874)の佐賀の乱で焼失するが、赤門と大手門が残り、ともに県指定の重要文化財。現在、城址は旭ケ岡公園として整備され、赤門は県立鹿島高校の校門となっている鹿島城址を訪れる。

京都の伏見稲荷、茨城の笠間稲荷神社と並ぶ日本三大稲荷の一つ。地元では「祐徳さん」の名で親しまれ、年間280万人以上の参拝者が訪れる。石壁山中腹に舞台造の漆塗りの本殿、境内に楼門、神楽殿が立つ祐徳稲荷神社を訪れる。

16:00長崎空港に向かう。
17:10長崎空港到達
17:40長崎空港出発
18:50伊丹空港到達

今回の旅行、関西からはあまり訪れない佐賀県に3回目のチャレンジで佐賀を代表する温泉郷、武雄温泉と嬉野温泉、日本屈指の磁器の生産地、伊万里、有田を訪れました。

温泉と磁器以外は比較的マイナーな観光名所でしたが、今回のドライブ観光でほぼ佐賀県を制覇しました。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十三弾:伊豆諸島利島&神津島&式根島観光
2011年10月8−10日


野趣あふれる景観に包まれた山々や、豊かな海に囲まれた自然の宝庫、手つかずの自然が残り、かわいいイルカやクジラなどがすむ楽園、伊豆諸島に足を運び、伊豆諸島で一番小さく断崖絶壁に囲まれた利島、天上山登山や海水浴、海釣りなどが楽しめる神津島、海中温泉巡りができる式根島を訪れました。

8日18:00新大阪新幹線のぞみで出発
20:26品川駅到達、山手線で浜松町下車
21:00竹芝桟橋到達
22:00竹芝桟橋フェリーで出発
9日7:40利島到達、散策

桟橋ができる昭和55年(1980)まで、活躍した「はしけ」と呼ばれる小型船を展示した広場。接岸できない大型船と島とを結んで、はしけが人や物資を運んでいた時代を知ることができるはしけと海の歴史広場を訪れる。

明神様で親しまれる利島の氏神様を祭る神社。一見さりげなく立っているように見えるが、社の建造は宝暦10年(1760)と歴史があり、利島では最古の建造物だ。祭神の阿豆佐和気命は、伊豆諸島を造ったといわれる事代主命の子。島の南岸、宮塚山の中腹に本宮があるが、参拝に不便なので麓のこの場所に移された。正月三箇日、利島の人々は山廻りといって、米の御神酒を持って3つの神社に詣でるが、まず最初にここをお参りするのが通例になっている。そのため一番神様とも呼ばれる阿豆佐和気命神社を訪れる。

島の中央に位置する、標高508mの山。「海に浮かぶピラミッド」と呼ばれている利島独特の景観はこの山が作り出している。ハイキングコースも整備されている。南ケ山園地方面から登るのが一般的で、頂上までは登山口から約40分ほどの道のりだ。頂上近くの展望台からは、集落や正面に浮かぶ大島を見渡すことができる宮塚山を眺望する。

南ケ山園地からの展望は新東京百景のひとつに選ばれ、晴れた日には新島や式根島、神津島、三宅島などの島々を見渡せる。夜になればスターウォッチングポイントともなり、明かりの少ない利島ならではの満天の星空が広がる南ケ山園地を訪れる。

「利島の暮らし」をテーマに、縄文時代の出土品から現代の生活道具まで、実際に使われていたものを分かりやすく展示。都の文化財に指定されている銅鏡は必見。ほかに椿栽培や林業、漁業などの産業も紹介しており、時代とともに移り変わる利島の様子が手にとるように理解できる利島村郷土資料館を見学。

11:00利島港フェリーで神津島に向かう。
14:00神津島到達、レンタカーで巡る。

明治39年6月に建てられた旧役場の建物を保存し、その隣に、鉄筋造りの近代建設を増設した資料館で、島の歴史と貴重な文化財を保存継承しています。館内には、神話にも由来する神津島にとって、考古学的にも珍しい出土品や、島の歴史を物語る文献、古文書などともに島民の昔の生活を偲ぶ民具、又、最近発見された、江戸千石船の遺物と思われる、すずり、すりばち、300kgもある錨なども沢山陳列されています。
古代から現代までの神津島の歴史を知るためのパノラマや解説も見聞きできる興味尽きないところの神津島村郷土資料館を見学。

赤崎の入江を囲むように設置された木造の遊歩道。沖の小島まで橋が架けられており、目の前に広がる壮大な海の景色を楽しみながら散策することができる。遊歩道の途中には、木製のベンチや展望台のほか、飛び込み台が設けられており、海水浴のシーズンにはそこから海に飛び込んで遊ぶ人達で賑やかな雰囲気だ。遊歩道のある名組湾周辺は、ダイビングスポットにもなっており、美しい海中の景観を楽しむダイバー達も多く集っている赤崎遊歩道潮風の道を散策する。

神津島空港アクセス道路沿いに設けられた展望台。奇岩に囲まれた三浦湾や、波によって浸食された洞窟などを望むことができ、絶壁の上に生えている松とエメラルドブルーに輝く海とのコントラストが美しく、神秘的な光景が広がっている。好天時には、三宅島や御蔵島、三本獄、はるか八丈島まで見渡すこともできる三浦湾展望台を訪れる。

神津島の中央にそびえ立 つ台状山。標高は574mながら、景観は日本アルプスクラスの稜線を思わせる不思議な顔を持つ山です。灌木や草原、大小さまざまな岩が連なり、山頂付近には白い砂漠や天然の池もあります。 また、四季折々に咲く美しい花や植物とともに、晴れた日には富士山まで見渡せる景観のすばらしさは、新東京百景にも選定されているほどの天上山を眺望する

秀吉の朝鮮の役の際、戦争孤児として日本に連れてこられたオタアジュリア。クリスチャンであったジュリア終焉の地がこの神津島であり、島の人々に尽くしたジュリアを偲ぶため、この十字架が立てられたりま展望台を訪れる。

18:00港近くの宿に到着後、村を散策し食事を済ませて就寝。

10日7:30レンタカーで島一周。
10:30神津港、フェリーで出発
11:20式根島野伏港到達、散策

ジェットフォイル、式根島と新島を結ぶ連絡線が行き交う発着場として、島の玄関口の役割を果たす港。観光案内所や東海汽船の待合所のほか、とれたてのアオムロやトビウオを原料としたたたきを製造・販売するにいじま漁協式根島事業所などがある。船の発着時以外の時間帯、桟橋付近は釣りのスポットとなる野伏港を訪れる。

標高99mと式根島で最も高く、新東京百景にも指定されている神引山。駐車場から荒涼とした景色を見ながら階段を登っていくと、こんもりとした緑の森と真っ青な海がコントラストを描く風景が突如眼前にひらけ、島のダイナミックな自然を実感できる。パノラマ式展望台からは、神引湾はもとより、晴れていれば伊豆諸島や富士山までが見渡せる。樹林を縫う細道は美しく、サイクリングコースとしてもオススメ。見通しが利くことから、江戸時代はじめて近代的な日本地図を作成した伊能忠敬が、地図作成の測量のためここに足跡を記している神引山展望台を訪れる。

13:40式根島野伏港ジェットフォイルで出発
17:00東京竹芝桟橋到達
17:20浜松町駅山手線で出発、品川到達
17:47品川駅新幹線のぞみで出発
20:16新大阪駅到達。

今回の旅行、伊豆諸島に足を運び、まだ訪れたことの無い、利島、神津島、式根島の三島を巡りました。

神津島のみレンタカーで島をめぐり、利島、式根島はひたすら歩いて観光巡りしました。

これで伊豆諸島は小笠原を除く島すべて訪れることが出来ました。

小笠原の訪れいつになるのでしょうね。
世界遺産に登録されたし、早く計画立てたいものです。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十二弾:鹿児島県出水・川内&桜島観光
2011年10月1−2日


鹿児島県に足を運び、海沿いに海鮮グルメスポットや立ち寄り湯が点在し、美しい夕日が望め、ツルの飛来地として有名で武家屋敷群などの見所のある出水・川内、霧島屋久国立公園に指定され、現在も活動続ける活火山、裾野を一周する道路の周りはほとんど溶岩で迫力ある景色が続く桜島を訪れました。

1日15:10伊丹空港出発
16:30鹿児島空港到達、レンタカーで隼人に向かう。

天照大神の孫・瓊瓊杵尊を祭った神社。高さ23mの大鳥居をくぐり、杉木立の参道を上ると、朱塗りで入母屋造の社殿(重要文化財)と拝殿(重要文化財)が立つ。元は高千穂峰の山頂近くにあったが、度々の火山の爆発により約500年前にこの地に移築された。現在の社殿は1715年(正徳5)に、21代薩摩藩主・島津吉貴が寄進の霧島神宮を訪れる。

18:00隼人駅付近のホテル到達後、繁華街を散策、食事を済ませてから就寝。

2日6:00車で出発、水俣(熊本県)方面に向かう。

環境問題について正しい理解と認識を深め、環境に優しい行動を推進していくための「環境学習」「環境情報提供」の拠点として、平成5年8月、水俣市に設置された。館内には、大画面の映像が観られる環境シアターや、環境学習ができる学習ルーム、9000冊の環境関係書籍を備えた情報プラザ、暮らしと環境の関わりが学べるエコロジーハウス等の設備がある。また、環境指導員による環境学習も行っている熊本県環境センターの前で記念撮影。

水俣病の経緯を整理し、水俣病の歴史と現状を正しく認識し、悲惨な公害を二度と繰り返してはならないという切なる願いと、貴重な資料が散逸しないよう収集保存し、これを後世への警鐘としていくことを目的としている。館内では、写真・パネル・映像によって水俣病の歴史等を紹介しています。その他、水俣病の患者さんらから直接その体験を聴講する、語り部制度もある水俣病資料館の前で記念撮影。

出水方面に向かう。

ツルの越冬地で有名な出水市荒崎の田園地帯の一角にある。ツルが飛来する秋からシベリアへ旅立つ春先までオープン。約1万羽が訪れる出水市ツル観察センターを訪れる。

国の重要伝統的建造物群保存地区。麓とは、江戸時代に防衛上の必要から薩摩藩の外城として造った武家屋敷兼陣地のこと。なかでも出水麓は肥後との国境にあり、最大規模を誇った。石垣や武家門や蔵が復元された竹添邸のほか、武宮邸が一般公開されている出水麓武家屋敷群を訪れる。

川内方面に向かう。

城門から一歩足を踏み入れるとそこはもう武将の世界。勇壮な戦国時代の威風堂々の光景と遠き時代に想いをはせ、幕末・維新をリードした薩摩人「西郷 隆盛」の歴史的場面との二部に分けて人形や武具・甲冑などを使ってセット再現。しばしのタイムトラベルを満喫いただけます川内戦国村を訪れる。

串木野方面に向かう。

串木野金山の歴史と本格焼酎について紹介する産業観光スポット。坑道を利用した焼酎の仕込み蔵や貯蔵庫が見学できるほか、売店、食事処「ほたる庵」などがある焼酎蔵 薩摩金山蔵を訪れる。

九州自動車道経由して鹿児島港到達。
13:00フェリーで桜島に向かう。
13:15桜島到達。

鹿児島市街の対岸に位置し、今も噴煙を上げる標高1117mの海上火山。ホマーテ型の複式火山で有史以来30数回の噴火を繰り返し、1914年(大正3)の噴火で大隈半島と陸続きとなった。鹿児島港からフェリーで15分。島内には噴火を物語る史跡が点在する。なかでも火山灰や軽石に埋もれてしまった高さ3mの黒神埋没鳥居は上部分1mだけを残し、その噴火の威力を感じさせる桜島を訪れる。

桜島の入口、桜島ビジターセンターから錦江湾沿いに続く約3kmの遊歩道。溶岩と海が入り組んだ海岸線からは鹿児島の市街地も見渡せ、終点には烏島展望所がある溶岩なぎさ遊歩道を訪れる。

桜島中岳の中腹標高373m地点にある展望所。ここから仰ぎ見る南岳の山容や噴煙を上げるさまはまさに圧巻。眼下には鏡のように穏やかな錦江湾と鹿児島の市街地、南は開聞岳まで一望できる県内随一の景勝地の湯之平展望所を訪れる。

16:00鹿児島空港に向かう。
17:30鹿児島空港到達。
19:05鹿児島空港出発。
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、鹿児島県に足を運び、鹿児島空港付近の隼人から反時計回りで鹿児島北西部(出水、川内、串木野)巡ってから鹿児島港からフェリーで桜島に渡り観光してきました。

由緒ある武家屋敷が点在する出水を主とする鹿児島県に西部の海岸線のエリアと今尚活動続ける活火山の島、桜島の広範囲のドライブ観光楽しめました。

尚桜島に上陸すると火山灰がいっぱい、周囲は溶岩で覆われ、家も道路も火山灰が積もり、何処に行くにも火山灰が被り、気道に悪影響を及ぼしそうです。

住民の方は畑仕事と生活、かなり苦労されてるようです。