飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十一弾:長野県松本&安曇野観光
2011年9月24−25日


長野県の北西に位置する北アルプス山麓のエリア、城下町として栄え、今も歴史が色濃く残り、明治・大正の面影のあるなわて中町通り、平城の名水百選の街でもある松本、北アルプスからの雪解け水に恵まれ、田園風景やわさび畑が広がり、又美術館、博物館も多く、アートなエリアでもある安曇野を訪れました。

24日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
14:51名古屋駅到達
15:00名古屋駅ワイドビューしなので出発
17:03松本駅到達、駅付近のホテル到着後繁華街散策し食事を済ませて就寝。

25日6:00レンタカーで出発、松本周辺を巡る。

世界的に活躍する松本出身の前衛芸術家・草間彌生、信州の山々を生涯描き続けた洋画家・田村一男、力強く躍動的な表現が特徴の書家・上條信山など、松本や信州ゆかりの作家の作品をはじめ、自然や山、音楽にちなんだ作品を常設展示している松本市美術館の前で記念撮影。

松本は豊富で良質な湧水の町。「清泉湧き出して当国第一の名水とす」と賞されたこの井戸水は、江戸時代から飲用や酒造用に使われてきた源智の井戸を訪れる。

北アルプスや美ケ原高原の山並みを背景に立つ松本市のシンボル。現存する天守としては、犬山城、彦根城、姫路城とともに国宝に指定されている名城。石川数正、康長父子が1593年(文禄2)ころ建てたと推定され、戦闘に有利な山城が多く築かれた戦国時代の中で、松本城は異色の平城。敵の侵入を防ぐ石落や鉄砲狭間などが見どころ。中町通りの北を流れる女鳥羽川は、侍町と町人町を分けた川で、堀の役割も果たした。4月中旬は桜に包まれ、5月上旬には月見櫓前にボタンが咲く松本城を訪れる。

5重6階の天守(国宝)を中心に渡櫓[わたりやぐら](国宝)で乾小天守(国宝)をつなぎ、辰巳附櫓(国宝)と月見櫓(国宝)を複合した独特の美しい構造。創建当時のまま現存する貴重な天守閣。外壁は上部が白漆喰、下部が黒漆塗りの下見板張りで、窓が極端に少ない。内部に入ると、各階をつなぐ階段は急勾配なうえ、蹴上げが高く、居住性よりもむしろ戦闘への備えがうかがえる。最上階からは、美ケ原高原や安曇平、北アルプスなどが展望できる天守閣[松本城]を訪れる。

1873年(明治6)に開校した小学校。松本藩の藩校を源流に、教育に力を注いだ筑摩県権令(現在の知事職)の永山盛輝が計画。1876年(明治9)、棟梁の立石清重によって建築された。瓦葺きの木造2階建ての建物は、白い漆喰の外壁と唐破風造の玄関の上に八角形の望楼を載せた擬洋風建築。窓には舶来ガラスをふんだんに使用し、「ギヤマン学校」とよばれた。1963年(昭和38)、現在地に本館を移築。新築当時の姿に復元され、館内では当時の写真や授業用の掛図、教科書などが見られる旧開智学校を訪れる。

松本市の民芸研究家・丸山太郎が、柳宗悦[やなぎむねよし]らによって提唱された民芸運動に共鳴して蒐集したコレクションを展示。1962年(昭和37)に創設され、1983年(昭和58)に松本市の施設となった。館内には松本箪笥をはじめ、陶磁器・染織物・ガラス製品と国内外から集めた民芸品が並ぶ。展示品は民芸運動の趣旨のとおり、無名の職人の技術で生みだした工芸品の機能的な美しさ、「用[よう]の美」にスポットをあてている。年4回企画展を開催。白い土蔵風で梁の太い頑丈な家屋と庭園も合わせて鑑賞したい松本民芸館を訪れる。

女鳥羽山麓を背景に、浅間温泉街と美ケ原温泉の中間にある浄土宗の寺。1669年(寛文9)に、松本城主、水野家三代の忠直が廟所を造営して以来、水野家の菩提寺として栄えた。境内の庭園は5月上旬には1200株ものボタンが咲く。1828年(文政11)に槍ケ岳を開山した播隆上人は、玄向寺を準備基地とし、その遺品などが残されている。また、庭園に1929年(昭和4)に立てられた播隆上人像がある玄向寺を訪れる。

1872年(明治5)、松本に初めて設置された公園。凶作が続き、全国各地で一揆が起こった天保年間の1843年(天保14)、松本藩主・戸田氏が鎌倉時代の山城跡に楓や桜を植え、民衆に開放した遊楽地が前身。桜の名所として親しまれ、松本平の展望がよい。窪田空穂や浅原六朗らの歌碑が立つ城山公園を訪れる。

江戸後期から昭和にかけて建てられた5棟の歴史的建造物を移築・保存。県宝の旧長野地方裁判所松本支部庁舎は内外部ともに完全な形で残る貴重な和風裁判所で、法廷や復元会議室などを見学できる。旧昭和興業製糸場では糸ひきの実演も行われている。このほか『あゝ野麦峠』で知られる野麦街道沿いの工女宿宝来屋(松本市重要文化財)、民主主義の先駆者木下尚江の生家(下級武士の住宅)、旧松本少年刑務所独居舎房など、特色ある建物が見学できるたてもの野外博物館松本市歴史の里を訪れる。

松本出身の酒井家五代200年間にわたる浮世絵のコレクション。酒井家は紙問屋で、歌川廣重のパトロン的存在だった。初期浮世絵から現代の創作版画まで10万点におよぶ収蔵品は国際的にも評価が高く、世界各国で浮世絵展覧会の実績がある。作品1枚1枚に詳しい解説があり、浮世絵の見どころを堪能できる日本浮世絵博物館を訪れる。

四賀地区発掘の化石を展示。1300〜2000万年前はこの地が海だったことが推定される海棲哺乳類や魚類の化石が見られる。シガマッコウクジラの全身骨格のレプリカが目玉の松本市四賀化石館を訪れる。

安曇野方面に向かう。

日本近代彫刻の巨匠、高田博厚のほぼ全作品約190点を収蔵。そのうち約130点を常設展示していて、彫刻家の生涯を作品を通して興味深く鑑賞できる。高村光太郎やロマン・ロランなど、交流のあった著名人の肖像も数多い。また、東京美術学校に学び、諏訪で教鞭を執り、生徒から長く慕われた宮芳平の生涯の絵画作品を収蔵し、アトリエと書斎を再現。宮は、森鴎外の短編小説『天寵』に登場する「M君」でもある。隣接する庭園には500種800本のバラが咲く安曇野市豊科近代美術館を訪れる。

北アルプスの山裾に広がる広大な公園。信州・安曇野の豊かな自然を楽しみながらふれあえる施設が整備されている。四季折々に多彩なイベントも開催されており、安曇野の自然や文化を体感できる国営アルプスあづみの公園を訪れる。

北アルプスや安曇平を一望できるビューポイント。標高934mの長峰山山頂に、らせん状階段の展望台が設けられている。4月中旬〜5月上旬には山桜が咲き、残雪の山並みが輝く。美しい夕日が望めるサンセットポイントでもある長峰山展望台を訪れる。

曹洞宗の寺院。山門前に朱塗りの安曇野仁王様の大下駄があり「仁王様の下駄を履けば願い事が叶う」と伝えられている。本堂下で御戒壇めぐりができる。本陣等々力家の向かいにある吉祥山東光寺を訪れる。

平安時代初期から国史に登場する古社。本殿・拝殿が立つ境内は深閑とした杉木立に囲まれ、荘厳な雰囲気が漂う。祭神は古代北九州で栄え、7世紀ころ安曇野に移り住んだといわれる安曇族の祖神の穂高見命。9月26・27日の御船祭には、安曇族ゆかりの穂高人形を飾った船形の山車(御船)で賑わう穂高神社を訪れる。

ロダンの彫刻に強い影響を受け、躍動感あふれる作風により日本近代彫刻の扉を開いた荻原守衛(碌山)の、『女』『文覚』など代表的な彫刻や絵画を収蔵する美術館。交友のあった高村光太郎、戸張孤雁、中原悌二郎の作品も展示。キリスト教精神に生き、30歳で夭折した碌山を忍び、1958年(昭和33)に建設された本館は教会風のレンガ造り。庭の木立とあわせ、安曇野の象徴的風景として知られる碌山美術館を訪れる。

1920年(大正9)にアルメニアに生まれ、フランスで活躍する画家ジャン・ジャンセンの油絵やデッサン約700点を収蔵する美術館。ベニスやバレリーナ、マスカラード(仮面舞踏会)などを主題に、人間の本質を彼独自の生命観、美意識で鋭く描き出す。ほかにカシニョールの作品も展示されている安曇野ジャンセン美術館を訪れる。

濃い自然林の中にあり、海外の絵本作家の原画展を中心に年4回の企画展を実施し、海外の絵本の販売も行う大人のための絵本館。絵本にふれることで、子供時代を再認識できるような心安らぐ空間を大切にしている。喫茶コーナーで絵本を読みながらくつろぐこともできる安曇野絵本館を訪れる。

宮沢賢治の世界を指針に「生きとし生けるものの命の大切さ、平等さ」をモットーに、大人と子どもが共有できる児童文学の世界を紹介。絵本作家の原画展を年4〜5回開催する。また小学校でのお話会に力を注ぐなど、地域に根ざした活動を展開する絵本美術館&コテージ 森のおうちを訪れる。

デンマーク王室御用達のロイヤルコペンハーゲン窯によるイヤープレート、19世紀に世界初誕生したビング&グレンダール窯によるクリスマスプレート、18世紀に刊行された銅版植物図鑑『フローラ・ダニカ』を元絵にしたアンティーク皿など、約500点を越えて展示。東山魁夷のリトグラフ『北欧紀行』も見もの。併設のティールーム、安曇野文庫ではロイヤルコペンハーゲンの器で紅茶やケーキが味わえる大熊美術館を訪れる。

信濃富士とも呼ばれる、有明山と北アルプスの裾野に広がる安曇野の田園風景を一望できる高台、あづみ野池田クラフトパーク内にある美術館。館内には、安曇野を描いた山下大五郎や奥田郁太郎などの油絵と長野県出身の篠田義一の陶芸作品が常設展示されている。田園を描いた作品などを通して、安曇野の暮らしと自然が見えてくる。ハーブティーが味わえる喫茶コーナーもある池田町立美術館を訪れる。

レジャー&地場産みやげ店ゾーン、ハロー安曇野の一角にある博物館。とんぼ玉とは複雑な模様が造りこまれたガラス玉。地中海沿岸などで発見された紀元前の古代とんぼ玉、江戸時代のとんぼ玉など約6000点と、日本のガラス器やびいどろなどを常設展示するとんぼ玉美術博物館を訪れる。

東京都練馬区にある、ちひろ美術館の姉妹館。1997年(平成9)、いわさきちひろの両親が戦後に住んだ松川村に開館。子どもを生涯のテーマとして描き続けたちひろの作品や資料とあわせて、世界の絵本画家の作品や絵本の歴史が5つの展示室で紹介されている。春〜秋、季節に合わせて4回の展示替えを実施。木のぬくもりが感じられ、ゆったりとした館内には、絵本が読める図書室や田園風景を見ながら飲み物や軽食が楽しめるカフェもある。周囲は3万5000平方mにおよぶ安曇野ちひろ公園で、多数のオブジェが点在する安曇野ちひろ美術館を訪れる。

豪族仁科氏が、伊勢内宮を勧請して祭った御厨神宮で、創建は1100年ごろ。神明造りの本殿は20年ごとに遷宮(新築)されてきたが、江戸時代に松本藩の祈願所になり、1636年(寛永13)の遷宮以降は部分補修となったため、神明造りでは日本最古の建築物で国宝に指定されている。また、1376年(永和2)からの棟札27枚、銅製御正体掛仏16面は国の重要文化財の仁科神明宮を訪れる。

15:30松本に向かう。
16:30松本駅到達
16:56松本駅ワイドビューしなので出発
18:55名古屋駅到達
19:05名古屋駅新幹線のぞみで出発
20:05新大阪駅到達。

今回の旅行、長野県北西部の北アルプス山麓に足を運び、城下町で武家屋敷風の店が並ぶなわて通り、蔵蔵の美しい建物が並ぶ中通りの歴史散策、北アルプスの雪渓、のどかな田園やわさび畑、美しい日本の原風景が今も残り、また美術館、博物館が点在するアートなエリアでもある安曇野を訪れドライブ観光楽しめました。

白馬エリアと違って平坦なエリアに多くの点在する美術館・博物館、マイナーな感であり、興味ある展示物が少なく、外観の写真撮影で終わりました。

次回は冬のスキーシーズンには何回も訪れたことのある北アルプス山脈、上高地・白馬をチャレンジしたいと思います。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十弾:三重県鳥羽離島巡り
2011年9月22−23日


三重県に足を運び、豊かな海の幸、人々の笑顔、ゆっくり流れる時間、都会では忘れられた昔ながらの生活が色濃く残っている鳥羽湾に浮かぶ大小さまざまな4つの離島(坂手島、答志島、菅島、神島)を訪れました。

22日20:00車で出発、第二京阪伊勢自動車道経由して
22:00鳥羽内のホテル到着、就寝。
23日6:15車で出発
6:30鳥羽佐田浜港到達
6:52定期船で佐田浜港出発
7:02坂手島坂手港到達

佐田浜港の600m沖に浮かぶ小島。初夏に咲き乱れるカキツバタの群生と対岸の鳥羽市街の夜景が美しい坂手島を散策する。

5月中旬〜6月下旬に約2000株もの紫色のカキツバタが咲き誇り、訪れる人々を楽しませてくれるあやめ池を訪れる。

鳥羽湾に浮かぶ坂手島にあり、九鬼家ゆかりの書簡や伊勢神宮ご用達の船の旗などが納められている林昌禅寺を訪れる。

7:42坂手港定期船で出発
8:23答志島答志港到達

東西6km、南北3kmの長細い島。湾内では面積・人口とも最大の島で、観光イベントも人気を集めている。答志・和具・桃取の3つの集落は約4kmの答志島スカイラインで連絡。海水浴・釣り・温泉など、さまざまな過ごし方ができる答志島を散策する。

美多羅志神は五男三女の子をもつ神様で、子授けのご利益があるとされている。夫婦で参拝してつがいのアワビを奉納すると、美しい瞳の子供が授かるといわれている美多羅志神社を訪れる。

戦国時代に水軍の将として活躍した九鬼嘉隆は、関ケ原の合戦に敗れて答志島に逃走し、自刃する。「鳥羽城の見える地に」との遺言に従い、首は岬の頂上に、胴は麓に葬られた。首塚の石碑、胴塚の五輪の塔は、県の文化財に指定されている首塚・胴塚を訪れる。

9:50答志港定期船で出発
10:28佐田浜港到達
11:50佐田浜港定期船で出発
12:08菅島菅島港到達

標高237mの島の山頂は紅ツゲに覆われ、寒風の吹く季節になると美しく紅葉。現存する日本最古のレンガ造りの洋式灯台・菅島灯台へは遊歩道が延びている菅島を散策する。

1873年(明治6)に、イギリス人技師ブライトンの指導で建てられた総レンガ造りの洋式灯台。当時この地方ではあまりなじみのなかったレンガを、阿児町の瓦職人が苦心して焼いたとか。灯台内の見学はできないが、現在も海上の安全を守り続けている菅島灯台を訪れる。

14:20菅島港定期船で出発
14:45神島到達

鳥羽と愛知県の伊良湖岬の間にあり、三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台となった島として有名。1周約4kmなので、半日あれば小説に登場するスポットを巡ることができる。小説を片手に、素朴な町並みを歩きたい神島を散策する。

海で働く人々の守り神、綿津見命を祭る神社。三島由紀夫の小説『潮騒』の冒頭、主人公の新治が一気に駆け上がった214段の石段を上がりきれば、境内を囲む松林の向こうに海の景色が広がっている八代神社を訪れる。

1910年(明治43)に建てられた純白の灯台で、今も伊良湖水道の安全を守り続けている。内部の見学はできないが、渥美半島・篠島・佐久島・日間賀島に加え、はるか知多半島まで見渡すことができる神島灯台を訪れる。

旧日本陸軍が、砲弾の着弾地点を観測するために建てられた建物。コンクリートの無骨な造りだが、三島由紀夫の小説『潮騒』では新治が炎を飛び越えて初江を抱擁するクライマックスシーンの舞台となった。内部は自由に見学できる監的哨跡を訪れる。

ニワの浜を見下ろす岸壁にそびえる岩で、雪山のような隆起が美しい。石灰岩が海風や雨水に侵食されてできた一帯のカルスト地形は、市の天然記念物に指定されている。この一帯は海鳥の姿も見られるので、静かに見学したい神島不動石を訪れる。

椎名誠の随筆に描かれた、島の南西部に広がる美しい砂浜。海は一見穏やかそうだが、かなり潮の流れが速いので、浜辺で波とたわむれるか、釣りなどを楽しむ程度にしたい古里の浜を訪れる。

15:45神島港定期船で出発
16:40佐田浜港到達、車で帰路に向かう。

今回の旅行、近場の三重県鳥羽の4つの離島を訪れ、時間を過ごしました。

都会に近い離島でもあり人口、民家は比較的多いが観光名所は少ない。
唯一三島由紀夫の小説潮騒の舞台となった神島は、小説潮騒のゆかりの場が点在して見るべきものがありました。

1日で船便の時間の都合もあり、各島ゆっくり時間を取ることが出来ず、不十分な名所巡りとなりましたが、比較的時間の取れた菅島は島一周を巡る事ができました。
港から反時計回りで大山の山頂までは広い遊歩道でしたが、山頂から港までは道が狭く、又ジャングルのように木にはさまれ所々くもの巣が張り、くもの巣を掃いのけながら通過しました。

近場の4つののどかな離島巡り、都会の雑踏から離脱でき満喫しました。










行機で国内&海外の観光地巡り第百五十九弾:石川県能登半島&舳倉島観光
2011年9月17−19日


古都の城下町から日本海、白山山麓と、豊かな自然に囲まれた石川県に足を運び、ダイナミックな自然と日本の原風景が残り、新鮮な魚介や渚の温泉地に加え美術館や新名物・能登丼など、新旧の魅力が満載のエリア能登半島、能登半島の輪島港から北へ約48km、万葉集にも詠われた海女の島、最高点でも標高が12.4mしかない平坦な島で、西側は複雑な地形の崖が続き、東側の穏やかな入り江に港や集落があります舳倉島を訪れました。

17日13:14大阪駅サンダーバードで出発
16:10金沢駅到達、レンタカーで輪島に向かう。
18:00輪島到達、市内のホテルに入室後、繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。
18日6:30輪島市内を散策する。

10・25日を除き毎日立つ市は、輪島塗りと並ぶ輪島の名物。河井町の朝市通りには、夜明けとともに近在の町から鮮魚や野菜を運んできた人が次々と露店を出し、朝8時頃には200軒近くの店が並ぶ。売り手はいずれも農家や漁師のおかみさんたち。鮮魚や野菜のほか、乾物、洋服、骨董・民芸品など商品も実にバラエティ豊かな輪島朝市を訪れる。

日本でも少ない漆工芸専門の美術館。輪島塗の伝統的な名品をはじめ、人間国宝や芸術院会員などの作品、アジアを中心とした海外の作品なども所蔵。約2カ月に一度の割合で展示替えを行っている石川県輪島漆芸美術館の前で記念撮影。

8:30輪島港到達。
9:00輪島港フェリーで出発、舳倉島に向かう。
10:30舳倉島到達。

輪島港から50kmほど北の海上に浮かぶ、周囲6kmの島。6月上旬〜10月下旬に輪島市海士町が町ぐるみで島に渡り、海藻類・アワビ・サザエ漁を行ってきた。現在、島には約100戸の集落があるが、ほとんどは夏の仮住まい。海で漁をする海士の姿や静かな漁村風景が見られる、観光色を感じさせない離島だ。島全体が野鳥保護地区。バードウォッチャーの訪れも多いほか、周辺の海ではマダイ・石鯛などが釣れる。奥津姫神社、竜神ガ池などの見どころの舳倉島を訪れるが台風の影響ですぐさまリターン。島観光は次回の持ち越しとなりました。

12:30輪島港到達、レンタカーで珠洲方面に向かう。

国道249号を輪島から曽々木に向かう途中、海に向かって広がる約1万2000平方mの斜面に、1000余枚の小さな水田が幾何学模様を描いて並んでいる。階段状に作られたこれらの水田は、耕作地が乏しい土地ならではの工夫が感じられる。棚田に機械が入らないため農作業はすべて地元住民とボランティアによる手作業。道の駅千枚田ポケットパークから見る千枚田と海の眺めがいい白米の千枚田を訪れる。

能登半島最先端の岬。ここを境に、半島は外浦と内浦に分かれる。海上に浮かぶ七ツ島をはじめ、天気のよい日には遠く佐渡島や立山連峰を眺望可。海からの日の出と海に落ちる日の入りを、同じ場所から拝めるところでもある。突端に立つ高さ12mのドーム型の禄剛埼灯台は、日本海航路の重要な道標として1883年(明治16)に初点灯。光は34km先まで届き、「日本の灯台50選」にも選定。ウラジオストック772kmなどの標識が立ち、最果てムードたっぷりの禄剛崎を訪れる。

能登半島の最先端に立つ白亜の灯台。明治16年(1883)にイギリス人技師が設計し、扉や窓のモダンなデザインが異国文化を感じさせる。「日本の灯台50選」にも選ばれている禄剛埼灯台を訪れる。

松林越しに波静かな内浦の海を望む海岸で、海上に能登のシンボルともいえる見附島(別名軍艦島)が浮かぶ。弘法大師が能登へ巡行した際、最初に目に付いたためこの名になったといわれている。頂にだけ帽子を被ったように緑が茂り、側面の白い岩肌を際立たせている。周辺にはレストハウスや野営場、国民宿舎などもある見付海岸を訪れる。

「見附」という島名は昔、弘法大師が佐渡から能登へ渡った際、最初に見つけたことが由来とされている。長さ150m、幅50m、標高28mの無人島で、そのシルエットが岸に迫り来る軍艦のように見えることから軍艦島ともよばれている。引き潮の時間帯には、石積みの道を歩いて島のそばまで行くことも可能。周辺には遊歩道が整備されている見附島を訪れる。

内浦を代表するリアス式海岸の小湾。湾の中にもさらに数多くの入江があるという意味でこの名がある。海岸線には赤松が生い茂り、海に緑の影を落としている。湾の真ん中には弁財天を祭る蓬莱島が浮かび、湾口には日和山公園、湾内には遊覧船が運航する九十九湾を訪れる。

穴水方面に向かう。

海上に4本の丸太を四角錐に組み、その上に人が座り、海中に仕掛けた網にボラの群れが入るのを待つ漁法。10年ほど前までは春から夏にかけて実際にやぐらに乗って待つ人の姿が見られたという。現在は人の代わりに人形を置き、かつての漁法を今に伝える海のモニュメントとなってしまった。根木と中居の2カ所のポケットパークの海上で再現されたやぐらを見ることができるボラ待ちやぐらを訪れる。

門前方面に向かう。

1321年(元亨元)、瑩山紹瑾禅師によって開かれ、永平寺とともに曹洞宗の大本山として栄えた。江戸中期には全国に1万6000余りの末寺を有するほどの勢力を誇っていたが、1898年(明治31)の大火で大部分を焼失。本山は横浜市鶴見区に移され、こちらは祖院となった。現在は焼け残った山門、伝燈院に加え、再建された七堂伽藍が約6万6000平方mの境内に威風堂々と構えている大本山總持寺祖院を訪れる。

輪島のホテルに戻る。食事を済ませて就寝。

19日7:00レンタカーで出発、能登金剛方面に向かう。

福浦港から関野鼻までの、断崖絶壁が連なる海岸線。波で穴が開いた巌門や、しめ縄でつながれた機具岩、松本清張の『ゼロの焦点』の舞台となったヤセの断崖など美しい景観が続く。増穂浦には世界一長いベンチもある能登金剛を訪れる。

松本清張の小説『ゼロの焦点』の舞台として映画やテレビドラマに登場し、有名になった断崖。海面からの高さが35mもあり、断崖上に立つと足がすくむヤセの断崖を訪れる。

全長460.9m。なんと約1350人も座れる木製のベンチで、ギネスブックにも掲載されている。増穂浦の海岸線に沿って延々とつながっており、目前の海と空が夕焼けに染まる頃がロマンチックな世界一長いベンチを訪れる。

海の中にどっしりと構える大小2つの岩で、しめ縄で結ばれている。その昔、能登に織物業を広めた渟名木入比め命が山賊に襲われたときに機具を海に投げ込むと、突然2つの岩に変じたという伝説が残る。夕日が沈む頃、海が茜色に染まり、岩のシルエットが浮かび上がる光景は神秘的。伊勢の二見岩に似ているので、別名「能登二見岩」ともよばれ、海岸道路からも眺められる機具岩を訪れる。

日本海の荒波が数千年かけてうがった幅6m、高さ15m、奥行き60mの大きな洞門。日本海の波の力強さと、能登の自然の厳しさを象徴する能登金剛の代表的な存在だ。洞門そばには、源義経が兄・頼朝の追手から逃れて身を潜めていたという伝説が残る大きな洞窟もある巌門を訪れる。

福浦港を見下ろす日和山の一角に、高さ5.2mの木造の灯台が立っている。この地は日本で初めて灯台が造られた場所といわれる。1876年(明治9)に建てられたこの灯台は、1608年(慶長13)、日野資信という人物が暗夜の海を航行する船を守るために火を焚いたのがはじまり。以来、1910年(明治43)に旧福浦村営になるまで日野家が代々守ってきた旧福浦灯台を訪れる。

倶利加羅峠の合戦で破れた平維盛の重臣・平式部大夫はこの地に逃れ、幕府の天領地13カ村を治める大庄屋になった。それがこの平家で、建物もさることながら書院から見る庭園の美しさに定評がある。庭園は2つあり、池泉回遊式の前庭は江戸前期の作庭とされる枯滝を正面に置き、室町時代作という6つの面に六地蔵を彫った石幢がたたずむ。後庭は大正中期の枯山水で深山幽谷の趣の平家庭園を訪れる。

能登島に向かう。

能登半島近海にすむ魚介類を中心に、約500種4万匹の生物が飼育されている水族館。トンネル水槽「イルカたちの楽園」では、長さ22mのトンネル水槽からイルカたちが泳ぐ様子を見ることができる。愛らしいラッコやアザラシ、ペンギン、楽しいイルカ・アシカショーも楽しみ。2010年8月20日にオープンした「ジンベエザメ館 青の世界」では、7月に七尾市佐々波町沖の定置網で捕獲された体長4.8m、体重推定800kgのジンベエザメ1匹のほか、シュモクザメ、マアジの群れ、エイの仲間などを展示しているのとじま臨海公園水族館を見学。

七尾湾を見下ろす高台にあり、色鮮やかな中国清朝のガラス器など、世界のガラス工芸品が収蔵されている。なかでもピカソやシャガールといった美術界の巨匠の原案に基づき、イタリアのエジディオ・コンスタンチーニ工房が制作したガラス彫刻が圧巻。屋外に点在するガラス彫刻も興味深い石川県能登島ガラス美術館を見学。

もと小学校の校舎を利用したガラス工房。作家たちの制作風景が見学できる。ガラス製品の販売のほか、予約すればガラス制作体験も可能のたくみの里能登島ガラス工房を訪れる。

和倉に向かう。

スーパーパティシエの辻口氏が出身地七尾に開いたミュージアム。美術館では、長さ6mもの飴の壁画をはじめ、能登をテーマにしたシュークルダール(砂糖の飴の芸術作品)を鑑賞できる。パティスリーブティックでは、能登のヘルシー素材を使った「ミュゼ」や「のとミルクプリン」などオリジナルスイーツをはじめ、辻口氏の10ブランドの品々を販売。カフェスペースではスイーツを味わいながら、大きなガラス窓から七尾湾の景色も楽しみたい辻口博啓美術館 ル ミュゼ ドゥ アッシュを訪れる。

1階博物館は生活用品が並び、昭和初期の駄菓子屋などを再現している。2階おもちゃ館は貴重なブリキ製ロボットなど多種の玩具を展示する和倉昭和博物館とおもちゃ館を見学。

七尾方面に向かう。

七尾に残る2つの城跡の内の一つ。七尾城は1408(応永15)年室町幕府から守護に任じられた能登畠山氏が、1500年頃築城。城山に本丸、二の丸、三の丸などが築かれ、1577(天正15)年上杉謙信に滅ぼされるまで約170年間能登を統治した。本丸跡からは七尾市外と七尾城が見渡せる七尾城跡を訪れる。

羽咋方面に向かう。

1294年(永仁2)創建の日蓮宗の名刹。3代藩主前田利常の母・寿福院の追善のため70年の年月をかけて建てられた。能登随一の大伽藍をもち、本堂・祖師堂・経堂など10の堂宇は国の重要文化財。なかでも高さ34mの五重塔は、北陸では唯一の木造建築の五重塔で、書院前の庭園から見る姿は秀麗そのものの妙成寺を訪れる。

海を見下ろす高台にあり、厳かな雰囲気の中、国重要文化財の拝殿、神門などが立ち並ぶ。縁結びの大国主命を祭る神社で、創建は定かでないが能登一の宮としての格式を誇る。社殿背後の気多大社社叢(天然記念物)は「入らずの森」とよばれる神域で、シイや椿など常緑の老樹が鬱蒼と茂る気多大社を訪れる。

宇宙開発やUFOなどをテーマとした科学博物館。2階宇宙展示室には、実際に宇宙飛行して帰還した旧ソ連製のヴォストークカプセルなど、宇宙開発に貢献した貴重な資料を展示。世界で目撃されたUFOについての解説も興味深い。3階コスモシアターでは、ドーム型スクリーンに映し出される科学番組、ギリシャ神話にまつわるアニメーションを上映しているコスモアイル羽咋を訪れる。

宝達志水町今浜から羽咋市千里浜町にかけて海岸沿いに約8km、砂浜上のドライブが楽しめる。粒子の細かい砂が海水を含んだことにより、車が通れるほど固くなったドライブウェイは、大型バス、バイク、自転車の通行も可能。春〜秋は浜焼を売る茶店などが並び、夏は海水浴を楽しむ人で賑わう千里浜なぎさドライブウェイを通過する。

加賀百万石を陰で支え、200カ所以上の村を治めていた十村役筆頭の喜多家。茅葺きの十村役門はその象徴。約400年前の姿そのままに保存され、およそ4万2900平方mもの広さの敷地、藩主が訪ねた際の特別な玄関や座敷などを公開している加賀藩十村役喜多家を訪れる。

14:30金沢に向かう。
15:30金沢駅到達。
16:13金沢駅サンダーバードで出発。
19:05大阪駅到達。

今回の旅行、北陸地方の石川県に足を運び、海岸線の険しい大自然と点在する文化遺産、輪島から北50kmに浮かぶ秘境と呼ばれる島、舳倉島を訪れ2泊3日の旅、堪能しました。

生憎台風が近ずいており、舳倉島へのフェリーが島到着後すぐさまリターン、舳倉島には上陸できましたが、島内の観光は出来ず、次回持ち越しとなりました。

能登半島の殆ど全域が鉄道が無く、移動は車かバス、へき地を感じましたが、結構民家も人も多く、交通手段が遅れているのは不思議なぐらいです。

今回で石川県のほぼ全域を制覇、着々と全国制覇に近ずいています。頑張ります。




















行機で国内&海外の観光地巡り第百五十八弾:兵庫県但馬観光
2011年9月10−11日


兵庫県の全国的に知られる城崎温泉や湯村温泉があり、城崎マリンワールドや兵庫県立コウノトリの郷公園などのレジャースポットや、高原でのアウトドアスポーツ、日本海の冬を代表する味覚・松葉ガニや但馬牛、出石の皿そばなどグルメも堪能したい但馬を訪れました。

10日12:30車で出発、近畿中国舞鶴自動車道経由して
14:30和田山到達

朝来市には茶すり山古墳など1600カ所以上もの遺跡があり、それらから出土した貴重な考古資料を展示・収蔵している施設。土器や古墳のパズルなどで遊べるコーナーもある古代あさご館を見学。

ヒメハナ舞ロードを進むと広がる公園。県指定天然記念物であるウツギノヒメハナバチが飛び交い、夏の訪れを告げる場所で、地域住民の憩いの場になっている。全長170mに及ぶローラースライダーや「未来への架け橋」をイメージして造られたヒメハナ橋があり、桜など四季折々の風情を楽しめるヒメハナ公園を散策する。

豊岡方面に向かう。

豊岡市日高町出身の冒険家・植村直己の功績を紹介。グリーンランド単独行で使用した犬ぞりやテント、北極点単独行の際に使用していた装備品、愛用品を展示している植村直己冒険館を訪れる。

特別天然記念物コウノトリの野生への復帰と保護増殖を図る施設。観察施設も併設する兵庫県立コウノトリの郷公園を訪れる。

18:00豊岡駅付近のホテル到達。繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

11日7:00車で出発。

山陰屈指の奇勝。円山川沿いの山裾に、高さ35mの柱状節理が70mにわたって続く。160万年前の火山活動で生じた溶岩が冷却され、五角形や六角形の角柱となった。柱石により形成された大岩壁には、天然記念物の玄武洞(江戸時代の儒学者・柴野栗山が命名)など、古代中国の神獣の名を冠した5つの洞窟が並び、春の新緑、秋の紅葉は特に美しい。京都大学の松山基範博士によって、現在の地磁気の方向とは正反対である「逆転地場」が発見された場所としても世界的に有名な玄武洞を訪れる。

城崎に向かう。

738年(天平10)、道智上人開基と伝わる古刹。和様・唐様・天竺様の折衷様式の本堂(重要文化財)は但馬地方最古の木造建造物である。本尊十一面観音(重要文化財)、十六善神像・宝篋印塔(重要文化財)など寺宝も多い温泉寺を訪れる。

香住海岸・竹野・浜坂方面に向かう。

竹野浜を中心として東西4kmにわたって広がる美しい浜。「日本の渚百選」のひとつにも選ばれている。海岸沿いには豪壮な景観のはさかり岩、切浜北端の岬には神秘的な雰囲気が漂う淀の洞門、遊歩道を整備した猫崎半島など美しい自然景観がみどころ。猫崎半島は兵庫県の最北端にあり、まるでキューピットが仰向けに横たわっているような形をしている竹野海岸を訪れる。

海食崖が続く山陰海岸のなかでも、特に起伏に富むリアス式海岸線が続く景勝地。香住湾を中心に、西は国指定天然記念物である鎧の袖や釣鐘洞門、東は今子浦、旭洞門などの奇岩、洞門が続く香住海岸を訪れる。

745年(天平17)に創建され、天明年間(1781〜89)に密蔵・密英の二上人により再建された古刹。江戸中期の画家円山応挙とその弟子たちの手になる襖絵を多数所蔵し、別名応挙寺ともよばれている。有名な『老松孔雀図』をはじめ、一門の障壁画165面すべてと仏像3体が国の重要文化財になっている。2009年4月より、丸山応挙「孔雀の間」「芭蕉の間」「山水の間」三部屋の襖絵は「再製画」になり、お部屋の中まで入ってすぐ近くで襖絵を拝観できるようになった大乗寺を訪れる。

JR山陰本線の鎧駅〜餘部駅間に架かる朱色の鉄橋。1912年(明治45)完成。橋の下に駐車場があり、走り抜ける列車を眺めることができる。列車に乗って体験する場合、トンネルを出るとすぐに鉄橋となる下り線ルートがおすすめ。まるで空に飛び出すような気分だ。餘部駅へは急な細い山道が続くため、車では行けない、現在はコンクリート橋に変わっている余部鉄橋を訪れる。

鳥取・兵庫県境のリアス式海岸。但馬御火浦(天然記念物・名勝)を中心に海食された岩礁や洞門が続く。探勝には但馬海岸遊覧船がいい。また、素朴な浜坂温泉郷(海に近い浜坂温泉、少し内陸寄りの七釜温泉の総称)、『夢千代日記』でその名を全国に知られるようになった山陰の名湯・湯村温泉への入り口としても賑わう浜坂海岸を訪れる。

浜坂海岸のうち、浜坂港から香住の伊笹岬に至る約8kmの海岸線。柱状節理が美しい三尾大島、動物の形に似た奇岩のほか、波や風が岩をうがった洞門が多く、なかでも2つの洞門が組み合わさった釣鐘洞門は印象的な但馬御火浦[浜坂海岸]を訪れる。

湯村温泉に向かう。

『夢千代日記』にちなんで、荒湯のすぐ近くに立つ。モデルは主人公を演じた吉永小百合。周辺には出演者の手形が刻まれている夢千代像[湯村温泉]を訪れる。

ドラマ「夢千代日記」に登場した旅館などを再現するほか、昭和30年代の温泉街を再現したコーナーもある夢千代館を訪れる。

16:00帰路に向かう。

今回の旅行、兵庫県の但馬に足を運び、古くから温泉地として知られ、良質な湯や新鮮な日本海の幸、旅情をそそる情緒たっぷりの町並みの城崎、平安時代、慈覚大師によって開湯されたと伝わる由緒ある古湯、ドラマ夢千代日記の舞台としても有名な湯村、豊岡市津居山から新温泉町浜坂までの日本海のエリア、但馬御火浦や余部鉄橋などの絶景が見られるスポットが点在する但馬海岸、国指定の特別天然記念物であるコウノトリの日本最後の生息地として知られ、豊かな自然とともに、数多くの郷土料理や伝統工芸が今も残る豊岡をドライブ観光して満喫しました。

今回でほぼ兵庫県を制覇、全国制覇も近ずいています。頑張ります。











大阪府門真市神社巡り
2011年9月7日

大阪府北河内地域に位置する市。地名の由来は「潟沼」や「門間(船だまりや寺や神社の門前の土地を表す言葉)」から転じた等諸説あり、室町時代初期までは「普賢寺荘」、室町時代末期には現在の名が使われ、戦国時代には「門真荘」と呼ばれた門真市に点在する神社を訪れました。

13:00車で出発
当神社は創建の年代は詳らかではないが、鎌倉時代以前と推測される。永井信濃守が、当社の宮寺長福寺を再興した時、当社の修理も行なった。明治5年村社列格、平成6年社殿建替で岸和田の宮さんと別称されています岸和田産土神社を訪れる。

当神社は創建の年代は詳らかではないが、菅公を祀ったのは、恐らく他の旧四宮村の神社と同様この地が京都北野の神領ととなったためであろう。末社の厳島神社の創建も不祥であるが、この辺りが十分陸地になりきっていなかった時代、即ち室町時代末期の八ヶ湖の名残りを、未だ相当残していた下馬伏村創建の頃に氏神として祀られたものと推測される。明治5年村社列格、昭和56年社殿立替。平成18年玉垣設置の菅原神社を訪れる。

当神社は創建の年代は詳らかではないが、当社の宮寺として隣地に存在する宝蔵寺の御本尊が平安末期のもので、その境内には鎌倉時代の建立と思われる。十三層の塔の一部が残っている事等から、八ヶ庄四ヶの内の馬伏庄の草建は相当古く、当社創立もその頃と推定される。明治5年村社列格。昭和33年本殿を再興。平成15年屋根吹替えと境内整備事業を行なった城垣産土神社を訪れる。

当神社は創建の年月日詳かならず。然し乍ら永井信濃守当地方を領せる寛永年間(1624年)には既に存在ありし記録あり。社殿は享保年間(1716年)に再建。
享和二年(1801年)の洪水で応急修理行なわれる。文政十年(1813年)御造営。代官小堀主悦と大阪城代太田備後守に氏地分割された。文政十一年(1827年)より天保二年(1831年)に亘り御造営。現在の社殿は安政五年(1857年)に再建されたものである。旧名は産須那神社であったが永年なじんだ地名を残したく昭和五十一年三月に島頭天満宮と改名。

当社は延喜式内小社で、現祭神は彦八井耳命(神武天皇の皇子)と菅原道真を祀る。その起源は、今から約1600年前、河内湖周辺を水害から守るため、仁徳天皇の命により茨田宿弥が旧淀川に日本最古の堤防、茨田の堤を築き、この堤防を守るため、茨田氏の祖先である彦八井耳命を守護神として祀ったことに始まる。この「茨田の堤跡」の一部約100mが神社の北側の境内に残り、神社の北を流れる古川はかっての淀川の流路の1部と思われる。また、江戸時代初期の寛永年間(1624〜44年)淀藩主永井信濃守尚正が菅原道真を合祀させ、当社の西側に景雲寺を創立し、宮寺としている。近世、当社の社地は野口村にあったが、景雲寺が常称寺村(現常称寺町)にあり、「河内名所図会」には当社も常称寺村にあると記しており、社地の境界が微妙であったと思われ、地元では「常称寺の宮さん」とも呼ばれているのはこの辺りの事情からと思われる宮野堤根神社を訪れる。

門真市御堂町に鎮座し京阪電車の古川橋駅と大和田駅の間の線路沿いの北側にあります大阪府門真市御堂町の八坂神社を訪れる。

文献によると古くは伊勢斎宮帰路沿い近くにあった為、相当古い時代に建造されたとされている。主祭神である少彦名命は医薬の神様(神農さん・温泉の神様・まじない、癌封じの神)で、北河内地方ではこの神社でしか祀られていない。また少彦名命は一寸法師や雛人形の原型・起源だという言い伝えがあり、その為「人形供養」も行われている。相殿には寛永の頃、領主であった淀藩主・永井尚政(永井信濃守尚政)が崇拝した菅原道真公が祀られている天神社を訪れる。

詳しい創建年月日は定かではない。旧くは南宮・中宮・北宮の三宮があり、当社は中宮だったという。 その後門真庄(室町時代後期以降の名)の発達により、一から四番の村がつくられ、四番村の独立とともに元村の牛頭天王を移し、当社創建となった。明治5年、神饌弊幣帛供進社に指定された門真神社を訪れる。

創建の年代は不詳であるが、文禄3年(1594年)の検地帳に稗島・桑才2村の氏神として「山王宮」と記されている。「山王」の社名は大己貴神を祀ることによるものとみられる。享保10年(1725年)の検地帳では「八剣大明神」となっており、これは素盞嗚神を祀ることによるものとみられる。元文3年(1738年)の文書ではこれに天照大神を加えた3座を祀ると記されている。明治12年の「北河内郡神社財産登録」では社名が「両村神社」となっており、祭神は天照大神1座となっている。社名は2村の氏神であることによるものである。明治41年、式内・堤根神社の後裔であるとして「堤根神社」に改称した。式内社であることを示す資料はなく、式内社を名乗ることで、当時盛んに行われていた神社合祀を免れようとしたものとみられるが、同年8月に郷社・三島神社(現 門真市大字三ツ島1374)に合祀された。昭和21年に三島神社から独立して旧地に復興された稗島堤根神社を訪れる。

大阪府門真市にある神社。古くは山王権現といい、明治3年4月に現在の社名「三島(三ッ島/三嶋)神社」に改められた。明治5年に郷社に列し、明治41年8月には稗島の堤根神社(祭神/天照皇大神)を合祀。(後、昭和28年には稗島・桑才の住民の希望により堤根神社は元の地に復帰)、明治42年8月に神饌幣帛料供進社に指定された三島神社を訪れる。

17:00終了。

今回の近場の名所巡り、大阪府門真市に点在する10箇所の神社を訪れました。