飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十五弾:北海道旭川富良野・美瑛ノロッコ号観光  
2014年9月27−28日
 

北海道の中心に位置する旭川に足を運び、ラベンダー畑で有名な富良野・美瑛を旭川から富良野まで走る富良野・美瑛ノロッコ号に乗車し訪れました。

27日15:45関西空港出発
17:40旭川空港到着、シャトルバスで旭川駅に向かう。
18:30旭川駅到達、駅前のホテルに到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
28日9:55旭川駅富良野・美瑛ノロッコ1号で出発
11:40富良野駅到達、散策。

北海道の人気観光地として有名なこのエリアは、夏〜秋は、車を借りて花畑や紅葉スポットをドライブするのがオススメ。雪の積もった独特の冬の景観も魅力があり、四季を通して楽しめる。また、地元産の美味しい食材が自慢の宿泊施設や飲食店も多く、大地の味を堪能できる。TVドラマやCM、映画の舞台になった数々のスポットも外せない見どころ。

14:00富良野駅富良野・美瑛ノロッコ4号で出発
15:03美瑛駅到達、散策

15:54美瑛バス停ラベンダー号バスで出発
16:16旭川空港到達
18:15旭川空港出発
20:30関西国際空港到達。

今回の旅行、北海道の中央に位置する旭川に足を運び、ラベンダー畑で有名な富良野・美瑛を富良野・美瑛ノロッコ号で訪れ楽しみました。
ラベンダーの時期でなかったため華やかな景色を見ることができませんが、のんびりとノロッコの車窓から景色を楽しみ、また富良野・美瑛を散策でき満喫しました。

尚旭川駅がリニューアルして大きくなり、立派になっていましたが人通りが少なくさびしく感じました。又旭川の北側はビルが立ち並び広くて整備された道路が目立っていましたが、反対側の南側は家並みはなく水田が広がっており対照的な景観で驚きました。






山口・島根県SLやまぐち号観光  
2014年9月23日
   

山口・島根県に足を運び新山口駅から津和野駅間を走る蒸気機関車、誕生70年を迎えたC571号機の勇姿は多くの人々を魅了するSLやまぐち号に乗車しました。

8:21新大阪駅新幹線のぞみで出発
10:14新山口駅到達
10:48新山口駅SLやまぐち号で出発

SLやまぐち号:「貴婦人」の愛称で親しまれるC57形1号機が牽引する列車です。5両編成のレトロ客車で各車両ごとに「展望車風」「欧風」「昭和風」「明治風」「大正風」といったアレンジが施されています。復活運転から20年以上たっており、現在も大人気の列車です。

12:58津和野駅到達、散策。

津和野:何気ない裏通りや民家の軒先にも風情が漂う津和野は、明治の文豪・森鴎外の生誕の地。軒先の堀を流れる清水に鯉が泳ぎ、せせらぎが心地よい。

15:45津和野駅SLやまぐち号で出発
17:30新山口駅到達
18:05新山口駅新幹線のぞみで出発
20:10新大阪駅到達。

今回の旅行、山口・島根県にまたがって走行するSLやまぐち号に乗車し新山口から津和野までの62.9kmを車窓から景色を望み楽しめました。
昨年の集中豪雨でしばらく運休中でしたが9月から再開、各所で集中豪雨の爪痕を残す姿が印象的でしたSLやまぐち号の旅でした。



 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十四弾:北海道SLニセコ号観光  
2014年9月20−21日
    

北の北海道に足を運び、中心地札幌を訪れ、札幌から89.1kmの蘭越まで走行するSLニセコ号に乗車し函館本線沿いの石狩湾沿いの海と山の風景、又余市を過ぎると山中の険しい峠道を含む景色を車窓から望みました。

20日15:50関西国際空港出発
17:45新千歳空港到達、地下鉄R快速エアポートで札幌に向かう。
18:35札幌駅到達、地下鉄南北線で中島公園駅到着、付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
21日7:30出発、地下鉄南北線で札幌に向かう。
8:31札幌駅SLニセコ号で出発

北海道旅客鉄道(JR北海道)が函館本線札幌駅 - 蘭越駅(当初はニセコ駅)間にて2000年(平成12年)10月7日から運行している蒸気機関車牽引による臨時列車である。運転区間が2001年(平成13年)9月8日に延長された。1988年から1995年に函館本線にて運行されていた『C62ニセコ号』の後を引き継いでいる。

12:27蘭越到達
12:32蘭越SLニセコ号で出発
12:55ニセコ到達、散策
13:35ニセコ普通車で出発
15:29小樽駅到達
15:34小樽駅JR快速エアポートで出発
16:46新千歳空港到達
18:15新千歳空港出発
20:25関西国際空港到達。

今回の旅行、北の北海道に足を運び、札幌から小樽、余市、ニセコを経由して蘭越までの89.1kmをSLニセコ号に乗車し走行して車窓から石狩湾の海と山の景色、余市からの山中の険しい風景を望み楽しめました。
ニセコは冬のスキーシーズンには何回か訪れたことがあります。夏の風景も素晴らしいものがありました。
SLニセコ号での車窓からの観光でした。





 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十三弾:東北圏お城・城下町巡り観光  
2014年9月13−15日
   

東北圏に点在するお城・城下町12か所のお城・城下町(新発田城、村上城、鶴ヶ岡城、山形城、米沢城、仙台城、多賀城、白石城、二本松城、三春城、白河城、若松城)を訪れました。

13日14:00伊丹空港出発
15:05新潟空港到達、レンタカーで新発田方面に向かう。

新発田城:後、戦国期の勇将新発田重家が、上杉景勝との7年間の抗争の末、天正15年(1587)落城した。江戸時代には、その後を古丸(ふるまる)と言っていた。慶長3年(1598)秀吉の命により、溝口秀勝が加賀大聖寺から6万石で入封し、古丸を取り込んで慶長7年(1602)から本格的な築城にとりかかり、3代宣直の承応3年(1654)に一応完成している。実に秀勝入封から56年後のことであった。

村上方面に向かう。

村上城:村上城は、標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれた城で、築城年代は不明ですが、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11年(1568年)の上杉謙信との篭城戦(ろうじょうせん)など、幾たびも戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、村上城は北越後(きたえちご)の中心拠点として整備されました。その後も、たびたび城主が交代しますが、享保5年(1720年)以後は内藤氏が代々城主を務め、明治維新を迎えます。

中条方面に戻り、中条駅付近のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

14日7:00レンタカーで出発、酒田方面に向かう。

鶴ヶ丘城:難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことである。至徳元年(1384)葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となった。

山形方面に向かう。

山形城:形城は南北朝騒乱の中、足利政権下に奥州探題が成立し、 斯波(しば)家兼の次子兼頼によりその居所として築かれたことに始まる。兼頼の子孫は最上氏を称し、十一代目の義光は強力な在地支配を確立して、今の山形県のほとんどを手中にした戦国大名となる。 関ヶ原の合戦後は五十七万石の雄藩となり、本丸・二の丸・三の丸を同心円に重ねた標準的な縄張で、東北地方では屈指の本格的な平城を築城する。櫓は十三棟あったようだが、天守は築かれじまいである。

米沢方面に向かう。

米沢城:米沢城は、江戸時代に上杉氏が城主だったお城として知られています。越後の守護代だった長尾景虎が関東管領を譲り受け上杉氏を名乗り、武田信玄との激闘を経て、越後から能登・加賀に至る地域を平定しました。その人が戦国の名将と言われた、上杉謙信です。謙信の後継・上杉景勝は、豊臣秀吉が天下人となると、120万石の大大名として会津に移封されるのですが、関ヶ原の戦いで西軍に組した為、30万石に減封されこの米沢城に入城しています。
米沢城の起源は1238年(暦仁元年)に長井氏が築城したと伝わっています。その長井氏が1380年(天授6年)に伊達氏に滅ぼされると、上杉氏が会津に移封される1598年(慶長3年)までの200年間は伊達氏の居城だったそうです。

仙台方面に向かう。

仙台城:慶長五年(1600)、関ヶ原合戦において東軍に与した伊達政宗は、幕府の許可を得て居城を岩出山城から青葉山に移した。これが仙台城である。政宗は翌同六年(1601)四月には未完成の仙台城に移っており、新城にたいする熱い思いが感じられる。
 政宗時代の仙台城は現在の本丸部分である。この地は南方には深い龍の口峡谷が、東から南にかけては広瀬川の河岸段丘に守られた天然の要害であった。唯一青葉山との尾根続きであった西側には掘切が設けられたいた。この周辺の崖は急峻な絶壁であり、そこから攻めることは不可能である。こうした選地について、『正保城絵図』の「奥州仙台城絵図」ははっきりと「本丸山城」と記している。
 本丸には豪華な本丸御殿が建造され、政宗は山上で生活していた。本丸周辺は急峻な崖であるので、ほとんど石垣が築かれず、正面である北面にのみ象徴的に築かれたようである。南西隅には天守台も構えられるが、土塁であり、天守も建造されなかった。本丸は政宗以後用いられず、二代忠宗は山麓に二の丸を構えた。以後、二の丸は幕末に至るまで仙台城の中心として、政庁および藩主の私邸として機能した。

多賀方面に向かう。

多賀城:多賀城は神亀元年(じんきがんねん)(724)に大野東人(おおの あずまびと)によって創建され、陸奥国府(むつこくふ)と鎮守府(ちんじゅふ)が置かれました。
約900メートル四方という広大な城内の中央には、重要な政務や儀式を行う政庁がありました。
発掘調査成果をもとに環境整備が行われており、平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられています。

白石方面に向かう。

白石城:天正十九年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣浦生源左衛門郷成は、白石城を築城し城主となった。慶長三年(1598)上杉領となるや上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。
慶長五年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改築がなされ、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となった。

福島方面に向かう。

福島駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

15日7:00レンタカーで出発、二本松方面に向かう。

二本松城: 二本松といえば、毎年秋の菊人形がつくられる舞台として名高い。菊祭り以外の時期に観光客を呼ぼうと考えた行政が、誤った歴史認識を市民に与えてしまった。昭和五十六年(1981)度に復興した箕輪門と二重櫓である。共に史実をまったく無視したもので、古絵図に描かれている箕輪門の姿ではない。しかし左右の石垣は、さすがに安土城の総普請奉行をつとめた丹羽長秀の嫡孫光重が築いたことだけあって、みごとの一言に尽きる。
 箕輪門左右の石垣を見たなら、ぜひとも背後の山城に登ってもらいたい。平成十四年度までに全面発掘及び復元整備を完了した、山城域をぐるりとめぐる天守台石垣と本丸の石垣が見学できる。この標高三百四十五メートルの山城域こそ、足利政権が奥州の鎮守府として畠山氏を配して築いた二本松城のあった所、すなわち中世の二本松城のあった所で、麓の城とは異なるのだ。今、発掘で出土、復元整備された石垣は、畠山氏時代ののち、会津を領した蒲生氏郷・上杉景勝時代に積まれ、丹羽氏時代には詰の城として補強されたもの。

三春方面に向かう。

三春城:案内板によると三春城は「永世元(1504)年田村義顕が築城したと伝えられ、以後田村氏、松下氏等の居城となる。正保2(1645)年、秋田俊季が5万5千石で入城し、明治維新を迎えた。近世の城は、本丸、二の丸、三の丸を中心に形成され本丸には表門、裏門、三階櫓などの建造物が置かれていた。藩主は現三春小学校の場所に屋敷を構え、そこで政治を行った。明治初年廃城となり、建造物、石垣のほとんどを失ったが遺構の保存状態は良く、また県内で中世から近世にかけて同じ場所に城が築かれた例も少ないため、貴重な史跡といえる。 三春町教育委員会」とあります。三春城は当時はかなり高い石垣などをもっていたようですが、現在はその一部しか見ることが出来ません。郭や登城の道などは比較的残り、土塁や空掘り、建物の礎石の一部も確認する事が出来ます。三春城本体としては山城の為、大手門から本丸まではかなりきつい坂を登る事になり、近世に入ると城下町に近い現三春小学校の場所で政務が行われていました。藩校の表門が現在でも残っており三春小学校の表門として移築保存され三春町指定有形文化財に指定されています。

白河方面に向かう。

白河小峰城:白河小峰城は南北朝時代、結城親朝が興国元年(1340)小峰ヶ岡に城をかまえて小峰城と名付けたのがはじめといわれている。
 寛永四年(1627)丹羽長重が十万石の城主として棚倉藩より移封され、幕命により同六年城郭の大改築に着手、四年の歳月を費やして同九年に完成。江戸時代における代表的な梯郭式の平山城である。その後、榊原、本多、奥平松平、結城松平、久松松平、阿部と七家二十一代の城主の交代があったが、慶応三年(1867)最後の阿部氏が棚倉藩に移封された後、白河は幕府領となって城郭は二本松藩丹羽氏のあずかるところとなり、同四年五月、戊辰の役の攻防で落城した。

会津若松方面に向かう。

若松城:会津若松城は蘆名(あしな)氏七代直盛によって至徳元年(1384)につくられた館が始まりといわれる。その後、蘆名氏は会津をはじめ中通り地方まで勢力を振るったが、天正十七年(1589)、摺上原(すりあげはら)の戦いで伊達政宗に敗れ滅亡した。しかし、伊達市も奥羽仕置で豊臣秀吉に会津を召し上げられ、蒲生氏郷が奥州の押さえとして会津に入った。氏郷は文禄元年(1592)から七重の天守を上げるなど大改修を施すとともに城下町を整備し、町の名を黒川から若松に改めた。氏郷が亡くなった後は上杉景勝が入った。景勝は大大名の主城として別に大きな平城である神指城(福島県)を築き始めるが、関ヶ原の戦いで未完成に終わった。
 上杉氏の後は再び蒲生氏が入るが、現在見られるような城の姿につくりかえたのは伊予松山から入った加藤嘉明の子明成である。明成は寛永十六年(1639)に起工し、天守を五重に改めるなど大改修を行った。加藤氏改易の後は三代将軍家光の異母弟保科正之が入り、会津松平氏の祖となる。戊辰戦争では1か月の攻囲に耐え、官軍を一兵たりとも城内に進入させなかった。

新潟に向かう。

15:05新潟空港到達。
15:35新潟空港出発
16:45伊丹空港到達。

今回の旅行:東北に足を運び、東北圏に点在する12か所のお城・城下町(新発田城、村上城、鶴ヶ岡城、山形城、米沢城、仙台城、多賀城、白石城、二本松城、三春城、白河城、若松城)をレンタカーで巡り訪れ楽しめました。

以前に1度は訪れたことのあるお城(三春城は初めて)でしたが残念ながら白河小峰城は震災の影響で石垣が崩れ工事中であり中に入れず外からの景観を望むのみとなりました。

東北地方の観光地は震災後は観光客も少なく寂れていましたが、今回な多くの観光客が押し寄せ、賑わい、活気満ちていました。完全に観光地が復活したように思われる東北圏お城・城下町巡りでした。















 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十二弾:群馬県トロッコわっしー号&トロッコわたらせ渓谷号観光  
2014年9月6−7日
  

本州の中心部群馬県に足を運び、桐生から銅山で知られた足尾を結ぶわたらせ渓谷鐡道をトロッコわっしー号とトロッコわたらせ渓谷号に乗車し走行し渡良瀬川の清流に沿いながら山間を進む路線を四季折々の景観を車窓から望みました。

6日13:32新大阪新幹線のぞみで出発
16:23東京駅到達
16:32東京駅新幹線MAXときで出発
17:28高崎駅到達
17:34高崎駅両毛線で出発
18:21桐生駅到達、駅前のホテル到着後近くの居酒屋で食事を済ませて就寝。
7日桐生駅9:30トロッコわっしー号で出発

4月1日より自走か-つ通年運行が可能な新型トロッコ風気動車・WKT-550形の『トロッコわっしー号』-が運行されています。

11:08間藤駅到着、歩いて足を方面に向かう。

途中古河鉱業が足尾銅山の隆盛時に華族、政府高官などを招いて接待や宿舎に使用していた迎賓館です。大正初期に改築された建物は外観は洋風、内部は和洋それぞれを用いた木造建築で、館内には1924年(大正13年)製のピアノや、国産第1号のビリヤード台もあります古河掛水倶楽部を訪れる。

12:30足尾駅到達
13:52足尾駅トロッコわたらせ渓谷号で出発

桐生〜間藤間を結ぶわたらせ渓谷鐵道では、DE10形機関車+わ99形客車による『ト-ロッコわたらせ渓谷号』が春期〜秋季にかけて運行されています。

15:37大間々駅到達
15:48大間々駅普通電車で出発
16:06桐生駅到達
16:10桐生駅両毛線で出発
17:05高崎駅到達
17:10高崎駅あさまで出発
18:05東京駅到達
18:15東京駅新幹線のぞみで出発
20:57新大阪駅到達

今回の旅行、群馬県に足を運び、桐生から間藤までの区間、渡良瀬川に沿って走行するわたらせ渓谷鐡道をトロッコわっしー号、ト-ロッコわたらせ渓谷号を乗車し走行し車窓から渡良瀬川の清流に沿いながら山間を進む路線を四季折々の景観を車窓から望み楽しめました。