飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百十六弾:広島県大仏、古墳、塔観光
2020年3月28-29日
  

中国地方の広島家広島県に足を運び、広島県に点在する大仏・塔10箇所(明王院、耕三寺、向上寺、天寧寺、西国寺、浄土寺、厳島神社五重、多宝寺、不動明王、救世観音大尊像)を訪れました。

28日13:38新大阪駅新幹線のぞみで出発
14:39福山駅下車
15:00レンタカーで巡る。 

明王院:愛宕山中腹近くにあり、眼下に草戸千軒町遺跡を見渡す明王院は、中道山円光寺明王院と称し、国宝の「本堂」「五重塔」を有する真言宗大覚寺派の古刹として知られています。
もとは西光山理智院常福寺といい、大同2年(807)弘法大師の開基と伝えられています。
その後、鎌倉時代後期の南都西大寺流律宗の勧進活動や草戸千軒の繁栄の影響もあり、鎌倉時代末期に本堂再建、室町時代前期に五重塔を建立など、"中世・西国屈指の寺院"になります。
元和5年(1619)、水野勝成が福山藩主として入府してからはその庇護を受けます。
三代水野勝貞は常福寺に、城下神島町の歴代藩主の祈願寺となっていた明王院を合併し、当時の住職宥仙は、寺号を明王院と改め今日に至ります。
合併後の明王院は、本山として末寺四十八寺を擁していたといわれます。

耕三寺:浄土真宗本願寺派の寺院・耕三寺を博物館の一部として公開しているほか、快慶作宝冠阿弥陀如来坐像や佐竹本三十六歌仙断簡紀貫之などの重要文化財を含む館蔵品を仏教美術・近代美術・茶道美術の各展示館でご覧いただけます。
また、フォトジェニックスポットとして人気の大理石彫刻庭園・未来心の丘も併せて楽しめます。

救世観音大尊像:本堂東翼廊の左、八角円堂の後方に造顕されている、奈良・法隆寺夢殿の御本尊、秘仏救世観音が手本。像高だけで10m(33尺3寸)あり、宝冠、台座などを加えた総高は15mにもなる大露仏である。
鉄筋コンクリートで固めた基礎の上に鉄心を組み、コンクリートと漆喰を併用し肉付けした上に塗装しているものだが、こうした工程による仏像の造立、同様の技術は例がなく当時、耕三師自ら陣頭に立ち、労苦を惜しむことなくかつて培った鉄の加工技術を遺憾無く発揮され完成に導いている。

向上寺
室町初期建立の曹洞宗のお寺です。
潮音山の山頂にある国宝三重塔は、永享4年(1432)に建立されたもので、全体の高さは19mあります。
和様唐様の混合様式で内部全体にも極彩色が施され、室町初期で最も美しく優れているものの一つに数えられています。


18:30尾道駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。

29日7:30レンタカーで出発



天寧寺:尾道三山のひとつ、千光寺山の中腹にある「天寧寺」は、尾道らしい景色が望める定番スポット。国の重要文化財に指定される「三重塔」や、明治初期から寄進され、全部で526体ある「五百羅漢像」などの見どころがあります。天寧寺は、尾道の由緒ある7つの古寺(持光寺・天寧寺・千光寺・大山寺・西國寺・浄土寺・海龍寺)をお参りする「尾道七佛めぐり」のひとつになっており、古寺めぐりをしながら尾道の魅力に触れることができます。

西国寺:天平年中(729〜749)、行基菩薩創建と伝えられる真言宗醍醐派の大本山。
山門である仁王門には室町末期作の2体の仁王像が安置されており、その健脚にあやかり2mを超える巨大な草履が奉納されています。
その仁王門ほか金堂や足利六代将軍・義教の寄進と言われる三重塔など数多くの重要文化財を抱える尾道を代表するお寺のひとつです。
柴燈護摩(火渡り神事)や節分会など新春の訪れを告げる祭りや桜が咲くシーズンには、多く人でにぎわいます。
また裏手の西國寺山(摩尼山)には「摩尼山八十八ケ所」として道中に地蔵が安置されており、頂上付近のタンク岩からは尾道の眺望を楽しむこともできます。
「尾道七佛めぐり」のお寺のひとつにも数えられています。

浄土寺:浄土寺は遠くはるか飛鳥の昔、聖徳太子の開創と伝えられ、中国地方屈指の古刹です。瀬戸内海の要津として発展した尾道の里人が心寄せる寺として港の繁栄と共に、それぞれの時代の町の衆に支えられ、鎌倉時代末よりおよそ七百年の時代を重ねております。境内の西に沈む夕日は浄土の世界を想わせるかの如く光り輝き、日の出の光に照らされた 本堂、阿弥陀堂、多宝塔は荘厳の一言です。

不動明王:広島県呉市にある源宗坊寺(真言宗)公式サイト  1906年(明治39年)に稲田源宗坊により建立された本寺院は、独特の仏像が山間の境内に点在し、戦後、駐留外国人も畏敬の念を表し、神々の谷として知られておりました  竹林、紅葉、清らかな名水や鳥の鳴き声等、四季折々の表情を見せる本寺院


厳島神社五重:和様と禅宗様が融合されて,みごとな構成をなす五重塔である。室町時代の応永14年(1407)創建と言われ,露盤(ろばん)下品軒覆の鉄板鋳銘から戦国時代の天文2年(1533)に改修されたことがわかる。九輪を鋳造した廿日市鋳物師(いもじ)山田壱岐守の名もあげられている。
初重の柱は上部を金襴巻(きんらんまき)とした朱漆塗で,それぞれ彩色の寄附者の名が記されている。内陣の天井は雲竜,来迎壁は表に蓮池,裏に白衣観音,周囲の壁板は瀟湘(しょうそう)八景を添景とした真言八祖の壁画である。

厳島神社多宝寺:
嚴島神社西の丘にある高さ15.6mの多宝塔は、大永3年(1523年)に建立されたと伝えられます。弘治元年(1555年)の厳島合戦では、陶晴賢が真っ先に陣所を設けた場所です。純和様を基調としながら上層部に天竺様、内部は禅宗様を取り入れた建築様式で、上層は円形、下層は方形、屋根は上下とも方形となっている珍しい構造です。明治の神仏分離令で管理するものがいなくなり一時は朽ち果てかけていましたが、篤志家によって救われ、本尊だった薬師如来像は大願寺に遷されました。周辺は桜の名所で、夜間ライトアップされたその姿は嚴島神社の美しい背景ともなります。

16:00帰路に向かう。

18:00福山駅到達。
18:19福山駅新幹線さくらで出発

19:36新大阪駅到達。

今回の旅行、中国地方の広島家広島県に足を運び、広島県に点在する大仏・塔10箇所(明王院、耕三寺、向上寺、天寧寺、西国寺、浄土寺、厳島神社五重、多宝寺、不動明王、救世観音大尊像)を訪れ楽しみました。

関東茨城県の取手に行く予定でしたが、首都圏コロナウイルス発生増、天候降雪とのことで広島県にシフトしました。

トラブル発生、新幹線で寝過ごして福山に降りれず、広島まで行、引き返して福山に戻りました。
又尾道の寺院周辺の道、両サイド石垣の狭い道、左ドアミラーが石垣に接触し壊れ、テープで止めて走行しました。レンタカーですので、ドアミラーの交換費用と車の休業補償が発生するため、携帯電話でマツダの営業所を探し連絡し、10件目でドアミラーのパーツの在庫がある営業所を見つけ修理していただきました。

 







飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百十五弾:兵庫・岡山・愛媛・香川・高知・徳島大仏、古墳、塔観光
2020年3月19-22日
  

兵庫・岡山・愛媛・香川・高知・徳島に点在する大仏、古墳、塔(兵庫大仏、但馬大仏、淡路島世界平和大観音、、吉備古墳、如意寺、石峯寺、八幡神社、一乗寺、斑鳩寺、大滝山、真光寺、長福寺、本蓮寺、遍照院、宝福寺、備中国分寺、石手寺、熊谷寺、竹林寺)を訪れました。

19日12:30車で出発兵庫方面に向かう。

兵庫大仏:身の丈11m。青空をバックに堂々とそびえるのは日本三大仏の一つと称する「兵庫大仏」。迫力たっぷりのその御姿は、拝むだけでご利益がありそう。明治時代に建立された初代大仏は、戦時中の金属回収で供出されたため、現在の大仏は平成3(1991)年に再建された2代目。能福寺は天台宗の古刹であり、境内には、平清盛の廟所や神戸事件で切腹した備前藩士滝善三郎の碑など、史跡も多い。

如意寺:縁起によれば、如意寺の開基は法道仙人といわれ、天竺の五百持明仙の一人、光英菩薩の全身という。 推古天皇の御世に櫨谷に飛来し、当山にて山翁(毘沙門天)より霊木櫨の地蔵菩薩の造立をたくされ、孝徳天皇の勅をえて大伽藍を設けた。 平安時代には慈覚大師円仁によって、常行堂、文殊堂が建てられ今日の基をなした。近世にあっても、比叡山滋賀院門跡末寺の格式と、御朱印寺領四十三石を賜わり、今日に至る。

石峯寺:古義真言宗、山号は巌嶺山。法道仙人の開基とされ、白雉2年(651年)孝徳天皇より多大の叡感を得て、勅願寺として建立されました。鎌倉時代には一里四方の寺領を有し、僧坊72を数えましたが、嘉吉の乱の兵火で全山の殆どを焼失しました。その後再建されましたが、往時の隆盛には及ばず、現在は十輪院、竹林寺、極楽院の3坊を数えるのみです。

八幡神社:創祀の由来については諸説があるが、社伝によれば、平清盛が福原に遷都した治承4年(1180)、京都石清水八幡宮を勧請したことに始まるという。
 『太平記』元弘3年(1333)摩耶城合戦の条に「八幡林」の名があるのは、当社の森のことである。戦国時代は荒廃していたが、天正年間(1573~)に林播磨が修築し、その孫林清兵衛が寛政7年(1795)本殿などを改築した。さらに領主の石河氏が奈良の春日大社の旧社殿を移して、社殿を造営したのが現在の建物であるという。また、厄神宮本殿は県重要文化財に指定されている。斗きょう部、蛙股並びに妻組等、細部手法もその頃の技風を存する。向拝柱間を1間として、3間社の通則を破って広く構えた平面意匠は、この種建築の平面形の変遷を知る好い遺例である。阪神淡路大震災(1995)で全壊したが、現在は彩色も鮮やかに復興されている。

一乗寺:孝徳天皇勅願寺。開山法道仙人。御本尊聖観世音菩薩。創建白稚元年(650)。 三重塔(国宝)、聖徳太子及天台高僧像十幅(国宝)など文化財多数。 法華山は古来八葉の蓮華の山に喩えられ、桜・新緑・紅葉が美しい都塵を絶した浄域である。

斑鳩寺:姫路とたつの市にはさまれた太子町に位置する聖徳太子開基の天台宗寺院です 。法隆寺の荘園「鵤荘」(いかるがのしょう)があり、法隆寺創建から、一千年弱にわたり、法隆寺を経済的に支えてきました。現在は比叡山を本山にする天台宗の寺院です。

淡路島世界平和大観音:大阪市西区を中心にビジネスホテルやオフィスビル、賃貸マンションなどを経営しているオクウチグループの創業者である故・奥内豊吉氏が出身地の淡路島に建立した巨大な観音像である。建立記念碑には「全世界の平和と繁栄と万民の幸福を祈願する」と記され、台座部分のビル1階は豊清山平和観音寺となっているが、館内はもっぱら奥内氏のコレクションを展示するスペースで、宗教施設というよりは私設ミュージアムの趣の方が強い。
おそらくは観光客を呼び込むことで地域への貢献も目論んだはずなのだが、展示品の内容や管理がお粗末で観光業界からはほとんど顧みられることもなく、一部好事家たちの間で“B級観光地”として話題になる程度にとどまっている。

但馬方面に向かう。

17:30養父市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

207:00車で出発、岡山方面に向かう。

但馬大仏:現代建築の技術の粋と伝統美が見事に調和した高さ40mの重層寄棟づくりの巨大な建物です。屋根には、鴟尾(高さ2.7m、重さ1.1t、金箔1.8万枚)が二体、空高く金色に光り輝いています。殿内の三方の壁には806体の石仏が安置されていますが、一体一体が手作りで、それぞれの表情や衣が個性にあふれています。参拝される多くの方々の祈りを石仏にこめて、年を経ていつか、1200体安置にと完成される日が待たれます。

大滝山:紫陽花寺として有名な唐僧鑑真開基の福生寺がある。三重塔は国の重要文化財。

真光寺:
真光寺は、もと兵庫輪田の崎島「光明福寺」に創まり、宗祖一遍上人が念仏勧進の全国遊行の旅の途中、この地に立ちより1289年(正応2)8月23日観音堂に於いて臨終しました。その後兵庫の信者達によって、荼毘(火葬)に付され、霊骨を五輪塔に納められ、お木像を御影堂に祀り、その遺徳を崇めました。その後二祖真教上人は、伏見天皇に奏して「真光寺」の寺名を拝受し、播州守護職赤松円心より寺領を寄進され、七堂伽藍は荘厳を極め、寺地は三十八町四方に及んだといわれています。次いで後醍醐天皇より「西月山」の山号を勅賜され、南朝の皇族「尊観法親王」が住持されてからさらに念仏の大道場として繁栄しました。その後再三の兵禍や火災に遭遇し、その都度再建されました。近年に至っては、1945年(昭和20)3月、第二次世界大戦で空襲に遭い全山消失してしまいました。現在の本堂は昭和37年再建されたものです。更に1995年(平成7)1月の阪神・淡路大震災により御廟所、観音堂、鐘楼が倒壊し、1998年(平成10)5月に再建復興しました。観音堂の御本尊はその昔、輪田岬の海底より霊光を放っているのを、漁師が引上げてみると観音様の御像であったので、お祀りしたのが始まりであると伝えられています。また戦前、山門の横に池があり、石亀が多数放生されていたので、通称「亀の寺」と親しまれてきましたが、都市計画のため境内が縮小され、現在は池はありません。なお、一遍上人御廟所の五輪塔のある玉垣内は文化財として県史跡に指定されています。寺宝として絵巻物紙本着色『遊行縁起』10巻(国重文指定)を所蔵しています。一遍上人御歌  「旅ごろも 木の根かやの根いづくにか 身の捨てられぬところあるべき」

長福寺:明徳年間(1350年頃)に真言宗の寺院になった長福寺は奈良時代(757年)、唐の高僧鑑真和尚が開基したと伝えられ、当初は真木山(まきさん)の山頂にありました。しかし度重なる火災により、昭和3年に寺院が、昭和26年に三重塔が現在の場所に移りました。高さ約22m、鎌倉時代の建築様式を伝える三重塔は、鎌倉時代中期の弘安8年(1285年)に天台宗の円源上人によって建立されました。

本蓮寺:本堂と番神堂と中門は国の重要文化財に、三重塔と祖師堂は県の重要文化財に指定されています。また、小堀遠州作の見事な庭園や多くの文化遺産が残され、朝鮮通信使が宿泊した名刹にふさわしい格調が漂います。2017年10月には、「朝鮮通信使に関する記憶」がユネスコの世界記憶遺産に登録されています。

遍照院:遍照院(へんじょういん)。倉敷の町の西のはずれ、高梁川に近い田園地帯にある寺。きょう最後の寺となる。時刻ももう午後6時をまわっている。境内は3つのエリアに分けられる。白壁に囲まれて建つ客殿エリア(左写真右側)、門もなく立ち入り自由な本堂エリアと、その前の広場の三重塔エリアである。

宝福寺:宝福寺は臨済宗東福寺派の寺院で、本山京都東福寺と結びつきが強く、地方の中でも有力な禅宗寺院です。古くは天台宗の寺院でしたが鎌倉時代中頃に県内ではいち早く臨済宗に改宗しました。盛時には塔頭・学院五十五、山外の末寺三百余を数えたと伝えられています。また、画聖雪舟が修行した寺として有名です。
 建造物では三重塔が最も古く解体修理の際、永和二年(1376)の墨書銘が発見されています。この塔は岡山県下二番目の古塔としても貴重です。
その他の建物は戦国時代の戦火で消失したと考えられますが、歴代の住職の努力で復興され、禅宗様式の広がりをもつ重厚な構造となっています。
 宝福寺は七堂伽藍を整えた、岡山県に残る近世禅宗寺院の代表的な建物といえるでしょう。静かな境内では、春は新緑、秋には紅葉と訪れる人を楽しませてくれます。

備中国分寺:市南部のアカマツにつつまれた丘陵地のほぼ中心部に位置し、聖武天皇の発願によって創建された国分寺の一つです。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建されました。境内にそびえる五重塔は、県内唯一のもので吉備路の代表的な景観となっています。

吉備古墳:現在の岡山県と広島県東部にわたる地域は、広大な吉備世界を形成しており既に弥生時代から豊かな稲作農耕を背景に吉備世界に共通する文化が広がっていた。
その吉備世界の中心地にある岡山市高塚の弥生集落・高塚遺跡から古代中国の貨幣である「貨泉」(かせん)が平成元年一括して大量25枚も出土した。
(※高塚遺跡=平成元年岡山自動車道建設に伴う発掘調査で発見)
これだけ大量の発見は全国でも例のないことで、吉備世界は早くから中国大陸の影響を強く受けて発展きてきたと思われる。
そんな吉備世界では弥生時代後期中葉における吉備独特の壺形土器(上東式土器)が出現し、また、これが変化発展して、吉備全域に共通する「特殊器台型土器」や「特殊壺型土器」と呼ばれる特異な土器が誕生した。これと同時に、特殊器台型土器や特殊壺型土器を伴った盛土による大型の弥生墳丘墓が発達、吉備に新しい時代が到来したのだ。
特殊器台型土器とその上に載せる特殊壺型土器は、葬送儀礼のとき死者に対して食べ物を供えるため用いられたものと考えられている。

17:00福山市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

21日7:00車で出発愛媛方面に向かう。

石手寺:愛媛県下の国の重要文化財(建造物)49のうち7つが石手寺にあり、そのなかでも仁王門は国宝。
石手寺は道後温泉から1km程と近く、四国遍路の元祖といわれる衛門三郎伝説ゆかりの寺としても知られ、愛媛県を代表する四国八十八ヶ所霊場の1つです。
広大な敷地には重要文化財の建造物のほか、七転八起を祈る元気石やマントラ洞窟、四国八十八ヶ所お砂撫で(おすななで)など見どころ満載なお寺。
また、観光ガイドブックの『ミシュラングリーンガイドジャパン』で1つ星にも選定され松山観光の定番スポットとして人気です。
大勢のお遍路さんや観光客が訪れているのはもちろん、四国の弘法大師ファンの中心的なお寺であり、初詣の参拝者数は愛媛県内トップの24万人以上と、地元でも多くの人々に愛されています。

高知方面に向かう。

竹林寺:
土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た…で有名な「よさこい節」の舞台であるほか、学僧・名僧があつまる「南海第一道場」とされた学問寺院としても知られる。鎌倉から南北朝時代の高名な臨済宗の学僧、夢窓国師(1275〜1351)が山麓に「吸江庵」を建てて修行、2年余も後進の育成に努めた。また、門前横には高知が生んだ世界的な植物学者、牧野富太郎博士(1862〜1957)の記念館と県立牧野植物園があるように、土佐の信仰や文化の中心地とも、土佐随一の名刹ともいわれた。
縁起では、神亀元年ころ、聖武天皇(在位724〜49)が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は、行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じた。行基菩薩はこの地が天皇の霊夢にふさわしいと感得、自ら栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建てて安置した。その後、大同年間(806〜10)に弘法大師がここに滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場にされたという。
慶長6年(1601)に山内一豊公が土佐初代藩主になって以来、歴代藩主の帰依が厚く、祈願所として寺運は隆盛した。「文殊堂」と呼ばれる本堂は、江戸時代前期の建立で国の重要文化財。この他、山門左手の宝物館には藤原時代から鎌倉時代にかけての国指定重要文化財の仏像17躰が収蔵されており、まさに県内きっての文化財の宝庫といえる。
眼下に高知の市街が眺められ、瓢箪形に食い込んだ浦戸湾が美しく広がって見える。

室戸青年大師像:若き日の弘法大師(空海)は室戸岬を修行地として選び、難行苦行の末多くの悟りを開いたと言われています。
この像は昭和59年11月、大師の徳を慕う信者や一般の方々の寄進によって建立されたもので、青年空海の力強い生き方がしっかりときざみ込まれています。 高さ21m(台座5m含)

徳島阿南に向かう。

19:00阿南市内のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

22日8:00車で出発。

熊谷寺:
四国霊場のなかで最大級の仁王門を構える。縁起によると弘仁6年、弘法大師がこの地の閼於ヶ谷で修行をされていた。その折、紀州の熊野権現があらわれ「末世の衆生を永く済度せよ」と告げられ、5.5センチほどの金の観世音菩薩像を授け、虚空はるかに去っていったという。大師はその場にお堂を建てて、霊木に自ら一刀三礼して等身大の千手観音像を彫造し、その胎内に金の尊像を納めて本尊にされた、と伝えられている。境内にその鎮守堂があり、熊野権現が祀られている。元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記』には、「境内は清幽で、谷が深く、水は涼しく、南海が一望できる。千手観音像の髪の中には126粒の仏舎利が納められてある」とあり、当時の境内の様子がうかがえる。元禄のころ(1688〜1704)までに幾度か火災にあった説もある。ただ、昭和2年(1927)の火災では本堂とともに弘法大師作のご本尊も焼失している。その後、歴代住職の尽力により本堂は昭和15年に再建されたが、第二次大戦で工事が中断、ようやく同46年に堂宇の全容が完成、新造された本尊の開眼法要が営まれた。前述の仁王門は、貞享4年(1687)の建立で、徳島県の指定文化財である。和様と唐様の折衷様式で、間口は9メートル、高さは12.3メートル。2層目の天井や柱には極彩色(ごくさいしき)の天女の姿などが描かれている。大師堂に安置されている弘法大師坐像は室町時代の作で、県指定の文化財である。

12:00帰路に向かう。

今回の旅行、兵庫・岡山・愛媛・香川・高知・徳島に点在する大仏、古墳、塔(兵庫大仏、但馬大仏、淡路島世界平和大観音、、吉備古墳、如意寺、石峯寺、八幡神社、一乗寺、斑鳩寺、大滝山、真光寺、長福寺、本蓮寺、遍照院、宝福寺、備中国分寺、石手寺、熊谷寺、竹林寺)を訪れ楽しみました。

バンコク渡航の予定でしたがコロナウイルスの影響で国内旅行に変更しました。

比較的感染可能性の少ない個人の車で多くの観光客が集まりにくい屋外の観光名所を巡りました。

やはりマイカーでの訪れが多く、観光バスは全く見られませんでした。




























 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百十四弾:京都府小京都重要伝統的建造物群保存地区観光第二弾
2020年3月14-15日
 

京都府中部北部に足を運こび、京都府中部北部に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区6か所(亀岡、美山、東舞鶴、西舞鶴、伊根、加悦)を訪れました。
14日12:30車で出発、第二京阪、京滋バイパス、京都縦貫自動車道経由して亀岡インター下車

亀岡:京都に一番近い小京都として知られているのが、亀岡です。豊かな自然が育んだ歴史や文化が香る亀岡は、明智光秀によって築かれた亀岡城を中心とした城下町です。

美山:京都市の北部、南丹市に位置する美山は、その名の通り美しい山々に囲まれた、静かな里。かやぶき屋根の民家が建ち並ぶ「かやぶきの里」などフォトジェニックな観光スポットや、豊かな食材を利用したグルメ・おかいものスポットが点在し、四季折々の見どころがあります。なかでも冬は、かやぶき屋根に降り積もる雪景色がひときわ美しく、人気のシーズンとなっています。

東舞鶴:京都府の北、日本海に面している舞鶴の地。美しい海岸線と、明治・大正のレトロな雰囲気を感じさせる赤れんがの建築物のコントラストが美しい街です。旧日本海軍ゆかりのノスタルジックな雰囲気が味わえる舞鶴の魅力、舞鶴は日本海の若狭湾に面した町です。東西にわかれた舞鶴湾とリアス式海岸をもち、天然の良港として昔から多くの人が往来し、栄えていました。約1万年前から舞鶴の地に人が住み始めたといわれています。関が原の戦いの際、戦火はここにも及びました。徳川家康の東軍についた細川幽斎が田辺城(舞鶴城)に籠城し、西軍の攻めを迎え撃ちました。江戸時代に京極高三が田辺藩(舞鶴藩)3万5千石を立藩、これが一般的に舞鶴市の始まりと言われています。城下町や港湾の整備などを行い、その後の舞鶴発展の礎を築きます。その後牧野氏が丹後田辺藩を引き継ぎ、牧野氏3万5千石の城下町として幕末まで栄え続けました。

西舞鶴:西舞鶴地区は城下町として栄えたエリアで、今も当時の寺町の景観などの面影を所々に残しております。とれとれセンターでは日本海で水揚げされた新鮮な海鮮を味わうことができます

18:30天橋立付近のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。

15日7:30車で出発

伊根:京都府にある日本海に面した伊根湾は、荒々しい日本海のイメージとはうってかわった、静かな入り江。そんな伊根湾沿いには、1階部分が船のガレージになっている舟屋が約230軒立ち並び、その独特の景観から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

加悦:京都府北部・丹後地方に江戸時代から昭和初期にかけて栄えた丹後ちりめん。隆盛をきわめた当時の町並みが残る由緒ある街道。織物工場をはじめ、当地方と京都市内を結ぶ交流の拠点として盛えたいろんな店の名残がありその面影をしのばせる。
平成17年(2005)12月27日に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

15:00帰路に向かう。

今回の旅行、京都府の中部北部に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区6か所(亀岡、美山、東舞鶴、西舞鶴、伊根、加悦)を訪れ楽しみました。

コロナウイルスの影響で自粛傾向、比較的安全な車での移動、人込みを避けての観光名所めぐり、この時世どの名所も観光客が少なく大阪の町中より感染の影響は少ないと判断し巡りました。
当分の間人込みの少ない屋外の観光名所を訪れる予定です。













 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百十三弾:沖縄県竹富島小京都重要伝統的建造物群保存地区観光
2020年3月7-8日

沖縄県の離島、石垣島からフェリーで20分に位置する竹富島に足を運び、竹富島に点在する重要伝統的建造物群保存地区を訪れ散策しました。

7日14:55伊丹空港出発
17:05那覇空港到達
17:45那覇空港出発
18:45石垣空港到達、バスで石垣港に向かう。
19:30石垣空港付近のホテル到着後周辺を散策し食事を済ませて就寝。
8日11:00出発、石垣港に向かう。
11:30石垣港、フェリーで出発
11:50竹富島港到達、散策

竹島:竹富島の家々は、琉球石灰岩の石垣、ふく木の防風林、屋根は赤瓦といった伝統的な建築様式をふまえていて、古い沖縄の集落景観をそのまま残しています。昭和62年に県内で初めて、全国では24番目の国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。赤瓦の屋根にシーサーを置くのは、魔除けの意味合いがありますが、瓦葺き職人が自分の仕事の証として、残った赤瓦と漆喰で作るようになったことがはじまりといわれています。白い砂を敷き詰めた道、道路の両側や石垣越しに四季を問わず咲く花々も南国特有の雰囲気を醸し出しています。
年2回、浜から砂を運んで集落の道や民家の庭に敷き詰めたり、建物の建設や建て替えに厳しい制限をもうけるなど、島民の力によってこうした風景が守られています。

14:00終了、竹富港に向かう。
14:20竹富港フェリーで出発。
14:40石垣港到達、?華街散策。

16:15バスで石垣空恋に向かう。
17:00石垣空港到達。
20:10石垣空港出発。
22:15関西空港到達。

今回の旅行、沖縄県の離島、石垣島からフェリーで20分に位置する竹富島に足を運び、竹富島に点在する重要伝統的建造物群保存地区を訪れ散策し楽しみました。

4回目の竹富島訪れ、重要伝統的建造物群保存地区を重点的に回りました。

コロナウイルスの影響で外国人の訪れは数少ないですが、日本人は比較的安全な南の島、竹富島に変更したのか賑わっていました。殆どん方が安心しているのかマスクをしていませんでした。