飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十五弾:茨城県土浦・結城・古河・下館観光
2012年3月31日ー4月1日
 

徳川家ゆかりの水戸、石畳の城下町・古河、紬の里・結城、水郷の町・潮来など、往時の面影を残す町が多い。筑波山や霞ケ浦、奥久慈野の滝など豊かな自然も魅力の茨城県に足を運び、関東の名山・筑波山と、広大な霞ケ浦があり商家の蔵が残る土浦、城下町の面影を残す町が多く室町時代から栄えた古河、土蔵造りの商家や武家屋敷が点在する紬の里・結城、SLの真岡鐵道が走る下館を訪れました。

3月31日13:27新幹線新大阪のぞみで出発、
16:03東京駅到達、山手線で上野経由して
16:30上野駅特急フレッシュひたちで出発予定でしたが強風で遅延、途中の駅松戸で下車し夕食を済ませる。
21:05土浦駅到達、駅付近のホテルで就寝。
4月1日8:00レンタカーで出発、土浦を観光。

土浦城の本丸と二の丸の一部を整備した城址公園。堀に囲まれた城の姿が水に浮かぶ亀に見えたことから、この名が付いたという。櫓門は江戸時代前期の城郭建築で本丸にある櫓門としては関東唯一のもの。亀城公園の東櫓は博物館付属資料館になっている亀城公園を訪れる。

筑波山方面に向かう。

昔から「西の富士、東の筑波」と愛称され、朝夕に山肌の色を変えるところから「紫峰」とも呼ばれている筑波山。男体山と女体山の2つの峰を持ち、古くから信仰の山として栄えてきました。山中には珍しい1,000種以上の植物が群生しており、植物研究の宝庫でもあり、登山・ハイキイングなど年間を通して自然に親しめるのが魅力。また、ロープウェー、ケーブルカーを使えば簡単に山頂にたどり着くことができ、子どもからお年寄りまで、だれもが美しい眺望を楽しめます筑波山を訪れる。

筑波山に鎮座し、伊弉諾尊と伊弉冊尊を祀る神社。男女2神が祀られていることから、縁結びや夫婦和合に御利益があるといわれている。本殿は男体山と女体山の山頂にあり、中腹の拝殿は遥拝所となっていて、筑波山登山の起点でもある。近くには筑波山梅林があり、早春には多くの人で賑わう筑波山神社を訪れる。

下館方面に向かう。

地域交流センター内にある地域密着型の美術館。地元出身の陶芸家・板谷波山や洋画家の森田茂の作品を中心に、地域にゆかりのある作家の作品を収集展示。波山作の『彩磁菊花図額皿』や森田茂の油彩画『黒川能』、人間国宝の漆芸家・大西勲の作品などが鑑賞できるしもだて美術館を訪れる。

陶芸家で初めて文化勲章を受章した、筑西市出身の板谷波山の記念館。自ら築造した三方焚口倒炎式丸窯や作品、資料を見学できる。波山の作風は、力強い中にも花など繊細な風物をとり込んだ、剛と柔の融合が特徴の板谷波山記念館を訪れる。

結城方面に向かう。

はるか悠久の昔から麻や木綿の産地だった結城市。現在も昔ながらの工程を経て織り上げられる結城袖は、国の重要無形文化財の指定を受けている。織りの様子を見学できる観光スポットも多く、織り体験も楽しめる。小ぢんまりとした市内中心部には歴史を感じさせる古社寺が点在し、今も多く残る木造の建物や蔵がしっとりとした佇まいを見せている結城を訪れる。

浄土真宗本願寺派の寺院。評定衆として幕府にも参加した結城家初代・朝光が、親鸞の高弟・真仏を招き開基。寺号の稱名寺とは、朝光が出家して親鸞に賜った法名に由来するという。親鸞の直筆といわれる「往生要集」の断簡、朝光肖像画や木像、御霊屋門、二条門など数々の文化財を所蔵。大きな銀杏の木と親鸞聖人の銅像がある境内の奥には、初代朝光から四代時広までの墓がある称名寺を訪れる。

古河方面に向かう。

1920年(大正9)築の石蔵を改装した、篆刻専門の美術館。古河出身の作家・生井子華の作品を常設展示している篆刻美術館を訪れる。

永井路子、小林久三、佐江衆一、和田芳恵、粒来哲蔵、粕谷栄市、沖ななもなど、古河ゆかりの小説家・詩人・歌人・児童文学者の関係資料を展示。別室では、幼児雑誌の金字塔ともいえる「コドモノクニ」の原画を含む資料を見ることができる古河文学館を訪れる。

桃の花の名所として知られるおよそ25万平方mの広大な敷地の総合公園、園内には足利成氏の古河滞在中の別館だった古河公方館跡や延宝2年(1674)頃建築された旧中山家住宅などの史跡もある。また、2000年前の地層から発見された古代ハスの種を発芽させた「大賀蓮」や、3月中旬〜4月上旬には2000本もの花桃など、季節の花も楽しめる古河総合公園を訪れる。

常総方面に向かう。

戦国時代末期、北条氏の北関東進出拠点として築かれた逆井城。豊臣秀吉の小田原征伐により廃墟となったが、現在でも外壁と土塁が残る。当時、二階門と呼ばれていた櫓門を発掘調査を元に復元するなど、主殿や二層櫓がある公園内は戦国時代にタイムスリップしたようだ。園内では春になるとソメイヨシノのほか、一重でピンク色の花びらが可憐な地元生まれの桜・紅猿島も楽しめる逆井城跡公園を訪れる。

茨城県最大の自然環境保全地域「菅生沼」のほとり、約16万平方mの広大で豊かな自然の中にある県立の自然博物館。館内では46億年前の地球の誕生や生物進化をはじめ、宇宙、自然・生命の仕組みや環境をジオラマや映像、さわれる標本等を使って判りやすく解説する。シンボルとして体長9mの松花江マンモスや体長26mのヌオエロサオルスの全身骨格標本(複製)も展示される。自然観察ができる野外施設を併設し、貝化石の発掘などの体験もできるミュージアムパーク茨城県自然博物館を見学。

15:00土浦に戻る。
16:05土浦到達。
16:23土浦駅特急フレッシュひたちで出発、上野山手線経由で
17:15東京駅到達。
17:47東京駅新幹線のぞみで出発
20:23新大阪駅到達。

今回の旅行、3回目の訪れである関東の茨城県に足を運び、広大な霞ケ浦があり商家の蔵が残る土浦、関東の名山・筑波山、、SLの真岡鐵道が走る下館、土蔵造りの商家や武家屋敷が点在する紬の里・結城、城下町の面影を残す町が多く室町時代から栄えた古河を訪れ比較的マイナーで地味ではあるが茨城県の西部のエリアドライブ観光楽しめました。

今回でほぼ茨城県は制覇できました。

  









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十四弾:香川県瀬戸内海諸島女木島・男木島&粟島・志々島観光
2012年3月24日ー25日
  

四国の北東部、瀬戸大橋により本州と結ばれた日本一小さな県、香川県に足を運び、備前瀬戸に点在する鬼が島とも呼ばれる女木島、映画の舞台になった灯台が佇む男木島、水軍ゆかりの地で、無人島を含む大小28の島からなる塩飽諸島の粟島・志々島を訪れました。


24日12:30車で出発、近畿中国山陽瀬戸中央高松自動車道経由して
16:00善通寺インター下車、善通寺駅付近のホテル到達、到達後繁華街散策し食事を済ませて就寝。

25日5:30車で出発、須田港方面に向かう。
6:10須田港到達
6:20須田港粟島汽船で出発
6:35粟島港到達、船を乗り換え
6:55粟島港出発
7:25志々島港到達、散策する。

詫間港の北西5.5kmの海上にある標高100m余りの島。 島の頂上まで開墾され、良好な漁場にも恵まれて明治以降漁業も繁栄してきた。しかし、高度経済成長に伴い次第に衰退し、200戸1000人を数えた住民も昭和30年代から激減、今では、40人足らずとなった。現在は花き栽培が営まれている。島名は十握剣(とつか)を納めて神霊島、また京都の紫宸島、また西行法師が行脚の途中でこの島を見て「獅々に似たる島」として獅々島と名付けたといわれている志々島を散策する。

この島の自慢は樹齢1,200年といわれる大楠木。県指定の天然記念物になっている。 映画「男はつらいよ寅次郎の縁談」(平成6年)のロケ地になり、また平成16年の映画「機関車先生」(伊集院静原作、廣木隆一監督、音楽:井上揚水)のロケ地にもなりました。

8:50志々島港出発
9:05粟島上新田港到達、粟島を散策する。

地図を見ても分かるように、もともと3つの島が砂州で繋がって一つの島になったようです。浦島太郎伝説は国内でもいろいろな所に残されていますが、伝説の亀の霊が祭られているという亀戎社(かめえびすしゃ)や乙姫が身を寄せたと言われる姫路などが伝説ゆかりの地です。詫間町の庄内半島の先端は昔は浦島と呼ばれていた島になっており、浦島太郎伝説ゆかりの名所がたくさんあります粟島を散策する。

粟島海洋記念公園内にある、海の宿らしく船をイメージした建物。明るくゆったりとしたエントランスホールや浴場があり、周辺にはテニスコートやキャビンも整備されているル・ポール粟島を訪れる。

明治30年、粟島に誕生した日本初の海員養成学校校舎跡。昔の船舶機器や模型など多くの資料を展示。庭に設置された古い錠や艦鍵もノスタルジック。映画「機関車先生」のロケ地にもなった粟島海洋記念館を見学。

11:15粟島港出発
11:30須田港到達、車で高松港に向かう。
12:30高松港到達
14:00高松港フェリーで出発、女木島に向かう。
14:20女木島港到達。

高松市の北約4kmに浮かぶ島。 北部が円錐形、南部は緩やかな溶岩台地になっており、中央部の東西側に集落がある。就業者は、第1次産業が半数強、次いで第3次産業が4割弱。島の中腹に巨大な洞窟があることから、別名「鬼ケ島」と呼ばれ多数の観光客で賑わう。 白砂青松に恵まれた美しい島なので、夏には海水浴客も多い。源平合戦で那須与一が射た扇のこわれた残りが流れ着いた、ということから「めぎ(めげた=こわれたの意)」という島名がついたともいう女木島を散策する。

桃太郎伝説を残す大洞窟は、島の中央、鷲ケ峰の中腹にぽっかり口をあけています。広さ4,000平方m・奥行き450mに及ぶ大洞窟で、洞窟の中は夏でもひんやり。約186uもの大広間や居間、婦女子の監禁室、溜井戸の跡、番人の控室まであり、何やら怪しげな気配。暗がりの中から鬼たちの哄笑が聞こえてきそうな女木島大洞窟を訪れる。

島の集落には,民家の屋根まですっぽり覆うほどの高さの石垣「オオテ」が防風防潮用に築かれ、独特の島風景を描きだしています。写真愛好家や画家たちの創作意欲を刺激するノスタルジックな島の暮らしがあります。

世界の七不思議,イースター島のモアイ像。女木島のモアイ像は,高松市に本社を置く建設重機メーカーが,イースター島のモアイの再建時(1995年)吊り上げテスト用に使った模刻像で,高松市に寄贈されたものです。

16:20女木島港出発。
16:40男木島港到達。

鬼ケ島から船で20分で男木島へ。段々畑のように密集する民家の間を縫って連なる石段は、瀬戸の小島ならではの風情。島の最北端に立つ男木島灯台は、映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になったところで、明治の洋風建築の宿舎跡は、灯台資料館として活用され、ノスタルジックな気分を誘います男木島を訪れる。

 島全国でも珍しい灯台資料館で、館内では、全国・瀬戸内海の主な灯台の位置、海上保安庁の役割り、男木島灯台の仕組みなどを説明したパネル、電光掲示をはじめ、模擬灯台からの沖の風景、そして男木島の歴史・生活・観光の紹介、また映画のことなど幅広く説明しています男木島灯台資料館。 

男木島遊歩道上に位置し,男木島の観光名所である桃太郎伝説で鬼の副大将が逃げ込んだと言われている洞窟「ジイの穴」や,高松市指定文化財・天然記念物の通称タンク岩を見ることができます男木島水仙郷。 

17:00男木島港出発。
17:40高松港到達。

今回の旅行、四国の香川県の瀬戸内海に点在する離島に足を運びました。

粟島、女木島、男木島はヨット&クルーザーで訪れたことはありますが島の観光は今回初めてです。

女木島、男木島は家並も多く、村の人々もそこそこおられますが粟島・志々島は数十人の人口でほとんどお年寄りとのことです。この地区も過疎化が起こっていますね。日本の離島に共通する現象です。

素朴で自然いっぱいの癒し系の離島観光旅行でした。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十三弾:フィリピンマニラ観光
2012年3月18日ー20日
   

東洋の真珠といわれ、7000以上の島からなる共和国、面積が約30万キロ平方メートル、人口が約8310万人、95%がマレー系のフィリピンに足を運び、フィリピンの首都で最大の都市、高級ホテルやショッピングセンターが立ち並び、ひっきりなしに車や人々が行き交じり、又イントラムロスには歴史的建造物が点在するマニラを訪れました。

18日10:10関西空港フィリピン航空で出発
13:40フィリピンマニラ到達、友人の車ででメトロマニラのホテルに向かう。
14:30メトロマニラホテル到達、繁華街を散策する。
18:00夕食を済ませてからカラオケバーに招待される。
21:00ホテル到達、就寝。
19日10:00マニラを観光を友人の自動車で巡る。
イントラムロス方面に向かう。

マニラの中心部に位置する、緑豊かな公園で、その名はフィリピン独立運動の指導者、ホセ・リサールに由来している。総面積は58万km2もあり、敷地内には池や子供の遊園地施設、さらに日本庭園もある。公園東端はアグリフィナ・サークルと呼ばれ、政府観光省、財務省、少し離れてマニラ水族館があり、西はマニラ湾まで続いていて、湾に沈む夕日が美しいことでも有名なリサール公園を訪れる。

リサールは1861年、ルソン島ラグナ州のカランバで、富裕なメルカド家の7番目の子供として生まれた。サント・トーマス大学で詩・医学・哲学を学んだ後21歳でスペインに留学。そこで自由な思想と新しい理念を学んだリサールは、処女作「ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)」を著し、スペインによる祖国への弾圧を批判しフィリピン人自身による改革を訴えた。その後スペイン政府によりミンダナオ島に流されるなど、激しい弾圧を受けながらも活動を続けるが、1896年フリピン革命が起きると先導者として逮捕され、12月30日に銃殺刑に。公園入り口の正面に位置する記念碑は彼の処刑跡で、その地下には遺体が埋葬されており、警備員によって常時警護されているリサール記念碑を訪れる。

マニラ最大の観光スポット。1571年に初代総督レガスピが外敵の侵入を防ぐために建造した城砦都市跡。外壁が全長4.5km、内面積約64haのイントラムロスはスペイン語で「壁に囲われた街」という意味で、城壁内には、総督官邸をはじめ病院、大学、教会、修道院などが立ち並び、それらはスペイン文化の影響を受けたロマネスク風建築であった。そのほとんどは度重なる戦争で破壊されたが、戦後から徐々に修復、再現され、スペイン統治時代の面影をいまに色濃く残す地区として、多くの観光客を集めている。北側に位置するサンチャゴ要塞と、南のカーサマニラ周辺にに見どころが集まっているイントラムロスを訪れる。

1571年から150年もの年月を費やして作られた、イントラムロス北西に残る要塞跡でマニラ湾の動向が容易に視認できる位置に築かれている。スペイン統治以前も外敵を防ぐ重要な砦であったが、スペイン時代に本格的な軍事要塞として補強された。アメリカ統治時代には軍司令部、第二次大戦中は日本憲兵隊本部が置かれ、地下には捕虜収容所となっていた地下牢の跡も残っているサンチャゴ要塞を訪れる。

サンチャゴ要塞中央の広場には、フィリピンの国民的英雄ホセ・リサールが1896年12月30日にスペイン当局によって処刑される直前まで幽閉され、遺書を書いたといわれる記念館がある。その時書かれた有名な遺書が、別れの詩「Mi Uitimo Adios-わが最後のわかれ」。館内には、リサールの多彩な経歴を物語る多くの遺品が展示されている。室内の壁には白井勢似子という和服姿の日本女性の肖像画が掛けられているが、この女性は彼がヨーロッパへの渡航途中に滞在した日本で恋に落ちた人だといわれていますリサール記念館を訪れる。

マニラ大司教が本拠を置いており、マニラで最も重要な教会とされる1581年に竹で創建されて以降、台風や地震、戦争などで、破壊と再建を繰り返し、現在あるのは1958年に再建された6代目。その再建に関してはバチカンからの援助があったといわれている。彫刻やステンドグラスの美しさも一見の価値があるが、中でも見逃せないのがアジア最大といわれるパイプオルガン。ローマ広場に面し、ベルタワーはイントラムロスのランドマーク的存在のマニラ大聖堂を訪れる。

イントラムロス内にあるフィリピン最古のバロック様式の石造教会。戦争や地震による破壊を免れ現在に当時の姿を残している。創建は1587年で、基礎工事から完成までに20年を要したといわれている。14ある礼拝堂はそれぞれの天井にイコンが描かれ、当時のシャンデリアやステンドグラスが残っている。古い修道院を利用した博物館も併設されている。世界遺産のサン・オウガスチン教会を訪れる。

フィリピン国有鉄道のマニラ市パコ駅の前に「プラザ・ディラオ比日友好公園」という小さな公園があり、その中に高山右近の銅像が立っている。右近は安土桃山時代の大名で、キリスト教信仰の為に秀吉や家康に迫害され、マニラに追放された。当時パコにあるプラザ・ディラオには3000人以上のに日本人がいて、右近は敬虔なクリスチャン大名としてマニラにも知れ渡っており、スペイン総督をはじめ地元要人の大歓迎を受けた。しかし右近はマニラ到着40日後には熱病に侵され、一ヵ月半のイントラムロス暮しの後、63年の生涯を終えた。銅像はマニラ市美化婦人委員会によって1977年に設置された高山右近像を訪れる。

マカティ方面に向かう。

1960年に太平洋戦争で命を落としたアメリカ兵のために整備された。広大な土地に白い十字架が整然と並び、17,206人のアメリカ人が眠っている。アメリカ本土以外では、最大規模の米人墓地。墓地中央には記念館があり、戦争の記録や資料があるアメリカ記念墓地を訪れる。

20日11:30ホテルを友人の車で出発、マニラ空港に向かう。
12:00マニラ空港到達
14:40マニラ空港フィリピン航空で出発
19:20関西空港到達。

今回の旅行、治安に不安感じていてなかなか訪れられなかったフィリピンマニラにようやく足を運びました。
運よくフィリピン人親子に知り合いができ、この方の案内でマニラを安全に且つスピーディに巡ることができました。

1日目はマニラの飛行場に迎えに来ていただきホテルに直行、その後マニラの繁華街を散策し、レストランを紹介していただき、後にカラオケバーで楽しんでからホテルに戻り就寝。
2日目はメトロマニラに点在する数多くの名所を車で案内していただき、夕食はハーバービューレストランで食事を済ますことができました。
3日目もホテル周辺を散策し昼ごろにマニラ飛行場に送っていただきました。

今までの旅行と違った海外旅行、日本人は目立ちやすく狙われやすい、日本人が一人で散策するには危険いっぱいのマニラ観光、地元の方のエスコートで安全で問題なく楽しく観光旅行できました。

日本でたくさんの友達を持つだけでなく世界中にも多くの友達を持つことが大事だと感じた旅行、今までの旅行とは全く違った地元の方のエスコートでの2泊3日フィリピンマニラ観光旅行楽しめました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十二弾:東京都北多摩観光
2012年3月10日ー11日
    

1893年に神奈川県から東京府へ移管された多摩エリアに足を運び、都心からアクセスもよく古くから残る希少な自然や趣深い史跡が多くみられるのと同時に、近代的なアミューズメント施設やおしゃれな商業施設なども発展してきた新旧の魅力が混在する北多摩を訪れました。

10日13:37新大阪新幹線のぞみで出発
16:13東京駅到達、中央線で国分寺経由して西武国分寺線で
17:19東村山駅到達、レンタカーで久米川駅付近のホテル到達、街を散策し食事を済ませて就寝。

11日6:00レンタカーで出発
東村山市をめぐる。

野火止用水にケヤキが勢いよく根を伸ばして橋のように流れをまたいでいるのケヤキ、昔はケヤキの根を実際に橋として利用していました。昭和49年にはケヤキの木が「市の木」になりました万年橋のケヤキを訪れる。

1655年(承応4年)川越城主松平伊豆守信網の命で、野火止台地や武蔵野台地のかんがい用水として造られた。別名伊豆殿堀ともいわれる。玉川上水を小川村(小平市)で分水し新座市野火止めまで約20kmの用水である。周辺は武蔵野の雑木林が多く残り市民の憩いの場となっている野火止用水を訪れる。

正福寺は金剛山と号し、鎌倉の大本山建長寺末に属する臨済宗のお寺です。境内の地蔵堂は都内唯一の国宝木造建造物です。鎌倉の円覚寺舎利殿とともに禅宗様建築の代表的遺構で、昭和9年改修の際に発見された墨書銘により、室町時代の1407年(応永14年)建立とされています。回堂内には江戸時代の地蔵信仰により、多くの小地蔵尊像が奉納されている。毎年9月24日一般公開。また正福寺は北条時宗が建立されたと伝えられている正福寺 地蔵堂(国宝)を訪れる。

狭山丘陵を背景にした自然公園で新東京100景に選ばれています。公園面積約5.3ha。豊かな水と緑に囲まれ四季を通じて花が楽しめます。中でも初夏に咲く170種100,000本の花菖蒲は多くの観光客の目を楽しませている。
周辺には果樹園や手打ちうどん屋がある北山公園菖蒲苑(新東京100景)を訪れる。

縄文時代、古墳時代、奈良・平安時代の数多くの遺構・遺物が発見された遺跡です。特に今から3,500年前の縄文時代後期の川の流れ跡見つかり、そこから水辺の施設や、たくさんの縄文土器、石器、弓などの木の道具、シカやイノシシの骨、当時の木の実等貴重な資料が見つかっています。このため当時の生活や自然環境などを具体的に復元することのできる貴重な遺跡です下宅部遺跡を訪れる。

標高89.4m。東西1.5km、南北100mから300m。面積39.1ヘクタール。その頂きから上野・下野・常陸・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の八国の山々が見渡せたことからその名がついたとされます。良好な自然環境が残されており野鳥、昆虫、野草の宝庫です。また、「となりのトトロ」の舞台となったことでも有名です
八国山緑地(トトロの森)を訪れる。

臨済宗大徳寺派で1616年(元和2年)に壁英禅師による中興開山と伝えています。国の重要文化財である元弘の板碑を始めとして多数の板碑や多くの考古・民族資料を収集し、「ちらかし寺」と呼ばれました徳蔵寺板碑保存館を訪れる。

清瀬市方面に向かう。
清瀬駅から市役所にかけて伸びるけやき通り沿いに、国内外の彫刻家が制作した約30点の作品が展示されるキヨセケヤキロードギャラリーを通過する。

柳瀬川脇に親水型公園として整備され、野鳥観察で知られる金山緑地公園を訪れる。

歴史・民俗・映像展示室のほか民家風の伝承スタジオもある。「見て体験して新たな市民文化の創造を」という主旨に沿ったコーナーにわかれている清瀬市郷土博物館を訪れる。

東久留米市方面に向かう。

無数の孟宗竹に囲まれ、園内はいつも静寂に包まれています。冬の寒い季節の雪が積もった風景も、水墨画の世界みたいでお薦めです。新東京百景の一つに選ばれています竹林公園を訪れる。

昔ながらの武蔵野の雑木林につつまれ、清冽な湧き水が一年中枯れることなく、こんこんと地表に溢れ出ている場所です。真夏でも、この周辺は涼しく感じられ、湧水からなる小川で遊ぶ、元気な子供たちの声が聞こえてきます。また、ホタルを呼び戻す活動も行われています南沢緑地保全地域を訪れる。

学校法人自由学園の建造物5件が「東京都選定歴史的建造物」に選定されています。これは、良好な景観造りを推進することを目的とした「東京都景観条例」に基づき選定されたもので、15年2月末日時点で都内55カ所が選定されています学校法人自由学園を訪れる。

桜並木が公園を取り囲むように続いていて、4月の花見時期には、多くの人でにぎわいます。散策や語らいにピッタリの公園、白山公園を訪れる。

西武池袋線沿いの東南に面した、緩やかな傾斜地にある眺望に優れた公園です。この公園から夕焼けに染まった空を見ると、なんだか感傷的な気分になってくるようです。日当たりが良く、寒ーい日の日向ぼっこには、うってつけの場所です小山台遺跡公園を訪れる。

西東京方面に向かう。
創建が鎌倉時代と伝えられている田無神社は、本殿、拝殿が東京都文化財に指定されています。黄葉が美しいイチョウがある境内では、わんぱく相撲田無場所や青空骨董市などが行われます田無神社を訪れる。

明治8年、3寺が合併して創建されたお寺で、関東三十六不動霊場の第十番札所に数えられ、新東京百景にも選ばれています。立派な山門と大きなケヤキのある境内では、だるま市、梅の市などが行われます田無山総持寺を訪れる。

昭和4年に、京都の社伏見稲荷神社の分霊を遷して創建されました。新東京百景に選ばれています東伏見稲荷神社を訪れる。

地上195メートルの鉄塔は、平成元年(1989年)2月に郵政省(現総務省)からマルチメディアタワー第1号として認定を受けました。鉄塔のライトアップの色は、タワー周辺地域の翌日午前中の天気予報になっています(紫色:晴れ、緑色:曇り、青色:雨)スカイタワー西東京を訪れる。

高さ195メートルのスカイタワー西東京に隣接すし、西東京市など近隣5市が共同で設置した拠点的生涯学習施設です。世界最大級のドーム(サイエンスエッグ)では、プラネタリウムや全天周映画が楽しめます多摩六都科学館を訪れる。

昭和46年に流れが止まりましたが、先に復活した玉川上水から分取して、平成元年3月に清流が復活しました。上水沿いにはケヤキ並木等があり、新緑、紅葉も楽しめます千川上水を訪れる。

小平市方面に向かう。
小平の地は、江戸時代初期の玉川上水の開通にともなって開発が行われた新田村落。かつてのおもかげを後世に伝えていくために、「小平ふるさと村」は建築された。「小平ふるさと村」は江戸初期から中期の建物を復元した開拓ゾーン、江戸後期の建物を復元した農家ゾーン、明治以降の近代ゾーンと各時代の建物が並んでいる。ここをおとずれると、昔の小平へ小さな時間旅行を楽しむことができる小平ふるさと村を訪れる。

徳川幕府が開かれて50年、江戸の人口増によって新たな水源が必要となった。そのため承応2年(1653年)に松平伊豆守を総奉行として多摩川から水を引く工事が行われた。これが羽村から四谷大木戸までの43キロメートルに及ぶ玉川上水で、玉川兄弟によって開削された。この水は江戸の飲料水として使われたほかに、田畑のかんがい用水にも使用され、武蔵野台地の開墾に役立った。昭和40年に飲料用としての役目を終え、空堀りとなっていたが、昭和61年に清流が復活し、現在に至っている。用水の両岸は樹林に覆われ、グリーンロードとして親しまれている。特に小平監視所から小金井公園にかけては絶好のウォーキングロードとなっている玉川上水(グリーンロード)を訪れる。

小平市の公共下水道の普及率が100%を達成したことを記念して平成7年に開館。地上部は2階建てだが、地下は5階まであり、下水道の仕組みや歴史、小平市の水事情などをわかりやすく解説している。地下5階からは、地下25メートルにあり、現在実際に使用されている内径4.5メートルの下水道管に入ることができる。下水の色やにおいなどを体感できる貴重な施設のふれあい下水道館を見学。

日本を代表する彫刻家、平櫛田中翁は晩年の10年を玉川上水の緑豊な小平の地で過ごされた。その館が展示館として昭和59年に開館された。方形の大きな屋根を特徴とする和風建築で国立能楽堂の設計で知られる建築家大江宏氏の設計で昭和44年に建てられたもので、別名「九十八叟院(きゅうじゅうはっそういん)」とも呼ばれている。翁が慈しんだ庭園には四季折々の花が咲き、訪れる人の目を和ませてくれる平櫛田中彫刻美術館を訪れる。

東大和市方面に向かう。
承応4年(1655)に当時の川越城主松平信綱により、玉川上水から分水して作られた用水路。昭和48年(1973)、水事情の悪化により流れが途絶えたが、昭和59年(1984)に清流が復活した。用水沿いの緑地では散策が楽しめるほか、毎年5月中旬から6月上旬にかけてホタルの観賞ができる野火止用水を訪れる。

「狭山丘陵とくらし」をテーマとした博物館で、常設展示室では市の歴史、民俗、狭山丘陵の自然を紹介しており、プラネタリウム(有料)の投影、自然観察会、星空観察会、史跡めぐりなどの行事を行っている東大和市立郷土博物館を訪れる。

東大和市のシンボルであり、東京都民の水がめとしての機能を有する湖で、中央の堰堤をはさんで上貯水池と下貯水池に分かれている。新東京百景や東やまと20景、ダム湖百選にも選ばれ、花見・新緑・紅葉・雪景色と四季を通じて憩いの場となっている。また、周囲は西東京市から延びる多摩湖自転車道が整備され、サイクリングや散策が楽しめる多摩湖(村山貯水池)を訪れる。

16:00東村山駅到達。国分寺を経由して
17:15東京駅到達
17:30東京駅新幹線のぞみで出発
20:05新大阪駅到達。

今回の旅行、東京の多摩地区に足を運び、自然と史跡が点在している北多摩エリアを訪れました。
奥多摩から始まって多摩地区は4回目、ほぼ制覇できました。
次回は東京区内を訪れたいと思います。



 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十一弾:山口県柱島群島観光
2012年3月3日ー4日
   

山口県の瀬戸内海に位置する柱島群島に足を運び、漁業が盛んで、自然とのんびりさがいい島、猫密度が高いの有名な端島、標高262mの金蔵山を中心に斜面が海岸線まで続き、東側に集落があり、近海での漁業と畑作やみかんの栽培などの半農半漁で、釣りなどで訪れる人が多い柱島、南側の樫山を最高点として全体的に山がちで平地は少なく、海岸線は岩場が続いており、農業は振るわず、漁業を中心とした生活が営まれてれている黒島を訪れました。

3日13:29新大阪新幹線のぞみで出発
14:45広島駅到達、山陽線で岩国に向かう。
15:06岩国駅到達、バスで錦帯橋に向かう。
15:35錦帯橋到達、散策する。
17:10錦帯橋バスで出発
17:40岩国駅到達、繁華街を散策し、居酒屋で食事を済ませて岩国港手前のホテル到達、就寝。
4日7:00岩国港に徒歩で向かう。
7:40岩国港高速艇で出発
8:31端島港到達、散策。

北にタコウ山(102m)、南に見壁山(むかべやま)(128m)があり、その間の平坦なところに集落があります。主に漁業が中心で、タイ、トラフグ、メバル、カレイなどが水揚げされています端島を散策する。

漁港と小学校の間にある。立派な石鳥居がたっている端島神社を訪れる。

小学校の手前の坂を上ったところにある。桜の季節には桜が咲き並び大変美しい景観となる桜並木を訪れる。

桜並木を少し登ったところに池がある。多少塩分を含んでいて、蛇の池は平郡島の蛇の池と底が続いているという伝説がある蛇の池を訪れる。

10:51端島港高速艇で出発。

10:59柱島港到達、散策。

北は広島県の倉橋島、南は山口県の屋代島、二つの大きな島の間にはいくつもの小島が点在しています。そしてそのほぼ中央に位置する島、柱島を散策する。

集落の外れにあり島の産土神として古くから信仰を集めてきた神社ですが、御神体には神武天皇をはじめ88柱の神々が祀られています。時代とともに色々な神が合祀されていったのかもしれません賀茂神社を訪れる。柱島という名はこの御柱の多さから名付けられたと言われています。

中世になると瀬戸内海では水軍が勢力を振るうようになり、柱島は長い間その拠点となっていたようです。島の頂上に水軍の城があったと言われていますが、今ではその痕跡はほとんど残ってはおらず、付近には太平洋戦争当時の見張り塔の跡や貯水槽が残されています。

島の南端の洲鼻に塔があります。昭和18年6月8日12時10分、戦艦陸奥が柱島南西沖約2kmの地点で謎の爆沈を遂げ、1,121人の犠牲者を出すという事件が起きています。この時多くの遺体が洲鼻や続島に流れ着き、事実が敵方に漏れないように秘密裏に荼毘に付されたと言います。後に柱島の人達が残された遺骨を拾い、犠牲者を悼んでこの地に墓を建てたものの戦艦陸奥英霊の墓を訪れる。

港から南へ向かう坂道を少し登った所にある西栄寺には赤禰武人の墓が残されています。赤禰武人は高杉晋作の奇兵隊でも活躍した長州藩士で尊皇攘夷の活動家でしたが、高杉などの倒幕急進派と対立、そして幕府のスパイとの嫌疑をかけられ長州藩によって処刑された人物です。武人はこの島で育ち、この島に潜伏しているところを捕らえられ山口市の出合河原において斬首されています西栄寺を訪れる。

14:15柱島港高速艇で出発
14;38黒島港到達、散策。

桂島群島に属し周防大島(屋代島)の北約7km、岩国港の南南東約23kmに浮かぶ漁業の島です。無人島の時代が長く、江戸時代に牛の放牧地として利用されるようになった後、天保11年(1840)に桂島からの移住で開拓が始まったと言われています黒島を散策する。

毎年7月中旬には大漁と安全を祈願して島民総出の三島神社大祭が催されます三島神社を訪れる。

三島神社の近くにあり、昭和20年の終戦間際に空襲を受け亡くなった島民19人の御霊を供養するためのものです。犠牲者の大半は幼児を含む子供達でした供養塔を訪れる。

16:38黒島港高速艇で出発。
17:14岩国港到達、歩いて和木駅に向かう。
17:38和木駅出発。
18:28広島駅到達。
19:06広島駅新幹線のぞみで出発。
21:30新大阪駅到達。

今回の旅行、山口県の瀬戸内海沖に点在する柱島群島に足を運び、戦艦陸奥で有名な柱島、自然豊かな、素朴な島、端島・黒島を訪れ、都会から逃れ癒されました。

ほとんどの離島は人口が減り過疎化し、学校も閉鎖、住民のほとんどがお年寄り、近い将来、離島に住む人がなくなるのではないかと心配するさまです。

都会の雑踏からのがれ、自然いっぱいの素朴な癒し系の離島観光でした。