飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百十八弾:キューバ観光
2017年12月28日−2018年1月4日
  

全長1250kmあるカリブ海最大の島、内陸には山脈が走り、東部のシエラ・マエストラ山脈のトゥルキノ山は標高2005mあるキューバの最高峰、カリブ海沿岸には美しいビーチリゾートが点在、1959年の革命以来社会主義国であり、カリブのほかの島にはない独特の魅力に溢れているキューバを訪れました。
28日14:00伊丹空港全日空で出発
15:10羽田空港到達。
18:40羽田空港エアカナダで出発。
16:40(時差ー14時間)トロント到達。
18:55トロントエアカナダで出発。
22:30ハバナ到達、バスでハバナ市内のホテルに向かう。就寝。
29日9:00バスで出発、ハバナ市内観光。

オールド・ハバナ(ハバナ旧市街):カリブ最強の砦と言われた要塞に守られた旧市街には、立派なコロニアルな建築がたち並びます。“オールド・ハバナと要塞群”は1982年に世界文化遺産登録されました。

ハバナ新市街:カラフルなクラシックカーや黄色の可愛い個々タクシーが名物の「ハバナ新市街」は観光スポットとして訪れておいて間違いなしです。レストランやカフェが多く、ショッピングも楽しめる新市街では陽気な雰囲気が漂っておりリゾート気分を味わうことができるでしょう。

革命広場:新市街の中心地にある、チェ・ゲバラのモニュメントが有名な内務省がある革命広場。キューバを代表する風景のひとつで、撮影スポットとしても人気です。キューバを訪れた人が一度は立ち寄る場所と言ってもいいでしょう。

ホセ・マルティ記念博物館:革命広場に面した高さ109mのかつての共産党本部。館内ではキューバ建国の父として国民的英雄のホセ・マルティのスペインとの独立戦争から革命戦争にいたるまでの歴史を展示。

モロ要塞:対岸のプンタ要塞と向かい合うように立っているモロ要塞は、かつて、外敵が間近に迫る と両者は太い鉄の鎖を渡して敵の侵入を防いでいました。 高さ20mの城壁を有するモロ 要塞は、大船団を率いるイギリス人の海賊ヘンリー・モーガンの襲撃も退け、17世紀 前半には3度にわたる海賊の襲撃からもハバナの街を守りました。モロ要塞は、カリブ海 最強の砦といわれ、その名に相応しい活躍を見せます。 現在、要塞内部は、コロンブス の旅の軌跡や歴史などを展示する博物館となっており、レストランも併設されています。

カバーニャ要塞:革命政権発足後、チェ・ゲバラは国立銀行総裁および工業大臣に就任。ここカバーニャ要塞にある執務室で仕事をした。

第一ゲバラ邸宅:ハバナの旧市街とは運河を挟んだカバーニャ要塞の南側の白いキリスト像の近くにあります。黄色味を帯びた白っぽい外装の二階建ての家で、キューバ革命前は前大統領の兄弟が住んでいたそうです。部屋のあちらこちらにチェ・ゲバラの絵が飾られており、会議室のような部屋や、意外に小さなベットの置かれた寝室、あとは写真などを展示する数部屋。

支倉常長の像:ヨーロッパとの貿易を求めていた伊達政宗藩主の命を受け、遣欧使節として送り出された支倉常長は、キューバの地を踏んだ最初の日本人であり、彼の礼儀正しく誠実な人柄は「至誠の人」「熱誠の使節」として異国の人々から信頼され、尊敬された人物として広く知られています。

カテドラス:18世紀に完成した大きな教会で、左右に異なる形の塔があるのが特徴的です。ハバナの中でも大きな教会として有名で沢山の旅行者の観光ポイントになっています。キューババロック様式の大聖堂の右の塔には重さ7tの大きな鐘が吊り下げられているのが印象的です。

カテドラス広場:16世紀に作られたサンティアゴ・デ・クーバからハバナに首都が移された時から最大の信仰を集めるカテドラル(大講堂)のある広場。17世紀の石畳が敷き詰められた荘厳な雰囲気のある広場で、周囲の家々も18世紀に建てられた、歴史を感じることのできる広場です。

フェルサの要塞:ハバナには世界遺産に登録されている要塞が4つあり、そのうち最古のものがこの観光スポットです。当時は木造でしたが、後に珊瑚石を使った現在の姿に生まれ変わりました。堀がグラされた堅牢な要塞からの眺めはおすすめで、キューバの首都ハバナが一望できます。

コロニアルアート博物館:カテドラル広場に隣接するミュージアム。中には植民地時代の家具や調度品、食器や壺などが展示されており、スタッフが説明しながら案内してくれます。欧州で作られたお皿や家具は美しく、スタッフの説明もあって理解が深まりました。また、カテドラル広場を上から一望できるのも素晴らしいポイントです。

市立博物館(旧総督官邸):1776年に立てられ、1791から1898年まではスペイン総督官邸として使われた後、1920年までは大統領官邸だった歴史ある建物。今は市立博物館になっています

アルマス広場:キューバの世界遺産にも登録されているハバナ旧市街の中心となるのがこの観光スポットです。中央には独立戦争の父カルロス・マヌエル・デ・セスペデスの銅像が立ちます。

ホテル・アンボス・ムンドス:世界的にも有名な小説家であるヘミングウェイが”誰がために鐘は鳴る”など、こちらのホテルの一室で執筆していた事で有名なホテル。赤レンガの壁が優雅なホテルです。ホテル名のスペイン語名の"Ambos Mundos"は直訳すると「両方の世界」という意味なんだそう。

ビエバ広場:16世紀頃に作られた「ビエハ広場」にはコロニアル様式の建物に囲まれており、レストランやカフェ、バーなどがあり沢山の旅行者で盛り上がっています。カフェなどでは生演奏のライブが行われていることも多く、キューバの音楽に触れることができます。

ラム酒ハバナ・クラブ博物館:お酒好きなあなたにオススメ!「ラム酒ハバナ・クラブ博物館」では、ラム酒の最初の製造過程の1つである圧搾を見学することができます。またその他、工場を再現したセットや、ラム酒の原料となるサトウキビを運ぶ蒸気機関車などを鑑賞でき、しかも試飲もできるそう!

革命博物館:革命博物館は、オールド・ハバナに位置する博物館。マリオ・ガルシア・メノカルからフルヘンシオ・バティスタまで大統領官邸として使用され、キューバ革命後に革命博物館になる

ガルシア・ロルカ劇場:1837年にバロック様式で建てられたキューバ国立バレエ団の本拠地で、ライトアップされる夜が美しいです。昼間は劇場前にカラフルなクラシックカーが並んでお洒落な雰囲気があります。

旧国会議事堂(カピトリオ):アメリカのホワイトハウスをモデルにしたと言われるカビトリオ。キューバ道路の基点ゼロ地点でもあるといいます。入り口にあるキューバの国旗をまとった女性の像は共和国の象徴であり、世界で3番目の大きさという。多く人々が賑わう、人気の観光地のひとつです。

サン・ホセ民芸品市場:ラム酒博物館からも歩いて10分かからないくらいの距離、フェリーターミナルと鉄道駅の間あたりの海沿いに、倉庫をリノベーションして作った民芸品市場がある。外国人旅行者向けのおみやげ屋さんということ。

昼食

ココタクシー乗車体験:ココタクシーはせいぜい排気量50cc位のエンジンを搭載した、ココナットの形をした黄色い色の小さな三輪車です。

コッペリアにてアイスクリーム試食:コッペリア公園の中にあります。公園に入ってすぐ左に観光客用のコッペリアがあります。

クラシックカー乗車体験:キューバでは、アメリカと国交が断絶される以前の1940〜1950年代に輸入されていたアメ車が、この現代でも黒い排気ガスをブンブン吐きながら走っています。
そのため、ハバナの空港から市内へ出るとレトロなアメ車に興奮する反面、息苦しいほどの排気ガスに驚く人も多いと思います。

17:30ホテル到達。
19:00キューバ音楽を聴きながら夕食
21:00就寝
30日8:00バスで出発、シエンフエゴスに向かう。

シエンフエゴス観光:キューバの中心部南岸にある植民都市の先駆けとなった美しい街。フランス人が多く移住したことで、他のスペイン風の街並みとはことなる雰囲気です。

ホセマルティ広場:「ホセ・マルティ広場」は「シェンフェゴス都市歴史地区」にある「19世紀」の「スペイン植民地時代」に築かれた街並みの中心に位置する「キューバ建国の父」である「著名な革命家ホセ・マルティ」から名付けられた「公園」です。
「ホセ・マルティ広場」は「2005年」に「シエンフエーゴスの都市歴史地区」として「世界遺産」に登録されています。

昼食

昼食後トリ二ダ―へ向かう。

トリ二ダ―市内観光:世界遺産にも登録された、キューバの古都トリニダ−ド。歴史あるこの街では植民地時代の雰囲気を色濃く残すコロニアル様式の建造物群を目にします。旧市街には丸石の敷き詰められた街路や、パステルカラーの家、宮殿や広場で知られ、歩くだけでも楽しめる街です。

カンテーロ博物館(市立歴史博物館):トリニダの街にはサトウキビ農園で巨万の富を得て、豪華なバロック風の邸宅が何軒も残っています。ここの住人は革命後国外に逃亡しましたので、残った家は博物館として何軒か紹介されています。
この邸宅はイスナガ氏の邸宅でしたが、夫に先立たれたイスナガ夫人はその後、同じくサトウキビ農園を営むドイツ人のカンテーロ氏と再婚。当時の生活していたままが博物館となってカンテーロ博物館と呼ばれていますが、日本のガイドブックには市立博物館となっています。

サンティシマ広場:小さな街の小さな広場です。中心には可愛らしい教会があります。周囲にはロマンティコ博物館、建築博物館考古学博物館などがあります。
サトウキビで成功した農園主のお屋敷跡がそれぞれ博物館になっています。オレンジの瓦屋根や半円アーチの柱など、街並みがきれいです。

サンティシマ教会:旧市街の中心、マヨール広場のランドマーク的存在。19世紀に完成するまでに比較的長い年月を経て建てられたネオクラシック様式の美しい教会です。

ロマンティコ博物館:キューバを訪問し、トリニダーを訪れてトリニダー旧市街散策の途中に、マヨール広場に面しているサンティシマ教会横のロマンティコ博物館を見学しました。
かってのサトウキビ農園主のニコラス・ブルネット・ミニョスの屋敷をそのまま博物館にしたもので、砂糖産業で大成功した農園主らの所蔵していた家具調度品などが展示されており、当時の生活ぶりをうかがい知ることが出来ます。

建築博物館:マヨール広場に面してある水色の建物がコロニアル建築博物館。1750年築の大農園主の邸宅を利用しており、トリニダーに残るスパニッシュ・コロニアルの特徴を理解するのに役立つ。実際に模型も用意し、梁の組み方、漆喰壁の構造、ファサード(門)のデザイン、ドアの装飾、蝶番の種類など、実に具体的でわかりやすく展示している。

グアムアヤ考古学博物館:生命、自然科学的な内容で、先住民の土器、食器などが展示されていました。出土した、先住民のお墓も再現されてました。

革命博物館:1984年に建てられたサン・フランシスコ修道院だったもの。CUC25¢コインに描かれているのはこの風景。

カンチヤンチャラにてラム酒入りのレモネードいただく。

ロスインヘニオス渓谷:18世紀末から19世紀末まで砂糖生産の中心地であり、最盛期には渓谷において50以上の製糖工場が稼働していたと言われています。

マナカ・イスナガの塔:高さは45.5m、7階建てで塔の上までは136段の階段を上ります。「マナカ・イスナガの塔」には、かつて各階に違った音のする鐘が取り付けられていたそうで、その音で労働者たちに終業の合図などを送っていたのだとか。

18:30ホテル到達。
19:00夕食ホテルで。
22:00就寝。
31日7:45バスで出発。サンタ・クララへ向かう。

サンタクララ市内観光:キューバの首都ハバナから東に約300qに位置する都市『サンタクララ』。キューバ革命の後、チェ・ゲバラによって解放された都市として知られ、キューバの歴史、革命史を知る上で外せないところです。

チェ・ゲバラ記念霊廟:チェ・ゲバラ霊廟、チェ・ゲバラ廟とは、マルクス主義革命家、チェ・ゲバラの霊廟である。キューバのサンタクララにある。 遺骨は1997年10月17日に収められた

革命広場:毎年5月1日メーデーなどに、国家評議会議長の演説が行われる。数十万人もの人が集まることもある。

列車襲撃跡:1958年12月29日、ゲバラの指揮する革命軍はバティスタ政権の列車を襲撃し、多くの武器を奪うことに成功しました。バティスタはこの3日後の1959年1月1日、キューバからドミニカ共和国に逃亡し、キューバ革命は成功しました。従って、この列車襲撃の成功はバティスタ政権に最後のとどめを刺した事件と言えるでしょう。

共産党本部前:屋上に、comite provincial(地方委員会)とあります。この地域の共産党の地区委員会本部です。何の変哲もない建物ですが、壁に Che とあります。チェ・ゲバラです。そして、この手前には 子どもを抱くゲバラ像

カピーロの丘:サンタ・クララは、ビジャ・クララ州の州都なので存外大きな街でした。 街の外れのカピーロの丘の頂上にはモニュメントがありましたが、革命戦争当時には砦があったようそうです。カピーロの丘の頂上にはキューバ国旗と7月26日運動の旗が掲げられていました。
7月26日運動は、1959年にバティスタ政権転覆を行った、フィデル・カストロにより率いられた革命運動組織だそうです。

昼食レストランで

昼食後バラデロに向かう。

バラデロ:もとは欧米のVIPの別荘地として愛されたリゾートでしたが、近年は開発が進み、デラックスクラスホテルやアクティビティーが充実したキューバ最大のビーチリゾートとして知られる様になりました

16:00バラデロのホテル到達。
20:30ホテルレストランで夕食
22:00就寝。

1日10:00ビーチ散策。

パラデロビーチ:大西洋に面したキューバ随一のリゾート地バラデロにある白砂が約30km続くビーチです。コロンブスが残した「人間の目が見た最も美しい島」という言葉に納得です。

12:00バスと徒歩で名所めぐり。

パラデロ市民博物館:キューバ最大のビーチリゾートの町らしく、華やかさと楽しさが感じられる町で、その町の一角に、パラデロ市民博物館になっている青と白のカリビアンスタイルの建物がありました。博物館の1階は、パラデロの歴史についての展示があり、2階はパラデロのスポーツの歴史に関するコーナーがあるそうです。

マンシオン・ザナドゥ―:アメリカの財閥デュポンの大邸宅跡。キューバ人建築家により設計され建てられたスパニッシュ・コロニアル・スタイル。

アンブロシオ洞窟:1961年に発見された洞窟で、全長約200m。洞窟内には赤と黒の絵の具で描かれた線や渦巻きのような47個の岩絵が残されている。

バクナヤグア橋:ハバナとマタンサス州の境に位置する全長8kmのユムリ渓谷にかかる橋。キューバ最長で地上からはなんと112m。

17:00ホテル到達。

18:00夕食はホテルでビュッフェ
20:30バーでキューバキューバ音楽
21:00バーでミニコンサート
21:30シアターでショウ鑑賞
23:0就寝。

2日9:00バスで出発、ハバナに向かう。

コヒマル観光:海とレトロな街並みが美しい「コヒマル地区」は観光スポットとして非常におすすめです。昼間は海岸沿いを散歩するのが気持ちよくリラックスできます。夜はパーティーなどが開かれて周辺はライトアップされカラフルで賑やかになります。昼と夜のギャップが面白くキューバらしい体験をすることができるスポットになっています。ヘミングウエイゆかりの漁村

ヘミングウェイの胸像:コヒマル漁港の海の近くには、ヘミングウェイが自殺した後に地元の漁師たちが自分たちの船のスクリュー等の金属を使って作ったと言うヘミングウェイの胸像が、彼の好きだった海を眺めているかのように建っています。

ヘミングウエイ博物館:ノーベル文学賞を受賞した「老人と海」を書いたのが、このFヒンカ・ビヒア邸。広大な敷地をもつ邸宅内には、ヘミングウェイを知ることのできる数々の品が残されている。

昼食レストランでキューバ風パエリア

昼食後キューバ人の家庭訪問

ラ・フロリディータ:キューバのお酒といえばラム酒ですね。キューバを愛したノーベル賞作家 アーネスト・ヘミングウエイが通ったというバーでカクテルを一杯いかがでしょうか。
旧市街にあるヘミングウェイ御用達のバー&シーフードレストラン。ダイキリ発祥の地とも言われています。ヘミングウェイの指定席だったカウンターの一番奥には彼の実物大の像が置かれています。お酒が強かったヘミングウェイは通常のダイキリでは飽き足らず、ラム酒ダブルで砂糖抜きのスペシャルダイキリを好んで飲んでいたそうです。


夕食レストランで

革命広場のライトアップ鑑賞

ホテル到着後就寝。
3日5:00バスで出発、空港に向かう。
7:0ハバナエアカナダで出発。
10:30トロント到着
13:35トロントエアカナダで出発
16:55(時差+14)羽田空港到達。
19:20羽田空港全日空で出発。
20:35伊丹空港到達。

今回の旅行、中米の島国キューバに足を運び、キューバの首都ハバナの新都市と旧都市の歴史的建造物、キューバに残る古い街に一つ、トリニーダのスペイン植民地時代の歴史的建造物、フランス人に移民により造られた都市的歴史地区シエンフエゴス、ゲバラ指揮する革命軍のゲバラ霊廟、ヘミングウェイゆかりの漁村コヒマル、バラデロリーゾート6泊8日の旅、満喫しました。それぞれの歴史的建造物はこじんまりして圧巻できる場所は少なかったですが、リゾート地バラデロの広大な敷地に位置するホテル感動しました。広大な敷地にいくつものバンガロータイプの部屋、室内はスイートルームのような広さで豪華、ホテルに敷地に面してキューバ最大のビーチ、敷地内には劇場、ゲームセンター、プール、エステ、数多くのレストラン、バーがありすべて飲み放題、食べ放題でした。今までの旅行は、できるだけ多くの観光名所を巡るのが目的でしたが、今回のような広大な敷地にあるリゾートホテルでのんびり過ごすのもいいいいかもしれませんね。年とともに今回のような楽しみ方に変わっていくかもしれませんね。












































 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百十七弾:愛媛県伊予十三仏霊場巡り観光
2017年12月9日−10日
 

四国の愛媛県に足を運び、民間信仰として始まり、これが大衆化して全国に広まったといわれる、十三仏信仰、現在でも十三仏像を一尊ずつ本尊として安置し、各寺院は、境内地、堂宇、植生などにそれぞれ違った趣を持ち、四季折々伊予の古刹をめぐる信仰と癒しの小旅行として楽しめる伊予十三仏霊の15か所霊場を訪れました。

9日18:00伊丹空港出発
18:50松山空港到達、レンタカーで松山市内に向かう。
19:30松山市内のホテル到着後?華街を散策し就寝。
10日7:00仏霊場巡り。

太山寺:愛媛県松山市にある真言宗智山派の寺院。瀧雲山(りゅううんざん)、護持院(ごじいん)と号す。本尊は十一面観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第五十二番札所。伊予十三仏霊場の第三番札所。

光音寺:

成願寺:

地蔵寺:

円福寺:

浄土寺:愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。山号は西林山(さいりんざん)。院号は三蔵院(さんぞういん)。本尊は釈迦如来。四国八十八箇所霊場の第四十九番札所であり、伊予十三仏霊場の第二番札所である。

極楽寺:

明星寺:

金毘羅寺:

隻手薬師:

道音寺:

西林寺:愛媛県松山市高井にある真言宗豊山派の寺院。清滝山(せいりゅうざん)、安養院(あんよういん)と号す。本尊は十一面観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第四十八番札所。伊予十三仏霊場の第八番札所。

大蓮寺:は愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院である。山号は青岸山。本尊は十一面観音。伊予十三仏霊場第一番札所(不動明王)。境外仏堂として、四国八十八箇所番外札所の小村大師堂(通称・札始大師堂)がある。

八坂寺:愛媛県松山市にある真言宗醍醐派の寺院。熊野山(くまのざん)、妙見院(みょうけんいん)と号する。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所霊場の第四十七番札所であり、伊予十三仏霊場第十番札所である。

理正寺:

16:00終了、松山空港に向かう。
18:00松山空港到達。
19:20松山空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、四国の愛媛県に足を運び、愛媛県に点在する伊予十三仏霊場の15か所を訪れ楽しみました。
ほとんどの霊場が、以前四国八十八箇所霊場巡りで訪れたことのある霊場で立派な霊場でした。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百十六弾:熊本県お城・城下町巡り観光
2017年12月2日−3日

九州の西に位置し、室町時代に、古くから同地で力を持っていた菊池氏が守護になり、阿蘇氏、名和氏、相良氏などが各地を支配するが、争乱で絶えなかった、やがて大友氏が肥後に進出し、龍造寺氏、島津氏と対立することになった熊本県に足を運び、熊本県に点在する比較的マイナーなお城7か所を訪れました。

2日17:30伊丹空港出発
18:40熊本空港到達、レンタカーで八代方面に向かう。
20:00八代市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
3日7:00レンタカーで出発、お城巡り。

佐敷城:築城年代は定かではない。現在残る遺構は肥後に入国した加藤清正によって築かれたもので、加藤重次が城代であった。

南北朝時代に築かれた佐敷城は、現在の佐敷城から佐敷川を越えた東側にある佐敷東の城とも考えられているが詳らかではない。

永禄5年(1562年)島津家臣梅北宮内左衛門が佐敷城を攻めたときの城主は佐敷重家であった。天正9年(1581年)島津義久が水俣で相良義陽を敗ると、芦北郡は島津氏に割譲され、島津家臣の宮原景種が地頭として佐敷城主となった。

天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐によって島津氏は敗北すると、秀吉の家臣佐々成政、継いで加藤清正と小西行長が肥後に入封し、佐敷は加藤清正に与えられた。

佐敷城を築いた加藤清正は、家臣加藤重次を城代として佐敷城に置いたが、 文禄元年(1592年)の文禄の役に城代の加藤重次が従軍して留守のとき、島津家臣梅北国兼が佐敷城を占拠して挙兵(梅北一揆)した。しかし、一揆は間もなく加藤氏の家臣井上氏・安田氏・坂井氏などによって鎮圧され、梅北国兼は討死した。

慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では、加藤清正は東軍、小西行長と島津氏は西軍と分かれた結果、飛領地であった佐敷城は孤立し、島津氏によって攻められた。このとき西軍の敗報が伝わるまでの約30日余り籠城して持ちこたえたという。

元和元年(1615年)一国一城令により廃城となり破却されたが、寛永15年(1638年)島原の乱後に破却不十分として、再び徹底的な破却が行われた。

水俣城:築城年代は定かではないが南北朝時代に水俣氏によって築かれた。 南北朝時代後期には相良氏の支配するところとなったが天正9年(1581年)島津氏が侵攻し落城した。

宇土城:天正17年(1589年)小西行長によって築かれた。
佐々成政が失政により摂津尼崎で自刃すると肥後の南3郡二十四万石で小西行長が入封し、宇土古城の東に新城を築いた。

関ヶ原合戦で西軍に付いた行長は家康に捕らえられ斬首となる。 関ヶ原合戦後熊本の加藤清正によって宇土城は落城、肥後一国に加増された清正は元和2年(1616年)幕命により廃城とする。

宇土古城:永承3年(1048年)に菊池一族によって築かれたと云われるが定かではない。
鎌倉時代末期頃には宇土庄地頭職の宇土道光の居城であった。
文亀4年(1504年)八代の古麓城主であった名和顕忠は相良氏によって追われ、木原城を経て宇土城へと移り、以後、名和氏が代々宇土城主として続いた。
天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐で名和顕孝は降伏し所領は安堵された。 その後、肥後に入封した佐々成政に対して勃発した肥後国人一揆では、名和氏は中立の立場であったが、鎮圧後に佐々氏に協力しなかったことを陳謝するため、名和顕孝は弟名和顕輝を城代して上洛した。翌天正16年(1588年)一揆を鎮圧した秀吉の軍勢が、宇土城明け渡しを要求したが、顕輝はこれを拒否して籠城、落城して顕輝は討たれた。

本渡城:築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1569年)に天草鎮種によって築かれたと云われる。 天草氏は筑前国高祖山城を居城とした原田氏の一族とされ、鎮種の時、河内浦城より本渡城を築いて居城を移したという。

豊臣秀吉の九州征伐以後も所領を安堵されたが、南肥後に入部した小西行長の宇土城普請を天草衆は拒否して天正17年(1589年)小西行長と加藤清正によって攻められた。 この戦では本渡城に客将として迎えられていた赤井城主木山弾正が、五百の兵を率いて志岐城へ向かい仏木峠にて加藤清正と戦い、弾正は清正を求めて単騎敵中に乗り込み清正を組み伏せたが、主君あやうしと駆けつけた弾正の家臣に誤って槍にかかり討死したという。

富岡城:慶長10年(1605年)寺沢広高によって築かれた。 天草一帯は宇土城主の小西行長の所領であったが、関ヶ原合戦によって改易となり、肥前国唐津に入部した寺沢広高の所領となった。 広高は慶長8年(1603年)より富岡城の築城を開始し慶長10年(1605年)に完成させた。

寛永14(1637年)島原の乱が勃発、天草でも一揆が蜂起する。富岡城代であった三宅藤兵衛は一揆勢と本戸合戦で戦って敗れ討死する。勢いに乗じた一揆勢は富岡城に攻め寄せ、落城寸前まで攻め込まれたがなんとか持ちこたえ、江戸幕府が派遣した援軍が来るとの知らせによって一揆勢は囲みを解いて島原半島へ渡り原城に籠城した。島原の乱は鎮圧されたが、寺沢氏は天草の所領を失った。

寛永15年(1638年)備中国成羽より山崎家治が入封すると、百間土手を設けて袋池を作るなど城は改修され規模も大きくなったが、寛永18年(1641年)改修が終ると家治は讃岐国丸亀へ転封となった。

寛永18年(1641年)からは天領となり初代代官を鈴木重成が務めた。重成は四万二千石という石高は過大で、それが一揆の一因であったことを痛感、幕府に石高半減の陳情を続けた。重成は承応2年(1653年)江戸で没しているが、一説に幕府への講義のために自刃したとも伝えられる。天草の石高は重成の子重辰の時代に二万一千石へと半減された。
寛文4年(1664年)三河国田原より戸田忠昌が入封すると、忠昌は城の修築費用が領民の負担となるとして寛文10年(1670年)本丸と二の丸を破却して、三の丸に陣屋を築いた。寛文11年(1671年)戸田忠昌は関東へ転封となり、天草は再び天領となると、陣屋がそのまま代官所となって明治まで続いた。

久玉城:築城年代は定かではないが久玉氏によって築かれたと云われる。 久玉氏は天草氏の支族とされ、明応10(1501年)に天草一揆の一人として久玉氏が出てくるのが初見で、この頃には久玉城が築かれていたものと推測されている。

永禄12年(1569年)には河内浦城の天草氏の支城となっていたが、キリスト教の布教に反対する天草氏一族がこれを占拠し、島津薩衆家の島津義虎や肥後の相良氏の支援を受けて天草尚種に対抗した。しかし、天正2年(1574年)頃には落城し天草氏の支城としてキリスト教の司祭館なども築かれた。

慶長6年(1601年)関ヶ原合戦の後に肥前国唐津へ入封した寺沢氏の所領となり、現在の遺構は寺沢氏によって改修されたものと推測されている。

15:00熊本空港に向かう。
17:00熊本空港到達。
19:10熊本空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、熊本県に足を運び、八代、水俣、天草に点在する比較的マイナーなお城7か所をおとずれ楽しみました。
今回も立派な城跡が多く、感激、堪能しました。
立派な石垣、城址公園見るべきものがたくさんあり満足でした。