飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十二弾:山形県山形・蔵王観光
2013年8月31日ー9月1日
 

雄大な景観の蔵王ドライブや、最上峡の舟下りのほか、芭蕉ゆかりの山寺、港町・酒田の倉庫街歩き、銀山・天童などの名湯も魅力。サクランボ産地としても名高い山形県に足を運び、松尾芭蕉が奥の細道で訪れた山寺、江戸時代初期に最上家57万石の城下町として栄えた山形市、トレッキング、スキー、温泉と1年を通じて賑わう蔵王を訪れました。

31日16:15伊丹空港出発
17:30山形空港到達、レンタカーで山形市内に向かう。
18:30山形市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
9月1日7:00山形城跡を散策する。

山形城跡を整備した、約35万平方mの都市公園。園内には日本古来の伝統的建築様式で、二ノ丸東大手門が復原されている。山形市郷土館や山形県立博物館、広場には11代藩主・最上義光[よしあき]の騎馬像が立つ。春には約1500本の桜が咲き乱れる、桜の名所でもある霞城公園(山形城跡)を散策する。

11代山形城主義光公と最上家の資料館。義光が身につけた兜や鉄製指揮棒、上杉勢との戦いを描いた長谷堂合戦図屏風などを展示している最上義光歴史館を見学。

3階建て多層民家風の建物。ルノワールやモネなどの印象派の作品をはじめ、ピカソ、シャガール、与謝蕪村など国内外の巨匠の絵画・彫刻を常設展示している。さまざまな企画展も開催する山形美術館を見学。

蔵王に向かう。

ドッコ沼など大小の沼や原生林をめぐり、高山植物や野鳥を見られる散策路。スカイケーブルの中央高原駅と中央ロープウェイの鳥兜駅間、1周約6kmが整備されている蔵王中央高原を散策する。

山寺に向かう。

860年(貞観2)比叡山延暦寺の別院として慈覚大師(円仁)により創建された天台宗の古刹。室町末期に戦禍にあい、建物の多くが焼失したが、1543年(天文12)に復元された。山門から苔むした石段が奥の院まで続き、頂にそそり立つ凝灰岩に堂宇が張りつく姿は、一幅の水墨画をおもわせる立石寺(山寺)を訪れる。

立石寺境内にある、1300年代に再建された単層入母屋造の堂。開山以来、比叡山から移した不滅の法燈が1千年以上燃え続ける。国の重要文化財の根本中堂[立石寺]を訪れる。

立石寺の数々の寺宝を安置。1144年(天養元)の如法経所碑は国の重要文化財。ほかに木造伝教大師座像、木製曼陀羅懸仏などの山寺宝物殿[立石寺]を訪れる。

立石寺の山門から仁王門への途中に立つ。芭蕉の句をしたためた短冊を納めた記念碑。芭蕉が山寺を訪れたのは1689年(元禄2)のことのせみ塚[立石寺]を訪れる。

16:00山形空港に向かう。
16:30山形空港到達。
18:00山形空港出発。
19:20伊丹空港到達。

4回目である山形県、今回はまだ訪れていない山寺と蔵王を時間をかけて観光いたしました。

スカイケーブルと蔵王中央ロープウエイ2回にわたって蔵王中央高原に訪れ散策しました。

スキーシーズンに訪れたことのある蔵王、夏の高山植物が咲き乱れる自然の宝庫、樹氷で有名な冬とは違った、絶好の森林浴を楽しめました。

開山から1100余年の歴史を持つ古刹・山寺立石寺、山全体が霊山となったその姿は東北屈指の名勝地として知られている、1015段の石段を登り切り訪れました。

今回の山形旅行で、ほぼ山形県を制覇しました。





 






飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十一弾:福島県会津エリア観光
2013年8月24ー25日


海あり山あり広い福島の会津エリアに足を運び、会津エリアの中心地、白虎隊ゆかりの地会津若松、ラーメンで有名なレトロな町喜多方、自然豊かでのんびりとした雰囲気、大内宿や曲家集落などタイムスリップしたかのような懐かしい風景を見ることができる南会津を訪れました。

24日14:50伊丹空港出発
16:05福島空港到達、レンタカーで会津若松方面に向かう。
17:00会津若松到達。

漆器・絵ローソク・焼物・桐工芸品など1階は伝統工芸品をはじめ、地産商品を展示販売し、2階の展示室では地域グループでの作品展示発表の場となっている。また、ミニ喫茶のドリップコーヒーも大好評。会津まちなか観光の拠点として気軽に立ち寄ることができる会津町方伝承館を訪れる。
葦名、伊達が居城した城は1591年(天正19)、蒲生氏郷によって7層の天守閣が造られ、名前も鶴ケ城と改められた。天守閣は1874年(明治7)、陸軍省により壊されたが、1965年(昭和40)に復元。壕や土塁なども残り、城郭全体が国の史跡に指定されている鶴ケ城公園を訪れる。

復元された鶴ケ城の内部は「お城ミュージアム」として公開されている。1階には新島八重の生涯を映像で分かりやすく紹介するCGシアターが、2階はお姫様やお殿様の衣装に着替えることができるスペースがある。5階からは会津23万石の城下町が一望できる若松城天守閣[鶴ケ城公園]を訪れる。

江戸中期の築庭で、歴代藩主の保養所として利用されたもの。「御薬園」の名は、今では会津の特産になっている薬用人参をはじめ、薬草を栽培していたことから付けられた。園内には400種類の薬用植物が栽培される薬用植物園、茅葺き数寄屋造りの御茶屋御殿、心字の池などがある。秩父宮妃殿下ゆかりの重陽閣では紅茶とデザートも楽しめる会津松平氏庭園 御薬園を訪れる。

白虎隊士19名の最期の地となった飯盛山。スロープコンベアを利用し、残りの45段の石段を登れば、山頂の墓と自刃の地に至る。自刃の地からは鶴ケ城を眺望可。毎年4月24日と9月24日、墓前では慰霊祭が開かれる。麓には白虎隊記念館がある飯盛山を訪れる。

白虎隊に関する史料をはじめ、会津藩主・松平家が実際に使用していた調度品、また、会津藩を援護した新選組や、討幕派である薩摩藩・長州藩に関する資料など、約5000点を収蔵。また、八重の桜の特別展として、本物のゲベール銃を手で触れる事が出来る。八重の人形(等身大)と共に展示されている白虎隊伝承史学館を訪れる。

飯盛山スロープコンベアの上り口にある施設。白虎隊をはじめ、新撰組や倒幕派など、戊辰戦争に関する約1万2000点の衣服や武器、写真などを収蔵。近藤勇ら旧幕府軍、板垣退助ら倒幕派の資料、戦争の様子を再現したジオラマもある白虎隊記念館[飯盛山]を訪れる。

飯盛山にある、二重螺旋6角3層の旧正宗寺・円通三匝堂。さざえに似ていることから、さざえ堂と呼ばれる。階段がない螺旋状の坂を登っていくと、いつの間にか下りになっているという不思議な回廊。国の重要文化財に指定されているさざえ堂[飯盛山]を訪れる。

白虎隊士最期の場所。白虎隊士が鶴ケ城を望む姿を再現した石像も立ち、当時の彼らの心情を考えると感慨深い。ここから南西の方向に目をやると、3kmほど先に鶴ケ城が望める白虎隊士自刃の地を訪れる。

飯盛山の石段を上った左手に、19基の小さな墓が一列に並んでいる。切腹した20名のうち1名は奇跡的に助かり、この悲劇が広く伝わった。墓から鶴ケ城方面へ下りたところに自刃の地がある白虎隊士十九士の墓を訪れる。

会津若松駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

25日6:00レンタカーで出発喜多方方面に向かう。

県内一の米穀商だった、松崎家の蔵座敷を無料開放。建物内では、会津木綿や桐下駄の展示・即売もしている蔵屋敷あづまさ[うるし美術博物館]を訪れる。

明治12年(1879)創業の老舗・笹屋旅館に併設された美術館。3代目が画商を兼ねていたため、竹久夢二や小川芋銭、酒井三良など、ゆかりの画家による絵が多数残されている。日本画や旧華族家の飾り棚など約100点を展示している喜多方蔵座敷美術館を訪れる。

蔵の街・喜多方の蔵に関する知識と情報を提供する。店蔵、座敷蔵、穀物蔵など8棟の蔵と、福島県指定重要文化財の郷頭[ごうがしら]屋敷、肝煎[きもいり]屋敷の2棟の曲がり家が立つ。個々の蔵の使い方や、喜多方地方の郷土資料などを展示する喜多方蔵の里を訪れる。

会津ゆかりの芸術家の作品を中心に展示する、地域密着型の美術館。建物は煉瓦蔵をイメージ。こじんまりとした中にも落ち着きがあり、隣接する蔵の里とともに周囲の町並みに調和している喜多方市美術館を訪れる。

喜多方は桐製品の産地。鼻緒をつける前の桐下駄を、庭に山のように輪積みした光景も見られる。ここでは世界中の桐工芸の歴史や製造工程などの資料が見られる。桐下駄のトンネルをくぐって入館すると、桐の香りが一杯の桐の博物館を訪れる。

807年(大同2)、空海が磐梯山の噴火を鎮めるために開基、約600年前に源翁[げんのう]禅師が再建したと伝わる古刹。本堂をはじめ源翁作といわれる木像を安置した開山堂、千手観音が置かれた観音堂などがひっそりと佇む。境内には明治のナイチンゲールといわれた瓜生岩子の像などもある護法山示現寺を訪れる。

只見方面に向かう。

会津出身の版画家・斎藤清は、1951年(昭和26)、サンパウロ・ビエンナーレで日本人賞を受賞したのをはじめ、油彩、墨画など技法の幅を広げながら世界的なアーティストとなった。美術館には、ライフワーク『会津の冬』シリーズほか90点が常時展示されるやないづ町立斎藤清美術館を訪れる。

1200年前、只見川の懸崖の上に徳一大師が創建。千葉県小湊町の能満虚空蔵尊、茨城県東海村の大満虚空蔵尊と並ぶ日本三大虚空蔵尊といわれる。境内には室町中期に建てられた奥之院弁天堂(重要文化財)、圓蔵寺庫裡、霊宝殿などが点在。祀られている福満虚空蔵尊は弘法大師作と伝わる圓蔵寺を訪れる。

越後長岡藩の軍事総督として、北越戊辰戦争を指揮した河井継之助。継之助終焉の間が移築され、面影を偲ぶことができる。当時最新鋭だったガトリング砲のレプリカの展示のほか、奥会津での戊辰戦争の様子なども紹介している河井継之助記念館を訪れる。

「只見町ブナセンター」の付属施設である「只見ブナと川のミュージアム」では、只見町のブナと自然をテーマにした常設展示(パノラマシアター)や、映像の上映、只見町に生息する動植物の標本を展示。そのほか、年に4回企画展が2階ホールで行われているただみ・ブナと川のミュージアム(ただみ ぶなとかわのみゅーじあむ)を訪れる。

南会津方面に向かう。

国道289号の針生から駒止峠への道に入ると、山頂近くに駐車場があり看板が立つ。入口から山道に入って10分も歩けば湿原に出る。ミズバショウ・ワタスゲ・マルバモウセンゴケなどの植物やハッチョウトンボなど、いずれも湿原性の種類が見られ、国の天然記念物となっている駒止湿原を訪れる。

檜枝岐川沿いの8万平方mの敷地に高層湿原エリア、高山草原エリア、高山礫地など、尾瀬の自然が再現され、尾瀬に咲く草花が観賞できる。「夏の思い出」の詩・譜碑も立てられている。管理棟には、自然保護運動の草分けとなった武田久吉博士のメモリアルホールや、山岳写真家白籏氏の白籏史朗尾瀬写真美術館、福島県の書人・丹治思郷氏の「尾瀬書美術館」もあるミニ尾瀬公園を訪れる。

舘岩川に面して立つ集落。現在も14戸が曲り家で、昔ながらの風情を残している。L字形の間取りが特徴の曲り家は、馬と人間がひとつ屋根の下で暮らすために作られた家屋。現在も人が住んでいる前沢曲家集落を訪れる。

国の天然記念物に指定されている塔のへつり。「へつり」とは、方言で「川に沿った断崖、急斜面」のこと。100万年以上という長い年月の浸食と風化によって大川の断崖が削られてできた奇岩、怪石の景観だ。象塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩など名がつけられた12の岩(塔の岩)があり、吊橋のたもとに虚空蔵菩薩が祭られている。岩の下には遊歩道がつくられ、吊橋を渡って侵食された部分を巡ることができる塔のへつりを訪れる。

全国でも珍しい茅葺き屋根の民家風の駅舎。改札口の横には囲炉裏がしつらえられ、真夏以外は火が入っている湯野上温泉駅を訪れる。

会津若松と日光市今市を結ぶ会津西街道沿いに栄えた宿場町・大内宿。昭和56年(1981)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、街道筋が当時の雰囲気によみがえった。約500m続く道沿いに、40軒ほどの茅葺屋根の古民家が立ち並ぶ。それぞれの建物は、郷土料理を提供する食事処やみやげ物店になっており、懐かしい雰囲気の中でくつろげる大内宿を訪れる。

大内宿中央にある。本陣を復元したもの。藩主が篭のまま出入りする乗り込み玄関、休憩室や寝室に利用された上段の間などが備わり、写真や生活用具など1300点余を展示。囲炉裏では1年中、まきがたかれる大内宿町並み展示館を訪れる。

16:00福島空港に向かう。
17:30福島空港到達。

19:05福島空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、4回目の訪れである福島県に足を運び、まだ訪れたことのない喜多方、南会津方面を巡りドライブ観光楽しめました。

大河ドラマの舞台となった会津、なかなか観光客で賑わっていました。震災後観光客がさっぱりでしたが元に戻りましたね、活気がありました。

会津若松から喜多方、南会津までの広範囲な観光めぐりでした。


 
 

















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十弾:クロアチア&スロベニア&ボスニア・ヘルツェゴビナ観光
2013年8月12ー19日
  

南ヨーロッパの旧ユーゴスラビアの国、中央ヨーロッパの国であり、アルプスの東側、アドリア海の北東端に位置するスロベニア、 鋭い鎌のような形をしており、南西部はアドリア海に面し、北西はスロベニア、北東はハンガリー、東はセルビアとモンテネグロ、南東はボスニア・ヘルツェゴビナに接するクロアチア、北と南西はクロアチアに、東はセルビア、モンテネグロに接し、わずかにアドリア海に面しているが、実質的には内陸国に近いボスニア・ヘルツェゴビナの旧ユーゴスラビアの3カ国の国を訪れました。

12日22:30関西国際空港トルコ航空で出発
13日5:35イスタンブール到着
8:15イスタンブールトルコ空港で出発
9:45ベネチア到達、専用バスでリュブリャナに向かう。
途中レストランで食事
15:00リュブリャナ到達観光

スロベニア共和国の首都。ドイツ語名ライバッハLaibach、イタリア語名リビアナLybiana。人口26万4269。リュブリャニッツァ川が市中を流下する。そこに架かる三肢橋や、16世紀の大地震後、丘陵上に建てられた古城、詩聖プレーシェルン像に対面する聖告教会、ロッバ作の噴泉近くに立つ市庁舎、聖三位一体教会などバロック様式の建造物が古都をいろどっている。リュブリャナ大学(1919創立)、科学技術アカデミー、オペラ劇場、博物館、文化の大殿堂「ツァンカレウ・ドム」などが人目をひく。機械、電気・化学、薬品・食品などの諸工業が発展し、文字どおり政治、経済、文化の中心地である。スポーツ施設や遊歩道の美しいチボリ公園、郊外には国際空港もある。

ローマ時代は駐屯地でエモナEmonaといわれ、アルプス、パンノニア平原、アドリア海を結ぶ中間点であった。5世紀に東ゴート人に破壊され、スラブ人によって再建された。スラブ語名リュブリャナ、12世紀にドイツ語名ライバッハが文献にみえる。1335年ハプスブルク家の支配下に入り、1849年ウィーンと鉄道で結ばれてから急速に発展、1918年セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後のユーゴスラビア王国)に編入された。以後、スロベニアが旧ユーゴスラビアを構成していた時代も、1991年に旧ユーゴスラビアからスロベニアが独立した後も、スロベニアの首都となっている。

市街を見下ろす丘の上に建っている。城の周辺は紀元前1200年以来、絶え間なく人が居住している。 城の見張り塔は1848年に遡り見張り番が住み込み、火事の警告や重要な来訪者や出来事を大砲で知らせる義務があり、現在でも続いているが今日では観光客の呼び物となっている。文化的な行事や結婚式などがこの城では行われる。2006年からケーブルカーによって市街と丘の上の城が結ばれたリュブリャナ城を訪れる。

1940年代設立の、のんびりとした青空市場、大聖堂裏のリュブリャニツァ川沿いをブドニコブ広場まで、愛らしい花々や新鮮な野菜や果物を並べた露天が出る中央青果市場を訪れる。

リュブリャナ大司教区により管理されている。緑のドームと2つの塔により簡単に見分けることが出来、キュリロスとメトディオス広場に面したリュブリャナ中央市場や市庁舎近くに位置する。リュブリャナ教区は1461年に設立された。1701年から1706年にかけてイエズス会の建築家アンドレア・ポッツォによりバロック様式の教会と2つの両側の礼拝堂の十字架の形で設計された。ドームは1841年に中央部に造られている。内装はバロック様式のフレスコにより1703年 - 1706年と1721年 - 1723年にイタリアのフレスコ画家ジュリオ・クアーリョにより描かれた聖ニコラオス大聖堂を訪れる。

リュブリャニツァ川に架かっている橋であり、スロベニアの首都リュブリャナのシンボルの1つである。リュブリャナ中心地に位置する。
1280年からこの位置に木製の橋が架けられていた。そして1657年の火災の後、再建された。この橋は、1842年にイタリア人の建築家ジョバンニ・ピッコによって設計された新しい橋に取り替えられた。ジョバンニ・ピッコが設計した石のアーチ橋は中央部に設けられている。そして、1929年にスロベニア人の建築家ヨジェ・プレチュニック(1872 - 1957)歩行者専用の橋を両側に付け加える設計をした。この設計では中央と両側、計3本の橋があるので三本橋と呼ばれるようになった。この仕事は1932年に完成された三本橋を訪れる。

スロベニア首都リュブリャナの中心広場である。広場の中心地には、非常に有名なスロベニア人の詩人フランツェ・プレシェーレンと彼のムーサの銅像が建っている。広場の北にはバロック様式のフランシスコ教会が建っているプレシェーレン広場を訪れる。

プレシェーレン広場に面して建っているピンク色の教会。イタリアの影響を受けたデザインと装飾品がすばらしい。1646年から1660年の間に建てられたもので、後の1736年には彫刻家のによって祭壇が造られ、19世紀半ばにはアーチ型の天井に彩色を施した。日曜にはリュブリャーナ市民が礼拝のために訪れるフランシスコ教会を訪れる。

3本橋から伸びるストリートと交差する。その真ん前に時計台の尖塔が立つリュブリャナ市庁舎がある。玄関口にはユーロ、スロベニア、リュブリャナの3本の旗がひらめいている市庁舎を訪れる。

18:00ホテル到達
19:45夕食、就寝。
14日7:00朝食
9:00専用バスで出発、ブレッドに向かう。

スロベニアのゴレンスカ地方に位置する市である。ブレッドは、ドイツ王ハインリヒ2世が司教・ブリクセンのアルブイン へブレッドを授与したときに(1004年4月10日)初めて記述された。その後、1996年に地方行政区画としての市になるまで、統治者が何人も変わった。ブレッド城、教会ブレッドは、スロベニアを代表する観光地にもなっている、氷河により出来たブレッド湖で有名である。湖のそばには、岩で出来たブレッド城がある。また、ドイツのクリームケーキが元となった、kremna rezinaやkrem?nitaと呼ばれるケーキでも有名である。

ブレッドは温暖な気候のため、ヨーロッパ中の貴族が訪れていた。今日では、ブレッドは幅広いスポーツ活動(ゴルフ、釣り、乗馬)を享受する観光客の中心地となっており、そして、近隣の山を登山する人達の出発地にもなっている。また、重要な会議が開催されることもある。

ブレッド島と聖マリア教会ブレッド湖の中にはブレッド島があり、pletanaと呼ばれるボート、カヌーなどで行く。ブレッド島には聖マリア教会がある。聖マリア教会を訪れた人は、「鳴らすと願いが叶う」という伝説がある鐘を鳴らそうとする。しかし鐘を鳴らすためには、鐘とつながっている紐をかなり強い力で引っ張らないといけないので、全員が鳴らせるわけではない。先史時代の人間の痕跡が島に見られて、教会より前には愛と繁殖のスラブ人の女神である?ivaの聖地があった。ブレッド島は、教会への98段の階段があり、伝統的な結婚式では新郎は新婦を担いで98段を昇ることになっている。その間、新婦はずっと沈黙しなければならないブレッド観光する。

昼食:豚のペチェンカ

ポストイナに向かう。

実に20キロに及ぶ世界第二位の鍾乳洞、ポストイナトリ、エステ間に広がるカルスト地方はすり鉢状にゆがんだ穴、割れ目、鍾乳洞地下水脈、間欠湖など独特の地形で形成されている。ピカウ川が7000万年もかけ石灰岩が雨水で溶け作り上げた造形美は圧巻。スロベニアは元祖カルストの国。ポストイナの見学は5、2キロ、1時間半程かかりますが2キロ間はトロッコ電車が走っています。最も古い鍾乳洞は1818年に発見されましたが地下道の壁に残るサインにより13世紀には人が探険をしていたことがわかる。発掘された物から古代人もここを訪れていたらしい。絶滅した動物の骨などもしばしば発見されているとか。色素が無くなった類人魚(ホライモリ)のホルマリン漬等も置いてあります。現在は多くの地下道が発見され洞窟鉄道は複線化、また色々なルートにも鉄道が施設されていました。内戦終了後は観光客も戻って年間30~40万人以上とかのポストイナ鍾乳洞観光する。

リュブリャナに戻る。

夕食:サルマとギバニッツッア

就寝

15日7:30専用バスで出発、途中昼食を済ませる。

13:00ボスニア・ヘルツェゴビナ国境に近いプリトヴィツェ湖群市に位置するプリトヴィツェ湖群国立公園は、ディナル・アルプス山脈の山間に点在するカルスト地形のひとつです。山間から流れ出る水が、高さの異なる16の湖に流れ込み、複雑で美しいいくつもの滝が形成されています。白雲岩と石灰岩のカルストから成る地質が、この特徴的な地形を生み出す要因となっているとのこと。コケや藻の光合成によって数千年をかけて蓄積されたトラバーチン(石灰質化学沈殿岩)によって形成された天然のダム。至る所から水が流れ込み、またほかの湖に流れ出して行きます。湖群は最も高い地点で標高636mから、最も低い地点で503m。幅約8kmに渡って、南北方向に水が流れています。最も大きい滝は、70メートルの落差を持っているとのことのプリトビッツェ湖群国立公園を散策観光。

16:45ホテル到着
夕食はマスのグリル
就寝

16日8:00専用バスで出発
11:00シベニク到達

クロアチア共和国南西部の都市。ダルマチア地方中部、クルカ川が流入する細長い湾の湾口に位置する商港都市。人口5万1553(2001)。トルコの抑圧から逃れたウスコック(海賊)によって建設されたともいわれている。ベネチア、ハンガリーの支配ののち、1918年までオーストリアに支配された。一時イタリア領となり、1922年ユーゴスラビア王国領となる。第二次世界大戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国に属し、91年クロアチアが独立した。電力はクルカ川の滝から供給され、それを利用したアルミ精錬のほか、石油精製、鋳鉄、織物、染色処理などの工業が盛ん。町の背後の丘の上に12~13世紀のサンタ・アナ要塞(ようさい)がそびえ立つシベニクを観光。

クロアチアのシベニクにあるカトリックの大聖堂であり、シベニク司教座がおかれている。大聖堂は2000年にユネスコの世界遺産に登録された。レンガや木の補助を全く使わず建てられた石造建築の教会としては、世界で一番大きいシベニクの聖ヤコブ大聖堂を訪れる。

12:30昼食
13:30シベニク出発

15:00スプリットはカシテラ湾とスプリット海峡の間にある半島に位置するクロアチア第二の都市です。 温暖な地中海の魅力に包まれたスプリットは、歴史的建造物も多く1979年にはユネスコの世界遺産にも登録されており見所は豊富です。 スプリットは地中海性気候で、暑く乾燥した夏期と温暖で湿潤な冬期に分けられ、ヨーロッパでも有数の日照時間を誇っています。 スプリットはこの地方の広域交通の中心であり、ザグレブ―スプリットハイウェイに加え、アドリア海沿岸の主要道路は全てスプリット市内を通過します。 カシテラ空港はクロアチア第三の空港で旅行者も多い世界遺産スプリット観光する。

キリスト教徒を迫害したことで知られるディオクレティアヌス帝の居城。 宮殿の中に建物を増築する形で町が築かれ、古代・中世の建物が混在した独自の街並みが楽しめますディオクレティアヌス宮殿を訪れる。

かつて倉庫などとして使われていた地下室で皇帝が使用していたと言われるローマ時代のテーブルなどが残っています宮殿の地下を訪れる。

夕食:シーフード
20:00ホテル到達、就寝。

17日8:30専用バスで出発
13:00ドブロブニク到着

昼食:シーフードリゾット

14:00クロアチア最南端の街で、13世紀以降に地中海交易の拠点として栄えた歴史を持ちます。 その影響か、ゴシック、ルネッサンス、バロック様式の教会や僧院、宮殿、噴水などドブロブニクは、美しい街並みを誇っています。 ドブロブニクの目抜き通りストラドゥン石畳は、何百年ものあいだ人々の通行により磨かれ、滑らかに輝いています。 ドブロブニクの旧市街を取り囲む全長約2キロの城壁は遊歩道となっており、塁壁の上の見晴らしは素晴らしくエラフィテ諸島の島々が一望できます。 ドブロブニクの夏は旧市街全体で祭典が催されドブロブニク旅行の目玉の一つとも言えます世界遺産ドブロブニク観光する。

かつてはドブロブニクの玄関口だった旧港ですが、現在は近郊の島へ向かうエクスカーション用の船の発着地となっています。 観光シーズンには、旧港で船を待つ観光客が行列を作っています旧港を訪れる。

1667年の震災に合い、のちに1713年に再建され現在の建物として完成しました。 ルジャ広場の南端に建つバロック様式の建物で、宝物室には聖ヴラホの遺骨があったり、他にも財宝などがあります。 大理石を使った祭壇が素晴らしいうえに、その奥の「聖母被昇天」は息をのむくらい迫力ある見応えある絵がある大聖堂を訪れる。

ドブロブニク旧市街、プラツァ通りを真っすぐ歩いて行ってぶつかる広場がルジャ広場。 この旧市街の中心になる広場は、かつて青空市場が開かれていました。 ルジャ広場にはオノフリオの小噴水、鐘楼の時計、広場中心にはオルランドの柱があり、広場の東に立つ鐘楼の壁面の時計は、毎時30分ごとに鐘を鳴らされます。 広場の周囲にはスポンザ宮殿、聖ヴラホ教会などが囲まれていて、非常に華やかな雰囲気がしますルジャ広場を訪れる。

ピレ門の入り口から中心部ルジャ広場まで約200m続くドブロブニクの目抜き通りのプラツァ通り。 通りの両側にはカフェや銀行やお土産屋さんなどが軒を並べていて賑わっています。 狭い路地が網の目のように延びていて、地元の生活音が耳に届き、はるかな昔にタイムスリップしたように感じました! ちょっと観光に疲れた方は、プラツァ通りでお土産を探したり、カフェでのんびりお茶することができるプラツァ通りを訪れる。

オノフリオ大噴水と向かいあってあるのが、フランシスコ修道院。 クロアチア最古の薬局があり、現在も営業しています。 また、ロマネスクの回廊や修道院にまつわる宝飾品などが展示されている博物館もありますフランシスコ修道院を訪れる。

オノフリオの大噴水は、ナポリのオノフリオ・デッラ・カヴァが1438年に造った大きな噴水で、12km離れた源泉から水を引いて市内の2か所に設けられています。 16面の顔のレプリカ(地震で少し欠けていますが)の口から、水が噴き出していて飲料水となっていますオノフリオの大噴水を訪れる。

ピレ門が造られたのは16世紀で深い堀にかけられた橋は、木製の跳び橋だったといわれています。 侵入者を防ぐため、あるいは夜間の出入りを制限するため橋はしばしば上げられていたようです。 現在の橋は木製にかけ替えられていますが、こちらでも門に似合っていて風情を醸しだされています。 ピレ門近くにはインフォメーションがあり、旧市街のメインゲートになっていますピレ門を訪れる。

夕食:フォークロアディナー

20:00ホテル到達、就寝。


18日7:30専用バスで出発
10:30モスタル到達

モスタル(ボスニア語: Mostar、クロアチア語: Mostar、セルビア語: Мостар) は、ボスニア・ヘルツェゴビナの都市およびそれを中心とした基礎自治体で同国を構成する構成体のうちボスニア・ヘルツェゴビナ連邦に属する。また、ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県の県都でヘルツェゴビナ地方の最大の中心都市で、ボスニア・ヘルツェゴビナでは5番目に大きな都市である。市内をネレトヴァ川が流れている。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争期には事実上独立したヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の首都と定められていた(ただし政治情勢によって、事実上の首都はモスタル近郊のグルデであったモスタルを観光する。

昼食:チェバプチッチ
12:30専用バスで出発
14:30サラエボ到達

サラエヴォ(ボスニア語:Sarajevo、クロアチア語:Sarajevo、セルビア語:Сара?ево)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都であり、同国で最大の人口をもつ都市である。2011年8月の推計では、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォ県に属する4つの自治体の人口は併せて311,161人である。サラエヴォはまた、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する2つの構成体(エンティティ)のうちの一つであるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都でもあり、サラエヴォ県の県都でもある。サラエヴォはボスニア地方のサラエヴォ渓谷のなかにあり、ディナール・アルプスに取り囲まれ、ミリャツカ川周辺に広がっている。サラエヴォの町は宗教的な多様性で知られており、イスラム教、正教会、カトリック教会、ユダヤ教が何世紀にもわたって共存してきたサラエボを観光する。

20:35サラエボ空港トルコ航空で出発
23:30イスタンブール到達
19日00:50イスタンブールトルコ航空で出発
17:55関西国際空港到達

今回の旅行、南ヨーロッパの旧ユーゴスラビアの国、中央ヨーロッパの国であるスロベニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビンナの3か国を訪れました。

今最も人気のあるクロアチア含め3か国ツアー、中世のきれいな町並み、歴史も興味深く、世界遺産にも指定された文化遺産に圧倒され、またそれぞれの個性豊かな街並みにも感心いたしました。
地方には大自然のブレッド湖、ポストイナ鍾乳洞、プリトビィッツェ湖群国立公園など見どころいっぱいの観光旅行、8日間の旅楽しめました。

ヨーロッパ人のリゾート地、クロアチア等の国々、多くの観光客で賑わっていました。
又訪れてみたいスロベニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビンナの3か国観光旅行でした。
























岐阜県長良川鉄道観光
2013年8月4日


日本のど真ん中にある数少ない内陸県のひとつの岐阜県に足を運び、長良川に並走する美濃太田から北濃までの72.1kmを清流長良川と自然豊かな美しい景色に囲まれながら走り抜けます長良川鉄道のゆらーり眺めて清流列車に乗車しました。

4日7:37新大阪新幹線のぞみで出発
8:31名古屋駅到達
8:43名古屋駅特急ワイドビューひだ3号で出発
9:22美濃太田駅到着
9:50美濃太田駅長良川鉄道ゆらーり眺めて清流列車で出発

岐阜県美濃加茂市の「美濃太田駅」から、郡上市の「北濃駅」までの72.1Kmを南北に貫く長良川鉄道。最大の特徴はその名が示す通り、主に長良川沿いを走ることでしょう。日本三大清流の一つといわれる長良川は、その昔から清らかな水を利用した和紙の生産や、鮎やアマゴを育む漁場として、地域に大きな恩恵をもたらしてきました。季節ごとに表情を変える水辺のさまざまな風景や、自然豊かな山々の表情は、旅に鮮やかな彩りを与えてくれることでしょう。

11:50北濃駅到達、散策。

北濃駅は、岐阜県郡上市白鳥町歩岐島にある長良川鉄道越美南線の駅で、同線の終着駅でもある。当地付近はかつて北濃村(→白鳥町→郡上市)の中心地であった。美濃太田駅から延び、福井県の越美北線と結ばれる予定で建設されている越美南線はこの駅の構内北側で線路が途切れている。

14:10北濃駅出発
16:12美濃太田駅到達
17:15美濃太田駅ワイドビューひだ16号で出発
18:02名古屋駅到達
18:10名古屋駅新幹線ひかりで出発
19:03新大阪駅到達。

今回の旅行、岐阜県に足を運び長良川に並走する長良川鉄道に乗車し美濃太田から終点北濃までの72.1kmを走行し、日本三大清流の一つといわれる長良川の風景を車窓から味わい楽しみました。
以前この区間はトロッコ電車が走っていましたが2003年廃車となり、今はゆらーり眺めて清流列車での観光となりました。