国内離島観光

今まで訪れた離島


北海道:利尻島、礼文島、奥尻島、かもめ島、天売島、焼尻島

東北:松島、金華山(島)、蕪島、白山島、弁天島、雄島、福浦島、宮戸島、荒島、飛島 、桂島、野々島、寒風沢島、朴島、出島、江島、気仙沼大島、田代島、網地島

関東:江ノ島、城ヶ島、八景島、中ノ島 、佃島、仁右衛門島

伊豆:八丈島、大島、新島、青ヶ島、三宅島、御蔵島、利島、式根島、神津島 、初島、小笠原諸島(父島、母島、南島)

北陸:能登島、佐渡島、粟島、雄島、舳倉島

東海:竹島、三河大島、佐久島、佐久島大島、日間賀島、篠島、坂手島、答志島、菅島、神島、賢島 、渡鹿野島、間崎島

瀬戸内海:淡路島、小豆島、女木島、男木島、豊島、直島 、与島、粟島、家島、男鹿島、西島、坊勢島、上島、鞍掛島、太島、加島、黒島、松島、大ツフラ島、小ツフラ島、三つ頭島、広島宮島、因島、さぬき広島、白石島、伯方島、大島、大久野島、弓削島、向島、生口島、大三島、高根島、江田島、倉橋島、西能美島、東能美島、下蒲刈島、上蒲刈島、鹿島、粭島、笠戸島、長島、周防大島、屋代島、沖家室島 、大津島、横島、田島、仙酔島、本島、弓削島、岩城島、大崎上島、津和地島、犬島、前島、岩子島、佐木島、生名島、佐島、長島、大芝島、岡村島、中ノ島、平羅島、大崎下島、豊島、長島、頭島、鴻島、鹿久居島、大多府島、神島、片島、高島、真鍋島、北木島、小飛鳥、大飛鳥、宇品島、大手島、島田島 、似島、阿多田島、猪子島、牛島、小手島、手島、柱島、端島、黒島、志々島、浮島、頭島、前島、情島、笠佐島、牛島、祝島、馬島、佐合島、佐柳島、高見島、伊吹島、櫃石島、岩黒島、釣島、二神島、怒和島、津和地島、平郡島、百島、細島、豊島、高井神島、魚島、走島、佐木島、契島、生野島、野島、八島、金輪島、沖野島、斎島、三角島、大島(香川)

紀伊水道 :友が島、沼島、伊島、前島、牟岐大島、和歌山沖ノ島、串本大島、和歌山地ノ島、弁天島、竹ヶ島、出羽島、小勝島

中国:大根島、隠岐の島(島前、島後)、巌流島、角島、青海島、見島、長州出島、彦島、竹ノ子島、蓋井島、六連島 、大島、相島

四国: 沖ノ島、大島、柏島、興居島、野怱那島、睦月島、中島 、九島、日振島、戸島、嘉島、沖ノ島、鵜来島、八幡浜大島、馬島、小島、来島、大下島、小大下島、鵜島、津島

琵琶湖: 沖ノ島、多景島、竹生島

九州:桜島、種子島、青島、姫島、壱岐、対馬、平戸島、大島、生月島、天草諸島(大矢野島、永浦島、大池島、池島、前島、上島、下島、戸馳島、野釜島、野牛島、維和島、樋合島、通詞島、獅子島、椚島、樋島、下須島)、屋久島、奄美大島、加計呂麻島、徳之島、五島列島(福江島、久賀島、若松島、中通島、頭ヶ島、日島、漁生浦島、有福島)、喜界島、沖永良部島、能古島、加部島、甑島(上甑島、中甑島、下甑島)、長島、伊唐島、諸浦島、竹島、志賀島 、軍艦島(端島)、伊王島、沖ノ島、高島、樺島、箕島、牧島、相島、大島、地島、玄海島、姫島、高島、大島、神集島、屋形島、大入島、保戸島、藍島、馬島、小川島、馬渡島、加唐島、蕨島、針尾島、大島、寺島、大島、栃浦島、崎戸島、松島、高島、黒島、鷹島、福島、前島、鼕泊島、的山大島、度島、鵜瀬島、大島、島野浦島、深島、青島、黒島、大島、原島、長島、松島、向島、御所浦島、牧島、横浦島、湯島、池島、飛島、奈留島、嵯峨島、島山島、椛島、前島、赤島、黄島

南西諸島:沖縄、与論、石垣島、竹富島、小浜島、久米島、西表島、黒島、由布島、与那国、宮古島、多良間、伊良部島、下地島、本間島、池間島、粟国島、伊江島、瀬長島、瀬底島、古宇利島、屋我地島、久高島、伊計島、奥武島、宮城島、平安座島、浜比嘉島、慶良間諸島(座間味島、渡嘉敷島、阿嘉島、慶留間島、外地島)、北大東島、南大東島、波照間島、伊是名島、伊平屋島、野甫島、奥武島、渡名喜島、水納島、津堅島、宮城島
飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百五十五弾:小笠原諸島父島・母島・南島観光
2020年12月29日−2021年1月3日
   

東京・都心部から南へ約1000kmの太平洋上に浮かぶ東京都の島々大小30余りの島々の中で、民間人が暮らす、父島と母島を訪れました。

12月29日7:09新大阪駅新幹線のぞみで出発

9:28品川駅到達、山手線に乗り換え浜松町駅下車、歩いて竹芝桟橋に向かう。

10:00竹芝桟橋到達。

11:00竹芝桟橋おがさわら丸出航

30日11:00父島二見港到達、レンタカーで父島巡り

北緯20度25分〜27度44分、東経136度4分〜153度59分の広大な海域に大小30余りの島々が散在する小笠原諸島。
映画やニュースで有名な硫黄島や沖ノ鳥島なども含まれ、日本の排他的経済水域(EEZ)のおよそ1/3はこれら小笠原の島々によって確保されています。いずれも行政上は東京都に属しますが、主島である父島ですら空港が無く、アクセスは東京・竹芝桟橋との間に概ね6日に1便運航している定期船のみ。まさに太平洋の大海原に浮かぶ離島群と言えるでしょう。
そんな小笠原には、「最初に定住したのは日本人ではなかった」といった意外な歴史、太平洋島しょ地域の流れを汲むと伝えられるユニークな踊り、そして、この島でしか見られない固有の生き物など、特異な歴史と文化、更に自然が豊富。特にその自然は、2011年6月にユネスコの世界自然遺産に登録されました。

小笠原の歴史

小笠原諸島は文禄2年(1593)、信州深志(松本)の城主であった小笠原長時のひ孫、小笠原貞頼が発見したと伝えられています。
しかし最初の定住者は日本人ではなく、当時欧米からたくさんやってきていた捕鯨船に、水と食料を供給する為に住み着いた、欧米人5人とハワイ人15人でした。
その後、明治9年(1876)に日本が領有宣言をして、国際的にもここが日本領土として認められました。
ここでの農業は、亜熱帯性気候を生かした果樹や冬野菜の栽培、漁業ではカツオ、マグロ漁のほか、捕鯨やサンゴ漁などが行われ、大正後期には人口7,000人を超え小笠原の最盛期を迎えました。
しかし、太平洋戦争を境に、それまでの平和で美しい島の様子が大きく変わります。昭和19年(1944)には、6,886人の島民が本土へ強制疎開させられ、硫黄島では日本軍が玉砕し、日米両国を合わせて28,721人の尊い命が奪われました。
戦後、小笠原は米軍の統治下に置かれ、一部の欧米系島民しか帰島を許されませんでした。全ての島民たちの帰島が許されたのは、それから23年後の昭和43年(1968)6月26日、小笠原諸島が日本に返還された時です。内地での生活基盤が出来上がった人たちも多く、小笠原へ戻ることを諦めざるを得なかった人も少なくありません。
昭和54年(1979)4月に村政が確立され、自然と共生する村をめざして新しい村づくりが始まりました。
小笠原の人口

平成24年3月現在、小笠原の人口は父島で約2,000人、母島で約500人です。
父島は主に北部の大村地区、清瀬地区、奥村地区に人口が集中しています。母島は元地地区、静沢地区に人口が集中しています。
小笠原のくらし

生活用品や生鮮食料品などは、定期船おがさわら丸で運ばれます。新聞も一週間分まとめて届きます。おがさわら丸入港日の午後の商店はたくさんの買い物客で溢れています。
商店や飲食店、観光業に携わる島民はおがさわら丸の運航に合わせて休日をとっています。
おがさわら丸は年に一度整備のためドックに入ります。一月に行なわれることが多いですが、2週間程おがさわら丸は留守になります。そのため生鮮食料品が不足しますが、買い溜めをして乗り切ったり、本土に長期休暇に行く人も多いです。

小笠原の産業

島では農業・漁業も盛んですが、島の自然を活かしたエコツアーの先進地として、観光業に携わる人も多く生活しています。海のレジャーはもちろん、一度も大陸と繋がったことのない海洋島・小笠原だからこそ見られる固有の植物の数々。
天然記念物に指定されている鳥などの生き物たち。小笠原は海と山の大自然をお楽しめる。
父島:父島は東京〜八丈島間の3倍よりも遠い、東京都心から1,000kmほど南にある島です。小笠原諸島で2番目に大きく、面積は千代田区のほぼ2倍。人口は約2,000人で、都立高校や小笠原村役場もある小笠原の中心的な島です。最近は世界遺産に登録されたことから、注目されています。
1. ウェザーステーション(三日月山展望台)

街から非常にアクセスが良く、きれいな夕日を眺められる絶景スポット。波の音を聞きながら、海に沈む夕日は非常に美しく癒やされます。
運が良ければ、沖合でクジラが跳ねる様子を見ることもできます。
2. 小笠原ビジターセンター

小笠原ビジターセンターは、小笠原の自然を中心に、歴史や文化を紹介した施設です。
捕鯨基地や占領地などとして特異な道を歩んだ歴史や、小笠原にしかいない固有種などの珍しい動植物を、パネルや復元模型を使って分かりやすく展示・解説しています。 小笠原クイズなどの楽しいコーナーもあるので、小笠原を知る第一歩として価値があります。
3. 小笠原海洋センター

小笠原海洋センターでは、アオウミガメをはじめとする小笠原の生物の保護や研究をしています。
ウミガメ教室では、ウミガメについて学び、甲羅磨き体験など直接触れ合うことができます。
4. VERA 小笠原観測局

直径20mの電波望遠鏡アンテナで、父島では最大の建造物です。国立展望台の一部が、一般公開(日曜休館)されており、施設内の見学・説明が受けられます。
毎年、スターアイランドという特別公開イベントも開催されており、島民観光客共に賑わっています。

17:00大村繁華街を散策し食事を済ませて奥村のホテルで就寝。

31日9:05森山歩き
森・山歩き

小笠原諸島は、大陸と一度も陸続きになったことがないため、海流、風、鳥などによって運ばれてきた動植物は独自の進化を遂げました。原生状態を保つ亜熱帯の森と山を、固有の動植物や鳥をウォッチングしながらのハイキングやトレッキングは、驚きと感動がいっぱいです。
小笠原の植物

植物の種子は一体どうやってこの島に辿りついたのでしょうか。
海流にのってやってくるもの、鳥の翼などに付着してきたもの、風にのって辿りついたものなど、様々です。
こういった植物の種子は競争相手や天敵もいない裸地状態だった島で、独特な進化を遂げました。こういった植物の中には、人間が持ちこんだヤギやネズミの食害により著しく数が減り、今では希少種となっているものや絶滅危惧種になっている種もあります。
小笠原では遊歩道として整備されている道以外は殆ど、林野庁の定める「森林生態系保護地域」になっています。
これらの森や山に入るには許可を受けたガイドの同行が必要です。自分だけでは見付けにくい固有植物もたくさんあるので、是非ガイドと一緒に小笠原独自の植物層や景色を楽しんで下さい。
タコノキ

タコノキは父島でも母島でも色々な場所で見ることができます。パイナップルみたいな実をつけていますが、この実はとても固く、甘い果物ではありません。
気根という根をタコの足のように伸ばしている姿から「タコノキ」と呼ばれています。
テリハハマボウ

花は朝咲いて、始めは黄色ですが、夕方には赤くなって萎れる一日花。
ハイビスカスの仲間ですが、テリハハマボウは小笠原でしか見られない固有種です。
ムニンヒメツバキ

小笠原の「村の花」ムニンヒメツバキ。
父島では島のいたるところで見られます。
5月?7月にかけて、シーズンを迎え、満開時には白い絨毯のように見える場所もあります。
マルハチ


葉の落ちたあとの幹の表面に、丸に逆さ八の字模様がみえるためにこの名前がつけられました。
直立で10mほどの高さがあり、ひらけた斜面などに群生しています。
小笠原の動物
カツオドリ

翼を広げると1.5m近くになる大型の鳥。トビウオやイカを空中から見つけてダイビングし、捕食します。
アカガシラカラスバト

小笠原諸島の固有亜種であり「国内希少野生動植物種」及び「天然記念物」に指定されています。

16:00大村繁華街で買い物食事を済ませてホテルに向かい就寝。

1月1日8:35ボートツアー
小笠原の海

小笠原の海は、地上から眺めた景観だけではなく、海の中も同様に魅力に溢れています。海中へ向かって鋭く落込む黒い岩肌、カラフルなサンゴ礁や熱帯魚、ギンガメアジやイソマグロの群れが行き交う光景など、感動の世界が広がっています。
小笠原近海では20種類以上の鯨類が回遊しており、ミナミハンドウイルカ、ハシナガイルカは通年見ることが出来ます。12月末頃からは、ザトウクジラが繁殖・子育ての為、遠く北の海からやって来ます。また、日本最大のアオウミガメの繁殖場でもあります。海の中では、成長したアオウミガメが悠然と目の前を通り過ぎるという体験もできるかもしれません。
小笠原の海では、ホエールウォッチング、ドルフィンスイム&ウォッチング、シュノーケリング、スキューバダイビング、シーカヤック、釣りなど、様々なアクティビティが楽しめます。
ザトウクジラ

ザトウクジラのベストシーズンは2〜4月。圧倒的な風格と迫力で見る者の心を揺さぶるのは、地球上最大の生き物であるクジラたち。特にザトウクジラは、小笠原のホエールウォッチングの代表的存在。ブリーチと呼ばれるジャンプや胸びれ・尾びれで海面を叩くなど、様々なアクションで楽しませてくれます。海を見渡せる高台からであれば、陸からの観察も可能です。
マッコウクジラ

5〜11月はマッコウクジラがウォッチングできます。潜水のチャンピオンを言われるマッコウクジラは、沖合10〜30kmの外洋域で見られます。尾を海面上に高々と持ち上げ、深海へ静かに潜り込んでいきます。
イルカ

小笠原諸島近海では野生のイルカに一年を通じて会うことができます。船からのウォッチングが楽しいのはハシナガイルカ、前転やバク転、体をきりもみ状に回転させながらジャンプを見せてくれることもあります。ミナミハンドウイルカに出会えたならば、ドルフィンスイムにチャレンジ。人とよく一緒に遊んでくれるので、フィーリングが合えば近寄ってくれるかもしれません。
アオウミガメ

小笠原諸島は日本で最大級アオウミガメの繁殖地です。 6〜7月頃に産卵、8〜9月頃に孵化します。 小笠原海洋センターでは、アオウミガメの調査・保全そして一年を通じてウミガメの飼育を行っています。
5. 南島

南島は「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形で「ドリーネ」というくぼ地や「ラピエ」という鋭くとがった岩が見られる父島南西沖の小さな無人島です。
ここは多様な植生に加え海鳥やウミガメの産卵地であり、現在植生回復事業も行なっています。
ヒロベソカタマイマイ


1000年から2000年前に絶滅したと言われ、半化石の貝殻が見られます。天然記念物のため持ち出しは禁止です。

扇池

南島NO1スポット

白いビーチに透き通った海が一体となった入り江
ヒロベソカタマイマイ

1000年から2000年前に絶滅したと言われ、半化石の貝殻が見られます。天然記念物のため持ち出しは禁止です。
6. 千尋岩(ハートロック)

父島の南、円縁湾に面した断崖絶壁。
海側から見ると赤い岩肌がハート形に見えるため別名ハートロックと呼ばれています。
森林生態系保護地域のため、入林許可を受けたガイドの同行が必要になります。

16:00ホテル到達、食事を済ませて就寝。

2日7:30父島二見港からははじま丸で出発、母島に向かう。

9:30母島沖港到達。母島散策。

母島:父島から「ははじま丸」に乗り約2時間で到着する母島。島民約500人ののどかな島で、亜熱帯の湿性高木林が茂り、乳房山や小富士のトレッキングでは珍しい植物に触れることができる。島の南部には蓬莱根や南崎など景観のいい海岸も多く、シュノーケリングでは美しいサンゴ礁を鑑賞できる
1. 母島観光協会

沖港船客待合所内にある。母島の観光情報はここで得てから出発しよう。オリジナルググッズ等も販売。建物横の芝生にはザトウクジラの像がある。このマップの所要時間は、ここが出発地点。
2. ロース記念館

耐熱性に優れ、加工もしやすい母島特産のロース石造りの郷土資料館。戦前使われていた民具や漁具、製糖機器等を展示。ロース石は、1869年(明治2年)頃、母島に定住し開拓に貢献したドイツ人ロスフスによって発見された。大正時代には砂糖倉庫として使用されていた。
母島観光協会から車2分+徒歩10分
3. 清見が岡鍾乳洞

清見が岡周辺は小規模なカルスト地域。六角形のお堂の後ろの崖についている扉から鍾乳洞に入る。壁際にカーテンといわれる鍾乳石の壁が見られる。広さはないが、ガジュマルの気根も垂れ下がり、洞窟探検気分が味わえる。
母島観光協会から徒歩5分
4. 乳房山

標高463mの母島の最高峰。ハハジマノボタン、ワダンノキなど固有植物の宝庫。山頂までの遊歩道では、母島でしか見ることのできない鳥「メグロ」に会えることも。晴れた日には父島も望める。

10:30母島沖港ははじま丸で出発。

12:30父島二見港到達

15:30父島二見港おがさわら丸で出発

3日15:30竹芝桟橋到達。

17:28品川駅新幹線のぞみで出発

19:48新大阪駅到達。

今回の旅行、東京・都心部から南へ約1000kmの太平洋上に浮かぶ東京都の島々大小30余りの島々の中で、民間人が暮らす、父島と母島を訪れ楽しみました。 

初日は、レンタカーで父島の観光名所を訪れ、二日目は森林生態系を散策し固有種の動植物に触れました。3日目はボートに乗船してホエールウオッチング、イルカの群れ、青ウミガメを鑑賞し、四日目はフェリーで母島を訪れ散策観光し、五泊六日の旅、満喫しました。

自然あふれる小笠原諸島、世界遺産にも登録され、さぞかし多くの動植物が生息を期待していましたが、一度も大陸と地続きとなったことがない島、海洋島のため、他方面からの生き物が移動できず生息しない、数少ない固有種の宝庫となっているのに感動いたしました。



 
































飛行機で国内&海外の観光地巡り第五百三十五弾:長崎県五島列島離島巡り観光
2020年8月13−16日
 

九州の長崎県五島列島に足を運び、主となる五つの島の2つの島(福江島、奈留島) 主となる島の周囲に浮かぶ6つの島(嵯峨島、島山島、椛島、前島、赤島、黄島)を訪れました。
13日15:35伊丹空港到達。
16:50福岡空港到達。
17:40福岡空港出発。
18:20五島福江空港到達、バスで福江市内に向かう。
19:20福江市内のホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
14日7:00レンタバイクで出発
8:30貝津港到達
9:10貝津港フェリーで出発
9:23嵯峨島港到達、レンタバイクで観光

嵯峨島:嵯峨島は貝津の西方沖合に浮かぶ周囲12kmの小さな島。島民の3分の1はカトリックで、先祖は、江戸時代に大村藩から逃れてきた潜伏キリシタンです。復活後、最初は信徒の家を利用してミサが捧げられていましたが、1918年に教会堂が完成。

12:50嵯峨島港出発
13:03貝津港到達、レンタバイクで出発
島山島巡る。

島山島:玉之浦町の奥の奥、島山島。平成6年に橋がかかり陸続きになりました。ここには野生のニホンジカの一種・キュウシュウジカが生息しており、自然のままの鹿を見ることができます。

15:30福江港到達。
16:35福江港フェリーで出発
16:54伊福貴港到達

椛島:島内から縄文前期の石器が発見されており、数千年前に人が住んでいたとされる。
承元四年(1210年)平家の落人である伊王三郎が家臣27名を従え、芦ノ浦の東南高地に住み着いたのが起こりとされる。その後、韓国からの移民やキリシタンも来島し、かくれキリシタンの集落も多くあった。伊能忠敬本隊による測量が1813年に行われている。1889年4月に地方自治体としての南松浦郡樺島村が発足した。1948年には人口3,000人を越えていたが、漁の不振、高度経済成長により人口流出が進み、1957年3月末に当時の福江市に編入され自治体として消滅した。2015年現在では人口が150人まで減少している。古くは「樺島」との表記であったが、昭和27年頃から長崎県内にある別の樺島[1]との混同を避けるため、役所の書類で「椛島」の表記になったとされる。

17:00伊福貴港出発
17:05本窯港到達
17:10本窯港出発
17:33福江港到達、ホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
15日8:05福江港フェリーで出発。
8:50奈留港到達、レンタカバイクで出発

奈留島:五島列島の中心に位置する「奈留島(なるしま)」。上五島や福江島に比べて焦点が当たりにくいこぢんまりとした離島ですが、実は岩礁と海が織りなす「奈留千畳敷」やエメラルドグリーンの「宮の浜海水浴場」など五島屈指の絶景を数々有しています。また島北西部に佇む世界遺産「江上教会」は、まるで物語の中に迷い込んだような雰囲気を見せ、豊かな自然に溶け込んでいます。

千畳敷:本島の南東海岸の舅ヶ島と小島との間に広がり平坦な岩礁で畳が1,000枚も敷けるほど広いことから付けられた。大潮の干潮時には見事な景観を呈する。波浪の浸食によって、海食崖や洞が発達する。一方、硬い砂岩が平板状となり千畳敷のような岩礁となる。

ユーミンの歌碑:県立奈留高等学校の校庭に「瞳を閉じて」が刻まれた歌碑がある。奈留高校の一女生徒が出した手紙がきっかけとなり、デビュー当時のユーミンが奈留島をイメージしてつくった心あたたまる直筆の歌碑である。

城岳展望台:中世に奈留氏が山頂に城をかまえたことから「城岳」と呼ばれるようになりました。上五島の一部や久賀島、福江島まで見渡せ、ダイナミックな海と空と山の美しさを感じることができます。

江上天主堂:ロマネスク様式で、外部も室内も簡素で、すっきりした構造をしており、日本に定着した木造の様式的教会建築の定型的な姿といえる。国指定重要文化財。世界遺産暫定リスト登録。


巨木アコウ:奈良尾神社の参道をまたぐようにそびえる高さ25m、幹周り12mのクワ科の巨木アコウ。国の天然記念物に指定されています。この大樹をくぐると長生きするとの言い伝えも。ふたりでくぐればさらなるご利益があるかも。

10:45奈留港フェリーで出発
11:00前島港到達。

前島:前島は、奈留島の南海上約2kmに位置する五島列島の島です。「トンボロ」と呼ばれる幅約10m、長さ約400mに及ぶ砂洲で、南西にある末津島とつながっています。潮の干満によって景観が変化するトンボロは美しいだけでなく、地形学的にも大変貴重なものとなっています。

11:05前島港フェリーで出発。
11:20奈留港到達、レンタバイクで出発
15:45奈留港フェリーで出発。
16:40福江港到達、ホテル到着後?華街を散策し食事を済ませて就寝。
16日7:35福江港フェリーで出発。
8:00赤島港到達。

赤島:赤島は、福江島福江地区の南東海上12kmに位置する玄武岩質熔岩でできた比較的なだらかな島です。明治から大正にかけてはカツオ漁の基地として栄えていました。現在は周辺の天然の好漁場で沿岸漁業が営まれています。

8:05赤島港出発。
8:12黄島港到達。

黄島:福江島の南東約18kmに位置する。おおむね平坦で東側の番岳が最高点。番岳には噴火口があり、地質は玄武岩質溶岩に覆われ、古くから水不足が課題だった。国のサンシャイン計画で昭和59年7月に世界で初めて太陽光発電利用海水淡水化施設が設置された。平成6年には飲用水に利用するための工事が完了し、島民の暮らしに大いに役立っている。島にある溶岩でできた岩(コメツッイシ)が黄色がかっていることから「黄島」と名づけられた。江戸時代から捕鯨が行われるようになり、明治から昭和初期にかけて捕鯨基地として栄えた。

8:25黄島港出発。
9:00福江港到達、レンタバイクで出発。

福江島:長崎県の西方100kmに浮かぶ140あまりの島々からなる五島列島。16世紀半ばにキリスト教が布教された地で、キリシタン文化を感じさせる観光地が多く残ります。福江島は五島列島最大の島。コバルトブルーの海や美しい流線形を描く火山などの豊かな自然に恵まれ、歴史ある教会群や断崖に建てられた白亜の灯台などの見どころが盛りだくさんの島。

堂崎天主堂:福江港からまずは北へ約10キロの堂崎天主堂。ここは長崎で殉教したヨハネ五島を記念して創立された天主堂で、明治6年の禁教令解禁後、五島に初めて建てられたもの。当初は世界遺産を構成する教会の一つとして推薦されましたが、その後の構成資産の見直しにより除外され、それにより福江島内で世界遺産を構成する教会はなくなってしまいました。
しかし五島を代表する教会として「世界遺産の構成資産と一体的に保存・継承していく資産」として認定されたこの堂崎天主堂には、今なお多くの人々が訪れます。

カトリック水の浦教会:この白亜の建物は現存する木造教会堂としては最大規模のもので、目の前に美しい入江を望む景観が有名な、五島を代表する美しい教会です。

高浜ビーチ:水の浦教会から西へ20分ほど進むと、天然の海水浴場としては日本一の美しさともいわれる高浜ビーチが。まばゆいばかりの白砂の向こうには、澄みきった東シナ海。遠い南国リゾートの、誰も知らない秘密の花園のような景観が楽しめます。

福江城(石田城)跡:文久3年(1863)に五島盛徳が五島福江島の中心地に築城。文化5年(1808)にイギリス軍艦フェーントン号が長崎港に侵入し,海防の必要性が高まったので,肥前(長崎県)五島藩主は幕府に築城許可を願い出た。青方晋賜・藤原久与の監督で工事を進め,完成したのは明治維新の5年前であった。現在は,石垣・大手門,城郭の一角に盛成の隠殿五島邸とその庭園が残る。

五島観光歴史資料館:五島の古代から近世までの歴史と観光を紹介しています。
福江城二の丸跡にある天守閣を模した資料館です。旧福江市制施行35周年を記念して建設されました。3階建ての館内には古代の暮らしや遣唐使、倭寇、キリシタン信仰、五島藩の形成、観光名所、祭りなど五島の歴史文化が時代順に、分かりやすく紹介されています。

武家屋敷通り:離島なのであまり知られていませんが、ここは福江藩五島氏の城下町で、市街中心部には福江城跡もあり、意外にも和風情緒が感じられる町でもあるのです。

鐙瀬溶岩海岸:鬼岳火山から流れ出た溶岩で形づくられた海岸。黒いゴツゴツした海岸は、あまり見かけたことがありません。独特です。

鬼岳:五島のシンボル「鬼岳」。標高315m、全面が芝生に覆われ、その名とは裏腹に美しい流線形を描く火山です。尾根伝いのトレッキングでは眼下に福江の市街地や遠くは上五島などが望めます。また晩夏にはコオニユリ、秋にはリンドウなどの植物にも出会えます。

明星院:藩主五島家代々の祈願寺です。寺伝によると弘法大師空海が大同元年(806)唐からの帰りにこの寺に立ち寄り、唐で修めた密教が国家や民衆のために役立つように祈願されました。現在の本堂は焼失後に再建したもので、五島最古の木造建築。国・県文化財の仏像などが多数あり、本堂の格天井には五島藩絵師で狩野派の大坪玄能の筆による121枚の花鳥画が極彩色で描かれています。

15:00福江空港に向かう。
15:30福江空港到達。
17:35福江空港出発。
18:05長崎空港到達。
18:55長崎空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、2回目の訪れである五島列島に足を運び
主となる五つの島の2つの島(福江島、奈留島) 主となる島の周囲に浮かぶ6つの島(嵯峨島、島山島、椛島、前島、赤島、黄島)を訪れ楽しみました。
8つの島を巡るためレンタバイクが有効、バイクで島めぐりしました。風を切り自然の扇風機に当たりながらバイクドライブ観光満喫しました。世界遺産に登録され、福江港も前回より新しくなり立派、観光名所も案内板が整備され訪れやすくなりました。
 











































飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百十四弾:香川県四国別格二十霊場&四国三十六不動霊場巡礼&大島観光
2015年5月30−31日

四国の北東部、瀬戸大橋により本州と結ばれ瀬戸内海に面し、日本で一番小さい県、さぬきうどんで有名な香川県に足を運び、四国別格二十霊場4箇所、四国三十六不動霊場9箇所を訪れました。

30日12:30車で阪神、神戸淡路鳴門高松自動車道経由して津川寒川インター下車

繁昌院:一名一事不動尊と呼ばれ、方位厄難除け、学業向上、病気平癒などに霊力があるとされている。
また、境内には日本一体の石仏である馬鳴菩薩があり、縁結び、衣類の仏様。

浄土寺:一名雷不動尊とも称され、雨をもたらし、落雷除け等の霊力の他に、
衆生に落雷の如くふりかかる厄難を除きたまわらんと厚い仏恩を内蔵する。

高松に向かう。

天福寺:美応山 宝勝院 天福寺。
天平年中(729年〜766年)に行基菩薩が諸国行脚の途中この地に来られ、由佐の音谷を仏法相応の霊地であるとされ、五尺三寸の薬師如来を彫刻し、一堂を建立、安置し、美応山法輪院清性寺としたのが起源である。
その後延暦年中(782年〜805年)に弘法大師がこの寺に来遊され、真言宗の道場となった。そしてこれを信仰して四条天皇は国司橘の公忠に命じて、音谷清性寺を現在の場所に移し、寺号を天福寺と改めた。
天福寺には数多くの宝物が保管されていて、伊勢物語(後鳥羽院)御歌(後醍醐天皇)弥陀六字名号(弘法大師)薬師如来立像(行基菩薩)など、数百点に及んでいる。

不動明院:一名波切不動尊と呼ばれる四国一の立像。
瀬戸内海国鉄宇高連絡線紫雲丸の犠牲者の供養の寺として有名。

香西寺:奈良時代に行基が勝賀山の麓に庵をつくり宝幢を刻んで宝幢山勝賀寺として創建されました。その後弘仁8年(817)弘法大師が現地に移し延命寺蔵菩薩を刻んで安置し再興しました。
 嵯峨天皇(在位809〜823)の時代に勅願寺となり、朱雀天皇(在位930〜945)には僧徒学問所である讃岐談義所となりました。
 鎌倉時代にこの地の豪族香西資村が幕命をうけ堂塔を再建し香西寺と名付けました。その後細川頼之が当寺を本津(香西東町)に移し、十一代香西元資は寺号を地福寺と改称し、天正年間(1573〜1592)には戦火に遭い、国主生駒親正により再建、高福寺と名を変えました。万治元年(1658)、またも失火のため旧寺域(現在の地)へかえることになった。寛文九年(1669)、藩主松平頼重公が堂塔を整え、別格本山・香西寺となりました。その後またも失火で焼失し、現在の建造物はその一部です。寺宝の毘沙門天立像(101cm)は平安中期の作、檜の一本造りで国の重要文化財となっています。

聖代寺:僧西行(俗名 佐藤義清)は、その晩年かつて思いをはせた旧主家徳大寺家の姫君の忘形見、崇徳上皇の菩提を弔うため当地に一宇を建立された。(崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃州に配流され1164年におかくれになられている。)
後年、寿永4年(1185年)源平の合戦に敗れた平氏の臣が、当山において合戦に散った将兵の霊を慰めたとも云われている。
当山不動明王は、弘法大師御敬刻の尊像を奉祀する大本山成田山新勝寺のご本尊の分身像で、古来より霊験あらたかな「身代り厄除け不動尊」として知られており、その霊被を蒙る人は数知れない。
境内に至る石段は42段あり、厄除け坂と呼ばれる。

16:30高松駅付近のホテル到着後高松商店街を散策し食事を済ませて就寝。

31日8:00車で出発、高松港に向かう。

9:10高松港高速艇で出発。
9:35大島到達、散策。

大島:もともと2つの島が砂州で繋がり一つの島となったものです。この辺りは源平合戦の戦場になったところで、敗れた平家の墓に植えられた松が800年の時を経て今も残っており「墓標の松」と呼ばれています。源平合戦:歴史的には治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)[1180−1185年)といわれるもので、この辺りの決戦は屋島の戦い(1185年)と言われるもの。この島には「国立療養所大島青松園」の入居者と職員、その家族の方だけが在住しています。

10:30大島高速艇で出発。
10:55高松港到達。車で西に向かう。

海岸寺:宝亀5年(774)弘法大師の母である玉依御前(たまよりごぜん)がこの地に産屋を設けて大師を出産しました。大同2年(807)大師はこの産屋跡に聖観音菩薩像を刻んで安置したのが海岸寺の始まりです。大師の誕生所が第75番善通寺で産屋が海岸寺となっています。
 山門には琴ヶ浜、大豪をモデルにした金剛力士像が立っています。門を入って直ぐに安政3年(1856)再建の本坊本堂がありますが、道路を隔てて西側に奥の院があります。そこには産屋跡や奥の院大師堂があり、大師童形の御姿像、両親の佐伯公夫婦像、四天王像等が祀られていて是非とも訪れなければならない所です。
 他にミニ108ヶ所、巨岩を配したまんだら園、法句碑、四国三十六不動三十一番霊場悪縁断ち不動やお堂があり、ゆっくり参拝されれば1時間以上を要します。又、展望台は瀬戸内海が見渡せる絶景の位置にあります。

不動坊:瀬戸内海に面した屏風ヶ浦海岸に位置する。寺院は本坊と奥の院からなり、本坊と奥の院との間にさぬき浜街道とJR予讃線が通っている。
現在、本坊には山門、本堂、不動堂、鐘楼等があり宿坊と海岸寺ユースホステルを併設している。ここの山門は日本で唯一、仁王像の代わりに実際に昭和期の第二次世界大戦後に活躍した地元出身力士の琴ヶ浜(向かって右)と大豪(向かって左)の像が立っている。
奥の院には山門、大師堂、弘法大師産湯の井戸、大塔、文殊堂、そしてミニ八十八カ所等がある。

寺伝によれば、ここは空海(弘法大師)の母親である玉依御前の出身地とされる。更に空海は奈良時代後期の宝亀5年(774年)に当寺奥の院で生まれたとされており、弘法大師出化初因縁(しゅっけしょいんねん)の霊跡と言われる。
平安時代初期の大同2年(807年)空海が弥勒菩薩を刻み、堂宇を構えたのが当寺院の開創と伝えられている。弘仁6年(816年)には空海が自身の像を刻み、大師堂を建てたことにより奥の院が開かれたとされる。
戦国時代には土佐の戦国大名・長宗我部元親の進攻に遭い天正11年(1583年)には伽藍が焼亡し、天正18年(1590年)より随時再建がなされた。

妙音寺:寺伝によれば、飛鳥時代天武天皇治世の白鳳5年(665年または676年)に創建されたと言われ、讃岐国最古の寺院の一つと伝えられる。 平安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)嵯峨天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)によって現在の寺号となったと伝えられている。
戦国時代に入り天正2年(1574年)長宗我部元親軍の侵攻により伽藍は火災に遭った。この時、本尊の阿弥陀如来は自ら雨を降らせて難を逃れたと伝わっている。 天正の戦火で寺院は荒廃した。その後、江戸時代中期の正徳年間(1711年 - 1716年)旭応阿闍梨によって復興された。また、寛政年間(1789年 - 1801年)に清雅恵洞和尚が伽藍を整備した。
当寺院に祀られている不動明王は霊験不動尊と言われ、祈念すると夢の中でお告げがあると言われることから、別名「夢見不動」とも呼ばれている。
境内には交通事故犠牲者の霊を祀る聖観音立像があり、これは彫刻家の北村西望が監修して製作されたものである。

萩原寺:平安初期、平城天皇(在位806〜809)の大同2年(807)に弘法大師が千手観音菩薩と地蔵菩薩を刻み、千手観音菩薩を第66番雲辺寺に安置し、地蔵菩薩を萩原寺に安置しました。不動明王は大師ご自身で霊験あらたかです。朱雀天皇(在位930〜946)の勅願寺となっています。のちに細川勝元公の祈願所にもなっています。
 室町期の応永年間(1394〜1428)には真恵僧正が中興し、阿波、伊予、讃岐に多くの末寺を持つ大寺でした。
 仁王門は室町時代の管領、細川勝元公が戦勝祈願の温座護摩の祈祷を寺に命じその見返りとして奉納したものと伝えられており、屋根は本瓦葺きで門としては珍しい寄棟造りで三間一戸八脚門となっています。本堂は18世紀末の建造であり、客殿は菊の家紋をつけ屋根は茅葺きとなっています。寺宝も急就章、法華曼陀羅図、銅水瓶、金銅塔鈴、金銅割五鈷杵など多数保存されています。
 又、「萩寺」として有名で、数百株の萩は県の自然記念物となっており、見頃は初秋です。

香川県内有数の萩の名所である。境内に約2,000株の萩が植えてあり「萩寺」とも呼ばれる。毎年9月中旬から下旬には、当寺院を中心に周辺の、萩の丘公園、雲辺寺ロープウェイなどの会場で「萩まつり」が開催される。
寺伝によれば、平安時代初期の大同2年(807年)空海(弘法大師)が建立したという。この時、空海は千手観音と地蔵の2体の菩薩像を刻んだといわれる。千手観音は四国八十八箇所六十六番雲辺寺に、地蔵菩薩は当寺院にそれぞれ安置したと伝えられている。
開創から約100年後の延喜3年(903年)醍醐天皇の勅旨談義所となった。天慶2年(929年)朱雀天皇は讃州四箇談義所の一か寺に定めた。
室町時代中期の応永年間(1394年 - 1427年)に真恵僧正が中興し、室町幕府の管領・細川勝元の祈願所となった。明応2年(1492年)の記録によれば讃岐、伊予、阿波に280余寺の末寺を従える大寺であったことが窺える。

不動寺:役行者小角を祖と仰ぐ山岳修験道、不動宗の大本山。
近郷の信者からは河内不動と親しまれ、特に病気平癒に霊験が
あるとされる。亦、願王地蔵尊への参拝者も多い。

神野寺:弘仁12年(821)嵯峨天皇(在位809〜823)の勅命により決壊した満濃池の修築のため、別当に任ぜられ僅か3ヶ月で完成させました。その功績により天皇から褒賞金を賜り、満濃池鎮護の寺として神野寺を建立されました。その後再建を繰り返し栄えていましたが天正9年(1581)焼失し廃寺となりました。昭和9年(1934)弘法大師一千百年御遠忌をむかえ、満濃大師会を結成し、神野寺として堂宇の一部を再建しました。
 文化12年(1815)に、守屋吉左衛門によって作られたミニ八十八ヶ所があり散策コースに石像が並んでいます。
 満濃池は大宝年間(701〜704)に讃岐の国守道守朝臣(みちのかみあそん)により作られた日本最大最古の溜池です。その後幾度も修復され現在は周囲が約20q、面積138f、貯水量1,540万トン、提高32メートル、有効水深約21メートルあり毎年6月中旬に「ゆるぬき」(農業用に放流)が行われています。伝説に龍や大蛇、大鯉の話が伝わっています。
池の一部は現在国営讃岐満濃公園となっています。

14:30帰路に向かう。

今回の旅行、四国の北東部香川県に足を運び、四国別格二十霊場4箇所、四国三十六不動霊場9箇所を訪れました。

又高松沖の源平合戦の戦場になったところで、ハンセン病の国立療養所大島青松園が位置する大島を訪れ散策しました。




















飛行機で国内&海外の観光地巡り第三百ニ弾:伊予大島八十八箇所巡り第一弾&鵜島・津島観光  2015年2月21−22日 

愛媛県しまなみ街道、大島に足を運び四国八十八ヶ所の札所の土砂を持ち帰るなどし別の土地に四国にならった霊場を開創した新四国の中で比較的歴史が古く島の霊場として島四国の部類に入る伊予大島八十八箇所の21箇所を巡りました。

21日13:59新大阪新幹線さくらで出発、福山でこだまに乗り換え
15:19新尾道到達、レンタカーでしまなみ街道大島に向かう。
15:40大島到着、伊予大島八十八箇所巡り。
十楽庵:

岩屋寺:

岩屋寺大師堂:

観音堂:

法南寺:

善女庵:

亀甲庵:

宝幢庵:

利益庵:

西蓮庵:

17:30今治に向かう。
18:10今治駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
22日7:00レンタカーで出発、伊予大島八十八箇所巡り。

正覚庵:

海岸堂:

白光庵:

無量寿庵:

寿気庵:

医王庵:

付属庵:

海南庵:

潮音堂:

9:45宮窪港フェリーで出発
9:50鵜島港到達、散策。

伯方島と大島の間に包まれるように存在する鵜島。潮の流れは鵜島にぶつかり船折瀬戸、荒神瀬戸、宮窪瀬戸と早い流れをつくりだします。
足利義満がつがいの鵜を放しそれが繁殖したことが名前の由来という言い伝えもありますが、当時から村上水軍の拠点になっていました。北浜代官所跡や水軍見張所跡、造船所跡、鵜島城跡などは水軍の名残です。
江戸時代には織田信長の末裔である織田家が島の組頭を勤め、四代目の織田権四郎が1772年(明和9年)に建立したと言われる「お堂」が残されています。
漁業はほとんど行なわれおらず、柑橘類の栽培が主な産業になっています。

12:45鵜島港フェリーで出発
12:50宮窪港到達、幸港に向かう、途中伊予大島八十八箇所巡り。

車南庵:

金光庵:

13:30幸港フェリーで出発
13:40津島港到達、散策。

津島は「しまなみ海道(西瀬戸自動車道)」が通過する越智大島の西約1kmの海上に浮かぶ有人島で、南東には無人島の大突間島を従えています。
周囲5.6km、標高176.6m、来島海峡内に点在する島々の中では一番大きく、大島の吉海港(津倉)の入口にあることから古くは門島と書いて“つしま”と呼んでいました。元亀・天正年間(1570〜92)には河野水軍の田房隼人正の城があり、城主滅亡後は大島や大三島からの入植で北東側の湾内に集落が作られていきました。
島民は真宗の信仰があり、殺生を嫌ったことから漁業は行われず、農業と海運業で発展を見せています。
江戸末期には開墾が進み、稲作と甘藷や麦などの畑作が行われ、明治期になってイチジクやミカンなどの商品作物も栽培されるようになっています。今では幻となった「津島いちじく」は独特の甘味があることからブランド化され高値で取引されたこともあります。
また、海上交通の要衝にあったことから古くから海運業に従事する者も多く、島内の大山祇神社に安全祈願で奉納された天保8年(1837)の絵馬には5隻の大型帆船が描かれています。
明治から昭和にかけて木炭から石炭へと船の積荷は変わり、島の人口は500人を数えたこともありましたが、昭和30年代になり帆船の時代が終わると津島の海運業は衰退。急激に人口減少が進み昭和38年には小学校が廃校となっています。
平成25年10月1日の愛媛新聞に「29年ぶり、みこし復活へ 今治・津島」という記事が掲載されています。昭和59年(1984)以来中止になっていた秋祭りでの神輿運行が復活するというのです。市内のNPO法人の支援企画によるもので、明るさと活気を感じさせてくれます。その時津島で暮らす人の数は16人、平均年齢約83歳とあります。

16:00津島港フェリーで出発
16:10幸港到達、レンタカーで新尾道に向かう。
22日18:27新尾道こだまで出発、岡山でのぞみに乗り換え
19:54新大阪駅到達。

今回の旅行、愛媛県しまなみ街道大島に足を運び、島四国の八十八箇所の21箇所を巡り楽しみました。小規模で小ぶりの寺院が多く其々が比較的集合しており短時間で多くの寺院を巡ることが出来ました。船の便の時間に合わせて2つの島(鵜島、津島)も訪れることができ時間を有効に利用でき多くの名所をめぐることが出来ました。
島四国は全国にいくつかあるみたいです、離島をほとんど制覇していますので島四国をこれから回りたいと思います。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百八十九弾:広島県金輪島・沖野島・斎島・三角島観光  
2014年10月25−26日
  

広島県の瀬戸内海に点在する島々でいままで訪れたことのない金輪島・沖野島・斎島・三角島をフェリーと徒歩で巡りました。

25日
13:45新大阪駅新幹線のぞみで出発
15:11広島駅到達、レンタカーで広島港に向かう。
15:50広島港市営桟橋到達
16:30広島港市営桟橋から渡船で出発
16:40金輪島港到達、散策。

広島湾の東側、宇品港沖に浮かぶ金輪島は造船の島。宇品(うじな)は明治時代の半ば頃から軍都広島の兵站基地として発展を見せた所で、間近にある金輪島にも日清戦争が始まった明治27年(1894)に造船・船舶の修理を担う陸軍運輸部金輪島工場が設置されています。
金輪島:昭和の時代を迎え太平洋戦争が始まってからは陸軍船舶司令部(暁部隊)野戦船舶本廠に組み込まれ軍事色を強めていきましたが、敗戦でその機能を失うと工場は民間へ払い下げられることとなり、昭和26年(1951)に発足した「金輪船渠株式会社」が造船施設を引き継ぎ、後に「西武造船」を経て現在は「新来島宇品どっく」が船舶の修理等の事業を行っています。島の南側は標高158mの金輪富士を頂点に雑木林の斜面が続き、北東部に「新来島宇品どっく」の工場施設、北部と北西部に民家が点在しています。

17:25金輪島港渡船で出発
17:40広島港市営桟橋到達、レンタカーで広島駅に向かう。
17:50広島駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
26日7:30レンタカーで出発、江田島方面に向かう。
8:40沖野島到達。

沖野島は能美島の南西、大柿町深江の新開地区に接するように浮かぶ島で、能美島とはわずかに島戸瀬戸で隔てられています。かつてはこの狭い瀬戸を船で行き来して、ミカン栽培や水田耕作などが行われていましたが、昭和47年に沖野島橋(24m)が開通してからは道路も整備され島の様相も少しづつ変化が見られるようになっています。特に平成5年に北側の入り江に「沖野島マリーナ」が出来てからはレジャーリゾート的色彩も出てきているようです。
沖野島の西には無人島の大黒神島、そして北側にはカキの養殖筏が並び、その入り江のまた入り江にある静かな海にはヨットやトレジャーボートが並ぶ海洋レクリエーションスポットになっています。

9:00大崎下島方面に向かう。
10:20豊島港到達。
10:55豊島港フェリーで出発。
11:12斎島到達、散策。

斎島は呉市の南東海上に連なる下大崎群島南端の島です。群島の他の島々とは少し距離を置く孤島で、大崎下島の久比港発、豊島経由の定期船が片道28分で運航しています。上から見ると蟹のハサミのような形の島。その北部の入り江に集落があり、高さ100mに満たない山々が取り囲んでいます。古くから神の宿る島として信仰を集め、斎内親王から弊帛料を賜ったことが名前の由来だと伝わります。とは伊勢神宮や賀茂神社に仕える皇族の未婚女子。弊帛料とは神前にお供えする弊帛(絹や木綿)の代わりとなる貨幣のこと。 )寛文年間(1661〜73)、豊島から移住者があり、江戸時代末期にはアビ鳥とその餌となるイカナゴを利用して鯛やスズキを捕獲する「アビ漁(いかり漁)」が盛んになり、港には多くの船が並んだといいます。また昭和の時代を迎える頃には船員を多く輩出する島となり、昭和25年には人口385を数えています。しかし、環境変化によるアビ鳥の減少と後継者不足で「アビ漁」は昭和62年に途絶え、一時期は児童数が60人を超えた斎島小学校は平成7年に閉校、またその跡地にできた保養施設「あびの里いつき」も平成21年3月末に休館となっています。過疎と高齢化が進む島に元気を取り戻そうと、毎年8月に県内外のアマチュアグループが集う「イツキで遊ぼう 島ライブ」が開催されます。「自然豊かな島の魅力を多くの人に知って欲しい」という願いから2005年に始められました。“クックラ、クックラ”と鳴くアビの声に代わって楽しげな人間の歌声が聴こえてきます。

12:40斎島フェリーで出発。
12:57豊島港到達。レンタカーで久比港に向かう。
13:05久比港到達
13:30久比港フェリーで出発。
13:40三角港到達、散策。

三角島は大崎下島・久比地区の北西約500mの位置にあり、久比港から小型フェリーに乗って10分ほどで到着します。島の東側に港と集落、南側には造船所[(株)寺岡(三角工場)]があり、山の斜面にはミカンやレモンなどの柑橘類の畑が広がっています。港の所にある「美加登神社」は、福岡県の宗像神社の祭神「宗像三女神」を安芸の厳島神社へ勧請(かんじょう)する際、仮宮として創建されたと言われています。厳島神社の創建は593年とあることから、この美加登神社もその頃の創建ということになります。実際、美加登神社の裏手には6世紀のものと思われる古墳が2基見つかっており、この頃既に三角島にも古代豪族の支配が及んでいたことが窺われます。また、宝徳3年(1451年)の小早川家文書に「見賀多島」という表記があることから、古くは「みかた島」と呼ばれていたこともあるようで、“見賀多島”や“三方島”などの字が当てられていました。

16:45三角港フェリーで出発
16:55久比港到達、レンタカーで広島駅に向かう。
18:10広島駅到達。
18:51広島駅新幹線さくらで出発
20:25新大阪駅9到達。

今回の旅行、広島県の瀬戸内海に点在する離島、数少ないまだ訪れたことのない4島(金輪島・沖野島・斎島・三角島)をフェリーと徒歩で巡り癒されました。

瀬戸内海の島で訪れていないのは愛媛沖、香川沖の数島のみとなりもうすぐ制覇できそうです。

 








飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十四弾:山口県柳井&離島(野島・八島)観光
2014年5月24−25日
   

本州の最西端山口県に足を運び室町時代から水陸交通の要衝として栄え、白壁と格子窓の商家が連なる白壁の街並みは国の伝統的建造物群保存地区に選ばれ、レトロで風情ある街並みには新旧のさまざまな店が立ち並ぶ柳井、瀬戸内に点在する離島(野島・八島)を訪れました。

24日14:09新大阪新幹線のぞみで出発
15:53徳山到達、市内を散策し食事を済ませてホテルで就寝。

25日7:30レンタカーで出発防府方面に向かう。
8:10防府三田尻港到達。
8:30三田尻港フェリーで出発。
9:00野島到達、散策。

野島:防府市三田尻港の南東約15kmの瀬戸内海海上に位置し、島のほぼ全域が瀬戸内海国立公園の区域に指定されています。島に人が住み始めたのは、鎌倉時代末期とする節と安土桃山時代とする説がありますが、いずれにしても島の歴史は古く、今に伝えられている降誕会、神舞神事、盆踊りなどの行事に島の伝統を見ることができます。島の周囲には、断崖が続いていますが、北側には、漁港が整備され、人家が集中しています。また、島の北東部には、海水浴場が整備され、本土から多くの来島者を集めています。また、島内の小中学校では、「茜島シーサイドスクール」と称して本土からの児童、生徒の渡船通学を受け入れるなど、島の振興に向けた先進的な取組を行っています。


9:30野島フェリーで出発
10:00三田尻港到達、レンタカーで柳井に向かう。
11:30柳井到達、散策。

柳井:柳井市、古市・金屋地区は、約200mの町筋に、江戸時代の商家が立ち並び「白壁の町並み」と言われています。中世の町割がそのまま残り、妻入形式、本瓦葺、入母屋型の屋根、白漆喰・土蔵作りの商家の家並が続きます。かつて岩国藩のお納戸としてさかえ、岩国錦帯橋建設を支えました。

柳井川沿いに中世からの町割をほぼ残し、街路に面して妻入り形式で本瓦葺き、入母屋造の屋根をもつ二階建ての町屋が立ち並ぶ。いずれも昔ながらの商家で、敷地割は間口が狭く奥行きが深いのが特徴。家の庇も同じ高さで軒線が揃う。国森家住宅と商家博物館むろやの園は、この古い町屋を一般に開放している柳井白壁の町並みを訪れる。

18世紀後半の建築で、入母屋造、本瓦葺きの土蔵造2階建ての油商の家。1階の正面にある「蔀帳」とよばれる板戸は上の1枚を吊り上げて、その上にふとんを収納。残り2枚を全開して店とする建具で、商家独特の機能的な造りだ。また一本引きの土戸や袖壁など、防災の工夫も随所に見られる。1階座敷の天井板には当時ご禁制の品であった屋久杉の丸太が使われており、豪商ぶりが偲ばれる国森家住宅を訪れる。

白壁の町並みの中にあり、室屋の屋号を持ち、最盛期には50隻もの帆船を抱えた豪商・小田家の屋敷を利用した民俗資料館。元禄14年(1701)の建築はこの町で最も古く、屋敷面積2561平方m、建坪1500平方mは現存する町屋で国内最大級。館内には小田家が使用していた商いの道具や生活用品をを多数展示する商家博物館むろやの園を訪れる。

『武蔵野』『少年の悲哀』などの作品で知られる国木田独歩が22歳のころに住んだ家を移築した記念館。見学は外からだけだが、ガラス窓越しに文机やランプが置かれた居室や、年表、写真、独歩の胸像などが見られる独歩旧宅を訪れる。

国木田独歩は柳井在住時代、自宅から北東の光台寺へ向かう道を好んで散策したという。真山青果編の『独歩病床録』によると、柳井が舞台とされる『少年の悲哀』のヒロインの娼婦は、この散歩道で出会った少女がモデルという。独歩は彼女を「ほとんど毎日のごとくこの山上にて会いたる女あり。十六七の、顔青ざめて背のすらりと高き少女なりき」と言っている。一目でいかがわしい商売の女とわかったものの、少女は強い印象を独歩に与え、10年後、小説に登場することになる。光台寺山門前には石碑「独歩曽遊の地」が立っている独歩曽遊の道を訪れる。

14:00柳井レンタカー出発
14:15やまぐちフラワーランド到達散策
14:45やまうちフラワーランド出発
室津スカイライン走行、途中般若寺訪れる。
般若寺散策。

室津港に向かう。
16:00室津港到達。

明治12年(1879)に建てられた、県内最古の擬洋風建築。外国との海上交通で栄えた地ならではの凝った造り。窓にはフランス製のステンドグラス、3階の壁には唐獅子牡丹の漆黒彫刻、4階天井には鳳凰漆黒彫刻が残る。併設の上関町郷土史学習館では四階楼に関する資料の展示のほか、上関町の歴史をパネルや映像で紹介している四階楼を訪れる。

16:35室津港高速艇で出発。
17:00八島到達。

八島:瀬戸内海へ突き出た室津半島(熊毛半島)の上関港から南へ12km、八島は山口県最南端の地です。南北に細長く中央部分がくびれているので角度によっては幾つもの島が重なっているように見えることから八島と呼ばれるようになったものと思われますが、古くは屋嶋や矢嶋と記されていたこともあり案外違うところからの由来かもしれません。島内からは弥生式土器などの古代の遺物が発掘されており、古くから生活の場があったものと思われます。源平合戦(治承・寿永の乱:1180〜1185年)で敗れた平家の落人が住みつき開拓したという伝説があり、「船隠し」や「与崎」など平家にまつわる地名も残されています。集落の路地の両側に並ぶ家々は賑やかだった頃の八島を思い起こさせてくれます。漁業の発達で江戸時代末期に人口増加が始まり、明治期にはハワイへの漁業移民を出すほどになっていました。恐らく昭和30年代まではかなりの人口があったものと思われますが、その後徐々に流出が始まり、昭和61年3月で八島小学校が廃校。近年まで行われていた牛の放牧も途絶え、2009年には八島キャンプ場が営業休止となっています。そして、集落には空き家、廃屋が目立つようになり、島民のほとんどがお年寄りという過疎の島となっています。

17:10八島高速艇で出発。
17:30室津港到達、レンタカーで徳山に向かう。
18:40徳山到達。
18:54徳山新幹線さくらで出発。
20:45新大阪到達。

今回の旅行、本州の最西端山口県に足を運び2回目の訪れである室町時代から水陸交通の要衝として栄え、白壁と格子窓の商家が連なる白壁の街並みは国の伝統的建造物群保存地区に選ばれ、レトロで風情ある街並みには新旧のさまざまな店が立ち並ぶ柳井、防府沖の離島、野島、室津沖の離島、八島を訪れ楽しめました。

今回で山口県の離島はほぼ制覇しました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十三弾:長崎県離島(池島・飛島)観光
2014年4月26−27日
   

九州の最西端長崎に足を運び、長崎の西、東シナ海に浮かぶ以前炭鉱で有名であった池島、北側玄界灘に位置する飛島を訪れました。

26日17:20伊丹空港出発
18:35長崎空港到達、レンタカーで長崎市内に向かう。
19:20長崎市内の思案橋付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませてから就寝。
27日6:00レンタカーで出発瀬戸港に向かう。
7:05瀬戸港到達。
7:17瀬戸港フェリーで出発
7:47池島到達、散策。

池島は長崎市神浦の西約7kmの角力灘に浮かぶ有人島です。標高115mの四方山を最高点とした高さ80mほどの台地と港周辺の低平地からなる島です。そして、周囲4kmの小さな島には不釣合いな団地群と廃墟と化した工場が立ち並んでいます。
寛永6年(1629)…キリシタン弾圧による殉教者を出す。定住の始まりは不明ですが、江戸時代には弾圧から逃れたキリシタンの集落があったもとの思われます。
正保元年(1644)…幕府による鎖国強化で、池島に番所が置かれる。外海十六番所の一つに数えられるもので、郷地区の一角に「池島小番所跡」があります。
明治20年(1887)3月…米軍軍艦による砲撃で死傷者がでる。
明治44年(1911)…池島にロシアの軍艦が接近して騒ぎとなる。
小規模の農業と漁業、そして出稼ぎの船員などで生活が営まれていた池島に大きな変化が起きたのは戦後の昭和30年代になってからです。以前から周辺海域には良質の石炭が眠っていることが分かっていましたが、戦争などの影響で開発が遅れていました。
昭和22年(1947)…松島炭鉱(株)による池島開発計画が国に提出される。
昭和27年(1952)…用地買収完了。開発が着手される。
昭和33年(1958)…池島港が完成。池島港は「鏡ケ池」という池の土手を削って造られた人工港です。「鏡ケ池」は神功皇后の伝説がある池で、池島という名前の由来になっています。池の周りに自生している七島藺(しちとうい)を原料とする畳表が島の特産でした。
昭和34年(1959)5月…池島炭鉱操業開始。島には工場、病院、学校、団地が次々と造られ、昭和45年のピーク時には人口が7,700人余に達っするほどでした。
平成13年(2001)11月…池島炭鉱閉山。安価な外国産石炭に押されたことに加え坑内火災事故が起きたことから42年の炭鉱の歴史に幕が下ろされています。閉山により人口流出が起きる。
平成14年(2002)…長崎炭鉱技術研修センターが設置され、「炭鉱技術海外移転事業(5カ年計画)」が実施される。
平成19年(2007)…池島アーバンマイン株式会社が設立される。ASR(廃自動車シュレッダーダスト)再資源化リサイクル事業及び合金鉄製造事業を中心とした事業展開。
平成21年(2009)…『採炭技術』で国土交通省が選定する「島の宝100景」に選ばれる。
平成24年(2012)7月…池島アーバンマイン(株)が合金鉄製造事業の休止を発表。これにより更なる人口減少が起こり、平成25年初頭の人口は200人台になっています。

10:48池島フェリーで出発
11:18瀬戸港到達、レンタカーで今福港に向かう。
12:50今福港到達。
13:20今福港フェリーで出発
13:42飛島到達、散策。

松浦市の鷹島と福島の間にある飛島と小飛島。元寇の歴史と炭鉱の時代を経て、今は静かに漁業の島として存在を示している。
飛島の東側には炭鉱が盛んだった頃の名残としてボタ山が小高くそびえている。炭鉱の最盛期だった昭和30年代半ば頃には人口が2,000人を超えたこともあるという。賑やかだったんでしょうね。
今では人口も80人くらになり、今福小学校飛島分校も休校中。
若宮神社というのもよく耳にする名称だけど、ネットで検索してみると仁徳天皇の分霊が祀られているというのを見かけたけれど、この島の神社はどうかわかりません。1716年に建立されたとか・・・

16:05飛島フェリーで出発。
16:25今福港到達、レンタカーで長崎空港に向かう。
17:50長崎空港到達。
19:05長崎空港出発。
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の最西端長崎県に足を東シナ海と玄界灘に位置する離島(池島・飛島)訪れ散策し癒されました。
両島とも以前は炭鉱が盛んでしたが今では閉炭し当時の遺残のみでひっそりした島でした。
今回で長崎の近場の離島は制覇しました。残るは五島列島周囲の離島のみとなりました。訪れるには時間がかかりそうです。
 








飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十一弾:熊本県天草沖離島(御所浦島・牧島・横浦島・湯島)観光
2014年4月12−13日
  


九州の中央に位置する熊本県に足を運び、県の南西に広がりをみせるシーサイドエリアで、大小120あまりの島々が天草橋でつながり、16世紀にキリシタン布教活動が広がり、西洋風建築の教会や文化施設が異国を漂わせる天草諸島の離島(御所浦島・牧島・横浦島・湯島)を訪れました。


12日14:30伊丹空港出発
15:50熊本空港到達、レンタカーで天草方面に向かう。
18:30天草下島本渡内のホテル到着後近くのレストランで食事を済ませて就寝。
13日7:00レンタカーで出発、棚底港に向かう。
7:45棚底港到達。
8:10棚底港フェリーで出発
8:55御所浦港到達、散策


御所浦島:御所浦島をはじめこの周辺の島々は地層が古く、昔から貝の化石などがよく見つかっていました。そして平成9年に白亜紀の地層から大型恐竜の化石が発見されたことで「恐竜の島」、「全島まるごと博物館」をテーマとした町おこしが行なわれるようになりました。白亜紀資料館の近くには化石採掘場があり採掘体験ができるようになっています。運が良ければ恐竜の化石を見つけることができるかもしれません。ただし貴重なものは持ち出し禁止になっていますので注意が必要です。小島が点在する地形を活かして鯛やトラフグの養殖が盛んに行なわれ、また温暖な気候はミカンの栽培にも適しており、島の経済を支えています。もちろん不知火海(八代海)に浮かぶ島々の景色は素晴らしく、標高442mの烏峠展望所からは360度のパノラマが望めます。御所浦という地名は、景行天皇が西国巡幸の時にこの島に行宮が置かれたという言い伝えが由来になっています。


牧島:天草地方は戦国時代、志岐氏・天草氏・上津浦氏・栖本氏・大矢野氏の5豪族が支配していました。天草5人衆と呼ばれています。この牧島は5人衆の栖本氏の牧場があったところから牧島と呼ばれるようになったといわれています。御所浦周辺は地層が古く、昔からたくさんの貝やアンモナイトの化石が見つかっていましたが、2004年12月に日本最古の大型哺乳類「コリフォドン」の化石が見つかり話題を呼びました。周囲の島々でも巨大肉食恐竜の歯や足跡の化石が見つかっており、御所浦町では「島まるごと博物館」として町おこしに力を入れています。牧島にはたくさんの化石や恐竜のモニュメントが展示されているニガキ化石公園や直径60cmもあるアンモナイトの化石が展示してあるアンモナイト館などがあります。産業は入り江を利用した真珠の養殖やタイ・ブリなどの生簀(いけす)が主で、島の経済を支えています。


11:50御所浦港高速艇で出発、与一ヶ浦港経由して


横浦島:横浦島は天草上島の竜ヶ岳町大道と御所浦島の間に浮かぶ島で御所浦町に含まれます。弁慶岳(標高198m)には源平の合戦で敗れた平家の落人7人の位牌が祭られているといいます。また、与一ヶ浦という地名は弓の名人として知られる“那須与一”が由来のようですが、その与一ヶ浦と横浦の間の峠を「頼朝越え」と呼びます。秘境と言われるところには平家の落人伝説が多く語られますが、この横浦島の地名からはあたかも義経がこの地に逃げのび、頼朝の命により義経を追ってきた那須与一がこの地に現れたかのような話が聞こえてきそうです。どうして源氏方の地名があるのかは分かりませんが、珍しいことだと思います。かつては沿岸漁業が盛んに行なわれていましたが、現在は養殖と近海漁業、大型船による運搬業などが島の産業になっています。横浦島には豊漁と安全を祈願してたくさんの恵比寿様が祀られています。


12:20棚底港到達、レンタカーで江樋戸港に向かう。
13:00江樋戸港到達。
13:15江樋戸港商船で出発
13:40湯島港到達


湯島:島原半島の南東端にある原城跡から天草を眺めても、天草四郎のふるさと大矢野島の西端から島原を眺めても、海の真ん中には長閑に浮かぶ湯島が望めます。湯島はお椀を伏せたような台形をしています。昔の人が弓を横にした形を連想し“弓島”と呼び、いつの間にかそれが変化して“湯島”となったと言います。そして史上最大のキリシタン一揆「天草・島原の乱」の作戦が練られたのがこの島で、後に「談合島」とも呼ばれるようになりました。


16:00湯島港商船で出発
16:25江樋戸港到達、レンタカーで熊本空港に向かう。
17:50熊本空港到達
18:25熊本空港出発
20:00伊丹空港到達。


今回の旅行、悪天候の中日本のジオパークに認定された、島のあちこちで太古の地層や化石に触れることができる御所浦島と牧島、島原の乱のとき天草四郎と50人からなるキリシタン信徒たちが反乱の謀議をしたことから談合島との異名をもつ湯島を訪れ楽しめました。

横浦島は時に際立った観光名所もなく上陸せず船からの眺望のみとなりました。実は上陸予定でしたが船長が乗客の確認を怠り、横浦島を寄らず通過して御所浦島に向かったため帰りの便で今回の船からの眺望になりました。
田舎の船はのんびりしています、よくある間違いですね、通りすぎるのを確認したらすぐさま船長に抗議することで回避できます。気負つけてください。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百七十弾:佐賀県唐津沖離島(松島・向島)観光
2014年3月29−30日
  

九州の東は福岡県、西は長崎県に接し、玄界灘と有明海の2つの海に面する佐賀県に足を運び、玄界灘に突き出た東松浦半島沖に点在する離島(松島・向島)を訪れました。

29日13:59新大阪新幹線さくらで出発
16:34博多駅到達、レンタカーで唐津に向かう。
18:05唐津のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

30日9:00レンタカーで出発、呼子方面に向かう。
9:35呼子到達
10:00呼子港渡船で出発
10:15松島到達、散策。

松島は東松浦半島の先端、波戸岬の北約3.2kmの海上にあり、加唐島のすぐ西隣に浮かぶ島です。松島漁港と加唐島漁港は真近にあるので連絡がありそうですが、定期船は呼子港から直接松島漁港へと向かいます。地元では“ひょうたん島”との異名もあり、東西両側が盛り上がり真ん中がくびれた形をしています。東側の標高は138m、西側が108mで平地はほとんど無く、窪地を縫うように集落があります。江戸時代の半ば頃までは無人島で加唐島の属島でしたが、安政年間(1854〜1860年)に加唐島の貞八とその娘ウメが往来して開拓が行われました。その後、長崎の黒島(現長崎県佐世保市)からイカ釣りに度々訪れていた漁師・福蔵がウメの婿として松島に移り住み、郷里黒島から親戚や知合いを呼び寄せ集落ができていったようです。長崎の黒島は隠れキリシタンの島で、松島へ移住してきた者全てがカトリック信者だったため、そのまま松島もキリシタンの島になります。そして、明治6年(1873年)にキリスト教が解禁されるまで、隠れキリシタンとして息を潜めるような生活が続きましたが、信仰は絶えることなく現在に至るまで島民のほとんどがカトリック信者だといいます。今では港の近くに建つ「松島カトリック教会」の白い壁が誇らしげに輝いているように見えます。松島の産業は漁業が中心で、ウニやアワビ、サザエなどの海士漁やイカの一本釣りが盛んです。急斜面が多く耕地面積の少ない島では、どうしても農業は難しく、今まで自給的な甘藷栽培などが行われる程度でしたが、近年では島の活性化の試みとしてオリーブの栽培なども行われています。周囲の海は魚が豊富で、小松島や高瀬、大岩などの岩場は磯釣りファンにとってはたまらないポイントで、瀬渡船などで訪れる釣り人を度々見かけます。しかし、島内には宿も店も無いこともあって、観光で訪れる人はほとんどいません。その長閑な雰囲気を味わえるのが松島です。港や道路の整備も進められ散策もやり易くなってきているようなので、山道を登って玄界灘を一望してみるのも楽しそうです。

13:00松島渡船で出発
13:15呼子到達、レンタカーで星賀方面に向かう。
13:45星賀港到達。
14:00星賀港渡船で出発
14:15向島到達、散策。

唐津市肥前町は東松浦半島の付根から西へ突き出た入野半島一帯の地域で、向島は肥前町納所の北西約2.5kmの海上に浮かんでいます。南側の小高く盛り上がったクラマ岳(67m)が特徴的で、港がある南東側を除いて断崖が続いています。なかでも北海岸の「たて岩」と呼ばれている所では、みごとな玄武岩の柱状節理が見られます。向島行きの定期船は「鷹島肥前大橋」のふもとにある星賀(ほしか)港から1日2便、片道15分で運航しています。星賀港は天然の良港として長崎や北部九州へ向う貨物船の寄港地として栄えてきましたが、時代とともにその数を減らし、今では沿岸漁業の一本釣り漁船が並ぶ静かな漁港といった佇まいを見せています。「鷹島肥前大橋」は長崎県の鷹島と肥前町を結ぶ橋長1,251mの斜張橋で、平成21年4月18日に開通しています。星賀港は大橋の全景を眺めることができる絶好のビュースポットの一つで、夕陽に映える斜張橋の姿は長閑な海と山の景色に建造物の新たな輝きを加えています。向島の定住の始まりは、文禄年間(1592〜1596年)の頃だと言われています。松浦の有力豪族だった波多氏は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に命令に背いたとして、文禄2年(1593)に所領を没収され追放離散の憂き目にあっています。その時に一族の一派がこの向島へと移り住み、代々島の歴史を刻んできました。
産業は近海での漁や磯での採貝などが中心で、好漁場を生かした釣り船も人気を呼んでいます。特産品はサザエ、ウニ、アワビなどが挙げられますが、ウニに味噌を混ぜて作る「がぜみそ」は古くから島の味として親しまれています。向島に流れてきた静かな時間は、あちらこちらに奇妙な伝説と地名を残しています。「金山(きんざん)ぶつぶつ」、「海賊と宝と洞窟」、「悲恋!おたよさん」などなど・・・。「金山ぶつぶつ」とは、真夜中になると人の話声がブツブツと聞こえてくるという所で、昔はここで金の採掘が行われていたようですが、大きな金脈が見つからず、後に無縁仏を葬ったお墓になったという、神霊スポットのような所です。多分、小さな洞窟に波や風の音が共鳴して、そのように聞こえたのではないでしょうか? 実際にその音を聞いたという人はあまり居ないようですが・・・。「海賊と宝と洞窟」とは、北側のタテ岩の辺りにある洞窟の話で、その昔、秀吉に追われた武将が身を隠し、財宝を埋めた洞窟だとか、海賊に襲われた島民が逃げ込み、中で焚き火をしたために見つかって殺された洞窟だとか、いろいろな話が聞こえてきます。「悲恋!おたよさん」 は、禁断の恋を犯してしまった“おたよ”という娘さんが、この島に流され処刑されてしまったという悲恋話で、実際に八坂神社の近くにお墓があります。江戸時代の姦通罪はとても厳しくて、死罪が言い渡されたということですから、恋も迂闊にはできなかったのかもしれません。
毎年8月1には、八坂神社の祭り「向島祇園」が催されます。「にぎわい見るなら博多の祇園、酔いどれ見るなら向島祇園」と言われ、島外からも見物人が訪れます。

16:00向島渡船で出発
16:10星賀港到達、レンタカーで博多に向かう。
18:05博多駅到達
18:39博多駅新幹線さくらで出発 
21:21新大阪駅到達。

今回の旅行、九州佐賀県の沖玄界灘に点在する2つの離島(松島・向島)を訪れ癒されました。
松島は隠れキリシタンの島で、教会が目立っていました。
向島は灯台までの散策は見晴らしもよく、快適でした。神社あり、洞窟あり、奇岩あり、結構見るべきものが沢山ありました。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六十五弾:広島県竹原離島(走島・小佐木島・契島・生野島)観光
2014年3月1−2日
 

広島県に足を運び、鞆の浦沖離島、走島 、三原沖離島、小佐木島、竹原沖離島、契島、生野島を訪れました。

1日14:09新大阪新幹線のぞみで出発
14:49岡山駅到着
15:00岡山駅こだまで出発
15:56三原駅到達、歩いて三原港に向かう。
17:15三原港高速艇で出発
17:29小佐木港到達、散策。

小佐木島は佐木島の北およそ300mの距離に浮かぶ小島で、南東の入り江に集落と静かな港があります。佐木島と同じように昔から漁業が行われず、秋になると斜面の畑でミカンが黄色く輝きます。過疎が進み島民のほとんどがお年寄りの小佐木島。この島から生活の音が消えるのもそう遠くない将来かもしれません。島の起源は定かではありませんが、古代の製塩土器が発掘されたり、江戸時代の宝暦7年(1757)には山守が置かれたという記録があるようです。そして大正から昭和の始め頃にかけて造船の島として賑わいを見せ、昭和30年代には人口が140人程に達し、海水浴場に子供が遊ぶ景色が見られました。その後日本が経済成長期を向かえると、島から都会へと人口流出が始まり、小佐木島にも空き家が目立つようになります。事件はバブルの崩壊が始まる1991年に起きています。7月終わりの暑い夏、14歳の少年と16歳の少女が体罰を理由に鉄のコンテナに閉じ込められ熱射病で命を落とすという事件です(風の子学園事件)。当時の小佐木島の人口は26人。過疎が進む静かな島での出来事として注目を浴びています。今にも消えてしまいそうな小佐木島をアートの島として再生させるという構想が湧き起こっています。明治27年に初点灯を迎えた白亜の石造灯台。明治時代の「板図(船の設計図)」が残されていた荒神社(穀津神社)。懐かしい自然が残される島。そこに現代的なアートが加わるのも面白いことかもしれません。

18:13小佐木港高速艇出発
18:27三原港到達、三原駅付近のホテル到着後繁華街で食事をを済ませて就寝。
2日6:30レンタカーで鞆の浦に向かう。
7:20鞆の浦港到達。
8:00鞆の浦港フェリーで出発
8:30走島港到達、散策。

全体的に100mを超える山々が立ち並び平地の少ない島です。一番高い山は標高180mの高山。漁業が中心でイワシ漁が盛んです。
★福山市鞆港から30分。民宿もたくさんあるし、岩場での釣りも楽しめそうです。

9:00走島港フェリーで出発
9:30鞆の浦港到達、レンタカーで竹原に向かう。
11:15竹原内港到達
11:45竹原内港フェリーで出発
12:15大崎上島白水港到達
13:00白水港フェリーで出発
13:35契島港到達、一般の方は上陸できずフェリーから望む。

関係者以外は自由には立ち入れないようです 島全体が東邦亜鉛(株)契島製錬所の所有になっており、鉛の生産量は現在東洋一を誇っている。島には工場設備が立ち並び遠くから見ると軍艦のようなので軍艦島と呼ばれている。 長崎県の端島も「軍艦島」と呼ばれるているが、あちらはかつての炭鉱の島。

13:55生野島港到達、散策

大崎上島から400mの距離にある佐渡島を小さくしたようなこの島は全体が自然休養村に指定されており、サイクリングロードやテニスコート、シャワー設備もある海水浴場でのんびり過ごせそうです。福浦古墳は町の文化財で箱式石棺古墳だそうです。また椎実観音堂の石造など古きを訪ねることもできそうです。放浪の俳人"種田山頭火”が昭和10年末ごろ、陶工の"迦洞無坪”を訪ねてこの島を訪れています。

16:10生野島港フェリーで出発
16:20白水港到達
17:05白水港フェリーで出発
17:35竹原港到達、レンタカーで三原に向かう。
18:30三原駅到達
19:24三原駅新幹線こだまで出発
2017岡山駅到達
20:33岡山駅新幹線のぞみで出発
21:17新大阪駅到達。

今回の旅行、広島県瀬戸内海に点在する4つの離島を訪れ癒されました。
走島、佐木島、生野島は地味で観光名所も余りなく、ただ歩くのみとなりましたが、契島は私有地で一般の方は上陸できず、船上からの眺望になりましたが長崎の軍艦島端島を訪れたことがありますが、まさしく瀬戸内の軍艦島のような容貌で迫力がありました。









 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六十五弾:広島県しまなみ海道離島(百島・細島・豊島・高井神島・魚島)観光
2014年2月22−23日
 

広島県から愛媛県に位置し、尾道から8つの橋で芸予諸島繋いで今治まで渡れるしまなみ海道沖の離島(百島・細島・豊島・高井神島・魚島)を訪れました。

22日13:59新大阪新幹線さくらで出発
15:06福山駅到着
15:47JR山陽本線で尾道到着、歩いて尾道港に向かう
16:20尾道港フェリーで出発
16:44百島福田港到達、散策。

百島は備後灘に浮かぶ島です。東は沼隈半島、西は向島、南は田島・横島に囲まれ、尾道と常石を結ぶ定期船で渡ることができます。百島と書いて「ももしま」。昔、桃の木が多く桃島と呼ばれていたものが、周りにたくさんの島があったり、“百”のほうが縁起がよかったりでいつの間にか“百”に改まったとする説。また、古くは五十島と呼ばれており、潮が満ちると2つに分かれていたものが、間に砂が溜まって一つになったので合わせて百島と呼ばれるようになったとする説、等々、名前の由来は諸説あるようです。島の起源は不明ですが、菅原道真が大宰府に向かう途中に立ち寄ったという伝説や室町幕府六代将軍足利義教を暗殺した赤松満祐一族が隠れ住んだという話が残されています。福田地区の八幡神社に伝わる「お弓神事」は、赤松一族が追手に立ち向かうために弓の稽古に励んだのが始まりだとされ、毎年1月11日に厄祓いと無病息災を願って厳かに催される伝統行事です。

17:31福田港フェリーで出発
18:14尾道港到達、歩いてJR尾道駅に向かう。
18:45JR山陽線で三原駅到達、近くのホテル到着後市街地を散策し食事を済ませて就寝。
23日8:57三原港高速船で出発
9:16重井港到達
11:00重井港フェリーで出発
11:15細島港到達、散策

北東から南西に細長く、標高63mを中心に周囲は40m前後の丘陵が続いています。この地形から島名が付いたとも思えますが、一説には6世紀頃、蘇我氏によって細部(水先案内人)が置かれたことが由来だとも言われています。島内からは古墳や古代の製塩遺跡が発見されるなど、古くから人の出入りはあったようですが、定住の始まりは不明です。中世には三原の小島摂津守祐直の所領、天文23年(1554)には小早川領となり、永禄10年(1567)に因島村上氏に与えられ、江戸時代は広島藩領となっています。漁業は振るわず、ミカン、キヌサヤエンドウ、ネギなどの畑が山の斜面に広がっています。生活用水は昭和60年頃までは井戸水を利用していましたが、以降、因島からフェリーで運ぶようになり、平成9年に海底水道管が通じたことで、水の心配はなくなっています。来島者も少なく年々進む高齢化が心配なところです。

12:00細島港フェリーで出発
12:15重井港到達
12:27重井港高速艇で出発
12:43土生港到達、散策

水軍まつり、水軍鍋、水軍徳利と村上水軍にまつわるものがたくさんある。かつて因島は村上水軍の本拠地だった。因島水軍城は昭和58年に再現されたもので、中は水軍資料館になっている。また水軍城の近くにある金蓮寺は村上水軍の菩提寺。村上水軍:平安時代末期から戦国時代に瀬戸内海で活躍した豪族(海賊)
因島は囲碁が盛んな島で、 江戸末期にお城で19戦無敗の記録を樹立した“本因坊秀策”の生まれた島でもある。見どころは県立因島フラワーセンター、白滝山の頂上に向かう参道にある五百羅漢の石仏と展望台からの景色、女性の願いを叶えてくれる地蔵鼻、等々2009年1月、重井町が「にほんの里100選」に選ばれました。

15:35土生港フェリーで出発
16:12豊島港到達

ずっと無人島でしたが幕末あたりに山番が入植し、弓削島の漁の拠点になったり、採草地として利用されたりしていました。人がたくさん住むようになったのは戦後になってからでミカン栽培や漁業で人口が180人にも達した時期もありましたが、その後次第に過疎となり現在の住人は老夫婦2人となっているようです。
良質の花崗岩があることで「ゆげみかげ」石が採石されています。平成2年に完成した“豊島コミュニティセンター”には宿泊施設・テニスコート・キャンプ場・多目的グランドなどがあり、研修や合宿、また釣りや海水浴などで訪れた人達にも利用されています。

16:29高井神港到達

展望台がある行者森(平畑山?)のところが標高257mでこの島で一番高い所。面積の割には標高が高く岸壁まで急斜面が続いています。農業はほとんど行なわれておらず、底引網漁やイカ漁などの漁業が中心です。宮ノ越鼻にある関道(せきどう)神社からの眺望。大正10年に建てられた高井神灯台。港から5キロの遊歩道を登れば絶景が望める高井神展望台などが見所になってます。小中学校があり、児童の数によって休校したり復校したりの状態。島では転入者を募集してます。

16:44魚島港到達、散策

西隣りの高井神島とこの魚島、江ノ島等を含めて魚島群島と呼ばれていますが、今治市から約30km、弓削島からも10km以上離れているため隔絶性の強い地域になっており、高齢化も進んでいます。産業は漁業が中心ですが、年々漁獲量も減少しているようです。一方で、海水淡水化施設があり水道完備、全戸に水洗トイレが行き渡り、村営CATV、IT導入など島の生活快適化も進められています。

17:30魚島港フェリーで出発
18:32土生港到達
19:08土生港高速艇で出発
19:48三原港到達、歩いてJR三原駅に向かう。
20:06三原駅新幹線こだまで出発
20:48岡山駅でみずほに乗り換える。
21:44新大阪駅到達。

今回の旅行、広島県・愛媛県にまたがるしまなみ海道沖に点在する離島(百島・細島・豊島・高井神島・魚島)を訪れ癒されました。

今回の島も因島を除いてひっそりした、あまり観光名所もない島々でした。

驚いたことに離島唯一の交通手段であるフェリー・高速艇、島に降りる人がいなければ、また島の桟橋に乗船しそうな人がいなければ、通過します、定刻より早く通過します。離島に訪れた時は少なくとも5分前には桟橋にいて存在感をアピールしないとおいて行かれますよ。他に交通手段がありません。野宿しなければいけません。気を付けてください。また待合室がなく、トイレもない島もあります。

今回も素朴で地味な離島巡り観光でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六十四弾:愛媛県今治沖離島(馬島・小島・来島・大下島・小大下島)観光
2014年2月15−16日


愛媛県に足を運び、四国で初めて開港した港町として知られ、かつては今治藩の城下町として栄えた今治の沖の離島(馬島・小島・来島・大下島・小大下島)を訪れました。

15日13:29新大阪新幹線のぞみで出発
14:18岡山駅到達。
14:35岡山駅特急しおかぜで出発
16:44今治駅到達、歩いて今治港付近のホテル到着後、近くの繁華街で食事を済ませて就寝。
16日7:30タクシーで波止浜港に向かう。
7:50波止浜港到達。
8:00波止浜港フェリーで出発
8:20馬島港到達、散策。

来島海峡大橋の中間に位置する島。江戸時代に今治藩が馬の放牧を行っていたことが島名の由来になったとされている。目の前に広がる海峡では、大小様々な船舶が急流に負けじと舵を取る様子が間近で見られ、運が良ければ潜水艦が海面に浮上する場面も見学できるマル秘スポット。島の周囲を来島海峡の激しい潮流が流れており、中でも島の南側に現れる「八幡渦」と呼ばれる渦潮は圧巻の迫力。洞窟の出現する砂浜や白亜の灯台探してを島内探検できる。

10:30馬島港フェリーで出発
10:40小島港到達、散策

小島は愛媛県今治市沖の来島海峡に浮かぶ小さな島です。この小島には日清戦争当時、日露戦争を予感した大日本帝国がロシア海軍の侵攻を防ぐために築いた海岸要塞があります。明治32年から2年間の突貫工事で、当時の30万円の巨費を投じ、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られました。こうした施設が当時のまま残っている貴重な遺跡です。遺跡をまわる約1.8キロの遊歩道には2,500本の椿が植えられており公園としても整備されています。
ビワ首海水浴場や「風の顔ランド」キャンプ場があり、子供達の交流の場として、また釣りのポイントもたくさんあり釣り客も多く訪れています。

12:10小島港フェリーで出発
12:15来島港到達、散策

来島は今治市の波方半島の東側、波止浜港の入口にある周囲1kmの小島です。急流で知られる来島海峡に位置し、戦国時代は瀬戸内海で勢力を振るった村上水軍の島城があったことで知られています。江戸時代になると来島城は廃城となりますが、波止浜で塩田が開かれたことで塩買船や運搬船で賑わい、その後は海運業が盛んな島として発展をみせています。

13:00来島港フェリーで出発
13:05波止浜港到達、タクシーで今治港に向かう。
14:40今治港フェリーで出発
15:37大下港到達、散策

大下島は瀬戸内海の島々が密集する芸予諸島のほぼ真ん中に位置し、北に広島県の大崎上島、東に大三島、西には小大下島、岡村島と続いています。島全体を花崗岩が覆い、北部のイシ山(203m)を頂点に100m前後の山々が連なり、中部の僅かな平地に集落があります。古くから浄土真宗の信仰があり殺生が嫌われたことから漁は行なわれず、農業、主に柑橘類の栽培が島の経済を支えています。宝亀10年(779)創建とされる早津佐神社はかつて小大下島にあり、明治3年の合祀で大下島の大下神社を早津佐神社としたものです。主祭神は猿田彦命、大気都比売命などを配祀とし代々島を守り続けています。毎年2月の第2土曜日に安全と豊作を願って弓祈祷神事が行われ、9月の第2土・日曜日に秋祭りが催されます。大下の地名は小大下島にあった早(速)津佐神社の祭神だった大気都比売命が由来だとされています。

16:14大下港高速艇で出発
16:21小大下港到達、散策

小大下島は関前諸島の真ん中に位置し、西に岡村島、東に大下島が接っする周囲約3kmの島です。北東と南東が小高く、中央の僅かな平地に集落があります。江戸時代の頃は定住者はなく、西半分を岡村島、東半分を大下島の入会地として薪や木材の伐採、また石灰岩が多く見られたことから江戸時代後期にはその採掘が行われていました。明治期になり近代化が進むと石灰の需要が高まり、第一次大戦後には大手セメント関連企業が進出。そして昭和30年頃の最盛期には旅館やパチンコ屋ができたり、芝居興行が行われるなどの活況を呈していました。しかし、良質の石灰石の枯渇や販売価格低下で次第に採掘は斜陽となり昭和52年8月で工場閉鎖に至っています。一時期600人以上を数えた島の人口は減少の一途を辿り、いつしか過疎と高齢化が進み、草むらに埋もれる工場跡だけが賑やかだった頃の名残をとどめています。

17:42小大下港出発
18:33今治港到達
19:23今治桟橋しまなみライナーで出発
20:57福山駅到達
21:14福山駅新幹線サクラで出発
22:25新大阪駅到達

今回の旅行、愛媛県の今治に足を運び、今治沖の離島(馬島・小島・来島・大下島・小大下島)を訪れ癒されました。

小島には日清戦争当時、日露戦争を予感した大日本帝国がロシア海軍の侵攻を防ぐために築いた海岸要塞があり、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などの施設が当時のまま残っている貴重な遺跡が圧巻でした。

来島は、戦国時代、瀬戸内海で勢力を振るった村上水軍の島城跡を確認でき、当時の村上水軍の偉大さを物語っていました。

各所にみられる歴史的建造物が存在する数少ない離島めぐり観光でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百六十一弾:長崎県離島渡良三島(原島・長島・大島)巡り
2014年1月25−26日
 

長崎県の玄界灘に浮かぶ邪馬台国時代の王都跡とされる原の辻遺跡や元寇の史跡などの歴史遺産も多い壱岐に足を運び、壱岐島の南西、郷ノ浦町に浮かぶ渡良三島(原島・長島・大島)を訪れました。

25日16:45新大阪新幹線のぞみで出発
19:14博多到達、バスで博多港に向かう。
19:34博多港到達
20:35博多港フェリーで出発
22:55郷ノ浦港到達、歩いて郷ノ浦町のホテル到達、就寝。
26日8:00ホテル出発
8:20郷ノ浦港フェリーで出発、長島に向かう。
9:00長島港到達、散策

島の周りは好漁場で漁業が中心の島ですが、和牛の飼育も行なわれいるようです。江戸時代には平戸藩の流刑地になっていました。

9:43長島港フェリーで出発
9:56原島港到達、散策

漁業が中心の島で、南側の一里崎辺りは釣のポイントですね。江戸時代は長島とともに平戸藩の流刑地でした。 自生するスイセンは原島スイセンと呼ばれ人気だそうです。昔は「春島」という表記もあったようで、春が近づくとスイセンの花が咲いたのでしょうか?

11:27原島港フェリーで出発
11:50大島港到達、散策

壱岐島の南西、郷ノ浦町に浮かぶ大島、長島、原島は“渡良三島”と呼ばれています。その中で一番大きいのが大島。北側の児島の辺りではミドリイシサンゴの群落が見られるようでダイビングスポットになっています。大島海水浴場砂浜がきれいです。夏には子供たちが泳いでることでしょう。大島神社の石造りの塔には享保年間(1716〜1736年)の碑文が残されているそうです。何と書いてあるのか分かりませんが、享保の時代と言えば将軍徳川吉宗が改革を行なっていた時代。当時から漁業が盛んに行なわれていたのでしょう。長島との間にある珊瑚大橋(294m)は平成11年3月に完成しました。

13:20大島港フェリーで出発
14:10郷ノ浦港到達、郷ノ浦散策

壱岐島は佐賀県の東松浦半島から北北西へ約22kmの玄界灘に浮かぶ大きな島です。対馬島とともに古くから九州本土と朝鮮半島を結ぶ海上交通の中継地としての役割を担ってきました。対馬暖流の影響で気候にも魚場にも恵まれ、平坦な地形は農業にも恵みを与えています。発掘される多くの遺跡は古代から豊かな生活が営まれていたことを示しています。魏志倭人伝や中国の史書に記される「一大國」、あるいは「一支國」とはこの壱岐島だとされ、東南部の「原ノ辻遺跡」から出土される数々の遺品は、その中心集落だったことを物語っています。また壱岐島は幾度となく大陸からの侵略の舞台になっています。大和政権が日本を束ねようとしていた時代には朝鮮半島からやってくる海賊に悩まされ、平安時代の刀伊の入寇(1019)、鎌倉時代の元寇襲来(1247、1281)と大陸からの脅威に晒され、多くの犠牲を強いられる事件にも遭遇してきました。

17:05郷ノ浦港ジェットフォイルで出発
18:15博多港到達、タクシーで博多駅に向かう。
18:40博多駅到達
19:19博多駅新幹線のぞみで出発
21:44新大阪駅到達

今回の旅行、長崎県の壱岐に足を運び、壱岐島の南西、郷ノ浦町に浮かぶ渡良三島(原島・長島・大島)を訪れました。
2回目の訪れである壱岐、前回は壱岐島の名所めぐりでしたが、今回は壱岐沖の離島三島を訪れ散策し癒されました。


 






飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五十六弾:愛媛県高知県豊後水道離島沖ノ島・鵜来島・八幡浜大島観光
2013年12月14−15日
  

四国に足を運び豊後水道に浮かぶ離島、竜頭山(250m)を中心に島にはほとんど平地がなく断崖に取り囲まれている鵜来島、標高404mの妹背山を中心に高い山々が海岸線まで迫り、数百年にわたって積み上げられた石段の上に民家が軒を連ねています沖ノ島、大島、三王島、地大島と3つの島が繋がっていて、全体を大島と呼んでいる八幡浜大島を訪れました。

14日14:05伊丹空港出発
15:00松山空港到達、レンタカーで宿毛方面に向かう。
18:20宿毛市内のホテル到着後近くのレストランで食事を済ませて就寝。

15日6:30レンタカーで出発、宿毛片島港に向かう。
6:40片島港到達。
7:00片島港定期便で出発
7:50鵜来島到達、写真撮影して出発

竜頭山(250m)を中心に島にはほとんど平地がなく断崖に取り囲まれている。島の周りは岩場が多く磯釣りに訪れる人も多い。日向鼻は磯釣りで有名。鵜来島南岸海中のサンゴ群は市の天然記念物で、透明度の高い海は人気。港の近くに学校があるが、現在島には子供がいないので休校中。現在の校舎ではスキューバスクールやキャンプに訪れる人もいる。秋に行われる春日神社大祭は賑わいを見せている。2009年『石垣・石段とともにある暮らし』で「島の宝100景」に選ばれました。

8:20沖ノ島弘瀬港到達出発
8:35沖ノ島母島港到達写真撮影して出発

高知県の“沖の島”は四国の最南端・足摺岬の西方約40km、宿毛(片島)港から南西へ約25kmの距離に浮かぶ有人島です。標高404mの妹背山を中心に高い山々が海岸線まで迫り、数百年にわたって積み上げられた石段の上に民家が軒を連ねています。その景色は2009年に鵜来島とともに『石垣・石段とともにある暮らし』で「島の宝100景」に選ばれています。集落は北側の母島地区と南側の弘瀬地区を中心に古屋野、谷尻、久保浦などの小集落が点在し、母島には元久2年(1205)に鎌倉から訪れた山伏が住み着いたという伝説、弘瀬には咎を受け鎌倉を追われた三浦則久一族がこの島に移り住んだという話が伝わっています。また、「今昔物語」や「宇治拾遺物語」には小舟で流れ着いた兄妹が夫婦となって住み着き、子孫を増やしていったという妹背島伝説もあり、平安末期か鎌倉時代の初めの頃には定住が始まったものと考えられています。

9:25片島港到達、レンタカーで八幡浜港に向かう。

11:20八幡浜港到達
11:30八幡浜港定期便で出発
11:52大島港到達、散策。

八幡浜大島は大島、三王島、地大島と3つの島が繋がっていて、全体を大島と呼んでいるようです。このサイトでは紛らわしいので全体を八幡浜大島としました。聞いたことの無い言葉“シュードタキライト”、「地震の化石」だそうです。地震で地層がずれるときに生じる摩擦熱で岩が溶け、それが基でさらに大きな地震を引き起こす。溶けた岩石が急に固まったものが“シュードタキライト”と言われるものだそうです。平成16年に天然記念物に指定されました。
三王島の山王神社には高さ12m、樹齢500年とも言われるウバメガシが群生しています。 大島港から徒歩で30分、地大島の東端に大入池(竜王池)があります。昔から竜が住んでいると言われる神秘の池。また幻のカワウソも棲息しているともいわれています。天慶の乱(939年)の時に藤原純友の要塞があったとも伝えられています。ミカン栽培や漁業が中心で、海水浴や釣りに訪れる人もたくさんいます。

13:30大島港定期便で出発。
13:52八幡浜港到達。レンタカーで青島行きの乗船所長浜港に向かうが14:30の便に間に合わず断念、次回持ち越し。
14:45松山空港に向かう。
16:00松山空港到達。
19:40松山空港出発
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、愛媛県高知県の豊後水道に浮かぶ離島、沖ノ島・鵜来島・八幡浜大島を訪れ癒されました。
ダイビングに有名な沖ノ島、関西から多くのダイバーが訪れていますが関西から遠いですね。

青島に行く予定でしたが5分遅れで乗り遅れ、残念でした、次回持ち越しとなりました。


 
 






飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五十五弾:長崎県玄界灘沖離島青島&黒島観光
2013年11月30−12月1日
  

九州の最西端長崎県に足を運び、玄界灘に浮かぶ離島、鎌倉時代中期に起きた元寇襲来での激戦地となったところで、今では当時の喧騒を思い起こすことが困難なほど静かで長閑な風景が広がっています青島ともともとは石の採掘加工などが営まれていて、墓石では黒島石として名が知られている黒島を訪れました。

30日14:20伊丹空港出発
15:40長崎空港到達、レンタカーで松浦方面に向かう。
18:00松浦市内のホテル到着後、周囲を散策して食事を済ませて就寝。
1日7:00レンタカーで出発
7:15御厨港到達
7:50御厨港フェリーで出発
8:10青島港到達散策

長崎県の青島は松浦市の御厨港から定期船で約20分、北松浦半島の先端から北東へ1.3kmの位置に浮かぶ有人島です。3kmほど東にある鷹島やその南にある飛島、そしてこの青島は鎌倉時代中期に起きた元寇襲来での激戦地となったところです。今では当時の喧騒を思い起こすことが困難なほど静かで長閑な風景が広がっています。昔は満潮になると低い部分は海に沈み、3つの島に分かれていたといいます。北から「崎の島」、「中の島」、「南島」と呼ばれ、島民と河童の河太郎一族が力を合わせて一つの島にしたという民話(長者と河太郎)が残されていたり、江戸時代の干拓事業で人柱の代わりに犬柱を立てたことで犬を尊び飼わなくなったという話があり、実際に河童の手助けはなかったとは思いますが、その後の島の発展に繋がる島民総出の干拓事業があったようです。東側の入り江に小型漁船が並ぶ港とそれを囲む集落があります。階段を登ったところに古さを感じる七郎神社、南側の高台に大きな子安観音像があります。青島子安観音は子供の成長と安全を願って建てられたもので、高さが15mある大きな観音様として知られ、島のシンボルになっています。集落の反対側には緩やかに弧をなす宝の浜海岸があります。300m続く白い砂浜とコバルトブルーの海、夕陽に染まる美しい浜辺は青島の自慢です。東海岸沖約2kmにある小島は魚固島という珍しい名前の無人島で南端には灯台があります。青島の南に砂州で繋がる松島とともに冒険心をくすぐる風景です。

10:22青島港フェリーで出発
11:02黒島港到達散策

松浦市御厨港→青島港(30分)→鷹島・船唐津(ふなとうず)港(15分)→黒島(30分)鷹島の船唐津から30分。一番高いところで73mと平坦な感じだが、海岸線は50m程の断崖が続いている。黒島には病院も学校も無い。小学校の分校はあるようだが、休校中のようです。もともとは石の採掘加工などが営まれていて、墓石では黒島石として名が知られているようです。現在では細々とういう状態のようです。他は農業と漁業、出稼ぎに出てる人も多い。空き家がそこそこあるようで、希望があれば安く貸してくれそうです。

12:25黒島港フェリーで出発
13:25御厨港到達、レンタカーで長崎空港に向かう。途中西彼杵半島をドライブする。
17:20長崎空港到達。
18:55長崎空港出発
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、九州最西端長崎県に足を運び、日本海沿いの玄界灘に浮かぶ離島、青山&黒島を訪れ散策し癒されました。
やはり他のほとんどの離島に共通する、素朴で住民も少なく長閑な島々でした。




 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五十二弾:山口県柳井沖離島平郡島巡り
2013年11月9−10日
 

本州の最西端に位置する山口県に足を運び、瀬戸内海の温暖な気候に恵まれ、室町時代から水陸交通の要衝として栄えた柳井沖の離島、周防大島(屋代島)の南約7kmに位置し、山口県では屋代島に次いで二番目に大きな島の平郡島を訪れました。

9日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:06広島駅到達
15:23広島駅こだまで出発
16:02徳山駅到達、レンタカーで市内のホテルに向かう。
16:00ホテル到着後繁華街散策し食事を済ませて就寝。
10日7:20レンタカーで出発、柳井方面に向かう。
8:15柳井港到達
8:30柳井港フェリーで出発
9:40平郡島平郡東港到達、西に向かって散策する。

平郡島は周防大島(屋代島)の南約7kmに位置し、山口県では屋代島に次いで二番目に大きな島です。中央の深山(468m)を中心に険しい山脈が続き、急斜面が海岸線まで落ち込んでいます。東西に離れて二つの集落があり、斜面の段々畑では温州ミカン、海ではタコ漁が盛んで、この辺りで捕れるタコは「平郡ダコ」と呼ばれ特に美味しいと評判です。平安時代末期、源頼朝に討たれた木曾義仲(源義仲)の子・平栗丸(平群丸・平郡丸)がこの島に落ちのびて暮らしたという話が島名の由来として残されています。義仲に平栗丸という子が居たかどうかは不明ですが、浄光寺の木造薬師如来坐像や重道八幡宮の棟札は鎌倉時代ものだとされ島の歴史の深さを証明しています。また創建が14世紀前半だとされる曹洞宗海蔵院には根周りが2mもある巨大ソテツが生えており、訪れる人を驚かせています。

14:05平郡島平郡西港到達
14:40平郡島平郡西港フェリーで出発
15:40柳井港到達、レンタカーで徳山に向かう。
16:45徳山駅到達
17:15徳山駅新幹線のぞみで出発
19:55新大阪駅到達。

今回の旅行本州の最西端山口県に足を運び、室町時代から水陸交通の要衝として栄えた柳井沖の離島、平郡島を3時間15km散策しました。
船便が少なく平郡島のみの散策となりましたが、東から西にかけて、島をほぼ半周まわり堪能しました。
 
 




飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百五十弾:大分県沖離島深島&佐伯&臼杵観光
2013年10月26−27日
 

九州の東に位置する大分県に足を運び、大分県最南端で、島の周囲は入り江や岩礁がたくさんあり磯釣りのポイントがたくさんある蒲江沖離島深島と城下町の風情を残す街並みがある佐伯・臼杵のお城を巡りました。 

26日14:00伊丹空港出発
15:00大分空港到達、レンタカーで津久見に向かう。
17:00津久見到達、市内のホテル到着後食事を済ませて就寝。
27日6:00レンタカーで出発、蒲江に向かう。
7:05蒲江港到達。
7:30蒲江港定期便で出発
7:30深島到達、散策。

蒲江港から約9km南に位置する島。大分県では最南端にある島。面積1.10km2、周囲4.0km。人口36人(2000年国勢調査)。全域が日豊海岸国定公園に指定されている。南部と北部の2つの島が中央の砂州で結ばれ、全体としてひょうたん形をしている。集落は島の中央のくびれた部分にある。北方約7kmのところにある屋形島との間にはサンゴ礁が発達しており、島の沿岸部2箇所が海中公園に指定されるなど、ダイビングのメッカとして有名。また、国の天然記念物であるカラスバトの生息地でもある。クロダイ、ハマチ、ブリなどの磯釣りのポイントとしても知られる。深島かまど白みそという白みそが名産である。

12:32深島定期便で出発
13:00蒲江港到達、レンタカーで佐伯に向かう。
佐伯城散策する。

日田から転封された毛利高政が、1606(慶長9)年に築城し、以後、毛利氏十二代の居城となった。現在は、本丸、二の丸、北の丸などの石垣や、三の丸の立派な楼門が残る。本丸跡に国木田独歩の碑が立つ。

国木田独歩館を訪れる。
臼杵に向かう。
臼杵城を訪れる。

弘治2年(1556)ごろ、東九州一円に絶大な権勢を誇ったキリシタン大名・大友宗麟によって築城された城。四方を海に囲まれた海城だったが、その姿から巨亀城ともよばれた。現在は埋め立てにより陸続きとなっており、江戸時代より残る畳櫓と卯寅口門脇櫓に加え、大門櫓が復元されている。城跡内には宗麟の晩年の姿を描いたブロンズ像やレリーフがある。ポルトガルから贈られた日本初の大砲・国崩しのレプリカは必見。春は桜の名所としても知られている。

16:00大分空港に向かう。
17:30大分空港到達。
18:50大分空港出発。
19:45伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の東に位置する大分県に足を運び、蒲江沖の離島深島と城下町である佐伯と臼杵のお城を巡り癒されました。

台風が過ぎ去ってからの大分旅行、天候もよく、絶好の観光日和、のどかな離島深島を気持ちよく散策ができました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十九弾:宮崎県沖離島(大島・島野浦島)巡り
2013年10月19−20日
 

九州の宮崎に足を運び、宮崎県沖の離島、目井津港から見えるひょうたん島ような形の島の大島、延岡市の中心部からは北東へ約12km。島の中心には標高約185mの遠見場山があり、山頂に灯台がある島野浦島を訪れました。

19日15:35伊丹空港出発
16:40宮崎空港到達、レンタカーで宮崎駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
20日6:00レンタカーで出発、日井津方面に向かう。
7:10日井津港到達
7:30日井津港旅客船で出発
7:40大島小浜港到達、散策。

目井津港から見えるひょうたん島ような形の島が大島。昭和50年くらいまでは300人ほど島民がいて、小学校や中学校の分校もあったようだが、今ではほとんどお年寄りばかりになり人口20〜30人になってしまった。島の中ほどにアドベンチャーキャビンがあり、宿泊できる。島には亜熱帯性の植物が繁り、季節にはあちらこちらでハイビスカスの花を見ることができる。奇岩なども多く、ダイビングやキャンプに訪れる人も年々増えている。産業は漁業が中心だが、釣り客や島を散策に来るひとのための民宿もある。

10:20大島小浜港旅客船で出発
10:30日井津港到達、レンタカーで延岡方面に向かう。
13:45浦城港到達
14:55浦城港高速船で出発
15:05島野浦島浦港到達、散策

延岡市の中心部からは北東へ約12km。島の中心には標高約185mの遠見場(とんば)山があり、山頂に灯台がある。島全体が切り立った地形で、岩場が多く磯釣りが楽しめそう。日豊海岸国定公園の一部でリアス式海岸も美しい景観を見せている。 かつては伊予水軍が付近で活躍していた。水産業と水産加工業で活気に満ちた島。

15:30島野浦島島浦港高速艇で出発
15:40浦城港到達、レンタカーで宮崎空港に向かう。
18:00宮崎空港到達
18:50宮崎空港出発
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行九州の宮崎県に足を運び、数少ない宮崎県沖の離島、大島、島野浦島を訪れ癒されました。

2つの島とも近距離に位置していましたが波が高く、うねりが強く、渡船がかなり揺れながら走行してなんとかたどりつきました。

大島は家も、住民も少なく、寂しい島でしたが散策する道は整備されハイキングにはもってこいの島ですね。最端の灯台まで散策し、10km楽しく歩くことができました。

一方島野浦島は家も住民も多く、賑わっていました。残念ながら十分な時間を取れなくて島浦港周囲のみの散策でした。

宮崎県沖離島(大島・島野浦島)巡り満喫しました。


 




飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十八弾:宮城県南三陸沖離島巡り
2013年10月12−14日


海と山、息をのむほどの美景あり、東北の中心となる宮城県に足を運び、南三陸沖の離島(出島、江島、気仙沼大島、田代島、網地島)を訪れました。

12日14:30伊丹空港出発
15:55仙台空港到達、レンタカーで石巻に向かう。

石巻市は、宮城県東部に位置する、県内第二の人口を擁する市。広域合併により、市域は北上川下流の仙台平野(石巻平野)から、女川町を除く三陸海岸南端(牡鹿半島)一帯まで広がった。旧北上川河口に中心部を持ち、石巻都市圏の人口は約21万人(2000年国勢調査時点)、世帯数は59,065世帯である(2006年(平成18年)3月末)。金華山沖(三陸沖)では、黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかるため世界三大漁場の1つとなっており、漁場に近い本市は全国でも有数の水産都市となっている。市内の万石浦でカキの養殖法が開発され、世界中に広がった。

17:30石巻到達、石巻駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
13日7:00レンタカーで出発、女川に向かう。
7:30女川港到達。

女川町は、宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。町域は、南三陸金華山国定公園地域に指定されている。北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキ(牡蛎)やホタテガイ(帆立貝)、ギンザケ(銀鮭)などの養殖漁業が盛んで、金華山沖漁場が近いことから、地方卸売市場には暖流・寒流の豊富な魚種が数多く水揚げされる。また、町の南には石巻市とまたがって東北電力の女川原子力発電所がある。

7:45女川港フェリーで出発、江島に向かう。
8:15江島到達、散策する。

江島は牡鹿半島の東側に突き出る寄磯崎から東へ約4kmの沖合いに浮かぶ小島で、二股島、平島、足島などの無人島と列島を成しており、島の北側にある漁港に女川港から高速船が片道25分で往復しています。江島の標高は77mとそれほど高くはありませんが、平地が少なく入り江が多いのが特徴的で、入り江がある島として江島と呼ばれるようになったといわれています。山の斜面に階段状に家々が並び、昔は荷物を頭の上に載せた女性が坂道を昇り降りする姿が島の風景にもなっていました。定住の始まりは不明ですが、平安時代中期頃、陸奥国に勢力があった安倍頼時の子・安倍宗任(鳥海三郎)が魚網を伝えたという話が残っていることからその頃には既に定住があったのかもしれません。また、源義経を匿った罪で頼朝に追われた樋詰(日詰)五郎が逃げ延びた地だとも言われており、久須師神社には島の開祖として樋詰五郎が祀られ、毎年5月5日には盛大に祭りが催されます。その時奉納される「江島法印神楽」は県の重要無形民俗文化財に指定されています。江戸時代には牡鹿半島周辺の島々は仙台藩の流刑地となっていたところが多く、田代島や網地島が比較的軽い罪の者が流されたのに対して江島は重罪人の流刑地になっていました。中には文化人や身分の高い者も多くいたようで、栄存神社には無実の罪で流され、1681年にこの島で亡くなった高僧・栄存法印が祀られています。

11:00江島フェリーで出発、出島に向かう。
11:35出島到達。

宮城県は東北地方でも貝塚が多く分布する県で、この出島の貝塚からは珍しい縄文時代の土器や骨角器類が発見されている。出島付近も黒潮の影響で気候は比較的温暖で釣りファンも大物釣りをめざす。

11:35出島出発、女川に戻る。
11:55女川港到達、レンタカーで気仙沼大島に向かう。
13:30気仙沼港到達。

気仙沼市は、宮城県北東端の太平洋沿岸に位置する都市である。当市域はかつて本吉郡に属していたが、北側に隣接する岩手県沿岸南部の気仙郡地域(大船渡市・陸前高田市ほか)とは古くから一つの地域圏を形成しており、江戸時代には同じ仙台藩に属していた背景から方言も近似する。現在でも県境を越えた交流が深く、当市は三陸海岸南部の商業拠点となっている。また、変化に富んだリアス式海岸の観光も発展している。

14:30気仙沼港カーフェリーで出発。
14:55気仙沼大島到達、ドライブする。

親潮・黒潮の交差する地域で気候は温暖で、春には椿が多く見られる。北部に亀山(235m)があり、展望台から気仙沼湾ののどかな風景が臨める。観光客も多く、キャンプやサイクリング、グラスボートによる海中公園遊覧などが楽しめる。縄文時代の貝塚や遺跡があり、太古の時代にも生活が営まれていた。緑色の花を咲かせる桜の木があるらしい。

16:20気仙沼大島港フェリーで出発。
16:45気仙沼港到達、石巻に向かう。
19:20石巻のホテル到着後、石巻駅前のレストランで食事を済ませてから就寝。
14日8:00レンタカーで出発、石巻港に向かう。
8:15石巻港到達。
9:00石巻港フェリーで出発、田代島に向かう。
9:38田代島到達、散策。

日本は八百万の神々、たくさんの神様が祀られていますが、猫神様も全国的にちらほらと散見されます。祀られている猫はネズミ退治で活躍する猫、福を呼ぶ招き猫、化け猫等々色々です。田代島には昔いたずら好きの山猫がいて、漁の魚を盗んだり、人間に危害を加えたり化かしたり、悪さの程がひどかったので、それを鎮めるために猫を祀ったという伝説があります。それがいつの間にか猫は大漁を招くと言われ、大切にされるようになったのだと思います。そして猫の天敵である犬は敬遠され、猫が多いというより犬が居ない島になってしまいました。島の中ほどにある猫神社には招き猫が祀られています。田代島は牡鹿半島の西側に位置し、南三陸金華山国定公園に含まれます。砂浜は少なく島の周りはほとんどが断崖になっていて奇岩が多く、波が絹糸のように岩に纏わりつき、それが日光に曝されキラキラと美しかったことから、昔は“多曝島”と呼ばれていたと言います。漁業が中心の島で、幕末から明治の初め頃は大型定置網の大謀網が盛んで、宮城県でも有数の漁場でした。北に大泊、南に仁斗田と二つの集落がありますが、普段はどちらも人影は疎(まば)らで、人より猫の数が多いと言われる過疎化と高齢化が進む島でもあります。島の周りはほとんど岩場ですが、仁斗田港の近くに人工海水浴場の田代島ポケットビーチがあります。島では唯一安心して海に足をつける事ができる場所かもしれません。仁斗田港を徒歩で15分ほど南下するとマンガアイランドがあります。宮城県は漫画家石ノ森章太郎の出身地でもあることから、石巻市をマンガの街にしようという構想が持ち上がり、その一環として田代島にマンガアイランドが造られました。漫画家の“里中満智子”さんや“ちばてつや”さんがデザインしたロッジがあることで知られています。南端にある三石観音というのは、昔この地に金に輝く十一面観音が流れつき、それを島民が祀り信仰したと言われているもので、ここには古ぼけたお堂があります。巨大な岩が三つあるので三石と呼ばれていますが、その岩の上を観音様が馬に乗って上陸した時に付いたと言われる窪みがあります。西側にある「音が洞」は、洞窟に波がかぶると音が鳴るというので名が付いたようですが、島の乙女がここで大タコを見つけて足を一本づつ持ち帰ったという伝説もあります。イマイチよく分からない伝説ですが。北側にある二鬼城崎は“にげしろざき”と読みます。平安時代後期に起こった前九年の役(1051年〜1062年)に敗れた安倍氏の残党が逃げ隠れ住んだと言われるところで、“逃げ城”とも呼ばれています。また、教育センターの裏手にある“八兵衛壇”というのは、10基前後の塚がある所で、安倍氏の残党が貴重な品を埋めたという伝説もあり、そこを掘り起こすと祟りがあると地元の人から恐れられている場所です。

13:04田代島フェリーで出発、網地島に向かう。
13:24網地島到達、散策。

網地島は牡鹿半島の先端・黒崎の南西約2kmにある島で、かつては遠洋漁業の基地として栄え、昭和30年代には人口が3,000人を超える活気のある島でした。しかし、現在は人口も500人前後に減り、高齢化が進み、漁業も近海での漁が中心になっています。北側に網地浜地区、南側に長渡浜地区と2つの集落があり、島の半分くらいの人が阿部姓で、阿部さんと呼びかけると皆が振り返るそうです。また田代島と同じく猫がたくさん居る島でもあります。黒潮の影響で気候は温暖で暖帯性植物が群生し、海水浴やサイクリング、釣りなどリゾート地として人気を集めています。ベーリング海峡を発見したロシアのベーリングが派遣した探検隊が1739年(元文4年)に上陸、交易を行なったという記録があり、それを記念したベーリングの銅像があります。島の南端に赤と白のストライプがきれいなドワメキ灯台があります。「ドワメキ」は漢字で書くと「渡波滅生」と書き、岬の先端のところが波の中に消えたり、また現れたりする様を「渡波滅生」と表したそうです。特産品は生ウニ、アワビ等の海産物。

14:00網地島フェリーで出発
15:00石巻港到達。レンタカーで仙台空港に向かう。
17:30仙台空港到達。
19:10仙台空港出発。
20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、東北の中心である宮城県に足を運び、南三陸沖の離島(江島、出島、気仙沼大島、田代島、網地島)を訪れ2泊3日の旅、癒されました。

今回訪れた市(石巻、女川、気仙沼)と離島(江島、出島、気仙沼大島、田代島、網地島)は震災後の復興工事が至る所で行われ、完全に戻るには、まだまだ時間がかかりそう、震災の影響の凄さを物語っていました。

各島は、離島特有ののどかさ、過疎地化し、住民はほとんど高齢者、離島に共通する言葉ですね。
今回訪れたエリアは復興現在進行形で数年後立派な新都市として蘇るのでしょうね。数年後又訪れてみたい、宮城県南三陸沖離島巡りでした。


 














 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十七弾:長崎県平戸沖離島的山大島&度島観光
2013年10月5−6日
 

長崎県平戸に足を運び、平戸沖の離島、平戸諸島の北の外れ、海の要衝、九州北部から出港した遣唐使船が、大陸とを往来する際に寄港した島、的山大島、室町時代の1554年に3人のキリスト教宣教師が来島して布教活動を行った度島を訪れました。

5日14:30伊丹空港出発
15:40長崎空港到達、レンタカーで平戸に向かう。
17:30平戸手前の江迎鹿町駅付近のホテル到着後市街地を散策し食事を済ませて就寝。
6日7:30レンタカーで平戸港に向かう。
8:10平戸港到達
8:20平戸港フェリー度島で出発
9:05度島本村港到達

度島は東側の丸島の所に標高103mの飯盛山があり、この島ではここが一番高い。全体的に平坦な所は少なく、北西側も40〜60mの断崖になっている。キリスト教が伝えられたころはキリシタンの島だったが、秀吉のバテレン追放令(1587年)により改宗が進み、それ以降は信者は居なくなった。お盆に行われる"盆ごうれい”と呼ばれる行事は無形文化財に指定されています。先土器時代の遺跡や古墳もあります。

9:10度島本村港フェリー度島で出発
9:45平戸港到達
10:20平戸港フェリー大島で出発
11:05大島的山港到達、シャトルバスで神浦に向かう。

大島は島の周囲は岩場が多く磯釣りのメッカ。マダイ、メジナ、イサキなどが釣れる。大賀断崖は50〜70mの切り立った断崖が続き、この上にキャンプ場がある。いさりびの里「漁火館」は温泉や宿泊、バーベキュー広場などが利用できる。遣唐使船も寄港したことがあると伝えられている。また1281年の弘安の役(元寇)で戦場になった。2009年『大根坂の棚田』で「島の宝100景」に選ばれました。

11:30神浦到達、散策

神浦港を見下ろす神浦の神社に肥前型の石鳥居がある。柱に享保2年に藩主松浦公が奉納した旨が刻まれている。鳥居の正面の建物(現在は倉庫)は江戸時代の拝殿であり、本殿は現在鏡内社となっている金比羅宮で江戸中期のものと判明している天降神社を訪れる。

井元氏の墓地内に建立されており、年記(1692年)のある最も古いもの。縦122cm、横45cmの鯨供養碑を訪れる。

13:20神浦シャトルバスで出発
13:40的山港到達
14:00的山港フェリー大島で出発
14:45平戸港到達、レンタカーで西彼杵半島に向かう。
16:30西彼杵半島鵜瀬島到達

もとの住所は西彼杵郡琴海町。平成の大合併で2006年1月4日に長崎市に編入。小口のところに橋が架かっているので陸続きになっているが、対岸とは10mくらいしかなく干潮の時は徒歩でも行き来できたみたいです。島にはほとんど民家しかないようで、小学生は4kmほど離れた
尾戸小学校へ徒歩通学してるようです。島の周囲の入り江では真珠の養殖や牡蠣、ナマコ、みかんとか採れるようです。

16:45鵜瀬島出発、長崎空港に向かう。
18:10長崎空港到達
18:45長崎空港出発
19:50伊丹空港到達。

今回の旅行、長崎県平戸沖の離島、平戸諸島の的山大島と度島を訪れました。大陸に近いせいもあり、九州北部から出港した船の寄港島でもあり、又キリス教宣教師が来島し布教活動を行った島でもある。
古くからの歴史を語ることのできる歴史深い島でもありました。








 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百四十三弾:山口県萩沖離島大島・相島観光
2013年9月7日ー9月8日
  

史跡めぐり、SLの旅、海の幸など、楽しみ方が盛り沢山の本州の最西端山口県に足を運び、13代に渡って続いた、毛利氏の長州35万石の城下町として栄え、吉田松陰のもとで学んだ若者たちが後に維新の志士として活躍した維新胎動の地としても知られ、今も城下町の風情を残す町並みが残り、武家屋敷跡に実るみかんが特産品として知られている萩と萩沖の離島大島・相島を訪れました。

7日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:38新山口駅到達
15:50新山口駅前バスで出発
17:23東萩駅前到達、近くのホテル到着後、周辺のレストランで食事を済ませて就寝。

8日7:30出発、萩港に向かう。
8:00萩港高速艇で出発
8:40相島到達、散策。

相島は萩港から高速船で40分、距離にして港から北西へ約14kmの海上に浮かぶ有人島で、標高157mの大山から続く斜面には多くの段々畑が作られ、さつまいもや葉タバコ、そして萩西瓜の最大の生産地として知られている島です。
水が豊かでないことから稲作は行われず、昔から畑作に力が注がれてきました。昭和の始め頃は蚊取り線香の原料になる除虫菊の栽培が盛んで、花が咲く初夏の頃には島全体が白く輝いていたといいます。

9:10相島高速艇で出発
9:50萩港到達、萩散策

藩主の御座船を格納した倉(史跡)。玄武岩を積んだ壁に本瓦葺きの屋根をのせた、梁間8.8m、桁行27m、高さ8.8mの堂々たる建物だ。現在は川から約130m離れているが、かつてはこのあたりまで松本川の河畔だったという旧萩藩御船倉を訪れる。

江戸時代の牢獄跡で、野山獄が士分の者、岩倉獄が庶民用だった。安政元年(1854)、下田からアメリカに密航を企てて失敗した吉田松陰は野山獄に、門弟の金子重輔は岩倉獄につながれた。岩倉獄跡には、重輔絶命の碑と松陰が重輔に贈った詩碑が立つ野山獄跡・岩倉獄跡を訪れる。

江戸屋横町にある、木戸孝允(桂小五郎)の生家。当時としては珍しい木造2階建て桟瓦葺きで、14室もの部屋があり、父が藩医を務めていたために患者用と来客用の2つの玄関がある。孝允は天保4年(1833)に誕生し、約20年間をここで過ごした。誕生の間や勉強部屋などがあり、勉強部屋では後年、名筆家として知られた孝允の少年時代の習字も見られる木戸孝允旧宅を訪れる。

菊屋家は毛利輝元に従って山口から移ってきた藩の御用商人で、大年寄格でもあった家。江戸初期に建てられたという主屋は広い座敷をもち、幕府からの使者が泊まる本陣として使われた。5470平方mという広い敷地内にはなまこ壁の蔵が立ち並び、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場などが国の重要文化財に指定されている。各部屋には藩主からの拝領品や古書、民具、衣装など約500点を展示。家の西側のなまこ壁が美しい小路は、菊屋横丁とよばれている菊屋家住宅を訪れる。

萩港に向かう。

11:00萩港高速艇で出発
11:25大島到達、散策。

萩港から無人島の羽島、肥島を見ながら高速船で25分、平たい台地状の大島に到着します。沖縄の隆起珊瑚礁の島にはよくある形ですが、大島は19万年前の火山噴火で出来た台地が島になったもののようです。
集落は南側に集中し、台地の上には歯タバコやブロッコリーなどの畑が広がります。農業も盛んですが、漁業は山口県の島の中では有数の水揚げを誇る漁業の島です。
島の起源として壇ノ浦の戦い(1185)で敗れた平家の落人7人が流れ着き開拓したという伝承があり、今でも島民の大半はその子孫と言われる長岡、池部、国光、刀禰、豊田、吉光、貞光の7つの姓の人で占めています。

13:00大島高速艇で出発
13:25萩港到達、萩散策。

萩城跡から萩商港にかけて続く、白砂青松の浜。指月山の眺めがよく、夏は海水浴場としても賑わう。もとは阿古ケ浜とよばれていたが、江戸時代に菊屋家が藩士や足軽衆のためにここに小屋を建てたので、菊ケ浜の名が付いたと伝えられている菊ケ浜を訪れる。

慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれる。山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていた。明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されている。旧本丸跡に歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建された際、総面積約20万uの境内が指月公園として整備された。城跡の構造をよく残していることが特徴で、園内には天守閣跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡がある。また、幕末13代藩主毛利敬親が安政年間に藩主別邸・花江御殿に増築し、家臣とともに茶事に託して討幕の密議を凝らした茶室「花江茶亭」が明治22年に園内に移築され、現在、抹茶の接待を行っている。春には県の天然記念物に指定されているミドリヨシノを始め、600本余りのソメイヨシノが咲き誇り、桜の名所となっている萩城を訪れる。

厚狭(現山陽町)に領地を持っていた厚狭毛利氏の屋敷の一部で、安政3年(1856)に建てられた入母屋造本瓦葺きの長屋。梁間5m、桁行51.5mの長大な建物は、萩に残る最大の長屋で、当時の武家屋敷の姿をよく伝える遺構として重要文化財に指定されている。室内は座敷や中間部屋が横一直線上にいくつも連なり壮観。内部には、毛利家の姫が使った駕籠や道具類などを展示している旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を訪れる。

敵を迷わせ、あるいは追いつめやすいように工夫して造られた鍵曲。別名「追廻し筋」ともよばれ、道が鍵の手に曲がり、左右を高い土塀で囲むなど見通しが悪くなっているのが特徴だ。藩政時代に多くの重臣たちの邸宅があった堀内や平安古などで見られる。一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、近くに国の重要文化財の口羽家住宅がある堀内エリアの鍵曲は、道がカラー舗装されており、往時を彷彿とさせる堀内鍵曲を訪れる。

上級武士の屋敷があった堀内地区に立つ施設。萩の歴史や自然、文化、また吉田松陰、高杉晋作ら明治維新期の偉人について楽しみながら学べる。季節ごとに企画展も開催。瓦屋根が開閉する天体観望室もあり、レストランではランチや夏みかんソフトなどが味わえる。毛利家のお姫様が使った駕籠も展示する萩博物館を見学。

もとは大内氏の祈願寺として山口にあったが、毛利氏とともに萩に移った古寺。山口市には現在も円政寺町という地名が残る。境内には十二支の彫刻が施された珍しい形式の金毘羅社があり、神仏混合の名残が見られる。伊藤博文や高杉晋作などが遊び、学んだ場所でもあり、幼い晋作が肝だめしをしたという大きな天狗の面や、遊んだ木馬(神馬)などが残る。県下最大の石灯篭もみどころの円政寺を訪れる。

石の造形をデザインに取り入れた、近代的な外観が印象的な美術館。萩出身の実業家・浦上敏朗氏が所蔵していたコレクションを山口県へ寄贈したことを契機に開館。歌川広重や葛飾北斎をはじめとする浮世絵約5200点、中国・朝鮮などの東洋陶磁約500点などがあることでも有名。2010年に増築された陶芸館では、萩焼をはじめとする陶芸の作品も見られる。1階には美術書が閲覧できるレファレンスコーナーやミュージアムショップ、喫茶がある。1階の和風展示室(茶室)では、現代芸術家の作品展示なども行われる山口県立萩美術館・浦上記念館を見学。

享保4年(1719)に毛利吉元が開き、嘉永2年(1849)に毛利敬親がここに移した藩校跡。敷地は約5万平方mもあり、藩校としては水戸の弘道館、鹿児島の造士館と並ぶ大規模なものだった。萩の下級武士の次男として生まれた吉田松陰が、19歳でここの兵学教授となった。敷地内には現在の明倫小学校があり、坂本龍馬が試合をしたという剣・槍術場の有備館、水泳や水中騎馬の練習が行われた石垣で囲った水練池、観徳門などが残る旧萩藩校明倫館を訪れる。

16:20東萩駅前バスで出発
17:42新山口駅前到達
18:05新山口駅新幹線のぞみで出発
19:58新大阪到達。

今回の旅行、本州最西端に位置する山口県に足を運び、毛利氏の長州35万石の城下町として栄えた萩、萩沖の離島大島・相島を訪れ車を使わずひたすら散策して巡り楽しめました。

2つの離島は漁業と農業で賑わってる実用的な島で、あまり観光に力を入れてないようで、観光名所は少なく、もっぱら萩の城跡と周囲に点在している武家屋敷を巡る観光でした。
















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十五弾:九州北西部(佐賀県・長崎県)城、島めぐり
2013年6月29ー30日
  

九州北西部の佐賀県、長崎県に足を運び、城(唐津城、名護屋城、平戸城、島原城)、島(鷹島、福島、前島、鼕泊島)を訪れました。

29日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
16:14博多駅到達、レンタカーで唐津に向かう。
17:45唐津到達、唐津城散策。

唐津藩の初代藩主、寺沢志摩守広高[てらさわしまのかみひろたか]が7年の年月を費やして1608年(慶長13)に完成させた。現在の天守閣は1966年(昭和41)に完成したもの。内部は郷土博物館で、古い絵図や武具、刀剣類などを展示する唐津城を訪れる。

18:30唐津市内のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

30日7:00レンタカーで出発、呼子に向かう。

豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し、加藤清正らに命じて1592年(天正20)に築城。総面積約17万平方mという当時大坂城に次ぐ規模ながら、わずか5カ月で主要部分を完成させた。名護屋城では茶会が盛んだったといわれ、周辺には草庵茶室跡や茶の湯に使った太閤井戸などが残る名護屋城を訪れる。

長崎県北部の松浦市に属し、平戸諸島の中では最も東にある有人島です。2009年4月18日に佐賀県唐津市肥前町星賀と鷹島町神崎免との間に全長1,251mの鷹島肥前大橋が開通し、陸路でのアクセスが可能になっています。北部の宮地岳(116.6m)と南部の牧の岳(117m)が最高点を競い、丘陵地に草原や耕作地が続いています。産業は漁業が中心で、入り江が多い複雑な海岸線には漁港が点在しています。鷹島は日本の神風伝説由来の地だと言われています。文永の役(1274年)・弘安の役(1281年)と元寇は2度にわたって襲来していますが、2度目の襲来となった弘安4年、14万の元軍が鷹島沖に集結したところを暴風雨が襲い、元軍は壊滅状態に追い込まれたのです。後々まで語り継がれることになる“神風伝説”はこの時生まれました。今でも海底には多くの遺物が残され、発掘されたものは歴史民俗資料館に展示されています。また2011年には鷹島南沖海底で原型をとどめた元寇船が見つかり話題を呼んでいます。松浦市とモンゴル(元)のホジルト市はかねてより交流があり、姉妹都市の間柄でもあります。島の北部の草原にはバーベキューハウスや温泉施設、遊牧民気分を味わいながら泊まることができるゲルなどを備えたモンゴル村が人気の鷹島を訪れる。

北は唐津市、東は伊万里市に接し、伊万里湾を塞ぐように位置する福島は長崎県松浦市に属します。椿の島として有名で、特に北側の初崎自然公園には椿の群生が見られ、灯台までの散歩道があります。公園にはキャンプ場や展望台があり、遠くに壱岐島などが眺望できます。かつては炭鉱の島として栄え、昭和20代から30年代の初め頃には人口が10,000人を超えたこともあります。炭鉱の衰退とともに人口も減少し、現在では多くの自然美を残す島となっています。東側の土谷(どや)棚田は「日本棚田百選」にも選ばれ、夕陽に映える棚田は優雅とも思える美しさを見せます福島を訪れる。

平戸に向かう。

1704年(宝永元)に山鹿流兵法によって平戸城として築城された。現在の天守閣は1962年(昭和37)に復元されたもの。天守閣内部には3世紀ごろの「環頭の太刀」(重要文化財)をはじめ、平戸藩ゆかりの武具などの文化財や遺品も多く展示されている。天守閣最上階の展望室からは平戸市街や平戸港、遠くは壱岐の島々まで見渡せる。二の丸跡は、亀岡神社と公園として整備されている平戸城を訪れる。

九十九里浜に向かう

鹿町町の江迎湾辺りから日本本土最西端の碑がある小佐々町の神崎鼻までの約10kmに散在する島々を九十九島の中で北九十九島と区分けしてるようです。まだまだ地図に書ききれない島がたくさんあります。 多くの島は無人島ですが、前島や鼕泊島、赤島などは有人島です。前島、鼕泊島を訪れる。

西九州自動車道、長崎自動車道経由して島原に向かう。
14:00島原到達

1624年(寛永元)、築城の名手と讃えられた藩主・松倉重政が、7年の歳月をかけて完成させた城。この時領民に課した重税が、島原の乱を引き起こす原因になったともいわれる。明治維新で解体されたが、1964年(昭和39)に復元。五重の天守閣の内部には、島原の乱の資料を展示したキリシタン史料館などがある。敷地内には普賢岳噴火活動の歴史を解説した観光復興記念館、彫塑家・北村西望の記念館も併設する島原城を訪れる。

14:30長崎自動車道、九州自動車道経由して博多に向かう。
17:30博多到達。
18:55博多駅新幹線のぞみで出発
21:17新大阪到達。

今回の旅行、九州の北西部の佐賀県、長崎県に足を運び、城(唐津城、名護屋城、平戸城、島原城)、島(鷹島、福島、前島、鼕泊島)を訪れ、楽しめました。

走行距離550km、博多から反時計回りで、唐津、呼子、平戸、九十九里浜、島原、博多までドライブ観光堪能しました。

城めぐり残りは北海道、東北、中国地方のみとなりました。7月、9月に巡る予定です。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十三弾:長崎県五島灘離島観光
2013年6月15ー16日
 

江戸時代 の鎖国の間、日本唯一の貿易港として中国やオランダとの文化交流が盛んに行われていた町、長崎タウンが位置する九州の西端の長崎県に足を運び、西彼杵半島の沖、五島灘に点在する離島(松島、寺島、大島、栃浦島、崎戸島、高島、黒島)を訪れました。

15日14:25伊丹空港出発
15:40長崎空港到達、レンタカーで有明海周囲の橋で渡れる島を巡る。

ハウステンボスがあるのは針尾島という島の中だったんですね。その針尾島に包まれるようにあるのが大島。大正から昭和にかけてはレンガ工場があったということですが、現在は老人ホームと病院があります大島を訪れる。

昭和63年に「寺島大橋」、平成11年に「大島大橋」が完成。大島、蛎浦島、崎戸島への玄関口となっている。養殖が盛んで漁業の島。島の周辺はアワビの宝庫の寺島を訪れる。

平成11年11月11日午前11時11分11秒に開通した大島大橋(橋長1095m)。寺島、そして寺島大橋を渡れば大島。江戸時代は大村藩の放牧場、昭和10年〜45年は炭鉱の島。そして現在は大島造船所。島の一番高いところは百合岳(194m)。その百合岳公園には野外音楽堂もあり、360°の展望が望める大島を訪れる。

江戸時代は捕鯨基地、明治・昭和は炭鉱の島で最盛期には人口が2万5,000人を超えたこともあったようです。炭鉱記念公園にある歴史民俗資料館には当時の資料などが展示。現在は九州唯一の製塩工場や観光等が島を支えています。とんぼ公園には絶滅が心配されているベッコウトンボ、珍しいノアサガオの群生も見られます。「イル・デ・フルール」 にはハーブの花が咲き乱れる。この島の廃墟はどこかで見たような気がすると思ったら、「バトルロワイヤル2」(深作欣二監督の遺作)のロケ地でした栃浦島を訪れる。

蛎浦島とは橋で結ばれている 磯釣りや観光に訪れた人たちを癒すホテルや民宿などがある。平成15年にオープンした「ホテル咲き都」ラジウム温泉「狸の湯」ある崎戸島を訪れる。

16:30佐世保に向かう。
17:30佐世保駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
16日5:40レンタカーで瀬戸港に向かう。
6:30瀬戸港到達
7:15瀬戸港市営交通船で出発
7:25松島港到達、島を散策する。

西海市の松島は西彼杵半島の西側、角力灘)に浮かぶ島で、瀬戸港から1km程の距離にあります。江戸期以前は地元の漁師などの出入りはあったものの、人家もあまり見られず松林が茂っていたので松島という名が付いたようです。江戸期に入ると大村藩によって島の頂上(217m)に遠見番所が置かれたり、釜浦辺りに定住する者も居たようですが、元禄期に松島水道で鯨漁が行われるようになると西泊の港は一気に活況を呈するようになります。元禄8年(1695年)に平島よりこの地に移り住んで捕鯨を始めた深沢与五郎はたちまち巨万の富を築き、同時に松島鯨組は広く世間に知れわたることになります。その後100年程クジラの時代は続きますが、今では西泊の正定院に残る与五郎の大きな墓が当時の繁栄を偲ばせるばかりです。松島を訪れる。

8:00松島港市営交通船で出発。
8:10瀬戸港到達、レンタカーで佐世保相浦港に向かう。
9:30相浦港到達
10:00相浦港フェリーで出発
10:20高島到達、散策

九十九島は北松浦郡鹿町町周辺の島々を北九十九島、佐世保市周辺の島々を南九十九島と地域分けされています。いろいろ数え方はあるようですが、全体で208の島々があるそうです。この高島と南西にある黒島は有人島ですが、ほとんどの島は面積も小さく無人島ばかりです。高島は観光というよりは漁業の島で、チクワやカマボコが生産され生活を支えているようです。高島を訪れる。

13:25高島港フェリーで出発
13:50黒島到達、散策。

佐世保湾を出て北西に進路をとり、約10km程行くと黒島がある。赤レンガ造りの黒島教会が存在感を示し、島民の7割がカトリックだという黒島はキリスト教の色合いが強い島。黒島教会は国指定重要文化財になっている。禁教令の中救いを求めてこの島に移り住んできた人達は出口大吉の家で密かにキリスト教を信仰していた。屋敷跡には信仰復活の記念碑が建立されている。 島の特産、海水のニガリで固めた黒島豆腐は結構硬め。お祝いの時に食べるフクレ饅頭はサンキライ(カカラ)の葉を使って作るようです。黒島を訪れる。

15:30黒島港フェリーで出発
16:20相浦港到達、レンタカーで長崎空港に向かう。
17:50長崎空港到達
18:45長崎空港出発
19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の西端の長崎県に足を運び、西彼杵半島の沖、五島灘に点在する離島(松島、寺島、大島、栃浦島、崎戸島、高島、黒島)を訪れ楽しめました。

長崎には多くの島が点在し、今回訪れた島は比較的人口も多く、フェリーの便も多く訪れやすい島でした。際立った観光名所はありませんが隠れキリシタンの島でもあり大きな教会が印象的でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十二弾:山口県下関沖離島観光
2013年6月8ー9日
 

本州の最西端山口県に足を運び、関門海峡に面した下関沖の離島(長州出島、彦島、竹ノ子島、蓋井島、六連島)を訪れました。

8日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:57小倉到達、レンタカーで下関に向かう。

関門海峡沿いの港湾整備は、背後地の不足や船舶航行上の制約等により限界があることから、国際コンテナ貨物の増大や船舶の大型化に対応するため、関門海峡内に比べて制約が少なく、将来への発展可能性が高い新港地区に沖合人工島【長州出島】の整備を進めています。長州出島を訪れるが関係者のみ上陸のため入り口で島を望む。。

山口県南西端、下関市にある島。旧彦島町。関門海峡の西口に位置し、本州側には小瀬戸、北九州側には大瀬戸の海峡が通じ、交通上の要地を占める。高度100メートル前後の丘陵状の島で、面積10.60平方キロメートル。下関市街地とは関彦橋、彦島大橋などで結ばれている。また、JR山陽本線も本島を通過、関門鉄道トンネルで門司に至る。『日本書紀』に「引島」とみえ、平安末期には源平合戦の舞台となった。明治以降、化学、金属、造船などの諸工業が発達し、さらに下関漁港周辺に水産関連産業が立地し、下関工業の核心地区を形成している。早くから近郊農業が盛んで、第二次世界大戦前知られた温室メロンは現在では花卉栽培にかわった。南風泊漁港には下関を代表する味覚フグの市場がある。サイ上り神事で有名な彦島八幡宮の境内には縄文時代前期・中期の宮ノ原遺跡があり、老ノ山公園は関門港外、響灘の展望に優れる彦島を訪れる。

本州の西端・関門海峡に向って垂れ下がるようにのびているのが彦島。彦島と本州は2つの橋で結ばれている。

彦島の西にあるのが竹ノ子島。下関市彦島竹ノ子島は、彦島とは竹ノ子島橋という小さな橋で結ばれている。竹ノ子島と入江を挟んだ対岸には、ふぐの水揚げ日本一の南風泊市場がある。竹ノ子島で目立つのは、西岸の台場鼻潮流信号所と東岸の関門造船である。西岸から北岸にかけては、美しい海岸風景が展開されている。沖に目をやると、六連島、馬島が見え、若松から小倉に至る北九州工業地帯も指呼の間である竹ノ子島を訪れる。

18:00下関駅前のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

9日7:30レンタカーで吉見港に向う。
8:00吉見港到達。
8:30吉見港、渡船で蓋井島に向かう。

9:05蓋井島到達、

蓋井島は下関市街地から国道191号線を15kmほど北上した所にある吉見港から定期船で渡ることができます。くねくねとした島の形。大山(252m)、金毘羅山(城山:145m)、乞月山(こいづきやま:149m)等の山々が連なり、南側の湾内に集落と港があります。

島の歴史は古く島内からは古墳時代から平安時代にかけての集落遺跡(筏石遺跡)が発掘されています。また、島名や地名に神功皇后にまつわる話が残されていることから古い時代の大陸との関係を連想させてくれます。

周囲の海岸は荒波に侵食され磯釣りファンを誘う岩場が続き、一の岩門、二の岩門などと名付けられた洞窟も見られます。また、集落から遊歩道「やまどりの散歩道」を進むと灯台へと至り、さらに金毘羅山(城山)、大山方面へと絶景を望みながらのハイキングを楽しむこともできます。大山や乞月山には昭和10年代に造られた砲台やトーチカの遺構が残されています蓋井島を散策。

12:10蓋井島港、渡船で出発
12:45吉見港到達、レンタカーで下関竹崎港に向かう。
13:30竹崎港到達。
14:30竹崎港渡船で出発、六連島に向かう。
14:50六連島港到達

六連島は本州と九州を隔てる関門海峡の響灘側(日本海)に浮かぶ離島で、横から見ると平たい円盤のような形をしています。南西に並ぶ馬島は福岡県に属し、間の瀬戸は山口県と福岡県の県境になります。島の南西にある音次郎遺跡は縄文から平安時代にかけての遺物が見つかった場所で、古くからの人の営みが窺われ、また、『日本書紀』に「没利島(もつりじま)」と記されていたことから、古い時代から「ぼつり」「もつり」「むつり」「むつれ」等と発音される島だったようです。

島名の由来としては、周囲に小島が6つ連なって見えたから。最初の入植者が島を6等分した。あるいは韓国語の「モッアール(集落)」が語源だとする説、等々諸説あります。また、島の形が蟹の甲羅に似ていることから"かに島”と呼ばれていたこともあるようです。島内には海上自衛隊の施設や六連油槽所、明治4年に初点灯した六連島灯台などがあります。六連島灯台は現在では最も古い様式灯台の一つとなりましたが、造られた当時は近代的な灯台として明治天皇が見物に訪れています。

六連島はおよそ120万年前の噴火で出来た玄武岩の島ですが、中央の小高い丘からは世界でも3ヵ所しかないという雲母玄武岩が見らます。これは海底で噴出した溶岩が雲母を含んだまま急速に冷やされて出来たもので、世界でも珍しい雲母玄武岩が見られる場所として、国の天然記念物に指定されています。島では漁業よりも農業が盛んで、かつてはキャベツが特産のようになっていましたが、今ではハウスによる花き栽培が主です。また、アルコール漬けの瓶詰ウニの発祥地として特産になっています六連島を散策。

17:30六連島港、渡船で出発。
17:50竹崎港到達、レンタカーで小倉に向かう。
18:30小倉駅到達。
18:46小倉駅新幹線のぞみで出発
20:58新大阪駅到達。

今回の旅行、本州の最西端山口県に足を運び、下関沖の離島(長州出島、彦島、竹ノ子島、蓋井島、六連島)を訪れ楽しめました。

比較的都会に近い島であるにもかかわらず蓋井島、六連島、両方とも島の住民が100人余り、際立った観光名所もなく、素朴な島でした。若者は都会に移り、他の日本の多くの島と同じ様に過疎化しています。

蓋井島で休憩していましたら島の住民が話しかけてきました。村には小学校があり生徒は3人、学校の職員が5人、生徒を上まっていました。又最近小倉から若い親子が引っ越してきました。珍しいですね、何か訳があるのでしょうかねとおっしゃっていましたね。

他の日本の島と同様に名所な少ないが、離島は都会の雑踏から切り離され、すべてを忘れ没頭でき癒されますね。癒し系山口県下関沖離島めぐり観光でした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三十弾:宮城県浦戸諸島観光
2013年5月25ー26日
 

東北の中心地仙台が位置する宮城県に足を運び、塩釜の沖に点在する浦戸諸島(桂島、野々島、寒風沢島、朴島)を訪れました。

塩釜港から船に乗り約30分、日本三景の松島湾に点在する浦戸諸島は、大小様々な島からなり、波により侵食された奇岩と松林で構成されたみごとな景観が広がっています。また、桂島、野々島、寒風沢、朴島には、のどかな集落があり、歴史と豊かな自然に培われてきた人々の暮しが息づいています。

仙台市中心部からでも約1時間で来ることができる浦戸諸島では、離島独特のゆったりとした時間の流れの中で、自然や文化を楽しみながらの「島歩き」をお勧めします。

25日16:00伊丹空港出発
17:25仙台空港到達、レンタカーで塩竈方面に向かう。
18:15本塩竈駅前のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
26日6:30レンタカーで出発、塩竈港に向かう。
7:15塩竈港市営汽船で出発、桂島に向かう。
7:42桂島到達、散策。

浦戸諸島の西部にあたり、塩竈本土から最も近く、市営汽船で塩釜港から桂島漁港までは約23分。地形は東西に長く、西側は桂島集落を中心とした桂島地区。東側は石浜集落を中心とした石浜地区があります。島の西海岸は断崖が続き、周辺の大藻根島、小藻根島、仁王島などの島々、遠景には奥羽山脈が望める風光明媚な景観を楽しむことができます。太平洋を望む南海岸には桂島海水浴場があり、島の東部は浦戸諸島で最も標高が高い津森山(標高61m)があります。産業は漁業が中心で、特に栄養豊富な湾内で養殖される海苔や牡蠣は味が良いことで有名です。シラウオ漁も盛んで、春先の夜の海にはシラウオ漁の漁火が美しく輝き、浦戸諸島の春を告げる風物詩となっています。また、島の畑では最近、食用ホオズキの栽培など、新たな産業として取り組まれています。

10:08桂島市営汽船で出発、野々島に向かう。
10:15野々島到達、散策。

浦戸諸島のほぼ中央に位置し、塩竈市役所の支所で宿泊研修施設でもある浦戸諸島開発総合センター(ブルーセンター)が置かれ、隣には浦戸診療所もあり、生活面でも中心的な島です。島の高台には、諸島内唯一の小学校と中学校(併設)があります。
野々島は、熊野神社のキリシタン仏、謎の洞穴群、内海長者の伝説など多くのミステリーや、椿のトンネルや陰田島など神秘的な景観が魅力です。また、島内では野々島フラワーアイランド構想としてボランティアによる、ラベンダーなどのハーブを中心とした植栽活動が盛んに行われています。

11:36野々島市営汽船で出発、寒風沢島に向かう。
11:50寒風沢島到達、散策。

野々島から寒風沢水道を渡ると、浦戸諸島で一番大きな寒風沢島があります。この島もまた数々の歴史が語り継がれています。日本人で初めて世界一周をした津太夫の出身地でもあります。また、江戸時代には伊達藩の江戸廻米の港として栄えていました。当時の港の繁栄を今に伝える、日和山の十二支方角石や縛り地蔵、伊達藩が建造した日本最初の洋式軍艦「開成丸」の記念碑(造艦の碑)、砲台跡などの興味深い歴史の話がさらに島歩きの楽しみをかきたててくれます。また、島の奥に進むと、懐かしい田園の風景、さらに先に進めば、太平洋を独り占めできる美しく穏やかな砂浜に辿り着きます。

13:51寒風沢島市営汽船で出発、朴島に向かう。
13:59朴島到達、散策。

浦戸諸島の有人島では一番小さい島ですが、この地では珍しいタブ林が存在するなど、豊かな自然が残る魅力的な島です。また、春に見る菜の花畑はとても美しく見ごたえがあります。名前の由来も、伝説の鳳凰がいたとか、烽火を上げたことから烽島とも言われ、また江戸時代に伊達藩の軍用金や貴重な宝物が隠されていたという伝説があり、宝島と呼ばれていたものが朴島になったという伝説もあるくらい謎めいた島です。主な産業は牡蠣養殖などの漁業ですが、菜の花の種も“松島白菜”の種として出荷されています。

14:10朴島市営汽船で出発、塩竈港に向かう。
15:09塩竈港到達、レンタカーで多賀城跡に向かう。
15:30多賀城跡到達、散策する。

多賀城は神亀元年(724)、大野東人によって創建された奈良・平安時代の陸奥国の国府であり、行政の中心地でした。また、奈良時代には鎮守府も置かれ、軍事の中心でもありました。仙台湾や仙台平野を一望できる丘陵上に立地し、一辺が1q前後のいびつな四角形に塀で囲い、南・東・西に門が開かれていました(北門は未確認)。ほぼ中央に重要な政務や儀式、宴会などが行われた政庁があり、城内の各所に実際の行政事務を行う役所や兵士の住居などが配置されていました。

多賀城史遊館を見学。

埋蔵文化財調査センター体験館「多賀城史遊館」は、さまざまな見学や体験を通して、多賀城市の歴史を学ぶことができる施設です。多賀城市の縄文時代から江戸時代までの歴史を紹介する展示室や、昔の人々のすぐれた技などを体験できる体験学習室を備えています。

16:30仙台空港に向かう。
17:30仙台空港到達。
19:00仙台空港出発
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行東北の中心地宮城県に足を運び、塩竈の沖に点在する浦戸諸島(桂島、野々島、寒風沢島、朴島)を訪れ、散策しました。

どの島も震災の爪痕を残し、至る所で復旧工事が見られました。島めぐりは観光標識がしっかり作られ、迷うことなく、島めぐり観光できました。

宮城県は今回で6回目、東北地方では最も多い離島が点在しています。今回4つの島を訪れましたが残りは五島、次回訪れたいと思います。

昨年2回宮城県を訪れましたが今回は震災の復興工事が進み、かなり変貌し街並みらしくなっていました。

宮城県浦戸諸島巡り観光、楽しめて癒されました。











 
飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百二十八弾:熊本県天草諸島巡り
2013年5月11ー12日
  

九州の中央に位置し、阿蘇カルデラを有する阿蘇、肥後藩の城下町として栄えた熊本、日本三大急流の一つ球磨川が流れる人吉、紺碧の海に面した天草の大きく4つのエリアに分かれる熊本県に足を運び、県の南西に広がりをみせるシーサイドエリアで、大小120あまりの島々が天草五橋でつながり、16世紀にはキリシタン布教活動が広がり、西洋風建築の教会や文化施設が異国情緒を漂わせる天草にある諸島(戸馳島、野釜島、野牛島、維和島、永浦島、樋合島、前島、通詞島、獅子島、椚島、樋島、下須島)訪れました。

11日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
16:14博多到達
16:22博多新幹線さくらで出発
17:01熊本駅到達、レンタカーで天草諸島に向かう。

宇土半島と戸馳島の間はモタレノ瀬戸と呼ばれていますが、そのモタレノ瀬戸に架けられた橋長300mの朱色の戸馳大橋を渡ると戸馳島です。全体的に平坦な島のようですが、きれいに舗装された道路を車で進んでもそこそこ上り坂があります。そして左右に分岐している路を東へ1kmほど行った所に花の学校「みすみフラワーアイランド」があります。「胡蝶蘭の里」というネーミングがされているように蘭の栽培が有名で、毎年4月の終りにはフラワーフェスタが開催されています。もちろん蘭だけではなく四季折々の花々を楽しむこともできます戸馳島を訪れる。

大矢野島の西側に接していて、昭和55年に完成した野釜大橋(295m)で結ばれています。
野釜大橋を渡り終わるとすぐに右折、そして道なりに進んで行くと唐船島や黒島が間近に見える唐船ヶ浜海水浴場が広がります。遠くに雲仙普賢岳、そして有明海には島原の乱の談合島として知られる湯島が望めます。昔から鯛釣りが有名な湯島周辺には、小さな漁船が浮かんでいます野釜島を訪れる。

大矢野島と維和島の間にある島で、大矢野島とは西大維橋(238m)、維和島とは東大維橋(380m)で結ばれています。昭和30年代には数人の住人が居たようですが、昭和43年には無人島になっています。島には隠れ家的な宿が1軒あります野牛島を訪れる。

維和島の周辺、特に西側はクルマエビ養殖の生簀がたくさんあります。明治38年に維和島で天然稚エビの蓄養が開始され、その後はクルマエビ養殖の本場として全国に知られるようになり、東京など大都市にも高級食材として出荷されています維和島を訪れる。

19:30本渡のホテル到達後繁華街を散策して食事を済ませて就寝。
12日7:00レンタカーで出発中田港に向かう。
7:40中田港到達
8:10中田港フェリーで出発
8:40獅子島片側港到達、レンタカーで島巡る。
9:40獅子島片側港フェリーで出発
10:10中田港到達、レンタカーで牛深方面に向かう。
11:05牛深到達

牛深は天草下島の南端にあり、熊本県最大の漁港の町です。そして牛深港の南側を形作っている島が下須島で、天草下島とは通天橋と牛深ハイヤ大橋の二つの橋で結ばれています。通天橋は1971年に開通し、橋長は125.4m、赤いパイプが印象的なアーチ橋です。車がやっとすれ違うことができるくらいの橋ですが、天草下島と陸続きになったことの意義は大きなものがありました。橋のたもとには通天公園があり、牛深港の様子や周辺の島々が一望できます下須島を訪れる。

11:15通詞島に向かう。
12:05通詞島到達

天草下島の北端にある島で、昔は瀬戸の狭い所を手漕ぎの渡し舟が行き来をする長閑な島でした。昭和50年に通詞大橋が開通したことで随分便利になり、車で島を訪れる人も増えましたが、天草灘の美しい景色と長閑さは昔のまま残されています通詞島を訪れる。

樋島に向かう。

天草諸島周辺から、続いては旧龍ヶ岳町区間の椚島で対岸に樋島と坊主島を臨む柳瀬戸です。椚島を通過する。

天草上島の南部にある龍ヶ岳町に属する島です。上島と樋島の間には椚島と坊主島があるため、見る位置によっては陸続きのようにも見えていました。しかし実際には人の移動、物の運搬などは船を頼らざるを得ない離島で、架橋は島民の悲願でもありました。そして昭和47年9月に樋島大橋が開通し、天草上島と陸続きになり、さらには天草五橋を通じて九州本土と繋がった樋島を訪れる。

天草松島は宮城県の松島、長崎県の九十九島と共に日本三大松島として美しい景観を誇っています。昭和41年の天草五橋開通、そしてその後には温泉開発が進み、多島美を一望できる前島には旅館やホテルが立ち並び天草観光の拠点になりました前島を訪れる。

天草五橋の2号橋(大矢野橋)と3号橋(中の橋)の間にあるのが永浦島です。島の周囲は浅瀬が多く、干潟にはハクセンシオマネキが群棲しています。シオマネキというのはカニの種類のことで、片方の鋏だけが大きく、その鋏を揺らす仕草が潮を招いているように見えるためにそういう名が付けられました。しかし、鋏が大きくなるのはオスだけで、その大きな鋏を振るのはメスの気を引く為の求愛行動だそうです。普通のシオマネキは鋏の色が赤いものが多いのですが、この島の浜で見かけるハクセンシオマネキのハクセンとは白扇のことで、大きな鋏が白色をしています永浦島を訪れる。

永浦島の舗装された道路をそのまま進んで橋を渡ると樋合島に到着します。永浦島と樋合島は60mほどの瀬で隔てられていますが、車で移動すると同じ島のような感じがします樋合島を訪れる。

16:05熊本駅に向かう。
18:08熊本駅到達
18:44熊本駅新幹線みずほで出発
21:44新大阪駅到達。

今回の旅行、熊本県の天草に足を運び、点在する多くの離島、橋で本土続きの島が多く、橋を車で通過して数多くの島を巡りました。
唯一フェリーで渡った獅子島、快晴で波も穏やか、気候抜群、気持ちよく船旅を楽しむことができました。

天草は2回目の訪れで、熊本は6回目、過去は飛行機と夜行列車、今回は新幹線、みずほで新大阪から3時間、早いですね、熊本へは飛行機はいらない、新幹線で直ぐです。
天候・気温抜群、波も穏やか、新幹線は快適で早い、絶好のコンディションでの熊本県天草諸島巡り楽しめました。

 











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百二十五弾:佐賀県玄界灘呼子沖観光
2013年4月13ー14日
   

玄界灘と有明海の2つの海に面する佐賀県に足を運び、イカで有名な呼子の沖、玄界灘の諸島(小川島、馬渡島、加唐島)を訪れました。

13日13:45新大阪のぞみで出発
16:14博多到達、レンタカーで唐津に向かう。
17:30唐津市内のホテル到着後繁華街散策し食事を済ませて就寝。
14日7:00レンタカーで呼子方面に出発。
7:40呼子港到達。
8:00呼子港旅客船で出発
8:20小川島到達、散策

呼子港から船で20分の周囲約4kmの小島。かつては捕鯨基地として栄えていた。島内には、現在でも捕鯨に関する施設が残っている小川島を散策する。

港の近くにある、海の安全を見守る宗像三女神が祀られています。鳥居が3つあり、一番奥にあるものは明和5年(1768)に鯨組・大納屋が奉納したものだと思われています田島神社を訪れる。

港から5分ほど坂道を登ったところにあり大正初期に建てられたもので、陸から鯨を見張るという意味で“山見小屋”と呼ばれていました。江戸時代の頃にこのような小屋があったのかは分かりませんが、狼煙や2本の竿に旗のようなものを付けて沖の船に鯨の位置や種類を知らせていた鯨見張所を訪れる。

8:50小川島旅客船で出発
9:10呼子港到達、朝市通りとよばれる約200mの通りで毎朝開催。水揚げされたばかりの魚介類が中心で、トロ箱に入ったままの魚から、イカの一夜干し、季節の野菜や果物、切り花などの露店がずらりと並ぶ。「安くしとくけんどがんね」と声を掛けてくる店の人との値段交渉も楽しみの朝市を訪れる。

レンタカーで名護屋城跡に向かう。

豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し、加藤清正らに命じて1592年(天正20)に築城。総面積約17万平方mという当時大坂城に次ぐ規模ながら、わずか5カ月で主要部分を完成させた。名護屋城では茶会が盛んだったといわれ、周辺には草庵茶室跡や茶の湯に使った太閤井戸などが残る。現在、隣接して抹茶と庭園を楽しめる茶苑海月や、佐賀県立名護屋城博物館がある名護屋城跡を散策。

豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点となった名護屋城の跡に隣接する。特別史跡「名護屋城並びに陣跡」の保存整備と、日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史を調査・研究・展示紹介し、学術・文化の交流拠点となることを目的としている。常設展示では、文禄・慶長の役に関する展示のほか、古代からの交流や江戸時代の朝鮮通信使に関する史料、発掘調査で確認された遺物などを展示。また、日韓交流史、佐賀県・唐津地域の歴史、朝鮮半島の文化などをテーマとした無料の展示会も随時開催している佐賀県立名護屋城博物館[名護屋城跡]を見学。

10:30呼子港到達
10:55旅客船で出発
11:35馬渡島到達、散策

佐賀県鎮西町の波戸岬より北西8km、壱岐島と鷹島の中間に浮かぶ、馬が横たわったような島です。島は火山岩で覆われていて、島すべてが山になっていますが、南側に島民が主に住んでいます。ここは、江戸時代の唐津藩が設けた馬の放牧場として利用されていました。1789〜1800年代にわたってキリスト教徒が長崎県外海町黒崎村から田平、今福を経てこの島に居住を始め新村を形成しました。昭和4年に教会が建てられましたが、現在の建物は平戸の紐差教会を移築したものです。馬渡島を散策する。

13:00馬渡島旅客船で出発
13:40呼子港到達、呼子繁華街散策。

15:00呼子港旅客船で出発。
15:17加唐島到達、散策。

武寧王は、朝鮮半島の古代国家「百済」の第25代の王さまで、立派な政治を行ったことで知られています。最近の研究で、その百済の王さまは、なんとこのオビヤ浦で生まれたことが分かりました。いわゆる海をまたいだ佐賀県の最北端の島なのです。島の最北端椿公園北の高台から望む玄界灘には、晴れた日にはすぐそこに壱岐、遠くに対馬、朝鮮半島を望むことができます加唐島を散策する。

16:30加唐島旅客船で出発。
16:47呼子港到達、レンタカーで博多に向かう。
18:30博多到達
18:55博多新幹線のぞみで出発
21:17新大阪到達。

今回の旅行、九州の玄界灘に面する佐賀県に足を運び、呼子沖の玄界灘に位置する諸島(小川島、馬渡島、加唐島)を訪れました。

朝鮮半島に近い島でもあり、歴史的朝鮮半島と関連した史跡、歴史的建造物も多く又以前この海域は捕鯨が盛んであったことが物語っていた歴史的建造物も多く、一般的に素朴な離島めぐり、今回は内容濃く楽しめました。
 









飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百二十三弾:愛媛県宇和海諸島巡り
2013年3月16ー17日
  

四国の愛媛県に足を運び、伊達十万石の城下町として栄えた宇和島沖の宇和海に点在する諸島(九島、嘉島、戸島、日振島)を巡りました。

16日14:15伊丹空港出発
15:10松山空港到達、レンタカーで宇和島に向かう。
17:30宇和島港到達、
17:40フェリーで宇和島港出発
18:10九島到達

九島とは、愛媛県の宇和島港の西、沖合い約3キロメートル、湾の入り口にたちはだかる形となっている有人島。行政区域としては宇和島市に属する。最高峰 鳥屋ヶ森。山の耕作地は南予特有の「段々畑」で多くは柑橘類などの果樹園で、自動車の通れる農道が整備されている。年間降水量は1800ミリだが、河川が急勾配で保水能力が低い。給水に問題があったが、1973年宇和島市の宮下浄水場から海底送水が始まる。

18:15九島フェリーで出発
18:30宇和島港到達、レンタカーで宇和島市内のホテルに向かう。
18:50ホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
17日6:00レンタカーで出発、宇和島港に向かう。
6:30宇和島港高速船しおかぜで出発日振島に向かう。
7:13日振島到着

日振島は宇和島の西の海上に浮かぶ、歩いて一周しても2時間半あまりの小島。屈曲の多い入江の美しさが絶妙で、磯釣り、一本釣りのメッカとしても知られるほか、海蝕洞や岩礁群などの変化に富んだ景観も楽しめます。特に今注目されているのが、夏のリゾート地としての日振島です。南予レクリエーション都市開発事業による日崎海水浴場は、自然を十分に活かして開発された美しいビーチで、休憩センターやシャワー室、更衣室、休憩室などが完備され、観光日振島の新しい魅力となっています。日振島に隣接する沖の島は、県指定天然記念物ハマユウが群生し、7・8月のシーズンともなれば、5千株もの白い花が島を包みます。

7:32日振島出発
8:10宇和島港到達、宇和島市内を散策する。

7代藩主宗紀が隠居所として1866年(慶応2)に整備した風雅な大名庭園。池泉回遊式庭園には珍しい庭石が配され、竹に雀の伊達家の家紋にちなんだ20種の竹、伊達家遠祖の藤原家ゆかりのフジなど、四季折々の美しさが堪能できる天赦園を訪れる。

伊達家ゆかりの資料を展示する博物館。掛け軸や古文書、金蒔絵が施された化粧道具、9代の正室が輿入れの際に乗った女乗物など、大名ならではの収蔵品がある。豊臣秀吉の肖像画(重要文化財)も所蔵されている宇和島市立伊達博物館を見学。

リアス式海岸の続く海に面し、四国百名山に数えられる1000m級の山々を背に、海抜80mの緑深い城山に白亜の天守がそびえる姿から鶴島城の別称を持つ優美な城。1601年(慶長6)に藤堂高虎が築城し、1615年以降伊達家9代の居城だった。10haの城山は国史跡、天守は現存12天守の1つで国重要文化財に指定されている。400種の草木が繁茂する照葉の森に、苔むす石垣が佇む幽玄の美が楽しめる宇和島城を訪れる。

11:35宇和島港高速船あさかぜで出発
12:28戸島到達

平地は少なく急峻な地形が連なっており、 漁業が中心の島。 特にハマチの養殖が盛んです。龍集寺にはキリシタン大名として知られた一条兼定の墓がある。1574年に長曽我部氏との戦いに敗れこの島に身を隠し、11年後にこの島で亡くなっている。宇和海地方は昔からネズミが多い地域で江戸時代の記録にも残っています。また昭和20〜30年代には戸島にねずみが大量発生し、その駆除は大変だったようです。

12:32戸島出発
12:47嘉島到達出発

この島も畑を作るとネズミが発生するのか、昔あった段々畑も荒れているようです。ハマチなどの養殖が盛んです。この辺り一帯は足摺宇和海国立公園で、景色はすばらしい。

13:15宇和島港到達、レンタカーで松山に向かう。
14:50高校時代を松山で過ごした伊丹十三の記念館。常設展示では、映画監督やエッセイストなどの多彩な才能や、乗り物マニアや猫好きなど趣味人としての一面を13のコーナーで紹介。企画展示室では、仕事や人柄をより深く知ることができるテーマ展示を行なっている。伊丹十三が好んだ飲み物を揃えたカフェ、十三饅頭などのオリジナル商品を販売するショップも併設される伊丹十三記念館見学。

15:30司馬遼太郎氏の代表的長編小説であり、NHKスペシャルドラマとしても2009年から2011年の3年間に渡り放送された「坂の上の雲」。「坂の上の雲」ミュージアムでは、激動の時代を生き抜いた3人の主人公の人生や業績を紹介するだけでなく、小説に込められたメッセージを活かした「新しいまちづくりの拠点」として機能していきます!坂の上の雲ミュージアム見学。

16:00松山空港に向かう
16:40松山空港到達
18:05松山空港出発
18:55伊丹空港到達。

今回の旅行四国の愛媛に足を運び、宇和島沖に点在する諸島(九島、日振島、戸島、嘉島)を訪れ又宇和島市内の観光名所、松山市内のミュージアムを訪れ楽しめました。

宇和島沖の諸島をめぐる足である船の便数が少なくどの島もゆっくり散策できず駆け足で巡りました。

愛媛の島は残り宿毛沖の島と八幡浜沖の島のみとなりました。次回チャレンジします。

 











飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百二十一弾:福岡県小倉沖玄界灘離島巡り
2013年1月19ー20日
 

九州福岡県の九州の玄関口として重要な拠点とされてきた町、江戸時代には豊前小倉藩を細川氏と小笠原氏が始め、多いに栄えた小倉に足を運び、小倉から北10−20km沖にある藍島と馬島を訪れました。

19日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:56小倉駅到達、駅付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
20日9:00小倉港渡船で出発藍島に向かう。
9:35藍島到達、散策。

世帯数約100、人口約300人の小さな島です。民宿も数軒あるようです。江戸時代には密貿易船を見張る、見張番所が置かれていて、密貿易船を見つけると大きな旗を掲げて小倉の番所に知らせたという石の旗柱台が残っています。この藍島は全体がフラットであり、高い山はなく道もアップ・ダウンが少なく歩き易いですね。島南端と北端の景色は良く、南端には砂浜も少しばかりあり海水浴やキャンプに適しているが、公共の水道設備等はなく、水は自前で用意する必要があります。

連絡船が着く港から島の最北端までは、寄り道をしなければ、だいたい歩いて30分程度で行けます。途中で遠見番所旗柱台などに寄り道をして、ぶらぶら行けば1時間くらいですね。道はフラットなので歩き易いです。藍島で人家が多いのは大泊地区、そして本村地区、そして寄瀬浦地区です。この3ヶ所に集落があります。島の北部に行く道沿いにも、ちらほら数軒あります。島北部に行く道を行くとNTTの中継タワーがあります。そのNTTの中継タワーの手前から海が見えますが、そこから遠くに白州灯台が見えます。この灯台は砂でできている小さな島(白州)に、明治6年に建設され「日本の灯台50選」にも選ばれている灯台です。

史跡 藍島遠見番所旗柱台を少し先に行くと水道タンクが右に見えます。ここの島の水は遠賀川の水を送ってきているそうです。延々、全長26.4qの距離を陸と海底に水道管を敷設しているようです。その水道タンクの場所を過ぎてしばらく行くと道が2手に分かれています。左が寄瀬浦地区に行き、右は島北端の千畳敷に行きます。その分かれている道の左の道を約100mばかり行くと島北部の寄瀬浦地区があります、ここは漁港を囲むように家が7〜8軒あります。

藍島で一番風光明媚な場所は島の北端の千畳敷の場所です。潮が引くと広い平らな岩が現れます。まさに千畳敷ですね。正面には貝島が見えます。この島は潮が引いた時に歩いて渡れます。渡れるといっても、大潮でなければ少し水が残るので、ひざ小僧くらいまで水に浸かって歩いて渡ることになります。この貝島には6世紀前半から後半にかけて造られた古墳群が14基あるそうです。6世紀と言えば西暦500年代ですから約1500年前から、藍島には人が住んでいたんですね。釣り針や鉄製の漁撈具が多く出土していることから、海人族の墳墓と推定されているようです。

14:30藍島渡船で出発、馬島に向かう。
14:40馬島到達、散策。

馬島は福岡県内の有人島では面積も一番小さな島で人口も一番少なく、民宿等の宿泊施設や店も無いです。あるのは港のそばに飲料水の自動販売機があるだけです。島全体はフラットで山らしいものはなく、あるのはこんもりした丘程度です。島の大きさは周囲約2キロ程度です。馬島港の沖合いに和合良島という小さな無人島があります。また、馬島の西側には片島がありこの近辺の風景もなかなか良い。島の北部には海蝕された海岸岩が続き磯遊びに良いところです。そこからは、目と鼻の先に隣の六連島(山口県)が見えます。

馬島の集落の北部の高台に大山祇神社があります。その入口の鳥居の左になにか、祀ってありましたが、ここの名前は分かりません。この大山祇(おおやまづみ)神社の拝殿の左には、狛犬の代わりに砲弾がありました。この砲弾は、先の大戦のときに空から降って島に落ちたらしいです。島には川が無いので水田はありませんが畑はけっこうあります。その畑は、ほとんどネギ(わけぎ)が植えてありました。家庭で消費するには多すぎるので、出荷しているのだと思います。ネギは水が無くても育つのでしょうかね?
また、診療所の裏に墓地があります。墓地には花が添えてあり綺麗に掃除もされています。この墓地の墓を良く見ると寛政、大化、文政などの古い年号も見えます。ちょっと調べてみると寛政は1789〜1801年となっています。今のように連絡船の無かった時代から自給自足の生活をしてきたのでしょうね。「水はどうしたのかな?」 とか、そうとう苦労してきたであろうことが想像できます。

渡船場からほぼ真っすぐ北に行くと島の北部の海岸に行きます。まあ、小さな島ですから距離としては400mくらいです。そこの海岸からは正面に山口県下関市の六連島が見えます。この島との間が福岡県と山口県の県境になっているわけですね。そこの海岸には少しですが砂浜もあります。マイビーチとして自分たちのみの海岸として遊ぶには良い場所です。そして、この海岸の岩はボコボコに穴が開いており、たぶん溶岩が固まるときに水蒸気が抜けた穴なのだと思います。なにかアールヌーボー風の建築で有名なスペインのガウディ作品にも似た感じがします。崖も海岸の岩も、その溶岩でできた岩が侵食されて、不思議な模様をしています。よくよく見ると貝殻らしい物の化石もありました。いや、ゾウリムシのような虫らしき物も含まれていましたね。

16:43馬島渡船で出発、小倉に向かう。
17:05小倉港到達。
18:17小倉駅新幹線のぞみで出発
20:35新大阪駅到達。

今回の旅行、九州福岡県小倉沖玄界灘に浮かぶ2つの島(藍島、馬島)訪れ、ほぼ全域を歩いて巡りました。
大都市小倉沖の島でもあり、釣り人が多く、藍島は結構民家も住民も多く、活気に満ちておりました。また猫の多いのに驚き、一般的に魚等餌に不自由しない猫が多い離島、他の離島よりはるかに猫が多かったですね。20−30匹が重なり合って遊んでいましたね。のどかさを感じました。

マイナーな史跡がいくつか見かけましたが、やはり離島、素朴で長閑な離島めぐりでした。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百十七弾:愛媛県忽那諸島巡り
2012年12月15ー16日

有人島9島を含む30島以上で構成される愛媛県忽那諸島に足を運び、松山の西約5kmに浮かぶ小島、斎灘と伊予灘を結ぶ交通の要衝であることから、この島に洋式石作りの灯台が明治6年(1873年)に建設された釣島、忽那諸島の南西端にある島、昭和47年(1972年)、世界的権威をもつ地理雑誌「ナショナル・ジオグラフィック マガジン5月号」に26ページにもわたって紹介された二神島、忽那諸島の西部に位置、近海のクダコ付近の海は、誰もが認識する瀬戸内海最大のジギングの難所だがハマチやタイの漁場として有名の怒和島、忽那諸島の西端に位置し、西隣の山口周防大島町の諸島とはわずか700mを隔てるだけの県境の島、かつては瀬戸内海航路の要衝として、参勤交代に向かう松山藩主の御茶屋が港に置かれていた津和地島を訪れました。

15日14:15伊丹空港出発
15:10松山空港到達、タクシーで高浜港に向かう。
16:05高浜港到達
16:55高浜港フェリーで出発
18:33津和地港到達、近くの旅館で食事を済ませて就寝。
16日6:56津和地港フェリーで出発、釣島に向かう。
8:08釣島到達、散策。

釣島は松山港の自然防波堤、興居島の西約2kmに浮かぶ有人島です。周囲3kmほどの小島ですが、標高は152mと小高く、こんもりした感じの島で、北側の僅かな平地に集落があります。周囲の海は好漁場として知られ釣り船の姿をよく見かけ、釣島という名とマッチしていますが、もともとは小学校脇にある明神池(めだか池)に鶴がたくさん飛来していたことから“つるしま(鶴島)”と呼ばれていたようです。昔の明神池はもっと広い潟湖になっていて、小学校の校庭にするため多くの部分は埋め立てられ一部が残ったものです。定住の始まりは、元治元年(1864)、興居島から5人の移住によるものだと伝えられています。興居島は古来より柑橘類の栽培が盛んだったことから、耕作地を求めての移住だったと思われ、現在、釣島の山の斜面にはたくさんのみかん(伊予柑)畑が広がっています。このように農業が島の主産業になっていますが、近海でのアワビやサザエ、天草の採集、タコ漁も盛んです。特にタコは昔から良質なことで知られ、「釣島のタコ」と名指しで取引きされています。
松山市の沖合いに浮かぶ興居島と中島の間は釣島海峡(水道)と呼ばれ、昔から海上交通の要衝として捉えられてきました。そして、釣島はその西側の出口に当たることから明治6年(1873)に灯台が建てられています。明治政府は幕末に幕府と諸外国の間に交わされた条約に基づいて、関東と関西に灯台建設を進めていましたが、その流れでこの釣島にも御影石造りの洋式灯台が建設されたものです。日本の灯台の父と言われるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるもので、愛媛県で最も古い洋式灯台です。

9:50釣島フェリーで出発、二神島に向かう。
10:43二神島到達、散策。

忽那諸島の有人島の一つで、怒和島や津和地島から見るとひょうたん島と呼びたくなるような形をしています。もともとは松がたくさん茂っていたため松島と呼ばれていたようですが、いつの頃から二神島と呼ばれるようになったのか定かではありません。14〜15世紀に長門国(山口県)の豊田氏の支流がこの島に移り住み水軍として勢力を誇ったことにより注目されていました。二神氏(水軍)の拠点の島です。現在は小規模な漁業とだんだん畑での柑橘類の栽培が行なわれており、ミカンや伊予柑が島の経済を支えています。二神港の近くにビャクシンの自生が見られ県の天然記念物に指定されています。またその近くの民家には高さ5mを超える巨大サボテンもあります。

12:21二神島高速艇で出発
12:54上怒和港到達、散策。

怒和島は松山市の北西海域に点在する忽那諸島の有人島の一つで、津和地島中島の間に位置しています。東側に上怒和、西側に元怒和と2つの集落があり、それぞれ「陶器の里」、「レモンの里」というキャッチフレーズがあるようです。全体的に山がちで斜面ではレモンやみかん等の柑橘類の栽培が行われ、北側の宮ノ浦の平地には畑があります。かつてはこの宮ノ浦に集落がありましたが、耕地を増やすために住家を南側に移し、比較的なだらかな北側の土地を耕作地として広げたようです。平成12年に宮ノ浦で行われた発掘調査では、奈良時代から平安時代にかけての土器や中世の遺構などが見つかっており、古くからこの地に集落があったことを窺わせています。産業は柑橘類の栽培と漁業が主で、周囲の海は釣りのポイントとして知られており、入り江を生かしてヒラメやアワビの養殖も行われています。

14:23元怒和港フェリーで出発


14:34津和地港到達、散策。

西側はすぐに山口県の諸島、情島、屋代島と続く。津和地島は県境の島です。江戸時代には風待ち・潮待ちの港として幕府御用船や朝鮮通信使も寄港し栄えていました。当時、港には接待所として松山藩の「御茶屋」が置かれ、現在は御茶屋跡の碑が建てられています。島の産業はミカン栽培、漁業はタコ、タイ、ヒラメなどが水揚げされています。この島出身に金子正次(1949〜1983年)という人がいた。脚本家・俳優。33歳の時に自主映画「竜二」を完成させ、ブルーリボン賞、日本アカデミー新人俳優賞を受賞。同映画公開中に胃癌性腹膜炎により、松田優作らに看取られながら33歳の若さで死去した。

16:29津和地島高速艇で出発
17:23高浜港到達、タクシーで松山空港に向かう。
17:58松山空港到達
19:25松山空港出発
20:15伊丹空港到達。

今回の旅行、愛媛県の忽那諸島の4つの島(釣島、二神島、怒和島、津和地島)に足を運びました。

松山に近い島でもあり、フェリーが整備され、本数も多い、それぞれの島には住民も住居も多く、他の瀬戸内海の島々と違って活気に満ちていましたが観光名所はほとんどなく、ただ歩くのみの島めぐりとなりました。

昨年は忽那諸島の他の島を訪れ、今回で忽那諸島を制覇しました。

今までの旅行中の宿は、ほとんどビジネスホテルで食事は近場の居酒屋のパターンでしたが、今回は津和地島の旅館、宿泊費は庶民的で安価でしたが料理は素晴らしい、お造り、鍋、てんぷら、鯛の塩蒸し焼き、美味しかったですね。これからの宿の選択、見直さなければいけないですね。但し当たり外れがありますね。今回は大当たりでした。最後に出た一匹の鯛の塩蒸し焼き、柔らかくて最高でしたね。

食事も楽しめた愛媛県忽那諸島巡りでした。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百十五弾:香川県瀬戸内海沖離島(櫃石島、岩黒島、伊吹島、高見島、佐柳島)観光
2012年11月17ー18日
 

四国の北東部、瀬戸大橋により本州と結ばれた日本で一番小さな県、香川県に足を運び、瀬戸内海沖の離島(櫃石島、岩黒島、伊吹島、高見島、佐柳島)を訪れました。

17日13:00車で近畿中国山陽瀬戸中央高松自動車道経由してさぬき豊中インター下車、
観音寺に向かう、途中瀬戸大橋下の2つの島(櫃石島、岩黒島)を訪れました。

備讃瀬戸の最北端、坂出北ICから瀬戸大橋を通って12km、岡山側の児島ICからは、3.9kmの海上にあり、岡山県下津井港のすぐ南に位置する。主産業は潜水による立貝採取と底引網漁業である。王子神社の境内で催される「ももて祭」は、小笠原流弓術によって豊凶を占うもので県指定の無形民俗文化財となっている櫃石島を訪れる。

坂出北ICから瀬戸大橋を通って10.2kmの海上に位置する。主産業は、刺網漁業と撒き餌釣りを中心とした浴岸漁業。昭和63年4月、瀬戸大橋の開通で一方通行ながらループ線で緊急自動車などが進入できるようになり、バス停も設けられ陸上交通が確保されている。また、前方には景観を考慮した雄大なトラス斜張橋・連続トラス橋がそびえる岩黒島を訪れる。

16:30観音寺駅付近のホテル到着後市街地を散策して食事を済ませて就寝。

18日7:00車で観音寺港に向かう。
7:50観音寺港渡船で出発。
8:15伊吹島到達、散策。

観音寺港から西約10kmの燧灘のほぼ中央に位置する香川県西端の有人島。 安山岩などからなる台地状の島で、台地上に平地が開け、島の周囲は急崖が海岸を取り巻いていて、人家は島の南から北にかけての鞍部(あんぶ)に密集している。神恵院に残る『十巻弘化録』の弘法大師にまつわる伝説に、異木の漂着した島とあり、約1200年前にすでに数10人が住んでいたようである。 豊かな漁業資源に恵まれ、カタクチイワシ漁を背景とする煮干しイワシ生産が島の経済を支えている伊吹島を散策する。

9:00伊吹島渡船で出発
9:25観音寺港到達、車で出発。

明治の建築で旧陸軍第11師団初代師団長乃木将軍の執務室やゆかりの品々をはじめ、旧陸軍関係の資料を展示する乃木館を訪れる。

真言宗善通寺派の総本山で、四国霊場第75番札所。弘法大師(空海)の誕生の地として有名で、京都の東寺、和歌山の高野山金剛峯寺とともに空海の三大霊跡の一つ。広大な境内は東西2つの院に分かれ、東院には五重塔、金堂、常行堂などが立ち並ぶ。誕生院とも呼ばれる西院は、御影堂に戒壇巡りの暗い地下道が設けられ、奥殿は大師誕生の場所とされる。宝物館には、地蔵菩薩立像や吉祥天立像(ともに重要文化財)をはじめ数々の寺宝が展示してある善通寺を訪れる。

善通寺すぐ裏にある香色山に作られた、四国巡礼と同じご利益が得られるという1.8kmのミニ遍路コース。善通寺駐車場前の五智院をスタートし、江戸時代に作られた八十八体の石仏を巡る香色山ミニ八十八ヵ所を訪れる。

14:00多度津港フェリーで出発
14:25高見島到達。

瀬戸内海のほぼ中央、多度津港の北西7.4kmの海上にある。塩飽諸島の最高峰でもある龍王山を中心に南北に細長い円錐型の島。 建久年間(1190〜1199年)に備中児島からの移住が集落の始まりと伝えられる。南部の浜浦、北端近くの板持の3集落があり、中心は浜・浦集落である。浦集落は標高50mほどの所を中心に、約25度の斜面に家が建ち並び、自然石の乱れ積み石垣が残っている高見島を訪れる。

14:50佐柳島到達、散策。

瀬戸内海のほぼ中央、多度津港の北西14.8kmの海上にある。 標高249mの高登山を中心とした南北に細長い島で、山裾が海岸まで迫っている。古くは佐那岐・佐名木・佐奈木・真木・早凪などとも書かれていた。南に本浦、北に長崎という2集落がある。日本の葬制を知る上で貴重な「両墓制」が残り、特に長崎集落の「埋め墓」は、海岸沿いにあるという点で全国的にも珍しい。 島の開発は、高見島の住人が移り住んだとも、備前の武士によって始められたともいわれる。島名の由来は、足利第3代将軍義満が厳島参詣の途中強風に遭い、この島に避
難すると風が和らいだので、早凪と呼んだのが変化したという説がある佐柳島を散策する。

15:25佐柳島フェリーで出発。
16:15多度津港到達、帰路に向かう。

今回の旅行、香川県瀬戸内海沖の5つの島(櫃石島、岩黒島、伊吹島、高見島、佐柳島)を訪れました。

瀬戸大橋下の櫃石島、岩黒島はゲートを通過しないと入れない、島の住民のみ許可書認められ。残念ながら内部を訪れることができず入り口で望んだのみでした。

宿泊した観音寺駅付近はコンビニも居酒屋も見当たらない、大きなイオンが1店舗目っていました。さぬきうどん店が一軒ありましたが17:00にクローズ、食事するのに苦労しました。
観音寺は結構有名ですが町はひっそりして人も車も少なく田舎の印象が強い。

高見島、佐柳島も瀬戸内海の離島ですね。人影も少なく、有名な名所もなく素朴でのんびりした島でした。

香川県5つの瀬戸内海沖の離島めぐり癒されました。


 









飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百十二弾:山口県周防沖離島観光
2012年10月27ー28日
   

本州最西端の山口県に足を運び、岩国の南に位置する古市・金屋白壁の街並みとして重要伝統的建造物群保存地区に選定されている周防柳井沖の離島(佐合島、馬島、牛島、祝島)を訪れました。

27日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:06広島駅到達
15:21広島駅新幹線こだまで出発
15:37新岩国駅到達、レンタカーで錦帯橋に向かう。
16:05岩国城ロープウエイ到達
16:20岩国城ロープウエイ出発
16:26岩国城到達

吉香公園背後、標高200mの城山山頂にそびえる白亜の天守は、桃山風南蛮造で3層4階の上に物見を置く珍しいもの。初代藩主・吉川広家が1608年(慶長13)に築城したが、1615年(元和元)幕府の一国一城令により、完成からわずか7年で取り壊された。現在の城は1962年(昭和37)に再建されたもの。内部は武具、甲冑類が展示されており、4階は展望台。城山山頂までロープウェイが通う岩国城を訪れる。

17:00岩国城ロープウエイ出発
17:06岩国城ロープウエイ乗り場到達、レンタカーで岩国駅付近のホテル到達、食事を済ませて就寝。
28日5:30レンタカーで柳井方面に向かう。
6:30麻里府港到達
7:05麻里府港渡船で出発

7:13熊毛郡田布施町の尾津漁港から南へ約1kmの瀬戸内海海上に位置し、瀬戸内海国立公園の区域に指定されています。島の名の由来については、平安時代から馬を飼育する馬牧として島が利用されていたため「馬飼い島」と呼ばれたといわれていますが、異説もあります。本土とは、公営渡船で約10分間の距離で、比較的便数も多く、気軽に楽しめるレジャーの島として人気があります。島内には、炊事場などを含めたキャンプ場やゲートボール場、遊歩道、海水浴場などのレジャー施設が整備され、多くの来島者を集めています馬島到達。
7:20馬島出発

7:31熊毛郡平生町佐賀から南西へ約2kmの瀬戸内海海上にあり、瀬戸内海国立公園の区域に指定されています。小さい島にもかかわらず北と南に100mを超える山があり、丘陵地が多く、平坦地はわずかでが、島全体が自然が豊かで、東側海岸線では 潮干狩りが、岩場では釣りが楽しめます。また海岸線に沿ってはハマボウフ、ツルナ、アシタバ、オカヒジキなどの薬草が自生しています。本土とは、渡船で約10分間の距離で、比較的船便も多く、島内へはUターン者や都会からの移住者もあります佐合島到達。

7:35佐合島出発
7:43佐賀港到達
7:50佐賀港出発
8:33麻里府港到達、レンタカーで長嶋方面に向かう。途中名所を2か所巡る。

田布施川河口に面した標高39mの神花山の頂上部に築かれた前方後円墳です。五世紀後半のもので全長30.3mです。後円部石棺の中から、ほぼ全身の女性人骨が発見されました。古墳の女性被葬者の埋葬例は少なく、古墳時代にこの地方に君臨していた豪族の首長であったと考えられます神花山古墳を訪れる。

飛鳥時代、聖徳太子の師・恵慈和尚の開山とされる真言宗の古刹。用明天皇の勅願で恋人般若姫の菩提寺として建立された。本堂には鎌倉時代初期の仁王尊像も安置する般若寺を訪れる。

10:00四代港到達
10:25四代港渡船で出発

10:40瀬戸内海有数の漁場とされる周防灘と、伊予灘の境界に位置する山口県熊毛郡上関町の島である。瀬戸内海の海上交通の要衝に位置し、万葉集にも登場、古代から栄えた歴史を持つが、高度経済成長期から人口が流出。現在は漁業と有機農業で生計を立てる過疎地域。対岸・上関町四代田ノ浦に建設が予定されている上関原子力発電所(上関原発)に反対する島民がいる祝島到達、散策。

12:30祝島出発
12:45四代港到達、レンタカーで室積方面に向かう。
13:35室積港到達
14:00室積港渡船で出発

14:20光市室積漁港から南東約8.4kmの瀬戸内海海上にある島です。島の名の由来は、平安時代に垣島牛牧として牛が放牧されていたことから「牛島」と呼ぶようになったといわれています。このためか島内には牛に関連した民話がいくつか残されています。島内には、豊かな自然が残されており、瀬戸内海では唯一のカラスバトの生息地として、島の全域が鳥獣保護区特別保護地区に指定されるとともに、島の南側には天然記念物に指定されているモクゲンジが群生しています牛島到達、散策。

16:30牛島出発
16:50室積港到達、レンタカーで岩国に向かう。
17:45新岩国駅到達
18:36新岩国駅新幹線こだまで出発
18:51広島駅到達。
18:56広島駅新幹線さくらで出発
20:27新大阪駅到達。

今回の旅行、本州の最西端の山口県に足を運び、周防沖の離島(佐合島、馬島、牛島、祝島)訪れました。
瀬戸内海の島々は過疎化が進み、島の住民は数十人、ほとんどがお年寄り、学校は閉校、空き家が多いが人は少ない、近い将来無人化する島が増えるでしょうね。

瀬戸内海の島々、派手さはなく素朴であるが、本土から離れ、雑踏から逃れられる離島めぐり満喫しました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百三弾:大分県津久見&佐伯&臼杵&離島観光
2012年8月25ー26日
   

九州大分県に足を運び、リアス式海岸の恵の豊かな海辺の町、マグロ遠洋漁業やミカンの栽培が盛んな津久見、佐伯城址の城山を中心とし、武家屋敷や白壁の土塀が続く城下町佐伯、大友宗麟が築いた臼杵城を中心とした南蛮文化の名残りが残る石畳の城下町臼杵、豊後水道に点在する離島、保戸島、大入島、屋形島を訪れました。

25日18:00伊丹空港出発
19:00大分空港到達、レンタカーで津久見に向かう。
20:30津久見市内のホテル到達、就寝。

26日6:00レンタカーで出発、蒲江方面に向かう。
7:12蒲江港到達
7:30蒲江港定期船で出発
7:40屋形島到達散策。

ホタテと同様に主として貝柱を食用にする緋扇貝の養殖が盛んで、赤、橙、黄、紫等の鮮やかな色の貝殻を作った工芸品や装飾品も作られている屋形島を散策する。

8:20屋形島定期船で出発
8:30蒲江港到達、レンタカーで佐伯に向かう。

9:15佐伯港カーフェリーで出発
9:22大入島石間港到達、レンタカーで島をめぐる。

神武天皇が東征の折、日向泊の海岸に立ち寄った際、折弓を突き立て「水よ、い出よ」というと、清らかな水が湧き出したという伝説が残っている。今でも真水が湧いています神の井を訪れる。

10:00大入島石間港カーフェリーで出発
10:07佐伯港、佐伯市内をレンタカーで観光する。

「武蔵野」、「忘れえぬ人々」などで知られる明治を代表する作家・国木田独歩。かつて暮らした母屋や土蔵、城山へ続く武家屋敷らしい風情を残した庭が開放されており、映像や写真で、生い立ちや明治時代の佐伯の情景を知ることができる国木田独歩館を訪れる。

津久見方面に向かう。

11:10津久見港到達
11:20津久見港マリンスターで出発
11:45保戸島到達、散策する。

津久見港から約14kmの豊後水道に浮かぶ島で、周囲4km、面積0.86ku。人口約1,000人の島。明治中頃に始まったマグロ漁業で、現在も一大マグロ船基地として日本各地でマグロを水揚げしています。島は平地が少なく、海岸から山への傾斜面に3,4階建ての住居が林立しており、外国の漁港を思わせる景観の保戸島を訪れる。

島の守護神として京都上賀茂神社から別雷神が勧請された。天文4年(1535)の創始と伝えられる上賀茂神社を訪れる。

12:50保戸島マリンスターで出発
13:15津久見港到達、臼杵方面に向かう。

14:00臼杵到達、散策する。

小説『海神丸』『迷路』『秀吉と利休』など数々の作品を発表し、99歳で亡くなるまで現役作家として活躍した野上弥生子。生家の一部が文学記念館として一般公開され、その足跡を辿ることができる。遺品や著作、約200点を展示。幼少時代の勉強部屋も復元されている野上弥生子文学記念館を訪れる。

1562年(永禄5)、東九州一円に絶大な権勢を誇ったキリシタン大名・大友宗麟によって築城された城。四方を海に囲まれた海城だったが、その姿から巨亀城ともよばれた。現在は埋め立てにより陸続きとなっており、江戸時代より残る畳櫓と卯寅口門脇櫓に加え、大門櫓が復元されている。城跡内には宗麟の晩年の姿を描いたブロンズ像やレリーフがある。ポルトガルから贈られた日本初の大砲・国崩しのレプリカは必見。春は桜の名所としても知られている臼杵城跡(臼杵公園)を散策する。

江戸時代、稲葉氏五万石の城下町として栄えた場所。格式の高い武家屋敷が多く残り、凝灰石の石畳や長屋門などが立ち並ぶ。祇園社の仁王門があったことから名付けられたという「二王座歴史の道」付近には、徳川家光の乳母・春日局が親類筋の稲葉氏を頼り3年ほど住んでいたと伝えられている。周辺には善法寺や法音寺など30近い寺院が集まる二王座界隈(二王座歴史の道)を散策する。

15:00大分空港に向かう。
17:30大分空港到達。
19:30大分空港出発。
20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、九州大分県に足を運び、城下町で栄えた佐伯、臼杵、マグロ遠洋漁業やミカンの栽培が盛んな津久見、豊後水道に点在する離島、保戸島、大入島、屋形島を訪れ癒されました。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第二百弾:佐賀県唐津沖離島観光
2012年7月28ー29日
 

東は福岡県、西は長崎県に接し、玄界灘と有明海の2つの海に面する佐賀県に足を運び、唐津城や唐津湾沿いに100万本の老松が見事なトンネルをつくる虹の松原で有名な唐津の沖の離島、唐津市から北に1キロに浮かぶ島、宝くじで有名な宝当神社のある高島、唐津市街地から国道204号線を呼子方面へ10kmほど北上した所に綺麗な砂浜が続く“相賀の浜があります。夏になると多くの人が訪れる人気の海水浴場で、その海岸から目の前に見える島で、上が平らで台形をしていることから、見る位置によっては軍艦のようにも見えるため軍艦島と呼ばれたりもします神集島を訪れました。

28日13:07新大阪新幹線のぞみで出発
15:45博多駅到達、レンタカーで博多港に向かう。
16:15博多港到達
16:45博多港高速艇で出発
17:20玄海島到達、散策。

玄界島は最高海抜が218mのお椀をふせたような島です。周囲約4キロで普通に歩いて約1時間で一周できます。この島は2005年3月20日午前10時53分におきた福岡県西方沖地震により大きな被害を受けました。

豊後の国守百合若は筑紫警備の帰路、この島で休憩しましたが、家来の別府兄弟の裏切りで島に置き去りにされたのです。兄弟は国守の地位につき百合若の妻にまで手をかけようとしました。2年を過ぎたある日、百合若の愛鷹みどり丸が飛来し百合若は手紙を託しました。1ヶ月後にみどり丸はすずりと手紙を運んでくるが精根尽きて死んでしまいました。その後百合若は漂着船に助けられ、姿を変えて別府兄弟に復讐する、という話です。「みどり丸」を奉ったものであると言われています小鷹神社を訪れる。

17:35玄海島高速艇で出発
18:10博多港到達、レンタカーで唐津方面に向かう。
17:30唐津駅付近のホテル到着後、市街地を散策し食事を済ませて就寝。

29日7:20レンタカーで高島行きの渡船場に向かう。
7:50渡船場高速艇で出発
8:00高島到達、散策。

宝くじが当たるという評判の神社があり、宝くじのシーズンには多くのファンが訪れる宝当神社を訪れる。

宝当神社から左の細い路地を通り、後は順路の看板通りに進み、高島保育園から左に、宝当神社から徒歩10分程度である塩屋神社を訪れる。

9:00高島高速艇で出発
9:10渡船場到着、レンタカーで神集島方面に向かう。
9:40湊港到達
10:00湊港高速艇で出発
10:08神集島散策

島の北部には、鬼塚古墳群と呼ばれる古墳時代後期の横穴式古墳群を訪れる。

11:50神集島高速艇で出発
11:58湊港到達、レンタカーで唐津観光する。

九州のサーフィン発祥の地として有名。湊地区の海岸沿いに林立する巨石奇岩の中の一つで、高さは30m。2つの岩が寄り添うように立つ姿から夫婦岩の別名をもつ。オレンジ色に染まる夕暮れ時は美しい立神岩を訪れる。

海面から高さ26mの断崖に7つの巨大な洞窟が並んでいる海食空洞。長い歳月をかけて、玄界灘の荒波によって形成された。最も大きなもので間口3m、高さ3m、奥行110mほど。遊歩道を歩いていくと、玄武岩の柱状節理とともに、東松浦半島の雄大な絶景を一望できる七ツ釜を訪れる。

唐津城三の丸の西側出入口にあたるこの場所が西ノ門路とよばれていたことから名が付いた。館内では唐津市内から出土された江戸時代の唐津焼などの出土文化財の展示や、若手作家中心の唐津焼の展示販売を行う唐津市西ノ門館を訪れる。

唐津藩の初代藩主、寺沢志摩守広高[てらさわしまのかみひろたか]が7年の年月を費やして1608年(慶長13)に完成させた。現在の天守閣は1966年(昭和41)に完成したもの。内部は郷土博物館で、古い絵図や武具、刀剣類などを展示する唐津城(舞鶴城)を訪れる。

「唐津くんち」の主役である、曳山14台が収められている展示場。古いものでは文政2年(1819)に作られた赤獅子がある。数百枚もの和紙を重ねて漆を塗り、金銀を施した曳山は芸術品のよう。祭りを記録したビデオコーナーもある曳山展示場を訪れる。

旧藩主・小笠原家の菩提寺で、正面の山門は名護屋城中の門を移築したもの。江戸時代の浄瑠璃作家・近松門左衛門が幼少の頃にここで学んだといわれ、その分骨の墓石がある。境内には、小笠原家に関する資料を展示した小笠原記念館も立つ近松寺を訪れる。

防風と防潮のため、初代唐津藩主の寺沢志摩守広高が植林した松林。静岡・三保の松原、福井・気比の松原と並び日本三大松原の一つに数えられ、国の特別名勝に指定されている。約5kmにわたって100万本のクロマツが群生し、夏場は海水浴に訪れる人で賑わう虹の松原を訪れる。

虹の松原の後方にそびえる標高284mの山。ここから佐用姫が大伴狭手彦の船出を見送ったと伝えられる。またその時、力の限り領巾を振ったという伝説から「領巾振山」ともよばれている。登山口の鳥居をくぐり山頂までは約5km、頂上に唐津湾や遠く壱岐まで一望できる展望台がある。周辺には芝生公園も整備され、地元で人気のドライブコースになっている鏡山を訪れる。

姫島船着き場方面に向かう。

15:40船着き場到達
16:00高速艇で出発
16:16姫島到達

勤王の志士達をかくまった罪で島流しにな った野村望東尼の、かっての牢獄が今はお堂として残っています野村望東尼牢獄と野村望東尼の像を訪れる。

17:10姫島高速艇で出発
17:26姫島船着き場到達、レンタカーで博多に向かう。
18:20博多到達
18:55博多駅新幹線のぞみで出発
21:17新大阪到達。

今回の旅行、福岡と佐賀の玄界灘に点在する離島をめぐりました。

このあたりの島はアジア大陸の文化の伝来の中継場となった島が多く歴史深いものがあり、新しい発見を感じさせられた玄界灘沖の離島めぐりでした。



































三重県伊勢志摩離島観光観光
2012年7月18日
 

風光明媚なリアス式海岸が有名な三重県伊勢志摩に足を運び、島の離島で賢島に次ぐ面積の大きな間崎島、周囲約7km、面積は約0.7平方キロメートルを持ちリアス式海岸の湾のひとつ的矢湾の奥に位置し、的矢湾深部の外海から隔てられた島の西側海域は波が穏やかな海面となっている。そのため古くより荒天時の避難場所・風待港として使われていた渡鹿野島を訪れました。

9:00車で第二京阪京滋新名神伊勢自動車道経由して
12:10賢島港到達
12:40賢島港出発、高速艇で間崎島に向かう。
12:50間崎島到達、散策する。

英虞湾の中央部に浮かぶ島で、賢島から定期船で15分である。周囲は7.4km、島民の多くが真珠養殖業を営んでいる。この島は普通の離島と違った雰囲気を持っている。近隣の離島は、概して貧しく、港の付近に小さな家が密集しているが、ここではどこもゆったりしていて、奥深くまで大きな家が建っている。これが真珠の恵みを受けた、豊かな島だったかららしい間崎島を訪れる。

13:15間崎島高速艇で出発
13:25賢島到達、渡鹿野島渡船乗り場に向かう。
14:05渡鹿野島渡船乗り場到達
14:30渡鹿野島渡船乗り場渡船で出発
14:37渡鹿野島到達、散策

古くは伊雑宮の神領であったとも言われ、江戸時代には、江戸と大坂を連絡する菱垣廻船・樽廻船が増えたこともあり避難・風待をする港としての重要性が高まった。船乗りなどのための宿のほか、風待ちの船乗りを相手とした、把針兼と言われた水上遊女なども集まり、遊郭街としても大いに栄え女護ヶ島といった別名を持つこととなった渡鹿野島を散策する。

15:05渡鹿野島渡船で出発
15:12渡鹿野島渡船乗り場到達、車で岐路に向かう。

今回の名所めぐり、三重県伊勢志摩の離島、島民の多くが真珠養殖業を営んでいる間崎島、江戸時代には、江戸と大坂を連絡する菱垣廻船・樽廻船が避難・風待をする港としての重要性が高まり船乗りなどのための宿のほか、風待ちの船乗りを相手とした、把針兼と言われた水上遊女なども集まり、遊郭街としても大いに栄え女護ヶ島といった別名を持つこととなった渡鹿野島を訪れました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十七弾:福岡県玄界灘離島相島・大島・地島観光
2012年6月31ー7月1日


福岡県の日本海側の玄界灘に足を運び、史跡と磯遊び、釣りといろいろ楽しめる島で周囲13.5キロの福岡県最大の島、筑前大島、周囲9.3キロの磯漁業・釣漁業が盛んで島内には約6000本のヤブ椿が自生する自然いっぱいの地島、 万葉集・続古今集にも歌われた歴史ある島で玄武岩が海蝕されてつくる独特の海岸風景を創っている相島 を訪れました。

31日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
16:13博多駅到達、レンタカーで博多港付近のホテル到達後、近くの ホークスタウンを散策し食事を済ませて就寝。

1日6:30レンタカーで出発、宗像市方面に向かう。

7:15宗像市神湊港到達
7:40神湊港フェリーで出発
8:05大島港到達、散策する。

古代から宗像三神の御一神、端津姫神を祀る神の島として有名であり、船着場そばにある宗像大社中津宮を訪れる。

室町時代連歌師 飯尾宗祇(1421-1502)の「筑紫道中記」に歌われた島。昔の詩情そのままで、海中に立つ朱色の鳥居と島を覆う松の緑が美しいコントラストを見せています夢の小夜島を訪れる。

10:15大島港高速艇で出発
11:10神湊港到達
12:20神湊港高速艇で出発
12:45地島泊港到達、散策

黒田の殿様が、この港に寄港する船に石を10個づつもってこさせ築いた殿様波止を訪れる。

厳島神社は安芸の宮島が有名だが、ここが本家だ。と、言われていました。真実のほどは定かでありません地島厳島神社を訪れる。

ツバキロードと言う名前の遊歩道を通り白浜港に向かう。

14:10白浜港高速艇で出発
14:45神湊港到達、レンタカーで新宮港に向かう。
15:30新宮港到達
16:40新宮港高速艇で出発
16:57相島港到達、散策

朝鮮通信使をもてなした館が建っていた場所、朝鮮通信使客館跡を訪れる。

若宮神社、恵比須神社を訪れる。

17:30相島港高速艇で出発
17:47新宮港到達。レンタカーで博多駅方面に向かう。
18:30博多駅到達
18:55博多駅新幹線のぞみで出発
21:17新大阪駅到達。

今回の旅行九州福岡県に足を運び、玄界灘に点在する歴史深い史跡の多い3つの島、大島・地島・相島を訪れ散策観光してきました。

さすが大都会博多近くの離島、観光名所の案内図はわかりやすく道路も整備され多くの観光客が訪れている模様です。

まして宗像・沖ノ島と関連遺跡群が世界遺産暫定リストに記載され、今後ますますこれらの島は賑わい、多くの観光客が訪れることを予測されます。

観光名所として今後賑わいを期待できそうな福岡県玄界灘離島大島・地島・相島観光旅行でした。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第百九十二弾:山口県周防大島離島島々観光
2012年5月26日ー27日
  

本州の最西端に位置する山口県に足を運び、海上に浮かぶ、金魚のような形をした島、瀬戸内海では淡路島・小豆島に次いで大きな島でミカンの産地として有名な周防大島を訪れ、周囲の離島、樽見観音の観音像は、難破船の帆柱で作られたといわれ、天日干しイリコの名産としても有名な浮島、野鼠退治のため、5年ごとに神楽を舞った伝説があり黄幡神社通夜堂は、商売繁盛の神として崇拝されている前島、屋代島の東端瀬戸ケ鼻の北約400mに浮かぶ有人島で、薬研岳(173m)を中心に斜面が海岸線まで続き、平地は少なく東側の入り江に本浦、大畑、伊の浦、佛の浦の4つの集落があります情島、昭和58年、屋代島間に沖家室大橋によって架橋、17世紀には瀬戸内海の海上交通の要塞として繁栄した沖家室島、かつては柳井周辺の塩田用薪の供給地でした笠佐島を訪れました。

26日13:45新大阪新幹線のぞみで出発
15:06広島駅到達。
15:13広島駅山陽本線で出発
16:04岩国駅到達。

岩国駅市街地を散策し市内のホテル到着、就寝。

27日7:00レンタカーで周防大島方面に向かう。
8:00日前港から渡船で出発
8:14浮島江の浦港到達、浮島を時計回りで散策し一周する。

浮島北端に浮島大橋で渡れる頭島を訪れる。

江の浦港に戻る。

10:16江の浦港渡船で出発
10:30日前港到達、レンタカーで久賀港に向かう。
11:20久賀港渡船で出発
11:40前島港到達
11:45前島港出発
11:55久賀港到達、レンタカーで伊保田方面に向かう。

かつて世界最強の戦艦とされたが、昭和18年に東和町沖で謎の爆発を起こして海に沈んだ旧日本海軍の戦艦陸奥。ここは後年引き上げられた陸奥艦内の備品や艦首の一部を展示した記念館で、戦艦とともに命を絶たれた1121人の将兵の冥福を祈って、乗組員の遺品などを展示、戦争の悲惨さを訴えている。陸奥が爆沈した6月8日には毎年慰霊祭が行われる陸奥記念館を見学。

13:40伊保田港渡船で出発
13:55情島港到達、散策。
14:30情島港出発
14:45伊保田港到達、レンタカーで沖家室島に向かう。
15:30沖家室島到達、散策。
16:00レンタカーで笠佐島に向かう。
17:00小松港渡船で出発
17:07笠佐島港到達
17:10笠佐島港出発
17:17小松港到達、レンタカーで岩国に戻る。
18:30岩国駅到達。
18:33岩国駅山陽線で出発。
19:25広島駅到達
19:43広島駅新幹線のぞみで出発
21:04新大阪駅到達。

今回の旅行、本州の最西端の山口県に足を運び、周防大島周辺の離島を巡りました。

意外と知らない山口県の離島、素朴で派手さはなく、有名な名所もないが訪れるとなんとなく癒される離島、瀬戸内海エリアと日本海エリアに数多く点在し、何回かに分けて制覇していきたいと思います。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十六弾:長崎県長崎タウン離島軍艦島&伊王島&高島観光
2012年4月7日ー8日
  

江戸時代の鎖国の間、日本唯一の貿易港として中国やオランダとの文化交流が盛んに行われていた長崎県の長崎タウン離島、幕末から始まり、昭和49年の閉山まで日本の経済を支えた炭鉱の島端島、今や廃墟ビルが林立し、軍艦のような独特の風貌を残す軍艦島、長崎市の南西海上に浮かぶ島、マリンブルーに輝く海や天然温泉を備えたホテルで手軽にリゾート気分が味わえるほか、歴史ある教会や透明度を誇る海水浴場がある伊王島を訪れました。

7日15:50伊丹空港出発
16:55長崎空港到達、レンタカーで長崎タウンに向かう。
17:45長崎タウンのホテル到達、市街地を散策し食事を済ませて就寝。
8日5:20レンタカーで出発
5:40長崎港到達
5:50高速艇で高島に向かう。
6:23高島到達、散策する。

かつては石炭発見の地として栄え、これに尽力したグラバーの別邸跡も残る。現在は1年を通じた釣りスポットとして人気の高島を散策する。

炭鉱と共に歩んだ高島の歴史の写真と、炭鉱で使われていた機材を豊富に展示している資料館。当時の坑道の模型やトロッコ等の重機、坑夫の服装なども展示してある石炭資料館を訪れる。

高島の周囲に広がる美しい海の水を使った海水温浴施設。アイランド・テラピーとは島のきれいな海水など、環境を活かした健康づくり(運動・休養)を目的とした活動のことで、この施設では、温めた海水に水着を着用して入り各種運動を行うことができる高島海水温浴施設 いやしの湯を訪れる。

美しいコバルトブルーの人工海水浴場が目の前にある キャンプ場、高島ふれあいキャンプ場を訪れる。

慶応4年(1868)、イギリスの貿易商人トーマス・ブレーク・グラバーは高島炭坑の開発にあたり、明治初期にかつて高島本島とは離れた小島だったこの地に橋を架け、洋式の別邸を建てて炭鉱経営の拠点とした。ここから長崎の南山手の自宅との間に電話線を引いたのがわが国最初の私設電話だといわれている。現在の三角屋根は後に展望所として整備された際に設置されたものだが、周囲には建物の基礎石や井戸跡、排泄物を処理したと思われる便器跡などが残されている。また、当時船をつけた下の船着場までの通路は今も散策路として通ることができるグラバー別邸跡を訪れる。

8:00高島出発
8:30長崎港到達。
9:00長崎港軍艦クルーズ出発
9:40軍艦島到達、上陸。

軍艦島(長崎)は正式名は端島で、長崎港南西約17.5km、端島より先に石炭鉱で繁栄した高島の南南西約2.5kmに位置します。元々は現存の3分の1程度の面積の小さな島でしたが、昭和6年(1931)の最後の埋立て迄に南北約480m、東西約160m、周囲約1,200m、面積約6.3haという、防波岸壁が島全体を囲む現在の形になりました。高層(当時として)鉄筋コンクリート造りのアパート等が密集するその外観が、洋上西方から眺めて、大正10年(1921)年当時三菱長崎造船所で建造中であった戦艦「土佐」(後に未成廃艦となった)に似ていると報じられたことから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。良質な海底炭鉱の島で、一時は高島を抜く出炭量となり、昭和16年(1941)には同島最多の41万トンを出炭しました。人口は最盛期の昭和35年(1960)に5,267人で、人口密度は当時の東京都区部の9倍以上で世界一でしたが、その後、主要エネルギーの石油への移行により衰退し、昭和45年(1970)以降のエネルギー政策の影響を受けて昭和49年(1974)年1月15日に閉山しました。閉山当時残っていた約2,000人も4月20日迄に全て島を離れ、その年の末まで続いていた残作業後、無人化しました。島はその後も三菱の所有でしたが、平成13年(2001)、当時の高島町に譲渡され、現在は長崎市の所有となっています。島への上陸は長らく禁止されていましたが、平成21年(2009)4月22日から整備された見学通路内からに限って上陸しての見学ができるようになりました。重要な国のエネルギー政策のため、厳しい炭鉱作業を進めるため、時の最先端な環境を整備し、殆ど人工島のように見える島内にほぼ都市機能が完結していたことに、そして明治時代から高度成長期の日本を支え、石炭エネルギーの衰退により閉山、無人化し、廃墟となった「軍艦島」にはその存在を知った時から惹かれていました。

11:00軍艦島クルーズ艇で出発
11:40
長崎港到達、レンタカーで長崎半島を巡る。

伊王島と沖之島、2つの島を橋で結んだ島・伊王島は、大浦天主堂にも似た白亜の沖之島天主堂、日本初の洋式灯台などのほか、天然温泉が自慢の施設「やすらぎ伊王島」を擁するリゾート気分いっぱいの島だ。平成23年3月27日には対岸の香焼とを結ぶ伊王島大橋で結ばれ車でも行けるようになりました伊王島を訪れる。

日本初の鉄製洋式灯台で、1870年(明治3)に設置。原爆で破損、天井のドーム部分のみ建造時のものだ。当時の灯台で使用されていた道具などを展示する、灯台記念館)もある伊王島灯台を訪れる。

沖之島の高台に立つゴシック様式の白亜の天主堂。島民の願いで1890年(明治23)に本聖堂が建立された。その後、台風と落雷の被害にあい、1933年(昭和6)に再建された沖之島天主堂を訪れる。

長崎半島を南下する。

国道499号沿い、黒浜から連なる海蝕景観のなかでもひときわ目を引くのが、寄り添って立つ二つの岩。海に向かって左が高さ11m・周囲24mの男岩、右が高さ11m・周囲26mの女岩。地質学的には野母変はんれい岩複合岩体といわれる。4億8千年前のものといわれ、九州では最も古い。夕日を背に浮かび上がる光景は幻想的な夫婦岩を訪れる。

標高198mの山頂は、1638年(寛永15)江戸幕府の遠見番所が設けられたほど眺望がよく、東に天草灘、西に五島灘、南に東シナ海を一望可。山頂に広がる椿公園には、250種約300本の椿と自生のやぶ椿1万数千本が茂る。なかでも白椿「陽の岬」[ひのみさき]は野母崎町でしか見られない品種。広島平和公園にある悲願の鐘の夫婦鐘「まごころの鐘」もある権現山展望公園を訪れる。

樺島の南端、100mの断崖に立つ白亜の灯台。1932年(昭和7)に初点灯。周囲は公園として整備され、展望台からは東シナ海が一望できる。灯台内に入ることはできないが、すぐそばには樺島灯台の歴史やその働きを解説するパネル、灯台の部品などが見られる展示室がある樺島灯台を訪れる。

東海岸線を北上し諫早方面に向かう。

高城城跡を整備した公園。石橋としては最初に国の重要文化財に指定された眼鏡橋が架かる。4月から5月は3万本のツツジが満開になり、園内一帯に色を添える諫早公園を散策する。

長崎空港に向かう。

17:20長崎空港到達
18:10長崎空港出発
19:30伊丹空港到達。

何回も訪れたことのある長崎県、今回は長崎タウン沖に浮かぶ離島、伊王島、高島、軍艦島を訪れ1泊2日の旅、楽しめました。
特に世界遺産暫定の軍艦島、運よく天候がよく、波も穏やかで上陸でき、廃墟の炭鉱の町、乱立した鉄筋高層ビルが建て並び、閉山とともに自然が軍艦のような風貌と化した光景は驚きの一言でした。

長崎タウン沖の離島(軍艦島・伊王島・高島)巡りとと長崎半島の観光名所のドライブ観光でした。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十四弾:香川県瀬戸内海諸島女木島・男木島&粟島・志々島観光
2012年3月24日ー25日
  

四国の北東部、瀬戸大橋により本州と結ばれた日本一小さな県、香川県に足を運び、備前瀬戸に点在する鬼が島とも呼ばれる女木島、映画の舞台になった灯台が佇む男木島、水軍ゆかりの地で、無人島を含む大小28の島からなる塩飽諸島の粟島・志々島を訪れました。


24日12:30車で出発、近畿中国山陽瀬戸中央高松自動車道経由して
16:00善通寺インター下車、善通寺駅付近のホテル到達、到達後繁華街散策し食事を済ませて就寝。

25日5:30車で出発、須田港方面に向かう。
6:10須田港到達
6:20須田港粟島汽船で出発
6:35粟島港到達、船を乗り換え
6:55粟島港出発
7:25志々島港到達、散策する。

詫間港の北西5.5kmの海上にある標高100m余りの島。 島の頂上まで開墾され、良好な漁場にも恵まれて明治以降漁業も繁栄してきた。しかし、高度経済成長に伴い次第に衰退し、200戸1000人を数えた住民も昭和30年代から激減、今では、40人足らずとなった。現在は花き栽培が営まれている。島名は十握剣(とつか)を納めて神霊島、また京都の紫宸島、また西行法師が行脚の途中でこの島を見て「獅々に似たる島」として獅々島と名付けたといわれている志々島を散策する。

この島の自慢は樹齢1,200年といわれる大楠木。県指定の天然記念物になっている。 映画「男はつらいよ寅次郎の縁談」(平成6年)のロケ地になり、また平成16年の映画「機関車先生」(伊集院静原作、廣木隆一監督、音楽:井上揚水)のロケ地にもなりました。

8:50志々島港出発
9:05粟島上新田港到達、粟島を散策する。

地図を見ても分かるように、もともと3つの島が砂州で繋がって一つの島になったようです。浦島太郎伝説は国内でもいろいろな所に残されていますが、伝説の亀の霊が祭られているという亀戎社(かめえびすしゃ)や乙姫が身を寄せたと言われる姫路などが伝説ゆかりの地です。詫間町の庄内半島の先端は昔は浦島と呼ばれていた島になっており、浦島太郎伝説ゆかりの名所がたくさんあります粟島を散策する。

粟島海洋記念公園内にある、海の宿らしく船をイメージした建物。明るくゆったりとしたエントランスホールや浴場があり、周辺にはテニスコートやキャビンも整備されているル・ポール粟島を訪れる。

明治30年、粟島に誕生した日本初の海員養成学校校舎跡。昔の船舶機器や模型など多くの資料を展示。庭に設置された古い錠や艦鍵もノスタルジック。映画「機関車先生」のロケ地にもなった粟島海洋記念館を見学。

11:15粟島港出発
11:30須田港到達、車で高松港に向かう。
12:30高松港到達
14:00高松港フェリーで出発、女木島に向かう。
14:20女木島港到達。

高松市の北約4kmに浮かぶ島。 北部が円錐形、南部は緩やかな溶岩台地になっており、中央部の東西側に集落がある。就業者は、第1次産業が半数強、次いで第3次産業が4割弱。島の中腹に巨大な洞窟があることから、別名「鬼ケ島」と呼ばれ多数の観光客で賑わう。 白砂青松に恵まれた美しい島なので、夏には海水浴客も多い。源平合戦で那須与一が射た扇のこわれた残りが流れ着いた、ということから「めぎ(めげた=こわれたの意)」という島名がついたともいう女木島を散策する。

桃太郎伝説を残す大洞窟は、島の中央、鷲ケ峰の中腹にぽっかり口をあけています。広さ4,000平方m・奥行き450mに及ぶ大洞窟で、洞窟の中は夏でもひんやり。約186uもの大広間や居間、婦女子の監禁室、溜井戸の跡、番人の控室まであり、何やら怪しげな気配。暗がりの中から鬼たちの哄笑が聞こえてきそうな女木島大洞窟を訪れる。

島の集落には,民家の屋根まですっぽり覆うほどの高さの石垣「オオテ」が防風防潮用に築かれ、独特の島風景を描きだしています。写真愛好家や画家たちの創作意欲を刺激するノスタルジックな島の暮らしがあります。

世界の七不思議,イースター島のモアイ像。女木島のモアイ像は,高松市に本社を置く建設重機メーカーが,イースター島のモアイの再建時(1995年)吊り上げテスト用に使った模刻像で,高松市に寄贈されたものです。

16:20女木島港出発。
16:40男木島港到達。

鬼ケ島から船で20分で男木島へ。段々畑のように密集する民家の間を縫って連なる石段は、瀬戸の小島ならではの風情。島の最北端に立つ男木島灯台は、映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になったところで、明治の洋風建築の宿舎跡は、灯台資料館として活用され、ノスタルジックな気分を誘います男木島を訪れる。

 島全国でも珍しい灯台資料館で、館内では、全国・瀬戸内海の主な灯台の位置、海上保安庁の役割り、男木島灯台の仕組みなどを説明したパネル、電光掲示をはじめ、模擬灯台からの沖の風景、そして男木島の歴史・生活・観光の紹介、また映画のことなど幅広く説明しています男木島灯台資料館。 

男木島遊歩道上に位置し,男木島の観光名所である桃太郎伝説で鬼の副大将が逃げ込んだと言われている洞窟「ジイの穴」や,高松市指定文化財・天然記念物の通称タンク岩を見ることができます男木島水仙郷。 

17:00男木島港出発。
17:40高松港到達。

今回の旅行、四国の香川県の瀬戸内海に点在する離島に足を運びました。

粟島、女木島、男木島はヨット&クルーザーで訪れたことはありますが島の観光は今回初めてです。

女木島、男木島は家並も多く、村の人々もそこそこおられますが粟島・志々島は数十人の人口でほとんどお年寄りとのことです。この地区も過疎化が起こっていますね。日本の離島に共通する現象です。

素朴で自然いっぱいの癒し系の離島観光旅行でした。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十一弾:山口県柱島群島観光
2012年3月3日ー4日
   

山口県の瀬戸内海に位置する柱島群島に足を運び、漁業が盛んで、自然とのんびりさがいい島、猫密度が高いの有名な端島、標高262mの金蔵山を中心に斜面が海岸線まで続き、東側に集落があり、近海での漁業と畑作やみかんの栽培などの半農半漁で、釣りなどで訪れる人が多い柱島、南側の樫山を最高点として全体的に山がちで平地は少なく、海岸線は岩場が続いており、農業は振るわず、漁業を中心とした生活が営まれてれている黒島を訪れました。

3日13:29新大阪新幹線のぞみで出発
14:45広島駅到達、山陽線で岩国に向かう。
15:06岩国駅到達、バスで錦帯橋に向かう。
15:35錦帯橋到達、散策する。
17:10錦帯橋バスで出発
17:40岩国駅到達、繁華街を散策し、居酒屋で食事を済ませて岩国港手前のホテル到達、就寝。
4日7:00岩国港に徒歩で向かう。
7:40岩国港高速艇で出発
8:31端島港到達、散策。

北にタコウ山(102m)、南に見壁山(むかべやま)(128m)があり、その間の平坦なところに集落があります。主に漁業が中心で、タイ、トラフグ、メバル、カレイなどが水揚げされています端島を散策する。

漁港と小学校の間にある。立派な石鳥居がたっている端島神社を訪れる。

小学校の手前の坂を上ったところにある。桜の季節には桜が咲き並び大変美しい景観となる桜並木を訪れる。

桜並木を少し登ったところに池がある。多少塩分を含んでいて、蛇の池は平郡島の蛇の池と底が続いているという伝説がある蛇の池を訪れる。

10:51端島港高速艇で出発。

10:59柱島港到達、散策。

北は広島県の倉橋島、南は山口県の屋代島、二つの大きな島の間にはいくつもの小島が点在しています。そしてそのほぼ中央に位置する島、柱島を散策する。

集落の外れにあり島の産土神として古くから信仰を集めてきた神社ですが、御神体には神武天皇をはじめ88柱の神々が祀られています。時代とともに色々な神が合祀されていったのかもしれません賀茂神社を訪れる。柱島という名はこの御柱の多さから名付けられたと言われています。

中世になると瀬戸内海では水軍が勢力を振るうようになり、柱島は長い間その拠点となっていたようです。島の頂上に水軍の城があったと言われていますが、今ではその痕跡はほとんど残ってはおらず、付近には太平洋戦争当時の見張り塔の跡や貯水槽が残されています。

島の南端の洲鼻に塔があります。昭和18年6月8日12時10分、戦艦陸奥が柱島南西沖約2kmの地点で謎の爆沈を遂げ、1,121人の犠牲者を出すという事件が起きています。この時多くの遺体が洲鼻や続島に流れ着き、事実が敵方に漏れないように秘密裏に荼毘に付されたと言います。後に柱島の人達が残された遺骨を拾い、犠牲者を悼んでこの地に墓を建てたものの戦艦陸奥英霊の墓を訪れる。

港から南へ向かう坂道を少し登った所にある西栄寺には赤禰武人の墓が残されています。赤禰武人は高杉晋作の奇兵隊でも活躍した長州藩士で尊皇攘夷の活動家でしたが、高杉などの倒幕急進派と対立、そして幕府のスパイとの嫌疑をかけられ長州藩によって処刑された人物です。武人はこの島で育ち、この島に潜伏しているところを捕らえられ山口市の出合河原において斬首されています西栄寺を訪れる。

14:15柱島港高速艇で出発
14;38黒島港到達、散策。

桂島群島に属し周防大島(屋代島)の北約7km、岩国港の南南東約23kmに浮かぶ漁業の島です。無人島の時代が長く、江戸時代に牛の放牧地として利用されるようになった後、天保11年(1840)に桂島からの移住で開拓が始まったと言われています黒島を散策する。

毎年7月中旬には大漁と安全を祈願して島民総出の三島神社大祭が催されます三島神社を訪れる。

三島神社の近くにあり、昭和20年の終戦間際に空襲を受け亡くなった島民19人の御霊を供養するためのものです。犠牲者の大半は幼児を含む子供達でした供養塔を訪れる。

16:38黒島港高速艇で出発。
17:14岩国港到達、歩いて和木駅に向かう。
17:38和木駅出発。
18:28広島駅到達。
19:06広島駅新幹線のぞみで出発。
21:30新大阪駅到達。

今回の旅行、山口県の瀬戸内海沖に点在する柱島群島に足を運び、戦艦陸奥で有名な柱島、自然豊かな、素朴な島、端島・黒島を訪れ、都会から逃れ癒されました。

ほとんどの離島は人口が減り過疎化し、学校も閉鎖、住民のほとんどがお年寄り、近い将来、離島に住む人がなくなるのではないかと心配するさまです。

都会の雑踏からのがれ、自然いっぱいの素朴な癒し系の離島観光でした。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百八十弾:香川県諸島本島&さぬき広島観光
2012年2月18日ー19日
  

香川県の離島、塩飽諸島に足を運び、塩飽水軍の本拠地として栄えた本島、塩飽諸島のほぼ中央部に位置するさぬき広島、塩飽の歴史ロマンを伝える名所が多いこれらの離島を訪れました。

18日12:30車で出発、近畿中国山陽瀬戸自動車道経由して
15:20丸亀港到達
15:30カーフェリーで本島に向かう。
16:05本島港到達、車で巡る。

丸亀の沖に浮かぶ塩飽諸島の中心、雄大な自然に囲まれた周囲16kmのこの島には、
古い町並みや数多くの文化遺産が残されています。それは遠い昔、塩飽水軍とともに繁栄した本島の証であり、海にひたむきに生きた塩飽の男達の足跡なのです。その本島を観光する。

丸亀の夏は本島から始まります。旧暦の6月1日、本島泊地区にあり、夏の虫を追い払い、
その年の豊作と無病息災を祈願する「虫送り」が行われます。この行事は、虫送り祈願の百万遍ともいえる、ご覧の大数珠送りから始まり、念仏を唱えながら、8畳敷きほどの大きな数珠をグルグルと回していきます。途中、自分の手元に回ってきた大きな珠を額に当てるようにして拝むことで、今年一年の無病息災を祈願しているのです。その木烏神社を訪れる。

織田、豊臣、徳川時代と300年にわたって塩飽諸島の西部を取り仕切っていた、今は国の史跡に指定されており、ここには咸臨丸の遺品や、信長、秀吉、家康からの朱印状など、当時の貴重な資料が展示されています塩飽勤番所を訪れる。


時が止まったようにたたずむ路地。ここは、国の伝統的建造物群保存地区の選定を受けているです。漆喰塗りの白壁やなまこ壁、千本格子の窓をあしらった町並みは、実にどっしりとしたたたずまいを演出しています笠島集落を訪れる

島の人たちから「山寺さん」と呼ばれ、親しまれている。ここでは毎年7月に、修験者達による大護摩供養が行われています。真言宗醍醐派の大本山であるここ正覚院は、弘法大師と並ぶ讃岐五大師の一人「理源大師」誕生の地と言われています。その境内で繰り広げられる夏祭りの光景は、まさに真言密教の世界そのもの・・・。不動真言を唱える修験者たちの声は、打ち振られる錫杖やほら貝の響きと混じり合い、見る人を神秘の世界へと誘い込みます正覚院を訪れる

16:52本島港客船で出発、牛島に向かう。
16:58牛島港到達、写真撮影。

丸亀市の北7.7km,塩飽諸島中4番目に小さな島。 里浦と小浦の2集落があり、ノリ、ワカメを中心とした養殖漁業と、瀬戸内の温暖な気候を利用した温州ミカンの栽培が主要産業となっている。江戸時代には「内海の海上王」といわれた丸尾五左衛門の廻船の本拠地となっていた牛島を訪れる。

17:00本島に客船で戻る
17:10本島客船で出発
17:40丸亀港到達、車で坂出に向かう。
18:10坂出のホテル到達、周辺を散策しさぬきうどんを食べてからホテルに戻り就寝。

19日7:00車で丸亀港に向かう。
7:20丸亀港到達
7:40丸亀港客船で出発
8:01さぬき広島江の浦港到達、散策する。

丸亀港からフェリーで40分、瀬戸内海に浮かぶ、その名の通り、塩飽諸島最大の島です。
豊かな自然と美しい海に囲まれたこの島には現在294世帯、569人が暮らしています。最大の産業は石。青木石で知られる花崗岩の採掘は、島の発展に大きく関わってきましたさぬき広島を訪れる。

ここ広島町では、1月9日、5月9日、9月9日の3日間を山の神の日とし、石の採掘を休み、
地元の人達は、山の神様に感謝の気持ちを捧げています。その山の神様を祭っているといわれる神社。毎年、年の初めの山の神の日である1月9日に、ここで百々手祭りが開かれています。この日は早朝から地元の人達が境内に集まり、祭りの準備をはじめていました山の神神社を訪れる。

慶応2年(1866年)、瀬戸内海を調査中の英国測量船セルビア号の船上で病死した英国士官レキの墓。島の人たちの手のよって守られてきた。明治29年(1896)にセルビア号が再び広島に寄港、船長から島の人たちに感謝状が送られたという。広島中学校近くの川のほとりにあるレキの墓を訪れる。

ヤシの木に囲まれた南国ムードの海水浴場。旧暦8月15日、「月見の宴」が開かれる。潮騒をバックにお月見を楽しむ江ノ浦海水浴場を訪れる。

標高312m。瀬戸内の多島美を楽しめる。ハイキングに最適の王頭山を望む。

11:32江の浦港客船で出発、小手島、手島方面に向かう。

11:55小手島到達。写真撮影。

丸亀市の北15kmの海上に浮かぶ塩飽諸島の中でもっとも小さい島。備讃瀬戸海域の中心的漁場の近くにあり、タコ・カニ・イカナゴ漁がとくに盛んである。若い漁業後継者も多い。豊かな自然環境と瀬戸内の活魚料理は逸品。また、高台からの瀬戸内海前面の景色が非常に美しい小手島を訪れる。

12:05手島到達。写真撮影。

丸亀港の北21kmの海上に位置する。平家の落人が住みついて集落ができたと伝えられている。本島と同じく人名)の島だった。瀬戸内の温暖な気候を利用した農業が主体である。かつてタイ網漁で賑わった豊かな漁場があり、市内外からやってくる釣り客に親しまれている。また、手島供養踊り、新霊踊り、やっとこせ踊りなど芸能・民俗も豊富の手島を訪れる。

12:10さぬき広島に戻る。
12:43さぬき広島到達
12:45フェリーでさぬき広島出発
13:30丸亀港到達、車で岐路に向かう。

今回の旅行、香川県の塩飽諸島に足を運び、塩飽水軍の本拠地として栄えた本島、塩飽諸島のほぼ中心に位置するもっとも大きいさぬき広島、その他牛島、小手島、手島を訪れ日ごろの雑踏の中からのがれ、田舎の素朴な雰囲気に癒されリフレッシュできました。

本島とさぬき広島はクルーザーで訪れたことがありますが寄港しただけで、観光は今回初めてでした。

素朴な離島の癒し観光旅行リフレッシュできました。

 








飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十九弾:鹿児島県与論島観光
2012年2月11日ー12日
  

鹿児島県の離島、全島が発達したリーフに囲まれている鹿児島県の最南端の島、ビーチの美しさには定評があり、シュノーケリングやダイビングなどの各種マリンスポーツが盛んな与論島を訪れました。

11日9:15伊丹空港出発
11:30那覇空港到達
12:45那覇空港出発
13:20与論空港到達、レンタカーで観光

ヨロンマラソンのスタート地点でもありゴール地点でもある場所。ミコノス通りの白い壁が特徴です。この壁も一番上を見るとヨロンマラソンの歴代勝者の名前とタイムが刻まれています。またその近くには「王者の椅子」と呼ばれるマラソン勝者のみが座れる椅子がありますが、大会当日以外ならいつでも座れます(笑)。またこの通り近くに茶花海岸があり、その砂浜内にある舞台はまさにヨロンマラソンのための場所のようなもので、完走パーティが毎回ここで行われてランナー達がここで踊りますヨロンマラソンのスタート地点ゴール地点を訪れる。

茶花市街とプリシアや空港方面を結ぶ海岸線の道路沿いにある。コースタルリゾートの向かいあたり。他にもいくつかオブジェがあるエリアですが、これが一番印象的。形状というか名前が・・・。「マーライオン」ならぬ与論島なので「ヨーライオン」。ちょっと笑えるスポットかもしれませんヨーライオンを訪れる。

もちろん与論島には電車はありません。パロディの駅です。駅の「沖縄←与論島→鹿児島」という表示が印象的です。何故ここにあるのかは不明ですが、与論島は鹿児島と沖縄の間にある「県境」の島なので、この駅もなんとなく納得できるかもしれませんヨロン駅を訪れる。

ヨロンマラソンの心臓破りの坂、フルマラソンでは魔の35km地点から見下ろした景色です。フルマラソンの残り7kmの地点なのでめちゃくちゃ辛い時期で、しかも上り坂を登り切ったときに見える景色なので、あまり景色を楽しんだことはないですが、とっても視界が開けていてキレイな景色です。ちなみにハーフの人もこの景色を眺めることができ、ハーフだと余裕を持って見ることが出来るかも?坂の上にはJAL系のキャビンアテンダントがいるエイドステーションがあり、いろいろなものをくれるので、のんびりレースを参加される方にはこの景色の眺めながらレース中のひとときを楽しむと良いでしょう。もちろん、マラソン以外で来ても良い景色を眺められると思います昇龍橋からの景色を望む。

昇竜橋の途中にある広場に2010年ぐらいから突如現れた牛のオブジェです。しかも何故か金色。どうして金色なのかは謎ですが、でも屋外にあるオブジェなので台風などで徐々に金色ではない色に変わっていきそうな気がします牛オブジェを訪れる。

与論城跡にある神社で、島では最もメジャーと思われる神社。新年の際には初詣に訪れる人も多い。隣接して地主神社もあるがこの2つの区分はよく分かりませんが、2つとも参拝するのが良いと思います。社務所もあっておみくじも行えますし、何より与論島の高台にあるのでこの神社の中からの景色は抜群。茶花市街を含めた与論島西部を一望できます琴平神社を訪れる。

与論城跡や琴平神社に隣接してある神社。神社へ上るための木製デッキが神社の手前に広がっています。この神社の境内では与論十五夜踊りが奉納されるらしいです。琴平神社がすぐ隣りにありますので一緒にお祈りすると良いかもしれません地主神社を訪れる。

与論島の最も高い場所にあるかもしれない施設。サザンクロスセンターというくらいなので、星空に関係する施設かなっと思ったらあまり星空には関係ないらしく、与論島の歴史や民俗の資料館となっています。中には展望台もありますが、基本的に入場有料です。与論島の歴史や文化に興味ある方には良いかもしれません。特に景色は360度のパノラマ風景を望めると思いますのでおすすめのサザンクロスセンターを見学。

琴平神社周辺に広がる城跡でどこからどこまでが城跡なのがわかりにくいが、神社から翔龍橋方面へ向かう石積みの城壁部分とその反対側のサザンクロスセンターの裏にある城壁もその一部かと思われる。ただ双方は神社によって分断されているので相互を往来するには神社前を通過する必要がある。個人的には城壁よりもサザンクロスセンター裏の方が城址らしく感じる。一部に沖縄のプズマリのような石積みの遠見台的な場所もあり、吾妻屋もあるのでサザンクロスセンター裏の方もいろいろ楽しめる与論城跡を訪れる。

赤崎鍾乳洞へ行く途中の道の傍らにありました上城跡を訪れる。

鍾乳洞にはありがちな鳥居がある神社。沖永良部にある昇龍洞と同じ神社の名前。ゆかりはわかりませんが、ここでも賽銭を置いて行かれる方が多いようです。鍾乳洞の比較的序盤にありました赤崎鍾乳洞を訪れる。

東区の赤崎海岸までのまっすぐな道沿いにある施設。民族村のすぐ近く。ヨロンマラソンのコース上にあります。ここではオーガニック栽培したウコンを粉末に精製し、様々な健康食品を造っているらしいです。ネットにもショップがあるらあしいです。ウコン以外にも黄金酢や与論黒糖や島の塩などを作っているようですヨロン島自然薬草本舗を訪れる。

与論島の古民家や風土の雰囲気を感じることができるものを様々見ることができます。他にも染め物や黒糖作りの体験など様々なことができるようです。与論島観光では外せない場所かもしれません与論民俗村(民族村)を見学。

与論島人類渡来発祥の地。ここで水を発見したことにより与論島に人が住み始めたという。場所は赤崎海岸入口近くで石碑がある。しかしその石碑の横に獣道があるが、このアマンジョウはその先にはなく、むしろ中に入らないで舗装路のすぐ脇にある。ガードレールから下をのぞき込むとその様子がうかがえる。近くまで行くのはやや厳しそうなのでこの道路から見下ろすのがおすすめのアマンジョウを訪れる。

与論島の東南でメジャーなビーチ。施設も揃っていて、シーズンには売店なども出ています。ビーチ自体はそこそこ広く、隣接する麦屋漁港との間には防波堤もありますので、ちょっと整備されているかも?与論島の南側では最も観光化されていてるビーチ、赤崎海岸を訪れる。

赤崎海岸をちょっと奥に歩いていくと、がけの上に灯台があるのが分かります。与論島の南東を守る灯台みたいです。与論島では一番大きい赤崎灯台を訪れる。

与論島で最もメジャーなビーチ。島の東側に砂浜が延々続く場所で、沖には有名な「百合ヶ浜」が現れる場所としても有名。ビーチがあまりに広いので、北の部分をクリスタルビーチ、南の部分をシーマンズビーチと呼ぶこともありますが、大きい範囲としての大金久海岸を訪れる。
クリスタルビーチから北に少し上がった場所、サトウキビ畑の中に作家「森瑶子」のお墓と別荘があります。別荘は一般の人は立ち入ることができず、ツアーか何かでしか行くことができないようです。お墓は道路に面した部分にあるので、見ることはできます。この場所からはキレイな海の色が望め、与論島を愛した森瑶子さんの気持ちが少し分かった気がしました。最近はその別荘の庭を使って結婚式なども行われるようになったらしいです。南国の青い海を見ながら挙げる式は格別かもしれません作家「森瑶子」のお墓と別荘を訪れる。

百合ヶ浜の北にあるビーチで、基本的に港がメインの海岸かもしれません。ここから百合ヶ浜ツアーの船や、各種マリンスポーツなども行われているみたいです。マリンジェットが走り回る姿も見受けられました。ですので、海水浴って感じではないかもしれませんが、防波堤でのんびりするには良いかもしれません。干潮時には地元の方が磯で魚などの海産物を採りに来たりしています。のどかな海かと思います皆田海岸を訪れる。

島の中央やや東側。古里エリアにある工房。といっても島の周回道路からはやや山側に入った場所にある。島の東西を結ぶ道路沿いに案内板があるのでそれを目印に行けばたどり着けると思います。ここの工房は体験もできますが、焼き物は他の店舗でも取り扱っているようです。確認できた限りではプリシアの中にある売店で取り扱っていました。与論島で天気がイマイチな時などはこの工房へ行って体験してみるのも良いかもしれませんゆんぬ あーどぅる焼窯元を訪れる。

黒花海岸に並ぶ与論島北側のメジャーなビーチ。白い砂浜がとってもきれいです。サラサラの砂浜で広さをほどよく、人が来なければプライベートビーチとしては最高のコンディションかもしれません。そんな感じなので、映画「めがね」のメインのロケ地としても使われたらしいです。この浜でメルシー体操が行われていたらしい寺崎海岸を訪れる。

ビーチは砂浜がとてもキレイで砂もきめ細かい。海はやや深さがあるのか青のグラデーションがとてもキレイでした。時間によってはフェリーが行き交う様子も望めるかもしれませんし、西向きなので海に沈むサンセットを見ることが出来るかも?茶花市街からもそんなに遠くないので気軽に行けると思います品覇海岸を訪れる。

ウドノスビーチへ行く際、茶花漁港側からではなくギリシャ村側から行くとたどり着ける入口。このビーチ入口には青い海を見渡せる場所にテーブルとベンチがあって海を眺めてのんびりすることができますウドノスビーチ休憩所を訪れる。

茶花市街から島中央の上り坂を進んでいくと、途中に案内板が出ており、脇道に入った先にあります。やや場所は分かりにくい。でもその案内板を目印に行けばたどり着けると思います。ここは基本的に植物園というか亜熱帯植物を主体にした小さなテーマパークみたいなもので、季節によって様々な花々やそこによってくる蝶々などを見ることが出来るかもしれませんユンヌ楽園を訪れる。

以前は島の周回道路から脇道に入った高台にあったのですが、現在は周回道路沿いにある模様。大島紬の工房。奄美の大島紬としては与論島が奄美諸島で南端なので最南端らしいです。施設では藍染めや紬織の体験ができるらしく、また紬や藍染めの商品も購入できるらしい本場大島紬 いっちゅう本館を訪れる。

17:00東区にある宿に到達。
18:00車で茶花方面に向かい、居酒屋で食事を済ませる。
20:00宿に到達、就寝。
12日9;00レンタカーで出発、海岸線道路、循環道路を各一周し昨日の訪れた観光名所を復習する。

13:00与論空港到達
13:45与論空港出発
14:25那覇空港到達
15:40那覇空港出発
17:25関西空港到達。

今回の旅行、鹿児島県の最南端の離島、与論島に足を運びました。
与論島は学生時代以来2度目の訪れで、以前は神戸港からフェリーで38時間かけて訪れました。
当時は道路は舗装されていなくでこぼこ道、百合が浜付近の宿に泊まりましたが記憶が無いのか今回その宿を見つけることができませんでした。残念です。

当時コバルとブルーの海、リーフに取り囲まれた島、感動の離島でしたが今回も冬季の訪れであるが素晴らしく美しい海岸線が島周辺に点在していたのは感無量です。

懐かしの離島与論島観光旅行でした。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十八弾:広島県離島似島&阿多田島観光
2012年2月4日ー5日
   

広島県の瀬戸内海に位置する離島、広島港より南に3km、この島にある安芸小富士は広島市民にもっとも親しまれている山であり、自然観察の場所として広く市民に利用されている似島、ほとんど平地はなく阿多田漁港のあたりに集落があり、ハマチやタイ、カキの養殖が盛んの阿多田島を訪れました。

4日13:29新大阪新幹線のぞみで出発
15:05広島駅到達、繁華街を散策し食事を済ませて駅の近くのホテル到達、就寝
5日7:33広島電鉄広島駅出発
8:05広島港宇品到達
8:30広島港宇品航路フェリーで出発
8:50似島港到達、散策する。

似島は、広島市南区内にある島、つまり市内の島です。昭和4年に仁保町の一部として広島市に編入され、昭和8年には似島町として独立しました。(広島市南区似島町)

似島の由来については、統一された正確な記録はありませんが、歴史的文献等の呼称では、「見の島」「二島」「箕島」「二ノ島」「荷の島」「似ノ島」など、いろいろ呼び名が変わる中で、現在の「富士山に似た山がある島」が統一視され「似島」になったと伝えられています。

似島は、世界で初めて被爆した「ヒロシマ」が忘れてはならないキズ跡と、さらに、戦争の加害者としての遺跡を残しています。明治・大正・昭和と三代にわたって、海外の戦場から傷つき疲れ帰国してきた兵士の検疫所として、何千何万の若者を迎え入れた桟橋や、弾薬庫などが今もなお残っています。また、敗戦が濃くなった昭和20年8月6日には、広島に投下された原子爆弾による犠牲者が多く運び込まれ、治療の甲斐もなく死んで行きました。今は慰霊碑が静かに物語っています。

似島の主な産業は海運業(砂利採取運搬)で、以前は全国一の砂利船保有数を誇っていました。現在は四国の家島(えじま)が第一位ですが、かつての活況はないにしても、今でも似島の主産業であることには変わりありません。

似島はカキ養殖も盛んに行われており、現在島内に5軒、他地区に2軒のカキ業者があります。似島周辺にはおよそ250のカキ筏が島を取り巻くように連なっています。これは似島が、広島の川から流れ出る淡水と海水とが混ざり合う、丁度よい場所に位置しているからです。つまりカキ養殖には最適の場所だということです。「広島カキ」の中でも、「似島カキ」と名付けるほど良質のものを生産しています。

漁業は、戦後イワシ網漁が活況を呈した時代もありましたが、今は伝統的な漁法のみで水揚げしています。出荷量はそれほど多くありません。平成14年4月現在で組合員は37人、この中にはカキ業者等も入っており、実際の専業者は10人ほどです。漁は夫婦単位で行い、底引き網・刺し網・一本釣り・タコツボ漁が行われています。漁種はチヌ・カレイ・アイナメ・メバル・タイ・カワハギ等で、冬場の底引き網では、ナマコ漁が盛んです。

10:15似島港出発
10:35広島港宇品到達
10:45広島電鉄で宇品出発
11:50広島駅到達
12:00広島駅出発
12:46大竹駅到達、歩いて小方港に向かう。途中ゆめタウンで時間を費やす。
14:40小方港フェリーで出発
15:10阿多田島港到達、散策する。

高山は標高が204mあり、ほどんど平地は無く阿多田漁港のあたりに集落がある。島民のほとんどが漁業に従事していて、ハマチやタイ、カキの養殖が盛ん。昭和53年には当時の皇太子(現天皇)と美智子様が養殖場などを視察に訪れたようです。岩場が点在し、釣りのポイントも多く釣り人もたくさん訪れる。

阿多田島の東沖合いに無人島猪子島を訪れる。阿多田島とは橋でつながれる。猪子島には鰯工場がある。

15:50阿多田島港出発
16:30小方港到達
17:00広島電鉄玖波駅出発
17:45広島駅到達
18:07広島駅新幹線のぞみで出発
19:35新大阪駅到達。

今回の旅行、多くの島が点在する広島県に足を運び、広島県の離島、かなりマイナーな島3つを訪れました。3つの島、どの島も観光名所が乏しく、ひたすら歩くのみとなりました。
今回で広島県をほぼ制覇できました。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十七弾:静岡県熱海タウン&初島観光
2012年1月21日ー22日
  

静岡県の日本三大温泉場の一つであり、エステに美食に町歩きの魅力の熱海に足を運び、昭和のレトロな町にひたれるスポットが点在する熱海タウン、豊かな自然に囲まれ風光明媚で首都圏から一番近い有人の島、初島を訪れました。

21日13:40新大阪駅新幹線のぞみで出発、浜松でこだまに乗り換え
16:30熱海駅到達、駅付近のホテル到着後繁華街を散策、食事を済ませて就寝。
22日7:30歩いて熱海港に向かう。途中数箇所の点在するレトロなお店を訪れる。

8:30熱海港到達
8:50フェリーで初島に向かう。
9:15初島港到達、散策する。

島の美しい娘の悲恋の物語が遺された松、お初の松を訪れる。

鎌倉時代に時の将軍実朝が二所権現参拝の折に、初島を詠んだ歌の歌碑、源実朝歌碑を訪れる。

林芙美子の小説『うず潮』は初島港から熱海の夜景を眺めるシーンで締めくくられます。初島港の熱海を見渡す高台に記念碑が残されています林芙美子記念碑を訪れる。

島の漁師が営む、朝も夜も、盛りだくさんの海の幸が楽しめます民宿街を訪れる。

島の漁師が営む、文字通り“朝獲れ”の魚介類が楽しめる食堂街を訪れる。

島内に4箇所あるダイビングポイントのキーステーション初島ダイビングセンターを訪れる。

小田原城から島流しにあい、島でも様々な伝説を残した侍、磯内膳の墓を訪れる。

江戸時代に、江戸城修築の為に石を切り出した跡地、江戸城石切り場跡を訪れる。

何百種類もの亜熱帯の植物が生い茂るアジアンガーデン、湯船に浸かりながら海に溶け込み、海の丸さを感じる、島だから実現できた海岸線ぎりぎりの露天風呂、夏季限定の、海水を利用した海辺のリゾートプール、海を見下ろす丘の上に立つコテージタイプの宿泊施設などがある初島アイランドリゾートを訪れる。

日本で15番目の登れる灯台。晴れた日には富士山や、伊豆諸島・房総半島まで360度見渡せるダイナミックな眺望を楽しめます初島灯台を訪れる。

初島周辺の眺望が楽しめる3Dパノラマビューや、初島の歴史、灯台の仕組みに関する展示を楽しめる灯台資料展示館を見学。

平成18年3月に完成した島内周遊道路。1周4kmの島なので、ちょっとした散歩に最適な初島周遊道路をひたしら歩く。

テニスコート・パターゴルフ・プール・露天風呂などスポーツとリラクゼーション機能を備えた、会員制のリゾートホテル、グランドエクシブ初島クラブの前を通過する。

海中展望船「ノア」では、“天然の漁礁”と言われている初島の豊かな海を楽しめます初島フィッシャリーナを訪れる。

新鮮な海の幸が味わえるシーフードバーベキューハウス初島ピクニックガーデンの前を通過。

島の海岸沿いの森の中にひっそりと立つ海の守り神。社殿には海中から現れたといわれる剣が納められています竜神宮を訪れる。

島内の各所に点在する8つの縄文遺跡の出土品や、深海探索船「しんかい2000」のスケールモデルなどの展示があり、初島南東沖約6km水深1174mの海底にある深海底総合観測ステーションからの映像も見ることが出来ます初島海洋資料館を見学。

孝昭帝の御代に島に漂着した初木姫が祀られており、初木姫を巡る様々な物語が残されています初木神社を訪れる。

11:10初島港フェリーで出発
11:35熱海港到達、熱海タウンを散策する。

非公開の岩崎邸、現存しない住友邸と並び、「熱海の三大別荘」といわれた名邸。日本家屋の母屋と離れは大正後期、洋館と広大な庭園は昭和初期に造られたもの。戦後は旅館として賑わい、太宰治ら多くの文化人も投宿した。現在は市の所有となり一般公開されている。館内にはゆかりの文豪たちの資料展示室や喫茶室もある起雲閣を訪れる。

かつては熱海の源泉の一つであったが、1924年(大正13)に噴出が止まったため、現在では人工的に間欠泉を作り出している。熱湯が約5分ごとに岩の間から吹き上げる。熱海市の史跡に指定され、近くには湯の神を祭る湯前神社がある大湯間欠泉を訪れる。

尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の舞台となり、主人公の間貫一と鴫沢宮が散歩したのが熱海の海岸。熱海サンビーチ沿いに立つお宮の松は、小説ゆかりの地のシンボルといえる。現在の松は2代目で、近くに初代の幹の輪切りと「貫一・お宮の像」があり訪れる。

13:30熱海駅到達
13:46熱海駅新幹線こだまで出発
16:45新大阪駅到達

今回の旅行、3回目の訪れである静岡県の熱海に足をはこび、レトロな熱海タウン、熱海港から高速艇で25分の豊かな自然に恵まれた初島の散策楽しめました。

今回で静岡県ほぼ制覇しました。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十三弾:徳島県島々伊島&出羽島観光
2011年12月22−23日
   

徳島県の太平洋側の島々に足を運び、 蒲生田岬の東方沖約6kmに位置し、伊島、前島、棚子島の3島と無数の小島からなっている伊島、島一周の遊歩道があり、出羽島燈台からの眺望は雄大で、東に紀州・西に土佐・南に太平洋・北に四国山脈が展望できる牟岐港から約3.7kmにある出羽島を訪れました。

22日20:00車で出発、阪神神戸神明淡路鳴門自動車道経由して
22:15徳島空港近くのホテル到達、宿泊。

23日7:15車で出発、阿波橘方面に向かう。
8:05阿波橘答島到達
8:30答島連絡船で出発
9:00伊島到達、散策する。

伊島の南東部に広がる断崖。遠くまで海が見渡せる。足摺岬のような景色が楽しめるカベヘラを訪れる。

山がちで最高点はのろし山の121メートル、山頂に伊島灯台を眺望する。

10:00伊島港連絡船で出発
10:30阿波橘答島到達、車で宍喰方面に向かう。
12:00宍喰、竹ヶ島到達。

橋でつながった島でマグロ漁の基地としても有名です。その沖には、環境大臣指定の海中公園があり、ハナサンゴ、シコロサンゴ、キクメイシなどの珊瑚が21種類も確認され、コバルトスズメ、クマノミ、ピングシなどカラフルな熱帯魚が生息しています竹ヶ島を散策する。

12:30牟岐方面に戻る。
13:00牟岐港到達
13:30牟岐港連絡船で出発
13:45出羽島到達、散策。

徳島県南東部、海部郡牟岐町の南方約3.7キロメートルの海上にある島。面積0.65平方キロメートル、周囲約3キロメートル。1800年(寛政12)徳島藩は6戸を移住させ、海上防備を兼ねて開拓にあたらせた。大正初期からはカツオ、マグロ漁でにぎわった。南西部の大池には、世界で4か所しか生息しないというシラタマモの自生地があり、国の天然記念物に指定されている出羽島を散策する。

15:00出羽島連絡船で出発
15:15牟岐港到達。
阿南方面に戻る。小勝島を訪れてから帰路に向かう。

今回の旅行、徳島県の太平洋側の島々に足を運び、クルーザーで何回か訪れたことのある伊島、遊歩道が整備され世界で4か所しか生息しないというシラタマモの自生地がある出羽島、橋でわたることができる竹ヶ島、小勝島を訪れました。

マイナーな島々、際立った観光名所は無いが雑踏から逃れられ癒されました。


 


飛行機で国内&海外の観光地巡り第百七十二弾:愛媛県松山沖忽那諸島観光
2011年12月17−18日
  

四国の北西部に位置し、北側は瀬戸内海、南側は西日本最高の石槌山がそびえる愛媛県に足を運び、四国最大の人口を擁する松山タウンの沖の忽那諸島、興居島、野怱那島、睦月島、中島を訪れました。

17日14:30伊丹空港出発
15:25松山空港到達、シャトルバスで松山に向かう。
16:00松山駅到達、駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

18日6:00タクシーで高浜港に向かう。
6:10高浜港到達。
6:15高浜港フェリーで出発
6:35興居島由良港到達

その昔、和気姫がこの地で三つ児を授かり、その子供の末娘が「母のいる島」と言ったことから「母居島」と呼ばれていました。
後にそれが現在の「興居島」と言われるようになりました興居島を散策する。

興居島のほぼ中央(船越地区)にあり、島の氏神様として守護神である「和気姫」(品陀和気命、息長帯命、玉依比売命)を祭り、毎年10月の松山地方の秋祭りにあわせて島全体をあげて祭礼が営まれます和気比売神社を訪れる。

中予地方島諸部における代表的な暖帯海岸樹林の中に、周囲34m高さ5mの花崗岩の巨岩を岩神様として信仰してきました。
大三島「大山祗大神」の長女「磐長姫命」を祭り、海上安全、五穀豊穣、戦いの神としてあがめられています岩神神社を訪れる。

9:30興居島由良港フェリーで出発
9:45高浜港到達
10:25高浜港フェリーで出発
11:12野怱那島到達。


2003年映画『船を降りたら彼女の島』で、 主人公(木村佳乃)が 生まれ育った島「瀬の島」 と なっているが、 そのモデルになっている島である。 島は、みかんの栽培などが盛ん。 島の沿岸は白砂の浜が多く、 海がきれいな島である
野怱那島を散策する

港のすぐ近くに登り口があって、71mの頂上まで登って行くと、瀬戸の島々を見渡せるすばらし眺望がある。映画『船を降りたら彼女の島』では何度も出てきたシーン。頂上には戦時中の監視所の一部も残っている皿山展望台を訪れる。

島で一番大きな神社。島の芸術家、石崎嘉吉の絵馬がある宇佐八幡宮を訪れる。

12:37
野怱那島高速艇で出発
12:47睦月島到達

忽那諸島の中心、 中島のすぐ東にある島は、 古くは、反物を売り歩く行商の島として栄えていた。 今はみかんの生産が盛んな島。 古い家が立ち並び、 集落の景観もきれいな島である睦月島を散策する

集落のはずれにある神社。梅雨時の境内には見事なアジサイの花が咲くという。乃木大将による記念碑がある當田八幡神社を訪れる。

伊予かすりの行商で栄えた睦月島では、昔、海岸沿いには豪邸が建ち並んでいたという。その名残か、今でも、睦月島の家は立派な長屋門を持つ家が多い睦月島の長屋門を訪れる。

神・仏の慈悲に心洗われる睦月島。集落の通り道に大きな鳥居が立っている。

14:08
睦月島高速艇で出発
14:30中島大浦港到達

忽那諸島の中心となる島。 他の忽那の島々へ渡るための、 ハブの役割をした島ともなっている。島はみかんなど、農業が盛ん。のどかな景観が楽しめるが、 島の散歩をするには面積が広くたいへんかも知れない。 トライアスロンで有名な島でもある中島を散策する。

忽那氏の祖、藤原親賢によって建立された寺、長隆寺を訪れる。

町指定文化財のある寺、真福寺を訪れる。

図書館、会議室などあるイベント施設、中島総合文化センターを訪れる。

総合スポーツ施設B&G海洋センターを訪れる。

17:05
中島大浦港高速艇で出発
17:30高浜港到達、タクシーで松山空港に向かう。
17:45松山空港到達
19:25松山空港出発
20:15伊丹空港到達

今回の旅行、四国愛媛県松山沖の忽那諸島、興居島、野怱那島、睦月島、中島の4つの島を訪れ、離島の素朴で自然いっぱいの風景を楽しんできました。

訪れた離島はかなりマイナーで観光名所もほとんど無く、地元松山の方もあまり訪れない島々であり、ただただ散策する、歩き回るのみとなりました。地元の人の住居のみでほとんど観光するところはありませんでした。当然関西の方は訪れないでしょうね。

一番大きな中島は道路が広くて整備され、学校、病院は新築で立派な建物でしたが人が少ない、車が少ない、お店、食堂、スーパー、すべて閉まっていました。寂しい限りです。

 



飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十九弾:香川県直島&豊島観光
2011年11月22−23日


岡山県玉野市沖約3kmの香川県に点在するアートの島に足を運び美術館はもちろん、港や海岸、路地裏にまで現代アートが散りばめられている。自然と融合した独自のアートを体験したい直島、美しく変化する自然と人の営みの中にある食と現代アートの島、豊島を訪れました。

22日20:00車で出発、近畿中国山陽自動車道経由して岡山インター下車
22:10岡山駅付近のホテル到達、就寝。

23日7:00車で出発、宇野港に向かう。
7:55宇野港到達
8:22宇野港フェリーで出発
8:42直島宮浦港到達、車で巡る。

島の南端、琴反地海岸線沿いにふるさと創生事業の一環として建てられた施設。13棟からなる「邑」を形成し、ふる里の豊かさと喜びを体感できるよう、町内外に広く開放。島の子供たちが島外の子供たちとともに集団生活を体験することもできます。また、施設的には直島町ゆかりの崇徳上皇と若山牧水の歌碑が建てられていますふるさと海の家つつじ荘を訪れる。

香川県直島を舞台に展開されているアート活動の総称であり、直島の自然や地域の固有の文化の中に現代アートや建築を置くことによって、どこにもない特別な場所と経験を創造しようとする試みです。中核施設である「ベネッセハウス」は、安藤忠雄氏設計による宿泊施設を併設した現代美術館ヶあるベネッセアートサイト直島を訪れる。

ベネッセハウスと同じく建築家・安藤忠雄氏が設計。建築そのものが芸術作品となっています。クロード・モネの「睡蓮」と、直島に長くかかわってきた現代を代表する美術作家ジェームズ・タレルとウォルター・デ・マリアの作品が永久設置されています地中海美術館を見学。

ベネッセハウスミュージアム、野外展示、地中美術館などのある南側エリア、東へ車で10分程度で、本村地区があります。古い民家だけでなく城跡、寺、神社などもあり、空家なった民家などを利用してアートを展示しています家プロジェクトを散策する。

12:45直島宮浦港フェリーで出発
13:05宇野港到達
13:40宇野港フェリーで出発
14:20豊島家浦港到達、島巡る。

家浦港より南西方向に約2,9q行くと、遠くに大小の島影が浮かぶのどかな瀬戸内海の風景を間近に見渡せる浜、この地名の由来は「古事記」「日本書紀」に登場する海神)の娘である豊玉姫命)がこの地で鵜の羽を集めて造った産屋で鵜草萓不合命)を出産したと言う伝説から神の子の浜、神子ヶ浜と呼ばれるようになったと言われています神子ヶ浜を訪れる。

瀬戸内海を望む豊島唐櫃)の小高い丘に建設されるアーティスト・内藤礼と建築家・西沢立衛による美術館。休耕田となっていた棚田を地元住民とともに再生させ、その広大な敷地の一角に、水滴のような形をした建物が据えられます。広さ40×60m、最高高さ4.5mの空間に柱が1本もないコンクリート・シェル構造で、天井にある2箇所の開口部から、周囲の風、音、光を内部に直接取り込み、自然と建物が呼応する有機的な空間です。内部空間では、一日を通して「泉」が誕生します。その風景は、季節の移り変わりや時間の流れとともに、無限の表情を伝えます豊島美術館を見学。

豊島唐櫃地区王子ケ浜の瀬戸内海に面した松林の中にひっそりと建つ小さな美術館です。ここでは、世界中の人々の心臓音を集めて心臓の鼓動に連動して電球が明滅するインスタレーションにより、「一人一人の人間存在に固有性はありがらも、死とともに消滅してしまう」という生と死の対照性をあらわしています。訪れる方々一人ひとりが、この場所で自身の過去の経験や体験にもとづいて自分自身を発見し、感動を覚えるような場所であってほしいと願っていますクリスチャン・ボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」を見学。

16:40豊島家浦港フェリーで出発
17:19宇野港到達、帰路に向かう。

今回の旅行、クルーザーボートで何回も訪れたことのある香川県のアートの島、直島、豊島を訪れ、点在するアートの建築物と美術館を訪れ楽しめました。

岡山県と香川県に挟まれた瀬戸内海に点在する島、世界的にもアートの島として親しまれ国内海外問わず、多くの観光客が訪れています。

アートプロジェクトの瀬戸内の直島、豊島、犬島、小豆島、女木島、男木島、大島の点在するアート今注目されています。


 






飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十五弾:山口県見島観光
2011年10月22−23日


本州最西端の山口県に足を運び、山口県萩市の沖、北北西に約45kmの海上に浮かぶ、人口約1,300人の小さな離島。古くから海上交通の要所として、大変重要な島で、今では、グルメブームで見島牛ばかりが有名になった感がありますが、海の幸や天下一品のコシヒカリなどもおすすめ品です。また、本土では見られない特異な文化もこの島ならではのものがある見島を訪れました。

22日13:25新大阪新幹線ひかりで出発
15:27新山口到達
15:38新山口駅バスで出発
17:22東萩駅前到達
17:30東萩駅前付近のホテル到達後市街地を散策し食事を済ませて就寝。

23日7:30歩いて萩城下町を散策して
8:30萩港到達。
9:05萩港高速艇で出発
10:15見島本村港到達、散策する。


青銅製で直径39cm、表面に陰刻の銘文があります。銘文によると南北朝時代(1331〜1391年)に当桙フ地頭と推定される永裕が寄進したとあります。優れた工芸品であり、讃岐坊の釣鐘と並び当時の見島の文化の高さを物語る貴重な資料として、市指定有形文化財に指定されています鰐口(市指定文化財)がある見島神社を訪れる。

ナバ石とも呼ばれ、男性シンボルを表したもので、原始宗教の遺物とみられています。この笠石の笠の上に小石を乗せて拝むと子宝に恵まれると言われています。島内には7つあったとされていますが、形をとどめているものは駐在所横や発電所横などで見ることができます笠石
を訪れる。

明治7〜16年(1874〜1883)まで干ばつ、冷害等に見舞われ、島民は生存すら困難な状態に陥りました。そのため、萩の商人や銀行から現在の金額で50億円もの借金をしてしまい、担保の家や田など全てを手放す寸前となりました。しかし、窮状を知った県知事が派遣した役人の下、13年間、一切の娯楽(行事、酒、鬼ようず作り)を禁止、節約し、島民の共同一致の努力で全ての負債を返しました見島還債碑(見島総合センター)を訪れる

見島はかつて本州の一部で、第4紀(1万〜200万年前)に日本海陥没によって島になりました。そのため、本土と45qも離れていても本土と同じような生き物がみられます。イシガメ、クサガメもそのひとつで、「片くの池(大池)」にはこれらのカメが生息しているので国指定天然記念物に指定されました
カメ生息地(国指定天然記念物)を訪れる。


島にダムと驚かれることでしょう。平成13年に堤頂の長さ300m(西日本一)のダムが完成しました。堤頂から見た景色は、目下に八町八反(広大な田園)、目前に広がる日本海、水平線の先には本土が見え、すばらしい景観ポイントです。また、堤頂の端には緊急用のヘリポートがあり、島を感じることが出来るおもしろい所でもあります見島ダムを訪れる
        
横浦海岸一帯にある積石塚古墳群で、その数は約200基もあります。7世紀後半〜10世紀初めに作られた古墳で、高度な文化をもった指揮官クラスの墓ではないかと考えられています。名前の由来は、台湾語で地公墓という共同墓地の意味か又は、じいさんのことをジーコーという名残があるので両者のどちらかではないかと言われていますジーコンボ古墳群(国指定史跡)を訪れる

和牛の原型と言われる牛で、室町時代に朝鮮半島から渡来した当時の姿をそのままに伝えています。成長はおそく3歳で繁殖年齢に達し、7〜8歳まで成長し続けます。雌は20歳以上になってもなお分娩するものもいます。近年では、霜降りでとてもおいしい肉質をもつ牛として、TVや雑誌などでも紹介され脚光をあびています見島ウシの産地(国指定天然記念物)を訪れる

宇津港方面に向かう。

明治38年(1905)5月、見島沖で日本海海戦が行われ、撃沈されたロシアのバルチック艦隊の乗員55名(内重傷者10名)がボートで宇津海岸に漂着しました。島民は同じ海に生きる者として、治療と救護に尽くしました。 当時は共同負債を抱え苦しい生活をしていましたが、島民でも食べられない白米のおにぎりなどを食べさせたという記録も残っています
露兵漂着記念碑を訪れる

全国で三カ所といわれる正観音が祭られ、昔からご利益が多いといわれています。そのため、島民をはじめ北浦一帯、遠くは四国、九州からも参拝客があります。堂の崎には仏石の積まれた賽の河原もあり、独特の雰囲気があります。周囲は赤褐色の溶岩崖に囲まれ、崖下の海も美しく、天気の良い日には本土を眺めることもできる絶景の観光ポイントとしてもおすすめです 観音崎(宇津観音堂:市指定文化財)を訪れる

13:30宇津港到達。
14:10宇津港高速艇で出発
15:25萩港到達、歩いて東萩駅に向かう。
16:00東萩駅到達
16:25東萩駅前バスで出発
17:40新山口駅到達
18:06新山口駅新幹線のぞみで出発
19:58新大阪到達。

今回の旅行、中国地方の本州西端にある山口県に足を運び、萩沖45kmにある見島を訪れました。

めだった名所は無いが離島特有の素朴で自然いっぱいの風景、癒されました。
この島に訪れる観光客の目的は見島牛と海の幸、黒マグロでも有名であるグルメとバードウオッチングでしょうね。あとは釣り人とダイバーです。

見島には船便が少なく滞在時間は4時間しかとれなかったが十分に島を散策でき、新たな発見も有り楽しめました。










飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十三弾:伊豆諸島利島&神津島&式根島観光
2011年10月8−10日


野趣あふれる景観に包まれた山々や、豊かな海に囲まれた自然の宝庫、手つかずの自然が残り、かわいいイルカやクジラなどがすむ楽園、伊豆諸島に足を運び、伊豆諸島で一番小さく断崖絶壁に囲まれた利島、天上山登山や海水浴、海釣りなどが楽しめる神津島、海中温泉巡りができる式根島を訪れました。

8日18:00新大阪新幹線のぞみで出発
20:26品川駅到達、山手線で浜松町下車
21:00竹芝桟橋到達
22:00竹芝桟橋フェリーで出発
9日7:40利島到達、散策

桟橋ができる昭和55年(1980)まで、活躍した「はしけ」と呼ばれる小型船を展示した広場。接岸できない大型船と島とを結んで、はしけが人や物資を運んでいた時代を知ることができるはしけと海の歴史広場を訪れる。

明神様で親しまれる利島の氏神様を祭る神社。一見さりげなく立っているように見えるが、社の建造は宝暦10年(1760)と歴史があり、利島では最古の建造物だ。祭神の阿豆佐和気命は、伊豆諸島を造ったといわれる事代主命の子。島の南岸、宮塚山の中腹に本宮があるが、参拝に不便なので麓のこの場所に移された。正月三箇日、利島の人々は山廻りといって、米の御神酒を持って3つの神社に詣でるが、まず最初にここをお参りするのが通例になっている。そのため一番神様とも呼ばれる阿豆佐和気命神社を訪れる。

島の中央に位置する、標高508mの山。「海に浮かぶピラミッド」と呼ばれている利島独特の景観はこの山が作り出している。ハイキングコースも整備されている。南ケ山園地方面から登るのが一般的で、頂上までは登山口から約40分ほどの道のりだ。頂上近くの展望台からは、集落や正面に浮かぶ大島を見渡すことができる宮塚山を眺望する。

南ケ山園地からの展望は新東京百景のひとつに選ばれ、晴れた日には新島や式根島、神津島、三宅島などの島々を見渡せる。夜になればスターウォッチングポイントともなり、明かりの少ない利島ならではの満天の星空が広がる南ケ山園地を訪れる。

「利島の暮らし」をテーマに、縄文時代の出土品から現代の生活道具まで、実際に使われていたものを分かりやすく展示。都の文化財に指定されている銅鏡は必見。ほかに椿栽培や林業、漁業などの産業も紹介しており、時代とともに移り変わる利島の様子が手にとるように理解できる利島村郷土資料館を見学。

11:00利島港フェリーで神津島に向かう。
14:00神津島到達、レンタカーで巡る。

明治39年6月に建てられた旧役場の建物を保存し、その隣に、鉄筋造りの近代建設を増設した資料館で、島の歴史と貴重な文化財を保存継承しています。館内には、神話にも由来する神津島にとって、考古学的にも珍しい出土品や、島の歴史を物語る文献、古文書などともに島民の昔の生活を偲ぶ民具、又、最近発見された、江戸千石船の遺物と思われる、すずり、すりばち、300kgもある錨なども沢山陳列されています。
古代から現代までの神津島の歴史を知るためのパノラマや解説も見聞きできる興味尽きないところの神津島村郷土資料館を見学。

赤崎の入江を囲むように設置された木造の遊歩道。沖の小島まで橋が架けられており、目の前に広がる壮大な海の景色を楽しみながら散策することができる。遊歩道の途中には、木製のベンチや展望台のほか、飛び込み台が設けられており、海水浴のシーズンにはそこから海に飛び込んで遊ぶ人達で賑やかな雰囲気だ。遊歩道のある名組湾周辺は、ダイビングスポットにもなっており、美しい海中の景観を楽しむダイバー達も多く集っている赤崎遊歩道潮風の道を散策する。

神津島空港アクセス道路沿いに設けられた展望台。奇岩に囲まれた三浦湾や、波によって浸食された洞窟などを望むことができ、絶壁の上に生えている松とエメラルドブルーに輝く海とのコントラストが美しく、神秘的な光景が広がっている。好天時には、三宅島や御蔵島、三本獄、はるか八丈島まで見渡すこともできる三浦湾展望台を訪れる。

神津島の中央にそびえ立 つ台状山。標高は574mながら、景観は日本アルプスクラスの稜線を思わせる不思議な顔を持つ山です。灌木や草原、大小さまざまな岩が連なり、山頂付近には白い砂漠や天然の池もあります。 また、四季折々に咲く美しい花や植物とともに、晴れた日には富士山まで見渡せる景観のすばらしさは、新東京百景にも選定されているほどの天上山を眺望する

秀吉の朝鮮の役の際、戦争孤児として日本に連れてこられたオタアジュリア。クリスチャンであったジュリア終焉の地がこの神津島であり、島の人々に尽くしたジュリアを偲ぶため、この十字架が立てられたりま展望台を訪れる。

18:00港近くの宿に到着後、村を散策し食事を済ませて就寝。

10日7:30レンタカーで島一周。
10:30神津港、フェリーで出発
11:20式根島野伏港到達、散策

ジェットフォイル、式根島と新島を結ぶ連絡線が行き交う発着場として、島の玄関口の役割を果たす港。観光案内所や東海汽船の待合所のほか、とれたてのアオムロやトビウオを原料としたたたきを製造・販売するにいじま漁協式根島事業所などがある。船の発着時以外の時間帯、桟橋付近は釣りのスポットとなる野伏港を訪れる。

標高99mと式根島で最も高く、新東京百景にも指定されている神引山。駐車場から荒涼とした景色を見ながら階段を登っていくと、こんもりとした緑の森と真っ青な海がコントラストを描く風景が突如眼前にひらけ、島のダイナミックな自然を実感できる。パノラマ式展望台からは、神引湾はもとより、晴れていれば伊豆諸島や富士山までが見渡せる。樹林を縫う細道は美しく、サイクリングコースとしてもオススメ。見通しが利くことから、江戸時代はじめて近代的な日本地図を作成した伊能忠敬が、地図作成の測量のためここに足跡を記している神引山展望台を訪れる。

13:40式根島野伏港ジェットフォイルで出発
17:00東京竹芝桟橋到達
17:20浜松町駅山手線で出発、品川到達
17:47品川駅新幹線のぞみで出発
20:16新大阪駅到達。

今回の旅行、伊豆諸島に足を運び、まだ訪れたことの無い、利島、神津島、式根島の三島を巡りました。

神津島のみレンタカーで島をめぐり、利島、式根島はひたすら歩いて観光巡りしました。

これで伊豆諸島は小笠原を除く島すべて訪れることが出来ました。

小笠原の訪れいつになるのでしょうね。
世界遺産に登録されたし、早く計画立てたいものです。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十二弾:鹿児島県出水・川内&桜島観光
2011年10月1−2日


鹿児島県に足を運び、海沿いに海鮮グルメスポットや立ち寄り湯が点在し、美しい夕日が望め、ツルの飛来地として有名で武家屋敷群などの見所のある出水・川内、霧島屋久国立公園に指定され、現在も活動続ける活火山、裾野を一周する道路の周りはほとんど溶岩で迫力ある景色が続く桜島を訪れました。

1日15:10伊丹空港出発
16:30鹿児島空港到達、レンタカーで隼人に向かう。

天照大神の孫・瓊瓊杵尊を祭った神社。高さ23mの大鳥居をくぐり、杉木立の参道を上ると、朱塗りで入母屋造の社殿(重要文化財)と拝殿(重要文化財)が立つ。元は高千穂峰の山頂近くにあったが、度々の火山の爆発により約500年前にこの地に移築された。現在の社殿は1715年(正徳5)に、21代薩摩藩主・島津吉貴が寄進の霧島神宮を訪れる。

18:00隼人駅付近のホテル到達後、繁華街を散策、食事を済ませてから就寝。

2日6:00車で出発、水俣(熊本県)方面に向かう。

環境問題について正しい理解と認識を深め、環境に優しい行動を推進していくための「環境学習」「環境情報提供」の拠点として、平成5年8月、水俣市に設置された。館内には、大画面の映像が観られる環境シアターや、環境学習ができる学習ルーム、9000冊の環境関係書籍を備えた情報プラザ、暮らしと環境の関わりが学べるエコロジーハウス等の設備がある。また、環境指導員による環境学習も行っている熊本県環境センターの前で記念撮影。

水俣病の経緯を整理し、水俣病の歴史と現状を正しく認識し、悲惨な公害を二度と繰り返してはならないという切なる願いと、貴重な資料が散逸しないよう収集保存し、これを後世への警鐘としていくことを目的としている。館内では、写真・パネル・映像によって水俣病の歴史等を紹介しています。その他、水俣病の患者さんらから直接その体験を聴講する、語り部制度もある水俣病資料館の前で記念撮影。

出水方面に向かう。

ツルの越冬地で有名な出水市荒崎の田園地帯の一角にある。ツルが飛来する秋からシベリアへ旅立つ春先までオープン。約1万羽が訪れる出水市ツル観察センターを訪れる。

国の重要伝統的建造物群保存地区。麓とは、江戸時代に防衛上の必要から薩摩藩の外城として造った武家屋敷兼陣地のこと。なかでも出水麓は肥後との国境にあり、最大規模を誇った。石垣や武家門や蔵が復元された竹添邸のほか、武宮邸が一般公開されている出水麓武家屋敷群を訪れる。

川内方面に向かう。

城門から一歩足を踏み入れるとそこはもう武将の世界。勇壮な戦国時代の威風堂々の光景と遠き時代に想いをはせ、幕末・維新をリードした薩摩人「西郷 隆盛」の歴史的場面との二部に分けて人形や武具・甲冑などを使ってセット再現。しばしのタイムトラベルを満喫いただけます川内戦国村を訪れる。

串木野方面に向かう。

串木野金山の歴史と本格焼酎について紹介する産業観光スポット。坑道を利用した焼酎の仕込み蔵や貯蔵庫が見学できるほか、売店、食事処「ほたる庵」などがある焼酎蔵 薩摩金山蔵を訪れる。

九州自動車道経由して鹿児島港到達。
13:00フェリーで桜島に向かう。
13:15桜島到達。

鹿児島市街の対岸に位置し、今も噴煙を上げる標高1117mの海上火山。ホマーテ型の複式火山で有史以来30数回の噴火を繰り返し、1914年(大正3)の噴火で大隈半島と陸続きとなった。鹿児島港からフェリーで15分。島内には噴火を物語る史跡が点在する。なかでも火山灰や軽石に埋もれてしまった高さ3mの黒神埋没鳥居は上部分1mだけを残し、その噴火の威力を感じさせる桜島を訪れる。

桜島の入口、桜島ビジターセンターから錦江湾沿いに続く約3kmの遊歩道。溶岩と海が入り組んだ海岸線からは鹿児島の市街地も見渡せ、終点には烏島展望所がある溶岩なぎさ遊歩道を訪れる。

桜島中岳の中腹標高373m地点にある展望所。ここから仰ぎ見る南岳の山容や噴煙を上げるさまはまさに圧巻。眼下には鏡のように穏やかな錦江湾と鹿児島の市街地、南は開聞岳まで一望できる県内随一の景勝地の湯之平展望所を訪れる。

16:00鹿児島空港に向かう。
17:30鹿児島空港到達。
19:05鹿児島空港出発。
20:20伊丹空港到達。

今回の旅行、鹿児島県に足を運び、鹿児島空港付近の隼人から反時計回りで鹿児島北西部(出水、川内、串木野)巡ってから鹿児島港からフェリーで桜島に渡り観光してきました。

由緒ある武家屋敷が点在する出水を主とする鹿児島県に西部の海岸線のエリアと今尚活動続ける活火山の島、桜島の広範囲のドライブ観光楽しめました。

尚桜島に上陸すると火山灰がいっぱい、周囲は溶岩で覆われ、家も道路も火山灰が積もり、何処に行くにも火山灰が被り、気道に悪影響を及ぼしそうです。

住民の方は畑仕事と生活、かなり苦労されてるようです。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百六十弾:三重県鳥羽離島巡り
2011年9月22−23日


三重県に足を運び、豊かな海の幸、人々の笑顔、ゆっくり流れる時間、都会では忘れられた昔ながらの生活が色濃く残っている鳥羽湾に浮かぶ大小さまざまな4つの離島(坂手島、答志島、菅島、神島)を訪れました。

22日20:00車で出発、第二京阪伊勢自動車道経由して
22:00鳥羽内のホテル到着、就寝。
23日6:15車で出発
6:30鳥羽佐田浜港到達
6:52定期船で佐田浜港出発
7:02坂手島坂手港到達

佐田浜港の600m沖に浮かぶ小島。初夏に咲き乱れるカキツバタの群生と対岸の鳥羽市街の夜景が美しい坂手島を散策する。

5月中旬〜6月下旬に約2000株もの紫色のカキツバタが咲き誇り、訪れる人々を楽しませてくれるあやめ池を訪れる。

鳥羽湾に浮かぶ坂手島にあり、九鬼家ゆかりの書簡や伊勢神宮ご用達の船の旗などが納められている林昌禅寺を訪れる。

7:42坂手港定期船で出発
8:23答志島答志港到達

東西6km、南北3kmの長細い島。湾内では面積・人口とも最大の島で、観光イベントも人気を集めている。答志・和具・桃取の3つの集落は約4kmの答志島スカイラインで連絡。海水浴・釣り・温泉など、さまざまな過ごし方ができる答志島を散策する。

美多羅志神は五男三女の子をもつ神様で、子授けのご利益があるとされている。夫婦で参拝してつがいのアワビを奉納すると、美しい瞳の子供が授かるといわれている美多羅志神社を訪れる。

戦国時代に水軍の将として活躍した九鬼嘉隆は、関ケ原の合戦に敗れて答志島に逃走し、自刃する。「鳥羽城の見える地に」との遺言に従い、首は岬の頂上に、胴は麓に葬られた。首塚の石碑、胴塚の五輪の塔は、県の文化財に指定されている首塚・胴塚を訪れる。

9:50答志港定期船で出発
10:28佐田浜港到達
11:50佐田浜港定期船で出発
12:08菅島菅島港到達

標高237mの島の山頂は紅ツゲに覆われ、寒風の吹く季節になると美しく紅葉。現存する日本最古のレンガ造りの洋式灯台・菅島灯台へは遊歩道が延びている菅島を散策する。

1873年(明治6)に、イギリス人技師ブライトンの指導で建てられた総レンガ造りの洋式灯台。当時この地方ではあまりなじみのなかったレンガを、阿児町の瓦職人が苦心して焼いたとか。灯台内の見学はできないが、現在も海上の安全を守り続けている菅島灯台を訪れる。

14:20菅島港定期船で出発
14:45神島到達

鳥羽と愛知県の伊良湖岬の間にあり、三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台となった島として有名。1周約4kmなので、半日あれば小説に登場するスポットを巡ることができる。小説を片手に、素朴な町並みを歩きたい神島を散策する。

海で働く人々の守り神、綿津見命を祭る神社。三島由紀夫の小説『潮騒』の冒頭、主人公の新治が一気に駆け上がった214段の石段を上がりきれば、境内を囲む松林の向こうに海の景色が広がっている八代神社を訪れる。

1910年(明治43)に建てられた純白の灯台で、今も伊良湖水道の安全を守り続けている。内部の見学はできないが、渥美半島・篠島・佐久島・日間賀島に加え、はるか知多半島まで見渡すことができる神島灯台を訪れる。

旧日本陸軍が、砲弾の着弾地点を観測するために建てられた建物。コンクリートの無骨な造りだが、三島由紀夫の小説『潮騒』では新治が炎を飛び越えて初江を抱擁するクライマックスシーンの舞台となった。内部は自由に見学できる監的哨跡を訪れる。

ニワの浜を見下ろす岸壁にそびえる岩で、雪山のような隆起が美しい。石灰岩が海風や雨水に侵食されてできた一帯のカルスト地形は、市の天然記念物に指定されている。この一帯は海鳥の姿も見られるので、静かに見学したい神島不動石を訪れる。

椎名誠の随筆に描かれた、島の南西部に広がる美しい砂浜。海は一見穏やかそうだが、かなり潮の流れが速いので、浜辺で波とたわむれるか、釣りなどを楽しむ程度にしたい古里の浜を訪れる。

15:45神島港定期船で出発
16:40佐田浜港到達、車で帰路に向かう。

今回の旅行、近場の三重県鳥羽の4つの離島を訪れ、時間を過ごしました。

都会に近い離島でもあり人口、民家は比較的多いが観光名所は少ない。
唯一三島由紀夫の小説潮騒の舞台となった神島は、小説潮騒のゆかりの場が点在して見るべきものがありました。

1日で船便の時間の都合もあり、各島ゆっくり時間を取ることが出来ず、不十分な名所巡りとなりましたが、比較的時間の取れた菅島は島一周を巡る事ができました。
港から反時計回りで大山の山頂までは広い遊歩道でしたが、山頂から港までは道が狭く、又ジャングルのように木にはさまれ所々くもの巣が張り、くもの巣を掃いのけながら通過しました。

近場の4つののどかな離島巡り、都会の雑踏から離脱でき満喫しました。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十九弾:石川県能登半島&舳倉島観光
2011年9月17−19日


古都の城下町から日本海、白山山麓と、豊かな自然に囲まれた石川県に足を運び、ダイナミックな自然と日本の原風景が残り、新鮮な魚介や渚の温泉地に加え美術館や新名物・能登丼など、新旧の魅力が満載のエリア能登半島、能登半島の輪島港から北へ約48km、万葉集にも詠われた海女の島、最高点でも標高が12.4mしかない平坦な島で、西側は複雑な地形の崖が続き、東側の穏やかな入り江に港や集落があります舳倉島を訪れました。

17日13:14大阪駅サンダーバードで出発
16:10金沢駅到達、レンタカーで輪島に向かう。
18:00輪島到達、市内のホテルに入室後、繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。
18日6:30輪島市内を散策する。

10・25日を除き毎日立つ市は、輪島塗りと並ぶ輪島の名物。河井町の朝市通りには、夜明けとともに近在の町から鮮魚や野菜を運んできた人が次々と露店を出し、朝8時頃には200軒近くの店が並ぶ。売り手はいずれも農家や漁師のおかみさんたち。鮮魚や野菜のほか、乾物、洋服、骨董・民芸品など商品も実にバラエティ豊かな輪島朝市を訪れる。

日本でも少ない漆工芸専門の美術館。輪島塗の伝統的な名品をはじめ、人間国宝や芸術院会員などの作品、アジアを中心とした海外の作品なども所蔵。約2カ月に一度の割合で展示替えを行っている石川県輪島漆芸美術館の前で記念撮影。

8:30輪島港到達。
9:00輪島港フェリーで出発、舳倉島に向かう。
10:30舳倉島到達。

輪島港から50kmほど北の海上に浮かぶ、周囲6kmの島。6月上旬〜10月下旬に輪島市海士町が町ぐるみで島に渡り、海藻類・アワビ・サザエ漁を行ってきた。現在、島には約100戸の集落があるが、ほとんどは夏の仮住まい。海で漁をする海士の姿や静かな漁村風景が見られる、観光色を感じさせない離島だ。島全体が野鳥保護地区。バードウォッチャーの訪れも多いほか、周辺の海ではマダイ・石鯛などが釣れる。奥津姫神社、竜神ガ池などの見どころの舳倉島を訪れるが台風の影響ですぐさまリターン。島観光は次回の持ち越しとなりました。

12:30輪島港到達、レンタカーで珠洲方面に向かう。

国道249号を輪島から曽々木に向かう途中、海に向かって広がる約1万2000平方mの斜面に、1000余枚の小さな水田が幾何学模様を描いて並んでいる。階段状に作られたこれらの水田は、耕作地が乏しい土地ならではの工夫が感じられる。棚田に機械が入らないため農作業はすべて地元住民とボランティアによる手作業。道の駅千枚田ポケットパークから見る千枚田と海の眺めがいい白米の千枚田を訪れる。

能登半島最先端の岬。ここを境に、半島は外浦と内浦に分かれる。海上に浮かぶ七ツ島をはじめ、天気のよい日には遠く佐渡島や立山連峰を眺望可。海からの日の出と海に落ちる日の入りを、同じ場所から拝めるところでもある。突端に立つ高さ12mのドーム型の禄剛埼灯台は、日本海航路の重要な道標として1883年(明治16)に初点灯。光は34km先まで届き、「日本の灯台50選」にも選定。ウラジオストック772kmなどの標識が立ち、最果てムードたっぷりの禄剛崎を訪れる。

能登半島の最先端に立つ白亜の灯台。明治16年(1883)にイギリス人技師が設計し、扉や窓のモダンなデザインが異国文化を感じさせる。「日本の灯台50選」にも選ばれている禄剛埼灯台を訪れる。

松林越しに波静かな内浦の海を望む海岸で、海上に能登のシンボルともいえる見附島(別名軍艦島)が浮かぶ。弘法大師が能登へ巡行した際、最初に目に付いたためこの名になったといわれている。頂にだけ帽子を被ったように緑が茂り、側面の白い岩肌を際立たせている。周辺にはレストハウスや野営場、国民宿舎などもある見付海岸を訪れる。

「見附」という島名は昔、弘法大師が佐渡から能登へ渡った際、最初に見つけたことが由来とされている。長さ150m、幅50m、標高28mの無人島で、そのシルエットが岸に迫り来る軍艦のように見えることから軍艦島ともよばれている。引き潮の時間帯には、石積みの道を歩いて島のそばまで行くことも可能。周辺には遊歩道が整備されている見附島を訪れる。

内浦を代表するリアス式海岸の小湾。湾の中にもさらに数多くの入江があるという意味でこの名がある。海岸線には赤松が生い茂り、海に緑の影を落としている。湾の真ん中には弁財天を祭る蓬莱島が浮かび、湾口には日和山公園、湾内には遊覧船が運航する九十九湾を訪れる。

穴水方面に向かう。

海上に4本の丸太を四角錐に組み、その上に人が座り、海中に仕掛けた網にボラの群れが入るのを待つ漁法。10年ほど前までは春から夏にかけて実際にやぐらに乗って待つ人の姿が見られたという。現在は人の代わりに人形を置き、かつての漁法を今に伝える海のモニュメントとなってしまった。根木と中居の2カ所のポケットパークの海上で再現されたやぐらを見ることができるボラ待ちやぐらを訪れる。

門前方面に向かう。

1321年(元亨元)、瑩山紹瑾禅師によって開かれ、永平寺とともに曹洞宗の大本山として栄えた。江戸中期には全国に1万6000余りの末寺を有するほどの勢力を誇っていたが、1898年(明治31)の大火で大部分を焼失。本山は横浜市鶴見区に移され、こちらは祖院となった。現在は焼け残った山門、伝燈院に加え、再建された七堂伽藍が約6万6000平方mの境内に威風堂々と構えている大本山總持寺祖院を訪れる。

輪島のホテルに戻る。食事を済ませて就寝。

19日7:00レンタカーで出発、能登金剛方面に向かう。

福浦港から関野鼻までの、断崖絶壁が連なる海岸線。波で穴が開いた巌門や、しめ縄でつながれた機具岩、松本清張の『ゼロの焦点』の舞台となったヤセの断崖など美しい景観が続く。増穂浦には世界一長いベンチもある能登金剛を訪れる。

松本清張の小説『ゼロの焦点』の舞台として映画やテレビドラマに登場し、有名になった断崖。海面からの高さが35mもあり、断崖上に立つと足がすくむヤセの断崖を訪れる。

全長460.9m。なんと約1350人も座れる木製のベンチで、ギネスブックにも掲載されている。増穂浦の海岸線に沿って延々とつながっており、目前の海と空が夕焼けに染まる頃がロマンチックな世界一長いベンチを訪れる。

海の中にどっしりと構える大小2つの岩で、しめ縄で結ばれている。その昔、能登に織物業を広めた渟名木入比め命が山賊に襲われたときに機具を海に投げ込むと、突然2つの岩に変じたという伝説が残る。夕日が沈む頃、海が茜色に染まり、岩のシルエットが浮かび上がる光景は神秘的。伊勢の二見岩に似ているので、別名「能登二見岩」ともよばれ、海岸道路からも眺められる機具岩を訪れる。

日本海の荒波が数千年かけてうがった幅6m、高さ15m、奥行き60mの大きな洞門。日本海の波の力強さと、能登の自然の厳しさを象徴する能登金剛の代表的な存在だ。洞門そばには、源義経が兄・頼朝の追手から逃れて身を潜めていたという伝説が残る大きな洞窟もある巌門を訪れる。

福浦港を見下ろす日和山の一角に、高さ5.2mの木造の灯台が立っている。この地は日本で初めて灯台が造られた場所といわれる。1876年(明治9)に建てられたこの灯台は、1608年(慶長13)、日野資信という人物が暗夜の海を航行する船を守るために火を焚いたのがはじまり。以来、1910年(明治43)に旧福浦村営になるまで日野家が代々守ってきた旧福浦灯台を訪れる。

倶利加羅峠の合戦で破れた平維盛の重臣・平式部大夫はこの地に逃れ、幕府の天領地13カ村を治める大庄屋になった。それがこの平家で、建物もさることながら書院から見る庭園の美しさに定評がある。庭園は2つあり、池泉回遊式の前庭は江戸前期の作庭とされる枯滝を正面に置き、室町時代作という6つの面に六地蔵を彫った石幢がたたずむ。後庭は大正中期の枯山水で深山幽谷の趣の平家庭園を訪れる。

能登島に向かう。

能登半島近海にすむ魚介類を中心に、約500種4万匹の生物が飼育されている水族館。トンネル水槽「イルカたちの楽園」では、長さ22mのトンネル水槽からイルカたちが泳ぐ様子を見ることができる。愛らしいラッコやアザラシ、ペンギン、楽しいイルカ・アシカショーも楽しみ。2010年8月20日にオープンした「ジンベエザメ館 青の世界」では、7月に七尾市佐々波町沖の定置網で捕獲された体長4.8m、体重推定800kgのジンベエザメ1匹のほか、シュモクザメ、マアジの群れ、エイの仲間などを展示しているのとじま臨海公園水族館を見学。

七尾湾を見下ろす高台にあり、色鮮やかな中国清朝のガラス器など、世界のガラス工芸品が収蔵されている。なかでもピカソやシャガールといった美術界の巨匠の原案に基づき、イタリアのエジディオ・コンスタンチーニ工房が制作したガラス彫刻が圧巻。屋外に点在するガラス彫刻も興味深い石川県能登島ガラス美術館を見学。

もと小学校の校舎を利用したガラス工房。作家たちの制作風景が見学できる。ガラス製品の販売のほか、予約すればガラス制作体験も可能のたくみの里能登島ガラス工房を訪れる。

和倉に向かう。

スーパーパティシエの辻口氏が出身地七尾に開いたミュージアム。美術館では、長さ6mもの飴の壁画をはじめ、能登をテーマにしたシュークルダール(砂糖の飴の芸術作品)を鑑賞できる。パティスリーブティックでは、能登のヘルシー素材を使った「ミュゼ」や「のとミルクプリン」などオリジナルスイーツをはじめ、辻口氏の10ブランドの品々を販売。カフェスペースではスイーツを味わいながら、大きなガラス窓から七尾湾の景色も楽しみたい辻口博啓美術館 ル ミュゼ ドゥ アッシュを訪れる。

1階博物館は生活用品が並び、昭和初期の駄菓子屋などを再現している。2階おもちゃ館は貴重なブリキ製ロボットなど多種の玩具を展示する和倉昭和博物館とおもちゃ館を見学。

七尾方面に向かう。

七尾に残る2つの城跡の内の一つ。七尾城は1408(応永15)年室町幕府から守護に任じられた能登畠山氏が、1500年頃築城。城山に本丸、二の丸、三の丸などが築かれ、1577(天正15)年上杉謙信に滅ぼされるまで約170年間能登を統治した。本丸跡からは七尾市外と七尾城が見渡せる七尾城跡を訪れる。

羽咋方面に向かう。

1294年(永仁2)創建の日蓮宗の名刹。3代藩主前田利常の母・寿福院の追善のため70年の年月をかけて建てられた。能登随一の大伽藍をもち、本堂・祖師堂・経堂など10の堂宇は国の重要文化財。なかでも高さ34mの五重塔は、北陸では唯一の木造建築の五重塔で、書院前の庭園から見る姿は秀麗そのものの妙成寺を訪れる。

海を見下ろす高台にあり、厳かな雰囲気の中、国重要文化財の拝殿、神門などが立ち並ぶ。縁結びの大国主命を祭る神社で、創建は定かでないが能登一の宮としての格式を誇る。社殿背後の気多大社社叢(天然記念物)は「入らずの森」とよばれる神域で、シイや椿など常緑の老樹が鬱蒼と茂る気多大社を訪れる。

宇宙開発やUFOなどをテーマとした科学博物館。2階宇宙展示室には、実際に宇宙飛行して帰還した旧ソ連製のヴォストークカプセルなど、宇宙開発に貢献した貴重な資料を展示。世界で目撃されたUFOについての解説も興味深い。3階コスモシアターでは、ドーム型スクリーンに映し出される科学番組、ギリシャ神話にまつわるアニメーションを上映しているコスモアイル羽咋を訪れる。

宝達志水町今浜から羽咋市千里浜町にかけて海岸沿いに約8km、砂浜上のドライブが楽しめる。粒子の細かい砂が海水を含んだことにより、車が通れるほど固くなったドライブウェイは、大型バス、バイク、自転車の通行も可能。春〜秋は浜焼を売る茶店などが並び、夏は海水浴を楽しむ人で賑わう千里浜なぎさドライブウェイを通過する。

加賀百万石を陰で支え、200カ所以上の村を治めていた十村役筆頭の喜多家。茅葺きの十村役門はその象徴。約400年前の姿そのままに保存され、およそ4万2900平方mもの広さの敷地、藩主が訪ねた際の特別な玄関や座敷などを公開している加賀藩十村役喜多家を訪れる。

14:30金沢に向かう。
15:30金沢駅到達。
16:13金沢駅サンダーバードで出発。
19:05大阪駅到達。

今回の旅行、北陸地方の石川県に足を運び、海岸線の険しい大自然と点在する文化遺産、輪島から北50kmに浮かぶ秘境と呼ばれる島、舳倉島を訪れ2泊3日の旅、堪能しました。

生憎台風が近ずいており、舳倉島へのフェリーが島到着後すぐさまリターン、舳倉島には上陸できましたが、島内の観光は出来ず、次回持ち越しとなりました。

能登半島の殆ど全域が鉄道が無く、移動は車かバス、へき地を感じましたが、結構民家も人も多く、交通手段が遅れているのは不思議なぐらいです。

今回で石川県のほぼ全域を制覇、着々と全国制覇に近ずいています。頑張ります。




















和歌山県友ヶ島観光
2011年8月17日


紀淡海峡に緩やかな曲線を描いて浮かぶ神島、地の島、沖ノ島、虎島の四島を合わせた総称の友ヶ島に足を運び、第2次大戦の終わるまでは旧日本軍の軍用地で一般の人は立ち入ることが出来ず、島内には大戦中の施設も多く残され6カ所の砲台跡のほか紀伊防備隊の海軍聴音所、弾薬庫、軍馬舎、将校官舎、厠なども当時の面影を偲ばせてくれます。また、島内の歩道はほとんどがかつての軍用道路で、今も舗装されていない風情ある道路で島内を巡ることが出来ます友ヶ島の沖ノ島を訪れました。

12:20車で出発、阪神近畿阪和自動車道経由して
13:40加太港到達

供養のために2万体ともいわれるひな人形が奉納されている本殿は天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐で全焼した後、浅野幸長が再建、紀州徳川家初代・徳川頼宣が修復、江戸時代末期に第十代・徳川治宝が造営したものである。昭和54年(1979年)には傷みが目立つようになった社殿を覆うような形で新社殿が造営された淡嶋神社を訪れる。

14:00加太港フェリーで出発
14:20
沖ノ島友ヶ島港到達、散策する。

明治五年に英国人ブラントンにより設計された、日本で8番目に出来た洋風建築の灯台、
友ヶ島灯台を訪れる

第二次大戦まで使用された軍用地で今でも七ヶ所の砲台跡があります。

砲台は燈台と隣接していますが、非常に荒れていて草木が生い茂り、立ち入り禁止部分や閉鎖されたところもあります第1砲台を訪れる。

高台にある他の砲台と違って海岸線にあります。と言う事は敵艦からも発見され易く、そのためかより頑丈に作られていた様です。しかし終戦後に米軍によって爆破され、崩れ落ちたり、ひび割れしたりしている部分が多く、中心部は立ち入り禁止となっていて、残念ながら中には入れません第2砲台を訪れる。

規模も小さく、掩蔽部が残っているだけの第5砲台を訪れる。

聴音所とは水中のソナーで敵艦や潜水艦のスクリュー音などを察知し、発見する
任務を負った場所です。島内の砲台は陸軍の所属でここだけが海軍のものでした海軍聴音所を訪れる。

友ケ島で最も有名な場所です。観光案内などにも必ずと言って良い程ここの写真が使われています。その理由は最も規模が大きい事、将校宿舎から棲息掩蔽部に至るトンネル辺りが比較的整備されており、特に素晴らしい事などによるものでしょう。全部で4つの砲座がありますが、その内のひとつが整備され観光コースから簡単に降りれる様になっているのも良い第3砲台を訪れる。

大正期に放棄されました。他の砲台が一応終戦時まで存続したのに較べると20年以上先に放棄された事になります。場所が桟橋から離れている事もあり、訪れる人の少ない砲台です。構造は第3砲台と類似しており、やや小規模です。また全く手入れがされておらず、かなり荒れています第4砲台を訪れる。

大蛇伝説の残る、約400種もの植物が群生する湿地帯。「県指定文化財・天然記念物」の深蛇池を訪れる。

16:30
沖ノ島友ヶ島港出発
16:50加太港到達、帰路に向かう。

今回の近場の名所巡り、和歌山県の4つの島の総称、友ヶ島に足を運び友ヶ島の沖ノ島を散策し、明治期に建設され、第2次大戦終了時まで現役であった、しかし一度も実戦には参加する事のなかった砲台の煉瓦作りの遺跡と、関連施設の遺跡があり、廃墟好きな方にはたまらない砲台跡に接し時間を過ごしました。

意外と知らない近場の友ヶ島の遺跡巡り、楽しめました。










滋賀県びわ湖多景島&沖ノ島観光
2011年7月27日


滋賀県の日本一の水瓶びわ湖に足を運び、彦根彦根市街地の沖合い約6.5kmに浮かぶ周囲約600mの小さな島で、島全体が日蓮宗見塔寺の境内となっています多景島、近江八幡市から琵琶湖の沖合約1.5qに浮かぶ沖島は、琵琶湖最大の島です。周囲約6.8q、面積約1.53kuで琵琶湖最大の島です。約400人の人が住んでいます。湖沼の島に人が住む例は世界的にも少なく、学術的にも注目されています沖島を訪れました。

13:00車で第二京阪名神自動車道経由して彦根インター下車
14:30彦根港到達
15:10彦根港観光船で多景島に向かう。
15:30多景島到達、散策する。

島を眺める方向により多様な島影をみせるところから島名が付けられたと言われています。彦根市街地の沖合い約6.5kmに浮かぶこの島は、周囲600mあり、古く弥生時代から島そのものが御神体として崇められてきました。 「南無妙法蓮華経」と彫られた高さ10mの「題目岩」や、高さ20mの五箇条の御誓文が刻まれた「誓いの御柱」、「日蓮上人像」等がそれぞれ意味深い歴史を物語っています多景島を散策する。

明暦元年(1655年)に、琵琶湖に沈んだ人々と魚介類の供養の為に慈雲院日靖上人が開山した日蓮宗のお寺です。日靖上人は、越前の国大野の出身で、長浜の妙法寺で修行中の明暦元年、夢のお告げでこの島に渡り、石の宝塔と庵室を建立されたそうです。第3代彦根藩主の井伊 直澄は、法華経の信仰が篤く、彦根藩裏鬼門の祈願所としました霊夢山見塔寺を訪れる。

この岩は、高さ約6間(10.8m)、幅約4間(7.2m)あり、「南無妙法蓮華経」の文字が彫られています。元禄5年(1692年)に、命綱にぶら下がりながら三年の歳月をかけて日靖上人によって刻まれました。 題字は京都妙顕寺・勝光院日曜上人の筆で、一文字に米一俵が入ると言われています。また、桜田門外の変での井伊大老横死の際に、鮮血をにじませたとも伝えられています題目岩を訪れる。

若き日の日蓮上人の姿で、高さは6尺(約180cm)の日蓮上人像を訪れる。

第3代彦根藩主の井伊 直澄が、父・直孝に恩義を感じ、供養の為に、高さ8mの塔を建てた石造七重層塔を訪れる。

日本に一体しかない出山釈迦牟尼佛の座像が祀られている釈迦断食行像を訪れる。

大正13年(1924年)に建立され、島の一番高いところににあります。五角形の柱の五面それぞれに明治天皇の五箇条の御誓文が刻まれています。当時、滋賀県の警察部長だった水上七郎氏の呼びかけで、約70余万人から寄付を受け、紛争などが絶えない時代を巨ウすべく日本の中心地であるこの島に建立されました。皇室からも下賜金を賜ったそうです誓いの御柱を訪れる。

16:00多景島観光船で出発
16:20彦根港到達、車で堀切港方面に向かう。
17:00堀切港到達
17:15堀切港フェリーで出発
17:25沖島港到達、散策する。

琵琶湖の中ほどにある沖島は周囲約6,8q、面積約1,5kuで人口は約500人の有人島。藤原鎌足の子供が作ったという奥津島神社があり、清和源氏の落ち武者などが定住したのがはじまりらしい。淡水湖に人が住んでるのは日本ではここだけで世界的にも珍しい沖島を散策する。

7人の落武者の一人:茶谷重右衛門の末裔が蓮如(本願寺第8代上人)に帰依し庵を建てたことに始まります。寺宝には蓮如上人直筆の虎斑の名号と正信偈が残されています西福寺(浄土真宗本願寺派)を訪れる。

藤原不比等の建立に始まります。鳥居の社標は憲政の神様と呼ばれる尾崎行雄(愕堂)。宮世話は島で42歳になったものが1年間行い、その交代式は大晦日の深夜に行われます。春祭りは5月8日・秋祭りは9月20日の奥津島神社(祭神は奥津島比売命)を訪れる。

明治の学制発布により西福寺内に開設されたのが始まりで、明治42年に旧校舎地に移転、平成7年には現在の地に新築移転されました。小学校の給食はスクールボートに積み込み当番児童がリヤカーを使って学校まで運びます。中学生は昭和39年に分校が本校に統合されてからは、スクールボートで通学しています沖島小学校を訪れる。

長松寺(彦根市)の僧が記した沖島弁天記に弁天を祀ったとの記録が残されています。雨乞い弁天として信仰されており、明治9年にはこの地で雨乞いを行った記録も残されています弁財天(厳島神社)を訪れる。

沖島の住人西居某が蓮如上人に帰依し、法名を釈願證と授けられたことに始まります願證寺(浄土真宗本願寺派)を訪れる。

19:30沖島港フェリーで出発
19:40堀切港到達、車で帰路に向かう。

今回の近場の名所巡り、滋賀県のびわ湖に足を運び、歴史深い2つのびわ湖の島、多景島、沖島を訪れ点在する寺社、史跡巡りしてきました。

ヨットで何回か訪れたことのあるびわ湖の諸島、観光は初めてで時間をかけて2つの島をくまなく歩いて制覇しました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第百五十二弾:愛知県三河諸島観光
2011年7月23−24日


愛知県の今や世界一の自動車メーカートヨタの本拠地である豊田市や、抹茶の名産地である西尾市、八丁味噌の郷である岡崎市など産業が活発な地域、三河湾に望む美しい景観の渥美半島、風光明媚な蒲郡付近の山麓など、山海の自然に恵まれた三河に足を運び、愛知県の離島の三河大島、日間賀島、篠島、佐久島を訪れました。

23日12:30車で出発、第二京阪、京滋、名神、新名神、東名自動車道経由して音羽蒲郡インター下車

14:45蒲郡港到達
15:00蒲郡港高速艇で出発
15:15三河大島到達、散策

蒲郡の沖合3km、竹島海岸から船で約15分のところに浮かぶ無人島。毎年7月1日?8月31日の間、海水浴場が開設され、蒲郡や渥美半島を眺めながら無人島で泳ぐことができる。海水浴シーズンには竹島埠頭から定期船が運航し、リゾート気分が味わえる。ビーチは幅50m、長さ200mで、温水シャワーや海の家などが完備。全島を暖帯樹林が覆いトロピカルムードも満点で、海岸は、断崖や洞穴など変化に富み、島の北東には天然記念物のナメクジウオが生息している三河大島を散策する。

16:20三河大島港高速艇で出発
16:35蒲郡港到達、車で岡崎に向かう。

17:15岡崎到達、東岡崎駅付近のホテル到着後、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

24日6:40車で出発、一色方面に向かう。
7:30一色港到達
7:40一色港高速艇で出発、佐久島に向かう。
8:10佐久島西港到達、散策する。

一色港の南沖合約5qに浮かぶ三河湾最大の島。他の島に比べ歴史が古く、約40の古墳が島内に散在する。釣り・海水浴・潮干狩・史跡めぐり・ハイキング・海の料理等年中楽しめるレジャーアイランド佐久島を散策する。

崇運寺は、徳川家康ゆかりの寺とされる歴史あるお寺。海や西地区一帯を一望する小高い丘の上に建ち、境内に上るだけでも十分にいい気分になれるけれど、その一隅に設置された「ガリバーの目」(木村作品)を通して周囲を眺めると、もっと楽しい!こうやってのぞきこむと、3D画像のような不思議な世界が現れるガリバーの目&崇運寺を訪れる。

平成7年に佐久島出身者から寄付された民家を修復したもので、「弁天海港佐久島」構想に基づく活動拠点として、平成10年12月にオープンしました。この施設は弧を描いて港を望む西集落の顔に当たる場所に位置し、そこから奥に広がる家並みや小路は、人の心を癒す印象的な景観を形成しています弁天サロンを訪れる。

黒壁の家々を縫うようにして曲がりくねった路地を歩くと、こんなところに観音様が! かつてお店のウィンドーだったスペースに、「大和屋観音」(松岡作品)が鎮座ましましている。

波打ち際にそびえる、ちょっと奇妙で美しい黒い箱。こりゃいったい何だ?「おひるねハウス」と名付けられたこの作、用途はお昼寝だけじゃない。訪れた人の数だけ遊び方があるおひるねハウスを訪れる。

築100年、空き家になって50年の民家です。歴史好き、小説好き、映画好きの人は、ここで空想に浸ろう。イマジネーションの宝庫だ! 古い民家のたたずまいが歴史を感じさせるだけでなく、家全体が作品化されているせいか、何やら神聖な印象すら与える。台所のくど一つとっても物語が創れそうの大葉邸を訪れる。

東地区の路地も、西地区に負けない風情がある。この正念寺かいわいもなかなか味がある。歴史を刻んだお寺や神社が点在していて、古くからの民間信仰の神様に見守られているみたいな気分になる。正念寺に腰を据えた「海神さま」(松岡作品)もそんな神様のひとつ。この辺り一帯に、宮崎駿アニメの世界のような異空間的雰囲気が漂っているの正念寺の海神さまを訪れる。

10:00佐久島東港、高速艇で出発
10:30一色港到達、車で知多半島南端師崎に向かう。

11:45師崎港到達
12:05師崎港高速艇で出発、日間賀島に向かう。
12:15日間賀島東港到達、散策する。

知多新四国八十八ヶ所の霊場のひとつ。天候にも左右されますが、冬場の晴れの日、風があり、空気が乾燥している時に、なんと富士山が見えることがあります大光院を訪れる。

「タコの島 日間賀島」の由来ともなった蛸阿弥陀如来がご本尊。漁師の網に掛かり、引き上げられた如来様を大ダコがしっかりと守っていたからと言われています。法話と民話も聞けます安楽寺を訪れる。

昔のサメ漁から現在のタコ漁まで、様々な漁具を展示しています。日間賀島を知る早道です日間賀島資料館を見学。

反時計回りで島を一周し
13:40日間賀島東港高速艇で出発
13:50師崎港到達、篠島行きの高速艇に乗り換え出発
14:00篠島港到達散策

大小10数ヶ所の島々で、昔より「東海の松島」と呼ばれ渥美半島、 志摩半島を望む景観は風光明媚な島です。 特に松島に沈む夕日は、日本の夕日・朝日百選に選ばれています。また、古くから伝わる、歴史的な史跡が多く存在しています篠島を散策する。

今から1200年前、伊勢神宮の土之宮を観請し、造営されました。現在も神宮の古財が下賜されつくられています神明神社を訪れる。

義良親王(のちの後村上天皇)が嵐の中、篠島に漂着され親王の飲用にと掘られた井戸、帝井を訪れる。

篠島の照浜より引きあげられたといわれる薬師如来がまつられる寺院。八王子社のこま犬が薬師如堂の前に安置されている医徳院を訪れる。

鎌倉時代中期、正応元年(1288)伊勢の箕曲大社より観請された犬嫌いで知られる神社、八王子社を訪れる。

名古屋城築城の為、岩の切り出しに来島した加藤清正公が運び出しのため、枕をかったまま運び残した巨岩の清正の枕石を訪れる。

万葉集の歌碑が建てられています。展望台もあり、清正の枕石・日本夕日百選に選ばれた松島が見え、遠くには、鳥羽・神島など見えます歌碑公園を訪れる。

島の最南端にある公園、遠くに鳥羽や神島、伊良湖まで望むことができる。ここからの景色が島の中で一番という人も多い牛取公園を訪れる。

16:00篠島港到達
16:15篠島港フェリーで出発
16:30師崎港到達、車で帰路に向かう。

今回の旅行、関西の方はあまり知らない、訪れたことの少ない、三河湾に浮かぶ4つの島、三河大島、佐久島、日間賀島、篠島二足を運び、点在する社寺と史跡を訪れ、又自然に接し、一泊二日の旅、有意義な日々を送ることが出来ました。

離島は一般的に空いて行って、ひっそりしていますが、今回訪れた4つの島は海水浴シーズンもあって有り、多くの人が訪れ、活気に満ち溢れていました。

私と同様に海水浴客と違って観光を目的とする旅行客も多く、賑わっていました。
大都市名古屋の近場の離島ならでわのものでしょう。

又各々の離島は多くの観光客を呼ぶためアート有り自然有り史跡有り、なかなか工夫を凝らしているのがよくわかった三河湾4島離島巡りでした。














滋賀県竹生島観光
2011年6月22日


日本最大の湖、びわ湖がある滋賀県に足を運び、琵琶湖の長浜市葛籠尾崎沖約2kmに位置し、周囲約2kmの針葉樹で覆われた島です。西国第三十番札所の竹生島宝厳寺や都久夫須麻神社(竹生島神社)があり、古くから「神を
く島」として信仰されてきました。また、琵琶湖八景(深緑)の一つとしても数えられています竹生島を訪れました。

12:30車で第二京阪名神北陸自動車道経由して長浜インター下車
13:55長浜港到達
14:00長浜港フェリーで出発
14:30竹生島到達、散策

竹生島には、南側にこの島唯一の港があります。港に着いて上陸すると、琵琶湖周航の歌の一部を記した石碑があり、それを横目に進むと土産物店の気さくな店員さん達に迎え入れられました。

今から450年前、豊臣秀吉が寄進しました伏見桃山城の束力使殿を移転したもので、国宝となっています。本殿内部は桃山時代を代表する、優雅できらびやかな装飾が施されています都久夫須麻神社(竹生島神社)を訪れる。

祭神は湖水を支配する浅井姫命。明治4年(1871)の神仏分離以前は、竹生島明神、または竹生島弁財天社と呼ばれ、宝厳寺を別当としました。現在の本殿は、総桧皮葺、入母屋造り。正面には向殿が設けられています。創建以来、度重なる火災で焼失しましたが、戦国時代に再建されました。その後、豊臣秀頼が伏見城の日暮御殿(一説には豊国廟とも伝えられています)を移築し、改修を施しました。そのため、前後の軒に唐破風、周囲に庇(ひさし)をめぐらした複雑な建築になっています。内部には狩野光信筆の襖絵や絵天井があり、特に60の格間を持つ格天井は、金地の濃淡に四季の花弁を繊細なタッチで描いた秀作です。また、柱、床、長押には、黒漆地に花鳥文様の蒔絵が施され、豪華絢爛な桃山文化を現在に残しています。

その昔、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せ よ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりだそうです。そ の後、伝教大師、弘法大師なども来島し修業されたと伝えられています竹生島宝厳寺を訪れる。

唐門(国宝) 船廊下(重文) 観音堂(重文) 三重の塔 五重石塔(重文) 宝物殿 モチノ木 を見学する。

真言宗豊山派、厳金山の号を持つ、西国三十三観音霊場第30番札所。本尊の大弁財天は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁財天」の一つです。、都久夫須麻神社に続いている船廊下は、豊臣秀吉の御座船を利用して作られたもので、国の重要文化財になっています。その入り口に立つ唐門は国宝であり、こちらは京都東山の豊国廟から移築されたものです。奈良時代、聖武天皇の勅命を受けた高僧行基が、国内安穏、国家鎮護の祈りを込めて小堂に四天王像を安置したのが始まり、と伝えられています。

15:50竹生島フェリーで出発
16:20長浜港到達、帰路に向かう。

今回の名所巡り、滋賀県のびわ湖に浮かぶ竹生島に足を運び、歴史深い由緒ある神社と寺院を訪れました。

ボートで何回か訪れたことのある竹生島、上陸は初めてで、観光も今回初めての体験でした。

小さな島に密集した多くの歴史的建造物、驚きました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十八弾:広島県宮島&三次&帝釈峡観光
2011年6月18−19日


中国・四国地方の中心地、広島県に足を運び、丹波の天橋立、陸前の松島と並んで日本三景のひとつに数えられ、世界遺産の宮島、日本五大名狭の帝釈峡、スケールの大きな自然を体験できる三次・世羅高原を訪れました。

18日13:09新大阪駅新幹線のぞみで出発
14:38広島駅到達、山陽本線に乗り換えて
15:11宮島口到着、歩いて宮島口港に向かう。
15:25宮島口港フェリーで出発
15:35宮島港到達、散策

弥山原生林の麓にある公園で、宮島の紅葉の名所。モミジ、カエデの古木が多く、11月ごろになるとあたり一面が美しく紅葉したカエデに包まれる。なかでも紅葉谷周辺は最も美しいスポットの一つ。休憩施設も整っており、渓谷の流れに沿って散策出来る紅葉谷公園を訪れる。

江戸末期の豪商・旧江上家の母屋(登録有形文化財)と土蔵を利用した資料館。宮島の年中行事や人々の衣食住などを紹介している。弥山頂上の霊火堂から分火した不消の火も必見の宮島歴史民俗資料館を訪れる。

海を敷地に見立てた奇想天外さや、寝殿造の粋を極めた建築美を誇る壮麗な古社。593年(推古元)、推古天皇即位の年の創建と伝えられ、1168年(仁安3)平清盛が、現在ある寝殿造の様式を取り入れた社殿を造営した。本社を中心に、海へ突き出した平舞台(国宝)、高舞台(国宝)、能舞台(重要文化財)、客人神社(国宝)など20棟が、総延長約280mにも及ぶ朱塗りの回廊で結ばれている嚴島神社を訪れる。

平家一門をはじめ、時の権力者が奉納した太刀などの武具、舞楽面、楽器など3500点の美術工芸品を収蔵。なかでも清盛自筆の願文を含む平家納経33巻(国宝)は、一部を秋の特別展で公開するのでぜひ見ておきたい嚴島神社宝物館[嚴島神社]を訪れる。

宮島のシンボルにもなっている高さ約16m、支柱の周囲約10mの朱塗りの大鳥居(重要文化財)。楠の四脚造の鳥居は海中に自重で立っている。本社拝殿から200m先の海中にあり、干潮時は歩いて渡れる。嚴島神社入口・拝観受付に干満時刻表がある。海側の額には厳嶋神社、裏に伊都岐島神社と大書されている大鳥居[嚴島神社]を訪れる。

豊臣秀吉が建立した入母屋造の大経堂。工事の途中で秀吉が死去したため、天井の板張りや壁、正面入口が未完成のまま現在に至っている。畳を敷けば、857畳あるといわれるそのスケールの大きさから、通称千畳閣とよばれている豊国神社(千畳閣)[嚴島神社]を訪れる。

緑の木々を背景に、朱の色も鮮やかにそびえる五重塔の創建は、応永14年(1407)と伝えられている。高さ27m、唐様と和様の建築様式が美しく調和し、ひときわ目を引く。初層の内部は完全な唐様で、柱の上部には、金襴巻きの装飾画、壁には、極彩色の仏画が描かれている五重塔[嚴島神社]を訪れる。

18:30宮島港フェリーで出発
18:40宮島口港到達
18:55宮島口駅出発
19:20広島駅到達、レンタカーで平和公園付近のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。

19日6:30レンタカーで出発

三次・世羅高原方面に向かう。

地元特産のブドウを使った、三次ワインの製造工程が見学できる。試飲も楽しめ、バーベキューハウスではワインとともに広島牛を堪能できる広島三次ワイナリーを訪れる。

庄原・帝釈峡に向かう。

30ほどある帝釈峡の鍾乳洞のなかで神龍湖下流の天川洞と並ぶ規模をもつ。入口は狭いものの奥行き200mの見学路が整備され鍾乳石、石筍、石柱がライトアップされる白雲洞を訪れる。

帝釈にあるアーチ状の天然橋(天然記念物)。帝釈川の浸食作用で地底にも川ができ空洞が広がって下の川床が陥没、残った部分がアーチ状の橋になった。長さ90m、幅19m、高さ40mの壮大さで神の橋ともいわれ、昔は橋として実際に使用されていた雄橋を訪れる。

石灰岩が帝釈川に浸食され、約3億年前に形成された帝釈峡唯一の急流。激流が岩を噛み、渦巻く様が壮観の断魚渓を訪れる。

周囲24km、全長8kmの人造湖。両岸に高さ100mもの岸壁がそびえ、春の新緑、秋の紅葉の時期には観光客で賑わう神龍湖を訪れる。

福山駅に向かう。

17:50福山駅到達
18:31福山駅新幹線のぞみで出発
19:35新大阪駅到達

今回の旅行、中国・四国地方の中心地、広島県に足を運び、世界遺産の宮島、自然のエリア、三次・世羅高原・庄原・帝釈峡をドライブ観光してきました。

さすが世界遺産の宮島、観光名所多く、多くの観光客が訪れ、他の離島のようなのんびりした、素朴なイメージ無く、何回か訪れたことがありますが、派手さのある立派な観光名所でした。

広島は観光名所が多く、北部の自然エリアをはじめて訪れ、ワインや地ビールなどの数多くの産物、430年以上の歴史を持つ鵜飼の三次、古くから園芸が盛んな世羅高原、日本を代表する名狭、国定公園帝釈峡などを訪れ、広範囲のドライブ観光楽しめました。









兵庫県家島諸島家島本島観光
2011年6月15日


兵庫県の小さな島も合わせれば、四十四あるとも言われて、名前の由来は、神武天皇が遠出のさいに嵐にあい、避難された時、湾の中に入ると、その嵐が嘘のように静かになり、「まるで家のなかにいるようだ」と言われたことから、なずけられた家島諸島に足を運び、ひなびた離島をイメージして来ると覆されますが急斜面に、ぎっしりと建つ家々を見ていると、まるでここは地中海のように統一性はありませんが、独特の景色をかもしだしています。港は活気あふれ、大きな海運業の船や、漁師船の姿も見られます。入り組んだ迷路のような路地裏を散策するのも楽しい家島本島を訪れました。

12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して
13:50姫路港到達
14:00姫路港高速艇で出発
14:25坊勢島到達
14:35坊勢島出発
14:50家島本島到達、散策する。

家島本島の南端にある観音崎にかかる月の美しさを詠んだものです。赤坂清水を発見した法道仙人は観音崎に 住み、観音像を刻んだとも伝えられています。近くには法道仙人にゆかりがあり、形が魚の鰈に似ていることから「鰈岩」と呼ばれている 奇岩があります。この周辺は、変化に富んだ海岸線が楽しめる絶好の景勝地です。 宮港より徒歩で約32分の観音崎を訪れる。

家島本島の宮の南端、観音崎近くの海岸線にある奇岩です。この奇妙な名前はある伝説に由来しています。昔、観音崎に住んでいた法道仙人が、そばを通りかかった船に食べ物を求めたところ、 漁師は食べ残した鰈を与えました。怒った仙人が鰈を海中に投げ捨てると、にわかに嵐が起き、漁船は沈没してしまいました。その後、 鰈を捨てたところに鰈の頭そっくりの岩ができ、鰈岩と呼ばれるようになったということです。鰈岩の周辺は入り組んだ海岸線の奇観が 楽しめます。
宮港より徒歩で約32分の鰈岩を訪れる。

瀬戸内海を飛来する渡り鳥が多く見られ、バードウォッチングが楽しめます。野鳥の森から海底送水管送水 ルートにかけて続く遊歩道を散策するのも一興です。
真浦港より徒歩で約23分の野鳥の森遊歩道を訪れる。

家島事務所から約600m南の破風と呼ばれる地区にある湧水と、櫻谷に降る雪景色を指しています。赤坂清水 は「破風の井戸」の名でも親しまれています。昔、伝説上の人物として知られる法道仙人が島に来遊したときにこの井戸を発見され、どんな干ばつのときにもかれない井戸と伝えられています。ちなみにこの井戸は、水道が引かれるまで地区の貴重な飲み水として利用されてい ました。
真浦港より徒歩で約17分の赤坂清水・櫻谷雪景を訪れる。

家島本島の宮港の入江に船を寄せ、一夜を明かす興趣を指しています。「播磨鑑」の漢詩では、当時の停泊の 様子を「入江のほとりは小さな山に囲まれて、青く澄んだ海は穏やかだ。高い帆柱を横にして小さな流れに舟をつないでいる」と表現して います。 この社はその昔、滋賀県高島町にある白髭神社から勧請されたものと伝えられています。 「播磨鑑」の漢詩は「神のご威光はおごそかで、全ての悩みを助けてくださる。周囲の緑がお霊屋を隠しているが、付近の港を率いているようだ。世の中が順調なのは仏が姿を変えて助けてくださるからだろう。風景は麗しく輝き、年々咲く花も美しい」と意訳されます。 宮港より徒歩で約7分の宮浦夜泊・宮浦神社を訪れる。

家島本島・宮港の東の天神鼻にあり、神社の周囲は島唯一の原生林に囲まれています。平安時代、時の右大臣、 菅原道真公が左遷により太宰府に向かう途中、島に立ち寄り、休憩した跡に小さな社を建て、その後、社殿を新築したと伝えられていま す。また、「続日本後記」には、承和7年(840)に、宮社になったことが記されています。祭神は大己貴命、小名彦命、天満天神で、毎年7月25日に行われ、壇尻船が出る勇壮な夏祭りは、家島神社の例祭です。
宮港より徒歩で約13分の家島神社を訪れる。

家島本島の天神鼻にある家島神社付近の美しい樹林です。その昔、菅原道真が平安京から太宰府に配流される 途中に立ち寄ったと伝えられています。「播磨鑑」の漢詩では「光り輝く道真公の霊廟がある嶮しい崖は晴れわたり、銀色をした入り江は、 冠の紐を洗うことができるほどだ。梅の花はまるで雲のように見え、その香りと色は十分だ。天神の森の評判の高まるのは当然だ」と訳さ れています。
宮港より徒歩で約13分の天満霊樹を訪れる。

海が作り出した自然名勝です。宮港より徒歩で約13分の天神鼻を訪れる。

寛永16年(1639)、海上警備のために江戸幕府が設けた番所(見張所)からの素晴らしい眺めのことで す。家島本島にある清水公園がかつての番所の位置にあたります。「この場所から見る入江の風景は周囲を圧し、夕日にひときわ映える光 景は煙霧の中に見える対岸の姫路城の天守閣だ」と「播磨鑑」には記されています。 宮港より徒歩で約12分の監館眺望を訪れる。

家島本島、宮の山上にあります。苑内には多くの伽藍が並び、無数の地蔵尊が奉納されています。周囲の眺望も 素晴らしく、家島港内はもとより男鹿島や瀬戸内海が一望できます。また、春には桜の名所として親しまれています。
宮港より徒歩で約18分の万体地蔵苑を訪れる。

家島本島・真浦区民総合センターの隣にある亀の形をした岩です。主人の帰りを待ち続けた亀が石になったと 伝えられるこの岩は、水天宮として地元の信仰を集めています。 真浦港下船後すぐのどんがめっさんを訪れる。

家島本島・真浦港の近くにある標高約70mの城山のことを指します。城山という名前は、中世の頃、この山頂 に城郭が築かれていたことに由来します。当時、飯盛山と呼ばれていたこの山に城を築いたのは、苦瓜助五郎本道と伝えられ、現在も構居 (砦)跡と老松数本が往時の様子をしのばせます。ここから見下ろす家島湾の眺望も必見です。 真浦港より徒歩で約5分の城山公園を訪れる。

間浦は、現在の家島本島の真浦です。「間浦古郭」は室町時代、京都の石清水八幡宮の所領だった頃、苦瓜助五郎本道という役人が、家島諸島に赴任し城山(飯盛山)に築いた城跡のことだと伝えられています。ここからの海の眺望には素晴らしいものがあります。 真浦港より徒歩で約5分の間浦古郭を訪れる。

18:15真浦港フェリーで出発
18:45姫路港到達、帰路に向かう。

今回の名所巡り前回の続きで兵庫県の家島諸島に足を運び、家島諸島で最も栄えた家島本島を訪れ点在する自然と歴史的建造物にふれ楽しめました。

離島といえば過疎地、しかし家島本島は姫路から近いこともあり人口が多く、家並みも多く立派でした。他の離島では考えられない若い方が多かったのが驚きです。家島本島内での仕事はたくさんあるのでしょうね。








兵庫県家島諸島坊勢島&男鹿島観光
2011年6月1日


兵庫県の瀬戸内海の東部に位置する諸島、淡路島・香川県の小豆島・本州に囲まれ、本州の姫路市の沖合い 18km に位置し播磨灘の海域に属す。東西26.7km、南北18.5kmにわたり大小40余りの島嶼で構成される家島諸島に足を運び、漁師の島、国内屈指のとても漁師の多い町で、港には至るところで、若い漁師達の力強さを感じとることができる。八月の第一土曜には、ぺーロンフェスタが開催され、各地から多くの参加者が集い、熱戦を繰り広げます。また、展望台からは、360度の風景が見渡せます坊勢島、まるでグランドキャニオンに来たかのような、砕石場の断崖絶壁は圧巻!!また、砕石場の跡地を利用して建てられたダチョウ牧場や鹿公園などもあります。そしてなんと言っても砂浜が綺麗。毎年八月の第一土曜日には、立ての浜海水浴場で地引網も行っています男鹿島を訪れました。

12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して
13:50姫路港到達
14:00高速艇で出発、坊勢島に向かう。
14:30坊勢島到達、散策する。

坊勢島奈座港の入り口に、海からぽっかり突き出した岩山で、弁天島とも「神権さん」とも呼ばれて親しまれ、 岩の上には漁師の守護神である弁財天がまつられています。この島は、伝説の島としても知られています。昔、掟破りの漁ばかりする漁師とその娘が、漁に出たところ、珍しく大漁となり、喜び勇んで港を目指しましたが、途中で、激しい嵐に 見舞われ、船が転覆寸前になりました。娘は父に、「嵐は無法な漁のたたりだから、魚を海に返すように」と説得しましたが、父は聞き入れません。娘は自分を身代わりにと、自ら海に身を投じたところ、嵐はおさまり、水煙がみるみる固まって岩になりました。この娘の心が まるで弁天様のようだということから、この岩が弁天島と呼ばれるようになったということです。 坊勢島港よりすぐの神権伝説の島(弁天島)を訪れる。

坊勢島の「海の公園」づくりのために、平成元年に完成しました。 坊勢島港より徒歩で18分の坊勢海水浴場を訪れる。

坊勢島の奈座地区にある坊勢寺跡で往時を偲ぶ漢詩です。その昔、島に比叡山西塔実相院の高僧、覚円が配流さ れました。その後、覚円を慕って比叡山の若い僧が大勢島に渡ってきたと言われています。ちなみに坊勢という島名は覚円にちなむとも、 百済の王子の子孫で、坊勢法師と名乗る海の軍人の首領にちなむとも言われています。 坊勢島港より徒歩で約6分の坊勢寺跡を訪れる。

坊勢島奈座港西端の山頂にあり、瀬戸内の眺望が楽しめます。建立は元慶7年(883)以前と伝えられていま すが、詳しい年次は不明です。蛭子大神を祭神とし、例祭として坊勢の秋祭りが毎年行われます。
坊勢島港より徒歩で約12分の恵美酒神社を訪れる。

瀬戸内に開けた港や灯台など、島ならではの情緒が楽しめます。坊勢島港より徒歩15分の坊崎を訪れる。

16:00高速艇で男鹿島に向かう。
16:09男鹿島到達、散策する。

毎年、海開きの7月初旬を待ちかねるように、美しい海を求めて、京阪神から大勢の海水浴客が家島諸島に 集まります。澄んだ海、白い砂浜に恵まれ、マリンスポーツや、日光浴が楽しめます。 男鹿島港下船後すぐの立ノ浜海水浴場を訪れる。

新たな憩いの場をと、町では2番目の鹿公園として平成4年完成しました。 男鹿島港より徒歩で約3分の男鹿島鹿公園を訪れる。

男鹿島の淡賀楯崎の岬から望む播磨灘の眺めれる場です。古来、楯崎は月の眺めが良い場所と言われ、林の中にはお地蔵様がまつられてきました。近年、この場所には島名にちなんで鹿公園がつくられ、新しい観光地になっています。 男鹿島港より徒歩で約3分の淡賀楯崎を訪れる。

男鹿島の北東に位置し、立ノ浜と並ぶ海水浴場です。毎年、海開きの7月初旬になると、美しい海を求めて、京阪神から大勢の海水浴客が訪れます青井ノ浜海水浴場を訪れる。

17:49高速艇で姫路港に向かう。
18:10姫路港到達、車で帰路に向かう。

今回の名所巡り、兵庫県の家島諸島に足を運び、坊勢島、男鹿島の2つの島を訪れ散策し史跡巡りしました。

以前クルーザーで何回も訪れた家島諸島、海水浴兼バーベキューでしたが今回は初めての観光、離島も歴史があり史跡が点在しています、楽しめました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百四十四弾:岡山県笠岡諸島観光
2011年5月21日ー22日


生きた化石、カブトガニの養殖で有名な岡山県笠岡に足を運び、岡山県の西端、笠岡市に属し、高島・白石島・北木島・真鍋島・小飛島・大飛島・六島の7島で構成されている。主産業は、漁業、石材加工業、観光である。近年、漁業ではノリの養殖が盛んである笠岡諸島を訪れました。

21日12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して笠岡インター下車
15:00神島外浦港到達。
15:22神島外浦港フェリーで出発
15:29高島港到達

笠岡市笠岡港から約12km、瀬戸内海の中央に飛び石状に浮かぶ笠岡諸島の最北端に位置し、国の名勝に指定されている風光明媚な島。古くから瀬戸内海航路の要衝として栄え、「古事記」に記されている神武天皇東征の際の高島行宮が置かれたのがこの島という説がある。かつては採石業と海運業が盛んだったが、民宿が増え、今では観光と漁業の島となっている。島の南側には、尾根伝いに延びる遊歩道があり、登っていくと、途中の展望台からは360度、瀬戸内の穏やかな風景が見渡せる高島を散策する。

陰石としては日本屈指の巨石。昔から良縁、子授け、安産、婦人病の霊神として崇められている。山の頂にあり、展望も素晴らしい
子はらみ石を訪れる

笠岡諸島を望みながら、海水浴が楽しめる
高島海水浴場を訪れる。

島の南側に瀬戸内海の眺望を楽しみながら散策できる全長2kmの遊歩道がある。途中の展望台からは、晴れた日には瀬戸大橋まで望める遊歩道展望台を訪れる。

神武天皇が高島滞在の折、吉凶を占った山と伝えられ、山頂には「高島行宮遺趾」と題した自然石の巨碑がある。展望台からは笠岡諸島をはじめ、瀬戸内海の大パノラマが広がる。また、神卜山へ向かう遊歩道沿いには、神武天皇が天つ神にお供えする水を汲んだと伝えられる「眞名井」が残っている神卜山を訪れる。


神武天皇が滞在した吉備高島行宮跡と伝えられる神社、高島神社を訪れる。

17:13高島港出発
17:19神島外浦港到達、車で水島方面に向かう。
18:30水島市内のホテル到着後繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
22日6:10車で出発、笠岡港に向かう。
7:00笠岡港到達。
7:25笠岡港高速艇で出発、白石島に向かう。
7:47白石島到達、散策する。

笠岡市笠岡港から約16km、笠岡諸島の中では比較的本土に近い島。花崗岩の地肌が遠くから白い雪をかぶったように見えることから、白石島と呼ばれるようになったといわれており、国の名勝にも指定されている。江戸時代には備後鞆と備前下津井を通る内海の沿岸航路の中継地として栄えた。備後福山藩時代に干拓が行われたため、笠岡諸島の中では平地が多い島となっている。主産業は漁業で、底引網や定置網、ノリの養殖などが営まれている。島には観光資源が多く、海水浴場もあるため、特に夏場には多くの観光客でにぎわう白石島を訪れる。

瀬戸内海国立公園の自然景観美が楽しめる海水浴場、白石島海水浴場を訪れる。

弘法大師が唐から帰朝の途中に立ち寄り、一寸八分の尊像を刻んで島に残した。島民は、尊像をまつる大師堂を建て、笠岡市神島に開いた八十八箇所の奥の院としたという。元暦元年(1184年)、源平水島合戦での平家の戦死者を弔うため、慈眼寺が建立され、寛永2年(1625年)に開龍寺として再建された。昭和43年には、タイ・バンコクの名刹ワットパクナム寺院から仏舎利と釈迦如来像が奉納され、同45年にはタイ式仏舎利塔が日本で初めて建立された弘法山開龍寺を訪れる。

8:45白石島フェリーで出発
9:20真鍋島本浦港到達、散策。

笠岡市笠岡港から約31kmにある島。年間を通して霜のおりない温暖な気候で、秋から冬にかけて穏やかな斜面の畑は、寒菊などの花でいっぱいになる。西行法師の「山家集」に詠まれており、民俗行事もいくつか残っていて、歴史を今に伝える島である。島名は、真南辺の島、つまり備中国小田郡の南端にある島という意味で、後に真鍋の字をあてたと考えられている。平安時代末期に藤原氏の一族が水軍の根拠地を置いて真鍋氏を名乗り、全盛期には付近の島々をことごとく支配下に治めていたという。島には、源平合戦で平家方に属した真鍋氏の城趾や供養のために建てたと伝えられる石造宝塔などの史跡がある。港には石積みの堤防があり、のどかな漁村の佇まいを残している島として、岡山県が「ふるさと村」に指定しており、「瀬戸内少年野球団」など映画のロケ地にもなっている真鍋島を訪れる。

花の広場とフィールドアスレチック。花畑と展望休憩施設もある真鍋島ふれあいパークを訪れる。

笠岡市北木島や飛島をはじめ、福山市の島々を一望できる天神鼻展望台を訪れる。

天神鼻にある菅原道真公をまつる神社。境内からは弥生式土器が出土している天神社を訪れる。

延暦14年(795年)に弘法大師が開いたと伝えられる真言宗の古刹、円福寺を訪れる。

真鍋島の鎮守社で、応神天皇・神功皇后のほか三女神をを祭神とする。元禄時代(1688年から1703年)の創建と伝えられる八幡神社を訪れる。

11:00真鍋島本浦港フェリーで出発
11:15北木島大浦港到達、歩いて豊浦方面に向かう。

笠岡市笠岡港から約26kmの笠岡諸島の中央に位置する、笠岡諸島の中で最大の島。島のほぼ中央の笠岡諸島最高峰の葩栗山を中心に急峻な山々が連なっている。かつては柴島と呼ばれていたが、「柴」の字を「北木」の2字に置き換えたのが島名の由来といわれる。戦国時代には真鍋島の真鍋氏の支配下にあり、江戸時代には備後福山藩の所轄となった。古くから「北木御影石」で知られる「石の島」として有名で、江戸初期の大阪城修築の際には、大量の石垣石を送り出している。明治以降、石材の採掘が本格化し、東京の日本銀行本店、三越本店、日本橋、靖国神社大鳥居をはじめ、多くの構築物に北木石が使用されている北木島を訪れる。

東京オリンピックの時、代々木第2体育館の地下回廊を飾る彫刻を製作するために来島した彫刻家・水井康雄氏が島に残した作品で、北木中学校の校庭にある北木島山水を訪れる。

北側・南側に砂浜があり、中央部には松林が広がる。楠海水浴場・キャンプ場がある松原の白砂青松を訪れる。

元和6年(1620年)に始まった大阪城修築工事にあたり、石垣に用いる巨石が切り出された跡。大岩の下半分のみが波に洗われる状態で残っている矢倉の磯を訪れる。

北木石を使った彫刻作品を展示する第1回石彫シンポジウムの作品のひとつメビウスの輪を訪れる。

15:45北木島豊浦港フェリーで出発
16:05小飛鳥経由して
16:10大飛鳥洲港到達

笠岡市笠岡港から約30kmにある島。大飛島、小飛島をあわせて「飛島」と呼ぶことが多い。笠岡諸島は古くから瀬戸内海の交通の要衝で、中でも大飛島付近は瀬戸内海の東西の潮が離合する場所といわれ、往来する船がこの地で潮待ちをしていたと考えられている。奈良時代から平安時代にかけての祭祀遺跡が発見され、おびただしい数の奉献品が出土したことからも、重要な地であったことがうかがえる。平安時代から真鍋島の豪族・真鍋氏の支配下にあったとされ、元禄時代(1690年代)に移住したのが開拓の始まりといわれている。かつては、大飛島の南東にある大浦港の近くから、東に砂洲が鳥のくちばしのように小飛島に向かって延び、大飛島と小飛島を結ぶ海中の架け橋ともいわれていたが、潮流の変化もあって、現在ではほとんど見ることができない小飛島・大飛島を訪れる。

小飛島にある飛島の氏神様、嶋神社をフェリーから望む。

干潮時には小飛島に向かって幅30m、長さ350mの砂洲が現れていたが、最近は昔のように立派な砂洲は現れなくなった。笠岡市指定の天然記念物の大飛島の砂洲を訪れる。

昭和37年、飛島中学校の生徒が土器片数個を発見し、発掘調査で奈良三彩の壺、宋銭、銅鏡、装身具など、奈良時代から平安時代にわたる数百点の遺物が出土した。国指定重要文化財。海路の安全を祈願した祭祀遺跡とみられている。笠岡市指定の史跡の大飛島洲の南遺跡を訪れる。

17:00大飛鳥洲港フェリーで出発。
17:57笠岡港到達、車で帰路に向かう。

今回の旅行、得意な離島巡り、岡山県笠岡に足を運び、岡山県の西端、笠岡市に属し、高島・白石島・北木島・真鍋島・小飛島・大飛島・六島の7島で構成されている笠岡諸島を訪れ、意外と歴史深い史跡が点在しもっぱら散策して巡り楽しめました。

残念ながら船の便の時刻に合わず六島を訪れることが出来ませんでした。次回期待したいと思います。

いつもながら素朴でのどかな離島、今回も同様で村人は若い人は皆無、老年の方のみしかお会いできない。島内では仕事が無いので若い方は都会に向かい島から出て行く有様。年々人口が減り過疎地となる。離島の将来はどうなるんでしょうね。心配です。















兵庫県淡路島沼島観光
2011年5月11日

大阪湾、播磨灘、紀伊水道に囲まれた国内第7位の規模の淡路島に足を運び兵庫県淡路島の南方、紀伊水道に浮かぶ島。南あわじ市に属し、淡路島の南方4.6キロメートルにあり、結晶片岩からなり、奇岩と断崖が連続し、瀬戸内海国立公園の一部である。縄文後期からの土器片も出土し、古代の海人族が居住した地とされる。『古事記』の国生み神話にみえる淤能碁呂島とされ、伊邪那岐信仰の厚い漁業専業の島、沼島を訪れました。

12:30車で阪神第二神明淡路鳴門自動車道経由して西淡三原インター下車
14:30土生港到達
15:00土生港フェリーで出発
15:10沼島到達、散策。

元慶四年(880年)に開基された由緒あるお寺です。宮寺であるのでこの寺の僧が、神官とともに沼島八幡神社の守護にあたりました。梶原氏の菩提寺でもあったので、厨子、紺紙金泥経、曼陀羅など、数々の宝物は梶原氏の寄進と伝えられます。本堂の裏の傾斜地を利用し、岩盤を生かした「築山式枯山水庭園」は市指定史跡名勝天然記念物の神宮寺を訪れる。

永享8年(1436)梶原俊景が京都石清水八幡宮の分霊を阿万八幡宮を通じて勧請し創建したと伝えられます。かつては水軍の拠点であり、昔から海を生活のより所としてきた沼島の生活をうかがいしれる絵馬13額が掛けられ、全国的にも珍しい逆羅針盤が天井に奉納されています沼島八幡神社を訪れる。

松香石という特殊な石でつくられている。古くから梶原景時の墓と伝えられており、この塔の造立年代も鎌倉初期のものと見られている 梶原五輪石(梶原景時の墓)を訪れる。

室町時代に10代将軍足利義稙によってつくられたという説が一般的に通っているが、作庭手法や歴史的考察から見て、江戸時代初期ではないかという説もある。沼島の特徴である緑色片岩を利用し、地層を生かして作庭している力強さあふれる石組の庭の沼島庭園(伊藤邸の庭)を訪れる。

沼島庭園の入り口にある井戸。沼島では井戸のことを「川」と呼び、この井戸も別名・王川と呼ばれている。現在も枯れることなくきれいな地下水が湧き、汲みにくる地元の人も多い八角井戸を訪れる。

小高い山の上、まるで天に届くかのようなまっすぐな階段を上ると、到着する。この山全体が「おのころさん」と呼ばれる神体山だ。天地創造の神であるイザナギ、イザナミの二神を祀っているおのころ神社を訪れる。

17:10沼島フェリー乗り場到着
17:40沼島フェリーで出発
17:50土生港到達、車で帰路に向かう。

今回の名所巡り、淡路島の国生み神話に伝わる、神々がつくり出した最初の島「おのころ島」だという伝説が残り、今もなお自然のままの姿を残す、神秘の島・沼島を訪れ点在する社寺と史跡を巡りました。

ヨット、クルーザーで何回か訪れた沼島、マリンスポーツでの楽しみと島周囲の点在する神岩を確認したことがありますが島内部陸地の観光は初めてで、散策して、由緒ある島であり、歴史深い島であることが改めて知ることが出来ました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第百三十六弾:鹿児島県甑島観光
2011年3月19ー21日


日本本土最南端、総面積は9,187平方キロメートルで、薩摩半島、大隅半島の二つの半島と多くの離島を有し、南北およそ600キロメートルに及ぶ温暖で広大な県土の中に、桜島などの火山や、屋久島をはじめとする特色ある島々、個性ある歴史・文化に加え、豊富な温泉など、多彩な観光資源に恵まれた日本でも有数の観光県、鹿児島に足を運び、東シナ海に位置し、鹿児島県薩摩川内市に属する列島、北東から南西に連なる上甑島・中甑島・下甑島の主な3島と、付属するいくつかの島から構成される甑島を訪れました。

19日13:59新大阪新幹線さくらで出発
18:01川内駅到達
18:31川内駅鹿児島本線で出発
18:45串木野駅到達、駅前のホテル到着後繁華街を散策し、食事を済ませて就寝。
20日7:15タクシーで串木野港に向かう。
8:10串木野港高速艇で出発
9:00甑島里港到達、レンタカーで上甑島巡る。

里港の目の前にあり、船の帆をイメージした半円柱型の客室棟は全室オーシャンビューとなっており、天然温泉の大浴場でリフレッシュした後は、甑島の新鮮な魚介類を使った料理をご堪能できる甑島館を訪れる。

小高い丘の上に残され、承久の変で戦功のあった鎌倉方の武将小川太郎季能の子季直が地頭とし築城したと言われています。南方の丘には甑隼人の城であったという鶴城跡があり、
両者合わせて[鶴亀城]と呼ばれています亀城跡を訪れる。

江戸時代の郷士たちが住んでいた武家屋敷のあったところです。数百メートルに渡り丹念に積まれた玉石垣は保存もよく、訪れる者をいにしえの世界へといざないます武家屋敷跡を訪れる。

藩政時代には薩摩藩において真宗の信仰が厳禁されていました。天保か文久の時代にかけて大弾圧を受けた際に、里村の信徒たちが仏像や経文をここに隠し、隠れ念仏の場所として難を逃れたと言われています
隠山を訪れる

きめ細かい砂と澄んだ遠浅の海が広がる里町北端のビーチ。野島や筒島など大小の島々を望む素晴らしい風光の中で海水浴やマリンスポーツを楽しめる
市の浦海岸を訪れる

海底や沿岸流によって運ばれた砂や石が、波の作用によって水面に現れたもので、一般に堆積した場合は、細長く、高さは低くなります。里村のトンボロ地形の全長は、南北に約1500mで、最大幅1000m、最小幅250m、高さ2.3mの陸繋砂州(トンボロ)を眺望する。

長目の浜湖沼郡、浜堤は里村地域内の湾曲に富む海岸線の一部を形成しています。海との境が比較的小粒な礫であるため海水が通りにくく、殆ど淡水でウナギやボラなどを産する池とされています須口池を訪れる。

長目の浜湖沼郡、浜堤は里村地域内の湾曲に富む海岸線の一部を形成しています鍬崎池を訪れる

なまこ池と接している貝池は、面積0.16・、周囲2.6km、最大水深12mです。この池には30億年前に出現したバクテリア「クロマチウム」が生息し、幾重にも層を造り、世界でもバルト海沿岸と貝池だけと言われ学術的にも貴重な湖となっています貝池を訪れる 。

甑島最大の湖で面積0.56・、最大水深22.6mの半淡水湖です。これは浜堤を通し海水の出入りがあるためで、海水面と湖水面は時間差が生じ干満を繰り返し、いつも高低差がありますなまこ池を訪れる。

左から「鍬崎池」、「貝池」、「なまこ池」「はまゆう」で仕切られた海岸線を境に右側は、東シナ海の大海原を
長目の浜展望所からの眺望する。

シャワーや更衣室を備えた海水浴場はもちろんのこと、釣り桟橋までの釣り、海上遊歩道、テニスコート、パターゴルフなどが楽しめる多目的広場、また、キャンプ場、バンガローなどの施設も整っています。
キャンプ場は、テントサイトもありテントの持込も可能。また、甑島周辺の海は魚の宝庫。釣り桟橋では、大海原を目前に本格的な釣りが楽しめます上甑県民自然レクレーション村を訪れる。

中甑島方面に向かう。

上甑島と中甑島の間に架かる全長420mの橋です。架橋地点の
ヘタの串には、甑(せいろ)の形に似た大岩をご神体とする「甑大明神」が祭られており「甑島」地名の発祥地と言われています甑大明神橋を通過する

アーチ構造の橋の美しさだけじゃなく、外洋にマッチし、その橋の両側に広がる海は素晴らしいの一言の
鹿の子大橋を通過する

中甑島のほぼ中心に位置し、甑島全島、東シナ海の大海原によって形造られた奇岩や断崖は、雄大な景観が心を魅了します帽子山展望台を訪れる。

里港に戻る。
12:40フェリーで里港出発
14:35下甑島長浜港到達、レンタカーで観光

手打方面に向かう。

瀬尾川上流にある緑に囲まれた美しい滝で、滝壺までの高さが55mあり三段になって落ちています。周辺は観音三滝公園として休憩所、展望所、 花の広場などが整備され、村人の憩いの場として愛されています観音三滝公園を訪れる。

下甑を代表する海岸の一つで、約2kmに渡る美しいビーチで海水浴が楽しめます。6月には、ウミガメも産卵の為に上陸します
手打海岸(海水浴場)を訪れる

玉石を積んで作られた石垣が、当時の面影をそのまま語ってくれます武家屋敷跡を散策する。

歌手:森 進一さんの歌「おふくろさん」を記念して建てられた歌碑です。甑島は、おかあさんの古里です「おふくろさん」歌碑を訪れる。


手打港に近いところにあり、江戸時代の公儀支配において 船舶の出入り監視や取り締まりのため、手打津口(港)に配置された番所を再現した建物の津口番所跡を訪れる。

藩政時代には信教の自由が認められず、寛永5年(1638年)頃キリスト教信者が捕らえられ、この地で処刑されたといいます。美しい海を見下ろす釣掛崎には、信仰のため命を捧げた人々が眠っているキリシタン殉教地記念碑を訪れる。

17:00ウミガメが来ることにちなんで、浦島太郎の昔話に出てくる竜宮城のように夢のある村作りを目指そうと言う計画の一端として建築された施設で、入り口付近には浦島太郎の像があります竜宮の郷に到着宿泊。

21日7:30レンタカーで出発。

片野浦方面に向かう。

西海岸の造形美あふれる片野浦地区にあり、東シナ海に沈む夕日の景観は見る者を圧倒する美しさがあります
片野浦海岸(キャンプ場)を訪れる

瀬々野浦方面に向かう。

「往診の 道すがら見し しんきろう」の句が刻まれた歌碑のある丘です。これは下甑村青瀬の医師(故)平田 清氏が「往診の道すがら、しんきろうを見たことを 詠んだものです。」ここに立つと、はるか異郷のエキゾチックな情景が見えてきそうですしんきろうの丘を訪れる。

東シナ海を正面に左に鷹ノ巣、右にナポレオン岩と屈指の景観が魅力です。釣り人が愛してやまない場所となっています瀬々野浦を訪れる

瀬々野浦断崖の豪快に切り立った海食崖の中に、突然海上に突き出る高さ127mの大岩です。横から見ると人の顔に見えるのが、由来のようです
チュウ瀬(ナポレオン岩)を眺望する

瀬々野浦にあり、町並みはもちろんのこと、ナポレオン岩や鷹の巣などの奇岩を一望できる前の平展望所を訪れる。

鹿島方面に向かう。

島西岸のダイナミックな海岸線が展望できます。鹿島の山並みや中甑島、海を隔てた薩摩半島がはるか彼方に望め、心も解放されそうな八尻展望台を訪れる。

鹿島の町と鹿島断崖が一望にできる展望台。イスに腰掛けて鹿島港に入港する  フェリーを見下ろすと、まるで甑島を渡る鳥になったようなそんな錯覚さえします。甑の表と裏が見渡せる気持ちのいい藺落展望台を訪れる。

波に洗われる岩山の男性的な景観が見る者を圧倒します。御物瀬、池屋崎、人形瀬、鶴穴など自然が作り出した奇岩、大岩が点在する豪壮な景観の中を群をなしてウミネコが飛ぶさまは幻想的でさえあります鹿島断崖を訪れる。

下甑島の北端に位置し、紺碧の海をはさんで向こう側に中甑島を眺望できる展望台です。この周辺は、鹿の子百合の自生地としても有名で、初夏には、甘い香りを漂わせる美しい鹿の子百合の群生が見られます烏の巣展望台を訪れる。

14:20長浜港到達
14:50長浜港フェリーで出発
16:40串木野港到達、送迎バスで串木野駅に向かう。
17:00串木野駅到達
17:46串木野駅鹿児島本線で出発
18:05川内駅到達
18:23川内駅新幹線さくらで出発
19:54博多駅到達
20:00博多駅新幹線のぞみで出発
22:35新大阪駅到達

今回の旅行、関西ではあまり知られていない鹿児島県の甑島に足を運びました。
上甑島、中甑島、下甑島の3つの島からなり、素朴な大自然が残っている島を二泊三日でドライブ観光楽しめました。

あまり宣伝も無く、観光客も少ない島ですが道は整備され、観光案内のプレートもしっかり確認でき、迷わず観光名所を訪れることが出来ました。

















淡路島南あわじ観光
2011年2月23日


大阪湾・播磨灘・紀伊水道に囲まれた淡路島に足を運び、淡路島の南端に位置し、四国からの玄関口となるエリアで淡路人形浄瑠璃の発祥地としても知られている南あわじを訪れました。
12:30車で阪神淡路自動車道経由して
14:00淡路南インター下車

淡路島南ICから車で数分というアクセスの良さと、鳴門海峡が目前という景観の良さで人気の海水浴場。泳ぎながら大鳴門橋を望むことができる、という展望は他ではなかなか体験できない。もちろん水質もよく、海水浴場としても美しい。併設するオートキャンプ場も人気があり、リピーターも多い伊毘うずしお村海水浴場を訪れる。

特産品を扱うショップ、鳴門の渦潮を科学的に教えてくれる「うずしお科学館」、重要無形文化財である「淡路人形浄瑠璃館」などが有する施設。うずしお科学館では、3Dの映画を上映しており、子供も楽しめる。また、同施設にあるレストラン「うずしお」では、淡路創作料理コンテストで何度も受賞している料理が頂けるうずの丘大鳴門橋記念館を見学。

平安時代、行教上人によって開かれた寺。本尊の大日如来像は重要文化財に指定されている。祀っているのは七福神の中でも唯一実在した人物がモデル、とされている布袋尊。功徳は家内安全、福徳円満などがある淡路島 七福神霊場 護国寺を訪れる。

宝亀年間(770〜781)の創建で、淳仁天皇の御陵を守る僧侶の宿坊として開かれた。祀っているのは七福神の恵比酒神で、その功徳は海上交通安全、漁業・商売守護、無病息災、子孫長久などがある淡路島の七福神巡り情報 万福寺を訪れる。

雄大な鳴門海峡にうず潮、鳴門海峡は魚の宝庫。魚種も多く、四季を通じて釣りができる。大鳴門橋を見ながら、自然条件に恵まれた中、家族連れで安全に釣りが楽しめる南あわじ市浮体式多目的公園(海釣り公園メガフロート)を訪れる。

今から約180年前に付近の漁民が海岸に漂着した球根を山に植えたのが始まりといわれている。繁殖し、今では淡路島の南部、諭鶴羽山から海に続く急斜面の一帯、約7ヘクタールにわたって500万本もの野生の水仙が咲き誇っている。一重咲きの野生の二ホンスイセンが中心で、わずかに八重咲きの花も混じり、1月を中心に12月下旬から翌年の2月下旬まで付近一帯甘い香りに包まれる灘黒岩水仙郷を訪れる。

自然なかたちでニホンザルとふれあうことができる施設。1967年より来より柏原山系に生息していた野生ザルに餌付けを行い、同モンキセンター内でみられるサルは現在約180頭。性格はとてもおとなしく、サル同士で面倒をよくみるなど、仲の良い円満なサル社会を形成している淡路島モンキーセンターを訪れる。

兵庫県淡路島南東部、洲本市由良港の前面にある島。由良港を取り囲むように砂州が南方へ細長く延び、かつては淡路島と陸続きであったが、18世紀末の掘削事業で島となった。由良港は、北部の新川口、南部の今川口によって紀淡海峡へ通じる。砂州は「淡路橋立」とよばれ、瀬戸内海国立公園の一部。島にはハマボウなどの珍しい植物がみられる成ヶ島を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、淡路島の最後のエリア、南端の南あわじエリアを訪れ、自然と文化に触れてきました。

残すは離島、沼島のみとなりました。近日中に訪れたいと思います。







兵庫県淡路島淡路&洲本観光
2011年1月30日


大阪湾、播磨灘、紀伊水道に囲まれた総面積595,84平方キロメートル、国内第7位の規模の島、淡路島に足を運び、花やアートのスポットが多く点在する淡路エリア、かつては城下町で、淡路島で一番大きな町、海岸線には温泉が湧く、洲本エリアを訪れました。

7:15車で阪神淡路自動車道経由して北淡インター下車
8:30西海岸エリア到達。

香りの館・香りの湯・特産館からなる「香り」に特化したテーマパーク。?香りの体験コーナー、和・洋レストラン、日帰り入浴可能な温泉、宿泊施設があり、季節に応じてハーブの摘み取り体験も可能です。香りとふれあう癒し空間で、ゆったりした一日を過ごす事ができますパルシェ香りの館・香りの湯を訪れる。

源義経との悲恋で名をとどめる静御前隠棲の地と言われており、静御前の徳を偲んで、その霊廟を中心に整備された公園。昔からこの地にお参りすると良縁、安産に御利益があると言われており、また舞踊に秀でたことで有名な静御前にあやかってお参りをする人も多い静の里公園を訪れる。

淡路島最大の遊園地がリニューアルオープン、好評のミニチュアワールド、コースを延長したゴーカートコース、新設の芝滑り、その他クラフト体験教室など子供から大人までのんびりと楽しめる施設です。
凱旋門や万里の長城など世界の有名な建物が25分の1サイズで大集合する「ミニチュアワールド」、古代文明で築かれた彫刻や遺跡を展示する「遺跡の世界」、世界の童話から8つのシーンを紹介する「童話の森」、そして大人気のゴーカートや新設の芝滑りなど、11種類の「ライドアトラクション」がある。また、様々なクラフト体験教室なども充実していて、大人から子供まで楽しめる施設の淡路ワールドパーク ONOKOROを訪れる。

国生み神話の主人公である、伊弉諾と伊弉冉の二柱の神を祭る古社。国生みを成し遂げた伊弉諾大神は、ここで余生を過ごしたと伝えられている。境内には2神が宿るという夫婦の大楠があり、夫婦円満や安産を願って夫婦で訪れる参拝者が多い伊弉諾神宮を訪れる。

香りをテーマにしためずらしい公園で、2.9haの敷地に展望台、洋式庭園のハーブガーデン、香りのプロムナード、梅・桜園が設けられ、23種1200本のハーブが植えられ、様々な香りを満喫することができる。また、香りのみならず、ここには桜も多く植えられており、花見の時期には美しい桜が見られる。ハーブや草木をテーマにしたイベントなども時折開催している兵庫県立淡路香りの公園を訪れる。

瀬戸内を望む17万平方m以上の敷地に天然温泉やログハウス、オートキャンプ場、レストランなど、さまざまな施設があるウェルネスパーク五色・高田屋嘉兵衛公園を訪れる。

町名の由来ともなった五色の小石(メノウ、コハク、ルリ、白、斑紋など)が敷きつめられた海水浴場。 五色浜の石は、薄く層状の結晶片岩と珪岩(チャート)からできており、美しいつやのある珪岩が一般に天然記念物といわれる五色石。西浦を走る県道31はサンセットラインとも呼ばれ、海に沈む夕日が美しいことでも有名だが、ここは慶野松原と並んで特に夕日の名所として知られた海岸でもある五色浜海水浴場を訪れる。

南淡路方面に向かう。

日本の白砂青松100選、日本の渚百選、日本の夕陽百選、日本の水浴場55選、日本の水浴場88選、さらに快水浴場百選では、日本で12箇所しかない特選の一つに選ばれるなど、淡路島を代表するというよりも、瀬戸内海を代表するビーチの一つ。白い砂浜に沿って南北に続く松林は井原西鶴も絶賛したほど。海水の透明度、砂浜の美しさともに、島内でも屈指でオススメの海水浴場。また、ビーチの北側には特産のいぶし瓦を活かした遊歩道として、俳句や短歌が刻まれた「万葉の甍道」、愛の誓いが刻まれた「プロポーズ瓦道」などが設置されている慶野松原海水浴場を訪れる。

1300年ほど前に発祥したといわれている淡路瓦。 「南あわじ市産業文化センター」では、淡路瓦のすべてがわかる展示棟がある。世界各国の瓦のほか、瓦産業に関わるものを展示。粘土細工の体験ができる実習棟もあり、実際に粘土をこねて瓦作りの体験もできる南あわじ市産業文化センターを訪れる。

酪農農協が運営する観光牧場。乳搾り体験や、バターの手作り、仔牛にミルクを飲ませたりと、動物とのふれあいが楽しめる。その他、ポニーの背中に乗る本物の「メリーゴーランド」や、ウサギ、鳥など、いろんな動物(主に家畜・小動物)がたくさんいる淡路島牧場を訪れる。

イザナギ・イザナギの二神を祀っている神社。この神社では朱塗りの大鳥居が非常に有名で、境内には高さが21.7mもある大鳥居がそびえ建っている。また、ツガイのセキレイがイザナギ・イザナミの二神に「とつぎ」を教えたという伝承が残る「セキレイ石」もある。春大祭と夏祭りには島内外から多くの参拝者が訪れる。上述した理由により、縁結び・安産などのご利益があるとされるこの神社、おのころ島神社を訪れる。

緑豊かな山間にある公園施設。公園内には、豊かな自然の中での家族のふれあいをテーマにしたレクリエーション施設がある。野外スポーツやイベントが楽しめる「芝生公園」、子供たちに大人気の水上アスレチック「じゃぶじゃぶ池」やアスレチックなどの遊具施設も。その他、テニスコート・ナイター設備のある多目的グラウンド、サウナ付の温泉などもあり、宿泊、各種宴会、温泉、会議、スポーツ等の他、クラブ活動・サークル活動や合宿などにも利用することができるサンライズ淡路 ふれあい公園を訪れる。

洲本方面に向かう。
淡路島の歴史・文化を紹介する博物館。国の重要無形民俗文化財に指定されている淡路人形浄瑠璃、船だんじりなどのほか、美術工芸品や文学作品などを展示している。洲本で幼年期を過ごした南画家、直原玉青の記念美術館もある洲本市立淡路文化史料館を見学。

400年以上の歴史をもつ城跡で三熊山各地にその遺構が残っている。天守台には模擬天守閣が建つ。この模擬天守閣は江戸時代のものを復元したものではないが、模擬天守閣としては日本最古のものである。この洲本城跡は国指定史跡となっており、学術的にも非常に価値の高い石垣などが残る。本丸を構成する石垣は特に見事で、高石垣や、本丸大石段などは個人的にもオススメできる見所。また、全国に三箇所しか残っていないとされる「登り石垣」なども見ておきたい。また、天守台からは洲本市内を一望することができ、非常に美しい景色が眼下に広がる。そのため、ここからの景観は洲本八景の一つに数えられている三熊山・洲本城跡を訪れる。

淡路島では、七福神は各地で信仰を集めており、それぞれの七福神をお祀りする寺院が淡路島全島にまたがっているため、淡路島そのものが七福神乗り合いの宝船と見たてられています。

淡路島七福神の総本院で、大黒天を祀っている。淡路の三大祭の一つである回り弁天発祥の地。創建は室町時代という、歴史のある寺院。心身の裕福を授けるという大黒天を祀っている。功徳は、金運良好、資産増加、開運出世、家内安全、子孫繁栄などがある淡路島 七福神霊場 八浄寺を訪れる。

741年、聖武天皇の勅命を受けた行基が開基したお寺で、古い歴史をもつ。本道には長寿の神様である七福神の寿老人が安置されている。また、境内にある橋を渡ると10年長生きができ、参拝の帰りに頂けるお茶の接待では、これを飲めばさらに10年長生きができる、といわれている淡路島 七福神霊場 宝生寺を訪れる。

寺宝の大般若経には、1351年の銘があるという古い歴史のある寺。七福神唯一の女神である、弁財天を祀っている。もとはインドの水神であったという弁天様。その功徳は、芸術、芸能、文学、弁舌、学問の才、幸運授与、金銀財宝授与などがある淡路島 七福神霊場 智禅寺を訪れる。

淡路島の三大祭の一つ、つかいだんじりで全国的にも有名な寺院。737年、行基がこの寺の基を作ったといわれており、大変古い歴史がある。ここでは元々中国の仙人であった福禄寿が祀られており、その功徳は仏教守護、智恵、開運福徳、出世などがある淡路島 七福神霊場 長林寺を訪れる。

推古天皇の頃(592〜628)、聖徳太子の勅詔により創建されたと伝えられる、淡路島最古の寺院。祀っているのは七福神の毘沙門天。病魔や厄災から守ってくれる。その功徳は仏教守護、智恵、開運福徳、出世などがある淡路島 七福神霊場 覚住寺を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

今回の名所巡り、兵庫県淡路島に足を運び、淡路エリアから西淡エリア、洲本エリアの公園とビーチ、歴史的建造物を訪れました。

特に、長寿と幸運を授けてくれると、古来より厚い信仰を集めている七福神巡りは5箇所訪れることが出来ました。各々観光バスも多く観光客で賑わっており、みやげ物のお店も揃っており、寺も手入れが行き届いており、なかなかの淡路島の大きな観光名所だと感じました。

淡路島も残すは、南あわじ、沼島、成ヶ島となりました。近日中に訪れたいと思います。












飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二十七弾:沖縄本土&水納島&津堅島観光
2011年1月8ー10日


大小160の島々からなり、わが国唯一の亜熱帯性気候で年平均気温は約23℃、日本の南国リゾート沖縄に足を運び、その形からクロワッサンアイランドとも呼ばれ、周囲をサンゴ礁とエメラルドグリーンの海が取り巻く美しい島、水納島、勝連半島の先端からわずか4kmほど先にある平坦で土が根菜類の栽培に適しているためニンジン栽培が盛んでニンジン島として有名な津堅島を訪れました。

8日15:10関西国際空港出発
17:30那覇空港到達、レンタカーでコザに向かう。
18:30コザのホテル到達後、

嘉手納空軍基地の第2ゲートへ続くことから、通称ゲート通りともよばれる。横文字看板を掲げるテーラーや飲食店が立ち並ぶ通りの様子は、中央パークアベニューと違い、今もアメリカ統治時代の面影を強く残すコザゲート通りを散策して食事を済ませて就寝。

9日7:00レンタカーで出発、北部に向かう。

那覇から国道58号を北上すると、ひときわ目立つ観覧車が目印。人気のアミューズメント施設やショップ、レストラン、映画館、ライブハウスなどが立ち並び、昼夜問わず観光客や地元客で賑わっている。天然温泉やプールが楽しめる「ちゅらーゆ」、サンセットビーチも隣接しており、色々な楽しみ方ができる人気のエリア美浜アメリカンビレッジを訪れる。

標高127mの高台にある城跡で、15世紀初めに名築城家として知られる護佐丸によって築城された。2つの郭からなる連郭式。沖縄に現存するものでは最古といわれるアーチ門の優美な姿や、高さ14m・延長360m余りの城壁の堂々たる構えは見応え充分。沖縄戦の際には旧日本軍の高射砲陣地となり、戦後には米軍のレーダー基地が置かれていたが、現在では戦争の面影は見られず静けさを取り戻している。城壁の上からは、東シナ海の島々や那覇から本部半島までの沖縄本島西海岸を一望することができる座喜味城跡を訪れる。

高さ30〜40mにおよぶ隆起サンゴ礁の絶壁が、2kmにわたって続く景勝地。かつては航海の難所だったといわれるだけあって周辺の海は波が荒く、崖壁に当たって砕け散る白い波しぶきは豪快そのもの。ダイビングや釣りのスポットとしても人気が高い。岬の先端からは慶良間諸島や伊江島が望め、特に夕暮れ時の景観が美しい。岬の手前には、残波岬いこいの広場が整備されており、7mの巨大な残波大獅子がランドマークとして訪れた人々を迎えてくれる。敷地内一面に芝生が敷きつめられた公園は、レストランやレジャー施設も完備。海岸沿いにはエメラルドグリーンの海が美しい残波ビーチもあり、夏には海水浴を楽しむ多くの人で賑わう残波岬を訪れる。

隆起サンゴの岩礁でできた断崖切り立つ景勝地で、ダイビングや釣りのスポットとしても人気が高い。先端の展望台に立つと、西に残波岬、北東に万座毛、遠くには北部やんばるの山々が見渡せる。断崖の東側には海岸へ下りていく階段があり、間近で見る隆起した岩礁と透き通った海とが織りなす景観がすばらしい真栄田岬を訪れる。

東シナ海に突き出す万座毛は、高さ20mの琉球石灰岩の断崖と、その上に広がる芝生の公園で、沖縄きっての名勝。遊歩道を進んでいくと、万座毛のシンボルである象の鼻を連想させる隆起サンゴが現れる。1726年(享保11)、ここに立ち寄った琉球王尚敬が、「万人が座するに足る毛(野原)」と賞賛したのもうなづける景観だ。この言葉は地名の由来にもなっている。駐車場の入口には、18世紀の沖縄の代表的女流歌人、恩納ナベが王一行を歓迎して詠んだ「波の声もとまれ 風の声もとまれ 首里天加那志美御機拝がま」の歌碑が立つ万座毛を訪れる。

10:30渡久地港到達
11:00渡久地港高速艇で出発
11:15水納島到達、散策する。

本部半島の西方約7kmに位置する標高12mと平坦な隆起環礁状の島。島の形から、「クロワッサンアイランド」と呼ばれ、島の東から北にかけて連なる純白の砂丘、島を取り巻くように発達したサンゴ礁、エメラルドグリーンの海の美しさは、沖縄観光のキャッチフレーズ「海と空の美しさ」を象徴する景観で、かつては、島全体がメンナノ御嶽として聖域となっていました。明治23年、瀬底島の製糖組が開拓するまでは無人の島であり、同36年ごろ瀬底島から13戸が移住、集落が形づくられました。現在は、ニンジン、スイカ等の栽培と畜産が営まれています。島名は、文献によると「井戸皆無なり、島名これによっておこるか」とあり、水のない島ということから名づけられた水納島を散策する。

14:00水納島高速艇で出発
14:15渡久地港到達、レンタカーでやんばる方面に向かう。

宜名真の集落から山道を上る旧道沿いに続く、高さ80mもの切り立つ断崖。バンタとは崖の意で、束ねた茅を崖から投げ込むと、強風に打たれてバラバラになることからこの名がついた。茅打ちバンタに向かう道は、曲がりくねった急な坂道で、ここで行き会うとどちらかが下がって道を譲らなくてはならなかったので、戻り道とも呼ばれていた。崖の上の展望台から眼下を見下ろせば、思わず目もくらむ高さを実感できる。先に目を向けると、澄んだ海原に浮かぶ伊平屋島や伊是名島が見渡せる茅打バンタを訪れる。

沖縄本島最北端の地で、隆起サンゴの断崖がそそり立つ景勝地。岬の先端に立つと、左手に伊是名島や伊平屋島、北の海上には与論島も見渡せる。与論島を含む奄美諸島は1953年(昭和28)に本土に復帰したが、沖縄の本土復帰が実現するのは、1972年(昭和47)。先端付近には米軍統治時代に、与論島とこの岬でかがり火を焚き、本土復帰を訴えた海上集会を記念して立てられた祖国復帰闘争の碑がある。岬の背後にそびえる岩山は、辺戸岳。辺戸御嶽ともいわれ、琉球の祖先アマミキヨが沖縄の島々を創ったときに最初にこしらえたという伝説が残る霊地がある辺戸岬を訪れる。

17:00コザ方面に戻る。
20:00コザホテル到達就寝。

10日6:30レンタカーで出発、平敷屋港に向かう。
7:00平敷屋港到達
7:30平敷屋港高速艇で出発
7:45津堅島到達

与勝半島から南東約4km沖に浮かぶ周囲7kmの平坦な島。島の特産物であるニンジン畑が島一面に広がり、別名・キャロットアイランドとも呼ばれる。緑深いモクマオウの林を抜けると、白砂のビーチが1kmにわたって続くトマイ浜。シュノーケリングなどが楽しめ、干潮時には歩いて渡ることができる無人島、アフ岩もぜひ訪れてみたい。近くにあるキャロット愛ランドは、キャンプ場や展望台を備える憩いの場もある津堅島を散策する。

10:00津堅島フェリーで出発
10:30平敷屋港到達、レンタカーで北に向かう。

与勝半島の付け根付近、標高100mほどの高台に立つ梯郭式の城。高さが段違いになった5つの郭で構成されている。12世紀前後にかけて築城されたといわれ、農民の出身ながら勝連城主に登りつめた15世紀の阿麻和利の時代に増築された。傾斜を利用し、美しく積み上げられた城壁がかつての繁栄を今に残している。石畳の階段を上ってたどり着く一の曲輪からは、周辺の島々を一望できる勝連城跡を訪れる。

16世紀に日秀上人によって建立されたといわれる真言宗の寺。境内には樹齢350年を超えるフクギの大木をはじめ、アカギ、デイゴなどの木が立ち並ぶ。境内右側には大蛇退治の伝説が残る長さ270mの鍾乳洞、日秀洞がある金武観音寺を訪れる。

金武観音寺境内にある長さ270mの鍾乳洞。大蛇退治の伝説が残り、琉球八社の一つ、金武宮が祭られている。現在は、天然の泡盛貯蔵庫として活用されている金武鍾乳洞[金武観音寺]を訪れる。

慶佐次川河口の慶佐次橋周辺から上流約1kmにわたって、本島最大規模のヒルギ林が広がっている。メヒルギ、オヒルギ、ヤエヤマヒルギの3種類からなり、なかでもヤエヤマヒルギはここが分布の北限地となる。タコの足のような根を張るマングローブが延々と連なるさまはなかなかユニークの慶佐次湾のヒルギ林を散策する。

沖縄自動車道経由して那覇方面に向かう。
西原インター下車

那覇市を見下ろす標高約120mの高台に立つ琉球王国の象徴。1429年(永享元)から始まる琉球王朝の居城であるとともに、政治や文化、外交、祭礼の場でもあった。創建は14世紀末初め〜中期と推定され、地勢面、軍事面はもちろん、風水上も理想的な立地だった。城内の構成は、北京の紫禁城、ソウルの景福宮や昌徳宮との類似点も多く見られ、アジア各国との交易が盛んであったことがうかがえる。沖縄戦により焼失したが、1992年、本土復帰20周年を期に、1768年(明和5)の工事記録として残る資料をもとに復元された首里城公園(首里城)を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)の上郭の外に立つ楼門。中国の三間牌楼形式を基本に2層の赤瓦を葺いた屋根は、入母屋造といった独自の建築工法で造られている。門中央に掲げられた扁額にある「守禮之邦」は、「琉球は礼節を重んずる国である」という意味。1527年(尚清王時代)に創建されたが沖縄戦で破壊。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもの守礼門[首里城公園]を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)の守礼門をくぐって、左手にある石門で国王が行幸(旅)する際道中の安全を祈願したという拝所だったと伝えられる。現在も敬けんな沖縄の人々の祈りが絶えない園比屋武御嶽石門[首里城公園]を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)第一の門。中国から来た冊封使や国王が出入りした正門で、日本では珍しい中国風のアーチ式城門と両脇の石獅子が目を引く歓会門[首里城公園]を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)第二の門。歓会門をくぐり階段を登って行くと現れる。門の手前の右側には、国王や冊封使の飲み水となる清水を注ぐ石彫りの龍樋がある。この琉球一と謳われた清水が門の名前の由来となっている瑞泉門[首里城公園]を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)第三の門。楼内の水時計で時間を計り、太鼓で時間を報じていたことから名前がついたという。駕籠での入場を許されていた高官も、この門からは下りて歩いたと伝えられる漏刻門[首里城公園]を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)第四の門。現在は首里城正殿の入場券売り場となっている。王朝時代は門の両側が役所になっていて、東側が士族の財産争いを調停する大与座、西側は社寺仏閣関係を扱う寺社座だったという広福門[首里城公園]を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)正殿に入る最後の門で、広福門を抜け下之御庭と呼ばれる広場の左側にある。出入口は3カ所あり、中央の高い門は国王や賓客が、左右の門は家臣たちが利用したといわれる奉神門[首里城公園]を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)の正殿前に広がる広場が御庭。赤白の鮮やかなラインは役人が位順に並ぶための目印といわれる。磚という敷き瓦が敷きつめられている首里城のほぼ中央に位置する東西約40m、南北約44mの空間は、中国からの冊封の式典や儀式、芸能などの舞台として利用された重要な空間であった。また、奉神門から正殿に通じる道は浮道といわれ、国王や冊封使などのみが通ることができた御庭[首里城公園]を訪れる。

首里城正殿に向かって右側に位置する建物で、平屋建て部分が城内の行政施設の表玄関・番所。2階建て部分が行催事を行う南殿。薩摩藩の役人の接待所でもあった。2つは廊下でつながり、現在は王朝時代に制作された絵画や漆器などの美術工芸品などが展示されている南殿・番所[首里城公園]を訪れる。

琉球王国最大の木造建築物で首里城(世界遺産・史跡)の顔。2重3階建ての建物や装飾化した龍柱、屋根に横たわる龍の棟飾などは、琉球独自の形式といわれる。1階の下庫理は、国王や重臣たちが重要な儀式や会議を行ったところ。また、王家の行事が催された2階の大庫理には、国王や女官が国家安泰や子孫繁栄を祈願したおせんみこちゃの間もある。華麗な彫刻で飾られた正殿のなかでも目につく龍は国王のシンボルで、たくさんの龍が首里城には棲んでいる正殿[首里城公園]を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)正殿に向かって左側の平屋の建物で、通常は重要案件を審議したり、表15人衆や里之子と呼ばれる役人が働く行政施設だったが、冊封使(中国皇帝の使節団)が訪れると接待所として使われた。1853年(嘉永6)に上陸したペリー提督ともここで応接を受けた北殿[首里城公園]を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)北殿北側の坂道つきあたりにあるのが右掖門。国王のプライベートな空間、御内原への通用門だった門の右掖門[首里城公園]を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)北側城壁にあり、主に女性たちが使用していた通用門。歓会門と同様、石造アーチ門で、現在は一般見学コースの出口になっている久慶門[首里城公園]を訪れる。

首里城外郭に設けられた門で、城の修理工事の際に使用されていた。現在は常時開いていて、車イス利用者などバリアフリーコースの出入口になっている木曳門[首里城公園]を訪れる。

首里城公園の北、円鑑池周辺の一角に架かる龍淵橋の奥に広がるのが龍潭。この大きな池は尚巴志王時代の1427年(応永34)、冊封使を歓待するために造られたもの。池のほとりの花と、水面に映る首里城を眺め、龍船を浮かべてハーリー船競漕を楽しんでいたという往時が偲ばれる龍潭を訪れる。

首里城公園の北側にある大小の人工池。円覚寺総門の西側にある小さな円い池が円鑑池。池には弁財天堂のある中之島に琉球石灰岩の切石が積まれた天女橋(重要文化財)とよばれる橋が架かかっている。弁財天堂は1502年(文亀2)、朝鮮国王から贈られた方冊蔵経を納めるための経堂だったが、1609年(慶長14)の薩摩藩侵入で蔵経が焼失、代わって円覚寺にあった弁財天像を移したことからついた名前だという弁財天堂と円鑑池を訪れる。

1494年(明応2)、第二尚氏の第3代尚真王によって3年かけて造られた第二尚氏王家の菩提寺。鎌倉の円覚寺を模して建てられたもので、かつて広い寺域には総門、放生橋(重要文化財)、山門、仏殿、龍淵殿が一直線に並び、優美な姿を誇っていたという。先の沖縄戦で破壊され、現在は総門と放生橋のみが復元された。放生橋は沖縄最古の石橋で、獅子や鶴亀、牡丹などが彫られている。その緻密で豪放なレリーフは、沖縄石彫美術の最高峰と謳われるほどの円覚寺跡を訪れる。

1501年(文亀元)、尚真王により父尚円の遺骨を改葬するために建てられた第二尚氏歴代の墓。首里城の西側に位置する壮大な石造建築物。板葺き屋根の宮殿を模した切妻屋根型の墓室が東室・中室・西室の3基連なり、東室には国王、王妃の遺骨、西室には王族の遺骨、中室には洗骨前の遺骸を安置したとされる玉陵を訪れる。

首里城の南側、日本の道100選にも名を連ねる城下町の風情漂う散策道。約300mわたって続く石畳道は1522年(大永2)に造られた首里城から国場川に架かる真玉橋まで4km続く南部への幹線道路(真珠道)の一部だった。沖縄戦で真珠道のほとんどを失ったが、金城町は死角であったため、奇蹟的に戦禍をまぬがれた金城町の石畳道を訪れる。

首里城(世界遺産・史跡)の南に位置する琉球王家最大の別邸で、中国の冊封使の接待に利用されていた。約4万2000平方mの園内は、池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした庭園となっていて、フクギやガジュマルが生い茂る。基本的には日本庭園だが中国式のデザインも取り入れられ、琉球独特の雰囲気が漂う。池に架かる橋からの眺めも情緒豊か。写生を楽しむ人の姿も見られ、沖縄ならではのゆっくりとした時間の流れを感じることができる識名園を訪れる。

14:30終了、空港に向かう。
17:00那覇空港到達
18:15那覇空港出発
20:05伊丹空港到達

今回の旅行、何回も訪れたことのある日本の南国リゾート沖縄に足を運び、沖縄諸島の最後の訪れとなった周囲をサンゴ礁とエメラルドグリーンの海が取り巻く美しい島、水納島、ニンジン栽培が盛んでニンジン島として有名な津堅島の2つの離島と本土の観光名所2泊3日で訪れました。

素朴な2つの離島と主に中部から北部の広範囲の本土の多くの自然遺産・文化遺産のドライブ観光、満喫しました。

最終日の午後からは過去に何回も訪れたことのある首里公園、今回は時間を掛けてガイドブックを詠みながら巡り、琉球王の偉大さを感じ、歴史学習できました。

今回の旅行で沖縄本土含めて沖縄諸島をほぼ制覇できました。























兵庫県淡路島北観光
2010年11月20日


大阪湾、播磨灘、紀伊水道に囲まれた総面積595,84km、国内第7位の規模の島、兵庫県淡路島に足を運び、国立明石海峡公園や花さじきなど、花のスポットが多く点在し、安藤忠雄が設計した建築物や地元作家のアトリエもあるアートのエリア、淡路島北の淡路エリアを訪れました。

12:30車で阪神第二神明淡路鳴門自動車道経由して
13:30淡路サービスエリア到達、淡路インター下車

淡路島の豊かな自然に囲まれた国営公園。園内は四季折々の草花や木々で彩られ、鳥のさえずりが響き渡る癒しの空間。各季節の大花壇やテーマに沿った散策エリア、多くのイベントが行われる芝生広場などがある。特に、春の約300品種60万球のチューリップ・ムスカリの大花壇は見事。子どもに人気の夢っこランド・子どもの森には花・水・風をテーマにした遊具もあり、家族で休みを満喫できる淡路島国営明石海峡公園を訪れる。

6700平方メートルの規模を誇る植物館。二つの直方体をクロスさせた植物館は、「自然と人間の共生」がテーマ。植物の形、色、香りに焦点をあてたユニークなディスプレーで植物のすばらしさを五感に訴える展示を行っている。3000種に及ぶ珍しい植物だけでなく、世界の花文化を伝える華やかなフラワーショーとおしゃれなガーデニングアイデアが魅力の花々に包まれた癒しの空間の兵庫県立淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館を訪れる。

北淡路高原のなだらかな斜面に広がるフラワーパーク。甲子園球場の4倍にあたる15ヘクタールの園内には、菜の花やブルーサルビア、コスモスなど四季折々の花が一面に咲き誇り、花畑の向こうには大阪湾や明石海峡が望める。地元農産物などの販売所も併設されているあわじ花さじきを訪れる。

園内の野島断層保存館では、兵庫県南部地震で現れた野島断層(天然記念物)約140mを保存。震災体験館では震度7が体験できる北淡震災記念公園を訪れる。

17:00終了、帰路に向かう。

近場の兵庫県の島、淡路島に足を運び、お花とアートで有名な淡路島北部、淡路エリアを訪れ、点在するお花畑と美術館を訪れ有意義な日を送り楽しめました。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十四弾:伊豆諸島三宅島&御蔵島観光
2010年10月9ー11日


野趣あふれる景観に包まれた山々や、豊かな海に囲まれた自然の宝庫、手つかずの自然が残り、かわいいイルカやクジラなどがすむ楽園、伊豆諸島に足を運び、東京から南南西に約180kmのところにあり、ほぼ円形をして、溶岩と火山砕層岩からなる火山島、3000年前から繰る返される噴火の歴史を物語る島の造形美を生み続けている三宅島、東京から約200kmの場所に浮かぶ周囲16kmの小さな島、温暖多雨の海洋性気候で、伊豆諸島には珍しく水が豊富で照葉樹林も生い茂り、又イルカウォッチング&スイムが出来る島として注目を集めている御蔵島を訪れました。

9日13:17新大阪新幹線のぞみで出発
15:34新横浜到達、三宅島行きフェリーが22:20遅出の出航のため横浜線で桜木町駅下車、横浜市街地を散策して時間を過ごす。

「環境・エネルギー」「宇宙」「海洋」など、6つのテーマで科学技術の現在と未来について展示。ヘリコプターの操縦シミュレーションや、パソコンを使って行う船や航空機の設計など体験型のコーナーが人気。有人潜水調査船「しんかい6500」の模型も大迫力の三菱みなとみらい技術館を見学。

1989年(平成元)、横浜博覧会施設として開館。19世紀後半の作品を中心に、ダリ・マグリット・ミロ・ピカソ・セザンヌ、幕末・明治以来の横浜にゆかりの深い作家の作品などを幅広く収集。横浜美術コレクション展と年4回の企画展のほか、市民のアトリエなどでの実技指導やワークショップの実施、美術情報の提供など、広く開かれた芸術活動の拠点となっている横浜美術館を見学。

1911年(明治44)に開通した旧国鉄の廃線跡を整備した遊歩道。日本丸メモリアルパークから新港地区までを3つの橋梁が結んでいる。約500m続くボードウォークからはMM21の高層ビル群が一望できるロケーション。鉄道開業当時に築造された石積みやアメリカ製鉄橋など歴史的建造物も残されている。また、汽車道から新港地区に入ったところにあるのが運河パーク。水辺に面した広場、芝生公園、遊歩道などがある汽車道を通過する。

1885年(明治18)創立の海運会社・日本郵船の歴史博物館。海岸通りに面して16本のコリント式円柱列を見せるこのビルは1936年(昭和11)の竣工で、今では海岸通りになくてはならないモニュメント的存在。明治以降、船が日本の発展に貢献してきた歴史がわかる日本郵船歴史博物館の前で記念撮影。

日米和親条約締結の地に立ち、日本の開国と横浜の開港に関する資料を展示している。1階はペリー来航から開国までを資料やパネル、模型で解説。2階では開港後の横浜の文化や街の発展を貴重な資料で紹介している。地下では内外の資料が閲覧できる。また、日米和親条約締結を見守っていた玉楠の木や現在事務所棟になっている旧英国総領事館の建物、領事館守衛室を利用した喫茶ペリーなどがある横浜開港資料館の前で記念撮影。

神奈川の文化と歴史を紹介する博物館。1904年(明治37)、旧横浜正金銀行本店として建てられたネオバロック様式の古典建築で、国の重要文化財に指定の神奈川県立歴史博物館の前で記念撮影。

19:00京浜東北線で桜木町駅乗車
20:00浜松町駅下車、
20:30竹芝桟橋到達。
22:20竹芝桟橋フェリーで出発、三宅島に向かう。
10日5:00三宅島到達、レンタカーで島巡り。

2000年噴火の泥流で埋まってしまった神社です。埋没した神社のほかに泥流から逃れた鳥居の頭だけを見ることができます。この先から坪田高濃度地区になります椎取神社を訪れる。

眼下に大久保浜。水平線には伊豆諸島。晴れた日には富士山、伊豆半島。空気が澄んでいる日には房総半島まで見えます海と風のあかじゃり公園を訪れる。

現存する木造建築としては伊豆諸島最大。天文3年(1516)建造。住居として使用中のため内部は非公開。樹齢450年のビャクシンの巨樹は天然記念物の島役所跡を訪れる。

永正3年(1516)に建てられた三宅島の創造主事代主命の后佐伎多麻比当スを祀る神社。島役所前にあります御笏神社を訪れる。

溶岩流が波で侵食されてできた奇石。かつてはメガネ状でしたが昭和37年の噴火の地震の際に片方が壊れてしまいました。岩の間から三本岳が見える場所がありますメガネ岩を訪れる。

明治42年に建造された純白のランプ式無人灯台がシンボルです。 夕陽、星空、鳥を見るならここがお勧めです。海岸線を走ることができます伊豆岬灯台を訪れる。

椎の原生林の中に二つ並んで建っています。バードウオッチングにもお勧めです御祭神社・満願寺を訪れる。

太路池入り口は「あかこっこ館」があります。奥の桟橋には休憩所、トイレがあります。周囲2Km、水深30mの伊豆諸島最大級の淡水湖の太路池を訪れる。

15:20ヘリで御蔵島に向かう。
15:30御蔵島到達、送迎者に宿に向かう。
16:00町を散策。

島の産土神を祀る稲根神社は延喜式にも記録が残る古社で、明治初期の廃仏毀釈令によって、全島民が稲根神社の氏子とされて以来、氏神様として厚い信仰を集めてきた。玉、剣、鏡の三種の神器は島南部の稲根ケ森の中にある本殿に祀られているが、島人が日常お参りするのは里にある拝殿で、毎年8月4、5日に行われる例大祭は、この拝殿を中心に神輿の巡行が行われ島中が沸き立つような活気を見せる。また、江戸時代の画家英一蝶の筆による、板絵着色神馬図額なども奉納されている稲根神社を訪れる。

稲根神社脇にある記念碑。1863年(文久3)、香港を出航し、サンフランシスコに向かっていたアメリカの商船バイキング号が御蔵島で難破・座礁。当時の日本は鎖国中だったが、250人ほどの御蔵島の島民は人道的立場から力を合わせ、アメリカ人乗組員と中国人労働者合わせて約500人を救出。1カ月の間面倒を見た後、下田へ送り出した。事件100年を記念して、船の所属港ニューベッドフォード市民と遭難者の子孫が、感謝の意を込めて稲根神社の参道入口に記念碑を建立。立てかけられた大錨は、バイキング号の巻きロクロを利用しているバイキング号記念碑[稲根神社]を訪れる。

18:00宿に戻り食事を済ませ就寝。
11日8:00イルカウォッチングに出発。
8:30船で沖に向かう。
御蔵島のイルカは、約100頭ほどがごく沿岸(岸から100メートル以内ほどのところ)の島の周りを周回し、船でイルカに近ずき、ウォッチングとイルカと一緒に泳ぐ。
10:30終了、宿に戻る。
11:00山を散策する。

その昔、御蔵島に流人として来た白木屋お常が流しソーメンを島民に振る舞った場所、と伝えられる「お常のソーメン流し」。水が岩盤に溝を刻み、幾筋にもながれます。伝説の真偽のほどは分かりませんが、こんな場所で流しソーメンなんて、風流な流人さんもいたものです。コース名はボロ沢ですが、ボロ沢、家が沢と二つの大きな沢を横切るのもここの特徴。どちらの沢も、空には木々が生い茂り、澄み切った水が流れて、夏でも清涼感あふれる場所となっていますボロ沢コースを散策する。

里から役場をこえて道なりに少し進むと左手に入り口の看板が見えます。里のすぐ近くなので思い立ったときにぶらりと出かけられるのが魅力です。少し足を踏み入れると、そこはシイの巨樹生い茂る立派な森のタンテイロコースを散策する。

15:35ヘリで八丈島に向かう。
16:00八丈島空港到達。
17:20八丈島空港出発
18:10羽田空港到達
19:00羽田空港出発
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、豊かな海に囲まれた自然の宝庫、手つかずの自然が残り、かわいいイルカやクジラなどがすむ楽園、伊豆諸島に足を運び、東京から南南西に約180km、伊豆半島の下田から約80km。真っ青な太平洋に囲まれ、周囲約35km、面積約55kmほどで、大島、八丈島に次いで伊豆諸島で3番目の大きさです。幾度となく繰り返された火山噴火によってできた独特な景観や、日本固有の野鳥たちが住む貴重な森、黒潮の恩恵を受けた海、と特色ある自然に育まれています三宅島、

本州から約200km離れた伊豆諸島の島で、日本の島嶼中でも屈指と言われる太古からの自然が残り、その緑の豊かさは、あの屋久島にも比較されるほどです。面積は約20平方km。周囲約17km。人口282人。海上からは、まるでお椀をひっくり返したような形で、中央には標高850.8mの火山島である御山があります御蔵島を訪れ2泊3日の旅、満喫しました。

三宅島の度重なる噴火跡の造形美、御蔵島の世界でも珍しい多くのイルカの生息地でのイルカウォッチング&スイミング、他の島では体験できない離島三宅島&御蔵島観光楽しめました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第百十二弾:山形県酒田&飛島観光
2010年9月22ー23日


山有り、川有り、海有りの広く豊かな自然がいっぱいの東北地方山形県に足を運び、江戸時代、西の堺、東の酒田といわれ、西回りの航路で発展し、贅や工夫で凝らされた江戸や明治時代の建物が残る酒田、周囲10,2km、面積約2,7kuの小さな島で酒田港より北西に約39km、山形県と秋田県の県境より西に約28kmの日本海に位置し、国指定の天然記念物カラストバトなど珍しい野鳥の宝庫である飛島を訪れました。

22日16:50伊丹空港遅出の出発のため梅田近辺を散策し時間を費やしました。

阪急百貨店の東側、富国生命ビルとOSビルとの間から東へ広がるアーケード街。扇町通より1本北を並行して走り、途中、新御堂筋が縦断。レストラン・バー・スナック・カラオケ・ゲームセンターなど、夜遊びにはこと欠かないスポットが立ち並ぶ。お初天神商店街・阪急東中通商店街も交差する、一大歓楽街の阪急東通り商店街を通過。

感性をフルに使って遊べる、子供のための博物館。パソコンや手作り体験ができるフロア、不思議な空間「こどもの街」や展示物、ワークショップなどがあり、一日中楽しめるキッズプラザ大阪を訪れる。

日本一長い商店街。堂島川にかかる天神橋たもとの1丁目から北端の7丁目まで、総延長が約2.6km、600軒ほどの店が所狭しと立ち並ぶ大商店街だ。この商店街の端から端歩いた人には、それを記念するものとして「満歩状」を発行している天神橋筋商店街を1丁目から6丁目まで歩く。

近世〜現代の大阪の暮らしを紹介するミュージアム。大阪市立住まい情報センターの8〜10階にあり、実物大のスケールで復元された江戸時代の大坂の町並みの中を実際に歩くことができ、近代の大阪の住まいもジオラマで上映している大阪くらしの今昔館を訪れましたが休館でした。

地下鉄で天神橋6丁目から東梅田に向かう。
東梅田到達、丸ビル前で空港バスに乗車。
16:00伊丹空港到達
16:50伊丹空港出発
18:05山形空港到達、レンタカーで山形自動車道経由して酒田方面に向かう。
2015酒田駅付近のホテル到達、繁華街を散策し食事を済ませて就寝。
23日5:30酒田市街地を散策する。

1947年(昭和22)に本間家が清遠閣とよばれていた書院造2階建の別荘を美術館として開放、本間家に伝わる東北諸藩からの拝領品や美術品を展示する。別荘として築造した庭園・鶴舞[かくぶ]園と本館、企画展を開催する新館がある本間美術館の前で記念撮影。

日本最古級の白亜の木造六角灯台と方角石や常夜灯などがあるほか、木立のなかに29基の文学碑が点在する歴史公園。酒田港の眺めや、最上川と夕日がすばらしい日和山公園を散策する。

酒田を代表する廻船問屋。石置杉皮葺屋根などの酒田の典型的な町家造りの様式で、建物のなかには、人形や料理などで当時の暮らしぶりが再現されている旧鐙屋の前で記念撮影。

1768年(明和5)、本間家三代三丘が幕府巡見使宿舎として建造し、庄内藩主・酒井家に献上した長屋門構えの武家屋敷。旗本二千石の格式をもつ。その後拝領し本邸として使用、武家造りと商家造りが一体となった珍しい建物だ。戦後は公民館としても利用された。別館「お店」では帳場を再現し、商人としての本間家を紹介している本間家旧本邸と別館「お店」を訪れる。

ホテルに戻り、レンタカーで酒田周辺を巡る。

1997年に開館。広大な敷地にゆったりと立つ近代的な建物が印象的だ。洋画の森田茂、酒田市出身の高橋剛と斉藤長三を中心とした作品を展示。一般展示のほか、特別展も開催する酒田市美術館の前で記念撮影。

酒田市出身の写真家・土門拳の記念館。『古寺巡礼』『筑豊のこどもたち』など、市に寄贈された約7万点の作品を収蔵。保存を図りながら、順次公開している。谷口吉生設計の建物は、建築から25年以上経った今でも斬新。庭園は勅使河原宏、銘板は亀倉雄策による。中庭にあるイサム・ノグチの彫刻も見どころの一つの土門拳記念館の前で記念撮影。

銘酒「初孫」を醸造する、東北銘醸の工場に隣接して立つ酒造資料館。醸造工程や日本酒の特徴を紹介する展示室のほか、きき酒コーナーやフィルム映写による解説もある蔵探訪館の前で記念撮影。

9:00酒田港到達
9:30定期便で飛島に向かう。
10:50飛島勝浦港到達、反時計回りで島を一周する。

勝浦港近くにある観光情報施設。飛島の特産品・イカをイメージした三角形の建物内には、島の自然や歴史に関する資料展示室や物産販売コーナー、喫茶室、休憩コーナーなどがある。1階は定期船の乗船券発売所。4階は展望台になっていて、晴れていれば鳥海山などが遠望できるとびしまマリンプラザを訪れる。

桟橋の先端に海中展望塔があり、窓から海中が見える。桟橋や展望塔の屋上で釣りもできる飛島海づり公園を訪れる。

ウミネコの繁殖地、スカシユリ、トビシマカンゾウが附近一帯に咲きみだれる。謎の古代文字が刻まれた岩が残っている館岩を訪れる。


古代の絵文字が刻まれていると言われている石。近くには大きな石塁もあり、海賊の砦だったとも言われています刻線刻画石を訪れる。

沖合にある烏帽子群島の六角の玄武岩が波でもまれて出来た、こぶし大の玉石がうず高く積まれています。ここは霊の拠り所となっている賽の河原を訪れる。

自然のままの美しい海岸。西の彼方の御積島、烏帽子群島を背後に沈む夕日は絶景である。「日本の渚・百選」に選ばれている荒崎海岸を訪れる。

昭和39年に平安時代のものとおもわれる人骨が土器と共に発見され、昭和44年に発掘調査が行われました。現在、鶴岡市にある致道博物館に保存されています
テキ穴を訪れる。

紙塑人形製作者として人間国宝第1号に選ばれ歌人としても有名な鹿児島寿蔵が大正13年に飛島を訪れた時に詠んだ「鳥海山の山すそかすむ海のうへ かぎりも知らに秀波たちみゆと刻んだ歌碑が昭和60年に建立された鹿児島寿蔵歌碑を訪れる。

13:40飛島港定期船で出発
15:00酒田港到達、レンタカーで山形空港に向かう。
17:00山形空港到達
18:35山形空港出発
19:55伊丹空港到達

今回の旅行、夏と冬とで4回目の訪れである自然いっぱいの東北地方山形県に足を運び、江戸時代には西回り航路の拠点として栄えた港町、江戸や京都の文化が流入し、今も方言に雅さが残り、交易で巨額の財を成した豪商の屋敷や庄内米を蓄えや山居倉庫など見所が多い酒田

酒田より北北西約39.3kmの沖に位置し、面積2.32ku、周囲10.2km、海抜50mの小さな島で、暖流と寒流がまじりあい、春夏秋冬を通して緑が濃く、年間の平均温度が12℃と山形県では最も高温の地であります。島内には勝浦、中村、法木の3つの集落があり、昭和25年4月に酒田市と合併、昭和38年7月国定公園に指定されました。産業は、漁業を中心として、恵まれた環境を生かした観光のほか採種等の育種栽培も行われています飛鳥

を訪れ1泊の日の旅、楽しめました。

自然そのもの素朴な島、飛鳥はほぼ島を反時計回りで一周しましたがコースの道は草がぼうぼうであまり整備されておらず道がわかりにくいところもありました。又コースの一部が海岸で石有り、サンゴありで歩くのに結構苦労、おまけに天候が雨、雨に濡れ、服装がドロドロ、かなりきつい島一周の散策でした。しかし離島特有ののどかさ、いっぱいの自然に接し、記憶に残るたびとなりました。メジャーな観光名所が少ない離島ですが違った意味で楽しめる離島観光旅行でした。











三重県桑名・長島観光
2010年7月7日


東海と近畿の接点の地、波穏やかな伊勢湾と黒潮洗う熊野灘に囲まれた1000kmに及ぶ海岸線を持つ三重県に足を運び、伊勢湾北部に位置するエリアで三重県の経済の中心地、温泉、アミューズメント設備がある桑名・長島を訪れました。

12:30車で第二京阪名神新名神経由して
14:00長島エリア到達

長島藩主・松平定政公の祈願所として建立された寺で、本尊は不動明王を祭る。芭蕉にゆかりのある寺としても知られ、1689年、(元禄2)芭蕉が旅の途中に立ち寄り、その折にあいさつとして詠んだ「うき我を さびしからせよ 秋の寺」という句が刻まれた碑が残る大智院を訪れる。

輪中とは、江戸時代に水害から村を守るために、村落を堤防で囲んで水防協同体を形成したもの。輪中に関する資料や、長島町の歴史や文化、産業を紹介している。伊勢湾台風の立体映像や、輪中の民家の復元コーナーも興味深い輪中の郷を見学。

桑名方面に向かう。

天照大神の第3皇子である、天津彦根命を祭る古社。毎年5月4・5日には多度まつりが開催され、その年の豊作・凶作を占う上げ馬神事が行われる多度大社を訪れる。

山林王と呼ばれた桑名の実業家、二代目諸戸清六の新居として、大正2年に建てられた邸宅を公開。鹿鳴館を設計したイギリス人、ジョサイア・コンドル設計の洋館と、それに連なる和館は国の重要文化財で、その前に広がる池泉回遊式庭園も国の名勝指定となっている六華苑(旧諸戸清六邸)を訪れる。

揖斐川河口、東海道の渡場跡。かつては熱田までの七里(約28km)の間を舟で結んでいた。現在も一の鳥居が残る七里の渡跡を訪れる。

1601年(慶長6)、本多忠勝が城主になり、城下町割とともに城郭の拡張整備を行った。城郭は現存しないが、城跡は九華公園として整備され、桜やツツジ、菖蒲などが美しく、市民の憩いの場として親しまれている桑名城跡・九華公園を散策する。

17:00終了。

今回の近場の名所巡りは往復4時間かけてドライブがてらに三重県の伊勢湾北部に位置する、桑名・長島エリアに点在する歴史的建造物を小雨の中、のんびり訪れました。

新名神が開通してから愛知方面は近く感じるようになりましたね。
今回の桑名・長島エリアは愛知県と三重県との境に位置します。
車で1時間半でたどり着けます。速いですね。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第百二弾:宮城県塩釜・多賀・松島・南三陸観光
2010年7月3ー4日


東北地方の中心地、宮城県に足を運び、奈良時代東北全域の拠点の古代都市多賀、日本一の寿司タウン塩釜、松島湾の絶景、伊達家ゆかりの建造物が点在する松島、リアス式海岸が絶景の南三陸を訪れました。

3日14:20伊丹空港出発
15:35仙台空港到達、レンタカーで多賀・塩釜方面に向かう。

合展示室では旧石器時代から近現代まで、東北地方全体の歴史を時代別に展示。埴輪武装男子半身像、白長覆輪太刀、田柄貝塚出土骨角器など多くの国指定重要文化財が収蔵されている。そのほかに、テーマ展示室や映像展示室がある。敷地内には、江戸時代中期の民家・今野家住宅(県指定有形文化財)も石巻市から移築、復元されている東北歴史博物館を訪れる。

多賀城跡の一角にある。2万平方mの敷地に、250種約200万本のアヤメやハナショウブなどの花が咲き乱れている。毎年6月24日から7月上旬まで「多賀城跡あやめまつり」が開催される多賀城跡あやめ園[多賀城政庁跡]を訪れる。

多賀城政庁跡の多賀城南門跡のすぐ近くに立つ。高さ約2m、最大幅94cmの石碑で、当時の主要な国界から多賀城までの距離、大野東人が多賀城を創建したことなどが刻まれている。群馬県多胡碑、栃木県那須国造碑とともに、日本三古碑の一つ多賀城碑[多賀城政庁跡]を訪れる。
724年(神亀元)、陸奥の国府、鎮守府として置かれた多賀城の中核部分。面積は約102haにもおよび、平城宮跡・大宰府と並んで日本の三大史跡の一つに数えられている。築地塀で囲まれた中央部に政庁が置かれ、正殿・東西脇殿などがあり、重要な儀式や事務が行われていた。現在は史跡の平面整備が進み、政庁の基石や正殿などの基壇が残るのみ。国特別史跡の多賀城政庁跡を訪れる。

多賀城政庁跡の北にある、周囲約4kmの沼。江戸時代には堤防をつくり用水池とされた。春には桜、秋には紅葉、冬には白鳥、鴨などの渡り鳥が訪れ、四季を通じて多くの人で賑わう加瀬沼を訪れる。

文化創造を目的として建てられた施設で、国際村ホール、水に浮かぶ野外劇場などがある。七ケ浜の漁業の歴史がわかるギャラリー海物語や、姉妹都市であるアメリカのプリマス市の歴史や風土を紹介するプリマスハウスも併設している七ケ浜国際村を訪れる。

東北鎮護・奥州一宮として、古くから信仰を集めてきた鹽竈神社。創建は不詳だが、平安初期にはすでに東北最大の神社として厚い崇敬を受けていた。現在の社殿は伊達家五代藩主・吉村公の時代、9年の歳月をかけて建設され1704年(宝永元)に竣工されたもので、国の重要文化財に指定。5月上旬が見頃の鹽竈ザクラ(天然記念物)、葉書の語源とされるタラヨウなど境内には珍しい植物が多い鹽竈神社を訪れる。

19:00本塩釜駅付近のホテル到達後市街地を散策して床に就く。

4日5:00レンタカーで出発、松島方面に向かう。

松島海岸の南に突き出ている岬の丘。頂上の展望台からは、塩釜湾と松島湾の双方が望めることから、双観山と名付けられた。遠く牡鹿半島や金華山の向こう側から昇る朝日は素晴らしく、荘厳で華麗な美しさの双観山を訪れる。

松島四大観の一つ「幽観」。双観山の裏手にある標高55.8mの小高い山で、松島湾の入り江が扇のように浮かんで見えることから「扇谷」と呼ばれる。松島の全景が眺められるポイントでもあり、紅葉時期にはカエデが訪れる人の風情をかきたてる扇谷[松島四大観]を訪れる。

世界各地から集められた魚類や海に生息する哺乳類などを見られるマリンピア松島水族館に寄る。

島海岸の南に浮かぶ小島。島へは渡月橋と呼ばれる朱塗りの橋を渡っていく。108の岩窟があったといわれる雄島は、かつて僧侶の修業場でもあった。現在でも島のあちこちに、仏名・仏像などを刻んだ洞窟が残っている。歌枕の一つで、島内には松尾芭蕉や曾良の歌碑もある雄島を訪れる。

伊達政宗が豊臣秀吉から拝領した伏見桃山城の茶室を、2代藩主忠宗が江戸より移築したもの。外観は簡素だが、室内の極彩色の障壁画は重要文化財に指定されている観瀾亭・松島博物館に寄る。

807年(大同2)、坂上田村麻呂が東征の折りに建立し、後に慈覚大師が五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれる。現在の建物は、伊達政宗が桃山式建築手法の粋をつくして再建したもの。33年に一度五大堂の中に安置された五大明王像が一般公開される五大堂を訪れる。

瑞巌寺五大堂の北東に浮かぶ島で、陸地とは全長252mの朱塗りの橋で結ばれている。自然植物園の指定を受けた島には、250種余りの植物が自生している福浦島を訪れる。

戦国乱世の奥羽を制した伊達政宗の波乱に満ちた生涯を誕生から初陣、仙台城築城など史実に基づき、250体ものロウ人形で25シーンを再現。みちのく偉人館では、棟方志功や太宰治、宮沢賢治、野口英世など、幕末から平成に至るまでの東北を代表する偉人50名のロウ人形が展示されいるみちのく伊達政宗歴史館に寄る。

828年(天長5)、慈覚大師によって開創された伊達家の菩提寺。本堂(国宝)内の孔雀の間は極彩色の彫刻で彩られている。現在の建物は1609年(慶長14)、政宗が5年の歳月をかけて完成させた。御成門と中門は重要文化財の瑞巌寺を訪れる。

瑞巌寺の西隣りにある。二代藩主忠宗の次男・光宗の霊廟。庭の奥には三慧殿という御霊屋(重要文化財)が立ち、内部に安置された家形厨子には、馬上に束帯姿の光宗像が納められている円通院を訪れる。

松島四大観の一つ「麗観」。松島湾を北から見下ろす標高116.8mの山で、杉・松・樅の大木に覆われた静寂な趣の中、東南西の三方の島々を望める。山頂には富山観音が祀られており、眺望の美しさは四大観の中でも1、2を争う富山[松島四大観]を訪れる。

島を一望できる松島四大観の一つで、松島湾最大の島・宮戸島の中央に位置する標高105.8mの山。松島の形状を箱庭のように見られることから、「壮観」と呼ばれる。山頂からは日本三大渓・嵯峨渓と松島湾が望める大高森[松島四大観]を訪れる。

松島湾に浮かぶ260余島の島々を一望できる、東西南北4つのビューポイント。文政年間(1820年頃)、仙台藩の儒学者・舟山万年が紹介した。「麗観」「偉観」「壮観」「幽観」を総称して、「松島四大観」と呼んでいる。

九州の耶馬渓と陸中の猊鼻渓とともに、日本三大渓の一つに数えられている景勝地。太平洋の荒波と風雨に浸食された断崖絶壁が50m近く続く。遊覧船に乗れば、奇島や岩の割れ目から生えた松が屏風絵のような屏風岩など間近で見られる嵯峨渓を訪れる。

石巻方面に向かう。

「仮面ライダー」などで有名なマンガ家石ノ森章太郎作品を中心にした日本最大級のマンガミュージアム。石巻駅〜萬画館の石巻マンガロードにはキャラクター像が立つ石ノ森萬画館を見学。

現存する木造教会堂では国内最古級。1880年(明治13)に建てられた和洋折衷様式。手摺や土台には、塗り潰してから木目を書き入れる、「木目塗」という明治初期の洋風建築の意匠が施されている旧石巻ハリストス正教会教会堂を訪れる。

男鹿半島方面に向かう。

支倉常長ら慶長使節一行が訪れた、イタリアの庭園をモチーフとした公園。慶長使節の歴史的業績を、映像やパネルなどで紹介する宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)がある。復元された木造帆船サン・ファン・バウティスタの内部の見学や、シミュレーションシアターでは航海の様子を体感できるサン・ファン・バウティスタパーク&サン・ファン館を見学。

かつて捕鯨基地として賑わった鮎川港にある。1階では、3つの展示室でクジラの生態や捕鯨の歴史を説明、2階のホエールシアターでは迫力の映像で捕鯨の様子を紹介する。屋外には捕鯨船も展示されているおしかホエールランドを訪れる。

江戸時代には仙台藩の唐船番所が置かれていた場所で、金華山と牡鹿半島が眺望できる。園内には無料施設の展望台や遊歩道、アスレチックがあり、バードウォッチングもできる御番所公園を訪れる。

女川町浦宿から牡鹿半島突端の山鳥渡までの全長30kmの観光道路。両側に太平洋と石巻湾が広がり、駐車できる展望台がある牡鹿コバルトラインを通過して南三陸方面に向かう。

南三陸町と石巻市北上町の境にある岬。海中に突き出した岬は、村境の争いを仲裁した神が割ったものとも伝わる。奇岩の間から太平洋の怒涛が流れ込む様子は迫力の神割崎を訪れる。

16:00仙台空港に向かう。
17:50仙台空港到達
19:05仙台空港出発
20:25伊丹空港到達。

今回の観光旅行、東北の中心となる宮城県に足を運び、奈良時代の創建以来、陸奥国府が置かれ、東北全域の拠点古代都市として栄えた多賀城、塩竃神社の門前町として栄え日本有数の漁港があり寿司店の町でもある塩竃、天橋立、宮島と並んで日本三景に数えられ、仙台藩主・伊達家ゆかりのスポットが点在する松島、旧北上川の河口に位置し、石森章太郎のマンガキャラクターモニュメントが点在している石巻、リアス式海岸が美景の南三陸海岸を訪れ、一泊二日のドライブ観光満喫できました。













飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十九弾:新潟県粟島・村上・阿賀野観光
2010年6月5ー6日


上越地方・中越地方・下越地方及び、離島である佐渡地方・粟島(岩船郡)からなり、面積は日本の都道府県では第5位だが、可住地面積で比べると北海道に次いで第2位である。通常の区分では「北陸地方」に分類されることが多いが、富山県・福井県・石川県のいわゆる北陸三県からは、北陸地方ではないとみなされることがある新潟県に足を運び、北限地の茶どころで町屋建築の町並みの村上、村上沖、35kmに浮かぶ周囲約23kmの素朴な豊かな自然の粟島、自然とライン船下りの阿賀野川エリアを訪れました。

5日16:05伊丹空港出発
17:10新潟空港到達、レンタカーで新潟郊外の名所を巡る。

19:00新潟駅前のホテル到達後、市街地を散策して食事を済ませて床に就く。

6日5:00レンタカーで出発、新発田方面に向かう。

新発田藩主溝口氏の下屋敷で、寄棟造りの数寄屋建築。簡素でほとんど装飾を施していない建物に、幕府への政治的配慮がなされた当時の下屋敷の面影を偲ぶことができる。庭園は中央に草書体の「水」の字を型どった大泉池を配した回遊式の清水園を訪れる。

清水園と川を隔てた道筋に立つ、江戸末期の足軽の組屋敷。茅葺平屋建で8軒が同居していた。土間、6畳2間、台所だけの質素なもので、当時の下級武士の暮らしがうかがえる足軽長屋を訪れる。

1598年(慶長3)溝口秀勝が築城。現在は平成16年に復元された三階櫓、辰巳櫓を含め、堀と石垣、表門、旧二の丸隅櫓が残る。表門と隅櫓はナマコ壁で国の重要文化財。周囲にアヤメがたくさん咲いていたことからアヤメ城ともよばれている新発田城址を訪れる。

村上方面に向かう。

もとは鮮魚商で、一歩中に入ると江戸時代に戻ったような商家をギャラリーにした。ところどころ魚屋さんの造りが見られる。国の有形登録文化財にも指定されている町屋のギャラリーやまきちを訪れる。

標高135mの
臥牛山に築かれた城で、築城年代は不明、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11年(1568年)の上杉謙信との篭城戦など、幾たびも戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、北越後の中心拠点として整備されました村上城を訪れる。

9:30岩船港から高速艇で出発、手つかずの自然が残る周囲23kmの島。岩船港からの定期船が発着する内浦と西海岸の釜谷に、それぞれ民宿や海水浴場、キャンプ場がある粟島に向かう。

10:25粟島到達、レンタサイクルで島巡り。

14:00粟島高速艇で出発。
14:55岩船港到達、レンタカーで阿賀野川方面に向かう。

毎年、5月3日に行われる「つがわ狐の嫁入り行列」をテーマにした施設。つがわ狐の嫁入り行列を紹介した映像のほか、狐の面づくり体験や狐のメーク体験も楽しめる狐の嫁入り屋敷を訪れる。

17:00阿賀野川沿いを走行し、渓谷美を眺めながら新潟空港に向かう。
18:00新潟空港到達。
18:50新潟空港出発。
20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、日本海に面し、東西に細長い新潟県に足を運び、江戸時代には新発田藩の城下町として栄えた。その面影は今も街の随所に見られ、三階櫓と辰巳櫓が復元された「新発田城」、下級武士の住居だった「足軽長屋」などが残り、国の重要文化財に指定されている。県内有数の米どころでもあり、菊水酒造や市島酒造などの蔵元があり、うまい地酒が豊富にそろう新発田エリア。

村上藩5万石の城下町として栄えてきた村上。その面影は、曲がりくねった路地や昔ながらの町名にも色濃く残っている。日本海の情緒あふれる景観や、海原に臨む瀬波温泉、三面川のサケ料理など見どころ、味どころも満載。絢爛豪華な19台のオシャギリ(屋台山車)が練り歩く村上大祭は、夏の風物詩となっている村上エリア。

村上の西35kmの日本海に浮かぶ細長い島で、岩船港から船が通う。真っ赤に焼いた石を入れるわっぱ煮で有名な粟島。

阿賀野川の下流には越後平野が広がり全国に名を馳せる「米どころ・新潟」を支えている。うまい米からできる銘酒、新鮮な海の幸など食の宝庫。阿賀野川エリアは、川沿いに温泉地や観光スポットが点在し、四季折々の違った表情を持つ自然を楽しめる阿賀野川エリア。

派手な観光施設はないが、素朴な漁村に豊かな自然、美しい海が広がる粟島のレンタサイクでの島巡り観光を主として、城下町の村上、新発田、阿賀野川エリアの歴史的建造物をも訪れ、点在する自然と文化を接し、満喫しました。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十六弾:備前・日生&小豆島観光
2010年5月15ー16日


瀬戸内方面に足を運び、日本六古窯の一つ、素朴な風合いが魅力の備前焼の里である備前、昔ながらの漁師の町、新鮮な海の幸の宝庫、日生、オリーブと醤油の島、映画二十四の瞳のロケ地として有名な瀬戸内海2番目に大きな面積を持つ小豆島を訪れました。

15日12:30車で近畿中国山陽自動車道経由して備前インター下車
14:30 1670年(寛文10)、岡山藩主・池田光政が創設した学問所。日本最古の庶民のための学校として開設され、ここでは武士も庶民も平等に教育を受けた。国宝の講堂や唐風の石塀、伊部から陶工を呼びよせて焼いたという備前焼の屋根瓦などが印象的の旧閑谷学校を訪れる。

1701年(元禄14)の建立。国宝に指定されている。入母屋造の堂々とした構え、磨き抜かれた内部の床板はまさに儒学の殿堂にふさわしい。藩主が使用していた数寄屋造の小斎、習芸斎、飲室、文庫は重要文化財の閑谷学校の講堂を見学。

閑谷学校内にあり、社殿8棟は重要文化財に指定。閑谷学校の創設者、池田光政を祀っている閑谷神社を訪れる。

旧閑谷学校の入口・校門(鶴鳴門)の正面に立つ。内部に朱塗りの厨子があり、孔子像が安置してある。聖廟11棟は重要文化財に指定されている聖廟を訪れる。

閑谷学校の石塀で、延長765m。かまぼこ型をしており、重要文化財に指定されている石塀を訪れる。

日生方面に向かう。

マヤ文明をはじめ、中南米の貴重な文化遺産約1600点を収蔵。土器・土偶・石彫・織物など11カ国に及ぶ展示品は研究者の評価も高く、ユニークな展示が評判となっているBIZEN中南米美術館を見学。

江戸時代、幕府や大名の船の御用を勤める加子浦だった日生ならではの郷土館。漁具や航海用具を展示した資料館と文芸館がある。文芸館は作家・里村欣三、作曲家・岡千秋など日生出身者の資料や、正宗白鳥など日生を訪れた著名人の作品を展示の加子浦歴史文化館を見学。
備前焼の人間国宝の一人、藤原啓の記念館。おおらかで素朴な作風を示す年代ごとの代表作や、彼が影響を受けた古備前を展示している。併設のギャラリーでは、藤原三代の作品を展示藤原啓記念館を見学。

備前方面に向かう。

1000年の歴史を持つ、備前焼の作品・資料を展示公開している。1階は備前焼入門展で、採土から窯出しまでの制作工程や多彩な窯変についてパネルで説明。2階は古墳時代の須恵器の製法から変化し、奈良・平安時代に熊山山麓で生活雑器の生産がはじまった頃から、江戸時代の彩色備前など貴重な作品も展示する古備前名品展。3階では人間国宝代表作品展、4階は物故作家代表作品展と備前焼を時流にそって見られる岡山県備前陶芸美術館を見学。

18:00備前市内のホテル到達後、備前焼のお店が多数立ち並ぶ伊部駅周辺を散策し食事を済ませてから床に就く。

16日6:00車で出発、日生港に向かう。

6:35日生港フェリーで出発、日生諸島に向かう。

7:00大多府島港到達。

日生諸島最南端の島で、江戸時代に池田藩の番所が置かれた。国の文化建造物に指定された元禄防波堤、御用船に飲水を提供した六角大井戸、1986年(昭和61)に復元された燈籠堂などの史跡が残る。南海岸の遊歩道には勘三郎洞窟などの洞窟や奇岩が続く大多府島を散策する。

8:20フェリーで出発、鴻島に向かう。

8:40鴻島到達、古くは甲島、香島と書かれたここ鴻島は、往時、鴻が多く生息してことから、現在の名前に変わったと言われています。古墳や土器が出土していることから、太古から人が生活していたことが分かっています。そして平安朝の都人が往来したと伝えられている、歴史のある島を散策する。

9:30フェリーで鴻島出発、頭島に向かう。

9:40頭島到達、日生諸島では人口が最も多い。周遊道が整備され、磯釣りやミカン狩り、海水浴に多くの人が訪れ、底引網の体験も行う頭島を散策する。

頭島から橋で渡れる周囲28km、岡山県でも最大の島。島半分は特別鳥獣保護区で野生の鹿やキジが生息している鹿久居島を散策する。

11:25フェリーで鹿久居島出発。
11:35日生港到達。
12:35カーフェリーで日生港出発、小豆島に向かう。
13:45小豆島大部港到達、車で島を巡る。

風雨の浸食作用が造りあげた奇岩怪石が続き、瀬戸内海を眼下に見下ろす小豆島屈指の景勝地。春のツツジ、初夏の新緑も美しいが、特に渓谷を錦繍に染める秋の紅葉は格別。遊歩道も整備されているが、切り立った岩壁の間をすり抜けるロープウェイから見事な景観を楽しめる寒霞渓を訪れる。

小豆島は全国有数の醤油の産地。1907年(明治40)創業のマルキン醤油の工場に隣接した合掌造の館内では、醤油の製造工程をわかりやすく説明している。昔の醤油作りの道具や江戸期の醤油製法を記した巻物など、貴重な資料も展示するマルキン醤油記念館を見学。

1952年(昭和27)に出版され、ベストセラーになった『二十四の瞳』。その舞台が田ノ浦にある苗羽小学校田浦分校だ。木下恵介監督の同名映画のロケ地にもなった。1971年(昭和46)に廃校になったが、校舎は当時のままの姿で保存・公開する岬の分教場を見学。

1987年(昭和62)、田中裕子主演で再映画化された、『二十四の瞳』のオープンセットを利用した観光施設。海に面した約1万平方mの敷地には、昭和初期をイメージした民家や漁師の家などが軒を連ね、ノスタルジックな雰囲気が漂う。奥には岬の分教場も再現され、ボンネットバスが停まっている。壺井栄文学館や松竹映画館をはじめ、1950年代の映画ギャラリーを備えたキネマの庵、駄菓子屋や食事処、喫茶、みやげ物店なども揃っている二十四の瞳映画村を見学。

二十四の瞳映画村内にある。壺井栄の原稿や愛用品を中心に、夫で詩人の壺井繁治とプロレタリア文学の作家である黒島伝治の書簡や遺品類も展示してある壺井栄文学館を見学。

内海湾を見下ろす丘の上に、オリーブ畑やハーブガーデン、ギリシア風車など地中海沿岸のような風景が広がる。オリーブ栽培を紹介したオリーブ記念館、ハーブのリースやポプリ作りが楽しめるハーブクラフト館がある。8種類の温浴施設があるサン・オリーブ温泉など屋内施設も充実の小豆島オリーブ公園を散策する。

放浪の俳人・尾崎放哉の記念館。彼は、晩年を土庄にある西光寺の奥の院、南郷庵で過ごした。その南郷庵を往時のままに復元し、放哉直筆の短冊、書簡類などを展示している小豆島尾崎放哉記念館を見学。

19:00大部港到達。
19:40大部港カーフェリーで出発。
20:40日生港到達、帰路。
22:30大阪到達。

今回の旅行、岡山と香川が挟む瀬戸内に足を運び、伊部駅周辺に多数の店が立ち並ぶ、渋い色合いが魅力的な備前焼の街、備前

昔ながらの漁師の町、旬の海の幸やが豊富な日生

瀬戸内海に浮かぶ大小13の島からなり、温暖な気候に恵まれ、一年を通 じて豊富な魚介類や、季節の果物を愉しむことができます。多島美を一望できる風景は、まさに大自然の素晴らしい贈り物です。野生鹿やアオサギをはじめ多くの動物が生息し、訪れる人々を出迎えてくれます日生諸島

クルーザーでは何回か訪れたことはありますが観光は初めてのオリーブと醤油の島、映画二十四の瞳のロケ地として有名な瀬戸内海2番目に大きな面積を持つ小豆島

1泊2日の瀬戸内島巡りドライブ観光楽しめました。

小豆島は多くの観光名所が点在し観光化し整備され多くの方が訪れていますが、日生諸島は人も少なく観光化されてなく自然そのものの素朴な島々ですね。本土の近い島ですのでもっと観光化されてもいいかもしれませんね。

一番目に訪れた大多府島には史跡巡りの遊歩道が整備されていました。
二番目に訪れた鴻島には多くの別荘の家々が立ち並んでいたのが目立っていましたね。
三番目に訪れた頭島は日生諸島の中では人も多く目立っていました。
四番目に訪れた鹿久居島は人も家も少なく自然そのものでした。

対照的な瀬戸内島々観光巡りでした。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第九十弾:沖縄県渡名喜島&久米島観光
2010年3月20ー22日


那覇市の北西約60km、久米島・慶良間諸島・粟国島のほぼ中間に位置する有人島の渡名喜島と無人島の入砂島の2島からなり、面積は3.74km2で沖縄県最小、且つ日本で二番目に小さい自治体であり、フクギに囲まれ、赤レンガの昔ながらの沖縄の家が保存された集落全体は、国の重要伝統的建造物群保存地域に指定されている渡名喜島、東シナ海に浮かぶ自然の恵み豊かな島には湧き水があり、かつては米の島と呼ばれるほど稲作が盛ん、現在その澄んだ湧き水を利用して泡盛が造られ、又近年は、海洋深層水を利用した商品や、タラソテラピーなども登場し、ウェルネスの島として注目されている久米島に足を運びました。

20日14:30神戸空港出発
16:40那覇空港到達、ゆいレールで県庁前下車、国際通りを散策、食事を済ませてから近くのホテルで床に就く。

21日7:30出発、歩いて泊港に向かう。
8:30フェリーで泊港出発
10:45渡名喜港到達、電気自動車で島巡り

ちゅらさんのオープニングで使われた島。渡名喜島の直ぐ近くにあり、各所からみることができる。今は米軍の砲弾の練習に使われ、立ち入ることはできない。というより危険。ちゅらさんのオープニングでは、空撮した映像が流れ、周辺の碧い環礁がとてもきれいだった入砂島を望む。

集落の北に位置し、クサティ森の役割を担う里には「里殿」「ヌル殿内」の拝殿などがあり、島内随一の拝所となっています。昭和53年の発掘調査の結果、この地は14世紀から15世紀頃のグスク時代の遺跡だということが判明しました里遺跡を訪れる。

島には遠浅できれいな浜が集落を囲むように点在しています。なかでも島の東側に位置する延長約700mの美しい遠浅の浜で、子どもたちの日常の海水浴の場となっています。伝統的な水上運動会もここで開催されます。干潮時には歩いて枝サンゴなどを見ることができるあがり浜を散策する。

フクギ群の正確な樹齢は不明であるが、村民の伝承によれば、少なくとも200年は越えるものと推測される。樹高約14メートル、樹高周囲1.7メートルとして合わせて9本の大小木からなる。
平成元年(1989年)このフクギ郡から6本の取り木がおこなわれ、渡名喜小学校(878番地)に創立百周年記念木として植栽されている200年フクギ群を訪れる。

海岸の崖下に石を積み上げて築いた通路、あがり浜からアンジェーラ浜に向かう途中のウーシに旧道としてその一部が残っています。かつて人々は農作業に出かけたりする際、断崖が海に迫っている所では満潮時になると重い荷物を背負って険しい山の坂道を越さねばなりませんでした。そこで人々は、ブー(賦役、夫役・公役)を出して通路を造りました。かつての交通史を考える上でも貴重な遺産のアマンジャキを訪れる。

御嶽は海寄りの小高い丘陵の突端部に位置し、現集落からは遥かに遠く、不便な場所ながら、ユブクノーから嶽起し遥拝がなされている。その下のカーシリと称される砂礫の推積地は、干ばつ時に島の神人たちによる雨乞い行事が行われる唯一の場であり、御嶽を囲むように二つの侵食川が隣接し海に注いでいるカーシリのヌーチュヌーガ御嶽を訪れる。

港を南に行くと、カルストチックな壮大な屏風岩のある崖山の景観が続く。シュンザより、見劣りはしないでもないが、こちらのほうが手軽に見える西部のカルストの山を訪れる。

南部の道路から行くことになるけど、上り坂もきついが景色もすばらしい。入砂島の他、慶良間諸島の島々が見渡せる大岳展望台を訪れる。

また、向かいのエーシジ小岩島には、海での遭難者が葬られていたとされ、海神を祀る聖地が、かつては岩上に生えた大アコウ樹の元にあった神の宿る岩イェーンシジを訪れる。

渡名喜島ではカツオ漁の盛況に伴い明治25年に初めて貫木屋の赤瓦葺が建てられて以降、大正の中期までには村内の約9割が貫木屋赤瓦葺となり、現在見る美しい集落景観が形成されました。平成12年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、伝統的家屋の保存修復事業が始まりました。翌13年9月の台風16号により多くの伝統的家屋が甚大な被害を受けましたが、国の迅速な災害復旧事業により美しい集落景観が継承されています集落を散策する。

上門家はのこ島の初代村長を勤めた家柄。 建築年代は不詳。建物は本瓦葺きで、建用材料はチャーギ(イヌマキ)が主。屋敷は内側と外側ともに西と南面を海の珊瑚石灰岩を切り出して造った、高さ1.5メートルほどの上仕上げの石垣で築いている。屋敷林はフク木やクロ木。また、主屋を中心に南東側に前の屋(倉)、北東側にフール(石造の豚舎)を配し、昔の裕福だった面影を伝えている旧家上門家(ウィジョーヤー)を見学。

毎年来襲する台風を防ぐため、できるだけ掘り下げた土地に屋敷を建てたため、独特の形状となっています。大雨が降っても、地下10メートル以上も白砂であるため、浸水する事はまれですぐ干上がります。そのように環境から昔の人の知恵が忍ばれる集落の道路より低い屋敷を見学。

門を入ると正面にソーンジャキがある。ソーンジャキは道路から家まの内部が見えないように、また、悪風よけのために造られるもので、古くはチニブ作り(網代)、テーブルサンゴの石積みである家並みを確認する。

集落は軽自動車がやっと1台通れるくらいの細い道。その道は白砂でとてもきれい。この道小学生が”早起き会”で朝6:30に集まって掃除をしてくれている白砂の道を確認する。

村道1号線は、集落内の道。もちろん白砂。高さ1mくらいのスタンドライトが数メートルおきにおかれ、夜は道がライトアップされる。ライトアップはとてもきれいな村道1号線のライトアップを確認する。

18:00民宿到達、食事を済ませてから床に就く。

22日7:00起床、朝食を済ませてから集落の家並みを歩いて再度巡る。

11:00フェリーで渡名喜港出発、久米島に向かう。
12:30久米島兼城港到達、レンタカーで島巡り。

きめ細かな真っ白い砂が、2kmにもおよぶロングビーチをつくりだす。海底の砂は沖合いまで続き、波は穏やかで美しいイーフビーチを訪れる。

島の東に位置する離島、奥武島の南側にある奇石群で直径1m〜2mの五角形・六角形の平滑な石が畳のように敷く詰められた様から畳石と呼ばれています。この石群は溶岩が冷え固まるときに冷却面に対して垂直に割れ目が走ってできる柱状節理で、これだけ広がりのある場所は全国的に珍しいとされています畳石を訪れ

奥武島「畳石」のすぐ近くにある、ウミガメの保護を目的とした施設。絶滅の危機にあるウミガメ類の現状をパネルや映像でわかりやすく説明しています。大水槽ではゆったりと泳ぐウミガメの姿を見ることができ、アカウミガメ、アオウミガメ、タイマイのかわいらしい子ガメ達の水槽もあります久米島ウミガメ館を見学。

深みのある色合いと伝統の絣模様が美しい久米島紬。日本の紬絣技法は久米島を起点に発達したといわれており、国の重要無形文化財にも指定されています。「久米島紬の里ユイマール館」は久米島紬の共同作業所で、ほぼすべての工程を見学することができます。併設の「展示資料館」では久米島紬の歴史や工程の説明、植物染料の紹介、作品の展示を見ることができ、また久米島紬を使った小物やネクタイなどの販売もおこなっています久米島紬ユイマール館を見学。


島の北東部海岸を高さ約200mの断崖(方言:バンタ)から見下ろす景色はエメラルドグリーンの海と海岸線が美しく、はての浜や遠方の粟国島、渡名喜島、慶良間諸島が一望できます比屋定バンタを訪れる。

沖縄で最も高い位置(標高309m)にあるとされる城跡で、城壁は安山岩の野面積みによって築かれています。城内からは中国製陶磁器が出土や外洋大型船に使用された思われる碇石が発見され、外国との交易が盛んだったことがうかがえます。
また、島で最も高い山頂ですので、島の大半以上、そして隣の島々や晴れた日には沖縄本島が眺望でき雄大なパノラマを堪能することができます宇江城城跡を訪れる。


海に面した石灰岩の丘陵地に立地し、東側の正門跡以外は高さ30m以上の断崖になっています。15世紀後期に築かれたとされ、城壁は石灰岩又は安山岩を混ぜた積み方に特徴があります。ここから青磁・中国古銭・陶器類が出土しており、外国との交易が盛んだったことがうかがえます具志川城跡を訪れる。

石灰岩と凝灰角礫岩からなる岩が寄添い、浸食や風化によって造形された方言で穴開きを意する奇岩です。岩の割れ目が女性の象徴として例えられ子宝に恵まれない女性が拝むと、ご利益がある?と言われるようです。海岸は地元で磯釣りのポイントとして親しまれておりますミーフガーを訪れる。

人気のない寂しい農道で不思議な現象に出会います。お化けが出る?坂の途中で車を止めギアをニュートラルにしてブレーキを放してみると勾配に反して車が動き出します。実は国内に数本しかない目の錯覚を起す道路なんですおばけ坂を通過する。

古くからこの地にリュウキュウマツが植えられていたとされ現在のものは1839年に二代目として植え換えられたとの記録があります。通常の松は成長につれ上に伸びますが、幹周り約4.3mに対し高さが約6mしかなく、枝ぶりは特に見事で根元から太い枝が石を枕に地表を這い、その面積は約250uにも及びます。美しさと風格を称えられ琉歌にも詠われています五枝の松を見学。

間切り(役所)の地頭代を代々勤めた士族の家で、現在の建物は1754年に建築された木造平屋建です。屋敷は石垣と福木林に囲まれ、琉球王国時代の風水思想に基づいた民家の屋敷構えを今も残しています。また立派な石垣であることから「石垣殿地」と呼ばれる由縁でもあります上江洲家を見学。

沖縄県を代表する県指定天然記念物のクメジマボタルと島に棲む小さなホタルたち、ホタルを生かす島の生きものたちを、ミニ水族館やミニ昆虫館のような展示で紹介しています。島の生きものがおかれている現状を写真や資料で訴え、ホタル館の設立目的のひとつである保護・保全活動の要となっている久米島ホタル会の活動報告も展示されています久米島ホタル館を訪れる。残念ながら休館でした。


15:00久米島空港到達。
15:45久米島空港出発
16:20那覇空港到達、食事を済ませてから
19:40那覇空港出発
21:30神戸空港到達。

今回の旅行、今の冬、3回目の訪れである沖縄の2つの離島に足を運び、初めての訪れである小さくて静かな島、フクギに囲まれ、赤レンガの昔ながらの沖縄の家が保存された集落全体は、国の重要伝統的建造物群保存地域に指定されている渡名喜島をゴーカート気分の一人乗りの電気自動車で3周してくまなく島の観光名所を巡りました。

一方2回目の訪れである本島周辺離島でもっとも大きな島、久米島を訪れ、アクセス便の都合で3時間しか滞在できませんでしたが、島を一周する道路沿いに観光名所が密集しており、過去の記憶を取り戻しながらレンタカーで島を巡りました。

2泊3日の沖縄の2つの離島の旅、今まで訪れた離島の大半はあまり整備されてなく素朴な感じでしたが、さすが人気のある沖縄の近場の離島、道路も広く舗装され、観光しやすいように案内板もしっかりして整備され、観光しやすい2つの離島巡りでした。

沖縄の離島、訪れていない有人の離島は鳩間島、水納島、津堅島の3島になりました。
もうすぐ制覇です。頑張ります。















飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十九弾:広島県瀬戸内芸予諸島観光
2010年3月6ー7日


今回は多くの島が点在する瀬戸内海西部、広島県と愛媛県の間に位置する諸島大小数百の島からなり、そのうち有人島は約50島、それらの島に合計18万人強が住んでいるが、ほぼ全ての島で過疎化、高齢化が進行している。主な産業は造船、観光、柑橘類栽培である芸予諸島の20の島を車とフェリーで巡りました。

6日13:09新大阪駅新幹線のぞみで出発、福山でこだまに乗り換え
15:09三原駅到達、観光

1567年(永禄10)毛利元就の三男・小早川隆景が築いた平城の遺構。本丸をはじめ32の隅櫓、14の城門を築き、海に向かって開かれた船入と街道の入口に寺を配して、町全体が城郭兼軍港の機能を備えていた。現在は本丸跡をJR山陽本線が貫き石垣と堀が往時の名残をとどめる。満潮時、海に浮かぶように見えたため浮城とも呼ばれた三原城跡を散策する。

レンタカーで三原市南部にある筆影山一帯は、瀬戸内海国立公園に指定された景勝地。山頂から瀬戸内海が一望でき、春は桜の名所としても有名だ。その南西に位置する竜王山からも、瀬戸内の雄大な景色が楽しめる筆影山、竜王山の展望台を訪れたがあいにく霧がかかり眺望できませんでした。

尾道方面に向かう。

瀬戸内海に浮かぶ面積2.45km2、周囲約8kmの島で、全域が尾道市に属する。日本一のワケギの産地として知られる。尾道水道を挟んで尾道市街の南側、御幸瀬戸を挟んで向島の西側に位置し、向島とは向島大橋で結ばれている岩子島を一周する。

三原に戻り駅の近くのホテル到達後、市街地を散策して食事を済ませて床に就く。

7日6:00レンタカーで出発
6:30三原港カーフェリーで佐木島に向かう。

芸予諸島の島の一つで、ワケギ日本一の生産量を誇る町であり離島では珍しく漁業ではなく、ワケギ、メロン、トマトなど農業が主産業で戸数464戸・人口1033人の小さな島の佐木島を一周する。

カーフェリーで因島に向かう。

土生港到達、高速艇で4つの島、生名島、弓削島、佐島、岩城島を訪れる。

土生港に戻り高速自動車道で西條に向かう。

12:00西條到達。

西条駅前の東西に延びる、旧山陽道沿い約1kmの通り。白壁やなまこ壁の酒蔵と赤レンガの煙突が織りなす景観が美しい。現在でも酒造りを続ける8軒の蔵元がある酒蔵通りを散策する。

大名や幕府要人などが宿泊に利用した広島藩領内9カ所のなかでも最大規模の御茶屋(本陣)。明治維新後は賀茂郡役所(後に賀茂地方事務所)となり、芸南地方の文化の中心地となった。現在は賀茂鶴酒造の敷地内にある御茶屋跡(本陣跡)を訪れる。

瀬戸内海芸予諸島に向かう。

以前訪れた下蒲刈島、上蒲刈島を通過して広島県呉市にある瀬戸内海の島で、美しい景観と数多くの観光スポット、伝統のある壮麗なお祭り、ひじきなど瀬戸内ならではの美味しい特産品などに恵まれた秘境の豊島を通過。

瀬戸内海のほぼ中央に位置し、大崎上島とともに全国屈指の温州ミカンの産地。山の斜面には石垣を積んだ段々畑が続き、堀には全国でも珍しい農業用の船が浮かぶ。特に東端の御手洗地区は、江戸時代から昭和初期まで瀬戸内航路の宿泊港として栄え、往時のままの美しい町並みを残している大崎下島を訪れる。

国の重要伝統的建造物群保存地区。江戸中期の町屋から昭和初期の洋館まで多様な建造物が残り、なまこ壁の美しい商人の屋敷や千本格子のある町屋、路地など、そのノスタルジックな町並みが往時を偲ばせる。若胡子屋[わかえびすや]跡は、最盛期には100人もの遊女を抱えていたと伝えられる茶屋の跡。地区の南端には江戸時代に築かれた石造りの大波止があり、住吉神社の太鼓橋のたもとには高さ6.18mの高灯籠が立つ御手洗の町並みを散策する。

小長港からフェリーで大崎上島に向かう。

大崎上島は以前クルーザーで訪れたことがあり橋でつながっている長島を訪れてから大西港でカーフェリーに乗り安芸津に向かう。

安芸津港到達後近くの広島県、安芸津町の南西部架橋で結ばれている農業が盛んで、主にミカンやビワが生産されている人口192人の大芝島を訪れる。

18:00三原に向かう。
19:00三原到達、食事を済ませてから
19:49新幹線こだまで出発、福山でひかりに乗り換え
21:25新大阪到達。

今回の旅行、広島県瀬戸内海に多くの島が点在する芸予諸島の20の島をを車とフェリーで訪れました。
瀬戸内海の島々は車とフェリー、クルーザーでいままでかなりの数をおとずれ、まだ足を運んでない島は残り少なくなりました。もう直ぐ制覇できそうです。頑張ります。

瀬戸内の島々は有名な観光名所は少ないですが離島に訪れた開放感、のどかさ、自然いっぱいの離島巡り、なかなか本土と違った楽しいものがあります。







飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十五弾:沖縄本土&伊是名島&伊平屋島観光
2010年1月9日ー11日


今回は大小160の島々からなり、わが国唯一の亜熱帯性気候で年平均気温約23℃の日本の南国リゾート沖縄に足を運び、本土の史跡、サンゴの石垣とフクギ並木に囲まれた赤瓦の家々が続き、美しい自然と沖縄の原風景が残る、自然と歴史の島、琉球王朝第二尚氏の始祖・尚円生誕の地でもある伊是名島、沖縄最北端の島で太陽に照り輝く美しい島、てるしのの島と呼ばれている箱庭のように連なる美しい山々の稜線に広がる田園風景、延々と続く砂浜、そして澄んだエメラルドグリーンの海、民俗学最後の宝庫といわれるように、さまざまな神事や伝統行事が今も守り伝えられている伊平屋島を訪れました。

9日14:30神戸空港出発
16:45那覇空港到達、レンタカーで名護方面に向かう。
18:30名護のホテル到着、市街地を散策して食事を済ませてから床に就く。
10日7:00レンタカーで出発、名護、本部の観光名所を巡る。

標高345mの名護岳に位置する名護市民の憩いの場所。14世紀に今帰仁城主の弟にあたる名護按司が居城としていたところで、現在は城壁なども残っていないが、周辺は公園として整備されている。長い石段を登ってたどり着く展望台からは、名護湾や市街を一望できる名護城跡・名護中央公園を散策する。

1957年(昭和32)創業。沖縄のビールメーカー・オリオンビールの工場。原料の説明から製造工程をスタッフと回りながら見学できるオリオンビール名護工場の前で撮影。

本部方面に向かう。
本部半島の北側、緑濃い山々に囲まれた連郭式の山城跡。約5万平方mの広さは首里城に匹敵する規模を誇り、かつては難攻不落・沖縄屈指の名城とうたわれた。沖縄に南山、中山、北山の3つの勢力が対立していた三山時代(14〜15世紀)、北部一帯を支配していた北山王が三代にわたって居城とし、幾重にも複雑に連なった城壁が当時の面影を今に残す。城跡の入口手前には、今帰仁村歴史文化センターがあり、今帰仁城や村周辺で暮らしてきた人々の歴史や文化を紹介している今帰仁城跡を散策する。

防風林として発達したフクギが、島の北西端、備瀬崎に面した備瀬集落を囲む。南蛮貿易時代にアジアから移植されたフクギは丈夫で成長が早く、厚い葉が特徴。沖縄本島では最大規模を誇る並木だけあって、集落全体のありとあらゆる道にフクギ並木が延々と立ち並び、まるで迷路のようだ。海洋博公園がすぐ近くだということを忘れてしまうような静けさが集落全体を包みこんでいる備瀬のフクギ並木を散策する。

1975年(昭和50)開催の沖縄国際海洋博覧会の跡地につくられた国営公園。沖縄美ら海水族館をはじめとする様々な施設がある海洋博公園を散策する。

海洋博公園内にある広大な植物園。2000株以上のランを中心に、熱帯・亜熱帯の花や果樹を鑑賞できる。中世の城をイメージした建物内には展望台もある熱帯ドリームセンターを訪れる。

海洋博公園内にある植物園。広大な敷地を使い、熱帯・亜熱帯植物による都市緑化技術の情報を提供する熱帯・亜熱帯都市緑化植物園を散策する。

10:00運天港到達
10:30フェリーで伊是名島に向かう。
11:25伊是名島伊是名港到達、レンタカーで島巡り

伊是名島は本部半島の北西約27kmに位置する周囲16kmの円形の島。琉球王朝第二尚氏の始祖、尚円王の出身地で、ゆかりの史跡が多い。沖縄の原風景ともいうべき家並みが残る伊是名集落。周囲を美しいサンゴ礁に囲まれており、周辺には具志川島、屋那覇島、降神島の3つの無人島がある。

伊是名島内に数多くある尚円王ゆかりの史跡のひとつで、この場所は尚円王の生誕地。王国時代から大切に護られてきた土地で、今も沖縄各地から参拝者が絶えない。園内には高さ3.5mの尚円王像が東方を指して堂々と立っている。奥の林には県史跡の尚円王生誕地屋敷・御臍所[みほそじょ]がある。1415年(応永22)に、金丸が誕生した場所で、大きな石の下にへその緒が祭られている。近くには金丸が産湯を使ったという馬蹄形の井泉、潮平御川がある尚円王御庭公園を散策する。

フクギ並木やサンゴの石垣、赤瓦屋根の民家など、沖縄の原風景といったたたずまいを残す閑静な集落。近世には島の番所(役所)が置かれていた。尚円王ゆかりの旧家の屋敷や、デイゴの大木が歴史の古さを語っている伊是名集落を散策する。

ノロとは村の神事を主宰する神女のこと。伊是名集落のノロ殿内には、推定樹齢400年という県下随一のデイゴの大木が立っているノロ殿内とデイゴを訪れる。

伊是名集落にある尚円王の叔父が先祖の銘苅家は、王朝時代に代々島の地頭職を務めた旧家。その住宅が国指定重要文化財に指定されている。門から入ると正面にヒンプンが、右側には屋根付きの門が立ち、女性は門、男性はヒンプンの左側から出入りしていたという。現在の建物は1905年(明治38)の再建で、母屋と那覇からの客の宿泊場所だったアサギ(離れ屋)の2棟がある。良質のマキ材を使って、伝統的な沖縄の建築様式で建てられている。母屋の背面と台所の外壁が漆喰塗りになっていることと、母屋とアサギが別棟でありながら屋根がひと続きなのが特徴の銘苅殿内を訪れる。

ギタラとは尖った岩山のことで、海にあるのが海ギタラ、山間にあるのが陸ギタラと呼ばれお互い向かい合うように競り立っている。両ギタラの中間にはギタラ展望台があり、ここから両ギタラを間近に眺めることができる。また、ここから車で5分の所にはしらさぎ展望台があり、両ギタラはもちろん、チヂン岳や伊是名城跡など伊是名島を代表する美しい景色が一望できる海ギタラ 陸ギタラを訪れる。

伊是名島にある。第二尚氏に先立ち、1429年に琉球初の統一王朝である第一尚氏王朝を築いたのは尚巴志だが、島の東端にある伊是名城跡は、14世紀中ごろ尚巴志の祖父にあたる鮫川大主が築城した城だ。珪岩[けいがん]でできた城は海抜約100m、三方が海や絶壁という天然の要塞で見事なピラミッド型をしている。山全体が城で、北側に石垣が築かれている。この城は鮫川大主が本島へ移ると廃城になった。県指定史跡の伊是名城跡を訪れる。

尚円王の息子、尚真王の時代の1501年(文亀元)、伊是名城跡の北斜面に造られた第二尚氏王統の墓陵。首里の玉御殿が造営された直後のことだった。県指定史跡の伊是名玉御殿を訪れる。

中心部に向かう。

島の歴史や文化、民俗を学べる資料館。館内には尚円王の親族である銘苅殿内の所蔵品を常設展示している。祭事に使われた祭具や、首里の国王から賜ったという掛け軸、漆器など、貴重なものばかり。伊是名島の周辺は遺跡も豊富。島の北に浮かぶ無人島の具志川島で発掘された貝輪着装人骨の展示は見逃せない。貝輪8枚を腕につけたまま発掘されたという珍しい人骨で、約2500〜3500年前のものといわれている伊是名村ふれあい民俗館を見学。

島の約3分の1の面積を占める自然公園。山肌一面に琉球松が群生するさまは、巨大な盆栽のようだ。2kmの遊歩道には3つの東屋が設けられ、二見ガ浦海岸、伊是名山、地神岳などの景勝地を眺めながら散策できる。二見ガ浦海岸は「日本の渚100選」に選ばれたサンゴ礁の海。一角には陸ギタラと海ギタラとよばれる岩山が、山側と海側で向かい合うようにしてそそり立っている伊是名山森林公園を散策し眺望する。

17:00中心部にあるホテル到達、食事を済ませてから床に就く。

9:00チャーター艇で内花港から伊平屋島に向かう。
9:30伊平屋島に隣接する野甫島の野甫港到達、レンタカーで島巡り。

伊平屋島の南西海上500m沖に位置する、周囲4.82kmの島。野甫島と伊平屋島の間に、全長1244mの野甫大橋が架けられたのは1979年(昭和54)。橋の途中からは伊是名島・伊江島・沖縄本島が見渡せ、反対側にはシマサキ海岸景勝地とよばれる絶好の展望が広がる。橋の付け根の両岸には白砂のビーチもある野甫島を一周する。

本部半島から約40km、沖縄本島辺戸岬の真西約42kmの東シナ海に位置する沖縄県で最北の有人島。山がちだが平地には水田もある。南部の米崎ビーチは、全長1244mの野甫大橋で野甫島とつながっている。歴史的には第一尚氏ゆかりの島。クマヤ洞窟には天孫降臨伝説が伝わる伊平屋島を巡る。

島へ向かうフェリーが伊平屋島の玄関、前泊港に入ると、港のターミナルの背後に巨大な岩が見える。虎を伏したような形をしているので虎頭岩といわれ、自然の風水岩として島の人々に親しまれている。岩の斜面に設けられた階段で頂上まで登ることができ、海と山の景色を一望できる。近くには森林浴やハイキングに最適な腰岳森林公園もある虎頭岩を訪れる。

県の天然記念物。高さ78m、枝張り25m。枝の広がりは約770平方mにおよぶ。久米島の五枝の松とともに琉球松の二大銘木と讃えられ、1990年(平成2)には「新日本の銘木100選」にも選定。古くから名松として知られ、琉歌にも歌われているが、実は今の松は2代目にあたる。兄松と呼ばれる先代は、約540年前に植えられたが盗伐されてしまった。今の2代目が植えられたのは約300余年前という。松の周辺は公園として整備されている念頭平松を訪れる。

海に面してそびえ立つ高さ40mの岩山。県の天然記念物。岩の中にはクマヤ(籠穴)と呼ばれる洞窟がある。洞内は奥行き44m、幅14m、高さは6〜15mと、人が1人やっと通れるくらいの入口の狭さからは想像がつかないほど広い空間となっている。この岩には「南の島の天の岩戸伝説」ともいうべき内容の天孫降臨伝説が伝えられている。大昔、神々の間でもめごとが起こり、天照大神がここに隠れたといわれている。洞窟の奥では、古代人が住んだ跡が確認されている。内部は聖地・御嶽でもあるクマヤ洞窟を訪れる。

全山をクバ(ビロウ樹)の原生林に覆われた、高さ94mの山。県の天然記念物。島のほとんどの山に琉球松が群生しているのに、この山だけ古来沖縄で神のよりしろとされているクバに覆われているのは神秘的。島の最北端、田名崎にあるが、伊平屋島は沖縄県最北の有人離島なので、ここが沖縄の最北ポイントの田名のクバ山を訪れる。

伊平屋島の最北端、田名岬、クバ山にあるが、伊平屋島は沖縄県最北の有人離島なので、ここが沖縄の最北ポイント。頂上には伊平屋灯台が立つ。晴れて空気が澄んだ日には、やんばるの山々や鹿児島県最南端の与論島、その先の沖永良部島までを見渡すことができる伊平屋灯台を訪れる。

12:30前泊港到達
13:00フェリーで運天港に向かう。
14:20運天港到達、レンタカーで那覇に向かう。

途中約280年前に建てられた豪農屋敷で、沖縄戦の戦災を免れて琉球王朝時代の民家構造を完全に残している。1720年(享保10)ころには地頭職であったため、士族屋敷の形式としての風格もある。ほかにもトゥングワとよばれる屋根裏部分を物置きに使用するために屋根が低くなっている台所や、フールとよばれる豚小屋などに特徴がある。中世の日本の家屋と中国の建築の影響が随所に見られ、琉球時代の裕福な農家の暮らしを今に伝えている中村家住宅を訪れる。

中城湾を望む標高160mの高台にある世界文化遺産の名城跡。県内に300あまりが残されているグスクの中でも特に美しい遺構が残っており、国の史跡にも指定されている。先中城按司が築いた城を15世紀中頃、琉球が三山分立から統一へ向かった頃に活躍した築城家でもある座喜味城主の護佐丸が国王の命令により移り住み、三の郭と北の郭を増築し、完成させたといわれている。6つの城郭からなる連郭式の城は、琉球石灰岩の切石を基本に自然の岩石、地形的条件を生かした石垣が城壁を囲む。築城年代が違うため、切石積みの技法も野面積みと布積み、亀甲乱れ積みの3つの技法が見られる中城城跡を散策する。

17:30那覇空港到達。
19:00那覇空港出発。
20:40神戸空港到達。

今回の旅行、最近冬場は何回も訪れている南国の島、沖縄に足を運び、本土の由緒ある城跡をめぐり、又まだ訪れていない2つの離島、伊是名島、伊平屋島を訪れ、沖縄の歴史学習で重要な史跡巡り、二泊三日の旅、堪能しました。

今回で沖縄の有人離島で訪れていないのは鳩間島、渡名喜島、水納島、津堅島を残すのみとなりました。もう直ぐ沖縄の離島制覇です。頑張ります。






















飛行機で国内&海外の観光地巡り第八十弾:石垣島&波照間島&竹富島観光
2009年11月21−23日


今回は沖縄本島の南西、八重山諸島の玄関口、石垣島、星の綺麗な日本最南端の有人島、波照間島、八重山の美しい原風景が残る島、竹富島に足を運びました。

21日15:05関西国際空港出発
17:25那覇空港到達
18:40那覇空港出発
19:40石垣空港到達、タクシーで石垣港付近のホテルに向かう。
20:00ホテル到着後繁華街で食事を済ませて床に就く。
22日8:20高速艇で波照間に向かう。
9:20波照間港到達

石垣島から南西63kmの、日本最南端の有人島。高那崎には日本最南端の碑が立つ。サトウキビ栽培が中心ののどかな島で、中央に集落がある。この島は緯度が低いため、本州で見ることのできない星座が観測でき、口径200mm屈折式望遠鏡を備えた星空観測タワーが人気をよんでいる波照間島をレンタカーで巡る。

左回りで一周道路を走行する。

一週道路から浜へ向かう道へ歩いていく。突然目の前に広がるいくつも青色の景色は、思わず歓声をあげたくなるほど美しい。波照間島の北西部にある浜は、真っ白な砂浜とエメラルドグリーン海の美しい日本で一番南のビーチ、ニシ浜を訪れる。

島の西岸の波打ち際にある隆起サンゴ礁の上に、太い幹をぐねぐねとくねらせながら育つハマシタン(和名ミズガンピ)の大木群を見ることができる。群落内には二十数本の老大木があり、大きな木では樹高3.5m、幹の周囲が2mもあり、樹齢数百年に及ぶのではないかといわれ、町指定の天然記念物に指定されているハマシタン群落を散策する。

日本最南端の碑は、1972年(昭和47)の沖縄本土復帰を記念して立てられたもの。北回帰線までわずか66kmという位置にあり、目の前に広がる太平洋の先にはフィリピン諸島がある。海側へ出ると、左手に見えるのが高さ数10mの断崖絶壁が続く高那崎・日本最南端の碑を訪れる。

日本最南端の碑にほど近い場所に立つ観測タワー。館内のプラネタリウムでは波照間の夜空を上映している。屋上のドームにはコンピュータ制御された口径200mmの屈折式望遠鏡があり、夜には天体観察ができる星空観測タワーを訪れる。

シムスケーとは旧シムス村跡にある古井戸のこと。その昔、7ヵ月にも及ぶ大干ばつの際、1頭の牛がこの地を前足で掘り水を飲んでいた。それを見た人々はここに井戸を掘り、水を得て、命を救われたと伝えられているシムスケーを訪れる。

島の中央にある集落に向かう。

15世紀末、琉球王朝の重税に反対し、農民の代表として反乱を起こしたオヤケアカハチが生まれた屋敷跡の碑。今でも八重山が生んだ英雄として関係する碑が各地に残されているオヤケアカハチ生誕の碑を訪れる。

波照間港から集落へ向かうと気になる石垣がある。何かの遺跡のような雰囲気のこの地は「旧藩時代の火番所 会場の船舶の通報のために炊火を揚げた」と記された石碑が側にあり、歴史を感じさせる場所。側の階段を上がってみると、島中を見渡せ、遠くのほうに西表島さえも見ることができる。最高の眺めであるコート盛を訪れる。

13:00波照間港到達
13:15高速艇で石垣島に向かう。
14:15石垣港到達、石垣タウンを散策

本の最南端に位置する八重山諸島の歴史と文化を紹介している博物館。八重山上布や陶磁器などの美術工芸品、民具類をはじめ、琉球王府時代の古文書、南方から漂着したくり舟など八重山ならではの文物が約1万2000点収蔵され、600点の資料を展示している八重山博物館を見学。

戦後八重山民政府の知事に任命された吉野高善氏の陶器のコレクションや、民具、家具、歴史資料を収集・展示。沖縄の民家に招かれたような独特の雰囲気が印象的な南嶋民俗資料館を見学。

1819年(文政2)、宮良間切の頭職だった宮良親雲上當演が、琉球の伝統的な建築様式にのっとり造らせた館。世界大戦で沖縄本島の士族家屋はことごとく焼失したが、石垣島は戦火を免れた。そのため、当時の士族の邸宅を知る資料として、国の重要文化財に指定されている。母屋の右奥にある庭園は首里の名造園師、城間親雲上が設計監督したもので、国の名勝に指定されている宮良殿内を見学。

ホテルに戻ってから繁華街で食事を済ませて床に就く。

23日鳩間島に向かう予定でしたが波が高く高速艇が欠航、竹富島に変更。
7:30石垣港から高速艇で竹富島に向かう。
7:40竹富島到達
石垣島の西方約6km、サンゴ礁に囲まれた小島。島の集落には、昔ながらの赤瓦屋根の家並みが保たれ、国の町並み保存地区となっている。琉球民謡安里屋の発祥の地であり、集落の美しさは最も沖縄らしい島と讃えられる。毎年秋に国指定重要無形民俗文化財の種子取祭が島の人たち総出で行われる竹富島を歩いて左回りで島を一周する。

西表石垣国立公園竹富島の自然と伝統文化・芸能を紹介する施設の竹富島ゆがふ館を見学。

島で一番のサンセットスポットがここ。目の前には西表島やカヤマ島を望め、夕方になると海に沈む夕日と赤く染まる空を見にくる島の人も多い。昼間は真っ青な海に突き出た桟橋が印象的な西桟橋を訪れる。

コンドイビーチの南側にあるビーチ。別名星砂の浜ともいわれ、砂浜に手を押しつけると手のひらにたくさんの星砂や太陽砂がくっついてくるカイジ浜を訪れる。

島の中央部の集落に向かう。

1987年(昭和62)、国の伝統的建造物群保存地区に選定。ハイビスカスが咲き、サンゴを積み上げた石垣に囲まれた家の伝統的な赤瓦と白砂の道が美しいコントラストを見せる集落は、昔ながらの景観を残している。町中央の赤山公園にある、なごみの塔からの景観がすばらしい竹富島の集落を散策。

標高約20m、島で一番高いンブフルの丘の民家に立つ展望台。ンブフルの丘の名前の由来は、かつて仲筋集落の住民の飼っていた牛が夜中に逃げ出し、角をシャベルがわりに土や石を積み上げ一晩で丘を築き、朝になり頂上で「ンブフル、ンブフル」と鳴いたところからきているという。展望台は今から30年以上前、生盛氏という島民が島を見下ろしてみたいという思いで作ったそうだ。島全体をはじめ、西表島や石垣島など周辺の島々まで望むことができるンブフル展望台を訪れる。

赤瓦屋根が並ぶ集落のほぼ中央にある、赤山公園の丘に立つ塔。赤山丘には壇の浦の戦いで敗れた平家の落ち武者、赤山王が住んでいたという伝承がある。1953年に有志によって赤山丘一帯が集落に寄贈されると周辺を赤山公園として整備し、塔も竣工した。塔のてっぺんからは、町並み保存地区に指定された集落を見下ろすことができるなごみの塔を訪れる。

竹富島の代表的な織り物、ミンサーをはじめ、八重山地方の染織の製作工程を見学できる工芸館。帯やランチョンマット、財布といった製品を館内で展示販売もしている竹富民芸館を見学。

民芸品から伝統工芸品、美術品など約4000点を展示する、竹富島の歴史民俗資料館。もともとは喜宝院という、日本で最南端の寺の初代住職、上勢頭亨氏が蒐集した民俗、考古資料を保存展示したもの。その資料は多種多様だが、なかでも珍しいのは、わら算(琉球王朝時代に庶民がつくり出した文字の代用品で、わらの編み方や結び方などを組み合わせて、物の種類や量などを記したもの)。国の登録有形民俗文化財に指定されている喜宝院蒐集館を見学。

12:30竹富島港到達。
12:45高速艇で出発
12:55石垣島港到達、石垣タウン散策
15:40バスで石垣空港に向かう。
18:15石垣空港出発
19:05那覇空港到達
19:40那覇空港出発
21:10関西空港到達

今回の旅行、4回目の訪れの石垣島、前回2回にわたって波浪により波照間島断念、今回はやっとの思い出、日本の最南端の島、波照間島を訪れることが出来、満足できました。
しかし鳩間島は波浪のため足を運ぶことが出来ず、次回持ち越しとなりました。

鳩間島に代わって3回目の訪れとなる竹富島を歩いて細部にわたって十分な観光巡りしてきました。

11月ですが西高東低の冬型気圧、22日は晴れましたがその他の日は小雨で風がやや強く、なかなか八重山諸島の観光巡りは苦戦、今回も天候に恵まれない旅でした。
やはり天候の穏やかな夏に訪れることですね。

 











飛行機で国内&海外の観光地巡り第七十六弾:伊豆諸島八丈島・青ヶ島観光
2009年10月10−12日


今回は伊豆諸島の雄大な八丈富士や三原山のほか、温泉や島料理が楽しめる八丈島、伊豆諸島の最南端、火山が造り出す雄大な風景が広がる青ヶ島に足を運びました。

10日14:00伊丹空港出発
15:10羽田空港到達
15:50羽田空港出発
16:40八丈島空港到達、宿に到着後、市街地を散策して食事を済ませてから床に就く。

11日9:20ヘリコプターで出発
9:40青ヶ島到達、天候快晴、絶好の観光日和、レンタカーで島巡り

ヘリポート北側の森に有り、天明の大噴火ののち無人となった青ヶ島に帰島する際、航海の安全を祈願した船頭がその後事故に遭わなかったため金比羅大権現を歓請したとされている金比羅神社を訪れる。

島の北側に位置する展望台。標約250mの展望台からは神子の浦をほぼ真下に見ることができ、天気が良いと八丈島も眺めることができます。
展望台の横には神子の浦に下りることができる非難道がある神子の浦展望台を訪れる。

1785年に起きた天明の大噴火で、生き残った島民全員が八丈での避難生活を余儀なくされた時に、困難な生活を強いられた人々をまとめあげ、50年後に旧島民の帰島を果たした佐々木次郎太夫の屋敷跡。数年前まで建物が残っていたが、台風で崩壊してしまい、現在は玉石垣が残るだけだが、うっそうとしたソテツの大木や整然と積まれた石垣に往時を偲ばれる佐々木次郎太夫屋敷跡を訪れる。

島の鎮守様、玉石殿の急崖を登りつめると、静かに社がたっている大里神社を訪れる。

青ケ島と八丈島を結ぶ、還住丸が入港する島唯一の港。コンクリートで覆われた高さ200mほどの断崖絶壁の下に作られ、貨物はクレーンなどで運ぶ。港を作る適当な入江がないため、根を利用して作られたという岸壁には1年を通して太平洋の荒波が押し寄せ、何日も欠航になることも珍しくない。久しぶりに船が着いた日には、港は島の人や山ほどの貨物で大賑わいとなる。国内で最後まではしけ作業が行われていた港としても知られ、今でも港の隅に置かれたはしけ船が島民の苦労を伝えている。青ケ島の地形の厳しさを物語る荒々しい景観の港の三宝港を訪れる。

日本ではめったにみられない南方系のシダの一種、島のいたるところで見られるがこの一帯は特に群集しているオオタニワタリ群生地を訪れる。

内輪山である丸山の北斜面では、高温の地熱蒸気が何カ所からも吹き出す様子が見られる。電気がない時代、島では蒸気が噴き出す場所に家を建て、暖房や調理などに地熱蒸気を利用したという池之沢噴気孔群を訪れる。

大地から噴き出す地熱を利用した天然サウナ。浴槽や休憩室などを併設する地熱ふれあいサウナを訪れる。

天明の大噴火で形成された噴火口の青ヶ島火山カルデラの内輪山。外輪山の内側の山の景色を見ながら森林浴の出来るハイカーにはたまらないコースです。緑が360度広がる光景は、目にも優しく時間もやさしく進ませてくれます。のんびりと木々や草花を見ながらの散歩できる丸山遊歩道を散策する。

青ヶ島でもっとも標高の高い場所です。二重式火山である青ヶ島は内輪山と外輪山があり、標高432mの大凸部は、外側の火口である外輪山の最高地点。ここからは、内輪山の丸山全体も見渡すことが出来て、火山全体の様子もよく見える。島の最高峰でもあり、周囲を囲む大海原が、大パノラマで鑑賞出来る大凸部展望台を訪れる。

外輪山の頂上にある大里神社が島の鎮守であるのに対して、ここは、宝暦7年(1757)に、恋に破れた腹いせに島民7人を殺傷して入水自殺したした浅之助の霊を鎮めるためのいわば祟り神を祀る神社。今では縁結びの神様として島民の信仰を集めているが、苔むした急な玉石の階段を登る参道は、両脇から木々が生い茂り、どこか神秘的な雰囲気が漂う東台所神社を訪れる。

集落の背後にそびえる外輪山の北西部の尾根上にある公園。標高約400mの展望台からは、北の方角に八丈島の島影、南側には、まるでゼリーのような形の内輪山とカルデラが一望でき、類い稀な二重式火山からなる島の全容を観察できる尾山展望公園を散策する。

17:00宿に到達、食事を済ませてから床に就く。

12日9:45ヘリコプターで出発、天候曇り時々小雨
10:05八丈島空港到達、レンタカーで島巡り。

黒潮の影響を受けて独特な発達を遂げた八丈島の歴史と民俗についての資料を展示する資料館。旧八丈支庁舎の建物を利用した館内は、八丈島の自然、文化財や、民俗資料、自然、流人など9のコーナーに分かれており、系統ごとに分かりやすい展示がされている。中でも約7000年以上も前にこの島へ渡ってきた縄文人の遺跡の復元模型や土器を展示してある考古学のコーナーでは、未知なる世界に漕ぎ出した太古の人々の勇気と知恵に感心させられる。宇喜多秀家をはじめとする流人の暮らしぶりを紹介する流人コーナーも興味深い八丈島歴史民俗資料館を見学。

玉石垣とは、荒波に削られ角のとれた丸い石だけを使い、積み上げられた石垣のこと。島内随所で見られるが、かつて島庁がおかれた大里地区の玉石垣は規模・保存状態ともに最良のもので、観光ポスターなどにも度々登場。1日の糧を得るため、流人たちが海岸からひとつひとつ運び、丹念に積み上げて築いたものといわれ、景観の美しさだけでなく八丈の歴史の上でも貴重な資料となっている大里の玉石垣を散策する。

大里地区に残されたオリクネと呼ばれる八丈に昔から伝わる伝統工法による民家を修復して公開する施設。玉石垣に囲まれた敷地に足を踏み入れると、茅葺きの母屋をはじめ高倉や牛小屋(マヤ)をはじめ便所(カンジョ)まで復元され、昔の島の暮らしをうかがい知ることができる。中でも湿気から穀物を守るために床を高く上げた高倉や家を強い風雨から守るために周囲に植えられたタミの木などは、まさに南国の原風景といった趣で見る者をはるか昔の八丈にタイムスリップさせてくれるふるさと村を訪れる。

明治40年(1907)に竣工した全長151mのトンネルで、坂下と呼ばれる大賀郷と坂上と呼ばれる樫立を結ぶ島の重要な生活道路。このトンネルの大賀郷側からは、大きく裾野を広げる八丈富士や黒々とした玄武岩が広がる南原千畳岩海岸、青い海に浮かぶ八丈小島が一幅の絵を見るかのように並び、その壮大で秀麗な展望は八丈八景のひとつにも数えられている大坂トンネル展望台を訪れる。

江戸時代、お船預りを務めていた服部家の屋敷跡。「お船預り」とは、米に代わる年貢として黄八丈を納めるための御用船の船頭のことで、島では代官に次いで重要な役目だったという。屋敷の建物は残っていないが、流人の近藤富蔵が築いた二重の玉石垣や樹齢700年ともいわれる見事な蘇鉄から、当時の豪勢さが偲ばれる八丈服部屋敷を訪れる。

三原川が中之郷の水田用水路と交差するときにできる一風変わった名を持つ滝、落下する滝を裏側から見ることができることが名前のいわれで、光に透けたしぶきがシャワーのように降り注ぐ光景は爽快そのもの。滝は、ヘゴシダが生い茂る遊歩道をせせらぎの音を聞きながら5分ほど歩いたところにあり、亜熱帯ムードのミニトレッキングが楽しめる裏見ケ滝を訪れる。

洞輪沢港の背後にそびえる、高さ180mの断崖の上に設けられた展望台。絶壁に乗り出すかのように作られた展望台からは眼下の洞輪沢港はもちろん、半島状に張り出した小岩戸の鼻に連なるパノラマが広がる。晴れた日には、青く澄み渡る太平洋に浮かぶ青ケ島の島影も見ることができる。古くから夜は名月鑑賞の場としても知られており、八丈八景のひとつにも数えられている名古展望台を訪れる。

島の最東端、石積ケ鼻の高台に立つ高さ16.7mの円形灯台。昭和26年の開設当時、末吉地区には電気が導入されていたが、夜間2〜3時間しか送電されなかった。そのため、地元の要望で陸側の遮光をせずに街灯代わりの役目も果たした。オーシャンブルーの海に映える白亜の灯台は、記念撮影ポイントとしても人気が高い八丈島灯台を訪れる。

戻って島の北方に向かう。

八丈富士が噴火した際に流れ出た溶岩が海に流れ落ちてできた溶岩台地で、海に沿って長さ500m、幅100mの範囲に、黒々とした玄武岩が広がり、荒涼とした世界を形作っている。海に面した場所は長い年月を経て浸食され、岩壁に打ちつける波がしぶきになって飛び散る様子はまさに迫力のひとことの南原千畳敷を訪れる。

島の北端近くにある展望台。小島のほか、灯台、アロエ園の景色が楽しめます。御蔵島・三宅島が見えることもある永郷展望台を訪れる。

根と末吉を島の北東岸沿いに結ぶ登竜峠は、曲がりくねった道が天に昇っていく竜のように見えることから、この名が付いたというほど急坂、急カーブが連続する難所、途中にある展望台からは、正面に八丈富士と八丈小島、眼下に三根の町並みが広がり、おもいのほかの標高差に驚かされる。晴れた日には右手の海上に、三宅島や御蔵島のシルエットが浮かぶ登龍峠展望台を訪れる。

標高854mの美しい円錐形をした山。なだらかな山肌には広大な牧場があり、環状道路が整備されている八丈富士山をドライブする。

八丈富士七合目にある周回道路。平坦な道で、快適なドライブが楽しめる。道路沿いにある「ふれあい牧場」には、市街地を一望する展望台を訪れる。

島の自然に、一番手軽に・しかも幅広く触れることができるのが、植物公園。22ヘクタールの広大な敷地に、テーマ別8つのエリア、展望台、温室、ビジターセンターが設置され、「八丈島のキョン!」も飼育されている八丈植物公園を散策する。

公園内に、八丈の自然をわかりやすくした展示物やビデオを見ることができる八丈ビジターセンターを見学する。

八丈島は伊豆諸島で唯一、水田耕作がなされた島で鴨川に沿って水田が残り、ホタルの光が美しく幻想的なホタル水路を訪れる。

16:00八丈島空港到達
17:10八丈島出発
18:00羽田空港到達
19:00羽田空港出発
20:10伊丹空港到達

今回の旅行、伊豆七島の南端の2つの島に足を運び、島内で発掘された土器や石器などが縄文弥生時代のものから、古代より続く長い歴史を持ち、江戸時代では流刑地として重要な役割を果たすと共に、流民の受け入れは島独自の文化を作り、西の八丈富士と東の三原山、二つの山からなる火山島の八丈島。

周囲約9kmという非常に小さな島、海岸からせり上がる絶壁は、外輪山として島をぐるりと囲み、活発な火山活動によってできた外輪山のカルデラの中には、新たに出来た小さなお椀形の内輪山の丸山があり、このような火山を複式火山といい、世界的に珍しい存在の青ヶ島。

2泊3日の旅、2つの離島の火山で出来た変化に富んだ島の大自然と歴史文化に触れ満喫しました。














飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十九弾:横浜&鎌倉&江ノ島観光
2009年8月8−9日


今回は神奈川県の歴史ある港町山下公園、世界最大のチャイナタウン横浜中華街、かつて外人居留地だった山手、150を超える寺社が点在する古都鎌倉、海沿いの国道134号線のドライブコースの湘南に位置する観光名所、江ノ島に足を運びました。

8日14:00伊丹空港出発
15:10羽田空港到達、レンタカーで東京湾アクアラインを経由して千葉房総半島に向かう。

東京湾をはさむ木更津と川崎を、木更津沖合い4.4km に造られた人工島海ほたるを接点として、海上ルート5.1km と海底ルート約10kmの幹線道路で結ぶ東京湾アクアラインを走行。

木更津からは海の道を、川崎からは長いトンネルを抜けると、そこには東京湾周辺の景色を360度一望できるパーキングエリア「\海ほたる」\を訪れる。5階建てで中央が吹き抜けになった建物は3階までが駐車場、4階がショップとアミューズメントコーナー、5階にレストランと展望デッキがある

海ほたるにある袖ケ浦市郷土博物館の屋外展示施設の1つ。東京湾アクアライン建設に関する工程や歴史などを、詳細な模型やパネルで展示、紹介。また、東京湾の海上交通や産業の歴史について映像から学ぶこともできるアクアラインなるほど館を見学。

東京湾アクアラインを通過して千葉県房総半島にはいり南下する。

浦賀水道に面した標高120mの大坪山山頂に立つ高さ56mの観音像。地元出身の材木商である宇佐美氏が戦没者慰霊のために4年の歳月をかけて建てたもので、1961年(昭和36)に完成した。胎内に13仏7福神が安置され、314段のらせん階段を上っていく途中、腕、肩、冠にある展望窓から東京湾が望め、冠部分にある展望台からの眺めもよい東京湾観音を訪れる。

富津岬一帯に広がる公園。入口にはヤシが植えられ、海岸沿いには松林が続き明るく広々としている。岬先端にある明治百年記念展望塔からの眺めはすばらしい千葉県立富津公園を散策する。

狸囃子の童謡のモデルとなった寺。浄土真宗本願寺派の学問寺として、また、寺子屋として古くから親しまれてきた。境内で踊っていたタヌキと和尚の伝説にちなみ、野口雨情が作詞、中山晋平が作曲したのが『証誠寺の狸ばやし』の證誠寺を訪れる。

公園西側に広がる木更津海岸は潮干狩りの名所で、3月上旬〜8月まで多くの人で賑わいをみせる。中の島公園と鳥居崎海浜公園を結ぶ長さ236mの中の島大橋は歩行者専用橋なので、東京湾を行き交う船や木更津の町を眼下にゆっくりと眺められる中の島公園を散策する。

東京湾アクアライン経由で川崎方面に向かう。

19:00川崎駅近くのホテル到着後市街地を散策し、食事を済ませて床に就く。

9日5:00レンタカーで出発、天候曇りのち晴れ

川崎大師駅から表参道、仲見世と歩いて来ると、大山門が見えてくる。境内には平安朝様式の大本堂、高さ31.5mの八角五重塔、薬師殿などがあり、国道409号沿いの大師河原には自動車交通安全の祈祷殿がある川崎大師を散策する。

大師公園の中にある中国式公園。瀋秀園とは、中国・瀋陽市のすばらしい景色を集めた庭園という意味だ。川崎市と瀋陽市との友好都市提携5周年を記念して、1987年(昭和62)に造られた。秀湖と名づけられた池のほとりには知春亭、攬翠亭などの建物が点在する。蓮の池や柳の緑、瑠璃瓦の屋根、流れ落ちる滝など、風雅な古典庭園の様式が再現されている瀋秀園を訪れる。

湘南方面に向かう。

日本のヨット発祥地であり歴史と格式を持つ葉山マリーナを訪れる。

ヤシの木が並ぶ敷地にマンションが建ち並び、海にはクルーザーやヨットが浮かぶ厨子マリーナを訪れる。

海沿いの国道134号線を走行して材木座海岸、由比ガ浜、稲村ケ崎、七里ヶ浜を通過して江ノ島方面に向かう。

かつては、干潮時にようやく通行できた難所で、1333年(元弘3)の新田義貞の鎌倉攻めが開始されたという古戦場でもある。義貞が海中に黄金の太刀を投げ入れて龍神に祈ると、潮が引いたため、龍神が敵地への道を示してくれたと思った新田軍は志気が大いに高まり、磯伝いに鎌倉に突入したという故事はあまりにも有名だ。周辺は今は芝生が巡る海浜公園として整備され、江の島や遠く富士山を望める。特に夕日が沈む頃はシルエットが美しい。園内には新田義貞の碑と1910年(明治43)にこの沖合いで遭難した逗子開成中学校の生徒12名の霊を慰めるボート遭難慰霊碑(真白き富士の嶺碑)が立つ稲村ケ崎を訪れる。

最大のみどころは、水深6.5m、底面積144平方m、容量1000トン、厚さ41cmのアクリルガラスを使用した相模湾大水槽の中を泳ぐ約8000匹のマイワシの大群。そのほか深海コーナーでは海洋研究開発機構と協力し、日本初となる深海生物の長期飼育の様子を公開。またクラゲファンタジーホールでは世界で一番大きなクラゲの一つとされるシーネットルをはじめ、常時約15種類のクラゲを公開。イルカやアシカが愉快なパフォーマンスを見せてくれるショースタジアムもあり、遊びながら学ぶことができる、エデュテインメント型の水族館、新江ノ島水族館の前を通過して江ノ島大橋を渡り江ノ島到達。

明治時代、イギリスの貿易商サムエル・コッキング氏が世界各地から珍しい植物を集めて築造した大庭園が原型。苑内には、逆円錐形の江の島展望灯台、明治中期に建造されたれんが造りの温室遺構、藤沢市との姉妹・友好都市コーナーなどがある江の島サムエル・コッキング苑を訪れる。

江の島に伝わる、天女と五頭龍の伝説にちなんで造られた。見晴らしのよい恋人の丘に立ち、カップルの新名所として人気の恋人の丘龍恋の鐘を訪れる。

奥津宮を過ぎ、急な石段を降りたところに広がる幅約50mの海蝕台地。広々とした相模湾の向こうに富士の雄姿が美しい。その昔、建長寺の修行僧・自休と恋に落ちた相承院の稚児・白菊がここに身を投げ、自休も後を追ったという伝説がある稚児ケ淵を訪れる。

稚児ケ淵から断崖沿いに数10m進んだ、江の島最奥部にある海蝕洞窟。江の島信仰の発祥の地で、かつて弘法大師や日蓮聖人も修行したという霊場だ。奥行152mの第一岩屋と奥行112mの第二岩屋があり、神秘的な音響や照明で演出されたうす暗い中を歩いて見学できる江の島岩屋を訪れる。

鎌倉方面に向かう。

由比ケ浜から鶴岡八幡宮まで一直線に延びる大通り。延長約1.8kmで、その間に一ノ鳥居、二ノ鳥居、三ノ鳥居の三つの鳥居がある若宮大路を通過。

若宮大路の二ノ鳥居から三ノ鳥居まで、通りの中央が一段高くなっている長さ457mの歩道。源頼朝が、妻政子の安産を祈願して1182年(寿永元)に築いたもので、鶴岡八幡宮に近付くにつれ道幅が狭くなる遠近法を用いている。両側には桜が植えられ、春は段葛全体がみごとな桜のトンネルとなる
段葛を歩いて通過。

若宮大路を進むと、緑濃い樹木に包まれて朱塗りの社殿が立つ。1063年(康平6)、源頼義が奥州を平定した際に京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡(現在の材木座)に勧請し、由比若宮を建てたのが始まりという。その後1180年(治承4)、源頼朝公が鎌倉に入ると同時に現在地に移し、1191年(建久2)には背後の大臣山中腹に本宮を造営して源氏の氏神としてお祀りした。現在の建物は江戸時代の再建。今も鎌倉のシンボルとして賑わい、特に正月の初詣は全国有数の人出がある鶴岡八幡宮を散策する。

鶴岡八幡宮の三ノ鳥居をくぐるとすぐ左右に源平池があり、中央には石の太鼓橋が架っている。太鼓橋をはさんで東側の源氏池には産を意味する三つの島、西側の平家池には死を意味する四つの島が配されている。夏には紅白のハスが花開く源平池を訪れる。

鶴岡八幡宮境内の源氏池の中の島に鎮座する社。1180年(治承4)の源頼朝公旗上げの際に、弁財天の加護があったといわれている。江の島鎌倉七福神のひとつで、境内には奉納された数多くの旗が立ち並んでいる。社殿裏にある政子石は、夫婦円満、子宝の祈願石とされている旗上弁財天社を訪れる。

奈良の正倉院を模した校倉風の建物で、東鳥居の近くにある。鶴岡八幡宮だけでなく、鎌倉市内の各社寺が所蔵する仏像、工芸品、書画、古文書など貴重な文化財4800点余りを保管、展示している。代表的なものに建長寺の「蘭溪道隆像」[らんけいどうりゅうぞう](国宝)や鶴岡八幡宮の弁才天坐像(重要文化財)などがある鎌倉国宝館を見学。

鶴岡八幡宮の参道途中に立つ朱色も鮮やかな入母屋造の建物。義経の愛妾・静御前が、しずやしず しずのをだまき…と義経を慕って舞ったところと伝えられる舞殿(下拝殿)を訪れる。

鶴岡八幡宮内にあり、舞殿の右側に立つ流権現造の社殿。現在の建物は徳川2代将軍秀忠の命によって1624年(寛永元)に立て替えられたもので、江戸時代初期の建築様式をみることができる若宮(下宮)を訪れる。

鶴岡八幡宮内にあり、本宮へ通じる大石段の途中左手にそびえる、高さ約30m、幹回り約7m、樹齢1000余年という巨木。3代将軍源実朝公が、1219年(承久元)1月の雪の夜に、この木の陰にひそんでいた甥の公暁に暗殺されたという故事で知られ、隠れ銀杏ともよばれている大銀杏を見学。

鶴岡八幡宮内にあり、大銀杏脇の石段を上りつめたところに立つ。流権現造、総朱塗りという華麗な社殿には、極彩色の彫刻が施されている。1828年(文政11)に徳川11代将軍・家斉が再建したもので国の重要文化財に指定。左右に設けられた廻廊の一部は宝物殿となっており、神宝が数多く展示されている本宮(上宮)を訪れる。

東の金沢街道エリアに向かう。

鎌倉随一の萩の寺として有名。9月中旬には参道いっぱいに白萩が咲き乱れる。北条義時以来、執権職についていた北条氏の屋敷があったところで、北条氏滅亡後、その冥福を祈り後醍醐天皇が足利尊氏に命じて1335年(建武2)に建立した天台宗の古刹。本尊の子育経読地蔵大菩薩は地蔵像としては珍しい座像で、国の重要文化財に指定されている。こぢんまりとした境内には、本堂、鐘楼、聖徳太子を祭る太子堂などが立つ。全部で108種あるという椿をはじめ、サルスベリなど四季折々の花が咲く宝戒寺を訪れる。

大蔵幕府跡を見下ろす大倉山の中腹に、笠石を5枚積み重ねた高さ約2mの石塔が立っている。ここは頼朝の持仏堂があったところで、1199年(正治元)に亡くなった後に廟所とされ、法華堂が立っていた。また、頼朝の墓から右手の細い山道を登ると、頼朝の参謀だった大江広元の墓がある源頼朝墓を訪れる。

1104年(長治元)の創建と伝えられる古社。頼朝が大蔵幕府を開いた際に鬼門の守り神として崇拝したという。祭神は学問の神様・菅原道真で合格祈願の絵馬が数多く奉納されている。約100本の梅の木が植えられた境内には、河童を描き続けた漫画家の清水昆ゆかりの筆塚が立つ荏柄天神社を訪れる。

後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王を祭神として、1869年(明治2)明治天皇により創建された神社。鎌倉幕府が倒れ、親王は建武中興で征夷大将軍となったが、足利尊氏と対立してこの地に幽閉され殺められた。広い境内には本殿、拝殿、親王の遺品を展示する宝物殿、親王が幽閉されていたという土牢などがある鎌倉宮を訪れる。

鎌倉宮の東、紅葉ケ谷の奥にあり、鎌倉随一の花の寺として名高い。1月のロウバイにはじまり桜、アジサイ、芙蓉、萩など四季折々の花が境内狭しと咲き誇る。ことに梅や水仙が咲く1〜2月や紅葉の時期は多くの参拝者で賑わう。1327年(嘉暦2)の創建で、開山は夢窓国師。後に足利基氏が中興し、以来足利氏4代の菩提所となった。本堂の裏手には、夢窓国師の作といわれる岩肌の斜面を巧みに取り入れた池泉式庭園(名勝)がある。また大宅壮一の評論碑や、久保田万太郎句碑、吉田松陰留跡碑などもある瑞泉寺を訪れる。

1188年(文治4)に足利義兼が創建した鎌倉五山第五位の寺。室町時代には七堂伽藍を備え23の塔頭を数えたが、現在は1756年(宝歴6)に再建された本堂と客殿、庫裏などが立つ。手入れが行き届いた境内にはボタン、ウメ、サルスベリなど花木が多く、また寺宝の開山退耕禅師坐像は国の重要文化財に指定されている浄妙寺を訪れる。

滑川に架かる華の橋を渡った宅間ケ谷にあり、竹の寺として有名。1334年(建武元)足利尊氏の祖父・家時が、天岸慧広を開山として創建したと伝えられる。かつては足利、上杉両氏の菩提寺として栄え、裏山には足利一族の墓といわれるやぐらがある。本堂西側の竹の庭は1000本を越す孟宗竹がみごとな景観を見せている報国寺を訪れる。

滑川に架かる夷堂橋のたもとにある日蓮宗の寺。配流先の佐渡から帰った日蓮上人が身延山に入るまで滞在した夷堂の跡に、日出上人が1436年(永享8)に建立した。2世住職日朝上人の時、身延山から日蓮上人の遺骨を持ち帰り、分骨堂に納めた。以来東身延と称されて栄えたことから、日朝さまともよばれている。境内奥の墓地には、名刀正宗を生み出した刀工岡崎五郎正宗と、2代目貞宗の墓と伝えられる石塔がある本覚寺を訪れる。

北東の北鎌倉エリアに向かう。

臨済宗建長寺派の大本山で鎌倉五山の第一位。1253年(建長5)に5代執権北条時頼が、宋の高僧蘭渓道隆を開山として創建したわが国初の禅宗専門道場。最盛期には七堂伽藍を備え、1000人以上もの修行僧がいたという。たび重なる火災で当初の建物は焼失したが、江戸時代に沢庵禅師によって復興された。現在の堂宇は近世の再建や移築だが総門、三門、仏殿、法堂などが一直線に並び、中国宋時代の典型的な禅宗様式の伽藍配置を残している建長寺を散策する。

建長寺入口にあり、別名巨福門とよばれる。1943年(昭和18)に京都の般舟三昧院から移築されたもので、頭上にかかる額『巨福山』は宋出身の禅僧で10代住職一山一寧の筆によるという。巨の字に点が加えられているのは文字をひきしめるためで、百貫の重みに値するのでこの点を百貫点と称している。総門を入ると、広々とした境内に桜の老樹が立ち並んでいる総門(巨福門)を通過する。

建長寺内にあり、本尊の地蔵菩薩坐像を安置している。建物は、江戸初期の1647年(正保4)、徳川2代将軍・秀忠の夫人崇源院の霊廟を芝の増上寺から移築したもの。仏殿前のビャクシンの巨木は、蘭渓道隆が宋から持ってきて植えたものと伝わる仏殿を訪れる。

建長寺にあり、高さ約30mで入母屋造、裳階付、十二脚門の巨大な楼門。1775年(安永4)に万拙和尚が再建したもので『建長興国禅寺』の額は後深草天皇の宸筆と伝えられている。なお、禅宗では山門ではなく三門とよぶことが多い。悟りに入る3つの法門、つまり三解脱門のことで、この下を通ると心が清められるといわれている三門を訪れる。

建長寺内にあり、総門とともに京都般舟三昧院から移築された江戸後期の建物。方丈背後には、中央にさん碧池(心字形の池)を配した大覚禅師作と伝わる建長寺庭園(名勝)がある方丈を訪れる。

建長寺内にあり、三門右手にある茅葺き屋根の鐘楼に、創建当時の貴重な梵鐘が下がっている。高さ約2m、直径約1.25mの大きな梵鐘は、1255年(建長7)北条時頼が鋳物師物部重光に鋳造させたもの。蘭渓道隆の銘文があり、模様や形など藤原様式の美しさを今に伝えている梵鐘を訪れる。

建長寺裏山の勝上けん(標高145m)の山腹にある鎮守社。1890年(明治23)に、当時の建長寺住職が静岡県の方広寺(奥山半僧坊)から勧請したもので、半僧半俗姿(いわゆる天狗の姿)の半僧坊大権現を祭っている。交通安全、火盗除けなどにご利益があるとされ、参拝者が多い。境内には大天狗・小天狗像10体が立ち、また堂内には天狗の大団扇や下駄などが奉納されて特異な雰囲気。総門から徒歩約15分。さらに上がると勝上けんで、ここから天園にいたる尾根は、鎌倉アルプスとよばれるハイキングコースになっている半僧坊を訪れる。

アジサイ寺として有名な寺。境内には約2000株ものアジサイが植えられ、6月中旬のシーズンには青、紫、白などの花で埋まる。ことに小雨の日には花の色が一段と増して美しい。寺の創建は1160年(永暦元)に建てられた明月庵が始まり。1256年(建長8)に5代執権北条時頼が敷地内に最明寺という隠居所を建造。その後、嫡男の時宗が禅興寺として再興した。禅興寺は明治になって廃絶したが、塔頭の明月院だけが残った。境内には『紫陽花殿』の額がかかる1973年(昭和48)に再建された本堂や北条時頼の墓、鎌倉十井のひとつ瓶ノ井、明月院やぐらなどがある。時頼の墓は高さ約1mの苔むした宝篋印塔で、秋は紅葉に彩られる明月院を訪れる。

臨済宗円覚寺派の禅寺で、鎌倉五山の第四位。1281年(弘安4)、北条時頼の三男宗政の菩提を弔うために妻とその子師時が建立したという。鎌倉時代には七堂伽藍を備え、塔頭も11院ほどあった。現在は関東大震災後に再建された総門や仏殿などが立つ。すり減った石段を登って鐘楼を兼ねた中国風の山門を入ると、右手に本尊の木造三世仏坐像を安置する仏殿の曇華殿がある。境内には竹林ややぐらなどを巡る散策路が設けられ、禅寺にふさわしい閑寂なたたずまいをみせている。梅や桜、萩など花の寺としても人気。また、参道入口には鎌倉十井のひとつ、甘露ノ井がある浄智寺を訪れる。

鎌倉尼五山で唯一現存。1285年(弘安8)、北条時宗の妻・覚山尼が創建した臨済宗の寺。覚山尼は、妻が寺に駆け込んで3年間修行すれば離縁できるという縁切り寺法を定めたといわれ、以来駆込寺・縁切寺として知られるようになった。歴代の住職には後醍醐天皇の皇女用堂尼、豊臣秀頼の娘天秀尼といった名門出身の尼僧が多く、松ケ岡御所と称されるほど格式も高かった。明治初年に寺法が廃され、1903年(明治36)に男僧寺となった。梅、水仙、ボタン、桜、ハナショウブなど四季の花が咲く境内には、泰平殿や水月堂、松ケ岡宝蔵などが立つ。参道奥の墓地には、学者の西田幾太郎、和辻哲郎、作家の高見順、評論家の小林秀雄ら著名人の墓がある東慶寺を訪れる。

東慶寺内にあり、聖観音立像、離縁状、縁切関係の文書など多数の重要文化財を展示する松ケ岡宝蔵を見学。

臨済宗円覚寺派の大本山で、鎌倉五山の第二位。1282年(弘安5)8代執権北条時宗が、文永・弘安の役(蒙古襲来)の戦死者の霊を弔うため、宋の高僧無学祖元を招いて創建した。約6万平方mもの広大な境内には総門、山門、仏殿、方丈などの伽藍が一直線に並び、さらに夏目漱石や島崎藤村も参禅した帰源院や仏日庵、黄梅院など18の塔頭が山かげにひっそりと点在している。うっそうとした老杉に囲まれた山内は全域が国の史跡。禅林道場らしいすがすがしさと格式が感じられる円覚寺を散策する。

円覚寺内にあり、山門右手の急な石段を登った高台の鐘楼に吊されている。1301年(正安3)、9代執権北条貞時が鋳造させたもので高さ259.4cm、口径142cmの大きさは鎌倉一。常楽寺、建長寺の鐘と共に鎌倉三名鐘とされている洪鐘を訪れる。

円覚寺内にある、伏見上皇勅筆の圓覚興聖禅寺の額がかかる壮大な楼門。1783年(天明3)に再建されたもので、高さ約20m・木造2層のどっしりとした重厚な構えは円覚寺のシンボルとなっている。県重要文化財に指定の山門を訪れる。

円覚寺内にあり、1964年(昭和39)に再建された唐様禅宗様式の建物。本尊の宝冠釈迦如来座像(頭部は鎌倉時代、胴は江戸初期)や、梵天像、帝釈天像など鎌倉時代の貴重な仏像が安置されている。天井に描かれた巨大な『白龍の図』は前田青邨監修、守屋多々志揮毫によるものの仏殿を訪れる。

西の源氏山エリアに向かう。

臨済宗建長寺派の寺で、鎌倉五山の第三位。源頼朝が亡くなった翌1200年(正治2)に、妻の政子が栄西を開山として創建した。栄西は中国から初めてお茶を持ち帰り『喫茶養生記』を著した禅師。総門をくぐると50mほどの石畳の参道が一直線に続く。参道の正面に仏殿、右手に鐘楼と庫裏などが立つ。山門左手の道を行くと仏殿背後の墓地に北条政子、源実朝の墓と伝わるやぐらや、俳人高浜虚子、作家大佛次郎らの墓がある寿福寺を訪れる。

足利氏満の命を受けた上杉氏定が、空外を開山として1394年(応永元)に再建した臨済宗の寺。鎌倉三十三観音霊場の第二十六番札所。扇ケ谷の静かな住宅街にあり、カイドウをはじめ、梅、水仙、萩など花の寺としても名高い。境内には1785年(天明5)建立の庫裡や、浄智寺から移されたという仏殿、大正時代に再建された本堂などが立つ。山門前右手には鎌倉十井のひとつ底脱ノ井、左手奥の崖下に十六ノ井がある海蔵寺を訪れる。

海蔵寺内仏殿裏の山腹に板戸を閉めたやぐらがあり、直径約70cmのくぼみが4個ずつ4列に16個並んでいる。弘法大師が掘ったものと伝えられ、今も清水をたたえている十六ノ井を訪れる。

源義家が奥州征伐の戦勝を祈願したという源氏山の山頂一帯に造られた自然公園。桜並木や芝生の広場があり、市民の憩いの場として親しまれている。特に春は、3月に咲く彼岸桜から5月の山桜まで数多くの花見客で賑わう。中央広場には、高さ約2mの堂々たる頼朝像が立っている。また大仏ハイキングコースの、格好の休憩ポイントでもある源氏山公園を散策する。

南西の長谷エリアに向かう。

藤原不比等の子藤原房前が、736年(天平8)に徳道上人を開山として創建したと伝えられる浄土宗系の単立寺院。俗に長谷観音の名で知られている。室町期には足利氏によって本堂の再建や本尊の大修理が行われるなど、代々の権力者の保護を受けてきた。広い境内には、本尊の十一面観音像を安置する観音堂をはじめ阿弥陀堂、大黒堂、地蔵堂など6つの堂宇が立つほか、高浜虚子の句碑や久米正雄の胸像、高山樗牛の住居跡の碑などがある。観音堂南側の見晴台からの景色はすばらしく、由比ケ浜をはじめ、鎌倉の町を一望できる長谷寺を散策する。

長谷寺内にあり、高さ2.8mの阿弥陀如来座像を安置している。源頼朝が42歳の時に厄除けのために建立したと伝えられ、別名厄除け阿弥陀ともいう。鎌倉六阿弥陀仏のひとつに数えられている阿弥陀堂を訪れる。

長谷寺内にあり、高さ9.18mもある漆箔・寄木造の十一面観音像を安置している。木造の仏像では日本最大級。右手に錫杖、左手には蓮華をさした華瓶を持ち、金色に輝く姿は実に優美だ。長谷寺の縁起によると霊夢を得た徳道上人の祈願で、721年(養老5)に大和(奈良県)の泊瀬で1本の楠から2体の像が造られ、1つは奈良の長谷寺に安置し、もう1体は縁ある土地で民衆を救ってくれるようにと願いをこめて海に流された。10余年後に三浦半島の長井に漂着したものを、この地に移し創建したといわれている観音堂を見学。

長谷寺内にあり、弘法大師が彫ったと伝わる弁財天が祀られている(現在は宝物館に収蔵)。弁天堂背後にあるうす暗い弁天窟内は、ローソクの炎がゆらめく幻想的な雰囲気。壁面には弁財天と十六童子が刻まれている弁天堂を訪れる。

広い境内の奥に鎮座する大仏は、正式には浄土宗大異山高徳院浄泉寺の本尊の阿弥陀如来坐像(国宝)。5年の歳月をかけて1243年(寛元元)に完成した当初は木造だったが台風で倒壊し、1252年(建長4)に青銅製の大仏の鋳造が始められたといわれている。完成年月日や原型作者などは不明。1498年(明応7)に大仏殿が津波で流されてからは露座になり、大きな礎石だけが境内に残っている。像高は約11.31m、顔だけでも2.35mあり、重さは約121トン。胎内に入ると、下から8層に分けて鋳造の跡がよくわかり興味深い高徳院(鎌倉大仏)を訪れる。

高徳院鎌倉大仏の背後に立つ。朝鮮王朝の月宮殿を移築したもので、高徳院を再興した祐天上人を祭っている観月堂を訪れる。

高徳院鎌倉大仏の観月堂の隣に立つ。女流歌人与謝野晶子が、大仏を見て詠んだ短歌「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かなが刻まれている与謝野晶子歌碑を訪れる。

五代執権北条時頼の家臣宿屋光則が、日蓮の高弟日朗を開山として自邸に建立した寺。光則は日蓮の『立正安国論』を時頼に手渡した人物で、のちに日蓮に帰依した。本堂前には日蓮の直筆を写した高さ約3mの石碑が立つ。境内には梅や椿など四季折々の花木が植えられ、華やいだ雰囲気が漂う。特に高さ約5m、根回り1.2mのカイドウの巨木は有名。4月上旬に、薄紅色の花を咲かせて美しい。また、本堂裏には日蓮が佐渡に流罪になった際、日朗を幽閉した土牢がある光則寺を訪れる。

平安時代後期創立の古社。鎌倉・湘南地帯を開拓、鎌倉権之守として鎌倉武士団を率いた領主・鎌倉権五郎景政公を祀る。境内にはイチョウの大木や樹齢400年のタブの巨木が生い茂り、静寂そのもの。景政公が軽々と持ち上げたという105kgもある手玉石も残る御霊神社を訪れる。

極楽寺切通しの途中、石段を登った小高い丘の上にある真言密教の寺。弘法大師が修行した霊場跡に、1219年(承久元)北条泰時が創建したと伝えられる。本尊は不動明王(縁結び不動)。108段の参道の両側には般若心経の文字数と同じ262株のアジサイが植えられ、明月院と並ぶアジサイの名所。また、参道からは眼下に由比ケ浜の眺望が広がる成就院を訪れる。

貧者救済や病人の治療に尽くしたことで知られる忍性菩薩が、1259年(正元元)に創建した真言律宗の寺。本堂前には忍性菩薩が使用したと伝わる千服石臼や薬鉢がある。往時は七堂伽藍をはじめ49もの塔頭があったが度重なる火災や戦乱で大半が焼失。現在は山門や本堂などが山かげにひっそりと立っているのみだが、宝物殿には木造十大弟子立像(重要文化財)などの古仏像が数多く収蔵されている極楽寺を訪れる。

横浜山手方面に向かう。

1962年(昭和37)、イギリス兵舎のあった土地に開園。園内の展望台と、海側へ向いて置かれたベンチからは、MM21・大さん橋・横浜ベイブリッジまで横浜港を一望。横浜ベイブリッジの夜景が有名だ。北側の森は、フランス山地区とよばれる元フランス軍駐屯地。1971年(昭和46)に横浜市へ譲渡され、パリ中央市場と同じアーチが正面に立つ。イギリス館、山手111番館、大佛次郎記念館、県立神奈川近代文学館も併設する港の見える丘公園を散策する。

1926年(大正15)、米国人ラフィン氏邸として建てられたスペイン風の洋館。地階は鉄筋コンクリート、地上2階は木造の寄棟造り。ホールは開放的な吹き抜けになっている。設計者は、アメリカ人建築家J・H・モーガン。1920年(大正9)、東京・丸ビル建設のために来日。日本を愛したモーガンは横浜に移り住み、数多くの建物の設計を手がけた山手111番館を訪れる。

明治〜大正時代の横浜を今に伝える資料館。1909年(明治42)、和洋併設型住宅として建てられた中澤邸の洋館部分を、1977年(昭和52)に移築。開港当時の様子を描いた錦絵(横浜絵)、マンガの原型・ポンチ絵、ギヤマン、オルガン、蓄音機や外国人墓地全景の150分の1模型を解説付きで展示している山手資料館を見学。

港の見える丘公園の正面にある、外国人専用の墓地。1854年(安政元)に米ペリー戦艦上で事故死した海兵隊員ロバート・ウィリアムスがここに葬られたのが始まり。異郷の地・横浜で没した外国人、40カ国余り約4800人が1万8000平方mの敷地に眠る。生麦事件の犠牲者リチャードソン、旧国鉄の初代技師長モレル、電話技師メーソン、フェリス女学院創立者キダー、日本に漫画を伝えたワーグマンら文明開花の功労者をはじめ、著名人の墓も多い横浜外国人墓地を訪れる。

元町公園内、山手本通りに面して立つ白い洋館。1926年(大正15)、現代建築の父と言われるレーモンドの設計で、スイス人貿易商・エリスマンの私邸として建設。1990年(平成2)、公園内に移築・復元された。邸内では資料展示室のほか、暖炉のある応接室やサンルームなどを見学可、元町公園を一望できるエリスマン邸を訪れる。

1930年(昭和5)に建てられた、イギリス人貿易商ベリックの邸宅。建築家J・Hモーガンの設計でスパニッシュスタイルが基調。戦前に建築されて現存する山手外国人住宅では最も規模が大きい。セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用された後、2001年(平成13)に横浜市の所有となり、翌年から施設を公開している。正面の3連アーチ、瓦屋根を持つ煙突、幾何学模様のタイルなど多彩な装飾が見どころベーリック・ホールを訪れる。

敷地面積約1万3000平方m。石畳、噴水と花壇が美しい公園。明治期にイタリア領事館がおかれたことから、イタリア山と呼ばれる。高台にある展望台からは緑豊かな山手が一望可。園内には、2つの西洋館が移築されている山手イタリア山庭園を散策する。

山手イタリア山庭園にあるアメリカン・ヴィクトリアン調の洋館。ニューヨーク総領事を務めた明治政府の外交官が住んでいた。食堂、客間、書斎、寝室など、当時の様子を忠実に再現している外交官の家を訪れる。

山手イタリア山庭園入口の右側に立つ、大正末期に建てられた洋館。戦後は山手カトリック教会司祭館として使われていた。木造2階建て。フランス瓦、よろい戸を持つ典型的な外国人住宅。館内には居留地時代の展示資料や図書室もあるブラフ18番館を訪れる。

横浜中華街方面に向かう。

祭られている関羽は三国志で有名な武将だが、商売繁盛の神様としても信仰されている。初代は明治期に建造。現在のものは、1990年(平成2)に再建された4代目だ。北京瑠璃瓦・観音石竜柱など中国清朝時代の伝統的な建築工芸技術が施された絢爛豪華な建物は、中華街のシンボルにふさわしい横浜中華街関帝廟を訪れる。

吉本興業プロデュースのユニークな水族館。中国の南の島、小さな小学校がモチーフになっていて、下駄箱水槽や牢屋水槽などおもしろい水槽の宝庫。73本あるすべての水槽にクイズもついている。さかなの稚魚や卵のみを集めた、さかなの赤ちゃん水族館も併設するよしもとおもしろ水族館を見学。

山下公園方面に向かう。

横浜港を目の前に、大さん橋の東側から山下埠頭まで約1km続く日本最初の臨海公園。1930年(昭和5)、関東大震災の瓦礫を埋め立てて開園。芝生広場やバラ園をはじめ、赤い靴はいてた女の子の像、姉妹都市のサンディエゴから贈られた水の守護神像、かもめの水兵さん歌碑などが点在。園内には氷川丸が係留され、水の階段やステージなどもある山下公園を散策する。

日本最大規模の人形博物館。昭和初期、日米親善のために贈られた親善人形を含む、世界140カ国1300点の貴重な人形を展示。3階の人形ふれあいアトリエでは、人形作りの工程を映像で見ながら素材や道具にふれられるなど、ユニークな展示がたくさんの横浜人形の家を訪れる。

メリケン波止場とも呼ばれる長さ483m、幅約70mの桟橋。豪華客船のクイーンエリザベスIIをはじめ、外国航路の客船が訪れ、入港の際などは、大変な賑わいとなる。2002年に、3万トンクラスの客船が4隻同時に停泊できるターミナルが完成した。屋上広場からは、山下公園や横浜赤レンガ倉庫などミナトヨコハマの風景が一望できる大さん橋を訪れる。

1930年(昭和5)に三菱横浜造船所で造られた、総トン数1万2000トン、全長163.3mの豪華客船。30年にわたり太平洋を横断すること254回、合計2万5000人もの船客を運び、太平洋の女王とも呼ばれた。1961年(昭和36)から山下公園に係留され、アールデコの内装が美しい一等食堂や社交室、チャップリンも泊まった特別室などが見学できる日本郵船氷川丸を見学。

18:00羽田空港に向かう。
19:00羽田空港到達
20:15羽田空港出発
21:30神戸空港到達。

今回の旅行、観光名所の多い横浜に足を運びました。

初日は前回の千葉観光で渋滞で渡れなかった東京アクアラインを走行し、エンターテイメントとグルメスポットで有名な海ほたるによってから千葉県房総半島に入り内房の名所見物、散策して楽しみました。

横浜観光は海沿いのオーシャンビュー、マリンスポーツを楽しめる湘南をドライブし、江島神社や江ノ島展望灯台など見所が盛りたくさんの江ノ島、鶴岡八幡宮、北鎌倉の名刹、鎌倉大仏で知られる高徳院など、由緒ある寺社がたくさんあり、四季折々の花を求めて訪れる人が多い鎌倉、かつて外人居留地で今も当時の面影を残す優雅な洋館を見物しながら巡る山手、料理店の多さでは世界一、200をゆうに越える飲食店の横浜中華街、歴史ある港町のムードを満喫できる山下公園など早朝の5:00から夕刻の18:00までひたすら歩いて数多くの歴史的建造物を巡り堪能いたしました。

尚江ノ島で1時間30分、鎌倉で5時間、山手で1時間30分、横浜中華街で1時間、山下公園で1時間、計10時間歩き回りました。
今まで訪れた観光名所でこれだけ歩いたのは記憶が無いですね。
さすが両足にマメができ、疲労困憊でぐっすり眠ることが出来ました。
何キロ痩せたかな!

観光名所が比較的集中していたため、移動時間にあまり時間を費やす必要がなかったのが多くの名所を回ることができたのでしょうね。
おそらく実動13時間でこれだけ周れたのは過去最高です。
我ながら驚きの盛りたくさんの名所観光旅行でした。

多くの名所を訪れたことは、その結果当然活動記録もかなりの長文になります。
はたして何人の方がこの長文をすべて読みおえる事ができるのかな。
お疲れ様でした。






































飛行機で国内&海外の観光地巡り第六十七弾:北海道旭川&天売島&焼尻島&富良野観光
2009年7月18−20日


今回は北海道第二の都市旭川、100万羽の海鳥が生息する天売島、オンコの森と一面の牧草が大地を覆う焼尻島、広大なラベンダー畑で有名な富良野・美瑛、自然が繰り成す大迫力の景観、大雪山麓の層雲峡に足を運びました。

18日15:00神戸空港から出発
16:55新千歳空港到達、レンタカーで道央自動車道経由して旭川方面に向かう。
19:00旭川到達、市街地を散策して食事を済ませてから床に就く。
19日4:00レンタカーで出発、羽幌方面に向かう。天候曇りのち雨
途中、留萌のかつてニシンの見張り台でもあった岬は、夕陽に映し出されたニシンの群がきらきらと黄金色に輝きながら岸をめがけて押し寄せたことから呼ばれた黄金岬を訪れる。

日本海岸線沿いを北上し 日本最北端の国指定重要文化財、平成13年には北海道遺産にも認定され、明治38年頃に建築され、道内で現存する番屋では最大の規模を有し、当時雇い人が200人を超えた大鰊漁家。道の駅を併設し、年間を通じて公開されている旧花田家番屋を訪れる。

約3500uのバラ園と約7000uの芝生からなる広々とした開放的な空間。北方系も含め300種類以上、約2000株の花々が6月から9月まで咲き誇るはぼろバラ園を散策する。

道北西海岸の地平線と水平線を堪能でき、日本とは思えない光景を感じさせてくれる場所。遠く浮かぶ利尻富士をを染めながら落ちる夕陽を求め毎年訪れる人がいるみさき台公園を散策する。

道の駅富士見裏に広がる、41ヘクタールの敷地を持つ公園です。キャンプ場やバーベキューハウス、野外ステージ、遊歩道が整備されているほか、特色ある3コースが自慢のパークゴルフ場もあり、アウトドアレジャーを楽しむことができる富士見ヶ丘公園を散策する。

8:00羽幌港から高速艇で天売島に向かう。
9:00天売島到達、レンタカーで島巡り。
北海道留萌管内苫前郡羽幌町にある羽幌港の西30kmの日本海に浮かぶ。島の東側に並んで浮かぶ焼尻島とともに羽幌町に属している。面積5.50km2、人口は398人の天売島。

多数のオロロン鳥の繁殖地であった天売島。そのシンボル・赤岩は、海中から突き上げる鋭い矢尻の形をした、海抜48メートルの垂直岩です。周辺は赤岩の展望台として整備され、赤岩を望む険しいルートは階段に取り付けられ、赤岩が間近に迫る展望台から海鳥観察ができます。赤岩の展望台一帯の斜面は直径20センチほどの穴を掘って巣を作るウトウや草地に営巣するウミネコの繁殖地で、5〜7月には海鳥たちの子育てが間近で観察できるチャンスがある赤岩展望台を訪れる。

島の最高点に近接していて、西海岸の壮大な断崖絶壁群のスタート地点であり、海鳥繁殖地の中心ポイントに設けられています。海鳥の繁殖期は4月から8月までるシーズン中、観察舎内に設置つれている50倍の無料望遠鏡を覗くと断崖の岩棚ではウミウの子育て、海岸にちりばめられた岩礁で遊ぶ赤い足をしたケイマフリなどを見ることができる海鳥観察舎を訪れる。

断崖絶壁の終点が観音岬展望台で海鳥の繁殖地の終点でもあります。島内きってのウミネコの繁殖地で、カモメが空を覆い尽くすその数の多さと鳴き声に圧倒される百数十メートルの断崖絶壁群を恐々覗く観音岬展望台を訪れる。

最新情報がつまった天売島ウォッチングの拠点施設、海鳥だけでなく花や渡り鳥などの最新情報の天売島海鳥情報センター、海の宇宙館を見学。

10:30天売港フェリーで出発、焼尻島に向かう。
11:00焼尻島到達、観光ハイヤーで島巡り。

百年の計をたて、森を譲った焼尻人の先人たち。空を覆う自然林と、野鳥、野生の花の宝庫の焼尻島。

848年(嘉永元年)米国捕鯨船の船員ラナルド・マグドナルド(24歳)が鷹巣付近に漂着しました。その後単独で利尻島に渡り、松前藩に引き渡されます。松前藩から長崎に引き渡され、密入国者として監獄生活を送りながら役人に英語を教え、7ヶ月後に本国へ帰されます。英語を習った役人は、後の黒船来航の折りには通訳として活躍しました。日本初の英語教師のマクドナルドの漂流地を訪れる。

島の西南部の岬に広がる草原で、さえぎるものは何もない開放的な空間です。目の前には武蔵水道を挟んで約4キロ離れた天売島、東は手塩山系が連なり、南に暑寒別岳と雄冬岬の海岸線が走っています。そして北は、利尻島が陽炎のように水平線に揺れるなど、北の海全体が見通すことができる鷹の巣園地を訪れる。

道指定有形文化財の旧小納家をそっくり焼尻郷土館として解放しています。明治33年の建造で、外観はモダンな洋風の木造建築が見事です。小納家は石川県出身で、漁業、呉服、雑貨商などを営み、郵便・電信局の許可を受けていました。展示物には小納家の家具や生活用品の他、当時の逓信機器などが残されている焼尻郷土館を見学。

焼尻島の森は本道の森とは趣を異にしています。一部の樹木は天高く延びずに、上から押しつぶされたように得たが横に広がった匍伏型樹形や風圧に押されたように風下に傾いたまま成長した風衝型樹木。希有性森林相と言うのだそうで、この自然の力を素直に受け入れた樹木はミズナラやイチイに多く見られます。大陸からの強く激しい季節風や、雪の重みによるものだといわれ、森が深いために、若木は陽光を求めて木漏れ日を探しながら成長したためだと言われています。特に普通だと高さ15メートルに成長するオンコ(イチイ)が焼尻島のオンコの荘は高さわずか1メートル、その枝の広がりは直径10メートルを超える末広がりの巨木ぞろいなのオンコの荘を散策する。

13:10高速艇で焼尻島出発
14:10羽幌港到達、レンタカーで旭川に向かう。
17:00旭川到達、市街地を散策して食事を済ませて床に就く。

20日4:00出発、天候晴れ、層雲峡方面に向かう。
石狩川の上流、24kmに渡り柱状節理の断崖絶壁が続く渓谷。雪渓からは多くの滝が流れ落ち、周囲の原生林とともに見事な景観を見せている。かつてアイヌ語でソウウンベツ(滝の多い川の意)と呼ばれていたことから、1921年(大正10)、評論家・随筆家の大町桂月によってなずけられた層雲峡を訪れる。

温泉街から大函・小函へ行く途中にある滝で、流星の滝は約90mの落差を激しく流れ落ち、銀河の滝は120mの落差を水が白糸のように穏やかに落ちる様子から、男滝・女滝とも呼ばれている2つの滝を訪れる。

銀河・流星の滝から約2kmの所に柱状節理の岩が作り出す約160mの高さにまで及ぶ大迫力の絶壁が続く小函があります。小函からさらに2.5km進むと柱状節理でもより巨大な岩の断崖が続く大函があり、地球的規模の自然が創り出す圧巻の光景をまのあたりにすことができます。

標高1984m。5合目までロープウェイで7分、さらに7合目まではペアリフトで約15分で上がることができ、6月中旬〜8月には目の前に花畑が広がる黒岳を訪れる。

大雪山西方に向かう。
天津岩、涙岩、七福岩などさまざまな形の忠別川が造った柱状節理の断崖絶壁が続く渓谷、天人峡を訪れる。

天人峡の温泉街から忠別川の上流に向かい、探勝路を600mほど歩くと見えてくる天人峡最大のみどころ。落差は270mと北海道第一位を誇り、日本の滝百選にも選ばれている。断崖を7段にわたって岩肌をつたい落ちる繊細できめ細かい滝の流れは、その名の通り天女の羽衣を連想させる羽衣の滝を訪れる。

標高2291m。大雪山連峰の主峰で、北海道最高峰。高緯度にあるため本州の3000m級の環境があり、天女ケ原の湿原特有の植物、姿見の池やその周辺に咲く40数種類の高山植物などが観賞できる。日本では大雪山系だけにいるウスバキチョウ(天然記念物)、天然記念物に指定されている6種類の高山蝶、エゾナキウサギやエゾシカなど、多くの昆虫や動物が生息している旭岳をロープウエイで登り散策する。

旭川方面に戻る。
動物を自由に見せる、独自の行動展示で全国から注目の動物園。トンネル型の通路から空を飛ぶように泳ぐペンギンを見ることができるぺんぎん館や、300kgの巨体がダイビングし泳ぎ回るほっきょくぐま館、水槽とつながった円柱水槽(マリンウェイ)をアザラシが自由自在に行き交うあざらし館、地上17mの空中散歩を見られるおらんうーたん館など人気の施設が多い。新施設オオカミの森もオープンした旭川市旭山動物園を訪れる。

富良野・美瑛方面に向かう。

国道237沿いの丘のうえにあり約3,000本のラベンダー・ひまわり・ポピーが咲き誇ります。か・香・遊ゼルブだそうです。丘の上の広い芝生で人生の骨休みできるゼルブの丘を散策する。

十勝岳を背にスッと立つポプラの木、何かとてもかっこいいですね、スカイラインのCMで使われたことで有名なケンとメリーの木を訪れる。

1977年(昭和52)、日本たばこのマイルドセブンのCMに使われた丘。豊かな黒土に新緑のアクセントが美しい春、紫色のラベンダーや白いジャガイモの花が咲き誇る夏、黄金色の小麦が揺れる実りの秋、丘一面が白一色に染まる冬。四季折々に表情を変える丘の風景は、まるで生きている絵画のよう。防風林に沈む夕陽も美しく、人気のシャッターポイントになっているマイルドセブンの丘を散策する。

美瑛の丘を見下ろす高台にあり、その2階からは視界を遮るものがない絶景の風景を眺められる。天候に恵まれれば大雪山連邦や、北側には水沢ダムも望める千代田の丘 見晴台を散策する。

小学校の校舎を再利用し、風景写真家・前田真三の作品が展示されているギャラリー。美瑛の美しい風景を日本中に知らせることとなった多くの作品をじっくりと鑑賞することができ、前田氏自身が撮影したハイビジョン映像も放映されている拓真館を見学。

大雪山系の眺望がすばらしく、東京ドームの約3倍の広さに春から秋まで数十種類の草花が見られる四季彩の丘を散策する。

総面積は15万m2で沿線最大規模の花畑。ラベンダーよりもジャーマンアイリスが有名なフラワーランドかみふらのを散策する。

人気ドラマ北の国からの貴重な資料を、歴史を感じさせる大きな倉庫を改装して展示しています。思い出のあのシーンが、鮮やかによみがえる北の国の資料館を見学。

富良野市の開基80周年を記念して造成したラベンダー園。3万4,000平方メートルにも渡って広がるラベンダーの花畑は、あまりの広大さにラベンダーの海と呼ばれているほどのハイランドふらのラベンダー園を散策する。

三笠方面に向かう。
別名化石の博物館とも言われ、天然記念物エゾミカサリュウ化石をはじめ、アンモナイト等1000点以上の展示物があります。また、北海道初の炭坑のまちとして栄えた歴史を刻んだ資料や、三笠の豊かな自然を知ることができる屋外博物館なども整備されている三笠市立博物館を見学。

道央自動車道経由して
18:00新千歳空港到達、食事を済ませてから
19:40新千歳空港出発
21:50関西国際空港到達。

今回の旅行、北海道の離島でまだ訪れていない100万羽の海鳥が生息する天売島、オンコの森と一面の牧草が大地を覆う焼尻島に足を運び、北海道の離島はすべて制覇しました。残念ながら当日天気が悪く、海が荒れ帰りの船便が欠航の恐れがあるため2島とも観光時間を短縮して巡り、予定より早く北海道本土の羽幌に戻りました。しかし運よく2島とも一周12kmの小さな島、レンタカー、観光ハイヤーを使って十分な名所巡りできました。

翌日は一転して天候がよくなり、絶好の観光日和、夜明けと共に出発し大雪山連峰を東と西とから攻め、高さ200mほどの断崖絶壁が連なる眺めは壮観の一言の層雲峡と2つの滝、西麓に抱かれる大雪山連峰の最高峰旭岳をロープウエイで登り、山頂からの360度の雄大な景色と群生する高山植物に目を向けて楽しめました。
又天人峡の日本の滝100選にも選ばれている落差270mの羽衣の滝は圧巻でした。

富良野・美瑛に向かい、いたるところにラベンダーを主とする広大は農園、お花畑の美しさはすばらしいものがありました。

2泊3日の北海道中央から北西のエリア、2つの離島を含めてドライブ観光旅行堪能しました。

北海道、本州と違って広大な平野、地平線を目の前にしてのドライブコース、そして険しい山脈、何回訪れても飽きのこないすばらしい景観を魅了させられます。
これからも頻繁に訪れてみたい北海道ドライブ観光旅行でした。


















飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十六弾:北九州小倉&門司・山口下関観光
2009年3月28−29日


九州の玄関口として重要拠点とされてきた城下町小倉、国際貿易港として繁栄し、レトロな風情が漂う門司港、本州最西端に位置し、源平の合戦、幕末の馬関戦争、日清講和条約の締結など、数々の歴史の舞台となってきた町、下関に足を運びました。

28日13:04新大阪駅新幹線のぞみで出発
15:31小倉駅到達、小倉タウン散策

陸軍第十二師団軍医部長として小倉に赴任した森鴎外が、1899年(明治32)から約1年半を過ごした家、森鴎外旧居を見学。
1602年(慶長7)細川忠興により築城されたが、戦乱により焼失、現在の天守閣は1959年(昭和34)に復元された小倉城を散策する。
小倉城に隣接し、小笠原流礼法の祖・小笠原氏の下屋敷跡に大名屋敷を再現した北九州市立小倉城庭園を見学。
『点と線』、『砂の器』などの代表作をもつ北九州市出身の作家松本清張の業績をたどる記念館、北九州市立松本清張記念館を見学。
文豪・森鴎外をはじめ、杉田久女、林扶美子、火野葦平など、北九州ゆかりの文学者を自筆の原稿や映像などで紹介している北九州市立文学館を見学。

小倉駅付近のホテルに到達後、繁華街を散策して食事を済ませてから宿に就く。

29日6:30レンタカーで出発、天候曇り、肌寒い、南の郊外、平尾台方面に向かう。
九州最大のカルスト台地、標高400m〜600m、小倉南区から行橋市にかけて、南北6km・東西2kmに及び、緑の中に白い石灰岩が点在する様子が牧草を食む羊の群れのように見えることから、羊群原ともよばれている平尾台を散策する。

九州自動車道経由して門司方面に向かう。

大陸貿易の玄関口として、1889年(明治22)に門司港が開港されると、港の周辺には海運会社や商社などの西洋建築物が次々と建てられ、それらを修復、復元して集めたのが、門司港駅とその周辺エリア、ノスタルジックな洋館のほか、ショップやレストラン、美術館なども続々登場して、今では福岡県有数の観光スポットとして人気を集めている門司港レトロ地区到達後散策。

門司港レトロ地区の起点となる1914年(大正3)に建てられたネオ・ルネッサンス様式の左右対称の木造2階建ての駅舎、駅として全国で初めて国の重要文化財に指定されたJR門司港駅を見学。
1921年(大正10)に三井物産の社交場として建てられたハーフティンバー様式の建物。館内はアールデコ調のデザインが施されている旧門司三井倶楽部を見学。
八角形の塔屋が目を引く大正時代の建物、大陸航路の待合室的存在だった旧大阪商船を見学。

1912年(明治45)に建築されたレンガ造りの重厚な建物、旧門司税関を見学。
1902年(明治35)帝政ロシアが中国・大連に建てたドイツ風の建築物を忠実に再現した北九州市立国際友好記念図書館を見学。
建築家・黒川紀章が設計した、31階建て高層マンションの最上階にある展望台、関門海峡、門司港レトロ地区の町並みを一望できる門司港レトロ展望室を見学。

旧九州鉄道本社を再整備しオープンした記念館、館内には九州を舞台としたパノラマ鉄道模型、電車の運転を疑似体験できる運転シミュレーターなどがあり、屋外には、本物そっくりの運転システムで遊べるミニ鉄道公園、九州各地で活躍した歴代の車両展示の車両展示場がある九州鉄道記念館を見学。

門司港から船で10分、彦島の400m沖に浮かぶ無人島、正式には船島といい、1612年(慶長17)に剣豪宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した舞台として名高い巌流島を散策する。

風光明媚な関門海峡の下を貫く全長780mの海底トンネル、関門トンネルを通過して下関方面長府に向かう。

1320年(元応2)に創建された古刹、仏殿(国宝)は鎌倉期のもので、わが国最古の唐様禅宗式建築、毛利元就に追われた大内義長はここで自刃し、幕末には京都を追われた三条実美等五卿が潜居していた寺で、高杉晋作が倒幕を目指して決起した地としても知られる功山寺を散策。
功山寺境内にある博物館、覚苑寺の鋳銭所跡から発掘された和同開珎や幕末に鋳造された青銅砲、長府藩主の毛利一族や陸軍大将・乃木希典の遺品など、歴史資料約1万点を収蔵・展示している下関市立長府博物館を見学。

1903年(明治36)に長府毛利家14代元敏が建て、明治天皇の宿泊所としても使われた屋敷、長府毛利邸を見学。

長府毛利藩の家老格であった、西運長の屋敷跡にある廻遊式日本庭園、長府庭園を散策する。

下関出身の狩野芳崖の作品を中心に高島北海、香月泰男、岸田劉生、藤田嗣治など下関ゆかりの画家の作品と、古代オリエントの美術工芸品を展示している下関市立美術館を見学。

下関港方面に向かう。
標高約268mの山で、かつてのろし場があったことからこの名が付き、頂上の展望台からは関門海峡や下関市街、玄界灘や周防灘まで眺められる火の山公園を散策する。

かつて源平の壇之浦の戦いが行われた古戦場で、園内には源義経・平知盛像と、幕末に長州藩が外国船を砲撃した長州砲のレプリカが置かれていて、関門海峡で最も狭い幅約700mの早鞆の瀬戸沿いにあり、関門橋や最速約10ノットという潮流、行き交う船などを間近に眺められるみもすそ川公園を散策。

1185年(寿永4)、壇之浦の戦いに敗れて入水した平清盛の孫・安徳天皇を祀る赤間神宮を訪れる。
1895年(明治28)4月17日、日清戦争の講和会議が開かれた旅館春帆楼の敷地内に立つ日清講和記念館を見学。
関門海峡を望む小高い丘の上に立つ洋館で、日本にオペラの基礎を創りあげた世界的オペラ歌手・藤原義江(1898〜1976)の記念館、藤原義江記念館を見学。

世界のフグ100種が泳ぐ水槽をはじめ、関門海峡をイメージした水槽など下関ならではの演出で海洋生物を展示する下関市立しものせき水族館海響館を見学。

明治〜大正時代、下関は日本の西の玄関口として大いに賑わい、当時の面影を今に伝えるのが、唐戸交差点周辺に残る旧下関英国領事館、旧秋田商会ビル、下関南部町郵便局3つの洋館、唐戸洋館めぐりを見学。

展示見本市会場や国際会議場などを有する海峡メッセ下関のシンボルタワー、高さ143mにある展望室は全面ガラス張りの球体にデザインされ、市街や関門海峡、巌流島、九州側の門司港レトロなど360度の展望が広がる海峡ゆめタワーで眺望する。

中国自動車道、風光明媚な関門海峡に架かる、全長1068mの吊り橋、中国自動車道と九州自動車道を結ぶ高速自動車道で、1973年(昭和48)に開通した関門橋、九州自動車道、北九州高速を経由して小倉到達。食事を済ませてから

17:44新幹線のぞみで出発
19:55新大阪到達。

今回の旅行、本州を眼前に九州の玄関口として重要拠点とされ、江戸時代には豊前小倉藩を細川氏と小笠原氏が治め多いに栄え、近代社会の発展の最先端を走り続けてきた城下町小倉。
明治・大正時代に海外交易の要衡として栄えた門司港、レンガ造りや木造の洋館など当時の面影を残す建物を集め、レトロな町並みとして保存する門司港レトロ地区。
下関市東部に位置し、長府毛利家や高杉普作をはじめとする維新の志士と縁の深い歴史ある閑静な城下町、長府。
本州の最西端に位置し、源平合戦の壇ノ浦の戦いや武蔵と小次郎の巌流島の決闘、幕末の馬関戦争、日清講和条約の締結など、数々の歴史の舞台となってきた町、下関。
古くから交通の要衡として栄え、今もなお、1日700隻もの船が行き交う関門海峡を挟む歴史あるエリア門司・下関、小倉、長府を含めて奥深い町並み、又ゆっくり時間を掛けて訪れてみたいエリアの歴史学習観光旅行でした。









飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十二弾:沖縄阿嘉島&慶留間観光
2009年2月7−8日


12回目の沖縄旅行、昨年秋に慶良間諸島の渡嘉敷島、座間味島訪れ、今回は慶良間諸島の残りの島、阿嘉島、慶留間島、外地島に足を運びました。

7日15:15関西国際空港出発
17:30那覇空港到達、ゆいレール経由で県庁前下車、国際通りを散策してからシーフードと石垣牛の食事を済ませてから泊港近くのホテルで宿を取る。

8日9:00天候曇り、泊港から高速艇で阿嘉島に向かう。
10:10阿嘉島港到達、レンタバイクで島巡り観光。

北東に向かい、阿嘉島の東部に広がるビーチで島の中で最も賑わい、目の前に安室島、安慶名敷島、座間味島が浮かぶ北浜ビーチを散策する。

港方面に戻ってから南西に向かう。
阿嘉島の南部に位置し、南方に阿嘉島大橋、慶留間島、外地島、東には安室島の向こうに渡嘉敷島も見える天城展望台を訪れる。

阿嘉島の南西部に位置する浜で夕日のポイントでもあるひずしビーチを散策する。

北に向かい中岳展望台、後原展望台で阿嘉島周辺の島々が点在するエメラルドグリーンの海を眺望する。

阿嘉島の西にあるロングビーチ、後原ビーチを散策する。

集落、港方面に戻り阿嘉島と慶留間島を結び、総延長530mの阿嘉島大橋を通過して慶留間島に向かう。

船頭主家と呼ばれる旧家で、琉球王府時代の末期に建設されたものといわれ、離島の民家としては建築年代が古く、国の重要文化財に指定されている高良家を見学。

慶留間島の南部にある慶留間橋を通過して外地島に入りケラマ空港近くの沖縄本土も望める外地展望台を訪れる。

15:30フェリーで阿嘉島港出発
17:00泊港到達、国際通りに向かう。

国際通りで食事を済ませてから県庁前駅でゆいレールに乗り那覇空港に向かう。

19:40那覇空港出発
21:25関西国際空港到達

今回の旅行、慶良間諸島の座間味島の南、渡嘉敷島の西に位置し、島内はほとんど森林原野で覆われ、国指定天然記念物のケラマジカが生息し、自然豊かな島はダイビングポイントとしても人気で展望台やビーチなど、どこからも慶良間の島々を見渡すことが出来る阿嘉島。

阿嘉島と橋で結ばれ、人口90名の小さな島、琉球王朝時代には中国との海上貿易の中継地として栄え、島出身者が船頭の大役を担い、国指定重要文化財の高良家は往時の繁栄ぶりをいまに伝え、赤レンガの家並みが数多く残る静かな雰囲気の島、慶留間島。

慶良間空港が位置する無人の島、外地島をレンタバイクで観光巡りしました。

前回の慶良間諸島の渡嘉敷島、座間味島を含め、2回目の慶良間諸島の訪れ、数多くある慶良間諸島の島々をほぼ制覇しました。

世界的にダイバーには有名なダイビングスポットの多い慶良間諸島、観光面では地味ではあるが、のんびり落ち着くことが出来る島、各島の周囲に島々が点在する綺麗な海を見渡せる随所に位置する展望台、透き通ったサンゴ礁の海、綺麗なビーチ、結構楽しめる観光旅行でした。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第五十弾:沖縄北大東島&南大東島観光
2009年1月10−12日


沖縄本島から遥か380kmかなたの、隆起サンゴ礁で出来た沖縄最東端の島、玉置半右衛門により1903年から開発が進み、サトウキビ栽培と燐鉱採掘で賑わいを見せた、北大東島と南大東島に足を運びました。

10日15:15関西国際空港出発
17:30那覇空港到達、国際通りを散策して食事を済ませて宿を取る。
11日7:30出発、天候曇り、那覇市内を散策しながら那覇空港に向かう。
9:00那覇空港到達。
10:15那覇空港出発、南大東島に向かう。
11:20南大東島空港到達、レンタカーで島巡り観光。

東に向かい波打ち際にある岩場を掘って造られた海水プール、海軍棒プールを訪れる。

北に向かい地層に亀裂が入り、岩場が割れているスポット、まるで岩の隙間に落ち込むような迫力のある風景が、岩間の奥深くまで続き、ダイトウビロウの木も生息するバリバリ岩を訪れる。

西北に向かい島内には約27箇所ある洞穴の中でも最大のもので、長さが約400mもあり、日本で唯一第三紀隆起サンゴ礁の中にある鍾乳洞で多種多様な鍾乳石が見られる星野洞鍾乳洞を訪れる。

島の中心部に向かい本来汽水域にできるオヒルギの群落(マングローブの構成種)が、島がまだ環礁だった頃の名残り、内陸封鎖型のマングロープとして生息、世界的にも珍しく、国の天然記念物にも指定されている大池のオヒルギ群落を散策する。

学術上も興味深い自然が多々残る南大東島は島がまるごとミュージアム、そんな島の情報を集めて発信し、さまざまな活動を行っている施設、ビジターセンター島まるごと館を見学。

島の開拓者玉置半右衛門によって作られた神社、信仰心の強い八丈島からの開拓者達によって崇められ、境内にはダイトウビロウなど多種の樹木が生い茂っており、開拓時代に思いを馳せてみる大東神社を訪れる。

約20年前まで、南大東のサトウキビ産業を支え、沖縄戦後唯一の軌道で、現在、ふるさと文化センターの前に展示されているシュガートレインを見物する。

南西に向かい、東の海軍棒プールと同様に波打ち際にある岩場を掘って造られた海水プール、潮の干満によって水位がかわる、塩屋海水プルーを訪れる。

島の中心の集落に位置するホテルで宿を取る。

12日天候晴れ、8:40南の亀池港からフェリーで出発。北大東島に向かう。
9:30北大東島の南に位置する江崎港到達、レンタカーで島巡り観光。

東に向かい、実際の最東端である真黒岬が到達困難な場所にあるため、代わって最東端を示す記念碑が飛行場の東にある沖縄最東端の碑を訪れる。

北西に向かい、戦前に燐鉱石採掘の拠点として使用されていた貯蔵庫や軌道、燐鉱石発掘を行っていた精糖会社の出張所などの跡地、燐鉱石貯蔵庫跡を訪れる。
すぐそばにある燐鉱石貯蔵庫から島外へ運ぶための燐鉱石が積み下ろしされていた港跡を訪れる。
明治18年に、日本の領土であるという証のために立てられた木製の標識、現在の標識は昭和12年に再建されたもので、周囲は公園として整備されている国標を訪れる。

島の中心に向かい、開拓の父玉置半右衛門によって建立され、開拓当初から天照大神を祭り、島民によって崇められてきた宮、大東宮を訪れる。

南西に向かい断崖絶壁が頑なに島を取り囲み、到達が困難だった無人島に初めて開拓団が上陸したと伝えられている場所、開拓当初はサトウキビの出荷港でもあり、上陸100周年を記念して造られたモニュメントがある上陸公園を散策する。

南に向かい、東西約1200m、幕のように連なる崖はその姿から別名屏風岩とも呼ばれ、付近一帯は貴重な植物の宝庫であり、ヒメタニワタリやハマオモトなどの植物群落は、国の天然記念物にも指定されている長幕を眺めながら通過する。

17:10北大東島空港出発。
18:30那覇空港到達。
19:50那覇空港出発。
21;25関西国際空港到達。

今回の旅行、水深が4000mの海底から立ち上がった火山島の頂にサンゴ礁が堆積し、数度にわたって隆起をした隆起サンゴ礁の島々で、高さ10m−20m級の断崖絶壁に取り囲まれており、1900年に八丈島出身の玉置半右衛門が開拓に着手してから、サトウキビ栽培と燐鉱石発掘拠点の島として発展、八丈島と沖縄の文化が入り混じった、独特の風土が根ずく島、北大東島と南大東島を訪れました。

両島はサトウキビ畑に覆われ、北大東島は燐鉱石発掘拠点としても賑わい、海岸線は隆起サンゴ礁で出来た島のため砂浜は無く、岩礁に取り囲まれ、住民も少ないため、自然そのままで、汚れを知らない海の透明度はおそらく今まで訪れた中でぴか一といっても過言ではないでしょうか。

フェリーで南大東島から北大東島に渡りましたが、島自体が火山の頂からできたもので周囲の海は水深も深く、波除の防波堤も作ることができない、そのため船は岸壁への係留は難しく、島の近くに待機して、人、荷物はオリの箱に入り、クレーンで積み上げで船から島、島から船へと移動、今まで見たことの無い光景で驚きの一言でした。

本土から沖縄を経て時間の掛かる遠方の島、目だった観光名所は少ないですが、珍しい隆起サンゴ礁の島、人的に改変しにくい島、自然一杯の島、訪れて過去に無いタイプの満足感を抱き、遠方の島巡り観光、無事終了致しました。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第四十六弾:沖縄渡嘉敷&座間味観光
2008年11月22−24日


今年3月、沖縄離島久高島以来10回目の訪れとなる沖縄で、今回は沖縄の西40kmに浮かぶ大小10余りの島々からなる慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島に足を運びました。

22日15:15関西国際空港出発
17:30那覇空港到着、ゆいレールで牧志駅下車、国際通り散策、新鮮な海の幸をいただいてから近くのホテル到達、宿泊。

23日天候快晴、絶好の観光日和、7:00出発。
宿から海沿いに、泊港に向かい散策、途中に中国福州の名勝をイメージして造られた異国情緒が漂う庭園、那覇市と中国福州市の国際友好都市締結10周年を記念して開園した福州園、海に張り出した険しい隆起サンゴ礁の上に立つ神社、熊野三社権現を祀る琉球八社の一つで海上交通の安全や豊漁、豊穣を司る波上宮を訪れる。

9:00高速艇で泊港出発
9:35渡嘉敷港到達、レンタカーで島巡り
南に向かい阿波連集落の前にあるサンゴ礁に囲まれた海岸に真っ白い砂浜が美しい風景を作り出している2つのビーチ、渡嘉志久ビーチ、阿波連ビーチを散策する。

阿波連ビーチの近くにある阿波連展望台、南端にある阿波連埼展望台から海岸線を眺望する。

渡嘉敷港に戻る途中の林道沿いの高台にある展望台で渡嘉敷港や集落が一望できる港の見える丘展望台を訪れる。

北に向かい島で最も高い海抜227mの赤間山頂に西と東の2箇所にある展望台から慶良間諸島に浮かぶ各島々を一望でき、周囲をぐるりと海に囲まれた県内でも指折りの絶景ポイント、西山展望台を訪れる。

15:30フェリーで渡嘉敷港出発
16:40泊港到達。
散策しながら沖縄県立博物館、美術館に向かう。
那覇市首里にあった旧県立博物館を移転してリニューアルし沖縄の自然、歴史、文化などに関する資料を収集、展示する沖縄県立博物館、沖縄で初めての県立美術館、郷土ゆかりの作家の近現代美術を中心にアジア、アメリカなど海外アーティストの作品も多数展示する沖縄県立美術館を見学。

国際通りに向かい散策して霜降りの石垣牛のステーキを頂いてから宿に就く。

14日天候曇りのち雨
7:30出発、泊港に向かう。
9:00高速艇で泊港出発
9:50座間味港到達、レンタカーで島巡り。

座間味港の西側に広がる公園にクジラをかたどった滑り台などの遊戯がそろい、公園前の海ではブリーチングするクジラのオブジェが海面から顔を出すなど、とにかくすべてがクジラ尽くしのくじら公園を散策する。

島の南西部に位置する映画でも有名になった犬、マリリンの像が阿嘉島に向かって立ち、遠浅のビーチで目の前に嘉比島や安慶名敷島などの慶良間の島々が浮かぶ阿真ビーチを散策する。

島の西に向かい西部の岬にあり、晴れていれば久米島が見え、サンセットのスポットとして知られている女瀬の崎展望台を訪れる。

島の北西に向かい北西部の断崖にある展望台で東シナ海が広範囲に見渡せる稲崎展望台を訪れる。

標高131mの高月山の頂上にある島を代表する展望台、展望台は2箇所あり、どちらも慶良間の海に浮かぶ島々が眺められる高月展望台を訪れる。

14:00フェリーで座間味港出発
16:10泊港到達
ゆいレールで那覇空港に向かう。
17:15那覇空港到達。
19:35那覇空港出発。
21:20関西空港到達。

今回の旅行、那覇から約40km西方の海上に位置する慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島、海が美しくダイビングポイントとしては世界的な知名度を持ち、近年ではホエールウォチングも盛んに行われている2島を2日間で巡りました。

訪れる旅行客は今のシーズンはほとんどがダイバー、島々はサンゴ礁に囲まれ、世界屈指の透明度を誇る海、納得できるように思われます。

又岬、山頂には多くの展望台があり、変化に富んだ海岸線、綺麗な海、慶良間の海に浮かぶ島々の眺望を楽しめ、観光客も十分満足のできる島々でもありました。

次回はまだ訪れていない慶良間諸島の島、阿嘉島に足を運びたいと思います。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第四十五弾:鹿児島喜界島&奄美大島&沖永良部島観光
2008年11月1−3日


連休を使って飛行機を6回乗り換え、奄美諸島の3つの島、地殻の変動により大陸から分離したといわれる奄美大島、海底のサンゴ礁が隆起してできたといわれる喜界島、沖永良部島を2泊3日で巡りました。

1日15:10伊丹空港出発
16:35鹿児島空港到達、空港高速バスで鹿児島市内に向かう。
17:30鹿児島市内のホテルに到達後、鹿児島タウンを散策して食事を済ませて宿を取る。

2日天候晴れ
6:10空港高速バスで鹿児島空港に向かう。
8:05鹿児島空港出発
9:20喜界島空港到達、レンタカーで島巡り。

喜界島空港近くの約18万uの敷地内にスギラビーチ、多目的広場、ミニゴルフ場などが設置している空港臨海公園を散策する。

1177年平家討伐を画策した鹿ヶ谷事件により俊寛が鬼界ヶ島へ流されたと伝えられ俊寛の像が立つ 僧 俊寛の墓を訪れる。

西の海岸に向かい、いろいろな形をしたサンゴ礁の間をぬって遊歩道が延びる夕日の散歩道といわれる荒木・中里遊歩道を散策する。

南に向かい標高130mにある公園、隆起サンゴを形成する海岸線を望める中西公園を散策する。

東に向かい奄美諸島に多く見られるサンゴを積み重ねた石垣、阿伝集落のサンゴの石垣を見物。

島の中央に向かい標高約200m、約700uを誇る隆起サンゴ礁の台地、奄美十景のひとつに数えられる百之台公園から喜界島360°を眺望する。

北東に向かい1165年源為朝が雁股の矢を放ち、それを抜き取ると湧き出たといわれている雁股の泉を訪れる。

小野津にある公園で奄美民謡で有名なムチャ加那節の主人公であるムチャ加那という娘をしのんで建立された碑があるムチャ加那公園を散策する。

14:30喜界島空港出発
15:00奄美大島空港到達、レンタカーで巡る。
奄美大島は昨年来2回目で前回周れなかった北東方面を中心に巡りました。

空港から東海岸に沿って北に向かい島を代表するサンゴ礁の海を眺めることが出来る土盛海岸を散策する。
奄美本島東北端の太平洋上に突き出た岬、起伏する地形が綾織りの鞠に似ていることから呼ばれたあやまる岬を散策する。

太平洋と東シナ海を一望する海抜120mの高台にある公園、蒲生崎観光公園を散策する。

名瀬の市街地に向かいホテル到着後、名瀬タウンを散策して食事を済ませて床に就く。

2日6:30レンタカーで出発、天候は雨のち曇り
名瀬から西に向かい日本の渚百選に数えられる海浜公園、園内には奄美海洋展示館がある大浜海浜公園を散策する。

サンゴでできた白砂のビーチ、国直海岸に寄ってから群倉とは穀物の貯蔵庫として使われた高倉で、釘を一本も使わずに梁や桁を組み合わせた組み合わせた造りは貴重な建造物とされている大和村の群倉を訪れる。
近くには奄美の動植物のすべてがわかる奄美野生生物保護センターが存する。

東に戻り大島北部にソテツの群生地とバショウの自然林が山を覆うほど自生する珍しいソテツ・バショウ群生地を訪れる。

バードウオッチングや昆虫観察に最適な奄美自然観察の森を訪れる。

奄美空港に向かい
10:30奄美空港出発
11:05沖永良部島空港到達、レンタカーで島巡り

サンゴ礁が東シナ海の荒海で侵食されて出来た洞窟、ダイナミックな水柱が立つフーチャを散策する。

エラブユリの歴史や生態を解説する和泊町歴史民俗資料館によってから西北端に向かう。

沖永良部島にはカルスト地形が多く見られるが、最も大規模で地元ではヤグニヤ岬と呼ばれ地面一面を覆う、なだらかな芝生の斜面を海の方向へ下りていくと、高さ40mの垂直な断崖絶壁や、サンゴ石灰石の奇岩怪石群が一面に点在して、海が穏やかな日には、ウミガメの遊泳する姿が見られることもある田皆岬を散策する。

島の中心部に向かい島にある300あまりの鍾乳洞のなかで最大規模を誇る昇竜洞を散策する。

近くにある海抜245mにある公園で与論島や沖縄を一望できる大山植物公園を散策する。

南に向かい、海岸線に沿って東に走行、亜熱帯植物が生い茂る海岸線、ライトブルーのサンゴなど美しい眺めが続く屋子母海岸を散策する。

海岸線に傘のような奇岩がいくつも切り立つ自然がつくりあげた景勝地、ウジジ浜を散策する。

北東に向かい沖永良部島へ流罪されたのち、島民に飢餓の備えを教えたといわれる西郷隆盛を祀る神社、南州神社を訪れる。

16:30沖永良部島空港到着
17:05沖永良部島空港出発
18:10鹿児島空港到達
19:15鹿児島空港出発
20:25伊丹空港到達

今回の旅行、2泊3日で飛行機を6回乗り換え、まだ訪れたことのない奄美諸島の喜界島、沖永良部島をめぐりました。(奄美大島は2回目です。)
2島ともサンゴ礁が隆起して出来た島、奄美大島のような大きな派手さのある名所は少なく、人も住居も車もまばら、地味ですが所々に自然・文化・歴史の名所があり、海の綺麗さ、海岸線の綺麗さはバツグンで、のどかで自然一杯の島々、リラクゼーション出来、島巡り満喫しました。

これから寒くなります。来年の春までは本州より暖かい九州、沖縄方面を攻めていきたいと思います。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第四十四弾:伊豆諸島新島観光
2008年10月25−26日


温暖な気候に恵まれ、雄大な自然を残している身近な伊豆諸島の世界的に有名なビーチのある新島に足を運びました。

25日14:30伊丹空港出発
15:40羽田空港到達、モノレール、山手線経由して東京駅到達
日没まで皇居周辺を散策する。
皇太子殿下のご成婚を記念して整備された和田倉噴水公園を訪れる。
皇居前広場から辰巳櫓を望み、皇居前広場から正門を経て宮殿に続く濠に2つの橋が架かり、手前をめがね橋、奥を正門鉄橋と総称した二重橋を訪れる。

幕末、大老、井伊直弼が暗殺された事件、桜田門外の変の舞台となった桜田門を訪れる。

皇居外苑の南東の一角にある銅像で、南北朝時代に後醍醐天皇を補佐して活躍した武士、楠正成が騎馬にまたがる姿の楠正成像を見学。

東京駅に戻り山手線、総武線を経由して両国駅下車、江戸時代から東京オリンピックまでの東京の歴史と文化を、日本橋の北半分、芝居小屋の中村座などの原寸復元や実際に手に触れて体験することができる展示で楽しく学べる江戸東京博物館を見学。

総武線、山手線を経由して品川駅下車、長さ20mのサメとエイの海中トンネルが見事なエプソン品川アクアスタジアムを見学する。

山手線で浜松町駅下車、歩いて竹芝桟橋到達。
22:00夜行フェリーで新島に向かう。

26日8:30新島港到達、レンタカーで島巡り。
天候雲り、風が強い。

世界レベルのサーフポイント、島の東岸に約6,5km続く白い砂浜、ハワイのノースショア並みのビッグウエイブが押し寄せる羽伏浦海岸、24万uの広さの公園を散策する。

島の至る所に100体以上の新島特産のコーガ石を素材として、プロの彫刻家、島民、観光客が作ったユニークな石像が並ぶのを確認する。

新島きってのビュースポット、標高432mの宮塚山中腹にある展望台、本村の集落や地内島、式根島、神津島などを望める富士見峠展望台を訪れる。

新島と式根島の自然や歴史を学べる新島村博物館を見学。

コーガ石のモニュメントが点在し、水尻の湧き水に親しめる公園、新島親水公園を散策する。

14:05のジェットホイルで東京方面に戻る予定でしたが生憎の低気圧で海が荒れ
ジェットホイルが大島から新島まで欠航、仕方なく12:00発のフェリーで大島に向かい、大島からジェットホイルに乗り換えて
16:40東京、竹芝桟橋に到達。
19:25羽田空港出発
20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、新島までの夜行フェリーの出発時刻が夜間22:00でしたので東京で時間的余裕があり、日没までは歴史的スポット、皇居周辺を散策し、その後遅くまで営業している江戸時代から東京オリンピックまでの東京の歴史を学べる江戸東京博物館、サメとエイの海中トンネルが見ごたえのあるエプソン品川アクアスタジアムを見学して時間を過ごし22:00夜行フェリーで竹芝桟橋を出発して翌日朝8:30新島港に到達して新島の世界的な有名なビーチ、羽伏浦海岸など自然に接し、離島への旅、日ごろの雑踏から逃れ、船旅も含めてリラクゼーションが出来た観光旅行でした。

伊豆諸島も今回で3つ目の島の訪れとなりました。
まだまだ訪れていない伊豆諸島の島々、徐々に制覇していきたいと思います。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第四十三弾:長崎五島列島観光
2008年10月11−13日


今回は長崎の離島、教会群と城下町の二つの歴史が共存する五島列島に足を運びました。

11日15:40関西国際空港出発
16:50福岡空港到達
17:40福岡空港出発
18:20五島福江空港到達、レンタカーで市内のホテル到着後市街地を散策して新鮮な海の幸をいただいてから宿を取る。

12日6:30レンタカーで出発、天候快晴、絶好の観光日和。
南東に向かい、五島列島主島の福江島のシンボル的な標高317mの火山、中腹より上は芝に覆われた美しい山、鬼岳を登り散策し、稜線上に到達、五島灘や五島市街を一望する。

鬼岳の大昔の噴火で流出した溶岩が、青い海に流れ込んで冷やされ、景観を形づくっている鐙瀬溶岩海岸を散策する。

南端の海岸線に沿って走行、島の南西端に位置する景勝地、東シナ海の荒波に削られた高さ100m以上の断崖がそそり立ち、緑濃い照葉樹林と群青の海とのコントラストが鮮やかで崖の先端には大瀬崎灯台が立つ大瀬崎断崖を訪れる。

北に向かい水ノ浦を望む斜面に入り江を見下ろす純白の天主堂が建つ、禁教令の解除寸前にキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れた地に、1880年創設、木造教会堂としては最大規模の水ノ浦教会を見学。

北東に向かい1879年禁教令解除後の五島における最初の教会として設立、堂内にキリシタン資料を展示する、五島カトリックのシンボル、堂崎教会を見学。

南に向かい五島市内を巡る。
石田城跡に立つ天守閣風の館内に、歴史資料などを展示、観光ビデオも上映する五島観光歴史資料館を見学。
幕末に石田場内に築かれた五島家の30代盛成の隠殿の庭園、石田城五島氏庭園を見学。
武家屋敷跡の石垣塀が連なる街を散策して一角にある観光施設、福江武家屋敷通りふるさと館を見学。

13:40カーフェリひさかで福良港出発
14:15久賀島田の浦港到達、車で島巡り。

1868年浦上のキリシタン処分決定に始まった弾圧は五島にも広がり、久賀島の信徒も厳しい拷問を受け、その場所がカトリック信徒因獄の跡で、僅か6坪の仮牢に200名近くの人が収監され、朝夕一切の芋を与えられるだけで、座ることもできず、人の体でせり上げられ宙に浮いたまま眠り、疲労と飢えで死者が続出し、入牢8ヶ月で殉教者42名となった牢屋の窄を訪れる。

山一面を覆う椿の原生林、その規模は日本一の久賀島椿原生林を散策する。

世界遺産暫定リストに含まれる1881年創設で大きな改変がされていないことから、創建時の形をよく残している貴重な建物と言える旧五輪教会を訪れる予定でしたがあまりにも道が険しく、又途中から道がかなり細くなりこれ以上車では無理と判断し断念しました。

17:22久賀島田の浦港出発
17:40福江島奥浦港到達。
市街地を散策後有名な五島うどんをいただいてから宿を取る。

13日今日も快晴、絶好の観光日和。
7:40カーフェリ長崎で福江港出発
8:50中通島奈良尾港到達
車で島巡り。

北に向かい1925年建立でトンガリ帽子のような鐘塔の木造教会、天井がパステルピンクに塗られた堂内はメルヘンチックな中ノ浦教会を見学。
新上五島町から東に向かい有田港ターミナルビル鯨賓館にある博物館、明治時代末期まで有川湾で行われていた捕鯨に関する資料などが展示する鯨賓館を見学。

北東に向かい頭ヶ島に入り、海辺の小さな集落に、1919年に完成、国重要文化財に指定されている全国的にも珍しい石造の天主堂、頭ヶ島天主堂を見学。教会の浜辺にはカトリック墓地が広がる。

戻って西に向かい海辺の集落の高台に立つ赤レンガの天主堂で銀色に輝く十字架を戴いた鐘塔が正面に高くそびえる大曽教会を見学。

北に向かい1910年建立、奈摩湾を見下ろす高台に立つステンドグラスが美しい国重要文化財に指定された青砂ヶ浦天主堂を見学。

南に戻り若松大橋を通過して若松島到達。
若松島に続く漁生浦島、有福島、日島をドライブ観光する。

15:05カーフェリ長崎で中通島奈良尾港出発。
16:15福江港到達。
18:55五島福江空港出発
19:30福岡空港到達
20:04博多駅新幹線ひかりで出発
22:49新大阪駅到達。

今回の旅行、長崎の西方沖、東シナ海に浮かぶ大小140ほどの島で構成され、主な島は南から北へ、福江・久賀・奈留・若松・中通の5つで奈留島より南を下五島、若松より北を上五島と呼ぶ五島列島を2泊3日で観光しました。時間の都合で奈留島には訪れることは出来ませんでした。

キリスト教禁制下の江戸時代、多くのカクレキリシタンが暮らしており、過酷な弾圧を受けながらも信仰を守り抜き、明治時代に禁教令が廃止されると自らの教会を自らの手で建立した世界遺産暫定リストに記載されていて国指定文化財の聖堂が多い、素朴な50ものカトリック教会群と五島最大の島である福江島の中心、福江は江戸時代に五島列島の大半を収めていた五島藩の旧城下町、幕末に異国船を警戒するために築かれた石田城跡や藩主の邸宅だった石田城五島氏庭園、立派な石垣の塀が連なる武家屋敷通りなど歴史を物語る史跡、文化遺産が残る。

一方福江島のシンボル的な火山、鬼岳、東シナ海の荒波に削られた高さ100m以上の断崖がそそり立つ雄大な景観などの自然遺産、多くの歴史的遺産の教会、島全域にわたって澄み切った海、又海岸線が美しい自然と文化の豊富な五島列島観光楽しめました。











飛行機で国内&海外の観光地巡り第三十五弾:北海道函館&奥尻島観光
2008年7月19−21日


今回は北海道に足を延ばして異国情緒あふれる観光地函館と、うにの名産で有名な奥尻島に行ってきました。

19日14:55関西国際空港出発
16:45新千歳空港到達、レンタカーで江差に向かう。
道央自動車道経由して9:00江差の宿に到達。
近くの居酒屋で食事を済ませてから床につく。

20日5:00レンタカーで早朝、江差周囲の観光名所を訪れる。
天候晴れ、ニシン漁で栄えた歴史的町並みを散策、漁業や廻船問屋で財を成した由緒あるニシン御殿、横山家、国指定の重要文化財、旧中村家住宅を見学。
16世紀前半に上の国で創立し江戸時代に江差に移転した法華寺、東洋のグランドキャニオンと呼ばれる白亜の断崖、館の岬、幕末にオランダで建造された幕府軍艦開陽丸をオランダに残っていた設計図をもとに復元した開陽丸青少年センターを訪れる。
ニシン漁と北前船の交易で栄えた江差、その拠点となった天然の港があった島、かもめ島を散策する。

7:00江差港からフェリーで奥尻島に向かう。
9:10奥尻港到達、レンタカーで島巡り。

南に向かい、鍋の取っ手に似ていることから名がつけられた奥尻島のシンボルともいえる鍋釣岩、奥尻島の特産物キタムラサキウニをモチーフとした、高さ13mの巨大なモニュメント、トゲの数は120本あり、夜になるとトゲの一本一本が光り輝くうにまるモニュメント訪れる。
南端に存する北海道南西沖地震での記憶、奥尻島の歴史を展示スペースや映像ホールで知ることの出来る奥尻島津波館を見学。
近くにある北海道南西沖地震への慰霊碑、時空翔を見学、中央にあるくぼみは震源の南西に向いていて、震災のあった7月12日には、夕日がそのくぼみへ沈むようになっている。

西に向かって北上して16haの敷地に5体の石像が点在する北追岬公園を訪れる。

北端に向かい海難犠牲者や幼少死亡者の慰霊地として信仰されてきた道南五霊場の一つで大小の石を積み重ねた無数の塔がその悲しみを物語る賽の河原を訪れる。
南に向かい江戸時代、島人は海の福の神弁天様の社を建てて大漁を祈願した宮津弁天宮を訪れる。

15:45奥尻港出発
18:00江差港到達、江差市街地を散策して食事を済ませてから宿を取る。

21日5:00レンタカーで出発、天候曇り

松前氏初代・武田信弘が1470年ごろ築いたとされる上之館勝山館跡を散策、海岸線を南に向かって走行。

1854年に築城された日本最後にして最北の日本式城建築、松前城跡、蝦夷地での交易を独占し、全盛期を迎えた松前藩の城下町を再現している松前藩屋敷を見学。
東に向かい北緯41度23分、北海道最南端にある白神岬、1492年建立の川濯神社に植栽されたご神木で根元の部分が膨れ上がっている形から命名された乳房桧を訪れる。
福島町出身の二代横綱である千代の山、千代の富士の記念館に寄ってから1896年フランスから数名の修道士が来日して創設した灯台の聖母トラピスト修道院を散策。
男爵イモの生みの親、川田龍吉男爵の記念館で明治から大正時代に欧米より取り寄せた所持品5000点を展示、日本最古の車ロコモビル蒸気自動車も展示する男爵史料館を見学。

函館方面に向かう。
香港、ナポリとともに世界三大夜景に数えられる函館山に上り昼間の左側の函館港、右側の津軽海峡に挟まれて函館市街が広がり、その先には駒ケ岳や横津岳などの山々が連なる風景を一望する。

下山して、文明開化の古き良き時代の面影を残す元町を散策。
函館市旧イギリス領事館と基坂を隔てて立つペリー提督の像、1859年の函館開港と共に設置された領事館、ペリー来航時の船の模型を展示し、当時の資料や立体映像などによる開港時の町の様子を紹介する函館市旧イギリス領事館、元町公園内には明治から昭和にかけて道南の政治の中核を担った場所、旧北海道庁函館支庁庁舎、国の重要文化財に指定されている1910年築のコロニアル様式の洋館、旧函館区公会堂、坂の上に函館八幡宮があったことが名前の由来で、元町の坂の中で特に眺めが良く、函館港と市街を一望できる八幡坂、1859年ロシア領事館附属聖堂として建てられた白い壁に緑色銅板張りの屋根と6個のクポーラがのったビザンチン様式のギリシャ正教会、函館ハリストス正教会、英国国教会の教義を説く日本最古の聖公会の教会、函館聖ヨハス教会、六角形の屋根に乗った風見鶏が目印のゴシック様式建物、カトリック元町教会を見学する。

函館港を目の前に存する赤レンガ倉庫が立ち並ぶベイエリアを散策してから幕末の激動の舞台となった五稜郭に向かう。

高さ107mの五稜郭タワーに上り五稜郭の星型の眺望をはじめ、函館山や津軽海峡、市街の北に連なる横津連峰の山並みを眺める。
タワーを降りてから五稜郭を散策。
箱館戦争の舞台となった五稜郭は北方警備強化のため建てられた要塞で西洋の最新城理論を取り入れた。

西に向かい1898年フランスから派遣された8人の修道女たちによって創設された女子観想修道院、トラピスチヌ修道院を散策する。

南岸線を西に向かい津軽海峡を望み北海道と本州を結ぶ最短地点がある恵山道立自然公園を訪れる。

北に向かい千歳方面、帰路に向かう。

18:00新千歳空港到達。
19:00新千歳空港出発。
20:40神戸空港到達。

今回の旅行、ニシン漁で栄えた豪商の歴史的建造物が立ち並ぶ江差。
北海道南西沖地震で被害を受け日本中知れ渡り又キタムラサキウニでも有名な奥尻島でウニ丼をお腹一杯いただき、数多くの奇岩等の自然遺産観光、地震の被害と教訓を伝えてくれる施設見学。
世界三大夜景の一つの函館山からの昼間の風景を眺望。
文明開化の古き良き時代の面影を残す、異国情緒あふれる函館のまちの散策、ニ泊三日の旅、満喫しました。








飛行機で国内&海外の観光地巡り第二十五弾:広島呉&江田島観光
2008年4月12−13日


今回は新幹線とレンタカーで広島市内と西瀬戸の島々を観光してきました。

12日13:29新大阪、新幹線のぞみで出発、14:51広島駅到達、市内を徒歩で観光。
天候は晴れ、広島駅の近くに位置する広島藩主浅野長晟が別邸の庭として築成した庭園、池を中心に山や渓谷を配し幾多の勝景を集め、縮小して表現している四季折々の花が美しい名園、縮景園を訪れる。

西に向かい1589年に毛利元就の孫、毛利輝元が築城、1945年原爆によって全壊したが、1958年に再建、かつて国宝に指定されていた5層の天守閣内部には展望室と資料室があり武家文化を伝える品々や昔の広島の資料を展示して又展望台からは広島の街が一望できる広島城を見学。

南の方に向かい、広島球場を通り過ぎて1915年にチェコの建築家ヤン・レツルの設計により建てられた、被爆前は広島産業奨励館として、県産物の展示・即売のほか、美術展といった文化事業などに利用され、原爆はこの建物から南東160m、上空約600mの場所で炸裂、爆風と熱風により大部分が崩壊、かろうじて残った一部の外壁が被爆の悲惨を物語っている原爆ドームを訪れる。

明治・大正・昭和から被爆までの広島の歴史や被爆直後の広島、原子爆弾の開発から投下までの経緯、核兵器の現状、平和への歩みなどを紹介、被爆者の遺品や写真をはじめとするさまざまな被爆資料を展示して、貴重な資料を公開し被爆の悲惨さを語り継ぐ聖地、広島平和記念資料館を訪れる。

市内の宿に寄ってから繁華街を散策して食事を済ませて宿を取る。

13日天候曇り、7:00市内を散策しながら広島駅に向かう。

8:00レンタカーで出発、呉方面に向かう。
9:00呉と倉橋島を結ぶ音戸大橋を通過、平清盛が切り開いた音戸の町に着く。温暖な気候と美しい瀬戸内海に恵まれた倉橋島、能美島、江田島、海とともに歴史を歩む島々は魅力がいっぱい、海辺の景色を楽しみながら数多くの文化を訪れる。

国内随一の和船造船地だった倉橋島、日本初の西洋式ドッグ跡など、その面影がいたるところにある。島の南端に存する現在も厳島神社管弦祭の御座船を管理する倉橋島の造船と歴史を紹介するミュージアムでかつての遣唐使の寄港地の一つで、館内には実物大の復元遣唐使船がみどころの長門の造船歴史館を訪れる。

戻って早瀬大橋を通過して東能美島、西能美島を巡ってから江田島に向かう。

海上自衛隊第1術科学校内には、大正6年築の大講堂や赤レンガの名で呼ばれる幹部候補生学校など旧海軍兵学校の面影が随所に見られる江田島旧海軍兵学校を見学。

音戸大橋から本土に戻り呉市内に向かう。

10分の1のサイズの戦艦大和の模型や零式艦上戦闘機、人間魚雷回天、戦艦金剛のボイラーなどの実物を展示、宇宙戦艦ヤマトをはじめとする松本零士の世界など興味深いヤマトミュージアム、国内で初めて陸揚げ・展示する退役潜水艦あきしおの艦内が見れるてつのくじら館を見学。

優雅な洋風木造建築の旧呉鎮守府司令や海軍工廠塔時計など、明治、大正時代の隆盛ぶりを物語る史跡を伝える呉市入船山記念館を見学。

東に向かい朝鮮通信使の歴史と藻塩の島として注目を集める下蒲刈島、上蒲刈島を巡る。
なかでも朝鮮通信使をもてなした豪華料理を再現した御馳走一番をはじめ、全国から移築した旧家を古伊万里、ランプなどのミュージアムにした松濤園を見学。

南岸の瀬戸内海沿いを東に走り江戸時代後期に製塩、酒造業で栄えた屋敷や由緒あるお寺と町並みが今もそのままのこる竹原に向かう。

西方寺本堂横の高台に位置し、戦国末期に小早川隆景が、京都・清水寺の舞台を模して建てた朱塗りの楼閣の西方寺普明閣、江戸中期から続く酒屋、竹鶴酒造の一部で代々伝わる酒器や酒造りの道具などを展示、又日本のニッカウイスキーの創始者・竹鶴政孝の生家として知られる小笹屋酒の資料館、浜主・塩田経営者として財をなした松阪家の屋敷、江戸末期に建てられ、1879年改修された松坂邸を訪れる。

17:30広島駅に向かう。18:30広島駅到達、夕食を済ませてから17:33新幹線のぞみで大阪に向かう。
20:55新大阪到達。

今回の旅行、広島タウンの世界遺産、原爆ドーム、平和記念公園を散策し、呉に向かい、10分の1の戦艦大和の大和ミュージアム、国内初めての潜水艦艦内を見れる、てつのくじら館、温暖な気候と美しい瀬戸内海に恵まれた島々(倉橋島、能美島、江田島)を巡り、又朝鮮通信使の歴史と藻塩で有名な蒲刈島により、又江戸時代後期に製塩、酒造業で栄えた屋敷が現存する竹原町を巡り充実した観光旅行でした。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第二十三弾:沖縄&久高島観光
2008年3月29−30日


今回も又沖縄本土と初めての離島久高島に行ってきました。

29日14:35関西空港出発
16:55那覇空港到達、
レンタカーで国際通り付近の宿に到達、徒歩で国際通りを散策して食事を済ませてから宿を取る。

30日6:30レンタカー出発、生憎雨、かなり激しい。薄暗い雨の中を北東に向かう。
7:30海中道路通過して沖縄県唯一の石油貯蔵基地がある平安座島通過してからサトウキビ畑などの緑が広がる風景の中に四つの集落が点在するのどかな島、宮城島に到達。
伊計大橋を通過して平坦な土地にサトウキビ畑がひろがるのどかな島で地元でも人気のある伊計ビーチのある伊計島を巡る。
戻って浜比嘉大橋を渡って琉球開びゃくの祖といわれるアマミキヨ、シネリキヨゆかりの地、それぞれにまつわるアマミチューの墓やシルミチュー霊場をはじめ、多くの排所や御嶽が存在し、神の島とも呼ばれる浜比嘉島を訪れる。

8:30南東に向かう。
南城市にある巨岩が重なり合う神秘の場所、琉球王国最高の聖地、世界遺産の斎場御嶽を訪れる。

10:00フェリーで久高島に向かう。10:30久高島到達、レンタサイクルで島巡り。
北東に向かい、島北東端部の途中道の脇にアダンやオキナワシャリンバイ、ビロウ、クロツグなど亜高木、低木、草本層の三つの階層構造が見られ沖縄県の天然記念物に指定されているカベールの植物群落を通り過ぎて先端の琉球の始祖、アマミキヨが降り立ち、住み着いたとされている地、海の神、竜宮神が鎮まる場所でもあり、旧暦の一月か二月にその年の大漁祈願が行われる島の神事の要所、カベールを訪れる。
北西に向かい畑の脇を抜けると舗装された遊歩道が海に向かって続いていてかつては子宝祈願や愛を誓い合う場所であるロマンスロードを訪れる。
西に戻り島の中心部に集落が散在しアカムライ、久高御殿庭、大里家、ユクミヤー、外間殿等の文化的名所を訪れる。

13:00フェリーで本土安座真港に向かう。13:30安座真港到達。
レンタカーで南岸に沿って西に向かう。
180度自然のテラスにたって久高島やコマカ島が見渡せる景勝地、知念岬公園によってから大きな橋、ニライ橋、カナイ橋を通過して知念按司の居城と知られる城、知念城跡を訪れる。周辺には古屋敷跡などが残っている。
又アマミキヨが築いたといわれている伝説の城、玉城城跡を訪れる。

漁で賑わうスモールアイランド、奥武島を巡ってから沖縄戦最大の激戦地で平和の尊さを実感する、沖縄戦の悲惨さを現代に訴える平和祈念公園を見学。
西に向かい有名なひめゆりの塔に寄ってから険しい断崖絶壁と紺碧の美しい海が広がる景勝地、恒久平和のシンボル平和塔が立つ沖縄本土南端の岬、喜屋武岬を訪れる。
飛行場に向かい17:55那覇空港出発、20:05伊丹空港到達。

今回の旅行、沖縄本島南部の東側に位置し神の島として、沖縄の中でも特別な存在の島、琉球の祖神であるアマミキヨが初めて降りたった場所、五殻が初めてもたらされた場所、国造りにちなむ神話が伝えられていてイザイホーをはじめ、数多くの神聖な祭祀が受け継がれている久高島、海中道路で渡れる平安座島、宮城島、伊計島、浜比嘉島、ハーリー祭りで有名な小さな島、奥武島、1日で6つの島を巡り、又本土での世界遺産の斎場御嶽をはじめいくつかの有名な文化遺産巡り堪能しました。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第二十二弾:沖縄&伊江島観光
2008年3月8−9日


今回も暖かい沖縄と離島伊江島その他の島に行ってきました。

8日14:35関西空港出発
16:55那覇空港到達、
レンタカーで国際通り付近の宿に到達、徒歩で国際通りを散策して食事を済ませてから宿を取る。

9日6:00レンタカーで出発、西原インターから沖縄自動車道経由して許田インター下車、名護から本部方面に向かう。

8:00瀬底島大橋を通り瀬底島に入り島の西にある人気のビーチで沖には水納島が見え、夏には観光客も多い瀬底ビーチを訪れる。

8:30本部港からカーフェリで出発、9:00伊江島伊江港到達、レンタカーで島巡り、西の向かい第二次世界大戦で伊江島は激しい攻撃を受け、多くの人命と財産をなくし、戦争の苦難の歴史を訪ね、平和について考える資料館、ヌチドゥタカラの家を見学、近くの伊江ビーチを訪れてから東海岸沿いを北に向かい北端に位置する海に面した86000uの広大な敷地に白いじゅうたんのようにユリで覆いつくされるリリーフィールド公園を訪れる。

西に向かい断崖絶壁の続く島の北部にある展望台で海の美しい青のグラデーションが広がる眺めが美しい湧出展望台を訪れる。
湧出とよばれる断崖絶壁は真水が湧き出る場所、本島からの海底送水が実現するまでの重要な水資源。

南に向かい伊江島の祖先が生活を営むために知恵を絞り改良を加えて作ってきた民具等を展示しているいーじま山山民具資料館を見学、南岸に向かい力石があり持ち上げると子宝を授かるという言い伝えがあり、戦時中は防空壕として使用され多くの人を収容したことから千人洞と呼ばれるニャティヤ洞を訪れる。

沖縄戦当時、最前線からアメリカ本土にニュースを伝え、伊江島で殉職した米従軍記者、アーニーパイル慰霊碑に寄ってから島の中央の町に向かい標高172mの伊江島唯一の山、伊江島と本土を結ぶフェリーから望む山の頂は島のシンボルと呼ぶに相応しい伊江城山を登る。イータッチューの名で親しまれている。

又有名な沖縄芝居伊江島ハンドゥー小、その舞台となった島村屋の屋敷跡に建てられた施設、史跡島村屋観光公園を訪れる。この物語は美女ハンドゥー小の非恋を描いた物語で沖縄三大悲劇のひとつとして有名。

13:00伊江港カーフェリーで出発、13:30本部港到達、北東に向かう。

無人島、奥武島を通過して屋我地大橋をわたり島の中心部付近にはパイナップルやサトウキビの畑が広がり海辺に集落が点在している屋我地島到達、全長1960mで真っ直ぐ延びた橋の左右にはエメラルドブルーの海が広がっている古宇利大橋を通過して人類発祥を表す伝説も残っており神秘的な島として知られている古宇利島を一周する。

13:00帰路に向かう。許田インターから沖縄自動車道経由して那覇インター下車、那覇空港の南にある島で本土と米軍が建設した海中道路によって結ばれ休日になると多くの人々で賑わい、空港から一番近い島で観光客の立ち寄りスポットとしてポピュラーな瀬長島を訪れる。

17:00那覇空港到達、17:55出発、19:35伊丹空港到達。

今回の旅行、本部半島の北西9kmの洋上に浮かぶ島、イージマタッチーと呼ばれる城山が平坦な島の中央にそびえたち、南岸には美しいビーチが続き、北側には絶壁が続く景勝地が広がる伊江島と橋で本島から渡れる5つの島(瀬底島、奥武島、屋我地島、古宇利島、瀬長島)を1日で巡り堪能しました。



飛行機で国内&海外の観光地巡り第二十一弾:沖縄&粟国島観光
2008年2月23−24日


今回は沖縄本土と沖縄の離島、粟国島に行ってきました。

23日14:30関西国際空港出発、
16:55那覇空港到達。
ゆいレール空港駅から美栄橋下車し、宿によってから国際通りに向かい散策、食事を済ませてから宿を取る。

24日天候曇りのち時々晴れ、風強く肌寒い、7:00ゆいレールに乗車し那覇空港に向かう。

8:30の飛行機で粟国島に向かう。8:50粟国島到達。
レンタカーで島巡り観光。

島の西南に向かい西南端に位置するえぐられたように突き出る、海抜約90mの断崖絶壁、崖の上にはマハナ展望台があり目の前に絶景が広がる筆ん崎を訪れる。
南岸を東に向かい筆ん崎入り口で海岸線を望み、ここからすぐ東にあるヤマトゥーガー訪れ、泉があり、水に乏しい島のためそこから流れる地下水を貯水タンクに貯めていました。

およそ300年前にお宮が出来たといわれていて、島の人たちはクゥンヌルと呼び、旅の安全、健康祈願などをかなえる観音堂によってから南東海岸にある映画ナビィの恋の1シーンにも出てくる海岸で、散策コースにも最適で公園も併設されており村民の憩いの場となっている遊歩道を散策。

東海岸沿いを北に向かい東から北の海岸一帯に村指定の天然記念物、モンバの木の群集を見てから白い砂浜が数百メートル続く海水浴場、長浜ビーチを訪れる。

北に向かい自生するソテツ原野ほ保護と、有効利用のため現在数十頭の肉用牛を飼育している村民牧場を訪れてから粟国島の名を全国に広めた塩工場、粟国の塩工場を見学。

西に向かい約200年前、賭け事に負け流刑にされた雲水という僧侶が住みつき、その生涯を閉じたといわれる洞寺を訪れ、ライトアップされた鍾乳洞がとても神秘的でした。又近くに琉球民謡、むんじゅる節発祥地といわれ1998年にその記念歌碑とブロンズ像が建立されたむんじゅる節の歌碑を訪れる。

島の中心に向かい、集落内に映画ナビィの恋でバイオリンとオペラの歌声で踊る人々が登場する印象的なシーンに使用された場所、大濱倶楽部を見学。
西に向かい大正天皇即位記念事業として大正4年に完成、遊歩道も整備された大正池公園を訪れる。

又海抜96m、粟国で一番の高台で、昔番屋遠見台として、唐船が近海を通る際タイマツにて慶良間諸島から首里王府にそのことを知らせた場所、番屋跡を訪れる。
16:15粟国空港出発、16:35那覇空港到達。
17:55那覇空港出発、19:55伊丹空港到達。

今回の旅行、初日は沖縄の繁華街、国際通りを散策し、翌日は沖縄本土からの離島、映画ナビィの恋の舞台となった粟国島を島巡り、粟国島の地味であるがゆっくりと時間をとって粟国の自然に接することが出来ました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第二十弾:奄美大島&徳之島観光
2008年2月16−17日


今回は雪山イベント急遽中止により暖かい場所、奄美諸島の奄美大島、徳之島に行ってきました。

16日15:15伊丹空港出発、16:40鹿児島空港到達、17:15鹿児島空港出発、18:15奄美空港到達、バスで名瀬市街地に向かう。
19:05名瀬市街地到達、食事を済ませてから宿を取る。

17日天候曇り、気温肌寒い、7:00バスで奄美空港に向かう。
8:30飛行機で出発、徳之島に向かう。
8:50徳之島到達、レンタカーで島巡り観光。

南に向かい厳しい自然環境の中で暮らしてきた島の人々の歴史や文化などを紹介するユイの館を見学。
強風や波の浸食を受けた断崖、奇岩が約1km続く犬の門蓋を訪れる。
南下して琉球石灰石の海食崖が続く奄美十景のひとつ、一面に自生する高麗芝のスロープ地帯には昭和20年に沖合いで撃沈された戦艦大和の慰霊塔が建つ、犬田布岬を訪れる。

南端にある魚類や鳥類の剥製をはじめ、農漁業に関する資料のほか、約2000年前の弥生時代の骨も保存している伊仙町立歴史民俗資料館を見学。

東海岸を北上して横綱朝潮太朗記念像、徳之島小唄記念碑、ちゅっきゃい節記念碑に寄ってから現在の天皇陛下が皇太子の時代に美智子妃殿下とビーチを散策されたことから名が付く1,5kmほどの白砂が続くビーチ、畦プリンスビーチ海浜公園を訪れる。

果樹が約110種を栽培する亜熱帯果樹園、徳之島フルーツガーデンを散策してから北東端に位置する巨大なソテツが長さ数百mのトンネルを作っている金見崎ソテツトンネルをくぐる。

西北端に向かって隆起サンゴの地形が多い奄美諸島には珍しく150mにわたって花崗岩が広がる岩石がムシロを敷き詰めたように見えるムシロ瀬を訪れる。

高橋尚子がマラソンの練習を行った尚子ロードを走り南下して徳之島に500年以上前から伝わる闘牛大会の大会場によってから西郷隆盛上陸記念碑を訪れる。

15:45徳之島空港出発、16:35鹿児島空港到達、17:45鹿児島空港出発、18:55伊丹空港到達。

今回の旅行奄美諸島で2番目の面積を誇る、100歳を超える人が多い長寿の島として知られ、伝統的な闘牛大会が行われ活気にあふれ海岸線には荒々しい奇岩の景勝地が展開している徳之島、なかなか観光旅行楽しめました。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第十九弾:宮古島&多良間島&伊良部島観光
2008年2月9−11日


今回は沖縄随一の美しさを誇る海、宮古諸島に行ってきました。

9日14:35関西国際空港出発、16:55那覇空港到達、18:15那覇空港出発、19:05宮古空港到達、タクシーで市街に到達、食事を済ませてから宿を取る。

10日天候曇り、風強い、気温も低い、8:00市街を散策してからタクシーで宮古空港に向かう。
10:00宮古空港出発、10:20多良間空港到達、レンタカーで多良間島巡り。

空港から北に向かい、島の北側の集落内に琉球王朝時代に船の見張り台として使われた石積みの高台跡があり、現在は公園として整備されて展望台が立っており、展望台から田園風景や遠く石垣島や宮古島まで望む。
多良間島の歴史と文化を知ることができ、館内には古文書や昔の農具に漁具、生活用具をはじめ、数多くの展示されている資料館、ふるさと民俗学習館を見学。
水納島を望む北端の鮮やかなエメラルドグリーンの海のふる里海浜公園のビーチを訪れる。

集落から東に向かい650mほど続く参道に美しいフクギ並木が続いていて、白砂が敷かれた参道をフクギがトンネルのように覆う塩川御嶽を訪れる。
集落をはずれた島の中央部や外周道路の内側にはサトウキビ畑や牧場が続く。

16:15多良間空港出発、16:35宮古空港到達、レンタカーで南の方に向かう。
白砂の海岸が見渡す限り続く、宮古で最も広いビーチ、与那覇前浜を訪れて宮古と来間島を結ぶ全長1690mの来間大橋を望む。
来間大橋を通過して来間島にはいる。対岸の与那覇前浜や伊良部島に続く壮大な景色が一望できる竜宮城展望台を訪れる。
市街に戻り食事を済ませてから宿を取る。

11日7:35のカーフェリーで平良港から伊良部島佐良浜港に向かう。
7:45佐良浜港到達、サバオキ公園に寄ってから北に向かい伊良部島に飛来するサシバをリアルで巨大化に再現した展望台、宮古島や池間島方面を望めるフナウサギバナタを訪れる。
西海岸公園、白鳥崎に寄ってから中心部の南の方に向かう。

日本の渚百選のひとつに選ばれた遠浅の海に大岩が転がる佐和田の浜を訪れてから橋で下地島に向かう。

日本唯一の民間パイロットの訓練飛行場、下地島空港によってから西海岸側にある吸い込まれるような深い青色の水をたたえた二つの池が周囲の海の色との違いで神秘的な景観を形ずくっている通り池、1771年大津波で運ばれてきたとされてる巨大な岩、島では御神体として崇められている帯岩を訪れる。

東に向かい伊良部島に戻ってサシバをかたどって作られた真っ白な展望台牧山展望台で伊良部一の高さから見る風景は壮観。

10:30カーフェリーで佐良浜港出発、10:40平良港到達、北に向かう。

高台になった砂山を越えたところに自然の造形が見事なビーチ、アーチ状に侵食された巨大な岩が有名な砂山ビーチに寄ってから、宮古島の北端にある景勝地、岬の展望台から池間大橋や池間島、伊良部島、下地島を望める西平安名崎を訪れる。
近くの宮古島沖の地下海水を使い、含有ミネラル18種類は世界一多いとされている雪塩を製造している雪塩製塩所を見学。

池間島を結ぶ全長1425mの橋、池間大橋を通過して自然に富んだ小さな島池間島を巡る。

南下して奥行き1kmの入り江に発達したマングローブ、宮古諸島最大の群落を形成している島尻マングローブ林を散策する。

海岸線に沿って南下し新城海岸、吉野海岸に寄ってから宮古の最東端、紺碧の海に突き出した美しい岬、東平崎名崎、80度以上の雄大な海の景観が望める平安名埼灯台を訪れる。

西に向かい世界中の貝を6000種類、1万2000点集めた博物館、宮古島海宝館を見学してからドイツの古城、マルクスブルク城がシンボルのヨーロッパの雰囲気が漂うテーマパーク、19世紀後半、上野村沖で座礁したドイツ商船を救助した上野村民の博愛精神を称え、ドイツ皇帝ウィルヘルム1世が宮古島に博愛記念碑を建立したうえのドイツ文化村を訪れる。

島の中心部に向かい200種類以上の熱帯植物が生い茂り1年中咲き乱れる花々の間をたくさんの蝶々園、みやこパラダイスを散策する。
宮古諸島の自然、歴史、文化、民俗などに関するさまざまな資料を展示する宮古島市総合博物館、大きなガジュマルが植えられ広さ約12万平方mの園内にはガジュマルやヤシ、アジア各地から集められたさまざまの熱帯植物が約1600種、約4万本植えられている宮古島市熱帯植物園を見学。

17:55宮古空港出発、19:45関西国際空港到達。

今回の旅行、ダイビングスポットで有名な宮古諸島(宮古島、多良間、伊良部島、下地島、本間島、池間島など)2泊3日で6つの島を巡り、沖縄随一の美しさを誇る海でマリンスポーツを楽しめる宮古島、手つかずの自然が残る沖縄屈指の伝統芸能、八月踊りの伝統芸能の島、多良間、ダイビングスポットも多い伊良部島、下地島、宮古島から橋で渡れる小さな島、本間島、池間島めぐり堪能しました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第十八弾:与那国&小浜島&竹富島&石垣島観光
2008年1月12−14日

今回は日本の最西端の島、与那国に行ってきました。

12日13:30関西国際空港集合、14:35出発、16:55那覇空港到達、18:45那覇空港出発、19:45石垣空港到達、タクシーで市内のに向かい宿を取る。

13日天候曇り、8:00市内散策、途中八重山の島々の貴重な考古・歴史資料・美術工芸品・民具・農耕・漁具などを通じて八重山の歴史と文化を知ることができる石垣市立八重山博物館を見学後バスで空港に向かう。

10:35石垣空港出発与那国に向かう、11:05与那国空港到達、レンタカーで観光、標高100m付近の岩肌をくりぬいたような岩山、ティンダハナタを訪れ、天然の展望台から祖納集落やナンタ浜を一望する。

島の中心地に向かって与那国島に生息する世界最大の蛾ヨナグニサンのほか、島の動植物をビデオなどでわかりやすく紹介、周囲には自然遊歩道もあり、豊かな自然を体験できるアヤミハビル館を見学。

東に向かい、牧草に覆われた断崖の岬に立つ東崎灯台を訪れてから東岸を南下して、階段状に海へ続く断崖のサンニヌ台があり、遊歩道沿いにまさに軍艦か潜水艦のような岩、軍艦岩を間近に望む。少しはなれたところに険しい断崖が続く海岸線の沖合いにそそりたつ奇岩、島のシンボルになっている立神岩を望む。

東岸から南岸に向かい、人気テレビドラマDr.コトー診療所の撮影が行われた比川浜に建つDr.コトー診療所を見学。

西に向かい久部良集落の西に位置し与那国の西端であると同時に日本の最西端、日本で最後に沈む夕陽を眺める西崎を訪れる。

クブラバリ、ダンヌ浜に寄ってから集落にある昔の生活用品や農耕道具などが集められ台湾と交流が深かったかつての島の生活もかいま見ることができる与那国民俗資料館、島の伝統織物である花織やドウタティを継承している工房、与那国伝統工芸館を訪れる。

与那国飛行場に戻り15:55出発、16:30石垣空港到達、バスで市内に向かう。
街を散策し食事を済ませてから宿を取る。

14日天候雨、風強い、石垣港離島フェリー乗り場から7:20小浜島に向かう、7:45小浜島到達、レンタカーで観光、島の中央よりやや北側にある標高99mの島で一番高い山、八重山諸島を見渡す展望台のある大岳を訪れる。

西に向かい島の北西、西表を望む小高い丘に設けられた、ドラマちゅうさんで撮影されたちゅうさん展望台を訪れる。島の中心部に戻り集落内に国の登録文化財にもなった沖縄家屋、ドラマではヒロイン、えりぃの生家、こはぐら荘を訪れる。

港に戻り9:15の高速艇で石垣港に戻る。9:40石垣港到達、すぐさま10:00の高速艇で竹富島に向かう。10:10到達、竹富島の伝統文化や芸能、自然を音声や映像で紹介する竹富島ゆがふ館を見学後バスで中心地の集落に向かう。

日本最南端の寺院、先代住職が集めた島の歴史・民俗資料・工芸品など約4000点を展示している喜宝院蒐集館を見学後集落を散策、赤山公園に立つ塔、美しい町並みの集落が一望できるなごみ塔を訪れる。民家の屋根に乗るアートである楽しい仲間たちシーサーを確認する。

バスで港に戻り11:45高速艇で出発、11:55石垣港到達、レンタカーで観光、最近はバラエティ番組などでおなじみの具志堅用高、世界タイトルを13回も防衛した日本の誇る名ボクサーの具志堅用高記念館を見学。

北に向かい海底のサンゴ礁が隆起して永い時間かけて形成された鍾乳洞、全長3,2kmの内660mが公開され、海底の砂紋やサンゴ、貝類の化石もはっきりと鑑賞できる石垣島鍾乳洞を訪れる。

従来の100倍の精度で銀河系を観測し、精密な立体地図を作る天文広域精測望遠鏡プロジェクト、VERAの観測拠点、直径20mの壮大な電波望遠鏡を持つ国立天文台VERA石垣観測局を訪れる。

市内に戻り八重山を代表とする泡盛ブランド請福の本社にある、昔の泡盛造りの道具や瓶のラベルなどが展示され、泡盛の歴史を知ることができる請福酒泡盛博物館見学、八重山と琉球の歴史をふれる沖縄最古の木造建築物、桃林寺、権現堂を訪れる。

1819年建造された上級士族の邸宅で国の重要文化財、庭は国の名勝になっている宮良殿内訪れてから、戦後の八重山民政府知事、吉野高善氏の陶器コレクションや八重山地方の民具、家具、歴史資料など6000点を展示している南嶋民俗資料館を見学。

石垣空港に戻り16:40ジェット機で出発、19:50関西国際空港到達。

今回の旅行、先月に続き八重山諸島を訪れる。

日本最西端の島、牧草地が点在し与那国馬や牛がのんびり草を食み、世界最大級の蛾、ヨナグニサンが生息し、謎の海底遺跡や奇岩など神秘の島与那国島、ドラマちゅうさんの舞台として一躍有名になった、八重山諸島のほぼ中心に位置し八重山てんぶす(へそ)と呼ばれ小高い島の中央にある集落には昔ながらの家屋が残り、周囲にはサトウキビ畑が広がる小浜島、赤瓦の家屋、白砂の小道、咲き誇る南国の花々、周囲9,2kmの小さな島には八重山の美しい原風景が残っている竹富島、大自然と都市機能を併せ持つ八重山の玄関口、石垣島観光堪能しました。

八重山の島で訪れてないのは波照間のみとなりました。次回チャレンジしたいと思います。






飛行機で国内&海外の観光地巡り第十六弾:石垣&西表&黒島観光
2007年12月22−24日

今回は八重山諸島の石垣島、西表島、黒島に行ってきました。

22日14:35関西国際空港出発、16:55那覇空港到達、18:45那覇空港出発、19:45石垣空港到達、タクシーで石垣島中心地の石垣港付近で宿を取る。

23日天候曇り、7:20石垣港から高速艇で西表島大原港に向かう。
7:55西表大原港到達、レンタカーで観光、南下して島の南端、南風見崎の西に広がる白砂の浜、南風見田の浜を訪れてから島の東側から北上する。

古見のサキシマスオウノキ群落に寄ってから船浦大橋の上から船浦湾に流れ込むピナイ川の上流にある細く長い滝、55mの落差のあるピナイサーラの滝を確認。
北端の幸運のお守りとして知られる星砂で埋めつくされたビーチ、星砂の浜を訪れる。
西海岸沿いを南下して浦内川河口から大きく弧を描くように続くビーチ月ケ浜に寄り、島の西端の終点の白浜集落に到達。

戻って浦内川の遊覧乗り場から遊覧船で川をさかのぼり、途中マングローブや巨大なシダの群生を見ながら軍艦岩に到達、ジャングルをトレッキングしながら二つの滝、マリユドゥの滝、カンピレーの滝を見学する。

北から西に戻り西表島から水牛車に揺られて約15分かけてのんびり渡って亜熱帯植物楽園由布島を訪れる。周囲2kmほどの小さな島でヤシなどの亜熱帯の樹木が茂り、色鮮やかなハイビスカスやブーゲンビレアが年中咲き乱れる植物園の島です。
東海岸を南下して全長17,5km両岸にマングローブ林が広がる仲間川をさかのぼる遊覧船に乗って観光、中流の船着場から徒歩で日本最大のサキシマスオウノキを見学。

17:20西表大原港高速艇で出発、17:55石垣港到達、宿に戻ってから石垣島の繁華街を散策しながら食事を済まして宿を取る。

24日天候、朝方曇り、昼過ぎ一時強い雨、のち晴れ、8:20高速艇で波照間に向かう予定でしたが悪天候のため欠航が予想されるため急遽黒島に変更。

8:00石垣港出発、8:25黒島港到達、レンタサイクルで島一周、南に向かい海がめの生態調査を行なっていて、標本展示のほか稚ガメの水槽なども見学できる黒島研究所を訪れる。
島の西側にある潮が引くとサンゴに囲まれた天然のプールになり色鮮やかな熱帯魚が泳ぎ回る海、仲本海岸に寄る。
ハート型をした島のとがった先端部分にあたる場所にポツンと立っている黒島灯台を訪れる。
ここから島の中央部に向かい、島で一番大きい集落、昔ながらの家並みが見られる集落を見物、島の中央に位置する島一番の高台、360°牧場の島を展望できる黒島展望台を訪れる、北に向かい昔の桟橋で全長380mあり八重山の島々を綺麗に望む。
西に戻って西表島や新城島を望む雄大なサンセットポイントで4月から9月には海がめが産卵にやってくる静かなビー西の浜を訪れる。

10:35黒島港出発、11:00石垣港到達、レンタカーで島一周、西側から北上して島の西端にある岬、雄大な海原をおおう夕焼けが美しい御神崎を訪れてから東に向かい日本百景に選ばれた八重山随一の景勝地、川平公園を訪れ、吉原集落に近いパーキングエリアから川平湾を見る雄大な光景を望む。

沖縄県最高の於茂登岳の山麓に自生するヤシ林、米原のヤエヤマヤシ群落を見学し島の最北端に向かう。
白い灯台とエメラルドグリーンの海とのコントラストが美しい石垣島最北端に位置する平久保崎を訪れる。
西側を南下して石垣島の陸地が最も狭まったエリアを眺める玉取崎展望台で望む。
島の中央に向かってリュウキュウマツやヘゴなどの熱帯植物が群生する森林公園、展望台が点在するバナンスカイラインをドライブしてから西に向かい八重山地方の伝統的な屋敷やミンサー織りなどを紹介するテーマパーク、八重山民俗園を見学。
西南に向かい、石垣島でイギリス人の兵士に処刑された中国人労働者の御霊を祀る墓、鮮やかな彩色と細かな細工が目を引く唐人墓を訪れる。

16:35石垣空港出発、19:40関西国際空港到達。

今回の旅行、八重山諸島、大自然に囲まれた八重山の玄関口、多彩な店が軒を並べる中心地と海や山に亜熱帯の大自然が広がる石垣島、島の大部分が亜熱帯のジャングルに覆われ、イリオモテヤマネコなどの貴重な生物が生息し、アウトドア系の各種のスポーツも豊富な東洋のガラパゴス、西表島、ハート型の島で牛が人口の10倍以上飼育する牛島として有名な黒島観光堪能しました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第十五弾:奄美大島観光
2007年12月15−16日

今回は奄美群島の奄美大島と加計呂麻島に行ってきました。

15日14:00伊丹空港からジェット機で出発、15:10鹿児島空港到達、16:25鹿児島空港出発、17:25奄美空港到達、レンタカーで奄美の中心地、名瀬に向かい名瀬内で宿泊。

16日天候晴れ、6:30レンタカーで出発、奄美大島を南下し、入り組んだリアス式海岸の様相をみせる大島海峡と、その向こうに浮かぶ加計呂麻島の全容を見渡すことができる標高483,6m油井岳山頂付近にある油井岳展望台を訪れる。

古仁屋港に到達、8:10カーフェリーで加計呂麻島に向かう。8:30加計呂麻島生間港到達、諸鈍長浜の海沿いを彩る、樹齢300年以上のディゴ並木を見物。
第二次世界大戦時、敵を迎え撃つ拠点として使われ現在も要塞にまつわる戦跡が残されていて、砲弾跡や弾薬庫を当時もまま見ることができる安脚場戦跡を訪れる。
白い村と呼ばれる美しいビーチ、スリ浜に寄ってから海軍の第18震洋隊長としてこの地で終戦を迎え、その後、死の棘などの作品で知られる作家としての道を歩み始めた島尾敏雄の文学碑を訪れる。
透明度抜群のサンゴや石垣、亜熱帯植物などが見られる実久海岸に寄ってから瀬相港から10:55カーフェリーで奄美大島古仁屋港に向かう。11:20到達。

瀬戸内で発掘された縄文時代の土器や、伝統的な民具などを展示している瀬戸内海の歴史や文化を深く知る瀬戸内町立郷土館を見学。
海岸の石は打ち寄せる波に洗われ、ころころとした玉石化して、海岸には、人が立って入れるほどの空洞を持つ岩が立つホノホノ海岸を訪れる。

北上して奄美や南国諸島などの歴史や文化をひもとく施設、敷地内にはアジアの農具、民具、民族衣装などを展示している原野農芸博物館や世界の亜熱帯植物が鑑賞できる植物園、又動物園や水族館も併設している奄美アイランドを訪れる。

海水と淡水が混じりあう場所に生育する熱帯、亜熱帯地域の樹木群、マングロープの原生林、黒潮の森マングロープパークを散策する。

奄美のさまざまな伝統文化を体験できる施設、奄美体験交流館に寄ってから名瀬方面に向かう、奄美の歴史、文化を紹介、作家の島尾敏雄さんの年表や写真、歴史や民俗に関する展示、自然科学展示室でジオラマで原生林を再現する奄美市立奄美博物館を見学してから奄美・沖縄諸島の蛇や世界中に生息する毒蛇など、およそ40種類500匹の蛇を飼育している奄美観光ハブセンターを訪れる。

1958年50歳で奄美に移住し、亜熱帯植物や島の魚などをモチーフにした作品を描き続けた画家で1977年69歳で障害を閉じた田村一村の晩年を過ごした民家、田村一村終焉の家に寄ってから約1300年の歴史を持ち、藩政時代には献上品とされていた大島紬、シャリンバイ染め、泥染めを繰り返し、手織りする作業は全500工程に及び、完成まで約一年かかる大島紬発祥の地とされる龍郷町の奄美大島紬村を訪れ製造工程を見学する。

島唄、郷土料理、民族衣装等を体験でき島人になりきる奄美民俗村を訪れる。
ハブの生態や遭遇したときの対処法などを解説しハブを楽しく学べる原ハブ屋奄美に寄ってから奄美の自然、歴史、文化を紹介するドーム型をした奄美の郷、島の生活や風景上映するシアターや実物大模型を使って島の暮らしを紹介する総合ホール、屋外にアダンやソテツなどの亜熱帯植物が茂る遊歩道や園内を見下ろす展望台が立つ、又島の風景を描き続けた田中一村記念美術館の施設からなる奄美パークを訪れ奄美空港に向かう。

17:00空港到達、18:00出発、18:45鹿児島空港到達、19:15鹿児島空港出発、
20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、離島では全国で3番目の面積を誇り、熱帯植物が彩る島内は常夏ムードに包まれサンゴ礁の海と亜熱帯植物の森が対照的なカラーを描いている奄美諸島の主島、奄美大島と加計呂麻島を巡り、広大なマングロープ原生林と約1300年の歴史を持つ大島紬の世界、島最南端、大島海峡、、瀬戸内を挟んで浮かぶ加計呂麻島のパノラマなど自然と文化の豊富な奄美大島群島観光、堪能しました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第十四弾:屋久島観光
2007年12月8−9日

今回は世界遺産の島、九州の屋久島に足を運びました。

8日14:00伊丹空港、ジェット機で出発、15:10鹿児島空港到達、16:55鹿児島空港出発、17:30屋久島空港到達、空港の近くで宿を取る。

9日天候曇りのち晴れ、レンタカーで8:00出発。
島を反時計回りで周遊して観光、
まずは宮之浦港から島の中心に向かい宮之浦川の支流、白谷川の上流に位置する標高600mから900mにおよび、照葉樹林から屋久杉林へ移行帯にある白谷雲水峡を散策する。
戻って宮之浦内の屋久島の自然と島民の暮らしの歴史について学べる上屋久町歴史民俗資料館を見学、館内では昔の島民の生活や屋久杉の伐採方法、はえなわ漁などの資料を展示、農具や漁船、写真などの実物資料が豊富で当時の風景をしのばせている。

平安時代の延喜式神名帳に登場する古社で疫病の退散を祈って寄進された益城神社仁王像や島津藩から派遣された有村壮一が奉納した手水鉢の貴重な文化財が残る益救神社、屋久島の自然、暮らしなどを学べる施設で吹き抜けの展示ホールでは海、里、山をジオラマや写真、パネルなどで解説、縦14m、横20mの大型映像ホールでの解説がある屋久島環境文化村センターを訪れる。

島の北方に向かい馬の尾のような根が垂れ下がりジャングルを思わせる森を形成する亜熱帯植物、ガジュマルやアコウが密生する志戸子ガジュマル公園、落差50mの布引の滝がある布引の滝公園を訪れる。

毎年5月から7月にウミガメが産卵のため上陸する永田いなか浜、ウミガメの生態調査や保護を行う団体の資料館で館内では長年におよぶ調査記録を写真や標本などを使って紹介する屋久島うみがめ館を訪れる。

ここから島の中心に向かって永田岳登山道の途中にある渓谷、岩盤と渓流が織り成す景勝地、横河渓谷を訪れる。

中間川の下流沿いに生息するガジュマル群、なかでも樹齢300年を越えるといわれるアーチ状の屋久島最大の中間ガジュマル見学。

屋久島の近海を守り続ける灯台、永田岬の先端に立ち、周囲は180°の大パノラマが広がる屋久島灯台に寄ってから約20kmにわたり原生林が続きヤクジカ、ヤクザルなどの動物に出会える西部林道を南下してから日本の滝百選に数えれれる名瀑、200以上ある屋久島の滝を代表する落差88mの巨大な滝、大川の滝を訪れる。

約3万5000uの敷地に熱帯の果樹や植物800種類を植栽、休憩所で取れた手のフルーツを試食できる屋久島フルーツガーデンを訪れてから南方に向かう。

背景にモッチョム岳が聳える全国では珍しい海に落ちる滝、トローキ滝、島の南東を流れる鯛之川の上流にある400×200mという巨大な花崗岩の一枚岩のV字形のくぼみを流れる落差60mの千尋の滝を訪れる。

東に向かい安房から島の中心部に走り樹齢数千年の巨木がさまざまな生き方をみせる屋久杉の楽園、ヤスクニランドを訪れ、千年杉、くぐり杉、双子杉を見物しながら散策する。

屋久島が世界遺産に登録されたことを記念に環境省が建てた施設、屋久島の森の生態や世界遺産などについて、パネルでわかりやすく紹介する屋久島世界遺産センター、屋久島、屋久杉お紹介する資料館、屋久杉伐採に使われた全長2mの超チェーンソーなどを展示し大迫力のハイビジョンシアターで学び、つくば展に出展した樹齢2000年の大株が見学できる屋久杉自然館を訪れる。

屋久島空港に向かう。17:00屋久島空港到達、17:55出発、18:25鹿児島空港到達、19:15出発、20:25伊丹空港到達。

今回の旅行、九州の最高峰の宮之浦岳を主峰とする世界自然遺産の島、島内9割を森林が占め、樹齢数千年の屋久杉、巨大な瀑布、清らかな渓流など、深く美しい自然が展開する屋久島を訪れて自然を愛するアウトドア派には興味深い島もあり又愛され亜熱帯から冷温帯までの植物が分布するなど特異的な生態系が非常に興味深く、何度も足を運びたい島です。

尚今回は日程も少なく車での観光でしたが、次回は3日間かけてトレッキング、登山等で散策し縄文杉登山で縄文杉、ウイルソン株、その他の屋久杉、宮之浦岳山頂の花崗岩アート、、白谷雲水峡原生の森等を十分に見学したいです。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第十ニ弾:しまなみ海道観光
2007年11月17−18日


今回は飛行機を使わず夜行フェリーとレンタカー、電車での観光旅行でした。

11月18日はヨットレースの予定でしたが人数不足のため中止、急遽しまなみ海道観光に変更しました。
前日の17日は大阪湾一周ボートクルージング&イグレッグボートでフレンチ料理のイベントがあったため皆さんと解散後22:45六甲アイランド発の夜行フェリーで松山に向かいました。

17日22:45六甲アイランド発の夜行フェリーで松山に向かう。
18日7:40松山観光港到達、レンタカーでしまなみ海道に向かう。

9:00来島海峡展望台に到達、急流海峡で名高い来島海峡と三連つり橋、来島海峡大橋を目の前に広がり来島海峡展望館で来島海峡大橋の架橋技術を学ぶ。

しまなみ海道に入り来島海峡大橋通過、最初の島、大島に入る。
大島の南端に位置する亀老山展望台で360°のパノラマで来島海峡大橋の全景を望む。
地域の名産である大島石をふんだんに使った5部屋の展示室からなり郷土出身で、洋画家として人気の高い野間仁根画伯の絵画のほか、地元にゆかりのある武具、民具などの資料の展示もしている郷土文化センター、世界のバラ約400種類6500株が植えられている四国最大級の規模を誇るバラ園、よしうみバラ公園を訪れる。
芸予諸島を支配していた三島村上水軍の戦いや生活をジオラマや映像で紹介、貴重な甲冑、陣羽織などを展示している村上水軍博物館を見学。

伯方・大島大橋を通過して伯方島に入る。
岩ヶ峯の山頂に広がる公園、木浦城を復元した居館では、町内から出土した土器、石器や製塩土器を展示しているほか、島の文化、産業を紹介するふるさと歴史公園見学。

大三島橋を通過して大三島に入る。
鼻栗瀬戸展望台から大三橋を望む、大山積大神を祭る古社、日本国宝、重要文化財の武具の内約8割を有することで知られている大山祇神社、宝物館(紫陽館、国宝館)、樹齢2700年の天然記念物小千命御手植の楠見学。

美しい斜張橋、多々羅大橋のたもとに位置するしまなみの拠点、しまなみ海道沿線の観光案内をしてくれる多々羅インフォメーションセンターのある多々羅しまなみ公園から多々羅を望んでから多々羅大橋通過、生口島に入る。
もと実業家の耕三寺耕三が、母の菩提寺として建立した浄土真宗本願寺派の寺。堂塔は国宝建造物を手本として建てられ、内15棟は国登録有形文化財に指定されている。館内の各展示館では、仏教・茶道・近代美術の名品を展示、現代美術の大理石庭園「未来心の丘」を訪れる。高根島を訪れてから生口橋を通過して因島に入る。

村上水軍の拠点があった場所で。1983年(昭和58)に再現した全国唯一の水軍城、本丸は水軍資料館として小早川隆景から拝領した甲冑や武具などの歴史資料を展示、隅櫓[すみやぐら]は展望台になっている因島水軍城を訪れる。
山頂一帯に約700体の石仏が点在する白滝山を登ってから因島大橋を通過して向島に入る。
国立公園高見山を上りしまなみ海道の島々の360°大パノラマ眺望はすばらしかった。
帰路はしまなみ海道を通って四国に向かう。

18:00新居浜駅に到達、18:29特急しおかぜで岡山に向かう、19:57岡山到達、20:09新幹線のぞみで出発、20:54新大阪駅到達。

今回の旅行、しまなみ海道はクルーザーで数回訪れ、車でも通過したことがあるが島々の観光めぐりは今回初めてでした。
来島海峡の急流海峡、7つの島、7つの橋、歴史ある大島の村上水軍博物館、大三島の大山祇神社、因島の因島水軍城、なかなかの見るところがいっぱいのしまなみ海道観光地でした。



飛行機で国内&海外の観光地巡り第十一弾:熊本天草諸島観光
2007年11月10−11日


今回は天草四郎で有名な熊本県天草諸島に行ってきました。

10日20:47大阪駅を夜行寝台車なはで出発
11日7:36熊本駅到達、天候晴れ、レンタカーで天草諸島に向かう。

9:00天草諸島の玄関口の近くの本土にある百年の歴史のある明治三大築港に数えられ重要文化財に指定されているレトロの三角西港を訪れてから1号(天文橋)、2号(大矢野橋)、3号(中の橋)、4号(前島橋)、5号(松島橋)と天草5橋を通過して天草諸島に入る。
16歳と言う若さで島原の戦いの指導者となり幕府と戦って原城で討たれた天草四郎の記念館、貴重な歴史資料も展示する天草四郎メモリアルホールを見学してからあまくさ海遊の郷内にあるドーナの形をした海に浮かぶ水族館わくわく海中水族館シードーナツを訪れる。
天草諸島上島に入ってから有明海を望む道の駅、リップルランド、下島に入って本渡市街を一望できる見晴らしのよい高台にある公園、天草氏の居城、本戸城があった場所で、天草島原の乱の殉教者を祭る殉教戦千人塚、キリシタン墓地などがある殉教公園を訪れる。
北に向かい船で天草諸島周辺に生息する野生のイルカを見学できる天草イルカウォッチングセンターに到達し実際およそ30頭の野生のイルカを見ることができました。
最北端の富岡半島にある富岡城跡にある天草の歴史や文化、自然についての情報を発信している富岡ビジターセンターを訪れる。
南下して日本渚百選の一つ、100mほどの断崖が続く海岸線が豪快な景観を描いている妙見浦、優雅な白亜の外観や館内のステンドグラス、大木版画のある大江天主堂、優美のゴシック様式の教会、崎津天主堂を訪れてから帰路に向かう。
18:10熊本空港到達、19:20ジェット機で出発、20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、前回旅行した島原半島の島原の乱で総大将である天草四郎の生まれ育った場所で島原天草の乱にも関与した天草諸島の歴史ある史跡、自然、優美な教会、天草の島々を一望できる五つの橋を通過する天草パールライン、1日の旅行でしたが十分堪能できた観光旅行でした。



飛行機で国内&海外の観光地巡り第十弾:長崎雲仙島原半島&平戸島観光
2007年11月2−4日


今回は歴史的興味があり自然いっぱいの長崎県の雲仙島原半島と平戸島に行ってきました。

2日20:47大阪駅を夜行寝台車あかつきで出発、
3日8:55長崎駅到達。天候快晴、レンタカーで島原半島に向かう。
10:30松倉重政が築城した島原城到達、島原の乱にまつわる数多くの資料が展示している天守閣を見学。
城から北側歩いて5分のところに70石以下の下級武士が住んでいた清水の流れのある武家屋敷を散策してから火山体験ミュージアムに到達。
直径14mのドーム型スクリーンに襲ってくる火砕流、土石流を大迫力の映像・音響で再現。
1990年の普賢岳災害で被災した家屋11棟をそのままの姿で展示・保存している土石流被災家屋保存公園を訪れる。
雲仙普賢岳の方向に向かう。
妙見岳と野岳の鞍部にあたる標高1080mの仁田峠の雲仙ロープウエイ上の展望台から普賢岳、眉山、平成2年の噴火でできた平成新山を望む。
雲仙温泉の30ほどの地獄が点在する雲仙地獄を散策、近くの原生沼に寄り、雲仙を中心とする島原半島全域に関する情報を解説する雲仙お山の情報館を見学。
下山して島原半島の西側を北上、雲仙岳、長崎半島、橘湾を愛野展望台で望む。
19:00佐世保に到達、近くで宿を取る。

4日天候快晴、6:00出発、北上して平戸島に入る。
平戸公園から真紅の平戸大橋の全景を一望してから平戸千里ヶ浜に寄ってから日本一の広さを誇るロマネスク様式の建物の紐差教会を訪れる。
生月大橋を通過して生月島に入り、島の最北端の無人の灯台、大碆鼻灯台を訪れる。
戻って平戸市内を散策、日本唯一の山鹿流兵法で築城した、古くから亀岡城とも呼ばれている平戸城を見学、オランダ商館建築に関係した石工の技術のオランダ橋、フランシスコザビエルの来島を記念して建てられたカトリック平戸・ザビエル記念教会、松浦家代々の秘蔵品を公開する旧平戸藩主の私邸を利用した博物館、松浦資料館、隠れキリシタンの納戸神、マリア観音像や祭具、江戸幕府の鎖国政策によりジャガタラ(ジャカルタ)に追放された混血児のジャガタラ文を展示している平戸観光資料館、平戸港と市街地を一望する高台にある緑豊かな崎方公園を訪れる。

南下して九十九島の島々を一望できる長串山公園、冷水岳公園、日本本土最西端に位置する神崎鼻公園のシンボル搭を訪れる。

佐世保駅の近くの佐世保のシンボル的存在のカトリック三浦町教会を見学してから西海橋を通過、西海橋公園で西海橋と新西海橋を望む。
西彼杵半島を南下、古くからあるイノシシから農作物を守るためにつくられた石積みの基点をモチーフにした建物からの展望、虚空蔵山展望台で360°パノラマの望む。
大島大橋を通過して大島に寄ってから約三千数百万年前の地層に無数の竪穴と横穴が複雑絡み合ってできた七つ釜鍾乳洞を訪れ、長崎市方面に向かってから長崎空港に17:00到達、19:15のジェット機で出発、20:20大阪伊丹空港到達。

今回の旅行、2日とも快晴で絶好の観光日和。
天草四郎が総大将となって江戸時代初期に起こった日本の歴史上最も大規模な一揆による反乱、島原の乱の歴史的興味のある島原市と2回の噴火を起こした普賢岳、平成2年2回目の噴火でできた平成新山は長崎では一番高い山となり、日本で一番新しい山で普賢岳、平成新山、眉山の広大な眺望はすばらしかった。
又長崎に出島ができるまでオランダなどとの貿易で栄えた港町、平戸はこの土地が刻んでできた歴史を感じることができました。





飛行機で国内&海外の観光地巡り第九弾:白浜&横浜&伊豆大島&熱海観光
2007年10月20−21日


今回は通常のコースから大きく離れて1泊2日で白浜&横浜&伊豆大島&熱海と広範囲での旅をしました。

20日13:20特急オーシャンアローで天王寺出発、15:15白浜到達、タクシーで平草原に向かう。
平草原の白浜の町並みを一望できる高台にある緑あふれる平草原公園を散策し近くに白浜の歴史と温泉、民俗などに関する資料や情報を集めた白浜民俗温泉資料館と浮世絵、茶道具、古陶器と白浜の町の明治から現代に掛けての写真を展示している紀州博物館を見学。
17:00徒歩で夕陽を見ながら田辺湾を眺望ながらゆっくり白浜空港に向かう。

19:20白浜空港からジェット機で出発、20:25羽田空港到達。シャトルバスで横浜駅に向かう。横浜駅からタクシーで横浜港大桟橋に到達。
メリケン波止場とも呼ばれる長さ483m、幅約70mの桟橋。豪華客船のクイーンエリザベスIIをはじめ、外国航路の客船が訪れ、屋上広場からは、山下公園や横浜赤レンガ倉庫などミナトヨコハマの夜景の風景を望む。
フェリーの出航まで時間が十分あり山下公園まで歩き、横浜のベイシティの夜景を楽しんで中華街で食事を取る。

23:30フェリー出発、21日6:00伊豆大島岡田港到達。
レンタカーで島巡り、椿の大木が道両側から覆いかぶさるような見事な椿トンネルを通過して自然の地形を生かした広大な椿公園、椿資料館、小動物の動物園が存在する大島公園を訪れる。
島の中心部に向い、三原山頂口、新火口展望台で三原山の火口を望む。
溶岩流遊歩道を散策して御神火スカイラインを通過して火山博物館を見学、島の南方に走り途中大島一周道路建設で山を切り崩した際に断面にくっきりと巨大な木目のような地層が出現した高さ30m、長さ600mに及ぶ地層断面を通過して波浮港到達。
波浮港見晴台で波浮港を展望、伊豆の踊り子で有名な波浮港、踊り子の里、旧港屋旅館を訪れる。
島の北方に戻ってリスやウサギと触れ合える小動物園リス村を訪れて元町港の近くの保元の乱に破れて大島に流刑された源為朝の住居跡、源為朝の館跡を見学。
島の成り立ちや歴史などの資料を展示している大島郷土資料館、旅の思い出のための大島ふるさと体験館に寄ってから大島最北端に位置する岬、乳ヶ崎の内陸部から続く高さ96mの丘が一気に海に落ち込む断崖を望み元町港に向かう。

15:30ジェットホイルで元町港出発、16:15熱海港到達。ロープウエイで熱海市街や相模湾を一望にする錦ヶ浦山頂に立つ観光城、熱海城を訪れて武具やお城に関する資料などを展示する武家文化資料館を見学してから熱海の繁華街を散策して熱海駅に向かう。
18:14新幹線ひかりで熱海駅出発、20:58新大阪駅到達。

今回の旅行、通常とは大きく違ったコースで白浜&横浜&伊豆大島&熱海と広範囲の観光名所を訪れて1泊2日の旅が数日間にも渡っての長旅のように思われる印象が強く記憶に残る旅となりました。少々ハードでしたが充実して堪能して満喫した旅でした。
なかなか長期休みが取れないのが現状です。今回のような短期間の間で広範囲で多くの観光名所を訪れる旅これからも行いたいと思います。



飛行機で国内&海外の観光地巡り第八弾:壱岐&対馬観光
2007年10月6−8日


今回は長崎県の北方の離島、壱岐と対馬に行ってきました。

6日13:29新幹線のぞみで新大阪出発、15:57博多到達、地下鉄で飛行場に向かう。
17:50飛行機で出発、18:25対馬空港到達、レンタカーで1時間で対馬南部の宿に到達、宿泊。

7日6:00レンタカーで出発、天候曇り、島の最南端豆酘崎から二つの海峡の分岐点に点々と続く岩礁と小島の先の白い灯台を眺望、多久頭魂神社、美女塚を寄ってから珍しい大きな一枚岩で花崗岩で覆われた瀬川の清流を中心にした鮎もどし自然公園を訪れる。
万松院、対馬の文化財、考古歴史資料や民族資料、宗家文庫を保存している対馬歴史民族資料館を見学してから北方の浅芽湾内が一望できる上見坂展望台に向かう。万関橋、浅芽パールブリッジを通過して和多都美神社、神話の里自然公園を訪れてから烏帽子岳展望台から南方の日本有数のリアス式海岸、浅芽湾の変化に富んだ海岸美を360°展望する。対馬北端に向かい異国の見える展望台、韓国展望台から釜山の町並みを望む。厳原港に向かい15:25フェリーで出発、17:30壱岐郷ノ浦港に到達、宿泊。

8日天候曇り、8:00レンタカーで出発、岳の辻展望台で壱岐の南端の海岸線を眺望してから壱岐の文化や風土を知るうえで貴重な資料を数多く展示している資料館、壱岐文化村、又明治、大正、昭和と日本の産業経済発展の礎を築いた松永安左ェ門の功績をたたえて建設した日本の電力王と称された氏の偉業の数々を知る松永記念館を見学。魏志倭人伝に記された一支国の王朝として注目を集める原の辻遺跡と、原の辻展示館を見学してから東端のはらぼけ地蔵、左京鼻を訪れて北に向かい、男岳神社、野生のイルカのショウを見れるイルカパークを訪れてから壱岐の中心地に点在する古墳(掛木古墳、百合畑古墳、双六古墳)と江戸時代の古民家を移築した資料館の壱岐風土記の丘を見学、鬼の岩屋、国分寺跡、へそ岩に寄ってから西端の猿岩、砲台跡を訪れる。南下して鬼の足跡、春一番の搭に寄り壱岐の歴史、考古、民俗、美術を映像で紹介される壱岐郷土館
を見学してから16:55ジェットホイルで郷ノ浦港出発、18:05博多港到達、バスで博多駅に向かい、19:22新幹線のぞみで出発、21:56新大阪駅到達。

今回の旅行、長崎県北方の大きな2つの離島、壱岐、対馬、2日間かけてレンタカーで2つの海流で洗われた海岸線に山が迫った急な斜面や大陸系の珍しい動植物が生息している自然と大陸との中継地として重要な役割を果たした対馬と壱岐の原の辻遺跡が魏志倭人伝「一支國」の国府であると確定しての国の重要遺跡や多くの史跡が点在する壱岐を観光して堪能しました。

壱岐&対馬の概要

壱岐は 朝鮮半島と佐賀県呼子の間の玄界灘に浮かぶ人口33,000人の島で、日本書紀、魏志倭人伝や元寇、朝鮮出兵など中世の日本の歴史舞台の島です。壱岐の原の辻遺跡が魏志倭人伝「一支國」の国府であると確定して国の重要遺跡に指定されてから、観光客総数も増加傾向にあります。壱岐の美しい海と豊かな自然、海の幸は新鮮な観光要素をも歓迎されています。

対馬は九州最北端、本土から132キロ、韓国までわずかに49,5キロという国境の島で2つの海流に洗われた海岸線に山が迫り急な斜面になった磯の浜、島の約89%を占める山間部には、緑深い照葉樹林や清らかな渓流が残され、大陸系の珍しい動植物が生息しています。又古来より大陸との中継地として重要な役割を果たした対馬は日本文化のルーツを知る歴史遺産も豊富。伝来の文化は暮らしの風習に祭りや信仰の中に、今もお息ずいています。




飛行機で国内&海外の観光地巡り第七弾:隠岐の島(島前&島後)観光
2007年9月22−24日


今回は伊丹空港から直行便で1時間足らずで到達できる比較的関西から行きやすい島根県隠岐の島に行ってきました。

22日13:50伊丹空港出発、14:45隠岐空港到達、天候は雨、シャトルバスで隠岐西郷港フェリー乗り場に向かう。到達後西郷町の隠岐の島の海と自然をテーマにした隠岐自然館を見学してから16:58西郷港から高速艇レインボー2で島前西ノ島別府港に向かう。17:45別府港到達、近くで宿を取る。

23日天候は天気予報と違って運良く晴れ、今日は1日で島前の3つの島(西ノ島、中ノ島、知夫里島)をフェリーで渡って車で観光、かなりハードスケジュール。
先ずは7:44いそかぜ2で知夫里島来居港に向かう、到達後直ぐ予約していた観光タクシーで島巡り、西部に位置している牛馬を放牧している広大な赤ハゲ山を訪れ、赤ハゲ山展望台で360°知夫里島を見渡すことができ又西海岸に1キロに渡って高さ50−200mにおよぶ赤、黄、茶色などのあざやかな断崖の赤壁を訪れる。
1時間20分でこの島の観光を終えて9:20いそかぜ2で別府港に戻り、レンタカーで西ノ島を観光、漁業、海上の守護神としての由良比女神社を訪れてから有名な国賀海岸に到達、岩石の中央が海蝕作用でえぐられた巨大な岩の架け橋、通天橋見学、又摩天崖展望台に登り、広大な国賀の放牧地帯を眺望できました。赤尾、鬼舞スカイラインを通って赤尾、鬼舞展望台からの西の島、特に国賀の眺望はすばらしかった。
船引運河によってから後醍醐天皇が隠岐に配流され脱出されるまでの1年間過ごされた黒木御所、碧風館を訪れ、別府港の近くの西ノ島ふるさと館で西ノ島の自然と人の暮らしを学びました。
13:55いそかぜ2で3つ目の島、中ノ島に向かう、中ノ島菱浦港到達、レンタカーで観光、隠岐に配流された後鳥羽上皇由来の隠岐神社、歴史民俗資料館を見学してから島一周、天川の水、三郎岩、木路ヶ崎灯台を訪れました。
16:43菱浦港出発、別府港でフェリーしらしまに乗り換えて島後、西郷港に向かう。18:30西郷港到達、近くで宿を取る。

24日8:00レンタカーで最後の島、島後を巡る。玉若酢命神社の樹齢2000年の八百杉と宝殿の駅鈴、唐櫃、隠岐国倉印の三宝物見学。隠岐国分寺、牛突き場、隠岐モーモードーム水若酢神社、隠岐郷土館、五箇創生館を訪れてから白島海岸展望台で島後の最北端、白島海岸を眺望、浄土ヶ浦海岸、ローソク島、福浦トンネル経由してほぼ島を一周しまし14:30隠岐空港到達。
15:10飛行機で出発、16:05大阪伊丹空港到達しました。

今回の旅行、後鳥羽上皇、後醍醐天皇、その他数多くの身分の高い方が配流された隠岐の島、二泊三日で4つの島を強行スケージュールで観光巡りしました。
島前の3つの島は文化だけでなく広大な牛馬の放牧地帯とすばらしく綺麗な海岸線、島後の数多くの文化遺産と自然の観光名所巡りし隠岐の島4島ほぼ制覇して堪能しました。



飛行機で国内&海外の観光地巡り第六弾:北海道利尻&礼文&稚内&宗谷観光
2007年9月15−17日


今回の観光旅行は日本の最北端、北海道利尻・礼文・稚内・宗谷に行ってきました。

15日14:40ジェット機で関西空港出発、16:50稚内空港到達、天候小雨、シャトルバスで稚内駅に向かう。17:30稚内駅に到達、駅付近で宿を取る。夕食は宿の近くの有名な郷土料理のお店で自慢のタコシャブ等郷土料理をしっかりいただきました。又お店で埼玉県からの旅行客男性2人女性2人と意気投合して4時間あまりもお話が進み、旅行の情報交換等で盛り上がりました。

16日天候は前日と打って変って快晴、風も弱い、稚内は年間を通して風が強い日が多いが今日は運良く風弱く、波も穏やか、7:00フェリーで利尻島鴛泊港に向かう。快適な船旅でした。

8:40鴛泊港に到達、レンタカーで島観光、ペシ展望台、夕日ヶ丘展望台、野塚展望台で海岸線を眺望してから富士見野園を散策、利尻山に向かって甘露泉水、見返台園地を訪れてから沓形岬公園、仙法志御崎公園、南浜湿原、をも訪れ、利尻町立博物館、、利尻島郷土資料館を見学、又2つの湖オタトマリ湖、姫湖は利尻富士を背景とした風景はすばらしかった。利尻島は北海道の利尻礼文サロベツ国立公園にある小さな島ですが標高1721mの大きな利尻山(利尻富士)が聳え立っておりどこからもそのすばらしい景色を望むことができました。

14:15利尻島鴛泊港出発、14:55礼文島香深港到達、レンタカーで観光、桃岩、猫岩、地蔵岩、高山植物センター、久種湖、西上泊、スコトン岬を訪れました。礼文島は他に名所がたくさんありますが車ではいけない場所が多く、多くの観光客はトレッキングを楽しみながら観光巡りされていました。当然時間は掛かり歩いて礼文を満喫するには2日間は必要でした。
18:00礼文島香深港近くで宿を取る。宿泊客は皆さん一人旅で利尻、礼文両島は一人旅の方がたいへん目立っていました。

17日天候曇り、風強い、9:05礼文島香深港出航、稚内港10:55到達、レンタカーで観光。稚内港北防波提ドーム、稚内公園、稚内市開基百年記念塔、ノシャップ岬、を訪れてから利尻礼文サロベツ国立公園にある日本海オロロンラインを経由してサロベツ原生花園見学、その後大沼バードハウスを訪れてから日本海オロロンラインを経由して日本の最北端宗谷岬到達、宗谷岬平和公園、宗谷丘陵を訪れて帰路の稚内空港に向かう。
16:00稚内空港到達、17:25ジェット機で出発、19:55関西国際空港到達。

今回の旅行、日本の最北端岬、最北端宿、最北端レストラン、最北端ガソリンスタンド等、最北端ずくしで、又利尻の壮大なすばらしく綺麗な利尻富士、礼文の高山植物の貴重な群落、利尻礼文サロベツ国立公園に存在する、すばらしく綺麗な海岸線と高山植物の群集の山並みの風景を見ながらドライブできる日本海オロロンライン堪能しました。


飛行機で国内&海外の観光地巡り第四弾:宮城松島&牡鹿半島観光
2007年8月18−19日


18日13:27新幹線のぞみで大阪駅出発、16:00東京駅到達、東北新幹線やまびこに乗り換え16:02出発、18:20仙台到達。仙台駅の近くで宿を取る。

初めての仙台、予想以上に大きな町、梅田に匹敵するぐらい大きなビルが密集していました。

19日8:00レンタカーで観光巡り、9:00松島の五大堂に到達、遊覧船で260以上ある松島の島々を巡る。帰港してから端厳寺、円通寺、雄島、マリンピア松島、福浦島を訪れる。

11:30レンタカーで出発牡鹿半島に向かう。13:00牡鹿半島先端の鮎川港到達、おしかホエールランドを見学してから13:50のフェリーで金華山(島)を訪れ黄金神社でお参りしました。

15:10のフェリーで帰港し、レンタカーで仙台空港に向かう。男鹿半島のもうひとつの有名な島、網地島は時間の都合で訪れることができず半島から眺望するのみでした。又牡鹿スカイラインはがけ崩れのため通行止め残念でした。

17:30仙台空港到達、19:05ジェット機で大阪に向かう。20:30伊丹空港到達。

今回の旅行、飛行機、新幹線(のぞみ、やまびこ)、レンタカー、フェリーを利用しての移動、奥の細道の紀行文の場所となった松島、大小260以上の島々からなり何回訪れても把握するのが難しいたくさんの島、又フェリー乗船中絶えずたくさんのカモメの群れ、なかなかの観光地です。
牡鹿半島の金華山、野生のシカが住み付いて広島の宮島を思い出しました。

天気予報は曇りのち雨で気温が少々低くなるとのことでしたが天気は晴れ、気温もかなり上昇して暑い暑い観光旅行となりました。

飛行機で国内&海外の観光地巡り第三弾:大分国東半島&姫島観光
2007年8月4−5日


今回は飛行機を利用せずフェリーと新幹線の旅を行いました。

4日17:20南港からフェリーで出発、翌朝5:20新門司港到達、宿泊を兼ねた夜行長距離フェリー、経済的にもリーズナブルでよほどシケが無い限り快適な船旅です。

日ごろ乗ってるクルーザーでは少々波が高いと艇が波にたかれ過酷なクルージングになりますが今回南西の風強く波も少々高かったですがさすが大型フェリー揺れも少なく快適に休むことができました。

送迎バスで門司駅到達、小倉で特急にちりんに乗り換え7:30宇佐駅到達、早々レンタカーを借りて宇佐神社を訪れてから伊美港でフェリーで姫島に向かう。

10:20姫島到達、七不思議(千人堂、浮州、かねつけ石、拍子水、逆柳、浮田、阿弥陀牡蠣)を観光、13:00フェリーで出港。

13:20から西の京都と呼ばれている史跡の多い国東半島をレンタカーで回る。両市寺、富貴寺、真木大堂、熊野磨崖仏、杵築城を訪れました。17:00別府駅到達。

17:23特急ソニックで出発、18:41小倉で新幹線のぞみに乗り換え20:55新大阪に到達解散しました。

今回も大型フェリー、島渡船フェリー、新幹線、特急、レンタカー等のいろんな種類の乗り物を使って移動、現地国東半島では奈良時代から平安時代にかけての栄えた時の史跡巡り又七不思議の島、車えびの養殖で有名な姫島を観光して堪能しました。

飛行機で国内&海外の観光地巡り第二弾:種子島観光
2007年7月28−29日

28日14:25伊丹空港をプロペラ機で出発、種子島に15:55到達、天候晴れ、風は強い、
早速レンタカー借りて観光に向かう。

初日は日没まで3時間、飛行場の南の方面を巡る。
熊野海水浴場、種子島宇宙センター、宇宙科学技術館、たねがしま赤米館、宝満の池、宝満神社、ドラメルタン号漂流の碑、鉄砲伝来紀功碑の門倉岬等を訪れました。
その夜は種子島の中部域の中種子町で宿を取る。

二日目は朝早くからレンタカーで北に向かって島一周、途中雄龍雌龍の岩、ガジュマル防潮林、日本甘藷栽培初地の碑、わかさ公園、種子島開発総合センター鉄砲館、あっぽーらんどいこいの森、浦田海水浴場、喜志鹿埼灯台、鉄浜海岸、アメリカ船カシミア号漂流の地、馬立の岩屋、犬城海岸、歴史民俗資料館、太陽の里、ふれあいの里、大ソテツ、種子島こりーな、古市家住宅、熊野神社、千座の岩屋等を訪れました。

二日間にかけて種子島の観光地をほぼ制覇しました。

尚種子島は道路が整備している割には車も人も少なく、観光場所でも人は少なく時間のロスが少なく多くの観光地を回ることができました。
海も綺麗で空いていて特に島の最北端にある浦田海水浴場はすばらしく綺麗です。

大阪から直行便の飛行機で1時間20分でたどり着けます。
まだまだ自然がいっぱい、穴場的離島でした。

飛行機で国内&海外の観光地巡り第一弾:佐渡ヶ島観光
2007年7月14−16日

台風から逃れるように14日23:27大阪駅夜行寝台車きたぐにで出発、久々の寝台車、結構快適に過ごせて睡眠を十分とれることができました。
15日5:50直江津駅に到達、天候は小雨で風は強くない、台風の影響はなさそう、歩いて直江津港に向かう。
7:00のフェリーに乗る予定でしたがこの地域の海面は台風の影響があり欠航、9:00以降の便に待たないといけないとのこと、時間が無駄になるため直江津駅に戻って快速で新潟に向かう。
9:00過ぎ新潟駅到達。10:00高速艇ジェットフォイルで佐渡の両津港に向かう。
11:00両津港到達、昼食を済ませてから12:40からの観光バスで陶芸苑、白雲台、大佐渡スカイライン、佐渡銀山、尖閣湾楊島遊園遊覧船、七浦海岸、夫婦岩等を観光する。
17:00佐和田下車、近くの宿に宿泊。
16日はレンタカーで島一周、途中佐渡歴史伝説館、佐渡博物館、ゴールドパーク、たらい舟、二ツ亀等を観光。
15:35佐渡空港で10人乗りのセスナ機で新潟に向かい17:05大阪行きのジェット機に乗り換え18:00伊丹空港到達しました。

離島佐渡ヶ島観光、行き帰りのいろんな乗り物、盛りたくさんで二泊三日の旅、満喫しました
今回の旅行飛行機で国内&海外の観光地巡り第一弾、台風から避けるような旅行で現地での観光だけでなく行き帰りの交通手段も楽しもうと10種類の乗り物で二倍楽しむことができました。これからも現地観光だけでなくいろんな乗り物に乗って楽しみながらの移動で旅行を行いたいと思います。
尚16日10:13新潟に大きな地震が発生しましたが運良くその時刻はレンタカーで佐渡観光めぐりしていましたので地震を感じず気がつかず、あとでテレビを見てびっくりしました。
 
今回の交通手段:夜行寝台車きたぐにー快速電車くびきの1号ージェットフォイルー観光バスー尖閣湾楊島遊園遊覧船ー佐渡路線バスーレンタカーー10人乗りセスナージェット機ー航空バス
 

家島群島男鹿島&太島ボートクルージング・マリンスポーツ
2007年7月8日
参加者:15人

天候曇り時々晴れ、風弱く波穏やか、絶好のクルージング日和。
9:00ベルポート芦屋出航し11:30男鹿島に到達、魚旅館でいけすの採れたての魚をさばいていただいて皆さんで新鮮な海の幸を船上で食べました。
13:30出航、近場の無人島太島到達、早速アンカリングして皆さん島に上陸、スノーケリングして楽しむ。
16:00出航、チューバーしながら帰路に向かう。
18:00芦屋到達、あとかたずけしてから展望風呂に浸かり20:00解散しました。
高松&女木島&男木島ボートクルージング・マリンスポーツ
2007年6月16−17日
参加者:8人

今回は瀬戸内海島巡りと高松で讃岐うどん、マリンスポーツ等盛りたくさんで楽しみました。
16日13:00ベルポート芦屋出航、天候晴れ、波穏やか、絶好のクルージング日和、目的地四国高松に向かう。
16:00小豆島南沖を通過、17:00高松港到達。早速高松市で讃岐うどんのお店をはしごし、お腹いっぱいうどん食べてから宿で宴会して宿泊。
17日7:30出航、目的地女木島に15分で到達、桃太郎の鬼退治伝説にちなみ名のついた女木島(鬼が島)でレンタサイクルで島巡り、有名な鬼が島大洞窟を探検してから自転車で周遊。
11:00出航、隣の男木島に向かう。15分で到達。近くの地魚料理店で新鮮な採れたての海の幸を食べてからマリンスポーツ開始。スノーケリング、チューバーして帰路に向かう。
少々海が荒れていましたが17:00ベルポート芦屋到達、あとかたずけして展望風呂に入り19:00解散しました。
淡路島サントピアマリーナボートクルージング・バーベキュー
2007年4月22日
参加者:14人

天候晴れ、南西の風強く波高い。
今回定員オーバーの14人の大所帯。
荒波により目的地沼島から近場の淡路島サントピアマリーナに変更して11:00到達。早速バーベキューの準備して始める。時間がたっぷり有り食事をしながら皆さん十分お話ができ親睦を深めることができました。
15:30出航、帰路は波穏やか快適のボートクルージング。
17:00到達、あとかたずけして展望風呂に入浴して解散しました。
家島群島男鹿島ボートクルージング・海の幸
2007年4月22日
参加者:8人

天候曇り、南からの風強く波がやや高い、目的地家島群島男鹿島に向かって走行。
幸い明石大橋を通り過ぎると波は穏やかになり、ほぼべた波で快適なクルージング日和でした。
11:00目的地家島群島男鹿島到達、料理旅館で新鮮な取れたての海の幸をお腹いっぱい頂き堪能しました。
15:00出航、帰りも全行程海が穏やかで快適なクルージングで17:00芦屋到達、展望風呂に浸かり18:00解散しました。
鳴門のうずしお観測ボートクルージング・温泉
2006年11月5日
参加者13人

天候快晴、波穏やか、絶好のクルージング日和、9:00出航、あらかじめ調べて11:51の鳴門海峡の潮流最強時までに到達しビッグなうずしおを観測して福良港に向かい、バスの送迎で南淡路休暇村でランチバイキングして温泉に浸かり15:00出航、瀬戸内海方面の淡路島の西側から帰路に向かう。17:00ベルポート到達、19:00解散。
今回のボートクルージング、天候快晴でビッグなうずしお観測、南淡温泉、淡路島一周堪能致しました。
瀬戸内海島巡りボートクルージング・マリンスポーツ
2006年9月23−24日
参加者8人

今回太平洋方向の串本クルージングを予定していましたが台風の影響で西の穏やかな瀬戸内海方面に変更。
9:00ベルポート芦屋出航、天候は快晴、波穏やか、視界も抜群、絶好のクルージング日和。瀬戸内は台風の影響全くなく快適なクルージングとなりました。小豆島南の土庄に昼食兼ねて寄港、昼から瀬戸大橋を通過して多数の瀬戸内の島の間を通過して四国香川の観音寺港に到達、直ぐ讃岐うどん食べ歩きし温泉に浸かってから宿で宴会し宿泊。
24日8:00出航、天候晴れ、波も穏やか、視界も抜群、2日とも天候に恵まれ瀬戸大橋通過して小豆島手前の豊島リーゾートアイランドにテンダーで上陸してマリンスポーツはじめる。11:30出航しチューバー、ウエイクはじめる。14:00小豆島北の大部港到達し食事、15:00出航、家島群島の島々を通過しながら帰路に向かう。18:00芦屋到達。クラブハウスの展望風呂に浸かって20:00解散。
今回のボートクルージング日本に台風が近ずきキャンセル続出しましたが目的地を影響のない瀬戸内海に変更して快晴で波穏やか視界抜群のなかなかこれだけ気象条件のそろったクルージングは珍しく快適なクルージングと讃岐うどん、マリンスポーツ、温泉で満喫しました。
淡路島洲本ボートクルージング・マリンスポーツ
2006年7月2日
参加者12人

前日から芳しくない天候でバーベキューは中止して予定どおり決行、当日やはり雨、風も強く、波も高い、ヨットハーバーで待機、10:00に風が弱くなり雨も止み、空も明るくなり出航、しかしまだ南西の風強く、波も少々高い、目的地家島群島断念し近場で南西の風の影響を受けにくい淡路島洲本に変更して進行、しばらく風強く波も高いが淡路島に近ずくにつれて穏やかになる。12:00前ホテルニューアワジの桟橋に到達。ホテルで昼食。13:00隣の海水浴場に移動、マリンスポーツ開始、15:00出航、洲本沖でウエイクボード、チューバーして17:00帰路芦屋に向かう。18:30到達、マリーナの展望浴場に浸かって20:00解散。今回のクルージング朝方天候が芳しくなかったが10:00ごろからよくなり昼からは晴れ、波も穏やかで絶好のマリンスポーツ日和となりました。ウエイク、チューバー、スキムボード、水上スクーター、シーカヤック、水上トランポリン等で満喫しました。
男鹿島ボートクルージング・バーベキュー
2006年5月14日
参加者11人

天候は晴れ風弱く波穏やか、絶好のクルージング日和、目的地家島群島男鹿島に向かう。明石大橋付近から西の風強くなり波が高くなる。11:00男鹿島到達、早速バーベキュー準備し開始。食後釣りなどして楽しみ15:00出航17:00芦屋到達19:00解散。
瀬戸内海島々ボートクルージング
2006年4月29−30日
参加者11人

天候曇り、風弱く、波穏やか。9:00出航明石大橋越えてから南の風強くなり波が高くなる。雨も降り出してきました。12:00小豆島内海港に到達。給油と昼食を済ませてから14:00出航、17:00福山港到達。近くのビジネスホテルで宿泊。30日8:00出航。天候晴れ、風弱く波穏やか、絶好のクルージング日和、10:00牛窓のホテルリマーニ到達、給油とバーベキューして13:00出航、途中トローリングしながら帰路16:30西宮到達。
淡路島南淡温泉・うずしお観測ボートクルージング2005年11月13日
参加者:11人

午前中は快晴でしたが昼からは曇りでした。風は弱く波は穏やかで快適なクルージングでした。9:00に新西宮ヨットハーバー出航して11:30淡路島福良港に到達。送迎バスで南淡路休暇村に行きランチバイキングと温泉に浸かり14:00送迎バスで福良港に戻り出航、14:30うずしお観測して右回りで淡路島を一周して17:00西宮に到達しました。うずしおは小潮のためあまり迫力はなかったですが快適なクルージングを満喫しました。
和歌山沖ノ島無人島ボートクルージング・バーベキュー・マリンスポーツ:2005年9月23日
参加者:13人
天候曇り風弱く波穏やか、定員オーバーの13人参加、和歌山沖の無人島でバーベキューと友が島付近でチューバーして楽しみました。

チューバーのビデオ
四国一周ボートクルージング:2005年8月13−15日
参加者:8人

13日朝9:00西宮出発し紀伊水道を越え伊島で昼食、13:00出航14:00牟岐大島到達、18:00四国室戸室津港到達宿泊14日7:00出航足摺岬三崎港に11:00到達12:00出航13:00宇和島沖ノ島到達14:00出航18:00八幡浜港到達宿泊15日6:00出航瀬戸内海を通って来島海峡通過して11:00に今治港に到達12:00出航18:00西宮港到達。3日間で四国一周してきました。今回のクルージング一番印象に残ったのは足摺岬沖で約100頭のイルカに遭遇し30分ほど取り囲まれて天然のイルカショウを見ることが出来ました。二度とない体験です。

遭遇したイルカの大群のビデオ
家島群島無人島ボートクルージング・バーベキュー:2005年7月24日
参加者:12人

家島群島の無人島鞍掛島に上陸しバーベキューして後姫路沖の海でウエイクボード・チューバーして楽しみました。天候は快晴、風も弱く波も穏やか最高のクルージング日和でした。
沼島ボートクルージング2005年6月19日
参加者:12人

天候晴れ、風も弱く波も穏やか絶好のクルージング日和。
11:00花嫁募集で有名な淡路島沼島に到達。早速バーベキュー。14:00出航、沼島沖で今一番人気のあるチューバーしました。タイヤのような形をしたゴムボートでクルーザーボートで時速40キロメートルで引っ張ります。ジェットコースター、ラフティングは上下前後しか揺れませんがチューバーは上下前後に加えて左右に移動し揺れます。かなりスリリングで楽しめます。ジェットコースター、ラフティングに飽きて物足りない方はおすすめです。帰路も天候よく波も穏やか。17:00西宮到達。
瀬戸内海島々ボートクルージング2005年5月3−5日
参加者:8人
新西宮ヨットハーバー3日10:30出発し小豆島東のアイランドインに13:00到達し昼食、15:00出発18:00四国新居浜に到達し宿泊。4日10:00出航、来島海峡通過し12:00リゾートアイランド大久野島に到達し昼食、14:00出航17:00弓削島到達し宿泊。5日8:30出航10:00白石島到達。11:00出航13:00牛窓到達、昼食し15:00出航帰港、18:00西宮到達。
今回のボートクルージング天候よく波も穏やか絶好のクルージング日和でした。新居浜と弓削島で新鮮な海の幸をおもいっきり食べました。温泉は浸かりませんでしたがボートクルージング満喫しました。
2004年10月17日家島群島太島ボートクルージング・バーベキュー・マリンスポーツ
参加者;11人
2004年9月18−20日淡路島岩屋・笠岡・尾道・しまなみ海道島々ボートクルージング
参加者;5人
2004年7月17−19日牟岐大島・室戸岬・伊島ボートクルージング
参加者:10人
2004年5月9日洲本温泉ボートクルージング
参加者:12人
2004年4月25日琵琶湖ボートクルージング・バス釣り
参加者:6人
2004年4月11日家島群島男鹿島ボートクルージング
参加者:12人
2004年3月14日淡路島南淡温泉ボートクルージング
参加者:9人
2004年1月18日淡路島五色温泉ゆーゆーファイブボートクルージング
参加者:6人