飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百四十六弾:島根県出雲市駅、出雲大社前駅、松江駅散策観光
2020年10月31-11月1日




山陰地方の島根県に足を運び、出雲市駅、出雲大社駅、松江駅周辺を散策観光しました。

10月31日14:25伊丹空港出発、
15:15出雲空港到達
15:25バスで出雲市駅に向かう。
15:55出雲市駅到達、駅周辺散策

出雲市駅:出雲市駅(いずもしえき)は、島根県出雲市駅北町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。
隣接する一畑電車北松江線の電鉄出雲市駅(でんてついずもしえき)がある。
JR山陰本線の主な列車が発着する拠点駅であり、岡山方面から伯備線を経由する特急はこの駅で折り返す。また、当駅から米子駅までの間は全快速列車が各駅に停車する。2009年3月14日の「はやぶさ」・「富士」の廃止により、定期運転の寝台特急(「サンライズ出雲」)が発着する日本最西端の駅となった。
直営駅でかつては構内に出雲鉄道部が置かれ、かつ管理駅でもあったが2008年6月の組織変更による解体により松江駅傘下の地区駅(駅長配置)となり、松江駅から管理業務の一部を委任される形となった。
なお、JR・一畑電車の当駅は松江駅・半高架の出雲科学館パークタウン前駅と並んで島根県内では数少ない高架駅でもある。

17:30出雲市駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。

11月1日6:17電鉄出雲市駅出発、川跡駅乗り換え

電鉄出雲市駅:大正3年4月に開設。当時は地上駅で「出雲今市」と称していました。
昭和39年に当時の国鉄出雲市駅から独立し、電鉄出雲市に改称。当時は一畑百貨店、バスターミナルを併設しており、国鉄と線路がつながっていたので、車両の行き来ができました。
昭和48年に貨物列車が廃止されるまで貨車のやりとりが行われ、昭和39年まで非電化の立久恵線が出雲市~出雲須佐間で営業してました。
平成12年12月に現在の高架駅となりました。

一畑電車:松江と出雲をつなぐ観光にも便利な一畑電車。宍道湖や野山の四季の風景を眺めながらのんびり車窓の旅。のどかな田舎の風景をガタゴト走り、県都松江市と出雲市の42.2キロをつなぐローカル鉄道「一畑電車」。
地元では"バタデン"の愛称で親しまれており、地域住民の生活路線としての役割はもちろん、松江城や出雲大社への観光移動手段としても年間多くの人に利用されています。
車窓からは広々とした田園風景や、日本で7番目の大きさを誇る宍道湖の四季の風景が楽しめ、ローカル線ならではの旅情を感じられます。
特に「日本の夕陽百選」に選ばれた宍道湖の夕景は絶景で、冬の時期には湖岸を走る電車から湖の美しい夕焼けを見ることができます。

6:40出雲大社駅到達、散策観光
出雲大社前駅:昭和5年2月開設。大社線の開通により一畑電車の路線が完成しました。開設当時は「大社神門」と称しましたが、昭和45年10月に現在の「出雲大社前」に改称しています。
「旧国鉄大社駅」が和風の神殿を模した造りであるのに対し、こちらはモダンな洋風建築となっており、平成8年に国の登録有形文化財に指定されました。
教会を連想させるカラーグラスが窓にはめ込まれており、時間帯や天候によりカラーグラスを通った光が床に鮮やかな模様が描き出されます。

出雲大社:縁結びの神様として名高く、神話のふるさと出雲を象徴する出雲大社。
神々の国と呼ばれる出雲の地に、その象徴のように建つ出雲大社。八雲山を背にした境内には森厳な空気が漂い、数千年の歴史を持つ神殿が厳かに建っています。空を突き刺すような本殿屋根の千木を仰ぎ見ると、壮大な神代の世界も想像に難くありません。神々が集い、古代より人々から仰ぎ尊ばれてきた出雲大社。

9:11出雲大社駅出発、川跡駅乗り換え
10:14松江しんじ湖温泉駅到達、散策

松江しんじ湖温泉駅:昭和3年4月開設。松江まで開通した当時は「北松江」と称していました。
昭和45年、ボーリング掘削により当地から70度を超える温泉が湧出したことから「松江温泉」に改称。平成14年には温泉街がイメージアップを図る目的で「松江しんじ湖温泉」としたのに合わせ同名に改称しました。
開業当時から昭和40年代中頃までは、ホームの先まで宍道湖でしたが、埋め立てによって温泉旅館街になりました。
平成13年に駅舎が現在のガラス張りの物に建て替えられ、同時に駅前も整備。整備された足湯は市民や観光客の憩いの場となっています。この足湯を含め温泉街の源泉は西へ約800mの所にあり、お湯かけ地蔵が祀られています。毎年8月24日の縁日にはたくさんの人で賑わいをみせます。

松江:北は日本海に接する島根半島の北山山地、宍道湖と中海、南は中国山地に挟まれた地域に広がる都市。松江藩の城下町を中心に発展してきた山陰最大の人口を擁する中心都市であり、鳥取県の米子市とともに中海・宍道湖・大山圏域の中核を担う。
宍道湖から中海に注ぐ大橋川によって松江の市街地は南北に二分されている。宍道湖畔、大橋川の両岸に築かれた町であることや松江城下の堀川の保存状態も良いことから「水の都」とされ、水郷水都全国会議の第1回会議は松江市で開催された。
松江駅:松江駅(まつええき)は、島根県松江市朝日町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。
島根県の県庁所在地である松江市の中心駅。特急や寝台列車を含めたすべての旅客列車が停車する。

15:05松江駅バスで出発
15:50出雲空港到達
18:55出雲空港出発
19:50伊丹空港到達

今回の旅行、山陰地方の島根県に足を運び、出雲市駅、出雲大社駅、松江駅周辺を散策観光し楽しみました。
今までは、車で観光地を訪れていましたが、今回からは全国主要な駅を訪れ、駅を出発点として周辺の観光地を散策観光しました。
個別の観光地は熟知していますが、ロケ-ションが今一、マップを理解し観光名所の位置ずけを把握のため散策観光しました。
おかげでロケーションばっちり、土曜日の昼から日曜日の夜までに5万歩歩き満喫しました。
足腰を鍛えることができ、有名観光地をおさらいすることができました。

































 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百四十五弾:新潟県大仏巡り観光
2020年10月24-25日


甲信越地方の日本海に面した東西に細長い新潟県に足を運び、新潟県に点在する大仏3か所(白馬大仏、弘願寺弘法大師像、越後の里親鸞聖人)を訪れました。

24日15:35伊丹空港出発
16:35新潟空港到達、レンタカーで新潟市内に向かう。
15:30新潟市内のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
25日6:00レンタカーで出発、糸魚川方面に向かう。

白馬大仏:開眼は1969年(昭和44年)、入魂式は1972年(昭和47年)10月27日[1]。宗教法人白馬大仏教会管長で白馬観光ホテル社長である金田義孝によって建立された。
座像である。
高さは、台座共23.5メートル、前巾18メートルで世界最大とのことだが、あくまで建設当時のものであり、現在はどうであるか不明。
眼球と白毫はヒスイ、唇はメノウ。
公式サイトでは「内部五階にて各階とも展望絶佳」とされているが、当時既に3階までしか登れず4階と5階は閉鎖されて展望用の窓も全て塗りつぶされていた。現在は内部に入る事が出来ない。

新潟市内方面に戻る。

弘願寺弘法大師像:新潟は古町の弘願寺。その弘願寺屋上には、高さ10mほどの大きな弘法大師像が祀られています。建物部分の高さも入れると、その高さは20mほど。
 普段は商店街のど真ん中に立ち、買い物へ向かう下々のものを見下ろしているこの弘法大師像なんですが、近くの商業ビルから見下ろすことができます。

越後の里親鸞聖人:総合会館西方の湯は、奉賛会事務局と同じく、全高40mに達する親鸞聖人立像が目印の宗教施設の一部であるが、入浴料を払えば誰でも利用が可能な温泉施設となっている。

14:00終了、新潟空港に向かう。

14:30新潟空港到達。

15:35新潟空港出発。
16:45伊丹空港到達。

今回の旅行、甲信越地方の日本海に面した東西に細長い新潟県に足を運び、新潟県に点在する大仏3か所(白馬大仏、弘願寺弘法大師像、越後の里親鸞聖人)を訪れ楽しみました。

3つとも巨大仏像で民間が建立されていました。景気の影響か、整備されていなくみすぼらしくさびれていました。








 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百四十四弾:群馬県・栃木県大仏・塔・古墳巡り観光
2020年10月17-18日


北関東地方の群馬県、栃木県に足を運び、群馬県、栃木県に点在する大仏・塔・古墳9箇所(日光東照宮五重塔、鷲子山神社大フクロウ像、平和観音、白蛇観音、中之嶽神社だいこく様、高崎白衣大観音、綿貫観音山古墳、八幡観音塚古墳、保渡田古墳群)を訪れました。

17日13:57新大阪新幹線のぞみで出発
東京経由して
17:22高崎駅到達、レンタカーで高崎市内のホテルに向かう。
18:00ホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
18日5:00レンタカーで出発、日光に向かう。

日光東照宮五重塔:日光東照宮の最初の五重塔は、慶安3年(1650)に初代若狭小浜藩主の酒井忠勝が寄進したものでしたが、文化12年(1815)に焼失しました。その後、文政元年(1818)に十代藩主酒井忠進が再建したのが現在の五重塔です。
 高さは36m。極彩色の日本一華麗な五重塔で、初層軒下には富田宿(現大平町)の名工 後藤正秀が手がけた十二支の彫刻があります。また、初層内部にも漆塗り・彩色・漆箔がきらびやかに施されています。
 塔を貫く心柱は事例の少ない懸垂式で、礎石には据えられず、四重から吊り下げられて浮いています。これは、時を経て重みで塔身が縮んだ際にも、心柱が五重の屋根を突き抜けてしまわないよう、江戸時代に考え出された工法です。
 こうした工法が可能であったのは、五重塔の心柱が構造上塔身から独立して、先端の相輪だけを支えているためですが、一方で、そのように塔身と分離した心柱は、免震の機能を果たすとも考えられてきました。東京スカイツリーのデザイン監修者である元東京藝術大学学長 澄川喜一氏によれば、この五重塔の免震機能はスカイツリーの制振システム(心柱制振)にも応用されたといいます。
 五重塔は地震に強いと言われる通り、日光東照宮の五重塔も幾度かの大地震を乗り越えて健在です。そして今も、標高645mの日光山内にあって、スカイツリーの高さに呼応するが如く屹立しています。

那須に向かう。

鷲子山神社大フクロウ像:鷲子山の御祭神は、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)といわれる鳥の神様です。古い時代よりフクロウが、大神様の御使い・幸福を呼ぶ神鳥として崇敬されています。境内には日本最大級の大フクロウをはじめ多くのフクロウ像があり、運気上昇・金運の福徳・パワースポットとして、全国より多くの方々が来山されます。

宇都宮に向かう。

平和観音:宇都宮市内にある、石の里・大谷。 大谷石の採掘場跡の岩壁に彫られた大観音像。その高さは27m。階段で展望台まで登ると町並みを一望することができます。この大観音像は、戦没者の慰霊と世界平和を祈念するために彫り始められ、そのすべてが手彫りで制作されています
平和観音は、特撮テレビ番組「五星戦隊ダイレンジャー」に中国奥地にあるというダオス文明の遺跡として登場したり、「光戦隊マスクマン」の最終回に登場したり、  「ウルトラマン80」に、平和観音の後光で怪獣を撃退するエピソードがあったりすることでも有名です。

群馬大田に向かう。

白蛇観音:観音は人々のあらゆる災難を救う菩薩として信じられ、又蛇類は昔から医薬商業の神として崇められ神話伝説の中にも数多く登場しております。特に白蛇は古くから根強い信仰があります。この白蛇観音は、広く世の人々の家内安全、無病息災、交通安全を祈念するとともに研究などの犠牲になった蛇類の霊を供養するために建立されたもの。

下仁田方面に向かう。

中之嶽神社だいこく様:何故剣を持っているかにつきましては、不動明王とだいこく様が習合した姿と言われる説、中之嶽神社の神宝が剣であることから、だいこく様も剣を持ってという説があります。
この剣が厄や悪霊を祓うといわれており、本来の福徳を授ける御利益と厄を払う御利益を持つだいこく様です。特に甲子(きのえね)の日にお参りすると、御利益があるといわれております。

高崎に向かう:

高崎白衣大観音:観音山の山頂、標高190メートルの地点にある、高さは41.8メートル、重さは5,985トン、親指の太さは直径0.4メートルのコンクリート造りの観音像で、昭和11年(1936年)に実業家井上保三郎によって建立されました。原型製作は伊勢崎市出身の彫刻家森村酉三。
観光地としての他、関東八十八ヵ所霊場第一番札所として多くの拝観客訪れるほか、東国花の寺百ヶ寺のひとつに選ばれ、全山約三千本の桜をはじめ四季を通じて様々な草花を楽しむことができる市民憩いの場ともなっています。
胎内は9階建てで拝観することができ階段で肩まで登ることができます。胎内には20体の仏像が安置され、最上階からは高崎市街地はもとより、上毛三山をはじめ遠く日光連山、秩父連山、八ヶ岳連峰など望むことができます。観音像は平成10(1998)年に「たかさき都市景観賞」受賞、平成12(2000)年には国の「登録有形文化財」に指定されました。建立されてから高崎のシンボルとして愛され、その慈悲深い優しいまなざしはまるで私たちの平和を見守っているかのようです。

綿貫観音山古墳:高崎市南東部の綿貫という所に、観音山古墳という前方後円墳と呼ばれる形の長さ100メートルにも及ぶお墓があります。これは今から約1,400年以上前の6世紀後半に造られたものです。現在の高崎市を中心とした地域を支配した人のお墓です。
また、石室の前には武人や巫女などの人物や馬などをかたどった埴輪と呼ばれる土製の人形が置かれていました。埴輪の表現については、葬儀の様子を表したものと考える人もいますし、様々な考えがあります。

八幡観音塚古墳:
観音塚古墳は6世紀末から7世紀初頭頃に築造された前方後円墳で、現況では墳丘全長約97メートル、前方部は前幅が91メートル、高さが14メートルあり、後円部は径74メートル、高さが12メートルあります。後円部に比べ前方部が大きく、前方部4段、後円部3段の構造であると考えられます。墳丘の周囲で周堀が確認されていますが、二重であるのか一重であるのかはわかっていません。観音塚古墳の大きな特徴は、横穴式石室とそこから出土した豪華な副葬品にあります。石室の大きさは東国最大級であり、特に石材の大きさが注目されます。最大のものは天井に使われている石で、奥行きが4.5メートル、幅が3.4メートル以上あり、重さも約50トンと推定されています。こうした巨石を使用した横穴式石室はこの地域ではみられなかったものであり、他地域からの技術が導入されたことがうかがえます。太平洋戦争末期の昭和20(1945)年3月、空襲に備え地元の人たちが防空壕を掘ったとき、横穴式石室の入口が偶然発見され、そのなかから膨大な副葬品がみつかりました。銅鏡・銅鋺(どうわん)・刀剣類・馬具・工具類(鉄斧など)・須恵器などです。

保渡田古墳群:八幡塚古墳、二子山古墳、薬師塚古墳の3つの前方後円墳が集積する古墳群。三つの古墳は、約1,500年前の豪族が葬られた墓で、いずれも墳丘長約100メートルの前方後円墳。広大な二重の堀を巡らし、多量の埴輪を立て並べていました。

17:30終了、高崎駅に向かう。

18:38高崎駅新幹線で出発。

東京経由して

22:21新大阪駅到達。

今回の旅行、北関東地方の群馬県、栃木県に足を運び、群馬県、栃木県に点在する大仏・塔・古墳9箇所(日光東照宮五重塔、鷲子山神社大フクロウ像、平和観音、白蛇観音、中之嶽神社だいこく様、高崎白衣大観音、綿貫観音山古墳、八幡観音塚古墳、保渡田古墳群)を訪れ楽しみました。

大仏は、巨大大仏、漫画ぽい大仏、楽しめました。古墳に関しては、大阪の百舌鳥古墳群はただの小山のように言えるが、群馬の古墳群は整備され、多くの埴輪が飾られていて、多くの観光客が訪れていました。

大阪の古墳群も世界遺産に登録され、関東の古墳群に見習ってもっと整備していただきたいですね。




  



















飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百四十三弾:青森県大仏・塔巡り観光
2020年10月10-11日
  
 
東北地方の本州最北端に位置する青森県に足を運び、青森県に点在する大仏・塔3か所(昭和大仏、法光寺、最勝寺)を訪れました。

10日16:00伊丹空港出発。
17:25青森空港到達、レンタカーで青森市内に向かう。
18:30青森市内のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
11日7:30レンタカーで出発。

昭和大仏:
昭和59年に造立された昭和大仏は、青銅座像としては日本一大きな大仏です。その高さは21,35mと奈良や鎌倉の大仏をも凌ぎます。胎内2階に戦没者慰霊の碑を祀り、戦没者の慰霊と世界平和、そして人々の心を正しく導く仏法興隆の願いが込められています。昭和大仏の姿を見ると、頭に宝冠をかぶり、胸に瓔珞を飾り、腕には臂釧や腕釧などの装飾品を着け、膝の上で左掌を下に右掌をその上に重ねて左右の親指の先をつける「法界定印」を結んでいます。これは真言密教の根本教典の一つ『大毘盧遮那成仏神変加持経』(『大日経』)に説かれ、胎蔵生曼荼羅の中心に描かれている大日如来の姿です。釈迦如来や阿弥陀如来、薬師如来など他の如来は衲衣を身に着けた質素な姿で表現されますが、大日如来は満徳を備え、一切諸仏諸菩薩の根本仏であることから、きらびやかな姿で表現され最高位の尊格であることが示されているのです。色も形も無い永遠不滅の真理そのものが大日如来であり、太陽のように一切を照らし、衆生を救済する慈悲の活動は尽きることがありません。日々刻々と移り変わっていく世界は、そのまま真理の現れといえます。私たちは大日如来に包まれて生きているとも言え、しかも大日如来の一部でもあるのです。天然の光背とも言える木々に囲まれて鎮座する大仏を仰ぎ見ると不思議な安らぎに包まれます。

法光寺三重塔:木造の三重塔としては国内最大級で高さは33m、縦横8mを測ります。明治時代の傑僧 法光寺三十世住職 西有穆山禅師(にしありぼくざんぜんじ)の発願を引きついだ、法光寺三十七世住職 活眼大典和尚(かつがんだいてんおしょう)が中心となって、昭和24年6月29日に竣工しました。
設計は戦前から戦後にかけて全国的に活躍していた日本建築家 金子清吉氏(東京在住)によるもので、1階には曹洞宗の開祖道元禅師の御霊骨を祀り、2階と3階には前田道六作の五百羅漢541体を安置しています。建物の彫刻は東京在住の宮彫師 佐藤光重氏(1888~1974)によるものです。正面に安置されたご尊像が道元禅師です。

最勝寺五重塔:この塔は、寺伝によれば藩祖為信の津軽統一の過程で戦死した敵味方の供養のために建立したといわれている。従来、明暦2年(1656年)に着工し、工事の中断と再開を経て寛文7年(1667年)完成と伝えられていた。しかし、平成3年9月に襲来した台風で大きな被害を受け、建立から約330年にして初めての全面解体修理が実施され、その過程で初重の内法(うちのり)(ぬき)から寛文4年(1664年)8月の刻名が発見された。塔の組立はこのころから開始されたものと推定される。

16:00終了、青森空港に向かう。
17:00青森空港到達。
18:05青森空港出発。
19:45伊丹空港到達。

今回の旅行、東北地方の本州最北端に位置する青森県に足を運び、青森県に点在する大仏・塔3か所(昭和大仏、法光寺、最勝寺)を訪れ楽しみました。

巨大大仏、立派な寺院内の塔、迫力満点満喫しました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百四十二弾:山形県・秋田県大仏・塔巡り観光
2020年10月3-4日
   

東北地方の山形県・秋田県に足を運び山形県・秋田県に点在する大仏・塔4か所(善賓寺五重塔、羽黒山五重塔、酒田大仏、田沢湖金色大観音)を訪れました。

3日14:50伊丹空港出発
16:00仙台空港到達、レンタカーで鶴岡方面に向かう。
17:00鶴岡駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
4日5:30レンタカーで出発

善賓寺五重塔:参道の南、五百羅漢堂に相対して建つ。三間五重塔婆、瓦棒銅板葺で、組物は尾垂木付三手先とする。和様を基調としつつ、五重軒のみ扇垂木とする。初重中備に十二神将などの透彫、各重の高欄腰組に蟇股を飾る。均整のとれた塔姿に装飾性を備えた、近代の五重塔。

羽黒山五重塔:羽黒山参道、“一の坂”上り口の杉並木の中にある。東北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられる。現在の塔は、約600年前に再建されたものといわれる。高さが29.0mの三間五層柿葺素木造で、昭和41年には国宝に指定された。近くには樹齢1000年、樹の周囲10mの巨杉“爺杉”がある。

酒田大仏:酒田大仏で知られる「良茂山 持地院」の創建は応永2年(1395年)に周囲を支配していた浦地勝太夫が開基となり報恩山永徳寺(岩手県金ヶ崎)2世の湖海理元和尚が開山したとされています。
高さ17mの銅製の立像で、酒田の街を慈愛の眼差しで見つめる大仏。鎌倉や奈良の坐像としての大仏とは異なり、すっと立った優しい面差しの姿は見る者の心を優しい気持ちにさせてくれます。
現在の大仏は2代目で、当初は大正3年(1914年)に日清戦争と酒田地震の被害者の鎮魂の意味を込め建立されましたが、第二次世界大戦中に金属不足から軍に摂取され、現在の大仏は平成4年(1992年)に新たに建立したもので、台座を含めた総高17m(像高13m)は金属製の立像としては日本一と言われています。

田沢湖金色大観音:田沢湖金色大観音は秋田県にある高さ35mの観音像だ。1987年に造られたもので、鋳造製としては日本で一番の規模を誇る。観音像の足元の台座内には、観音様の生い立ちを説明する三十三観音堂や曼荼羅宮がある「幻想宮殿」という空間が広がっている。中では音楽やスモーク、七色に光るライトなどが使用されたイリュージョンが見られることもあり、人気のスポットとなっている。なお、幻想宮殿内では撮影が禁止されているので要注意。また、観音像の周りには同じく金色をした七福神が並んでいる。観音様を参拝したあとは、七福神巡りもしてみよう。

15:00仙台空港に向かう。
17:30仙台空港到達。
18:55仙台空港出発。
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、東北地方の山形県・秋田県に足を運び山形県・秋田県に点在する大仏・塔4か所(善賓寺五重塔、羽黒山五重塔、酒田大仏、田沢湖金色大観音)を訪れ楽しみました。

立派な巨大大仏、五重塔、圧巻でした。山形県、秋田県の広範囲に点在する大仏・塔、移動に時間かかりましたが、十分満足できました。