飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十七弾:台湾台北近郊観光
2018年9月22-24日
  

中国大陸の東に位置し、かつて日本の植民地でありながら、限りなく日本に愛着と憧憬を持ち続けている人が多く、訪れたならば彼らのあたたかい気持ちにふれることができるだろう。グルメ王国ともいわれる美味しい食べ物と寛ぎのお茶文化、トロピカルな自然とハイテク産業が同居し、漢民族文明と先住民族の文化に触れる島。心からの癒し、エネルギッシュな活力を与えてくれる台湾に足を運び、台北の近郊の新北投温泉、烏来、鶯歌、三峡、新竹を訪れました。

22日16:00関西空港ピーチで出発
17:50台北桃園空港到達、MRTで台北市内に向かう。
19:30台北駅付近のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就職。
23日8:00出発、地下鉄で烏来に向かう。

烏来:温泉・トロッコ・ロープウェイ・白糸の滝・タイヤル族など、様々な観光スポットがある「烏来(ウーライ)」温泉街から滝までを繋ぐトロッコは、自然の景色を楽しみながら移動できる乗り物として人気を集めています。急な斜面を大きな音を出して駆け抜けるトロッコはスリル満点!他にも美人湯温泉やタイヤル族の料理など、観光スポット盛りだくさんの烏来に足をのばしてみてください。

地下鉄で台北駅に戻る。
鉄道で鶯歌に向かう。

鶯歌:湾最大の陶器の街「鶯歌」には、伝統的なものからモダンなデザイン、人気作家の作品まで、さまざま陶磁器のお店が集まっています。とっておきの逸品から、お土産まで是非お気に入りの品を探してみて下さい。

タクシーで山峡ぬ向かう。

山峡:赤煉瓦の美しい趣を持つ人気の観光地「三峽老街」は、台湾の文化とヨーロッパの雰囲気が入り混じり風情溢れる街です。名物の台湾クロワッサン「金牛角」も是非お試しください。

タクシーで頂捕に向かう。

頂捕から地下鉄で新北投に向かう。

新北投到着

新北投温泉:温泉スポットが多くあり、その中でも有名なのが「北投温泉」。台湾屈指の温泉リゾート地となっており、緑に囲まれた山々の間に広がる温泉街は日本人に馴染み深い光景です。台北から電車で30分というアクセスの良さも嬉しいところ。観光に疲れたら温泉に浸かって、ゆっくり過ごすのもおすすめです。

地下鉄で中山に向かう。

中山下車徒歩で数分のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。

6:00出発、地下鉄で台北駅下車、バスターミナルで新竹に向かう。

新竹:1875年淡水庁の廃止とともに、竹塹は新竹城と改められました。1982年に新竹市は台湾省の直轄市となり、周辺を合併して面積も49平方キロから104平方キロと拡大されました。近年では台湾のシリコンバレーと呼ばれる"新竹科学園区"の設置により、エレクトロニクス、化学工業、軽工業が発展し、新竹市の発展の原動力となっています。
新竹市は新竹県西北の新竹平原の中心に位置し、海抜120メートル、東南は十八尖山、牛埔山などの山に囲まれ、西は海に面しています。このため、ここの地形は西の海に面した塵取りに喩えられ、平地は全体の3/4を占めています。

台北桃園空港、鉄道、地下鉄で向かう。

13:40台北桃園空港到達。

24日18:30台北桃園空港出発
22:15関西空港到達


今回の旅行、中国大陸の東に位置する台湾に足を運び、台北近郊の都市、新北投温泉、烏来、鶯歌、三峡、新竹を訪れ楽しみました。

派手さもなく、比較的マイナーな観光名所、鉄道、地下鉄、バス、タクシー、あらゆる交通手段を使って訪れ堪能しました。

新竹から鉄道で東北方面の基隆に行く予定でしたが、台風24号の影響で大雨雨とのこと、早々と台北桃園空港に向かいました。


 
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十六弾:中国鎮江観光
2018年9月15-17日
 

アジアの大国、中国に足を運び、長江下流の南岸に位置する古都で、水陸交通の要衝となっている。美しい自然に恵まれ、「森の都」と呼ばれる。「白蛇伝」で知られる金山、「三国志」の甘露寺など歴史的見どころも多い鎮江を訪れました。

15日15:55関西空港全日空で出発
17:10上海浦東空港到達、リニアモーターカー、地下鉄で上海駅に向かう。
19:10上海駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
16日8:10上海駅高速鉄道で出発
9:51鎮江駅到達、散策

金山公园 :金山寺の観光のために公園に入場するといった感じです。広大な湖があって、一周するにはかなりの広さです。対岸に渡りたかったのですがショートカットはなく、ボートしかなさそうでした。 公園内はよく整備されていていろんな花が咲います。

镇江金山寺 :黄色の禅寺が目に入ります。かなり立派なお寺で、中の仏像なども圧倒されますが金山という小山に建っていますので、上に上ると絶景を眺めることができます。

天下第一泉 :金山のすぐわきに有る「天下第一泉」 唐の時代にお茶を沸かすのに最も最適な
船室として認められた場所、今でも湧いてます。

古西津渡街:鎮江の港に近い場所にある古い風情を感じられるエリアです。帝国列強の脅威にさらされたいた19世紀に栄えた町のようで、昔を想像しながら散策すると楽しいです。

镇江博物馆 :観光地・西津渡古街の隣、元は英国領事館だった建物です。 街の規模に合わせた、地方の資料館という感じでした。

北固山 :中国の江蘇(こうそ)省鎮江(ちんこう)(チェンチアン)の長江河畔に立つ山。絶壁が険しく堅固なため、この名がついた。頂上には甘露寺が、三国時代の256年に建てられたと伝えられていて、『三国志』を知る上では重要な場所といわれる。梁の武帝がこの山に「天下第一江山」の名を与えたといわれ、山の中腹には石刻がある。正殿や老君殿、観音殿、江声殿などもあるが、規模はそれほど大きくない。

北固山公園:山を丸ごと使ったような広大な公園で、園内には三国志にゆかりのあるお寺もありました。三国志ファン以外の方でも、長江や鎮江風景を楽しむこともできるので訪れても良いでしょう。
ここには呉の軍師の魯粛の墓と将軍の太史慈の墓が有ります。 最近作った感は否めませんが、三国志好きな人は来て見てはいかがでしょうか。

甘露寺:劉備と孫権が同盟を結んだ寺 近くに劉備と孫権の妹が見合いをした建物もあります のんびりと散歩さながら観光できます

鉄塔:甘露寺の入口近くにある鉄塔です。北宋時代に伝統的な石塔を鉄製で作ったものだそうで、もともとは9層の鉄塔だったのが、今は破損して4層になってしまってます。確かに、9層あれば、石塔らしく見えますね。
 それでも、鉄の貫禄があって、なかなか風格があります。

梦溪园 :北宋時代の科学者で、随筆「夢渓筆談」を書いた沈括の邸宅。 マンションの並ぶ住宅街の中にあるので、ちょっとわかりにくいかもしれません。 庭園が見事なので、街歩きの途中に寄ってみるとよいでしょう。


16:00鎮江駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
17日9:34鎮江駅高速鉄道で出発
11:24上海駅到達、地下鉄、リニアモーターカーで上海浦東空港に向かう。
14:00上海浦東空港到達。
18:20上海浦東空港全日空で出発
21:35関西国際空港到達。

今回の旅行、アジアの大陸、中国に足を運び、上海から高速鉄道で1時間半の西に位置し、長江下流の南岸に位置する古都で、水陸交通の要衝となっている鎮江を訪れ歴史的建造物に触れ楽しみました。ひたすら歩いて巡りました。

今回も中国旅行、トラブルあり、2日目の鎮江での宿泊、駅前のホテルで立派な大きなホテル、チェックインのためドアを開けて入ろうとしたら鍵がかかっていては入れない、室内は電気が点いてなくて暗い、近くの方に聞くと、クローズしているとのこと、つぶれているみたいですね。仕方なく、近くのホテル探し、運よく、空き室があり宿泊する。

17日朝、起きると大雨、香港に向かっている台風の影響か、高速鉄道が遅れると困るので早めに上海に向かいました。

今までもそうですが、中国旅行すんなりいきません。トラブル多発の国ですね。

懲りずに今年もあと2回中国旅行予定しています。幸運を祈ります。

















 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十五弾:長野県お城城下町巡り観光
2018年9月8-9日


本州の中心部に位置し、今話題の真田家ゆかりの地であること、避暑地の定番としてあまりにも有名な軽井沢や、上高地などの大自然の絶景スポットがあることで知られています。近年では細田守監督のアニメ映画「サマーウォーズ」の舞台でもあります。日本一が多い県としても有名です。日本一長い川、日本一長い浮橋、温泉数、隣接する県の数などな。何よりスゴイのは長寿全国第1位の県。その秘訣は澄み切った空気や、綺麗な水、ヘルシーで美味しいグルメのおかげではないでしょうか?全国的に知られている「信州そば」や「信州みそ」、リンゴのサンふじ、シナノゴールドなどの名産品がもりだくさん、様々な温泉や、家族で楽しめるレジャー施設、松本城などの国宝もあり、見所も満載の地であるため、毎年訪れる人が絶えない長野県に足を運び長野県に足を運び長野県に点在する比較的マイナーなお城10か所を訪れました。

8日15:03新大阪新幹線のぞみで出発
15:53名古屋駅到達
16:00名古屋駅ワイドビューしなので出発
18:58長野駅到達、駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
9日8:00レンタカーでお城巡り、松本方面に向かう。

葛山城:弘治元年(1555年)上杉謙信によって築かれた。 弘治元年7月善光寺平に出陣した上杉謙信は横山城に着陣した後、葛山城を築いて武田氏方の善光寺別当栗山氏の籠もる旭山城と対峙した。 上杉氏と武田氏の対峙は長期にわたり今川義元の仲裁によって和議となり、旭山城は破却された。
弘治3年(1557年)2月落合備中守ら葛山衆の籠もる葛山城を武田の家臣馬場信春が急襲して落城した。これに対して上杉謙信は旭山城を修復して拠点として葛山城を攻略するが、永禄4年(1561年)の川中島合戦の後、上杉氏らは善光寺平から退き、葛山城は武田氏の属城として長沼城の葛山衆が在番していた。

旭山城:築城年代は定かではない。史料による初見は天文24年(1555年)で、武田信玄が善光寺の別当栗田鶴寿を味方に引き入れると、上杉謙信が葛山城を拠点とし、信玄は旭山城に兵三千と弓八百張、鉄砲三百挺を送り込んで対応した。このときは長期戦となり、今川義元の仲介により和睦、その条件として旭山城の破却が盛り込まれていた。
弘治3年(1557年)武田信玄は葛山城を急襲して攻め落とすと、今度は上杉謙信が旭山城を修築して拠点とし武田氏と対峙した。 永禄4年(1561年)の川中島合戦の後、上杉方の守将小柴見宮内を討った武田氏が旭山城を占拠した。その後は海津城や長沼城が重要拠点となっていった。

牧之島城:築城年代は定かではないが香坂氏によって築かれたと云われる。
滋野系香坂氏代々の居城であったが、川中島合戦で上杉氏に通じたため、永禄4年(1561年)武田信玄によって香坂氏は誅され、その名跡は娘婿の春日弾正虎綱が継いだ。
その後、深志城主馬場信房によって牧之島城は改修され城代となる。天正3年(1575年)長篠合戦で馬場信房が討死すると、翌年にはその子馬場昌房が城将となり、上尾城主の平林正恒も在城した。天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、上杉景勝が牧之島城を奪い芋川親正を置いた守らせたが、慶長3年(1598年)上杉氏の会津転封により移っていった。
慶長8年(1603)松平忠輝が松代城主となると家老を置いて守られせたが、元和元年の一国一城令によって廃城となった。

木舟城:詳細不明。仁科氏の初期の居館である館之内館の背後のあることなどから、比較的早い時期の仁科氏の詰城とみられている。

青柳城:築城年代は定かではないが建暦年間(1211年~1213年)頃に青柳氏によって築かれたと云われる。 青柳氏は伊勢神宮の麻績御厨預職としてこの地に根付いた一族と云われる。
青柳氏は信濃守護小笠原氏に従っていたが、天文22年(1553年)武田氏が苅谷原城を攻略し、川中島方面に侵攻したとき、青柳氏は武田氏に降ったが、その後、上杉氏によって攻められ放火された。
青柳氏は武田氏に属した後、麻績城主となって麻績氏を称していたが、天正10年(1582年)武田氏が滅亡し織田信長が本能寺の変で倒れると、一時越後の上杉景勝に従った。しかし、徳川家康の援助を受けた小笠原貞慶が松本に復帰すると、青柳氏は再び小笠原氏に従った。
天正11年(1583年)上杉景勝が青柳に侵攻すると、小笠原貞慶とともに上杉軍と戦ったが大敗し青柳城は落城した。しかし、景勝は急遽陣払いをして越後へ戻ったため、再び青柳氏が再び青柳城主となった。ところが、天正15年(1587年)青柳頼長は小笠原貞慶によって松本城で謀殺され、青柳氏は滅亡してしまう。青柳氏滅亡後は小笠原氏家臣の松林氏が在城した。

平瀬城:築城年代は定かではないが平瀬氏によって築かれたと云われる。 平瀬氏は犬甘氏の一族で犬甘氏とともに小笠原氏に従っていた。
天文20年(1551年)武田氏によって攻め落とされ城兵二百四人が討ち取られた。 その後、武田氏は栗原左衛門に命じて城割(破却)し、鍬立て(築城)が行われ原美濃守が在城した。

林城:長禄3年(1459年)小笠原清宗によって築かれたとも云われるが定かではない。 信濃国守護職を代々務めていた小笠原氏の本城である。小笠原氏は井川城を本城として長く続いたが、戦国時代に入って平城である井川城から山城である林城を築いて移ったものとみられている。
甲斐を統一した武田信玄は信濃へ侵攻をはじめ、天文17年(1548年)塩尻峠の合戦で小笠原長時は武田軍に敗れた。武田氏は松本平の拠点として村井城を築き林城攻めの拠点とした。
天文19年(1550年)武田氏がイヌイの城を落とすと、小笠原氏の大城・深志・岡田・桐原・山家の五か所の城は自落したという。このとき小笠原長時は北信濃の村上義清を頼って落ちのびた。

桐原城:寛正元年(1460年)桐原真智によって築かれたと云われる。
天文19年(1550年)武田氏がイヌイの城を落とすと、小笠原氏の大城・深志・岡田・桐原・山家の五か所の城は自落したという。

山家城:築城年代は定かではないが鎌倉時代末期に山家氏によって築かれたと云われる。 最初に築城した山家氏は諏訪氏系の一族で、元弘元年(1331年)に徳雲寺を創建した神為頼の末裔が山家氏を称した。
諏訪系山家氏は、文明12年(1480年)小笠原長朝に叛いて攻められ、翌13年に諏訪氏の援護を受けたが敗れて滅亡した。その後、永正2年(1505年)頃に播磨国姫路より小笠原氏と同流の折野薩摩守昌治が来住し、小笠原貞朝に属して山家城を居城とし山辺氏を称した。
折野山辺(山家)氏は昌治の後、越前守昌寛、源十郎昌実、藤九郎昌矩と四代続く。 天文19年(1550年)に武田信玄が小笠原氏を攻めたとき、イヌイの城が落城すると、この山家城も自落し武田氏に降っている。

埴原城:築城年代は定かではないが村井氏(埴原氏)によって築かれたと云われる。村井館に住んで村井氏を称した埴原氏によって築かれたと云われる。小笠原氏が信濃守護職となって府中に入るとそれに属した。
天文19年(1550年)武田氏がイヌイの城を落とすと、小笠原氏の大城・深志・岡田・桐原・山家の五か所の城は自落したという。この「イヌイの城」が埴原城ではないかと考えられている。

18:30松本駅到達。
19:07松本駅ワイドビューしなので出発
21:21名古屋駅到達
21:30名古屋駅新幹線のぞみで出発
22:20新大阪到達。

今回の旅行、本州の中心に位置する長野県に足を運び、長野県に点在する比較的マイナーなお城10か所を訪れ楽しみました。今回も地味な城跡でしたが、比較的道路は山城に向かうには険しくなく容易にたどり通ことができました。
城跡、残すはあと100を切りました。今年中に達成予定です。








 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百四十四弾:北海道八十八ヶ所霊場&三十三観音&お城城下町巡り観光
2018年9月1-2日 
 


日本の北端、北海道道東地方に足を運び、道東地方に点在する北海道八十八ヶ所霊場、三十三観音、お城7か所を訪れました。

1日15:30伊丹空港出発。
16:40羽田空港到達。
17:45羽田空港出発。
19:20釧路空港到達、レンタカーで釧路市内に向かう。
18:00釧路市内のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
2日5:00レンタカーで出発、霊場、OK城めぐり。

チャシ:アイヌ語で「柵囲い」を意味し、砦、祭祀の場、見張り場など多目的な用途で使われていたとされます。
北海道内でチャシ跡は500ヶ所ほど確認されており、根室市内には32ヶ所のチャシ跡が残り、うち24ヶ所は「根室半島チャシ跡群」として国指定史跡に指定されています。また、平成19年には日本城郭協会が定める日本100名城のひとつ(お城番号1番)として選定されました。
根室市内のチャシ跡が築かれた正確な年代は不明ですが16~18世紀頃とされています。
根室市内のチャシ跡は、海を臨む崖上に、半円形や方形の濠を巡らせた「面崖式」(めんがいしき)のチャシ跡が多く、濠を組み合わせた大規模なものが多いことで知られています。
現在、見学先として整備されているのはノツカマフ1号・2号チャシ跡とヲンネモトチャシ跡の2ヶ所です

高野寺:厚岸町の町名の由来はアイヌ語の「アッケケシ」(牡蠣の多いところ)からきているとおり牡蠣が名産の町です。 高野寺の本堂内から見える厚岸湾は絶景であり、お盆過ぎから見え始める夜のサンマ船の漁火は幻想的なほどです。 
開基者は不明ですが様々な行者がこの寺を訪ね修法をなされました。 
本尊は不動明王。そして北海道八十八ヶ所第39番札所として薬師如来をお祀りしています。 
是非とも御参拝者の方々には、境内から「空と海」を眺めながらお大師様と共に自分自身をふり返りながら心の会話を楽しんでいただきたいのであります。

チャルコロミオチャシ:チャシは、1号・2号の二つのチャシから成るとされていますが、両者は一体だった可能性もあります。両者を合わせると長さ220メートルにも及び、既存のチャシの中では最大規模を誇ります。加えて、和人の城郭風にいえば多数の曲輪を海岸沿いに並べ、三重の壕を掘り巡らせた複雑な縄張りをしています。今回色々なチャシを見て回りましたが、その多くは単郭式でせいぜい2つ程度の曲輪しか有していないことと比較して、相当に特徴的です。

清隆寺:明治初め頃より、祖先以来真言宗に帰依するもの当地に移住し、同24年市内に1棟新築寺院創立の準備中、本山等に僧侶の來根を図るに、同25年9月、新義真言宗北海道開教巡教師、細川 憲明(卓静)師来根、請われて住職に就任、創立に着す。
師は、明治に入り、藩学の教育より、福井にて出家、多年に亘り諸師に事教二相を学び時に、師恩に報いんとして、北海道開拓地にての開教を発願、本山よりの認可を得て、兄弟子、久志卓動師(旭川市 真久寺開基)ともども陸路旭川に到り、後、分かれて、陸路石北等を踏破言語を絶する困苦のすえ、30日を費やし根室に到着したものなり、その後、教化布教に努め、次第に壇信徒増え、機熟し、本堂建立、明治27年1月時の新義真言宗管長 高志大了大僧正開教の為に開眼し給う、
本尊 不動明王の御尊像(附両童子)、弘法、興教両大師の御尊像、創立補助金300円を添えて寺号公称の準備を促す、
明治30年3月25日「新義真言宗 護国山 清隆寺」として、寺号公称を許可される。

根室半島チャシ跡群(オンネモトチャシ):離島を除くとは本土の最東端(もちろん、北海道の最東端)でもある納沙布岬(のさっぷみさき)からほど近いところ(約2km)にオンネモトチャシ跡があります。
根室半島チャシ跡群の中で代表的であり、尚且つ観光しやすいのが、オンネモトチャシになります。
冬はもちろん雪深いところで、足がはまったりするので、雪がない季節の訪問がお勧めです。
とは言え夏は、草が茂っていてよく分かりませんので、見学に良い季節は5月とか9月辺りなのではと存じます。
立派な建造物など何一つ何も無いですが、日本百名城のひとつです。

善照寺:大正の初めこの地に入植した奥萬蔵(後に得度し沙弥観廣)が、弘法大師尊像を祀り、大師堂を営んだのが当寺の始まりです。当地は、四国出身の入植者も多く、この大師堂は開拓の人々の心の支えとなっていました。その後、開教の志を持って岡山県より来道した矢吹善照が赴任。昭和14年、多くの篤信者に寄進を頂き本堂を新築、川北説教所として地域の信仰の中核となしましたが昭和19年、心臓発作で遷化。後を継いだ矢吹弘照が、昭和21年「観廣山 善照寺」と寺号公称し、檀信徒強化、環境整備に務め、現在の形を作り上げました。 
今の本堂は、平成元年に新築したものです。銅板葺き入母屋造りの重厚な姿は木々に囲まれ、大変美しく、特に秋の紅葉はみごとです。

波切不動寺:当山は北海道八十八ヶ所中最も東に位置し、弘法大師のお膝元である高野山と同じく、世界遺産である知床の羅臼町にあります。市街地より少し離れたひかりごけ生息地、マッカウス洞窟付近の小高い山の上にあり、霊場本尊である波切不動明王は、本堂へ上がる階段手前右側のお堂に祀られています。羅臼町の基幹産業は漁業で、当山の目前には国後島を挟む根室海峡を航行する船舶が見られます。海上安全などの諸祈願所として約50年前に開かれて以来、町内外の漁業者を中心に信仰されてきました。 
なお、境内の滝にある不動明王は永く知床の海を見守ってきた事を物語っています。 
地域がら落石や野生動物に遭遇する事がありますので十分注意してください。

泉福寺:泉福寺は、道東中標津町市街から15km程離れた計根別にあります。根釧原野が広がる酪農地帯で、武佐岳や標津岳を眺望できる自然豊かなところです。昭和11年、鎌倉の浄光明寺徒弟竹村文榮師が、泉涌寺派開教師を拝受致し、北海道に開教を志し来道。真言宗泉涌寺派布教所を設立。本山は京都・皇室の菩提所御寺泉涌寺。 
泉福寺年中行事の節分では、星供養護摩祈願会を厳修し、御守札や福豆の授与、豆まき、齋食(さいしょく)接待等もあり、多くの参拝者で賑わっています。また、大聖牛王尊像を鐘楼堂石室に安置し、牛の供養と乳牛安全・酪農振興を日々祈念しています。春には、正御影供法要と併せて大聖牛王尊大祭、四国八十八ヶ所霊場お砂踏みを行っています。

14:00終了。釧路空港に向かう。
14:30釧路空港到達。
15:10釧路空港出発。
16:55羽田空港到達。
19:25羽田空港出発。
20:35伊丹空港到達。

今回の旅行、日本の北端、北海道道東に足を運び、道東に点在する霊場、比較的マイナーなお城7か所を訪れ楽しみました。

道は広く真っ直ぐ、車、信号少なく、渋滞もなくストレスのないドライブ観光、何回来ても北海道のドライブは最高、満喫しました。