飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十九弾:北海道釧路ノロッコ観光
 
2015年9月26−27日    

最北端北海道に足を運び、日本最大の釧路湿原を訪れ、くろしろ湿原ノロッコ電車で釧路駅から塘路駅までを走行し、釧路湿原駅と塘路駅周辺の釧路湿原を散策しました。

26日15:00伊丹空港出発
16:15羽田空港到達
17:00羽田空港出発
18:40釧路空港到達、
18:55バスで釧路駅に向かう。
19:40釧路駅到達、駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

27日11:06釧路駅くろしろ湿原ノロッコ号で出発
11:30釧路湿原駅到達。

くろしろ湿原ノロッコ号:釧路駅から塘路駅(10月は川湯温泉駅)まで釧路湿原の中を約40分〜1時間ほどかけて走るトロッコ電車です。車窓に広がる景色は沿線景観日本一と言われるほど。中でも細岡から塘路の間は絶景ポイントです。

釧路湿原:『釧路湿原国立公園』は、昭和62年7月に国内28番目の国立公園として誕生しました。
 当初、広大な湿原部分と湿原東部に位置する海跡湖や周辺丘陵部を含む26,861haが指定され、平成23年9月に28,788haに公園面積が拡大されました。自然環境の保護や適正な公園利用を図るため、公園計画が定められています。
 本地域は、北海道の東部、釧路川に沿って展開する我が国最大の湿原、釧路湿原を中核とする地域である。釧路湿原においては、他の地域では既に喪失してしまっている我が国の平野部の原自然が保存されており、湿原全体を支配するヨシと散在するハンノキ林、蛇行する河川等が構成する自然性の高い広大な水平的景観は、我が国では他に類例のない特異性を持っている。
 高層湿原、中間湿原、低層湿原それぞれに特徴的な植生が見られ、特別天然記念物タンチョウをはじめとする各種鳥類のほかキタサンショウウオ、エゾカオジロトンボ等貴重な動物が生息している。
 また、湿原の主要部は、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約)の登録湿地とされるなど本湿原は国際的にも高く評価されている。
 このように、壮大な景観を有し、貴重な野生生物が分布する本地域は、我が国を代表する傑出した自然の風景地であるので国立公園として指定し、風致景観を保護するとともに、これらの自然の特性を活かした利用の増進を図ろうとするものである。日本で最も広い湿原。

細岡展望台:釧路湿原の東側に位置する展望台です。細岡展望台からは、釧路川の大きな蛇行と釧路湿原の広がり、湿原の北側には雄阿寒岳・雌阿寒岳を望むことができます。
 この展望台は、美しい夕日を見ることができる展望台としても知られています。川面に反射する夕日や、赤や薄紫などに色調が少しずつ変化する空のようすを楽しむことができます。

細岡ビジターラウンジ:釧路湿原を一望できる細岡展望台に隣接し、訪れた人々が気軽にくつろぐことのできる施設です。
 館内には湿原の風景や花々の写真が飾られ、軽食や喫茶のコーナーがあります。また、お土産を買うこともできます。湿原展望の後にゆったりとした時間を過ごすことができます。

12:04釧路湿原駅普通電車で出発
12:35塘路駅到達、散策。

サルボ展望台:塘路湖は周囲約17.9km、面積約637ha、最大水深約7mの釧路湿原にある最も大きな海跡湖です。
 塘路湖の北側にサルボ展望台及びサルルン展望台があり、塘路湖と周辺の4つの沼(サルルントー、ポントー、エオルトー、マクントー)で構成される雄大な「湿原と湖沼」の景観を眺めることができます。

塘路湖エコミュージアムセンター「あるこっと」:塘路湖の南岸に設置された施設です。
 館内には、湿原に立つ「ハンノキ」の木立をイメージした解説パネルで、湿原の生命の源である「水」をテーマに、様々な姿に形を変えて湿原を流れる水のようすと、釧路湿原の多様性に富んだ自然や動植物の姿などを紹介しています。
 また、釧路湿原の水中の世界や湿原のしくみ、ヤチハンノキやヤチボウズ、ヤチマナコなどを再現したジオラマやハイビジョン大画面による美しい映像プログラムを見ることができます。

15:14塘路駅くろしろ湿原ノロッコ号で出発。
16:04釧路駅到達
16:40釧路駅バスで出発
17:15釧路空港到達。
18:25釧路空港出発
19:10新千歳空港到達
19:45新千歳空港出発
21:50関西空港到達。

今回の旅行、北海道釧路に足を運び、大自然日本最大の湿原、釧路湿原を縦断するくろしろ湿原ノロッコ号に乗車し下車し、釧路湿原の展望台からの眺望、散策を楽しみました。

釧路川に沿って位置する釧路本線を走行するくろしろ湿原ノロッコ号に乗車し車窓からの釧路湿原の眺望、途中の駅釧路湿原駅下車し細岡展望台からの釧路湿原の眺望、すばらしく、癒やされました。又釧路湿原を縦断するくねくね曲がった釧路川を車窓から眺めるとカヌーでこの川を下りたい気分になります。

北海道は大自然がいっぱい、特に北海道東部は大自然の宝庫、これからも何回も訪れたい、飽きのこない北海道東部観光旅行でした。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十八弾:ミャンマー観光
 
2015年9月19−23日    

5つの国と国境を接し、アンダマン海とベンガル湾に面した広大な国土を有し、エーヤワディー川流域に肥沃な大地が広がり、そこでは仏教に帰依し慎ましく暮らす人々の生活を垣間見る事ができ、複雑な歴史をたどりながらも、パゴタや僧院などの歴史的建造物が)色褪せることなく輝き続けるミャンマーに足を運び、ミャンマーの最大の都市、2006年にネービードーに遷都されるまで首都として栄え、シュエダゴン・バゴダなどの仏教建築スポットのほか、近年はホテルやショッピングセンターの建設が盛んで都市として発展し続けているヤンゴン、ミャンマーで最も人気のある観光地、エーヤワディー川中流域に広がる平原には無数のバゴダが点在するバガンを訪れました。

19日23:35関西空港エアアジアXで出発
20日5:20クアラルンプール国際空港到達
6:55クアラルンプール国際空港エアアジアで出発
8:00ヤンゴン国際空港到達、市内観光。

ヤンゴン:シュエダゴンパゴダ、チャウタッジーパヤー、ボウタタウンパゴダ、スーレーパゴダなどの寺院や、イギリス植民地時代に建てられたコロニアル様式の建築物が多く残る下町散策など、また、一歩路地裏に入れば、多くの屋台街やミャンマー人の生活スタイルなどを垣間見ることもできます。

シュエダゴ・バゴタ:ミャンマー仏教の総本山。高さ99.4メートル、シングッタヤの丘にそびえる黄金色のパゴダです。2500年以上前、ある商人が入手した仏陀の頭髪を収めたのが始まりという言い伝えが残っています。度重なる改修を経て現在の姿になりました。全体が金箔で覆われ、上部には6000を超えるダイヤモンドやルビーなどの宝石がちりばめられ、最も大きいのは76カラットのダイヤモンドという豪奢なパゴダです。境内には重量23トンのマハガンタの釣り鐘や仏足石などさまざまな見どころがあります。

人民公園:シュエダゴン・パゴダの眼下に広がる公園という立地もありますが、最近では欧米人観光客が木陰て涼んでいる姿が目立ちます。少し離れた角度から見るパゴダも良いのは言うまでもありませんが、公園内には大人も子供もわくわくするような仕掛けが点在。例えば、年代もののミャンマー国際航空のプロペラ機が置かれ中に入ることができます。蒸気機関車、プラネタリウム、自然の大木と大木をつなげた吊り橋。暑気に入ると猛暑のヤンゴン。公園の木陰はかなり快適です。

カンドージ湖:ヤンゴン市民の憩いの場所。周辺には、高級ホテルやレストランが並ぶ。インヤ−湖を水源とする人造湖。遊歩道からカラウェイ・パレスを眺められる。

国立博物館:ミャンマ−最大の博物館。ミャンマ−の歴史、文化を学ぶことができる。マンダレ−王宮にあった「獅子の王座」は必見。

イギリス植民地時代の建物が建つエリア:市庁舎、元移民局、元最高裁判所、中央郵便局、港湾局、英領時代のオフィスビル、ヤンゴン地裁

本屋通り:

映画プロダクション通り:

パソコン通り:

ボータタウン・バゴダ:2500年前に、8人の僧侶がインドから仏陀の遺品を持ってきたことが始まりと伝えられています。寺院の中にある金箔で飾られた小部屋には仏陀の遺髪とされる毛髪が展示されています。

バンソダン埠頭:

スレー・バゴダ:ダウンタウンの中心にある高さ48メートルのすらりとした八角形のパゴダ。スーレーとは「聖髪」の意味で、仏陀の遺髪が収められていると言われます。街の中心にあるため、常に市民の参拝客でにぎわっています。

水道工事通り:

判子通り:

インド人街:

玩具・文具市場:

手芸用品通り:

チャイナタウン:

タン市場:

18:00ヤンゴン市内のホテル到着就寝。
21日7:00ヤンゴン国際空港到到達
8:00ヤンゴン国際空港エア・KBZで出発
9:20バガン空港到達、バガン専用車で観光

バガン:国土の中央、エーヤワディ川の東岸に位置するバガンが都として栄えたのは11世紀から13世紀にかけて。41平方キロの王都にはおびただしい数のパゴダ(仏塔)が建設され、その数は数十万に及んだという説もあります。現存するのは2000ほどですが、それでもアジア最大規模の仏教遺跡群、見渡す限りの茶色い大地にパゴダが点在する様は荘厳です。アンコール遺跡(カンボジア)、ボロブドゥール遺跡(インドネシア)と並んで「世界三大仏教遺跡」と称することもあります。遺跡観光の中心となるのはオールド・バガンと呼ばれる考古学保護区で、観光客は交通のターミナルとなるニャウンウーを基点に車や馬車で遺跡を巡ります。

ニャウンウーマーケット:ニャウンウーは交通のターミナルで有るばかりでなく、バガン周辺の交易の中心地で、衣料、日用雑貨、調味料、野菜、果物、肉、魚などを扱う規模の大きいまーケット。

シュエジーゴンバヤー:ニャウンウーにある黄金色に輝く仏塔で、アーナンダ寺院と並ぶバガンを代表するパゴダです。11世紀、アノーヤター王によって建立が開始され、次代のチャンシッター王が完成させました。3層の基部と釣り鐘の形をしたドームの組合せは、ビルマ式仏塔の典型です。アノーヤター王は内部に仏陀の遺骨と歯を奉納したと伝えられ、仏教徒の厚い信仰を集めています。

オールドバガン:壮大な仏教遺跡群。カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドールと共に世界3大仏教遺跡に数えられているバガン遺跡のある街。11世紀から13世紀にかけて都として栄えたバガンには約400万のパヤーと寺院があったと言われる。現在残っているのは2,300程。広大な平野の上に遺跡が点在しており、間違いなく世界最大、最高の仏教遺跡群です。街の中心、オールドバガン自体には、遺跡意外には何も無い。ホテル、レストランはニャンウーのマーケットから、シュエージーゴン・パヤー付近に多く点在する。街の交通手段は馬車かサイカー、自転車が便利。買い物は、マーケットか、シュエジゴン・パヤー付近の露天がお勧め。

アーナンダ寺院:1091年建立、バガンの中心的寺院。63メートル四方の大伽藍の東西南北それぞれに高さ20メートルほどの美しい仏像が安置されます。その中でも南北の仏像2体は、建立時のものと伝えられる貴重なものです。

タラバー門:タラバ門は、9世紀にピンビャー(Pyinbya)王が城を守るために気づいた城壁での跡が、残ったものが現在の門としてあります。写真の門を見ると、それぞれ左右の門には、城跡が残っているのがわかると思います。 また、左右の門には、精霊の像が祀られています。この門をくぐるといよいよオールドバガンへ。

戦没者慰霊碑:タピニュー寺院の境内にいくつかの慰霊碑が建てられている。ビルマに日本軍が最初に入るのは昭和17年1月19日、タイ南部だ。その後1月30日には第33師団がサルウィン河畔に進出、3月7日第55師団がペグーを占領し、翌8日、第33師団がヤンゴンを無血占領する。33師団は中国戦線から、太平洋戦争開戦後、ビルマ戦線に投じられた部隊で「弓」の通称をもっている。
後にインパール作戦に参加し多くの犠牲者を出した。その多くは補給物資欠乏からくる病死や餓死で、生き残った兵士たちの手記はインパール作戦を企画した15軍牟田口廉也司令官に対する恨みに満ちたものが多い。バガンにも遺族や戦争参加者たちの慰霊碑が建てられていた。あの戦争から60年近い年月が過ぎたが、周囲はきれいに清掃されており、「慰霊」や「鎮魂」の文字も鮮明だった。


タビニュ寺院:12世紀中ごろの建立。2階建てで、バガンでは最も高い寺院です。寺院の向かいには日本人戦没者慰霊碑を祀る「タビニュ僧院」があり、特に日本人には感慨深いところです。

ナッフラウン寺院:バガンで唯一のヒンドゥー寺院です。

昼食

ティーローミンロー寺院:ティーローミィンローはニャウンウーの町からオールドバガンへ向かう途中に建てられています。 バガンの中でも大きなパヤーで、1218年にナダウンミャ(Nantaungmya)王が王位継承に選ばれたことを記念して建てられました。高さは約47mあります。 外壁の痛みが激しく、またそれが古さを感じられていいのかもしれません。内部の天井にはフレスコ画も描かれています。 また、このパヤーはミャンマーで、「バガンスタイル」としてのお寺としても知られています。

スラマニ寺院:スラマニ寺院は、ナラパティシートゥー(Narapatisithu)王により1174年〜1211年の間に建てられました。この寺院は、ティーローミィンロー寺院(Htilominlo Pahto)やゴドーパリィン寺院(Gadawtpaling Temple) を超える造りとしても知られています。 したがってバガン1のレンガ造りの寺院といっても過言ではないでしょう。

ダマヤンジー寺院:非常に形のいいパゴダとして有名です。その形の良さゆえに観光客にも人気のある寺院です。ピラミッドのような形をしており、内部は迷路のような造りとなっています。 1165年にナラトゥ(Narathu)王によって建立されました。王の次男であるナラトゥは、自分が王になるために父王と兄の皇太子を暗殺しました。   ナラトゥ王は自分の罪を後悔し、罪滅ぼしのためにそれまでで最大の寺院を1165年に建て始めました。 しかし、寺院が出来上がる前に王は暗殺され未完成のままとなっています。それ故、この寺院は幽霊パゴダとしても有名なのです。

ローカティバン祠堂:シュエサンドーパゴダの北にあります。大きなシュエサンドーパゴダの近くにあり、その大きさはシュエサンドーに比べると見劣りはしますが、宝石で造られた寺院はバガンの中でも非常に綺麗なパゴダとして知られています。また、内部にはフレスコ画が良い状態で保存されています。

シュエサンドーパヤーにて夕陽鑑賞:見晴らしのいい上部に登ることができ、夕日見物の名所として人気です。5層のテラスを持つ仏塔で、1057年、アノーヤター王によって建立されました。内部にはモン族が所有していた仏陀の遺髪が収められていると伝えられます

18:00バガンホテル到着就寝
22日9:00専用車でパヤトンズ遺跡観光

ペッレイパヤー:東側にアシャペッレイ(Ashae Petleik)、西側にアナーペッレイ(Anauk Petleik)が並んで建っています。11世紀にアノーヤタ(Anawrahta)王により建てられた仏塔です。

ダマヤッズィカ・パヤー:1059年にアノーヤタ(Anawrahta)王によって建てられました。このパゴダには仏陀の歯が収めれれています。エーヤワーデ(Ayeyarwady)川のほとりに建つため、バガンの”南の入り口”、船着場としても有名な場所です。場所はニューバガンにあります。 また、ローカーナンダー・パゴダ祭りが7月31日〜8月1日まで開催され、多くの人々が訪れます。

アベヤダナ寺院:アベヤダナ寺院は、1102〜1103年に建てられました。ナガーヨン寺院の反対側にあります。王の妻アペヤダン(Abeyadana)王妃が、王を待つためにこの寺院を建てたといわれています。 寺院の外壁、内壁には、インドラ、シヴァ神やビシュヌ神のようなヒンドゥー教徒の画を見ることができます。

ミインカバー村:オールドバガンの南側、エーヤワディー川の畔に広がり、バガン王朝初期から中期に建てられた貴重な遺跡が集まるエリア、村を歩けば、漆器工房など伝統的な人々の生活に触れることもできる。

ブーパヤ・バコダ:エーヤワディ川を見下ろすように立つ小さな仏塔。川の夕景を楽しむ人気スポットとしても知られています。この仏塔は8世紀頃に建立されたと伝えられていますが、35年前の大地震で瓦解してしまい、現在のものはその後に再建されたものです。

エーヤワディー川遊覧:ブーパヤー船着場から乗船し、エーヤワディー川を遡上、その後エンジンを止川の流れにまかせて戻るルート、エーヤワディー川に浮かびながら静かに暮れていく古都の情景をじっくり眺めれる。

ブレディ登楼:

昼食、

ナンダピンニャ:

タンブラ寺院:タンブラ(タンブラー)寺院は、ミンナントゥ村にあり、パヤトンズ寺院の北にあります。寺院の名前の由来として、10代目のウザナー(Uzana)王の妻の名前とされています。 タンブラ寺院、南に位置するパヤトンズ寺院ともに、王妃の寄進であります。内部にはフラスコ画が描かれています。

パヤトンズ:パヤトンズという名前の意味は「3つのパゴダ」という意味を表します。パヤー(Paya)は仏塔をもつ寺院を指す言葉で、トンズ(thonzu)は3を意味します。この寺院は王妃の寄進でもあります。 建てられた時期は13世紀の後半にあたり、この時代はモンゴルによるバガンへの侵攻があったため、パヤトンズは完成を見ることがなかったとされています。寺院内部には、壁画を見ることができますがかなり傷んでいます。

タヨッピー寺院:タヨッピィ寺院(Tayoke(Tayok))は、ミンナントゥ村の集落にあります。あまり有名な寺院ではありませんが、遺跡らしい古さを感じさせるパゴダです。穴場のパゴダとしては有名な場所です。ここからの景色は非常に綺麗で訪れる価値があるでしょう。

ミンナントゥ村訪問:パヤトンズ遺跡群の南側にミンナントゥ村という人口500人の小さな村があります。
この村は多数のパゴダがあちこちにある村で、バガン遺跡の中でも例外的な居住地区です。
訪れるといっても茶屋が1軒と漆器などを売る民家が1軒あるだけでごく普通の集落です。

ピューイングタワー入場:大小の仏塔が林立するバガン平原を360度にわたって眺望できる展望塔。

16:30バガン空港到達
17:30バガン空港出発
18:50ヤンゴン国際空港到達、タクシーでヤンゴン市内のホテルに向かう。
19:30ヤンゴン市内のホテル到達就寝

23日6:00ホテルタクシーで出発
6:30ヤンゴン国際空港到達
8:30ヤンゴン国際空港タイ・エアアジアで出発
10:15バンコクドムアン国際空港到達
17:20バンコクドムアン国際空港タイ・エアアジアXで出発
24:20関西国際空港到達。

今回の旅行、アジアの発展途上国、ミャンマーに足を運び、ヤンゴンのバゴパとイギリス植民地時代の建物を歩いて周り、又ミャンマーの最大の観光地バガンを現地ガイドと共に巡り4日5日の旅、満喫しました。

ミャンマーはいとるところにバゴパ(仏塔)が点在し、特にバガンのバゴパと寺院の数3000を超える建造物、偉大な古都、歴史深さを物語り、展望台からの360度の眺望は圧巻でした。

初日はヤンゴンを巡りましたが、いたるところでインフラ整備、ビル建設が進行中でこれからのミャンマーの発展が期待できそうです。現状では鉄道、バスの交通が十分に整備されていなく、便数が少ないため、もっぱら交通手段はタクシーになります。走行中の車の半数以上はタクシーで気軽に掴まてて乗車っすることが出き、又料金が安く30分走行して700円、日本の6−7分の一やすさで、多くの方が利用されていますが、その反面、全体の車の台数が多くなりすぎて交通渋滞を巻き起こしています。

日本人観光客はまだ少ないようですがこのシルバーウイークは休日日数がちょうど良かったのか各地で日本人に出会しました。この国が進化するに連れて観光客も増え続けるでしょうね。未開拓地がまだまだいっぱい有ります。これから楽しみですね。

最近の一人旅行はトラブルが続出していましたが、今回は大きなトラブルではないが小さなトラブルが2つ出会しました。
一つはエーヤワディー川のボート遊覧、エンジンが中国製、大丈夫かなと心配していましたが、川の真ん中に到達するやいなやエンジンがストップ、携帯電話で助けの連絡を要すると思いましたが、船長がエンジンを弄くり、なんとか動き、無事に帰ることができました。

二つ目は帰りのバンコクから関空に向かう飛行機でのトラブルです。
定刻の時間に出発せず、アナウンスが流れ荷物の数が合わない、予定よりも多いため、安全のためにすべての荷物をチェックするのに二時間かかり、出発が二時間遅れとなりました。爆発物が含まれてたら大変です。最近バンコクで爆発テロが発生していましたので航空関係者は神経がピリピリしています。

日本の企業も中国からタイ、ベトナム、これからは人件費の安いミャンマーに工場をシフトしていくでしょうね。
5年10年後のミャンマー楽しみですね。治安もいいし、観光名所も多い、日本からの観光客の増加も期待できるミャンマー、ヤンゴン、バカン観光旅行でした。
































飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十七弾:宮城県東北三十六不動霊場&奥州三十三観音観光第二弾
 
2015年9月12−13日   

松島、蔵王のお釜、笹かまぼこ、牛タンで有名な宮城県に足を運び東北三十六不動霊場3箇所、奥州三十三観音11箇所をめぐりました。

12日14:45伊丹空港出発
16:00仙台空港到達、タクシーで仙台市内に向かう。
16:35勝山館到達、講演会に出席する。
19:00懇親会
20:30仙台モントレイホテルに向かう。
20:45モントレイホテル到着就寝。
13日8:00レンタカーで霊場巡り、栗原方面に向かう。

清水寺:

勝大寺:

一関方面に向かう。

達谷西光寺:大同二年(807年)円珍の開山という。八世紀のはじめ頃から朝廷の政策として進められてきた東北開拓が、蝦夷の抵抗のため渉らない状態だったので、何度かの東征が行われてきた。八世紀末には、この達谷窟に拠った悪路王らの勢力が強大となり、国府などの力ではおさえることができないので、桓武天皇は、坂上田村麻呂公を征夷大将軍にして延暦二十年(801年)遂にこれを征服することができた。将軍は蝦夷平定は多聞天の御加護によるものと、窟の前に九間四面の精舎を建立し、鞍馬寺にならって一〇八躰の多聞天を安置した。毘沙門堂と名付け鎮国の社寺として今日に至っている。

観福寺:大同年間(806〜10)に坂上田村麻呂が一宇を建立し観音像を奉安した。その後、慈覚大師が東祥寺を開創(850)し、幾多の変遷の後1638年現在の地に移った。藤原三代の帰依も深く当時は隆盛を極めた。

円通寺観音寺:

新山観音寺:

徳寿院:観音堂は元禄時代のもので、本尊は地元の小野寺氏の守り本尊であったと云う。明治以降に徳寿院に移された。徳寿院は長禄3年(1459)に再興開山した歴史がある。

大祥寺:開創当事は天台宗の寺だったが、正平9年(1354)月泉良印が再興開山し曹洞宗に属した。月泉良印は気仙沼の出身で黒石正法寺の住持を務めた。

六角堂:観音堂(六角堂)は聖武天皇(726)の頃からで、慈覚大師が金提寺を開創し、その後月泉良印が再興し道慶寺とした。文化5年(1808)皆川家(納経所)の土地に観音堂を建立し現在に至っている。道慶寺(曹洞宗)は観音堂とは少し離れている。

登米方面に向かう。

大慈寺:曹洞宗。藤原秀衛開基で、天台宗・諏訪森大慈寺と称されたが、荒廃したのを永享元年(1429)に中山良用和尚の開基で法輪山大慈寺となった。

華足寺:真言宗。馬頭観音は日本最古・最大のものであり、多くの競馬関係者が参詣に来るらしい。開創は大同2年(807)、坂上田村麻呂がえみしの7大将を討ち、その供養のために建立した7観音の一つとされている。田村麻呂が乗ってきた馬がこの地で倒れ埋めたところ、翌日金色の光が発していて、村人が掘り起こすと馬頭観音の姿になっていたと伝えられている。

気仙沼方面に向かう。

観音寺:往古、この地方は蝦夷と呼ばれた民の勢力範囲であった。和銅年間(709年)藤原宇合が特命大将軍につき蝦夷勢を鎮圧し、その首塚を南流山に建立したのが始まりという。のち天平十五年(742年)行基菩薩が巡錫して自ら観音像を彫刻した。更に喜祥三年(850年)慈覚大師が堂舎を建立して海岸山観音寺と称した。その後、平泉に幽棲していた義経が皆鶴姫を憐み、菩提を弔う為に先の南流山に観音堂を興したが、これを合併して瑞国海岸山観音寺と改称して現在に至る。

補陀寺:寛平2年(890)天台宗柏華山補陀落寺と称し赤坂小沢田に開山された。平泉藤原氏の滅亡とともに衰退したが、文亀元年(1501)細浦藩主熊谷直元公が虚窓良巴禅師を招き細浦に曹洞宗補陀寺として開創した。天文3年(1534)に宝鏡寺周庵和尚が現地に移し中興開山した。

陸前高田方面に向かう。

金剛寺:三陸海岸の南部に位置した陸前高田は、広田湾に面して拓けた漁業の町で、中央部を気仙川が流れます。県下でも比較的温暖なところで湾には白砂の海岸と松林が広がる名勝・高田松原があります。
 如意山金剛寺は、仁和年中、大江千里が当地に下向となり、宥鑁法印(開山第1世)が帰洛を祈願したところ、仁和4年(888年)恩赦を得て帰れたことに感謝して建てられた寺院です。伊達政宗、二代忠宗の地方巡視の際には当時が宿所にあてられ、近郷の末寺30余の本寺として、徳川時代からは常法談林・法談の中心的役割となりました。また、現代でも加行・練行など、真言行者の修行道場としての役割をはたしています。境内右側、山頂に建立された不動堂には、延宝年間(1673年)千葉県の成田山から勧請された不動明王・両童子が祭られています。初詣(元旦)と縁日(8月28日)、納札お焚きあげ(12月26日)には多くの信者の参詣があります。

14:00仙台空港に向かう。

17:00仙台空港到達。
19:00仙台空港出発。
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、仙台の講演会に出席し翌日宮城県の東北三十六不動霊場3箇所、奥州三十三観音11箇所をめぐり楽しみました。
前日大雨で河川の氾濫等で仙台の訪れ心配していましたが、雨の影響はごく一部のエリアだけで問題なくまわることができました。
招待で飛行機はビジネス、ホテルは高級ホテルモントレイ、食事は寿司にヘレ肉、豪華な旅行、満喫しました。
これからも遠方での講演会には積極的に出席し翌日の観光旅行をも楽しみたいと思います。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百二十六弾:岩手県SL銀河観光
 
2015年9月5−6日   

北海道に次いで2番目の面積を持ち、世界遺産平泉で有名な岩手県に足を運び、C58 239を復元し釜石線・花巻〜釜石間で運行しているSL銀河号に乗車し、岩手の町並み、釜石、遠野、花巻を訪れめぐりました。

「SL銀河」

C58 239を復元し運行する列車は、釜石線・花巻?釜石間を運行。牽引する客車については、釜石線沿線を舞台に描かれた宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を代表的なテーマとして列車全体をプロデュースし、宮沢賢治の世界観や空気感、生きた時代を共有する事で東北の「文化・自然・風景」を感じていただける車内空間となっています。


5日17:00伊丹空港出発
18:15花巻空港到達、バスで花巻空港駅に向かう。
19:00花巻空港駅到達、
19:15花巻空港駅出発、釜石に向かう。
21:55釜石駅到達、歩いて10分のホテル到着後近くの居酒屋で食事を済ませて就寝。
6日9:00出発、釜石周辺を散策。

岩手県の沿岸部に位置する釜石市。
釜石市は、岩手県の南東部、三陸復興国立公園の中心に位置し、世界三大漁場の一つ北西太平洋漁場の一角をなす三陸漁場と典型的なリアス式海岸を持つ市である。
海と山に囲まれた風光明媚で、さらに鉄とラグビーのまち。

10:55釜石駅SL銀河で出発
12:41遠野駅到達、散策。

遠野市は、岩手県内陸部にある都市である。 柳田國男の遠野物語のもととなった町であり、河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」で知られる。

13:54遠野駅出発
15:20花巻駅到達、散策。

花巻市は、岩手県の中西部に位置する市である。市の西部に観光地として花巻温泉郷を擁する。 宮沢賢治生誕の地として有名である。

17:00花巻駅タクシーで出発花巻空港に向かう。
17:20花巻空港到達
18:55花巻空港出発
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、北の岩手県に足を運び、釜石から花巻までの釜石線を走行するSL銀河号に乗車し釜石、遠野、花巻の町並みを訪れ散策し楽しみました。

大阪から岩手県の釜石までは遠く、飛行機で1時間余、空港から釜石までの電車釜石線は普通電車で3時間近くもかかります。釜石のホテルに辿り着いたのは22:00を過ぎていました。遠くて田舎をつくづく感じた岩手県SL銀河での岩手県観光でした。