飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十一弾:新潟・福島SLばんえつ物語観光  2014年8月30−31日  

新潟から福島の会津若松まで走行するSLばんえつ物語に乗車し車窓から森と水とロマンの鉄道磐越西線の四季折々の風光明媚な景色を楽しみました。

30日15:00伊丹空港出発
16:05新潟空港到達、シャトルバスで新潟駅に向かう。
17:00新潟駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
31日8:30出発
9:43新潟駅SLばんえつ物語乗車

磐越西線を走るSLということから「ばんえつ」を、豊かな森と水に育まれた自然と人が触れ合うことで生まれる「物語」と組み合わせて「SLばんえつ物語」号と命名されました。

1946年生まれ。大きな動輪と細いボイラーにより優美に見えるその姿から“貴婦人”という愛称で親しまれてきた。180号機は鉄道の要衝、新津で静態保存されていたが、市民の要望などにより1999年に動態復元。磐越西線を走る季節定期列車「SLばんえつ物語」号として4月〜11月の週末を中心に運行。牽引される客車は12系を改造、木目調を多用した内装や車体の配色など、大正ロマンを彷彿とさせるレトロな雰囲気を漂わせている。

13:31会津若松駅到着、
13:50会津若松駅バスで郡山経由して
16:10福島空港到達
19:0福島空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、新潟県に足を運び、新潟から福島県会津若松まで走行するSLばんえつ物語に乗車し車窓から鉄道磐越西線の四季折々の風光明媚な景色を楽しみました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十弾:北海道札幌&函館路面電車観光  2014年8月23−24日 

日本の最北部北海道に足を運び、札幌と函館を訪れ、路面電車で各都市を車窓から望み観光しました。

23日15:50関西国際空港出発
17:45新千歳空港到達、JR快速エアポートでで札幌に向かう。
18:40札幌到達、地下鉄豊東線で新道東駅下車、ホテル到着後食事を済ませて就寝。
24日6:00出発、
地下鉄豊東線新道東駅から大通駅到達
札幌市交通局市電西4丁目から乗車、すすきの下車

札幌市交通局市電:1909年(明治42年)に建築用石材として需要が急増した「札幌軟石」の輸送線として山鼻 - 石切山間に敷設され、1912年(明治45年)からは路線網を市街地まで拡張した札幌石材馬車鉄道(のち札幌市街馬車軌道)を基とし、1918年(大正7年)に札幌電気軌道として開業、1927年に市営化された。以後、現在に至るまで長期に亘り札幌市民の足として利用されている。最盛期には札幌市内の東西南北を結ぶ総延長25km余りの路線を有していたが、利用客の減少や地下鉄の建設により縮小され、現在の西4丁目 - すすきの間が残るのみとなった。

地下鉄南北線で札幌駅に向かう。

8:36札幌駅JR特急北斗6号 で函館に向かう。
12:35函館駅下車

函館市企業局交通部函館駅前から乗車

函館市企業局交通部市電:1897年に下湯川村の一商人であった佐藤祐知などが起こした亀函馬車鉄道(きかんばしゃてつどう)が、東京馬車鉄道と小田原馬車鉄道(現・箱根登山鉄道)の技術指導により開業した馬車鉄道を起源とし、1913年にその路線を引き継いだ電力会社、函館水電(現・北海道電力)が電化して北海道初の路面電車として運転を開始した。その後いくつかの電気事業者の手を経て、1943年、電力統制のため鉄軌道事業を道南電気軌道に譲渡。同年、陸上交通事業調整法により、函館市が譲り受けた。道南電気軌道はバス事業も運営しており、バスも同時に市営となっている。

湯の川下車、バスで空港に向かう。

17:20函館空港出発
19:50関西国際空港到達

今回の旅行、北の北海道に足を運び、札幌と函館の路面電車に乗車し車窓から各都市を望み観光し楽しめました。

今回で全国路面電車を制覇できました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十九弾:群馬県SL碓氷&碓氷峠鉄道文化むらトロッコ観光  2014年8月16−17日 

本州の中央に位置する群馬県に足を運び、高崎から横川まで走行するSL碓氷、、旧碓氷線の下り線を使って「鉄道文化むら」と碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」まで結ぶ碓氷峠鉄道文化むらトロッコを訪れました。

16日13:20新大阪新幹線のぞみで出発
16:05東京駅到達
16:16東京駅新幹線MAXときで出発
17:05高崎駅到達、駅前のホテル到着後食事を済ませて就寝。
17日9:47高崎駅SLレトロ碓氷号で出発

SL碓氷(エスエルうすい)は、1999年(平成11年)4月18日の「碓氷峠鉄道文化むら」の開園に合わせて設定された蒸気機関車D51 498牽引による臨時快速列車で、信越本線高崎駅 - 横川駅間で運行される。2011年の運転からはC61 20も牽引機に加えられ、更に同時に整備が行われた旧形客車を使用したSLレトロ碓氷(エスエルレトロうすい)としての運行も開始された。
元々は「SL碓氷号」であったが、2010年の運転から正式名称が「SL碓氷」に変更されている。
EL碓氷(イーエルうすい)及びDL碓氷(ディーエルうすい)は、2009年から設定された電気機関車またはディーゼル機関車牽引による臨時快速列車で、横川駅 - 高崎駅間で運行される。「SL碓氷」で使用されている客車の高崎寄りに電気機関車を連結して牽引する。2008年運行分までは、回送列車として営業運転はしていなかったが、翌年以降から復路も営業扱いするようになった。

10:49横川駅到達、散策。

上州と信州の国境にある関所跡。当時、江戸を守るために「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まった。門柱2本と門扉、屋根材、台石が当時も使用されていたものの碓氷関所跡を訪れる。

碓氷峠の鉄道文化と歴史を知ることができる「鉄道テーマパーク」。鉄道史料を展示する資料館、歴史的名車両が並ぶ屋外展示場のほか、自然を満喫できるトロッコ列車や園内を一周する蒸気機関車、ミニSL、手漕ぎトロッコなど体験施設が充実。鉄道模型「碓氷峠ジオラマ」演出運転、シミュレーター、電気機関車運転体験コース(要予約)などもあり、小さな子どもから鉄道ファンまで楽しめる碓氷峠鉄道文化むらを訪れる。

トロッコ列車「シェルパくん」は、旧碓氷線の下り線を使って「鉄道文化むら」と碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」(約2.6km)を結んでいます
トロッコ列車「シェルパくん」を乗車する。

15:10横川駅DLレトロ碓氷号で出発
16:13高崎駅到達。

17:00高崎駅新幹線で出発
17:50東京駅到達
18:00東京駅新幹線のぞみで出発
20:33新大阪到達

今回の旅行、群馬県に足を運び、SL、トロッコ電車に乗車し碓氷峠周囲の観光名所を車窓と歩いて巡り楽しめました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十八弾:ロシア観光
2014年8月8日−15日
  

ヨーロッパともアジアともいえない国、10世紀の建国以来、波乱に満ちた歴史の中で、思想、文学、芸術など様々な面で世界に大きな影響を与え続けてきた、ギリシア正教の継承者、バレエの育て親、ロシア文学発祥の地、そしてマルクス・レーニン主義など種々のストーリーから紡ぎだされる、広大で奥深い魅力のロシアに足を運びました。
ヨーロッパとアジアにまたがる世界最大の国ロシア。首都モスクワや、「北のベニス」と称せられたサンクトペテルブルクには、壮大な歴史と文化が色濃く残っています。モスクワのシンボルである世界遺産「クレムリン」、世界三大美術館「エルミタージュ美術館」、琥珀の間で有名な「エカテリーナ宮殿」など、今にもピョートル大帝とエカテリーナ2世が築いたロマノフ王朝の奇跡に出会えそうです。

8月8日9:30関西国際空港、大韓航空で出発
11:20ソウル到達。。
13:30ソウル大韓航空で出発
17:50モスクワ到達
バスでホテルに向かう。
20:30ホテル到達、就寝。
9日8:30ホテルバスで出発

モスクワ観光:ロシア連邦の迫力ある首都。数々の歴史の舞台となりました。

聖ワシリー寺院:民衆に尊敬され、イワン雷帝にも多大な影響を与えたワシリー修道僧にちなんで名づけられました。中心の高い礼拝堂はキリストを表しているとされており、その周囲にある8つの礼拝堂は配置が不均衡であるにもかかわらず、不思議な調和がとれているのです。

赤の広場:赤の広場の「赤」とは色のことではなく、ロシアの古い言葉で「美しい」という意味です。クレムリン城壁の東側、国立歴史博物館やワシリー寺院に囲まれた、7万3000平方メートルの広場。旧ソ連時代には、メーデーや革命記念祭のパレードなどが行われました。

グム百貨店:グム百貨店、通称「グム」は、 赤の広場を挟んでクレムリンと向かい合って建っています。
オープンは1893年。 建物自体、歴史建造物の一つとして数えられています。 
中は3階まで吹きになっていて、ガラス天井から外の光が入って、とても明るく広々とした雰囲気です。

無名戦士の墓で衛兵交代:アレクサンドロフスキー公園で、無名戦士の墓の前で衛兵の交代式が行われていました。無名戦士の墓は、第二次世界大戦で戦死した兵士たちを弔うために1996年につくられました。

国立歴史博物館:赤の広場に面して建つ、モスクワを代表する博物館。1872年にアレクサンドル2 世の命によって設立され、1883 年にアレクサンドル3 世の戴冠式に合わせて開館した。企画展にも力を入れており、時期によってさまざまな企画展や美術展が開かれている。なお、現在のところ革命以後の歴史についての常設展示はない。

昼食:串焼き(シャシリク (Шашлык) はロシアで人気のあるロシア風バーベキュー、肉の串焼き、焼肉料理、ロースト料理。起源はカフカス地方のケバブが、サハリンを含む旧ソ連各地域・各国など全域に広がったとされる。
共通する特徴は、酢やワイン、オリーブオイルなどを混ぜたものに、ニンニク、タマネギ、黒胡椒、クローブなどの香辛料やハーブ、塩などを調味料として長時間漬け込んだものを用いるところ。)

クレムリン:「城塞」を意味し、ロシアの多くの都市にあるが、その中で最も最大かつ有名なモスクワのクレムリン。
ロシアの政治、軍事の中心として繁栄してきた姿を見ることができます。中でも見どころは、武器庫、ダイヤモンド庫。ロシアの歴史を物語る宝物の数々を展示しています。

武器庫:ロシアの国立博物館で,装飾品の収蔵で知られる。16世紀にモスクワのクレムリン内に創設された武器の製造場兼収蔵庫を前身としている。17世紀にはイコンのアトリエとしても用いられた。18世紀初頭ロシアの首都がペテルブルグに移ってからは,帝室所有の貴重品を収める宝物殿となり,1813年に博物館として発足した。現在ここには武器,防具類のほか,キエフ・ロシア時代の王冠をはじめ,代々のツァーリの玉座や衣服や馬車,金・銀製の食器,金糸と真珠をちりばめた高位聖職者のための僧衣などが数多く収められている。

ウスペンスキー寺院: クレムリンの中心に建つ大聖堂。かつてロシア帝国の国教大聖堂とされ、ロシア皇帝が戴冠式に臨み、モスクワ総主教が葬儀に付された場所である。大聖堂の壁と屋根はイコンとフレスコ画で飾られているが、イコンをここに描き残した僧の数はおよそ1000 人に及ぶ。かつて「ウラジーミルの聖母」もこの大聖堂に保存されていた。

ノボデビッチ修道院:世界遺産に登録され、ロシアを代表するバロック様式であるノヴォデヴィッチ修道院は、1524年にポーランド・リトアニアとの国境紛争の記念として公爵ヴァシーリイ3世によって創立されました。

19:30ホテル到着、就寝。
10日8:00バスで出発、ウラジミールに向かう。

昼食:ロシア風水餃子(ペリメニはロシア風の水餃子と言われています。ですが、もともとはロシア料理ではありません。ウラル地方・モンゴルから伝わった料理と考えられています。その土地を訪れていたロシア人が現地住民のブリヤート族からバンシー(パンの耳)という料理を教わったのが始まりなんですよ。私たちがよく知っている中国の餃子とは違って、ペリメニは具を皮で帽子型に包むのが特徴的と言えるでしょう。)

ウラジミール観光:モスクワの北東に環状に点在する「黄金の環」と呼ばれる古都群。その代表都市であるウラジーミルとスーズダリは、12世紀ロシアで最大の勢力を誇ったウラジーミル・スーズダリ大公国の中心地でした。往時の繁栄を伝えウラジーミルの象徴となっている黄金の門、外壁の精緻な彫刻から「石のカーペット」と称されるドミトリエフスキー聖堂など、8つの白亜の建造物が世界遺産に登録されています。

黄金の門:ロシア連邦西部、ウラジーミル州の都市ウラジーミルにある城門。12世紀半ばに城壁の一部として、アンドレイ=ポゴリュープスキーの命によりキエフの黄金の門を模して建造された。門の上部に礼拝堂があり、現在は13世紀のモンゴル侵略に関する歴史博物館として公開されている。1992年、ウスペンスキー大聖堂やドミトリエフスキー聖堂とともに「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録。

ドミトリーエフスキー寺院:ウスペンスキー聖堂と並び、中世ウラジーミルを代表する歴史的建築物の1つがドミトリエフスキー聖堂である。2つの聖堂は共にウラジーミル中心部に位置しているのだが、外見がかなり似通っている上にドミトリエフスキーの方が小振りで、観光客には見過ごされがちかもしれない。しかし、この聖堂にも足を運んで見るべきものがあることはもちろんである。

 ドミトリエフスキー聖堂を建設したのは、12世紀後半から13世紀初頭にかけてウラジーミルを支配したフセヴォロド大公である。フセヴォロドはルーシ全土に威を振るい、また多くの子供に恵まれたため大巣公の通り名で知られている。ちなみに、フセヴォロド大巣公はウスペンスキー聖堂を築いたアンドレイ・ボゴリュープスキーの弟で、2人の父が北東ルーシの初代支配者ユーリー・ドルゴルーキーなのである。

ウスペンスキー大聖堂:1158年建立当初から、ロシアのメイン教会となすべく計画され、15世紀までは、ウラジーミルばかりでなくモスクワ大公などの戴冠式まで総てここで執り行われていました。小高い丘に建つ姿は非常に美しく、後に建立されたモスクワのウスペンスキー寺院はこれを真似て建てられたものです。内部壁面にはフレスコ画が描かれ、金の彫刻を施した豪華な額縁に非常にたくさんのイコンが飾られています。

展望台からウラジミールの街並みを望む。

バスでスズダリに向かう。

途中ボクロバ・ナ・ネルリ教会を遠景

ボクロバ・ナ・ネルリ教会:人里離れた河岸の草原にぽつりとたたずむこの教会は、その優雅さから「白鳥」「白衣の花嫁」に例えられている。その姿に魅了されることだろう。この時代特有の白石建築で、ダビデ王やライオンなどの浮き彫りが外壁に施されている。また、駅のすぐ近くにはバガリュープスキー公の宮殿と修道院がある。

スズダリ観光:スズダリはモスクワの北東220kmにあります。歴史に現れるのは1024年、それ以前から人々が住んでいたと言われている古都です。

クレムリン:聖地スズダリの中心的存在クレムリン。11世紀、三方をカメンカ川が囲む地にクレムリンが築かれ、内部の建物は、五つの円屋根に金色の星を散りばめた聖母生誕大聖堂や木造建築の教会など歴史的建造物の世界遺産を堪能できます。

ラジジェストベンスキー聖堂:ラジジェストヴェンスキー聖堂は13世紀に建てられたスーズダリで最も古い建築物です。白石建築の聖堂は浮き彫りが施された教会下部のみが13世紀のもので上部は16世紀に立て直されています。この教会の13世紀の扉は聖書の物語が金メッキで描かれていて入り口近くに展示されていました。

ボクロフスキー修道院:ここは1510年から8年かけて最初は木造で建築されたのだが、その後の改修で白い石造りになった女性修道院。敷地は広く、右端に見える17世紀に出来た鐘楼は、何処のものよりも太目にみえたが、白くて美しい形をしている。

スパソエフィミエフスキー修道院:1352年、カメンカ河畔の高台に建設された修道院。周りを囲む壁の高さは平均8m、長さは1160mにもおよぶそうです。

17:30ホテル到着
19:00夕食
就寝
11日8:30バスで出発、セルギエパサートに向かう。

昼食:キエフ風カツレツ(伝統的なウクライナ料理です。「キエフ」はウクライナ首都のキエフのこと。この料理の一番の特徴はキチンカツの中にハーブやガーリックを混ぜたバターが入っていること。)

セルギエパサート観光:セルギエフ・ポサートはモスクワの北北東70kmに位置し、中部ロシア平原の丘に建つ街です。15世紀の学問と宗教の中心として栄えた街で、地名の由来でもある14世紀の貴族セルギー・ラドネシスキーが、この地に修道の場として小屋と聖堂を建てたのが始まりです。

トロイツェ・セルギエフ大修道院:街の中央には、ロシアのバチカンとも呼ばれる世界遺産「トロイツェ・セルギエフ大修道院」があり、16世紀に建造された城壁に囲まれています。大修道院の中には、1422年建立の「トロイツキー聖堂」、1477年建立の「ドゥホフスカヤ聖堂」、1584年にイワンIII世により建立された「ウスペンスキー聖堂」などがあります。

モスクワに向かう。

夕食:ピロシキ(小麦粉の皮で肉や野菜をつつんだロシア料理の一種。語源的には〈小さなピローグ〉(ピローグはパンのこと)を意味するが,料理品目としてはほとんど独立している。外皮にはイーストを入れて発酵させた練粉を用いるのがふつうで,詰物としては味つけをした牛や豚のひき肉,魚肉,あるいはゆで卵,米,キノコ,キャベツなどが使われる。天火で焼いたものと油で揚げたものの2種類に大別される。家庭における惣菜にも,正式な食事での前菜(ザクースカ)にも使われるが,ロシアの都市では四季を通じて街頭でつくり立てのピロシキが立売りされ,歩きながらほおばる市民の姿が見られる。 )

ロシア芸術鑑賞の夕べ:サーカスを鑑賞する。
23:40モスクワ寝台特急グランドエキスプレスにてサンクトペテルブルクに向かう。
12日8:35サンクトペテルブルク到達
到着後レストランにて朝食

専用バスでサンクトペテルブルク観光:文化・芸術の中心地、眩いばかりのロマノフ皇帝の遺産が残っています。

血の上教会:公式名はハリストス復活大聖堂。「血の上の教会」という名前は、アレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられた為、名づけられたそうです。

ネフスキー大通り:西の旧海軍省から東のアレクサンドル ネフスキー修道院まで延びるメインストリート。石造りの重厚な建物が立ち並び、カザン大聖堂、ストロガノフ宮殿などの見どころに加え、西端からは宮殿広場とエルミタージュ美術館まですぐ。ガスチーニィ・ドゥヴォールなどでのショッピングも楽しめる。運河を渡る橋のたもとには、運河巡りの遊覧船の発着場も。作家であるゴーゴリはこの通りを絶賛して『ネフスキー大通り』という作品を書いた。

巡洋艦オーロラ号:ピョートル小屋博物館の近く、ペトログラード川岸通りにグレーの船体をしたオーロラ号が係留されている。日本海海戦にも参加した3本の煙突を持つ6000トンの巡洋艦。1917年10月、革命の始まりを合図するために大砲を放った。現在は博物館として公開されている。

スーパーマーケットで買い物をする。

昼食:つぼ焼き料理(ロシア料理の定番メニューに、スープの入ったカップをパイ皮生地で覆った”つぼ焼き”があります。”グリヴィー”とか”ガルショーク”と呼ばれています。ロシア語でキノコは”グリーブ”。グリヴィーの中にはキノコのクリームシチューが入っています。)

運河クルーズ:水上からサンクトペテルブルクの街並みを眺望する。

聖イサク寺院:街の中心部にある聖イサク広場にそびえ立つドーム型の寺院で、ロシア正教の聖堂の中で、世界で3番目の大きさです。寺院の名称はピョートル1世の守護者とされるビザンチンの修道士イサーキィ・ダルマーツキイに由来します。内装は聖書にモチーフを取った場面や聖人の絵(イコン画)が描かれており、絵画・聖壇に劣らず破風のレリーフなど絢爛豪華な装飾に目を奪われます。

元老院広場(旧デカブリスト広場)青銅の騎士像:1825年、専制政治と農奴制に反対する青年貴族が蜂起した、デカブリストの乱の舞台となった広場。隣接する元老院にちなんでその名がついた。サンクト ペテルブルグでいちばん眺めのよい広場といわれ、ネヴァ川寄りにピョートル大帝の騎馬像(青銅の騎馬像)が立っている。

17:30ホテル到着
夕食
就寝
13日9:30バスで出発

ピョートル大帝夏の宮殿観光:フランスのベルサイユ宮殿をモデルとしたと言われる、ピョートル大帝の宮殿テラスからは、フィランド湾が望めます。庭園は、「上庭園」と「下庭園」とから成り、無数の噴水が、訪れる人の目を楽しませてくれます。夏時期だけご案内できる庭園です。

昼食:ボルシチ(ボルシチはロシアを代表する料理の一つです。ピロシキやビーフストロガノフに並んで世界中に知れ渡っているロシア料理とされています。しかし、ボルシチは正確に言えばロシアではなくウクライナの料理なのです。

ロシアとウクライナは隣接していることもあって、文化を共有している国々なのです。ですので、ここではボルシチはロシア料理の一つとして扱います。ボルシチは、他のスープ料理に比肩するものが無いほどに赤い色合いをしているのが最大の特徴です。

この赤さは、ボルシチには欠かせない甜菜の一種であるテーブルビート(日本ではビーツ)が持つ色素によって染め上げられているのです。

テーブルビートに含まれている色素のうち、赤色のベタシニアンが酸性に近いスープの中で強く発色することで、ボルシチ独特の赤さを生み出しているのです。)

エカテリーナ宮殿観光:エリザヴェータ女帝の命により、18世紀、イタリアの建築家ラストレッリによって建てられた夏の離宮。バロック調の華麗な宮殿は、落ち着きのある青色を基調にした外壁に白い円柱のコントラストが映え、窓には精緻な彫刻が施されている。2003年に復元された琥珀の間も見逃せない。

夕食:フォークロアディナーショウ:ロシア民謡を聴きながら、飲んで食べ、そして、私も踊る。
20:00ホテル到着
就寝

14日8:30ホテルバスで出発

ポクロフスカヤ教会:サンクトペテルブルク郊外にある鉄釘を使わないロシア伝統かつ独特の木造教会建築

昼食:ビーフストロガノフ

エルミタージュ美術館:ロシアのサンクト・ペテルブルグにある国立美術博物館。18世紀に建てられたバロック様式の豪華な大理石宮殿(冬宮)と,増設された三つの離宮と劇場から成るかつての王宮を,1917年の革命後国有化。400余室を展示室,他を付属研究所等に使用している。収蔵品の歴史は,1764年エカチェリナ2世がベルリンの画商ゴツコウスキーから225点の絵画を購入したのに始まる。女帝はこれらを隣接の離宮〈エルミタージュ(フランス語で隠れ家の意)〉に収容した。

宮殿広場

夕食:デザートはブリヌイ(ロシア風パンケーキ)直径13cmから18cm位の薄いクレープやパンケーキに類似するロシアの料理の1つである。

18:30空港に向かう。

21:50サンクトペテルブルク空港大韓航空で出発

15日11:40ソウル到着
15:20ソウル大韓航空で出発
17:05関西国際空港到達。

今回の旅行、世界最大の広い面積を持つロシアに足を運び、西ロシアに位置する2つの主要な町、モスクワとサンクトペテルブルクを訪れ、世界遺産を含めて多くの歴史的建造物を巡り、美術館、博物館、サーカス等芸術をも鑑賞し、又ロシア風の個性的な食事をいただき8日間の旅、満喫しました。
ロシアを訪れて発見したのは主要な町は西ロシアに集中し、中央から東ロシアにかけての広大な地域は人も少なく未開発地域が大半占めていました。広いロシアですが実質活動していているのは西ロシアの
狭い地域だけのように思われます。その点でロシアはヨーロッパの影響を受け、発展した国なのでしょうね。

実は6月中旬、転倒して左足腓骨を骨折し、6週間のギプス固定を強いられ、そのため7週間はどこにも行けず、久々の旅行が今回のロシア観光でした。左足首の筋肉が硬化しており動かしにくく歩くのがぎこちなくスムーズに歩けない状態でしたが8日間のロシア旅行でかなりの距離を歩き、結果的にはいいリハビリになり、最終日にはかなりスムーズに歩くことができました。
リハビリを兼ねたロシア観光でした。