大阪府東大阪市寺院巡り4
2011年8月31日


大阪府東大阪市の寺院巡り第四弾、布施、八戸ノ里、永和、長瀬方面に点在する寺院を訪れました。

12:30車出発、八戸ノ里方面に向かう。

東大阪市にある本門佛立宗の寺院、清風寺第九連合が、東大阪教会(浄風寺の前身)に変わる。開基に第7世講有日淳上人、草創として、初代住職に第18世講有日地上人(当時は清風寺御高職)を戴いた浄風寺を訪れる。

永和方面に向かう。

大阪府東大阪市中小阪3丁目の徳因寺を訪れる。

大阪府東大阪市下小阪1丁目の貞松院を訪れる。

当山の縁起は1662年(寛文2年)京都獅子谷、法然院2世忍徴上人が、石清水八幡宮の境内に一堂を建て一丈六尺の地蔵菩薩を安置したのに始まる。明治初年の廃仏毀釈により、一時平安城南の昌玉院に還されたが、辺地のため、人々の供養は滞りがちとなり、このことを憂いた法然院25世名阿上人は、1892年(明治25年)、より多くの人の化益のため、大阪随一の繁華街難波新地(現在の難波高島屋の位置)に移し、新しい堂を建て延命地蔵尊迎え、寺の名前も「延命寺」と改めた。1924年(大正13年)、南海電鉄の難波進出のため現在地に移転した。本尊の「阿弥陀如来」は当初鎌倉時代のものと思われたいたが、調査の結果、更に時代がさかのぼり、藤原時代のものと判明。丈六の「地蔵尊」は鎌倉時代後期から室町時代の作と伝えられ、腹帯をした姿は「腹帯地蔵尊」、また「水子供養地蔵尊」として、大阪はもとより、遠来の参拝者が跡を絶たないという。この「阿弥陀如来」と「地蔵尊」は1975年(昭和50年)大阪府有形文化財(彫刻)の指定を受けている延命寺を訪れる。

大阪府東大阪市荒川3丁目の念通寺を訪れる。

布施方面に向かう。

観世音大菩薩のご精神を宣布、世の中の諸所の方々の為に真言密教の加持祈祷を修法御先祖を始め先亡有縁無縁一切の精霊、得に全国的に水子のご回向を致し、習性済度の精業に精進しております大阪府東大阪市足代1丁目の浅草寺を訪れる。

大阪府東大阪市足代1丁目の安楽寺を訪れる。

大阪府東大阪市足代3丁目の子安・延命・安全地蔵尊・開運 厄除 不動尊の三光寺を訪れる。

長瀬方面に向かう。

大阪府東大阪市寿町2丁目の本照寺を訪れる。

大阪府東大阪市菱屋西3丁目の光泉寺を訪れる。

大阪府東大阪市長瀬町1丁目の真行寺を訪れる。

大阪府東大阪市西上小阪の雲乗寺を訪れる。

大阪府東大阪市横沼町2丁目の究竟寺を訪れる。

大阪府東大阪市衣摺3丁目の光泉寺を訪れる。

大阪府東大阪市菱屋西1丁目の西方寺を訪れる。

大阪府東大阪市小若江1丁目の真願寺を訪れる。

大阪府東大阪市友井4丁目の法敬寺を訪れる。

現地の案内板によると当山開基の楠木正明は楠木正成の3男正儀から数えて5代目の嫡系で、古くより、「楠家ゆかりの寺」として知られていたという。久宝寺御坊(顕証寺)を拠点に精力的に布教していた、本願寺8世蓮如上人に深く帰依した、正明は1476年(文明8年)10月、家祖楠木正成の夢告を受け、にわかに発心して、薙髪し、上人から教専坊明道の法名を賜って、当山を創基したと伝える正善寺を訪れる。

大阪府東大阪市金岡4丁目の大親寺を訪れる。

17:00終了。

今回は近場の寺院巡り、大阪府東大阪市の南西部エリアに点在する20箇所の寺院を巡りました。

ほとんどの寺院が小規模で質素でしたが、河内西国霊場に含まれる寺院は立派なものが多かったですね。

4回目の東大阪寺院巡りでほぼ制覇できました。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十七弾:神奈川県箱根観光
2011年8月27−28日


静岡県に近い神奈川県南西部の一角、箱根カルデラ近辺の一帯を指し、古来東海道の要衝であり、「天下の険」と謳われた難所箱根峠のふもとには宿場や関所が置かれた。近代以降は保養地・観光地として発展。各所に湧く温泉や、芦ノ湖、大涌谷、仙石原などがとりわけ有名であり、1936年に「富士箱根国立公園」(現・富士箱根伊豆国立公園)に指定されている箱根に足を運び、北条氏が隆盛を極めた城下町小田原、歴史と文学薫り立つ箱根の玄関口箱根湯本、レトロな町並みで多彩な温泉の宮ノ下・小涌谷、箱根きっての高級別荘地とほんわか小さな温泉場、強羅・宮城野、穏やかな湖畔から噴煙立ち上がる景勝地大涌谷・桃源台・湖尻、箱根のシンボル芦ノ湖、かつての街道の歴史に思いをはせる旧街道、畑宿・芦之湯、自然&芸術、美に酔いしれるアートなエリア仙石原を訪れました。

27日13:40新幹線ひかりで出発、三島でこだまに乗り換え
16:40小田原到達、レンタカーで小田原観光。

小田原のシンボル・小田原城天守閣がそびえる、石垣と堀に囲まれた公園。園内には、常盤木門や隅櫓、銅門のほか、遊園地などが点在する小田原城址公園を散策する。

小田原城址公園にあり、1960年(昭和35)に復興。3層4階建ての内部には、鎧や刀剣、小田原提灯などが並ぶ展示室と、三浦半島などを望む展望室がある小田原城天守閣[小田原城址公園]を訪れる。

北村透谷、北原白秋、尾崎一雄など、小田原ゆかりの文学者たちの原稿や初版本などを展示。隣接の白秋童謡館では、白秋の直筆原稿などの資料を展示している。文学館・童謡館ともに、建物は元宮内大臣田中光顕の別邸を利用の小田原文学館の前で記念撮影。

地球の誕生や仕組み、46億年の歴史など、地球について楽しく学べる博物館。恐竜の骨格標本や化石、いん石など多彩な展示品は約1万点にも及ぶ神奈川県立生命の星・地球博物館の前で記念撮影。

小田原の約7km北東に広がる中河原梅林、原梅林、別所梅林の3つの梅林の総称。箱根連山や富士山を背景に3万5000本の梅が花を咲かせる2月には梅祭が開催され、流鏑馬や小田原ちょうちん踊りなどが披露される。周辺にはみどころも多く、子宝や縁結びに御利益がある瑞雲寺、曽我兄弟の菩提寺で毎年5月28日に傘焼まつりが行われる城前寺、旧六ケ村の総鎮守宗我神社などがあり、これらのスポットを結ぶ散策路も整備されている曽我梅林を訪れる。

18:30小田原市内のホテル到着、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

28日5:00レンタカーで出発、湯河原方面に向かう。

『十津川警部シリーズ』の著者として知られる西村京太郎氏。館内には約500冊もの著書や生原稿、鉄道ジオラマを展示している西村京太郎記念館の前で記念撮影。

温泉街に立つ赤レンガ造りの小さな美術館で、晩年、静養のため湯河原で過ごした日本画家の竹内栖鳳、洋画家の安井會太郎、美人画で有名な伊東深水など、湯河原にゆかりの深い画家の作品を収集・展示している。また、平松礼二館を併設し、常時約20点の作品を展示。日本庭園では、フランス・モネ財団から平松氏に贈られた「モネの睡蓮」を育成中の町立湯河原美術館の前で記念撮影。

箱根町・芦ノ湖方面に向かう。

湖面に富士山や外輪山の陰を落とす芦ノ湖。この湖は箱根の代表的な観光スポットの一つ。湖上では遊覧船をはじめ、ボート遊びが楽しめ、ブラックバスなどの大物釣りにも挑戦できる芦ノ湖を訪れる。

年始の風物詩として毎年100万人近い観衆で賑わう箱根駅伝。その感動を伝えるミュージアム。数々の名場面の写真や、タスキ、トロフィーなど貴重な展示が並ぶ箱根駅伝ミュージアムの前で記念撮影。

箱根の関所は1619年(元和5)、徳川幕府によって西国に対する江戸の防備と治安を守るために設けられた。江戸に在住の諸藩の大名や奥方など、女性の江戸退出に対する取締りが厳しく行われた。2007年春、大番所・上番休息所、京口御門、厩が完全復元され、調度品などが公開されている箱根関所を訪れる。

通行手形・古代道中絵図など、関所に関する資料約1000点を展示。「関を出入る輩笠頭巾をとらせ通すべき」など関所通過の心得を示した高札や、刺股、袖搦み、突棒など関所破りを防ぐための武具、旅人を威圧するために関所詰所に掲げてあったおどし面などがある。箱根関所が「出女」を厳しく取り締まったことを示す女性の通行手形には、髪型から足の裏の灸の跡まで、詳細に書かれていて興味深い箱根関所資料館の前で記念撮影。

芦ノ湖に突き出した塔ケ島にある、敷地面積約16万平方mに及ぶ公園。園内には桜・アジサイ・モミジなどが植えられ、四季折々の風情が感じられる。皇族の避暑や外国からの賓客のための離宮跡地で、公園中央には明治の西洋建築を模した湖畔展望館がある。館内には明治時代に建てられ、関東大震災で倒壊した離宮の設計計画や模型を展示する恩賜箱根公園を散策する。

元箱根から恩賜箱根公園まで約500m続く、箱根旧街道の杉並木。1618年(元和4)、幕命によって川越城主・松平正綱が植林。409本もの杉が連なり、夏の強い日差しや冬の寒風から旅人を守った。樹齢は390年ほどで、なかには幹回り4mの大木も。滝廉太郎の『箱根八里』に「昼なお暗き」と歌われた。杉並木の間から芦ノ湖に映る、さかさ富士も見どころの一つの旧街道杉並木を訪れる。

元箱根・畑宿・芦之湯・箱根園方面に向かう。

現代日本画を代表する画家たちの作品を集めた美術館。平山郁夫をはじめ、加山又造、山本丘人らの作品を展示している。収蔵点数は4000点余。うち80〜100点を展示し、3カ月に1回の割合で展示替えをするほか、特別企画展も開催される。ティーラウンジや展望室があり、大きな窓の向こうには芦ノ湖や富士山が見渡せる成川美術館の前で記念撮影。

エッセイスト、画家、ワイナリーオーナーなど多彩に活躍する玉村豊男氏の作品を展示する個人ミュージアム。長野県東御市の農園ヴィラデストで栽培されたブドウや野菜、草花、パリの街に暮らす人々の情景をモチーフに描いた水彩画が展示されている。版画のコーナーではインテリアにも適した作品に出会うことができ、その場で購入も可能の玉村豊男 ライフ アート ミュージアムの前で記念撮影。

見晴し茶屋から畑宿に向かう県道の途中にあるつづら折りの急坂。江戸時代にはまっすぐな急坂のかしの木坂を登る難所として知られていた。春は沿道の桜がみごろとなる七曲がりを通過する。

腰付き弁当や袖合羽、山駕篭など江戸時代の旅の装束や道具などを展示している。特に、甘酒茶屋の赤穂浪士討ち入りにまつわるエピソードを再現するコーナーは必見。赤穂浪士の神崎与五郎が甘酒茶屋で休憩中、馬喰に因縁をつけられたが、討ち入りを前に騒ぎは起こせず、詫証文を書いたというもの。箱根八里のイラストパネルや江戸時代の旅用品などを紹介するコーナーもある箱根旧街道資料館を訪れる。

畑宿から守源寺に向かう宙吊り石畳の路傍に立ち、江戸から23里目を示す道標。一里塚は江戸幕府が旅人のために目印として1里(約4km)おきに設けたもので、関東では戸塚とここに残るのみの畑宿一里塚を訪れる。

箱根の伝統工芸品、寄木細工は、江戸時代後期に畑宿で考案されたもの。寄木会館は、寄木細工をより多くの人に知ってもらうために建てられた施設。職人による実演が見られるほか、寄木細工に使う道具も展示されている畑宿寄木会館を訪れる。

江戸時代半ばに薬師堂に設けられた茶室。当時の文化サロンで、賀茂真淵、本居宣長などが集まり歌を詠んだ。1871年(明治4)に焼失したが、2001年に復元された。賀茂真淵らの歌碑も残る東光庵熊野権現旧跡を訪れる。

757年(天平宝字元)、神託により、万巻上人が現在の地に里宮として創建。古来、関東総鎮守箱根大権現として尊崇され、交通安全・心願成就・開運厄除に神徳の高い神として信仰される。本殿は朱塗りの権現造。曽我神社、九頭龍神社、恵比寿社などの摂末社も祀られている。宝物殿では、万巻上人坐像や鉄湯釜、浴堂釜、箱根権現縁起絵巻などを常設展示。裏山のヒメシャラの純林(県特別記念物)は、6月下〜7月下旬に可憐な花を咲かせる箱根神社を訪れる。

周囲500mの小さな池で、背後に駒ケ岳を控え樹木に囲まれて深い緑色の水を湛える。湯治に訪れていた男が娘に身を変えた大蛇との約束を破り、池の中に引きずり込まれ命を落としたという伝説が残る。この池から先は鎌倉時代の箱根越えの難所で、極楽浄土と地獄の分かれ道といわれていたという。このため、周辺には旅人が道中の無事を祈ったという石仏が多く残されている精進池を訪れる。

芦之湯史跡探勝歩道の途中にある。3つの五輪塔のうち、左の2つが曽我兄弟の墓(重要文化財)、右が兄・十郎の妻・虎御前の墓(重要文化財)といわれている。しかし、右の塔には永仁3年(1295)12月と刻まれているため、鎌倉後期に地蔵信仰の一つとして建てられたものともいわれる曽我兄弟の墓を訪れる。

淡水魚と海水魚の2つの水族館と、子供たちに人気のバイカルアザラシ広場がある。淡水館には体長2mにもなるというアラパイマや、生きている化石といわれるプロトプテレスなど珍しい淡水魚150種2000匹が飼育されている。海水館には幅17m、奥行き11m、深さ7mの魚類大水槽があり、タカサゴやヨスジフエダイなど約2万匹の海水魚を鑑賞できる。ペンギンやタカアシガニなどもいる箱根園水族館[箱根園]の前で記念撮影。

箱根火山の最後の活動で誕生した山。箱根火山の中央火口丘の一つで、下から見上げると丸みをもった穏やかな山容だ。標高はそれ程高くないが、山頂付近は風が強く、灌木や笹に覆われた茅戸状態。展望台もあり、芦ノ湖をはじめ箱根外輪山、富士山、駿河湾などが見渡せる。山頂からは北にそびえる神山を経て、早雲山に至るハイキングコースもある。富士山を仰ぎ見ながら、ブナやアセビ、ヒメシャラなどが茂る散策道を行く約2時間のコース。ロープウェーを利用し、車窓の景色を楽しみながら手軽に山頂を目指すのもよい駒ケ岳をロープウエイで登る。

芦ノ湖スカイラインの走行し御殿場方面に向かう。

芦ノ湖の西岸の稜線を箱根峠から湖尻まで走り抜ける全長10.7kmの有料道路。標高850〜1100mにあり、富士山をはじめ芦ノ湖、駿河湾などが望める。特に三国展望台からの眺めがいい。眼下に芦ノ湖、目の前に駒ケ岳、その裾野に箱根園が横たわる。後方には、三島・沼津市の彼方に駿河湾、晴れた日には北西に大きく裾野を広げた雄大な富士山がみられる芦ノ湖スカイラインを通過する。

芦ノ湖西岸を長尾峠から湖尻峠まで南北に走る全長5kmのドライブウェイ。東名御殿場IC・箱根仙石原から箱根・伊豆方面へのアクセス道路。料金所の御殿場側手前左側の駐車場からは富士山と愛鷹山の雄大な景観が見渡せ、料金所から南へ2.5km先の駐車場の箱根芦ノ湖展望台からは、眼下に芦ノ湖が大きく横たわる箱根スカイラインを通過する。

秩父宮同妃両殿下の別邸跡地を整備した公園。春は梅や枝垂れ桜、夏はフヨウやサルスベリ、秋はキンモクセイなど、季節ごとの花が楽しめると地元でも人気。築280年以上の重厚感あふれる茅葺きの記念館では、両殿下のご愛用品などが展示されている秩父宮記念公園前で記念撮影。

乙女峠への道の途中、高台に広がる公園で、白亜の仏舎利塔がひときわ目を引く。塔の前には金色の、なでかんのん像や狛犬が立つほか、富士を望む展望台や林間の遊歩道も整備されている。桜、ツツジの名所で、開花期は見事の平和公園を訪れる。

富士山の爆発とともにできた溶岩洞穴のひとつで、総延長409mと規模も富士山麓では最大級。入口部分は天井まで20mもある広々としたホール状。天井の肋骨を思わせる溶岩流の跡や、千畳敷広場などがあり興味深い駒門風穴を訪れる。

足柄山の金太郎で親しまれている坂田金時の生家跡に、金時を祭神として建立されたもの。背後の小山一帯が金時公園として整備されており、金時の産湯として使ったちょろり七滝、第六天社などがある。境内入口に立つ、大きなまさかりがユーモラスの金時神社を訪れる。

仙石原方面に向かう。

フランスを代表する装飾美術工芸家、ルネラリックの生涯にわたる作品を一堂に集めた貴重な展示の数々を、箱根の豊かな自然の中で堪能できる。美術館棟、レストラン棟、ショッピング棟からなり、さまざまな楽しみ方ができるミュージアム箱根ラリック美術館の前で記念撮影。

武家文化を今に伝える美術館で、室町時代〜江戸時代末期にかけての甲冑・武具・浮世絵・美人画など300点を展示。収蔵品は1000点を数え、特別展も開かれる。鎧・兜の試着体験コーナーでは、戦国武将の気分が味わえる箱根武士の里美術館の前で記念撮影。

箱根仙石原湿原の植物群落の保護を兼ねて開園。湿原をはじめ、川・湖沼などの水湿地に生育する植物を中心に集められている。日本各地の湿地帯植物200種のほか、草原や林、高山植物1100種、外国の珍しい山草も含めると1700種にも及ぶ。園内には木道の散策路が設けられ、一周約40分。春は水芭蕉、初夏はカキツバタ、夏はノハナショウブ、秋は紅葉と季節ごとに楽しめる箱根湿生花園を訪れる。

名作『星の王子さま』の世界と、作者サン=テグジュペリの生涯に触れられるミュージアム。敷地内の広場や通りには物語の登場人物の名が付けられ、作者が生まれたというリヨンの街並みも再現。展示ホールでは、手紙や写真などの愛用品を公開している星の王子さまミュージアム 箱根サン=テグジュペリの前で記念撮影。

15〜18世紀のヴェネチアングラスを中心に展示する美術館。ロスチャイルド家に伝わるゴブレットやイタリア・メディチ家の紋章が入ったコンポートなど繊細な美しさに満ちた作品約620点を収蔵、約100点を公開している。水の都ヴェネチアをイメージした庭園にあるカフェでは、時間によって生のカンツォーネも楽しめる箱根ガラスの森の前で記念撮影。

仙石原の中央にそびえる台ケ岳の北西麓一帯は、9月下旬〜10月中旬にかけて秋の箱根の風景を代表するススキの草原が広がり、多くの観光客が訪れる。小道を辿って高台に登ると、ススキの原が一望のもと。3月中旬には、春の訪れを告げる山焼きも行われる。「かながわの景勝50選」に選定の仙石原高原のススキを走行する。

桃源台・湖尻方面に向かう。

約300年の歴史を誇り、ヨーロッパ磁器の最高峰として知られるマイセン窯の作品を約1000点所蔵し、その中から常時約300点展示、色遣いや造形の美しい人形や動物の置物。特に子供のかわいらしい表情や、ドレスのラインなど極め細やかな作りに注目したい。また、庭園内には、英国直輸入の紅茶をマイセンの器で飲める「カフェ・マルコリーニ」がある箱根マイセン庭園美術館の前で記念撮影。

大涌谷方面に向かう。

冠ケ岳の北中腹に広がる。約3000年前に神山の斜面が爆発したときの爆裂火口跡で、今も大地から噴煙が立ち上る。明治になるまでは大地獄といわれ、人々に恐れられていた。現在では一年を通して多くの観光客で賑わう観光地となっている。南西の岩場には閻魔台、北東にはここで涌いた水を温め、強羅や仙石方面へ湯を送っている地獄沢という噴気帯が点在している。どちらも立ち入り禁止だが、閻魔台周辺へは大涌谷自然研究路が通じている。箱根ロープウェイの車窓からは噴煙をあげる地獄沢の光景を見ることができる大涌谷に向かうが渋滞がひどく断念。

宮ノ下・小涌谷・強羅方面に向かう。

ポーラ・オルビスグループのコレクションを展示する美術館。モネやルノワールなど印象派の絵画を中心に、西洋絵画や日本の洋画、日本画、版画、彫刻、東洋陶磁、ガラス工芸、東西の化粧道具など約9500点を収蔵のポーラ美術館を見学。

箱根生まれの写真家・遠藤桂氏の私設美術館。時間や気象条件によってガラリと表情を変える、神秘的な富士山の写真を常設展示。2階では国内外の写真家の企画展や特別展を開催する箱根写真美術館の前で記念撮影。

早雲山の中腹に広がるフランス式整型庭園。噴水を中心に左右対称に造園され、バラやシャクナゲなどの花と緑の木々が調和している。開園は1914年(大正3)。熱帯植物館や茶室などがある箱根強羅公園を訪れる。

1952年(昭和27)、東洋美術の収集につとめた岡田茂吉氏が設立。常滑・瀬戸・信楽・丹波・備前・越前など日本の六古窯の中世陶器や鍋島・伊万里、仁清、乾山など、江戸時代までの日本の古陶磁や中国陶磁などのやきものを中心に約150点を展示している。建物は苔庭や萩の道、竹庭の日本庭園に囲まれ、四季折々の景観も見事の箱根美術館の前で記念撮影。

1969年(昭和44)開館で、野外美術館としては日本の草分け的存在。広々として気持ちのよい緑の芝生の上には、オーギュスト・ロダンやヘンリー・ムーアなどが制作した彫刻作品120余点が展示されている。約7万平方メートルの起伏に富んだ敷地内には、子供が中に入って遊べるような屋外展示作品、ピカソ館や緑陰ギャラリーなどの屋内展示場が点在し、みどころ満載。レストランやショップのほか、一度に30人が作品を鑑賞しながら入れる長さ20mの足湯「ほっとふっと」もある彫刻の森美術館を訪れる。

彫刻の森美術館の展示場。100点以上の彫刻作品が点在する。一番の見どころは、ヘンリー・ムーア・コレクション。20世紀を代表する彫刻家である彼の代表的な作品、『横たわる像:アーチ状の足』『母と子:台座』などを公開。「彫刻を鑑賞するのには野外以上にふさわしいものはない」と語ったムーアの作品は、緑の中でひときわその存在感を示し、見応え充分。ニキ・ド・サン・ファールの『ミス・ブラック・パワー』には圧倒される。なかでもガブリエル・ロアール作のステンドグラスのタワー『幸せをよぶシンフォニー彫刻』は内側から見る光の反射が見事の屋外展示場[彫刻の森美術館]を訪れる。

彫刻の森美術館内にあり、約300点を所蔵しているパブロ・ピカソの作品から、彼の娘マヤ・ピカソから譲り受けた陶器作品を中心に、油絵、素描、版画、タピストリー、銀製コンポート、色ガラスを組み合わせたジェマイユなど、多彩な作品を常設するピカソ館[彫刻の森美術館]を見学。

1883年(明治16)創業の三河屋旅館が所有する、6万6000平方mの庭園。ツツジの名所として知られる。初代当主・榎本恭三が、大正初期に東京の大久保からツツジを移植したのがはじまり。毎年4月下旬〜5月中旬、サツキ・ミヤマキリシマ・ヤマツツジなど約40種類約3万株の花が開花。秋の紅葉も美しい蓬莱園を訪れる。

箱根湯本方面に向かう。

大輪の花を咲かせるスタンドタイプ、天井から吊り下げられたハンギングタイプの球根ベゴニアを中心とする600種1万株を展示。四季折々にイベントを開催していて、いつ遊びに行っても楽しめる箱根ベゴニア園の前で記念撮影。

塔ノ峰の中腹にある古刹で、別名をあじさい寺という。室町時代に大雄山最乗寺の僧安叟が曹洞宗の寺として創建。後に廃寺となり、1604年(慶長9)、弾誓上人によって浄土宗の寺として再建された。山に沿って延びる参道は樹木が鬱蒼と茂り、6月下旬〜7月中旬にかけて3000株のアジサイが彩る散策道となる。本堂には阿弥陀三尊像や皇女和宮ゆかりの像が安置されており、本堂からさらに15分歩いたところにある弾誓上人が修行したという祠・奥の院も見学できる阿弥陀寺を訪れる。

16:30小田原に向かう。
17:05小田原到達
17:37小田原駅新幹線こだまで出発、名古屋でのぞみに乗り換え
21:35新大阪到達

今回の旅行、修学旅行以来2度目の訪れである神奈川県箱根に足を運びました。
全国でも指折りの観光名所、さすがに8月の終わりにもかかわらず、車も人が多く賑わっていました。

芦ノ湖を中心とし変化に富んだ地形に、自然と点在する歴史的建造物とアート、膨大な名所に圧倒され、1泊2日では到底回れず、駆け足で訪れ興味ある名所のみ見学し、殆どが外観の写真撮影だけで終わりました。
次回は時間をつくってゆっくり周りたいと思います。

修学旅行以来の訪れで期待していた大涌谷の観光も、残念ながら大渋滞のため訪れることが出来ず残念です。次回期待します。































大阪府東大阪市寺院巡り3
2011年8月24日


大阪府中河内地域に位置する市。大阪市、堺市の両政令指定都市に次ぐ、大阪府内で第3位の人口規模の市であり、中核市に指定されている。近鉄花園ラグビー場を擁する「ラグビーのまち」として、また、技術力の高い中小企業が多数立地するものづくりのまちとして全国に知られ、それらをアピールする形でまちづくりを行っている東大阪市南部の寺院を巡りました。

12:30車で吉田方面に向かう。

大阪府東大阪市水走2丁目の法性寺を訪れる。

大阪府東大阪市吉田下島の正福寺を訪れる。

大阪府東大阪市菱江1丁目の西庄寺を訪れる。

大阪府東大阪市荒本2丁目の乗教寺を訪れる。

大阪府東大阪市荒本2丁目の光教寺を訪れる。

花園方面に向かう。

寛延年間(1748〜51年)に、この地の人で、慈雲尊者に深く帰依した高峰智興大尼の開基による。大尼はその弟子互鏡慧上尼と共に尊者の命により、四天王寺において聖徳太子の糞掃衣(ふんぞうえ:ボロで作られた、粗末な袈裟)を自ら試し、二衣を模製し尊者の干衣裁製*の実現に力を尽くした。尊者の師命により初めてこの寺に於いて、法憧(ほうどう:仏法の目印の旗)を立て、寺を結界して増坊とし、当寺を正法律根本道場として弟子の教化につとめたと伝えられてる。また当寺には、慈雲尊者が河内巡回の折には、よく立ち寄ったということであり、尊者ゆかりの寺院の1つである観音寺を訪れる。

大阪府東大阪市西岩田1丁目の専正寺を訪れる。

大阪府東大阪市岩田町5丁目の西光寺を訪れる。

大阪府東大阪市稲葉2丁目の光明寺を訪れる。

大阪府東大阪市足代1丁目の安楽寺を訪れる。

大阪府東大阪市吉田2丁目の光妙院を訪れる。

大阪府東大阪市吉田3丁目の普明寺を訪れる。

大阪府東大阪市瓜生堂1丁目の浄願寺を訪れる。

大阪府東大阪市池島町4丁目の泉證寺を訪れる。

大阪府東大阪市池島町2丁目の慈眼寺を訪れる。

大阪府東大阪市池島町1丁目の浄慶寺を訪れる。

大阪府東大阪市池島町1丁目の大善寺を訪れる。

大阪府東大阪市玉串元町1丁目の乗誓寺を訪れる。

大阪府東大阪市玉串元町2丁目の極楽寺を訪れる。

大阪府東大阪市若江南町2丁目の蓮城寺を訪れる。

大阪府東大阪市若江北町3丁目の蓮浄寺を訪れる。

大阪府東大阪市若江北町3丁目の薬師寺を訪れる。

大阪府東大阪市若江本町4丁目の長寿寺を訪れる。

生駒信貴スカイラインに沿って点在する寺院に向かう。

当山の縁起は、約1360年前、舒明天皇の頃(629〜41年)役行者小角が、堂宇を建立したのを開基とする。その後、元明天皇の頃(707〜15年)行基菩薩が栴檀の香木により一刀三礼の千手観音像を刻み本尊とした。815年(弘仁6年)には弘法大師が当山で修行し、歓喜天像を安置、後勧修寺宮の院となり、朝廷より金剛乗院の称を賜った。南北朝時代には南朝方の城塞となり、貞和〜観応年間(1345〜52年)高師直に寺領を没収され、一山焼失、その後河内国守護となった畠山基国が1393年(明徳4年)に再建するも、応仁の乱で再び焼失した。永禄年間(1558〜70年)大西丹後守が修復。江戸時代の寛永年間(1624〜44年)亮汰が中興、1916年(大正5年)諸堂宇の大修理が行われ、現在に至っている興法寺の近くを訪れる。

生駒の八大さん"と親しまれその御霊徳、御神徳を授かるために日本国中より多くの方々が御参拝をされています。宗派、教団の小さなものの考え方に捕らわれず人それぞれにおいて良き 指導者となり道を治め人間社会に役立つ者が育ってほしいと願う心より出来たのが釈王宗であります龍光寺の近くを訪れる。

役行者神変大菩薩が修行の場として開いたと伝えられる長尾の瀧。弘法大師もここで八大龍王を感得されたと伝えられています。江戸時代・宝暦八年(1758)には慈雲尊者が庵を結び、14年間も隠棲していました。滝の上には、慈雲尊者座禅石や庵の跡があります大阪別院 天龍院の近くを訪れる。

大阪府東大阪市上四条町の八代竜王神感寺の近くを訪れる。

17:00終了。

東大阪市寺院巡り第三弾、南部エリアに点在する寺院と東の端、生駒信貴スカイラインに沿って点在する寺院を巡りました。

残るは西エリアに寺院です。次回チャレンジします。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十六弾:岐阜県郡上八幡&下呂観光
2011年8月20−21日


日本のど真中に位置し、数少ない内陸県の一つで海は無いが美しい河川、豊かな山々、湯量豊富な温泉などが存在する岐阜県に足を運び、標高900mに位置し季節の花が咲き誇るのどかで美しい光景が広がり高原リゾートを満喫できるひるがの高原、長良川の上流、奥美濃の山々から流れ出る吉田川、小駄良川などの3本の河川の合流地点に位置し、町いたるところに水路が流れ、日本名水百選の第一号に指定された宗祇水で知られる水の町、郡上八幡、有馬・草津とともに天下の三名泉に数えられる下呂温泉を訪れました。

20日12:30車で第二京阪名神中央自動車道経由して
14:30多治見インター下車

盃の産地として知られる多治見市市之倉町にある美術館。幕末〜昭和初期の透けるほど薄く繊細な盃が約1500点並ぶほか、2階巨匠館では、荒川豊蔵、加藤唐九郎、加藤卓男など、地元ゆかりの人間国宝や巨匠の陶芸作品を展示。広いミュージアムショップでは、陶器・木工・金工など、約100人のクラフト作家作品が並ぶ。そのほか、薪の炎で焼き上げる石窯ピザレストラン、ロクロや手びねりなどの作陶、絵付体験、窯元めぐりなどもある市之倉さかづき美術館を訪れる。

貸館スペースである展示ホールやイベントホール、作陶館、ショップなどからなるオリベスクエアと、岐阜県現代陶芸美術館が融合した複合施設セラミックパークMINOを訪れる。

美濃焼の継承、保護、育成のためにつくられた施設で、美濃焼について広く紹介している。館内には、美濃焼の伝統的技術に関する資料や現代作家の作品を展示。作陶施設も併設され、美濃焼を直接肌で感じ体験できる土岐市美濃焼伝統産業会館を見学。

戦時中の地下壕を利用した全長270mの施設。館内では200インチのハイビジョン映像、ジオラマなどにより地球の誕生から現代までの歴史を体験できる地球回廊を訪れる。

恵那方面に向かう。

1906年(明治39)に明智町庁舎として建てられた木造の洋館で、1957年(昭和32)まで町役場として使用。現在2階には、日本大正村に関する写真が展示され、村長の執務室も設けられている。1階は休憩所として開放されており、座敷で自由にお茶を飲むことができる。役場内の公衆電話も大正風の日本大正村役場を訪れる。

「銀行蔵」と「大正の館」のふたつの建物からなる。銀行蔵は1897年(明治30)に建てられた、100畳敷き4階建ての巨大な建物で、当時の明智のシンボル的存在。現在では郷土玩具、明智周辺で盛んだった生糸産業に関する道具や商標、大正時代の蓄音機やレコードの数々を展示している。銀行蔵隣にある大正の館は、明智の名門橋本家の邸宅だった建物の日本大正村資料館を訪れる。

日本大正村初代村長である女優高峰三枝子、初代村会議長春日野清隆(元横綱栃錦)両氏の記念館。高峰氏にゆかりのレコードやステージ衣装、春日野氏の化粧廻し、両氏愛用品などを展示する大正ロマン館を訪れる。

岐阜市内に向かう。

17:30岐阜駅付近のホテル到着後市街地散策し、食事を済ませて就寝。

21日6:00車で出発、ひるがの高原に向かう。

春のチューリップ、夏のラベンダー、秋のコスモスなど、季節の花々で華やかに染まる高原リゾート。アスレチックで身体を動かしたり、羊や山羊と遊んだり、手作り体験に参加してみたりと思い思いに過ごすことができる。濃厚なソフトクリームや焼きたてパンといったジャージー牛のミルク製品、バーベキューなどのグルメも充実のひるがの高原 牧歌の里を訪れる。

火山活動などの結果できた湖が長い年月をかけて火山灰やミズゴケなどが堆積してできた広大な湿地帯。ほとんどが埋め立てられ、今ではわずかな地域が残るのみだが、可憐な高山性湿原植物が見られる。園内には一周10分ほどの木道が設けられ、初夏のワタスゲ、夏のキンコウカ、秋のエゾリンドウなど、高原ならではの花が楽しめるひるがの湿原植物園を訪れる。

日本の滝百選にも選ばれた名滝。高低差は60mあり、轟々と音を立てて水しぶきとともに滝壺へ流れ落ちる様子は、郡上節の一節にも登場している阿弥陀ケ滝を訪れる。

館長の遠山一男氏が集めたコレクションを展示するおもちゃの博物館。全国各地から集めた土鈴約1万6000点余りのほか、郷土玩具2万5000点余りを収蔵。人の顔や動物などさまざまな形の土鈴が並ぶ日本土鈴館を訪れる。

郡上八幡方面に向かう。

小駄良川のほとりにある湧き水。別名・白雲水ともよばれ、「日本名水百選」にも選定されている。かつて連歌の宗匠・飯尾宗祇ぎが、この泉のほとりに草庵を結んでこの清水を愛用したことから名付けられた宗祇水を訪れる。

ロウ細工発祥の地といわれ、食品サンプルの全国シェアの大半を占めている郡上八幡。ここでは製作工程の見学のほか、食品サンプル作り体験ができる。店内には本物そっくりの食品サンプルが陳列され、ミニ食品サンプルが付いたキーホルダーなど、オリジナルグッズも販売している食品サンプル創作館さんぷる工房を訪れる。

やなか水のこみちに集まる、おもだか家民芸館・齋藤美術館・遊童館の3館。敷地内はせせらぎが流れ雰囲気もよいやなか三館を訪れる。

やなか三館のひとつ遊童館は、絵本のさし絵や切り絵、折り紙など幅広い創作活動を行う水野政雄氏の作品を展示するミュージアム。伝統工芸や大名行列を再現した紙人形や油絵など、郷土の民謡や生活をテーマにしたぬくもりのある作品が見られる遊童館[やなか三館]を訪れる。

郡上八幡にある観光スポットやなか三館のひとつで、町中を清らかな小川が流れる、やなか水のこみち沿いに立つ民芸館。鮎を描いた文人画家、水野柳人の絵画約50点を収蔵し、内10点を常時展示している。氏が好んで集めた七ツ玉算盤や火消し装束、行灯などもある奥美濃おもだか家民芸館[やなか三館]を訪れる。

郡上八幡にある観光スポットやなか三館のひとつで、代々茶人を輩出してきた齋藤家が、長年にわたり収集してきたコレクションを紹介。江戸時代から約270年かけて集められた書画、茶道具、掛軸、香炉などの美術品から生活雑器まで、季節ごとにテーマを替えて展示。なかでも、京都の大徳寺の歴代住職が描いた茶掛けは興味深い。茶室前には水琴窟もあり、はかなげな音色が美しい齋藤美術館[やなか三館]を訪れる。

1936年(昭和11)建築。1994年(平成6)まで利用されていた、八幡町役場(国登録有形文化財)の建物を改装。レトロな洋風建築の内部には、観光アドバイスをしてくれるインフォメーションや無料休憩サロンがある郡上八幡旧庁舎記念館を訪れる。

標高354mの八幡山山頂に立つ、4層5階の城。1559年(永禄2)、遠藤盛数により築城。現在の城は、1933年(昭和8)に再建されたものだ。木造再建城としては、全国で最も古い。天守閣からは郡上八幡の町並みを一望。貴重な収蔵品も展示されている郡上八幡城を訪れる。

2億年以上前にできたといわれる竪穴式の鍾乳洞。700m続く洞内鑑賞コースでは、象牙の林や天上界、くじゃくの舞などと名づけられたさまざまな鍾乳石がある。最奥部にある落差30mの大滝が見どころの大滝鍾乳洞を訪れる。

下呂方面に向かう。

下呂温泉合掌村の合掌の里にある資料館。旧岩崎家を利用して、飛騨の民具・農具などを展示している民俗資料館[下呂温泉合掌村]を訪れる。

温泉街を一望する湯ケ峰の中腹にある寺。創建は1671年(寛文11)。傷ついた白鷺に姿を変え、飛騨川で傷を癒して源泉のありかを知らせたという、薬師如来像を本尊としている。173段の石段を登ると、木々に囲まれた本堂がある。境内にはモミジが多く、秋は紅葉の名所としても賑わう。11月中旬には紅葉のライトアップを実施。下呂の歴史を伝える絵馬も奉納されている温泉寺を訪れる。

関を経由して本巣・揖斐川方面に向かう。

801年(延暦20)に伝教大師最澄が創建したと伝えられている寺。本尊には薬師如来像(重要文化財)や大日如来像(重要文化財)などが祭られている。舎利堂には、即身成仏した妙心法師のミイラが安置されている両界山横蔵寺を訪れる。

貯水量は浜名湖の約2倍、ダム堤頂の長さは新幹線のぞみの16両を超える427mと、日本一の規模を誇るダム、徳山ダムを訪れる。

17:00終了、木之本を経由して帰路に向かう。

今回の旅行、日本の中心部にある岐阜県に足を運び、吉田織部の織部好みで知られる美濃焼のふるさと、現在では日本の食器類の大半を生産する一大産地の多治見、標高900mに位置し季節の花が咲き誇るのどかで美しい光景が広がり高原リゾートを満喫できるひるがの高原、長良川の上流、奥美濃の山々から流れ出る吉田川、小駄良川などの3本の河川の合流地点に位置し、町いたるところに水路が流れ、日本名水百選の第一号に指定された宗祇水で知られる水の町、郡上八幡、有馬・草津とともに天下の三名泉に数えられる下呂温泉を訪れ自然と文化に接したドライブ観光満喫しました。

あいにくの雨でしたが夏休みでもあり観光客は賑わっていました。

これでほぼ岐阜県は制覇できました。












和歌山県友ヶ島観光
2011年8月17日


紀淡海峡に緩やかな曲線を描いて浮かぶ神島、地の島、沖ノ島、虎島の四島を合わせた総称の友ヶ島に足を運び、第2次大戦の終わるまでは旧日本軍の軍用地で一般の人は立ち入ることが出来ず、島内には大戦中の施設も多く残され6カ所の砲台跡のほか紀伊防備隊の海軍聴音所、弾薬庫、軍馬舎、将校官舎、厠なども当時の面影を偲ばせてくれます。また、島内の歩道はほとんどがかつての軍用道路で、今も舗装されていない風情ある道路で島内を巡ることが出来ます友ヶ島の沖ノ島を訪れました。

12:20車で出発、阪神近畿阪和自動車道経由して
13:40加太港到達

供養のために2万体ともいわれるひな人形が奉納されている本殿は天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐で全焼した後、浅野幸長が再建、紀州徳川家初代・徳川頼宣が修復、江戸時代末期に第十代・徳川治宝が造営したものである。昭和54年(1979年)には傷みが目立つようになった社殿を覆うような形で新社殿が造営された淡嶋神社を訪れる。

14:00加太港フェリーで出発
14:20
沖ノ島友ヶ島港到達、散策する。

明治五年に英国人ブラントンにより設計された、日本で8番目に出来た洋風建築の灯台、
友ヶ島灯台を訪れる

第二次大戦まで使用された軍用地で今でも七ヶ所の砲台跡があります。

砲台は燈台と隣接していますが、非常に荒れていて草木が生い茂り、立ち入り禁止部分や閉鎖されたところもあります第1砲台を訪れる。

高台にある他の砲台と違って海岸線にあります。と言う事は敵艦からも発見され易く、そのためかより頑丈に作られていた様です。しかし終戦後に米軍によって爆破され、崩れ落ちたり、ひび割れしたりしている部分が多く、中心部は立ち入り禁止となっていて、残念ながら中には入れません第2砲台を訪れる。

規模も小さく、掩蔽部が残っているだけの第5砲台を訪れる。

聴音所とは水中のソナーで敵艦や潜水艦のスクリュー音などを察知し、発見する
任務を負った場所です。島内の砲台は陸軍の所属でここだけが海軍のものでした海軍聴音所を訪れる。

友ケ島で最も有名な場所です。観光案内などにも必ずと言って良い程ここの写真が使われています。その理由は最も規模が大きい事、将校宿舎から棲息掩蔽部に至るトンネル辺りが比較的整備されており、特に素晴らしい事などによるものでしょう。全部で4つの砲座がありますが、その内のひとつが整備され観光コースから簡単に降りれる様になっているのも良い第3砲台を訪れる。

大正期に放棄されました。他の砲台が一応終戦時まで存続したのに較べると20年以上先に放棄された事になります。場所が桟橋から離れている事もあり、訪れる人の少ない砲台です。構造は第3砲台と類似しており、やや小規模です。また全く手入れがされておらず、かなり荒れています第4砲台を訪れる。

大蛇伝説の残る、約400種もの植物が群生する湿地帯。「県指定文化財・天然記念物」の深蛇池を訪れる。

16:30
沖ノ島友ヶ島港出発
16:50加太港到達、帰路に向かう。

今回の近場の名所巡り、和歌山県の4つの島の総称、友ヶ島に足を運び友ヶ島の沖ノ島を散策し、明治期に建設され、第2次大戦終了時まで現役であった、しかし一度も実戦には参加する事のなかった砲台の煉瓦作りの遺跡と、関連施設の遺跡があり、廃墟好きな方にはたまらない砲台跡に接し時間を過ごしました。

意外と知らない近場の友ヶ島の遺跡巡り、楽しめました。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十五弾:中欧4カ国観光
2011年8月9−16日


ヨーロッパの中央に位置する中欧に足を運び、アジア系の騎馬民族マジャル人を先祖に持ち、ヨーロッパでは有名な温泉天国、紀元1000年に建国し、母なるドナウと歴史が育んだ誇り高き街ブダペストを首都に持つハンガリー、日本の約8分の1の大きさの国土を持ち、ヨーロッパのほぼ中心地に位置し、黒海とバルト海を結ぶ南北の交易路と、ロシアとボヘミアを結ぶ東西の交易路が交差し、交通の要衝として古くからさまざまな人々や文化が行き来し、それぞれに影響を残していったスロバキア、1000年の歴史を持ち、20世紀初頭のハプスブルグ帝国崩壊以降の激動の歴史を克服し、近年では観光にも力を入れ、世界一美しい古都といわれる街プラハを首都に持つチェコ、約640年間に及ぶハプスブルク統治時代の遺産が数多く集まる旧市街地区、最大の観光地シェーンブルン宮殿、国立オペラ座や大作曲家ゆかりの名所など、音楽の都として見所豊富なウィーンを首都とするオーストリアを訪れました。

9日23:55関西国際空港カタール空港で出発
10日5:15ドーハ国際空港到達
8:25ドーハ国際空港出発
14:55ハンガリーフェリヘジ空港到達 、ブダペスト観光

ドナウを背にアンドラッシイ通りを直進すると突き当たりに位 置する。1986年、建国1000年を記念して造られた広場で、1929年に完成したモニュメントの中央にそびえる高さ36mの円柱の上には天使ガブリエルの像がおかれ、その下には建国の英雄アルパード王と6人の有力部族の王達、左右に広がる列柱には彼等に従った王達の像が配されている。更に、この雄大なモニュメントの手前には無名戦士の墓標が横たわっている。美術館とアートギャラリーはこの英雄広場をはさんで左と右に位 置する英雄広場を訪れる。

英雄広場のすぐそば。諸外国の画家による作品が多く集められている。ラファエロ、レンブラント、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤ、ブリューゲルなど名だたる巨匠が勢揃い。なかでもエル・グレコのコレクションはスペイン国外で最大規模を誇る西洋美術館の前で記念撮影。

この大聖堂はペストに高くそびえ立ち、20世紀前半に完成しました。中央の新古典主義の丸屋根は2つの巨大な鐘楼によって配置され、この1つの鐘楼は9トンの重量のある鐘が含まれ、ハンガリーで最大級のものです。右側の聖なる礼拝堂の内部にはバシリカ聖堂を訪れる観光客はセント・スティーブンス自身のミイラ化された握りこぶしを見ることができます。素晴らしいブダペストの一望を見るために、丸屋根の最上階まで146段の階段を昇ると、他で見られない全景を見ることができます聖イシュトヴァーン大聖堂 を訪れる。

1884年、ネオ・ルネッサンス様式で建てられたヨーロッパで一二を誇る美しいオペラ座。内部は有名なハンガリー人画家達の描いたフレスコ画で飾られ、世界の大音楽家達の彫像が並んでいる。客席数1200、 冬期は殆ど毎日公演が行われ12月31日にはオペラボールが、8月にはブダペスト・オペラフェスティバルが開催されるオペラ座の前をバスで通過する。

王宮方面に向かう。

1849年、セーチェーニ・イシュトヴァーン公爵の非常な努力と熱意により完成。設計はイギリス人クラーク・アダム。 この橋が造られる以前はペストとブダは渡し船で繋がれていたく
さり橋を通過する。

この地に初めて王宮が建てられたのは13世紀半ば頃。15世紀のマーチャーシュ1世の時代には、イタリアから呼び寄せられた職人や芸術家によりルネッサンス様式に改築された。しかし、1686年のハプスブルク軍とトルコの戦いにおいて、完全に破壊されてしまう。その後、バロック様式で新たに建てられたものの、大火災や二度の世界大戦で破壊され、現在見られる姿は1950年代に入ってから完成した王宮を散策する。

中世から現代にわたるハンガリー美術を一堂に鑑賞することができる。特に後期ゴシック期の木造聖壇、ムンカーチ・ミハーイ(1844〜1900)やパール・ラースロー(1846〜1879)らによる19世紀の絵画などは必見の国立美術館の前で記念撮影。

13世紀半ばにロマネスク様式で建てられたのが基だが、後にゴシック様式に改築された。トルコによる支配時にはフレスコ画が塗り込められモスクに変えられたり、第2次世界大戦では破壊されたりといった歴史を乗り越えてきたマーチャーシュ教会を訪れる。

マーチャーシュ教会の裏手にあるこの砦からは、ドナウ川越しにペスト地区が一望でき、まさに絶景! 砦といっても、町の美化計画の一環として、建築家シュレック・フリジェシュにより20世紀初頭に造られたもの。ネオロマネスク様式の7つの塔と回廊から成っている。マーチャーシュ教会との間に勇ましく立つのは、ハンガリー初代国王聖イシュトヴァーンの像がある漁夫の砦を訪れる。

建築家シュテインドル・イムレの設計で1885〜1902年に建てられた。バロックとネオゴシックが混じった折衷様式が壮観の国会議事堂を漁夫の砦から眺望する。

第二次大戦で破壊されたあとに1964年に再建された吊り橋。皇帝フランツ・ヨーゼフの妃、エルジェーベト王妃の名にふさわしい優美な橋エルジェーベト橋を望む。

アールパード橋とマルギット橋に挟まれてドナウの中州に位 置する長さ2.5km、幅は最も広い所で500mの島。島全体がブダペストで一番美しい公園になっている。13世紀の教会や修道院の遺跡、彫像公園、数百年を経た大木、バラ園、日本庭園があり、7・8月にはオペラやバレー公演が行われる野外劇場、そして プール、パラティヌス浴場、温泉ホテルなどが営業しているマルギット島を望む。

19:00ブダペスト市街地のレストランで夕食

20:00ブダペストの夜景を楽しみながらホテルに向かう。

20:30ブダペスト市街地のホテル到着、就寝。

11日8:30バスでドナウベント地方に向かう。

11:30ドナウベント地方到達。

ヴィシェグラードとはスラブ語で高い城という意味、 ドナウ川が ちょうど直角に曲がる所に有ります。328mの丘の上にあり、内部は昔の生活の様子を蝋人形などで再現してます。拷問の道具なども展示するヴィシェグラードを訪れる。

初代ハンガリー王イシュトヴァーンに寄ってキリスト教が進められ  トルコ人によって破壊された王宮跡に 教会が建てられた。 以来ハンガリー・カトリックの総本山として現在に至っている。1241年モンゴル来襲までハンガリーの首都として、その後も町は文化的に繁栄を続けているエステルゴム大聖堂を訪れる。

昼食を済ませてからスロバキアに入り首都ブラチスラバに向かう。

15:00ブラチスラバ到達、市内を散策観光する。

ドナウ川沿いの小高い丘の上から市内を見下し、四角い建物の四隅に塔があるという独特の外観をもつ。12世紀には石造りの城が建っていたというが、その後ゴシック様式の城に立て替えられ、17世紀にオスマン・トルコの侵入に備えて4つの塔が付け加えられた。18世紀にはハプスブルク家の女王でマリー・アントワネットの母でもあるマリア・テレジアの居城ともなっていた。場内には歴史博物館や楽器・音楽博物館もある。また城から眺めるプラチスラバの街並みやドナウ川の流れも素晴らしいプラチスラバ城を訪れる。

旧市街に向かう。

旧市街を囲む城壁に付いていた 4つの門のうち、現存する唯一の門。マリア・テレジアがこの街のさらなる発展を考えて 18世紀後半にこのミハエル門を除いて全て撤去しました。外門に通じる石橋は、昔お堀の上を渡していたはね橋の代わりに 18世紀に造られたもので、ヤン・ネポムツキー(チェコの聖人、橋と川の守護聖人でもある)と大天使ミハエルをあしらったバロック式の銅像がありますミハエル門を通過する。

14 世紀初頭から約 200年間かけて建てられた教会。 1563年から 1830年まで歴代ハンガリー王の戴冠式が行われたところとして知られており、 1741年にはマリア・テレジアもこの教会で戴冠しました。教会の尖塔には金色のハンガリー王冠のレプリカが飾られており、中央祭壇の後方のステンドグラ スにも戴冠式を象徴する王冠が描かれています。司祭席の壁にはこの教会で戴冠した王とその妻の名前が記されており、当時のブラチスラバの華やかさを物語っ ています。もともとはロマネスク様式の教会で、それから後期ゴシックの天井やバロックの礼拝堂等が加えられるなど、時代と共に変遷しますが、 19世紀にはネオ・ゴシックスタイルに改築されました聖マルティン教会を訪れる。

中 世より市の中心広場として使われた広場です。様々な市の催しや集会・処刑などが行われ、また市場が立ちました。広場の中心にある噴水は「ロランド噴水」と 呼ばれ、 1572年、当時のオーストリア皇帝マクシミリアン 2世の命を受けて作られたブラチスラバ最古の公共水汲み場です。その中心に立つ騎士像は皇帝マクシミリアンですが、中世都市の保護騎士ロランドであるとの 風説もあります。噴水の反対側にあるのが 旧市庁舎で現在は博物館となっています。広場は夏にはカフェや土産物の屋台で賑わい、クリスマスの時期には飾りや民芸品、ホットワインや軽食を売る市が立 ち、年中賑わっています。広場に特設舞台ができて催し物が行われることもしばしばです。また日・仏・希の大使館の他、政府迎賓館もあります中央広場を訪れる。

1777 〜 1781年に建てられたこの宮殿は、ブラチスラバで最も華麗な宮殿の一つとされています。もともとハンガリーのエステルゴムに置かれている大司教の冬の宮 殿として建設され、ハンガリー王国時代は王族が戴冠式の際にこの宮殿で盛大な晩餐会を催したとも言われています。また、 1805年のアウステルリッツの戦いでは、この宮殿の「鏡の間」でナポレオンがプレスブルク平和条約に署名、 1848年の市民革命に際しては農奴制廃止の協定の署名が行われ、 1968年の「プラハの春」 1か月前にはチェコスロバキア内政への不介入合意が一旦はソ連との間で行われるなど( 1か月後にワルシャワ条約軍は全土に侵入した)、この地域の歴史に重要な役割も果たしました大司教宮殿 を訪れる。

日 本人には極めて発音しにくい名前のこの広場には国立オペラ劇場、カールトン・ホテル、ダニューブ・ホテル、ジェヴィーン・ホテル、米・独・チェコの各大使 館があります。名前はスロバキアの詩人 Orszagh Hviezdoslavにちなんで付けられ、彼の座像が広場中心にどっしり構えています。広場周辺の建物は中世の町の外壁、見張り塔などの上に建築されており、民主化後の所有権返還により改築が行われた家では地下に遺跡が発見されることがよくありました。ブラチスラバの新しい名所のフビエズドスラボボ広場を訪れる。

18:00市街地のホテルに向かう。
18:30ホテル到達
17:30夕食、就寝。
12日7:40バスで出発、チェコ チェスキー・クルムロフに向かう。
12:30チェスキー・クルムロフ到達、昼食を済ませてから散策。

1992年にユネスコの世界遺産に加えられた、世界で最も美しい町のひとつで、大き屈曲して流れるバルタバ川に優しく抱かれて、現代までその美しさを保ち続けてきたこの街は、13世紀に南ボヘミアの豪族ビートコフ家によって城が築かれたのが始まり、14世紀初頭にビートコフ家は断絶し、以後ロジェンベルク家がこの地方の支配者となり16世紀に最盛期を向かえ、その後、エッゲンベルク家、シュバルツェンベルク家へと支配が移り変わったチェスキー・クルムロフを散策する。

旧市街の中心広場、周囲の建物はルネッサンス様式から初期バロック様式まで見ることができるスボルノステイ広場を訪れる。

チェスキー・クルムロフおよび、南ボヘミアン地方の歴史、民族、キリスト教美術、民芸工芸などがてんじされている地域博物館の前で記念撮影。

ボヘミアン地方では、プラハ城に次ぐ大きなお城、13世紀に創建され、その後次々に新しい建物が付け加えられ、それぞれの時代の様式が見事に調和した、巨大な複合建築となったチェスキー・クルムロフ城を散策する。

16:30バスでプラハに向かう。
19:30プラハ市内のホテル到着、夕食を済ませて
21:30就寝。
13日7:55バスで出発、プラハ観光。

プラハ城内にある、聖イジー教会の隣に併設された修道院の内部を利用した美術館。建物の構造を活かしてゴシックからバロックに至る中世のイコンやキリスト像など、多数の宗教作品が展示されている。教会はロマネスク様式を代表する建物で、夕方からコンサートが開かれることもある国立美術館・ボヘミアバロック部門の前で記念撮影。

プラハ観光のハイライトであるプラハ城。その城内で最も高くそびえ、第2の中庭から第3の中庭へ抜けると目の前に姿を現す。壮大なゴシック様式の姿はカレル4世の時代から増改築が繰り返され、1929年に完成したもの。ステンドグラスから差し込む光が、幻想的な空間を作り出している。入口から左3番目のステンドグラスは、チェコが生んだ偉大な芸術家であるアルフォンス・ムハ(ミュシャ)の作品の聖ヴィート大聖堂を訪れる。

第3の中庭の東側にある旧王宮。入ってすぐのヴラディスラフ・ホールVladislavskysalは、長さ62m、幅16m、高さ13mという、当時としては最大級のホール。1493〜1503年にかけて造られ、ボヘミア王の選出や即位式などに使われた。花びらのような幾何学模様を描く天井は、ルネッサンス様式とゴシック様式が融合した、世界の建築史に残るもの。ヴラディスラフ・ホールに続くバルコニーから望む、“百塔の町”プラハの景色もすばらしい旧王宮 を訪れる。

プラハ城内の東側にある一画のこと。間口の小さな家が軒を連ね、まるで童話の世界に迷い込んだような雰囲気だ。黄金小路という名は、皇帝ルドルフ2世が錬金術師を住まわせていたという話から付けられたが、実際は衛兵のための住まいだったといわれている。現在はどの家もみやげ物屋となっていて、観光客がそぞろ歩く。なかにはプラハ出身の作家、フランツ・カフカが一時期使用していた家もある黄金小路を訪れる。

建築家ペトル・パルレーシュの設計、100年以上の月日を費やして15世紀はじめに完成した。重厚なゴシック様式の橋には、左右合わせて30体の聖人像が据えられ、後にローマのサンタンジェロ城に架かる橋のモデルとなったといわれている。西岸から数えて左側の8番目にある聖ヤン・ネポムツキー像の台座部分のレリーフに触ると、幸運が訪れると伝えられ、多くの観光客を集めているカレル橋を渡る。

歴史的なプラハのもっとも意義ある広場になる。12世紀に造られ、この広場はたくさんの歴史的なイベントを記念した。旧市街市庁舎とティーン教会とともにバロック様式の聖ミクラーシュ教会、ロココ様式のキンスキー宮殿、石の鐘の家と彫刻家のヤン・シャロウンによるヤン・フス記念碑は広場の代表的な記念物になる旧市街広場を訪れる。数世紀かけて増築を重ねられ、異なる装飾が連なる複合建築物。塔の上からはプラハの町並みが眺められる。南側の壁にある天文時計は、15世紀に造られたもの。9:00〜21:00の毎正時になると時計のからくりが作動し、キリストの12使徒が文字盤の上部に次々と顔をのぞかせる旧市庁舎を訪れる。

プラハバロックの最も重要な建築(建築家ディーンツェンホーファー、ルラゴ1704−1756)のひとつ。インテリアの装飾もピークバロック様式(クラッケル、シュクレータ)のものになる。プラハ滞在の際にモーツアルトはこちらのオルガンを演奏した聖ミクラーシュ教会を訪れる。

13世紀の構成;現在の形は約1893年から1913年の間に、プラハで何百年もの歴史を持ったユダヤ人の記念物をわずか残し、衛生的に改修されたもの。にもかかわらず、プラハのユダヤ人街はヨーロッパで最も保存されたユダヤ人地区になる。旧新シナゴーグ以外のすべての記念物はユダヤ博物館に収められているヨゼフォフ−プラハのユダヤ人街を訪れる。

チェコ出身の建築家や芸術家たちによって造られた市民会館。館内は見事なアール・ヌーヴォー様式で、なかでも有名なのがムハ(ミュシャ)が手がけた市長の間。ステンドグラスや神秘的な天井画、ししゅうが施されたカーテンなど、世界屈指の空間美を作り出している市民会館を訪れる。

チェコ生まれの芸術家、アルフォンス・ムハ(ミュシャ)Alphonse Mucha(1860〜1939)の作品を展示。ムハは羽ペンを使い、アール・ヌーヴォーにおける独特な世界を開拓した。デッサンやポスターなど、1998年の開館までは彼の遺族によって保管されていた作品を公開しているムハ美術館を見学。

鉱物、化石、剥製および歴史に関する展示が充実している博物館。なかでも人気は考古学展示室で、国内遺跡の出土品から古代史をわかりやすく紹介している。採光窓のある吹き抜けホールは、明るく開放的。天井画や細かな装飾が施された照明など、豪華な内装も見どころの国立博物館の前で記念撮影。

『わが祖国』の作曲家として知られるベドジヒ・スメタナの資料を展示する。スメタナ直筆のメモや楽譜などが並んでいるほか、レーザーポインターで好みの曲を選曲して聴くこともできる。博物館は実際にスメタナが住み、作曲活動を行った建物で、ラジャンスキー宮殿とも呼ばれているスメタナ博物館を見学。

14:00バスでオーストリアウイーンに向かう。
19:30ウイーン市街地のホテル到着後食事を済ませて就寝。
14日9:00バスで出発、ウイーン市街地に向かう。

フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト妃の部屋、公式セレモニーのための大ギャラリーなど22室。さらにマリア・テレジアにまつわる部屋などを加え40室が見られるシェーンブルン宮殿を訪れる。

バスでサヴォイ公オイゲンの夏の離宮として建てられた、ベルヴェデーレ宮殿の上宮。クリムトやシーレ、ココシュカを中心とした分離派や、ビーダーマイヤー期の絵画が収蔵されているベルヴェデーレ宮殿を訪れる。

バスで王宮庭園到着、散策する。世界最大規模の重要なグラフィック・コレクションで知られ、デューラーの「野兎」やクリムトの女性像など美術史上の名作が所蔵されています。更に、新たなコレクションでは、モネ、ピカソからバセリッツに至る現代美術の名作が見られます。建物は、ハプスブルク家のプライベートな宮殿だったもので、ホーフブルク王宮の南端を構成し、ウィーンの古い城壁の一部に組み込まれていますアルベルティーナ美術館を見学。

650年以上もの歴史を重ね、ハプスブルク家の盛衰を見つめてきたウィーン王宮。広大な敷地の中に18もの棟が複雑に入り組んで建ち、現在では多くの博物館が入っている。王宮内のメインの見どころは、シシィ博物館と皇帝の部屋、宮廷銀器コレクション。今でも慕われているフランツ・ヨーゼフ1世やエリーザベト皇后ら、ハプスブルク家の人々の暮らしぶりをうかがい知ることができる王宮を訪れる。

ヨーロッパ3大美術館のうちのひとつ。ルーベンス、レンブラント、ベラスケス、ラファエロなど、誰もが知っている名作が並ぶ。とりわけ世界最大のブリューゲルのコレクションは必見だ。絵画の展示は2階。1階には彫刻や装飾美術、古代ギリシャ・ローマ時代の美術品が、3階には貨幣やメダルが展示されている美術史博物館を見学。

ウィーンの世界屈指の歌劇場であり、国際的な舞台で活躍するトップアーチストたちが出演しています。毎日演目を変えて上演されており、50のオペラとバレエが約300日間にわたって上演され、公演日数は世界でもっとも多い劇場であるオペラ座を訪れる。

レオポルト夫妻のプライベートコレクションを基に、2001年9月にオープン。シーレの主要作品をはじめ、クリムト、ゲルストル、ココシュカなどの豊富な分離派作品が見られるレオポルト美術館を見学。

タイルやガラス、金属、木などを組み合わせて造られたユニークな建物。芸術家フンデルトヴァッサー(1928-2000)の作品や生涯について展示されている。モダンアートの企画展も随時行われるクンストハウスウィーンを訪れる。

民主主義の起源であるギリシャのパルティノン神殿を、かなり忠実に模して建造されています(日本の国会議事堂も、パルティノン神殿の要素が取り入れられているそうです)オーストリア共和国の国会議事堂を訪れる。

18:30バスでウイーンの森方面に向かう。
19:00ウイーンの森グリンツィングのレストラン到着、夕食。
20:30バスでホテルに向かう。
21:00ホテル到達、就寝。
15日6:00出発、
6:30バーデン線で出発、

カールスプラッツ下車ヨーゼフ・マリア・オルブリヒによる設計で、1898年に分離派会館として建てられた。地下にある壁画『ベートーヴェンフリース』は、ベートーヴェンの『交響曲第9番 歓びの歌』をテーマに、クリムトが描いた大作のセセッシオンを訪れる。

ハイドンは1793年、当時のウィーン郊外で、平屋建ての家を購入しました。この家は現在、ショッピング街として知られるマリアヒルファー・シュトラーセに近いハイドンガッセの19番地です。 彼は建物を改築し、更に上階を増築しました。作曲家が世を去るまでの12年間を過ごした建物では、晩年の大作の大半が生み出されました。こうした大作には、壮麗なオラトリオ「天地創造」「四季」が含まれていますハイドン記念館を訪れる。

まるで遊園地みたいな外観が楽しい、フンデルトヴァッサーのデザインによるゴミ焼却場。焼却余熱は周辺地域の暖房に利用されているゴミ焼却場を訪れる。

ウィーンの北西から南にかけ、広大な丘陵地帯を占めるウィーンの森は、その中にブドウ畑やワイン造りの村々をまじえて、緑美しい別天地をなしています。やさしく広がる丘陵、清らかな小川のせせらぎ、ひっそりと佇む教会や家々…。そうした美しい風景は、今までに幾度となく歌や物語に語り継がれてきました。なかでも、中心街から最も近いカーレンベルク、ベートーヴェンゆかりのハイリゲンシュタット、悲劇の舞台マイヤーリング、温泉地バーデン・バイ・ウィーンなど、ウィーンの森の南西部には古い歴史を持つ教会やハプスブルク家のゆかりの舞台が点在しています。ハイリゲンシュタットに入る少し手前、林の中のベートーヴェン・ルーエにベートーヴェンの像があり、ここから、ベートーヴェンが田園交響曲の楽想を得たと伝えられる小川のほとりの小道 「ベートーヴェンガング」が始まります。エロイカガッセ通りと交差するところで右に曲がってしばらく行くとプファールプラッツ広場に出ます。広場の教会手前にはベートーヴェンが部屋を借りていた 家があり、今はホイリゲになっています。その前から、プロブスガッセという通りに入ると、ベートーヴェンが悲痛な遺書を書いたことで知られる家があり、今 はベートーヴェン記念館になっています。ベートーベンゆかりの地を訪れる。

フランツ・シューベルトは1797年1月31日、この家に生まれました。18世紀に建てられたこの家には当時、16家族が住んでいました。頭に浮かんだメロディーをすぐ楽譜に書けるように、夜眠る時も外さなかった愛用のニッケル製のメガネ、肖像画や楽譜が展示されています。19世紀を代表するオーストリアの作家アーダルベルト・シュティフター記念室が併設されていますシューベルト記念館を訪れる。

ウィーン9区にあり、最大級のルーベンス・コレクション、ファン・ダイクやルーカス・クラナッハ、そしてラファエロの主要な作品に加えて、レンブラント、ファン・ロイスダール、ハミルトンの作品などがご覧いただけますリヒテンシュタイン美術館を訪れる。

緑の芝生と2つの尖塔が印象的、1879年にメキシコ皇帝マクシミリアンによって建てられた。教会には多数のステンドグラスがあり、見所の一つとなっているヴォティーフ教会を訪れる。

ウィーンにある総合大学。1365年ルドルフ4世の創設。パリ大学をモデルに整備されたため、典型的な中世大学として発展した。18世紀半ばにはマリア=テレジアの教育改革により、ヨーロッパ有数の学術機関としての地位を確立し、特に医学・法学・歴史学などの分野でウィーン学派を形成したウィーン大学を訪れる。

ヨーロッパで最も美しい劇場と評されている。建物はネオ・バロック様式で、北と南の入口からロビーに通じる大階段は、荘厳な造りで一見の価値がある。グスタフ・クリフトが描いた天井のフレスコ画「ディオニソスの祭壇」と「タオルミナの劇場」も必見。モーツァルトの「フィガロの結婚」、ベートーヴェンの「交響曲第1番」が初演された劇場としても有名のブルク劇場を訪れる。

オーストリアの首都であるウィーン市の市役所庁舎である。ウィーン1区(インネレシュタット)のフリードリヒ=シュミット広場 (Friedrich-Schmidt-Platz) に位置する。1872年から1883年にかけて、建築家のフリードリヒ・フォン・シュミットの設計を基にして建設された。ウィーン市長およびウィーン市議会が執務を行なう庁舎として利用されている。ウィーンは市単独で連邦州と同じ地位を有するため、ウィーン市議会はすなわち州議会と同様の位置づけにあるウィーン市庁舎を訪れる。

ウィーン旧市街の中心に建つゴシック様式の大聖堂。1147年にロマネスク様式の教会として建てられ、14世紀にゴシック様式の教会に改築されました。地下にはハプスブルク家の内臓を納めるカタコンベがあります。歴代皇帝の儀式がおこなわれたほか、モーツアルトの結婚式もこの寺院でおこなわれましたシュテファン寺院を訪れる。

13:00バスでウィーン国際空港に向かう。
13:30ウィーン国際空港到達
16:40ウィーン国際空港出発
22:30ドーハ国際空港到達
16日00:50ドーハ国際空港出発
16:50関西国際空港到達

今回の旅行、ヨーロッパ中欧4カ国に足を運び、夢に描いたヨーロッパのイメージがそのまま形になった美しい町々、特に首都プラハは、ヨーロッパで最も美しいと言われるチェコ、国土の大部分を山岳地域に占められ、総人口約540万人の小国、首都ブラチスラバはドナウ川沿いにあり、かつてハプスブルク帝国の首都になったこともある歴史的な町を持つスロバキア、中欧のほとんどの国がスラブ系の民族であるのに対して、アジア系の騎馬民族マジャル人を祖先にもっており、また、ヨーロッパでは有名な温泉大国であるハンガリー、かつては中欧のほぼ全域を領有していたハプスブルク帝国、そのハプスブルグ帝国の中核を担った地域で首都ウィーンに残る豪華な宮殿や建築物の数々はかつての英華を雄弁に語るオーストリアを訪れ7泊8日の旅、堪能しました。

訪れた中央の4ヶ国、どの国においても中世を彷彿する多くの点在する歴史的建造物を目の当たりにし圧巻でした。

歴史の深さを物語る各首都の町並みの風景、重厚で且つ気品さを感じるすばらしい景観で、又訪れてみたい中欧観光旅行です。

尚最終日、ウィーンでの自由行動、早朝6:00から地下鉄、路面電車を利用しての名所巡り、鉄道網が発達しており、便数も多く、ウィーンのどのエリアも移動が容易く名所を訪れることができ便利で、又24時間フリーチケットで乗り降り自由、乗車の手間も省け、主幹道路を散策中、電車を見かけたら500m間隔の最寄のステーションに足を運び、すぐさま乗車し移動できる便利さ、改めて路面電車の利便さを感じさせられました。

観光名所の多い都会での名所巡り、路面電車の利用、大変役にたった観光巡りでした。


































飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十四弾:島根県出雲観光
2011年8月6−7日


中国地方の日本海に面した東西に細長い島根県に足を運び、縁結びなどむすびの神として知られる大国生命を祭る出雲大社、歌舞伎の祖・出雲阿国の伝承も残り、出雲そばの店が立ち並ぶことで知られ、ぜんざいが新たな名物として登場した出雲を訪れました。

6日13:52新大阪のぞみで出発
14:39岡山駅到達
15:05岡山駅やくもで出発、出雲に向かう。
18:00出雲手前の信号の故障でやくも松江どまり、松江下車、レンタカーで出雲に向かう。
17:30出雲駅付近のホテル到達、近くのレストランで食事を済ませて就寝。

7日6:00レンタカーで出発、出雲エリア巡る。

四隅突出型墳丘墓6基を中心に、27基が点在する墳墓群。全国的にも弥生時代最大級で、国の史跡に指定。史跡公園として整備されている西谷墳墓群史跡公園「出雲弥生の森」を訪れる。

1984年(昭和59)に358本の銅剣、その翌年には銅鐸・銅予が出土。大量の銅剣・銅鐸・銅予が整然と並んだ様子など、発見当時の状態を地表面に再現している。出土品はすべて国宝に指定。出雲地方の勢力を物語る重要な遺跡として注目されている荒神谷遺跡を散策する。

出雲地方の豪農山本家の蔵を利用した資料館。地元で実際に使われたものを中心に、全国から農具、陶磁器などを集めて展示している。老松の美しい庭の入口に立つ長屋門は約260年前の建築。簡素な美しさが漂う母屋には、現在も山本家が居住している出雲民芸館を訪れる。

ゆっくりとくつろげる芝生広場、年中満開の花でいっぱいのガラス室、様々な種類の草花が楽しめる花壇広場の他にハーブ園や水辺、子ども広場などがあり、家族連れで楽しめる。また、季節に応じたイベントや展示会も開催しているしまね花の郷を訪れる。

神戸川の渓谷沿いに約1kmに渡り高さ100〜150mの奇岩がそそり立ち、老松が点景を添える。そのほぼ中央に立久恵薬師で知られる霊光寺や五百羅漢像がある立久恵峡を訪れる。

須佐之男命、稲田姫命らを祭る。縁結びはもちろん、家内安全や子孫繁栄などご利益は数多い。『出雲國風土記』で、須佐之男命が「我名を岩木にはつけず土地につける」と語ったのが「須佐」の名の由来の須佐神社を訪れる。

出雲大社方面に向かう。

1990年、JR大社線の廃止とともに、惜しまれながら役割を終えた駅舎を保存・公開している。1924年(大正13)建築。外観は神社風の造り、内部にはシャンデリアがそのまま保存されており、和洋折衷の不思議な魅力にあふれている旧JR大社駅舎を訪れる。

謎とロマンに満ちた古代出雲が中心テーマの博物館。展示室は、島根を舞台にした神話や伝承を紹介する「神話回廊」、古代から現代に至る島根の人々の生活と交流の姿を紹介する「総合展示室」、「出雲大社と神々の国のまつり」「出雲國風土記の世界」「青銅器と金色の大刀」の3部による「テーマ別展示室」、及び「特別展示室」で構成。館内にはほかに、ミュージアムショップやカフェ、情報交流室などがあり、緑豊かな敷地内に体験工房、体験水田なども設置。ここでは、古代出雲の繁栄を示す、驚異の「数」に注目の島根県立古代出雲歴史博物館を見学。

古代より縁結びの神として崇められてきた古社。松並木の参道の奥には本殿をはじめ、拝殿や彰古館などが立ち並び、荘厳な雰囲気をたたえている出雲大社を散策する。

出雲大社域入口に立つ木の鳥居から境内へ一直線に続く参道。両側からおおいかぶさるように続く松並木は、寛永年間(1624〜44)に奉納されたものの松の馬場[出雲大社]を訪れる。

出雲大社内の総檜造りの拝殿は1959年(昭和34)の再建。巨大な注連縄は周囲4m、長さ8m、重さ1.5トン。「二拝、四拍、一拝」が参拝の流儀なのは、「しあわせ」を願う心からともいわれている拝殿[出雲大社]を訪れる。

出雲大社拝殿に向かって右手脇にあるコンクリート製の建物で、1階は一般参拝者の休憩室・祈祷受付所、2階が宝物殿になっている。収蔵されている社宝の中には、蝶貝を施した美しい秋野鹿蒔絵手箱(国宝)、足利義政寄進の赤糸威肩白鎧兜大袖付(重要文化財)、硬玉・勾玉(重要文化財)など、数々の文化財が含まれる神こ殿[出雲大社]を訪れる。

出雲大社本殿を囲む瑞垣の外側左右に一列に並ぶ細長い建物。旧暦10月に日本中から出雲に集まってくる神々のための宿舎のひとつといわれる。そのため神無月を出雲では神在月と呼ぶ。創建は寛文年間(1661〜73)で、現在あるのは1748年(延享5)の造営の東西十九社[出雲大社]を訪れる。

出雲大社内にある、玉垣内に鎮座する大社造の大建築(国宝)。現在の本殿は1744年(延亨元)、造替されたもので、垂直に切られた千木が印象的だ。御祭神は大国主大神を主祭神に、ほか5神。現在の高さ24mは他の追随を許さない規模だが、2000年4月、巨木3本を束ねた直径3mにもなる柱が境内から出土。伝承どおり、かつては現在の2倍近い48m前後の壮大な高層神殿だった可能性が高まった本殿[出雲大社]を訪れる。

出雲大社十九社の奥で木立に守られるようにたたずむ宝物館。大小の大国様、恵比寿様がずらりと並ぶほか、神楽用の笙やひちりきなどの楽器類、神社に伝わる古文書類も多数展示。建物は1914年(大正3)に出雲大社全体の宝物館として造られたもので、趣がある彰古館[出雲大社]を訪れる。

出雲大社の西十九社と庁舎の間の門を出ると、巨大な神楽殿が立つ広場がある。ここは神楽や古式の儀式が行われる場所となる。なんといっても目をひくのが注連縄。長さ13m、太さ8m、重さ6トンと日本一のスケールを誇る神楽殿[出雲大社]を訪れる。

大きな幟を掲げた山車を引いて町内を練り歩く、吉兆さんと番内祭りをテーマにした文化施設。吉兆神事をメインに、大社町の文化や伝統、自然を資料展示などで紹介している。道の駅ご縁広場に併設。中国人水墨画家・王子江氏が作成した、高さ1.8m、延長46.5mの水墨画「出雲勝境図」も展示され又高さ48mだったという平安時代の御本殿を10分の1サイズで復元した古代御本殿復元模型を展示。松江工業高校建築科の生徒の製作で、細部まで忠実に復元している。ほかに、現在の瑞垣内の模型などもある吉兆館を訪れる。

大社町で代々造り酒屋を営んできた旧家、手錢家に伝わるさまざまな美術骨董を紹介する美術資料館。江戸時代建築の酒蔵を利用した常設展示室には、出雲地方の窯元・楽山焼や布志名焼、小島漆壺斎の漆器など、約500点に及ぶ美術工芸品や民具を展示。明治時代の婚礼用具などもある手錢記念館を訪れる。

高天原から降った建御雷命が砂に太刀を逆さに立て、大国主神に国譲りの談判をしたといわれる浜。旧暦10月の神在月には、全国の神々がこの浜から上陸するといわれ、神迎えの神事が行われる。夏は海水浴客で賑わう稲佐の浜を訪れる。日御碕方面に向かう。

海辺の濃い樹叢を背に丹塗りがひときわ鮮やかな社殿は、幕命を受けた松江藩により1644年(寛永21)に造営されたもの。楼門を入ると、天照大神を祭る正面の下の宮と、須佐之男命を祭る右手上の上の宮とに分かれており、ともに本殿と拝殿が続いた権現造。楼門や回廊を含む華麗な14棟が国の重要文化財に指定されている。内部には狩野・土佐両派の手になる絢爛豪華な壁画が描かれ、例大祭の8月7日に1時間だけ公開される。旧暦1月5日の和布刈神事は、この神社に伝わる勇壮な神事の日御碕神社を訪れる。

高さ43.65m、海面からの高さは63.3m。39kmに及ぶ光達距離で海上の安全を守っている。完成したのは1903年(明治36)。断崖の上にすっきりと立つ姿がたいへん美しい。内部も見学でき、らせん階段を上り詰めた最上階からは360度のパノラマが広がり、空気の澄んだ日には隠岐の島影も見える。特に夕暮れ時がすばらしい出雲日御碕灯台を訪れる。

島根半島宍道湖方面に向かう。

江戸〜明治期に木綿流通の市場町として栄えた平田。船川運河沿いの、この街道には切妻塗壁の町家が数多く残る。18世紀中ごろの建築という旧地主屋敷の本石橋邸などは内部見学も可。町家を改装した出雲市立木綿街道交流館もある木綿街道を訪れる。

県内の汽水・淡水域に生息する生き物約180種9000点を紹介。全長18mの河川水槽や宍道湖畔を再現したジオラマ水槽、タッチプールなどを巡りながら、その生態を観察できる島根県立宍道湖自然館ゴビウスを見学。

宍道湖を一望する標高約300mの一畑山の上に立つこの寺は、眼病平癒の神として全国的に名高い。起源は894年(寛平6)、地元の漁師が海中から引き上げた薬師如来像を祀ったことに始まる。広大な境内には、本堂、法堂、観音堂などが点在し、1300段の石段も有名。また、宍道湖を借景に取り入れた雄大な庭園を拝観できる一畑寺(一畑薬師)を訪れる。

淡水と海水の入り交じる汽水湖。周囲45kmと日本で7番目の大きさ。シラウオやシジミなど宍道湖七珍に代表される魚介の宝庫で、早朝はシジミ漁の船が見られる。湖畔には名所が点在。夕日が美しく、島根県立美術館から袖師町までの湖岸が格好の夕日スポットとなっている宍道湖の北岸を走行する。。

宍道湖に面した世界最大級の花と鳥の公園。水鳥、熱帯の鳥の2つの温室はじめ、園内各所で世界の鳥とふれあえる。数千種類のベゴニアが年中咲き誇る室内ガーデンも必見の松江フォーゲルパークを訪れる。

宍道湖を一望できる丘陵地に整備された公園。まるでピラミッドのような古曽志大谷1号墳の移築復元をはじめ、各種整備された遺跡や野外展示広場などで構成されている古墳の丘古曽志公園を散策する。

フォーマルガーデンでは、直線で区切った形に植えられた植物やパーゴラの中庭などを散策。一方、自然の風景を生かしたインフォーマルガーデンでは、一見無造作に植栽された植物が自然の美しさを演出している松江イングリッシュガーデンを散策する。

近世には出雲10郡のうち島根、秋鹿、盾縫、意宇の3郡半を支配。事実上出雲大社に次ぐ、二の宮として勢力を誇っていた古社。本殿(重要文化財)は、大社造が3殿並立する珍しいもの。現在の建物は1807年(文化4)の建築だが、貞享年間(1684〜87)以前の様式を引き継いでいる。平安時代末期の彩絵桧扇や室町時代の甲冑、4点の重要文化財など数多くの美術工芸品を所蔵。11月20〜25日の神在祭と9月24日の御座替神事が名高く、特に御座替神事の翌日に奉納される佐陀神能は、神楽と能を融合させた珍しいものとして国の重要無形民俗文化財に指定されている佐太神社を訪れる。

美保方面に向かう。

『出雲国風土記』にも登場する古社。祭神は、三穂津姫尊と事代主神。大漁・海上安全・商売繁盛の神として信仰されている。重要文化財指定の本殿は、檜皮葺き・大社造の社殿を2つ並べて装束の間でつないだ、美保造(または比翼大社造)とよばれる珍しい様式。現在の本殿は1813年(文化10)の再建だが、古い様式を伝えている。青柴垣神事(4月7日)、諸手船神事(12月3日)はこの神社の代表的な祭礼の美保神社を訪れる。

島根半島先端の地蔵崎に立つ、山陰最古の石造灯台。1898年(明治31)建築。灯台として全国で初めて国の登録有形文化財に指定。「世界灯台100選」にも選定されている。岬のかなたには、事代主命が釣りをしたという地御前島や、沖御前島の浮かぶ日本海が広がる。食事や喫茶のほか、土産物の販売もする「美保関観光ビュッフェ」隣接する美保関灯台を訪れる。

15:30松江に向かう。
16:20松江到達。
16:56松江駅やくもで出発。
19:36岡山駅到達。
19:56岡山駅のぞみで出発
20:35新大阪到達。

今回の旅行、中国地方日本海に面した東西横長の島根県に足を運び、縁結びなどむすびの神として知られる大国生命を祭る出雲大社、歌舞伎の祖・出雲阿国の伝承も残り、出雲そばの店が立ち並ぶことで知られ、ぜんざいが新たな名物として登場した出雲を訪れ、一泊二日のドライブ観光楽しめました。

今回で4回目の島根県の訪れ、隠岐、石見銀山、松江、出雲、津和野の有名どころを含めてほぼ制覇できました。

なかなかメジャーな名所が目白押しの島根県ドライブ観光でした。

















大阪府東大阪市寺院巡り2
2011年8月3日


大阪府中河内地域に位置する市。大阪市、堺市の両政令指定都市に次ぐ、大阪府内で第3位の人口規模の市であり、中核市に指定されている。近鉄花園ラグビー場を擁する「ラグビーのまち」として、また、技術力の高い中小企業が多数立地するものづくりのまちとして全国に知られ、それらをアピールする形でまちづくりを行っている東大阪市の北部の寺院を巡りました。

12:30車で出発、吉田方面に向かう。

大阪府東大阪市加納2丁目の妙政寺を訪れる。東大阪市加納にある日蓮宗の寺院です。

大阪府東大阪市加納2丁目の日正寺を訪れる。

東大阪市吉原の「浄土真宗本願寺派 西光寺」です。門前に「吉原石造地蔵菩薩立像」があります。特徴的なのは、鴻池新田に至る六郷井路や五箇井路の最上部に近く様々な水路が集結しています。この辺から船に乗って徳庵の舟着き場まで移動したという記録あります西光寺を訪れる。

大阪府東大阪市角田3丁目の明教寺を訪れる。

大阪府東大阪市古箕輪1丁目の西福寺を訪れる。

東大阪市箕輪1−7−25の『真宗大谷派・宝樹山 聞称寺』を訪れる。

大阪府東大阪市本庄1丁目6−13 の浄福寺を訪れる。

大阪府東大阪市新庄1丁目の浄円寺を訪れる。

大阪府東大阪市三島3丁目の願船寺を訪れる。

長田・高井田方面に向かう。

大阪府東大阪市稲田本町3丁目27−12の観音寺を訪れる。

大阪府東大阪市西堤楠町3丁目の大通寺を訪れる。

大阪府東大阪市御厨3丁目の法観寺を訪れる。

大阪府東大阪市御厨1丁目の西楽寺を訪れる。

大阪府東大阪市小阪1丁目の徳林寺を訪れる。

日蓮宗妙顕寺の末寺で、棟札により元禄12年(1699年)大阪上本町に本堂を建立したことが知られます。その後、昭和2年に道路拡幅により現在地に移転し、近年、本堂は建て替えられました。墓地の一角に、紀海音と菅奇渕の墓碑があります。紀海音は江戸時代中期に活躍した浄瑠璃台本作者です。また菅奇渕は俳諧所大黒庵の師匠として名をはせました宝樹寺を訪れる。

暗越奈良街道から少し南に離れていますが、西岸地蔵から直ぐのところに位置しています。大阪府東大阪市高井田元町の眞宗 高田山 本光寺を訪れる。

当山は寺伝によると、聖徳太子が自ら本尊の十一面観世音菩薩を刻み安置、百済系渡来僧の入法をもって開山・創建とし、山号は百済山と称する。その後、中世の幾度もの戦火で荒廃したが、江戸中期の1744年(延享元年)正法律(真言律)中興の高僧慈雲尊者が再興、当寺をその道場としたが、1825年(文政8年)正月、本堂が全焼し、同年に再建されている長栄寺を訪れる。

大阪府東大阪市長堂1丁目の浄光寺を訪れる。

大阪府東大阪市足代北2丁目6−23 の明専寺を訪れる。

大阪府東大阪市森河内西1丁目の稱光寺を訪れる。

大阪府東大阪市森河内西1丁目の宝林寺を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

大阪府東大阪の寺院巡り第二弾、東大阪の北部に点在する寺院を巡りました。
歴史を物語る大小いろんな寺院に接し時間を過ごしました。

尚6歳まで放出に住んでおり、近くの寺院を訪れたため、昔の住まいを何十年ぶりに訪れることになりました。
いやいや不思議、以前住んでた家は原型は保っており、両隣の家々は変わりなし、その他の周辺の家々はすっかり変わっていました。

以前住んでいた私の家と両隣の家、昔の記憶そのままでした。驚きです。