飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十一弾:長野県松本&安曇野観光 2011年9月24−25日 長野県の北西に位置する北アルプス山麓のエリア、城下町として栄え、今も歴史が色濃く残り、明治・大正の面影のあるなわて中町通り、平城の名水百選の街でもある松本、北アルプスからの雪解け水に恵まれ、田園風景やわさび畑が広がり、又美術館、博物館も多く、アートなエリアでもある安曇野を訪れました。 24日13:45新大阪新幹線のぞみで出発 14:51名古屋駅到達 15:00名古屋駅ワイドビューしなので出発 17:03松本駅到達、駅付近のホテル到着後繁華街散策し食事を済ませて就寝。 25日6:00レンタカーで出発、松本周辺を巡る。 世界的に活躍する松本出身の前衛芸術家・草間彌生、信州の山々を生涯描き続けた洋画家・田村一男、力強く躍動的な表現が特徴の書家・上條信山など、松本や信州ゆかりの作家の作品をはじめ、自然や山、音楽にちなんだ作品を常設展示している松本市美術館の前で記念撮影。 松本は豊富で良質な湧水の町。「清泉湧き出して当国第一の名水とす」と賞されたこの井戸水は、江戸時代から飲用や酒造用に使われてきた源智の井戸を訪れる。 |
|
飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十弾:三重県鳥羽離島巡り 2011年9月22−23日 三重県に足を運び、豊かな海の幸、人々の笑顔、ゆっくり流れる時間、都会では忘れられた昔ながらの生活が色濃く残っている鳥羽湾に浮かぶ大小さまざまな4つの離島(坂手島、答志島、菅島、神島)を訪れました。 22日20:00車で出発、第二京阪伊勢自動車道経由して 22:00鳥羽内のホテル到着、就寝。 23日6:15車で出発 6:30鳥羽佐田浜港到達 6:52定期船で佐田浜港出発 7:02坂手島坂手港到達 佐田浜港の600m沖に浮かぶ小島。初夏に咲き乱れるカキツバタの群生と対岸の鳥羽市街の夜景が美しい坂手島を散策する。 戦国時代に水軍の将として活躍した九鬼嘉隆は、関ケ原の合戦に敗れて答志島に逃走し、自刃する。「鳥羽城の見える地に」との遺言に従い、首は岬の頂上に、胴は麓に葬られた。首塚の石碑、胴塚の五輪の塔は、県の文化財に指定されている首塚・胴塚を訪れる。 |
|
飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十九弾:石川県能登半島&舳倉島観光 2011年9月17−19日 古都の城下町から日本海、白山山麓と、豊かな自然に囲まれた石川県に足を運び、ダイナミックな自然と日本の原風景が残り、新鮮な魚介や渚の温泉地に加え美術館や新名物・能登丼など、新旧の魅力が満載のエリア能登半島、能登半島の輪島港から北へ約48km、万葉集にも詠われた海女の島、最高点でも標高が12.4mしかない平坦な島で、西側は複雑な地形の崖が続き、東側の穏やかな入り江に港や集落があります舳倉島を訪れました。 17日13:14大阪駅サンダーバードで出発 16:10金沢駅到達、レンタカーで輪島に向かう。 18:00輪島到達、市内のホテルに入室後、繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。 18日6:30輪島市内を散策する。 10・25日を除き毎日立つ市は、輪島塗りと並ぶ輪島の名物。河井町の朝市通りには、夜明けとともに近在の町から鮮魚や野菜を運んできた人が次々と露店を出し、朝8時頃には200軒近くの店が並ぶ。売り手はいずれも農家や漁師のおかみさんたち。鮮魚や野菜のほか、乾物、洋服、骨董・民芸品など商品も実にバラエティ豊かな輪島朝市を訪れる。 1321年(元亨元)、瑩山紹瑾禅師によって開かれ、永平寺とともに曹洞宗の大本山として栄えた。江戸中期には全国に1万6000余りの末寺を有するほどの勢力を誇っていたが、1898年(明治31)の大火で大部分を焼失。本山は横浜市鶴見区に移され、こちらは祖院となった。現在は焼け残った山門、伝燈院に加え、再建された七堂伽藍が約6万6000平方mの境内に威風堂々と構えている大本山總持寺祖院を訪れる。 |
|
飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十八弾:兵庫県但馬観光 2011年9月10−11日 兵庫県の全国的に知られる城崎温泉や湯村温泉があり、城崎マリンワールドや兵庫県立コウノトリの郷公園などのレジャースポットや、高原でのアウトドアスポーツ、日本海の冬を代表する味覚・松葉ガニや但馬牛、出石の皿そばなどグルメも堪能したい但馬を訪れました。 10日12:30車で出発、近畿中国舞鶴自動車道経由して 14:30和田山到達 朝来市には茶すり山古墳など1600カ所以上もの遺跡があり、それらから出土した貴重な考古資料を展示・収蔵している施設。土器や古墳のパズルなどで遊べるコーナーもある古代あさご館を見学。 ヒメハナ舞ロードを進むと広がる公園。県指定天然記念物であるウツギノヒメハナバチが飛び交い、夏の訪れを告げる場所で、地域住民の憩いの場になっている。全長170mに及ぶローラースライダーや「未来への架け橋」をイメージして造られたヒメハナ橋があり、桜など四季折々の風情を楽しめるヒメハナ公園を散策する。 湯村温泉に向かう。
|
|
大阪府門真市神社巡り 2011年9月7日 大阪府北河内地域に位置する市。地名の由来は「潟沼」や「門間(船だまりや寺や神社の門前の土地を表す言葉)」から転じた等諸説あり、室町時代初期までは「普賢寺荘」、室町時代末期には現在の名が使われ、戦国時代には「門真荘」と呼ばれた門真市に点在する神社を訪れました。 13:00車で出発 当神社は創建の年代は詳らかではないが、鎌倉時代以前と推測される。永井信濃守が、当社の宮寺長福寺を再興した時、当社の修理も行なった。明治5年村社列格、平成6年社殿建替で岸和田の宮さんと別称されています岸和田産土神社を訪れる。 当神社は創建の年代は詳らかではないが、菅公を祀ったのは、恐らく他の旧四宮村の神社と同様この地が京都北野の神領ととなったためであろう。末社の厳島神社の創建も不祥であるが、この辺りが十分陸地になりきっていなかった時代、即ち室町時代末期の八ヶ湖の名残りを、未だ相当残していた下馬伏村創建の頃に氏神として祀られたものと推測される。明治5年村社列格、昭和56年社殿立替。平成18年玉垣設置の菅原神社を訪れる。 当神社は創建の年代は詳らかではないが、当社の宮寺として隣地に存在する宝蔵寺の御本尊が平安末期のもので、その境内には鎌倉時代の建立と思われる。十三層の塔の一部が残っている事等から、八ヶ庄四ヶの内の馬伏庄の草建は相当古く、当社創立もその頃と推定される。明治5年村社列格。昭和33年本殿を再興。平成15年屋根吹替えと境内整備事業を行なった城垣産土神社を訪れる。 当神社は創建の年月日詳かならず。然し乍ら永井信濃守当地方を領せる寛永年間(1624年)には既に存在ありし記録あり。社殿は享保年間(1716年)に再建。 享和二年(1801年)の洪水で応急修理行なわれる。文政十年(1813年)御造営。代官小堀主悦と大阪城代太田備後守に氏地分割された。文政十一年(1827年)より天保二年(1831年)に亘り御造営。現在の社殿は安政五年(1857年)に再建されたものである。旧名は産須那神社であったが永年なじんだ地名を残したく昭和五十一年三月に島頭天満宮と改名。 当社は延喜式内小社で、現祭神は彦八井耳命(神武天皇の皇子)と菅原道真を祀る。その起源は、今から約1600年前、河内湖周辺を水害から守るため、仁徳天皇の命により茨田宿弥が旧淀川に日本最古の堤防、茨田の堤を築き、この堤防を守るため、茨田氏の祖先である彦八井耳命を守護神として祀ったことに始まる。この「茨田の堤跡」の一部約100mが神社の北側の境内に残り、神社の北を流れる古川はかっての淀川の流路の1部と思われる。また、江戸時代初期の寛永年間(1624〜44年)淀藩主永井信濃守尚正が菅原道真を合祀させ、当社の西側に景雲寺を創立し、宮寺としている。近世、当社の社地は野口村にあったが、景雲寺が常称寺村(現常称寺町)にあり、「河内名所図会」には当社も常称寺村にあると記しており、社地の境界が微妙であったと思われ、地元では「常称寺の宮さん」とも呼ばれているのはこの辺りの事情からと思われる宮野堤根神社を訪れる。 門真市御堂町に鎮座し京阪電車の古川橋駅と大和田駅の間の線路沿いの北側にあります大阪府門真市御堂町の八坂神社を訪れる。 |