飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十九弾:モロッコ観光
2012年4月28日ー5月5日
 

ベールをかぶった神秘的な女性、メディナ(旧市街)やスーク(市場)の喧騒。アトラス山脈の大自然、果てしなく続くサハラ砂漠、アフリカ大陸の北西部に位置し、チュニジアやナイジェリアと共にマグレブ地方(日の沈む国)と呼ばれ、日の出づる国日本に住む私たちにとって遠く、そして魅惑に満ちた国といえるモロッコを訪れました。

28日23:40関西国際空港エミレーツ航空で出発。
5:10ドバイ到達、乗り継ぎで
29日:35ドバイエミレーツ航空で出発
11:55モロッコカサブランカ到達、バスでカサブランカ観光。

モロッコの玄関口で最大の都市、近代都市とモロッコの古い文化が交じり合うモロッコ観光の出発地点にふさわしいカサブランカを巡る。

大西洋沿岸に、今やカサブランカのシンボルであり、1986年から8年がかりで1993年に完成したモロッコ最大、世界で5番目に大きいモスク、ハッサン2世モスクを訪れる。

噴水のある大きな広場、広場の隣には市庁舎、裁判所、そして広場を囲むように中央郵便局PTTやシティホール、劇場など町の中枢機関が集中しているムハンマド5世広場を訪れる。

バスでマラケシュに向かう。
20:30マラケシュ到達。

北から、大西洋岸から、そしてサハラ砂漠から、あらゆる土地の人々がやってくる。集う人間も、売買される品物も、交わされる情報も、あまりのバラエティ豊かで、その数もあふれんばかりのマラケシュを巡る。

夕方になると屋台が出て、あらゆる大芸能や人並みで毎日お祭り騒ぎになり、モロッコといえばマラケシュ、マラケシュといえばフナ広場というほどの象徴的な光景が見られる場所、ジャマア・エル・フナ広場を訪れる。

21:30マラケシュ市街地内のホテル到着、夕食を済ませて就寝。

30日8:00バスで出発。マラケシュ市街を巡る。

12世のムワッヒド朝時代に造られた広大な庭園、中央に貯水池があり、その周りをオリーブの林が囲んでいる。貯水池に面しているパピリオンは、19世紀に修復されたもので、スタルタンたちのデートスポットでもあったというメナラ庭園を散策する。

昔も今もメディナの西に聳え立つマラケシュのシンボル、クトゥピア・モスクの高さが約77mの美しいミナレット、サハラの玄関に向かって見張り番のように建ち、ナツメヤシの森と旧市街を両方見下ろすクトゥビアを訪れる。

大邸宅の周囲に広大な庭園を巡らし、豪華な個室が並んでいる。アルハンブラ宮殿に負けない芸術作品、周囲の建物は、4人の妃と24人の側女たちの部屋だったというバヒア宮殿を訪れる。

バスでオート・アトラス方面に向かう。

アトラス山脈は、モロッコを大きくふたつの顔に分けている。北側のマラケシュ、フェズといった大都市を城壁とメディナの世界とすれば、南側の地域は、サハラ砂漠へ続くカスバとオアシスの世界である。延々と広がる乾いた大地に点在する、緑豊かなオアシスの村々、静寂、広大さ、解放感のあるオート・アトラスを訪れる。

ワルザザード方面に向かう。

マラケシュからオート・アトラスを越えると、サハラの入り口、何もない広い土漠のなかに、いきなり開ける明るい町並み、ワルザザードを訪れる。

日干しレンガ造りの古いクサル(要塞化された村)の一つで、特別な歴史があるわけでもなく、その現実離れした不思議な風貌は、迫力ある空間芸術といってもいいほど壮観であるアイト・ベン・ハッドゥを訪れる。

ワルザザードは世界中の映画関係者が、ロケ地として今も熱い視線を注いでいる場所、過去にも何本もの有名映画の撮影が知られている。そうしたセットを利用して、見所が登場したアトラス・コーポレーション・スタジオを訪れる。

19:00ワルザザートの市街地内にあるホテル到着、夕食を済ませて就寝。

5月1日8:00バスで出発、カスバ街道走行する。

ワルザザートからティネリールを経てエルラシディアを結ぶ東西のルートをカスバ街道と呼び、カスバとは城壁で囲まれた要塞のこと、この街道沿いには、土レンガで造られた大小のカスバが数多く残っている。

ワルザザートの西8kmほどの所にある美しいカスバ、かつてグラウイ家が所有していた住居で、映画アラビアのロレンスのロケにも使われ、映画の中にこの建物が登場しているティフルトゥトのカスバを訪れる。

かつてはグラウィなる人物が住んでいたカスバで、1990年製作の映画シェルタリング・スカイの舞台になったことで有名なタウリルトのカスバを訪れる。

ワルザザートからダデス谷行きの道は、荒涼とした景観が広がる大地を通り、日によっては横風と砂嵐がひどく、視界が悪くなる。

ダデス谷行きの道にバラ栽培で有名で、近くにはバラ水を蒸留する工場があり、それを売るみやげ物店も多いエル・ケラア・ムグナの村を訪れる。

イミルシルの方面へ内陸に入っていくとダデス峡谷があり、峡谷まではさらに60km以上の距離があり、独特の景観美を誇っているブーマルン・ダデスの村を訪れる。

ワルザザートとエルラシディアのほぼ中間、トドラ川を横切るところにあり、人口1万5000人、もとはワルザザートと同様、フランス軍のサハラ前線基地として造られ、現在は、いまだに伝統的色が色濃く残るこのエリアに住むベルベル人たちの中心的存在としてにぎわう町となっているティネリールを訪れる。

街道沿いの数多いカスバのなかでも、最も大きなものの一つ、マラケシュの司令官だったグラウイの住居でもあったグラウイのカスバを訪れる。

ティネリールの町から、トドラ川の方に道を下ると、そこには切り立った岩壁が立ちはだかる峡谷がある。これがカスバ街道きってのスペクタクルな景勝地、トドラ渓谷を訪れる。

エルフード方面に向かう。

1917年にフランス軍の駐屯地として造られ、基盤の目のような真っ直ぐに道路が通っており、町中の建物もどことなく四角で画一的な印象である、ここはサハラ砂漠への入り口であると同時に、タフィラルトの中心的なオアシスでもあるエルフードを訪れる。

18:30市街地内のホテル到着後夕食を済ませて就寝。

2日4:30 4DWで出発。メルズーガに向かう。

5:30メルズーガ到達、砂丘前のカフェに着く。ラクダに乗って砂漠の日の出を見に行く。
6:32砂丘の上から日の出を鑑賞する。

7:30砂丘前のカフェから4DWでホテルに戻る。
8:00ホテル到着、朝食を済ませて
9:30バスでフェズ方面に向かう。

メクネスとタフィラルト(ズィズ川オアシス地域)エルラシディアを訪れる。
ズィズ渓谷を訪れる。

切り立った雪の山脈アヤシ山が現れ、その山脈を背後に従えた町ミデルトを訪れる。

モワイヤン・アトラス山脈の中腹に、およそモロッコとは思えない町があり、杉の林にうっそうと囲まれ、小川が流れ、池に木漏れ日がきらめく、町は驚くほど静かで美しく、ヨーロッパ風のたたずまいを見せているイフレンを訪れる。

19:00フェズ到達。フェズ市内のホテル到着後夕食を済ませて就寝。
3日7:30バスで出発。フェズ市内観光。

世界一複雑な迷路の町、モロッコ最初のイスラム王朝の都でムーレイ・イドリス1世が興した城壁で囲んだ町フェズを訪れる。

世界で一番大きな迷路といわれ世界遺産に指定され、周囲10km以上といわれる旧市街を歩くと中世の暮らしがそのまま残されておりいまだに車は内部に入ることができず、ロバが貴重な輸送手段となっているメディナを散策する。

フェズ・エル・ジェディドの中央の広大な敷地を占有して、かつてのスルタンの居城であり、スルタンの兵士たちの駐屯地でもあった王宮を訪れる。

メディナの入り口にあるフェズ最大の門、1913年に建造され、外面は幾何学模様に彫刻され、青色や緑色のタイルで彩られているブー・ジュルード門を訪れる。

フェズ川のほとりにあるなめし革染色職人街、スーク・ダッバーギーンを訪れる。

9世紀に、チュニジアのカイルアンから移住した裕福な商人の娘、ファーティマ・フェヘリーヤによって建てられ、祈りの場所から、学問の場所マサドラになり現在大学として登録されているカラウィーンモスクを訪れる。

香料、香辛料、香水などを売る店が集まったスーク、アッタリーン・スークを訪れる。

メディナの北、城壁の外の小高い丘に、マリーン朝のスルタンたちが埋蔵されている墓地、かつては大理石の見事な墓碑が並んでいたマリーン朝の墓を訪れる。

ヴォルビリス遺跡方面に向かう。

メクネスから北に約30km、ゼルフーン山を取り囲む平原には肥沃な大地が広がり、オリーブ、果樹、ワイン畑、常緑樹戸等、緑の絨毯の中にぽっかりと蜃気楼のように現れる古代遺跡、ヴォルビリス遺跡を散策する。
40ヘクタール以上の広大な敷地にすばらしい保存状態を誇る遺跡の一つとして、モロッコにおけるローマ都市の遺構では唯一、ユネスコ世界遺産に登録されている。
ヴィーナスの家、ゴルディニアス帝の宮殿、ディオニソスと四季の家、ヘラクレスの功業の家、騎士の家、ギリシア青年の家、カラカラ帝の凱旋門、デザルターの家、フォーラムとバジリカ、キャピトル、ガリエヌス帝の浴場、オルフェウスの家を訪れる。

メクネスから北へ約22km、なだらかな丘陵地を上っていくと、ザルホーン山にへばりつくように白い家並みが広がっている。これが聖者の町といわれる古都ムーレイ・イドリスをバスから望む。
標高約522m、果樹園やオリーブ畑の広大な農場地帯が周囲に広がり、10世紀ごろ、ベルベル系メクネッサ族がメクネッサ・ターザに次いでこの都市を造り、気候のよさと水のおいしさでは有名なメクネスを訪れる。

スークを含む重要な文化遺産が点在するメディナを散策する。

北アフリカで最も美しく、有名な門の一つ、エディム広場に面した巨大な門で王都のエリアへのメインゲートマンスール門を訪れる。

メディナのヘソに当たる広場、中央に大きな噴水が3つありその周辺には雑貨屋、ピーナッツ売り、果物屋があるエディム広場を訪れる。

壮大な王都建設を夢見て、その完成をまたぬままにこの世を去った王、ムーレイ・イスマイルの墓が安置されているムーレイ・イスマイル廊を訪れる。

4日8:45バスで出発、ラバドを観光。

モロッコの行政上の首都であり、静かで落ち着いた雰囲気を持つ町で、庭園都市という別名がふさわしく、ヤシの並木が続く通りや、緑豊かな公園が広がっているラバドを訪れる。

現国王モハメッド6世とその家族が住む王宮、1864年に建てられ、白い壁に緑の屋根がひときわ鮮やかな建物、王宮を訪れる。

11:20カサブランカ空港到達
14:20カサブランカ空港エミレーツ航空で出発
5日1:10ドバイ到達
3:00ドバイエミレーツ航空で出発
17:10関西国際空港到達。

今回の旅行、アフリカ大陸の北西端に位置し、ベールをかぶった神秘的な女性、メディナ(旧市街)やスーク(市場)の喧騒。アトラス山脈の大自然、果てしなく続くサハラ砂漠、チュニジアやナイジェリアと共にマグレブ地方(日の沈む国)と呼ばれ、日の出づる国日本に住む私たちにとって遠く、そして魅惑に満ちた国といえるモロッコに足を運び、緑豊かな農村風景に驚き、親しみやすい人柄に感動をし、他の国にはないメディナやスークのとりこになる人と自然が織り成すモザイクの国であり、

モロッコの玄関口で最大の都市、近代都市とモロッコの古い文化が交じり合い、シンボルであるミナレットの高さが210m、最大2万5千人が同時に礼拝できるというアフリカ最大のモスク、ハッサン2世モスクが位置するカサブランカ、

旧市街が世界遺産に指定され、昔は公開処刑場だったといわれるが今では夕方になると食べ物や飲み物の屋台、猿回しや蛇使いなどの大道芸人が集まる一大アミューズメントパークと変貌するジャマ・エル・フナ広場、王宮であるバヒア宮殿などが位置するマラケシュ、

エル・ラシーディアからワルザザートまでの道、通り沿いには大小さまざまなカスバを見ることのでき、200mもの絶壁が迫る迫力あふれる観光地、赤茶けた岩肌をアトラス山脈の雪解け水が削ってできた景勝地、トドラ峡谷、ワルザザート近郊には世界遺産のアイト・ベン・ハッドゥをはじめとしてタウリルト、ティフルトゥトなどのカスバが点在するカスバ街道、

エルフードから4輪駆動車で1時間ほどで南東へ行くとメルズーガの砂丘に行き着き、ここからラクダに乗りサハラ砂漠のピンク色の砂丘からの日の出鑑賞、

世界で一番大きな迷路と言われているメディナは世界遺産に指定され、周囲10km以上といわれる旧市街を歩くと中世の暮らしがそのまま残されているようでいまだに車は内部に入ることができず、ロバが貴重な輸送手段となっており、野菜、果物、洋服、肉、パンなどの専門店街の市場スークを形成する街フェズ、

旧市街メディナは世界遺産に指定され、メディナ内には最初の王であるムーレイ・イスマイルの霊廟があるメグネス、すぐ近くにはローマの遺跡があり、神殿などのほかにモザイクも残され、モロッコでも貴重なローマ時代の遺跡であるヴォルビリス、

モロッコの首都であり国王の住まいになっている王宮があるラバトを訪れ8日間の観光旅行堪能しました。

日本とまったく異なった文化遺産、5つの世界遺産を訪れ文化の違いと奥の深い歴史を学び、また大自然の広大なサハラ砂漠にラクダに乗って訪れ、日の出の鑑賞感動いたしました。

5つの世界遺産と大自然のサハラ砂漠での日の出の鑑賞、8日間のモロッコ観光旅行満喫しました。















 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十八弾:宮崎県霧島・えびの・小林観光
2012年4月21日ー22日
 

九州南東に位置する宮崎県に足を運び、宮崎と鹿児島県にまたがるエリア、霧島連山のふところに広がるえびの高原や生駒高原のドライブ観光、ゆったり温泉に浸かる霧島温泉郷を訪れました。

21日17:10伊丹空港出発
18:15宮崎空港到達、レンタカーで宮崎駅付近のホテルに向かう。
19:00ホテル到着後市街地を散策し食事を済ませて就寝。

22日7:00レンタカーで出発、綾方面に向う。

綾城の隣りにある、町内の工芸家たちの作品を展示・販売する施設。陶器や木工品、竹細工、染織物などが並ぶ。体験実習館では、陶芸や織物染めなどの教室が開かれている綾・国際クラフトの城を訪れる。

約670年前の綾氏の山城を再現した、木造3層建ての城。1・2階は古文書や甲冑などを展示し、3階天守閣は展望楼になっている綾城を訪れる。

綾川渓谷に架かる高さ142m、全長250mの吊橋で、遊歩橋としては世界規模の高さとされる。近くには綾の照葉樹林に関する資料などを展示した照葉樹林文化館がある綾の照葉大吊橋を訪れる。

えびの方面に向かう。

宮崎と鹿児島の県境に位置する、標高1200mの高原。韓国岳や甑岳を望み、白紫池・六観音御池・不動池・大浪池と4つの火口湖をもつ。春から夏にかけてはミヤマキリシマやノカイドウ、秋はススキの群生や山を染めあげる紅葉、冬は樹氷と、四季折々にみごとな景観を見せる。ハイキングを楽しむなら、周囲約5kmの池めぐり自然研究路を散策。えびのエコミュージアムセンターではえびの高原の情報を提供。パソコンで動植物も検索できるえびの高原を訪れる。

霧島連峰の最高峰で標高1700m。登山口近くに広がるのは賽の河原の荒涼とした風景。ここから山頂へは約1時間30分。登山ルートでは初夏はミヤマキリシマ、秋はススキなどが眺められる。直径900m、深さ300mの火口をもつ山頂からは霧島の峰々や、大浪池、桜島や開聞岳[かいもんだけ]が一望。果ては韓国まで見渡せそうなほど眺望が良いことからこの名が付いたという韓国岳を望む。

霧島山の北東麓の標高550mにある広さ12万平方mの高原で、花の名所として知られる。3月中旬〜4月中旬は約35万本の菜の花、4月中旬〜5月中旬は約15万本のアイスランドポピー、9月下旬〜10月上旬は約100万本のコスモスが見渡す限り高原を埋め尽し、多くの観光客が訪れる生駒高原を訪れる。

都城方面に向かう。

幅40m・高さ18mの大滝と、優雅に流れ落ちる男滝、女滝の3つからなり、「日本の滝百選」の一つにも選ばれている。滝の上流には長さ600m・最大幅80mと世界有数規模の甌穴(水流が川底の石や岩石の破片を回転させてできる穴)群が広がり、国の天然記念物にも指定。雄大な自然がつくり出した、迷路のような甌穴の間をくぐる清らかな流れは一見の価値がある関之尾の滝 甌穴群を訪れる。

人形操り・三味線・語りが一体となり、物語を演じる古浄瑠璃。江戸時代の藩士が人形操作を伝え、今に受け継がれている。3・6・9・11月の第3日曜14時〜の定期公演は定評あり。人形の保存状態がいいのも見どころのひとつの山之口麓文弥節 人形浄瑠璃資料館 人形の館を訪れる。

16:30宮崎空港方面に向かう。
18:00宮崎空港到達
18:50宮崎空港出発
19:55伊丹空港到達

今回で3回目の宮崎旅行、宮崎タウンから西の方面に向かい、鹿児島県境のえびの高原、霧島温泉郷を訪れドライブ観光楽しめました。

大自然のえびの高原からの霧島連山の眺望、圧巻でした。

ほぼ宮崎も制覇し九州は残りは離島のみとなりました。
徐々に制覇していきます。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十七弾:石川県金沢タウン観光
2012年4月14日ー15日
 

古都の城下町から日本海、白山山麓と豊かな自然に囲まれた石川県に足を運び、しっとりとした風情と伝統が息づく加賀百万石の城下町、見事な庭園美の兼六園をはじめ、最新の現代アートが楽しめる金沢21世紀美術館、艶やかなひがし茶屋街、おいしい和菓子にすてきな伝統工芸、旅の醍醐味が凝縮されているエリア、金沢タウンを訪れました。

14日13:42大阪駅サンダーバードで出発
16:24金沢駅到達、駅周辺を散策する。

17:30駅付近のホテル到着後近江町市場方面に向かう。

280年の歴史を誇るこの市場は生鮮産品を主体にした「金沢市民の台所」と位置付けられ、市民からは「おみちょ」と呼ばれ親しまれています近江町市場を訪れ海鮮丼を召し上がる。

20:00ホテル到着後就寝。

15日7:00歩いて出発、主計町茶屋街方面に向かう。

19世紀末にエジソンが発明した蓄音器。20世紀半ばまで多くの人々に親しまれてきたが、デジタル化された現代ではほとんど見られなくなった。ここではその歴史やしくみの展示だけでなく、音色を聴くこともできる。蓄音器など540台、SPやLPレコード約2万8000枚を収蔵。サロンでのSPレコード鑑賞会、毎日11時・14時・16時の聴き比べ実演などで温かな音色を楽しめる金沢蓄音器館の前で記念撮影。

石川の菓子文化にふれることができる。江戸時代からの落雁の木型などが展示されているほか、20名以上の団体向けに和菓子作り体験も開催している石川県菓子文化会館を訪れる。

泉鏡花の生家跡に建てられた記念館。幻想的で人情味あふれる作品や、鏡花本人の魅力を体感できる。第1展示室ではこれまで上演されてきた演劇や映画のスチール写真、初版本の挿絵などを展示し、作品に登場する美しい人や本を紹介。第2展示室は旅行鞄やキセルなどゆかりの品々の展示ほか、代表作品の朗読が聴けるサウンドコーナーを設置している泉鏡花記念館の前で記念撮影。

1869年(明治2)に開かれた茶屋街。ひがし・にしともに、大店の旦那衆の社交の場として栄えた。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。浅野川大橋から中の橋までの浅野川南岸に、美しい格子戸の料亭が立ち並んでいる主計町茶屋街を散策する。

ひがし茶屋街方面に向かう。

かつての東の廓。廓といっても伝統と格式を誇り、文人や裕福な商人たちの社交場で、芸妓たちも琴・謡曲・茶の湯など、京都の祇園に並ぶ洗練された芸を身に付けていた。石畳の通りの両側には細かい木虫籠格子のはまった家々が軒を連ね、情緒たっぷり。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定のひがし茶屋街を散策する。

築約190年の規模を誇る大きなお茶屋。金沢市指定保存建造物に選定されている。数々のドラマや映画の舞台にもなっている館内を、昼は一般に広く公開し、夜は今もなお、一見さんお断りで1日に1組だけ華やかなお座敷があげられている懐華樓を訪れる。

1820年(文政3)の建築当時のままに残る、お茶屋の建物。国の重要文化財に指定されている。2階が客間で押入れや物入れを造らず、あくまでも遊芸を主体とした優美で繊細なお茶屋特有の粋な造り。お客が床の間を背にして座ると、その正面が必ず控えの間になっていて、その控えの間が演舞の場となって芸妓が艶やかな舞や三弦などの遊芸を披露する。1階には囲炉裏・石室・井戸なども、江戸時代のままに残る志摩を訪れる。

加賀百万石の前田利家公の守り本尊である、摩利支天をまつる真言宗の寺。日本三摩利支天のひとつで、毎朝護摩修法が行われる必勝祈願の霊場の宝泉寺を訪れる。

一般に七稲地蔵の名で通っているとおり、境内には稲を抱いた7体の地蔵が立っている。1858年(安政5)、地震や長雨による凶作が続き米価が暴騰。飢えた民衆が当時町人入山禁止だった卯辰山に入り込み、米が高くて食べられないと直訴したいわゆる泣き一揆が起こった。7体の地蔵は、この一揆で処刑された首謀者7人を祭ったものの寿経寺を訪れる。

南の方面に向かう。

1階では下絵に丹念に色を挿していく手描友禅の実演をはじめ、制作工程などを紹介。また、地階にはハンカチに型紙を当てて図柄を描き込む友禅の手作り体験コーナーや、加賀友禅のネクタイなどの即売コーナーもある加賀友禅伝統産業会館を訪れる。

赤レンガ造りの瀟酒な建物(重要文化財)は見るだけでも価値あり。1909年(明治42)に旧陸軍兵器庫として建てられ、のちに市立美術工芸大学の校舎に使われた。館内では古代の蝦夷穴古墳や近代製糸工場の再現など、石器時代から現代までの県の歴史と文化を分かりやすく展示している石川県立歴史博物館を訪れる。

石川県にゆかりのある美術工芸品の宝庫。野々村仁清作の国宝『色絵雉香炉』と重要文化財『色絵雌雉香炉』を常設展示。併設のカフェはパティシエの辻口博啓氏がプロデュースしている石川県立美術館を訪れる。
 
金沢の酒造家であり、茶人でもあった中村栄俊氏が収集した国重要文化財の夢窓疎石墨跡や南蛮蒔絵硯箱、雲井の銘がある青井戸茶碗など茶道美術の名品を中心に、書、絵画、古九谷、加賀蒔絵、加賀象嵌など約700点を所蔵。年4回展示替。毎回約60点を公開。また、1階の休憩室では庭園を眺めながら抹茶で一息つける金沢市立中村記念美術館を訪れる。

兼六園や金沢城公園近くの観光ゾーンにある現代美術館。有料の展覧会ゾーンはここでしか出会うことができない作品も多く、気軽にアートと触れ合うことができる。交流ゾーンは通り抜けも自由というこれまでにないオープンな雰囲気の金沢21世紀美術館を訪れる。

加賀藩前田家が、武家の式楽として保護、育成を図ったことから発展した金沢の能楽の歴史や伝統を紹介。能面や豪華な能装束をはじめ能楽に関する資料を映像や模型なども使って展示している金沢能楽美術館を訪れる。

大正時代の建物の趣はそのままに、2010年(平成22)に旧石川県庁をリノベーション。周辺の総合観光案内や無料の休憩スペースのほか、ポール・ボキューズをはじめ、工芸品のセレクトショップなどが出店する石川県政記念しいのき迎賓館を訪れる。

2008年にリニューアルオープンし、有料ゾーンの石川近代文学館と無料ゾーンの石川四高記念館を併設。石川県ゆかりの文学者の資料や、旧制第四高等学校の資料を展示している石川四高記念文化交流館を訪れる。

にし茶屋街方面に向かう。

1585年(天正13)、前田利家が前田家の祈願所として金沢城付近に建立。その後、3代藩主・利常が幕府からの攻撃に備え、1643年(寛永20)現在地に移築した。本堂に続く庫裏は外観が2階建て、内部が4階7層。23の部屋と29の階段がある。物見台ともとれる本堂屋上の望楼、金沢城への地下道と伝えられる大井戸、隠し部屋や隠し階段、ドンデン返し、抜け穴などもあり、別名・忍者寺ともよばれるほど複雑な構造。巧妙に外敵の目をあざむけるようになっている妙立寺を訪れる。

金沢の地名の由来に登場する芋掘藤五郎が、奈良時代に建立したといわれる寺。本堂に安置される本尊は、国の重要文化財に指定された阿弥陀如来像だ。像高21cmと小さいが、大ぶりな頭や手に重量感がある金銅仏。藤五郎夫婦の像や藤五郎の墓もある伏見寺を訪れる。

前身の西の郭は1820年(文政3)、12代藩主・斉広が公許を与えて妓楼地区を定めたのが始まりで、東の郭(現ひがし茶屋街)とともに誕生した。かつての賑わいにはおよぶべくもないが、今も木造のお茶屋と、大正11年に建てられた検番が当時を偲ばせる。夕方になると軒下に灯がともり、独特の風情を醸し出しているにし茶屋街を散策する。

西の郭で育った異才の作家・島田清次郎が幼い頃移り住み、小説『地上』の舞台ともなった吉米楼をその跡地に再現した資料館。1階は大正時代を彷彿とさせる室内に清次郎の関係資料を展示。2階は客をもてなすための座敷で、太鼓や三味線などが置かれ当時の華やかな雰囲気がうかがえる金沢市西茶屋資料館を訪れる。

泰澄大師(682〜767)を創始とする密教寺院。室生犀星が、幼年期に養子として引き取られた寺として有名だ。彼がその暗い生い立ちを抒情的に書き綴った『幼年時代』は、犀星の出世作として知られている。住職に宛てた書簡・初版本などの貴重な資料を展示する資料室のほか、門前には江戸の文政十年に行方不明の子供をたずねる岩知板の役をつとめた石「まよい子ここへもて来べし…」と刻まれた迷子石がある雨宝院を訪れる。

室生犀星生誕の地に2002年8月にオープンした記念館。犀星の遺品や直筆原稿、書籍などが展示される室生犀星記念館を訪れる。

武家屋敷方面に向かう。

かつては藩主の荷を運んだ水路で、ゴリや鮎もとれたという大野庄用水。その東側の小路に一歩足を踏み入れれば、江戸時代に逆戻りしたかのような武家屋敷跡に入る。両側に土塀が連なる細い道は、突き当たっては曲がる迷路のよう。戦いの際に敵が一気に侵入するのを防ぐ構造になっている。土塀にのった光沢のある瓦は雪や雨の多い北陸地方独特のもので、釉薬をかけて焼いてある長町武家屋敷跡を散策する。

長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡。代々奉行職を歴任してきた加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡で、格式を重んじた当時の様式を見学できる。特に、加賀藩のお抱え絵師で狩野派の画人・佐々木泉景による山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸などは、文化財的な評価も高い。また、庭園には樹齢400年のヤマモモやシイの古木、六尺に及ぶ大雪見灯篭、さくらみかげ石の大架け橋などが配置され、濡れ縁のすぐ下にまで迫る曲水、落水を配した佇まいからは、屋敷と庭園とが調和した造りを感じられる。また、石造りの階段を上ると茶室があり、眼下に庭園を眺めながらお抹茶を頂ける武家屋敷跡野村家[長町武家屋敷跡]を訪れる。

金沢城方面に向かう。

加賀藩祖の前田利家公と、正室お松の方を祀る神社。前田家代々の世嗣が住んだ金谷御殿の跡で、ギヤマンをはめ込んだ和洋折衷の神門(重要文化財)が目をひく。高さ25m。特にギヤマンが夕日に映える頃が美しい。琴や琵琶をかたどった橋や島を配した池泉回遊式庭園、金沢城の遺構である東門も見ておきたい尾山神社を訪れる。

1583年(天正11)、前田利家が金沢城に入城した直後から本格的な城づくりを開始。約30万平方mの敷地に20もの櫓をもつ城だったが、たび重なる火災から石川門と三十間長屋、鶴丸倉庫のみが残った。一時は金沢大学のキャンパスとして使用。現在は金沢城公園として整備され、復元した菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓などが立つ金沢城公園を散策する。

金沢城公園の中にある国の重要文化財。現存の長屋は1858年(安政5)に再建。現在の長さは二十六間半で武器弾薬の倉庫としても使用された三十間長屋[金沢城公園]を訪れる。

金沢城址の北、大手門跡の前にある。1599年(慶長4)に徳川家康との戦いに備えて造られたもの。城の周りにあった百間堀、白鳥堀などが埋め立てられた中で、唯一水をたたえている堀。加賀藩時代の金沢城が偲ばれる外濠公園大手堀[金沢城公園]を訪れる。

金沢城公園の石川門から大手堀方向へと続く散歩道。徳田秋声、室生犀星、泉鏡花の三文豪像や白鳥像など、21体もの彫刻が行き交う人を出迎えてくれる外濠公園白鳥路[金沢城公園]を訪れる。

金沢城公園内。3層3階の菱櫓と、橋爪門続櫓を2層2階建ての五十間長屋でつないだもので、明治以降の木造城郭建築物では最大規模。菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器などの倉庫だった。2001年(平成13)年に復元の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓[金沢城公園]を訪れる。

金沢城公園の入り口に立つ、入母屋造の城門(重要文化財)。隠し鉄砲狭間や石落としなどを備え、屋根には鉛の瓦が葺かれた。瓦が白っぽいのもそのため。1759年の宝暦の大火で焼失し、1788年(天明8)に再建された石川門[金沢城公園]を通り兼六園に向かう。

春の桜、初夏のカキツバタ、秋の紅葉、冬の雪吊りなど、四季折々の美しさで知られる名園。1676年(延宝4)、加賀藩5代藩主・前田綱紀の時代に最初の庭が造られて以来、代々の藩主によって今の形に整えられた。総面積は約11万平方m。完成まで実に180年の歳月を要している。名の由来は、中国で名園の条件とされた宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝すべてを兼備するところから、松平定信が命名。池や橋、樹木、茶室などが配された庭園を歩くと、加賀百万石の伝統と美意識に浸ることができる兼六園を散策する。

兼六園内にある噴水。現存する日本最古の噴水と言われ、霞ケ池を水源に自然の水圧で高さ約3.5mまで噴き上がる噴水[兼六園]を訪れる。

兼六園内の霞ケ池西南岸に立つ、内橋亭の背後にある築山。13代藩主・前田斉泰が、霞ケ池を掘り広げたときの土を利用してつくったもの。山頂に向かってグルグルとらせん状の道が延び、それがまるでサザエの殻を思わせることから名付けられた栄螺山[兼六園]を訪れる。

兼六園内にある歴代藩主の別荘。かつては噴水前にあり明治初期に取り壊されたが、2000年(平成12)に復元。ゆったり腰を下ろして庭園を眺めながら、煎茶や抹茶が味わえる時雨亭[兼六園]を訪れる。

兼六園内にある池。中ほどがくびれて、瓢箪の形をしているのでその名がある。霞ケ池から下った水が翠滝となって流れ落ち、中の島には秀吉から贈られたという説もある海石塔が立つ瓢池[兼六園]を訪れる。

兼六園内にある茶室。1774年(安永3)に建てられた、園内で最も古い建物。瓢池の隣にあり、次の間の袖壁に夕顔の透彫りがあるので、夕顔亭と名付けられた夕顔亭[兼六園]を訪れる。

兼六園内に植えられた珍しい黒松。大小40数本もの根が、地面から2mも盛り上がっている。13代藩主・前田斉泰のお手植えといわれ、盛り土の上に松を植えた後、土を取り除いたとされている根上松[兼六園]を訪れる。

兼六園の中央に位置する、園内最大の池。池の周囲には兼六園のシンボル的存在の徽軫灯籠をはじめ、虹橋・唐崎松・栄螺山などの見どころが点在。高台にありながら満々と水をたたえた水面に影を落とす、四季折々の眺めがすばらしい霞ケ池[兼六園]を訪れる。

兼六園内の霞ケ池北岸に立つ灯籠。灯籠の足が、琴の糸を支える琴柱に似ていることからこの名がある。その前に架かる虹橋を琴に見立てた意匠は、兼六園のシンボルとなっている徽軫灯籠[兼六園]を訪れる。

兼六園の中にある曲水に架かる木橋で、名前のとおり花見には最適の場所の花見橋[兼六園]を訪れる。

兼六園の中にあり、雁が列を作って飛んでいる姿に似ていることから名付けられた。亀甲型の赤戸室石が11枚連なった石橋で、渡ると長生きするといわれるが現在は通行できない雁行橋(亀甲橋)[兼六園]を訪れる。

「衣・食・住・祈・遊・音・祭」のテーマ別に、石川の伝統工芸品を紹介する施設。九谷焼・輪島塗・山中漆器をはじめ、能登上布・牛首紬・加賀毛針など地域に根ざした工芸品が36種類。毎週土・日曜と祝日(冬期は休み)には、伝統工芸士による実演も行う石川県立伝統産業工芸館を訪れる。

加賀百万石前田家を代表する建造物。1863年(文久3)、13代齋泰が12代奥方、真龍院のため、兼六園に造営した。大名の風格と数奇を併せ持つ稀有な書院造で、庭園と共に国の重要文化財。長さ約20m、1本の柱も無いつくしの縁から眺められる庭園や極彩色の花鳥が欄間・障子腰板・ギヤマンに描かれるなど奥方の御殿にふさわしい意匠を凝らした造りの成巽閣を訪れる。

16:00金沢駅方面に向かう。
16:40金沢駅到達。
16:57金沢駅サンダーバードで出発
19:35大阪駅到達。

今回の旅行、何回も訪れたことのある石川県金沢タウン、ひたすら歩いて時計回りで金沢城公園・兼六園周囲の名所を巡ってから閉めは金沢公園・兼六園を時間をかけて巡り、金沢タウン観光を無事終了いたしました。

しっとりとした風情と伝統が息づく加賀百万石の城下町、京都と比べ小規模ですが、町並みは把握しやすく一日観光で十分堪能できる金沢タウン観光旅行でした。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十六弾:長崎県長崎タウン離島軍艦島&伊王島&高島観光
2012年4月7日ー8日
  

江戸時代の鎖国の間、日本唯一の貿易港として中国やオランダとの文化交流が盛んに行われていた長崎県の長崎タウン離島、幕末から始まり、昭和49年の閉山まで日本の経済を支えた炭鉱の島端島、今や廃墟ビルが林立し、軍艦のような独特の風貌を残す軍艦島、長崎市の南西海上に浮かぶ島、マリンブルーに輝く海や天然温泉を備えたホテルで手軽にリゾート気分が味わえるほか、歴史ある教会や透明度を誇る海水浴場がある伊王島を訪れました。

7日15:50伊丹空港出発
16:55長崎空港到達、レンタカーで長崎タウンに向かう。
17:45長崎タウンのホテル到達、市街地を散策し食事を済ませて就寝。
8日5:20レンタカーで出発
5:40長崎港到達
5:50高速艇で高島に向かう。
6:23高島到達、散策する。

かつては石炭発見の地として栄え、これに尽力したグラバーの別邸跡も残る。現在は1年を通じた釣りスポットとして人気の高島を散策する。

炭鉱と共に歩んだ高島の歴史の写真と、炭鉱で使われていた機材を豊富に展示している資料館。当時の坑道の模型やトロッコ等の重機、坑夫の服装なども展示してある石炭資料館を訪れる。

高島の周囲に広がる美しい海の水を使った海水温浴施設。アイランド・テラピーとは島のきれいな海水など、環境を活かした健康づくり(運動・休養)を目的とした活動のことで、この施設では、温めた海水に水着を着用して入り各種運動を行うことができる高島海水温浴施設 いやしの湯を訪れる。

美しいコバルトブルーの人工海水浴場が目の前にある キャンプ場、高島ふれあいキャンプ場を訪れる。

慶応4年(1868)、イギリスの貿易商人トーマス・ブレーク・グラバーは高島炭坑の開発にあたり、明治初期にかつて高島本島とは離れた小島だったこの地に橋を架け、洋式の別邸を建てて炭鉱経営の拠点とした。ここから長崎の南山手の自宅との間に電話線を引いたのがわが国最初の私設電話だといわれている。現在の三角屋根は後に展望所として整備された際に設置されたものだが、周囲には建物の基礎石や井戸跡、排泄物を処理したと思われる便器跡などが残されている。また、当時船をつけた下の船着場までの通路は今も散策路として通ることができるグラバー別邸跡を訪れる。

8:00高島出発
8:30長崎港到達。
9:00長崎港軍艦クルーズ出発
9:40軍艦島到達、上陸。

軍艦島(長崎)は正式名は端島で、長崎港南西約17.5km、端島より先に石炭鉱で繁栄した高島の南南西約2.5kmに位置します。元々は現存の3分の1程度の面積の小さな島でしたが、昭和6年(1931)の最後の埋立て迄に南北約480m、東西約160m、周囲約1,200m、面積約6.3haという、防波岸壁が島全体を囲む現在の形になりました。高層(当時として)鉄筋コンクリート造りのアパート等が密集するその外観が、洋上西方から眺めて、大正10年(1921)年当時三菱長崎造船所で建造中であった戦艦「土佐」(後に未成廃艦となった)に似ていると報じられたことから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。良質な海底炭鉱の島で、一時は高島を抜く出炭量となり、昭和16年(1941)には同島最多の41万トンを出炭しました。人口は最盛期の昭和35年(1960)に5,267人で、人口密度は当時の東京都区部の9倍以上で世界一でしたが、その後、主要エネルギーの石油への移行により衰退し、昭和45年(1970)以降のエネルギー政策の影響を受けて昭和49年(1974)年1月15日に閉山しました。閉山当時残っていた約2,000人も4月20日迄に全て島を離れ、その年の末まで続いていた残作業後、無人化しました。島はその後も三菱の所有でしたが、平成13年(2001)、当時の高島町に譲渡され、現在は長崎市の所有となっています。島への上陸は長らく禁止されていましたが、平成21年(2009)4月22日から整備された見学通路内からに限って上陸しての見学ができるようになりました。重要な国のエネルギー政策のため、厳しい炭鉱作業を進めるため、時の最先端な環境を整備し、殆ど人工島のように見える島内にほぼ都市機能が完結していたことに、そして明治時代から高度成長期の日本を支え、石炭エネルギーの衰退により閉山、無人化し、廃墟となった「軍艦島」にはその存在を知った時から惹かれていました。

11:00軍艦島クルーズ艇で出発
11:40
長崎港到達、レンタカーで長崎半島を巡る。

伊王島と沖之島、2つの島を橋で結んだ島・伊王島は、大浦天主堂にも似た白亜の沖之島天主堂、日本初の洋式灯台などのほか、天然温泉が自慢の施設「やすらぎ伊王島」を擁するリゾート気分いっぱいの島だ。平成23年3月27日には対岸の香焼とを結ぶ伊王島大橋で結ばれ車でも行けるようになりました伊王島を訪れる。

日本初の鉄製洋式灯台で、1870年(明治3)に設置。原爆で破損、天井のドーム部分のみ建造時のものだ。当時の灯台で使用されていた道具などを展示する、灯台記念館)もある伊王島灯台を訪れる。

沖之島の高台に立つゴシック様式の白亜の天主堂。島民の願いで1890年(明治23)に本聖堂が建立された。その後、台風と落雷の被害にあい、1933年(昭和6)に再建された沖之島天主堂を訪れる。

長崎半島を南下する。

国道499号沿い、黒浜から連なる海蝕景観のなかでもひときわ目を引くのが、寄り添って立つ二つの岩。海に向かって左が高さ11m・周囲24mの男岩、右が高さ11m・周囲26mの女岩。地質学的には野母変はんれい岩複合岩体といわれる。4億8千年前のものといわれ、九州では最も古い。夕日を背に浮かび上がる光景は幻想的な夫婦岩を訪れる。

標高198mの山頂は、1638年(寛永15)江戸幕府の遠見番所が設けられたほど眺望がよく、東に天草灘、西に五島灘、南に東シナ海を一望可。山頂に広がる椿公園には、250種約300本の椿と自生のやぶ椿1万数千本が茂る。なかでも白椿「陽の岬」[ひのみさき]は野母崎町でしか見られない品種。広島平和公園にある悲願の鐘の夫婦鐘「まごころの鐘」もある権現山展望公園を訪れる。

樺島の南端、100mの断崖に立つ白亜の灯台。1932年(昭和7)に初点灯。周囲は公園として整備され、展望台からは東シナ海が一望できる。灯台内に入ることはできないが、すぐそばには樺島灯台の歴史やその働きを解説するパネル、灯台の部品などが見られる展示室がある樺島灯台を訪れる。

東海岸線を北上し諫早方面に向かう。

高城城跡を整備した公園。石橋としては最初に国の重要文化財に指定された眼鏡橋が架かる。4月から5月は3万本のツツジが満開になり、園内一帯に色を添える諫早公園を散策する。

長崎空港に向かう。

17:20長崎空港到達
18:10長崎空港出発
19:30伊丹空港到達。

何回も訪れたことのある長崎県、今回は長崎タウン沖に浮かぶ離島、伊王島、高島、軍艦島を訪れ1泊2日の旅、楽しめました。
特に世界遺産暫定の軍艦島、運よく天候がよく、波も穏やかで上陸でき、廃墟の炭鉱の町、乱立した鉄筋高層ビルが建て並び、閉山とともに自然が軍艦のような風貌と化した光景は驚きの一言でした。

長崎タウン沖の離島(軍艦島・伊王島・高島)巡りとと長崎半島の観光名所のドライブ観光でした。