飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十七弾:静岡県熱海タウン&初島観光
2012年1月21日ー22日
  

静岡県の日本三大温泉場の一つであり、エステに美食に町歩きの魅力の熱海に足を運び、昭和のレトロな町にひたれるスポットが点在する熱海タウン、豊かな自然に囲まれ風光明媚で首都圏から一番近い有人の島、初島を訪れました。

21日13:40新大阪駅新幹線のぞみで出発、浜松でこだまに乗り換え
16:30熱海駅到達、駅付近のホテル到着後繁華街を散策、食事を済ませて就寝。
22日7:30歩いて熱海港に向かう。途中数箇所の点在するレトロなお店を訪れる。

8:30熱海港到達
8:50フェリーで初島に向かう。
9:15初島港到達、散策する。

島の美しい娘の悲恋の物語が遺された松、お初の松を訪れる。

鎌倉時代に時の将軍実朝が二所権現参拝の折に、初島を詠んだ歌の歌碑、源実朝歌碑を訪れる。

林芙美子の小説『うず潮』は初島港から熱海の夜景を眺めるシーンで締めくくられます。初島港の熱海を見渡す高台に記念碑が残されています林芙美子記念碑を訪れる。

島の漁師が営む、朝も夜も、盛りだくさんの海の幸が楽しめます民宿街を訪れる。

島の漁師が営む、文字通り“朝獲れ”の魚介類が楽しめる食堂街を訪れる。

島内に4箇所あるダイビングポイントのキーステーション初島ダイビングセンターを訪れる。

小田原城から島流しにあい、島でも様々な伝説を残した侍、磯内膳の墓を訪れる。

江戸時代に、江戸城修築の為に石を切り出した跡地、江戸城石切り場跡を訪れる。

何百種類もの亜熱帯の植物が生い茂るアジアンガーデン、湯船に浸かりながら海に溶け込み、海の丸さを感じる、島だから実現できた海岸線ぎりぎりの露天風呂、夏季限定の、海水を利用した海辺のリゾートプール、海を見下ろす丘の上に立つコテージタイプの宿泊施設などがある初島アイランドリゾートを訪れる。

日本で15番目の登れる灯台。晴れた日には富士山や、伊豆諸島・房総半島まで360度見渡せるダイナミックな眺望を楽しめます初島灯台を訪れる。

初島周辺の眺望が楽しめる3Dパノラマビューや、初島の歴史、灯台の仕組みに関する展示を楽しめる灯台資料展示館を見学。

平成18年3月に完成した島内周遊道路。1周4kmの島なので、ちょっとした散歩に最適な初島周遊道路をひたしら歩く。

テニスコート・パターゴルフ・プール・露天風呂などスポーツとリラクゼーション機能を備えた、会員制のリゾートホテル、グランドエクシブ初島クラブの前を通過する。

海中展望船「ノア」では、“天然の漁礁”と言われている初島の豊かな海を楽しめます初島フィッシャリーナを訪れる。

新鮮な海の幸が味わえるシーフードバーベキューハウス初島ピクニックガーデンの前を通過。

島の海岸沿いの森の中にひっそりと立つ海の守り神。社殿には海中から現れたといわれる剣が納められています竜神宮を訪れる。

島内の各所に点在する8つの縄文遺跡の出土品や、深海探索船「しんかい2000」のスケールモデルなどの展示があり、初島南東沖約6km水深1174mの海底にある深海底総合観測ステーションからの映像も見ることが出来ます初島海洋資料館を見学。

孝昭帝の御代に島に漂着した初木姫が祀られており、初木姫を巡る様々な物語が残されています初木神社を訪れる。

11:10初島港フェリーで出発
11:35熱海港到達、熱海タウンを散策する。

非公開の岩崎邸、現存しない住友邸と並び、「熱海の三大別荘」といわれた名邸。日本家屋の母屋と離れは大正後期、洋館と広大な庭園は昭和初期に造られたもの。戦後は旅館として賑わい、太宰治ら多くの文化人も投宿した。現在は市の所有となり一般公開されている。館内にはゆかりの文豪たちの資料展示室や喫茶室もある起雲閣を訪れる。

かつては熱海の源泉の一つであったが、1924年(大正13)に噴出が止まったため、現在では人工的に間欠泉を作り出している。熱湯が約5分ごとに岩の間から吹き上げる。熱海市の史跡に指定され、近くには湯の神を祭る湯前神社がある大湯間欠泉を訪れる。

尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の舞台となり、主人公の間貫一と鴫沢宮が散歩したのが熱海の海岸。熱海サンビーチ沿いに立つお宮の松は、小説ゆかりの地のシンボルといえる。現在の松は2代目で、近くに初代の幹の輪切りと「貫一・お宮の像」があり訪れる。

13:30熱海駅到達
13:46熱海駅新幹線こだまで出発
16:45新大阪駅到達

今回の旅行、3回目の訪れである静岡県の熱海に足をはこび、レトロな熱海タウン、熱海港から高速艇で25分の豊かな自然に恵まれた初島の散策楽しめました。

今回で静岡県ほぼ制覇しました。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十六弾:埼玉県所沢&狭山観光
2012年1月14日ー15日
 

3回目の訪れである埼玉県に足を運び、埼玉県南部に位置する中心都市で、明治時代に日本初の飛行場が誕生した航空発祥の地、うどんやだんごの店が多い街としても知られている所沢、県南西部の入間川流域に広がる町、畑が多く、農産物生産面積では県下一とされ、高品質の狭山茶は、その味わいから日本三大銘茶に数えられる狭山・入間、面積のおよそ7割が山林で、キャンプやハイキングなどで親しまれている飯能、江戸時代には、八王子から日光へ至る街道の宿場町として栄えた坂戸を訪れました。

14日13:35新大阪新幹線のぞみで出発
15:50品川到達、山手線で大崎経由して池袋到達
16:36池袋、西部池袋線で出発
17:20所沢到達、ホテル到着後繁華街散策し食事を済ませて就寝。
15日7:30レンタカーで出発、所沢周辺を巡る。

日本初の飛行場跡地につくられた、広さ約50万平方mの公園。園内にはアメリカ製輸送機C-46や国産初の中型旅客機YS-11など実物の飛行機のほか、所沢航空発祥記念館、茶室のある日本庭園、小川や小さな滝、遊具広場、日本の航空技術の発展に貢献したフォール大佐の像などがある。茶室「彩翔亭」では呈茶も楽しめる所沢航空記念公園を散策する。

所沢航空記念公園内にある航空科学と歴史の展示施設。日本初の国産軍用機・会式一号機、戦後初の国産ジェット練習機・T-1B、戦後初の国産旅客機・YS-11など、第一線で活躍した実物(レプリカ含む)を展示。実験装置や映像などを交え、飛行原理や航空技術・歴史など分かりやすく紹介している。人気のフライトシュミレーターのほか、併設の大型映像館では縦15m・横20mの大画面で迫力の映像も楽しめる所沢航空発祥記念館[所沢航空記念公園]を訪れる。

狭山・入間方面に向かう。

キャンプや美しい自然を観察できるほか、動物と触れ合える「こども動物園」も楽しみのひとつの智光山公園を訪れる。

大正時代から平成10年まで、埼玉県繊維工業試験場として使われていた建物が、現在は音楽・演劇・アートなどさまざまな文化芸術の発信の地となっている。エントランスにはさまざまなアート作品が飾られているほか、定期的に開催されている演奏会や物作りのイベントは、芸術に触れるチャンス。また、歴史が色濃く残る建物も現在では“芸術作品”と呼べる佇まいを醸し出している。特に、かつて工場として使用されていた三角ののこぎり屋根のホール棟は、採光を極力入れないように北向きに、音の拡散を抑えるために急勾配の屋根に設計された貴重な建物の入間市文化創造アトリエAMIGO!を訪れる。

狭山湖近辺の大谷戸・西久保湿地周辺の自然が展示物。湿地や林を巡りながら植物などを観察できるさいたま緑の森博物館を訪れる。

飯能方面に向かう。

飯能の緑の中に、北欧の童話の世界を取り入れた自然公園。7.6haの敷地には、子ども劇場など地元産の西川材をふんだんに使用した建物が立ち、周囲の森とうまく調和している。森の家には北欧の童話に関する資料の展示があるあけぼの子どもの森公園を訪れる。

メディカルハーブを中心に、各種ハーブが植えられたハーブガーデン。ハーブ・アロマグッズを販売するショップ、ハーブ料理と手作りパンが食べられるレストランもある。ハウスでは苗を販売。アーユルヴェーダのトリートメント体験のほか、カルチャー講座も行っている。ハーブをさまざまな角度から楽しめる施設のメディカルハーブガーデン生活の木薬香草園を訪れる。

14:30所沢駅到達
15:05所沢駅西部池袋線で出発
15:30池袋到達
15:35池袋山手線で出発
15:55東京駅到達
16:10東京駅新幹線のぞみで出発
18:40新大阪駅到達

今回の旅行、3回目の訪れである埼玉県に足を運び、埼玉県の西南部エリアのマイナーでありましが点在する名所を訪れました。

今回で埼玉県はほぼ制覇できました。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十五弾:香港観光
2012年1月7日ー9日
   

九龍半島および香港島など多数の島からなり、ビクトリアハーバーを挟んで繁華街が広がる香港に足を運び、1842の南京条約でイギリス領となった島、中心となるのは北部の海岸沿いで、巨大なオフィスビルやショッピングモールが林立、上環や灣仔には風情溢れる町並みが残る香港島エリア、1860年の北京条約によってイギリスに割譲されたエリア、ネイザン・ロードを中心に発展した町並みはレトロで華やか、ナイトマーケットも人気が高い九龍エリアを訪れました。

7日18:25関西国際空港キャセイパシフィック航空で出発
21:45(時差ー1時間)ホンコン国際空港到達
22:30送迎バスで香港島炮台山駅付近のホテルに向かう。

23:30ホテル到達、宿泊。
8日7:30歩いて香港タウンを散策する。

銅鑼灣方面に向かう。

トラムが通るヘネシーロード中心にショップ、レストランがずらりと並ぶ活気のあるところ。少し南(山側)に行くと競馬場でお馴染みのハッピーバレーがあります。大都市の中のこの小さなエリアは住み心地満点のエリア銅鑼灣を散策する。

香港島の代表的な繁華街、銅鑼灣(コーズウェイベイ)のすぐ隣にありながら、落ち着きを感じさせるエリアにあり、2000年から2002年の間に全面リニューアル工事が行われ、現在では5500株もの樹木が植えられた、香港島では最大の公園となっていますビクトリアパークを散策する。

毎日正午に鳴らされるという伝統の大砲儀式です。現在では英国植民地時代初期の唯一の遺物であり、世界史の授業にも出てきた、あのジャーディン・マセソン社(怡和行)が行っている儀式、ということで、香港の歴史の一面を象徴する儀式としても一見の価値ありの怡和午砲(ヌーン・デイ・ガン)を訪れる。

湾仔方面に向かう。

返還式が行われた香港會議展覧中心(コンベンションセンター)、警察總部、入境事務大樓、税務大樓などハーバー側に政府のビルが建ち並ぶ一方、路面電車道の1本裏通りに入ると香港庶民のエネルギッシュな生活が覗けます湾仔を散策する。

ビクトリア湾にせり出した流線型がつならなる近代的な建物、1997年7月1日、香港返還式典が執りおこなわれた香港コンベンション&エキシビジョンセンター(=HKCEC 香港会議展覧中心)を訪れる。

国際的な商業都市として高層ビルが連立し、様々な人種が行き交う現代的なイメージなのは香港島サイドです。でもそんな香港島サイドの湾仔に、昔ながらの青空マーケットが繋がっている賑やかな通りがあります。最近は都市開発が進み、斬新な設計の高層ビル建設が相次ぐ環境の中、そこに根付いて生活している人の汗や息使いまでが直接伝わってきそうなナマの香港が感じられるところ、『太原街市集(Tai Yuen St Market)』を訪れる。

この小さな通りには、世界的有名店の隠れ家的ショップや、こだわりを持ったオーナーたちが手がけるハイセンスなブティックやレストランが並んでいます。地下鉄の駅からもほど近く、湾仔の下町にも歩いていける距離にあるため、香港リピーターの間で人気急上昇のエリアの星街(スターストリート)を訪れる。

金鐘方面に向かう。

はビジネス街中環、庶民的な商店街と官庁街が入り混じる湾仔にはさまれた地区である。香港政府の本部があり、英国をはじめとする各国領事館が多く、ピークトラムの下の乗り場はここにある。香港島を代表する都市公園である香港公園もある金鐘を散策する。

香港島の高層ビルの谷間にある大きな公園、周りの高層ビルを見ながらぶらっと歩くのに最適で、公園内には、茶具博物館や結婚登記所や噴水、イベント用の広場もあり、休日になると多くの人であふれている香港公園を散策する。

中環方面に向かう。

香港島金融の中心、超高層のビル群が立ち並び、香港一で世界で3番目に高い88階建てのTWO IFC(INTERNATIONAL FINANCE CENTRE)ほか洗練された国際都市を感じさせます。九龍側からの見える夜景はこの地区が中心。すぐ山手にはピーク、高級住宅街も。ランカイフォンやSOHOに代表されるように香港でも西洋人人口の多いところの中環を散策する。

1896年に、ビクトリア女王の銅像が建てられた場所。現在銅像はビクトリア公園に移されましたが、その後は噴水と木々がある、憩いの公園として、旅行客や周辺に勤める人たちに利用されています。中でも、日曜祭日などには香港で働くフィリピンやインドネシアからの住み込みのメイドが集まるところとして有名です。また、近年はクリスマスや新年などのデコレーションも施され、注目スポットになっています。広場は、HSBCメインビルや立法会ビル、和平記念碑などに囲まれ、写真撮影スポットでもあります皇后像広場を訪れる。

お酒を片手にスポーツを観戦したり、音楽を聞いたり、気の置けない友人達とおしゃべりに花を咲かせたりと、ナイトライフをエンジョイするという欧米間感覚から発展した、ナイトライフのメッカといえるランカイフォン蘭桂坊を訪れる。

都会的な香港のイメージとは裏腹に、面白グッズや印鑑、お土産物などを扱う露店が、石畳の坂道の左右に並んだ名物ストリート。特にハロウィンやクリスマスなどのパーティーグッズやイベントに必要なものが何でも揃います。ウィッグやグロテスクなマスク、そして奇抜なコスチュームは、見ているだけでも楽しいポッティンガー・ストリートを訪れる

ニューヨークやロンドンと同じく、香港在住のデザイナー、アーティストのアトリエやブティックが点在し、香港の流行の発信地としても注目されています。また、インターナショナルなレストランやオープンテラスのカフェ、隠れ家風のバーなどストリートに軒を連ね、周辺エリアにもその波は広がっていますSOHOを散策する。

上環方面に向かう。

中国からの移住者が最初に住み着いたといわえるエリアであり、キャットストリートやハンコ横丁に香港最古の道教寺院「文武廟」など古きよき中国を感じさせてくれた上環を散策する。

辛亥革命を指導したことにより「革命の父」「国父」という呼び名で仰がれる孫文の生誕140年を記念したミュージアム、広東省中山市出身の孫文は、香港で医学を学び、また、革命の思想を懐胎したとも言われています。日本では孫文と呼ばれますが、香港では日本へ亡命後に名乗るようになった「孫中山」という呼び名で広く知られています香港孫中山紀念館を訪れる。

香港がイギリスにより植民地化された後、1847年に中国人の盧阿貴、譚阿才という実力家によって建てられた、道教のお寺です。文武廟という名前の通り、文学の神と武道の神が祀られたお寺です。文学の神である文神「文昌帝君」と三国志の英雄で関羽として知られている武神「関聖帝君」が祀られています文武廟を訪れる。

この道路の歴史はとても古く、香港が開港した当初からある大きな道路。車がない頃には馬が走っていたそうなんです。通りを中ほどまで進んでいくにつれ、通りの左右にはずらーりと骨董品屋さんが軒を連ねています。中国の古い家具や装飾品、大きな彫刻や仏像など、種類も値段も様々な専門店があちらこちらにありますハリウッドロードを訪れる。

アンティークというより、ガラクタ?といった感じのバッタものから、キッチュでかわいいチャイニーズグッズ、ヒスイや水晶などのアクセサリー、大型の家具や仏像まで、お宝いっぱいの通りのキャットストリートを訪れる。

1906年に建築されたレンガ造りの重厚な建物は、なんと香港で最も古いビルの1つ。その美しい建築様式は、ビクトリア朝後期様式だそうです。現在、規模を拡大して1991年 の終りにリニューアルオープンしたウェスタンマーケットを訪れる。

地下鉄上環駅から九龍半島に向かう。

尖沙咀到達

中国と陸続きの九龍半島。ペニンシュラホテルを筆頭に有名ホテルが立ち並び、ショッピングアーケードも充実した商業の町。ビクトリアハーバーを渡るスターフェリーもこの尖沙咀ピアから運行。雑踏の中のオアシス、九龍公園の緑にほっとし、東側、中国に繋がる九広鉄道の北京、上海行きの鉄道の出発駅のある紅ハム。また紅ハムのコロシアム(体育館)は香港の有名な歌手のコンサートやさまざまなイベントが開催されるところです。ハーバー沿いにさらに東に進むと香港在住の日本人も多く住む高級マンションもある尖沙咀を散策する。

尖沙咀の彌敦道に立ち、時代の流れと共に変化を続けるこの雑居ビル重慶大廈(重慶マンション)を訪れる。

1989年11月に正式オープン。香港政府が設計建築を担当した、香港を代表する文化芸術ホールです。コンサートホール、グランドシアター、スタジオシアター、エキジビションギャラリー、ホヤーエリアなど、パフォーマンスのできるホール部分が5か所、集結しています。また、リハーサルルームや、ミーティングルーム、露天エリアなど、すべて合わせて5.2ヘクタール、82.231uの面積を誇ります。また九龍の先端に位置し、周辺の環境もビクトリアハーバーを眺める絶好の撮影スポットとして、毎日大勢の観光客で賑わっています香港文化中心を散策する

香港と言えば、『アジアのハリウッド』と呼ばれ、ブルース・リー、ジャッキー・チェンと言った本物のハリウッドでも有名な香港スターのアクション映画のみならず、男同士の友情や裏切りを表現したハードボイルドや黒社会(ヤクザ)もの、突出したキャラクターの人気俳優によるコメディー、個性あふれる監督によるスタイリッシュな作品と、香港映画の代表作品も枚挙にいとまがないくらい。世界中に熱狂的な香港映画ファンがたくさんいることでしょう。そんなファンのために、2004年4月尖沙咀の先端にある『尖沙咀海濱長廊(プロムナード)』の一部に、オープンしたアベニュー・オブ・スターズ(星光大道)を訪れる。

九龍半島の最南端、海辺のプロムナード。尖沙咀(チムサーチョイ)の時計台からホテル・ニッコー付近までを結ぶ道で、香港島側の美しい景色が一望できます尖沙咀東部海濱公園を散策する。

1962年に開館した「香港博物美術館」を前身とし、その後1975年に美術館と分割、移転などを経て、1998年に香港政府の出資で17,500平方メートルに規模を拡大、現在地に開館しました。「香港の文化の保存と、発揚」を主な目的とし、有史以前から1997年の中国返還までの民族文化や生活様式などの歴史をわかりやすく紹介しています香港歴史博物館を訪れる。

尖沙咀の中でも、若い人達で深夜まで賑わい、お手頃価格のカジュアルファッションがいっぱいの加連威老道(GRANVILLE ROAD)を訪れる。

『24時間眠らない街』と称される香港の目抜き通り。常に多くの人であふれ、賑やかで活気のある通りを歩けばきっと香港を実感でき、かつて『ゴールデンマイル』と呼ばれたことのあるネオン輝く通り彌敦道(ネイザン・ロード)を訪れる。

1830年代、ビクトリア港が理想的な良港であることが西洋人によって発見されました。その当時、現在にあたる場所は港に面した軍事上の重要地点で、1861年に九龍半島がイギリス軍によって占領された際、ウィットフィールド基地と名づけられました。1970年5月24日、当時の香港総督ディビッド・トレンチ卿によって正式に開かれ、1989年に、当時のロイヤル・ホンコン・ジョッキー・クラブ(現在のホンコン・ジョッキー・クラブ、日本で言うところの中央競馬会)によって3億香港ドル(約46億円)の費用をかけて現在の形にリニューアルされました九龍公園を散策する。

佐敦・油麻地方面に向かう。

下町風情も漂う賑やかな町並み、雑多な看板、専門店、そこで買い物をする人々と、地元の暮らしが伺えるエリア、佐敦・油麻地を訪れる。

ネイザンロードを西に4本入った通りで、地図上の名前は、『廟街『Temple St』なのですが、男性向けのアイティムを扱う露店が多いので、『女人街』に合わせて対照的な通称がつけられました男人街(広東語でナンヤンガーイ)を訪れる。

油麻地(Yau Ma Tei)付近、香港在住の日本人奥様方もクッキンググッズのショッピングに来るという台所用品のショップが集まるエリア、上海街を訪れる。

旺角・太子方面に向かう。

ネイザンロードを挟み、東側には多数の商店街、西側にはショッピングモールがる、ディープでローカルな香港を体験できる旺角・太子を訪れる。

九龍中心を南北に走るネイザン・ロードを挟んで、東西に延びているストリート。どんな時間帯でも、人の流れが激しい旺角にあって『花園街』『女人街』『西洋菜南街』などのお買いものストリートの南の行き止まりに当たり、とても賑やかな通りです。ネイザンロードを挟んで西側は、新宿の歌舞伎町を思わせる!?繁華街で、ピンクのネオンならぬ黄色いネオンが輝きます。反対の東側は、香港B級グルメの定番メニューや台湾式の飲み物、デザートなどのお店が並んでいて、いつも行列がいっぱい。ブティックやショッピングモールもあります登打士街を訪れる

九龍で最もにぎわう繁華街の旺角エリアにあるナイトマーケットですが、正確な通りの名前は『通菜街』で、九龍の中心を走る大きな彌敦道(ネイザンロード)から、東へ2本入ったところにあります。その通りの亜皆老街と交差するところから登打士街に突き当たるまでの1キロくらいの道筋に、びっしりと露店が軒を連ねている女人街を訪れる。

九龍の中心『ネイザンロード』を一本東に入った、広いストリート。両サイドには、電化製品や激安コスメのチェーン店の大型店舗があちこちに見られ、ド派手でビッグな看板がいっぱい。また、連立する雑居ビルの上階には、専門書を扱う書店や、小さいブティック、喫茶店などローカルにしかわからないこまごましたスポットもあります。平日の夕方や休日には通りの一部が歩行者天国になり、ダンスや演劇などパフォーマンスをする人や、商品をコマーシャルする人等で、ますます通りはごった返し、にぎわいは夜遅くまで続く西洋菜南街を訪れる。

有名ブランドからノンブランドのお店まで、スニーカーショップが多数立ち並ぶエリアです。また、スニーカーのほか、今はやりの、トレッキングや、ウォーキングシューズ、また、アウトドア用の商品全般がなんでもそろっている、アウトドア・ファンにはたまらないエリアスニーカー街を訪れる。

花園街のすぐ西隣の道です。金魚や鯉、熱帯魚など観賞用のペット魚やエサや水槽など、それに関するさまざまなショップが軒を連ねています通称金魚街、正式名は通菜街を訪れる。

300mほどの長さの花墟道(Flower Market Rd.)。道の南側にお花屋さんがずらりと並び、歩道にまで売り物の花を並べている様子はなかなかの迫力のフラワー・マーケットを訪れる。

公園があるエリアは、「雀仔街(バード・ストリート)」と呼ばれ、昔から観賞用の小鳥やエサ、鳥かごなどを扱う商店が集まる場所でした。旺角周辺の再開発に伴い、新しく公園が造成されましたが、70あまりあった商店も園内に移転し、営業を続けています。お店の軒先にはいくつもの鳥かごが並べられ、世界各地から訪れる観光客の目を楽しませてくれます。小鳥のさえずりが響き渡る、美しく整備された中国式の庭園は、まさに都会のオアシスバードガーデンを訪れる。

17:20地下鉄太子駅からホテルに戻る。
18:20炮台山駅到着、ホテルにもに戻る。食事を済ませて就寝。

9日7:00送迎バスでホンコン国際空港に向かう。
8:10ホンコン国際空港到達
10:20ホンコン国際空港キャセイパシフィック航空で出発
14:40関西国際空港到達。

今回の旅行、大学生以来、2回目である香港に足を運び、香港タウンをひたすら歩いて観光してきました。

昔の記憶に残る香港と違って、経済成長著しく、、ビクトリアハーバーを挟んで両岸に高層ビルが立ち並び、近代的な大都会に変貌していました。

以前の訪れ時は貧困な地域なのか治安が悪く、あちこちでスリを見かけましたが、今の香港は経済が安定し、治安もよく、住み心地がよさそうです。
物価はいまだ日本の半分ぐらいですが、狭い地に多くの人々が住み、人口密度が大変高いため土地が急騰し3DKのマンションが1億円以上するらしいです。
物価は安いが住まいが課題ですね。

東京の秋葉原、大阪の日本橋ような電気店が密集しているエリアの地区を見かけ、電気店のみならず、スニーカ店、骨董品店、金魚店、はんこ店、調理食器店、フラワー店、バード店、翡翠店、男性のグッズ店、女性のグッズ店、野菜果物の露天店、などの同種の専門店が集合しているエリアが数多く点在しているのが興味深かったです。買い物には便利ですね。

滞在日が少なく、短い時間でしたが2泊3日の香港タウンひたすら歩いて観光楽しめました。次回はもう少し時間を作って香港の郊外、マカオを訪れたいと思います。























飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十四弾:インド観光
2011年12月28日−2012年1月4日
   

日本の約9倍の面積を誇り、人種、言語、文化においても多様な顔をもっており、紀元前2300年ごろに興ったインダス文明が起源とされる歴史も深く、見所も多い、多彩な魅力のあるインドに足を運び、インドの首都、主要なエリアは開発が進むニューデリー、昔ながらの活気が残るオールドデリー、新しいショッピングや世界遺産が点在するサウスデリーに分かれる、デリー、デリーとコルカタの中間に位置する交通の要衝、ヒンズー教の聖地として知られ、ガンジス河の沐浴や祈りの光景は神秘的なバラナシ、バラナシから北へ約10km、ブッダが初めて説法をしたとされる仏教の聖地、19世紀から発掘が始まり、現在は遺跡公園として整備されているサルナート、デリーの南東約350km、9−13世紀に中央インドで盛大な勢力を誇示していたチャンデーラ王国の都として栄えた街、見事な彫刻が施された、世界遺産の寺院群がみどころのカジュラホ、デリーから南東へ約200km、アグラ城、タージ・マハールといった世界遺産がみどころでインド観光には欠かせない街、アグラ、デリーの南西約260kmにあるラジャスタン州の州都、赤い城跡に
囲まれているため、別名ピンクシティと呼ばれるジャイプールを訪れました。

28日13:25関西空港エアインディア315便で出発、香港を経由して
21:35(時差ー3時間30分)デリー、インディラ・ガンジー国際空港到達、送迎バスでニユーデリー市内のホテルに向かう。
バスのトラブルもあり23:50ホテル到達、就寝。

29日8:00バスでホテル出発
8:20インディラ・ガンジー国際空港到達
10:45インディラ・ガンジー国際空港出発
12:05バラナシ空港到達、サルナートにバスで向かう。

12:50バラナシから北北東に10キロメートルの場所にブッダガヤでの成道後、最初の説法(初転法輪)をかつての修行仲間(5名)に対して行われた地サルナート到達、観光。

ブッダ・ガヤーで悟りを啓いたブッダが仏教の説法を行った初転法輪の地、サールナートの遺跡公園の入口には、5人の修行者“五比丘”がブッダを迎えたといわれる場所があり、そこには迎仏塔といわれるチャウカンディ・スツゥーバを訪れる。

サールナート・鹿公園入口の南にあるサールナート一帯で出土した仏像などを展示する博物館考古学博物館を見学。

インド最初の統一王朝であるマウルヤ朝(B.C4世紀末〜B.C2世紀初頭)の全盛期の王、アショカ王(B.C3世紀)は熱心に仏教を保護し、多くの石柱を立てました。そのうちの一つがここにあるアショカ王の石柱を訪れる。

サルナートは、その昔、この地に鹿が住んでいたということで、鹿野苑とも呼ばれます。その鹿公園を訪れる。

グプタ朝時代(4世紀〜6世紀)に建立されたものです。この地で釈迦が弟子に初めて教えを説いたとされています。初転法輪の記念の地に建っているダメーク・ストゥーバを訪れる。

17:00バスでバラナシに戻る。

途中シルク店でショッピング。

18:00インドの人力車リクシャに乗ってガンジス河の畔、ダシャーシュワメードガートで行われる幻想的なプージャ見学。
19:00リクシャ、バスでホテルに向かう。
20:00ホテル到達、夕食を済ませてから就寝。

30日5:30バスでダシャーシュワメードガートに向かう。
6:00ダシャーシュワメードガート到達
6:30ガンジス河の朝日鑑賞ボートクルーズ出発、ダシャーシュワメードガートからマニカルカーガートの区間での沐浴風景など早朝のガンジス河の風景を楽しむ。

7:30下船後、路地の一角にあるヴィシュワナート寺院です。シヴァ神を祀るヒンドゥー教寺院。シカラ(尖塔)が金ぴかなのでゴールデン・テンプルとも呼ばれ、バラナシのシンボルとして参拝者が絶えない寺院を訪れる。

ベナレス市街の南側に大学があります。約100年ほど前に設立され、歴史のある規模の大きな国立大学。
校舎だけでなく、住居、お店、畑などが点在しており、ちょっとした町のような雰囲気。ゴミゴミしたベナレス市内とはうってかわって、緑豊かでのんびりとした雰囲気に包まれたキャンパスには、いくつかの見所がありますベナレスヒンズー大学を訪れる。

ベナレスヒンズー大学内に新しく建てられた寺院はカーストや宗教に関わりなく、全ての人に解放されています。海外からの留学生も多く、日本をはじめ、韓国、アメリカ、イタリア、ケニア、ジンバブエ、ドイツなど世界中から多くの学生がここに学びにやって来ますビシュワナート寺院を訪れる。

真っ赤に塗られたヒンドゥー教の寺院は、猿が多いので別名「モンキー・テンプル」とも呼ばれている。
ドゥルガーとは、破壊神という恐ろしいシバ神の妻・ドゥルガー神のことで、やはり恐ろしい神だというドゥルガー寺院を訪れる。

途中バラートマター寺院を訪れてから、

9:30ホテルに戻り、朝食
10:30バスでバラナシ空港に向かう。
11:00バラナシ空港到達

デリー、インディラ・ガンジー国際空港からバラナシ空港行きの飛行機が霧のため遅延、大幅に出発が送れ
17:20バラナシ空港出発
18:10カジュラホ空港到達、19:00ホテル到着、ホテルで食事を済ませて就寝。

31日7:15バスで出発、世界遺産カジュラホ寺院群に向かう。

カジュラホは9−13世紀に中央インドを統治したチャンデラー王朝の都市、当時85の寺院があったとされるが、現在はおよそ25の寺院が残るのみ。東西・南の寺院群に別れ、特に有名なのは西の寺院と呼ばれる一角で見事な彫刻に覆われた寺院が集まっている世界遺産カジュラホ寺院群を訪れる。

12:15カジュラホをバスで出発
16:45ジャンシー到達
18:11ジャンシーインド特急車にてアグラに向かう。

20:40アグラ到達、バスでホテル到着、宿泊

1日8:00バスで出発、世界遺産タージマハルに向かう。

インド北部アグラにある総大理石造りの霊廟。ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーン(1592?1666)は妃ムムターズ・マハルに並々ならぬ愛情を注ぎ、かたときも側を離れることはなく戦場にさえ伴うほどでした。しかし、幸福な日々は長くは続かず、妃は14番目の子供を出産した後この世を去ります。王は深く嘆き悲しみ、愛する妻の記憶を永遠に留めるために霊廟の建設に没頭。22年の歳月と一日2万人の労働力をかけて造営したのが、世にも壮大なこの“愛の記念碑”のタージマハルを訪れる。

ヤムナ川岸に建つ、ムガール帝国第3代皇帝アクバルによって1564年から築かれた城です。高さ約20mの無骨な城壁に囲まれていますが、内部には華麗な宮殿やモスクが美しい緑の中に建ち並んでいます。アグラ城ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)は、晩年の第5代皇帝シャー・ジャハーンが息子アウラングゼーブによって幽閉された場所。理由はタージマハール建築での莫大な浪費でした。結局皇帝は塔の中から7年間タージマハールを眺め、その生涯を閉じました。ヤムナ川越しに望むタージ・マハールは美しく、印象的です。そのアグラ城を訪れる。

「ラール・キラー」の赤い城壁と並んで、この寺院のモスクの大ドームと高い塔はムガル時代のデリーを象徴する建造物だった。「ラール・キラー」とこの寺院はタージマハールを建設した皇帝シャー・ジャハーンの命により建てられ、1658年に完成した。このモスクはインドで最大だけあり立派だった。赤い砂岩と白い大理石の組み合わせは美しいジャマーマスジェットを遠方から望む。

ジャイプールに向かう。

アーグラの中心から南西37kmにあるムガル帝国第3代皇帝アクバルが3kmX1.5kmの城壁で囲んで造った都です。当時、跡継ぎに恵まれなかったアクバル帝でしたが、この地に 住むイスラム教聖者シェーク・サリーム・チシュティーが王子の誕生を予言し、翌年その通りに なったため、記念として5年をかけて、ここに新たな都を造り、1571年に首都をアーグラーから 遷都しました。巨万の富と権力が生んだ王宮は、都の中央の丘に壮大な回廊に囲まれている。ムガル帝国はイスラーム王朝でありながら、ヒンドゥー世界の木造建築の要素を取り入れ、赤砂岩を使用して建られた王宮です。城は水不足と猛暑のため、わずか 14年間しか使われず見捨てられ廃墟となった幻の都です。よって王宮は痛みが少なく綺麗に残されています。1986年に世界遺産に登録されましたファティプールシクリを訪れる。

民族舞踏ショウを見ながら夕食、就寝

2日8:00バスで出発、ジヤィブール観光に向かう。

1799年に、ジャイプル5代当主プラタプ・スィン(Maharaja Sawai Pratap Singh)により建てられたジャイプルのシンボル的な建物です。当時、イスラムの影響を受け、外を歩くことができなかった宮廷の貴婦人達が、宮殿から続く細いトンネルを通って風の宮殿に来ては、世間の目に触れることなく街路で繰り広げられる祭やパレードを眺めていたと伝えられています風の宮殿を訪れる。

ジャイプルの北東11kmの丘の上にあり、16世紀にはこの地を支配したカチワーハ家の王国(アンベール王国)の首都となっていました。内装が美しく勝利の間(Jai Mandir、別名:鏡の間)は、壁面に鏡を散りばめた幾何学模様で飾られています。一般謁見の間(Diwan-i-Am)からはジャイプル市街を見渡すことも出来ますアンベール城を訪れる。

ジャイプルを建設したサワーイ・ジャイ・スィン2世によって造られた天文台です。ペルシャやヨーロッパの書物を調べ、中央アジアのウルグ・ベグ天文台なども参考としてインド各地(デリー:1724年、ジャイプル:1728年、ウッジャイン:1737年、バラナシ:1737年、マトゥーラ:1738年)に天体観測儀を集めた天文台を建設しました。規模が大きく観測儀も多く1901年に修復したジャンタル・マンタル天文台を訪れる。

旧市街の中心にあるヒンズーとイスラムの混交建築様式の宮殿。ジャイプルの城郭都市を建設したマハラジャ、サワーイ・ジャイ・スィン2世により1726年に建て始められました。現在も敷地内にはマハラジャの子孫が住んでおり、その住居以外の建物は宮殿博物館として一般に公開されています。展示品は、歴代のマハラジャとその家族等が使用していたものが中心です。膨大な武器コレクション、細密画、象牙、金、青磁器、ガラス製品などジャイプルの王朝風な昔日を物語る品々を見ることが出来ます。またこの博物館には、王子が船で渡英したときに、ガンジスの聖水を入れて運んだという、ギネスブックにも載っている世界最大の銀製の壷があるシティ・パレスを訪れる。

ジャイプルの水がめとして利用されている湖に浮かび、マハラジャの夏用別荘として建てられた宮殿です。ジャイプル旧市街から北東へ約5キロメートルの場所(位置的には旧市街とアンベール城の中間地点)にあるジャル・マハル湖の中に建っています水の宮殿(ジャル・マハル)をバスから望む。
  
13:00昼食

14:30宝石店、インド更紗店立ち寄る。

16:00アンベール城から徒歩で30分ほどの山上にがあります。1036年に出来た要塞で山の下にあるアンベール城ができるまでは、マハラジャが住んでいました。一度も兵火に掛かることが無かったために、よい保存状態です。砲身8m・射程20kmの世界最大の車輪付き大砲(Jaya Vana)も一見の価値がありますジャィンガル要塞を訪れる。

インド家庭を訪問する。

18:30ホテル到達、
19:30夕食、
21:00就寝

3日6:00バスで出発、デリーに向かう。
12:00デリー到達、

デリー観光

奴隷王朝ハルジー朝時代の歴史建築が残るインド最古のイスラム遺跡群、ヒンズー教徒に勝利した記念として奴隷王朝の創始者アイバクと、その後継者イルトゥミシュによって造られた尖塔クトゥブ・ミナールが最大のみどころ、ヒンドゥー教寺院を破壊した石材で造られたイスラム教寺院跡も見逃せない世界遺産クトゥブ・ミナールと複合建築群を訪れる。

13:00中華料理の昼食

14:00広大な庭園に立つ。赤砂岩と大理石のコントラストが見事な建築物。ムガール帝国第二代皇帝フマユーンの霊廟で、ペルシャ出身のフマユーン妃ハージー・ベーガムが建築を指示し1565年の9年の歳月を経て完成した世界遺産フマユーン廟を訪れる。

激戦を極めた第一次世界大戦の戦死者を弔うため、1929年に建てられた門、高さ42mの門柱には9万人に及ぶ戦没者の名前が刻まれているインド門をバスから望む。

1948年1月30日に暗殺された民族運動の指導者マハトマ・ガンジーの慰霊碑が立つラージガートを訪れる。

タージ・マハールを築いたムガール帝国の5代皇帝シャー・ジャハーンが要塞として建築させた優美な城世界遺産レッドフォートを訪れる。

17:00装飾品のショップ、紅茶のショップに立ち寄る。

19:20インディラ・ガンジー国際空港に向かう。
20:00インディラ・ガンジー国際空港到達
23:00インディラ・ガンジー国際空港エア・インディア314便で出発
4日11:50関西国際空港到達

今回の旅行、初めての訪れである広大で世界で2番目の人口の多いインドに足を運び、インド北部の主要な都市を訪れ7泊8日の旅堪能しました。

数多くの世界遺産、歴史の深さを感じる文化遺産、見るものがたくさんありました。

噂では聞いていたインドの国、経済成長が著しいが地方都市はまだまだ発展途上の状態であり、人は多いが、道路は整備されておらずほこりぽく、ゴミが散乱し、動物の排出物が散らばっていました。衛生的に大変問題がある国だと痛感しました。

人間と動物の共存、動物を大事にするインド人、牛、犬、サル、ヤギ、鹿があちこちに出没し交通の妨げにも生じていますが動物を大事にするのか丁寧に動物を避けながら人々は行動していました。

冬のインドは霧が多く、早朝は特に濃霧で飛行機の出発時間の遅延等、交通手段に妨げになること多いです。

一般的にインド人はのんびり気分、交通機関は定刻時に出発は少なく、大概は遅れ勝ち、時間的余裕を持った行動が必要ですね。

アクシデント続出、初日の28日デリー、インディラ・ガンジー国際空港到達後、送迎バスでホテルに向かうとき送迎バスが動かない30分掛けて修理しやっと動いたがスピードがでない、のろのろ運転で走行、又ホテルまでの道のりを間違い、高速道路をバックして側道に入り漸くホテル到着

29日飛行場のエスカレーターに乗っているときエスカレーターが急に動かなくなる。

30日私たちが乗るデリー、インディラ・ガンジー国際空港からバラナシ空港行きの飛行機がデリーで霧のため遅延、大幅に出発が送れたためバラナシ空港からカジュラホ空港に向かう飛行機が5時間遅れで出発。

31日アグラに向かうジャンシーインド特急車の出発が1時間遅れる。

1日ジャイプールに向かうバスが他の車の交通事故で道が渋滞、到着が30分遅れ。アクシデント続出の毎日でした。

まだまだ発展途上国なのか、驚きと面白みのあるインド観光旅行でした。