飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百五弾:ベナン・トーゴ・ガーナ観光
2019年12月27日−2020年1月4日
  

アフリカ大陸の西アフリカに足を運び、かつて奴隷貿易で繁栄した国、近年は市場経済を導入、そして民主化の実現で国内は安定し貧困削減に力を入れているベナン、東日本大震災後に木材を提供した親日国、独裁体制が世襲されたが政情は安定した国トーゴ、チョコレートなどの原料となるカカオの原産としてまた、黄熱病の研究者として世界的に有名な野口英世最期の地であるガーナを訪れました。
27日15:30伊丹空港日本航空で出発
16;35羽田空港到達、バスで成田空港に向かう。
18:20成田空港到達。
20:40成田空港エチオピア航空で出発
23:20ソウル仁川国際空港到達。
28日00:20ソウル仁川国際空港エチオピア航空で出発
7:20アディスアベバ空港到達。
8;55アディスアベバ空港エチオピア航空で出発。
12:55ベナンコトヌー空港到達、バスでガンビエに向かう。

ベナン:フォン人の居住エリアに、ダホメ王国が成立(17世紀)。ダホメ王国はヨーロッパ商人との奴隷貿易を主な収入源にして銃火器を輸入、18世紀を通して周辺の国を軍事的に攻撃して繁栄した。ダホメ出身のフォン人奴隷は、アメリカ大陸のフランス領の黒人奴隷共同体の中で文化的中心となり、奴隷の子孫であるのトゥーサン・ルーヴェルチュールがハイチ革命を担うなどの出来事があった。
19世紀に入り、ヨーロッパ諸国のアフリカ分割と奴隷貿易の廃止のため、財政が破綻、最終的にはフランスによって1894年に征服、植民地となった。
1960年にダホメー共和国として独立。しかし42の民族集団が存在するためか、民族抗争が続き政情は動揺、クーデターも頻発した。1972年の5度目の政変でマチュー・ケレク政権が成立。ベナン人民共和国として社会主義路線を標榜し中国に近づく。後、ケレク政権は経済運営に失敗し、1990年代の社会主義陣営の崩壊を受け1990年にベナン共和国に改称、複数政党制、三権分立、大統領制を導入し2名の歴代大統領を選出、ヤイ・ボニ大統領が現職の3代目。
国民の大半が農業に従事する農業国で、綿花、パームオイル、トウモロコシなどが栽培されている。

ガンビエ:ベナン南部のアトランティック県の都市。 人口は約4.5万人。大西洋岸に近い潟湖であるノコウエ湖の上に広がる水上都市である。 アフリカ最大の水上都市であり、アフリカのヴェネツィアとも呼ばれ、経済首都コトヌーに近いこともあって多くの観光客が訪れる。
ガンビエは16世紀から17世紀にかけて、トフィヌ人によって建設された。 水上に都市を建設した理由は、当時は奴隷貿易の時代であり、この地方も内陸部にあるダホメ王国のフォン人の戦士によって常に奴隷狩りの危険に脅かされていたため、安全なラグーンの中に移住したためである。 家は浅い湖の中に立てられ、家々の間の行き来は船によっておこなわれる。
生業はもともとは近隣での農業であったが、現在では漁業及び養殖が主産業となっている。
ガンビエは1996年10月31日、世界遺産の暫定リストに登録された。

コトヌー市内観光
コトヌー:ベナンで最も人口が多く、外交や経済の中心となっているコトヌーは、事実上ベナン共和国の首都として機能しています。近隣諸国からの往来が交差する地点にあることから商業の中心地となり、内陸アフリカの貿易において重要な役割を果たしています。にぎわわいだサンミシェル大通りやダントプカマーケットなど見どころ。
ダントッパ市場:ベナン最大の市場。布、洋服、飲食物、闇両替まであり、とにかく人とモノに圧倒される。ナイジェリアからの買い物客もいる。
18:00コトヌー市内のホテル到達。
19;00ホテルで夕食
22:00就寝。

29日7:30バスで出発、アボメイに向かう。
アボメイ:アボメイはベナンの北中部のズー県の県都。 2012年の人口は9万195人だった。 かつてのダオメ王国時代には首都であった。 1625年頃、ダオメ王国が建国され、アボメイに首都が置かれた。
17世紀半ば〜19世紀後半、フォン族が土製建造物群であるアボメイの王宮群を建てた。 1892年11月、独立国としてのダオメ最後の王ベアンザン(Behanzin)はフランス植民軍に敗れ、町に火を放った上で北に逃れた。
フランス植民軍は町を再建し、海岸と鉄道で結んだ。 1985年、「アボメイの王宮群」がUNESCOの世界遺産に登録された。
町は長さ約10kmと見積もられている円形の泥の壁と6つの門に囲まれ、西アフリカでの要塞防衛としては普通に見られたアカシアの密生した1.5mの深い溝に守られている。 壁の内側に集落があり、王宮や市場、バラックの並ぶ大きなスクウェアなどがある。 首都機能を失った現在も、観光客が訪れる。

王宮博物館:トーゴとナイジェリアに挟まれたアフリカ西岸の細長い国ベナン。2017年現在、この国で唯一の世界遺産が「アボメイの王宮群」です。
現在のベナンの南部地域には、17〜19世紀にかけて地元アフリカ人によるダホメ王国が存在していました。その都だったのが、ベナン内陸の町アボメイ。かつては長さ10kmほどにわたり、土製の壁と門が町の周囲を巡り、その内側には12の王宮があったとされています。
1985年に登録され、竜巻被害により危機遺産にも入れられていましたが、ベナン唯一の世界遺産として同国が修復を進め、現在では観光名所として復活しています。

ウィダー:アボメイはベナンの北中部のズー県の県都。 2012年の人口は9万195人だった。 かつてのダオメ王国時代には首都であった。 1625年頃、ダオメ王国が建国され、アボメイに首都が置かれた。
17世紀半ば〜19世紀後半、フォン族が土製建造物群であるアボメイの王宮群を建てた。 1892年11月、独立国としてのダオメ最後の王ベアンザン(Behanzin)はフランス植民軍に敗れ、町に火を放った上で北に逃れた。
フランス植民軍は町を再建し、海岸と鉄道で結んだ。 1985年、「アボメイの王宮群」がUNESCOの世界遺産に登録された。
町は長さ約10kmと見積もられている円形の泥の壁と6つの門に囲まれ、西アフリカでの要塞防衛としては普通に見られたアカシアの密生した1.5mの深い溝に守られている。 壁の内側に集落があり、王宮や市場、バラックの並ぶ大きなスクウェアなどがある。 首都機能を失った現在も、観光客が訪れる。
ブードゥー教の聖地であり、また奴隷貿易に関する史跡が数多く残る町。奴隷貿易が行われていた時代は、ベナンを始め、南サハラからの多くの奴隷が、このウィダから船に乗せられ、北アメリカやカリブ諸島、ブラジルなどに連れていかれた。ベナンの文化や歴史を知るにはぜひとも訪れたい場所の一つである。

奴隷街道:かつて奴隷達が大西洋岸の船着場まで歩かされた道で、現在は海岸や帰らずの門へのアクセスルートになっている。

忘却の木:現在は木が無くなっており、石碑があるのみ。木のまわりを男は9回、女と子供は7回ると、過去の全ての記憶を忘れることができると言われていた。

ゲート・オブ・ノー・リターン:奴隷街道の終点、「帰らずの門」。門は1995年に建設された。かつては、この海岸から小船に載せられ、沖合いに停泊している大型船に乗せられ、アメリカ大陸やカリブ諸島へと連れて行かれた。

ウィダー博物館:もともとはポルトガルの要塞だった建物を、現在は博物館として公開している。奴隷貿易に関する資料と、奴隷としてブラジルやカリブ諸島に渡った人たちに関する資料を展示している。

ブードゥの聖なる森:ブードゥー教の神々がまつられている森。摩訶不思議な姿をした「神様」が何十体も並べられている。中には、ジブリのアニメ「天空の城ラピュタ」に出てくるような金属ロボットの姿をした神様までいる。

トーゴの首都ロメに向かう。

ロメ到着
トーゴ:アフリカにトーゴ共和国という小国がある。在留邦人が数人しか居ないので、あまり馴染みのない国だ。しかし、2011年の東日本大震災時、いち早く日本に駆け付けた大統領はトーゴの大統領である。宮城県仙台市を訪れ、復興支援としてチーク材が贈呈されている。
トーゴ共和国は西アフリカ地域に位置し、ヨーロッパから6時間のフライトで到着する。西にはガーナ共和国、東にはベナン共和国、北にはブルキナファソがある。660kmに広がった通路のような形をしていて、南は50kmに渡って大西洋に面している。面積は54,390?で、日本の面積の7分の1程度。熱帯性気候であり、南東に吹くモンスーンと呼ばれる海洋風により雨がもたらされ、またハーマタンという乾燥した風によって夜は寒く日中は暑くなる。全土において平均気温は20度で、わたしが生まれた京都よりも遥かに過ごしやすい感じがある。

ロメ:トーゴの首都ロメは、南北に細長い国土の南端、ギニア湾に面して広がっています。同湾内では安定した水深が得られることから、コーヒー豆やカアオ、コプラ、パームヤシなどの輸出港として発展しています。ロメ空港は市街のど真ん中にあり、アフリカの西岸の都市としては、比較的アクセスのしやすいところ。とはいえ直行便はないので、アジスアベバやパリなどを経由する必要があります。

19:30ロメ市内のホテル到着
19:30夕食
22:00就寝
30日8:30バスで出発
ロメ市内観光

独立広場:ロメの議事堂前に堂々と建つ独立記念碑。トーゴが1960年4月27日にフランスから独立したことを記念してつくられたモニュメントです。
人間の形に穴の開いた碑板の向こうに、もう1つ別の銅像が見えるという独特のデザインをしていて、ロメの観光撮影スポットとして人気です。
周囲は広々とした公園になっているので、ロメ観光の休憩ポイントとしても利用できます。

ブードゥー市場:「ロメ」とは現地の言葉で「小さな市場」という意味ですが、それとは真逆に、ロメの観光名所の筆頭に挙がるのは、アフリカでも有数のグラン・マルシェ(大市場)です。
ロメ大聖堂から南に延びるブールヴァール沿いに、さまざまな日用品や雑貨などを売るお店が立ち並んでいます。購入はしなくても、雰囲気を楽しみながら歩いているだけで、ロメの良い観光の思い出になりますよ。
また、勇気のある人は、同じくロメ市街のアコデッセワ地区にあるフェティッシュ市場を訪ねてみてください。ここは、ギニア湾北岸地域の民間信仰ブードゥー教に関するグッズが何でもそろうところ。ヤギやコウモリ、ネズミ、イヌetcetc...たくさんの動物の頭蓋骨や干物など、魔術や儀式の材料が所せましと並べられています。

国立博物館:ロメの海浜沿いにあるギニア湾国際博物館。国立ではなく、スイスの実業家が建設した私立の博物館です。
こじんまりとしていますが、ギニア湾交易の歴史に関する資料が充実していますよ。ほかにも、アフリカの民族アートの作品などが展示されていて、ロメやトーゴの歴史と民俗について学べる観光スポットです。

ガーナ首都アクラに向かう。

ガーナ:ガーナ共和国(ガーナきょうわこく)、通称ガーナは、西アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にトーゴ、北にブルキナファソ、西にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はアクラ。
脱植民地化が活発であった最中の1957年に、サハラ以南のアフリカにおいて初めて現地人が中心となってヨーロッパの宗主国から独立を達成した国家である。イギリス領ゴールド・コーストと呼ばれていたが、独立に際して国名をガーナに変更した。初代大統領ンクルマは、アフリカ統一運動を推進したことで有名。ダイヤモンドや金を産出する。カカオ豆の産地としても有名。2010年12月から沖合油田で原油・ガス生産が始まり、国際的に大きな注目を集めている。

アクラ:アクラは、アフリカ西部ギニア湾に面したガーナの首都。海岸から20 kmほど内陸まで都市が広がる。 2012年の統計によると人口は2,291,352人。ガーナ最大の都市であり、政治、経済、通信、交通の中枢である。

20:10アクラ市内のホテル到着
20:30夕食
22:00就寝
31日7:30バスで出発

ケープコースト城塞:海に面した街のケープコーストは、当時の奴隷貿易拠点のひとつでした。ここから黒人奴隷がヨーロッパへ輸出されていたのです。ケープコースト城は「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。
ガーナの沿岸部には、イギリスやオランダをはじめとするヨーロッパ諸国が建造した西洋式の城塞群が現存しています。ケープコースト城はその城塞群のうちで、最も有名なものです。ケープコースト城は、1653年にヨーロッパの商人によって建設されました。当初は木造建築でしたが、1663年に石を用いて再建築されました。
もともとは金や木材の貿易のために建設されたものでしたが、18世紀頃になると、奴隷貿易の拠点として使われるようになりました。

エルミナ:ガーナ南部,ベナン湾岸の町。ポルトガルの交易所として建設され,1482年にはセント・ジョージ要塞が築かれた。この要塞を中心にポルトガルはエルミナ植民地を形成し,同地域の貿易を独占。その後 15世紀末から 18世紀にかけて,オランダ人,イギリス人,デンマーク人,スウェーデン人らによって同様の植民拠点がベナン湾一帯,約 500kmにわたり設けられ,世界でも類をみない一連の交易所群を形成した。ヨーロッパの物品を金,象牙,香辛料などと交換し,のちには奴隷貿易の中心となった。スウェーデン人はケープコーストに,デンマーク人はアクラに,オランダ人,イギリス人はセコンディタコラディにそれぞれ城塞を築いた。現在,博物館,刑務所,学校などとして利用されているこれらの城塞跡は,1979年世界遺産の文化遺産に登録。

セントジョージ城塞:エルミナの街は3.3万人居住。1471年ポルトガル人が上陸。1482年この要塞を作ります。初めは、奴隷貿易でなく金・象牙貿易で平和的でここはその倉庫であった。1492年、コロンブスもここに3日間滞在し、ここからアメリカに行きました。1672年オランダ人がポルトガル人を追い出し、奴隷貿易を始めた。1872年イギリス人の城壁となった。ポルトガル155年 オランダ235年 イギリス85年と支配されていました。

21:00ホテルで夕食
22:00就寝
1日9:30バスで出発
アクラ市内観光

ノグチ・メモリアル・ガーデン:西アフリカの中でもガーナの人々がとりわけ親日的なのは、野口英世のおかげで、その野口英世が黄熱病の研究をしていた場所が、ガーナ大学医学部付属病院の敷地内にあり、今でも細菌の研究が行われている。その一角には「野口メモリアルガーデン」があり、日本庭園には銅像も建っている。
ガーナ大学病院はかなり大規模な病院。その一角に日本庭園があり、ドクター野口の銅像が建っている。

ガーナ大学内の野口記念医学研究所:ガーナの首都・アクラのコレブ地区にある野口記念医学研究所を訪ねました。野口英世といえば、あの1000円札の偉人ですが、アクラでの黄熱病研究の最中、
自らも黄熱病に倒れ51歳で亡くなりました。彼が研究に力を注いだ研究所はコレブ病院として現代に受け継がれています。

棺工房:アフリカ西部にあるガーナ共和国のガー族は、巨大な魚やミシンなど、生前の生活を象徴するさまざまな形の棺で死者を弔う。最近は、ベンツや、ナイキのスニーカーの形をした棺まで登場している。シンプルな四角い棺など、もはや時代遅れだ。アフリカ西部にあるガーナ共和国のガー族は、過去約50年間にわたり、「空想力あふれる棺」をデザインして死者を弔ってきた。
この永眠の場所は、中に眠る人を象徴するように作られている。漁師なら木製の巨大な魚の中に横たわり、「お針子」ならミシンの中に入れられるといった具合だ。
西洋諸国からガーナへの輸入量が増加し続けるのにともない、この空想力あふれる棺に現代的な要素がより多く取り入れられ、さらにお金がかけられるようになってきた。
今日では、メルセデスベンツや、ここに挙げたナイキのスニーカー(写真はブルックリン美術館で撮影したもの)のような棺もある。
この風習は首都アクラの郊外にあるテシという町で1951年から始まり、最初は飛行機の棺が作られた。美しく着飾った故人を入れた棺を皆でかつぎ、賑やかに練り歩く葬儀が盛大に行なわれるという。

初代大統領エンクルマの霊廟、エンクルマ記念公園:ガーナの首都アクラにある霊廟。ガーナの独立運動の指導者で初代大統領に就いたクワメ=エンクルマの墓がある。ギニア湾を望むエンクルマ記念公園内に位置する。

夕食:中華料理

2日バスでアコラ市場

アコラ市場:マコラマーケット(Makola Market)は首都アクラで最大のマーケットです。市民生活のためのマーケットは、「ガーナ経済の心臓」とも言われています。いつも人々の熱気と、強烈なにおいと、騒音に溢れるとてもアフリカらしい場所です。エネルギッシュなガーナを全身で感じることができます。
お土産に人気のアフリカ布を買い求めるなら、ぜひ品揃えの豊富なマコラマーケット。

12:20アクラ空港エチオピア航空で出発
21:00アディスアベバ到着
22:35アディスアベバエチオピア航空で出発
3日15:45ソウル仁川国際空港到達
16:50ソウル仁川国際空港エチオピア航空で出発
19:40成田空港到達、成田」エアポート空港ホテル宿泊
4日7:00バスで羽田空港に向かう。
10:30羽田空港日本航空で出発
11:40伊丹空港到達

今回の旅行、アフリカ大陸の西アフリカに位置するベナン、トーゴ、ガーナに足を運び、7泊8日の旅、満喫しました。
観光名所は奴隷貿易に関連した数か所の施設と野口英世のゆかりの研究所などで多くなく、ゆっくり時間をかけて訪れることができました。

奴隷貿易は黒人の自由を奪い、短い人生を、過酷な労働に導き、アウスピッツ収容所よりも悲惨な出来事して受け止めました。また黄熱病を研究した野口英世はアフリカ諸国に多大な貢献を与えたことが勉強になりました。

これから発展途上の西アフリカの国々、多産系で人口も急速に増加傾向、中国が進出し、急速に発展しているアジアの国々の影響を得て今後の発展が期待できる国々が目白押しです。楽しみです。

まずはどの国も人口増多による、道路の渋滞、早く鉄道等、インフラの整備充実に力を入れて観光客が訪れやすく、観光しやすくしていただきたいです。期待しています。










































飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百四弾:岐阜県近江湖西二十七名刹観光
2019年12月21−22日
  

近畿地方の滋賀県に足を運び、びわ湖百八霊場の近江湖西に点在する霊場二十七名刹を訪れました。 

21日12:30車で出発、第二京阪京滋バイパス経由して滋賀県に向かう。

龍音寺:

正法寺:

石山寺:

西徳寺:

近松寺:

三井寺:

16:30大津市内のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
22日7:00車で出発、湖西の霊場巡り。

盛安寺:

滋賀院:

律院:

西教寺:

生源寺:

来迎院:

法光寺:

安養院:

眞迎寺:

東光寺:

浮御堂:

延暦寺横川中堂:

15:00終了、帰路に向かう。

今回の旅行、近場の滋賀県に足を運び、滋賀県湖西に点在するびわ湖百八霊場の近江湖西に点在する霊場二十七名刹を訪れ茶のしみました。立派な霊場が目白押しでした。今回でびわ湖百八霊場すべて巡りました。 

















飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百三弾:山口県小京都重要伝統的建造物群保存地区観光
2019年12月7−8日
   

中国地方の最西端山口県に足を運び山口県に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地6か所(唐戸、長府、佐々並市、仙崎、萩、津和野)を訪れました。

7日14:25新大阪新幹線のぞみで出発
15:50広島駅到達
15:55広島駅新幹線こだまで出発
17:06新下関到達、駅前のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
8日8:00レンタカーで出発、

唐戸:下関駅・唐戸エリアは、中世より九州や大陸へ渡航する船が出入りする港町として栄えてきました。
これまでの歴史の中で有名・無名問わず様々な人が行き交い、留まり、この地に多くの足跡を残してきました。そのため、唐戸エリアには様々な時代の史跡が存在しています。下関の中でもとりわけ多くの観光スポットが唐戸エリアに集中しているのは、明治の市制施行以来、市役所をはじめとして主要な施設がこの地に建てられ、下関市の中心地となっているためです。

長府:平成25年度の「都市景観大賞」の都市空間部門 大賞を受賞!長府は、古代から中世にかけて政治・文化の中心地として栄え、近世に入ると毛利秀元が初代長府藩主となり城下町が誕生しました。
しかし元和の一国一城令によって廃城となり、現在石垣だけが残っています。現在みる町並みは、毛利氏がこの地に居を構えて以来の藩政時代に築かれた大小数々の武家屋敷跡で、山手に入ると侍町があり、家老職など格式の高い家臣が住んでいた屋敷町です。今も多く残る門長屋や土塀は、風雪にたえて来た年輪の重みを伝えています。

佐々並市:佐々並市は、萩市の南部を占める旧旭村の南縁に位置する農村集落で、かつての萩城下町と三田尻(防府市)を結ぶ萩往還の中間点に位置することから、参勤交替の際などに藩主が休息する御茶屋を中心とした、宿駅機能を有する集落として栄えました。
 佐々並市の町並みは、江戸初期に農業を基盤としつつ、萩往還の整備に伴って宿駅機能を備えた町並みとして成立し、近年に至るまで町並みの地割に大きな変化はなく、かつこの町並みの特徴を示す建築物や工作物、環境物件が現在まで数多く残っています。
平成23年に国選定重要伝統的建造物群保存地区に選定され、堀内地区・平安古地区(昭和51年選定)、浜崎(平成13年選定)と合わせ、萩市の重伝建地区数が4地区となり、ひとつの市町村に所在する数としては京都市とともに全国最多となっています

仙崎:古くからの漁港の町仙崎は、風情のある小さな路地が点在する時間のゆったり流れる静かな町です。
長門市の観光名所といえばやはり青海島の海上アルプスです。海から望む奇岩の数々はまさに絶景! クジラの形をしたカラフルな観光船で回ります。
仙崎出身の童謡詩人・金子みすゞさんを偲んで建てられた「金子みすゞ記念館」は往時を再現した 金子文英堂やみすゞの部屋展示ギャラリーなどで構成された誰もが楽しめる場所です。
近郊では、湯本の大寧寺・三隅の「香月泰男美術館」・油谷の棚田・日置の千畳敷・ 秋吉台・秋芳洞などが見所です。

萩:
城下町の古い町並みや萩焼、そして吉田松陰、高杉晋作など維新の原動力となった勤皇の志士たち などなど「来てみるまでは、萩が山の中にあると思っていました。」とおっしゃる方が意外に多いのですが、萩は日本海に面しています。阿武川の下流が松本川と橋本川に分かれ、それぞれが日本海へと通じる三角州の上に発達したまち、つまり、水の都ともいえるのが萩のまちです。
そして、三角州の西端写真中央に、ぽつんと見えるきれいな三角形の山が指月山(しづきやま)で、いまから約400年前、この山のふもとに萩城が築城されました。慶長9年(1604)、関ヶ原の合戦の後、毛利輝元卿(毛利元就の孫)が防長二州36万石の居城として萩城を築城し、明治維新に至るまでの約260年間にわたって、萩は防長二州の中心として栄えました。
その城下町のたたずまいや、当時の町割りなどがよく残されていて、江戸時代の城下町絵図をそのまま用いることができる『古地図で歩けるまち』です。

島根県津和野方面に向かう。

津和野:山の緑に映える朱の鳥居が印象的な城下町、津和野。山陰の小京都として名高いこの街には、蒸気機関車の終着点、城下町時代の古いたたずまいを残す殿町通り、千本の鳥居からなるトンネルが壮観な太鼓谷稲荷神社など、数々の癒しのスポットがあります。歴史を感じる建物も多い。
“明治維新胎動の地”であり歴史が息づくまち・萩は、屋根のない広い博物館=「萩まちじゅう博物館」。世界遺産「明治日本の産業革命遺産」や大地と人とのつながり「萩ジオパーク」など、歴史、文化、そして美しい自然とみどころがいっぱいです。

16:30終了、徳山駅に向かう。
18:10徳山駅到達。
18:35徳山駅新幹線のぞみで出発。
20:18新大阪駅到達。

今回の旅行、中国地方の最西端山口県に足を運び山口県に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地6か所(唐戸、長府、佐々並市、仙崎、萩、津和野)を訪れ楽しみました。

何回か訪れたことのある、歴史的深い町、山口県の近くに位置する津和野まで足を延ばし歴史的建造物巡り癒されました。