飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六十五弾:広島県しまなみ海道離島(百島・細島・豊島・高井神島・魚島)観光
2014年2月22−23日
 

広島県から愛媛県に位置し、尾道から8つの橋で芸予諸島繋いで今治まで渡れるしまなみ海道沖の離島(百島・細島・豊島・高井神島・魚島)を訪れました。

22日13:59新大阪新幹線さくらで出発
15:06福山駅到着
15:47JR山陽本線で尾道到着、歩いて尾道港に向かう
16:20尾道港フェリーで出発
16:44百島福田港到達、散策。

百島は備後灘に浮かぶ島です。東は沼隈半島、西は向島、南は田島・横島に囲まれ、尾道と常石を結ぶ定期船で渡ることができます。百島と書いて「ももしま」。昔、桃の木が多く桃島と呼ばれていたものが、周りにたくさんの島があったり、“百”のほうが縁起がよかったりでいつの間にか“百”に改まったとする説。また、古くは五十島と呼ばれており、潮が満ちると2つに分かれていたものが、間に砂が溜まって一つになったので合わせて百島と呼ばれるようになったとする説、等々、名前の由来は諸説あるようです。島の起源は不明ですが、菅原道真が大宰府に向かう途中に立ち寄ったという伝説や室町幕府六代将軍足利義教を暗殺した赤松満祐一族が隠れ住んだという話が残されています。福田地区の八幡神社に伝わる「お弓神事」は、赤松一族が追手に立ち向かうために弓の稽古に励んだのが始まりだとされ、毎年1月11日に厄祓いと無病息災を願って厳かに催される伝統行事です。

17:31福田港フェリーで出発
18:14尾道港到達、歩いてJR尾道駅に向かう。
18:45JR山陽線で三原駅到達、近くのホテル到着後市街地を散策し食事を済ませて就寝。
23日8:57三原港高速船で出発
9:16重井港到達
11:00重井港フェリーで出発
11:15細島港到達、散策

北東から南西に細長く、標高63mを中心に周囲は40m前後の丘陵が続いています。この地形から島名が付いたとも思えますが、一説には6世紀頃、蘇我氏によって細部(水先案内人)が置かれたことが由来だとも言われています。島内からは古墳や古代の製塩遺跡が発見されるなど、古くから人の出入りはあったようですが、定住の始まりは不明です。中世には三原の小島摂津守祐直の所領、天文23年(1554)には小早川領となり、永禄10年(1567)に因島村上氏に与えられ、江戸時代は広島藩領となっています。漁業は振るわず、ミカン、キヌサヤエンドウ、ネギなどの畑が山の斜面に広がっています。生活用水は昭和60年頃までは井戸水を利用していましたが、以降、因島からフェリーで運ぶようになり、平成9年に海底水道管が通じたことで、水の心配はなくなっています。来島者も少なく年々進む高齢化が心配なところです。

12:00細島港フェリーで出発
12:15重井港到達
12:27重井港高速艇で出発
12:43土生港到達、散策

水軍まつり、水軍鍋、水軍徳利と村上水軍にまつわるものがたくさんある。かつて因島は村上水軍の本拠地だった。因島水軍城は昭和58年に再現されたもので、中は水軍資料館になっている。また水軍城の近くにある金蓮寺は村上水軍の菩提寺。村上水軍:平安時代末期から戦国時代に瀬戸内海で活躍した豪族(海賊)
因島は囲碁が盛んな島で、 江戸末期にお城で19戦無敗の記録を樹立した“本因坊秀策”の生まれた島でもある。見どころは県立因島フラワーセンター、白滝山の頂上に向かう参道にある五百羅漢の石仏と展望台からの景色、女性の願いを叶えてくれる地蔵鼻、等々2009年1月、重井町が「にほんの里100選」に選ばれました。

15:35土生港フェリーで出発
16:12豊島港到達

ずっと無人島でしたが幕末あたりに山番が入植し、弓削島の漁の拠点になったり、採草地として利用されたりしていました。人がたくさん住むようになったのは戦後になってからでミカン栽培や漁業で人口が180人にも達した時期もありましたが、その後次第に過疎となり現在の住人は老夫婦2人となっているようです。
良質の花崗岩があることで「ゆげみかげ」石が採石されています。平成2年に完成した“豊島コミュニティセンター”には宿泊施設・テニスコート・キャンプ場・多目的グランドなどがあり、研修や合宿、また釣りや海水浴などで訪れた人達にも利用されています。

16:29高井神港到達

展望台がある行者森(平畑山?)のところが標高257mでこの島で一番高い所。面積の割には標高が高く岸壁まで急斜面が続いています。農業はほとんど行なわれておらず、底引網漁やイカ漁などの漁業が中心です。宮ノ越鼻にある関道(せきどう)神社からの眺望。大正10年に建てられた高井神灯台。港から5キロの遊歩道を登れば絶景が望める高井神展望台などが見所になってます。小中学校があり、児童の数によって休校したり復校したりの状態。島では転入者を募集してます。

16:44魚島港到達、散策

西隣りの高井神島とこの魚島、江ノ島等を含めて魚島群島と呼ばれていますが、今治市から約30km、弓削島からも10km以上離れているため隔絶性の強い地域になっており、高齢化も進んでいます。産業は漁業が中心ですが、年々漁獲量も減少しているようです。一方で、海水淡水化施設があり水道完備、全戸に水洗トイレが行き渡り、村営CATV、IT導入など島の生活快適化も進められています。

17:30魚島港フェリーで出発
18:32土生港到達
19:08土生港高速艇で出発
19:48三原港到達、歩いてJR三原駅に向かう。
20:06三原駅新幹線こだまで出発
20:48岡山駅でみずほに乗り換える。
21:44新大阪駅到達。

今回の旅行、広島県・愛媛県にまたがるしまなみ海道沖に点在する離島(百島・細島・豊島・高井神島・魚島)を訪れ癒されました。

今回の島も因島を除いてひっそりした、あまり観光名所もない島々でした。

驚いたことに離島唯一の交通手段であるフェリー・高速艇、島に降りる人がいなければ、また島の桟橋に乗船しそうな人がいなければ、通過します、定刻より早く通過します。離島に訪れた時は少なくとも5分前には桟橋にいて存在感をアピールしないとおいて行かれますよ。他に交通手段がありません。野宿しなければいけません。気を付けてください。また待合室がなく、トイレもない島もあります。

今回も素朴で地味な離島巡り観光でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六十四弾:愛媛県今治沖離島(馬島・小島・来島・大下島・小大下島)観光
2014年2月15−16日


愛媛県に足を運び、四国で初めて開港した港町として知られ、かつては今治藩の城下町として栄えた今治の沖の離島(馬島・小島・来島・大下島・小大下島)を訪れました。

15日13:29新大阪新幹線のぞみで出発
14:18岡山駅到達。
14:35岡山駅特急しおかぜで出発
16:44今治駅到達、歩いて今治港付近のホテル到着後、近くの繁華街で食事を済ませて就寝。
16日7:30タクシーで波止浜港に向かう。
7:50波止浜港到達。
8:00波止浜港フェリーで出発
8:20馬島港到達、散策。

来島海峡大橋の中間に位置する島。江戸時代に今治藩が馬の放牧を行っていたことが島名の由来になったとされている。目の前に広がる海峡では、大小様々な船舶が急流に負けじと舵を取る様子が間近で見られ、運が良ければ潜水艦が海面に浮上する場面も見学できるマル秘スポット。島の周囲を来島海峡の激しい潮流が流れており、中でも島の南側に現れる「八幡渦」と呼ばれる渦潮は圧巻の迫力。洞窟の出現する砂浜や白亜の灯台探してを島内探検できる。

10:30馬島港フェリーで出発
10:40小島港到達、散策

小島は愛媛県今治市沖の来島海峡に浮かぶ小さな島です。この小島には日清戦争当時、日露戦争を予感した大日本帝国がロシア海軍の侵攻を防ぐために築いた海岸要塞があります。明治32年から2年間の突貫工事で、当時の30万円の巨費を投じ、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られました。こうした施設が当時のまま残っている貴重な遺跡です。遺跡をまわる約1.8キロの遊歩道には2,500本の椿が植えられており公園としても整備されています。
ビワ首海水浴場や「風の顔ランド」キャンプ場があり、子供達の交流の場として、また釣りのポイントもたくさんあり釣り客も多く訪れています。

12:10小島港フェリーで出発
12:15来島港到達、散策

来島は今治市の波方半島の東側、波止浜港の入口にある周囲1kmの小島です。急流で知られる来島海峡に位置し、戦国時代は瀬戸内海で勢力を振るった村上水軍の島城があったことで知られています。江戸時代になると来島城は廃城となりますが、波止浜で塩田が開かれたことで塩買船や運搬船で賑わい、その後は海運業が盛んな島として発展をみせています。

13:00来島港フェリーで出発
13:05波止浜港到達、タクシーで今治港に向かう。
14:40今治港フェリーで出発
15:37大下港到達、散策

大下島は瀬戸内海の島々が密集する芸予諸島のほぼ真ん中に位置し、北に広島県の大崎上島、東に大三島、西には小大下島、岡村島と続いています。島全体を花崗岩が覆い、北部のイシ山(203m)を頂点に100m前後の山々が連なり、中部の僅かな平地に集落があります。古くから浄土真宗の信仰があり殺生が嫌われたことから漁は行なわれず、農業、主に柑橘類の栽培が島の経済を支えています。宝亀10年(779)創建とされる早津佐神社はかつて小大下島にあり、明治3年の合祀で大下島の大下神社を早津佐神社としたものです。主祭神は猿田彦命、大気都比売命などを配祀とし代々島を守り続けています。毎年2月の第2土曜日に安全と豊作を願って弓祈祷神事が行われ、9月の第2土・日曜日に秋祭りが催されます。大下の地名は小大下島にあった早(速)津佐神社の祭神だった大気都比売命が由来だとされています。

16:14大下港高速艇で出発
16:21小大下港到達、散策

小大下島は関前諸島の真ん中に位置し、西に岡村島、東に大下島が接っする周囲約3kmの島です。北東と南東が小高く、中央の僅かな平地に集落があります。江戸時代の頃は定住者はなく、西半分を岡村島、東半分を大下島の入会地として薪や木材の伐採、また石灰岩が多く見られたことから江戸時代後期にはその採掘が行われていました。明治期になり近代化が進むと石灰の需要が高まり、第一次大戦後には大手セメント関連企業が進出。そして昭和30年頃の最盛期には旅館やパチンコ屋ができたり、芝居興行が行われるなどの活況を呈していました。しかし、良質の石灰石の枯渇や販売価格低下で次第に採掘は斜陽となり昭和52年8月で工場閉鎖に至っています。一時期600人以上を数えた島の人口は減少の一途を辿り、いつしか過疎と高齢化が進み、草むらに埋もれる工場跡だけが賑やかだった頃の名残をとどめています。

17:42小大下港出発
18:33今治港到達
19:23今治桟橋しまなみライナーで出発
20:57福山駅到達
21:14福山駅新幹線サクラで出発
22:25新大阪駅到達

今回の旅行、愛媛県の今治に足を運び、今治沖の離島(馬島・小島・来島・大下島・小大下島)を訪れ癒されました。

小島には日清戦争当時、日露戦争を予感した大日本帝国がロシア海軍の侵攻を防ぐために築いた海岸要塞があり、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などの施設が当時のまま残っている貴重な遺跡が圧巻でした。

来島は、戦国時代、瀬戸内海で勢力を振るった村上水軍の島城跡を確認でき、当時の村上水軍の偉大さを物語っていました。

各所にみられる歴史的建造物が存在する数少ない離島めぐり観光でした。










 飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六十三弾:東京都路面電車観光
2014年2月8−9日
  

大都会東京に足を運び、現在運行中の2つの路面電車、東急電鉄田園都市線の三軒茶屋と京王電鉄京王線下高井田を結ぶ全長5kmの路線で、路面電車の仲間ではあるものの併用軌道区間はなく、全区間が専用軌道となっている東京急行電鉄世田谷線、30か所ある停留所には、お寺や神社、著名人のお墓といった、歴史を紐解きながら散歩できる都電荒川線に乗車し車窓で東京の下町を望み観光しました。

8日15:00新大阪新幹線のぞみで出発
17:26品川駅到達、JR山手線経由して
17:42五反田駅到着、付近のホテル到着後、近くの繁華街で食事を済ませてから就寝。
9日8:00出発
8:04五反田駅JR山手線で出発、
8:20渋谷駅で東急田園都市線に乗車し
8:23三軒茶屋下車
8:30三軒茶屋東急世田谷線で出発
世田谷線は当社唯一の軌道線です。以前は 旧玉川線(通称:玉電)の一部でしたが、1969年5月、同線の渋谷〜二子玉川園間が廃止された際、三軒茶屋〜下高井戸間が独立して残り、名称も世田谷線となりました。その名のとおり、世田谷区民の身近な足として親しまれています。車両は低床式の更新車両300系で、連接の2両編成で運行しています。

8:47下高井田駅到着
9:02下高井田駅京王線で出発
9:15新宿駅到達
9:22新宿駅JR山手線で出発
9:26高田馬場駅到達
9:39高田馬場駅前都営バスで出発
9:47グランド坂下駅到達
9:54早稲田駅都電荒川線で出発

荒川線は、東京都交通局を事業主体とする、東京都荒川区南千住一丁目の三ノ輪橋駅から同新宿区西早稲田一丁目の早稲田駅までを結ぶ東京都電車(都電)の軌道路線である。かつて東京都23区内を中心に多距離・多路線を展開していた都電路線の大半が廃止された後も、唯一現存する路線である。東京都23区内で営業を行う軌道線は、同じ都営の日暮里・舎人ライナー、ゆりかもめの軌道扱いの部分をのぞけば、当線と東急世田谷線を残すのみとなっている。当線の大部分は専用軌道を持ち、各道との平面交叉点をのぞけば、車道と区分されていない併用区間は明治通り(国道122号)上の王子駅前 - 飛鳥山間のみである。かつては小台 - 宮ノ前間にも併用区間が存在したが、道路拡幅により軌道と車道が分離され消滅した。この区間を含む小台 - 熊野前間においては道路中央部分に準専用軌道を敷設するセンターリザベーション方式が採用されている。

11:04三ノ輪橋到達、
三ノ輪駅東京メトロ日比谷線で出発
上野駅到達
上野駅京浜東北線で出発
東京駅到達
13:00東京駅新幹線望むで出発
15:40新大阪駅到達

今回の旅行、大都市東京に足を運び、2つの路面電車、東急世田谷線、都電荒川線を乗車し車窓から東京下町の風景を望みました。
当日生憎大雪、雪国でも訪れたような町は雪景色でいっぱい、都電荒川線沿いにある名所を散策予定でしたが断念、2つの路面電車の車窓からの風景を望むのみとなりました。









 飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六十二弾:四国高知・愛媛路面電車観光
2014年2月1−2日
 

四国に足を運び高知県の路面電車、南北と東西の路線が十字路になしている土佐電気鐡道、愛媛県の路面電車、名湯と名城をめぐる坊ちゃん列車、伊予鉄道を乗車し観光めぐりしてきました。

1日15:35伊丹空港出発
16:15高知空港到達、シャトルバスで高知駅に向かう。
17:30高知駅付近のホテル到着後、はりまや橋の繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。

2日7:00出発、土佐電気鐡道乗車土佐観光。

路面電車としては、伊野線・後免線・桟橋線の3路線を経営。3線ははりまや橋で交差。総延長25.3kmで、広島電鉄に次ぐ。(広島電鉄の郊外線である宮島線を除くと日本最大の路面電車路線を誇る。)開業は1903(明治36)年5月。現存する路面電車19事業体の中では最古の歴史を誇る。 1990(平成2)年、「世界の電車」計画をスタート。ドイツ、ノルウエイ、ポルトガル、オーストリアの電車を導入。
2002(平成14)年、軌道では日本初の超低床式連接路面電車ハートラム(101号)を導入。 

11:24高知駅前で高速バスで出発、松山方面に向かう。
13:54松山駅到達。伊予鉄道乗車松山観光。

伊予鉄は四国初、そして私鉄としては日本鉄道、東京馬車鉄道、阪堺鉄道に次ぐ日本で4番目(純民間資本では3番目)の鉄道として、松山〜三津間を1888年に開業。古町〜JR松山駅前〜道後温泉、松山市駅前〜道後温泉間では蒸気機関車をディーゼル機関車として復元した「坊っちゃん列車」が運行されている。

17:30シャトルバスで松山空港に向かう。
17:50松山空港到達。
19:30松山空港出発
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、四国の高知・愛媛に足を運び、路面電車に乗車し、車窓から街並みを眺め観光してきました。

地元の人々の足として使われているが観光客には便利な路面電車、散策と路面電車をうまく使うと観光を要領よく回ることができます。

ヨーロッパは幅の狭い路面電車が密に存在します。観光客には便利で欠かせないですね。

路面電車の走ってる観光名所、観光客でしかわからない利便さ感じる四国路面電車観光めぐりでした。