飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八弾:近畿圏トロッコ&路面電車巡り
2012年9月29ー30日
 

近畿圏の豊かな自然あふれる沿線風景を手に取るように楽しめ、のんびり、ゆったりの旅、ほのぼのした汽車旅の雰囲気を味わえるトロッコ(トロッコ嵯峨)、道路の中央に線路を敷き、自動車と併走しながら走る都市内電車路面電車(京福電気鉄道、阪堺電気軌道)を巡りました。

29日13:45天王寺到達。

阪堺電気軌道の天王寺駅前から住吉公園を結ぶ路面電車。かの有名な阿倍晴明神社や桜の名所としても有名な万代池があり、昔の大阪風情を感じさせる名所・旧跡をたどることができます上町線&恵美須町から浜寺駅前まで、わずか1時間の道のり。忘れていた昔の大阪、なつかしい人の息吹が残っています。行き先を決めずにふらりと乗るだけで、何か満ち足りた気分にさせてくれます阪堺線、天王寺駅前から乗車。

浜寺駅前到達

阪和線浜寺駅前から乗車

住吉大社到達

阪堺線住吉大社駅から出発

恵美須町駅到達、新世界を巡る。

30日9:15阪急京都線阪急駅から出発

桂駅で嵐山線乗車

嵐山駅到達、歩いて嵯峨野駅に向かう。

10:06嵯峨の駅、美しい大自然に囲まれ、歴史情緒あふれる京都・嵯峨野。 嵐山より上流の保津峡に沿ってトロッコ列車は走っています。 春・夏・秋・冬とそれぞれに違った表情を見せる自然美を満喫していただけることでしょう。 壮大な自然と豪快な河の流れ、そして優美なトロッコ列車に乗ると、心にロマンがあふれるトロッコ嵯峨野で出発

10:35亀岡駅到達

10:40亀岡駅トロッコ嵯峨野で嵯峨野駅に戻る。

11:45嵐山駅到達、歩いて京福電気鉄道嵐山線(嵐山本線+北野線)は嵐電と呼ばれ親しまれていたが、2007年3月からそれが公式愛称となった。沿線に世界文化遺産や国宝を始めとする多くの観光地がある。京福電気鉄道嵐山駅に向かう。

12:30京福電気鉄道嵐山本線嵐山駅出発、帷子ノ辻で北野線に乗り換え北野白梅町に向かう。
13:02北野白梅町駅到達。

13:10京福電気鉄道北野線北野白梅町駅出発、帷子ノ辻で嵐山本線に乗り換え四条大宮に向かう。

14:02四条大宮到達、阪急京都線に乗り換え梅田に向かう。

13:06阪急京都線梅田駅到達。

今回の旅行、新潟西部を訪れる予定でしたが台風の影響で断念、近畿圏のトロッコ&路面電車を巡りました。

全国的に廃止した線が多く、残り少ないトロッコ&路面電車線、特に近畿圏内は3つしかなくさびしいあまりです。

数少ないですが自然の風景を沿線で楽しめるトロッコ、道路の中央に線路を敷き、自動車と併走しながら走る都市内電車路面電車楽しめました。

観光地での路面電車は便利ですね。
オーストリアを訪れた時も感じたのですが、素早く容易に乗降でき、運賃も安い。電車を見かけたら急げば乗車に間にあう。観光地の路面電車もっと普及してもらいたいですね。
















 






飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七弾:北海道夕張&大沼&日高観光
2012年9月22ー23日
 

北の北海道に足を運び、道央の山間に位置しかつて日本を代表する炭鉱の町として栄え、最近は映画の町として知られる観光地、平成19年に財政再建団体となったことでも話題になった夕張、駒ヶ岳の噴火によってできた堰止湖、駒ヶ岳のすそ野に大沼、小沼、じゅんさい沼の三つの沼が広がる国定公園、大沼には大小100を超える島が浮かぶ大沼国立公園、広大な牧場でのんびり草をはむサラブレッドと出会う日高サラブレット街道が位置する日高を訪れました。

22日8:45伊丹空港出発
10:35新千歳空港到達、レンタカーで夕張方面に向かう。

高倉健、桃井かおり主演映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地。シンボルにもなった黄色いハンカチや炭鉱住宅などが、ロケ当時の姿のまま公開されている。炭鉱住宅の中には、壁一面に訪れた人達が記念に書き残していった黄色いメッセージカードが張り巡らされている幸福の黄色いハンカチ想い出ひろばを訪れる。

国内最大の炭鉱ミュージアム。石炭の誕生やどのように使用されたか。炭鉱時代の生活や仕事は?石炭と炭鉱の歴史に触れて学べる夕張ならではの体験型博物館。実際の坑道と石炭層をキャップランプの明かりで臨場感たっぷりの坑内見学は必見の石炭博物館を見学。

施設は外観は1920(大正9)年に建設された旧北炭「夕張工業学校」校舎を復元しており、昭和30年代の夕張炭鉱住宅街のパノラマ模型や炭鉱住宅内の再現など炭鉱の生活関連資料を展示している炭鉱生活館を見学。 

十勝北部に向かう。

アウトドア体験が人気の周囲13.8kmの静かな湖。然別湖ネイチャーセンターで、カナディアンカヌーやエアトリップなどが楽しめる然別湖を訪れる。

層雲峡を通過して旭川を経由して札幌に向かう。

22:00札幌市内繁華街のホテル到達、就寝。

23日6:00レンタカーで大沼に向かう。

面積約9083ha、駒ケ岳の裾野に広がる国定公園。園内は最も大きな大沼をはじめ、小沼、蓴菜沼などの湖沼群からなる。大沼は駒ケ岳の噴火によって生じた泥流が、渓流をせき止めてできた周囲24km、水深13.6mの湖。大小126の島があり、その小島を結ぶ18の橋と散策路が設けられている大沼国定公園を散策する。

噴火による爆発によって吹き飛ばされた鋭い山頂部と、なだらかな稜線を持つ独立峰。大沼公園のシンボル的な存在でもある秀峰だ。稜線部には標高892mの隅田盛、標高1113mの砂原岳、標高1131mの剣ケ峰の3つのピークがあり、火口も3つある。1998年(平成10)に火山活動が始まり、現在は入山規制中の駒ケ岳を望む。

日高方面に向かう。

アイヌ民族の貴重な文化を伝える衣類や狩猟道具、祭具などを展示紹介している。また、口承文芸として伝えられるカムイユカラ(神話)や、古式舞踊を観賞できるビデオコーナーもある平取町立二風谷アイヌ文化博物館を訪れる。

二十間(約36m)の幅をもつ道路。田原から御園にかけて7kmにわたり、エゾヤマザクラ等およそ3000本が道沿いに並ぶサクラの名所だ。満開時にここを訪れた人は必ず感嘆の声を上げると言われるほど、その風景は美しい。開花は5月上旬から中旬で、この時期に合わせて「しずない桜まつり」が催される。柔らかい光のなかで花びらが風に揺れながら舞い散る見ごとな光景を求めて、毎年、多くの花見客が訪れている二十間道路桜並木を通過する。

新千歳空港に向かう。

17:05新千歳空港到達
18:15新千歳空港出発
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、北の北海道に足を運びまだ訪れれたことのない夕張・大沼・日高を訪れました。

この3つのエリアはかなり離れており、北海道独特の広大で自然いっぱい、道路は渋滞なく車は空いており、信号も少なく車の運転のストレスを感じさせず、まっすぐな広い道路、地平線を追いかけてのドライブ、走行距離が多くても苦にならない北海道長距離ドライブ観光堪能しました。

北海道のドライブ素晴らしいですね、時間を忘れいくらでもドライブできますね。何回も訪れたい北海道ドライブ観光でした。

尚2日間で1350km走行しました。観光めぐりよりもドライブが主でした。北海道ドライブ全然疲れておりません。本州でしたら疲労困憊ですね。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六弾:近畿圏城と城下町巡り
2012年9月15ー17日
 

近畿圏の22城と城下町(和歌山城、岸和田城、大阪城、明石城、姫路城、龍野城、赤穂城、出石城、田辺城、小浜城、福知山城、篠山城、伏見城、二条城、彦根城、長浜城、桑名城、松坂城、津城、亀山城、上野城、郡山城)を訪れました。

15日12:30車で和歌山に向かう。

1585年(天正13)、豊臣秀吉が藤堂高虎に命じて築城し、弟の秀長に与えたのが始まり。桑山重晴、浅野幸長の時代を経て1619年(元和5)、徳川家康の第10子・頼宣が入城。明治の廃藩置県まで徳川御三家の一つ、紀州徳川家の居城として使われた。岡口門(重要文化財)と特産の青石を使った野面積の石垣などは当時のもの。戦後復元された天守閣は鬼瓦や鎧の展示室を備え、紀ノ川の眺めがすばらしい。城内西の丸の紅葉渓庭園(名勝)は、紀州藩祖徳川頼宣が西之丸御殿に築造したもので、戦後復元した池泉観賞式庭園の和歌山城を訪れる。

大阪に戻る。

1334年(建武元)、当時の代表的武将であった楠木正成が、一族の和田高家に、岸と呼ばれていたこの地に築城させたのが始まり。和泉地方の岸の和田氏が転じて「岸和田」の地名となったという。その後、1585年(天正13)に小出秀政が入城し天守閣を築造。徳川政権下では1640年(寛永17)に岡部家が入封、13代にわたり支配したが、1827年(文政10)に五層の天守閣が落雷で焼失。1954年(昭和29)、鉄筋コンクリート造りの三層の天守閣が、1969年(昭和44)に城壁と櫓が再建された岸和田城を訪れる。

1583年(天正11)、石山本願寺の跡に豊臣秀吉が天下統一の拠点として築城を始めたのが大坂城。大坂夏の陣で落城し、徳川政権下で再築されたが落雷で天守閣を焼失、1931年(昭和6)築の現在の天守閣は3代目だ。内部は歴史資料や、ジオラマ、ビデオなどでさまざまな角度から大阪城を楽しめる。巨石を組み込んだ壮大な石垣、大手門やいくつもの櫓など、城内のみどころは多い大阪城天守閣[大阪城公園]を訪れる。

16日6:00車で出発、明石に向かう。

1619年(元和5)、徳川家康の曾孫にあたる小笠原忠真[おがさわらたださね]が築城。明治維新で大半は取り壊されたが、白亜の巽櫓(重要文化財)と坤櫓(重要文化財)が残されている。2000年春には両櫓を結ぶ土塀を100年ぶりに復元、美しい姿が蘇った。一帯は桜や紅葉も美しく、野球場やテニスコートなどもあり、市民の憩いの場として親しまれている明石城[明石公園]を訪れる。

姫路に向かう。

1993年(平成5)、法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録された、日本を代表する名城。白鷺が羽を広げて舞っているように見えることから、白鷺城の別名がある。羽柴秀吉が中国毛利攻めの拠点として築いた3層の城を、関ケ原の合戦後に入城した池田輝政が1601年(慶長6)から8年の歳月を費やし改築。5層7階の大天守と3つの小天守を渡櫓で結んだ独特の連立式天守閣(国宝)は、石垣や白漆喰総塗籠造の外観とともによく保存されている。櫓・門など、城内74棟の建物が重要文化財。美しい造形の中に、敵の侵入を防ぎ攪乱する仕組みを潜ませているのも興味深い姫路城(白鷺城)を訪れる。

龍野に向かう。

町を見下ろす鶏籠山の麓に立つ。1672年(寛文12)に脇坂安政が築城した平城を復元した本丸御殿、隅櫓、多聞櫓、埋門が往時を偲ばせる。優美な大屋根を持つ本丸御殿は一般的な城のイメージと違って、入母屋造、瓦葺の平屋建ての造りが特徴で内部の見学もできる。鶏籠山山頂に室町末期の山城跡が残り、かつてそちらを朝霧城、麓の城を霞城と呼んだ龍野城(霞城)を訪れる。

赤穂に向かう。

常陸国笠間から入封した浅野長直が13年の歳月を費やし、1661年(寛文元)に完成。播磨灘に面して築かれた海城(平城)で、天守台はあるが天守閣はない。縄張は、本丸を中心に二之丸が同心円状に囲む輪郭式だが、三之丸が二之丸の北に張り出した変形輪郭式。浅野家断絶後、城は永井家、森家に引き継がれた。明治の廃藩置県後に取り壊されたが、1955年(昭和30)に大手門の一部と大手隅櫓が復元。大手門から入った道筋に大石良雄宅跡があるのは、当時藩邸や家老、藩重臣の屋敷を城内に置いたための赤穂城跡を訪れる。

出石に向かう。

1604年(慶長9)、有子山の麓に小出吉英が築いた平山城の城跡。江戸時代には出石藩の本城として約260年間利用された。現在は本丸跡に隅櫓が復元されている。その横に延びる157段の石段には37基の鳥居が並ぶ。ここは城山稲荷と呼ばれ、信仰の対象としても親しまれてきた。春には桜の名所として多くの人が訪れる出石城跡を訪れる。

出石皿そばで有名な町には、道が碁盤の目状になっており、但馬の小京都ともよばれる。出石城跡や時を告げた辰鼓楼など、風情ある町並みが今も残る出石城下町を訪れる。

舞鶴に向かう。

天正6年、織田信長の命により細川藤孝と明智光秀は丹後に侵攻し、建部山城主一色義通を滅ぼして丹後を平定した。 その功により細川藤孝は丹後一国12万石の領主となった。天正7年、藤孝は宮津城を本城として築き、同時に加佐郡の押さえとして田辺城を築城した。 天正10年に本能寺の変の際、藤孝は隠居して田辺城を居城とした。慶長5年、関ヶ原の戦功により細川藤孝・忠興父子は、豊前中津に移り、替わって京極高知が信州飯田から123,200石で入封する。 元和8年、高知が死去後、嫡男高広は宮津城に移り、次男高三が加佐郡35,000石を分知され、田辺城に居城した。寛文8年、京極高盛が但馬豊岡に移り、牧野親成が35,000石で入封、以後牧野氏が代々居城して明治に至った田辺城を訪れる。

小浜に向かう。

1601年(慶長6)、京極高次が築城に着手し、小浜藩祖・酒井忠勝が1636年(寛永13)に完成させた。以後は小浜藩の居城となったが、1871年(明治4)の出火のため、現在は本丸や天守閣の石塁だけが残る。本丸跡には小浜神社が立つ小浜城を訪れる。

福知山に向かう。

明智光秀が織田信長の命を受けて、1579年(天正7)に築城した。現在の天守閣は1985年(昭和61)に再建されたもので、内部は明智光秀や福知山城、城下町に関する資料を展示する郷土資料館になっている。野面積みの石垣は、築城当時のまま。近隣寺院からかき集めた五輪塔なども転用されている福知山城を訪れる。

丹波篠山に向かう。

1609年(慶長14)に徳川家康が築城の名手・藤堂高虎を縄張りとし、わずか6カ月で築かせた平山城。明治の廃城令で建物の大半が取り壊されたが、城跡二の丸に本格木造建築の大書院が復元され、狩野派の屏風絵を転用した障壁画などを展示。雄大な石垣を囲む外濠の周辺は桜の名所でもある篠山城跡を訪れる。

17日6:00車で伏見に向かう。

そもそも伏見という地は大阪と京都の中間に位置していて、豊臣秀吉が秀次に関白の位と聚楽第を譲ったあとの隠居所として屋敷を作ったそうです。その後、豊臣秀頼が生まれて、彼に大坂城をあげることにしたので、秀吉自身の居城としてこの伏見屋敷を改修して城を作ったと。この頃の伏見城を「指月山伏見城」と呼びます。大阪と京都の両方を支配するのに好都合な立地だった伏見城を訪れる。

京都に向かう。

関ケ原の戦いで勝利した徳川家康が、上洛の際の宿泊所として1603年(慶長8)に築城。後に3代将軍家光が大改修し、現在のような規模となった。堀を巡らし石垣に囲まれた広大な城内は、二の丸御殿(国宝)、本丸御殿(重要文化財)、二の丸庭園(特別名勝)などからなり、豪壮な外観に反して内部はきらびやかさに満ちている。二の丸御殿の障壁画(重要文化財)は狩野派の作で、松鷹図などがよく知られる。本丸御殿は京都御苑内にあった旧桂宮家の御殿を移築した元離宮二条城を訪れる。

彦根に向かう。

彦根藩・井伊家30万石の居城。1622年(元和8)、井伊直継・直孝によって、約20年の歳月をかけ完成。琵琶湖から直接引き込んだ堀をめぐらし、小高い山に立つ。3重3層の天守(国宝)を中心に、長浜城から移築された天秤櫓(重要文化財)、城内の合図のための太鼓が置かれていた太鼓門櫓(重要文化財)、近江八景を模した庭園の玄宮園など見どころが数多く残る。天守の最上層からは琵琶湖が一望の下に見渡せる彦根城を訪れる。

長浜に向かう。

1574年(天正2)、豊臣秀吉が初めて一国一城の主となった城。大坂の陣の後に廃城となったが、1983年(昭和58)に天守閣を再興。現在は長浜市長浜城歴史博物館として公開されている。館内では琵琶湖の湖底遺跡などから発見された縄文土器や、「賤ケ岳合戦図屏風」などの資料を交えて湖北地方の歴史を紹介。周辺は桜が名所の豊[ほう]公園として整備されている長浜市長浜城歴史博物館を訪れる。

桑名に向かう。

1601年(慶長6)、本多忠勝が城主になり、城下町割とともに城郭の拡張整備を行った。城郭は現存しないが、城跡は九華公園として整備され、桜やツツジ、菖蒲などが美しく、市民の憩いの場として親しまれている桑名城跡・九華公園を訪れる。

松坂に向かう。

戦国武将、蒲生氏郷によって1588年(天正16)に築かれた。かつては本丸とニノ丸に石垣を築き、3層の天守閣に敵見、金の間、月見などの櫓が配されていた堅城だった。今はそそり立つ石垣を残し、公園として整備されている。桜、イチョウなどが美しく、市民の憩いの場の松阪城跡を訪れる。

津に向かう。

1580年(天正8)に織田信長の弟・信包によって築かれ、藤堂高虎の入城によって大改修が行われ、明治維新まで藤堂氏の居城となった。現在は堀や櫓などが残り、庭園も造られている津城跡を訪れる。

亀山に向かう。

1590年(天正18)に岡本良勝が築いた城。かつては5つの曲輪があり、櫓や門が立ち並んでいた。現在は石垣の上に多門櫓を残すのみだが、美しい石垣に往時の姿が偲ばれる。多門櫓は県の史跡に指定されている。近年、城内門の1つであった石坂門の石垣が発掘され、亀山市歴史博物館の玄関前に一部を移築・復元されている亀山城跡を訪れる。

伊賀上野に向かう。

1585年(天正13)、筒井定次が築城。関ケ原の合戦以降、築城の名手である藤堂高虎が大改修を行ったが、天守閣は竣工直前の1612年(慶長17)に暴風雨で倒壊した。現在の城は1935年(昭和10)の再建で、城跡は国の史跡の指定を受けている。日本一の高さを誇る石垣は高虎時代のものの伊賀上野城を訪れる。

郡山に向かう。


大和郡山のシンボルとして親しまれる。1580年(天正8)に筒井順慶が築城。豊臣秀長時代の大増築に際し紀州根来寺の大門を城門として移築、平城京羅城門の礎石や石仏、墓石までかき集めて豪壮な石垣が築かれた。今も天守台の後ろで逆さまに積まれた地蔵が見られる。江戸時代には、水野、松平、本多と城主が替わり、1724年(享保9)以降は柳沢藩十五万石の城下町として栄えた。明治時代に城郭は壊されたが内堀と外堀の一部が残り、追手門、東隅櫓、多聞櫓などが復元されている。桜の季節にはお城祭りで賑わう郡山城跡を訪れる。

今回の旅行、韓国釜山観光を予定していましたが台風の影響で断念、急遽、近畿圏の城と城下町22か所を訪れました。

何回か訪れたことのある近畿圏の城と城下町、城と城下町の専門雑誌を読みながら散策し、歴史学習できました。




 
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五弾:福島県福島タウン&相馬観光
2012年9月8ー9日
   

阿武隈山地・奥羽山脈を隔てて、いわき・相馬のある太平洋側の浜通り、福島・郡山がある中心地の中通り、会津・喜多方など歴史ある町が多い会津の3つのエリアに分けられ、海あり山ありの広い福島県に足を運び、福島県の県庁所在地で、吾妻連峰や阿武隈高地に囲まれた福島盆地に位置する福島タウン、江戸時代に相馬中村藩6万石の城下町として栄えた相馬を訪れました。

8日14:30伊丹空港出発、
15:55福島空港到達、レンタカーで二本松方面に向かう。

1643年(寛永20)、初代二本松藩主・丹羽光重が築いた二本松城跡を整備した公園。入口の巨大な箕輪門は、1982年(昭和57)に復元されたもの。江戸時代の茶室「洗心亭」では、茶会なども催されている。春には1700本の桜が咲き乱れ、秋には「二本松の菊人形」の会場となる霞ケ城公園を訪れる。

詩人・高村光太郎の妻、智恵子の生家である造り酒屋を修復・公開している。併設された記念館では、智恵子が生前に残した油絵や紙絵、光太郎が家族にあてた書簡などを展示する智恵子の生家・智恵子記念館を訪れる。

福島タウンに向かう。
18:20福島駅前のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

9日6:00レンタカーで出発、福島タウン・福島郊外を観光する。

信夫山西麓にある大型美術館。福島県出身の版画家・斎藤清や関根正二をはじめ、国内外の芸術家の作品を常設展示している福島県立美術館の前で記念撮影。

さまざまなガラス製品、輸入雑貨が展示販売されている。2階展示室には明治・大正期のガラス美術品、ヴィクトリアン・グラスや色鮮やかな小鉢、コンポートなどを展示し、喫茶コーナーもある飯坂明治大正ガラス美術館の前で記念撮影。

826年(天長3)の開基という。弘法大師作の薬師如来が祭られ、鯖野の薬師ともよばれ、病を癒す仏として親しまれてきた。源義経に随従した佐藤継信、忠信兄弟の菩提寺で、義経一行が奥州行で立ち寄ったことを伝える弁慶の笈が宝物殿に残され、境内には「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」と詠んだ芭蕉の句碑がある医王寺を訪れる。

文化財の古民家保存、および教育施設として造られた施設。約11万平方mの敷地には、国の重要文化財に指定されている芝居小屋・旧広瀬座や、江戸中期から明治初期頃の茅葺農家など9棟が並ぶ。生活用具や大工道具など民具の展示もある福島市民家園を訪れる。

芝生と池の庭園にレンガ造りの建物が立ち並ぶ農村公園。レストラン、地元の農産物の販売施設、ガラス工房、こけし工房などの体験施設が揃っている。こけしやガラスの絵付けが体験できる四季の里を訪れる。

サクラやレンギョウの花木を栽培している農家が昭和34年(1959)から一般開放。2月にはロウバイ、3月にはウメ、4月にはサクラが見ごろを迎え、20万人以上が訪れる。「桃源郷」と呼ばれるほどの華やかさの花見山を訪れる。

その形から「古代ピラミッド説」や「UFOの基地説」も語られるという、ミステリアスな山・千貫森にある多目的施設。1Fでは迫力の3D館をはじめ貴重な世界のUFO情報を展示。2Fにはパノラマ風呂と休憩室が完備されている福島市飯野UFOふれあい館[千貫森公園]を訪れる。

震災の跡形を残した相馬・南相馬方面に向かう。

13:00福島空港に戻る。

15:20福島空港到達。
16:40伊丹空港到達。

今回の旅行、震災・原子力で被害を被った福島県に足を運び、霞ケ城の城下町二本松、福島県の県庁所在地福島タウン、相馬中村藩6万石の城下町として栄えた相馬を訪れドライブ観光楽しめました。

震災・原子力で被害を被った相馬・南相馬の海岸線は民家が殆どなく、いたるところで道路の補修工事、震災の影響を物語っていました。

南相馬を南下していわきに向かう途中、原子力の影響で通行止め、仕方なく戻って南相馬の街から山越えしていわきを断念して福島空港に向かいました。

震災後の修復、原子力の安全性、まだまだ時間かかりそうな福島ドライブ観光でした。







 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四弾:長野県大町&白馬観光
2012年9月1ー2日
  

長野県の北西部に足を運び、北アルプスを横断する立山アルペンルートの玄関口として知られる大町、雄大な山々に囲まれた自然豊かなトレッキングやアウトドアスポーツが人気の白馬を訪れました。

1日14:00新大阪新幹線のぞみで出発
14:51名古屋駅到達
15:00名古屋駅特急ワイドビューしなので出発
17:03松本駅到達、松本市内のホテル到着後市街地を散策し食事を済ませて就寝。
2日6:00レンタカーで出発、大町方面に向かう。

北アルプスの山々から安曇野平野、戸隠連山、美ケ原高原まで一望できる展望台。特に夕日の美しさで知られる鷹狩山展望台を訪れる。

北アルプス山岳文化、歴史、自然を紹介する山岳専門の博物館。大町市の東、鷹狩山の中腹に位置し、3階の展望室からは、大町市と北アルプスの展望が楽しめる。1階には登山の歴史、海外遠征登山で実際に使われた用具、井上靖の小説『氷壁』にも描かれた切れたナイロンザイルの実物などを展示。2階にはライチョウやニホンカモシカなど高山の動植物の生態を解説している。屋外には付属動植物園を併設する大町山岳博物館を訪れる。

江戸時代の塩問屋で塩交易に尽力した、平林甚左衛門の明治時代の商家母屋と江戸時代の塩蔵に塩の道や塩に関する資料、民具などを展示。武田信玄への上杉謙信の「義塩」の故事も紹介している。松本から大町、千国、糸魚川へと続く、約120kmの塩の道・千国街道を往来した歩荷や牛方、物資の様子がうかがえる。併設の流鏑馬会館では、若一王子神社の流鏑馬神事に関する資料を一堂に展示している塩の道博物館・流鏑馬会館を訪れる。

『キャッツ』『オペラ座の怪人』『ライオンキング』『李香蘭』『夢から醒めた夢』などのミュージカルや、『鹿鳴館』『オンディーヌ』『エクウス』等のストレートプレイで知られる劇団四季の資料館。1953年(昭和28)創立から半世紀にわたる劇団四季の歩みを新劇の歴史にも触れながら紹介している。実際に舞台で使われた衣装や小道具なども展示。現代演劇専門の資料館は珍しく、全国から多くのファンが訪れる四季演劇資料館を訪れる。

白壁・瓦屋根の落ち着いた建物内には、長野県内87の酒造所の全銘柄をはじめ、全国の清酒1500本を陳列。酒造りの歴史・文化や工程を、パネルやビデオで分かりやすく解説している。酒樽や酒槽など、酒造りの道具500点の展示も興味深い酒の博物館を訪れる。

仁科三湖方面に向かう。

北アルプスの麓、国道148号沿いに南から木崎湖、中綱湖、青木湖と農具川で繋がっている3つの湖の総称。いずれも、東日本と西日本を地質構造上で分けている、フォッサマグナの断層に沿ってできた断層湖だ。800m前後の標高にあり、周囲は自然がよく保たれ、特に青木湖は透明度が高いことで知られている。サイクリング、キャンプ、水上スポーツ、釣りなどが楽しめる仁科三湖を訪れる。

「レジャーの木崎湖」といわれ、三湖のなかでは一番賑やか。水上スキーやカヌーといった水上スポーツはもちろん、湖畔ではキャンプやサイクリングが楽しめる。湖面標高が764mで、湖面を渡る風は夏でもさわやか。南岸には中世に約400年続いた仁科氏の城跡のほか、木崎湖温泉の宿が並ぶ木崎湖を訪れる。

周囲約2kmと、仁科三湖の中で一番小さい。「釣りの中綱湖」といわれ、フナやウグイなどの釣り場として知られている。冬期は仁科三湖のなかで唯一氷結し、ワカサギの穴釣りが楽しめる。西岸には塩の道(千国街道)が通り、石仏群も点在する。春は濃いピンクのオオヤマザクラが湖面に映り、人気のビューポイントとなる中綱湖[仁科三湖]を訪れる。

ハート型の湖岸線が美しい湖。周囲6.7km、湖面標高822m。仁科三湖のなかで最も大きく、水深58mで透明度も高い。湖面には白馬三山を映し、その神秘的な佇まいから「思索の湖」とも。夏はボードセイリングやカヌー、キャンプを楽しむ観光客が訪れ、冬はスキーの基地となる。また、西岸の堂崎観音や北西岸の西国三十三番観音などの塩の道の史跡をたどるハイキングも楽しい青木湖を訪れる。

白馬方面に向かう。

出発駅・とおみ駅からテレキャビンで約8分の空中散歩。標高1515mの場所に5haの200種類100万株の山野草公園があり、コマクサを見ることができる。又、標高1676mの地蔵の頭(地蔵のケルン)では360度の大パノラマが広がり五竜岳、白馬三山が見れます。そこから先のアルプス平自然遊歩道もあり、標高2007mの小遠見山まで往復約3時間のトレッキングコースも楽しめる白馬五竜高山植物園を訪れる。

標高2696mの唐松岳の山頂から東方へ向けて延びる尾根。山麓から第1ケルンまでは、ゴンドラ・リフトを乗り継ぐ八方アルペンラインで気軽に登ることができる。第1ケルンから八方池のある第3ケルンまでは、八方尾根自然研究路と呼ばれるハイキングコース。徒歩で片道1時間ほどだ。第3ケルンからは白馬三山や五竜岳、鹿島槍ケ岳などの山並みが目前に迫る。八方池の湖畔には高山植物が咲き乱れ、7〜8月が最盛期。八方池から先は登山装備が必要だが、2時間30分ほどで北アルプス稜線の唐松山荘まで登ることができる八方尾根を訪れる。

白馬の新しいシンボルになっている、長野オリンピックの会場として使用されたジャンプ台。リフトとエレベーターを使い、スタート地点に通じるタワー内部を見学できる白馬ジャンプ競技場を訪れる。

八方尾根と栂池高原のほぼ中間にある独立峰、岩蕈山。山麓の西山から信濃路自然歩道岩岳ルート)を歩いて標高1289mの山頂へ登ることができる。自然歩道はよく整備されているが、軽い登山装備が必要。山頂は夏の期間はゆり園もオープンし、ゴンドラリフトが運行される。白馬三山や唐松岳などの眺望は抜群。山麓には岩岳ゆり園や、白馬岩岳サマーゲレンデもある岩岳を訪れる。

千国街道沿いの親の原には木々に包まれて百体(現在は88体)の観音像がある。江戸時代、伊那高遠の石工の作といわれ、西国三十三カ所、坂東三十三カ所、秩父三十四カ所の礼所を合わせ百として観音礼所巡りができるように彫られたものという前山百体観音を訪れる。

白馬乗鞍岳の中腹、栂池高原スキー場の上の標高1880m地点に広がる高層湿原。園内は高山植物の宝庫で水芭蕉に始まり、ミヤマキンポウゲ、ワタスゲ、ニッコウキスゲなどがつぎつぎと咲き乱れ、秋のナナカマドの紅葉まで、さまざまな表情を見せてくれる。遊歩道があり、約3時間半のハイキングが楽しめる。また、入園のために利用するゴンドラリフトやロープウェイからの眺望も魅力。北アルプスから八ケ岳までの大スケールのパノラマが得られる栂池自然園を散策する。

牛方が牛と一緒に寝泊まりした宿。19世紀初期の建物で、塩の道に現存する唯一の牛方宿を訪れる。

新潟県の糸魚川から信州松本に至る、全長約30里(120km)が「塩の道」と呼ばれる旧千国街道。かつては、日本海側からの塩や海産物、信州側からの麻や木地物といった生活物資が、牛や歩荷の背によって運ばれた。上杉謙信が宿敵・武田信玄に塩を贈ったというエピソードが残るのも、この街道あればこその話の千国街道(塩の道)を訪れる。

1869年(明治2)まで松本藩の番所のあったところに立つ、塩の道の史料館。番所を復元。隣接して昔の民家があり、小谷村の紹介ビデオも放映している千国の庄史料館を訪れる。

明治初期建築の入母屋造の民家を利用した郷土館。土器などの考古資料、古い着物を裂いて織るボロ織り(さき織り)などの民俗資料を紹介している。ボロ織りは実演も見られる。また村内で発見された恐竜足跡化石は長野県天然記念物の小谷村郷土館を訪れる。

松本方面に戻る。

16:50松本駅到達
17:12松本駅特急ワイドビューしなので出発
19:23名古屋駅到達
19:43名古屋駅新幹線のぞみで出発
20:32新大阪駅到達。

今回の旅行、冬のスキーシーズンには何回も訪れた事のある大町・仁科三湖・白馬の夏の自然に触れて楽しみ癒されました。

夏場の八方・栂池・五竜の山頂での散策、冬季では得れない、発見が目白押しでなかなかのものでした。