飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百二弾:尼寺三十六所法話巡礼観光
2019年11月30-12月1日
  

近畿二府五県と愛知・長野両県にわたり、ある夫婦の心の葛藤を機縁に、昭和46年に開創された。慈悲のまなざしで迎えてくれる仏たち、閑静な庭園...。尼僧によって護りつがれてきた清楚な寺々をめぐり、現代に生きる心を聞く尼寺三十六所霊場の18か所を訪れました。

30日12:30車で出発大阪市内に向かう。

和光寺:

道明寺:

月江寺:

和歌山に向かう。

善名称院:

光明宝院:

奈良に向かう。

観音寺:

興福院:

法華寺門跡:

中宮寺門跡:

誕生寺:

高林寺:

青蓮寺:

大福寺:

仮宿寺:

如意寺:

兵庫に向かう。

普門寺:

東山寺:

岩瀧寺:

17:30帰路に向かう。

今回の旅行、近畿二府五県と愛知・長野両県にわたる尼寺三十六所霊場の18か所を訪れ楽しみましたました。
山のふもとに位置し紅葉も重なり風景優美なお寺が多く、歴史を物語る国宝風の寺院が数多くみられノスタルジックで癒されました。



 














飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百一弾:中國珠海観光
2019年11月23-24日
  

香港空港からフェリーで1時間に位置しマカオと隣接している広東省南部の都市・珠海(しゅかい)。珠江を挟んだ東岸には深圳や香港があり、晴れた日には香港のランタオ島を望むこともできます。人の行き来が盛んでいつも賑わっているのが特徴。一方で、活気ある街を少し離れると、そこは美しい海と山に囲まれ豊かな自然が広がっています中国の珠海を訪れました。

23日8:15関西空港香港航空で出発
11:50香港空港到達
14:10香港空港フェリーで珠海九州港に向かう
15:20九州港到達、バスで北東部に向かう。

海濱公園:「珠海海濱公園」は海と山の両方に恵まれた観光スポットです。海のすぐ傍なので海岸へ降りることもできますし、後ろには石景山公園があるので軽い山登りをすることもできます。公園内は芝生が広々と広がり子供たちが走り回るにはぴったり!ファミリーでの珠海観光にはおすすめです。

石景山公園:石景山公園は珠海市の山の上にある公園です。山頂まではリフトで上り下りします。山頂にある公園には大きな石がたくさん置いてあり、それぞれに赤い文字で「福」などと書かれているので御利益が感じられるスポットです。公園からは珠海の海が一望でき、天気の良い日はお散歩にも気持ちの良い公園です。

17:30バスで南部のホテルに向かう。
18:10ホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
24日7:30歩いて出発、繁華街に向かい散策。

拱北口岸:中国珠海市とマカオ特別行政区の間にある入国審査場のことです。ここには大きなショッピングモールが併設されていて、中国人や観光客たちの買い物場所としても有名なところです。ショッピングセンター内には飲食店や雑貨屋の他、ネイルサロンやマッサージ店もあります。

8:30バスで北西部に向かう。

梅渓牌坊:梅渓牌坊は珠海市前山鎮の冲梅渓村にあり、面積は12万6千㎡です。 中国初代ハワイ領事であった陳芳の故居、陳家花園、梅渓石牌坊、陳芳家族墓園から構成され、これらを中心とした観光地です。 
陳芳は1825年この地に生まれ、1849年伯父と共にハワイに渡りました。独立し精糖業により成功を収め中国人ミリオンダラー第一号となり「商業界のプリンス」と呼ばれました。ハワイ国王の義妹を妻とし、1881年清光緒帝により初代駐ハワイ(夏威夷)領事に任命されました。1890年故郷に戻り、1906年マカオにて死去、梅渓に埋葬されました。
ここには陳芳家史展、珠海名人蝋人形展などの展示があります。

円明親園:北京の「圆明园」をモデルに1997年に作られた圆明新园は、無料で楽しむことができる観光地です。中国一、世界一の観光地を目指して建設が進められたそうで、過去にはドラマや映画の撮影地としても利用され、今でのおおくの観光客が訪れる人気スポットとなっています。

11:00タクシーで九州港に向かう。
12:30九州港フェリーで出発。

13:50香港空港到達
18:15香港空港香港航空で出発
21:30関西空港到達。

今回の旅行、香港空港からフェリーで1時間に位置する中国珠海を訪れ楽しみました。観光地はあまり多くなく、1泊2日で朝からの出発で十分名勝を訪れることができました。街並みは整備され道路も広く、高層ビルも多く、新しくできた町のようです。
香港デモで香港市内はリスクが高い、航空機の乗客もいつもよりは少なめ、香港市内を経由しないでリスクの少ない香港空港からフェリーで1時間近場の中国珠海でした。



















飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百弾:西国愛染十七霊場巡礼観光
2019年11月16-17日
 

近畿圏内の2府4県(大阪府・兵庫県・岡山県・京都府・滋賀県・和歌山県・三重県・奈良県)の広範囲にまたがる巡礼コース、愛染明王を祀っている寺院を巡ります、平成5年(1993)に開創され、3ヶ所の札所が高野山内に所在しています西国愛染十七霊場を訪れました。

11月16日12:30車で出発、奈良から和歌山に向かう。

宝山寺:創建年代は諸説あり、伝承によると655年に役行者が開きその後空海も修行したとされる修験道場でした。当時は都史蛇山 大聖無動寺という名でした。その後1678年に甚海律師が再興し、歓喜天を祀りました。この時が事実上の開山だと思われます。

西大寺:真言律宗総本山。南都七大寺の一つ。
神仏霊場奈良10番、西国愛染明王十七尊霊場第13番札所、真言宗十八本山霊場のひとつ。
765年、称徳天皇の勅願で、常騰を開基として創建。当時は広大な寺域に多数の堂塔が建ち並び、東大寺と共に栄えていたが、幾多の火災にあい、創建当時の建物はほとんど焼失。鎌倉時代に叡尊により復興されたが、戦国時代には再び火災で焼失。現在残っている本堂、愛染堂、四王堂などは江戸時代中期に建てられたもの。

愛染院:文治・建久年間(1185年 - 1199年)京都醍醐寺の寛深僧正が、後鳥羽天皇(在位1183年 - 1198年)の病気平癒祈願を、この地で行い平癒したことにより、天皇の命で寛深の信憑する、鏡覚阿闍梨を開基として、堂宇を建立したと伝わるが、天正の兵火により焼失している。その後寛文年間(1661年 - 1673年)に、実恵法印により再興され現在に至っている。

施福寺:天台宗。山号は槇尾山。施福寺は第29代欽明天皇の勅願寺です。 仏教公伝538年頃の創建で日本有数の古い寺です。役の小角、行基菩薩等の山岳修行の道場であり弘法大師 空海が勤操大徳について出家得度した寺と有名です。また山寺であるため駐車場から40分ほど登山し本堂に着きます。
西国三十三所観音霊場第4番札所、和泉西国三十三箇所第1番、西国愛染明王十七尊霊場第15番、神仏霊場大阪11番。
第29代欽明天皇の勅願寺。春の桜と秋の紅葉はすばらしい。

18:30橋本駅付近のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
17日6:30車で出発、大阪、神戸、京都方面の霊場を巡る。

増福寺:高野山真言宗。西国愛染明王十七尊霊場第10番札所。本尊は天弓愛染明王。
清和天皇の第六皇子貞純さだずみ親王を父にもつ、鎮守府将軍多田満仲公の末孫多田仲光の三男源賢げんけん和尚の開基と伝わる。
寺の名前は、一門の「福祐増進を祈るべし」という誓願が由来といわれる。
高野山にある多くの寺院は長い歴史の中で合併を繰り返してきたが、当院も華王院けおういん、常住光院じょうじゅこういん、上珠院じょうしゅいんが併合され、もともと華王院けおういんのあった場所に建っている。

福智院:800余年前に覚印阿闍梨により開かれ、ご本尊は愛染明王という福徳円満所願成就のご利益のある仏様です。 院内には、桜田門外の変で有名な井伊大老をはじめ、ゆかりの諸大名の遺品、古くは奈良時代の古美術品などが納められています。

金剛三昧院:北条政子が夫である源頼朝の菩提を弔うために建立しました。多宝塔は国宝に指定され、境内のシャクナゲ群は天然記念物に指定されています。また高野山の宿坊寺院としては唯一世界遺産に登録されています。

勝髷院愛染堂:593年聖徳太子開山。西国愛染明王十七尊霊場第一番札所。
正式名称は勝鬘院しょうまんいんだが、金堂に愛染明王が奉安され、愛染明王信仰の普及とともに、勝鬘院しょうまんいん全体が愛染堂と通称されている。
聖徳太子は、敬田院きょうでんいん、施薬院せやくいん、療病院りょうびょういん、悲田院ひでんいんからなる四天王寺を建立したが、その中の施薬院せやくいんが現在の愛染堂で、この場所である。

東光寺:高野山真言宗別格本山。正式には松泰山東光寺という。
西国薬師四十九霊場第20番札所、西国愛染明王十七尊霊場第2番札所、摂津国八十八ヶ所霊場第76番札所。
厄神堂本尊の厄神明王は愛染明王と不動明王が一体になった明王像だが、これは829年嵯峨天皇42才厄年のとき、愛染明王と不動明王が一体化し諸々の災厄を打ち払う霊威を夢幻に感得されたことを聞いた弘法大師が自ら白檀木に刻んだもの。この時刻まれたのが三体あり、国家安泰を願い高野山麓の「天野明神」へ、皇家安泰のため京都「石清水八幡宮」へ、そして一般庶民の厄払いのためこの東光寺に祀られた。しかし現存するのはこの東光寺のみとなった。

天上寺:646年孝徳天皇の勅願により、インドの法道仙人によって開創された。花山天皇、正親町おおぎまち天皇の御願寺ごがんじでもある。
新西国霊場第22番札所、関西花の寺二十五ヶ所第10番霊場、西国愛染明王十七尊霊場第4番札所、神戸七福神布袋尊霊場、神戸十三仏第2番霊場、摂津三十三ヶ所観音霊場第4番札所、摂津国八十八ヶ所霊場第80番札所、福原西国奥の院霊場、神仏霊場兵庫4番。

大龍寺:寺伝によれば、神護景雲2年(768年)、和気清麻呂によって再度山(摩尼山)山頂近くの南斜面に開かれたとされる。山号は空海が大輪田泊から唐に渡る直前と帰国直後の2度、当寺に参詣したことに由来するという。奥の院には空海作と伝わる「亀の岩」があり、空海が登山した道は大師道と呼ばれ、空海の修行地である現在の再度山公園には修法ヶ原の地名が残る。
14世紀前半は赤松則村の多々部城の構成要素であったために度々戦火を受け衰亡したが、観応年間(1350年〜1352年)、善妙上人による中興が行われ、堂宇が再建される。 現在の伽藍は江戸時代初期以降に再興されたものである。

正覚院:真言宗須磨寺派。須磨寺塔頭寺院の一つ。
西国愛染明王十七尊霊場第6番札所。本尊は愛染明王。
1925年(大正14年)失火により焼失し、1938年(昭和13年)に現在地に再建された。

大聖寺:岡山県美作市にある真言宗の寺院。山号は恵龍山(けいりゅうざん)。
本尊は本堂不動院に不動明王(秘仏)、脇仏として本坊客殿に愛染明王、観音堂に如意輪観音が祀られている。本尊不動明王は33年毎の開扉で、次回の本尊開扉大法要は2024年3月27日である。
アジサイの名所として寺領内に1万株のあじさい園を誇り「あじさい寺」の通称がある。また冬のナンテンの名所として「福寿難転(南天)寺」を称している。
西国愛染十七霊場第七番札所、山陽花の寺二十四か寺第十三番札所。

敵射寺:真言宗単立。山号は獨鈷山とっこさん。甘楽寺かぐらじとも呼ばれる。
近畿三十六不動尊霊場第11番札所、西国愛染明王十七尊霊場第3番札所、仏塔古寺十八尊霊場第16番札所、神戸十三仏満願霊場、摂津三十三ヶ所観音霊場第10番札所、郡西国第25番霊場。 581年創建。聖徳太子開山。弘法大師が境内で独鈷水の井戸を掘る。

久修園院:真言律宗別格本山。西国愛染明王十七尊霊場第12番。
正しくは、天王山木津寺こつじ久修園院くしゅうおんいんという。本尊は釈迦如来。

東寺:東寺真言宗の総本山。平安遷都2年後の796年、国家鎮護のため羅城門の東西をはさんで、東に創建された官寺。東に建てられたため東寺と呼ばれる(西寺は廃寺)。
823年嵯峨天皇から弘法大師空海に下賜され、教王護国寺となり、真言密教の根本道場となり栄えた。
西国愛染明王十七尊霊場第8番札所、洛陽三十三所観音霊場第23番、京都十三佛霊場第12番札所、京都十二薬師第2番札所、神仏霊場京都4番、真言宗十八本山霊場のひとつ。

覚性律庵:本堂のご本尊は阿弥陀如来です。
江戸時代の享保元年(1716)、得善近住という人がこの地に小庵を結んだのがこの寺の始まりだそうです。
昭和に入ってからは常住のご住職も少なくなり荒廃が進みましたが、昭和五十年に、比叡山で一期十二年の籠山行(千日回峰行)という世に知られた荒行を遂業された北嶺大行満大阿闍梨・光永澄道和尚が住職に就任し復興に着手されました。

18:20終了。帰路に向かう。

近畿圏内に点在する西国愛染十七霊場を巡り癒されました。
何回か訪れたことのある霊場、殆どが立派なビッグな霊場、広範囲に点在していたため移動に時間が掛かりましたが何とか訪れることができました。
 


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百九十九弾:東京・千葉県小京都重要伝統的建造物群保存地区観光
2019年11月9-10日

関東地方の東京・千葉に足を運び、東京・千葉に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区5か所(青梅、葛飾柴又、佐倉、佐原、大多喜)を訪れました。

9日13:53新大阪新幹線のぞみで出発
16:15品川駅到達、品川プリンスホテルに向かう...
17:00品川プリンスホテルで講演会に出席。
20:00懇親会、
21:00就寝。
10日7:00レンタカーで出発青梅に向かう。

青梅:東京の人気観光地、青梅市。昭和レトロな魅力あふれるこの街では、青梅駅周辺にある青梅赤塚不二夫会館や昭和レトロ商品博物館といった、観光地をめぐるのが定番。御岳山エリアまで足を運べば、ハイキングや御岳渓谷のウォーターアクティビティも楽しめます

葛飾に向かう。

葛飾柴又:人気シリーズ映画「男はつらいよ」の主人公・寅さんの故郷としておなじみの東京・葛飾区柴又エリア。「柴又帝釈天」「矢切の渡し」「寅さん記念館」などの観光スポットは、映画の世界そのままの人情味あふれる古き良き日本の面影が残っています。他にも、名物「草餅」はもちろん、名庭園で有名な山本亭やレトロカフェや喫茶、甘味処などのとっておきのおすすめです。

千葉に向かう。

佐倉:江戸時代の暮らしを感じられる武家屋敷に、かつて侍が歩いた竹林の小道。佐倉城を中心に発展した千葉県佐倉市は、今も城下町の面影を残す街並みが魅力です。

佐原:“北総の小江戸”と呼ばれる人気観光地、千葉県香取市佐原(さわら)。水郷の町でもあり、小野川沿いを中心とした地区は、江戸の雰囲気そのままに土蔵造りの商家や町屋が軒を連ね、大祭では豪華絢爛な山車が引き回されることでも有名です。

大多喜:千葉県の南東部に位置する大多喜町。西方には、房総半島を代表する観光名所養老渓谷があります。また、大多喜町内には2本のローカル鉄道が走っていて、流れる時間もとってもゆったり。さらに、大多喜城が見下ろす大多喜の城下町には今も江戸時代以来の商家が残り、「房総の小江戸」とまで称される観光スポットです。

16:00東京駅に向かう。

18:30東京駅到達。
19:20東京駅新幹線のぞみで出発。
21:50新大阪駅到達。

今回の旅行、東京・千葉県に点在する小京都重要伝統的建造物群5か所を訪れ楽しみました。何回か訪れた観光名称、重要伝統的建造物群を重点的に観察しながら観光いたしました。
当日は祝賀御列の儀のパレード、昼間は渋滞もなくスム‐ズに移動できましたが帰りのアクアライン手前から大渋滞、東京駅まで3時間かかりました。お疲れさまでした。




















 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第四百九十八弾:台湾台東・花蓮観光
2019年11月2-4日
    

沖縄の南方、親日で有名な国、台湾に足を運び、台湾の東方面に位置する台東、花蓮を訪れました。

2日17:45関西空港EVA AIRで出発
20:05台湾空港到達、MRTで台北経由して西門下車、駅から10分のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
3日6:30出発、西門からMRTで台北に向かう。
11:10台東駅到達。

台東:台東市は古くは「宝桑庄」と呼ばれ、卑南族と阿美族が定住していましたが、清代に福建人と平埔族が入植しました。後に枋寮の閩南人が原住民と交易するため移住し、台東地区で初めての漢族集落が形成されました。「宝桑」には台東各地の芸術文化が集まり、好運なことに自然が豊かな台東には、各民族の文化が完全な形で残り、独自に発展し、平和に共存しています。ここは文化と芸術の息吹に満ちた土地なのです。

卑南文化公園:広大な芝生と林の中に小道があり、静かで神秘的な雰囲気を漂わせています。1980年に南迴鉄路台東新駅と操車場の工事で遺跡が発見され、多くの石板棺が発掘されてメディアの注目を集めました。これがきっかけとなり、遺跡保存が進んだのです。その後10年にわたり、約1,500個の石板棺と2万点余りの石器、陶器が出土し、大量のヒスイの副葬品も見つかりました。また非常に珍しい、住宅と構造が完全な墓葬も発掘され、台湾考古史上で最も完全な考古遺跡といえるでしょう。研究によれば、この遺跡は2,000~5,000年前の新石器時代の卑南文化人の村落で、東南アジアと環太平洋地区で最大の石板棺葬墓群ということです。埋葬の方角はやや南北寄りで、聖なる山-都蘭山に向かっています。かつて集落の中心だった月形石柱は一級古跡に指定され、永遠のランドマークとされています。二階建ての木造展望台に上れば、台東平原と太平洋を一望でき、展望台下には、当時この展望台を建てる時に出土した3つの石板棺が復原されています。今でも発掘作業は進行中で、考古現場区で発掘の様子をその目で確かめることができます。またはビジターサービスセンターでは、遺跡の発掘過程と成果の展示を見学することができます。

バスで旧市街地に向かう。

台東鉄道芸術村:80年の歷史を誇る台東旧台鉄駅は、日本式鉄道文化の素朴な風貌を完全に保存しています。ここが化粧直しの末、鉄道芸術村に生まれ変わりました。古びた記憶に新たな芸術の命を吹き込み、空間と人との関わりを活発にします。ここは文化的雰囲気を備えた観光スポットです。

鯉魚山公園:鯉魚山は台東平原上にある海抜75mの独立した丘です。見た目がコイに似ているため、この名が付けられています。高くはないですが、山頂からの眺めは最高で、台東市内を俯瞰でき、しかも木々が密生し、古風な雰囲気が漂う台東市最大の緑地公園です。後の山には数本の登山道が完備され、市民が毎早朝、健康づくりに励んでいます。山の麓には鯉魚山公園、龍鳳仏堂、龍鳳宝塔、忠烈祠があり、これらがつながり、敷地面積22haの鯉魚山風景区を形成しています。八層の龍鳳宝塔は八角形をし、突出した外観が鯉魚山のランドマークとなっています。ここには、宝塔の建設過程で発掘された新石器時代卑南文化の石板棺、生活文物等が収蔵されています。

台東サイクリングロード:旧鉄道芸術村から台東新駅までの間の旧鉄道に沿って敷設された枕木道は、台東市民にとって大切な散步空間で、心地よい風景が楽しめる自転車路線でもあります。沿路住宅の外壁は美しい壁画で飾られ、この自転車の旅のため物語を編み出してくれているかのようです。疲れたなら、おしゃれなイスで休息しましょう。爽やかな風に吹かれ、花や木が揺れています。運動するお年寄り、散步するイヌまでもが、田園風景画の一こまのように思えてくるでしょう。台東森林公園内には黒森林環湖サイクリングロードが設置されています。路線の大部分は舗装されており、広々と平坦なため、親子でのサイクリングにもいいでしょう。森林公園の入口から走れば、苗床を通り、うっそうと茂る林間を過ぎ、静かな琵琶湖に出ます。湖の畔にはバードウォッチング小屋があり、ここから水鳥を観察することができます。全長約21kmのこの路線は台東山海鉄馬道と呼ばれ、台東の山、海を網羅し、原住民文化を内包します。サイクリングロードと観光スポットをつなぎ、台東市を一周するサイクリングロードネットワークとなったのです。

台東糖廠:1913年に建てられ、日本統治時代には「台東製糖株式会社」に属し、1943年には明治製糖株式会社に合併されました。その後、1946年に國民政府により管理が受け継がれ、「台東会社台東糖廠」と名前を変更しました。1957年にはパイナップル工場も併設し、東部のパイナップル事業の基礎を築きましたが、環境の変化などから1996年に操業を停止しました。その後ここを「文化創意産業園区」とし、主に台東の芸術家などのアトリエとして使用され、商品も販売しています。

17:00台東駅到達。
17:50台東駅出発。

19:15花蓮駅到達、駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
4日6:30花蓮観光

花蓮:東海岸の大都市・花蓮は、大海原の太平洋に面し、背後には“台湾の背骨”ともいわれる3000m級の中央山脈が迫る自然豊かな絶景の街。阿美族を筆頭とする先住民が住む地で、19世紀半ばに訪れた漢人が渦巻く激しい波の海を見て「洄瀾」と名づけたといわれています。その発音に近い名に改められたのが、現在の名「花蓮」。
日本統治時代には、日本人が港を築き商業港として発展。日本人移民の玄関口となったため、今でも日本文化の痕跡がそこここに感じられる身近な都市でもあります。
観光としては、先住民の舞踊を観賞できる「花蓮阿美文化村」や日本統治時代の遺構「松園別館」など、花蓮の特徴となる先住民や統治時代の日本のカルチャーにふれられる場所。また世界遺産級の「太魯閣溪谷」への玄関口となっているほか、台湾リピーターが増えた現在では、絶景を求めて近郊のビーチ「七星潭」や金針花という花の名所「六十石山」、エメラルドグリーンの湖「鯉魚潭」など穴場のフォトジェニックスポットを訪れる旅行者も増えています。

将軍府:日本時代、花蓮港陸軍兵事部部長の宿舎だったところで、第一人者は川崎明徳大佐、次は南英輔大佐、3人目でかつ最後の主となったのは中村三雄大佐でした。大佐は台湾では陸軍上校にあたります。
建物は、1936年(大正11年)に建てられ、周辺は今、日本式家屋群と呼ばれ、当時の幹部クラスの人たちの宿舎でした。戦後は国民党軍の人たちの住居となり、ヒノキ作りの中村大佐の建物が、将軍府(将軍の家)と呼ばれたのもその頃です。
2005年に花蓮県の歴史的建造物に指定されたことから撤去は免れたものの、その後、定期的な補修やメンテナンスを行ってこなかったため、台風で壊れたところはそのまま放置されたり、侵入者にドアを持っていかれたり、各所が破壊されました。2010年になって今の状態を回復したそうです。
現在は民生社区のコミュニティの方たちが、「将軍府と日式家屋群」の庭や中に入れるところの掃除を行っています。そのため、植木もきれいに刈り込まれ、靴を脱いで上がる建物も2戸あります。

松園別館:旧日本軍の軍事施設として、1943年に建てられた洋館ふうの建物。小高い丘に建てられた2階建てのこじんまりとした施設ですが、庭の松林が気持ちよく、2階からは花蓮港や街並みを見下ろすことができます。2001年には台湾の歴史百景のひとつに指定されました。花蓮駅から車で10分程度です。

花蓮鉄道文化園区:台湾東部にある花蓮市の観光スポットです。花蓮空港からは7.7km、車で18分ほど、花蓮駅からは徒歩30分ほどのところにあります。
鉄道関連施設を公園にした場所で、周囲には東大門観光夜市などもあり、夜には食事も楽しめるのがポイント。古い駅舎や職員の事務所、噴水池、警務所などからなる観光スポットで、見どころ満載となっています。SL機関車は人気の写真スポットで、家族連れでも楽しめます。
レトロな雰囲気が味わえるため、当時の暮らしに触れられるのも魅力の1つ。台湾の歴史を発見できる絶好の観光スポットと言えます。

東大門夜市:台湾の東にある花蓮県花蓮市の市場です。花蓮空港からは8kmほど、車で20分くらいのところにあります。
タロコ渓谷の玄関口とも呼ばれている花蓮市にある観光スポットのため、多くの観光客が訪れるのがポイントです。B級グルメやローカルグルメを提供するお店が並んでいる通りとなっており、安くて美味しい料理が堪能できるのが特徴。
「原住民一條街」、「自強夜市」、「各省一條街」、「福町夜市」の4つのエリアに分かれており、グルメだけでなく、ゲームコーナーも充実しています。ショーを行うこともあり、盛り上がりを見せる観光スポットです。

花蓮文化創意産業園區:日本統治時代に創建された酒造工場をリノベーションした施設です。花蓮文創園區と略称され、a-zoneの愛称も付けられています。
 1895(明治28)年、台湾が日本に割譲されると、日本軍は6月に早くも花蓮に進駐しました。1909(明治42)年には花蓮港庁を設け、花蓮地域の本格的な開発を始めました。台湾総督府は1907(明治40)年には酒造法を設けて酒に課税を開始していて、この制度に呼応するように1913(大正2)年、宜蘭振拓会社により、現在地に酒造工場「花蓮港工廠」が設立され紅酒、米酒の生産が始まります。1922(大正11)年には酒は専売制となり、工場は大きく発展します。
 ところが、第二次世界大戦の1944(昭和19)年に工場は米軍による空襲を受け、工場の3分の2が被災する大きな損害を被りました。日本の統治終了後、工場は台湾省菸酒公売局のもとで再建され、1947年酒類の生産を再開しました。1951年にはM6規模の大地震に見舞われ多くの建物と製品に損害が発生しています。そして1988年、美崙に新工場に建設されると、70年余り続いた酒類の製造に幕を下ろし、工場はその役目を終了しました。
 2002年に、工場跡地を「花蓮創意文化園區」として利用することが決定され、事務棟、倉庫、工場、宿舎などが順次修復整備され、2012年から公開が始まりました。
 花蓮文創園區には3.3haとう広い敷地に26棟の工場建物、6棟の宿舎建物が立ち並んでいます。工場、倉庫、食堂、事務所、宿舎など、建物の使用目的や建築年代に違いがあって、建物のデザインだけを見て歩いてもおもしろいのですが、それぞれの建物がレストランやカフェ、ショップ、展示場、イベント会場など様々な目的で使われているので、内部まで見ているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。

12:00花蓮駅出発、台北に向かう。
14:15台北駅到達、MRTで台湾空港に向かう。
15:30台湾空港到達。
17:40台湾空港EVA AIRで出発
21:05関西空港到達。

今回の旅行、沖縄の南方に位置する台湾に足を運び、台湾の東部に位置する台東、花蓮を訪れ楽しみました。
台湾東部の観光地は台湾鉄道を利用して訪れますが台湾鉄道の特急券手に入れるのが難しい、以前何回か失敗して訪れることができませんでしたが今回は運よくチケットを手に入れることができ訪れることができました。台東。花蓮とも市街地に点在する観光名所巡りでしたがビッグな観光名所はどちらも郊外に位置しており、数少ない市街地観光名所で数時間で観光が終了しました。
台東では時間を費やすため旧市街地は行はバスで帰りはサイクリングロード6.4kmを歩いて台東駅に戻りました。
花蓮は市街地観光後余った時間はチェックアウトまでホテルで過ごしました。

台東、花蓮とも田舎の寂れた町でもう少し時間を取り郊外にある観光名所を巡るべきですね。