飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十三弾:東京都南多摩観光
2011年2月26ー27日


日本の首都東京都に足を運び、緑地や公園、清流などの自然が豊かな土地であると同時に、数々の史跡を残す場所でもある多摩を訪れ、多摩地域の中心に位置し多くの路線が交差する交通の要でもある立川エリアと古刹や緑溢れる公園や動物園など家族ずれに人気の名所が多数ある南多摩エリアを巡りました。

26日13:07新大阪駅新幹線のぞみで出発
15:24新横浜到達
15:35新横浜横浜線で出発
16:13八王子到達
16:19八王子中央線で出発
16:30立川駅到達、レンタカーで立川周囲観光

180haにもおよぶ広大な国営公園。園内は森・広場・水・展示施設・みどりの文化ゾーンの5エリアに分かれ、施設や遊具が設置されている。春のチューリップ、秋のコスモスなど四季折々の花々が楽しめるほか、年間150以上のイベントを開催。昭和30年代の武蔵野の農村風景を再現したこもれびの里では、さまざまな農業体験もできる国営昭和記念公園を散策する。

18:00立川駅付近のホテル到達後、繁華街を散策、食事を済ませて就寝。

27日6:00レンタカーで出発

大国主神の第二御子神建御名方神は諏訪湖の岬に住むきわめて勇武に富んだ神と崇められ、信州諏訪大社に祀られましたが、勤請により嵯峨天皇弘仁二年(811)立川柴崎村出口(今の諏訪の森公園)に分祀されました。、古い歴史をもつ由緒ある御社の立川諏訪神社を訪れる。

根川緑道の整備が進む中で、この緑道沿いに立川市民・立川にゆかりのある文学者の詩碑・歌碑・句碑を建立し「詩歌の道」を整備することになった根川緑道を散策する。

日野に向かう。

新選組副長・土方歳三が生まれた地は武蔵多摩郡日野郷石田村。六番隊隊長・井上源三郎は日野宿北原、近藤勇、沖田総司らが剣術の腕を磨き、新選組に大きく関係することとなった天然理心流佐藤道場は日野宿問屋(日野本郷名主)・佐藤彦五郎が自宅に開いた道場でしたいずれの場所も現在は東京都日野市に属しています新撰組ゆかりの地を散策する。

国立に向かう。

関東の三大天神のひとつ、約350本の梅林がある。紅梅白梅に咲き誇る梅林で卒業式などの記念撮影も多く見られる。江戸時代には、参勤交代の道中お殿様の休憩場所になったり、明治41年には、有栖川宮が日本で初めての「自動車遠乗会」を催されたときの昼食会場にされたりした歴史ある梅林の谷保天満宮を訪れる。

多摩に向かう。

多摩丘陵の自然を生かした動物園。園内は約700匹の蝶が飛び交う昆虫園や、ライオンバスが人気のアフリカ園、コアラやウォンバットがいるオーストラリア園、オランウータンが空中散歩する世界最大級のスカイウォークがあるアジア園の4エリアで構成。開園50周年にあわせてオープンしたアジアの沼地の「ウォークインバードケージ」、リニューアルした「もぐらのいえ」など見どころ満載。ウサギやモルモットとふれ合えるどんぐり広場、動物に関する展示・相談コーナーもある多摩動物公園を訪れる。

おなじみのサンリオキャラクターが勢揃いの全天候型エンターテイメントパーク。趣向を凝らしたライブショーや人気キャラクターのアトラクションなど、場内には丸一日たっぷり楽しめる仕掛けが満載だ。キティズハウスはリビング・バスルームなど、ハローキティの家を大公開。キティと記念撮影もできるサンリオピューロランドを訪れる。

町田市に向かう。

富農が多かった多摩、神奈川では自由民権運動が明治10年頃以降から活発化し、町田では石坂昌孝や青木正太郎などの指導により、多くの青年民権家も生まれました。資料館には、民権運動関係資料の資料の収集、保管、展示をおこない、研究面でもネットワークの核になっています自由民権資料館を訪れる。

世界でも数少ない版画の専門美術館。収蔵品は2万点以上に及び、歌川広重から、棟方志功、池田満寿夫といった日本作品、ヨーロッパの古い版画から現代まで幅広く収蔵されています町田市立国際版画美術館を訪れる。

八王子に向かう。

多摩地区南西部の丘陵地帯の養蚕農家としての様相をよく残しています。屋敷の背後にある山林や前面田畑、明治11年(1878)に建築された母屋、土蔵、納屋、堆肥小屋などを含めての指定となっています小泉家屋敷を訪れる。

弘治元年(1555年)甲斐武田族 永野和泉(武田信玄の叔父にあたると伝えられる)が時の党族争い等の醜さから逃れて、諸家臣とともに鑓水に移住し一宇を建てたことに始まる。永野和泉は、家宝の正観音像を奉安し(現在武相観音十四番札所)由木永林寺開山住持に就いて剃髪、覚峰文公と改名し、一宇を高雲山永泉庵と称して其の基を開き、当寺開基位となり、永禄二年(1559年)9月9日寂す。その後、永林寺三世住職 岳應義堅大和尚が、天正元年(1573年)当寺を法地寺院として開山し、諸堂山門・七棟を建立する。前本堂が明治十八年に火災で全焼したため、鑓水絹商人 八木下要右エ門の母屋の寄進を得て移築し、以後奥の間養蚕室・茅葺き屋根を改築し、現在に至る永泉寺を訪れる。

昭島に向かう。

厄除け大師として有名な寺。毎年1月2・3日には大規模にダルマ市が開かれ、多くの初詣客で賑わう。山門は比叡山延暦寺を模したとされる。境内の元三大師堂には慈恵大師良源(元三大師)の木像があり、本尊として祀っている。この像は織田信長が比叡山延暦寺を焼打った際に救出したものであると伝えられる拝島大師を訪れる。

福生に向かう。

本殿は市内最古の木造建築で東京都指定有形文化財になっています。七福神様が1回で見て回れる数少ない1200年の歴史を誇る神社、熊川神社を訪れる。

16:00立川に戻る。
17:00立川到達
17:30立川駅中央線、八王子横浜線経由して
18:40新横浜到達
18:46新横浜新幹線のぞみで出発
21:15新大阪到達

今回の旅行、首都東京に足を運び、緑豊かで史跡が多く点在する多摩エリアの中心地立川から南多摩を訪れ、自然と歴史的建造物に触れ堪能しました。

特に新撰組のゆかりの地、日野での新撰組の歴史を学べる史跡を巡り有意義な日々を送ることが出来ました。














淡路島南あわじ観光
2011年2月23日


大阪湾・播磨灘・紀伊水道に囲まれた淡路島に足を運び、淡路島の南端に位置し、四国からの玄関口となるエリアで淡路人形浄瑠璃の発祥地としても知られている南あわじを訪れました。
12:30車で阪神淡路自動車道経由して
14:00淡路南インター下車

淡路島南ICから車で数分というアクセスの良さと、鳴門海峡が目前という景観の良さで人気の海水浴場。泳ぎながら大鳴門橋を望むことができる、という展望は他ではなかなか体験できない。もちろん水質もよく、海水浴場としても美しい。併設するオートキャンプ場も人気があり、リピーターも多い伊毘うずしお村海水浴場を訪れる。

特産品を扱うショップ、鳴門の渦潮を科学的に教えてくれる「うずしお科学館」、重要無形文化財である「淡路人形浄瑠璃館」などが有する施設。うずしお科学館では、3Dの映画を上映しており、子供も楽しめる。また、同施設にあるレストラン「うずしお」では、淡路創作料理コンテストで何度も受賞している料理が頂けるうずの丘大鳴門橋記念館を見学。

平安時代、行教上人によって開かれた寺。本尊の大日如来像は重要文化財に指定されている。祀っているのは七福神の中でも唯一実在した人物がモデル、とされている布袋尊。功徳は家内安全、福徳円満などがある淡路島 七福神霊場 護国寺を訪れる。

宝亀年間(770〜781)の創建で、淳仁天皇の御陵を守る僧侶の宿坊として開かれた。祀っているのは七福神の恵比酒神で、その功徳は海上交通安全、漁業・商売守護、無病息災、子孫長久などがある淡路島の七福神巡り情報 万福寺を訪れる。

雄大な鳴門海峡にうず潮、鳴門海峡は魚の宝庫。魚種も多く、四季を通じて釣りができる。大鳴門橋を見ながら、自然条件に恵まれた中、家族連れで安全に釣りが楽しめる南あわじ市浮体式多目的公園(海釣り公園メガフロート)を訪れる。

今から約180年前に付近の漁民が海岸に漂着した球根を山に植えたのが始まりといわれている。繁殖し、今では淡路島の南部、諭鶴羽山から海に続く急斜面の一帯、約7ヘクタールにわたって500万本もの野生の水仙が咲き誇っている。一重咲きの野生の二ホンスイセンが中心で、わずかに八重咲きの花も混じり、1月を中心に12月下旬から翌年の2月下旬まで付近一帯甘い香りに包まれる灘黒岩水仙郷を訪れる。

自然なかたちでニホンザルとふれあうことができる施設。1967年より来より柏原山系に生息していた野生ザルに餌付けを行い、同モンキセンター内でみられるサルは現在約180頭。性格はとてもおとなしく、サル同士で面倒をよくみるなど、仲の良い円満なサル社会を形成している淡路島モンキーセンターを訪れる。

兵庫県淡路島南東部、洲本市由良港の前面にある島。由良港を取り囲むように砂州が南方へ細長く延び、かつては淡路島と陸続きであったが、18世紀末の掘削事業で島となった。由良港は、北部の新川口、南部の今川口によって紀淡海峡へ通じる。砂州は「淡路橋立」とよばれ、瀬戸内海国立公園の一部。島にはハマボウなどの珍しい植物がみられる成ヶ島を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、淡路島の最後のエリア、南端の南あわじエリアを訪れ、自然と文化に触れてきました。

残すは離島、沼島のみとなりました。近日中に訪れたいと思います。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十二弾:三重県伊勢&鳥羽&志摩観光
2011年2月19ー20日


三重県東南部に足を運び、伊勢神宮への全国からの参拝者が絶えない伊勢、温泉や観光施設が充実している鳥羽、リアス式海岸が美しい志摩の三大三重県最大の観光地を訪れました。

19日20:30車で名神新名神伊勢自動車道経由して
23:00伊勢到達、伊勢駅付近のホテルで宿泊。

20日6:30車で出発、伊勢を観光する。

かつて神宮参拝客の食料などが集められ「伊勢の台所」とよばれた河崎。勢田川の水運を利用して大いに賑わった問屋街であったが、現在は妻入りの商家や蔵が残り、落ち着いた町並みになっている。資料館やホール、蔵を利用した店鋪などが入った伊勢河崎商人館もある河崎の町並みを散策する。

堀に囲まれた広い境内に月夜見尊とその荒御魂を祭る、外宮の別宮。境内は生垣で囲まれ、内側には堀がめぐらされている。本殿の前には楠の老大樹がそびえ、厳かな雰囲気の月夜見宮を訪れる。

正式には豊受大神宮という。祭神である豊受大御神は天照大御神の食事を司る神で、食をはじめとするすべての産業の守り神。古来より神宮の参拝は、この外宮から先に行うのが一般的。伊勢市駅からほど近い市街地にありながら、神宮杉に囲まれた神域は静寂に包まれている伊勢神宮外宮を訪れる。

旧豊宮崎文庫の敷地内にある資料館。紙幣のはじまりといわれる「山田羽書」、参宮道中資料、御師資料を中心に、伊勢の考古・民俗・歴史資料や民具を展示している伊勢市立郷土資料館の前で記念撮影。

日本初の私立博物館として、1909年(明治42)に誕生。御装束神宝と称される、式年遷宮ごとに新調される神様の調度品や装束などの伝統工芸品のほか、神宮の歴史資料を展示。内宮の20分の1の模型もあり、内部の様子もわかる。ルネサンス風の現在の建物は1953年(昭和28)に再建されたもので、庭園も必見だ。自然の産物にスポットをあてた併設の神宮農業館では、神宮御料地関係資料や農産物の模型などを展示する神宮徴古館を訪れる。

倉田山の一角にある、内宮の別宮の一つ。天照大御神のご鎮座の地を伊勢と定めた、倭姫命をまつる。創建は1923年(大正12)と新しく、うっそうとした森の中に神明造の正殿がひっそりと立つ倭姫宮を訪れる。

古市はかつて参宮帰りの精進落としで賑わった遊里の置かれた町だ。最盛期の天明年間(1781〜89)には、70軒余りの遊廓が立ち並び、1000人以上の遊女がいたという。昭和14年の火事とそれに続く世界大戦の空襲でほとんどの建物が焼失してしまったが、江戸時代からの懸崖造の建物である旅館麻吉には、わずかに昔の風情が残る。伊勢古市参宮街道資料館ではゆかりの品を見ることができる古市の町並みを訪れる。

内宮と倉田山の間に立つ、内宮の別宮。杉の木立が続く参道を行くと、月読宮、月読荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の4宮が横一列に並んでいる。主宮の月読宮はひとまわり大きく、天照大御神の弟神である月読尊をまつる月読宮を訪れる。

天孫降臨の際、道案内役を務めた猿田彦大神を祀る神社。万時善い方へ導く、「みちひらきの大神」として広く崇敬されている。方位除け、交通安全などの御神徳があるという。社殿は1997年に改修されたもの。5月5日には豊作を祈願する御田祭りが行われる猿田彦神社を訪れる。

猿田彦神社の宮司家に生まれた女流日本画家、伊藤小坡の作品を展示する美術館。明治から昭和にかけての美人画や歴史画が中心で、季節ごとに展示替えされる小坡美術館を訪れる。

江戸〜明治の伊勢路の町並みを移築・再現。約40軒のお店が並ぶ。「もめんや藍」は、松阪木綿の反物とそれらを使った小物の店。様々なキャンドルが揃う「灯りの店」、1000種類もの招き猫が並ぶ「吉兆招福亭」、伊勢特産のサメの干物・さめのたれを売る「志州ひらき屋」などユニークな店ばかりだ。「すし久」ではてこね寿しや伊勢芋の麦とろろなど伊勢路の田舎料理、牛肉にこだわり、豚を捨てたとの逸話が残る「豚捨」では牛丼1000円が味わえる。伊勢にゆかりの深い、山口誓子と徳力富吉郎の作品を展示する記念館もあり。金・土・日曜、祝日などには、横丁中心の太鼓櫓で太鼓演奏実施するおかげ横丁を訪れる。

石畳の通り沿いに妻入造りの店が軒を連ねる昔ながらの門前町。約800mある通りには、赤福本店をはじめ土産処や食事処が立ち並び、その一角には江戸から明治にかけての伊勢路を再現したおかげ横丁もあるおはらい町を訪れる。

内宮は正式には皇大神宮といい、皇祖神である天照大御神を祭る。約2000年前の垂仁天皇のころ、皇女であった倭姫命が各地を旅した末、天照大御神の御鎮座の地をこの地に定めたといわれている。五十鈴川の畔の宮域は、5500万平方mにも及ぶ伊勢神宮内宮を訪れる。

標高555mの朝熊山を縦走して、伊勢と鳥羽を結ぶ全長16.3kmの有料道路。伊勢平野や伊勢湾が一望でき眺望抜群。快晴時には、日本アルプスや富士山を遠望できることもある。金剛證寺や山上広苑など山頂付近にみどころが多く、山頂展望台には展望足湯も設けられている伊勢志摩スカイラインを走行する。

伊勢志摩スカイライン随一の展望スポット。伊勢湾に浮かぶ島々、セントレアから離着陸する飛行機、さらに晴れた日には富士山も見える。自然遊歩道も整備されており、ハンモックなどもある。展望台には、伊勢志摩のみやげものを販売する山頂売店、伊勢うどんなど軽食販売の朝熊茶屋、標高500mにつくられた展望足湯がある朝熊山頂展望台を訪れる。

鳥羽に向かう。

明治26年(1893)、御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功した島。島内には真珠博物館をはじめ、真珠王と称された御木本幸吉の生涯と業績を紹介する御木本幸吉記念館、パールプラザ(ショップ・レストラン)などがあるほか、白い磯着に身を包んだ海女たちの潜水作業も間近に見ることができるミキモト真珠島を訪れる。

世界屈指の規模を誇る超巨大水族館。自然の環境を再現した各テーマゾーンには、約850種類2万点もの海や川の生物が飼育されている鳥羽水族館を訪れる。

二見に向かう。

2000点以上の作品を所蔵する、アフリカ美術専門のギャラリー。「マコンデ」とは、もともと東アフリカのタンザニアの高原に住んでいたマコンデ族のこと。彼らが生み出す黒檀彫刻は力強く魅力的だ。ティンガティンガ派の絵画のほか、アフリカに関する民俗資料も展示しているマコンデ美術館を訪れる。

木々に覆われた静寂な雰囲気の中に、須佐之男命を祭る茅葺きの社殿と樹齢2000年の大楠が立つ。かつてこの地を旅した須佐之男命が、親切な蘇民将来の一家に助けられ、お礼に悪疫退散の札を授けたとの故事が残る。これが伊勢志摩地方に今も伝わる門符の由来。背後のうっそうとした森の中に、蘇民の家があったと伝えられている蘇民の森・松下社を訪れる。

アッカンベーをする巨大なミナミゾウアザラシや投げキッスをするセイウチ、トド・ゴマフアザラシなどのユニークなショーが人気の水族館。ショーの後には動物たちとの記念撮影もできる。国内の飼育記録を更新中のノコギリエイなども見られる二見シーパラダイスを訪れる。

二見ケ浦の海中に鎮まる興玉神石を遙拝するため、約1300年前の天平年間(729〜748)に僧行基が興玉社を開創。1910年(明治43)には二見ケ浦の海中に鎮まる興玉神石を拝するため、現時の地に三宮神社と合祀。二見興玉神社と改称した。みちひらきの神、猿田彦大神を主祭神とし、遙拝所・天の岩屋のほか、境内には神のお使いとされる「蛙」の置物が点在。授与所では、縁起物の蛙のお守りなども授与している二見興玉神社を訪れる。

ニ見ケ浦にそびえる男岩、女岩とよばれる大小の2つの岩。沖合約700mに鎮まる二見興玉神社縁の興玉神石を拝する鳥居の役目を果たしている。仲むつまじく立ち並ぶその様子から夫婦円満や良縁の象徴としても知られ、夏至のころには男岩と女岩の間から昇る日の出を拝みに訪れる人が多い。気象条件が合えば霊峰冨士を拝すこともできる夫婦岩[二見興玉神社]を訪れる。

鳥羽南部に向かう。

海と人間の関わりをテーマに、漁業の用具や小型船など約5万7000点の民俗資料を所蔵。カツオ漁船の実物展示のほか、重要文化財の木造漁船を収蔵する船の棟も必見の海の博物館を訪れる。

麻生の浦大橋から鵜方までを結ぶ全長23.8kmのドライブウェイ。昔は「陸の孤島」といわれた南鳥羽だが、この道の開通でマリンリゾートの人気エリアとなった。道路は海沿いに連なる山並みを縫うように走っている。車窓には入り組んだ海岸線と海、山々の重なり合う風景が広がり、雄大な志摩半島の自然を満喫できる。鳥羽から志摩への爽快なドライブコースだ。その途中、鳥羽展望台から壮大な景色を眺めるのもいいパールロードを走行する。

パールロードの途中、標高162mの箱田山山頂にある展望台。ここからの海の風景は雄大で、知多半島からぐるりと大王崎まで見える。山口誓子の石碑、地元出身の兄弟歌手、鳥羽一郎と山川豊の歌碑も立っている。創作和食レストラン・軽食コーナー、ショップが入る「食国蔵王」もある鳥羽展望台を訪れる。

志摩に向かう。

天照大神が須佐之男命の悪戯に腹を立てて、閉じこもったという伝説の洞窟の一つ。水が涸れることもなく流れており、恵利原の水穴ともよばれている。「日本の名水百選」に選ばれる天の岩戸を訪れる。

伊勢神宮内宮の別宮で、志摩一ノ宮ともよばれる。創建は垂仁天皇の代で、倭姫命が伊佐波登美命に造らせたとされている。祭神は天照大御神。正殿の建築様式は伊勢神宮と同じ神明造。境内には樹齢2000年の大杉がそびえる。通称といわれ、日本三大御田植祭の一つとされている御田植祭は、国の重要無形民俗文化財にも指定の伊雑宮を訪れる。

安乗埼の先端に立つ全国でも珍しい四角の白い灯台で、映画『喜びも悲しみも幾歳月』の舞台になった。日本の灯台の草分け的な存在で、江戸時代からすでに灯明台があり、1873年(明治6)には八角形の木造灯台が設置されている。現在、海を照らしている灯台は1948年(昭和23)に改築されたもの。周辺は芝生が敷き詰められた公園になっており、荒波の太平洋、波穏やかな的矢湾を眺めながら休憩できる。園内には安乗埼灯台資料館があり、旧灯台の模型や灯台の歴史を紹介している安乗埼灯台を訪れる。

熊野灘と遠州灘の荒波を二分する大王崎は、昔から航路の難所だった。そのため1927年(昭和2)、当時としては斬新な造りの円形白塗りの大王埼灯台が建てられた。灯台は今も現役で、赤白交互30秒ごとに閃光を放つ。入口から螺旋階段を登った展望台からの眺望は、風は強いがすばらしい大王埼灯台を訪れる。

標高48mの登茂山周辺を整備した公園。野外活動センター、キャンプ村などがあり、展望台からは英虞湾のリアス式海岸や真珠の養殖筏が見渡せるともやま公園を訪れる。

標高203mの横山の山頂にかけて、横山・パノラマ・英虞湾展望台があり、それぞれを遊歩道が結んでいる。最も見晴らしがよいのが横山展望台で、緑の朝熊山、熊野連山、正面には約60の小島、点在する養殖真珠の筏などが浮かぶ英虞湾が見渡せる横山展望台を訪れる。

マンボウをはじめ、志摩の海や南の海の生物を展示。見ごたえがあるのは、古代からの魚介を集めたエリアと、50種類2000匹が泳ぐ大回遊水槽での海女の餌付けショーの志摩マリンランドを訪れる。

17:30終了、帰路に向かう。

今回の旅行三重県東南部に足を運び、三大三重県最大の観光地、伊勢・鳥羽・志摩を訪れ、自然と歴史的建造物に触れ有意義な日々を送ることが出来ました。

伊勢神宮の奥深い歴史と規模の大きさと志摩エリアのリアス式海岸の美しい景観、何回も訪れたことがありますがスケールの大きさ、圧巻ですね。

これからも何回も訪れてみたい、三重県伊勢・鳥羽・志摩観光でした。
















大阪府東大阪観光
2011年2月19日


大阪府に足を運び、大阪府中河内地域に位置する市。大阪市、堺市の両政令指定都市に次ぐ、大阪府内で第3位の人口規模の市であり、中核市に指定されている。近鉄花園ラグビー場を擁する「ラグビーのまち」として、また、技術力の高い中小企業が多数立地するものづくりのまちとして全国に知られ、それらをアピールする形でまちづくりを行っている東大阪の名所を訪れました。

12:30車で東大阪に向かう。

生駒山系の暗峠と鳴川峠の間にある自然公園。展望高原のぼくらの広場からは、360度のパノラマが楽しめる。いろいろなハイキング道がある大阪府民の森なるかわ園地を訪れる。

古代から近代まで、八尾の歴史と文化に関する資料を展示。常設展の「大和川流域と高安山-その歴史と文化」では、八尾の景観をつくってきた様々な出来事や大和川と河内木綿の歴史などを紹介している八尾市立歴史民俗資料館を見学。

745年(天平7)、聖武天皇の勅願により行基が創建したと伝えられる。のちの南北朝時代に荒廃を増したが、1386年(至徳3)に藤原盛継が再建。地元の人からの信仰も厚い本尊は、八尾地蔵として有名な地蔵菩薩。安産の霊験があるといわれている。境内には河内最古之音頭発祥地の石碑が立ち、毎年夏の地蔵会式では盆踊りで大いに盛り上がる常光寺を訪れる。

『竜馬がゆく』『街道をゆく』など、数多くの歴史小説や随筆で知られる司馬遼太郎の記念館。氏の自宅に隣接して造られた記念館は世界的建築家、安藤忠雄の設計による斬新なデザインだ。建物内部の11mの吹き抜けの壁面一面に木製の書棚が設けられ、氏所蔵の約2万冊の書物が収納されている様は圧倒的迫力。年2回の企画展を開催し、ホールでは映像上映、講演会や音楽会なども開かれている司馬遼太郎記念館を見学。

大阪平野の東、奈良盆地との境に連なる生駒山麓の樹々に囲まれてたたずむ。奈良の春日大社はこの社の二神を勧請したということで「元春日」とも呼ばれ、藤原氏の隆盛とともに栄えた。参道途中には梅の名所として知られる枚岡梅林、神社の北には桜やツツジが咲く公園がある枚岡神社を訪れる。

近世まで奈良と河内を結ぶ主要道であった旧奈良街道。暗峠はその県境にある峠。芭蕉も最後の旅でこの峠を越え、秀句「菊の香にくらがり登る節句かな」を残した。現在も石畳や、道標、古い家並みが残り、往時の名残りを留めている暗峠を訪れる。

「石切さん」の名で親しまれ、できもの(関西ではデンボ)を治してくれるという。通称ダラダラ坂と呼ばれる参道の坂道には、薬の店が並ぶほか、骨董の店や飲食店も軒を連ね、散歩も楽しめる石切劔箭神社を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、地元の大阪府に足を運び、近鉄花園ラグビー場を擁する「ラグビーのまち」として、また、技術力の高い中小企業が多数立地するものづくりのまちとして全国に知られる東大阪を訪れ、寺社と博物館巡りして時間を過ごしました。

今回で大阪の名所はほぼ制覇しました。





奈良県山の辺観光
2011年2月16日


歴史遺産と緑豊かな自然景観、この二つが継続して残っている奈良県に足を運び、奈良盆地と東の山裾との境目あたりの古代の人々によって開かれた歴史に残る日本最古の道、山の辺の道に点在する史跡を訪れました。

12:30車で天理方面に向かう。

和爾下神社古墳の後円部に立ち、本殿(重要文化財)は桃山時代の建築様式を残す。付近は古代豪族、和爾氏の本拠地と伝わり、和爾氏の祖神を祭っている。神社前の小古墳は柿本人麻呂の墓といわれ、歌塚と刻まれた石碑が立つ和爾下神社を訪れる。

布留川の上流、桃尾山にある高さ23mの滝。明治に廃絶した桃尾山蓮華王院龍福寺の境内地にあり、中世には真言密教の大道場があった。修験道の行場として知られ、毎年7月第3日曜には夏の安全を祈願して「滝開き」の神事が行われる。「布留の滝」として古今和歌集にも詠まれる景勝地で、1688年(元禄元)には芭蕉もこの地を訪れている桃尾の滝を訪れる。

天理教教会本部神殿の南にある、天理大学附属の博物館。海外布教のための資料として長年にわたって集められた、中国・朝鮮半島・オリエントなどの考古美術品、世界各国の民族資料や交通資料、日本の信仰資料を数多く展示。布留遺跡から出土した遺物も収蔵・展示している天理大学附属天理参考館を訪れる。

蔵書数約200万冊を誇るわが国屈指の図書館。収集分野は日本のものだけでなく、世界の宗教、民俗学、文学など多方面にわたる。『日本書紀』神代巻2巻(国宝)、『播磨国風土記』『類聚名義抄』(国宝)、『新古今和歌集』(重要文化財)など、貴重な文化財を多く所蔵。天理大学の附属施設だが一般に公開されている天理大学附属天理図書館を訪れる。

墳丘が3段に分かれ、最下段は前方後方墳、上2段は前方後円墳という特異な形の古墳。下段の規模は約190m。前方後円墳の規模は約160mで、この種類では全国最大級の規模といわれる。築造は4世紀後半ごろとみられ、堤にあたる所から埴輪棺と石棺が出土した西山古墳を訪れる。

大和国の地主神である大和大国魂神と、八千戈神、御年神を祭る古社。『日本書紀』によると、大和大国魂神は天照大神と並ぶ神威があり、初め宮中に祭られていたが三輪山北麓に移され、のちに現在地に遷座した。境内は東西に細長く、古代の幹線道上ツ道に面して一の鳥居が立ち、樹林に包まれた長い参道を抜けると、明治初頭に改築された社殿3殿が立つ大和神社を訪れる。

唐古池を中心に、約42haにわたって広がる弥生時代の集落跡。唐古池の西南にそびえる高さ12.5mの2階建て楼閣は、出土した絵画土器をもとに復元したもの。発掘された鍬や鋤などの農具など、弥生時代の農耕技術を知る貴重な資料は唐古・鍵考古学ミュージアムに展示されている唐古・鍵遺跡を訪れる。

聖徳太子が通ったと伝わる斑鳩宮から、飛鳥・小墾田宮までの約20kmの道。川西町・三宅町・田原本町と、奈良盆地を斜めに貫いていることから筋違道とも呼ばれている。太子のために推古天皇が造った近道との説もあり、太子が道中ひと息ついたという腰掛け石が残る白山神社、太子接待の絵馬が伝わる杵築神社など、道沿いには数々の伝説に由来するスポットが点在する太子道(筋違道)を訪れる。

全長200mの巨大な前方後円墳。5世紀前半の築造と推定され、碧玉製の腕輪「車輪石」やペンダント付首飾りなどが多数出土している島の山古墳を訪れる。

全長130mの前方後円墳。1998年の発掘調査で、未盗掘の竪穴式石室から卑弥呼が魏より贈られた鏡ともいわれる三角縁神獣鏡33枚と、画文帯神獣鏡1枚が出土した。一つの古墳からの出土数としては全国最多で、邪馬台国の所在地論争がからみ、一躍脚光を浴びた。築造は3世紀後半から4世紀前半ごろ。大和政権の有力人物の墓とみられる黒塚古墳を訪れる。

大神神社、大和神社、石上神宮と並ぶ大社。創建は約2000年前(崇神天皇60年)といわれ、延喜の制で名神大社に列せられた。祈年・月次・相嘗・新嘗等の宮幣に預かる。もと弓月ケ岳の山頂にあった上社を麓までおろして下社としたのが、現在の神社といわれる。一の鳥居近くには相撲神社がある。『日本書紀』によると、垂仁天皇の前で当麻蹶速と出雲の野見宿禰が生死をかけた力比べをした場所といわれ、相撲発祥の地とされる穴師坐兵主神社を訪れる。

JR巻向駅周辺に広がる、弥生時代末期〜古墳時代前期の遺跡。範囲は東西2.5km、南北1.5kmに及び、この時代の遺跡としては全国でも飛び抜けた規模だ。全国各地の土器が出土し、全国から人や物が集まっていたことを物語る。ここが邪馬台国だったとみる研究者は多い。遺跡内には発生期の古墳が集中する纒向古墳群があり、ホケノ山古墳は3世紀中ごろに築造された最古の前方後円墳といわれる纒向遺跡を訪れる。

檜原神社から山の辺の道を南へ5分ほど行った地に、ひっそり立つ。奈良〜平安時代初期の僧玄賓が隠棲した所と伝え、もと三輪山の檜原谷にあったが、明治の神仏分離で現在地に移された。小堂に藤原時代作の木造不動明王像(重要文化財)や玄賓像を祭り、謡曲『三輪』の舞台でも知られる玄賓庵を訪れる。

古来、三諸の神名備と称され、聖なる神の山として崇められてきた。山全体が大神神社の御神体として、大物主大神をまつる。標高467mの三輪山を望む。

纏向遺跡をはじめ市内の主要遺跡で出土した土器や埴輪などの遺物を展示する。春秋に特別展、夏冬に企画展が開催される桜井市立埋蔵文化財センターを訪れる。

もとは大神神社の神宮寺で、本堂や護摩堂などが並ぶ大寺だった。明治の廃仏毀釈で全廃したものの、のちに本堂や鐘楼が再建された。境内には仏足石や、霊験あらたかとされる熱とり地蔵もある平等寺を訪れる。

山の辺の道沿い、金屋の石仏の向かいにある美術館。ルノアールやピカソ、ユトリロのほか、国内では梅原龍三郎、佐伯祐三、須田国太郎ら近代画家の作品約300点を収蔵、順次公開している喜多美術館を見学。

金屋集落の西南にあり、山の辺の道の南の起点。古代には飛鳥や難波に向かう道が合流する交通の要所で、わが国最古の市とされる海石榴市が開かれ賑わった。ここはまた若い男女が歌を詠み合いながら婚約を成立させる、古代の「歌垣」の舞台でもあった。現在は小堂が立つ海石榴市観音に名を残すだけの海石榴市跡を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、近場の奈良県に足を運び、奈良盆地と東の山裾との境目あたりの古代の人々によって開かれた歴史に残る日本最古の道、山の辺の道に点在する史跡を訪れ歴史学習してきました。

京都と違い派手さはないが、趣のある史跡が数多く点在する奈良県、歴史の深さを感じました。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十一弾:三重県尾鷲&熊野観光
2011年2月12ー13日


三重県の県南部の熊野灘沿いに台高山脈が急激に熊野灘に落ち込んでいる独特の地形の東紀州エリアには、巨岩や絶壁がそそり立ち、山中には伊勢と熊野三山を結ぶ巡礼の道、熊野古道が残る尾鷲・熊野を訪れました。

12日12:30車で第二京阪名神新名神伊勢自動車道経由して大宮大台インター下車

境内に並んで鎮座する瀧原宮、瀧原竝宮は、ともに皇大神宮(内宮)の別宮。天照大御神の御魂を祭っている。本殿までの参道脇には樹齢数百年の杉が生い茂り、荘厳な雰囲気が漂う瀧原宮を訪れる。

笠木川上流の渓谷。落差40mの雄滝と35mの雌滝は水量も多く、見ごたえがある。周辺には遊歩道もあり、途中に喫茶、陶芸小屋などが設けられている原始の不動滝・紀勢笠木渓谷を訪れる。

名前の通り、頭に関することに霊験あらたかだといわれる。合格祈願の受験生はもちろん、会社経営者なども訪れる。境内には飲むことで体の中から災いを洗い流すといわれる「頭之水」が湧き、いくつもの顔があるように見える「頭之石」は、なでることでその部分を癒してくれるという頭之宮四方神社を訪れる。

尾鷲方面に向かう。
18:00尾鷲駅付近のホテル到達後、市街地を散策、食事を済ませて就寝。

13日6:30車で出発

須佐之男命を祭神とする、尾鷲随一の由緒ある神社。境内には拝殿や本殿、参集殿などが立つ。2本の楠の大木(別名・夫婦楠)は高さ30m、周囲10m。樹齢は1000年以上といわれ、県の天然記念物に指定されている尾鷲神社を訪れる。

山林で財を成した尾鷲の富豪土井八郎兵衛が、約250年前に鹿児島から孟宗竹を移植。保護育成した竹林。高さ15mもの美しい竹が4000平方mに及ぶ敷地に群生して、なかには太さが直径30cmに達するものもある土井竹林を訪れる。

土井竹林の入口に立つ人形の展示館。もともとは土井家の別荘として明治初年に建てられた「寒雨亭」で、館長の土井由紀子氏が子供の頃から集めている世界の民族衣装の人形など2000点が陳列されているお人形の家を訪れる。

熊野方面に向かう。

熊野市と尾鷲に挟まれた海岸線にそそり立つ、高さ100m、周囲600mもの花崗班岩の岸壁。柱状節理の岩壁が楯を並べたような形からその名が付き、神武天皇上陸の伝説も残っている楯ケ崎を訪れる。

熊野市の東のはずれ、濃紺の海に突き出た断崖で、名前のように鬼が住んでいそうな雰囲気を漂わせる鬼ケ城(名勝・天然記念物)。これは石英粗面岩の岩盤が地震によって隆起し、その後波や風に侵食され、大小無数の洞窟や穴が造られたもの。数十mの絶壁の猿戻り、犬戻り、無数のくぼみがある蜂ノ巣、鬼の見張り場など、約1kmの遊歩道には天然の岩の彫刻芸術がいくつもある。遊歩道入口にある海蝕洞窟の千畳敷は見ごたえがある鬼ケ城を訪れましたが残念ながら工事中のため確認できませんでした。

その名の通り、獅子の形をした奇岩。地盤の隆起と黒潮の侵食によってできたもので、高さ25m、周囲210m。その勇壮な姿は、海に向かって吠えるライオンのようだ。世界遺産、国天然記念物に指定の獅子岩を訪れる。

七里御浜にある、高さ45m、幅80mの巨石を御神体とする神社。『日本書紀』に登場する国生み神話の伊弉冉尊を葬った有馬村は、この花の窟であるといわれている。毎年2月2日と10月2日の例大祭には岩の頂から縄をかける、お綱かけの神事が行われる花の窟神社を訪れる。

上瀞の上流から、和歌山県の飛地である北山村の七色までの約28kmの渓谷を指す。かつては、滝や瀬が多い渓谷であったが、小森ダム、七色ダムの完成により、3分の2が湖底に沈んでしまった。一帯の森と湖、渓流とが調和した美しい景観は、新たな観光地として脚光を浴びつつある。周辺にはカモシカなども生息し、動物の宝庫としても知られる奥瀞を訪れる。

市内熊野川町の玉置口から奈良県十津川村田戸までの約1.2kmの渓谷を指す。春にはヤマザクラ、初夏にはツツジやシャクナゲが新緑に映え、晩秋には紅葉が美しい。渓谷の両岸が迫り、高さ40〜50mの岩壁がそそり立ち始めるのは玉置口近くの洞天門から。夫婦岩などの奇岩や、高さ20m、幅87mの屏風岩、高さ45mの天柱岩など巨岩が、次々に現れる。奥行き42mの寒泉窟、岩の割れ目にできた竜泉窟などの洞窟もあって、変化に富んだ渓谷美は、実に見事。渓谷探勝には、玉置口や下流の志古などから、ウォータージェット船を利用。船は、田戸船着場に寄り、上瀞入口の獅子岩などを見て引き返す瀞八丁を訪れる。

古くは奈良時代から、近世では国内屈指の鉱山町に至る歴史をもつ紀和町。熊野市紀和鉱山資料館では各時代の様子をジオラマ再現し、本物のトロッコや採掘器具なども展示。疑似体験エレベーターの他、映像上映もある。近辺の観光地に関する展示や、日本有数の蛍石を初めとする鉱石の展示、土産販売も行っている熊野市紀和鉱山資料館を見学。

紀和町の山間に広がる棚田。「一目千枚」と言われ、1340枚が連綿と連なる光景は壮観だ。1601年(慶長6)には、2200枚以上の水田があったという記録も残る丸山千枚田を訪れる。

1988年(昭和63)、紀宝町で「ウミガメ保護条例」が施行。ここは、ウミガメの保護活動の拠点となっている。園内には資料館とウミガメプール、道の駅の3棟が立ち、ウミガメプールでは泳ぐカメの姿を観察できる。子供たちに人気のタッチングプールもあり。アカウミガメは、毎年5月末〜8月、産卵のため七里御浜の新宮寄りにある井田海岸へ上陸してくる紀宝町ウミガメ公園を訪れる。

熊野川に沿って北に走行し和歌山県に入り本宮に向かう。

熊野川と音無川、岩田川の合流点にある中洲で、明治時代の大洪水で流失するまで、ここに熊野本宮大社の社殿があった。現在は広い境内に、石祠が2基あるだけだが、清浄な雰囲気がかつての社地の名残りを留めている。入口には日本最大級の大鳥居が立ち、春は花見の名所としても知られる大斎原[熊野本宮大社]を訪れる。

熊野三山のひとつ。鳥居をくぐって158段の石段を上ると、神門の向こうに四社殿が立つ。左から夫須美大神を祭る西御前(第一殿)、速玉大神を祭る中御前(第二殿)を合わせた相殿、その右隣に熊野造の証誠殿が立ち、主祭神の家津御子大神を祭る本殿となっている。さらに右隣の若宮(第四殿)には天照大神が祭られている。伝承によると、社殿創建は今から2020年ほど前の崇神天皇の時代。500m下流の大斎原に鎮座していたが、1889年(明治22)の大洪水で一部社殿が流失し、現在の地に移築された熊野本宮大社を訪れる。

16:00中辺路を経由して田辺から高速で帰路に向かう。

今回の旅行、伊勢神宮と熊野三山を結ぶ世界遺産の熊野古道の伊勢路に点在する史跡巡りと三重県県南部の熊野灘に面したリアス式海岸と七里御浜に縁取られた海岸線はダイナミックな自然の造形美の連続を訪れ自然と文化に接し堪能しました。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十弾:岡山県倉敷&笠岡&吉備路観光
2011年2月10ー11日


中国地方の岡山県に足を運び、白壁となまこ壁の建物が立ち並ぶ昔町、岡山県一人気の観光地、倉敷美観地区、瀬戸内海に面した風光明媚な港町、タコでもおなじみの児島・鷲羽山、天然記念物のカブトガニで有名で隠れラーメン王国の笠岡、田園地帯に古代吉備王国の史跡が点在、桃太郎の伝説も伝わる吉備路を訪れました。

10日19:30車で近畿中国山陽自動車道経由して
22:00倉敷駅付近のホテル到達、宿泊。
11日6:30車で出発、鷲羽山・児島方面に向かう。

江戸時代に北前船が寄港し、讃岐金比羅参りの旅人で賑わった港町の風情を今も色濃く残している。海の守り神として崇められてきた祇園神社から吹上漁港にかけての旧街道沿いは、町並み保存地区に指定されており、なまこ壁のニシン蔵や格子窓の商家、玉垣などに往時の面影を見ることができる下津井の町並みを訪れる。

北前船の回船問屋、高松屋(中西家)の母屋やニシン蔵などを復元した文化施設。江戸後期から明治期の暮らしを再現し、母屋では実際に使われていた道具類を展示。中庭を囲んで、観光ポイントをビデオなどで紹介するいんふぉめーしょん館や蔵造りのみやげ物店、瀬戸内の味を楽しめる食事処などがあるむかし下津井回船問屋の前で記念撮影。

瀬戸内海を望む標高133mの山。鷲が羽根を広げたような山容からこの名があり、瀬戸内海国立公園特別地域に指定されている。駐車場から歩いて10分の第2展望台や鷲羽山レストハウスからは、瀬戸内の島々や四国の山並みが一望できる鷲羽山を訪れる。

江戸後期、製塩業を新田開発で財を成した野崎武左衛門が、天保4年(1833)頃から建築した大庄屋屋敷。約3000坪の敷地には、枯山水の庭園、約42mの奥行きがある主屋、表書院、土蔵、茶室などが点在。水琴窟の音色も楽しめる。雄大な規模の上層民家で屋敷全体の構成も貴重なため、国の重要文化財に指定。併設の野崎家塩業歴史館では、塩業資料や民具を展示している旧野崎家住宅を訪れる。

笠岡に向かう。

カブトガニ型ドームの館内ではカブトガニのはく製や資料の展示のほか、ビデオでその進化や生態をわかりやすく紹介。実際に水槽の中で泳ぐ姿も観察できる。博物館近く、神島水道のカブトガニ繁殖地は国の天然記念物に指定。隣接の恐竜公園は、ティラノサウルスなどの実物大恐竜模型が8体並ぶ笠岡市立カブトガニ博物館を見学。

笠岡市出身の日本画家で文化勲章を受章した小野竹喬[おのちっきょう]の作品を中心に約2000点を収蔵している美術館。竹喬の作品には、瀬戸内海など郷里の自然や日常の風景を題材にしたものが多く、なかでも神島の穏やかな景色を描いた『島二作』は見ごたえがある。京都や岡山の近代日本画も収蔵しているほか、年に2回特別展覧会も開催している笠岡市立竹喬美術館の前で記念撮影。

赤松を使い、伝統工法で建築された町屋風美術館。矢掛出身の書家・田中塊堂の『春水』『賀歌』、洋画家・佐藤一章『霧の朝』、『残雪の駒ケ岳』などの作品や宿場町関係の郷土資料を展示。高さ16mの水見櫓は、美術館のシンボルとなっており、最上階からは町並みを見渡すことができるやかげ郷土美術館を訪れる。

参勤交代の大名が利用した宿泊施設で、酒造業を営む豪商・石井家が本陣職を務めていた。敷地には大名が出入りした御成門や本陣屋敷、酒造関係の建物が当時のまま残っている旧矢掛本陣石井家を訪れる。

倉敷に戻る。

国の重要伝統的建造物群保存地区。白壁や格子窓の町家や蔵が並び、昭和34年に復元した常夜灯や、1926年(大正15)に架け替えられた今橋などがしっくりとなじんでいる。美観地区の歴史やみどころを詳しく知ることができるボランティアガイドあり。夜間は倉敷川河畔を中心に景観照明を実施。ほのかな明かりに包まれ、幻想的に浮かび上がる町並みを楽しめる美観地区を訪れる。

蔦で覆われた赤レンガの建物が印象的。1889年(明治22)に建てられた倉敷紡績発祥工場を再開発した複合文化施設だ。施設内には同名のホテルもあり、レトロな雰囲気が人気の倉敷アイビースクエアを訪れる。

倉敷アイビースクエア内にある施設。倉敷紡績の明治時代のオフィスを利用した館内に、アンティークオルゴールを展示。1日7回、コンサートも楽しめるオルゴールミュゼ・メタセコイア[倉敷アイビースクエア]を訪れる。

倉敷アイビースクエア内にある。画家であり、大原コレクションの収集にも功績のあった児島虎次郎の作品を収める児島室、古代オリエントの美術品約500点を展示するオリエント室からなる大原美術館児島虎次郎記念館[倉敷アイビースクエア]を訪れる。

倉敷アイビースクエア内にある施設。白壁土蔵造の旧原綿倉庫を利用して、倉敷紡績の明治時代からの歩みを紹介している倉紡記念館[倉敷アイビースクエア]を訪れる。

江戸末期の商家の米蔵を利用した白壁となまこ壁の建物。吉備路を中心とする、県下で発掘された石器・土器などの出土品や生活用具など約700点を時代別に展示。古代ペルーのアンデス文明の考古資料も見られる倉敷考古館を訪れる。

新田や塩田開発で財を成し、幕末には庄屋も兼ねていたほどの豪商だった大橋家。主屋は五本格子の倉敷窓を持つ厨子2階建てで、国の重要文化財。代官所の許可がなければ建てられなかった長屋門を構えていることから格式の高さを感じとれる大橋家住宅を訪れる。

倉敷紡績の2代目社長・大原孫三郎が1930年(昭和5)に開館した日本初の西洋近代美術館。画家・児島虎次郎に委嘱して収集した西洋の名画を中心に約3000点の作品を収蔵し、常時約1500点を展示。17世紀のエル・グレコや19世紀の印象派の名画、現代美術品など、いずれも世界的にも水準の高いコレクションの大原美術館を見学。

大原美術館の本館で、ギリシア神殿風の建物入口正面にあるロダンの彫刻『説教をする聖ヨハネ』と『カレーの市民』をはじめ、この美術館の目玉であるエル・グレコの『受胎告知』やゴーギャンの『かぐわしき大地』などを展示している。新展示棟ではマティス、ピカソなどの現代美術にふれることができる本館[大原美術館]を見学。

大原美術館の分館で、岸田劉生の『童女舞姿』、梅原龍三郎の『紫禁城』をはじめ、青木繁、藤島武二といった近代日本の洋画を展示。また、前庭の地下には現代美術室があり、現在活躍中の作家の作品も見られる分館[大原美術館]を見学。

大原美術館の工芸・東洋館。工芸館は浜田庄司、河井寛次郎、富本憲吉らの陶芸作品や、棟方志功の版画、芹沢けい介による型染の作品などを展示。東洋館は、児島虎次郎の中国古美術コレクションに戦後収集したものを加え、先史時代から唐代までの東アジアの古美術を中心に展示している工芸・東洋館[大原美術館]を見学。

建物は江戸時代後期の米蔵を改装したもの。地元倉敷のほか、国内外から集めた陶磁器や漆器、木・石工品、織物など、衣食住に関する民芸品を常時約500点展示している倉敷民藝館を訪れる。

『森の唄』で知られる倉敷出身の文化勲章受章日本画家・池田遙邨の作品を中心に、寺松国太郎、満谷国四郎ら郷土ゆかりの作家の作品を多数所蔵。常設展で見ることができる倉敷市立美術館を見学。

江戸時代後期の米蔵を利用した館内には、凧やカラクリ人形など、全国で作られた郷土玩具約5000点を都道府県やテーマ別に展示。企画展を行うギャラリーやカフェ、ショップを併設している日本郷土玩具館を訪れる。

吉備路に向かう。

吉備国の一宮で祭神は吉備津彦命。三間社流造の本殿は元禄年間(1688〜1704)に再建したもの。高さ11.5mの大きさを誇る2基の常夜燈や神池と中島で構成された三島式庭園もみどころ。夏至の日には太陽が随神門正面から昇り、社殿の後ろに沈むことから朝日の宮とも呼ばれている吉備津彦神社を訪れる。

吉備津彦命を祭神とする古社。入母屋造の屋根を二つ並べて一つにした特異な比翼入母屋造の本殿(国宝)と拝殿(国宝)、南・北随神門(重要文化財)など見どころが多い。本殿西側の斜面は4月はボタン、5月はサツキ、6月にはアジサイが360mもの長い回廊に沿って咲き誇る。御釜殿では温羅伝説に基づく鳴釜神事を行う吉備津神社を訪れる。

古墳時代中期のものと推定される前方後円墳(史跡)で全長350m、高さ24mの大きさは全国4位。墳丘に登ることができ、頂上には荒神社が祭られている。古代吉備国の首長の墓と推測されるが、埋葬者はいまだ解明されていない造山古墳を訪れる。

毛利氏の戦国武将・清水宗治の居城跡。1582年(天正10)、羽柴(豊臣)秀吉の水攻めで落城した。城跡内には、自害した宗治の首塚と辞世の歌碑が残る高松城跡を訪れる。

6世紀後半に築造されたといわれる、全長約100mの前方後円墳。発掘調査時、暗い石室内にはたくさんのコウモリが住んでいたことからこの名が付けられた。飛鳥の石舞台古墳に匹敵する規模をもつ巨大な横穴式石室には、一枚岩をくり抜いた家形石棺が納められているこうもり塚古墳を訪れる。

奈良時代、国家鎮護を祈願する聖武天皇によって建立されたが、南北朝時代に焼失。現在の建物は江戸時代中期に再建されたもの。境内西にそびえる五重塔(重要文化財)は吉備路のシンボル的存在。高さ34m、3層目までがケヤキ、4〜5層目は松を主体に造られている備中国分寺を訪れる。

備中国国府が置かれた時に、備中国の304社の神を合祀して創設されたと伝わる。1980年に再建された本殿以外はすべて江戸時代に建てられたもの。古い様式を伝える三島式庭園と本殿を巡る長い回廊が美しい調和を見せる総社宮を訪れる。

室町時代の画聖雪舟が幼い頃に修行し、涙でネズミの絵を描いたという伝説で有名。境内には禅宗式の七堂伽藍が完全な形で残されており、特に県下で2番目に古い三重塔は南北朝時代の様式を今に伝える貴重なもので、国の重要文化財に指定されている井山宝福寺を訪れる。

17:30終了、帰路に向かう。

今回の旅行、岡山の県一番の観光地、江戸時代に、江戸幕府の天領として栄え、倉敷川は物資の運輸に利用され、川沿いには蔵が数多く建てられ、往時を彷彿たさせる風景が残っている倉敷

国産ジーンズの発祥地として注目の児島、懐かしい町並みが残る下津井

生きた化石、カブトガニの繁殖地で、ラーメンでも有名な笠岡

秀吉の水攻めで有名な高松城や吉備津彦命と温羅伝説の舞台となった吉備津周辺、備中国分寺や總社宮など、歴史ロマンの宝庫、吉備路を訪れ、岡山の西部を制覇しました。

観光名所の多い岡山県、前回は岡山・日生・牛窓・備前の岡山東部方面を訪れ、今回は岡山の西部訪れ、残すは北部の山沿いの名所と、南部の瀬戸内海の島々となりました。
近日中に訪れたいと思います。


















京都府洛東観光
2011年2月9日


文化遺産の宝庫、近場の京都に足を運び、銀閣寺、南禅寺、平安神宮、知恩院、清水寺など有名社寺が点在し、京都随一の観光スポットを抱えるエリア。春は桜並木の哲学の道をそぞろ歩くのもよし、秋は錦秋に包まれる清水寺界隈を散策するもよし。四季それぞれの京都の風情を楽しみたい。夜は花街情緒が漂う祇園界隈で、京料理やおばんざいを味ってみたい京都洛東を訪れました。

12:30車で第二京阪阪神京都線経由して
13:30洛東到達

高台寺の門前、「京・洛市ねね」の2階にある美術館。桃山時代の華麗な漆工芸として知られる高台寺蒔絵で装飾された高台寺の収蔵品などが、季節ごとに展示公開される。調度品などねねと秀吉ゆかりの品々を間近に見られ、戦国の世の武将や女性たちの優雅な美意識にふれることができる高台寺 掌美術館を訪れる。

風情ある石畳と石塀が続く小路が高台寺通と下河原通の間に通い、京情緒漂う散策を楽しめる。京都らしい風情の旅館や料亭、庭園が美しい喫茶店などがあり、そぞろ歩きを楽しむのによい。もともと下河原界隈は北政所(ねね)をなぐさめるために歌舞音曲に優れた美しい女性を集めた場所で、のちに花街として発展。お茶屋や料亭が並び、要人や大物俳優がお忍びで訪れた場所でもある石塀小路を訪れる。

茶道・琴・華道・雅楽・狂言・京舞・文楽といった、日本の伝統芸能が約1時間で気軽に観覧できる。外国人観光客向けに始められたが、コンパクトに古典芸能が集められているため日本人にも好評。祇園の舞妓に確実に会えるのも、ここならでは。舞妓の絵や花かんざしなどの展示、五花街を紹介する舞妓ギャラリーもあるギオンコーナーを訪れる。

八坂神社の西楼門の階段を降りて四条通を西へ100mのところに老舗のお茶屋・万亭(一力)がある。その西を南北に走り、華やかな紅殻塗の壁や竹で編まれた犬矢来(駒寄せ)の一力近辺には、簾を垂らしたお茶屋が立ち並び、しっとりと洗練された佇まいを見せる。この一力は、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で大星由良之介(大石内蔵助)が高師直(吉良上野介)の目をくらますためにお茶屋遊びをする「祇園一力の場」としても有名な花見小路を訪れる。

四条通の鴨川に架かる橋。1142年(永治2)の架橋と伝わり、八坂神社(祇園社)の参詣路にあたっていたため祇園橋とも呼ばれていた。東詰南側には京の師走の風物詩「顔見世」で名高い南座が立ち、傍らには歌舞伎発祥の地の碑がある四条大橋を訪れる。

近現代の作品を中心に展示する美術館。天井の高い1階の展示室を抜け、エレベーターで階上へ進むと2階は村上華岳作品室、3階では山口薫の作品を展示している。特に山口薫コレクション数は圧巻で、全国からファンが訪れるほど。5階の最上階は「光庭」といわれる坪庭と茶室になっている。また、地階には北大路魯山人作品室がある何必館・京都現代美術館を訪れる。

南座前から鴨川遊歩道を北上すると、白川南通。白川の流れに沿って桜と柳の並木が続く、200mほどの石畳の遊歩道である。祇園を愛した歌人・吉井勇の「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」の歌碑が立つ。白川は賑わいを見せる夜も美しいが、人気のない早朝の静寂な時に訪れるのもよい白川南通を通過する。

鴨川に架かる三条通の橋。擬宝珠を冠した木造風の風情ある橋は、京都のシンボル的な景観として、広く親しまれている。近世の東海道五十三次の終点であり、西詰にはそのことを示す里程元標も立つ。現在の橋は1950年(昭和25)に改修されたものだが、1590年(天正18)に豊臣秀吉が建設した木橋の面影を残し、勾欄の擬宝珠14個は当時のものが使われている。橋上からは東山、北山、比叡山の諸峰を望める三条大橋を訪れる。

鎌倉末期、日尊上人が創建した日蓮本宗本山。1万3500平方mの広大な境内には、清涼池をはじめ、本堂、開山堂、鐘楼、庫裏、書院などの堂宇を数え、堂々たる風格がある本山要法寺を訪れる。

京の町屋の構造をイメージして造られた建物で、3階から地下2階までの吹き抜けが開放的。細見家3代のコレクションを中心に企画・展示しており、重要文化財30点以上を含む、古代から近代に至る日本美術を所蔵している細見美術館を訪れる。

「みやこめっせ」の愛称で親しまれる京都の産業振興施設。企業の利用が中心だが、一般に開放される展示会やイベントも多彩。館内の京都伝統産業ふれあい館では、京都の伝統工芸品を紹介・販売している京都市勧業館(みやこめっせ)を訪れる。

ここは平安時代には、貴族の邸宅や天皇の御願寺が立ち並んでいた所。応仁の乱で荒廃し、以後田園地帯となったが、その土地で1895年(明治28)、第4回内国勧業博覧会が開催され、同時に平安神宮が創建された。さらに美術館や図書館などが次々に誕生。今では京の文化スポットとして親しまれている岡崎公園を訪れる。

1963年(昭和38)、京都市勧業館別館を改装して発足。1986年(昭和61)、グレーの花崗岩で外装を統一したモダンな美術館へと生まれ変わった。近代美術を中心に京都・関西・西日本の美術に力を入れ、収蔵作品約9300点の中からコレクション展と、特定テーマに基づく企画展の展示替えを随時行っている京都国立近代美術館を見学。

876年(貞観18)の創建と伝えられる古社。三条神宮道通の南側、石段を上がった高台にあるため、8月16日の大文字の送り火の際は、五山の送り火のうち船形・左大文字・鳥居・右大文字の送り火を見ることができる。毎年体育の日の神幸祭には、祇園祭の山鉾の原形といわれる、高さ7〜8mの剣鉾数基が町内を練り歩く。神社の前は旧東海道が走り、京の七口の一つ粟田口に位置。今もその当時の名残で、旅行安全のお守りを授けている粟田神社を訪れる。

インクライン下の疏水べりに立つ記念館。疏水工事の設計図や模型などを展示し、琵琶湖疏水の歴史を今に伝えている琵琶湖疏水記念館を訪れる。

野村財閥2代目・野村徳七が明治から昭和にかけて蒐集したコレクションを展示。徳七は号を得庵と名乗る数寄者で、風雅の道に親しんだこともあって、収蔵品は茶道具をはじめ能装束、能面、絵画、書跡など約1500点に及ぶ。その中には雪村筆『風涛図』や大燈国師墨跡など重要文化財7点、重要美術品9点を含む野村美術館を訪れる。

哲学の道から少し入ったところにある寺で、毎年7月25日に行われるかぼちゃ供養で有名。後鳥羽上皇の女官だった松虫と鈴虫が、法然上人の弟子、住蓮と安楽の説法に感化され尼僧になったため、怒った上皇により僧2人は死罪、法然も土佐に流された。これを知った女2人は広島県生口島光明坊に転居したといい、今も境内には、住蓮、安楽の五輪石塔と松虫、鈴虫の小さな墓がある安楽寺を訪れる。

大正から昭和にかけて活躍した日本画の巨匠・橋本関雪の邸宅跡。1万平方mもの敷地内には、50畳の画室や茶室がある。さらに画伯自身が設計した池泉回遊式庭園には、日本や中国の石仏、石塔などの石造美術品が多数配置されており圧巻だ。併設のギャラリーでは、関雪の作品や遺品、収集品も鑑賞できる白沙村荘橋本関雪記念館を訪れる。

吉田山の麓にある古社。859年(貞観元)、藤原山蔭が平安京の鎮守社としたのが始まり。その後、文明年間(1469〜87)に吉田兼倶が吉田神道を創設し、全神道の頂点に位置づけた。斎場所大元宮(重要文化財)は兼倶が建てたもので、全国の式内神3132座を合祀。ここにお参りすれば、全国の神祇に参詣したのと同じ御利益があるとされている。2月2〜4日の節分行事は盛大で、多くの参詣者で賑わう吉田神社を訪れる。

京都大学が開学以来100年以上にわたって収集してきた学術標本資料約260万点を収蔵、研究・教育活動に活用することと、その研究成果の公開を目的に設立された。展示品を「見る」だけでなく、熱帯雨林の鳥の音・スコールの雷鳴を聞いたり、アンモナイトに直接触れたりと、博物館を「感じて」もらえるようになっている。京大の学生や元教員たちが毎週土曜に開催する週末子ども博物館では、テーマを沿って学ぶことの楽しさを伝えている京都大学総合博物館を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

文化遺産の宝庫京都の有名社寺が点在し、京都随一の観光スポットを抱えるエリア洛東に足を運び、今回は比較的マイナーな社寺を訪れ歴史学習できました。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十九弾:徳島県中部山渓&県南海岸エリア観光
2011年2月5ー6日


四国東部の徳島県に足を運び、中部県立自然公園に属し、四国の中でも大自然の残っている地域で、又温泉や農村舞台、修行場だった札所が点在する中部山渓エリア、室戸阿南海岸国定公園に属し、景勝地の多い県南海岸エリアを訪れました。

5日12:30車で阪神淡路自動車道経由して
15:00中部山渓エリア到達

標高1,019m頂上(旭ヶ丸)から東へひろがるゆるやかなスロープ。ここからは、遠く紀伊水道、徳島平野、阿讃山脈、橘湾など360度のパノラマが眺望でき、標高900m付近では、7月上旬から下旬にかけて、約3万本のあじさいが咲きます。頂上付近では、アワノミツバツツジ・アセビなどが群生、遊歩道が整備され、ハイキングに適しています大川原高原を訪れる。

石楠花の寺として知られ、特に前面の断崖、峭壁(俗に壁ヶ嶽という)に自生する石楠花は、樹齢120年を越えるものも多く、数百本に及ぶ老樹や幼木をとりまぜて、開花時は実に比類稀なる壮観な景色で、浄土院寺院にふさわしい極楽浄土の景観を呈する徳円寺を訪れる。

徳島市内に向かう。
18:00徳島市内の徳島駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

6日6:30車で出発、阿南方面に向かう。

標高284mの津峯山一帯にある公園。阿波の松島と呼ばれる橘湾を一望。8合目までは津峯スカイラインが通る。駐車場から山頂付近へは陣ケ丸遊歩道があり、神明の窟など5つの岩窟や揺すると音の出る揺るぎ岩(天然記念物)が見られる津峯公園を訪れる。

伊水道に突き出た四国最東端の岬。蒲生田大池の駐車場から遊歩道で行ける蒲生田岬灯台からは伊島、前島、棚子島などが一望できる蒲生田岬を訪れる。

日和佐に向かう。

アカウミガメ(国の天然記念物)の産卵で知られる、全長約500mの砂浜大浜海岸を訪れる。

大浜海岸沿いに立つ施設。ウミガメの生態や進化の歴史が学べ、大浜海岸を模した水槽では子ガメを観察できる。感動的な産卵の映像を見ることのできるハイビジョンシアターは必見。屋外の水槽では1mを超えるウミガメも飼育している日和佐うみがめ博物館カレッタ[大浜海岸]を見学。

高さ200m前後の海蝕崖と、美しい松林が約2kmに渡って直線的に続く景勝地。室戸阿南海岸国定公園の特別保護地区に指定され、特に千羽ケ岳付近で見られる垂直の断崖が見ものだ。整備された自然歩道の途中にある通り岩休憩所からは、下が洞穴になった通り岩が見られる千羽海崖を訪れる。

世界中の珍しい貝や貝の化石約2000点を展示する資料館。木造のユニークな外観は巻き貝と二枚貝をイメージしたもの。巨大なオオジャコガイ、アンモナイトの化石は必見。館内の漁師さんの水族館には大小45台の水槽を設置。地元漁師が捕まえた海の生き物100種類と、生きた化石といわれるオウムガイなどを展示している貝の資料館モラスコむぎを見学。

海部川上流にある四国有数の滝。上流の不動滝、鳥返し滝など大小多数の滝も含め、迫力ある景観が続く。夏と秋には祭りがあり、夏は龍王寺から、秋は轟神社から、滝壺に神輿ごと入る神事も行われる。周辺には遊歩道が整備されている轟の滝を訪れる。

17:00帰路に向かう。

今回の観光巡り、四国の東部徳島県に足を運び、中部山渓エリアの海部川、那賀川に点在する渓谷、奇岩、滝、県南海岸エリアの海岸線の数多い景勝地を訪れ、大自然に接し、癒されました。








京都府洛中観光
2011年2月2日


文化遺産の宝庫、京都に足を運び、歴代天皇が住まれた御所、徳川家の二条城、京都市役所や京都駅を含む、名のどおり京都のど真中エリア、街路も平安京の面影をとどめ、基盤の目のように整然としている洛中を訪れました。

12:30車で第二京阪自動車道阪神京都線経由して
13:30京都駅到達。

京都駅ビルの東端にあるアクセス抜群の劇場施設。2階のKYOTO手塚治虫ワールドには、オリジナルアニメを上映するアニメシアターやグッズショップがある京都劇場[京都駅ビル]を訪れる。

約400年にわたり、京都・三条釜座の地で茶の湯釜を作り続けている千家十職の釜師・大西家は、中世「釜座」の歴史を唯一今に継承し、茶の湯釜の伝統と様式を伝えている。その大西家に伝わる茶の湯釜と茶道具類は春と秋の企画展で公開。会期中は釜の名品をじかに手に触れる京釜鑑賞会や、収蔵品を用いた茶会、講演会などを開催している大西清右衛門美術館を訪れる。

寺町通から烏丸通にかけての三条通は、赤レンガの洋館をはじめ、明治・大正期の近代建築が数多く見られ、伝統的な町家とともに独特の町並みを形成している三条通を訪れる。

上洛の際、滞在する屋敷を持たない大名のために、江戸初期に建てられた陣屋(宿舎)。大名の安全を確保するため、大広間の天井に武者溜[むしゃだまり]を設けたり、隠し階段などが随所に隠されていたりする数寄屋造りが特徴的。防火設備も見事で、1788年(天明8)の大火でも無事だった。主屋と土蔵が重文指定の二条陣屋を訪れる。

樂焼400年の伝統を伝える樂家・初代長次郎から15代吉左衞門までの作品を中心に、樂焼陶芸作品や茶道工芸品などを展示している。樂焼は、初代が千利休の創意によって侘び茶のための茶碗を作るようになったのが始まりとされる。ろくろを使わず、手びねりで形成し、吹子の付いた窯で一碗ずつ焼く技法が特徴の樂美術館を訪れる。

堀川通沿いを流れる堀川に架かる小さな橋。平安時代に文章博士三善清行が死去したという知らせを受けた子浄蔵が、この橋で葬列にあい、柩にすがって神仏に祈ったところ、父が蘇生したので、戻橋と呼ばれるようになったという。秀吉の命で大徳寺にあった千利休の木像がここで処刑され、その後切腹した利休の首が晒された地でもある一条戻橋を訪れる。

四季の移ろいを色や形に託す京菓子。京の菓子処は、上菓子を作る菓子司と饅頭や餅菓子を作るおまん屋、それに餅屋の3つが和菓子の世界を構成している。京都人は、それぞれ食べるシーンや用途によって区別しているが、月の行事の決まりごとになっている菓子もあるほどだ。そんな京菓子をもっと知りたい人のための資料館。糖芸菓子をはじめ、菓子型、御所御用達しの資料などを展示する京菓子資料館を訪れる。

年4〜5回、茶道具や茶の湯に関する美術工芸品の企画展を開催。展示室(1・2階)は広くすっきりとしており、特に2階には裏千家の代表的な茶室「又隠」(重要文化財)のうつしが設けられ、茶室内を見ることができる。また、茶道に関する図書を収蔵する今日庵文庫を併設する茶道資料館を訪れる。

百々御所とも呼ばれた門跡寺院。代々の内親王が住持となっている。光格天皇から賜った多数の人形や双六、投扇、貝覆などの遊戯具を所蔵。人形の寺ともいわれる。春と秋には、皇室から贈られた人形などの寺宝を公開する人形展を開催。境内には人形塚があり、10月14日は人形供養祭が行われる宝鏡寺(人形の寺)を訪れる。

室町中期、「なべかむり日親」といわれた日親上人が開いた日蓮宗の古刹。上人が将軍足利義教に正法によって政治をせよと迫ったため、義教の逆鱗にふれ、灼熱した鍋を頭にかぶせられるという拷問にあった。さらに投獄にも耐えた上人に帰依する者は多く、本阿弥家の菩提寺ともなった。本堂、仁王門、開山堂、多宝塔などの堂宇は天明の大火後、1797年(寛政9)に再建。書院前の巴形の島を配した三巴[みつどもえ]の庭(名勝)は、本阿弥光悦作の桃山時代風の豪放な庭園だ。長谷川等伯作の仏涅槃図(重要文化財)も所蔵の本法寺を訪れる。

1294年(永仁2)に創建された本門法華宗の大本山。天明の大火で焼け残った鐘楼は数少ない本格的袴腰型鐘楼で、江戸時代を代表する建造物だ。松尾一切経や長谷川等伯一派の襖絵(重要文化財)、本阿弥光悦の書など多くの文化財を所蔵。「十六羅漢の庭」と呼ばれる石庭もある。毎月12日にはフリーマーケット「楽市楽座」が開かれ、人々で賑わう妙蓮寺を訪れる。

1914年(大正3)に建てられたモダンなレンガ造りで、元は西陣織物館だった建物。玄関に向かって右側に、「西陣」と書かれた大きな石碑が立っている。現在は市内から発掘された原始から近世にいたる出土品1000点余を、時代別コーナーに分けてわかりやすく展示している京都市考古資料館を訪れる。

鞍馬山で修行した牛若丸(源義経)が、奥州平泉へ旅立つにあたり道中の安全を祈願したという伝説が残る。金売吉次の屋敷の神社ともいい、もとは内野八幡宮という名であったが、このとき以来首途八幡宮と呼ばれるようになったという。首途とは出発という意味。出発を祝う神社として旅行安全のお守りを授与している首途八幡宮を訪れる。

室町時代に日真上人が開いた法華宗真門流の本山。広い境内に本堂、祖師堂、方丈、鐘楼などの伽藍と、8つの塔頭がある。西陣が一夜にして灰燼に帰した西陣焼けや天明の大火にも本堂が焼け残ったので、不焼寺という異名もある。本堂には鬼子母神が祭られていて、安産祈願に訪れる人が多い。葉を枕の下に敷くと子供の夜泣きが止むという「夜泣止めの松」も有名。寺のある紋屋町には、西陣らしい雰囲気が残っている本隆寺を訪れる。

本堂に本尊の大聖歓喜天を安置しているところから西陣聖天とも呼ばれる。境内には本堂、観音堂、大師堂、不動堂、稲荷堂、庚申堂が並び、その間をさまざまな茶花や樹木が彩る。観音堂に安置されているのは、藤原期の作と伝わる千手観音立像(重要文化財)。東門隅には染物がよく染まるという染殿ノ井がある。4月中旬に咲く御衣光という桜は、花びらが緑の珍しいもの雨宝院を訪れる。

参道に高さ1mの釘抜がある。心身の苦しみを抜いてくれる苦抜地蔵がなまって、釘抜地蔵と呼ばれるようになったという。苦しみがなくなると2本の釘と釘抜きを絵馬に張り付け奉納する。地蔵堂の四方は絵馬でいっぱい。安置されている釘抜地蔵菩薩は、弘法大師が自ら石に刻んだと伝えられる釘抜地蔵を訪れる。

本尊は閻魔法王。3m近くある巨像で、左右に検事役の司命と、記録係の司録を従える。5月1〜4日のえんま堂狂言は、壬生寺・嵯峨釈迦堂とともに京都の三大念仏狂言。この寺の狂言は他のもののように無言ではなく、台詞が入る。境内にはゑんま堂普賢象桜といわれる桜の名木、石造十重の紫式部供養塔(重要文化財)などがある。京のお盆の行事、「お精霊迎え」の寺としても知られる引接寺(千本ゑんま堂)を訪れる。

北野天満宮の東が京都最古の花街上七軒。上七軒歌舞練場の日本庭園では夏にビアガーデンが開かれ、西陣の旦那衆の遊興地として発展してきた花街の風情を手軽に味わえる上七軒を訪れる。

足利将軍家の継承問題を巡り、1467年(応仁元)に起こった応仁の乱。堀川より東に本陣を構えた細川勝元の東軍に対し、西軍は山名宗全の屋敷付近に本陣を置いた。これが西陣という地名の始まりとなった。機業の発展とともに範囲が広がり、現在の西陣は、およそ東は堀川通、西は西大路通、南は丸太町通、北は北大路通のほぼ3km四方の広い地域。個性的な建物も増えてきたが、糸屋町と呼ばれた大宮通や今出川通から北の紋屋町、南の笹屋町通は往時の面影を残している西陣を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の近場の名所巡り、文化遺産の宝庫、京都に足を運び、京都の中心にある洛中の寺社巡りして来ました。比較的マイナーな寺社をえらび訪れましたが、さすが京都、マイナーでもりっぱな寺社がほとんどでした。