飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五十弾:大分県沖離島深島&佐伯&臼杵観光
2013年10月26−27日
 

九州の東に位置する大分県に足を運び、大分県最南端で、島の周囲は入り江や岩礁がたくさんあり磯釣りのポイントがたくさんある蒲江沖離島深島と城下町の風情を残す街並みがある佐伯・臼杵のお城を巡りました。 

26日14:00伊丹空港出発
15:00大分空港到達、レンタカーで津久見に向かう。
17:00津久見到達、市内のホテル到着後食事を済ませて就寝。
27日6:00レンタカーで出発、蒲江に向かう。
7:05蒲江港到達。
7:30蒲江港定期便で出発
7:30深島到達、散策。

蒲江港から約9km南に位置する島。大分県では最南端にある島。面積1.10km2、周囲4.0km。人口36人(2000年国勢調査)。全域が日豊海岸国定公園に指定されている。南部と北部の2つの島が中央の砂州で結ばれ、全体としてひょうたん形をしている。集落は島の中央のくびれた部分にある。北方約7kmのところにある屋形島との間にはサンゴ礁が発達しており、島の沿岸部2箇所が海中公園に指定されるなど、ダイビングのメッカとして有名。また、国の天然記念物であるカラスバトの生息地でもある。クロダイ、ハマチ、ブリなどの磯釣りのポイントとしても知られる。深島かまど白みそという白みそが名産である。

12:32深島定期便で出発
13:00蒲江港到達、レンタカーで佐伯に向かう。
佐伯城散策する。

日田から転封された毛利高政が、1606(慶長9)年に築城し、以後、毛利氏十二代の居城となった。現在は、本丸、二の丸、北の丸などの石垣や、三の丸の立派な楼門が残る。本丸跡に国木田独歩の碑が立つ。

国木田独歩館を訪れる。
臼杵に向かう。
臼杵城を訪れる。

弘治2年(1556)ごろ、東九州一円に絶大な権勢を誇ったキリシタン大名・大友宗麟によって築城された城。四方を海に囲まれた海城だったが、その姿から巨亀城ともよばれた。現在は埋め立てにより陸続きとなっており、江戸時代より残る畳櫓と卯寅口門脇櫓に加え、大門櫓が復元されている。城跡内には宗麟の晩年の姿を描いたブロンズ像やレリーフがある。ポルトガルから贈られた日本初の大砲・国崩しのレプリカは必見。春は桜の名所としても知られている。

16:00大分空港に向かう。
17:30大分空港到達。
18:50大分空港出発。
19:45伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の東に位置する大分県に足を運び、蒲江沖の離島深島と城下町である佐伯と臼杵のお城を巡り癒されました。

台風が過ぎ去ってからの大分旅行、天候もよく、絶好の観光日和、のどかな離島深島を気持ちよく散策ができました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十九弾:宮崎県沖離島(大島・島野浦島)巡り
2013年10月19−20日
 

九州の宮崎に足を運び、宮崎県沖の離島、目井津港から見えるひょうたん島ような形の島の大島、延岡市の中心部からは北東へ約12km。島の中心には標高約185mの遠見場山があり、山頂に灯台がある島野浦島を訪れました。

19日15:35伊丹空港出発
16:40宮崎空港到達、レンタカーで宮崎駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
20日6:00レンタカーで出発、日井津方面に向かう。
7:10日井津港到達
7:30日井津港旅客船で出発
7:40大島小浜港到達、散策。

目井津港から見えるひょうたん島ような形の島が大島。昭和50年くらいまでは300人ほど島民がいて、小学校や中学校の分校もあったようだが、今ではほとんどお年寄りばかりになり人口20〜30人になってしまった。島の中ほどにアドベンチャーキャビンがあり、宿泊できる。島には亜熱帯性の植物が繁り、季節にはあちらこちらでハイビスカスの花を見ることができる。奇岩なども多く、ダイビングやキャンプに訪れる人も年々増えている。産業は漁業が中心だが、釣り客や島を散策に来るひとのための民宿もある。

10:20大島小浜港旅客船で出発
10:30日井津港到達、レンタカーで延岡方面に向かう。
13:45浦城港到達
14:55浦城港高速船で出発
15:05島野浦島浦港到達、散策

延岡市の中心部からは北東へ約12km。島の中心には標高約185mの遠見場(とんば)山があり、山頂に灯台がある。島全体が切り立った地形で、岩場が多く磯釣りが楽しめそう。日豊海岸国定公園の一部でリアス式海岸も美しい景観を見せている。 かつては伊予水軍が付近で活躍していた。水産業と水産加工業で活気に満ちた島。

15:30島野浦島島浦港高速艇で出発
15:40浦城港到達、レンタカーで宮崎空港に向かう。
18:00宮崎空港到達
18:50宮崎空港出発
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行九州の宮崎県に足を運び、数少ない宮崎県沖の離島、大島、島野浦島を訪れ癒されました。

2つの島とも近距離に位置していましたが波が高く、うねりが強く、渡船がかなり揺れながら走行してなんとかたどりつきました。

大島は家も、住民も少なく、寂しい島でしたが散策する道は整備されハイキングにはもってこいの島ですね。最端の灯台まで散策し、10km楽しく歩くことができました。

一方島野浦島は家も住民も多く、賑わっていました。残念ながら十分な時間を取れなくて島浦港周囲のみの散策でした。

宮崎県沖離島(大島・島野浦島)巡り満喫しました。


 




飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十八弾:宮城県南三陸沖離島巡り
2013年10月12−14日


海と山、息をのむほどの美景あり、東北の中心となる宮城県に足を運び、南三陸沖の離島(出島、江島、気仙沼大島、田代島、網地島)を訪れました。

12日14:30伊丹空港出発
15:55仙台空港到達、レンタカーで石巻に向かう。

石巻市は、宮城県東部に位置する、県内第二の人口を擁する市。広域合併により、市域は北上川下流の仙台平野(石巻平野)から、女川町を除く三陸海岸南端(牡鹿半島)一帯まで広がった。旧北上川河口に中心部を持ち、石巻都市圏の人口は約21万人(2000年国勢調査時点)、世帯数は59,065世帯である(2006年(平成18年)3月末)。金華山沖(三陸沖)では、黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかるため世界三大漁場の1つとなっており、漁場に近い本市は全国でも有数の水産都市となっている。市内の万石浦でカキの養殖法が開発され、世界中に広がった。

17:30石巻到達、石巻駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
13日7:00レンタカーで出発、女川に向かう。
7:30女川港到達。

女川町は、宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。町域は、南三陸金華山国定公園地域に指定されている。北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキ(牡蛎)やホタテガイ(帆立貝)、ギンザケ(銀鮭)などの養殖漁業が盛んで、金華山沖漁場が近いことから、地方卸売市場には暖流・寒流の豊富な魚種が数多く水揚げされる。また、町の南には石巻市とまたがって東北電力の女川原子力発電所がある。

7:45女川港フェリーで出発、江島に向かう。
8:15江島到達、散策する。

江島は牡鹿半島の東側に突き出る寄磯崎から東へ約4kmの沖合いに浮かぶ小島で、二股島、平島、足島などの無人島と列島を成しており、島の北側にある漁港に女川港から高速船が片道25分で往復しています。江島の標高は77mとそれほど高くはありませんが、平地が少なく入り江が多いのが特徴的で、入り江がある島として江島と呼ばれるようになったといわれています。山の斜面に階段状に家々が並び、昔は荷物を頭の上に載せた女性が坂道を昇り降りする姿が島の風景にもなっていました。定住の始まりは不明ですが、平安時代中期頃、陸奥国に勢力があった安倍頼時の子・安倍宗任(鳥海三郎)が魚網を伝えたという話が残っていることからその頃には既に定住があったのかもしれません。また、源義経を匿った罪で頼朝に追われた樋詰(日詰)五郎が逃げ延びた地だとも言われており、久須師神社には島の開祖として樋詰五郎が祀られ、毎年5月5日には盛大に祭りが催されます。その時奉納される「江島法印神楽」は県の重要無形民俗文化財に指定されています。江戸時代には牡鹿半島周辺の島々は仙台藩の流刑地となっていたところが多く、田代島や網地島が比較的軽い罪の者が流されたのに対して江島は重罪人の流刑地になっていました。中には文化人や身分の高い者も多くいたようで、栄存神社には無実の罪で流され、1681年にこの島で亡くなった高僧・栄存法印が祀られています。

11:00江島フェリーで出発、出島に向かう。
11:35出島到達。

宮城県は東北地方でも貝塚が多く分布する県で、この出島の貝塚からは珍しい縄文時代の土器や骨角器類が発見されている。出島付近も黒潮の影響で気候は比較的温暖で釣りファンも大物釣りをめざす。

11:35出島出発、女川に戻る。
11:55女川港到達、レンタカーで気仙沼大島に向かう。
13:30気仙沼港到達。

気仙沼市は、宮城県北東端の太平洋沿岸に位置する都市である。当市域はかつて本吉郡に属していたが、北側に隣接する岩手県沿岸南部の気仙郡地域(大船渡市・陸前高田市ほか)とは古くから一つの地域圏を形成しており、江戸時代には同じ仙台藩に属していた背景から方言も近似する。現在でも県境を越えた交流が深く、当市は三陸海岸南部の商業拠点となっている。また、変化に富んだリアス式海岸の観光も発展している。

14:30気仙沼港カーフェリーで出発。
14:55気仙沼大島到達、ドライブする。

親潮・黒潮の交差する地域で気候は温暖で、春には椿が多く見られる。北部に亀山(235m)があり、展望台から気仙沼湾ののどかな風景が臨める。観光客も多く、キャンプやサイクリング、グラスボートによる海中公園遊覧などが楽しめる。縄文時代の貝塚や遺跡があり、太古の時代にも生活が営まれていた。緑色の花を咲かせる桜の木があるらしい。

16:20気仙沼大島港フェリーで出発。
16:45気仙沼港到達、石巻に向かう。
19:20石巻のホテル到着後、石巻駅前のレストランで食事を済ませてから就寝。
14日8:00レンタカーで出発、石巻港に向かう。
8:15石巻港到達。
9:00石巻港フェリーで出発、田代島に向かう。
9:38田代島到達、散策。

日本は八百万の神々、たくさんの神様が祀られていますが、猫神様も全国的にちらほらと散見されます。祀られている猫はネズミ退治で活躍する猫、福を呼ぶ招き猫、化け猫等々色々です。田代島には昔いたずら好きの山猫がいて、漁の魚を盗んだり、人間に危害を加えたり化かしたり、悪さの程がひどかったので、それを鎮めるために猫を祀ったという伝説があります。それがいつの間にか猫は大漁を招くと言われ、大切にされるようになったのだと思います。そして猫の天敵である犬は敬遠され、猫が多いというより犬が居ない島になってしまいました。島の中ほどにある猫神社には招き猫が祀られています。田代島は牡鹿半島の西側に位置し、南三陸金華山国定公園に含まれます。砂浜は少なく島の周りはほとんどが断崖になっていて奇岩が多く、波が絹糸のように岩に纏わりつき、それが日光に曝されキラキラと美しかったことから、昔は“多曝島”と呼ばれていたと言います。漁業が中心の島で、幕末から明治の初め頃は大型定置網の大謀網が盛んで、宮城県でも有数の漁場でした。北に大泊、南に仁斗田と二つの集落がありますが、普段はどちらも人影は疎(まば)らで、人より猫の数が多いと言われる過疎化と高齢化が進む島でもあります。島の周りはほとんど岩場ですが、仁斗田港の近くに人工海水浴場の田代島ポケットビーチがあります。島では唯一安心して海に足をつける事ができる場所かもしれません。仁斗田港を徒歩で15分ほど南下するとマンガアイランドがあります。宮城県は漫画家石ノ森章太郎の出身地でもあることから、石巻市をマンガの街にしようという構想が持ち上がり、その一環として田代島にマンガアイランドが造られました。漫画家の“里中満智子”さんや“ちばてつや”さんがデザインしたロッジがあることで知られています。南端にある三石観音というのは、昔この地に金に輝く十一面観音が流れつき、それを島民が祀り信仰したと言われているもので、ここには古ぼけたお堂があります。巨大な岩が三つあるので三石と呼ばれていますが、その岩の上を観音様が馬に乗って上陸した時に付いたと言われる窪みがあります。西側にある「音が洞」は、洞窟に波がかぶると音が鳴るというので名が付いたようですが、島の乙女がここで大タコを見つけて足を一本づつ持ち帰ったという伝説もあります。イマイチよく分からない伝説ですが。北側にある二鬼城崎は“にげしろざき”と読みます。平安時代後期に起こった前九年の役(1051年〜1062年)に敗れた安倍氏の残党が逃げ隠れ住んだと言われるところで、“逃げ城”とも呼ばれています。また、教育センターの裏手にある“八兵衛壇”というのは、10基前後の塚がある所で、安倍氏の残党が貴重な品を埋めたという伝説もあり、そこを掘り起こすと祟りがあると地元の人から恐れられている場所です。

13:04田代島フェリーで出発、網地島に向かう。
13:24網地島到達、散策。

網地島は牡鹿半島の先端・黒崎の南西約2kmにある島で、かつては遠洋漁業の基地として栄え、昭和30年代には人口が3,000人を超える活気のある島でした。しかし、現在は人口も500人前後に減り、高齢化が進み、漁業も近海での漁が中心になっています。北側に網地浜地区、南側に長渡浜地区と2つの集落があり、島の半分くらいの人が阿部姓で、阿部さんと呼びかけると皆が振り返るそうです。また田代島と同じく猫がたくさん居る島でもあります。黒潮の影響で気候は温暖で暖帯性植物が群生し、海水浴やサイクリング、釣りなどリゾート地として人気を集めています。ベーリング海峡を発見したロシアのベーリングが派遣した探検隊が1739年(元文4年)に上陸、交易を行なったという記録があり、それを記念したベーリングの銅像があります。島の南端に赤と白のストライプがきれいなドワメキ灯台があります。「ドワメキ」は漢字で書くと「渡波滅生」と書き、岬の先端のところが波の中に消えたり、また現れたりする様を「渡波滅生」と表したそうです。特産品は生ウニ、アワビ等の海産物。

14:00網地島フェリーで出発
15:00石巻港到達。レンタカーで仙台空港に向かう。
17:30仙台空港到達。
19:10仙台空港出発。
20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、東北の中心である宮城県に足を運び、南三陸沖の離島(江島、出島、気仙沼大島、田代島、網地島)を訪れ2泊3日の旅、癒されました。

今回訪れた市(石巻、女川、気仙沼)と離島(江島、出島、気仙沼大島、田代島、網地島)は震災後の復興工事が至る所で行われ、完全に戻るには、まだまだ時間がかかりそう、震災の影響の凄さを物語っていました。

各島は、離島特有ののどかさ、過疎地化し、住民はほとんど高齢者、離島に共通する言葉ですね。
今回訪れたエリアは復興現在進行形で数年後立派な新都市として蘇るのでしょうね。数年後又訪れてみたい、宮城県南三陸沖離島巡りでした。


 














 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十七弾:長崎県平戸沖離島的山大島&度島観光
2013年10月5−6日
 

長崎県平戸に足を運び、平戸沖の離島、平戸諸島の北の外れ、海の要衝、九州北部から出港した遣唐使船が、大陸とを往来する際に寄港した島、的山大島、室町時代の1554年に3人のキリスト教宣教師が来島して布教活動を行った度島を訪れました。

5日14:30伊丹空港出発
15:40長崎空港到達、レンタカーで平戸に向かう。
17:30平戸手前の江迎鹿町駅付近のホテル到着後市街地を散策し食事を済ませて就寝。
6日7:30レンタカーで平戸港に向かう。
8:10平戸港到達
8:20平戸港フェリー度島で出発
9:05度島本村港到達

度島は東側の丸島の所に標高103mの飯盛山があり、この島ではここが一番高い。全体的に平坦な所は少なく、北西側も40〜60mの断崖になっている。キリスト教が伝えられたころはキリシタンの島だったが、秀吉のバテレン追放令(1587年)により改宗が進み、それ以降は信者は居なくなった。お盆に行われる"盆ごうれい”と呼ばれる行事は無形文化財に指定されています。先土器時代の遺跡や古墳もあります。

9:10度島本村港フェリー度島で出発
9:45平戸港到達
10:20平戸港フェリー大島で出発
11:05大島的山港到達、シャトルバスで神浦に向かう。

大島は島の周囲は岩場が多く磯釣りのメッカ。マダイ、メジナ、イサキなどが釣れる。大賀断崖は50〜70mの切り立った断崖が続き、この上にキャンプ場がある。いさりびの里「漁火館」は温泉や宿泊、バーベキュー広場などが利用できる。遣唐使船も寄港したことがあると伝えられている。また1281年の弘安の役(元寇)で戦場になった。2009年『大根坂の棚田』で「島の宝100景」に選ばれました。

11:30神浦到達、散策

神浦港を見下ろす神浦の神社に肥前型の石鳥居がある。柱に享保2年に藩主松浦公が奉納した旨が刻まれている。鳥居の正面の建物(現在は倉庫)は江戸時代の拝殿であり、本殿は現在鏡内社となっている金比羅宮で江戸中期のものと判明している天降神社を訪れる。

井元氏の墓地内に建立されており、年記(1692年)のある最も古いもの。縦122cm、横45cmの鯨供養碑を訪れる。

13:20神浦シャトルバスで出発
13:40的山港到達
14:00的山港フェリー大島で出発
14:45平戸港到達、レンタカーで西彼杵半島に向かう。
16:30西彼杵半島鵜瀬島到達

もとの住所は西彼杵郡琴海町。平成の大合併で2006年1月4日に長崎市に編入。小口のところに橋が架かっているので陸続きになっているが、対岸とは10mくらいしかなく干潮の時は徒歩でも行き来できたみたいです。島にはほとんど民家しかないようで、小学生は4kmほど離れた
尾戸小学校へ徒歩通学してるようです。島の周囲の入り江では真珠の養殖や牡蠣、ナマコ、みかんとか採れるようです。

16:45鵜瀬島出発、長崎空港に向かう。
18:10長崎空港到達
18:45長崎空港出発
19:50伊丹空港到達。

今回の旅行、長崎県平戸沖の離島、平戸諸島の的山大島と度島を訪れました。大陸に近いせいもあり、九州北部から出港した船の寄港島でもあり、又キリス教宣教師が来島し布教活動を行った島でもある。
古くからの歴史を語ることのできる歴史深い島でもありました。