飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百五十五弾:小笠原諸島父島・母島・南島観光
2020年12月29日-2021年1月3日
   

東京・都心部から南へ約1000kmの太平洋上に浮かぶ東京都の島々大小30余りの島々の中で、民間人が暮らす、父島と母島を訪れました。

12月29日7:09新大阪駅新幹線のぞみで出発

9:28品川駅到達、山手線に乗り換え浜松町駅下車、歩いて竹芝桟橋に向かう。

10:00竹芝桟橋到達。

11:00竹芝桟橋おがさわら丸出航

30日11:00父島二見港到達、レンタカーで父島巡り

北緯20度25分~27度44分、東経136度4分~153度59分の広大な海域に大小30余りの島々が散在する小笠原諸島。
映画やニュースで有名な硫黄島や沖ノ鳥島なども含まれ、日本の排他的経済水域(EEZ)のおよそ1/3はこれら小笠原の島々によって確保されています。いずれも行政上は東京都に属しますが、主島である父島ですら空港が無く、アクセスは東京・竹芝桟橋との間に概ね6日に1便運航している定期船のみ。まさに太平洋の大海原に浮かぶ離島群と言えるでしょう。
そんな小笠原には、「最初に定住したのは日本人ではなかった」といった意外な歴史、太平洋島しょ地域の流れを汲むと伝えられるユニークな踊り、そして、この島でしか見られない固有の生き物など、特異な歴史と文化、更に自然が豊富。特にその自然は、2011年6月にユネスコの世界自然遺産に登録されました。

小笠原の歴史

小笠原諸島は文禄2年(1593)、信州深志(松本)の城主であった小笠原長時のひ孫、小笠原貞頼が発見したと伝えられています。
しかし最初の定住者は日本人ではなく、当時欧米からたくさんやってきていた捕鯨船に、水と食料を供給する為に住み着いた、欧米人5人とハワイ人15人でした。
その後、明治9年(1876)に日本が領有宣言をして、国際的にもここが日本領土として認められました。
ここでの農業は、亜熱帯性気候を生かした果樹や冬野菜の栽培、漁業ではカツオ、マグロ漁のほか、捕鯨やサンゴ漁などが行われ、大正後期には人口7,000人を超え小笠原の最盛期を迎えました。
しかし、太平洋戦争を境に、それまでの平和で美しい島の様子が大きく変わります。昭和19年(1944)には、6,886人の島民が本土へ強制疎開させられ、硫黄島では日本軍が玉砕し、日米両国を合わせて28,721人の尊い命が奪われました。
戦後、小笠原は米軍の統治下に置かれ、一部の欧米系島民しか帰島を許されませんでした。全ての島民たちの帰島が許されたのは、それから23年後の昭和43年(1968)6月26日、小笠原諸島が日本に返還された時です。内地での生活基盤が出来上がった人たちも多く、小笠原へ戻ることを諦めざるを得なかった人も少なくありません。
昭和54年(1979)4月に村政が確立され、自然と共生する村をめざして新しい村づくりが始まりました。
小笠原の人口

平成24年3月現在、小笠原の人口は父島で約2,000人、母島で約500人です。
父島は主に北部の大村地区、清瀬地区、奥村地区に人口が集中しています。母島は元地地区、静沢地区に人口が集中しています。
小笠原のくらし

生活用品や生鮮食料品などは、定期船おがさわら丸で運ばれます。新聞も一週間分まとめて届きます。おがさわら丸入港日の午後の商店はたくさんの買い物客で溢れています。
商店や飲食店、観光業に携わる島民はおがさわら丸の運航に合わせて休日をとっています。
おがさわら丸は年に一度整備のためドックに入ります。一月に行なわれることが多いですが、2週間程おがさわら丸は留守になります。そのため生鮮食料品が不足しますが、買い溜めをして乗り切ったり、本土に長期休暇に行く人も多いです。

小笠原の産業

島では農業・漁業も盛んですが、島の自然を活かしたエコツアーの先進地として、観光業に携わる人も多く生活しています。海のレジャーはもちろん、一度も大陸と繋がったことのない海洋島・小笠原だからこそ見られる固有の植物の数々。
天然記念物に指定されている鳥などの生き物たち。小笠原は海と山の大自然をお楽しめる。
父島:父島は東京~八丈島間の3倍よりも遠い、東京都心から1,000kmほど南にある島です。小笠原諸島で2番目に大きく、面積は千代田区のほぼ2倍。人口は約2,000人で、都立高校や小笠原村役場もある小笠原の中心的な島です。最近は世界遺産に登録されたことから、注目されています。
1. ウェザーステーション(三日月山展望台)

街から非常にアクセスが良く、きれいな夕日を眺められる絶景スポット。波の音を聞きながら、海に沈む夕日は非常に美しく癒やされます。
運が良ければ、沖合でクジラが跳ねる様子を見ることもできます。
2. 小笠原ビジターセンター

小笠原ビジターセンターは、小笠原の自然を中心に、歴史や文化を紹介した施設です。
捕鯨基地や占領地などとして特異な道を歩んだ歴史や、小笠原にしかいない固有種などの珍しい動植物を、パネルや復元模型を使って分かりやすく展示・解説しています。 小笠原クイズなどの楽しいコーナーもあるので、小笠原を知る第一歩として価値があります。
3. 小笠原海洋センター

小笠原海洋センターでは、アオウミガメをはじめとする小笠原の生物の保護や研究をしています。
ウミガメ教室では、ウミガメについて学び、甲羅磨き体験など直接触れ合うことができます。
4. VERA 小笠原観測局

直径20mの電波望遠鏡アンテナで、父島では最大の建造物です。国立展望台の一部が、一般公開(日曜休館)されており、施設内の見学・説明が受けられます。
毎年、スターアイランドという特別公開イベントも開催されており、島民観光客共に賑わっています。

17:00大村繁華街を散策し食事を済ませて奥村のホテルで就寝。

31日9:05森山歩き
森・山歩き

小笠原諸島は、大陸と一度も陸続きになったことがないため、海流、風、鳥などによって運ばれてきた動植物は独自の進化を遂げました。原生状態を保つ亜熱帯の森と山を、固有の動植物や鳥をウォッチングしながらのハイキングやトレッキングは、驚きと感動がいっぱいです。
小笠原の植物

植物の種子は一体どうやってこの島に辿りついたのでしょうか。
海流にのってやってくるもの、鳥の翼などに付着してきたもの、風にのって辿りついたものなど、様々です。
こういった植物の種子は競争相手や天敵もいない裸地状態だった島で、独特な進化を遂げました。こういった植物の中には、人間が持ちこんだヤギやネズミの食害により著しく数が減り、今では希少種となっているものや絶滅危惧種になっている種もあります。
小笠原では遊歩道として整備されている道以外は殆ど、林野庁の定める「森林生態系保護地域」になっています。
これらの森や山に入るには許可を受けたガイドの同行が必要です。自分だけでは見付けにくい固有植物もたくさんあるので、是非ガイドと一緒に小笠原独自の植物層や景色を楽しんで下さい。
タコノキ

タコノキは父島でも母島でも色々な場所で見ることができます。パイナップルみたいな実をつけていますが、この実はとても固く、甘い果物ではありません。
気根という根をタコの足のように伸ばしている姿から「タコノキ」と呼ばれています。
テリハハマボウ

花は朝咲いて、始めは黄色ですが、夕方には赤くなって萎れる一日花。
ハイビスカスの仲間ですが、テリハハマボウは小笠原でしか見られない固有種です。
ムニンヒメツバキ

小笠原の「村の花」ムニンヒメツバキ。
父島では島のいたるところで見られます。
5月?7月にかけて、シーズンを迎え、満開時には白い絨毯のように見える場所もあります。
マルハチ


葉の落ちたあとの幹の表面に、丸に逆さ八の字模様がみえるためにこの名前がつけられました。
直立で10mほどの高さがあり、ひらけた斜面などに群生しています。
小笠原の動物
カツオドリ

翼を広げると1.5m近くになる大型の鳥。トビウオやイカを空中から見つけてダイビングし、捕食します。
アカガシラカラスバト

小笠原諸島の固有亜種であり「国内希少野生動植物種」及び「天然記念物」に指定されています。

16:00大村繁華街で買い物食事を済ませてホテルに向かい就寝。

1月1日8:35ボートツアー
小笠原の海

小笠原の海は、地上から眺めた景観だけではなく、海の中も同様に魅力に溢れています。海中へ向かって鋭く落込む黒い岩肌、カラフルなサンゴ礁や熱帯魚、ギンガメアジやイソマグロの群れが行き交う光景など、感動の世界が広がっています。
小笠原近海では20種類以上の鯨類が回遊しており、ミナミハンドウイルカ、ハシナガイルカは通年見ることが出来ます。12月末頃からは、ザトウクジラが繁殖・子育ての為、遠く北の海からやって来ます。また、日本最大のアオウミガメの繁殖場でもあります。海の中では、成長したアオウミガメが悠然と目の前を通り過ぎるという体験もできるかもしれません。
小笠原の海では、ホエールウォッチング、ドルフィンスイム&ウォッチング、シュノーケリング、スキューバダイビング、シーカヤック、釣りなど、様々なアクティビティが楽しめます。
ザトウクジラ

ザトウクジラのベストシーズンは2~4月。圧倒的な風格と迫力で見る者の心を揺さぶるのは、地球上最大の生き物であるクジラたち。特にザトウクジラは、小笠原のホエールウォッチングの代表的存在。ブリーチと呼ばれるジャンプや胸びれ・尾びれで海面を叩くなど、様々なアクションで楽しませてくれます。海を見渡せる高台からであれば、陸からの観察も可能です。
マッコウクジラ

5~11月はマッコウクジラがウォッチングできます。潜水のチャンピオンを言われるマッコウクジラは、沖合10~30kmの外洋域で見られます。尾を海面上に高々と持ち上げ、深海へ静かに潜り込んでいきます。
イルカ

小笠原諸島近海では野生のイルカに一年を通じて会うことができます。船からのウォッチングが楽しいのはハシナガイルカ、前転やバク転、体をきりもみ状に回転させながらジャンプを見せてくれることもあります。ミナミハンドウイルカに出会えたならば、ドルフィンスイムにチャレンジ。人とよく一緒に遊んでくれるので、フィーリングが合えば近寄ってくれるかもしれません。
アオウミガメ

小笠原諸島は日本で最大級アオウミガメの繁殖地です。 6~7月頃に産卵、8~9月頃に孵化します。 小笠原海洋センターでは、アオウミガメの調査・保全そして一年を通じてウミガメの飼育を行っています。
5. 南島

南島は「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形で「ドリーネ」というくぼ地や「ラピエ」という鋭くとがった岩が見られる父島南西沖の小さな無人島です。
ここは多様な植生に加え海鳥やウミガメの産卵地であり、現在植生回復事業も行なっています。
ヒロベソカタマイマイ


1000年から2000年前に絶滅したと言われ、半化石の貝殻が見られます。天然記念物のため持ち出しは禁止です。

扇池

南島NO1スポット

白いビーチに透き通った海が一体となった入り江
ヒロベソカタマイマイ

1000年から2000年前に絶滅したと言われ、半化石の貝殻が見られます。天然記念物のため持ち出しは禁止です。
6. 千尋岩(ハートロック)

父島の南、円縁湾に面した断崖絶壁。
海側から見ると赤い岩肌がハート形に見えるため別名ハートロックと呼ばれています。
森林生態系保護地域のため、入林許可を受けたガイドの同行が必要になります。

16:00ホテル到達、食事を済ませて就寝。

2日7:30父島二見港からははじま丸で出発、母島に向かう。

9:30母島沖港到達。母島散策。

母島:父島から「ははじま丸」に乗り約2時間で到着する母島。島民約500人ののどかな島で、亜熱帯の湿性高木林が茂り、乳房山や小富士のトレッキングでは珍しい植物に触れることができる。島の南部には蓬莱根や南崎など景観のいい海岸も多く、シュノーケリングでは美しいサンゴ礁を鑑賞できる
1. 母島観光協会

沖港船客待合所内にある。母島の観光情報はここで得てから出発しよう。オリジナルググッズ等も販売。建物横の芝生にはザトウクジラの像がある。このマップの所要時間は、ここが出発地点。
2. ロース記念館

耐熱性に優れ、加工もしやすい母島特産のロース石造りの郷土資料館。戦前使われていた民具や漁具、製糖機器等を展示。ロース石は、1869年(明治2年)頃、母島に定住し開拓に貢献したドイツ人ロスフスによって発見された。大正時代には砂糖倉庫として使用されていた。
母島観光協会から車2分+徒歩10分
3. 清見が岡鍾乳洞

清見が岡周辺は小規模なカルスト地域。六角形のお堂の後ろの崖についている扉から鍾乳洞に入る。壁際にカーテンといわれる鍾乳石の壁が見られる。広さはないが、ガジュマルの気根も垂れ下がり、洞窟探検気分が味わえる。
母島観光協会から徒歩5分
4. 乳房山

標高463mの母島の最高峰。ハハジマノボタン、ワダンノキなど固有植物の宝庫。山頂までの遊歩道では、母島でしか見ることのできない鳥「メグロ」に会えることも。晴れた日には父島も望める。

10:30母島沖港ははじま丸で出発。

12:30父島二見港到達

15:30父島二見港おがさわら丸で出発

3日15:30竹芝桟橋到達。

17:28品川駅新幹線のぞみで出発

19:48新大阪駅到達。

今回の旅行、東京・都心部から南へ約1000kmの太平洋上に浮かぶ東京都の島々大小30余りの島々の中で、民間人が暮らす、父島と母島を訪れ楽しみました。 

初日は、レンタカーで父島の観光名所を訪れ、二日目は森林生態系を散策し固有種の動植物に触れました。3日目はボートに乗船してホエールウオッチング、イルカの群れ、青ウミガメを鑑賞し、四日目はフェリーで母島を訪れ散策観光し、五泊六日の旅、満喫しました。

自然あふれる小笠原諸島、世界遺産にも登録され、さぞかし多くの動植物が生息を期待していましたが、一度も大陸と地続きとなったことがない島、海洋島のため、他方面からの生き物が移動できず生息しない、数少ない固有種の宝庫となっているのに感動いたしました。



 

































飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百五十四弾:大阪府堺駅、堺東駅、堺市駅、住吉大社駅、住吉鳥居前駅、天王寺駅前駅、天王寺駅、難波駅、大阪駅、福島駅、京橋駅周辺散策観光
2020年12月26-27日
   

地元の大阪府に足を運び、大阪府に位置する堺駅、堺東駅、堺市駅、住吉大社駅、住吉鳥居前駅、天王寺駅前駅、天王寺駅、難波駅、大阪駅、福島駅、天満駅、京橋駅周辺を散策観光しました。

26日13:06天王寺駅出発
13:26堺市駅到達散策

堺:堺市周辺に人が定住し始めたのは旧石器時代のころ。市内の遺跡からは、約1万年前の打製石器や、縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが発掘されています。4~5世紀には大和朝廷が成立しましたが、堺には仁徳天皇陵古墳をはじめ、100数基から成る百舌鳥古墳群が造られました。
平安時代、この地が摂津・河内・和泉の3国の境に位置しているところから「さかい」と呼ばれるようになりました。
鎌倉時代には漁港として発達し、その後西日本の海運の拠点として発展。
そして戦国時代、堺は貿易港として黄金の時代を迎えます。この時代、堺は、対明貿易や南蛮貿易など海外との交流拠点として発展しました。当時の堺は世界でも珍しい環濠都市を形成し、自治都市として繁栄しました。
明治以後、近代工業の発展、人口の増大、市域の拡大、交通の発達など、急速に近代化が進み、今日も力強い発展を続けています。


17:20堺市駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。

7:00出発
7:12堺駅出発
7:20住吉大社駅到達

住吉大社:大阪では、親しみを込め、「すみよっさん」と呼び、正月三が日の初詣参拝客数は毎年200万人を超えます。全国約2300社余の住吉神社の総本宮であり、摂津国一の宮、旧社格は官幣大社です。古くから「航海安全の神」「祓の神」「農耕の神」「和歌の神」「武の神」「相撲の神」として信仰され、創建は1800年前に遡ります。ご祭神は第一本宮から第四本宮順に、「底筒男命/そこつつのおのみこと」「中筒男命/なかつつのおのみこと」「表筒男命/うわつつのおのみこと」、そして「神功皇后/じんぐうこうごう」です。本殿が4つに別れ、第一本宮~第三本宮までが縦に、第四本宮は第三本宮の横に、あたかも大海原をゆく船団のように建ち並ぶ配置は他にないものです。「三社の縦に進むは魚鱗の備え 一社のひらくは鶴翼の構えあり よって八陣の法をあらわす」とも伝えられています。柱・垂木・破風板は丹塗り、羽目板壁は白胡粉塗/屋根は桧皮葺で切妻の力強い直線/出入り口が直線型妻入式という3つの特徴をもつ「住吉造」でつくられており、こちらも神社建築史上最古の特殊な様式で、国宝に指定されています。30を超える摂社/末社/祠をもち、住吉祭など各種祭礼行事も多く、境内には、国宝や重要文化財として大切に保存されている建物や文化財があります。

8:15住吉鳥居前駅出発
8:46天王寺駅前駅到達。

天王寺:天王寺観光のおすすめスポットを紹介します。天王寺は、天王寺駅と大阪阿部野橋駅の周辺のことを指し、ほぼ同じ区域のことを「阿倍野」とも呼びます。大阪市内ではキタ・ミナミに次ぐ繁華街で、最近では日本一の高層複合ビル「あべのハルカス」の開業でも脚光を浴びています。
天王寺に来たら、ここは行っておきたいおすすめ観光スポットをピックアップ!かわいい動物たちをじっくり観察「天王寺動物園」,緑あふれる東洋美術館「大阪市立美術館」,聖徳太子ゆかりの日本最初の仏法寺院「四天王寺」,大阪最古の神社「生國魂神社」,新歌舞伎座が入る複合ビル「上本町YUFURA」,大阪の基を築いた仁徳天皇を祀る神社。梅と桜の名所として有名「高津宮」など。

新世界:通天閣にジャンジャン横丁、大きなフグ提灯の看板などで有名な大阪市南部の下町。新世界の始まりは明治36年(1903)、天王寺および現在の新世界で催された第5回内国勧業博覧会に遡る。その跡地の東半分には天王寺公園がつくられ、残った西半分には中央にシンボルとして通天閣(初代)と、その南側に有料遊園地のルナパークがつくられた。これを契機に芝居小屋や映画館などが集結して発展し、新世界がかたちづくられていくことになる。現在、ルナパークも映画館も閉館したが、通天閣の展望台には遠方からの観光客で賑わっているほか、真下にある地下の通天閣劇場では毎週月曜日、各地方で活躍する歌姫たちが演歌を熱唱し、通天閣劇場TENGEKIでは毎週土日に漫才や上方落語などで観客を楽しませている。また、土・日曜日には松竹の芸人により落語や漫才が行われている。南北130mの間に串カツ屋、どて焼き屋、囲碁将棋クラブなど約50軒の店が軒を連ねる「ジャンジャン横丁」も元気そのもの。土日・休日になると、ツアー客が大勢で訪ねて、ビリケンさんやフグ提灯の看板などをバックに記念写真撮影を楽しむ。


難波:難波に来たら、ここは行っておきたいおすすめ観光スポットをピックアップ!散歩気分でゆったりショッピング「なんばパークス」,よしもとの専用劇場でエンターテイメントが楽しめる「なんばグランド花月」,「これぞ大阪」を体感できる場所「道頓堀」,「くいだおれ」を支える巨大市場「黒門市場」,ネオルネッサンス様式のアーチが美しい「大阪松竹座」,なにわの情緒ただよう石畳の小路へ「法善寺横丁」など。

心斎橋:心斎橋に来たら、ここは行っておきたいおすすめ観光スポットをピックアップ!ミナミで最も活気のある、若者の流行発信基地「アメリカ村」,冬はイルミネーションの名所に「御堂筋」,御堂筋に面する緑深い神社で、約1600年の歴史を誇る「難波神社」,企業家たちの情熱と英知に触れられる「大阪企業家ミュージアム」,大阪船場に鎮座。御神徳は住居守護・旅行安全・安産等で有名「坐摩神社」,特別な一日を提案するハイセンスなセレクトショップ「BIOTOP大阪」など。

中之島:中之島に来たら、ここは行っておきたいおすすめ観光スポットをピックアップ!イルミネーションも人気の花と水の都「中之島公園」,受験生が集まる勉学の神様「大阪天満宮」,宇宙とエネルギーを身近に感じる「大阪市立科学館」,花火とのコラボも美しい、大阪を誇る水上祭「天神祭」,国内外の現代美術を多数展示「国立国際美術館」,優れた音響特性を引き継ぎながら最新鋭の設備を導入して再登場「フェスティバルホール」など。

梅田:梅田に来たら、ここは行っておきたいおすすめ観光スポットをピックアップ!国内最大級の駅型商業施設「ルクア大阪」,関西では初の拠点劇場。最高のエンターテインメントを満喫「大阪四季劇場」,有名ハイブランドがずらり「ハービスPLAZA」,大阪駅直結でアクセス抜群「大丸梅田店」,コンセプトは「大人のみちくさ」「エキマルシェ大阪」,世界に名の轟く一級品を堪能「大阪市立東洋陶磁美術館」など。

梅北:うめきた地区とは、旧梅田貨物駅にあたる約24haの区域を指し、鉄道4社7駅が乗り入れ、1日約250万人が行きかう西日本最大のターミナルエリアに位置します。このポテンシャルを活うめきた地区は先行開発区域(グランフロント大阪)と2期区域とに分けられます。先行開発区域(グランフロント大阪)は2013年のまちびらき以来、梅田の新たな顔として多くの市民に親しまれています。
2期区域では2024年の先行まちびらきに向け開発が進められているほか、新駅設置をはじめ数々の都市基盤整備事業も同時に行われており、うめきた地区周辺の道路交通の円滑化や交通事故の解消も期待されています。かし、大阪、関西の発展をけん引し日本の国際競争力を強化する新たな拠点として2002年から開発が始動しました。

福島:堂島より北にあたるこの地は江戸時代は近郊農村だったが、明治以降繊維産業などの大工場が建設され、周囲は中小企業の工場地帯となった。松下電器産業が福島区で創業したほか、現在でも印刷・製本工場や、自動車部品などの卸業者が多く立地している。戦前には阪大病院や大阪市中央卸売市場本場なども建設された。戦後は、西日本のビジネスの中心地である梅田に近いことから福島駅を中心にオフィスビルが建ち、工場移転後の跡地は住宅地や商業地になった。
1990年代以降、区内各所に大規模団地や超高層マンションが建設され、阪大病院の跡地には再開発によってほたるまちが建設された。ここには朝日放送本社が福島駅北側より移転して来た。
現在、福島区の大部分は住居地域となっており、JR野田駅周辺は空襲から免れた古い長屋や町屋が多く残っている。福島駅周辺にオフィスビルや商業地が集積し、阪神野田駅周辺にも商業地が集積している。区の西部にあたる地域には機械・金属製品工場が存在するが、近年急速に住宅地化が進んでいる。
面積は大阪市、及び全国の行政区の中で、浪速区、東成区に次いで3番目に狭い。

天満:
日本一長い天神橋筋商店街に隣接するJR天満駅周辺は、“安くて・旨くて・おもろい”グルメな店が密集する、大阪で最も熱いエリアの一つ。

京橋:京橋はその名の通り、橋の名前で大阪城北側の寝屋川に架かり、京街道の起点でもある。その名前の由来は、京に通じる橋という意味から名づけられたという。
 橋が架けられたのは豊臣秀吉の時代といわれ、徳川時代には京橋は天神橋、天満橋などとともに、公儀橋として重要な位置づけにあり、特に京橋は別名天下橋とも呼ばれた。
 現在、京橋といえば橋のあるところから東へ約1.2Km行ったところにある「JR京橋駅」や「京阪京橋駅」を中心とした繁華街の地域を表すが、この駅の周辺には京橋を冠した町の名前は存在しない。
この辺りが京橋と呼ばれるのは、1895年(明治28年)に城東線(現環状線)「京橋駅」が開業したことに起因する。現在では上記のJR環状線を初め、学研都市線、東西線、京阪本線、地下鉄鶴見緑地線が乗り入れ、一大ターミナルを形成している。
 京橋という地名は、江戸時代にはこの寝屋川にかかる京橋の南詰めから東横堀川に架かる今橋の東詰めまでの間は、京橋1~6丁目と呼ばれる町名があり、明治以降は京橋1~3丁目に再編成され、東区の町名として存在した。しかし、1989年(平成元年)東区と南区が中央区に合併した際に、京橋前之町と共に消滅した。由緒ある地名がいと簡単に消え去るのは、残念なことである。
 江戸時代には京橋の袂には川魚市場もあり、秋から冬にかけては木綿の市も建ったという。
当橋は大坂の東の玄関口で水陸交通の要衝でもあったが、時代の流れと共に、鉄道が重要視されると、その役割も失い、京橋駅に主役の座を明け渡してしまった。軒を貸して(名前を貸して)、母屋を取られた感がしないでもない。

14:30帰路に向かう。

今回の旅行、地元の大阪府に足を運び、大阪府に位置する堺駅、堺東駅、堺市駅、住吉大社駅、住吉鳥居前駅、天王寺駅前駅、天王寺駅、難波駅、大阪駅、福島駅、天満駅、京橋駅周辺を散策観光し楽しみました。

堺から住吉、天王寺までは電車で移動、その後は移動も歩いて巡りました。

3つの堺駅周辺、住吉大社周辺、大阪市を4500歩、総歩行距離30km堪能しました。

難波から梅田までの散策、意外と近く感じ、走行距離も思ったほど多くなくすんなり巡りました。




























飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百五十三弾:徳島県鳴門駅、徳島駅、阿南駅周辺散策観光
2020年12月19-20日
  

四国の阿波踊りで有名な徳島県に足を運び、徳島県に位置する鳴門駅、徳島駅、阿南駅周辺を散策観光しました。

19日12:10ハービス大阪から高速バスで出発
15:05高速鳴門到着、鳴門散策

鳴門:徳島・鳴門といえば渦潮が有名ですが、ほかにも話題の大塚国際美術館や絶景が見られる展望台、地元で獲れた新鮮な海の幸など楽しみがいっぱい。


15:55鳴門駅出発
16:30徳島駅到達。徳島駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。

20日8:00出発、徳島市散策観光

徳島:徳島市に来たら、遊びを通じて科学と自然にふれあえる「あすたむらんど徳島」,万葉集にも詠まれた美しい山「眉山」,動物を気候帯で区分した四国最大級の動物園「とくしま動物園」,踊り子たちによる圧巻の集団美「阿波おどり」,全国唯一現存の大名鯨船千山丸や城下町などの暮らしの資料を展示「徳島市立徳島城博物館」,1年中、阿波おどりが楽しめる「阿波おどり会館」など。

11:30徳島駅出発、阿南方面に向かう。
12:15阿南駅到達、散策。

阿南:阿南市は、徳島県の南東部に位置しているエリアです。四国の東の市町村となります。紀伊水道と太平洋に面しており、室戸阿南海岸国定公園となっています。県内では最も長い河川の那賀川河口となっており桑野川が市内を通っています

12:55阿南駅出発、徳島に戻る。
13:45徳島駅到達。
13:45徳島駅前高速バスで出発
16:25ハービス大阪到達。

今回の旅行、四国の阿波踊りで有名な徳島県に足を運び、徳島県に位置する鳴門駅、徳島駅、阿南駅周辺を散策観光し楽しみました。

鳴門は田舎町、徳島は南側は近代的でビルが目だっていて都会、北側は徳島城跡公園のみでひっそりしています。
阿南は田舎町、牟岐、宍喰方面に向かう予定でしたが、工事中で途中バスで迂回が必要のため断念しました。

25000歩、歩行距離16kmでした。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百五十二弾:兵庫県姫路駅、本龍野駅、坂越駅、播州赤穂駅、明石駅、人丸前駅、塩屋駅散策観光
2020年12月12-13日
 

兵庫県の播磨エリアに足を運び、播磨エリアのJR姫路駅、JR本竜野駅、JR坂越駅、JR播州赤穂駅、JR明石駅、山陽電鉄人丸駅、山陽電鉄塩屋駅、JR塩屋駅周辺を散策観光しました。

12日12:30東西線で姫路に向かう。
14:17姫路駅到達、散策

姫路駅:兵庫県の南西部・播磨地方にある「姫路」は、世界的にも有名な姫路城や、家族連れが楽しめるテーマパークまで、数多くのお出かけスポットがある関西有数の観光地です。

17:30姫路駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。

13日7:00出発、龍野方面に向かう。
8:00本竜野駅到達。

本竜野駅:たつの市には武家屋敷や白壁の土蔵など、城下町の面影が今も残っており、「播磨の小京都」と呼ばれています。歴史的風情と昭和レトロな雰囲気で、寅さんシリーズ第17作「男はつらいよ寅次郎 夕焼け小焼け」のロケ地となりました。

9:30本竜野駅出発、姫路経由して坂越に向かう。
10:30坂越駅到達、散策。

坂越駅:赤穂市は兵庫県の西南端、岡山県との県境にあり、町のほぼ中央を名水百選に選ばれた千種川(ちくさがわ)が流れています。川の東側にある坂越(さこし)は天然の良港に恵まれ、17世紀に入ると瀬戸内海有数の廻船業(西廻り航路)の拠点として発展しました。
18世紀以降は「赤穂の塩」を運ぶ北前船の港として明治時代まで栄えました。赤穂の塩田から運ばれた塩や内陸部の薪・米などは、千種川高瀬舟発着場にて大八車に積みかえられ坂越港に運ばれました。千種川と坂越港を結ぶ石畳の道「大道(だいどう)」は、白壁と焼板の町家が並び、落ち着いた町並みとして残されています。また、坂越港には坂越湾を航行する船舶に海洋気象を知らせた「とうろん台」があります。

11:40坂越駅出発、赤穂に向かう。
11:45播州赤穂駅到達、散策。

播州赤穂駅:塩田跡に整備された広大な公園「兵庫県立赤穂海浜公園」,近世軍学の粋を集めた義士ゆかりの城「赤穂城跡」,大石内蔵助以下四十七義士を祀る「大石神社」,動物たちとのふれあいと普段の表情を楽しめる「赤穂海浜公園「動物ふれあい村」」,海と塩について詳しく学べる「赤穂市立海洋科学館」,凶報を知らせる早かごが一息ついた場所「息継ぎ井戸」など、赤穂の観光にピッタリなスポットやおすすめ。

13:30播州赤穂駅出発。
14:20明石駅到達、散策。

明石駅:四季折々に美しい明石城を中心とした公園「明石公園(兵庫県)」,徳川家康の曾孫である小笠原忠真が築いた城「明石城」,明石のランドマーク的な天文科学館「明石市立天文科学館」,ギネスが認める世界一の吊り橋「明石海峡大橋」,明石海峡大橋のアンカレイジが置かれた白砂青松の景勝地「舞子公園」,明石海峡に架かる吊り橋の壮大な眺めを独り占め「美湯・松帆の郷」など、明石の観光にピッタリなスポットやおすすめ。

人丸前駅出発

人丸前駅:兵庫県明石市大蔵天神町にある、山陽電気鉄道本線の駅[1]。駅番号はSY 16。駅名は、駅北側の人丸山公園に因る[1]。第3回近畿の駅百選に選定されている。

16:00塩屋駅到達。

塩屋駅:塩屋駅から歩いて5分ほどの場所にある「旧グッゲンハイム邸」は、塩屋の町を象徴するランドマーク的存在。エントランスの階段を上ると、豊かな緑に囲まれたコロニアルスタイルの洋館が現れます。1912(明治45)年にドイツ系アメリカ人貿易商の邸宅として建てられたもので、現在はコンサートなどの音楽イベントをはじめ、教室やワークショップ、ウエディングパーティーなど、さまざまな用途で利用されています。

17:00塩屋駅出発、帰路に向かう。

兵庫県の播磨エリアに足を運び、播磨エリアのJR姫路駅、JR本竜野駅、JR坂越駅、JR播州赤穂駅、JR明石駅、山陽電鉄人丸駅、山陽電鉄塩屋駅、JR塩屋駅周辺を散策観光し楽しみました。

世界遺産の姫路城、伝統的重要文化遺産龍野、赤穂、坂越、四季折々美しい明石城のある明石公園、外人の貿易商が立てた有形文化財である洋館、48000歩、総歩行距離36km堪能しました。



















飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百五十一弾:奈良県生駒駅、鳥居前駅、宝山寺駅、生駒山上駅、大和西大寺駅、奈良駅、近鉄奈良駅、尼ヶ辻駅、西ノ京駅、近鉄郡山駅、郡山駅、法隆寺駅散策観光
2020年12月5-6日


関西の奈良県に足を運び、奈良県北部に位置する近鉄生駒駅、地下鉄生駒駅、生駒ケーブル鳥居前駅、生駒ケーブル宝山寺駅、生駒ケーブル生駒山上駅、近鉄大和西大寺駅、JR奈良駅、近鉄奈良駅、近鉄尼ヶ辻駅、近鉄西ノ京駅、近鉄郡山駅、JR郡山駅、JR法隆寺駅周辺散策観光しました。

5日12:43放出駅出発
12:46高井田中央駅到達。
12:56地下鉄高井田駅出発
13:12生駒駅到達。

生駒:生駒市は、奈良県北西部に位置し、江戸時代に創建された生駒聖天・宝山寺の門前町として発展しました。
生駒山を隔てて大阪に通じ、自然豊かで歴史ある文化財も豊富でありながら、大阪市・奈良市のベッドタウンとしても知られる生活環境の整った都市です。

13:20鳥居前駅出発
13:25宝山駅到達。
13:55宝山駅出発
14:05生駒山上駅到達
14:30生駒山上駅出発
14:40鳥居前駅到達。
14:50生駒駅出発
15:05大和西大寺到達。

大和西大寺:奈良県の大和西大寺駅。平城宮跡や西大寺、秋篠寺の最寄り駅として人の絶えない駅ですが、こちらの駅が実はあることの日本一のスポットとして、鉄道好きを集めている。実は大和西大寺駅と言えば、『タモリ倶楽部』で紹介されタモリ自身もおすすめする、全国的に有名な平面交差駅。

17:30奈良駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
6日7:00出発

奈良市:国内屈指の仏像コレクションは必見。正倉院展の会場「奈良国立博物館」,有名社寺が集まる見どころ満載の緑の公園「奈良公園」,建築、仏教美術ともに見どころ多数「興福寺」,庶民信仰に支えられた古刹「元興寺」江戸から明治時代にかけて、ならまちに多かった伝統的な町家を細部まで忠実に再現。深い奥行の建屋には、土間や中庭、箱階段など当時の生活を体験できる仕掛けがいっぱい。職人の技術も見逃せない。

11:00近鉄奈良駅出発、大和西大寺で乗り換え
11:30尼ヶ辻駅到達。

尼ヶ辻:近鉄尼ヶ辻駅や唐招提寺からほど近い、垂仁天皇陵周辺には、都市部であるにも関わらず、のどかな田園風景が広がっています。垂仁天皇陵を中心に、手入れの行き届いた田園が広がり、周辺からは東には若草山・春日山方面、東大寺大仏殿、二月堂などが見渡せ、西には矢田丘陵や生駒山方面も望め、見晴らしのよい田園風景となっています。
田植えの時期には一面に水が張られ、稲刈りの時期には黄金色の穂に染まる田園風景は、垂仁天皇陵の周囲の周濠(水辺)に照り映える日の光とよくマッチし、良く晴れた日には非常に美しい風景を見せてくれます。また、天皇陵、唐招提寺を囲む森も間近にした風景は、奈良時代からの歴史の重みも感じさせるものとなっています。

12:30西の京駅出発

西ノ京:平城京の西には白鳳伽藍で有名な薬師寺や、鑑真和上ゆかりの唐招提寺があります。駅前には世界遺産の薬師寺・唐招提寺があり、観光の拠点としてにぎわいを見せる

12:40近鉄郡山駅到達

郡山:郡山城は筒井順慶の築城(1580年)に始まる大和でもっとも大規模な城郭で、近世期には、豊臣家、水野家、松平家、本多家、柳澤家の居城となりました。城郭は徐々に整備されましたが、早くも豊臣秀長の時代にほぼ完成し、増田長盛(ましたながもり)の外堀普請(ふしん)によって城郭の規模が定まったとされています。すなわち、郡山城は内堀、中堀、外堀という三重の堀に囲まれた惣堀<そうぼり>の構えを持つものであり、この中に城郭の中心部や武家地、城下町が配置されたのでした。
今から約2000年前、中国南部地方で野生のフナの中から赤色のものが発見され、これを原種として、変種の選別淘汰の末、今日の金魚に至っています。我が国には、文亀2年(1502年)、室町時代中頃、中国から渡来したというのが定説のようです。当時はもっぱら貴族、富豪のはなはだ珍奇な愛玩物として飼われ、庶民の間で流行したのは、明治年間といわれています。
大和郡山市における金魚養殖の由来は、享保9年(1724年)に柳澤吉里候が甲斐の国(山梨県)から大和郡山へ入部のときに始まると伝えられています。幕末の頃になると、藩士の副業として、明治維新後は、職禄を失った藩士や農家の副業として盛んに行われるようになりました。もっともこれには最後の大和郡山藩主柳澤保申候のおしみない援助があったことが大きいと言われています。


13:45JR郡山駅出発
14:05法隆寺駅到達

法隆寺:かの聖徳太子が創建したといわれる「法隆寺」は、奈良県の斑鳩(いかるが)町にあります。“世界最古の木造建築”として知られ、1993年に姫路城とともに、日本で最初の世界遺産として“法隆寺地域の仏教建造物”が認定されました。
推古15年(607)、聖徳太子と推古天皇により創建されたと伝わる。「日本書紀」には、天智9年(670)に伽藍を焼失したとの記述があり、8世紀初頭に現伽藍が完成したと考えられる。兵火や天災にはあわず、太子信仰に守られたこともあって、現存する世界最古の木造建築群として往時の姿を今に伝えている。参道は松並木になっており、参道を抜けたところに南大門(国宝)がある。境内は西院と東院に大きく分かれ、国宝・重要文化財の建築物だけでも55棟に及ぶ。全体は大垣(重要文化財)と呼ばれる築地塀に囲まれている。この寺は法隆寺式伽藍配置と呼ばれる配置になっており、寺の中心である西院伽藍には、五重塔(国宝)と金堂(国宝)が並び、中門(国宝)と大講堂(国宝)をつないで回廊(国宝)が囲む。東に向かって東大門(国宝)を抜けたところに夢殿(国宝)のある東院伽藍が見える。また、建造物以外にも優れた仏教美術品を多数所蔵しており、その数は国宝だけで38件・150点、重要文化財を含めると約3000点にもなる。法隆寺地域の仏教建造物として、平成5年(1993)に、世界文化遺産に登録された。

15:40法隆寺駅出発
16:05奈良駅到達。
今回の旅行、関西の奈良県に足を運び、奈良県北部に位置する近鉄生駒駅、地下鉄生駒駅、生駒ケーブル鳥居前駅、生駒ケーブル宝山寺駅、生駒ケーブル生駒山上駅、近鉄大和西大寺駅、JR奈良駅、近鉄奈良駅、近鉄尼ヶ辻駅、近鉄西ノ京駅、近鉄郡山駅、JR郡山駅、JR法隆寺駅周辺散策観光し楽しみました。

奈良県北部のマップを十分に理解できました。

先週までの観光客を比較すると、今回は外出自粛要請のためか観光客は少なめで比較的ひっそりしていました。

8万歩、総歩行距離52km堪能しました。