飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百三十七弾:東京都・神奈川県大仏・古墳・塔巡り観光
2020年8月29-30日
 

関東地方の東京都、神奈川県に足を運び、東京都、神奈川県に点在する大仏・古墳・塔11ヶ所(三渓園、鎌倉大仏、大船大仏、上野大仏、猿楽塚古墳、芝丸山古墳、摺鉢山古墳、飛鳥山古墳群、十条台古墳群、赤羽台古墳群、宝莱山古墳、玉川台古墳群、おおくら大仏、亀甲山古墳、経塚古墳、兜塚古墳、亀塚古墳、武蔵府中熊野神社古墳。本門寺)を訪れました。

29日13:45新大阪駅新幹線のぞみで出発
15:56新横浜駅到達、レンタカーで鎌倉方面に向かう。

三渓園:三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年(明治35)頃から造成が始められ、1914年(大正3)に外苑、1922年(大正11)に内苑が完成するに至りました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。

鎌倉大仏:「露坐の大仏」として名高い高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像。像高約11.3m、重量約121t を測るこの仏像は、規模こそ奈良東大寺の大仏( 盧舎那仏) に及ばぬものの、ほぼ造立当初の像容を保ち、我が国の仏教芸術史上ひときわ重要な価値を有しています。北条得宗家の正史『吾妻鏡』によれば、その造立が開始されたのは1252( 建長四) 年。制作には僧浄光が勧進した浄財が当てられたとも伝えられています。もっとも、創建当時の事情には不明な部分が多く、未だ尊像の原型作者すら特定されるに至っていません。当初尊像を収めていた堂宇については、『太平記』と『鎌倉大日記』に、1334( 建武元) 年および1369( 応安二) 年の大風と1498( 明応七) 年の大地震によって損壊に至ったとの記録を見いだすことができます。以後、露坐となり荒廃が進んだ尊像は、江戸中期、浅草の商人野島新左衛門( 泰祐) の喜捨を得た祐天※・養国の手で復興をみました。尊像の鋳掛修復に着手し、「清浄泉寺高徳院」と称する念仏専修の寺院を再興、当時、浄土宗関東十八檀林の筆頭であった光明寺の「奥之院」に位置づけたのも、祐天の事績にほかなりません。今日、創建750 年余を経た尊像は、仏教東伝の象徴として、国内外、宗派の別を問わず数多の仏教徒の信仰を集めています。

大船大仏:釈迦は菩提樹の下で坐禅をされ悟られたといわれ、その禅の教えは釈迦より28代を経て達磨大師に受継がれました。 その達磨大師の禅を日本に伝えられたのが道元禅師。道元禅師が開かれた福井県の永平寺、道元禅師の教えを弘め曹洞宗団を形成された瑩山禅師が開かれた神奈川県の總持寺を両大本山とするのが曹洞宗です。 大船観音寺は大本山總持寺の直末寺で、本尊は、聖観世音菩薩を祀っています。

18:30鎌倉付近のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
30日5:30レンタカーで出発、東京に向かう。

上野大仏:昭和のはじめまで<span style="font-size: 18px;"><strong>首のない状態で上野公園の大仏山に安置</strong></span>されていました。もともとは、1631年(寛永8年)に越後村上城主の堀直寄により粘土製の大仏が造られました。ですが、正保4年(1647年)、5月14日の地震で首がもぎ落ちました。明暦、万治年間(1655~61)には木食浄雲という僧により、7メートル程の大仏が建造されました。元禄年間(1688~1704)には、輪王寺宮公弁法親王によって、この上に大仏を守る大仏殿が建造されました。その後、地震や災火のたびに、復興されましたが、大正12年(1923)の関東大震災で再び首がもぎ落ちさらに、公園整備のために大仏は取り払われました。あげくのはてには、顔面部以外が戦争用途のために消失するという、信じられないくらい気の毒な運命を持った、大仏様です。かろうじて、寛永寺に保管されていた顔の表面部がレリーフ状となって、もともとの場所に安置されています。

摺鉢山古墳:上野公園内にある全長約70mの前方後円墳。後円部径約43m・高さ約5m、前方部最大幅約23m、葺石は未確認だが、埴輪片が出土している。内部構造は不明。5世紀頃の築造。
古墳がある上野公園一帯は博物館や美術館、寺社、動物園、図書館、研究所などの文化施設や観光名所が集中しているが、古墳好きの皆さんには東京国立博物館をオススメしたい。平成館考古展示室や東洋館横に保存されている石棺は必見である。上野公園は春になると桜が狂い咲き、多くの花見客で賑わうので、是非その時期に行ってみよう。

猿楽塚古墳:古墳時代後期に築造された直径約20m・高さ約5mの円墳。
区指定史跡、1976(昭和51)年指定。
この古墳が「猿楽町」の由来となっている。近くにもう1基あるらしいが、詳細は不明。

芝丸山古墳:東京都港区芝公園。東京タワーから見下ろせる芝公園の中に、5世紀後半築造と考えられている前方後円墳「丸山古墳」があ る。明治時代の有名な人類学者で日本考古学会の草分け的な存在である、東京大学の「坪井正五郎」が発掘・調査したことで 知られている。この周辺にはかっては11基の円墳を従えていたとされ、昭和33年に周辺が大規模開発されるまで、まだ数 基が残存していたという。今はこの「芝丸山古墳」と、すぐ近くの港区三田にある「亀塚古墳」が残るのみである。

飛鳥山古墳群:武蔵野台地の東北のヘリに位置する飛鳥山。全体が日本で最初の都市公園、飛鳥山公園となっていますが、そのなかには古墳が眠っています。飛鳥山公園の旧渋沢庭園内にある円墳群ですが、近年までたんなる庭園内の丘として扱われ、発掘調査もされていませんでした。実は飛鳥山の南北に連なる台地には古墳が多数つくられていたのです。

十条台古墳群: 「十条台古墳群」は、北区中十条2丁目に所在する3基の円墳と、付近に存在する「十条富士塚」からなる4基の古墳群です。十条2丁目に所在する3基の古墳は開発が進んでいるために墳丘は残されていませんが、平成2年(1990)に個人住宅建設にともなう発掘調査により周溝が検出され、1号墳、2号墳、3号墳と名称がつけられています。さらに平成9年(1997)には、別の地点の発掘調査にて1号墳の周溝の続きが、平成24年(2012)には2号墳が検出されています。
 画像の道路の突き当たりのあたりが3基の古墳の所在地ですが、周辺は開発が進み宅地が密集しているため、残念ながら古墳の痕跡を観察することは出来ません。

 「1号墳」は、規模直径約23m、周溝の幅は約3mの円墳であるとされています。周溝からは円筒埴輪、朝顔形埴輪のほか、須恵器や土師器も出土しています。「2号墳」は直径約13m、周溝の幅約1.8mの円墳で、覆土中より土師器杯や高杯などが出土しています。また、「3号墳」は周溝の検出範囲が狭いために規模は不明であるものの、円墳ではないかと考えられているようです。
この3基の古墳から南に100mほど離れた地点に、有名な「十条富士塚」が所在します。この富士塚は発掘調査はされていないため詳細は不明ですが、古墳の上に盛土をして築かれたと考えられており、この富士塚を含めた直径100mほどの範囲が「十条台古墳群」とされているようです。今後の周辺調査次第では、更なる古墳群の広がりも十分に考えられるかもしれません。。。

赤羽台古墳群:この古墳の所在するこの一帯は、かつては隣接する八幡神社の境内の森だったそうですが、砲兵連隊の駐屯地として整地された後に戦後の宅地開発などもあり、ほとんどの墳丘は削平されていたそうです。その後、東北新幹線建設に関連する工事に先立つ発掘調査が行われて、合計15基の円墳が確認されました。現在はそのほとんどが星美学園の敷地になっており、この古墳群は「赤羽台古墳群」と呼ばれています。「赤羽台1号墳」はこの中で唯一墳丘の痕跡の残っている古墳で、径31mの円墳とされていますが、削られてかなり小さくなっているようです。

宝莱山古墳:この古墳は、多摩川流域最古の前方後円墳で、荏原古墳群の最初の首長墓です。最近の発掘調査から全長97メートルあまり、4世紀前半の築造と推定されます。昭和9年(1934年)の宅地造成工事で、埋葬施設が発見され、倣製四獣鏡ぼうせいしじゅうきょう(注釈)、勾玉まがたま、ガラス製丸玉、鉄剣などが出土しました。
これらは、剣、玉、鏡の「三種の神器」と同様のもので、この古墳が初期大和政権と強い関係にあったと考えられます。

玉川台古墳群:

おおくら大仏:平成6年秋のお彼岸に完成。特徴は佛さまの大きさが高さ8メートル、重さ8トン、ブロンズ製である。
この大仏様は、光背に四菩薩をはいした久遠実成の本佛お釈迦様を現している。久遠実成の本佛とは、法華経の一番有り難い佛さまで、佛の命が過去から現在、未来へと永遠に続くことを表し、その佛さまを拝む人類の生命、そして地球上のすべての生きとし生けるものの命が永遠であることを説いたお釈迦様の姿である。
台座から一回転できるようになっている。朝9時から夕方5時までは、本堂の方向を向いた南向きになっている。夕方5時から翌朝9時までは世田谷通りの方向を向いていて、交通安全や世界平和を祈念している。もし貴方が大佛さまをお参りされるとかならず、大佛さまは貴方のほうを向いて見守ってくださいます。

亀甲山古墳:の古墳は、南武蔵を代表する多摩川流域最大の前方後円墳で、全長107メートルあまりあります。近年の多摩川流域の古墳研究から、4世紀後半の築造と推定されます。

経塚古墳:全長40~42m、高さ5mの円墳。
幅10m以上の周溝がめぐり、経典を埋めたという伝承から経塚と呼ばれ、現在は道路で分断されているが元は泉龍寺の境内にあった。築造時期は5世紀後半と推定。

兜塚古墳:兜塚古墳は、昭和62年(1987)と平成7年(1995)に行われた確認調査により、墳丘の残存径約43m、周溝外端までの規模約70m、高さ約4mの円墳と考えられます。周溝の一部の状況から、円墳ではなく帆立貝形の古墳の可能性も指摘されています。墳丘の本格的な調査を実施していないため主体部などは良くわかっていませんが、土師器や円筒埴輪が出土しています。円筒埴輪の年代から6世紀前半の築造年代が考えられています。
兜塚を含む狛江古墳群は南武蔵で最大規模の古墳群と推定されていますが、墳丘の形状を留めているのは僅かで、本古墳は良好な状態で遺存している貴重な古墳といえます。狛江古墳群では二ヶ所の主体部が発掘調査され、神人歌舞画像鏡、鉄製刀身、玉類、金銅製馬具などが出土した亀塚古墳が有名です。亀塚古墳は5世紀後半から6世紀初頭ころの狛江古墳群の盟主墳と考えられますが、兜塚古墳は亀塚古墳の次世代の盟主墳と考えられています。

亀塚古墳:全長40m、高さ6.9mの帆立貝式前方後円墳。
3つの埋葬施設から鏡(歌人歌舞画像鏡)、装飾品(金銅製毛彫飾板)、武器、馬具などの副葬品が出土し、被葬者を渡来人と考える学説が提示されたが、渡来人が東国へ移住したと思われる時期等を考えるとその可能性は低いようである。出土した埴輪片などから築造時期は5世紀末から6世紀初頭と推定。

武蔵府中熊野神社古墳:武蔵府中熊野神社古墳は、飛鳥時代の7世紀の中頃(今から約1350年前)に築造された古墳であり、四角い墳丘(ふんきゅう)の上に丸い墳丘が重なった形で、上円下方墳と呼ばれています。この形は、古墳時代の終わり頃に造られるようになった、全国的にも非常に希少な形の古墳です。武蔵府中熊野神社古墳は、国内の発掘調査により確認され、石が()かれている上円下方墳の中では最大規模であり、もっとも古いものです。

本門寺:弘安5年(1282)9月日蓮聖人は9年間住みなれた身延山を下り、病気療養のため常陸の湯に向かう途中、池上宗仲公の館で病が重くなり足を留められた。そのとき、宗仲・宗長兄弟が寄進した山上のお堂を「長栄山本門寺」と命名し開堂供養をされたのが本門寺のはじまりである。日蓮聖人は10月13日に御入滅されたが、「日蓮聖人御入滅の霊場」として第二祖日朗聖人以来七百余年の法灯を伝えている。

18:00新横浜駅到達。
18:39新横浜駅新幹線のぞみで出発
20:48新大阪駅到達。

今回の旅行、関東地方の東京都、神奈川県に足を運び、東京都、神奈川県に点在する大仏・古墳・塔11ヶ所(三渓園、鎌倉大仏、大船大仏、上野大仏、猿楽塚古墳、芝丸山古墳、摺鉢山古墳、飛鳥山古墳群、十条台古墳群、赤羽台古墳群、宝莱山古墳、玉川台古墳群、おおくら大仏、亀甲山古墳、経塚古墳、兜塚古墳、亀塚古墳、武蔵府中熊野神社古墳。本門寺)を訪れ楽しみました。

鎌倉大仏以外は初めての訪れ、新鮮味、歴史を感じながら散策観光し満喫しました。



















飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百三十六弾:長野県小京都重要伝統的建造物群保存地区巡り観光
2020年8月22-23日
  

甲信越地方の長野県に足を運び、長野県北部に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区7か所(須坂、小布、渋温泉、飯山、野沢、松代、白馬青鬼)を訪れました。

22日14:00新大阪新幹線のぞみで出発
14:56名古屋駅到達。
15:05名古屋駅しなので出発
17:54長野駅到達、レンタカーで長野駅前のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
22日6:00レンタカーで出発

須坂:須坂市は、江戸時代に須坂藩主堀氏の館町として、また大笹街道と谷街道の交差する場として、数々の商取引きが行なわれました。その後明治から昭和にかけて製糸業で隆盛を極めました。市街地に現存する蔵は明治から昭和にかけて建築されたものが多く、蔵を生かした商店、博物館、美術館など当時を偲ぶことができます。また郊外には、素晴らしい大自然の宝庫が見られ、今なお愛され続ける温泉も旅人達を癒してくれます。

小布施:小布施は北信濃にあって千曲川東岸に広がる豊かな土地です。特に千曲川の舟運が発達した江戸時代には、交通と経済の要所として栄えました。当時は定期的な市「六斎市」がたち、人、物、情報が集まる北信濃の文化的中核ゾーンでした。交通のクロスポイント「逢う瀬」が現在の地名の由来と言われています。「六斎市」の面影は現在も毎年1月に開かれる「安市」に引き継がれています。
人が行き交い集まる歴史の中で、当地では独特の文化が花開き、多くの文人墨客が訪れました。小林一茶や葛飾北斎も小布施の魅力に引き付けられた客人の一人で、ここに残された多くの作品は、今でも私たちを魅了しています。
小布施は観光用に作られた街ではありません。伝統的に生産されて来た栗菓子製造などの産業や、育まれ継承されてきた独自の文化は、そのまま現在の街に自然と溶け込み活かされています。小布施において「文化」とは過去のものではなく現在そのものです。 遠方からの訪問者をお迎えするホスピタリティは、はるか昔より受け継がれてきました。住む人も訪れる人も幸せになれる町づくりのために様々な取り組みがなされています。たとえば「オープンガーデン」。住む人が心を込めてつくった自宅の庭をも来訪者に公開し、楽しんでもらおうという試みです。これは町内全域にくまなく広がり、小布施が「花のまち」として呼ばれるまでにもなりました。

渋温泉:地面を掘ればすぐお湯が出てしまうというくらい、源泉が数多く存在する渋温泉。温泉王国といわれる長野県でもまれな、豊富な湯量と泉質が自慢です。渋の全ての旅館と外湯は100%源泉掛け流し。源泉によって成分が異なるので、鉄分が多く褐色を帯びたものから白濁するもの、緑がかったもの、無色透明など地中から湧き出たままの温泉が味わえます。効能も神経痛から美肌までさまざま。目的や体調に合わせて湯めぐりをお楽しみください。

飯山:長野県のもっとも北に位置する飯山市は、唱歌「ふるさと」「朧月夜」などにも歌い継がれてきたような、郷愁の情景が今なお息づく悠久のふるさとです。豊かな自然風土のなかで独特の文化や歴史、伝統と人情が育まれ、趣深い寺の町並みや奥深く続く森や高原、四季の彩りをたたえる農作物など、土地土地にさまざまな魅力があふれています。
平成27年3月に北陸新幹線・長野~金沢間が開通し、「飯山駅」が誕生しました。全国各地からのアクセスがぐっと便利になりました。

野沢:日本で唯一、村の名前に「温泉」がついている野沢温泉村。冬の間は雪に覆われるこの地に湧き立つ温泉を発見したのは、聖武天皇(724~748年)の時代の僧・行基であるという説、また修行中の山伏が見つけたという説など諸説あります。いずれにしても、いにしえの時代から温泉地として知られてきた野沢温泉。その湯は、村民の生活と深く関わりながら、地域の共有財産として大切に守られてきました。

松代:松代町(まつしろまち)は、大河ドラマ「真田丸」でもお馴染みの真田家が治めていた松代藩のあった場所で、古くからの城下町の風情が残っている町です。真田十万石の城下町では至る所で真田家の家紋「六文銭」を見ることができます。
江戸時代に真田家が治める以前には武田信玄率いる武田家の領地だったこともあり、有名な「川中島の戦い」も松代城址、かつての海津城の周辺でも起こっています。また、幕末期に活躍した佐久間象山の出身地でもあります。

白馬青鬼:長野県北西部、北アルプスこと飛騨山脈の麓に広がる白馬村。冬はスキー、夏は避暑地として有名なこの地には、「青鬼(あおに)」と呼ばれる集落が存在します。
山の中腹にたたずむ小さな集落ではありますが、そこには江戸時代から明治時代にかけて建てられた大型古民家が密集して建ち並び、まるで昔話の世界に迷い込んだような雰囲気に浸ることができるのです。
くねくねとした山道を登って行くと、突如として視界が開け、大型の伝統家屋が視界に飛び込んできます。14棟の主屋と7棟の土蔵が肩を寄せ合って並ぶその光景はまさに圧巻の一言。迫力ある風景に、思わず目を見張ります。
青鬼集落は国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されていますが、特に観光地化されている訳ではなく、昔ながらの素朴な山村集落の散策を楽しむことができます。

14:00終了、松本駅に向かう。
15:05松本駅到達。
15:24松本駅しなので出発。
17:30名古屋駅到達。
18:35新大阪駅到達。

今回の旅行、
甲信越地方の長野県に足を運び、長野県北部に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区7か所(須坂、小布、渋温泉、飯山、野沢、松代、白馬青鬼)を訪れ楽しみました。
関西はまだまだ猛暑、長野県は比較的涼しい、30度以下で過ごすことができました。7つの点在する名所、気持ちよく散策しながら回ることができました。何回か訪れたことのある観光名所、白馬青鬼は初めての訪れ、山奥に位置する村、風情を感じました。
























飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百三十五弾:長崎県五島列島離島巡り観光
2020年8月13-16日
 

九州の長崎県五島列島に足を運び、主となる五つの島の2つの島(福江島、奈留島) 主となる島の周囲に浮かぶ6つの島(嵯峨島、島山島、椛島、前島、赤島、黄島)を訪れました。
13日15:35伊丹空港到達。
16:50福岡空港到達。
17:40福岡空港出発。
18:20五島福江空港到達、バスで福江市内に向かう。
19:20福江市内のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
14日7:00レンタバイクで出発
8:30貝津港到達
9:10貝津港フェリーで出発
9:23嵯峨島港到達、レンタバイクで観光

嵯峨島:嵯峨島は貝津の西方沖合に浮かぶ周囲12kmの小さな島。島民の3分の1はカトリックで、先祖は、江戸時代に大村藩から逃れてきた潜伏キリシタンです。復活後、最初は信徒の家を利用してミサが捧げられていましたが、1918年に教会堂が完成。

12:50嵯峨島港出発
13:03貝津港到達、レンタバイクで出発
島山島巡る。

島山島:玉之浦町の奥の奥、島山島。平成6年に橋がかかり陸続きになりました。ここには野生のニホンジカの一種・キュウシュウジカが生息しており、自然のままの鹿を見ることができます。

15:30福江港到達。
16:35福江港フェリーで出発
16:54伊福貴港到達

椛島:島内から縄文前期の石器が発見されており、数千年前に人が住んでいたとされる。
承元四年(1210年)平家の落人である伊王三郎が家臣27名を従え、芦ノ浦の東南高地に住み着いたのが起こりとされる。その後、韓国からの移民やキリシタンも来島し、かくれキリシタンの集落も多くあった。伊能忠敬本隊による測量が1813年に行われている。1889年4月に地方自治体としての南松浦郡樺島村が発足した。1948年には人口3,000人を越えていたが、漁の不振、高度経済成長により人口流出が進み、1957年3月末に当時の福江市に編入され自治体として消滅した。2015年現在では人口が150人まで減少している。古くは「樺島」との表記であったが、昭和27年頃から長崎県内にある別の樺島[1]との混同を避けるため、役所の書類で「椛島」の表記になったとされる。

17:00伊福貴港出発
17:05本窯港到達
17:10本窯港出発
17:33福江港到達、ホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
15日8:05福江港フェリーで出発。
8:50奈留港到達、レンタカバイクで出発

奈留島:五島列島の中心に位置する「奈留島(なるしま)」。上五島や福江島に比べて焦点が当たりにくいこぢんまりとした離島ですが、実は岩礁と海が織りなす「奈留千畳敷」やエメラルドグリーンの「宮の浜海水浴場」など五島屈指の絶景を数々有しています。また島北西部に佇む世界遺産「江上教会」は、まるで物語の中に迷い込んだような雰囲気を見せ、豊かな自然に溶け込んでいます。

千畳敷:本島の南東海岸の舅ヶ島と小島との間に広がり平坦な岩礁で畳が1,000枚も敷けるほど広いことから付けられた。大潮の干潮時には見事な景観を呈する。波浪の浸食によって、海食崖や洞が発達する。一方、硬い砂岩が平板状となり千畳敷のような岩礁となる。

ユーミンの歌碑:県立奈留高等学校の校庭に「瞳を閉じて」が刻まれた歌碑がある。奈留高校の一女生徒が出した手紙がきっかけとなり、デビュー当時のユーミンが奈留島をイメージしてつくった心あたたまる直筆の歌碑である。

城岳展望台:中世に奈留氏が山頂に城をかまえたことから「城岳」と呼ばれるようになりました。上五島の一部や久賀島、福江島まで見渡せ、ダイナミックな海と空と山の美しさを感じることができます。

江上天主堂:ロマネスク様式で、外部も室内も簡素で、すっきりした構造をしており、日本に定着した木造の様式的教会建築の定型的な姿といえる。国指定重要文化財。世界遺産暫定リスト登録。


巨木アコウ:奈良尾神社の参道をまたぐようにそびえる高さ25m、幹周り12mのクワ科の巨木アコウ。国の天然記念物に指定されています。この大樹をくぐると長生きするとの言い伝えも。ふたりでくぐればさらなるご利益があるかも。

10:45奈留港フェリーで出発
11:00前島港到達。

前島:前島は、奈留島の南海上約2kmに位置する五島列島の島です。「トンボロ」と呼ばれる幅約10m、長さ約400mに及ぶ砂洲で、南西にある末津島とつながっています。潮の干満によって景観が変化するトンボロは美しいだけでなく、地形学的にも大変貴重なものとなっています。

11:05前島港フェリーで出発。
11:20奈留港到達、レンタバイクで出発
15:45奈留港フェリーで出発。
16:40福江港到達、ホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
16日7:35福江港フェリーで出発。
8:00赤島港到達。

赤島:赤島は、福江島福江地区の南東海上12kmに位置する玄武岩質熔岩でできた比較的なだらかな島です。明治から大正にかけてはカツオ漁の基地として栄えていました。現在は周辺の天然の好漁場で沿岸漁業が営まれています。

8:05赤島港出発。
8:12黄島港到達。

黄島:福江島の南東約18kmに位置する。おおむね平坦で東側の番岳が最高点。番岳には噴火口があり、地質は玄武岩質溶岩に覆われ、古くから水不足が課題だった。国のサンシャイン計画で昭和59年7月に世界で初めて太陽光発電利用海水淡水化施設が設置された。平成6年には飲用水に利用するための工事が完了し、島民の暮らしに大いに役立っている。島にある溶岩でできた岩(コメツッイシ)が黄色がかっていることから「黄島」と名づけられた。江戸時代から捕鯨が行われるようになり、明治から昭和初期にかけて捕鯨基地として栄えた。

8:25黄島港出発。
9:00福江港到達、レンタバイクで出発。

福江島:長崎県の西方100kmに浮かぶ140あまりの島々からなる五島列島。16世紀半ばにキリスト教が布教された地で、キリシタン文化を感じさせる観光地が多く残ります。福江島は五島列島最大の島。コバルトブルーの海や美しい流線形を描く火山などの豊かな自然に恵まれ、歴史ある教会群や断崖に建てられた白亜の灯台などの見どころが盛りだくさんの島。

堂崎天主堂:福江港からまずは北へ約10キロの堂崎天主堂。ここは長崎で殉教したヨハネ五島を記念して創立された天主堂で、明治6年の禁教令解禁後、五島に初めて建てられたもの。当初は世界遺産を構成する教会の一つとして推薦されましたが、その後の構成資産の見直しにより除外され、それにより福江島内で世界遺産を構成する教会はなくなってしまいました。
しかし五島を代表する教会として「世界遺産の構成資産と一体的に保存・継承していく資産」として認定されたこの堂崎天主堂には、今なお多くの人々が訪れます。

カトリック水の浦教会:この白亜の建物は現存する木造教会堂としては最大規模のもので、目の前に美しい入江を望む景観が有名な、五島を代表する美しい教会です。

高浜ビーチ:水の浦教会から西へ20分ほど進むと、天然の海水浴場としては日本一の美しさともいわれる高浜ビーチが。まばゆいばかりの白砂の向こうには、澄みきった東シナ海。遠い南国リゾートの、誰も知らない秘密の花園のような景観が楽しめます。

福江城(石田城)跡:文久3年(1863)に五島盛徳が五島福江島の中心地に築城。文化5年(1808)にイギリス軍艦フェーントン号が長崎港に侵入し,海防の必要性が高まったので,肥前(長崎県)五島藩主は幕府に築城許可を願い出た。青方晋賜・藤原久与の監督で工事を進め,完成したのは明治維新の5年前であった。現在は,石垣・大手門,城郭の一角に盛成の隠殿五島邸とその庭園が残る。

五島観光歴史資料館:五島の古代から近世までの歴史と観光を紹介しています。
福江城二の丸跡にある天守閣を模した資料館です。旧福江市制施行35周年を記念して建設されました。3階建ての館内には古代の暮らしや遣唐使、倭寇、キリシタン信仰、五島藩の形成、観光名所、祭りなど五島の歴史文化が時代順に、分かりやすく紹介されています。

武家屋敷通り:離島なのであまり知られていませんが、ここは福江藩五島氏の城下町で、市街中心部には福江城跡もあり、意外にも和風情緒が感じられる町でもあるのです。

鐙瀬溶岩海岸:鬼岳火山から流れ出た溶岩で形づくられた海岸。黒いゴツゴツした海岸は、あまり見かけたことがありません。独特です。

鬼岳:五島のシンボル「鬼岳」。標高315m、全面が芝生に覆われ、その名とは裏腹に美しい流線形を描く火山です。尾根伝いのトレッキングでは眼下に福江の市街地や遠くは上五島などが望めます。また晩夏にはコオニユリ、秋にはリンドウなどの植物にも出会えます。

明星院:藩主五島家代々の祈願寺です。寺伝によると弘法大師空海が大同元年(806)唐からの帰りにこの寺に立ち寄り、唐で修めた密教が国家や民衆のために役立つように祈願されました。現在の本堂は焼失後に再建したもので、五島最古の木造建築。国・県文化財の仏像などが多数あり、本堂の格天井には五島藩絵師で狩野派の大坪玄能の筆による121枚の花鳥画が極彩色で描かれています。

15:00福江空港に向かう。
15:30福江空港到達。
17:35福江空港出発。
18:05長崎空港到達。
18:55長崎空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、2回目の訪れである五島列島に足を運び
主となる五つの島の2つの島(福江島、奈留島) 主となる島の周囲に浮かぶ6つの島(嵯峨島、島山島、椛島、前島、赤島、黄島)を訪れ楽しみました。
8つの島を巡るためレンタバイクが有効、バイクで島めぐりしました。風を切り自然の扇風機に当たりながらバイクドライブ観光満喫しました。世界遺産に登録され、福江港も前回より新しくなり立派、観光名所も案内板が整備され訪れやすくなりました。
 












































飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百三十四弾:福岡県・大分県・宮崎県・熊本県大仏・古墳観光
2020年8月8-10日
  

九州の福岡県・大分県・宮崎県・熊本県に足を運び、福岡県・大分県・宮崎県・熊本県に点在する大仏・古墳12箇所(博多大仏、竹原古墳、南蔵院涅槃像、香山昇龍大観音、日岡古墳、別府大仏、稲積昇龍大観音、高鍋十一面観音、大釈迦座像、鍋田横穴墓群、チブサン古墳、久留米救世慈母大観音)を訪れました。

8日13:38新大阪駅のぞみで出発
16:06博多駅到達、レンタカーで巡る。

博多大仏:東区馬出4丁目に称名寺(時宗)が建っております。境内には大仏台座跡が残っており,昭和19年頃まで大仏様がありましたが,日本軍の命令により軍需材料用として供出されてしまい現在はありません。唯一白毫(びゃくごう)のみが大切にほかんされています

竹原古墳:竹原の諏訪神社の境内地にある竹原古墳は、装飾古墳として歴史・美術史的に高く評価されていて、国の指定史跡になっています。竹原古墳は、昭和31年3月18日に、若宮町(現宮若市)在野の考古学者で九州考古学会員の清賀義人氏らによって発見されました。奥壁の絵が発見された時の「神秘的なものを感じ、特に雄渾な龍や翳に驚嘆し、すごい壁画だ」という感想が残されています。

南蔵院涅槃像:高野山真言宗の別格本山でもあり、その境内の一角に位置するこの釈迦涅槃像はブロンズ製では世界一とされています。その大きさは、全長(横の長さ)41メートル、高さ11メートル、重さ約300トンというスケール!! とにかく間近でみるとその大きさを肌で感じることができます。
このお釈迦様の左手にはよく見ると、五色の布が垂れ下がっていて、正面のお参りする場所にその紐が両端から垂れ下がっています。参拝者が皆、この五色の布をギュッとにぎってお参りします。なぜ五色なのかというと、お釈迦様が悟りを開いたときに「五色の光」が現れたからとのこと。参拝されるときはぜひお釈迦様の左手に繋がっているこの五色の紐を握ってから、参拝されることをおススメします。

18:30篠栗市内のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。

9日6:00レンタカーで出発

香山昇龍大観音:原鶴温泉を一望できる香山の山頂付近にそびえ立つ「香山昇龍大観音」は、知る人ぞ知る開運、金運のパワースポット。
台座を含め28メートルの高さを誇る観音像で、昇龍観音としては日本一の大きさです。観音様の周囲を一巡すると一徳の利生があり、二度巡ると観音様が影身に添ってその人を守護し、悪事災難の身代わりをするといわれています。

日岡古墳:若宮八幡宮の境内にある日岡(ひのおか)古墳は、全長74m、高さ5mの装飾古墳で、6世紀前半に造られたといわれています。後円部には横穴式石室があり、奥の壁面には同心円文、わらび手文、三角文などの幾何学的な文様が、周囲の壁には武具、魚、船、馬、獣などが、赤・白・緑の3色を使い分けて描かれています。その芸術性の高さから、県を代表する装飾古墳のひとつとして国の史跡に指定されています。現在は天井部分の石が崩落しているため、上からのぞき込む形での見学となります。

別府大仏:像高24mの鉄筋コンクリート製の阿弥陀如来の大仏で、コンクリートに遺骨や遺髪を混ぜた骨仏である。
蓮華座の内部が三層構造になっており、1階には戒壇巡りと大ホールが設けられ、2階には三十三観音、八十八ケ所の写し霊場があり、3階には不動明王、薬師如来、大日如来、双子権現、文殊菩薩、善光寺菩薩などの6体の仏像が祀られていた。
1989年(平成元年)に解体されており、現存しない。

稲積昇龍大観音:全国名水百選の白山川に黄金燦然と輝く稲積昇龍観音菩薩立像は、その影を映し参拝の人々を大慈大悲の観音菩薩の優しい微笑みと限りなき慈愛に満ちた眼差しで包み、その苦しみや災難を受止められ願いを叶えてくれる大変有難い菩薩です
龍は昔より、大蛇が山に千年、川に千年、さらに海に千年棲み天に昇って龍となり、自在に雲を起こし雨を呼ぶと言われています。その龍も一度、観音菩薩の法威に触れると仏敵守護に転じ、菩薩の法威と龍の神通力を加えて参拝者に大悲代受苦の御恵を与えると伝えられています
この稲積昇龍観音菩薩立像は、高さ二十二米で県下一番を誇り、稲積水中鍾乳洞兼光世治社長の宿願で、世の平穏と地域住民の無事息災を祈り、さらに参拝者の救済を願い、本年八月、この地に建立開眼しました。

高鍋十一面観音:持田古墳群の霊を慰めるために故岩岡保吉翁が開山。八十八ヶ所札仏と岩岡氏自身が刻んだ石像が700体以上あり、なかには6メートルを超える巨大なものもあります。町北部の丘陵地に位置し、日向灘も一望できる絶景地。見学は自由です。

16:00熊本に向かう。

17:30熊本駅付近のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
10日6:00レンタカーで出発

大釈迦座像:熊本県玉名市の山中にある「大釈迦坐像」が建立されています。高野山真言宗 弘泉寺・奥之院 小岱山釈迦院にこの大釈迦如来像がいます。弘泉寺住職の野内一念僧正が世界平和を祈念し10年の歳月をかけて1979年昭和54年に手造りにて建立されました。全体像の大きさは、総長38.5メートル、幅は18メートル、顔の大きさが7.2メートルの大きさがあるコンクリート佛である。コンクリート製の頭部と崖を固めた体部から成ります。

鍋田横穴墓群:鍋田横穴群は、古墳時代後期(今から約1400年前)、熊本県北部を流れる菊池川の支流の岩野川に沿った崖面に作られた群集墓です。その崖面には阿蘇大噴火でできた溶岩(阿蘇凝結熔解岩)が露頭した場所があり、古墳時代の人々はここに横方向の穴を掘って、お墓としました。鍋田第27号横穴慕の左外壁には、人物、弓、盾、馬、靫(ゆぎ;矢の入れ物)などが浮き彫りされています。山鹿市内では、このほか長岩横穴群や城横穴群など多数の横穴群が点在していますが、鍋田横穴群はわが国の装飾横穴の代表格と言えます。

チブサン古墳:
チブサン古墳は、古墳時代後期(今から約1500年前)に造られたお墓です。古墳は前方後円墳で、その内部に割り石を積み上げて作られた部屋(石室-せきしつ)が造られています。その石室の奥に石の棺おけ(石棺-せっかん)が置かれてあります。石棺の壁には赤、白、黒の三色で、丸や三角、菱形などの図が描かれていています。二つ並んだ円が女性の乳房に見えることから「チブサン」という名がついたと言われています。保存状態がとても良好で、熊本はもとより日本の装飾古墳を代表する古墳の一つです。

久留米救世慈母大観音:愛と光に満ちた慈顔あふれる世界の母、救世慈母大観音様は日本最大級・高さ62mの仏像であり螺旋階段で肩の所まで登られます。その間展望孔からは筑後平野・有明海、遠くは雲仙まで見渡すことが出来ます。白毫には直系30cmの純金の板に3カラットのダイヤモンドが18個ついています。又、胸の瓔珞には直径10 cmの水晶とその周囲には56個の翡翠が散りばめてあります。体内には天女の舞姿や万人拝仏の像、皆様方の家門繁栄、子孫長久、健康成就の為に、大日如来、釈迦如来、薬師如来様がまつられ水子供養や先祖供養の為に千体仏を安置致しています。夜間は照明燈により美しく浮かび上がった救世慈母大観音様を拝むことが出来まます。救世慈母大観音様は自分自身ではどうすることも出来ない一切の災いを取り除いて頂く有り難い御利益があると言われます。

10:00博多駅に向かう。
11:00博多駅到達。
11:15博多駅のぞみで出発
13:40新大阪駅到達。

今回の旅行、九州の福岡県・大分県・宮崎県・熊本県に足を運び、福岡県・大分県・宮崎県・熊本県に点在する大仏・古墳12箇所(博多大仏、竹原古墳、南蔵院涅槃像、香山昇龍大観音、日岡古墳、別府大仏、稲積昇龍大観音、高鍋十一面観音、大釈迦座像、鍋田横穴墓群、チブサン古墳、久留米救世慈母大観音)を訪れ楽しみました。

殆どが巨大大仏、民間が造作したものが多く、成金が象徴ゆえに建設されたように思われます。又数か所の大仏は老朽により解体し土台のみ存在していた。




















飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百三十三弾:新潟県佐渡小京都重要伝統的建造物群保存地区・塔観光
2020年8月1-2日
  

新潟県佐渡に足を運び、佐渡に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区・塔3か所(妙宣寺、宿根木、相川)を訪れました。
1日15:35伊丹空港出発・
16:35新潟空港到達、バスで新潟駅に向かう。
17:30新潟駅付近のホテル到着後繫華街を散策し食事を済ませて就寝。
2日6:00歩いて佐渡汽船港に向かう。
6:40佐渡汽船到達。
7:55佐渡汽船ジェットフォイルで出発
9:05佐渡両津港到達、レンタカーで巡る。

妙宣寺:妙宣寺:佐渡配流の日蓮に仕え、熱心な法華経信者となった遠藤為盛(阿佛房日得上人)。1278年、妻の千日尼と共に自宅を寺として開いたのが始まりと伝わります。かつては佐渡守護代竹田本間氏の居城で、今もどことなく城跡の雰囲気を残しています。境内には、県内唯一の五重塔はじめ、「正中の変」で佐渡配流となった日野資朝の墓などがあります。

宿根木:中世から港があり、佐渡金山繁栄期の17世紀を経て、江戸後期から明治初期にかけては北前船稼業として発展。小さな入り江に面して、船板などを利用した板壁の民家100余棟が密集する町並みは、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。民家3棟が公開(有料)されており、集落全体が船の仕事に従事した歴史を今に伝えます。

相川:相川は、金山とともに発展し、明治以降も佐渡の行政の中心地として栄えてきた歴史のある街です。
街の中には、その歴史を感じさせる建物や町並みが今も見ることが出来ます。 史跡や観光施設も多くあります。
細く入り組んだ路地の多い相川の街は、車を降りてゆっくりと歩いて回るとより楽しめます。 坂が多いので、運動不足な人はちょっと息が切れるかもしれません。

13:30両津港に向かう。
14:00両津港到達。
14:30佐渡汽船ジェットフォイルで出発。
15:35新潟港到達、バスで新潟駅経由して新潟空港に向かう。
17:00新潟空港到達。
19:05新潟空港出発。
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、新潟県佐渡に足を運び、佐渡に点在する小京都重要伝統的建造物群保存地区・塔3か所(妙宣寺、宿根木、相川)を訪れ楽しみました。

2回目の訪れの佐渡観光、歴史的建造物、街並みを散策し癒されました。