飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十五弾:長崎県長崎タウン観光 2011年5月28日ー29日 九州の長崎県に足を運び、江戸時代の鎖国の間、日本唯一の貿易港として中国やオランダとの文化交流が盛んに行われていた町、石畳の坂道を歩けば、洋館群やグルメなど、街中でその名残を感じることができる長崎タウンを訪れました。 28日16:10伊丹空港出発 17:25長崎空港到達、レンタカーで長崎タウンに向かう。 18:20長崎市内のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。 29日6:30長崎タウンを散策する。 横浜・神戸と並ぶ三大中華街の一つ。江戸中期に唐船荷役の倉庫を建てるために埋め立てられた地域で、現在は多くの中国料理店や商店が並ぶ。中華街の東西南北には、それぞれ龍や白虎をあしらった朱塗りの中華門が立っていて、異国情緒をさらにかき立てている長崎新地中華街を訪れる。 長崎新地中華街の四方の入口に立つ朱塗りの門が「牌楼」、すなわち中華門。1985年(昭和61)、長崎新地中華街商店街組合により建てられた。それら4つの青竜門、白虎門、朱雀門、玄武門は正確に東西南北を示す位置にあり、それぞれ裏側に龍や朱雀など四方の守護神である中国伝説上の動物が彫られている中華門を訪れる。 オランダ坂に面して並ぶ、7棟の洋館。明治20年代後半に外国人用の賃貸住宅として建てられたもので、7棟のうち5棟が資料館として見学できる。東山手地区町並み保存センターでは、外国人居留地時代の様子を写真やビデオで紹介。古写真資料館は、写真の開祖・上野彦馬の資料や明治・大正期の長崎に関する写真を多数展示している。埋蔵資料館では、江戸時代の遺跡の出土品などが見学可の東山手洋風住宅群を訪れる。 1893年(明治26)、中国政府の多大な協力を得て華僑らによってつくられた、孔子を祭る聖廟。中国人が海外に建立した唯一の孔子廟としても知られる。廟全体が中国特有の雰囲気を醸し出す華やかな極彩色で飾られており、朱は魔除けと慶びを、黄色は皇帝を表す色として随所に用いられている。門をくぐり敷地内に入ると正面奥に大成殿がそびえ、その前庭には72体の賢人石像が左右にずらりと並んでいて壮観な孔子廟を訪れる。 南山手乙9番館を利用した美術館。須加五々道画伯の作品を鑑賞できる。須加五々道画伯は、新日本画と呼ばれる水墨画の技術を基調に西洋の遠近法をとり入れた独特の画法で知られる。作品『農婦』は、1999年(平成11)にフランセーズ大賞を受賞。20数点の作品のほか、画伯が使用している筆も展示する長崎市須加五々道美術館を訪れる。 標高333mの稲佐山に整備された展望公園。山頂の展望台からは港や市街地が一望で、360度のパノラマが楽しめる。1000万ドルの夜景は必見。中腹にはサル舎や鹿舎、野外音楽堂などもある稲佐山公園を訪れる。 |
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滋賀県伊吹山周辺・長浜観光 2011年5月25日 近畿の水瓶、日本一のびわ湖を中央に抱く滋賀県に足を運び、花々が咲く伊吹山周辺の自然に囲まれたエリア、城下町でレトロモダンな町並みの長浜を訪れました。 12:30車で第二京阪名神自動車道経由して米原インター下車 13:30伊吹山周辺に到達。 聖徳太子が創建し、後に一向上人が再興した。鎌倉幕府崩壊とともに自刃した北条仲時と家臣の墓(史跡)が境内にあり、彼らの名前を記した「陸波羅南北過去帳」(重要文化財)も残る。長谷川伸作の『瞼の母』で有名な、「番場の忠太郎」の地蔵も祀られている蓮華寺を訪れる。 1570年(元亀元)、約3万の兵力を誇った織田信長・徳川家康連合軍に対して、1万8000人の浅井長政・朝倉景健連合軍が挑んだ。姉川付近で激闘が繰り広げられ、結果は信長の勝利に終わった。現在の野村橋が架かる姉川一帯は血に染まったといわれ、今も供養塔が残る。多数の戦死者を出した浅井方はこの戦いの後、1573年(天正元)の小谷城落城とともに終焉を迎えることになる姉川古戦場を訪れる。
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飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十四弾:岡山県笠岡諸島観光 2011年5月21日ー22日 生きた化石、カブトガニの養殖で有名な岡山県笠岡に足を運び、岡山県の西端、笠岡市に属し、高島・白石島・北木島・真鍋島・小飛島・大飛島・六島の7島で構成されている。主産業は、漁業、石材加工業、観光である。近年、漁業ではノリの養殖が盛んである笠岡諸島を訪れました。 21日12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して笠岡インター下車 15:00神島外浦港到達。 15:22神島外浦港フェリーで出発 15:29高島港到達 笠岡市笠岡港から約12km、瀬戸内海の中央に飛び石状に浮かぶ笠岡諸島の最北端に位置し、国の名勝に指定されている風光明媚な島。古くから瀬戸内海航路の要衝として栄え、「古事記」に記されている神武天皇東征の際の高島行宮が置かれたのがこの島という説がある。かつては採石業と海運業が盛んだったが、民宿が増え、今では観光と漁業の島となっている。島の南側には、尾根伝いに延びる遊歩道があり、登っていくと、途中の展望台からは360度、瀬戸内の穏やかな風景が見渡せる高島を散策する。 陰石としては日本屈指の巨石。昔から良縁、子授け、安産、婦人病の霊神として崇められている。山の頂にあり、展望も素晴らしい子はらみ石を訪れる。 笠岡諸島を望みながら、海水浴が楽しめる高島海水浴場を訪れる。 島の南側に瀬戸内海の眺望を楽しみながら散策できる全長2kmの遊歩道がある。途中の展望台からは、晴れた日には瀬戸大橋まで望める遊歩道展望台を訪れる。 神武天皇が高島滞在の折、吉凶を占った山と伝えられ、山頂には「高島行宮遺趾」と題した自然石の巨碑がある。展望台からは笠岡諸島をはじめ、瀬戸内海の大パノラマが広がる。また、神卜山へ向かう遊歩道沿いには、神武天皇が天つ神にお供えする水を汲んだと伝えられる「眞名井」が残っている神卜山を訪れる。 神武天皇が滞在した吉備高島行宮跡と伝えられる神社、高島神社を訪れる。 17:13高島港出発 17:19神島外浦港到達、車で水島方面に向かう。 18:30水島市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。 22日6:10車で出発、笠岡港に向かう。 7:00笠岡港到達。 7:25笠岡港高速艇で出発、白石島に向かう。 7:47白石島到達、散策する。 笠岡市笠岡港から約16km、笠岡諸島の中では比較的本土に近い島。花崗岩の地肌が遠くから白い雪をかぶったように見えることから、白石島と呼ばれるようになったといわれており、国の名勝にも指定されている。江戸時代には備後鞆と備前下津井を通る内海の沿岸航路の中継地として栄えた。備後福山藩時代に干拓が行われたため、笠岡諸島の中では平地が多い島となっている。主産業は漁業で、底引網や定置網、ノリの養殖などが営まれている。島には観光資源が多く、海水浴場もあるため、特に夏場には多くの観光客でにぎわう白石島を訪れる。 瀬戸内海国立公園の自然景観美が楽しめる海水浴場、白石島海水浴場を訪れる。 弘法大師が唐から帰朝の途中に立ち寄り、一寸八分の尊像を刻んで島に残した。島民は、尊像をまつる大師堂を建て、笠岡市神島に開いた八十八箇所の奥の院としたという。元暦元年(1184年)、源平水島合戦での平家の戦死者を弔うため、慈眼寺が建立され、寛永2年(1625年)に開龍寺として再建された。昭和43年には、タイ・バンコクの名刹ワットパクナム寺院から仏舎利と釈迦如来像が奉納され、同45年にはタイ式仏舎利塔が日本で初めて建立された弘法山開龍寺を訪れる。 8:45白石島フェリーで出発 9:20真鍋島本浦港到達、散策。 笠岡市笠岡港から約31kmにある島。年間を通して霜のおりない温暖な気候で、秋から冬にかけて穏やかな斜面の畑は、寒菊などの花でいっぱいになる。西行法師の「山家集」に詠まれており、民俗行事もいくつか残っていて、歴史を今に伝える島である。島名は、真南辺の島、つまり備中国小田郡の南端にある島という意味で、後に真鍋の字をあてたと考えられている。平安時代末期に藤原氏の一族が水軍の根拠地を置いて真鍋氏を名乗り、全盛期には付近の島々をことごとく支配下に治めていたという。島には、源平合戦で平家方に属した真鍋氏の城趾や供養のために建てたと伝えられる石造宝塔などの史跡がある。港には石積みの堤防があり、のどかな漁村の佇まいを残している島として、岡山県が「ふるさと村」に指定しており、「瀬戸内少年野球団」など映画のロケ地にもなっている真鍋島を訪れる。 花の広場とフィールドアスレチック。花畑と展望休憩施設もある真鍋島ふれあいパークを訪れる。 笠岡市北木島や飛島をはじめ、福山市の島々を一望できる天神鼻展望台を訪れる。 天神鼻にある菅原道真公をまつる神社。境内からは弥生式土器が出土している天神社を訪れる。 延暦14年(795年)に弘法大師が開いたと伝えられる真言宗の古刹、円福寺を訪れる。 真鍋島の鎮守社で、応神天皇・神功皇后のほか三女神をを祭神とする。元禄時代(1688年から1703年)の創建と伝えられる八幡神社を訪れる。 11:00真鍋島本浦港フェリーで出発 11:15北木島大浦港到達、歩いて豊浦方面に向かう。 笠岡市笠岡港から約26kmの笠岡諸島の中央に位置する、笠岡諸島の中で最大の島。島のほぼ中央の笠岡諸島最高峰の葩栗山を中心に急峻な山々が連なっている。かつては柴島と呼ばれていたが、「柴」の字を「北木」の2字に置き換えたのが島名の由来といわれる。戦国時代には真鍋島の真鍋氏の支配下にあり、江戸時代には備後福山藩の所轄となった。古くから「北木御影石」で知られる「石の島」として有名で、江戸初期の大阪城修築の際には、大量の石垣石を送り出している。明治以降、石材の採掘が本格化し、東京の日本銀行本店、三越本店、日本橋、靖国神社大鳥居をはじめ、多くの構築物に北木石が使用されている北木島を訪れる。 東京オリンピックの時、代々木第2体育館の地下回廊を飾る彫刻を製作するために来島した彫刻家・水井康雄氏が島に残した作品で、北木中学校の校庭にある北木島山水を訪れる。 北側・南側に砂浜があり、中央部には松林が広がる。楠海水浴場・キャンプ場がある松原の白砂青松を訪れる。 元和6年(1620年)に始まった大阪城修築工事にあたり、石垣に用いる巨石が切り出された跡。大岩の下半分のみが波に洗われる状態で残っている矢倉の磯を訪れる。 北木石を使った彫刻作品を展示する第1回石彫シンポジウムの作品のひとつメビウスの輪を訪れる。 15:45北木島豊浦港フェリーで出発 16:05小飛鳥経由して 16:10大飛鳥洲港到達 笠岡市笠岡港から約30kmにある島。大飛島、小飛島をあわせて「飛島」と呼ぶことが多い。笠岡諸島は古くから瀬戸内海の交通の要衝で、中でも大飛島付近は瀬戸内海の東西の潮が離合する場所といわれ、往来する船がこの地で潮待ちをしていたと考えられている。奈良時代から平安時代にかけての祭祀遺跡が発見され、おびただしい数の奉献品が出土したことからも、重要な地であったことがうかがえる。平安時代から真鍋島の豪族・真鍋氏の支配下にあったとされ、元禄時代(1690年代)に移住したのが開拓の始まりといわれている。かつては、大飛島の南東にある大浦港の近くから、東に砂洲が鳥のくちばしのように小飛島に向かって延び、大飛島と小飛島を結ぶ海中の架け橋ともいわれていたが、潮流の変化もあって、現在ではほとんど見ることができない小飛島・大飛島を訪れる。 小飛島にある飛島の氏神様、嶋神社をフェリーから望む。 干潮時には小飛島に向かって幅30m、長さ350mの砂洲が現れていたが、最近は昔のように立派な砂洲は現れなくなった。笠岡市指定の天然記念物の大飛島の砂洲を訪れる。 昭和37年、飛島中学校の生徒が土器片数個を発見し、発掘調査で奈良三彩の壺、宋銭、銅鏡、装身具など、奈良時代から平安時代にわたる数百点の遺物が出土した。国指定重要文化財。海路の安全を祈願した祭祀遺跡とみられている。笠岡市指定の史跡の大飛島洲の南遺跡を訪れる。 17:00大飛鳥洲港フェリーで出発。 17:57笠岡港到達、車で帰路に向かう。 今回の旅行、得意な離島巡り、岡山県笠岡に足を運び、岡山県の西端、笠岡市に属し、高島・白石島・北木島・真鍋島・小飛島・大飛島・六島の7島で構成されている笠岡諸島を訪れ、意外と歴史深い史跡が点在しもっぱら散策して巡り楽しめました。 残念ながら船の便の時刻に合わず六島を訪れることが出来ませんでした。次回期待したいと思います。 いつもながら素朴でのどかな離島、今回も同様で村人は若い人は皆無、老年の方のみしかお会いできない。島内では仕事が無いので若い方は都会に向かい島から出て行く有様。年々人口が減り過疎地となる。離島の将来はどうなるんでしょうね。心配です。 |
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京都府洛北観光 2011年5月18日 文化遺産の宝庫、京都に足を運び、都人がひっそりと隠遁した閑雅なエリアから穏やかな山里の大原、神秘的な伝説が数多く伝わる山深い鞍馬や貴船などのエリアの洛北を訪れました。 12:30車で第二京阪阪神京都線経由して 13:30洛北エリア到達。 鞍馬・貴船から市街地に戻る途中の鞍馬街道沿いに、市原野と呼ばれる集落がある。このあたりは古くから小野氏の領地で、小野小町と深草少将の亡霊が僧侶に百夜通いの物語をする、謡曲『通小町』の舞台でもあった。この寺も正式には補陀洛寺というが、通称の小町寺で知られる。本堂内には、美女の姿からはかけ離れた小野小町老衰像を安置。境内には小野小町塔や深草少将塔、小野小町姿見の井戸なども残る補陀洛寺(小町寺)を訪れる。 大原方面に向かう。 三千院からさらに東、呂川沿いに山道を少し上った地にひっそり佇む。最澄の直弟子の慈覚大師円仁が中国の五台山を模して建立、その後衰微したが1109年(天仁2)に融通念仏宗の祖良忍上人が再興した。円仁は唐への留学で、独特の節回しで唱えるお経である声明を持ち帰ったため、ここが日本での声明の発祥地とされる。本堂には藤原時代の本尊薬師如来像(重要文化財)を中心に、釈迦如来像(重要文化財)、阿弥陀如来像(重要文化財)を安置する来迎院を訪れる。 |
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飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十三弾:福井・石川県武生&越前&加賀温泉郷観光 2011年5月14日ー15日 福井県から石川県南部まで足を運び、白壁の続く蔵の辻散歩を楽しみたい武生、眼鏡生産で有名な鯖江、話題のグリーンツーリズムが盛んな今立、越前ガニ、奇岩で有名な越前、山代、山中、粟津、片山津の4つの温泉地が揃う加賀温泉郷を訪れました。 14日12:30車で第二京阪京滋名神北陸自動車道経由して 14:30今庄インター下車、今庄に向かう。 京都と北陸、若狭と越前をつなぐ交通の要衝として、また、江戸期には北国街道の宿場町として栄えた。JR今庄駅の西側を南北に延びる道沿いには、大名や幕府役人など位の高い人が宿泊した江戸後期建築の本陣や商家、旅籠など往時の面影が色濃く残っている。なかでも、京藤甚五郎家は、赤みの強い越前瓦の屋根と卯達が、ひときわ異彩を放っている。通りのあちこちに史跡や建物の特徴を解説した立て札がある今庄宿を散策する。 今立方面に向かう。 開創は719年(養老3)。檜皮葺屋根の本殿は入母屋と唐破風が重なった造りで、国の重要文化財にも指定されている。背後の山には、大滝神社奥の院と並んで、1500年前にこの里に紙漉きの技を伝えた川上御前を全国で唯一紙祖神として祭る、岡太神社の本殿もある大滝神社を訪れる。 |
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兵庫県淡路島沼島観光 2011年5月11日 大阪湾、播磨灘、紀伊水道に囲まれた国内第7位の規模の淡路島に足を運び兵庫県淡路島の南方、紀伊水道に浮かぶ島。南あわじ市に属し、淡路島の南方4.6キロメートルにあり、結晶片岩からなり、奇岩と断崖が連続し、瀬戸内海国立公園の一部である。縄文後期からの土器片も出土し、古代の海人族が居住した地とされる。『古事記』の国生み神話にみえる淤能碁呂島とされ、伊邪那岐信仰の厚い漁業専業の島、沼島を訪れました。 12:30車で阪神第二神明淡路鳴門自動車道経由して西淡三原インター下車 14:30土生港到達 15:00土生港フェリーで出発 15:10沼島到達、散策。 元慶四年(880年)に開基された由緒あるお寺です。宮寺であるのでこの寺の僧が、神官とともに沼島八幡神社の守護にあたりました。梶原氏の菩提寺でもあったので、厨子、紺紙金泥経、曼陀羅など、数々の宝物は梶原氏の寄進と伝えられます。本堂の裏の傾斜地を利用し、岩盤を生かした「築山式枯山水庭園」は市指定史跡名勝天然記念物の神宮寺を訪れる。 永享8年(1436)梶原俊景が京都石清水八幡宮の分霊を阿万八幡宮を通じて勧請し創建したと伝えられます。かつては水軍の拠点であり、昔から海を生活のより所としてきた沼島の生活をうかがいしれる絵馬13額が掛けられ、全国的にも珍しい逆羅針盤が天井に奉納されています沼島八幡神社を訪れる。 松香石という特殊な石でつくられている。古くから梶原景時の墓と伝えられており、この塔の造立年代も鎌倉初期のものと見られている 梶原五輪石(梶原景時の墓)を訪れる。
室町時代に10代将軍足利義稙によってつくられたという説が一般的に通っているが、作庭手法や歴史的考察から見て、江戸時代初期ではないかという説もある。沼島の特徴である緑色片岩を利用し、地層を生かして作庭している力強さあふれる石組の庭の沼島庭園(伊藤邸の庭)を訪れる。 沼島庭園の入り口にある井戸。沼島では井戸のことを「川」と呼び、この井戸も別名・王川と呼ばれている。現在も枯れることなくきれいな地下水が湧き、汲みにくる地元の人も多い八角井戸を訪れる。 小高い山の上、まるで天に届くかのようなまっすぐな階段を上ると、到着する。この山全体が「おのころさん」と呼ばれる神体山だ。天地創造の神であるイザナギ、イザナミの二神を祀っているおのころ神社を訪れる。
17:40沼島フェリーで出発 17:50土生港到達、車で帰路に向かう。 今回の名所巡り、淡路島の国生み神話に伝わる、神々がつくり出した最初の島「おのころ島」だという伝説が残り、今もなお自然のままの姿を残す、神秘の島・沼島を訪れ点在する社寺と史跡を巡りました。 ヨット、クルーザーで何回か訪れた沼島、マリンスポーツでの楽しみと島周囲の点在する神岩を確認したことがありますが島内部陸地の観光は初めてで、散策して、由緒ある島であり、歴史深い島であることが改めて知ることが出来ました。 |
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飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十二弾:島根県津和野&益田&浜田観光 2011年5月7日ー8日 中国地方島根県に足を運び、山口県との県境、津和野川に沿って細長く開けた山間の城下町、山陰の小京都と呼ばれる白壁と赤瓦の家並みが続き、風情たっぷり、史跡や美術館、文豪や芸術家ゆかりの名所が点在する津和野、古くから石見地方の中心として栄え、万葉歌人・柿本人麻呂と画僧・雪舟ゆかりの地の益田、天然の良港に恵まれた立地は、山陰有数の漁港として活気に溢れ、 天然記念物に指定されている石見畳ヶ浦、海洋館AQUASなど、観光レジャーにも最適の浜田を訪れました。 7日13:09新大阪新幹線のぞみで出発 14:30広島駅到達、レンタカーで津和野に向かう。 16:00津和野到達。 手回し式の計算機や、写真機、蓄音機など、明治〜昭和初期の各時代を物語る生活道具を展示する資料館。ほとんどの展示物が自由にさわれ、実際に使えるダイヤル式公衆電話もある津和野今昔館を訪れる。 森鴎外旧宅に隣接して立つ記念館。軍医であり、文学者でもあった鴎外の生涯を、遺品や直筆の原稿、ハイビジョン映像などで紹介している。鴎外は、幼くして『論語』や『孟子』を学び、天才少年の誉れ高かった。7歳から2年間、養老館で学び、10歳で上京し、その後、鴎外は陸軍軍医となり総監に就任。そのかたわら『舞姫』『山椒大夫』『阿部一族』など多くの小説を著した。鴎外が妻や子どもたちに宛てた書簡や、日記も展示されており、家族思いの鴎外という一面も垣間見ることができる森鴎外記念館を見学。 明治の文豪・森鴎外が1862年(文久2)に生まれ、10歳まで過ごした家。父は藩の御典医で、玄関から入って左の3畳間が父の調剤室。その奥の4畳半が鴎外の勉強部屋だったという。1909年(明治42)に発表された『ヰタ・セクスアリス』の中に「このへんは屋敷町で、春になっても柳も見えねば桜も見えない」と書いているのはこの家のことだ。前庭に鴎外の詩『釦鈕』を佐藤春夫の筆で刻んだ碑が立つ森鴎外旧宅を訪れる。 |
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飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十一弾:キプロス&マルタ島観光 2011年4月28日ー5月5日 ヨーロッパ地中海の2つの島国、国土の4割近くが森で、中央にはオリンポス山を中心に山岳地帯が広がり豊かな大地と海の幸に恵まれ、人々の生活水準は高く、ギリシア神話に登場するアフロディテが生まれた場所で、1万年の歴史を刻む遺跡の数々のキプロス、 イタリアとアフリカ大陸に挟まれ、地中海のヘソと呼ばれ、先史時代に築かれた謎の多い巨石神殿が点在し、この長い歴史から地中海文明のゆりかごとも称され、この好立地ゆえに数多の民族の侵略を受け、抵抗の歴史であり、マルタの町の基礎を築いた聖ヨハネ騎士団を語らずには、言えないマルタ共和国を訪れました。 4月28日23:35関西国際空港エミレーツ航空で出発 29日5:05(時差ー5時間)ドバイ空港到達 8:35ドバイエミレーツ航空で出発 11:15(時差ー6時間)キプロスラルナカ到達、バスでニコシアへ移動 12:40ニコシア到達、昼食 14:00キプロスの首都であり、起源は、新石器時代にさかのぼるという歴史の町、現在はベネツィア時代の城壁に囲まれた旧市街地と、その外側に広がる新市街地に分かれている歴史的な建物が今も多く残るニコシア市内観光。 キプロスの歴史と文化を深く知る上で欠かせないニコシアにある博物館。紀元前5800年の新石器時代から、ビザンチン前期までのキプロスの貴重なコレクションが展示されていますキプロス博物館を見学。 1662年に建てられた教会。聖書などを題材とした、保存状態の良い18世紀の壁画と、木に彫り込まれたイコンが素晴らしい聖ヨハネ大聖堂を訪れる。 9〜18世紀にかけてのイコンのコレクションが特に有名。美術館には絵画や地図、リトグラフなどが展示されていますビザンチン美術館を見学。 かつて市内へ入るための門として建てられたベネチア時代の遺構。この頃のニコシアは城壁と砦に囲まれており、現在でも旧市街には当時の町並みが残されていますファマグスタ門を訪れる。 キプロス島にある南部のギリシャ系住民が支配する地域と、分離独立を求めている北部のトルコ系住民との衝突を抑止するため1974年に国連が引いた緩衝地帯(停戦ライン)のグリーンラインを訪れる。 18:00旧市街地内のホテル到着 19:30夕食、就寝 30日8:30バスで出発、リマソールからパフォス方面に向かう。 キプロス第2の都市で、商業の中心地であり、またリゾート地でもあるリマソールを訪れる。 紀元前14〜13世紀、ギリシアのペロポネソス半島から渡ってきたアカイア人の植民都市として発展。考古学上、最も重要な遺跡の数々が残されていますクリオン遺跡を散策する。 13世紀に建てられたこの城は、十字軍遠征の際、教会騎士団の本拠地でしたコロッシ城を訪れる。 リマソールのクリオン遺跡より西へ3キロのところに、神殿とその聖域の遺跡があります。森の神アポロはクリオンの守護神として信仰され、ここに祭られていましたアポロ神殿を訪れる。 12:15昼食 13:00出発、愛と美の女神アフロディーテは、現在のパフォスの町より25キロ東にある、岩が海より突き出したペトラ・トゥ・ロミウと呼ばれる海岸で誕生したとされています。その近郊には、紀元前1200年頃造られた神殿の跡があり、かつてパフォスといえばこの辺りを指していました。ここは女神アフロディーテ伝説発祥の地でもあり、多くの巡礼者が後を絶たなかったといいますアフロディーテ神殿を訪れる。 15:30古代ギリシアの伝説上の人物。キプロス島の南西部にあってアフロディテ崇拝で有名な都市パフォス到達 パフォスの港を守るためのビザンチン時代の砦。13世紀に城として再建されましたパフォス城を訪れる。 港の近くのカトパフォスには、非常に精巧なモザイク画があることで有名。その美しさは東地中海の中でも指折りのディオニュソス、テセウス、エイオン館を訪れる。 17:00リマソルに戻る。 18:20リマソルのホテル到達 19:30夕食、就寝。 5月1日8:30バスでトロードス方面に向かう。 9:30標高2000メートル近いオリンポス山を最高峰とした緑の別天地だ。夏は多くの島民が避暑に訪れる。そんな山々の間に、11〜12世紀のギリシア正教の小聖堂が数多く残され、7世紀のアラブ人の侵攻以来、カトリック、イスラム支配が長く、正教徒の受難の時代が続いたが、トロードスの深い山中では正教の伝統が耐えることなく続いた。その結果、世界的にも貴重な中世初期の沢山のビサンティンのフレスコ画が残ることになったトロードスを訪れる。アシヌ教会、ボディトゥ教会、聖ニコラオス教会を巡る。 12:00昼食 13:00出発 14:00 900年の歴史を誇るキプロスでも名高いトロードス山中の修道院。12世紀に発見された聖母マリアのイコンは、聖ルカにより描かれた3つのイコンのひとつといわれていますキッコー修道院を訪れる。 16:30トロードス南部にある「クラソコリア(ワイン村)」のひとつ。細い路地と伝統的な石造りの家々が建ち並ぶ、独特の風情に包まれた美しい村のオモドス村を訪れる。 17:15リマソルに向かう。 18:30リマソルのホテル到達 19:30夕食、就寝 5月2日8:30バスで出発、キプロス共和国の都市、キプロス第二の商業港湾都市で、ラルナカ国際空港があり、夏の間リゾートでにぎわうラルナカ方面に向かう。 ラルナカに向かう途中、新石器時代に形成された農耕民族の集落の跡で、東地中海で最も価値のある遺産のひとつに数えられます。ラルナカから西へ約30キロ、キプロス南部の海岸に近い山麓の川沿いに位置しています。住居跡には直径2、3メートルから、10メートルにまで及ぶ円形の住居基台が多く残っており、かつてこの上に円筒状の住居があったことを物語っています。日干しレンガで作られた壁には塗装の跡が見られるほか、集落の周辺には外壁があった形跡もあります。狩猟、農耕、家畜の飼育が行われていたと共に、埋葬の習慣があったことも確認できますヒロキティアを散策する。 10:30ラルナカ国際空港到達。 12:15ラルナカ空港エミレーツ航空で出発 14:10(時差ー7時間)マルタ島到着、バスで、マルタ共和国の首都。マルタ島東部に位置し、港を見下ろすシベラスの丘の上にある。ホスピタル騎士団(Knights Hospitaller)の時代以降の多くの建造物が残る。一部の地域では、バロック建築・マニエリスム建築・近代建築・新古典主義建築など多様な要素も見られる。第二次世界大戦で戦禍に巻き込まれたが、1980年にユネスコの世界文化遺産に選定されたバレッタを訪れる。 マルタバレッタにあるカトリック教会の聖堂。1573年から1578年にかけ、マルタ騎士団によって建てられた。1572年、騎士団総長ジャン・ド・ラ・カシエールが、聖ヨハネ騎士団の修道会教会堂として建設を命じたことによる。1565年のマルタ大包囲戦終結後ただちに建設が始められたため、かつての軍事要塞の名残を残している。外観は、マルタ石の名で知られるマルタ島産の石灰岩を使用している。バロック様式の内装は、カラブリア出身のマルタ騎士団員で画家のマッティア・プレッティの手によるものが大部分を占めている。プレッティは精巧に刻まれた石の壁を設計し、ヴォールト天井と祭壇の両側を聖ヨハネの生涯を描いた絵画で埋めつくした。教会の本堂には、重要な騎士たちが眠る、大理石でできた墓石が並んでいる。最重要の騎士たちは教会の全面近くに埋葬されている。これらの墓石は豊かな装飾がなされ、石の下に埋葬されている騎士の似姿と同様にその紋章が彫られ、時には戦勝の物語を記している。聖堂内の礼拝堂は、騎士団を構成した騎士が8言語ごとの騎士館に分けられていたのにならい8つあり、小礼拝堂に展示されている絵画、カラヴァッジオ作『洗礼者ヨハネの斬首』は、教会内で最も有名な作品である。カラヴァッジオの傑作の一つで、画家本人の署名がされた唯一の作品である聖ヨハネ大聖堂美術館を見学。 マルタの巨石文明遺跡からの重要な発掘品を所蔵する博物館。建物は16世紀に建造されたもので、かつての聖ヨハネ騎士団のプロヴァンス地方出身者の宿舎であった。有名な所蔵品に『マルタのヴィーナス』と『眠れる女神 』がある国立考古学博物館を見学。 カスティル・プレイスの近くにあり、スリーシティーズ越しのグランド港の比類ない眺望を誇っています。起源は1661年にさかのぼり、当時は居住の宿(オーベルジュ)がすぐ近くにあるイタリアの騎士のプライベートガーデンでした。パブリックガーデンとしてオープンしたのは1824年以降のことで、第二次世界大戦の間は、多くの破壊を受けました。経路には、マルタの歴史上の様々な人物や他の重要な出来事を表す、胸像、彫像や碑が並んでいますアッパー・バラッカ・ガーデンズを散策する。 17:30バスでバレッタ北西に位置するホテルに向かう。 18:00ホテル到達 19:30夕食、就寝。 5月3日8:00バスでゴゾ島行きのフェリー乗り場に向かう。 9:30フェリー出発 10:00マルタ島の北西6キロメートルにある、緑豊かな島。有史時代から、さまざまな民族がこの島を襲ったため、島の中心の町ビクトリアにはグランカステロと呼ばれる大城塞がある。島民はいつもこの中に避難し、自らを外敵から守っていたゴゾ島到達。 城塞都市への入り口に1697〜1711年にかけて建てられたバロック様式の大聖堂。資金不足から聖堂にはドームが造られなかったが、イタリア人画家アントニオ・マヌエル作の遠近法を駆使した“だまし絵”によって、人々が見上げる天井にはあたかもドームがそこにあったような錯覚を与えるようになっている。内部は見事なバロック装飾だ。また、金や銀の宗教具や絵画が展示されている博物館もあるゴゾ大聖堂。 ヴィクトリアの東に通称「巨人の塔」と呼ばれる神殿跡がある。先史時代の神殿の中で最大の規模を誇り、保存状態がよいといわれている。紀元前3500年ごろの建造物で、伝説によると、巨人女性サンスーナ(Sansuna)によって建造されたものといわれている。1826年に発見されたこの神殿は、連結していない2つの中庭に9つの巨大なアプシス(ロマネクス、ビザンティン様式の教会礼拝堂に見られる外部に張り出した半円形ドーム)を持つ建物だ。長さ約23m、壁の高さも約8mにも及ぶ石積みの壁で囲まれている。積み上げた石は数トンにも及ぶ巨大な石灰岩などからなり、風化した石灰岩はかなり崩れかけている。内部は、荒削りの石とは異なり表面がなめらかな石で、いくつもの室に仕切られている。生け贄を洗ったといわれる丸くくり抜かれた石や、ヘビを描いた石などが発見された。ここでは鎮魂の儀式が行われたと考えられているジュンガンティーヤ神殿を訪れる。 シャーラ村の北には、ホメロスの叙情詩「オデッセイア」で詠われた美しい妖精カリプソが、7年間オデッセウスを虜にした伝説の愛の洞窟。カリプソはオデッセウスに不死の命を約束、その条件はオデッセウスが永遠に私(カリプソ)のもとに留まることだった。ところがゼウスの介入で、彼はこの島から出て、妻ペネローペのもとへ戻ることができた。「オデッセイア」の中で語られたカリプソの住み家とは不明だが、洞窟の入り口から巨大神殿ジュガンティーヤ時代のテラコッタが発掘されている。美しいラムラ湾の景色を楽しむことができるカリプソの洞窟を訪れる。 ゴゾ島の代表的景観ともいわれ、数千年の風と波の浸食によって造られた岩のアーチ。アーチは高さ20m、幅100m、奥行き40mという岩に開いた自然の窓である。褐色の岩のアーチを通して見える紺碧の海の美しい景観は、観光バスがやって来る数少ないゴゾ島の人気スポットでもあるアズール・ウィンドーを訪れる。 12:00ビクトリアに戻り昼食 13:00昼食後市街地を散策 14:15バスでフェリー乗り場に向かう。 15:00フェリー出発 15:30マレタ島に戻る。 16:00バスでバレッタを望める市街地到着、散策 17:30市街地のレストランで夕食 19:00バスでホテルに向かう。 19:30ホテル到達、就寝。 5月4日9:00バスで出発、南の河岸方面に向かう。 9:30「青の洞門」の船着き場に行く少し手前に丘の上から海を眺める所に到着。丘の上から少しだけ洞門の感じや海の蒼さなど見ることが出来る「青の洞門」を丘の上から眺望する。 10:00 8-9名乗りの遊覧ボートで、船乗り場を出て海上を岸に沿って走っていくと岸辺の断崖の麓に切り込んだ割れ目が見えてくるこれが洞門で奥行きは10m-30mくらいあろうかその中に入って行くと海の底に反射した光が水の蒼さをクッキリと浮き上がらせる。実に美しい!神秘的な色合い、コバルトブルー、エメラルドブルー、いやマルタブルーと云うか、波に揺らめいて光り輝くのである。波際の岩にはオレンジ色の珊瑚が帯になって見え隠れする。これも美しい!こんな調子で次から次へと洞門を巡っていく青の洞門を巡る。 10:40バスでバレッタに向かう。 11:00バレッタ到着。 歴代の騎士団長の公邸であり、現在は国会議事堂としても使用されている。聖ヨハネ大聖堂の設計士カサールにより1574年に完成。大ホールには兵器庫もあり、様々な時代の武器のコレクションが展示されている騎士団長の宮殿を訪れる。 12:00昼食を済ませて 13:00マルタ空港に向かう。 13:30マルタ空港到達。 15:45エミレーツ航空でマルタ空港出発。キプロスラルナカ空港経由して 5月5日00:40ドバイ空港到達 03:00ドバイ空港エミレーツ航空で出発 17:10関西国際空港到達。 今回の旅行、ヨーロッパ地中海の2つの島国、国土の4割近くが森で、中央にはオリンポス山を中心に山岳地帯が広がり豊かな大地と海の幸に恵まれ、人々の生活水準は高く、ギリシア神話に登場するアフロディテが生まれた場所で、1万年の歴史を刻む遺跡の数々のキプロス イタリアとアフリカ大陸に挟まれ、地中海のヘソと呼ばれ、先史時代に築かれた謎の多い巨石神殿が点在し、この長い歴史から地中海文明のゆりかごとも称され、この好立地ゆえに数多の民族の侵略を受け、抵抗の歴史であり、マルタの町の基礎を築いた聖ヨハネ騎士団を語らずには、言えないマルタ共和国を訪れ、多くの文化遺産、世界遺産と美しい海岸線の自然遺産を巡り、7泊8日の旅、堪能しました。 全行程、夕立はあったもの、ほぼ満足できる天候に恵まれ、快適な観光旅行を満喫できました。 特に、2つの自然遺産、アズール・ウインドー、青の洞門をボートで訪れることが天候に左右され難しいが、運良く2つとも訪れることができたのはラッキーでした。 2つの地中海の島国、キプロス、マルタ島は小さな島ですが歴史が古く、多くの点在する史跡の歴史学習でき、充実した日々を送ることができました。 歴史深い2つの地中海の島国、キプロス、マルタ島歴史学習観光でした。 |