飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十三弾:京都府丹後観光
2011年7月30-31日


京都府の北部、丹後に足を運び、日本三景の一つ天橋立や舟屋の風景が広がる伊根、日本海に大きく突き出した丹後半島、田辺城を中心に形成された城下町として栄えた西舞鶴、軍港の町とし発展してきた東舞鶴を訪れました。

30日12:30車で近畿中国舞鶴自動車道経由して舞鶴東インター下車
14:30東舞鶴到達。

第二次世界大戦終結後、13年間にわたって旧満州やシベリアなどから約66万人の引揚者を迎え入れた舞鶴港。その引揚港としての歴史を伝える資料館で、シベリアでの集団収容の様子を再現したジオラマ、当時収容所で使用していた生活用品などを展示。周辺は記念公園として整備されており、記念碑や「岸壁の母」の歌碑が立っている舞鶴引揚記念館を見学。

海に浮かぶ豪華客船をイメージした施設で、日本初の海上プラネタリウムが体験できる。そのほか、エネルギー・電気について学べるエネルギー体験館や、舞鶴を紹介する舞鶴体験館で構成されているエル・マールまいづるを訪れる。

レンガをテーマにした博物館。1903年(明治36)に旧海軍の魚雷庫として建てられたレンガ造りの建物を利用したもの。館内では、世界四大文明の遺跡や、万里の長城など世界の有名な建造物のレンガを、模型や実物、映像などで紹介している赤れんが博物館を見学。

北吸地区に12棟あるレンガ造りの倉庫群の総称。現存するレンガ建造物の中でも貴重な近代建築の建造物で、旧海軍の倉庫として明治期に9棟、大正期に3棟築かれた。そのうち3棟は「赤れんが博物館」「舞鶴市政記念館」「まいづる智恵蔵」として保存・活用されている赤れんが倉庫群を訪れる。

舞鶴湾が一望できるスポット。五老岳山頂に建てられた五老スカイタワーの展望台に上がれば、舞鶴湾の一望はもちろんのこと、360度の眺望が楽しめる五老ケ岳公園を訪れる。

五老岳山頂に立つ、高さ50mの展望タワー。標高325mの展望室からは、舞鶴湾や舞鶴の市街地が一望。タワー周辺は、五老ケ岳公園として整備されている五老スカイタワーを訪れる。

戦国時代、細川幽斎・忠興親子によって築かれた田辺城。その城跡は舞鶴公園として整備され、入口に復元された城門を資料館として公開。展示室では歴代城主や城下町の様子が紹介されている舞鶴市田辺城資料館を見学。

西舞鶴駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

31日6:30車で出発、宮津・天橋立方面に向かう。

1896年(明治29)、フランス人宣教師のルイ・ルラーブ神父によって建てられた。現役の木造聖堂としては日本最古のもの。フランス製の色鮮やかなステンドグラスやドーム式の天井に、床は畳敷という和洋折衷のロマネスク様式聖堂のカトリック宮津教会を訪れる。

酒造業、廻船業、糸問屋など幅広く商売をする一方で、宮津藩の財政や町政にも深く関わっていた豪商の屋敷。美しい白壁の風格ある建物で、茶室や座視観賞式庭園もある。主屋は外壁の柱や垂木を壁土や漆喰で塗り込めた大壁造りを用いて、徹底した防火構造になっている旧三上家住宅を訪れる。

陸奥の松島、安芸の宮島と並ぶ日本三景の一つ。宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる幅20~170m、全長約3.6kmの細長い砂嘴のことで、白い砂浜には約8000本もの黒松が生えている。一帯は天橋立公園として整備され、「白砂青松百選」「日本の道百選」「名松百選」に選定。陸からの眺めは北側成相山中腹の傘松公園か、南側の文珠山頂上の天橋立ビューランドが最適。ケーブル・リフト・モノレールなどで上ることができる。砂嘴の途中には橋立明神や岩見重太郎仇討ちの場、与謝蕪村の句碑、与謝野寛・晶子の歌碑と見どころが点在する天橋立を散策する。

通称を天橋立の切戸の文殊堂といい、古代から知恵を授かる文殊菩薩の信仰の地として知られる古刹。本堂に秘仏の文殊菩薩像(重要文化財)を祭り、境内には室町時代造立の多宝塔(重要文化財)、鎌倉時代鋳造の鉄湯船(重要文化財)、すぐ横の連絡船乗り場の近くに智恵の輪灯籠がある智恩寺(文殊堂)を訪れる。

文殊堂のある陸地と天橋立を結ぶ廻旋橋。多い日には50回以上、船が通るたびに中央から橋が90度旋回する。以前は人力で動かしていたが、現在は電動式。5分ほどかけて、ゆっくり船をやりすごす様は情緒的な廻旋橋をわたる。

天橋立の砂嘴にある井戸。周囲を海に囲まれているにもかかわらず塩分をまったく含まない真水で、「日本名水百選」の一つにも選定。和泉式部の『橋立の 松の下なる 磯清水 都なりせば 君も汲ままし』をはじめ、多くの歌に詠まれている磯清水を訪れる。

股のぞき発祥の地といわれる一字観公園。ここからは宮津湾と阿蘇海を「横一文字」に区切る天橋立を眺望できる。園内にはキャンプ場やコテージ、テントサイト、遊歩道が整備されている。また与謝野晶子ら文人も訪れ、多くの歌碑や句碑が立つ大内峠一字観公園を訪れる。

常設展示では「丹後の歴史と文化」をテーマに、考古・歴史・民俗の各資料を縄文時代から時代順にわかりやすく展示するほか、季節ごとに、郷土に関するテーマで企画展を開催。「旧永島家住宅」は、京都府の有形文化財に指定されており、暮らしにかかわる道具などを展示している京都府立丹後郷土資料館を見学。

704年(慶雲元)、真応上人が開基した西国三十三カ所霊場第28番札所の古刹。「願い事が成りあう寺」として有名。境内には悲しい言い伝えの残る撞かずの鐘や、左甚五郎の作とされる彫刻「真向の龍」などがある成相寺を訪れる。

成相山中腹にある公園。ここから股のぞきすると天地が逆転し、まさに天橋立が天に架かる橋のように見える傘松公園を訪れる。

丹後一の宮として格式を誇る古社で、社殿は伊勢神宮と同じ唯一神明造。伊勢へ遷る前の天照大神と豊受大神[とようけおおかみ]が祭られていた。4月24日には、第四代懿徳天皇の時代から続いているという葵祭が行われる。神門前の石段わきにある狛犬(重要文化財)は、作者の魂が入って天橋立の松原に出没していたのを剣豪・岩見重太郎に斬られたという元伊勢籠神社を訪れる。

「自然に学び、自然を遊ぼう」をテーマとした公園。自然素材を使ったクラフトや地元産の材料で作るパンやピザなど、子どもから大人まで楽しめる様々な体験プログラムがある。大地の天文台からは宮津湾や天橋立を望むことができる京都府立丹後海と星の見える公園を訪れる。

丹後半島を反時計回りで巡る。

伊根湾を取り囲むようにして、海辺ぎりぎりに立ち並ぶ伝統的な建物。海に直接面した1階は船揚場や作業場、2階は住居や民宿などとして機能的に活用されている。現在約230軒もの舟屋が建ち並ぶ伊根浦地区は、漁村では全国初となる「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。遊覧船や展望台からの一望もいいが、町並みをゆっくりと散策すると舟屋の生活を間近に感じることができる伊根の舟屋を訪れる。

825年(天長2)に創建され、浦島太郎を筒河大明神として祭っている。境内の資料室には玉手箱をはじめ、浦嶋明神絵巻など、浦嶋伝説ゆかりの宝物を展示している。浦嶋明神絵巻の絵説きが好評の浦嶋神社を訪れる。

丹後半島最北端の岬。若狭の海岸や能登半島を望める。僧が悪龍を退治するために経典を納めたという伝説から名付けられた。明治建築の高さ12.5mの白い灯台がある経ケ岬を訪れる。

琴引浜近くにある体験学習館。琴引浜や、世界各地の鳴き砂に関する資料を展示。鳴き砂体験コーナーでは、鳴き砂を使ってドレミの音階を鳴らしてみたり、容器に入った鳴き砂を自分で鳴らすことができる。琴引浜に漂着するさまざまな物を展示し、日本海の環境保全について考えるコーナーなどもある琴引浜鳴き砂文化館を見学。

久美浜から宮津に戻る。

約1500の古墳が点在する古代ロマンの町・与謝野。与謝野町古墳公園には、そのうち蛭子山古墳と作山古墳が復元されている与謝野町立古墳公園を訪れる。

旧加悦鉄道の駅舎を利用したSL博物館。旧加悦鉄道の所有のものを中心に27輌のSLなどが集められ、実物の車両に乗ったり触れたりすることができる加悦SL広場を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の旅行、京都府北部の丹後に足を運び、日本三景の一つ、神様が架けた橋との伝承が残り、8000本の松で覆われた砂嘴の天橋立、多くの史跡・古墳が点在する城下町宮津、伊根湾を取り囲むように並ぶ舟屋で知られる伊根、海水浴やキャンプ場などの遊びとスポットに事と欠かせない丹後半島、田辺城を中心に形成された城下町として栄えた西舞鶴、軍港の町とし発展してきた東舞鶴を訪れ一泊二日のドライブ観光堪能しました。

今まで海水浴等で何回も訪れたことのある丹後、今回はガイドブックを詳細に読みながら観光名所をくまなく巡りました。

自然有り、文化有り、点在する多くの観光名所が存在する京都府丹後のドライブ観光でした。













滋賀県びわ湖多景島&沖ノ島観光
2011年7月27日


滋賀県の日本一の水瓶びわ湖に足を運び、彦根彦根市街地の沖合い約6.5kmに浮かぶ周囲約600mの小さな島で、島全体が日蓮宗見塔寺の境内となっています多景島、近江八幡市から琵琶湖の沖合約1.5㎞に浮かぶ沖島は、琵琶湖最大の島です。周囲約6.8㎞、面積約1.53k㎡で琵琶湖最大の島です。約400人の人が住んでいます。湖沼の島に人が住む例は世界的にも少なく、学術的にも注目されています沖島を訪れました。

13:00車で第二京阪名神自動車道経由して彦根インター下車
14:30彦根港到達
15:10彦根港観光船で多景島に向かう。
15:30多景島到達、散策する。

島を眺める方向により多様な島影をみせるところから島名が付けられたと言われています。彦根市街地の沖合い約6.5kmに浮かぶこの島は、周囲600mあり、古く弥生時代から島そのものが御神体として崇められてきました。 「南無妙法蓮華経」と彫られた高さ10mの「題目岩」や、高さ20mの五箇条の御誓文が刻まれた「誓いの御柱」、「日蓮上人像」等がそれぞれ意味深い歴史を物語っています多景島を散策する。

明暦元年(1655年)に、琵琶湖に沈んだ人々と魚介類の供養の為に慈雲院日靖上人が開山した日蓮宗のお寺です。日靖上人は、越前の国大野の出身で、長浜の妙法寺で修行中の明暦元年、夢のお告げでこの島に渡り、石の宝塔と庵室を建立されたそうです。第3代彦根藩主の井伊 直澄は、法華経の信仰が篤く、彦根藩裏鬼門の祈願所としました霊夢山見塔寺を訪れる。

この岩は、高さ約6間(10.8m)、幅約4間(7.2m)あり、「南無妙法蓮華経」の文字が彫られています。元禄5年(1692年)に、命綱にぶら下がりながら三年の歳月をかけて日靖上人によって刻まれました。 題字は京都妙顕寺・勝光院日曜上人の筆で、一文字に米一俵が入ると言われています。また、桜田門外の変での井伊大老横死の際に、鮮血をにじませたとも伝えられています題目岩を訪れる。

若き日の日蓮上人の姿で、高さは6尺(約180cm)の日蓮上人像を訪れる。

第3代彦根藩主の井伊 直澄が、父・直孝に恩義を感じ、供養の為に、高さ8mの塔を建てた石造七重層塔を訪れる。

日本に一体しかない出山釈迦牟尼佛の座像が祀られている釈迦断食行像を訪れる。

大正13年(1924年)に建立され、島の一番高いところににあります。五角形の柱の五面それぞれに明治天皇の五箇条の御誓文が刻まれています。当時、滋賀県の警察部長だった水上七郎氏の呼びかけで、約70余万人から寄付を受け、紛争などが絶えない時代を匤正すべく日本の中心地であるこの島に建立されました。皇室からも下賜金を賜ったそうです誓いの御柱を訪れる。

16:00多景島観光船で出発
16:20彦根港到達、車で堀切港方面に向かう。
17:00堀切港到達
17:15堀切港フェリーで出発
17:25沖島港到達、散策する。

琵琶湖の中ほどにある沖島は周囲約6,8㎞、面積約1,5k㎡で人口は約500人の有人島。藤原鎌足の子供が作ったという奥津島神社があり、清和源氏の落ち武者などが定住したのがはじまりらしい。淡水湖に人が住んでるのは日本ではここだけで世界的にも珍しい沖島を散策する。

7人の落武者の一人:茶谷重右衛門の末裔が蓮如(本願寺第8代上人)に帰依し庵を建てたことに始まります。寺宝には蓮如上人直筆の虎斑の名号と正信偈が残されています西福寺(浄土真宗本願寺派)を訪れる。

藤原不比等の建立に始まります。鳥居の社標は憲政の神様と呼ばれる尾崎行雄(愕堂)。宮世話は島で42歳になったものが1年間行い、その交代式は大晦日の深夜に行われます。春祭りは5月8日・秋祭りは9月20日の奥津島神社(祭神は奥津島比売命)を訪れる。

明治の学制発布により西福寺内に開設されたのが始まりで、明治42年に旧校舎地に移転、平成7年には現在の地に新築移転されました。小学校の給食はスクールボートに積み込み当番児童がリヤカーを使って学校まで運びます。中学生は昭和39年に分校が本校に統合されてからは、スクールボートで通学しています沖島小学校を訪れる。

長松寺(彦根市)の僧が記した沖島弁天記に弁天を祀ったとの記録が残されています。雨乞い弁天として信仰されており、明治9年にはこの地で雨乞いを行った記録も残されています弁財天(厳島神社)を訪れる。

沖島の住人西居某が蓮如上人に帰依し、法名を釈願證と授けられたことに始まります願證寺(浄土真宗本願寺派)を訪れる。

19:30沖島港フェリーで出発
19:40堀切港到達、車で帰路に向かう。

今回の近場の名所巡り、滋賀県のびわ湖に足を運び、歴史深い2つのびわ湖の島、多景島、沖島を訪れ点在する寺社、史跡巡りしてきました。

ヨットで何回か訪れたことのあるびわ湖の諸島、観光は初めてで時間をかけて2つの島をくまなく歩いて制覇しました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十二弾:愛知県三河諸島観光
2011年7月23-24日


愛知県の今や世界一の自動車メーカートヨタの本拠地である豊田市や、抹茶の名産地である西尾市、八丁味噌の郷である岡崎市など産業が活発な地域、三河湾に望む美しい景観の渥美半島、風光明媚な蒲郡付近の山麓など、山海の自然に恵まれた三河に足を運び、愛知県の離島の三河大島、日間賀島、篠島、佐久島を訪れました。

23日12:30車で出発、第二京阪、京滋、名神、新名神、東名自動車道経由して音羽蒲郡インター下車

14:45蒲郡港到達
15:00蒲郡港高速艇で出発
15:15三河大島到達、散策

蒲郡の沖合3km、竹島海岸から船で約15分のところに浮かぶ無人島。毎年7月1日〜8月31日の間、海水浴場が開設され、蒲郡や渥美半島を眺めながら無人島で泳ぐことができる。海水浴シーズンには竹島埠頭から定期船が運航し、リゾート気分が味わえる。ビーチは幅50m、長さ200mで、温水シャワーや海の家などが完備。全島を暖帯樹林が覆いトロピカルムードも満点で、海岸は、断崖や洞穴など変化に富み、島の北東には天然記念物のナメクジウオが生息している三河大島を散策する。

16:20三河大島港高速艇で出発
16:35蒲郡港到達、車で岡崎に向かう。

17:15岡崎到達、東岡崎駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

24日6:40車で出発、一色方面に向かう。
7:30一色港到達
7:40一色港高速艇で出発、佐久島に向かう。
8:10佐久島西港到達、散策する。

一色港の南沖合約5㎞に浮かぶ三河湾最大の島。他の島に比べ歴史が古く、約40の古墳が島内に散在する。釣り・海水浴・潮干狩・史跡めぐり・ハイキング・海の料理等年中楽しめるレジャーアイランド佐久島を散策する。

崇運寺は、徳川家康ゆかりの寺とされる歴史あるお寺。海や西地区一帯を一望する小高い丘の上に建ち、境内に上るだけでも十分にいい気分になれるけれど、その一隅に設置された「ガリバーの目」(木村作品)を通して周囲を眺めると、もっと楽しい!こうやってのぞきこむと、3D画像のような不思議な世界が現れるガリバーの目&崇運寺を訪れる。

平成7年に佐久島出身者から寄付された民家を修復したもので、「弁天海港佐久島」構想に基づく活動拠点として、平成10年12月にオープンしました。この施設は弧を描いて港を望む西集落の顔に当たる場所に位置し、そこから奥に広がる家並みや小路は、人の心を癒す印象的な景観を形成しています弁天サロンを訪れる。

黒壁の家々を縫うようにして曲がりくねった路地を歩くと、こんなところに観音様が! かつてお店のウィンドーだったスペースに、「大和屋観音」(松岡作品)が鎮座ましましている。

波打ち際にそびえる、ちょっと奇妙で美しい黒い箱。こりゃいったい何だ?「おひるねハウス」と名付けられたこの作、用途はお昼寝だけじゃない。訪れた人の数だけ遊び方があるおひるねハウスを訪れる。

築100年、空き家になって50年の民家です。歴史好き、小説好き、映画好きの人は、ここで空想に浸ろう。イマジネーションの宝庫だ! 古い民家のたたずまいが歴史を感じさせるだけでなく、家全体が作品化されているせいか、何やら神聖な印象すら与える。台所のくど一つとっても物語が創れそうの大葉邸を訪れる。

東地区の路地も、西地区に負けない風情がある。この正念寺かいわいもなかなか味がある。歴史を刻んだお寺や神社が点在していて、古くからの民間信仰の神様に見守られているみたいな気分になる。正念寺に腰を据えた「海神さま」(松岡作品)もそんな神様のひとつ。この辺り一帯に、宮崎駿アニメの世界のような異空間的雰囲気が漂っているの正念寺の海神さまを訪れる。

10:00佐久島東港、高速艇で出発
10:30一色港到達、車で知多半島南端師崎に向かう。

11:45師崎港到達
12:05師崎港高速艇で出発、日間賀島に向かう。
12:15日間賀島東港到達、散策する。

知多新四国八十八ヶ所の霊場のひとつ。天候にも左右されますが、冬場の晴れの日、風があり、空気が乾燥している時に、なんと富士山が見えることがあります大光院を訪れる。

「タコの島 日間賀島」の由来ともなった蛸阿弥陀如来がご本尊。漁師の網に掛かり、引き上げられた如来様を大ダコがしっかりと守っていたからと言われています。法話と民話も聞けます安楽寺を訪れる。

昔のサメ漁から現在のタコ漁まで、様々な漁具を展示しています。日間賀島を知る早道です日間賀島資料館を見学。

反時計回りで島を一周し
13:40日間賀島東港高速艇で出発
13:50師崎港到達、篠島行きの高速艇に乗り換え出発
14:00篠島港到達散策

大小10数ヶ所の島々で、昔より「東海の松島」と呼ばれ渥美半島、 志摩半島を望む景観は風光明媚な島です。 特に松島に沈む夕日は、日本の夕日・朝日百選に選ばれています。また、古くから伝わる、歴史的な史跡が多く存在しています篠島を散策する。

今から1200年前、伊勢神宮の土之宮を観請し、造営されました。現在も神宮の古財が下賜されつくられています神明神社を訪れる。

義良親王(のちの後村上天皇)が嵐の中、篠島に漂着され親王の飲用にと掘られた井戸、帝井を訪れる。

篠島の照浜より引きあげられたといわれる薬師如来がまつられる寺院。八王子社のこま犬が薬師如堂の前に安置されている医徳院を訪れる。

鎌倉時代中期、正応元年(1288)伊勢の箕曲大社より観請された犬嫌いで知られる神社、八王子社を訪れる。

名古屋城築城の為、岩の切り出しに来島した加藤清正公が運び出しのため、枕をかったまま運び残した巨岩の清正の枕石を訪れる。

万葉集の歌碑が建てられています。展望台もあり、清正の枕石・日本夕日百選に選ばれた松島が見え、遠くには、鳥羽・神島など見えます歌碑公園を訪れる。

島の最南端にある公園、遠くに鳥羽や神島、伊良湖まで望むことができる。ここからの景色が島の中で一番という人も多い牛取公園を訪れる。

16:00篠島港到達
16:15篠島港フェリーで出発
16:30師崎港到達、車で帰路に向かう。

今回の旅行、関西の方はあまり知らない、訪れたことの少ない、三河湾に浮かぶ4つの島、三河大島、佐久島、日間賀島、篠島二足を運び、点在する社寺と史跡を訪れ、又自然に接し、一泊二日の旅、有意義な日々を送ることが出来ました。

離島は一般的に空いて行って、ひっそりしていますが、今回訪れた4つの島は海水浴シーズンもあって有り、多くの人が訪れ、活気に満ち溢れていました。

私と同様に海水浴客と違って観光を目的とする旅行客も多く、賑わっていました。
大都市名古屋の近場の離島ならでわのものでしょう。

又各々の離島は多くの観光客を呼ぶためアート有り自然有り史跡有り、なかなか工夫を凝らしているのがよくわかった三河湾4島離島巡りでした。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五一弾:韓国ソウル観光
2011年7月16-18日


北緯33-43度、東経124-132度の間にあり、アジア大陸の北東部に位置し、標準時正午線は135度で世界標準時より9時間早く、日本との時差はありません。総面積は222,135㎢で、イギリス、ニュージーランド、ルーマニアとほぼ同じくらいの広さですが、このうち大韓民国が99,461㎢(45%)で、北韓が122,762㎢(55%)となっています。山岳地帯は国土の70%を占め北部と東部に密集し、平野は主に西部と南部に広がっており、三方の海には3400ほどの島があります韓国に足を運び、李王朝の都として600年の歴史を持ち、歴史的な見どころが点在。また、おしゃれなファッションビル街から庶民的な裏通りの市場まで、ショッピングスポットが目白押し。思う存分買い物を楽しんだら、屋台の連なる小径でB級グルメの食べ歩きもおすすめのソウルを訪れました。

16日15:55関西国際空港で出発
17:45韓国仁川空港到達、地下鉄で江南方面に向かう。
19:30チョンダン駅到着、駅付近のホテル到着後、市街地を散策、食事を済ませて就寝。

17日7:00出発、江南を南に下る。

ショッピングにグルメにレジャーにといろいろ楽しめる人気の大型複合施設、COEXモールを訪れる。

世界遺産に登録された朝鮮王陵。第9代王の成宗王と貞顕王后お墓、そして息子の中宗王のお墓、宣陵・靖陵を訪れる。

地下鉄三成乗車、蚕室下車

敷地面積約4万坪(オリンピックスタジアムの2倍)、施設の延べ床面積18万坪(東京ドーム13倍)の世界最大規模の室内型テーマパークで、世界ギネスブックにもその記録が掲載されている。韓国のトップ企業のひとつ、ロッテグループの運営するロッテワールドは、室内テーマパークをはじめ、野外にある「マジックアイルランド」、四季楽しめるスケート場「ロッテワールドアイスリンク」、韓国の文化と生活を感じられる「ロッテワールド民俗博物館」、「ロッテワールドシネマ」、「ホテル」、「免税店」、「デパート」まで揃うロッテワールドを訪れる。

地下鉄で南山方面に向かう。

南山の北側の裾の筆洞に位置する、韓国の伝統家屋を堪能できる場所だ。ソウル市内の別の場所に残っていた伝統家屋をこの地に移転させた。韓屋村と伝統庭園、タイムカプセル広場の3つのゾーンで構成されている。韓屋村では、5つの伝統韓屋を移転、復元しており、当時の生活の様子を家屋や家財道具を通じて垣間見ることができる。またそれらの展示物は、直接触ってみることもできる南山韓屋村を散策する。

地下鉄で東大門方面に向かう。

南大門市場と同様、長い歴史を誇る大規模な総合市場。興仁之門(東大門)[宝物第1号]を中心に鍾路5街からイースタンホテルの裏通り一帯、東大門運動場近くまでに至る広い地域に大規模のショッピング・エリアを形成している。特にファッション関係に強い東大門市場を散策する。

韓国最初の市場で東大門市場の近くに位置する観光客にも人気の市場。ソウル最大の反物、寝具商店街として有名で、織物生産工場を直接運営している店舗も多い。大テントに下に並ぶ屋台街。通路に沿ってずらりと屋台からは、おいしそうな湯気が立っていて思わずどこかにふらりと立ち寄りたくなる。屋台の種類も非常に多く、いろいろなものを食べることができる。夜には、会社帰りのサラリーマンの姿もちらほら。韓国アジュンマパワーを実感できる広蔵市場を訪れる。

仁寺洞方面に向かう。

韓国の"Mary's Alley"と呼ばれる仁寺洞は、ミニ博物館を思わせるような通りである。100余りのアンティークの店と古書店、画廊などがずらっと並んでいる。統一新羅時代の土器をはじめ朝鮮時代の白磁に至るまで、品揃えは豊富で、主に古書画、陶磁器、骨董品、家具工芸品、装身具などを取り扱っている。それぞれ古家具、美術品、小品類の専門店に分けられているので鑑賞もしやすい。白磁、杯、土器、木器と小さな漆器は特に人気の仁寺洞を散策する。

李氏朝鮮歴代の王と王妃の位牌がまつられている。宗廟は、1392年、朝鮮王朝を開いた太祖李城桂が1394年、開成からソウルに都を移し景福宮と同時に東に宗廟を建てた。宗廟は祭礼のための建物であるため、すべての建物が節制されたシンプルな技法から成り立っており、構成、構造、装飾、色彩のいづれもシンプルな美しさを持つ宗廟を訪れる。

秘苑で有名、1405年に朝鮮王朝の離宮として建てられたが、他の王宮と同じように壬申の乱(文禄・慶長の役)でほとんど焼失してしまい、敦化門のみ残されたが、1611年に再建された。1910年の日韓併合までは王宮として使われていた。5大王宮の中では最も保存状態がよい昌徳宮を訪れる。

1418年に第4代世宗大王が建てたもの。父親であった先王の太宗のために離宮として建てた王宮で、最初は「寿康宮」と呼ばれていた。第9代王の成宗が当時の3人の皇后(元王の妃)のために宮殿を再建して、昌慶宮と名を改めた。王宮としては3番目に古い。世宗大王といえば、ハングル文字を創ったハングルの父として有名の昌慶宮を訪れる。

大学路方面に向かう。

文化と芸術の集まる街、そして学生の街でもある、大学路にある。大学路とは、その名から想像がつく通り、かつて韓国の名門大学である、ソウル大学(韓国で一番難しいと言われている。日本でいうところの東大)があった場所だ。1975年にソウル大学は南部にキャンパスを移転(現在は医学部と付属病院のみ残っている)し、このエリアが整備され、劇場や画廊、美術館、芸術院などが集まった。ギャグコンサート(漫才)からミュージカル、クラシックな劇、宗教劇など幅広いジャンルの公演がある劇場街は有名で、芸能業界の人や役者の卵もよく出入りしている。そんな大学路で一番の注目スポットのマロニエ公園を訪れる。

地下鉄で光化門・市庁方面に向かう。

1394年に建てられた韓国最大の古宮。朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンギュ)によって建てられた韓国で最初の正宮である。

12万6千坪という広大な敷地に、殿閣が200余棟もあったのが、1592年豊臣秀吉の壬申の乱(文禄の役)で焼失した。その後、長い間放置されていたが、1865年に再建された。そして、日韓併合時に、日本軍によって壊されてしまったが、現在は復元工事が行われ当時の姿に戻りつつある景福宮を訪れる。

ソウルの中心部の鍾路区世宗路1街、景福宮の宮内に位置する。民族博物館内では、韓国の伝統的な生活文化を総合的に見ることができる。特に朝鮮時代(1392-1910年)を中心に、当時の一般庶民の伝統民俗文化と貴族社会の文化の両面を見ることができる。館内は、3つの常設展示館と、特別展示から構成されている。常設展示館は、第1展示室は「韓民族生活文化史室」、第2展示室は「生活と物資室」、第3展示室は「韓国人の一生室」となっている。特に、第3展示室の「韓国人の一生室」は、韓国人が生まれてから死ぬまでの間に、誰もが経験する冠婚喪祭を扱っている。出生と教育、冠礼と婚礼、交通と通信、伝統的な遊びと社会制度、民間信仰、喪礼、祭礼などが展示され、韓国で韓国人として生まれてから生涯をまっとうするまで、どのような儀式をし、またどんなものに接して生きて行くのかを、社会生活全般にわたって展示しているので、非常に興味深く感じられるだろう。屋外には、朝鮮時代後期の商店街の模型が展示されている国立民族博物館を訪れる。

1590年に建てられた李朝最後の王宮だ。韓国の首都ソウルの市庁近くにある。韓国の数々の歴史の舞台となったことでも有名。もともとは、朝鮮王朝の第9代王である成宗)の兄の月山大君の私邸であったが、壬辰の乱(文禄。慶長の役)の後、1611年に慶雲宮と名称を変え、焼失した景福宮の代わりに7年間王宮として使用された。仁祖が即位し、王宮を昌徳宮に移してからその後の270年間は、別宮として使われた。日本に最後まで抵抗した高宗皇帝は、1907年強制退位させられてから亡くなる1919年までをここで過ごした。名称は皇帝の長寿を祈った徳寿宮を訪れる。

地下鉄で南大門方面に向かう。

1398年に都の城門として建てられた城門のひとつだ。朝鮮王朝最古の木造建築であり、門の中では最も大きい。城壁が門の両側につながっていたが、1908年に街路を整備するため、門を残して撤去された。重厚な石造りで、真ん中にアーチ型になっており、その上には木造の二重楼閣がそびえたつという、堂々とした造りだ。国宝第1号に指定されている崇礼門を訪れる。工事中でした。

韓国最大の総合市場。朝鮮時代の城門である崇礼門(南大門)から徒歩5分の所に位置する。特級ホテルや都心からも近いので、外国人に最も人気のある市場である。衣類やアクセサリー、食料品、食器、革製品、メガネ、おもちゃ、花、高麗人参、韓国の伝統商品など何でもある大型商店街で広い敷地に1,700種余り、11,000軒余りの店がひしめきあっている南大門市場を訪れる。

明洞、梨泰院、南大門市場に囲まれたソウルの中心部に位置し、1975年完工されたソウルのシンボルであるソウルタワー/ソウルタウォ(別名:南山タワー)がある。南山(ナムサン)は標高265m。その頂上にあるタワーの高さは約230m。両方合わせると約500mの高さとなりソウルの街が360度一望できる南山公園を散策する。

明洞方面に向かう。

東京でいうと銀座に相当する街。韓国流行の発祥地と言える。大規模なデパートが密集しているだけでなく、国内、海外の一流ブランドのブティック、シューズショップ、アクセサリーショップ、化粧品店まで、ファッションに関わるあらゆる店が集まっている明洞を訪れる。

ゴシック様式で建てられた韓国内初の建物で、最古かつ最大規模の本堂であり、韓国カトリック教会の象徴となっている。また同時に明洞のシンボルにもなっている明洞聖堂を訪れる。

地下鉄で龍山区方面に向かう。

2005年10月28日、8年間の大工事を経て、アジア最大級の博物館が龍山に誕生しました!敷地面積9万3000坪に、延べ面積4万1000坪、その大きさは世界で6番目。国宝約60品に宝物約80品と、規模のみならず所蔵品のスゴさでも世界の有名博物館に肩を並べる博物館、国立中央博物館を訪れる。

18日7:00出発

地下鉄で梨泰院に向かう。

もともと、周辺のアメリカ軍基地関係者が主な顧客であったが、1970年代以降、観光客に知られはじめ、'83年のASTA、IMF国際会議を通じて全世界に知れ渡った。そして、'86年アシアンゲームと'88オリンピックを経て、今や世界的ショッピングの名所となった梨泰院を訪れる。

竜山洞)にある戦争記念館は、梨泰院の近くに位置する。祖国のために闘って亡くなった兵士たち讃えるために作られたもので、戦争の愚かさを世に知らしめるための重要な役割も担っている。広大な敷地内にある展示場では、約14,000にものぼる資料が展示されている。戦争記念館の両側にある回廊には、韓国戦争(朝鮮戦争)とベトナム戦争で戦死した将兵たちの名前が刻まれている。入り口には1950年-1953年の韓国戦争(朝鮮戦争)で実際に使われた戦車などがおかれている戦争記念館を訪れる。

地下鉄で汝矣島に向かう。

漢江の中洲に浮かぶ汝矣島は、大手企業の本社ビル、国会議事堂、テレビ局などが集中するビジネスタウンだ。高層ビルが建ち並び、ソウルのシンボルである、別名ゴールデンタワーとも呼ばれる、63ビルもこの汝矣島にある汝矣島を訪れる。

高さ264mで東洋最大の高さを誇るビルだ。1985年に地上60階、地下3階の63ビルはオープンした。全面2重反射ガラスで覆われており、太陽の光を浴びると美しく輝く為、別名「ゴールデンタワー」とも呼ばれている。ビル内には、ソウル市内が一望出来る超高層展望台63ゴールデンタワー、大型室内水族館、超大型画面のアイマックス映画館をはじめとした観光施設と各種レストラン、国際規模の会議に対応できる宴会場、オフィス、ショッピングセンタ-がある63ビルを訪れる。

地下鉄で江南方面に戻り、ホテル到達。

14:00ホテル出発
地下鉄で金浦空港に向かう。
15:10金浦空港到達
17:40金浦空港出発
19:20関西国際空港到達。

初めての韓国旅行、古くは三国時代、今の朝鮮半島が高句麗、新羅、百済という3つの国で統合されていた時代に、百済の都であった「漢城」が今のソウルに置かれていました。その後、高句麗軍によって都が陥落すると、百済は熊津(公州)に遷都しましたが、14世紀末に高麗の将軍であった李成桂が政権を奪取、漢城(ソウル)へ再び遷都が行われました。この時から漢城は500年にわたって李氏朝鮮王朝の都となったソウルを訪れ点在する歴史的建造物を巡りました。

大阪は35度の暑さ、避暑を兼ねて韓国ソウルに足を運びましたが、気温は低めですが湿度が高く、蒸し暑く避暑にはならず、汗だくだくになりながらソウルの点在する歴史的建造物を巡りました。

ソウルは地下鉄網が発達しており、どこへ行くにも地下鉄で十分、屋外の暑さを凌ぐには地下鉄電車の車内クーラーが効いていて快適、車内で涼んでから屋外の歴史的建造物を訪れるのを何回も繰り返しながら巡りました。

一般にソウル観光はグルメとショッピングが普通ですが、もっぱら観光に徹し、ほぼソウルの観光名所を制覇した2泊3日の韓国ソウル名所観光でした。
































飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十弾:岡山県津山・美作&高梁・吹屋観光
2011年7月9-10日


岡山県に足を運び、江戸時代、津山藩の城下町として栄えた津山、豊かな自然が多く、宮本武蔵の故郷で知られる美作、備中松山藩5万石の城下町として栄えた高梁、往時を偲ぶ町並みやベンガラの町の吹屋を訪れました。

9日21:00車で阪神中国自動車道経由して津山インター下車
23:00津山市内のホテル到達、就寝。

10日6:30車で津山市内巡る。

世界各地の動物、蝶、昆虫類、貝類、化石・鉱石類の標本を2万数千点展示。中国の珍獣キンシコウのはく製、博物館創設者・森本慶三の内臓実物標本など驚く展示物もあるつやま自然のふしぎ館を訪れる。

1604年(慶長9)、初代藩主・森忠政が築いた津山城。現在は、本丸跡や高さ45mの石垣が残る。一帯は鶴山公園として整備。西日本有数の桜の名所として知られ、桜の名所・歴史公園・名城100選にも選ばれている津山城(鶴山公園)を訪れる。

津山城跡の南から東にかけての旧出雲街道周辺の古い町並みが、町並み保存地区に指定されており、なまこ壁、防火用の袖壁、卯建のある家が軒を並べている。敵が侵入してきた時に行き止まりと思わせて欺くために整備された鍵型に折れて続く道沿いには、作州城東屋敷、箕作阮甫旧宅の史跡や城東むかし町家などのみどころがある。また、映画『男はつらいよ』をはじめ、ロケ地としても知られる城東町並み保存地区を訪れる。

1657年(明暦3)、津山藩主森長継が別邸を建てたところに京都仙洞御所を模して造った池泉回遊式大名庭園。当時は今よりも3倍ほど大きく、他藩の使者をもてなすための接待所としても使われていた。中国山地を借景としており、南北に長い池には中之島、蓬莱島、紅葉島、霧島と4つの島が浮かび、風月軒と清涼軒が立つ。優雅な景観は国の名勝に指定されている衆楽園を訪れる。

勝山方面に向かう。

保存地区は駅の北側、城山・太鼓山を背に広がる。高田神社、化生寺といった寺社群をはじめ郷土資料館、武家屋敷館、大正時代末頃まで鉄や農産物の輸送に使われていた高瀬舟の発着場跡などとみどころが多い。民家の軒先に下げられた草木染めのれんが風情を感じさせる。第二次大戦中疎開してきた文豪・谷崎潤一郎もこの地を愛した。特産品に高田硯や勝山竹細工などがある勝山町並み保存地区を散策する。

高梁方面に向かう。

与謝野晶子が『奇に満ちた洞』と詠んだことから命名された。最奥の洞内湖にかかる竜宮橋がみどころの満奇洞を訪れる。

日本三大鍾乳洞の一つで、全長は1200m。高さ240mの石灰岩がそびえる麓に入口があり、芸術的な鍾乳石(県指定天然記念物)の世界が広がる井倉洞を訪れる。

成羽町の中心から北へ約15kmにあり、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。江戸時代から明治にかけて銅とベンガラで栄えた町。メインストリートにあたる吹屋街道沿いには、ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦が印象的な商家・町屋が約300mにわたって軒を連ねており、みどころも多い吹屋ふるさと村を散策する。

江戸末期、銅山とベンガラで巨万の富を築いた豪商の邸宅。城郭を思わせる立派な構えに当時の繁栄ぶりがうかがえる。2階建ての母屋、3棟の土蔵、桜門、長屋、石垣は1810年(文化2)の建築。庭園には水琴窟もある。映画「八つ墓村」のロケ地になったところとしても有名。ベンガラ館から広兼邸へ行く途中には、笹畝坑道があり、銅山を掘った跡もみることもできる広兼邸を訪れる。

ベンガラは、江戸中期に全国で初めて吹屋で生産されて以来、大正時代まで陶磁器や建築などに使用されていた赤色顔料。明治時代のベンガラ工場を復元した資料館で、吹屋ベンガラの製造工程を見学できる。隣接する陶芸館ではベンガラを使って陶器の絵付けなども体験できるベンガラ館を訪れる。

1879年(明治12)に建てられた吹屋商人の屋敷。館内では当時の生活史料などを展示している吹屋ふるさと村郷土館を訪れる。

郷土出身の洋画家・児島虎次郎(1881~1929)の遺作絵画を中心に約50点を展示。彼が外遊中に収集した古代エジプトなどの遺物や、成羽地区から産出した約1億8千万年前(中生代三畳紀)の日本最古の植物群の化石なども見ることができる成羽町美術館を訪れる。

1904年(明治37)建設の旧高梁尋常高等小学校の本館を利用し、オルガンや蓄音機といった江戸時代から昭和初期の生活用具などを展示。階上の講堂は桃山風の二重折上格天井で、明治の気風を伝える見事な出来ばえの高梁市郷土資料館を訪れる。

足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つ。本尊は聖観世音菩薩で、備中西国第5番瀬戸内観音第13番の札所でもある。1604年(慶長9)頃に造られたという庭園(名勝)は、小堀遠州作の蓬莱式枯山水様式で、愛宕山を借景に白砂敷きの中央に鶴島、後方に亀島を置き、サツキの大刈り込みで青海の波を表現している。座敷に座って鑑賞することができ、サツキが満開になる5月下旬から6月上旬がいちばんの見頃だが、雪をかぶった冬の景観も美しい。毎年秋には小堀遠州を顕彰するお茶会が催される頼久寺を訪れる。

市内に残る武家屋敷の1つ旧折井家は、天保年間(1830~43年)に建てられた漆喰壁をもつ屋敷。母屋は格式のある書院造。中庭の池や庭石、踏み石などは当時のまま残っており、その中庭に面して資料館がある。もう一つの旧埴原家は、江戸時代中期から後期にかけて、近習役や番頭役などを務めた武士の住宅。松山城下の武家屋敷としては寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れた珍しい造りで、市の重要文化財に指定されている高梁市武家屋敷を訪れる。

足守方面に向かう。

足守地区約300戸のうち約100戸が、漆喰壁・虫籠窓などをもつ江戸時代の伝統的家屋の姿をとどめており、今も陣屋町の面影が残る。侍屋敷や豪壮な旧足守商家藤田千年治邸、備中足守まちなみ館など見どころも多い足守の町並みを散策する。

白壁の長屋門と土塀に囲まれた家老杉原家の旧邸宅。江戸中期の建築と推定され、長屋門、御成門、土塀、庭園などどれもがよい保存状態で、武家の生活様式を知る資料としても貴重な存在だ。母屋は伝統的な武家書院造。寄棟、茅葺き、総檜平屋建ての組合せは、今日の和風住宅の原型ともいわれている旧足守藩侍屋敷遺構を訪れる。

旧藩主木下家の庭園。近くを流れる足守川の水を引く池泉回遊式庭園で、池畔に京都御所を築く際の残材で建てられた数寄屋造の吟風閣がある。この地ゆかりの歌人・木下利玄の歌碑や、マリア灯籠もある近水園を訪れる。

岡山中国自動車道経由して美作に戻る。

建築家・磯崎新氏のプロデュースにより、「作品=空間」というコンセプトのもとで建築された美術館。荒川修作+マドリン・ギンズ『遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体』、岡崎和郎『HISASHI-補遺するもの』、宮脇愛子『うつろひ』などが見もの。美術館ギャラリーでは企画展も開催している奈義町現代美術館(NAGI MOCA)を訪れる。

武蔵の生家跡や墓、武蔵ゆかりの讃甘神社などに加え、武蔵資料館、クアガーデンなど多彩な施設がある武蔵の里を訪れる。

武蔵の里にある資料館。非凡な芸術家としても知られる武蔵の「達磨頂相図(複製)」や、自作の「瓢箪鯰図鍔」(重要文化財)などを展示する武蔵資料館[武蔵の里]を訪れる。

武蔵の里にあり、武蔵が少年期を過ごしたところ。1942年(昭和17)に焼失し、現在の建物は瓦葺。隣接する平尾家は武蔵の姉おぎんの次男が住み、武蔵家を相続したという宮本武蔵生家[武蔵の里]を訪れる。

武蔵の里にある武蔵神社の一角、林の中にひっそりと眠る。武蔵が晩年を過ごした熊本から分骨したと伝えられる。隣には父、無二斎の墓もある武蔵の墓[武蔵の里]を訪れる。

ヨーロッパのものを中心とした玩具、アンティークオルゴールを展示する博物館。おもちゃツアーやオルゴールコンサートが毎日開催されている。他にミュージアムショップやおもちゃで遊べるプレイルーム、購入した工作キットを組み立てることができるアトリエ(工作室)がある現代玩具博物館・オルゴール夢館を訪れる。

19:30終了、帰路に向かう。

今回の旅行、岡山県の中国道に接する山間部のエリア広範囲に訪れ、点在する歴史的建造物、自然に接し、ドライブ観光楽しめました。

津山藩の城下町、津山、宮本武蔵の故郷、美作、歴史の息づかいを伝える静かな町並み足守、武家屋敷が続く風情ある城下町、高梁、ベンガラ町、吹屋、奥深い歴史に接することが出来た歴史学習観光でした。














大阪府東大阪市寺院巡り
2011年7月9日


前回の東大阪神社巡りに続いて今回は東大阪市山麓エリアに点在する寺院を訪れました。

12:30車で石切方面に向かう。

当山は聖徳太子の祈願建立による善根寺の跡であり、古来より寺号を「善根寺」と称したが、創建年代は不詳である。明暦年間(1655~8年)に僧霊達上人が来住、寺号を「菩提寺」と改称し、万治年間(1658~61年)に現在の融通念仏宗に改宗した。江戸時代後期、八尾のお上人とか生き地蔵様とよばれて近在から崇敬された楽山上人は、当山を「住む里の 名にたがはじや 法の師は 善き種ひろふ 後世の菩提寺」と詠っている菩提寺を訪れる。

大阪府東大阪市にある黄檗宗の寺院。山号は瑞雲山。本尊は十一面観音であり、河内西国三十三観音霊場の28番札所である。聖徳太子により創建されたと伝えられ、当初は厳松寺と称された。江戸時代の1686年に大龍寺と改称された大龍寺を訪れる。

大阪府東大阪市日下町6丁目1-5の境智院を訪れる。

浄土真宗本願寺派 大阪府 東大阪市日下町2-7-20の称揚寺を訪れる

大阪府東大阪市中石切町2丁目8-18の教蓮寺を訪れる。

大阪府東大阪市中石切町2-5-11の光養寺を訪れる。

大阪府東大阪市上石切町2丁目27−14の清谷寺を訪れる。

大阪府東大阪市上石切町2丁目の大安寺を訪れる。

大阪府東大阪市東山町の善林寺を訪れる。

大阪府東大阪市東石切町2丁目の等覚寺を訪れる。

大阪府東大阪市東石切町2丁目6-55 の正興寺を訪れる。

当山の開創年代は不詳だが、住職のお話では1000年以上は遡るであろうとのことであり、聖徳太子の創建とも伝わる。この近郊の寺院では生駒山の中腹にある興法寺に次ぐ古い歴史を持っているとのことであった。鎌倉時代後半から南北朝時代にかて当地の豪族である水走氏が当寺別当職についていたようで、それを記した鎌倉時代の文書(『水走文書』)が残っている。1692年(元禄5年)の寺社御吟味帳(『中家文書』)には、融通念仏宗平野大念仏寺の末寺で、寺は往古よりあったが開基年歴や代々の住職については不明と記載されている。竣工したばかりの真新しい本堂に上がり、参らせて頂くことが出来た。本尊の阿弥陀三尊来光図は1639年(寛永16年)の製作で、延享年間(1744~1748年)元興上人の観音経一誦一刀彫による千手観音と33体の観世音菩薩とが併せ祀られている観音寺を訪れる。

大阪府東大阪市玉串元町2丁目4 - 30の極楽寺を訪れる。

当山の縁起は1597年(慶長2年)額田村の高内正貞が聖誉上人を招き開山したと言われる。山号の浄翁山玄清寺は高内正貞が浄翁玄清居士と称したところから名付けられた。正貞は織田信長に従い大坂石山本願寺との戦いに参加したが、その戦没者の霊を弔うために、この寺を建立し、高内氏の菩提寺とした。また、1583年(天正11年)に正貞は、前関白近衛前久の枚岡神社参詣に際し、案内役をつとめている。(このとき近衛前久が不動寺で詠んだ歌の碑が慈雲尊者の揮毫により建てられ、現在もその跡地に残っている)延宝年間(1673~80年)に教誉上人が中興し、1717年(享保2年)寂誉上人のとき、高内の人々が施主となり上棟されたことが記された棟札が残されている。このように、第22番札所額田寺や長尾・不動寺などと共にこの辺りの寺院の創建には、この地の名族高内一族が深くかかわっており、当寺の墓地には高内正貞を始め高内一族の墓碑が多くある玄清寺を訪れる。

大阪府東大阪市立花町の上行院を訪れる。

大阪府東大阪市額田町2-32の妙徳寺を訪れる。

當知院本誓山重願寺と号し、大阪都市計画の谷町線拡張により昭和37年に現在の額田に移転した浄土宗の寺。総本山は京都の知恩院。豊臣秀吉の本願で、文録3年(1594)5月18日に岸譽雲海上人の開基。現在19世忍譽行雄。御本尊の
木造阿弥陀如来様は座像で像高140センチ、頭高46センチ、膝張108センチで木彫全金色で定印を結び、船形光背を負い、重蓮台に座して藤原時代の特徴を残している重願寺を訪れる。

生駒山中腹の大阪府東大阪市から奈良県生駒市を通る国道308号線沿いにあり、この道の県境にある峠を「暗峠」、そしてこの道を「暗越奈良街道」といい、数ある奈良街道の一つで「日本の道百選」にも選定されています。またこの道は、松尾芭蕉が1694年(元禄7年)に大坂へ向かう途中に通り、「菊の香に くらがり登る 節句哉」という句を詠んでいます。当寺の境内には豊浦川が流れ、平行して旧奈良街道があります観音寺を訪れる。

大阪府東大阪市東豊浦町9-12の法照寺を訪れる。

大阪府東大阪市豊浦町の浄国寺を訪れる。

寺伝によると元は真言宗で鎌倉時代の創建。開基は正円。山号を天野山と号するのは、かっては天野山金剛寺(現河内長野市)の末であったためと伝わる。鎌倉時代の後期、住僧了願(楠木正頼)が本願寺3世覚如上人(1270~1351年)の直弟子となり、その後住僧了正も本願寺8世蓮如上人(1415~99年)に帰依し、1476年(文明8年)浄土真宗に転じ、1505年(永正2年)木仏を授与され、寺号が許可されている。 寺蔵文書によると、享保年間(1716~36年)には宗判寺(*)として、余間(*)の寺格を有し、本願寺の御番料(手当が支給された)寺院であった専宗寺を訪れる。

大阪府東大阪市客坊町9-14 の教覚寺を訪れる。

大阪府東大阪市四条町の安養寺を訪れる。

大阪府東大阪市六万寺町1丁目815の権現寺を訪れる。

河内四条史紙によると、古くから上四条町付近には楠木正行が高師直と戦った四条畷の合戦の古戦場と伝えられてきた。明治二十一年(1888年)、たまたまこの土地を所有した長野吉兵衛が発掘したところ、多数の人骨や武具などが出土した。長野氏はこれを四条綴の合戦の時の遺物であると考え、これを丁重に埋め戻し碑を建てたとある霊光院を訪れる。

大阪府東大阪市にある仏教寺院で、単立寺院。山号は岩瀧山。寺号は六萬寺(ろくまんじ)。本尊は阿弥陀如来。寺伝によると、聖武天皇の勅願により行基によって創建されたと伝えられる。もとは6世紀末頃に建てられ、その後荒廃した桜井寺の跡に建立された往生院六萬寺を訪れる。

17:00終了。

今回の名所巡り、近場の東大阪市の山麓エリアに点在する寺院を巡りました。
数多い東大阪の寺院、今回は三分の一を訪れ、次回2-3回に分けて残りの寺院を訪れる予定です。



















大阪府東大阪市神社巡り第二弾
2011年7月6日


先週に続いて大阪府中河内地域に位置する市。大阪市、堺市の両政令指定都市に次ぐ、大阪府内で第3位の人口規模の市であり、中核市に指定されている。近鉄花園ラグビー場を擁する「ラグビーのまち」として、また、技術力の高い中小企業が多数立地するものづくりのまちとして全国に知られ、それらをアピールする形でまちづくりを行っている東大阪市の神社を巡りました。

12:30車で東大阪吉田方面に向かう。

宇都宮に鎮座する春日神社は、天児屋根命などの春日四神をまつっています。江戸時代の慶安2年(1649)に記録が焼失し、延享2年(1745)に再建されたといわれます。明治5~12年に一時石切劔箭神社に合祀されたことがりました。当時は船は交通手段でもあった大坂。恩智川の船着場として布市浜があり、交通の要所であったそうです。とはいいつつも、恩智川には今は舟が渡ることはまったくないんですが。孔舎衛(くさか)地域には善根寺春日神社、池之端春日神社、そして布市春日神社と3つ春日神社があるようです。布市春日神社を訪れる。

碑文にある「此の地」というのは、吉田駅のすぐ北にある、現在「中甚兵衛顕彰碑」のある今米公園が元々の今米の春日神社の社地であったそうです。この原文を書いている川中氏は川中新田を開発した、河内屋五郎平氏と中九兵衛氏の子孫なのでしょうか。今米公園の北側に隣接して、「川中邸と屋敷林」という家が登録文化財となっています。今の社地は、今米の集落の反対側の北の端に鎮座しています。この辺りは隣に「水走」という到底読めそうにない地名もありますし、東大阪市には難しい地名が多いのと、水や海に関連した地名も多いことは事実です。春日神社から今米公園までの道は、くねくねと川の堤防を思わせるような道です。農家が多かったので大きな敷地の家が並んでいます今米春日神社を訪れる。

始まりは村人がいつものように本殿にお参りしていると突然古大楠木の横から白い蛇が現れ、神の声が聞こえ、そこに祀れと申された。それが粟玉大神の誕生だと伝えられています。それ以来、氏子の守り神、土地の守り神として大切に村人たちに信仰厚く祀られています粟原神社を訪れる。

河内国若江郡の式内小社。近世は熊野権現社であった。また今天王とも云うようだが、牛頭天王であった証拠はない。 『河内志』、『河内名所図会』とも、当社を延喜式に出ており、加納村にあり、今熊野と称するとあるが、根拠は示されていない。地域の常識であるような伝承があったのだろう。祭神を埴安比売命とするのは度会氏『神名帳考証』であるが、この人は根拠まで記していないので、信憑性に疑問ありとされる場合が多い。霊感でもあったのかも知れない。埴安比売命は土の神で、イザナミの神が御陰を焼かれて苦しむ時に屎に生成される神である。また、 河内と埴安比売命との関連では、第八代孝元天皇が河内青玉之女名波邇夜須毘賣を娶って御子建波邇夜須毘古命を生むとある。御子は後の崇神天皇の時に反乱を起こし、失敗する。この時には逃亡する配下の軍は恐怖のあまり屎を褌に漏らす(樟葉の語源)のであるが、いずれも屎と埴土との連想がある宇波神社を訪れる。

当神社は、江戸時代には鴻池家邸内に鎮座し、明治元年まで宮座制により管理されてきました。この「産土神社」と明治四十年九月、新庄に鎮座した元村社「皇太神社」(御祭神「天照大神」)及び三島に鎮座した元村社「三島神社」(御祭神「大国主大神」)の三社を併合したる神社が現在の「産土神社」であります。そして「産土神社」は昭和十年四月に鴻池家邸内より、現在の後に新たな社殿を造営し、御神霊を奉遷申し上げております産土神社を訪れる。

創建された年代は不詳ですが、横枕村は江戸時代の中頃まで旧大和川支流(菱江川)に面し、再三の洪水に悩まされていた為、この神社を祀ったと言われています。本殿の横にだんじりの車庫があったのですが、夏にはだんじり祭とかあるようです横枕春日神社を訪れる。

大阪中央環状線と中央大通り(築港ー枚岡線)の交差する地点で、近畿自動車道と阪神高速の東大阪線が交差しとても便利なところです。トラックターミナルも市役所を挟んで北側にあります。拝殿の正面に神木を祀った祠が建っており、正面が塞がれた形になっています。「七大龍王 白龍大神」と書かれた学が飾ってあります。なんとも変わった配置です。その関係でしょうか。真新しい「白龍大神」石像が拝殿横に祀られています春日若宮神社を訪れる。

この地はかつては古大和川下流域の低温地であつた。神社の創始は欽明天皇の時代に、近くの田圃の中に岩船があり、そこへ誉田別命、足仲彦命、息長帯姫命の三神があらわれたので、社壇を築いて奉祀したと伝。中世の事情はよくわからないが、ある時代に八幡神の勧請があつたものと思われ。近世には岩田八幡宮として崇拝された。古代の祭神三座はこのときに失われたものと思われ不明である石田神社を訪れる。

受鬢尊・武内宿弥をお祀りしている神社のようですが、一旦、六郷神社(八幡神社)に合祀された後、先ほどの西岩田の三十八神社のように分祀していったのでしょう。そのために境内の主なものも合祀の際に移動してしまったのではないでしょうか。手水鉢も当たらしい物ですし、屋根も新しいところから考えると完全に建て替えられています。地名が稲葉なのですが、この横には菱屋東という長い地名が続いています。この場所に神社があるということは早くから土地であったということでしょう稲田神社を訪れる。

奈良の春日大社の御祭神を勧請した御分社。本殿は市の有形文化財に指定。花園ラグビー場に近く、大きなラグビーボールが奉納されている。別称ラグビー神社とも呼ばれている。正月の全国高校ラグビー大会、ジャパントップリーグの開催期間には関係者の参詣が多く、全国唯一のラグビー守袋を扱う吉田春日神社を訪れる

貞観九年二月に官社となっており、若江郡の二十二座の一つです。祭神は巳々都牟須比命(こことむすびみこと)としており、平安時代に編纂された「新撰姓氏録」には、中村連の先祖とされています。このことから、枚岡神社を中心とする中臣氏は、河内平野にも進出していたであろうと推定されます。

また、当社は疱瘡を病める者祈願すれば験ありと称し、参詣するもの多しとあり、正徳四年(1714)阿波淡路の領主蜂須賀候の家臣山与一左衛門長之・水谷平右衛門勝政より疱瘡全快の謝恩のため鳥居が寄進されています。伝承では、何か祈願をする時は、大和川(菱江川)に入り斎戒沐浴を行う川瀬の払いを行います。そして社殿の軒下の雨だれの砂を頂き、これを袋に入れて腰に下げお守りとしたそうです。大和川が付け替えられてからは、境内の菱沢池で祓いを受けたのですが、その風習も大正時代にはなくなったそうです仲村神社を訪れる。

延喜式神名帳に、『河内国河内郡 大津神社』とある式内社。近鉄けいはんな線・吉田駅の少し東南、住宅地内に鎮座する小さな社。国道308号線一本南の道端に南面して鳥居が立ち、境内には入母屋造の社殿一棟、その左に流造の末社殿が建つのみの大津神社を訪れる。

16:00終了。

今回は先週に続いて近場の東大阪市の点在する神社を訪れました。
なかなかマニアックで歴史は興味深いですが難しい。

先週と今週2回にわたって東大阪市の神社巡りでした。
次回は東大阪市の寺院巡りの予定です。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十九弾:富山県富山タウン&神通狭&立山山麓観光
2011年7月2-3日


雄大にそびえる立山連峰と国内最深の富山湾、それらが育む豊富な食材の数々、自然と味覚の宝庫、富山県に足を運び、富山藩10万石の城下町として栄え、現在も県の政治・産業・文化の中心地富山タウン、おわらの風の盆の舞台として全国的に有名な八尾、越中と飛騨を結ぶ旧飛騨街道沿いのエリア神通狭、県内随一の観光スポット立山黒部アルペンルートへのアクセスエリア、立山山麓を訪れました。

2日12:42大阪駅サンダーバードで出発
16:04富山駅到達、レンタカーで富山タウン観光

富山城址公園内にある博物館。館内では戦国時代の築城から現在に至るまで、400年にわたる富山城の歴史を模型や映像を用いてわかりやすく紹介している富山市郷土博物館(富山城)[富山城址公園]を訪れる。

1532年(天文元)に豪族水越勝重が建てた富山城は、たび重なる焼失や明治維新での取り壊しなどでほとんどの建物を失った後、1956年(昭和31)に城址公園として整備された。緑豊かな公園には天守閣が建設され、夜はライトアップされた姿が美しい。また、桜の名所でもあり、春には多くの花見客で賑わう富山城址公園を散策する。

ピカソやシャガールら近代の巨匠の作品を系統だてて展示し、20世紀美術の流れがわかりやすく解説されている。近・現代美術の特徴としてデザインにも目を向け、国内外の優れたポスターや、椅子のコレクションの展示スペースも設置する富山県立近代美術館を訪れる。

富山の家庭配置薬の元祖、廣貫堂がその歴史を紹介する資料館。薬の入った柳行李を背負う売薬さん人形や、行商時に得意先へ配った紙風船、色鮮やかな版画などを展示している。映像で売薬の歴史や製造工程を解説するコーナーのほか、常時100種のレトロな小袋パッケージ薬も展示・販売する廣貫堂資料館を訪れる。

いたち川沿いにあり病を平癒するといわれている延命地蔵は、「川底に沈んだ地蔵尊を供養せよ」というお告げにより建てられたもの。延命地蔵のある、いたち川の水辺と清水は名水として知られている。境内の御手洗い水は万病に効く名水として知られ、水を汲みに多くの人が訪れる石倉町の延命地蔵を訪れる。

300年の歴史をもつ富山売薬業に関する資料が保存展示され、国内でもまれな売薬資料館。当時の薬の製造に使われた道具、170種類もの薬の原料、麝香鹿などが展示されている。母屋は明治初期の商家、新屋は総檜造りの豪華な建物の薬種商の館金岡邸を訪れる。

海商の町、岩瀬にある北前船回船問屋で、国の重要文化財に指定されている。1878年(明治11)に建てられ、最盛期の繁栄を偲ばせる豪壮な構え。玄関から裏の船着き場に通じる土間廊下に沿って母屋、土蔵などが配され、船荷はこの土間を通って土蔵へ運ばれた。また、道具蔵の扉に施された家紋と竜虎の鏝絵も見事な北前船回船問屋森家を訪れる。

とやま都市MIRAI計画のシンボルゾーンとして整備されている9.7haの親水文化公園。展望塔を備えた天門橋や水のカーテンや湧泉で構成される泉と滝の広場などがある。また、夜間は22時までライトアップを行なっている。ここを基点に伸びる富岩運河は昭和初期に建設され、中島閘門(重要文化財)(パナマ運河方式)を経て、富山港へとつながっている。早春には岸辺の桜並木が美しく、晴れた日には南東に立山連峰を遠望できる富岩運河環水公園を散策する。

水墨画をはじめとする、日本文化の美を紹介する美術館。横山大観、前田青邨、菱田春草など、近代日本を代表する作家の作品を収蔵している富山県水墨美術館を訪れる。

19:00富山駅付近のホテル到着後市街地を散策し食事を済ませて就寝。

3日6:30レンタカーで出発、呉羽山方面に向かう。

市街の西の呉羽丘陵一帯には富山市民俗民芸村などのみどころが集まり、桜の名所としても有名。展望がよく、市街や立山連峰などが望める呉羽山公園を訪れる。

富山市の西北、呉羽山の中腹から麓にかけて、郷土の歴史文化や美術を伝えるミュージアムが点在。富山の薬売りを紹介する売薬資料館、国の登録文化財である陶芸館や先人の暮らしぶりを伝える民芸館、民俗資料館などがある富山市民俗民芸村を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。江戸末期、市内の山田数納地区に建てられた合掌造民家を移築。豪雪に耐える巨大な柱や梁を使った頑健な構造に注目したい富山市民芸合掌館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。江戸時代以来の歴史を持つ富山の売薬関係の資料を収蔵。売薬の歴史、行商の用具、製薬の道具などテーマ別に展示されている富山市売薬資料館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。普段使いの染織品や木漆器、金工品など素朴で味わい深い民芸品が鑑賞できる。板蔵を移築した格調高い建物もみものの富山市民芸館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。江戸後期築造の茅葺き民家を利用し、富山市周辺から収集した民俗資料や農耕・養蚕用具などを展示している富山市民俗資料館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。当館は、明治27年大地主の農家住宅として建てられ、富山平野部では切妻造りの「アズマダチ」と呼んでいる。正面から見上げる大屋根、壮大な線をえがく破風板、それを支える貫と束の直線的な構成、室内に入ると巨木を幾層にも組み合わせた井桁組(セイロ組)など、多くの見所が随所に見受けられる。平成9年11月、国の登録有形文化財に登録された。陶芸品は全国各地から収集され、日常雑器類で生活の温もりが伝わってくる。年に一度、館蔵品展などを開催している富山市陶芸館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。郷土の水墨画家・篁牛人の画業を紹介する美術館。所蔵する篁牛人の作品約700点の中から展示。日本や中国の故事・伝説を題材にした作品は、大胆な構図と生き生きとした描写が特長の富山市篁牛人記念美術館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。富山市で発掘された先土器時代から平安時代までの考古資料を展示する富山市考古資料館[富山市民俗民芸村]を訪れる。

富山市民俗民芸村の施設。1920年(大正9)に、富山の茶人・金子宗峰が建てた茶室を移築した茶室円山庵[富山市民俗民芸村]を訪れる。

約25haの園内で、国内外の植物約4700種を育成・展示。池の周囲を散策しながら観察できる。なかでも中国雲南省の植物コレクションは日本最大。屋外の雲南コーナーと雲南温室で見ることができる。90本のソメイヨシノがトンネルを作る桜並木があり、満開時には夜間開園が行われる富山県中央植物園(ドリアス)を訪れる。

八尾方面に向かう。

おわら中興の祖と呼ばれ、おわら保存会初代会長川崎順二氏の生家跡に伝統的な町屋を再建、おわらを紹介する。映像展示室では、コンピュータによる大型スクリーンと音響によっておわら風の盆を再現。ほか、おわらの歴史やおわらに関する文化交流などの資料を展示している八尾おわら資料館を訪れる。

絢爛豪華な曳山が町中を練り歩く5月3日の越中八尾曳山祭は、八尾二大祭りのひとつ。祭りで使用する6台のうち3台の曳山を展示しており、その華麗な姿を間近に見学できる。彫刻、彫金、漆工、人形と江戸時代の名工が腕をふるった装飾は見ごたえがある越中八尾曳山展示館を訪れる。

国内をはじめ、韓国など世界の珍しい紙や紙工芸品を展示する紙の博物館、桂樹舎和紙文庫を訪れる。

神通狭方面に向かう。

中部山岳に発する高原川と宮川が神通川に合流して刻まれた約15kmの峡谷美。穏やかなダム湖からV字型の造形をみせる片路峡まで景観は変化に富み、とくに庵谷峠展望台からの眺めがすばらしい神通峡を訪れる。

立山山麓方面に向かう。

常願寺川の支流、和田川を堰きとめてできた人造湖。このダム湖・有峰湖を中心に有峰森林文化村が広がる。ブナやミズナラの自然林の中には5つの遊歩道が整備され、自然観察を楽しめる。また、周辺の自然や歴史を紹介する有峰ビジターセンターやレストランが併設された有峰記念館、有峰ハウスなどもあり、湖畔からは東に薬師岳が眺められる有峰湖を訪れる。

有峰ダムによってできた有峰湖に面した自然公園。有峰ビジターセンターやアドベンチャートリムコース、探勝路などが整備されている。標高1100mの高原盆地の様相を呈する周辺はブナやミズナラなどの原生林が広がり、自然観察や薬師岳、有峰湖などの展望を楽しめる有峰森林文化村公園を訪れる。

常願寺川のほとり、芦峅寺の集落には、雄山神社、江戸時代に信者たちが宿泊した宿坊が現存。集落自体が一つの博物館となっている。展示館・遙望館・まんだら遊苑と集落内に点在する施設を歩いて巡れば、立山信仰の世界を体感可。江戸時代に布橋灌頂会の舞台となった閻魔堂と布橋は、展示館と遥望館の間にある富山県 立山博物館を訪れる。

立山博物館の中心施設。ジオラマ・標本・模型による、立山の自然と人間との関わりについての紹介や、立山曼荼羅や開山伝説ゆかりの矢疵阿弥陀如来像の展示がある。期間限定の特別企画展も開催。隣には、かつては38あったという宿坊の一つである教算坊があり、内部の見学もできる富山県 立山博物館展示館[富山県 立山博物館]を訪れる。

立山連峰・弥陀ケ原の南側にある大きなくぼ地「立山カルデラ」。その立山カルデラの自然・歴史と砂防をテーマにした博物館。館内に2つある展示室には立山カルデラを再現した大型ジオラマ、工事用トロッコ列車の実車などがある。大型映像ホールでは安政の大地震をCGで再現した「崩れ」と、立山カルデラの自然を紹介する「立山カルデラ大地のドラマ」の2本を3Dハイビジョン映像で上映している立山カルデラ砂防博物館を訪れる。

日本一の落差を誇る滝で、国の名勝・天然記念物。落差は350mで、上から70m、58m、96m、126mと4段に分かれている。エメラルドグリーンの水をたたえる滝壺は深さ6m、直径60m。この巨大な滝の豊富な水は弥陀ケ原から流れてくるもので、雪がとける春から初夏の頃が最も多くなる。立山を訪れていた法然[ほうねん]上人が迫力満点の滝の轟音のなかに、「南無阿弥陀仏」という称名念仏を聞いたことから、称名滝と名付けられたという称名滝を訪れる。

称名滝の右側に春から初夏の雪どけの増水時に現れる滝で、真夏や秋の渇水期には涸れてしまう。ネハンの滝、阿吽の滝ともよばれる。この滝の最大落差は、増水時には500mに達し、称名滝以上の落差となる。称名滝と同じ滝壺に流れ落ち、称名滝とともにVの字を描く姿は壮観のハンノキ滝を訪れる。

13:30立山駅をケーブルカーで出発

約1300年前に山岳信仰の山として開き、富士山・白山[はくさん]とともに日本三霊山の一つとして栄えた立山は、1971年(昭和46)立山黒部アルペンルートの全線開通により、長野県大町市と富山県立山町を縦貫する世界でも有数の山岳観光地になっている。バス、ケーブルカー、ロープウェイなどの、バラエティに富んだ乗り物を乗り継ぐこのルートは、3000m級の山々が連なる北アルプスと急峻な黒部渓谷が織りなす雄大な景色を楽しむぜいたくな山旅の立山黒部アルペンルートを訪れる。

13:37美女平到達、散策

美女平駅の駅舎の前に立つタテヤマスギの大木で、根元には石仏が安置されている。この木に伝わる伝説は立山の女人禁制にまつわるもので、掟を破って立山に向かったお姫様がここで動けなくなり、杉の木に変わってしまったとも、若狭の止宇呂[とうろ]という尼の侍女が変身してしまったとも伝えられている美女杉を訪れる。

14:00美女平高原バスで出発
14:30弥陀ヶ原到達、散策

立山の西麓に広がる溶岩台地の高層湿原。1周約2時間の遊歩道沿いには、大小3000もの池塘が点在、ワタスゲなどの群落がみられる。バス停から500mの地点に、旧火口とカルデラを一望する、立山カルデラ展望台がある弥陀ケ原を散策する。

15:15弥陀ヶ原高原バスで出発
15:45美女平到達
15:50美女平ケーブルカーで出発
15:57立山駅到達
16:05レンタカーで富山駅に向かう。
17:05富山駅到達
17:56サンダーバードで出発
21:25大阪駅到達。

今回の旅行立山黒部アルペンルート、宇名月トロッコ電車で有名な富山県に足を運び、まだ訪れていない富山藩10万石の城下町富山タウン、越中と飛騨を結ぶ旧飛騨街道沿いのエリア神通狭、県内随一の観光スポット立山黒部アルペンルートへのアクセスエリア、立山山麓をドライブ観光で大自然に接し満喫しました。

時間的に余裕があり、いままで何回か訪れたことのある立山黒部アルペンルートの美女平、弥陀ヶ原を訪れ散策し時間を費やしました。

大阪から比較的時間の掛かる富山県、日本でも指折りのビッグな観光名所が点在し、大自然真っ只中に突入できる富山県ドライブ観光でした。