京都府洛西観光
2011年3月30日


世界遺産、歴史的建造物の宝庫、京都に足を運び、山間に名刹が点在し、桜や紅葉などが見事な洛西に足を運びました。

12:30車で第二京阪阪神京都線自動車道経由して上鳥羽インター下車
13:30洛西到達

京都御室仁和寺前から京北町周山へ続く道。昔、「畑の姥」と呼ばれた梅ケ畑の女性は、梯子や鞍掛けなどを頭上に載せ、この街道から市中に入り、品物を売り歩いた。街道沿いには紅葉がすばらしい高雄、槇尾、栂尾の三尾があり、さらに進むと道は北山杉の美林の間を抜け、山里の風景を満喫できる。また、北山杉の里と呼ばれる中川集落では、北山磨丸太を立て干しした光景も見ることができる。さらに北へ、笠峠を越えると木と清流の里京北町。中心部の周山にはウッディー京北などのスポットがあり、桜で名高い常照皇寺などの歴史遺産も点在する周山街道を訪れる。

清滝川に面して立つ、水墨画家・田中應吉のギャラリー、ギャラリー墨を訪れる。

北山杉は京都市北区中川を中心に植林されており、磨き丸太は茶室などの床柱に用いられている。その北山杉独特の絞りと、美しい木肌が作られる過程のパネル、各種丸太材や加工品の実物などが展示されている。実際に手で触れて、香をかいでみることができる。敷地内に川端康成の『古都』の文学碑も立っている北山杉資料館を訪れる。

賀茂川の水源の山中にひっそりと立つ修験の道場。不動明王を祭ることから岩屋不動とも呼ばれるが、正式には「岩屋山金光峯寺志明院」という。修験道の開祖・役行者が開山、勅願所として空海が創建したと伝わる。巨木が天を覆う山内には、飛竜ノ滝や護摩洞窟など多くの行場があり、歌舞伎十八番「鳴神」の地として、また天然記念物のしゃくなげ林など有名な志明院を訪れる。

京都人に「あたごさん」の名で親しまれている。老杉に囲まれた愛宕山の山頂にあり、僧泰澄と役小角によって大宝年間(701〜704年)に神廟が開かれたのが始まりと伝わる。祭神の伊邪那美命の子、迦倶槌命[かぐつちのみこと]が火の神なので、防火鎮火の神として尊ばれている愛宕神社のある愛宕山を望む。

本尊は千手観音。平安時代から厄除けの観音様として厚く信仰されている。春はシャガ、秋は紅葉の羅漢寺として親しまれているこの寺には、境内に1200鉢もの表情豊かな石造の羅漢さんが並び、訪れる人々の心を和ませてくれる。嵯峨野めぐりにはここを出発点とする「嵯峨野散策モドルコース」がおすすめ。「清滝行き」の京都バスに乗れば、嵐山周辺からの上り坂も楽々。後の見所は全て下り坂コースになるので帰り道も安心。ここが嵯峨野めぐりの始発点の愛宕念仏寺を訪れる。

清滝川渓谷は紅葉の名所として知られ、清滝を起点に高雄までは錦雲渓、下流の落合までは金鈴峡と呼ばれている。整備された川沿いの道は東海自然歩道に指定され、ハイキングコースとして親しまれている。約1.5km、紅葉のほかに桜や藤、新緑などが楽しめる金鈴峡を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

何回も訪れたことのある京都府洛西エリア、今回は比較的マイナーな名所をめぐりました。
派手さのある寺社が数多く京都に点在していますが、いままでにない地味な寺社を選んでめぐり歴史学習できました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十七弾:山口県長門・萩&秋吉台観光
2011年3月26ー27日


本州の最西端山口県に足を運び、日本海に面した港町でダイナミッックな景観が楽しめる青海島がある長門、毛利輝元が築いた城下町を中心に、情緒豊かな町並みが残る萩、山口の北西部に広がるカルスト台地とその地下に広がる鍾乳洞で自然の神秘に触れることができる秋吉台を訪れました。

26日13:18新大阪新幹線のぞみで出発
15:15新山口でこだまに乗り換え
15:47新下関到達、レンタカーで観光

関の綾羅木郷遺跡で発掘された土器などが多数展示されており、郷土の歴史を楽しく学ぶことができる。屋外に竪穴式住居の復元する下関市立考古博物館を見学。

18:00下関駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

27日6:00レンタカーで出発、長門方面に向かう。

日本海に浮かぶ山口県西端の島。周囲約17km。海岸線の美しさはすばらしく、海岸は磯釣りのメッカ。古くから牧畜が盛んで、牛がのんびり草を食む放牧風景も見ることができる。西側の夢ケ崎には、1876年(明治9)に英国人技師R.H.ブラントンの設計で立てられた御影石製の角島灯台と角島灯台記念館が立つ角島を訪れる。

島の西端に位置する公園。園内には明治初期に建てられた灯台や記念館、休憩所などがある。1876年(明治9)、初点灯した洋館造りの灯台は高さ29.6m。らせん階段を上って踊り場まで行くと響灘が一望だ。朝日や夕日を背景に立つ美しいシルエットは一見の価値がある。職員の宿舎だった退息所を利用した灯台記念館では、角島の歴史や日本各地にある灯台を紹介。灯台長の部屋などが復元されている角島灯台公園を訪れる。

標高333mの高台に広がる草原。眼下に紺碧の日本海を見下ろし、晴れた日には萩の島々まで一望できる。周辺には風力発電の風車も見られる千畳敷を訪れる。

金子みすゞの実家跡に「金子文英堂」を再現し、当時のみすゞの生活をうかがうことができる。本館では、みすゞの作品と生涯を中心に展示し、みすゞの世界の魅力を分かりやすく紹介している金子みすゞ記念館を訪れる。

青海大橋で仙崎とつながる、周囲約40kmの島。島全体が天然記念物に指定され、特に北側の海岸は日本海の荒波に浸食された海食洞窟や断崖、奇岩が多く見られ、「海上アルプス」の別名もある。南西部に位置する青海湖は周囲4km、日本海と幅20〜30mの砂州で隔てられた、山口県最大の湖だ。砂州には松林が広がり、波の橋立てとよばれている青海島を訪れる。

青海島観光汽船一周コースの見どころのひとつ。海上に屹立する大小の岩が16人の羅漢のように見える、北海岸屈指のビューポイント十六羅漢[青海島]を訪れる。

くじら資料館裏手の清月庵境内にある、鯨の胎児を葬った墓。1692年(元禄5)、通浦鯨組の漁師たちによって建てられた。通の漁師たちにとって鯨漁は生死を賭けた戦いだったため、鯨に対する思いは真摯で、海を見ずに逝った胎児の鯨は丁重に供養されたという。近くの向岸寺には、捕殺された鯨の戒名を記した「鯨位牌」や「過去帳」がある。くじら資料館には古式捕鯨用具(重要有形民俗文化財)をはじめ、新旧捕鯨船や捕鯨の歴史資料を展示する鯨墓を訪れる。

青海島の通で江戸初期から明治時代まで、盛んに行われた古式捕鯨の歴史を紹介する資料館。鯨の標本や捕鯨船の模型のほか、実際に漁に使われていた縄や銛などが展示され、勇壮な漁の様子を知ることができる長門市通くじら資料館を見学。

湯本温泉方面に向かう。
1410年(応永17)、大内氏の支族の鷲頭弘忠が創建したと伝わる曹洞宗の古刹で、西の学府として栄えた。しかし1551年(天文20)、陶晴賢の謀反にあって山口を追われた大内氏31代義隆がここで自刄し、堂宇を焼失。現在の建物は毛利元就が再建したもので、広い境内に本堂、開山堂、観音堂などが立つ。境内を流れる大寧寺川に架かる盤石橋は、2枚の石盤を大小の石で支えた橋で防長三奇橋のひとつ。本堂裏手の山の中腹には、大内義隆主従の墓がある大寧寺を訪れる。

萩方面に向かう。

笠山の北端、虎ケ崎周辺約10万平方mの範囲には、60余種約2万5000本の椿群生林が広がっている。笠山の椿は一つの切株から乱立する幹が特徴的。江戸時代に城からみて鬼門にあたるため、この地の立入りが禁じられ、かえって手付かずの豊かな自然が残された。開花シーズンの2〜3月には、真紅の花が色鮮やかに咲き乱れ幻想的な光景に包まれる。毎年行われる椿まつりでは郷土芸能や特産市など多彩なイベントを楽しめる椿群生林を訪れる。

に生まれ、日展を舞台に作品を発表、枠にとらわれない芸術性の高い萩焼を作り続けた文化功労者・吉賀大眉の記念館。白萩釉の上に鉄釉をかけて焼き、美しい雲を描き出した陶壺『彩雲』や細口花瓶『雪峰映雲』などは必見。魯山人や金重陶陽など昭和の巨匠の作品、氏の古陶磁コレクションも見られる吉賀大眉記念館を訪れる。

1890年(明治23)に創建された、吉田松陰を祭る神社。はじめは松陰の兄の家に祭られていたが、1955年(昭和30)に現在地に移転。社殿が新たに造営された。学問の神として庶民の信仰が厚く、本殿の北隣には門下生を祭る松門神社が立つ。境内には松陰ゆかりの松下村塾などの史跡や展示館などが点在。毛利重就公が建てた茶室「花月楼」も立つ松陰神社を訪れる。

松陰神社境内にあり、吉田松陰の叔父、玉木文之進が開いた私塾。もともとは松陰の実家の物置だった建物で、和室2間に土間が付いただけの簡素なもの。松陰が指導にあたったのは、謹慎していた1856年(安政3)から通算2年半だが久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文など、明治維新の原動力となった逸材を多く輩出した松下村塾[松陰神社]を訪れる。

松陰神社にあり、松陰の生涯を誕生から安政の大獄での刑死まで、20のシーンに分けてロウ人形で紹介している吉田松陰歴史館[松陰神社]を訪れる。

わが国の初代総理大臣・伊藤博文が、14歳の時に山口県東部の光市から移り住んだ家(史跡)。博文は約13年間をこの家で過ごし、17歳の時、松下村塾に通って吉田松陰の教えを受けた。建物内には入れないが勉強部屋が見られ、庭には母に叱られて立たされたという出世石が残る。隣接地には伊藤が東京郊外に建てた別邸が移築・公開されている伊藤博文旧宅・別邸を訪れる。

1691年(元禄4)、3代藩主・毛利吉就が創建した黄檗宗の寺。毛利家の菩提寺のひとつで大照院に偶数代の藩主が葬られているのに対し、ここには3代から11代までの奇数代藩主とその夫人が葬られている。墓前には大照院同様、藩士が寄進した500余基の石灯籠が老杉・檜に囲まれて立つ。境内には中国風の建物が並び、1693年(元禄6)ころの建築と伝わるベンガラ塗の総門や純唐様の三門、4代藩主・吉広が寄進した梵鐘がかかる鐘楼、本殿である大雄宝殿など重要文化財に指定された建物が多数。伽藍配置は中国の明時代末期〜清時代の様式で、龍の形を表したものと伝えられている東光寺を訪れる。

1925年(大正14)に建てられた洋館建築の旧萩駅舎を改装した資料館。今では珍しいドーマー(屋根窓)も復元された。旧待合室では萩の自然や歴史、観光名所などをビデオなどで紹介。旧事務室では、萩出身でわが国に初めて鉄道を敷いた井上勝をパネルで紹介し、鉄道関係の資料を展示している萩市自然と歴史の展示館を見学。

萩駅の西にある毛利家の菩提寺。萩藩初代藩主毛利秀就と、2〜12代の偶数代藩主を祭る。藩主夫妻の墓前には、重臣らが献上した603基の石灯籠が整然と並び、荘厳な雰囲気。書院には鎌倉末期に作られた檜の寄木造、玉眼に水晶入りの赤童子立像(重要文化財)が安置され、庭園から拝観できる大照院を訪れる。

永代家老に次ぐ寄組という役職にあった口羽家の屋敷で、旧三の丸の、橋本川と常盤島を望む一等地に立つ。毛利家江戸藩邸の門を移したという表門(重要文化財)は桁行22.2m、梁間4.9mのなまこ壁が美しい長屋門で、萩に現存する屋敷門の中で最大のもの。両脇部分には馬小屋や門番所などがある。主屋(重要文化財)は桟瓦葺き屋根の平屋で、座敷と奥座敷の間に武者隠しと見られる2畳の「相の間」が設けられているのが特徴の口羽家住宅を訪れる。

敵の侵入に備えて道を鍵の手にし、両側を高い塀で囲んだ平安古の鍵曲。堀内地区の鍵曲と並んで、重要伝統的建造物群保存地区に指定。現在も武家屋敷や長屋門などが残り、当時の面影をよく伝えている。橋本川沿いのこのエリアも夏ミカンの木が多く、土塀の上から顔を除かせる黄色い実が古い町並みによく似合う平安古の鍵曲を訪れる。

厚狭(現山陽町)に領地を持っていた厚狭毛利氏の屋敷の一部で、1856年(安政3)に建てられた入母屋造本瓦葺きの長屋。梁間5m、桁行51.5mの長大な建物は、萩に残る最大の長屋で、当時の武家屋敷の姿をよく伝える遺構として重要文化財に指定されている。室内は座敷や中間部屋が横一直線上にいくつも連なり壮観。内部には、毛利家の姫が使った駕籠や道具類などを展示している旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を訪れる。

指月公園内にあり、標高143m、すっきりとした円錐型をした山。うっそうと茂る樹林は、藩時代に城内林として保護されていたため巨木が多く、幹回り5mを越すクスノキや樹齢600年以上の古木が見られ、天然記念物に指定されている。萩城詰丸の石垣や矢倉跡が残る山頂へは、志都岐山神社から20分ほど。晩秋は自生北限地とされるサザンカが美しい指月山[萩城跡指月公園]を訪れる。

関ケ原の戦いで敗れた毛利輝元が築いた城。中洲上にあるため工事は難行し、1604年(慶長9)から4年の歳月をかけて完成した。指月山麓の平城[ひらじろ]と山頂の山城を併せた平山城で、本丸には5層の天守閣があったが、1874年(明治7)にすべての建物を解体。現在は石垣と堀のみが残されている。石垣は自然石を使った野面積みで、戦時には素早く駆け上がれるように、城内側が階段状になっているのが特徴。旧本丸エリアは指月公園として整備されており、春は600本余の桜の名所として知られている萩城跡指月公園を訪れる。

周布家は萩藩の大組で、1530石取りの上級武士。旧三の丸北の総門筋に立つ長屋門は桁行21m、梁間4mという大きなもの。石積みの上に下見板張り、白漆喰、本瓦葺きのがっしりとした建物が立ち、出窓の飾り金具や懸魚などの意匠も格調高い旧周布家長屋門を訪れる。

菊屋家は毛利輝元に従って山口から移ってきた藩の御用商人で、大年寄格でもあった家。江戸初期に建てられたという主屋は広い座敷をもち、幕府からの使者が泊まる本陣として使われた。5470平方mという広い敷地内にはなまこ壁の蔵が立ち並び、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場などが国の重要文化財に指定されている。各部屋には藩主からの拝領品や古書、民具、衣装など約500点を展示。家の西側のなまこ壁が美しい小路は、菊屋横丁とよばれている菊屋家住宅を訪れる。

江戸屋横町にある、木戸孝允(桂小五郎)の生家。当時としては珍しい木造2階建て桟瓦葺きで、12室もの部屋があり、父が藩医を務めていたために患者用と来客用の2つの玄関がある。孝允は1833年(天保4)に誕生し、約20年間をここで過ごした。誕生の間や勉強部屋などがあり、勉強部屋では後年、名筆家として知られた孝允の少年時代の習字も見られる木戸孝允旧宅を訪れる。

幕末の当時、日本屈指の蘭学医であった青木周弼は、13代藩主・毛利敬親[もうりたかちか]に召し出され、敬親の侍医を務めた人物。周弼宅には、全国から教えを乞う門下生が続々と集まったため、1859年(安政6)にこの家が新築された。主屋は来客用と内向きに分かれ、北側の6畳間が周弼の居間として使われていた青木周弼旧宅を訪れる。

もとは大内氏の祈願寺として山口にあったが、毛利氏とともに萩に移った古寺。山口市には現在も円政寺町という地名が残る。境内には十二支の彫刻が施された珍しい形式の金毘羅社があり、神仏混合の名残が見られる。伊藤博文や高杉晋作などが遊び、学んだ場所でもあり、幼い晋作が肝だめしをしたという大きな天狗の面や、遊んだ木馬(神馬)などが残る。県下最大の石灯篭もみどころの円政寺を訪れる。

熊谷家は萩藩7代藩主・毛利重就に所帯方御用達に抜擢されて以来、問屋・金融・仲買などを業として栄えた豪商。1768年(明和5)に建てられた主屋と離れ、本蔵、宝蔵が重要文化財に指定されている。初代坂高麗左衛門の茶碗や雪舟の掛軸、円山応挙の屏風など貴重な美術工芸品や古地図など約3000点を所蔵。蔵を改装した展示室で約100点を常時展示している。4代主人が親交を結んだ、ドイツ医師シーボルトから贈られた日本最古のピアノも見られる熊谷美術館を訪れる。

秋吉台方面に向かう。

壇之浦の戦いで敗れた、平景清が隠れていたという伝説が伝わる鍾乳洞。総延長約1.5kmの水平洞窟で、入口から約700mは、車椅子でも利用できる平坦な観光コース。さらに先には闇の中をヘルメット着用で歩く、400mの探険コースがある。洞内は水平天井、かすり天井などの鍾乳石が見事。化石の宝庫ともいわれる景清洞を訪れる。

秋吉台の自然を地質や地形から学ぶ「台麓」、鍾乳洞を解説した「洞内」、カルスト台地の成り立ちを学ぶ「台上」と3つのフィールドに分けて解説している自然館。大型映像ルームでは秋吉台の四季を美しい映像で楽しめる秋吉台エコ・ミュージアムを訪れる。

縦横に洞窟が発達した、5層からなる立体的な構造の鍾乳洞。見学できるのは約800m。上層の方が鍾乳石が発達し、各層は上から高天原(2層)・極楽・地獄・奈落と名付けられている。みどころは獅子岩や雪中の松などの大正洞を訪れる。

日本最大のカルスト台地。4502haが国定公園に指定され、そのうち1384haが特別天然記念物の指定を受けている。広大な草原には白い岩肌を見せる石灰岩の石柱群「カレンフェルト」や、雨水に侵食されて擂り鉢状になった窪地「ドリーネ」、「ドリーネ」が連合した「ウバーレ」、地下に雨水を吸い込む井戸状の深い穴「ポノール」などが点在。特に大小さまざまな石灰岩柱が数多く見られる地獄台や、原生林が茂る長者ケ森では、典型的なカルストの風景が広がる秋吉台を訪れる。

秋吉台の生い立ちや洞窟の形成など、自然の資料を展示している博物館。秋吉台が太古、珊瑚礁であり、石灰岩の中から発掘されたサンゴやフズリナ、ウミユリなどの化石が見られる秋吉台科学博物館を訪れる。

秋吉台バス停近くにある、円形2階建ての展望台。2階からは360度カルスト台地のパノラマが堪能でき、望遠鏡(有料)で迫力のある眺めが楽しめる秋吉台カルスト展望台[秋吉台]を訪れる。

秋吉台の地下約100mにある、わが国最大級の鍾乳洞。約3億5千万年前〜2億2千万年前に誕生したサンゴ礁が地殻変動によって陸地化。地下で石灰化したサンゴ礁が、長い間に地下水などに溶け洞窟となった。総延長は約10km。洞内では6種類のコウモリ、アキヨシミズムシなどの固有種や珍しい生物が見られる。公開されているのは約1km。正面口、黒谷口と秋吉台展望台から約300mのエレベーター口からも入洞できる秋芳洞を訪れる。

カルスト台地にしみ込んだ水が湧き出す池。環境省の「日本名水百選」に選定。水深が最深部で4m、面積310平方mの小さな池に、澄みきった水がこんとんと湧き出ている別府弁天池を訪れる。

17:30新下関に向かう。
18:30新下関到達
18:46新下関新幹線こだまで出発、広島でみずほに乗り換え
21:43新大阪到達

今回の旅行、本州最西端山口県に足を運び、日本海沿いの湯本温泉をはじめ、かまぼこで有名な仙崎地区や迫力のある海上アルプス楽しめる青海島などがある長門エリア、藩政時代の面影が随所に漂う城下町、吉田松陰など明治維新の原動力となった人物が生まれ育った町萩エリア、山口の北西部に広がるカルスト台地とその地下に広がる鍾乳洞で自然の神秘に触れることができる秋吉台エリアをドライブ観光して堪能しました。

観光名所が多い山口県、日本海側の自然と歴史的建造物に触れ、内陸の秋吉台では神秘的な大自然に触れ、今回でほぼ山口県を制覇しました。

東日本の大震災の影響で関東からの観光客も多く、結構、賑わっていました山口県長門・萩・秋吉台観光でした。




















和歌山県有田&日高観光
2011年3月23日


海や山に湧く温泉、静かに信仰の歴史を語る世界遺産、紺碧の海の風景など魅力いっぱいの和歌山県に足を運び、有田川、日高川周囲に点在する歴史的遺産、自然など見所が多い有田、日高エリアを訪れました。

12:30車で阪神近畿阪和自動車道経由して下津インター下車
13:40有田到達。

1214年(建保2)に栄西禅師によって創建されたと伝えられる寺。一重裳階付きの釈迦堂(本堂)(国宝)は、鎌倉末期の唐様仏殿建築。七堂伽藍の大寺院だったが、この釈迦堂のみ現存の善福院釈迦堂を訪れる。

戦国時代に栽培が始まった有田ミカン400年の歴史をビデオや模型を使って紹介するほか、世界中の柑橘類に関する資料や文献、古文書などを展示。柑橘類の栽培方法も紹介されているみかん資料館を見学。

日高方面に向かう。

2億5千万年以上前のペルム紀の石灰洞穴。総延長がわずか100mの小さな鍾乳洞だが、この年代の鍾乳石は学術的にも貴重。洞内は石柱の間、影観音の間、玉石の間、平静の間、蟹の横洞、針天井の間の6区画からなり、なかでも針天井の間にある「天のカーテン」は最大のみどころ。屈んだり、横歩きで通ったりと小さいながら探検気分が味わえる戸津井鍾乳洞を訪れる。

日高川河口から日の岬へ向かって弓なりに伸びる砂浜で、全長約4.6km、幅は最も広い所で約500mもの松林が続いている。これは初代紀州藩主徳川頼宣が塩害を防ぐために植えさせたもので、伐採が禁じられていたため、現在も当時の姿をとどめている。また、この松林を通して海を見ると波頭が煙って見えることから、煙樹ケ浜の名が付いたといわれている煙樹ケ浜を訪れる。

1540年(天文9)、吉原(現美浜町)に湯川直光が建立した浄土真宗本願寺派の寺。豊臣秀吉の紀州攻めの際に焼失し、1595年(文禄4)、現在地に移転。以来「御坊さん」と呼ばれ、御坊市の名の起こりとなった。1825年(文政8)に現在の本堂が再建。1877年(明治10)、別院の称号を得た。境内には、樹齢410年のイチョウの巨木(県天然記念物)がそびえる本願寺日高別院(日高御坊)を訪れる。

ハマボウはアオイ科の落葉低木で、暖地の海辺に生息する植物。1979年(昭和54)には市の木に、1994年に市の花木に指定された。特に日高川河口・北塩屋の国道42号沿いには、全国でも五指に入る規模の大きな群生地があり、6月下旬〜7月中旬には鮮やかな黄色い花が咲くハマボウ群生地を訪れる。

現在は燃料以外にも様々な使い方がされている木炭。平安時代は紀南地方で生産される炭が熊野木炭とよばれ、良質堅炭として珍重された。さらに、江戸時代に備中屋長左衛門という炭問屋が普及に努めたことから備長炭の名がついた。現在、みなべ町は年間約3万3千俵を生産。高純度の炭素、火持ちのよさ、独特の火力を誇る備長炭は、ウバメカシやアラカシの原木を、熟練した職人が勘を頼りに、約1週間かけて焼き上げる。備長炭の歴史や製造法、使用法の展示・紹介のほか、窯の無料公開もしている紀州備長炭振興館を訪れる。

南部梅林正面からすぐの所にある南高梅の販売店。おすすめはダイヤモンド梅、こんぶ梅、塩分4.8%の低塩よろこんぶなど。2Fぷらむ庵はカフェギャラリーになっており、ゆっくりとくつろげる。予約すれば工場での梅製品の製造過程も見学できるぷらむ工房を訪れる。

17:30終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、近場の紀州和歌山県に足を運び、有田川、日高川周辺の歴史的建造物、自然に触れ楽しめました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十六弾:鹿児島県甑島観光
2011年3月19ー21日


日本本土最南端、総面積は9,187平方キロメートルで、薩摩半島、大隅半島の二つの半島と多くの離島を有し、南北およそ600キロメートルに及ぶ温暖で広大な県土の中に、桜島などの火山や、屋久島をはじめとする特色ある島々、個性ある歴史・文化に加え、豊富な温泉など、多彩な観光資源に恵まれた日本でも有数の観光県、鹿児島に足を運び、東シナ海に位置し、鹿児島県薩摩川内市に属する列島、北東から南西に連なる上甑島・中甑島・下甑島の主な3島と、付属するいくつかの島から構成される甑島を訪れました。

19日13:59新大阪新幹線さくらで出発
18:01川内駅到達
18:31川内駅鹿児島本線で出発
18:45串木野駅到達、駅前のホテル到着後繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。
20日7:15タクシーで串木野港に向かう。
8:10串木野港高速艇で出発
9:00甑島里港到達、レンタカーで上甑島巡る。

里港の目の前にあり、船の帆をイメージした半円柱型の客室棟は全室オーシャンビューとなっており、天然温泉の大浴場でリフレッシュした後は、甑島の新鮮な魚介類を使った料理をご堪能できる甑島館を訪れる。

小高い丘の上に残され、承久の変で戦功のあった鎌倉方の武将小川太郎季能の子季直が地頭とし築城したと言われています。南方の丘には甑隼人の城であったという鶴城跡があり、
両者合わせて[鶴亀城]と呼ばれています亀城跡を訪れる。

江戸時代の郷士たちが住んでいた武家屋敷のあったところです。数百メートルに渡り丹念に積まれた玉石垣は保存もよく、訪れる者をいにしえの世界へといざないます武家屋敷跡を訪れる。

藩政時代には薩摩藩において真宗の信仰が厳禁されていました。天保か文久の時代にかけて大弾圧を受けた際に、里村の信徒たちが仏像や経文をここに隠し、隠れ念仏の場所として難を逃れたと言われています
隠山を訪れる

きめ細かい砂と澄んだ遠浅の海が広がる里町北端のビーチ。野島や筒島など大小の島々を望む素晴らしい風光の中で海水浴やマリンスポーツを楽しめる
市の浦海岸を訪れる

海底や沿岸流によって運ばれた砂や石が、波の作用によって水面に現れたもので、一般に堆積した場合は、細長く、高さは低くなります。里村のトンボロ地形の全長は、南北に約1500mで、最大幅1000m、最小幅250m、高さ2.3mの陸繋砂州(トンボロ)を眺望する。

長目の浜湖沼郡、浜堤は里村地域内の湾曲に富む海岸線の一部を形成しています。海との境が比較的小粒な礫であるため海水が通りにくく、殆ど淡水でウナギやボラなどを産する池とされています須口池を訪れる。

長目の浜湖沼郡、浜堤は里村地域内の湾曲に富む海岸線の一部を形成しています鍬崎池を訪れる

なまこ池と接している貝池は、面積0.16・、周囲2.6km、最大水深12mです。この池には30億年前に出現したバクテリア「クロマチウム」が生息し、幾重にも層を造り、世界でもバルト海沿岸と貝池だけと言われ学術的にも貴重な湖となっています貝池を訪れる 。

甑島最大の湖で面積0.56・、最大水深22.6mの半淡水湖です。これは浜堤を通し海水の出入りがあるためで、海水面と湖水面は時間差が生じ干満を繰り返し、いつも高低差がありますなまこ池を訪れる。

左から「鍬崎池」、「貝池」、「なまこ池」「はまゆう」で仕切られた海岸線を境に右側は、東シナ海の大海原を
長目の浜展望所からの眺望する。

シャワーや更衣室を備えた海水浴場はもちろんのこと、釣り桟橋までの釣り、海上遊歩道、テニスコート、パターゴルフなどが楽しめる多目的広場、また、キャンプ場、バンガローなどの施設も整っています。
キャンプ場は、テントサイトもありテントの持込も可能。また、甑島周辺の海は魚の宝庫。釣り桟橋では、大海原を目前に本格的な釣りが楽しめます上甑県民自然レクレーション村を訪れる。

中甑島方面に向かう。

上甑島と中甑島の間に架かる全長420mの橋です。架橋地点の
ヘタの串には、甑(せいろ)の形に似た大岩をご神体とする「甑大明神」が祭られており「甑島」地名の発祥地と言われています甑大明神橋を通過する

アーチ構造の橋の美しさだけじゃなく、外洋にマッチし、その橋の両側に広がる海は素晴らしいの一言の
鹿の子大橋を通過する

中甑島のほぼ中心に位置し、甑島全島、東シナ海の大海原によって形造られた奇岩や断崖は、雄大な景観が心を魅了します帽子山展望台を訪れる。

里港に戻る。
12:40フェリーで里港出発
14:35下甑島長浜港到達、レンタカーで観光

手打方面に向かう。

瀬尾川上流にある緑に囲まれた美しい滝で、滝壺までの高さが55mあり三段になって落ちています。周辺は観音三滝公園として休憩所、展望所、 花の広場などが整備され、村人の憩いの場として愛されています観音三滝公園を訪れる。

下甑を代表する海岸の一つで、約2kmに渡る美しいビーチで海水浴が楽しめます。6月には、ウミガメも産卵の為に上陸します
手打海岸(海水浴場)を訪れる

玉石を積んで作られた石垣が、当時の面影をそのまま語ってくれます武家屋敷跡を散策する。

歌手:森 進一さんの歌「おふくろさん」を記念して建てられた歌碑です。甑島は、おかあさんの古里です「おふくろさん」歌碑を訪れる。


手打港に近いところにあり、江戸時代の公儀支配において 船舶の出入り監視や取り締まりのため、手打津口(港)に配置された番所を再現した建物の津口番所跡を訪れる。

藩政時代には信教の自由が認められず、寛永5年(1638年)頃キリスト教信者が捕らえられ、この地で処刑されたといいます。美しい海を見下ろす釣掛崎には、信仰のため命を捧げた人々が眠っているキリシタン殉教地記念碑を訪れる。

17:00ウミガメが来ることにちなんで、浦島太郎の昔話に出てくる竜宮城のように夢のある村作りを目指そうと言う計画の一端として建築された施設で、入り口付近には浦島太郎の像があります竜宮の郷に到着宿泊。

21日7:30レンタカーで出発。

片野浦方面に向かう。

西海岸の造形美あふれる片野浦地区にあり、東シナ海に沈む夕日の景観は見る者を圧倒する美しさがあります
片野浦海岸(キャンプ場)を訪れる

瀬々野浦方面に向かう。

「往診の 道すがら見し しんきろう」の句が刻まれた歌碑のある丘です。これは下甑村青瀬の医師(故)平田 清氏が「往診の道すがら、しんきろうを見たことを 詠んだものです。」ここに立つと、はるか異郷のエキゾチックな情景が見えてきそうですしんきろうの丘を訪れる。

東シナ海を正面に左に鷹ノ巣、右にナポレオン岩と屈指の景観が魅力です。釣り人が愛してやまない場所となっています瀬々野浦を訪れる

瀬々野浦断崖の豪快に切り立った海食崖の中に、突然海上に突き出る高さ127mの大岩です。横から見ると人の顔に見えるのが、由来のようです
チュウ瀬(ナポレオン岩)を眺望する

瀬々野浦にあり、町並みはもちろんのこと、ナポレオン岩や鷹の巣などの奇岩を一望できる前の平展望所を訪れる。

鹿島方面に向かう。

島西岸のダイナミックな海岸線が展望できます。鹿島の山並みや中甑島、海を隔てた薩摩半島がはるか彼方に望め、心も解放されそうな八尻展望台を訪れる。

鹿島の町と鹿島断崖が一望にできる展望台。イスに腰掛けて鹿島港に入港する  フェリーを見下ろすと、まるで甑島を渡る鳥になったようなそんな錯覚さえします。甑の表と裏が見渡せる気持ちのいい藺落展望台を訪れる。

波に洗われる岩山の男性的な景観が見る者を圧倒します。御物瀬、池屋崎、人形瀬、鶴穴など自然が作り出した奇岩、大岩が点在する豪壮な景観の中を群をなしてウミネコが飛ぶさまは幻想的でさえあります鹿島断崖を訪れる。

下甑島の北端に位置し、紺碧の海をはさんで向こう側に中甑島を眺望できる展望台です。この周辺は、鹿の子百合の自生地としても有名で、初夏には、甘い香りを漂わせる美しい鹿の子百合の群生が見られます烏の巣展望台を訪れる。

14:20長浜港到達
14:50長浜港フェリーで出発
16:40串木野港到達、送迎バスで串木野駅に向かう。
17:00串木野駅到達
17:46串木野駅鹿児島本線で出発
18:05川内駅到達
18:23川内駅新幹線さくらで出発
19:54博多駅到達
20:00博多駅新幹線のぞみで出発
22:35新大阪駅到達

今回の旅行、関西ではあまり知られていない鹿児島県の甑島に足を運びました。
上甑島、中甑島、下甑島の3つの島からなり、素朴な大自然が残っている島を二泊三日でドライブ観光楽しめました。

あまり宣伝も無く、観光客も少ない島ですが道は整備され、観光案内のプレートもしっかり確認でき、迷わず観光名所を訪れることが出来ました。


















三重県津エリア観光
2011年3月16日


東海と近畿の接点の地、伊勢湾と熊野灘に囲まれた三重県に足を運び、三重県の県庁所在地であり、江戸時代には藤堂藩32万石の城下町として、お伊勢参りの街道として栄え、西側の奥伊勢エリアの豊かな自然、悠久の歴史に恵まれた津を訪れました。

12:30車で第二京阪京滋名神新名神自動車道経由して
13:50津インター下車

津11代藩主の藤堂高猷が、御山荘とよばれる別荘を建てたところ。丘陵や谷、池など、自然の地形が生かされており、桜や紫ツツジの名所としても有名。季節には大勢の花見客が訪れる津偕楽公園を散策する。

日本初の五十音順国語辞典『和訓栞』を著した谷川士清の生家。「つし2階建て」の質素な邸宅は、1775年(安永4)に建築または改装されたと推測されている。国の史跡指定を受けている谷川士清旧宅を訪れる。

1580年(天正8)に織田信長の弟・信包によって築かれた津城は藤堂高虎の入城によって大改修が行われ、明治維新まで藤堂氏の居城となった。現在は堀や櫓などが残り、庭園も造られている津城跡を訪れる。

母の病を治そうと禁漁区の阿漕浦で漁をし、処刑された親孝行息子の平治。その霊を慰めるために築かれた塚、阿漕塚を訪れる。

南北朝時代の武将、結城宗広を祭る神社。2月中旬〜3月中旬に、境内にしだれ梅が咲き誇り、市の内外から多くの見物客が訪れる結城神社を訪れる。

伊勢平氏ゆかりの地。平清盛の父、忠盛が生まれた時に、その胞衣が埋められた場所といわれる。長谷山へのハイキングコースの中間地点に位置し、塚を中心に公園が広がる忠盛塚を訪れる。

津市の西端にあるなだらかな山。頂上までのハイキングコースは地元客に人気。道中にある長谷寺には、朝鮮出兵の際に藤堂高虎が戦利品として持ち帰ったといわれる7体の石仏が安置されている長谷山を訪れる。

パリのルーブル美術館に収蔵されている彫刻作品を現地で精密に復刻し、展示しているユニークな美術館。約2000平方mの館内には、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケなど有名作品3500点余りが並ぶ。わずかな傷まで復元されていて、まさに本物と見間違えるほど。大英博物館収蔵の作品もあり、複数の美術館を一度に回るような楽しさが味わえるルーブル彫刻美術館を訪れる。

松坂市の西、伊勢国司北畠氏の本拠地だった美杉地区にある、江戸時代前期に創建された神社。北畠氏の館があったところで、庭園にその名残をとどめている北畠神社を訪れる。

美杉地区西端、太郎生日神の日神仲善寺の西方にある墓地には、鎌倉時代に彫られた阿弥陀像や薬師如来像などの石造仏が混在。それらを総称する日神石仏群を訪れる。

17:30終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、近場の三重県に足を運び、三重県の県庁所在地であり、江戸時代には、藤堂藩32万石の宿場町として栄え、城下町でもある津、自然豊かな森林浴ゾーン、西側の奥伊勢エリアを訪れ、自然と歴史的建造物、史跡に触れ楽しめました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十五弾:大分県耶馬日田&くじゅう観光
2011年3月12ー13日


別府と湯布院で有名な大分県に足を運び、福沢諭吉が少年時代を過ごしたことでも有名な城下町中津、渓谷美が楽しめるスポット、耶馬溪、江戸時代に幕府の直轄地として栄えた町の日田、大吊橋や日本とは思えない雄大な山々の景色が楽しめる九州随一のドライブウエイやまなみハイウエイがいちするくじゅうを訪れました。

12日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:56小倉到達
16:09小倉ソニックで出発
16:42中津到達、レンタカーで観光

1587年(天正15)、黒田孝高によって建立。深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれる。豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたという。柱には当時の刀傷も残り、家臣たちの無念と悲しみが壁の血痕を何度も浮き出させたと伝えられている合元寺(赤壁寺)を訪れる。

1588年(天正16)に黒田孝高が築城、12年後細川忠興が完成させた。現在の城は、1964年(昭和39)に奥平家が再建したもの。五層の天守閣と二層の櫓からなり、中津のシンボルとして親しまれている。城内には歴代藩主甲冑衣装、刀剣、古文書など興味深い資料が展示されている中津城(扇城)を訪れる。

明治の偉人、福澤諭吉が1歳から19歳まで過ごした木造茅葺きの旧家(史跡)と、諭吉が勉学に励んだ庭の土蔵を公開。記念館内では、『学問ノスゝメ』の初版本や数多くの遺品を展示している福澤旧邸・福澤記念館を訪れる。

18:00中津駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

13日6:00レンタカーで出発、耶馬溪方面に向かう。

1764年(明和元年)僧禅海が30年余りをかけてノミと槌だけで掘ったといわれる隧道。その逸話は菊池寛の小説『恩讐の彼方に』のモデルとなった。全長は約342m、現在の洞門は当時からはかなり変化しているものの一部に明り窓や、ノミの跡が残っている。洞門の上の競秀峰からは、違った角度から見渡せる青の洞門を訪れる。

景勝地の多い本耶馬渓のなかでも、屈指の美しさを誇る岩峰。青の洞門上に堂々とそびえる様は見る者を圧倒する。大黒岩、恵比須岩、妙見岩など8つの岩峰が集まり、いかに秀でているか競いあっているように見えることからこの名が付いた。凝灰石の層が帯状に浮かび上がっていることから帯岩とも呼ばれている。山国川のほとりから見学するほか、山腹を巡る競秀峰探勝道からもその美しさを満喫できる競秀峰を訪れる。

大化元年(645年)に印度の僧、法道仙人が開山。羅漢山の中腹にある岩壁には無数の洞窟があり、山門も本堂もその中に埋め込まれたように立っている。洞窟には3700体以上の石仏や有名な五百羅漢も安置され、その光景は圧巻。絵馬の代わりにしゃもじに願い事を書いて奉納すると叶うといわれている羅漢寺を訪れる。

1987年(昭和62)、耶馬渓ダムの完成記念に造られた広さ約2万平方mの日本庭園。100種3万1000本以上の樹木に池、男滝・女滝、巨石などが見事な調和を見せる溪石園を訪れる。

山国川の支流・山移川を10kmほどさかのぼった位置にあり、若山、岩戸などの温泉地を擁する渓谷。本耶馬渓に比べ谷幅が狭く、両側に絶壁、石柱が連なっている。一目八景をはじめ紅葉谷、錦雲峡など見どころ満載の深耶馬溪を訪れる。

切り立った凝灰岩と広葉樹林から成る渓谷。一カ所から観音岩・夫婦山などの8つの岩峰を眺められることから、この名が付いた。秋は色鮮やかな紅葉が見事の一目八景[深耶馬溪]を訪れる。

守実温泉からさらに山国川上流の英彦山までの16kmに及ぶ渓谷。うっそうとした緑の中をくぐる魔林峡や猿飛千壺峡などの名勝が続く奥耶馬渓を訪れる。

英彦山源流にある、奇岩群と緑と清流が織り成す奥耶馬渓の名勝地。かつてこの上を野猿が飛び交ったことから、この名が付けられた。岩の隙間に入った石が水流で回転し、長い歳月をかけて岩に穴を開けた歐穴群があり、直径15cm、深さ10cmほどの小さな穴から直径約1m、深さ2mにもなる大きな穴が約2kmにわたって見られる猿飛千壺峡[奥耶馬渓]を訪れる。

日田に向かう。

神仏混清の形式をそのまま残している珍しい地蔵尊で、全国から訪れる多くの人から「高塚さん」の愛称でよばれ、所願成就にご利益があると親しまれている高塚愛宕地蔵尊を訪れる。

土蔵や格子窓など、江戸時代に天領だった頃の雰囲気が色濃く残る地。草野本家は、1688年(元禄元)から明治末まで製蝋業を営み、桝屋の屋号をもつ大分県最古の商家。年4回の祭り時期に公開され、毎年ひな祭りには当主が集めた178体もの人形を見ることができる。隣の天領日田資料館では、天領当時の日田の繁栄ぶりを偲ばせる品々を展示。横道を抜けると、広瀬淡窓の生家・廣瀬資料館があり、豪商広瀬家で使われていた生活用品や書画などを見ることができる豆田町界隈を散策する。

幕末の儒学者・広瀬淡窓が開いた私塾。彼の元から約4000人の門下生が全国に巣立ち、近代日本を動かした。晩年の淡窓が居住した茅葺き屋根の秋風庵などが見学できる咸宜園跡を訪れる。

戸時代、製蝋と掛屋で財をなした商家。なまこ壁が目を引く歴史ある建物で、178体のひな人形をはじめとした家宝を、雛祭りをはじめ年4回に分けて一般公開する草野本家を訪れる。

掛屋を営んでいた日田の豪商・廣瀬家は廣瀬淡窓の生家。掛屋とは幕府の公金を取り扱い、現在の日本銀行九州支店に相当するものという。天秤計りや各藩に貸し付けた証文、茶道具などを展示している廣瀬資料館を訪れる。

毎年7月20日過ぎの土・日に行われる日田祇園祭では、華やかに9基の山鉾が日田の街を巡行する。日田祇園山鉾会館では6基の山鉾を展示。10mの高さの平成山鉾は圧巻。背面を飾る見送りとよばれる垂れ幕は京都の画師が丹念に製作したものの日田祇園山鉾会館を訪れる。

くじゅうに向かう。

大分県別府市と熊本県の一の宮町宮地を結ぶ、全長約83kmの観光ドライブルート。正式名は県道11号別府・一の宮線。広大な草原が左右に広がる好景観のコースで、特に飯田高原から長者原までの直線風景は特筆すべきもの。随所に観光ポイントやドライブイン、ホテルなども点在する。行程中、一番高所にあるのが標高1330mの牧の戸峠のやまなみハイウェイを走行する。

九重連山の北側、標高1000m地帯に広がる高原。長者原は九重連山の登山口で、飯田高原の中心地。ミヤマキリシマ、新緑、紅葉、霧氷などの四季折々の景観が楽しめる飯田高原を訪れる。

15:30中津に向かう。
16:50中津到達
17:07中津駅ソニックで出発
17:12小倉到達
18:00小倉新幹線のぞみで出発
20:25新大阪駅到達。

今回の旅行、千葉県内房を訪れる予定でしたが、大地震のため急遽変更、安全な西の九州、別府、湯布院で有名な大分県に足を運び、福沢諭吉が少年時代を過ごしたことでも有名な城下町中津、奇岩が織り成す造形美に出会える景勝地、一目八景で有名な深耶馬溪、競秀峰がある本耶馬渓、そして奥耶馬渓までの絶境耶馬渓、天領時代の魅力に触れる土蔵やなまこ壁など蔵造の町並みが残り、多数の点在する文化財の日田、大吊橋や日本とは思えない雄大な山々の景色が楽しめる九州随一のドライブウエイやまなみハイウエイがいちするくじゅうを訪れました。

観光名所の多い大分県、有名な別府、湯布院だけでなく郊外に大自然と歴史的建造物も多く点在し、ドライブ観光楽しめました。











奈良県山の辺東部観光
2011年3月9日


歴史遺産と緑豊かな自然景観が継続している近場の奈良県に足を運び、東部エリアの自然景観と社寺を巡りました。

12:30車で西名阪自動車道経由して
14:00針インター下車

大和国水分四社(都祁、宇太、吉野、葛城)の一つであり、水の神様として信仰される。こんもりとした森の奥に鎮座する現在の本殿(重要文化財)は、室町時代に建てられたもので、一間社春日造、檜皮葺き。本殿前にある1対の狛犬は鎌倉時代末期作といわれ、一般のものと比べ頭が小さいのが特徴の都祁水分神社を訪れる。

大和高原の中央部にそびえる円錐形の美しい山で、標高618.8m。山頂付近は比較的平坦で眺望もよく、春にはツツジが咲き乱れる。一帯はフォレストパーク神野山として自然公園化されており、中腹には森林科学館や茶の里映山紅、羊を放牧するめえめえ牧場、羊毛館などもある。南麓には銅像菩薩半跏像(重要文化財)を安置する神野寺が佇む神野山を訪れる。

フォレストパーク神野山の案内所を兼ねた中心的施設。森林の果たす役割や、そこに棲息する動植物など森の世界をパネルなどでわかりやすく紹介している森林科学館を訪れる。

神野山の東の中腹にある奇観。角閃斑レイ岩[かくせんはんれいがん]といわれる黒くて堅い大小の岩石が、幅10m、長さ650mにわたって帯状に続いている。地形、地質学的にも非常に珍しいもので、岩の下には絶えず伏流水が流れている鍋倉渓を訪れる。

室生方面に向かう。

3万3000平方mの敷地に、600種100万本もの花ショウブが、6〜7月に咲き乱れる。しだれ桜、芝桜、テッセン、つるバラ、アジサイなども栽培されている花の郷 滝谷花しょうぶ園を訪れる。

曽爾高原へ登る道沿いにある総合観光施設。地ビールや自然派料理を味わえる「すすきの館」、もっちり感で人気の米粉パン工房「お米の館」や日帰り温泉施設「お亀の湯」などが揃う曽爾高原ファームガーデンを訪れる。

長谷寺塔頭で、西国三十三カ所観音霊場番外札所。長谷寺本尊の十一面観音を造立し、西国霊場巡礼を始めたとされる徳道上人が隠棲した所と伝わる。徳道上人像を安置し、境内には上人御廟の十三重石塔や、触れると願いがかなうという上人沓脱ぎ石がある法起院を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の近場の名所巡り、歴史遺産と緑豊かな自然景観が継続する奈良県に足を運び、山の辺の東部と宇陀・長谷方面の自然と文化遺産をめぐり、時を過ごしました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十四弾:愛知県名古屋周辺観光
2011年3月5ー6日


愛知県の中核である名古屋周辺に足を運び、モンキーパークや明治村などレジャースポットが集まる犬山市や、138タワーパークがそびえ立つ一宮市など家族でも楽しめるスポットが多い尾張エリア、鮮やかな紅葉が山全体を染める足助町の香嵐渓、牛の放牧やバーベキュー、冬はスキーが楽しめる茶臼山などの奥三河エリアを訪れました。

5日12:30車で第二京半名神新名神自動車道経由して
14:30名古屋西到達

須佐之男命を祀る、天王社の総本社。毎年7月第4土・日曜日に行われる、尾張津島天王祭が有名の津島神社を訪れる。

一宮に向かう。
18:00一宮到達、駅付近の宿に到着後繁華街を散策し食事を済ませてから就寝。

6日6:30車で出発、犬山方面に向かう。

1537年(天文6)、織田信康により築城。天守閣の美しさは荻生徂徠が李白の詩を引用し、「白帝城」と讃えたほど。展望台からは濃尾平野を一望できる国宝・犬山城を訪れる。

654年(白雉5)に創建されたと伝わる厄除けの千手観音霊場で、もみじ寺と呼ばれるほど、秋の紅葉がすばらしい。また、つづら折りの石段の脇には石仏がたたずむ姿も見られ、静かな山寺の情緒を味わうことができる。境内には縁結びの弁天様や願いが叶うという「願いの鐘」があり、自由に撞くことができる寂光院を訪れる。

織田信長の実弟で茶人の織田有楽斉が隠居所としていた京都建仁寺の塔頭[たつちゅう]、旧正伝院の書院(重要文化財)や茶室・如庵(国宝)などを庭園内に移築の有楽苑・如庵を訪れる。

私たちの地球には、さまざまな民族が暮らし、独自の文化を創造し、発展してきました。近年、「国際交流」、「異文化理解」などの言葉をよく耳にしますが、こうした中、世界のさまざまな民族の文化に触れ、理解を深めることがますます求められています。愛知県犬山市と岐阜県可児市にまたがる緑ゆたかな愛岐丘陵の中に、123万平方メートルの敷地を有し、世界で初めての野外民族博物館として昭和58年3月に開館しました。世界各地から集めた4万点の民族資料と22カ国、31施設の野外展示家屋を有し、『生きた博物館』として、世界の生活や文化に手軽に触れ、学ぶことができ、そのすばらしさを味わうことができますリトルワールドを訪れる。

時代の流れの中で取り壊されていく明治時代の建築物など文化財の保存、歴史資料の収集・保存・管理を行ない、建築物は解体されていくものの中でも特に価値のあるものを選び、その配置も文化財としての価値が最もよく発揮されるように考慮されている。季節によって美しく変わる景観に包まれた明治村の建築物と数々の展示からは明治時代の人々の前向きな精神が伝わってくる明治村を訪れる。

瀬戸に向かう。

「せともの」の生産工程で不要になったタナイタやエンゴロなどの窯道具で築かれた壁や塀の幾何学模様が美しい小径が400mほど続く。かつて製品を積んだ荷車や窯焼き職人が行き交うメインストリートとして賑わった幅一間ほどの狭い通りは、今は情趣漂う静かな散策路になっている。そこかしこに見え隠れする往時の面影を偲びながら歩くことができる窯垣の小径を散策する。

明治初期の窯元宅を改修した資料館では、焼き物に関する貴重な資料を展示し、町の歴史や文化を紹介。特に、国産タイルの原形といわれる本業タイルで装飾した浴室やトイレは必見。また、地元の洞町文化会に所属するボランティアによる素朴なおもてなしがうれしい窯垣の小径資料館[窯垣の小径]を訪れる。

ギャラリーと工房を備えた陶芸やガラスをテーマにした施設。ユニークな企画展を開催する展示棟、研修生の創作の場・工房棟、地元作家の作品などが並ぶ交流棟がある新世紀工芸館を訪れる。

長久手に向かう。

2005年(平成17)に開催された、愛・地球博(愛知万博)長久手会場の跡地に整備された都市公園。昭和30年代の暮らしを再現した超人気スポット「サツキとメイの家」(要予約)はもちろん、万博の感動をシアターや展示物などでもう一度思い起こせる愛・地球記念館、子どもたちに人気だったさまざまな遊具を備えた森・風・水の3エリア、名古屋市街を一望できる東海地区最大級の高さ88mの大観覧車、通年楽しめるアイススケート場、日本の伝統と文化に触れる日本庭園や茶室など、子どもから大人まで楽しめるバラエティに富んだ公園、愛・地球博記念公園(モリコロパーク)を訪れる。

国産・欧米車140台を展示する博物館。ガソリン車が誕生した、19世紀末から20世紀までの自動車の歴史をわかりやすく紹介している。新館では、日本のモータリゼーションの歴史のほか、生活文化資料約2000点を展示。自動車関連図書1万5000点が並ぶ図書室などの施設もある。ミュージアムショップではミニチュアカーのほか、車をかたどったネクタイピンなども販売するトヨタ博物館を見学。

足助に向かう。

東海地区を代表する紅葉の名所。毎年11月中〜下旬頃、飯盛山を中心に足助川と巴川の合流する巴橋から約1km上流の香嵐橋付近まで、約4000本のモミジが紅葉。見事な景観を見せ、多くの観光客で賑わう。もみじまつり期間中、夜はライトアップが行われ、幻想的な雰囲気が味わえる香嵐渓を訪れる。

明治から昭和初期の豪農を再現し、山村の暮らしや手仕事の技術を紹介。約3000平方mの敷地内には長屋門・母屋・土蔵・作業小屋が並び、紙漉きや機織り、鍛冶屋などの職人の実演が見られる。紅葉時期以外は各種体験可。昭和30年代のまちを再現した萬々館もある三州足助屋敷を訪れる。

来足助は、尾張三河と信州方面を結ぶ伊奈街道(明治以降は飯田街道)の要地で、中馬街道とは飯田街道の別称。三河湾で作られた塩を山間部へ運ぶための、「塩の道」として発展したといわれる。中馬とは、今でいう運送業者のことをいう中馬街道を訪れる。

中馬街道の中でも、黒い板壁と白い漆喰の土蔵が続くのがマンリン小路。小路には土蔵の書店マンリン書店がある。店の奥には、土蔵を改装した蔵の中ギャラリーを併設するマンリン小路を訪れる。

標高301mの真弓山頂上に立つ足助城は、戦国時代に鈴木氏が居城し、真弓山城とも呼ばれる。旧足助町が町制100周年の際に再建したもので、本丸からは足助の町並みや飯田街道が一望できる。また、周辺は城跡公園として整備されている城跡公園足助城を訪れる。

奥三河に向かう。

標高1415mあり、県内最高峰の茶臼山は、愛知県と長野県の県境に位置する。山腹に広がる茶臼山高原では、愛知県には珍しい高原の雰囲気のなか、四季を通じてアウトドアが楽しめる。ロッジやレストラン、キャンプ場、休暇村などがあり、やばす池でのボート遊びやゴーカートが楽しめる。自然あふれる高原道路も多く、ドライブにも最適。冬期は茶臼山高原スキー場がオープンし、多くのスキーヤーで賑わう茶臼山高原を訪れる。

17:30帰路に向かう。

今回の旅行、愛知県の名古屋周辺に足を運び、西から北、東、奥三河と広範囲に巡り、歴史的建造物の城や社寺、レジャースポットのモンキーパークや明治村、焼き物ショップや窯が集まる瀬戸、レトロな町並みの足助、県内最高峰の茶臼山などを訪れ満喫しました。

今回で愛知県はほぼ制覇しました。