飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十五弾:九州北西部(佐賀県・長崎県)城、島めぐり
2013年6月29ー30日
  

九州北西部の佐賀県、長崎県に足を運び、城(唐津城、名護屋城、平戸城、島原城)、島(鷹島、福島、前島、鼕泊島)を訪れました。

29日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
16:14博多駅到達、レンタカーで唐津に向かう。
17:45唐津到達、唐津城散策。

唐津藩の初代藩主、寺沢志摩守広高[てらさわしまのかみひろたか]が7年の年月を費やして1608年(慶長13)に完成させた。現在の天守閣は1966年(昭和41)に完成したもの。内部は郷土博物館で、古い絵図や武具、刀剣類などを展示する唐津城を訪れる。

18:30唐津市内のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

30日7:00レンタカーで出発、呼子に向かう。

豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し、加藤清正らに命じて1592年(天正20)に築城。総面積約17万平方mという当時大坂城に次ぐ規模ながら、わずか5カ月で主要部分を完成させた。名護屋城では茶会が盛んだったといわれ、周辺には草庵茶室跡や茶の湯に使った太閤井戸などが残る名護屋城を訪れる。

長崎県北部の松浦市に属し、平戸諸島の中では最も東にある有人島です。2009年4月18日に佐賀県唐津市肥前町星賀と鷹島町神崎免との間に全長1,251mの鷹島肥前大橋が開通し、陸路でのアクセスが可能になっています。北部の宮地岳(116.6m)と南部の牧の岳(117m)が最高点を競い、丘陵地に草原や耕作地が続いています。産業は漁業が中心で、入り江が多い複雑な海岸線には漁港が点在しています。鷹島は日本の神風伝説由来の地だと言われています。文永の役(1274年)・弘安の役(1281年)と元寇は2度にわたって襲来していますが、2度目の襲来となった弘安4年、14万の元軍が鷹島沖に集結したところを暴風雨が襲い、元軍は壊滅状態に追い込まれたのです。後々まで語り継がれることになる“神風伝説”はこの時生まれました。今でも海底には多くの遺物が残され、発掘されたものは歴史民俗資料館に展示されています。また2011年には鷹島南沖海底で原型をとどめた元寇船が見つかり話題を呼んでいます。松浦市とモンゴル(元)のホジルト市はかねてより交流があり、姉妹都市の間柄でもあります。島の北部の草原にはバーベキューハウスや温泉施設、遊牧民気分を味わいながら泊まることができるゲルなどを備えたモンゴル村が人気の鷹島を訪れる。

北は唐津市、東は伊万里市に接し、伊万里湾を塞ぐように位置する福島は長崎県松浦市に属します。椿の島として有名で、特に北側の初崎自然公園には椿の群生が見られ、灯台までの散歩道があります。公園にはキャンプ場や展望台があり、遠くに壱岐島などが眺望できます。かつては炭鉱の島として栄え、昭和20代から30年代の初め頃には人口が10,000人を超えたこともあります。炭鉱の衰退とともに人口も減少し、現在では多くの自然美を残す島となっています。東側の土谷(どや)棚田は「日本棚田百選」にも選ばれ、夕陽に映える棚田は優雅とも思える美しさを見せます福島を訪れる。

平戸に向かう。

1704年(宝永元)に山鹿流兵法によって平戸城として築城された。現在の天守閣は1962年(昭和37)に復元されたもの。天守閣内部には3世紀ごろの「環頭の太刀」(重要文化財)をはじめ、平戸藩ゆかりの武具などの文化財や遺品も多く展示されている。天守閣最上階の展望室からは平戸市街や平戸港、遠くは壱岐の島々まで見渡せる。二の丸跡は、亀岡神社と公園として整備されている平戸城を訪れる。

九十九里浜に向かう

鹿町町の江迎湾辺りから日本本土最西端の碑がある小佐々町の神崎鼻までの約10kmに散在する島々を九十九島の中で北九十九島と区分けしてるようです。まだまだ地図に書ききれない島がたくさんあります。 多くの島は無人島ですが、前島や鼕泊島、赤島などは有人島です。前島、鼕泊島を訪れる。

西九州自動車道、長崎自動車道経由して島原に向かう。
14:00島原到達

1624年(寛永元)、築城の名手と讃えられた藩主・松倉重政が、7年の歳月をかけて完成させた城。この時領民に課した重税が、島原の乱を引き起こす原因になったともいわれる。明治維新で解体されたが、1964年(昭和39)に復元。五重の天守閣の内部には、島原の乱の資料を展示したキリシタン史料館などがある。敷地内には普賢岳噴火活動の歴史を解説した観光復興記念館、彫塑家・北村西望の記念館も併設する島原城を訪れる。

14:30長崎自動車道、九州自動車道経由して博多に向かう。
17:30博多到達。
18:55博多駅新幹線のぞみで出発
21:17新大阪到達。

今回の旅行、九州の北西部の佐賀県、長崎県に足を運び、城(唐津城、名護屋城、平戸城、島原城)、島(鷹島、福島、前島、鼕泊島)を訪れ、楽しめました。

走行距離550km、博多から反時計回りで、唐津、呼子、平戸、九十九里浜、島原、博多までドライブ観光堪能しました。

城めぐり残りは北海道、東北、中国地方のみとなりました。7月、9月に巡る予定です。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十四弾:熊本県SL人吉&人吉観光
2013年6月22ー23日
 

九州の西中央に位置する熊本県に足を運び、熊本駅から人吉駅までの87.5kmを走る蒸気機関車、SL人吉に乗車し、約700年にわたり相良藩の城下町として栄え、日本三大急流の球磨川が走る市内には、今も城跡や御用蔵が残り、九州の小京都と呼ばれる風情がある人吉を訪れました。

22日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
16:14博多駅到達
16:22博多駅新幹線さくらで出発
17:01熊本駅到達、駅近くのホテル到着後駅前のレストランで食事を済ませて就寝。
23日9:44熊本駅SL人吉で出発

「SL人吉」の客車を牽引する「蒸気機関車ハチロク(8620形)」58654号機は、1922(大正11)年に製造されました。最初は長崎の浦上機関庫に配置され、長崎本線をはじめ九州各地で50年ほど活躍して引退しました。その後は、熊本県の矢岳駅前の人吉市SL展示館で保存されていましたが、1988(昭和63)年に『SLあそBOY』として復活し、阿蘇の大自然を走る観光列車として人気を博しました。
肥薩線を颯爽と走るSL人吉 2005(平成17)年には、老朽化のため再び引退しましたが、肥薩線全線開通100周年を迎えた2009(平成21)年に、多くのファンに後押しされ『SL人吉』として2度目の復活を遂げました。以来、美しい車窓が楽しめるレトロ感たっぷりのSL人吉は、九州を代表する人気の観光列車となっています。

12:13人吉駅到達、散策

人吉駅前にある人吉城をイメージした「からくり時計」です。 人吉城のお殿様が城下見物を行うという物語が、民謡「球磨の六調子」の音楽をアレンジした曲にのせて展開されます。 人吉市のシンボル「人吉駅前からくり時計」を見学。

大同元年(806)創建。現存する建物は、江戸時代初期に一連で再建されたものです。中世人吉球磨地方の独自性の強い建築様式の中に、彫刻や彩色などにおいては華麗な桃山期の装飾性を取り入れているのが特徴です。神社が国宝指定されたのは47年ぶりで国指定重要文化財の青井阿蘇神社(本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門)の五棟社殿群が熊本県に現存するものとしては初めて国宝に指定され、国内でも最南端で茅葺の社寺建築としては全国で初めての国宝となります国宝 青井阿蘇神社を訪れる。

ゆうれい寺として知られ、この寺の創立者 実底和尚が描かれたと言われる『ゆうれいの掛軸』が残されています。ほかに、境内には人吉・球磨地方で最も古い五重石塔(現在四重)がある。また、明治 10年の西南戦争の際 西郷隆盛の本陣として滞在。その時に本堂などが焼失したため明治24年に再建されている曹洞宗 永国寺を訪れる。

純米焼酎「繊月」で知られる焼酎蔵。米・米麹・水だけを材料に、甘味料や香料など添加物を一切加えずに作られる焼酎には、明治36年の創業時からの伝統が息づいている。工場内は一般開放され、スタッフが案内してくれる。見学後は試飲・購入も可能だ。工場限定の商品もあり、見逃せない焼酎蔵(繊月酒造)を見学。

人吉城跡にある「人吉城歴史館」には、人吉城の立体模型や相良氏ゆかりの史料などがわかりやすく展示され、楽しく歴史に触れることができます。なかでも他に例のない石積みの地下室遺構が復元展示されており、歴史館の目玉となっています。また、この場所が関ヶ原の戦いなどで活躍した重臣・相良清兵衛の屋敷跡であったことから、歴史館は「相良清兵衛屋敷」とも呼ばれるようになりました人吉城歴史館を訪れる。

相良家700年の居城・人吉城は別名繊月城と呼ばれていました。球磨川と胸川を天然の外堀とした中世の山城の形態。水の手橋付近の石垣のはねだし(武者返し)の建築様式は、全国的にも珍しいので国指定史跡に指定され日本百名城に選ばれています人吉城跡を散策する。

創業から続く、自家製天然もろみこだわって、醤油・味噌を醸造している。およそ100メートル続く蔵は、醤油やもろみの室や、2メートルの圧力釜、味噌を寝かす石造りの室などを見学できる。見学後は、お茶がふるまわれ、醤油や味噌を使った佃煮・みそ漬けなどを試食できる。売店を兼ねた休憩処がある建物は大正時代のもので、桜の木が使われ、創建当時のままの姿を保っている釜田醸造所を見学。


14:38人吉駅SL人吉で出発
17:13熊本駅到達
18:02熊本駅新幹線つばめで出発
18:52博多駅到達
18:55博多駅新幹線のぞみで出発
21:17新大阪到達。

今年3回目の訪れである熊本県に足を運び、今回は熊本駅から人吉駅までSLに乗車し人吉を観光してきました。今まで全国のSLを何回か乗ったことがありますが、人気ありますね、定員いっぱいでどこも運行しています。

レトロで迫力のある蒸気機関車人気ですね。

1泊2日の旅、人吉で2時間ほど散策した以外はほとんど電車の中、総13時間車両に乗車した熊本SL人吉観光旅行でした。



 









飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十三弾:長崎県五島灘離島観光
2013年6月15ー16日
 

江戸時代 の鎖国の間、日本唯一の貿易港として中国やオランダとの文化交流が盛んに行われていた町、長崎タウンが位置する九州の西端の長崎県に足を運び、西彼杵半島の沖、五島灘に点在する離島(松島、寺島、大島、栃浦島、崎戸島、高島、黒島)を訪れました。

15日14:25伊丹空港出発
15:40長崎空港到達、レンタカーで有明海周囲の橋で渡れる島を巡る。

ハウステンボスがあるのは針尾島という島の中だったんですね。その針尾島に包まれるようにあるのが大島。大正から昭和にかけてはレンガ工場があったということですが、現在は老人ホームと病院があります大島を訪れる。

昭和63年に「寺島大橋」、平成11年に「大島大橋」が完成。大島、蛎浦島、崎戸島への玄関口となっている。養殖が盛んで漁業の島。島の周辺はアワビの宝庫の寺島を訪れる。

平成11年11月11日午前11時11分11秒に開通した大島大橋(橋長1095m)。寺島、そして寺島大橋を渡れば大島。江戸時代は大村藩の放牧場、昭和10年〜45年は炭鉱の島。そして現在は大島造船所。島の一番高いところは百合岳(194m)。その百合岳公園には野外音楽堂もあり、360°の展望が望める大島を訪れる。

江戸時代は捕鯨基地、明治・昭和は炭鉱の島で最盛期には人口が2万5,000人を超えたこともあったようです。炭鉱記念公園にある歴史民俗資料館には当時の資料などが展示。現在は九州唯一の製塩工場や観光等が島を支えています。とんぼ公園には絶滅が心配されているベッコウトンボ、珍しいノアサガオの群生も見られます。「イル・デ・フルール」 にはハーブの花が咲き乱れる。この島の廃墟はどこかで見たような気がすると思ったら、「バトルロワイヤル2」(深作欣二監督の遺作)のロケ地でした栃浦島を訪れる。

蛎浦島とは橋で結ばれている 磯釣りや観光に訪れた人たちを癒すホテルや民宿などがある。平成15年にオープンした「ホテル咲き都」ラジウム温泉「狸の湯」ある崎戸島を訪れる。

16:30佐世保に向かう。
17:30佐世保駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
16日5:40レンタカーで瀬戸港に向かう。
6:30瀬戸港到達
7:15瀬戸港市営交通船で出発
7:25松島港到達、島を散策する。

西海市の松島は西彼杵半島の西側、角力灘)に浮かぶ島で、瀬戸港から1km程の距離にあります。江戸期以前は地元の漁師などの出入りはあったものの、人家もあまり見られず松林が茂っていたので松島という名が付いたようです。江戸期に入ると大村藩によって島の頂上(217m)に遠見番所が置かれたり、釜浦辺りに定住する者も居たようですが、元禄期に松島水道で鯨漁が行われるようになると西泊の港は一気に活況を呈するようになります。元禄8年(1695年)に平島よりこの地に移り住んで捕鯨を始めた深沢与五郎はたちまち巨万の富を築き、同時に松島鯨組は広く世間に知れわたることになります。その後100年程クジラの時代は続きますが、今では西泊の正定院に残る与五郎の大きな墓が当時の繁栄を偲ばせるばかりです。松島を訪れる。

8:00松島港市営交通船で出発。
8:10瀬戸港到達、レンタカーで佐世保相浦港に向かう。
9:30相浦港到達
10:00相浦港フェリーで出発
10:20高島到達、散策

九十九島は北松浦郡鹿町町周辺の島々を北九十九島、佐世保市周辺の島々を南九十九島と地域分けされています。いろいろ数え方はあるようですが、全体で208の島々があるそうです。この高島と南西にある黒島は有人島ですが、ほとんどの島は面積も小さく無人島ばかりです。高島は観光というよりは漁業の島で、チクワやカマボコが生産され生活を支えているようです。高島を訪れる。

13:25高島港フェリーで出発
13:50黒島到達、散策。

佐世保湾を出て北西に進路をとり、約10km程行くと黒島がある。赤レンガ造りの黒島教会が存在感を示し、島民の7割がカトリックだという黒島はキリスト教の色合いが強い島。黒島教会は国指定重要文化財になっている。禁教令の中救いを求めてこの島に移り住んできた人達は出口大吉の家で密かにキリスト教を信仰していた。屋敷跡には信仰復活の記念碑が建立されている。 島の特産、海水のニガリで固めた黒島豆腐は結構硬め。お祝いの時に食べるフクレ饅頭はサンキライ(カカラ)の葉を使って作るようです。黒島を訪れる。

15:30黒島港フェリーで出発
16:20相浦港到達、レンタカーで長崎空港に向かう。
17:50長崎空港到達
18:45長崎空港出発
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の西端の長崎県に足を運び、西彼杵半島の沖、五島灘に点在する離島(松島、寺島、大島、栃浦島、崎戸島、高島、黒島)を訪れ楽しめました。

長崎には多くの島が点在し、今回訪れた島は比較的人口も多く、フェリーの便も多く訪れやすい島でした。際立った観光名所はありませんが隠れキリシタンの島でもあり大きな教会が印象的でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十二弾:山口県下関沖離島観光
2013年6月8ー9日
 

本州の最西端山口県に足を運び、関門海峡に面した下関沖の離島(長州出島、彦島、竹ノ子島、蓋井島、六連島)を訪れました。

8日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:57小倉到達、レンタカーで下関に向かう。

関門海峡沿いの港湾整備は、背後地の不足や船舶航行上の制約等により限界があることから、国際コンテナ貨物の増大や船舶の大型化に対応するため、関門海峡内に比べて制約が少なく、将来への発展可能性が高い新港地区に沖合人工島【長州出島】の整備を進めています。長州出島を訪れるが関係者のみ上陸のため入り口で島を望む。。

山口県南西端、下関市にある島。旧彦島町。関門海峡の西口に位置し、本州側には小瀬戸、北九州側には大瀬戸の海峡が通じ、交通上の要地を占める。高度100メートル前後の丘陵状の島で、面積10.60平方キロメートル。下関市街地とは関彦橋、彦島大橋などで結ばれている。また、JR山陽本線も本島を通過、関門鉄道トンネルで門司に至る。『日本書紀』に「引島」とみえ、平安末期には源平合戦の舞台となった。明治以降、化学、金属、造船などの諸工業が発達し、さらに下関漁港周辺に水産関連産業が立地し、下関工業の核心地区を形成している。早くから近郊農業が盛んで、第二次世界大戦前知られた温室メロンは現在では花卉栽培にかわった。南風泊漁港には下関を代表する味覚フグの市場がある。サイ上り神事で有名な彦島八幡宮の境内には縄文時代前期・中期の宮ノ原遺跡があり、老ノ山公園は関門港外、響灘の展望に優れる彦島を訪れる。

本州の西端・関門海峡に向って垂れ下がるようにのびているのが彦島。彦島と本州は2つの橋で結ばれている。

彦島の西にあるのが竹ノ子島。下関市彦島竹ノ子島は、彦島とは竹ノ子島橋という小さな橋で結ばれている。竹ノ子島と入江を挟んだ対岸には、ふぐの水揚げ日本一の南風泊市場がある。竹ノ子島で目立つのは、西岸の台場鼻潮流信号所と東岸の関門造船である。西岸から北岸にかけては、美しい海岸風景が展開されている。沖に目をやると、六連島、馬島が見え、若松から小倉に至る北九州工業地帯も指呼の間である竹ノ子島を訪れる。

18:00下関駅前のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

9日7:30レンタカーで吉見港に向う。
8:00吉見港到達。
8:30吉見港、渡船で蓋井島に向かう。

9:05蓋井島到達、

蓋井島は下関市街地から国道191号線を15kmほど北上した所にある吉見港から定期船で渡ることができます。くねくねとした島の形。大山(252m)、金毘羅山(城山:145m)、乞月山(こいづきやま:149m)等の山々が連なり、南側の湾内に集落と港があります。

島の歴史は古く島内からは古墳時代から平安時代にかけての集落遺跡(筏石遺跡)が発掘されています。また、島名や地名に神功皇后にまつわる話が残されていることから古い時代の大陸との関係を連想させてくれます。

周囲の海岸は荒波に侵食され磯釣りファンを誘う岩場が続き、一の岩門、二の岩門などと名付けられた洞窟も見られます。また、集落から遊歩道「やまどりの散歩道」を進むと灯台へと至り、さらに金毘羅山(城山)、大山方面へと絶景を望みながらのハイキングを楽しむこともできます。大山や乞月山には昭和10年代に造られた砲台やトーチカの遺構が残されています蓋井島を散策。

12:10蓋井島港、渡船で出発
12:45吉見港到達、レンタカーで下関竹崎港に向かう。
13:30竹崎港到達。
14:30竹崎港渡船で出発、六連島に向かう。
14:50六連島港到達

六連島は本州と九州を隔てる関門海峡の響灘側(日本海)に浮かぶ離島で、横から見ると平たい円盤のような形をしています。南西に並ぶ馬島は福岡県に属し、間の瀬戸は山口県と福岡県の県境になります。島の南西にある音次郎遺跡は縄文から平安時代にかけての遺物が見つかった場所で、古くからの人の営みが窺われ、また、『日本書紀』に「没利島(もつりじま)」と記されていたことから、古い時代から「ぼつり」「もつり」「むつり」「むつれ」等と発音される島だったようです。

島名の由来としては、周囲に小島が6つ連なって見えたから。最初の入植者が島を6等分した。あるいは韓国語の「モッアール(集落)」が語源だとする説、等々諸説あります。また、島の形が蟹の甲羅に似ていることから"かに島”と呼ばれていたこともあるようです。島内には海上自衛隊の施設や六連油槽所、明治4年に初点灯した六連島灯台などがあります。六連島灯台は現在では最も古い様式灯台の一つとなりましたが、造られた当時は近代的な灯台として明治天皇が見物に訪れています。

六連島はおよそ120万年前の噴火で出来た玄武岩の島ですが、中央の小高い丘からは世界でも3ヵ所しかないという雲母玄武岩が見らます。これは海底で噴出した溶岩が雲母を含んだまま急速に冷やされて出来たもので、世界でも珍しい雲母玄武岩が見られる場所として、国の天然記念物に指定されています。島では漁業よりも農業が盛んで、かつてはキャベツが特産のようになっていましたが、今ではハウスによる花き栽培が主です。また、アルコール漬けの瓶詰ウニの発祥地として特産になっています六連島を散策。

17:30六連島港、渡船で出発。
17:50竹崎港到達、レンタカーで小倉に向かう。
18:30小倉駅到達。
18:46小倉駅新幹線のぞみで出発
20:58新大阪駅到達。

今回の旅行、本州の最西端山口県に足を運び、下関沖の離島(長州出島、彦島、竹ノ子島、蓋井島、六連島)を訪れ楽しめました。

比較的都会に近い島であるにもかかわらず蓋井島、六連島、両方とも島の住民が100人余り、際立った観光名所もなく、素朴な島でした。若者は都会に移り、他の日本の多くの島と同じ様に過疎化しています。

蓋井島で休憩していましたら島の住民が話しかけてきました。村には小学校があり生徒は3人、学校の職員が5人、生徒を上まっていました。又最近小倉から若い親子が引っ越してきました。珍しいですね、何か訳があるのでしょうかねとおっしゃっていましたね。

他の日本の島と同様に名所な少ないが、離島は都会の雑踏から切り離され、すべてを忘れ没頭でき癒されますね。癒し系山口県下関沖離島めぐり観光でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十一弾:群馬県尾瀬尾瀬ヶ原観光
2013年6月1ー2日
 

群馬県に位置する本州最大の湿原を持ち、貴重な高山植物や動物を育み、2007年8月に国立公園に指定された尾瀬に足を運び広大な湿原に咲き誇る高山植物の数々で、5月後半から6月初旬にかけての水芭蕉、6月中旬から7月上旬にかけてのワタスゲ、7月上旬から下旬にかけての日光キスゲがとても見ごたえがあります。そのほかにも100種類以上の珍しい高山植物がそれぞれの季節に咲き、木道を通るハイカーを楽しませてくれます尾瀬ヶ原を訪れました。

6月1日13:50新大阪新幹線のぞみで出発
16:23東京駅到達
16:52東京駅新幹線Maxたにがわで出発
18:07上毛高原到達、宿の送迎
17:00水上温泉郷の藤原湖付近の宿到達、宿で食事を済ませて就寝。
2日7:30宿の車で出発、尾瀬戸倉に向かう。
8:45戸倉到達
8:55戸倉バスで出発
9:30鳩待峠到達、尾瀬ヶ原に向かって散策。

東西6キロ、南北2キロの湿原で何本もの小川が集まり只見川となり、尾瀬の水を全て集めて平滑ノ滝、三条ノ滝となって流れ、奥只見ダムへと続きます。尾瀬の水はその奥只見ダムで自然エネルギーとして発電され首都圏などへ供給されています。 尾瀬ヶ原は、まわり一面湿原で高山植物が豊富です。春〜秋まで私たちの目を楽しませてくれます。 そして大自然のすばらしさは時間によって大きく変化します。

尾瀬ヶ原の見どころはなんと行っても広大な湿原に咲き誇る高山植物の数々で、5月後半から6月初旬にかけての水芭蕉、6月中旬から7月上旬にかけてのワタスゲ、7月上旬から下旬にかけての日光キスゲがとても見ごたえがあります。そのほかにも100種類以上の珍しい高山植物がそれぞれの季節に咲き、木道を通るハイカーを楽しませてくれます。

ヨセ沢橋、テンマ沢、川上橋通過して
10:10山ノ鼻到着
山ノ鼻、牛首分岐部、竜宮、ヨッピ橋、拠水林、牛首分岐部通過して
13:00山ノ鼻に戻る。
山ノ鼻、川上橋、テンマ沢、ヨセ沢橋通過して
14:00鳩待峠に戻る。
14:30鳩待峠バスで出発
15:04戸倉到達
15:12戸倉バスで出発
17:02上毛高原駅到達
17:20上毛高原駅新幹線Maxたにがわで出発
18:35東京駅到達
18:53東京駅新幹線のぞみで出発
21:25新大阪駅到達。

今回の旅行、2回目の訪れである群馬県尾瀬に足を運び、前回は大清水からのルートで尾瀬沼を訪れましたが、今回は鳩待峠ルートで尾瀬ヶ原を散策しました。

尾瀬ヶ原は一面の広大な湿地帯、水芭蕉のシーズンで至る所に水芭蕉を見ることができました。
天気も良く、視界も良く、絶好のコンディション、西に至仏山、東に燧ケ岳がそびえ、手前には水芭蕉生い茂っている光景はたいへん素晴らしいものがありました。

尚今回レンタカーで尾瀬に向かう予定でしたがトラブル発生、自動車免許書を忘れてきたため、宿の車で尾瀬に向かいました。当然帰りは新幹線上毛高原駅まではバスでのルートとなりました。

群馬の山奥に本州一の広大な湿地帯、大自然が存在し、多くの観光客が訪れていたのは感動でしたね。なかなか人気のある群馬県尾瀬尾瀬ヶ原散策観光でした。

尾瀬は大体把握できました。尾瀬ヶ原に行くには群馬鳩待峠ルート、尾瀬沼に行くには福島七入ルート、時間が少しかかりますが尾瀬ヶ原、尾瀬沼両方を訪れるのは群馬鳩待峠ルートから向かい、帰りは大清水に向かってのルートが比較的、楽なコースですね。