飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十六弾:栃木県那須・塩原観光
2013年9月29−30日

那須連山や日光連山などに囲まれ、自然豊かで、古くから発展した歴史情緒残す街並みや季節を感じながら散策できる自然スポットがいっぱいの栃木県に足を運び、那須山麓に広がり、自然に囲まれ、リゾート気分を味わえる那須高原、箒川沿いに温泉が連なり、多くの文人に愛され、渓谷にはいくつかの吊り橋が架り、散策路も整備している塩原を訪れました。

29日13:50新大阪新幹線のぞみで出発
16:23東京駅到達
16:40東京駅新幹線やまびこで出発
17:29宇都宮駅到達
駅付近のホテル到着後友人の車に送迎してもらい、宇都宮市内のステーキハウスで食事を済ませる。
23:00ホテルに戻り就寝。

30日8:00レンタカーで出発、那須方面に向かう。
9:00過ぎ那須高原到達

那須で温泉が発見された、奈良時代の創建。源平の合戦の折、那須与一が屋島で扇の的を射る際に命中を祈願したという伝えが残り、ここを訪れた松尾芭蕉が残した句碑もある那須温泉神社を訪れる。

正体を見破られ、那須野ケ原で退治された狐が、石に姿を変えた。狐の怨念は、石から吹き出す有毒ガスによって、人や動物を殺すほどだったので、「殺生石」の名が付いたとされる「九尾の狐」の伝説で知られる殺生石を訪れる。

那須湯本を起点に奥那須温泉郷全長約10.4kmを一周するルートで、正式名称は那須高原有料道路。那須岳をほぼ全線から望むことができ、ボルケーノ(火山)の名にふさわしいダイナミックな景観が楽しめる。途中には展望台もある。春にはツツジ、秋には紅葉が彩る名所でもあるボルケーノハイウェイを走行する。

3つの礼拝堂を飾る色鮮やかなステンドグラスが見られる。ティファニーやウィリアム・モリスなど有名作家の手によるもの。ライムストーンを使った石積の壁や、ステンドグラスを通して差し込む陽光が優雅な空間をつくり出している。毎時30分にパイプオルガンの演奏も行われている那須ステンドグラス美術館を訪れる。

19世紀末フランスを代表する芸術家、エミール・ガレの作品約100点を展示。代表作『トリステスの花器』をはじめとする、パリ万博出品作数点も常時見られる。なかでもジャポニズムの先駆者・ガレの日本文化への深い解釈を示す一端として、作品を茶器として見立てたコーナーは興味深い。手紙やデッサン、写真などの資料も展示。ミュージアムショップも充実し、ガレと同時代を共にしたダニエル・スワロフスキーのアンティーククリスタルのアクセサリーコーナーは必見のガラスの芸術 エミールガレ美術館を訪れる。

世界中で愛されているテディベアのコレクションを展示。歴史的価値の高いアンティーク・テディベアのほか、世界中のアーティストの手による個性豊かなベアが並ぶ。館内はぬいぐるみの温もりが伝わってくるような、やさしい雰囲気に包まれている那須テディベア・ミュージアムを訪れる。

日本におけるオルゴール収集の草分け、故・佐藤潔のコレクション。ディスク式オルゴールをはじめ、オルゴール付き自動人形などアンティークオルゴールが約100点展示されている。1時間ごと正時に約20分間、展示品のオルゴールの演奏があり、その音色を楽しめる。また、館内にはオルゴールの歴史を表すジオラマや、手作りオルゴール教室など、大人だけではなく、子供も楽しめるコーナーもある那須オルゴール美術館を訪れる。

紀元前4世紀のテラコッタ天使像や19世紀のブロンズ像など、ヨーロッパ各地で集められたかわいらしい天使とキューピッドの美術装飾品約80点を展示。オールドローズを中心に四季折々の花々が楽しめる英国式庭園なども併設し、ブルーベリー園では摘みたての果実が楽しめるダイアナガーデン エンジェル美術館を訪れる。

世界各国から集めた、クラシックカーやビンテージバイクを展示。昭和5年(1930)、750ccクラスの世界スピード記録保持車となったMGEX120、実際にシートに座れるロンドンタクシーをはじめ、ジャガーやMGなど50〜60年代の名車が吹き抜けの格納庫風の館内に並ぶ那須クラシックカー博物館を訪れる。

白笹山から湧いた水が、沢名川に流れ落ちる落差10mの滝。名の由来は、流れ落ちる滝が乙女の髪を連想させるからとも、美しい少女がここで髪を洗っていたからともいわれる。小さな滝ではあるが、滝見台まで下りると、滝壺を間近に見ることができる。新緑と紅葉はとりわけ美しい乙女の滝を訪れる。

塩原方面に向かう。

塩原ダム湖に架かる全長320mの大吊橋。太いワイヤーロープを支える主塔の高さも26.2mという堂々たるもの。橋や対岸の公園からは雄大な塩原渓谷の四季折々の自然が楽しめるが、特に紅葉の時期が美しいもみじ谷大吊橋を訪れる。

長さ50mの鍾乳洞。治承4年(1180)、平家との合戦に敗れた源三位頼政の孫である有綱[ありつな]が、再起を期して身を隠していた場所。洞内には、落人の生活ぶりを表現した武者人形が置かれている。併設の武具資料館には、洞内より発見された、ヨロイ・カブトをはじめ、多数の武具が陳列され、洞窟と併せて見学できる源三窟を訪れる。

園内にある塩原湖成層から現在も産出される動植物・昆虫など約220種類の化石と国内外より収集した化石・鉱物約1200点を展示する木の葉化石園を訪れる。

15:30宇都宮に向かう。
17:05宇都宮駅到達
17:58宇都宮駅新幹線つばさで出発
18:48東京駅到達
19:00東京駅新幹線のぞみで出発
21:33新大阪駅到達

今回の旅行、4回目の訪れである、栃木県に足を運び、標高1900m級の山々が連なる那須連峰の主峰、茶臼岳の裾野に広がる高原、酪農が盛んで、メインルートにはテーマパークやアートスポットなどが多数揃う那須高原、明治から昭和にかけて、夏目漱石や谷崎潤一郎など多くの文人に愛され、渓谷沿いにはいくつもの吊り橋が架り散策が楽しめる塩原をおとずれ楽しめました。

那須高原は栃木県の近場の避暑地なのか、自然に接し、テーマパークやアートスポットなどでも楽しめるエリですね。栃木県北部エリアのドライブ観光でした。

次回は真岡SLに乗車し、また時間の都合で訪れることができなかった湯西川温泉、川俣エリアを考えています。
 










 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十五弾:中国圏城・城下町巡り
2013年9月21日ー9月23日
 

中国圏のお城・城下町(津山城、鳥取城、月山富田城、松江城、郡山城、萩城、津和野城、岩国城、広島城、福山城、岡山城、鬼ノ城、備中松山城)を巡りました。

21日13:00車で出発、近畿・中国道経由して津山インター下車
16:00津山城到達、散策。

1604年(慶長9)、初代藩主・森忠政が築いた津山城。現在は、本丸跡や高さ45mの石垣が残る。一帯は鶴山公園として整備。西日本有数の桜の名所として知られ、桜の名所・歴史公園・名城100選にも選ばれている津山城(鶴山公園)を散策する。

16:30鳥取に向かう。
17:45鳥取城到達、散策。

鳥取市北東に位置する久松山(標高263m)。鳥取城は、久松山の山頂と山麓に城郭が築かれ、山頂の戦国時代の山城(山上の丸)と、麓の近世城郭の平城(山下の丸)からなる城。山上の丸にはかって天守があったが、現在は天守台が残るだけで、遺構はほとんど失っている。
山下)の丸は久松公園として整備され、石垣が整然と並び、仁風閣・県立博物館などが建つ。


18:15米子に向かう。
20:15米子到達、米子駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
22日6:00車で出発、
7:00月山富田城到達、散策。

標高184mの月山の地形を利用した山城跡(史跡)。主に尼子氏の居城として知られ、戦国時代には中国地方の中枢となる城であった。現在、往時を偲ぶ建物は一つも残っておらず、中腹の山中御殿から山頂の本丸にかけて石垣が保存されているのみ。当時の母屋と侍所が復元された花の壇、桜の名所である太鼓壇などがある月山富田城を訪れる。

7:30松江に向かう。
8:10松江城到達、散策。

慶長16年(1611)、堀尾吉晴[ほりおよしはる]が築城した。5層6階で高さ30m。桃山初期の城郭の特徴を残し、黒塗り下見板張りの外壁に簡素な美しさが漂う。各層に設けられた銃眼、地階の井戸など、実戦的な側面を色濃く残しているのが興味深い。展示物は武具甲冑の類や古文書など。最上階は望楼になっており、市街と宍道湖を一望できる松江城(千鳥城)[松江城山公園]を訪れる。

広島県安芸高田方面に向かう。
10:30郡山城到達、散策。

郡山城は、南北朝時代、安芸国吉田庄の地頭頭として定着した毛利氏が、その勢力を拡大していくなかで、一貫して本拠とした山城です。城は、はじめ郡山東南の一支尾根でありましたが、毛利元就(1497〜1571)の時には標高約400m、比高約200mの郡山全山に拡大されました。城域は、東西約1.1km、南北約0.9kmで、南側の麓には内堀が巡り、城内には270段余の平段や、大通院、洞春寺、常栄寺、満願寺などの寺院も建立されました。またこの城下には、祇園縄手、家取縄手、たて縄手などの道路が整備されて、三日市、六日市、十日市などの市と町が形成されていました。


11:00山口県萩方面に向かう。
13:30萩城到達、散策。

慶長5年、毛利氏は関ヶ原の戦いに敗れた結果中国地8か国の領地を削られ周防、長門(現在の山口県)2か国36万9千余石の領主に移封されました。そこで輝元は居城として防府、山口、萩の3か所を候補地として徳川幕府の意向を伺い、萩指月山麓に築城することになりました。慶長9年(1604)着工、同13年竣工。これにより文久3年(1863)第13代藩主敬親が藩府を山口に移転するまでの260年間、政治の中心地でありました。明治7年天守閣、居館を解体しました。萩城は平山城の形式に属し阿武川デルタの根元を横断し外堀とし、その外を城下町とし内を城郭とした。外堀の内に三の丸を置き、中堀を掘って二の丸を設け、二の丸の内側に内堀をめぐらして本丸を指月山麓に構えた。さらに指月山頂には詰丸を設けている。

14:00萩出発、津和野に向かう。
15:00津和野城到達、散策。

「三本松城」「蕗城」ともよばれる津和野城は、鎌倉時代に吉見頼行が30年かけて築城した山城。当時は土塁だけであったが慶長6年(1601)に入城した坂崎出羽守が石垣を築き、出丸として織部丸を増築するなど強化に努め、亀井氏に受け継がれた。建物は明治7年(1874)に取り壊され、現在は東門、天守台、出丸などの石垣が往時の堅固な城の面影を伝え、史跡に指定されている。一帯は木々に覆われて散策によく、秋はモミジの紅葉が美しい津和野城を散策する。

15:45津和野出発、岩国に向かう。
17:50岩国城到達。

吉香公園背後、標高200mの城山山頂にそびえる白亜の天守は、桃山風南蛮造で3層4階の上に物見を置く珍しいもの。初代藩主・吉川広家が慶長13年(1608)に築城したが、元和元年(1615)幕府の一国一城令により、完成からわずか7年で取り壊された。現在の城は昭和37年(1962)に再建されたもの。内部は刀剣、書画などが展示されており、4階は展望台。城山山頂までロープウェイが通う岩国城を訪れる。

18:30岩国駅前のホテル到達後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
23日7:00車で出発、広島方面に向かう。
8:05広島城到達、散策。

天正17年(1589)に毛利輝元が築城した城。鯉城[りじょう]とも呼ばれる。かつて国宝に指定されていた天守閣は、原爆投下によって倒壊。現在の5層天守閣は昭和33年(1958)の再建で、内部は武具の展示や城下町広島を学べる歴史博物館になっている広島城を散策する。

8:30広島城出発、福山方面に向かう。
10:05福山城到達、散策。

元和5年(1619)徳川家康の従兄弟・水野勝成が福山十万石の領主となって築城。天守閣は昭和41年(1966)の再建で、博物館として公開している。京都の伏見城から移築されたという伏見櫓(重要文化財)と筋鉄御門[(重要文化財)は往時の遺構である福山城を散策する。

10:35福山城出発、岡山に向かう。
12:05岡山城到達、散策。

慶長2年(1597)、宇喜多秀家[うきたひでいえ]が築城。後に池田氏の居城となった。外壁は黒塗りの下見板で、烏城の別名を持つ。不等辺5角形の天守閣は再建されたものだが、西丸西手櫓と月見櫓は創建当時のままで重要文化財に指定されている岡山城を散策する。

12:40岡山城出発
13:45鬼ノ城到達、散策。

鬼城山の頂上付近に築かれた古代山城の遺跡。鬼(温羅)の砦だったという伝説も。西門と角楼が復元されている鬼ノ城を散策する。

14:30鬼ノ城出発
15:30備中松山城到達、散策

城山の臥牛山は大松山、小松山、天神丸、前山の四峰から成るが、秋庭重信が延応2年(1240)大松山に砦を築いたことに始まります。現在の「備中松山城」は天和3年(1683)、松山藩主水谷勝宗の手によって完成したものといわれています。現在は二層二階の天守の他、二重櫓、大手門や櫓の礎石、土塀、高い石垣などが残っています。平成9年本丸の一部が復元されました。天守、二重櫓、土塀の一部が国重文。

16:30備中松山城出発、帰路に向かう。

今回の旅行、中国圏のお城・城下町(津山城、鳥取城、月山富田城、松江城、郡山城、萩城、津和野城、岩国城、広島城、福山城、岡山城、鬼ノ城、備中松山城)を車で反時計回りで巡り総走行距離1560kmの堪能した観光旅行でした。。

現存する天守閣を持つお城(松江城、備中松山城)、歴史を偲ばせます。一方立派な天守閣ですが内部はエレベータが設置しており観光客に利便性を図っていますが外観は歴史を感じるが内部は近代的、複雑な思いを持つ天守閣もありました。また城跡で石垣のみが残っているものもあり、多種多様なお城・城下町巡りでした。


 













飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十四弾:九州中国地方路面電車観光
2013年9月14日ー9月16日

九州・中国地方に足を運び、鹿児島・熊本・長崎・広島・岡山の各タウンを訪れ路面電車の車窓から各々のタウンを望み観光めぐりしました。

14日15:15伊丹空港出発
16:35鹿児島空港到着、飛行場付近のホテルにて食事を済ませて就寝。
15日8:30鹿児島空港バスで出発
9:08鹿児島中央駅到達、路面電車で鹿児島タウンを巡る。

鹿児島市の路面電車は、軌道敷をシラスを利用したブロックに植えた芝生により緑化されています。 夜間はライトアップをしています。 路面電車には、500系、600系、1000系、2100系、7000系、9500系、9700系などの車両があります。

1000系は、車両の真中部分(客室)が宙に浮いたフローティング構造で、世界初のブレーキシステムを採用している車両です。現在9両が活躍中です。 また、電源の制御装置及び空調の装置をコンパクトにして、屋根上部に設置しています。 国産初のフルフラット車両で、降車口には補助スロープを装備し、幼児からお年寄り、ベビーカー・車イスの方でもスムースに乗降することができます。 車体のイエローは、南国鹿児島の明るい太陽を表し、ベージュは、超低床式車両の人に優しい機能を表しています。 現在、9両が活躍中です。

10:03鹿児島中央駅サクラで出発
11:03熊本駅到達、路面電車で熊本タウンを巡る。

経営難により廃止となった熊本軽便鉄道に代わる市内交通として熊本市内に路面電車を建設する計画が民間により立ち上げられ、熊本市により実現した。熊本市内には熊本市のほか、熊本電気軌道が運営する路面電車路線もあったが、1945年に熊本市は熊本電気軌道を買収した。

路線数は5本、運転系統は2系統ある。洗馬橋 - 新町間のみ専用軌道であり、ほかは全路線併用軌道となっている。軌間は全線1435mm(廃止路線も1067mmの百貫線以外同じ)。田崎橋電停付近と健軍町電停を除くほぼ全線が複線で、電化方式は直流600V。車庫は上熊本にあるが、以前車庫があった大江の交通局横にも留置線が少し残されている。

13:26熊本駅さくらで出発
14:19新鳥栖で特急かもめに乗り換える。
15:48長崎駅到達、路面電車で長崎タウンを巡る。

長崎市内を走る路面電車は1914(大正3)年8月2日に設立され、翌年11月16日、病院下(現在の長崎大学歯学部下の辺り)と築町(現在の西浜町電停の少し西側)間(大波止経由)、3.481kmで開通した民営の路面電車です。建設費は207,888円でした。以後路線を拡張し、1968(昭和43)年6月17日、思案橋〜正覚寺下間が開通して現在の路線になりました。営業キロは11.5kmです。

1984(昭和59)年6月1日以来現在の運賃を守り、大人100円(子供50円)でどこまで乗ってもよいという、均一運賃の市内電車として親しまれています。「築町」で乗り換えると「乗継券」をもらえます。駅方面から「グラバー園」や「眼鏡橋」へも、「築町」で下車するとき料金を1回払えば目的地まで電車を乗り継いで行けます。

市内のほとんどの観光地にも市内電車で行けます。「一日乗車券」を使えば一日中電車を使って観光地巡りができ、とっても便利です。

走っている電車の中には、かつて仙台、東京、福岡や熊本各都市を走っていた車両もあります。また、日本で一番古い電車もあって、イベントの時などに走ります。


19:00長崎駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

16日7:30長崎駅特急かもめで出発

9:20博多駅到達
9:29博多駅新幹線のぞみで出発
10:26広島駅到達、路面電車で広島タウンを巡る。

広島電鉄は、広島県広島市を中心に、路面電車、バス、不動産を中心とした事業を経営する会社。1910(明治43)年に広島電気軌道として開業し路面電車網を広島市内で広げ、1931(昭和6)年には鉄道線として広電西広島〜広電宮島(現広電宮島口)を開業。

そして原爆による被害や、路面電車排斥の流れを乗り越え、日本最大の路面電車を擁しています。その車両はLRVから各地からの中古車まで、まさに路面電車の博物館。

15:08広島駅新幹線のぞみで出発
15:48岡山駅到達、路面電車で岡山タウンを巡る。

岡山駅から岡山城付近を経由し、東山公園を結ぶ東山線、岡山駅から柳川で東山線と分岐し清輝橋にいたる清輝橋線の2路線を持つ路面電車。2つ合わせて約4.7kmと日本の路面電車の中で最も短い路線である。
その歴史は古く、1912(明治45)年5月5日に現在の社名と同じ岡山電気軌道として開業。今の東山線の一部である駅前〜城下で運転を開始し、路線を延伸。1968(昭和43)年に番町線(上之町〜番町)0.9kmが廃止された以外は、一部の線路移設を除き、基本的にはそのまま残る。

近年は、環状線化などの路線の延伸が議論されているが財政的な問題もあり全く先に進まず、一方車両面では超低床車両9200形の導入、元東武鉄道日光線の車両である3000形を「KURO」へ大胆イメージチェンジしたことなどで話題を集めている。

19:14岡山駅新幹線のぞみで出発
19:58新大阪駅到達。

今回の旅行、東北地方の城めぐり予定でしたが、台風の進路に一致、断念して、台風の影響の少ない九州・中国地方の路面電車に乗り、車窓から、鹿児島・熊本・長崎・広島・岡山の各タウンを望み観光しました。

観光地の路面電車、役に立っていますね、細々と観光地を巡るには路面電車大変便利がいいですね。

以前中央ヨーロッパを訪れた時、路面電車が密に走行し、観光めぐりにかなり重宝だったのを思い出しました。

日本においても根強く路面電車が一部の地域に残っているは観光めぐりに役立っているのでしょうね。

   


 








飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十三弾:山口県萩沖離島大島・相島観光
2013年9月7日ー9月8日
  

史跡めぐり、SLの旅、海の幸など、楽しみ方が盛り沢山の本州の最西端山口県に足を運び、13代に渡って続いた、毛利氏の長州35万石の城下町として栄え、吉田松陰のもとで学んだ若者たちが後に維新の志士として活躍した維新胎動の地としても知られ、今も城下町の風情を残す町並みが残り、武家屋敷跡に実るみかんが特産品として知られている萩と萩沖の離島大島・相島を訪れました。

7日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:38新山口駅到達
15:50新山口駅前バスで出発
17:23東萩駅前到達、近くのホテル到着後、周辺のレストランで食事を済ませて就寝。

8日7:30出発、萩港に向かう。
8:00萩港高速艇で出発
8:40相島到達、散策。

相島は萩港から高速船で40分、距離にして港から北西へ約14kmの海上に浮かぶ有人島で、標高157mの大山から続く斜面には多くの段々畑が作られ、さつまいもや葉タバコ、そして萩西瓜の最大の生産地として知られている島です。
水が豊かでないことから稲作は行われず、昔から畑作に力が注がれてきました。昭和の始め頃は蚊取り線香の原料になる除虫菊の栽培が盛んで、花が咲く初夏の頃には島全体が白く輝いていたといいます。

9:10相島高速艇で出発
9:50萩港到達、萩散策

藩主の御座船を格納した倉(史跡)。玄武岩を積んだ壁に本瓦葺きの屋根をのせた、梁間8.8m、桁行27m、高さ8.8mの堂々たる建物だ。現在は川から約130m離れているが、かつてはこのあたりまで松本川の河畔だったという旧萩藩御船倉を訪れる。

江戸時代の牢獄跡で、野山獄が士分の者、岩倉獄が庶民用だった。安政元年(1854)、下田からアメリカに密航を企てて失敗した吉田松陰は野山獄に、門弟の金子重輔は岩倉獄につながれた。岩倉獄跡には、重輔絶命の碑と松陰が重輔に贈った詩碑が立つ野山獄跡・岩倉獄跡を訪れる。

江戸屋横町にある、木戸孝允(桂小五郎)の生家。当時としては珍しい木造2階建て桟瓦葺きで、14室もの部屋があり、父が藩医を務めていたために患者用と来客用の2つの玄関がある。孝允は天保4年(1833)に誕生し、約20年間をここで過ごした。誕生の間や勉強部屋などがあり、勉強部屋では後年、名筆家として知られた孝允の少年時代の習字も見られる木戸孝允旧宅を訪れる。

菊屋家は毛利輝元に従って山口から移ってきた藩の御用商人で、大年寄格でもあった家。江戸初期に建てられたという主屋は広い座敷をもち、幕府からの使者が泊まる本陣として使われた。5470平方mという広い敷地内にはなまこ壁の蔵が立ち並び、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場などが国の重要文化財に指定されている。各部屋には藩主からの拝領品や古書、民具、衣装など約500点を展示。家の西側のなまこ壁が美しい小路は、菊屋横丁とよばれている菊屋家住宅を訪れる。

萩港に向かう。

11:00萩港高速艇で出発
11:25大島到達、散策。

萩港から無人島の羽島、肥島を見ながら高速船で25分、平たい台地状の大島に到着します。沖縄の隆起珊瑚礁の島にはよくある形ですが、大島は19万年前の火山噴火で出来た台地が島になったもののようです。
集落は南側に集中し、台地の上には歯タバコやブロッコリーなどの畑が広がります。農業も盛んですが、漁業は山口県の島の中では有数の水揚げを誇る漁業の島です。
島の起源として壇ノ浦の戦い(1185)で敗れた平家の落人7人が流れ着き開拓したという伝承があり、今でも島民の大半はその子孫と言われる長岡、池部、国光、刀禰、豊田、吉光、貞光の7つの姓の人で占めています。

13:00大島高速艇で出発
13:25萩港到達、萩散策。

萩城跡から萩商港にかけて続く、白砂青松の浜。指月山の眺めがよく、夏は海水浴場としても賑わう。もとは阿古ケ浜とよばれていたが、江戸時代に菊屋家が藩士や足軽衆のためにここに小屋を建てたので、菊ケ浜の名が付いたと伝えられている菊ケ浜を訪れる。

慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれる。山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていた。明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されている。旧本丸跡に歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建された際、総面積約20万uの境内が指月公園として整備された。城跡の構造をよく残していることが特徴で、園内には天守閣跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡がある。また、幕末13代藩主毛利敬親が安政年間に藩主別邸・花江御殿に増築し、家臣とともに茶事に託して討幕の密議を凝らした茶室「花江茶亭」が明治22年に園内に移築され、現在、抹茶の接待を行っている。春には県の天然記念物に指定されているミドリヨシノを始め、600本余りのソメイヨシノが咲き誇り、桜の名所となっている萩城を訪れる。

厚狭(現山陽町)に領地を持っていた厚狭毛利氏の屋敷の一部で、安政3年(1856)に建てられた入母屋造本瓦葺きの長屋。梁間5m、桁行51.5mの長大な建物は、萩に残る最大の長屋で、当時の武家屋敷の姿をよく伝える遺構として重要文化財に指定されている。室内は座敷や中間部屋が横一直線上にいくつも連なり壮観。内部には、毛利家の姫が使った駕籠や道具類などを展示している旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を訪れる。

敵を迷わせ、あるいは追いつめやすいように工夫して造られた鍵曲。別名「追廻し筋」ともよばれ、道が鍵の手に曲がり、左右を高い土塀で囲むなど見通しが悪くなっているのが特徴だ。藩政時代に多くの重臣たちの邸宅があった堀内や平安古などで見られる。一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、近くに国の重要文化財の口羽家住宅がある堀内エリアの鍵曲は、道がカラー舗装されており、往時を彷彿とさせる堀内鍵曲を訪れる。

上級武士の屋敷があった堀内地区に立つ施設。萩の歴史や自然、文化、また吉田松陰、高杉晋作ら明治維新期の偉人について楽しみながら学べる。季節ごとに企画展も開催。瓦屋根が開閉する天体観望室もあり、レストランではランチや夏みかんソフトなどが味わえる。毛利家のお姫様が使った駕籠も展示する萩博物館を見学。

もとは大内氏の祈願寺として山口にあったが、毛利氏とともに萩に移った古寺。山口市には現在も円政寺町という地名が残る。境内には十二支の彫刻が施された珍しい形式の金毘羅社があり、神仏混合の名残が見られる。伊藤博文や高杉晋作などが遊び、学んだ場所でもあり、幼い晋作が肝だめしをしたという大きな天狗の面や、遊んだ木馬(神馬)などが残る。県下最大の石灯篭もみどころの円政寺を訪れる。

石の造形をデザインに取り入れた、近代的な外観が印象的な美術館。萩出身の実業家・浦上敏朗氏が所蔵していたコレクションを山口県へ寄贈したことを契機に開館。歌川広重や葛飾北斎をはじめとする浮世絵約5200点、中国・朝鮮などの東洋陶磁約500点などがあることでも有名。2010年に増築された陶芸館では、萩焼をはじめとする陶芸の作品も見られる。1階には美術書が閲覧できるレファレンスコーナーやミュージアムショップ、喫茶がある。1階の和風展示室(茶室)では、現代芸術家の作品展示なども行われる山口県立萩美術館・浦上記念館を見学。

享保4年(1719)に毛利吉元が開き、嘉永2年(1849)に毛利敬親がここに移した藩校跡。敷地は約5万平方mもあり、藩校としては水戸の弘道館、鹿児島の造士館と並ぶ大規模なものだった。萩の下級武士の次男として生まれた吉田松陰が、19歳でここの兵学教授となった。敷地内には現在の明倫小学校があり、坂本龍馬が試合をしたという剣・槍術場の有備館、水泳や水中騎馬の練習が行われた石垣で囲った水練池、観徳門などが残る旧萩藩校明倫館を訪れる。

16:20東萩駅前バスで出発
17:42新山口駅前到達
18:05新山口駅新幹線のぞみで出発
19:58新大阪到達。

今回の旅行、本州最西端に位置する山口県に足を運び、毛利氏の長州35万石の城下町として栄えた萩、萩沖の離島大島・相島を訪れ車を使わずひたすら散策して巡り楽しめました。

2つの離島は漁業と農業で賑わってる実用的な島で、あまり観光に力を入れてないようで、観光名所は少なく、もっぱら萩の城跡と周囲に点在している武家屋敷を巡る観光でした。