和歌山県高野山&龍神観光
2011年4月27日


海や山に湧く温泉や静かに信仰の歴史を語る世界遺産の魅力ある和歌山県に足を運び、1200年の法灯を守る真言宗の聖地高野山、日本三美人の湯、龍神温泉と高野龍神スカイラインを訪れる。

12:30車で阪神近畿南阪奈自動車道経由して
14:30 1200年に及ぶ歴史をもつ、弘法大師(空海)が開山した真言密教の聖地。標高約900mの山上に金剛峯寺を含め117カ寺が集い、一大宗教都市を発展させてきた。壇上伽藍と奥の院を中核にした霊場には、今日もなお大師信仰を求める多くの人々が参拝に訪れる。町の周辺は森林地帯になっているので、寺巡りをしながらハイキングも楽しめる高野山到達。

高野山壇上伽藍にあり、堂宇は1847年(弘化4)の再建。弘法大師の御影と10大弟子と祈親上人、真然大徳の肖像が安置されている。毎年旧暦3月21日、旧正御影供の法会が行われる。堂の正面に囲いをされた松は、大師が唐から帰る際に、伽藍建立の地を求めて投げた三鈷杵がかかったといわれる三鈷の松の御影堂[高野山]を訪れる。

高野山内に現存する建物のなかで最古の堂。1198年(建久9)に行勝上人が一心院谷に創建したものを移築した。本尊の不動明王坐像(重要文化財)と運慶作の八大童子立像(国宝)はいずれも霊宝館に収蔵の不動堂[高野山]を訪れる。

本尊に薬師如来を祭る高野山一山の本堂。創建当時は講堂とよばれていた。度重なる火災に遭い、現在の本堂は1932年(昭和7)に再建されたもの。本尊薬師如来は高村光雲の作で秘仏の金堂[高野山]を訪れる。

高野山壇上伽藍にあり、高さ約50mの5間4面の多宝塔で真言密教の根本理念を表す。弘法大師が着手し、2代座主の真然大徳のときに完成。1843年(天保14)に焼失し、以後再建されずにいたが、1937年(昭和12)に再建。内部は大日如来の本尊を中心に東西南北に金剛界四仏を置き、周囲の柱に十六大菩薩を配し、曼陀羅を立体的に表している根本大塔[高野山]を訪れる。

高野山にある小堀遠州作庭の池泉観賞式庭園(名勝)。枯山水の様式を備え、斜面を利用した2段式庭園。寺は加賀3代藩主の正室天徳院の菩提寺の天徳院[高野山]を訪れる。

高野山にある徳川家康・秀忠親子の霊を祭る2基の霊屋(重要文化財)。向かって右側が家康、左側が秀忠。3代将軍家光が1643年(寛永20)に建立。いずれも約6m四方の一重宝形造で、銅瓦葺の屋根の頂に露盤を載せ、周囲に縁と勾欄を配している。正面の向拝は唐破風。家康は寅、秀忠は兎の干支の彫刻がある。内部は非公開。壁面・天井・厨子にいたるまで、金銀の蒔絵や極彩色の装飾金具など絢爛豪華な飾りが施されている徳川家霊台[高野山]を訪れる。

高野山の豊かな自然環境を利用して、自然体験ができる施設。草木染めなど各種教室や自然観察の指導も受けられる。園内にはログハウスもあり、宿泊しながら各種体験に参加することもできる高野山森林公園を訪れる。

源頼朝の菩提を弔うために妻の北条政子が創建。1211年(建暦元)の創建当時は禅定院とよばれていたが、1223年(貞応2)、現在の寺号に改めて、多宝塔(国宝)を建立。鎌倉時代には、高野版とよばれる教典による教学の拠点で、高野山の中心的存在であった。大火の類焼を免れた寺の境内には、運慶作といわれる五智如来坐像(重要文化財)を安置する多宝塔のほか、鎌倉・室町時代の建築物が残る。客殿(重要文化財)は、江戸時代の建築だが、大広間にある襖絵『梅花雉子図』は雄大華麗な作風が見事で、本堂の十一面千手観音像、愛染明王像とともに国の重要文化財に指定の金剛三昧院[高野山]を訪れる。

父苅萱道心と母千里姫、その子石童丸の親子の悲劇の物語を絵で紹介する堂で、中にある厄除親子地蔵尊は、道心と石童丸の合作の地蔵と伝えられる。物語は、高野山に出家した父親を追って麓の学文路まで来るが、女人禁制のために母を残し、石童丸だけが入山。修行中の父に、いつわりの父の死を告げられ、学文路に戻るがすでに母は他界。高野山に戻って出家し、実の父とは知らずに苅萱道心について厳しい修行を積んだという。高野聖によって全国に語り伝えられた苅萱堂[高野山]を訪れる。

龍神〜高野山を結ぶ延長42.7kmの山岳道路高野龍神スカイラインを通過し龍神に向かう。

龍神温泉元湯前の高台に立つ温泉寺は、弘法大師が開湯の折に瑠璃光薬師如来を安置した草庵が始まり。1705年(宝永2)に明算という僧侶が頑固な腫れ物を治した礼に薬師堂を再建したといわれる温泉寺[龍神温泉]を訪れる。

1863年(文久3)に尊皇攘夷を訴え挙兵した天誅組の志士8人が、再挙を計って小又川へ逃れたが、同年9月22日に自首し、幽閉された倉。復元された茅葺屋根に白壁の倉の内部には、天誅組のリーダー水郡長雄が血書した辞世の歌なども残っている天誅倉を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回は近場の和歌山県に足を運び、真言宗の聖地、寺院が点在する高野山、かつては秘境と呼ばれた日本三美人の湯龍神温泉を訪れ有効な時間を過ごすことができました。

今回の和歌山の訪れでほぼ和歌山県を制覇できました。











宇治川カヌー
2011年4月24日


琵琶湖から流れ出た瀬田川は京都に入って宇治川と名前をかえ,さらに木津川,桂川と合流して淀川にはいる。平安時代この土地は貴族の別荘地として栄え,藤原全盛期の遺構,平等院鳳凰堂があるほか,源氏物語の宇治十帖の舞台が点在している。宇治橋の上流にある中州の浮島(橘島,塔の島)の両岸は約2000本の桜が植えられ,日没後には提灯が点灯するお花見スポットの宇治川に足を運び、天ヶ瀬ダム下右岸側から御幸橋まで15キロをカヌーで下りました。

8:00大阪駅集合、車で阪神名神京滋自動車道経由して
9:00天ヶ瀬ダム下右岸側到着、準備して
10:30スタート、流れが速く、1級クラスの瀬を数箇所乗り越え、
12:00宇治川大橋手前で昼食
12:30スタート
14:00御幸橋過ぎの左岸側で終了、あとかたずけして
15:15枚方の温泉に浸かり、食事を済ませて
17:30帰路に向かう。
18:50大阪駅到達解散。

今年最初のカヌーイベント、近場の宇治川に足を運び、前日の雨で水量十分、流れが速く、1級程度の心地よい瀬が適度に現れ、ダム下から宇治橋までは、山に囲まれた落ち着いた雰囲気で御幸橋まで15キロを下り堪能しました。


大阪府大東市寺院巡り
2011年4月23日


大阪府北河内地域に位置する市。平安時代より、東高野街道など大阪と奈良を結ぶ交通の要衝として栄え、また戦乱の舞台ともなってきたが、江戸時代の治水・新田開発などにより、商都大阪の重要な後背地となった大東市に足を運び34点在する寺院を訪れました。

12:30車で出発
大東市野崎の蓮光寺を訪れる。

大東市北条の教照寺、瑞玄寺、貞和年中(1345〜50年)四條畷の合戦で多数の戦死者が出たが、永禄年中(1558〜70年)に至るも、なお霊魂休まらず、里人がこれを厭い、融通念仏の功徳により、霊を慰めた。この折、木の宮坊という人は私田をなげうって寺院を建立し、楠木正行を始め一族郎党の菩提を弔ったのが当山の始まりと伝わる。元は融通念仏宗の寺院であったが、現在は西山浄土宗の寺院である。元来、生駒山地の山沿いには融通念仏関係の遺跡が多く、十念寺もその1つに数えられている十念寺を訪れる。

大阪府大東市野崎にある寺院。野崎観音(のざきかんのん)として知られる。本尊は十一面観世音菩薩。宗派は曹洞宗。愛知県知立市に、宗派も山号も全く同じ寺院が存在する慈眼寺を訪れる。

大東市野崎の清涼寺、専応寺を訪れる。

大東市寺川の十林寺、法妙寺を訪れる。

大東市大字龍間の弥迎寺、弥迎寺会館を訪れる。

大東市中垣内の覚順寺、鳳字寺(禅宗)を訪れる。

大東市御供田の安楽寺を訪れる。

大東市栄和町の善念寺を訪れる。

大東市灰塚の常宗寺を訪れる。

大東市諸福の乗得寺、勝福寺 (禅宗)、欣浄寺、祐照寺を訪れる。

大東市新田の本教寺を訪れる。

大東市太子田の明福寺を訪れる。

大東市赤井の泉勝寺を訪れる。

大東市三住町の本伝寺を訪れる。

大東市 幸町の住道念法寺を訪れる。

大東市氷野の本念寺を訪れる。

大東市三箇の正覚寺、善遠寺、大長寺、勝福寺を訪れる。

大東市御領の西福寺を訪れる。

大東市津の辺町の本妙寺を訪れる。

18:20終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、近場の大阪府大東市に足を運び、点在する34箇所の寺院を訪れました。

前回訪れた大東市の神社はネットで解説を確認し歴史学習できましたが、寺院に当たってはほとんどが全く情報が無く、訪れ写真を撮るのみに終わりました。残念ながら歴史的背景はよくわかりませんでした。







三重県松坂&奥伊勢観光
2011年4月20日


伊勢湾と熊野灘に囲まれ東海と近畿の接点の地、三重県に足を運び、江戸時代には、勢州18万石を統括する紀州藩の城代が置かれ、松坂牛と本居宣長で有名な松坂、西側の自然豊かな森林浴ゾーンの奥伊勢を訪れました。

12:30車で第二京阪京滋名神新名神伊勢自動車道経由して
14:15勢和多気インター下車

宝亀5年(774)光仁天皇の勅願により空海(弘法大師)の師である勤操大徳によって開創された。弘仁年間(810〜824)に唐から帰国した空海は諸国を巡拝し神宮寺にも立ち寄り、その時本堂(観音堂)の梁に勤操大徳創立とあるのを見てこの地に仏閣を建立。弘仁6年(815)に七堂伽藍が完成された。大師堂の本尊である弘法大師像は、大師の自画像で自ら刻んで安置されたもの。丹生水銀と伽藍建立により大いに盛隆を極めたが、再々の兵火により焼損。現在の寺観は江戸時代中期に再建された神宮寺を訪れる。

地元では、「大石の不動さん」と呼ばれている古刹。境内にそそり立つ、高さ27mのホウロク岩にムカデランが群生。国の天然記念物に指定されている。本堂には、弘法大師作の青石不動明王立像を祀る不動院を訪れる。

飯高諸氏が885年(仁和元)に建立。6.6mある本尊の十一面観音立像は重要文化財の近長谷寺を訪れる。

熊野街道沿いの多気町にある。重要文化財の本尊普賢菩薩座像は平安初期の作の普賢寺を訪れる。

中部大運動公園内にある、参加体験型の大型児童館。直径22mの大型ドームでのプラネタリウムと大型ドーム映画、高さ7mのクライミングウォール(要上履き)が人気だ。毎週メニューが変わるアートクラフトや科学工作、幼児向けのふわふわ遊具のあるプレイランド、フランスの積み木カプラなど、さまざまな遊びや体験も可のMAPみえこどもの城を訪れる。

役行者が開創したと伝えられる霊場。裏手の伊勢山上は奇岩の連なる行場になっている。4月8日の山開き会式と10月7日の秋季大会式には、山伏姿の先達が昔ながらの行事を行う飯福田寺を訪れる。

聖武天皇の勅願で743年(天平15)に建てられたと伝わる。本尊の如意輪観音が厄除けに霊験あらたかと信仰され、地元では「岡寺さん」とよばれて親しまれている。3月の初午大祭は、厄除けの人や開運祈願の参拝客で賑わう。これらの日に売られる厄除け玩具の猿はじきが珍しい継松寺を訪れる。

伊勢神宮に仕える未婚の皇女(斎王)の宮殿が置かれた、「斎宮」の歴史を紹介する博物館。展示室Iでは、原寸大の斎王の居室に十二単姿の命婦人形や調度を展示。展示室IIには遺構の復元模型を中心に斎宮跡の発掘資料が展示される斎宮歴史博物館を訪れる。

斎宮駅の南側に、かつて人々が伊勢神宮に詣でた道、参宮街道があり、その街道沿いに面して立っている。周辺から大規模な塀列や掘立柱の建物の跡が発掘されたため、斎宮の御殿があった場所ではないかとも考えられている竹神社を訪れる。

いつきのみや歴史体験館の北側にある。斎宮跡の発掘調査に基づいた10分の1史跡全体模型を見ることができる斎宮跡歴史ロマン広場[いつきのみや歴史体験館]を訪れる。

発掘が続く広大な斎宮跡。斎王の御殿があったと伝えられる斎王の森周辺が整備され、公園となっている。博物館から斎王の森へ至る歴史の道には、古代の歌人が詠んだ斎宮についての和歌24首が刻まれた歌碑が立っている史跡公園斎王の森を訪れる。

18:00終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、近場の三重県に足を運び、自然豊かな奥伊勢に点在する寺院、松坂に点在する寺院と博物館を訪れ歴史学習できました。

今回の訪れで三重県はほぼ制覇できました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十弾:大分県別府&湯布院&宇佐・豊後高田観光
2011年4月16ー17日


九州大分県に足を運び、全国屈指の温泉地、地球上に存在する全11種類の泉質のうち、10種類があり、市内には8つの温泉地、地獄巡りも有名な別府、由布岳の麓に広がるのんびりとした風情を残しつつ、人気の温泉地である湯布院、全国に4万社余りある八幡社の総本宮の宇佐神社が位置する宇佐、昭和の町として有名なレトロな雰囲気が漂う豊後高田を訪れました。

16日19:55大阪南港コスモフェリーターミナルをさんふらわで出発
17日7:45別府港到達
8:00レンタカーで別府巡り

国道10号沿いの別府のシンボル。17階の展望台からは東に別府湾、南西に別府の繁華街を見渡せ、夜景スポットでも有名。登録有形文化財の別府タワーを訪れる。

地獄とは、地下200m以上から100度前後の噴気、熱泥、熱湯を噴出する源泉のこと。別府地獄組合に所属する、海・鬼石坊主・山・かまど・鬼山・白池・血の池・龍巻の計8地獄を一巡するのが一般的。代表的な海地獄は、涼しげなコバルトブルーだが湯温は98度。龍巻地獄は、一定の間隔で熱湯が勢いよく噴き出す間欠泉だ。血の池地獄の真っ赤な池の色の正体は酸化鉄で、噴気までが赤みを帯びて見えるべっぷ地獄めぐりする。

由布院に向かう。

湯布院で最も賑やかなエリアにある金鱗湖は、湖底の一部から温泉と水が涌くといわれる不思議な湖。かつては由布岳の麓にあったことから「岳本の池」と呼ばれていたが、1884年(明治17)に儒学者の毛利空桑[もうりくうそう]が、湖の魚の鱗が夕日に輝くのを見て「金鱗湖」と名付けたと伝えられる。澄んだ湖面からは、小魚が泳ぐ姿が見られる金鱗湖を訪れる。

1960年(昭和35)、湯布院で42年の生涯を閉じた放浪の詩人画家・佐藤渓の作品と万華鏡を常設展示する由布院美術館を訪れる。

音楽にまつわるアートを集めたユニークなミュージアム。常時音楽が流れる館内には、アンディ・ウォーホルなどの作品が並び、読書室や喫茶ルームもある。オリジナル商品を扱うショップとダイニング併設の由布院空想の森アルテジオを訪れる。

安心院方面に向かう。

湯布院中心街とは由布岳を隔てて北に位置する。自然が多く残された高原地帯の塚原高原を訪れる。

安心院草原の広大な自然の中で、70種1400頭羽の動物が生き生きと暮らすサファリパークアフリカンサファリを訪れる。

豊後高田方面に向かう。

駄菓子を専門とする珍しい資料館。戦前から昭和60年代までの紙人形やぬり絵など、昔懐かしいおもちゃ約5万点近くを展示。実際に購入できる駄菓子コーナーもある駄菓子屋の夢博物館を訪れる。

宇佐方面に向かう。

全国に4万余社ある八幡社の総本宮。725年(神亀2)応神天皇の御神霊、八幡大神を祭る本殿の一之御殿が創建されたことが始まりと伝わる。太古からの原生林に囲まれた境内には八幡造の3棟の本殿(国宝)をはじめ、御殿、神橋、呉橋、能楽殿、宝物殿など貴重な建築物が立ち並ぶ宇佐神宮を訪れる。

1939年(昭和14)、前人未到の69連勝を達成し、全勝優勝8回・通算優勝12回という成績を残した宇佐市出身の名横綱・双葉山定次。彼の生家が復元され、幼い頃よく遊んだという浜辺には記念碑や相撲場がある。館内には、化粧まわしなどが展示されているほか、休憩所では連勝当時の対戦映像が放映されている双葉の里を訪れる。

18:00中津到達
18:32中津駅特急ソニックで出発
19:03小倉駅到達
19:11小倉駅新幹線のぞみで出発
21:17新大阪駅到達

今回の旅行、九州大分県に足を運び、全国屈指の温泉地、地球上に存在する全11種類の泉質のうち、10種類があり、市内には8つの温泉地、地獄巡りも有名な別府、由布岳の麓に広がるのんびりとした風情を残しつつ、人気の温泉地である湯布院、昭和の町として有名なレトロな雰囲気が漂う豊後高田、全国に4万社余りある八幡社の総本宮の宇佐神社が位置する宇佐をドライブ観光して堪能しました。

北から国東・宇佐・豊後高田・中津・耶馬溪・日田から、南のくじゅう・竹田・長湯・別府・湯布院・大分・臼杵・佐伯、観光名所盛りたくさんの大分県、4回の訪れでほぼ制覇しました。








大阪府大東市神社巡り
2011年4月16日


大阪府北河内地域に位置する市。平安時代より、東高野街道など大阪と奈良を結ぶ交通の要衝として栄え、また戦乱の舞台ともなってきたが、江戸時代の治水・新田開発などにより、商都大阪の重要な後背地となった大東市に足を運び25点在する神社を訪れました。

12:30車で出発、大東市野崎に鎮座し、小さな神社で、この神社は南京錠がかかっているのでお詣りもできません。その上、他の設備も完備されていません。祠と鳥居のセットなのですが、本来の神社の起源はこの様なものであったのかなと考えてしまいます宝頭神社を訪れる。

祭神 誉田別命(品陀別命)・菅原道真公、例祭 十月二十日・二十一日、祭神は京都北野神社の御神木で像を刻んだものであると、当社の古記録にある。即ち時の天皇の御詔勅に「北野の神木で神像を作り、漂流地に祀るべし」とあったので数多くの神像を刻み加茂川に流された。その一体が当村の西の津之辺の浜辺に流れ着いた。その所は森であったので以来その所を明神の森と呼び聖地であるとして、代々お祭りを欠かさなかった。しかし、この社は平地であるため度々洪水の災いにあった。そこで時代は不明であるが現在地に御遷座された北條神社を訪れる。

大東市野崎に鎮座し、野崎観音(滋眼寺)の境内にあります。当社は、宝塔神社に対して北の宮さん牛頭さんの呼称で親しまれ、野崎地区の氏神として厚く信仰される。明治五年から野崎宝塔神社に一時合祀されたが、同十三年には、野崎村村社として復活し現在に至る南條神社を訪れる。

日本最初の御建立創神鎮祭唯一ツの国が認む宗教法人別格氏神本宮真に敬厳豊かな由緒の御祭神宮の大東市野崎にある臍の王神社を訪れる。

大東市野崎に鎮座し、グーグルマップには「宝塔神社」とも記されています。現地の立看板には「宝頭神社」と記されていました寳頭神社を訪れる。

大東市寺川に鎮座し、神社の由緒書きには「須濱大明神」と小さくかいてあります。本社の祭神は大巳貴命で出雲大社の祭神と同じで寺川の氏神様として鎮座されています。由緒は明らかではないが燈籠や古文書の記録から相当古くから祭られていた大谷神社を訪れる。

大東市中垣内に鎮座し、神社の由緒書きには、「須波麻神社」となっています。祭神は大国主命、いい伝えでは当社の祭祀は出雲大社と同体で、古くは十月七日に大祭をしていたという。現在の社殿は明治三十六年(1903)に建立されたもので、拝殿の後ろの本殿は春日造りの様式である須波摩神社を訪れる。

大東市龍間に鎮坐する龍間神社を訪れる。

大東市平野屋に鎮座し、由緒略記では「産摩太神宮」となっています。産摩太神宮は、享保十三年(1729)に摂州西成郡の総社であった。産摩太神宮(現在、大阪市東区渡辺町)より深野南字たた割に勧請された坐摩神社を訪れる。

大東市御供田に鎮座し、当神社は約三百三十年前(昭和五十年起算)元禄の初めに洛南男山の石清水八幡より、当地の氏神として分霊を勧請、斎祀し、村の安全と五穀豊穣を祈り続けてきたお社である八幡神社を訪れる。

大東市灰塚に鎮座し、1m少し高くなったところに覆屋が建っておりその中に本殿が鎮座していました比枝神社を訪れる。

大東市灰塚に鎮座し、素盞嗚神社とも呼ばれているようです。寝屋川の南側にある唯一の神社ですが、この灰塚の中央部はかなり道が狭く昔から人々が住んでいたという歴史を感じる街並みとなっています産土神社を訪れる。

大東市諸福に鎮座し、寺社の創建年代は、何れも年代不詳往古より、と記されるのを通例とする。こうした中で当社は、創建年代が明白な市唯一の神社である。記録には「寛永廿歴奉勧請當社天神安全地下繁昌 九月吉詳日」とある諸福天満宮を訪れる。

大東市新田東本町に鎮座し、新田山王宮と呼ばれているようです。祭神 大山咋命、祭礼 十月二十日、新田という呼称は、当時の既存の集落に対し、新しく開拓された土地であるところから付けられたものである。しかし、豊臣秀吉の太閤検地を受けており、その時点での新田村であり、その開拓の起源は戦国期に遡るといえよう。伝承によれば、当地の開拓を手がけたのは、近江(滋賀県)から移って来た人達であった。そこで氏神も故郷の神である山王宮(日吉神社)をこの地に勧請した、という大神社を訪れる。

大東市太子田に鎮座し、天照大神を祀り、毎年十月二十日を祭礼日としている。境内より一壇高い拝殿の中に彩色された本殿が安置されている。本殿は神明造りで、大きさは横約130cm、縦約115cmで、屋根は桧皮葺である大神社を訪れる。

大東市赤井に鎮座し、真宗大谷派の宝寿山 泉勝寺の南側に地蔵堂とこの北野神社が建っています。お寺の角に建っているようなのですが、寺院の守護神として祀られていたのでしょうか北野神社を訪れる。

大東市深野に鎮座し、公園の中に玉垣で囲まれた境内域があり、なんとお詣りで気なように門扉が閉まっています。天照皇大神・豊受大神・菅原道真が祀られている両皇大神社を訪れる。

大東市氷野に鎮座し、南北に長く大変広大な境内地となっていますので、恐らく両方の町にまたがっているのでしょう。本当に広大な境内の北野神社を訪れる。

大東市御領に鎮座し、現在では標高2mであるが往時はもっと高く河内湖と呼ばれる草香江に浮かぶ島でありその後池水が狭まった後には、深野池の堤防を形づくったと考えられる。深野池の干拓後は堤防の土は掘り出されて現在は坂はないが、北側を通り枚方・八尾線道路にあたる道を里人は三年坂と呼ぶおかみ神社を訪れる。

大東市御領に鎮座し、環濠の中にある神社です。橋を渡ったところに建っている鳥居のバランスが少し悪いような気がしますが、埋まっているようです。それとも地盤沈下でもあったのでしょうか。神社の境内を環濠が取り巻いています。なんとも懐かしいような環境です。河内はもともとこの様な環境であったのでしょう菅原神社を訪れる。

大東市三箇に鎮座し、祭神は、天満大自在天神の称号を授与された菅原道真公である。大祭は十月十九日、二十日。社地内には稲荷社が鎮座する。天神さんもお稲荷さんも、稲作を中心とする五穀豊穣の神である菅原神社を訪れる。

大東市深野北に鎮座し、旧地名では「南方字宮前ハの割」にあり文学の神菅道真公を御祭神としている、祭日は十月二十一日である。創建は江戸時代に中期宝永年間であるが年代は定かでない菅原神社を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

大阪府大東市に点在している神社すべてを訪れました。これから市別に大阪の寺社を訪れ制覇したいと思います。










奈良県桜井エリア史跡巡り
2011年4月13日


世界遺産、歴史的建造物の宝庫、奈良県に足を運び、古代大和政権の中心地として栄え、長谷寺や室生寺周辺には門前町として発展した桜井エリアを訪れました。

12:30車で阪奈自動車道経由して
13:40桜井到達

全長272m、3世紀後半ころの築造で、倭迹迹日百襲姫命の墓とされる前方後円墳。『日本書紀』には、昼は人が造り夜は神が造ったとの不思議な記事が残る箸墓古墳を訪れる。

全長約207mの前方後円墳。鳥見山北麓に延びた枝尾根を切断して造られている。前方部が長く柄鏡の形をしていることから、前期古墳でも古い時代のものであると考えられる。竪穴式石室は朱で染められた割石を積んだ豪壮なもので、出土品に玉杖や玉葉が含まれていたことなどから、大王級の人物が葬られたと推測されている茶臼山古墳を訪れる。

忍阪集落の東の奥にある舒明天皇陵の脇の山道をしばらく進むと、四方を山に囲まれた窪地が開ける。そこにある小さな円墳が墓とされる。鏡女王は、万葉の女性歌人として有名な額田王[ぬかたのおおきみ]の姉であり天智天皇の妃、のちに藤原鎌足の夫人となった。墓の北側には、欽明天皇の皇女大伴皇女の墓もある鏡女王墓を訪れる。

忍阪集落の高台にある小さな寺だが、現存日本最古の三尊石仏(重要文化財)を安置することで知られる。白鳳時代のもので、高さ115cm、幅150cm、厚さ約20cm。丸みのついた三角形の砂岩製の石板に、頭上に天蓋をいただいて倚座する薬師如来と伝える如来形像を中心に三尊仏を浮彫にする。保存状態もよく、優美な姿を保っている石位寺を訪れる。

忍阪から南へ、倉橋溜池に向かう途中にある。東南方から北西方に延びる尾根上に営まれた方墳で、古墳時代後期の築造とみられている。墳丘の1辺は約45m、高さは約9m。横穴式石室は羨道の長さ約8.5m、高さ約2m、玄室の長さ約6.3m、高さ約4.2mと長大。玄室中央には、棺身約2.4m、幅約1.2m、蓋を合わせた高さ約1.8mの巨大な刳抜式の家形石棺を安置する。石室内には自由に入ることができる。規模の大きさや造られた時代から、6世紀末に暗殺された崇峻天皇の墓ではとみられているが、宮内庁が陵墓に指定する崇峻天皇陵は、聖林寺より多武峰方面へ1kmほど上った所にある天王山古墳を訪れる。

艸墓古墳の南方に築かれた西向きで2段構成の前方後円墳。全長約224m。古墳時代前期(4世紀)のものとみられ、北東約2kmにある茶臼山古墳と並んで同時期のものでは最大級。後円部に比べ前方部が極めて低く、墳丘を巻いて何段も整然と並ぶ円筒埴輪や、後円部にある2つの竪穴式石室に特色がある。高さ2.4mに及ぶ日本一大きな埴輪も出土したメスリ山古墳を訪れる。

16:00終了、帰路に向かう。

今回の史跡巡り、近場の世界遺産、歴史的建造物の宝庫、奈良県に足を運び、古代大和政権の中心地として栄えた桜井エリアを訪れました。

今回の訪れで奈良県はほぼ制覇できました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十九弾:徳島県脇町・吉野川流域&祖谷渓・剣山観光
2011年4月9ー10日


四国徳島県に足を運び、吉野川の恵みがもたらした、産業と文化の脇町・吉野川流域、圧倒的な大自然を抱えたそらの郷、祖谷渓・剣山を訪れました。

9日12:30車で阪神第二神明神戸淡路鳴門高松自動車道経由して
14:30板野インター下車

吉野川流域方面に向かう。

丘陵地の豊かな自然の中にある県立公園。月面での重力が体験できるムーンウォーカーなど、遊んで学べる子ども科学館を中心に、世界有数の明るさを誇る投影機が星を照らし出すプラネタリウム、大型遊具を備えた冒険の国など体験型施設が充実。ウォータースライドの吉野川めぐりも人気のあすたむらんど徳島を訪れる。

1808年(文化5)に建造された藍の豪商・奥村家の屋敷と藍染め作品などを展示した資料館(新館)で構成。藍の栽培・製造・流通工程が理解できる藍住町歴史館藍の館を訪れる。

脇町方面に向かう。

18:00脇町のホテル到着後散策し食事を済ませて就寝。
10日6:00車で出発

阿波市の北西部、桜ノ岡にある日本随一の奇勝。約130万年前の氷河時代に堆積した扇状地がその後隆起し、雨水の浸食作用を受けて形状されたもので、世界的にも希少な特殊地形。雄大な自然の芸術品といえる。国の天然記念物に指定の阿波の土柱を訪れる。

吉野川の河畔に広がる脇町は藩政時代、阿波藍作りが奨励され、藍商を中心とする商人の町として発展した。商家の人々は、その財力で屋根に防火用の袖壁である、うだつを上げた立派な家を造り、その多くが往時の姿のまま残っている。江戸から明治、大正と時代を経るにつれ、しだいに装飾性を増したうだつを見ることができる。1988年(昭和63)に一帯が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。旧商家の本街道として栄えた南町の通りが散策の中心地。1792年(寛政4)に創業した藍商の「佐直」は必見のうだつの町並みを訪れる。

脇町劇場は、1934年(昭和9)に芝居小屋としてオープン。戦後は映画館となり、歌謡ショーなども開かれた。脇町が松竹映画『虹をつかむ男』のロケ地となった際、オデオン座として登場し、一躍脚光を浴びた。内部は往時の芝居小屋が再現され、回り舞台や花道、大向、奈落などが設けられている脇町劇場(オデオン座)[うだつの町並み]を訪れる。

脇町の歴史資料を展示している。うだつの町並みの写真や脇町の古い絵図などを展示している美馬市観光文化資料館[うだつの町並み]を訪れる。

重要伝統的建造物郡保存地区・うだつの町並みのほぼ中央にある。吉田屋直兵衛が1792年(寛政4)に創業した藍商の屋敷跡で、主屋・質蔵・藍蔵など5棟が中庭を囲むように立ち並ぶ。藍商館の典型的な佇まいを今に残し、往時の繁栄ぶりが偲ばれる。美馬市指定文化財の藍商佐直・吉田邸[うだつの町並み]を訪れる。

標高約600mの箸蔵山頂に立つ寺。828年(天長5)、弘法大師が四国行脚の途中、金毘羅大権現の神託を受けて創建したと伝わり、金毘羅奥の院ともいわれる。四国別格霊場札所として参詣者が多く、本坊から石段の参道に沿って護摩殿・鐘楼・薬師堂・本殿・観音堂などの諸堂が連なる。そのほとんどが国の重要文化財に指定されている箸蔵寺を訪れる。

祖谷渓・剣山方面に向かう。

吉野川が四国山地を横切るところに、激流によって削られた渓谷が約8kmにわたり続く。「ぼけ」とは谷の両岸に山が迫る険しい場所を指す。両岸の岩石は約2億年前の地層で、含礫片岩は徳島県の天然記念物。春のミヤマザクラ、イワツツジ、秋の紅葉のころが観光のベストシーズン。小歩危は、小歩危駅の北1.5km付近から下流の1kmをいう。大歩危の男性的な景観に対し、岩の形もやさしくなる。遊歩道を歩き、奇岩や地層を観察したい小歩危を訪れる。

大歩危駅近辺から下流約2kmをいい、深い淵と奇岩奇石が続く男性的景観が特色。レストラン大歩危峡まんなかから、小歩危方面へ遊覧船が出ている大歩危を訪れる。

世界各地の宝石の原石や鉱物を展示する博物館と、各地の観光情報を紹介する観光情報館で構成。博物館では大歩危の地質を構成する変成岩をはじめ、火星からの隕石や約40億年前の石を紹介している。情報館では大歩危・祖谷周辺の観光案内のほかに、アクセサリー作りの体験も可。地元特産品や世界各国の鉱物や石のアクセサリーを販売する売店や喫茶コーナーもあるラピス大歩危を訪れる。

壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の御典医、堀川内記が残党とともに祖谷に落ちのび、子孫代々が暮らした屋敷を資料館として公開。平家ゆかりの品々や古文書、民具などを展示している平家屋敷民俗資料館を訪れる。

剣山を源流に西北へ流れる祖谷川が四国山地をV字型に刻んでできた渓谷。激流が高さ数十mから数百mの深い谷を造り出し、新緑や紅葉の季節には雄大な渓谷美、山岳美が楽しめる。祖谷渓の風景は、断崖にはりつくようにして立つホテル祖谷温泉からの眺めはすばらしく、温泉近くには祖谷渓を見下ろす小便岩がある祖谷渓を訪れる。

祖谷街道の難所の一つ、急カーブの七曲にある。渓谷に突き出た大きな岩の上に小便小僧の像が立つ小便岩(小便小僧)[祖谷渓]を訪れる。

野生のシラクチカズラを使って編んだ吊橋で、日本三奇橋の一つ。水面からの高さ14m、長さ45m、幅2m。国の重要有形民俗文化財に指定され、3年に1度掛け替えられる。足を踏み出すとギシギシと揺れ、スリル満点。川の右岸からの一方通行で、帰りは下流の永久橋を渡るかずら橋を訪れる。

山深い祖谷地方で育まれてきた独自の生活文化を伝えてくれる資料館。昔懐かしい囲炉裏を復元した館内には、着物や食器、農作業の道具など素朴な生活用具が展示されている。また、平家の赤旗のレプリカが見られるほか、この地に落ちのびた平家の末裔の由来を東祖谷の風土とともにビデオで紹介している東祖谷歴史民俗資料館を訪れる。

かずら橋から、さらに上流の東祖谷に架かる。まわりを清流と原生林に囲まれ、約20mほどの間隔で男橋と女橋の2本が並行して架けられている。山に自生するシラクチカズラで作られた吊橋で、今も登山者などに利用されている。橋の先には奥祖谷の大自然が満喫できるキャンプ場もある。女橋のすぐ上流には、ケーブルに取り付けられた籠に乗り、人力でロープを引っ張りながら対岸に渡る「野猿」という珍しい乗り物もある奥祖谷二重かずら橋を訪れる。

標高1955m。西日本第2の高峰で、古くから山岳信仰の霊場だった。登山口へは、つるぎ町からリフトのある見ノ越まで行くルートが最短距離。中腹の西島駅まで剣山観光登山リフトが15分で結ぶ。山頂へは健脚向きの尾根道、大劒神社回りの大劒道、遊歩道の3コースがある。山頂付近に平家の馬場と呼ばれる平原が広がり、室戸岬や紀伊半島まで360度のパノラマが広がる剣山を訪れる。
脇町方面に戻る。

1000年以上の歴史をもつという阿波和紙を知るのに最適の場所。伝統ある手漉き和紙の製造工程を見学できるほか、作業場の一角ではハガキなどの紙漉き体験に挑戦できる。1階にこの工房で作られた手漉き和紙製品の販売コーナーがあり、2階のギャラリーでは約1カ月半ごとに各種企画展が開催されている阿波和紙伝統産業会館を訪れる。

17:00脇町インターから帰路に向かう。

今回の旅行、四国の徳島県に足を運び、吉野川流域の藍の産地藍住町、阿波と讃岐の交通の要衝だった板野町、面積の約65%が農耕地の石井町、阿波藍の天然の原料すくもや阿波和三盆糖の上板町、阿波和紙の吉野川市、吉野川の北岸、阿讃山脈の麓に位置し、奇勝・土柱が有名な阿波市、脇町のうだつの町並みなどの歴史的建造物が多い美馬市、

名勝・美濃田の淵の三好市、大歩危・小歩危の大自然の渓谷美やかずら橋、小便岩の祖谷渓、標高1955m、石槌山に次ぐ西日本第二の山、安徳天皇の御剣を山中におさめたという伝説からこの名前がついたと言われている剣山を訪れ一泊二日のドライブ観光堪能しました。

徳島県は太平洋側の海岸線、吉野川流域、山間部の祖谷渓や剣山、見るものが盛りたくさんです。

今回でほぼ制覇した徳島県ドライブ観光でした。













滋賀県湖西北観光
2011年4月6日


日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、美しい湖水風景が展開し、比良山系の麓に自然風景が残る森と湖の静かな美観エリア湖西北を訪れました。
12:30車で第二京阪京滋名神湖西道路経由して
13:40和哉インター下車

飛鳥時代から平安時代にかけてこの地方で隆盛を誇った、小野一族ゆかりの地を訪ねる散歩道。JR湖西線小野駅と和邇駅を結ぶエリアに地図や道標が整備され、3kmの歴史散策が楽しめる。小野神社はわが国初の遣隋使・小野妹子が創建したといわれ、日本で初めて餅つきをしたと伝わる米餅搗大使主命を祭神とすることから、現在では菓子づくりの神様としてあがめられている。境内には摂社として、一族で漢詩文の名手として名高い小野篁を祭った小野篁神社や小野道風神社がある歴史の散歩道を訪れる。

琵琶湖西南部の湖畔には、昔ながらの里山風景が残されている。大津市八屋戸、栗原や大津市仰木など比良山系を背景とする高低差の大きいこの地域では、今も谷に沿って連なる棚田を見ることができる。どこか懐かしい、四季折々の季節感あふれる風景は、写真愛好家にも人気が高い。棚田が黄金に色づくころや、刈り入れの後にこの地域特産の干し柿作りが行われる秋は特に美しい琵琶湖西南部の棚田を訪れる。

奈良時代、相撲界で現在の横綱にあたる最手役として活躍し、日本初の行司として召し抱えられた志賀清林の功績を記念して造られた公園。清林は相撲四十八手の基礎を創案した人物と伝えられ、約3万平方mの公園には、記念碑や相撲場、子供用の遊具などが整備されている志賀清林パークを訪れる。

足利13代将軍の義輝が名付けたと伝わる、滋賀県下随一の落差76mの滝。雄滝、薬研の滝、雌滝[めだき]の3段に分かれ、遠くから眺めると白い布を垂らしたように見えることから、「布引きの滝」とも呼ばれる楊梅の滝を訪れる。

江戸時代の儒学者で、わが国陽明学の祖である中江藤樹の居宅・私塾跡(史跡)。1648年(正保5)に建てられたが、明治時代に焼失し、ほどなく再建された書院が残る藤樹書院跡を訪れる。

中江藤樹の遺品・遺墨を集めた記念館。藤樹に私淑していた大塩平八郎が寄贈した『王陽明全集』をはじめ、藤樹の影響を受けた学者の資料や、地元の歴史・文化も紹介。建物北側に隣接して、陽明学の祖・王陽明の生地、中国浙江省余姚市との友好を記念して造られた中国式庭園「陽明園」がある。近隣には藤樹の墓所もあるのであわせて近江聖人中江藤樹記念館を訪れる。

「われは湖[うみ]の子 さすらひの…」の歌詞で知られる琵琶湖周航の歌は、1917年(大正6)に今津町で誕生した。旧制第三高(現・京都大学)ボート部が琵琶湖を周航し、今津の旅籠で一夜を過ごしたときに部員の小口太郎氏がこの詩を披露。当時の流行歌「ひつじぐさ」のメロディにのせて歌ったのが始まりという。ここでは、レコードや各種資料を紹介している琵琶湖周航の歌資料館を見学。
湖西に春の訪れを告げる植物として知られる座禅草約3000株が、今津町弘川の湿原に群生している。お坊さんが座禅をしている姿に似ていることから名付けられたという「座禅草」は、高さ10〜20cmのサトイモ科の植物で、2〜3月に褐紫色の包に包まれた花が咲く。あたりは県の緑地環境保全地域に指定されており、遊歩道が整備されている座禅草群生地を訪れる。

740年(天平12)、聖武天皇の勅願寺として行其菩薩が開創。近江三十三観音霊場の第8番札所で、境内に樹齢500年以上のエドヒガンザクラがある。梵鐘は戦争に供出しなかった残置鐘。平安初期の大般若写経600巻、天正15年の焼失前の古絵図など、多品種、約1000鉢の盆栽も観賞できる酒波寺を訪れる。

鯖街道に向かう。

その昔、若狭湾の幸を京の都にもたらした街道。「鯖街道」とも呼ばれ、大勢の行商人たちが往来。浜塩をした鯖は運ばれるうちに塩がまわって旨さを増し、鯖ずしという食文化を生み出した。旧若狭街道の国道367号沿いには、今も鯖ずしの店が点在する若狭街道を走行する。

近江源氏佐々木氏の祖神を祭る邇々杵神社の奥の院と呼ばれ、鎌倉初期の釈迦如来像をはじめ20余体の仏像が安置されている。平安時代に創建されたあと荒廃し、1842年(天保13)に再建された邇々杵神社多宝塔を訪れる。

美しい樹林が広がる森林公園。温泉施設やレストラン、テニスコート、グラウンド・ゴルフ場のほか、山荘やバンガローなどの宿泊施設も備えているグリーンパーク想い出の森を訪れる。

延暦寺の僧、相応和尚が開いたといわれる天台修験の聖地。室町時代には九代将軍足利義尚やその母日野富子などが参籠に訪れた葛川息障川明王院を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の近場の名所巡り、滋賀県湖西北部に足を運び、志賀・近江舞子から今津までの湖岸に点在する歴史的建造物と若狭湾の幸を京の都にもたらした鯖街道に点在する歴史的建造物に触れ時間を過ごしました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十八弾:高知県香南&安芸&室戸観光
2011年4月2ー3日


南は太平洋、北は四国山地と豊かな自然に囲まれた高知県に足を運び、のどかな田園風景が広がり藩政時代に商都として栄えた面影を残し、絵金ゆかりの地である香南、弘法大師が修行を積んだ地たされ、周辺にゆかりの名所が点在し、古い町並みが残る吉良川・安芸、ユズの村馬路、荒波に削られた岸壁がそそり立つ室戸岬の室戸を訪れました。

2日15:50伊丹空港出発
16:35高知空港到達、レンタカーで出発、香南方面に向かう。

坂本龍馬の33年の生涯を180体のリアルなろう人形で再現した歴史館。生涯を26の場面に分け、誕生から暗殺までを年代順に追い、龍馬を取り巻く人々やエピソードでつづり、迫力満点。ほかにJ・F・ケネディなど、世界の偉人のろう人形も展示する龍馬歴史館を見学。

フェラーリ、ポルシェ、アルファロメオ、ランチア、ランボルギーニ他、国内外の名車・バイクを約70台展示。クルマ好きには夢のような博物館。日本車もトヨタ2000GTなど、時代を築いた名車が一堂に。バイクのコレクションもすばらしい四国自動車博物館を訪れる。

人と動物をさえぎる檻や柵がほとんどなく、植物や岩などで動物の生息地に近い環境を再現した動物公園。温帯の森、熱帯の森、アフリカ・オーストラリアゾーン、ジャングルミュージアムなどのエリアに分かれた園内には、約100種類約1500匹の動物が暮らしている。キリン、レッサーパンダ、ペンギンなどの人気動物のほか、世界的にも珍しいドウグロタマリンなども見られる高知県立のいち動物公園を訪れる。

18:00高知空港の近くのホテル到着後、周囲を散策し食事を済ませて就寝。

3日7:00レンタカーで出発、安芸方面に向かう。

1834年(天保5)に生まれた、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の生家。生け垣を巡らした屋敷内に茅葺の母屋や、2階建て土蔵が残る当時の代表的な中農の造り。土蔵の鬼瓦には、岩崎家の紋で、後の三菱のマークの原型といわれる三階菱が見られる。また、庭には少年時代に弥太郎が造ったという日本列島の形をした石組みの石庭がある岩崎弥太郎生家を訪れる。

1887年(明治20)、当時の庄屋畠中源馬が自宅の屋根に作った櫓時計で、安芸のシンボル。時計に興味をもった源馬は、独学で原理を学び、分銅や歯車もすべて自作した野良時計を訪れる。

安芸城主五藤氏の家臣たちが集まり住んだ武家屋敷の町並み。ウバメガシの生け垣、土用竹の垣根や塀に囲まれた武家屋敷は、今も住み継がれている。屋敷群の中ほどにある野村家のみ内部見学ができる土居廓中武家屋敷を訪れる。

安芸城跡に立つ資料館。館内では五藤家・人物・歴史などのコーナーに分かれ、安芸の歴史を紹介。なかでも土佐藩家老を務めた五藤家に伝わる武具・甲冑、美術工芸品が充実している。安芸出身の岩崎弥太郎、『浜千鳥』を作曲した弘田龍太郎の資料なども展示する安芸市立歴史民俗資料館を訪れる。

1982年(昭和57)、全国初の公立書道専門美術館として開館。全国を代表する書家や第一線で活躍する書家の作品を豊富に展示。安芸は藩政時代から書道が盛んな地で、川谷横雲・川谷尚亭・手島右卿など、日本書壇を代表する書家を輩出している安芸市立書道美術館を訪れる。

奈半利方面に向かう。

坂本龍馬とともに近江屋で非業の死を遂げた中岡慎太郎の、人生や夢を再現した歴史記念館。映像やパネル、資料で生涯を紹介する中岡慎太郎館を訪れる。

フランス印象派の巨匠、クロード・モネの庭園を再現したフラワーガーデン。モネの名を冠したバラや青い睡蓮の花が咲く。モネの作品のレプリカなどを展示したギャラリーのほか、地元の食材を生かした料理が味わえるレストランやパン工房も併設する北川村「モネの庭」マルモッタンを訪れる。

室戸方面に向かう。

かつて捕鯨が盛んだった室戸では、今なおクジラ料理の伝統が残る。クジラの尾の身を使った刺身やたたき、竜田揚げ、さえずり(舌)の酢味噌あえが付く鯨御膳は大満足の内容のキラメッセ室戸 食遊鯨の郷を訪れる。

807年(大同2)弘法大師の創建と伝えられる古寺で、四国霊場第26番札所。広い境内に本堂、大師堂、護摩堂などが立ち並び、遍路の姿が絶えない。本堂横に正倉院様式の霊宝殿(拝観は要予約)があり、平安時代末期の木造阿弥陀如来坐像、銅造観音菩薩立像、板彫真言八祖像などの重要文化財を収蔵する金剛頂寺を訪れる。

室津港を見下ろす小山に立つ四国霊場第25番札所。807年(大同2)弘法大師の開基と伝わり、125段の階段を登ると竜宮城を思わせる白壁に朱塗りの鐘楼門がある。本尊の楫取地蔵菩薩は弘法大師作といわれ、海上守護仏として信仰を集めている津照寺を訪れる。

807年(大同2)弘法大師の開基と伝わる古刹で、室戸岬頂上にある四国霊場第24番札所。俗に金剛頂寺を西寺と呼び、ここを東寺と呼ぶ。宝物殿には平安末期の作とされる仏像3体(重要文化財)と足利時代の作である3つ足丸盆1対(重要文化財)があるが、なかでも如意輪観音半跏像は大理石でできた非常に珍しいもの。弘法大師自らが刻んだといわれる、ご本尊の虚空蔵菩薩は秘仏。境内には空海の七不思議、鐘石と喰わずの芋がある最御崎寺を訪れる。

乱礁遊歩道の入口に立つ像。現在の安芸郡北川村に生まれた慎太郎は、陸援隊隊長として幕末に活躍した尊攘の志士。1867年(慶応3)11月15日、海援隊隊長の坂本龍馬と共に、京都の近江屋で暗殺された。このとき慎太郎30歳。その目線は、遠く太平洋に注がれている中岡慎太郎像を訪れる。

1899年(明治32)の完成で、今も現役。紺碧の大海原を背景に立つ白亜の灯台は、ビューポイントとして人気だ。地上から灯台頭部までの高さ15.4m。直径2.6mのレンズは日本有数の大きさを誇り、光達距離は49kmにも及ぶ室戸岬灯台を訪れる。

弘法大師が悟りを開いた2つの洞窟。向かって右が、三教指帰の悟りを得たとされる神明窟。もう一方の寝起きしたとされる御厨人窟には、五社神社がある。ここから見える空と海に感銘を受け、自ら空海を名乗ったといわれる御厨人窟・神明窟を訪れる。

太平洋を望む室戸岬の高台に立つ大師像は、台座部分をあわせると高さ21mにもなる巨大な像。ここは19歳の弘法大師(空海)が、悟りを開いたとされる地で、台座には大師の一生を表したレリーフがある。台座内部には、八十八カ所各寺院の本尊を描いたステンドグラス胎蔵界曼陀羅を展示するほか、木片に残された大師の手形も安置されている。大師像の背後に横たわる金色の涅槃像も見逃せない室戸青年大師像を訪れる。

17:00終了。帰路に向かう。
18:30高知空港到達
19:10高知空港出発
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、四国の太平洋と四国山地に囲まれた自然豊かな高知県に足を運び、のどかな田園風景が広がり藩政時代に商都として栄えた面影を残し、絵金ゆかりの地である香南、

高知市と室戸市の間にある町、歴史が刻まれた野良時計や藩政時代の面影を残す武家屋敷が建ち、しっとりとした風情に包まれ、童謡作家の引田龍太郎を輩出し、龍太郎の偉業をたたえる曲碑が点在する安芸、

深い森に抱かれた林業の村でユズで一躍有名になった馬路村、

薪や木材の集散地として栄えた豪商の屋敷が数多く残っている吉良川の町並み、

ダイナミックな景色が広がる四国東南端の地、周辺には弘法大師ゆかりの名所が点在する室戸を訪れ、雄大な太平洋の海岸線を望む景勝地などの自然有り、四国八十八札の寺社の点在有り、武家屋敷の歴史的建造物有り、ドライブ観光楽しめました。

今回で高知県はほぼ制覇できました。