飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百十一弾:新潟県お城・城下町巡り観光
2017年10月14日-15日
  

甲信越地方の日本海に東西細長く位置し南北朝の内乱では、南朝の軍勢が力を持っていたが、足利尊氏は上杉憲顕を越後守護に投入し、南朝方を破った、やがて上杉謙信の登場で越後は統一され、関東や川中島など、各地へ勢力を広げようとする新潟県に足を運び、新潟県に点在する比較的マイナーなお城9か所を訪れました。

14日17:30伊丹空港出発。
18:30新潟空港到達、レンタカーで三条市内に向かう。
17:40三条駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
15日6:30レンタカーで出発、お城巡り。

根知城:根知城(上城山城)は、姫川と根知川が合流する地点の南東に聳える、標高525.2mの城山山頂に築かれている。

山頂の主郭は東西二段で標柱が建っている。西に続く尾根には数条の堀切が設けられ、いずれも竪堀として南へ伸びている。東へ降りていくと、鞍部に空堀が設けられ、西側に土塁が付いている。空堀は南側が東へ曲がっている。空堀の東側はやや平坦な面が続いているが曲輪としては不明瞭で、その先は北東へ尾根が延びているが自然地形になっている。

勝山城:築城年代は定かではない。一説に天正10年(1582年)に上杉景勝による築城とも云われる。

城将は須賀盛能、秋山伊賀守定綱、荻田主馬などが務めた。また天正13年(1585年)羽柴秀吉と上杉景勝がこの城で会見したとも伝えられる。

上杉城:築城年代は定かではないが弘治年間(1555年~1558年)に上杉謙信によって築かれたと云われる。 天文21年(1552年)関東管領上杉憲政は上野国平井城から上杉謙信を頼って越後に逃れた。この憲政の住まいとして築造されたのが御館である。

天正6年(1578年)上杉謙信が急死すると上杉景勝と上杉三郎景虎との間で越後の諸将を二分した家督相続争いが起こる。これが「御館の乱」である。いち早く春日山城の本丸を占拠した景勝に対して、三郎景虎は春日山城を脱しこの御館に籠もって防戦する。天正7年には景勝軍の御館への猛攻撃が開始されると三郎景虎は支えきれず、和睦の使者として関東管領上杉憲政と三郎景虎の長男道満丸は景勝の元へ訪れようとしたが景勝軍に囲まれ討ち果たされた。三郎景虎は出自の小田原北条氏を頼って落ちる途中、鮫ヶ尾城に立ち寄ったが城主堀江宗親はすでに景勝方に内応しており、三郎景虎はここで自刃して果てた。しかし、御館の乱はこれで終結せず、本庄秀綱などは最後まで抵抗し天正8年(1580年)になってようやく終結した。

鮫ケ尾城:築城年代は定かではない。

鮫ヶ尾城の名が史料に現れるのは天正7年(1579年)の上杉景勝書状で、堀江宗親が城主であった。上杉謙信の急死によって跡目相続争いが起こり、謙信の養子であった上杉景勝と上杉三郎景虎によって越後を二分する争いとなり『御館の乱』と呼ばれた。

天正7年(1579年)三郎景虎は上杉景勝の攻撃によって御館を逃れ、生家の小田原北条氏を頼って落ち延びようとした。ようやく味方であった堀江宗親の鮫ヶ尾城に到着したが、このとき既に堀江宗親は景勝方へ靡いており、景虎は城内で自刃して果てた。

直峰城:南北朝時代に南朝方の風間信濃守信照によって築かれたのが始まりとも云われるが定かではない。

直峰城は上杉氏の番城で、吉田英忠、竹俣清綱、長尾伊賀守などが番将を勤めた。 天正6年(1578年)御館の乱が勃発した時には三郎景虎方の吉益伯耆守が守っていたが、上杉景勝に攻められ落城した。

その後は樋口惣右衛門が在城したが、慶長3年(1598年)上杉景勝が会津に転封となると、代わって福島城に入封した堀秀治の一族堀光親が城主となった。しかし、慶長15年(1610年)堀忠俊の時に改易となり直峰城も廃城となった。

箕冠城:築城年代は定かではない。城主は大熊氏で長尾為景の時代には大熊備前守政秀が段銭方などの要職を務め、上杉謙信の時代には大熊備前守朝秀が父同様に重用された。しかし、弘治2年(1556年)朝秀は上杉氏に叛いて武田氏に内通して挙兵、敗れた朝秀は越中へ逃れ、後に武田信玄に仕え、山県昌景の与力となって信濃国根古屋城主となった。

大熊氏が越後から去った後も春日山城の支城として存続したが、後に廃城となった。

荒戸城:天正6年(1578年)上杉景勝によって築かれた。 上杉謙信没後、景勝と景虎の間に「御館の乱」という相続争いが起こった。 景虎の父は北条氏康であるから、景勝は関東からの援軍を阻止する目的で三国街道を見下ろす要所に築城した。
天正6年(1578年)北条氏によって落城したものの、翌天正7年(1579年)景勝によって奪還された。

樺沢城:築城年代は定かではない。 はじめ坂戸城長尾氏の番城であったが、上杉謙信の越後平定により春日山城の番城となり、関東進出の宿城となった。
謙信没後「御館の乱」が勃発し上杉景勝と上杉景虎が相続を争うようになると、小田原北条氏が荒戸城と樺沢城を攻略した。
しかし北条氏は厳冬期を前に一部の将兵を残し、関東へ帰陣する。 翌年初旬に景勝方により攻められ落城した。

坂戸城:築城年代は定かではない。 室町時代に長尾宗景が上杉憲顕より上田荘を与えられ入部した。
上田長尾氏は長房、政景、景勝と続き、景勝は上杉謙信の養子となり春日山城に移ったので、栗原、登坂、深沢など景勝に近い武将が在城した。
謙信没後「御館の乱」が勃発し上杉景勝と上杉景虎が相続を争うようになると、小田原北条氏が荒戸城と樺沢城を攻略したが、その侵攻を坂戸城で食い止めた。
上杉氏が会津へ移封となると、堀秀政が福島城に入封となり、坂戸城には家臣堀直寄が三万石で入城した。
堀氏が改易となると、直寄は信濃国飯山へ移封となり、廃城となった。

16:00終了、新潟空港に向かう。
17:00新潟空港到達。
19:05新潟空港出発
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、甲信越地方の日本海に東西細長く位置する新潟県に足を運び、新潟県に点在する比較的マイナーなお城9か所をお城を訪れ楽しみましたました。
今回は比較的地味ですが案内板がしっかりあり迷うことなく訪れることができました。次回は新潟の東方面の訪れたいと思います。